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ゼロの黒魔道士 Another Note-06


紅い月はまだ高くにある。
夜の終わりには少々早い。

「――それで?」
「う、うす!」

血よりも真っ赤な月光が、
鐘楼の上の二匹を照らしていた。
乙女心の何たるかも分かっちゃいないような無粋な野郎共を。

「いや、返事は良いから……あと、人に鼻水つけんな。汚いから」
「う、うっす」

ずずっと鼻をすする音。
汚らしいことこの上無いが、垂らしっぱなしよりはまだ良い。
さっきのベタベタのぐちゃぐちゃよりは、まだ少しは男らしい。

「それで?お前はどうするつもりか、って話なんだが?」
「そ、そりゃ、俺は――」
「うん」

スティルツキンは、しばらく黙っていた。
こういうのは、自分で気づくのが大事だ。

「まず……その……あの子を探す!」
「おぉ。珍しくまともだな。それで?」

自分で考えることが大事なのだ。
どんな職業であれ、自分で考えない奴に未来は無い。

「そんで、それで……思いっきり謝る!謝って、謝る!」
「お前にしちゃ殊勝だ。それで?」

それが、どんな馬鹿な頭であったとしても、
いずれは、それなりの正解に辿りつくのだから面白いものだ。

「それで……そのー……あー、うん!『言えなかったこと』を言うんすよ!」
「ふん。『何を』かまでは聞く必要は無ぇな。そいつは本番に取って置け」
「うす!」

よし。とスティルツキンは頷いた。
まずは正しい軌道に四本腕の馬鹿野郎を乗せる事が出来た。
最終的な結果がどうなっても、後悔することは無いだろう。
あとは、突っ走る、それだけだ。

「よーし、そんじゃこんなところで『うす、うす』なぞ言ってる場合じゃ……」
「うぉおおおおおお!!!」
「あ、おい……ったく、馬鹿は褒めるとすぐこれだ……」


最も、後先考えない突っ走りを勧めるわけではない。
下が海でも何でもないような高い鐘楼のてっぺんから飛び降りるのは、正気の沙汰ではない。
いや、恋に落ちることがそもそも正気の沙汰では無いというところか……
それに、アイツは体だけは頑丈だ。
どこに落ちたからといって死ぬタマではあるまい。

ほら、思った通りだ。もうあんなに遠くまで走っている。
スティルツキンは父親のように知ったかぶった笑みを浮かべて、眼下を走り抜けていく男を優しく見つめた。

「ま、しっかりやんな。バカなりに……ん?何だ、ありゃ?」

頭上に輝くのは紅い月。血よりも紅い、真っ赤な月。
だがスティルツキンは、町の端に見たのだ。
血よりも紅い、炎のゆらめきを。


           ゼロの黒魔道士 Another Note


ピンク色に照らされた石畳を、彼女は歩いていた。
雪のように真っ白な髪が、レンゲ色に染まる。

「ひくっ……ぐすっ……」

小さいジョゼット。小さい、小さいジョゼット。
小さいからこそ、彼女は悩んでいた。

「小さく無いもの……きっとまだ届くもの……」

いくら親しみがこもっていても、外見のコンプレックスを絶えず弄られるのは、きつい。
言われなくても、分かっている。自分が『お婆ちゃんみたいなみっともない白い髪』で、
『そのくせ体はお子ちゃまみたいにチンチクリン』、『アンバランスこの上ない妖怪娘』だと。
分かっている。自分でも、友人の冗談だとは分かっている。
でも、それでもでも、涙の理由には充分なほど傷つくものだ。

「……『あの方』も、その方が好きなのかなぁ……」

せめて、身体だけでも育っていればなぁと、ジョゼットは溜息をついた。
もっと女性らしい、優美な曲線を体の表面に浮かべていれば。
そうすれば、『あの方』も私から離れて行かなかったのでは無いだろうか。
そうジョゼットは溜息をついた。
いくら、『白銀の雪のように美しい髪』と慰めのお言葉を頂戴したところで、
『あの方』には釣り合わないのではないか。そう思ってしまう。
スラリと背の高く、顔立ちの整った『あの方』。
さぞかし、教皇庁のあるロマリアではおモテになるのだろう。
恋も愛も、自分のような小娘の何万倍も経験しているに違いない。

