「参ったな……入れ違いとは」
図書館の前で立ち尽くしながら、クリフは呟いた。
ルイズ達と分かれたクリフはオスマンにも言われたとおり、元の世界に帰るべくまずは魔法に詳しいというコルベールを探しに出
ていた。
しかし手近なメイドなどに道を聞きながら図書館に行ってみると、ちょうどコルベールは調べ物を一旦終えて外に出て行ってしま
ったらしい。
オスマンが許可を出した話を聞いたからか、怪訝顔をしてクリフを見つめる女性司書によれば、彼がどこに向かったかまでは分か
らないとのことだった。
「タイミングが悪いな……しかし、どうしたものか」
コルベールがいなければ、魔法についてなにも知らないクリフでは勝手が全く分からない。そもそも、どこが『フェニア』の区画
であり、どの棚にそういう書物があるのかも分からない。司書に聞いてもよかったが、彼女はオスマンから直接の協力をするように
言われているわけではないだろう。
「