「恋、かぁ……『恋』ってどんなものかしら」

でも、でもでも。ゼロ、にいくら数字をかけてもゼロにしかならないんだ。
ジョゼットはまた溜息をついた。
ピンクに染まる石畳に吐息が落ちる。
恋愛などというものは、修道院の子達と一緒にキャイキャイと想像はしたが、
まさしくコレ!といった意見を言えた者などいるはずも無いのだ。
それがゆえに、彼女は夢を見る。
『恋とはどんなものかしら』と、甘い甘い夢を見るのだ。

「甘いのかなぁ。クレープみたいにふわふわで」

夢を見る事で、少し心が晴れる。
少女の心は移ろいやすい。
空よりも、風よりも、自由に飛びまわる。

「それとも、ドキドキするのかなぁ。夜空を跳ねまわるぐらいに」

クレープの発想から、彼女の頭は今日あったことを思い返した。
町に来て、クレープを食べて、それで夜空を跳ねまわって……
そう、あの四本腕のあの人の背中の上で、ドキドキしながら。

「……それはちょっと違う、かな。うん、そうよ……」

違う。彼女はかぶりを振った。
夢で膨らんだ心の風船がしゅんと萎んでいく。
いくらコンプレックスを指摘されたからといって、ビンタは無かったのじゃないかと、
罪悪感めいた気持ちで恋愛感情を否定する。
あの人も良い人だけど、夜の散歩は楽しかったけれど……
それでも、でも、恋とは少し違うと思う。彼女はそう結論付けた。

「……お宿に帰らなくっちゃ。どっちだっけ……」

冷静になって、初めて気がつく。
今、自分がどこにいるのかよく分からない。
空から眺めた町並みと全然違う。
キョロキョロと見回しても、似たような石畳の道が連なるだけ。
参った。一度、引き返した方が良いのかしら。

「『亜人』が出たぞぉおぉおおおおおぉぉぉおおお!!」
「わ!?」

いきなり、耳元を殴られたのかと思った。
修道長様のお仕置きのように、分厚い福音書でバンッと。
そうジョゼットが思うような、大きな声が静かな通りを震わせた。

「こっちにまで出やがったぁああ!!」
「女子供は家に入れておけぇ!!」
「鎌でも鍋でもなんでも持ってこいぃい!数が多いぞぉお!!」
「東門だぁああ!」
「メイジだ!メイジを呼べっ!!」

呼応するように、男達の怒号がそこらに満ちていく。
緊張感と、怒りと、恐れが、通りを満たしていく。
松明の灯りに照らされた鉄の道具達が、ギラギラと忌まわしい反射光を辺りに散らす。

「え?え?えっ!?」

暗がりを駆ける男たちに気圧され、
何が何だか分からないままジョゼットは、
噂の『あずまもん』とやらまで流されてしまった。

高い石作りの塀、おそらくは城壁だろう。
そこに一ヶ所、町の往来を見守る大きな木の扉があるが、それがぴっちり閉ざされている。
その周囲を、ぐるりと男達が取り囲んでいた。
塀の上には銃を片手に持つ鎧の男達が。
門の周りには、鍋でも鎌でも、スコップでも、とにかく武器と辛うじて呼べそうなものを持った男達がいた。
どの顔も一様に、不安と、畏れと、殺気に満ちている。

どうしよう。ますます帰り道が分からない。

「お、お嬢ちゃん、ここにいちゃ危ねぇ!!とっとと帰んなっ!?」

前歯が一本欠けた男がジョゼットに気が付き、眉を釣り上げ素っ飛んできた。
そこにはなんの偽りも無い、心の奥底から怯えている男の顔があった。

「え、あの、な、何がっ!?」
「お嬢ちゃん旅の方か!?間の悪ぃときに……
 ヤツらが来たんだよっ!!こないだまでは近くの村を襲うだけだったが、とうとう町まで来やがった!!」

差し出された手を、ジョゼットはぎゅっと握った。
震えている。自分よりも、大きくてゴツゴツの手が、赤子のように震えていた。

「え、あの、『ヤツら』って……?」
「ヤツらだよ!ヤツ!目はこっちを睨みつけるためにでっかくて、耳は叫び声を聞くためにでっかくて、
 んでその口は、口は……俺らを食うためにでっかい……」

お伽話の魔物や妖怪をおどろおどろしく説明するように、男は指で形を作りながら語った。
ふざけている訳ではない。目は真剣そのものだ。
その迫力におされ、ジョゼットも自分が震えてくるのを感じた。

「な、何なんです、その『ヤツら』って……」
「それは……」
「ウェアウルフが出たぞぉおおおおおおおお!!!」

解答は、目の前の男の口ではなく、
『あずまもん』の上、町を守る城壁の上に立つ見張りの男の叫びで与えられた。
前歯の欠けた男が「ひぃぃ」という情けない声をあげて後ずさりをする。
男達の持つ松明が一斉に揺らめいた。

「おい、丸太かついでやがるぞ!?」
「門を破るつもりだ……撃てぇ!撃ちまくれ!!」
「弾ぁ無駄にできねぇよっ!!」
「死ぬよりゃマシだろうがっ!」

門の上から、乾いた軽いパン、パンと断続的な音が響く。
弾ごめの時間がかかる長銃の音は、門を守るにはあまりに頼り無い。

「メイジはどうしたぁっ!!」
「教区の会議で明日まで帰って来ねぇっ!!」
「使えねぇなぁおい!?」

門の上からの問いに、下にいた男の一人が答える。
場の男達に落胆の色が広がるのが、ジョゼットにも分かった。
状況は、かなり絶望的らしい。

ドォン。大きな音が門を揺らす。
門の向こうは見えないが、丸太を打ち付け、門を破ろうと言うのだろうか。
少なくとも、その低く響く恐ろしい太鼓のような音に対して、
銃の散発的な軽い音では抗しきれるわけがない。

「撃てぇ!とにかく絶対町に入れるんじゃねぇぞっ!!」
「続けぇっ!!石でも投げれるもんならなんでも良い!ゴミでも何でも……」
「油だ油ぁああっ!油ん用意いいぞっ!!」
「ぶっかけろぉお!!」

門の上では、投石に続き、大釜に入れられた液が門の向こう側へと投下された。

「火を放てぇえええ!!」

ついで、松明の炎が投げ込まれる。
どんな血よりも紅い炎が、高く立ち昇る。
呻き声が、門の向こう側から響いてくるが、それでもなお、低い太鼓の音が止まらない。
炎に呻く声と併せ、地獄からの行進曲のようだ。

メキリ。メキッ。
門の補強と装飾の役目を担っていた鉄の鋲が、音を立てて吹っ飛ぶ。

「や、破られるぞぉおおっ!」
「男共は門へいそ……」

門の向こう側の熱気が、轟音と共に街へと流れ込んだ。
炎に浮かぶシルエット。獣の毛が焼ける臭気。
恐怖が扉を、押さえていた男諸共食い破った。

「ぐわあああああ!!?」
「破られたああああぁあああ!?」

地獄の業火を背後に背負い、狼共が流れ込む。
釜で煮られたり、井戸に落ちたりといったお伽話の狼では無い。
真に飢えたる狼共が、群れを成して近づいてくる。

「ヒトだー」「ヒトニクだー」

スンスン、と先頭の狼共が鼻を鳴らす。
炎と、仲間の毛が焦げるにおい。
でも、そんなものよりずっとずっと良いにおい。
そうだ、これは、エモノのかおり。

「おまえ、あっち。おれ、こっち」
「りょーかいー」

涎を流して、飢えた狼が門の中へ。
後ろの若い連中は、もう待ちきれないと目と歯をギランギランに光らせている。
だが、まだ我慢。まだ我慢。
狩猟部隊のリーダーの合図があるまでは、おあずけ。
それが狩猟部隊のオキテ。
だが、一度合図があれば、

「かるぞー!」「かりつくすぞー」
「ウゥゥゥゥゥォォォオォォォオオオオオぉぉオオオオオオオン!!!!」

高き遠吠え。双月を貫かんばかりの高い吠え声が、空気を震わせた。
エモノと目されたヒトニク達の肌が、にわかに泡立つ。
体が、凍る。武器を持つ手が、固まり動かない。

それでもなお、勇気をふりしぼったのは肉屋のオヤジであった。
普段から肉をさばいているだけあって、まだ覚悟は決まっていたのだろう。
太めの足にしては、そう遅くは無い。丁度の間合いまであと一歩。
肉切り包丁が、鈍い光を放ちながら、挽肉にしてやると唸りを上げた。

「この犬共ぉ!!これでも食らっ」

ただ、一瞬。
狙われた一頭が、羽虫を振り払うかのように、拳をふるっただけ。
肉屋のオヤジの頭が、荒挽きではあるが綺麗なミンチに変わった。

「あ」
「おまえ、バカ。いけどり、いちばん」
「やっちゃった」

拳を真っ赤にした狼が、失敗した、と舌を出しておどけてみる。
ヒトがやれば、少しは可愛らしいのかもしれない。
だが、それこそ、月よりも、血よりも、ミンチになった肉屋の頭よりも、
真っ赤な真っ赤な長い舌が、デロリと牙の隙間から覗いたのだ。
それは、妙に現実感のある悪夢が、ぬるりと眠りの中に襲ってきたような光景だった。
凍りついていた自警団共が、今度はパニックに陥った。

「も、もっと灯りだぁ!火をくべろぉお!!」
「武器持ってこぉぉぉぃいい!!」

「おまえらいくぞー」
「やったー」「かりだー」「エモノだー」

待ちかねた若い狼達が、大地を踏みしめズン、と低い音を立てた。
おあずけという名の鎖が切られ、狼共が通りに満ちる。
悪夢が、現実へと塗り替わる。

「ひ、ひぃぃっ!?」
「ひひひ、怯むんじゃねぇ!!」

いかに、知性と文明でもって他の種族を『亜人』と呼ぶまでに大地を支配できようと、
軟弱なるヒトと、飢えたる獣では、武において雲泥の差だ。
ウェアウルフにとって、ヒト風情なぞ、
まな板の上のニワトリ。いや、もっと酷い。まな板の上の燻製肉。
食う者と食われる者の差。

「ヒトにくー」「うがぁっ!?」
「ヒトにく、『きおく』ー」「ぎゃぁっ!?」

紅の月に照らされて、街が紅く染まってゆく。
悲鳴と、遠吠えの中、街が紅く染まってゆく。

ジョゼットは、一瞬だけ早く裏通りへと逃げ込んでいた。
肉屋のオヤジが作った隙を借りる形であった。
悪くは思うが、肉屋のオヤジがどうなったのか、彼女は知らない。
知りたくも無かった。
今は、ただ、ベッドが、修道院の自分の部屋が恋しい。
胸にぶら下げた、ペンダントを握り締めて、帰りたいとそう願う。
『決して外してはならない』と修道院長からおおせつかったペンダント。
今はこれだけが、自分を支えてくれている、そういう気がした。

「な、何なんなの!?何なのっ!?か、かかか帰らなきゃ……」

怖い、怖い、怖い。
外の世界は怖いことだらけだ。
楽しいこともあるけれど、それ以上に怖い事で一杯だ。
逃げなきゃ逃げなきゃ逃げなきゃ。
そうだ、こんな血の匂いと毛だらけの顔から……

「いいにおいー」「いーにおいー」
「っ!?」

路地の隙間から、鼻が、次いで牙が、
そして、こっちを睨みつけるためにでっかい目、叫び声を聞くためにでっかい耳。
ジョゼットは固まった。
泣き叫ぶこともできない。
声も出やしない。
修道院の中では、こんなことなどあり得なかったのだから。

「おんなー」「こどもー」
「あ、あ……」

若い狼二頭が、ジョゼットの身体をじっくり、じっくりと眺める。
ちっちゃい白髪のジョゼット、彼女を馬鹿にする目的、そうでは無い。
むしろ褒めたたえるためだ。

「やわらかいー」「やーらかいー」
「うまいー」「おいしー」
「ほっぺぽろぽろー」「ぽろぽろー」
「やだ……」

ジョゼットは、否定の声を絞り出した。
嫌だ、そんなの、嫌だ。
嘘だ。
助けて。お願い。助けて。

「かしらよろこぶー」「かしらだめー。『ねくろふぉびあ』ー」
「つれてくー」「いけどりばんざいー」

ズッと狼共の身体が大きくなった。
いや、近づいただけ。恐怖が一歩、近づいただけ。
遠近感が狂うほどに、大きな大きな狼が近付いただけ。

「ひぃいいいい!!!」
「あばれるー」「おさえろー」
「ふくろあけるー」「ふくろいれるー」
「いやだぁああああああああああああああああああああああああ!!」

少女の叫び声が、真っ赤な月に届かんばかりにこだました。

 ・
 ・
 ・

紅い月によく似た色をした男が、ふっと顔を上げる。
何か聞こえた気がしたが……周囲が騒がしくてよく聞き取れない。
空耳だろう、多分。男はそう結論づけた。

「しっかし騒がしいなぁ……祭か?」

それにしてはやたら殺気立っている気もする。血の匂いもする。
まぁ世の中にゃ狩人の祭典と称して、街中に獣を解き放つような祭もあるのだ。
夜中にやるとは聞いたことが無いが、そういう祭もあるのかもしれない。

「『亜人』が出たってよぉっ!!」
「マジか!!東門だなっ!?」

武器を持った男達が走っている。
とすると、あれが参加者だろうか。

「ととと、こっちはまずい!!」

祭と聞けば参加したくなるのは人の常だが、『亜人が出た』とはちとまずい。
日中、自分がその『亜人』と呼ばれて追いまわされそうになったのは記憶に新しい。
四本腕の男は、慌てて家と家の間に逃げのびた。
まったく、人目につかないというのも大変だ。

「急げぇえ!応援が必要だああ!」
「……物騒な祭だなぁ、おい……っと、そんなことより……」

祭には興味はあるが、今はそれどころじゃない。探さねば。

「ジョゼット、どこだー?……もう宿帰ったか?」

四本腕の男は、闇に問うた。
だがその答えは、決して帰ってくることが無かった。

 ・
 ・
 ・
紅い月が、もう沈む。
明け方近く、夜の終わりと共に、狩猟部隊は帰還した。

ぴちゃり、ねちゃり、めりめりっ、ぶつっ、
ぐちゃ、ぐちゃ、ぐちゃ、ごくん。

凶悪な牙では口を閉じることも難しい。
まぁ、狼に作法などあるものか。
肉塊が下品な音を立てて飲み込まれていく。

「うまいか?ねくろふぉびあさま」
「ふむ、満たされてゆくわ……帰ったのはこれだけか?」

小腹が埋まった気だるさでもって、ネクロフォビアと名乗る者が問う。
半数に減った、とまではいかないが、それでも出発時より十体近くは狼の数が少ない。

「ヒト、てごわい。もんこわすとちゅう、やられた」
「ふむ……仕方あるまい。次は倍を狩れぃ」

まぁ、どうでも良いことだ。
『記憶』を狩るための駒が少々減ったのは残念だが、まだ数はいる。
使い捨てても問題の無い、愚かだが頑丈な、獣の駒が。

「りょーかいー」「まかせろねくろふぉびあー」
「『さま』つけろー」「ねくろふぉびあさまー」

全く、愚昧なほど忠実な獣達だ。
中身が入れ替わって、外見すらも腐ってしまったというに、
この俺をまだ『かしら』だと信じているのだから。
ネクロフォビアは呆れたように、舐っていた大腿骨をペッと吐き出した。

「ふん……かわりを持て」
「うん、おかわりどうぞー」「どうぞおかわりー」

そう言って若い連中が持ってきたのは、粗末な麻袋だった。
何やらガサガサと動いているところを見ると、中身はまだ生きているのだろう。

「ほう、生け捕って来たのもおるか。少しは学んでおるな。どれ……」

『記憶』は鮮度の良い方が良い。
魂の流れに乗って『悪魔の門』まで行く前の、
肉体にしっかり残った、瑞々しい生の『記憶』。
ネクロフォビアが必要としたのは、そこから滴る、蕩けるような魔力なのだ。

ブチッと頑丈な麻の袋が千切れる音がして、
『記憶』に満ち溢れた美味なる果実が姿を現した。
真っ白な髪の毛の、怯えきった少女。

「あ……ひ……」
「む?」

真っ白な髪、それ自体も見覚えはある。
あれは十数年前だったか、『神の右手』を手中におさめるために利用した……
いや、それはどうでも良い。一々そんな愚かな餓鬼のこと、思い出すまでもない。
今目の前にした少女とよく似ている気もするが、関係無い。
問題となるのは、彼女の中身。
そう、胸にぶら下げたペンダントの奥、その小さな胸のさらに奥。
極上の果汁の気配を、ネクロフォビアは感じとっていた。

「どーした、ねくろふぉびあさまー?」
「く……ククク……これはこれは、愚かな貴様らにしては上出来だ……」

笑わずにいられようか?
こんなにも事が上手くいって、笑わずになどおれようか?

「ほめられたー!」「やったほめられたー!」
「くくく、こうも早く『代わり』が見つかるとは……神のおぼしめし、か?くくく……」

いや、自分自身がやがて神となるのだがな、
とかつて教皇を名乗った男がまた笑う。

「いや……」
「修道院から家出か?クク、神め、小粋な真似を。あそこに押し入るのは少々骨だからなぁ」

嫌がる少女の身体を、片手で持ち上げる。
なんと軽い。だが、なんと愛おしい。
牙から、涎が滴り落ちる。

「な、なんで知って!?」
「くくく……俺は神になる男だぞ?何でも知っているさ。『虚無候補』の体よ……」

知っているさ、とかつて『虚無』の身体をまとっていた男がほくそ笑む。
おもむろに、少女が身に着けていたペンダントをむしり取った。
何しろ、長年『教皇』を名乗っていたのだ。
配下の修道院のことなど、全て知っている。

例えば、妾腹の子。
例えば、懲罰により没落した家系の子。
例えば……ハルケギニアでは不吉とされる『王家の双子』。
この世に望まれて生まれてきたはずが、この世にいらぬ者と断じられた者を庇護する場所、
それがこのペンダントを与える修道院の役目だ。
姿を偽り、声を偽り、『無能』であるガリア王の『もう一人の姪』を隠すためのマジックアイテム、
それをネクロフォビアは引きはがした。

「き、きゃっ!?きょ、きょむこーほ……??え、えな、何っ!?」

変化は、すぐにはじまった。
指が、手が、頬が、自分が自分と信じていたものが、全て変わって行く。
ジョゼットの慌てふためく様に、男は予想通りという吐息を漏らした。

彼女は知らぬはずなのだ。
赤子のころより修道院にいるのだ。それも当然だ。
自分の髪の毛が、雪雲の白などでは断じてあらず、
ガリア王家に、すなわち『虚無』を受け継ぐ真なる後継者としての、
青空もかくやという紺碧であるなど。

狙いどおりの変化が怒ったことを目に留め、ネクロフォビアは一層ほくそ笑んだ。
何とついているのだろうか。
自分が求めた身体が、こんなにもすぐに手に入るとは。

「狼共ぉおおお!!宴をっ!!」
「うたげー?」「いわいだー!」
「喜ぶべき日よ!!我が神話が甦る日よっ!!
 祝うべき日よ!!我が器が手に入った日よっ!!」

愚かに伏している時間はもう終わり。
愚図で愚昧で愚鈍な羽虫共よ、神に逆らっておいて、
どういう目に合うか思い知らせてやろう。
そうだ、私は、地獄から舞い戻ったのだ。

「ばんざーい!」「ねくろふぉびあさまばんざーい!!」
「フハハ……ファーファファファファファファファファファ!!!」

早朝のハルケギニアを、太陽は照らすことをためらった。
濃密な、悪しき霧が、笑い声と共に大地を満たしていった。

           ~第陸篇~ 悪霧ふたたび


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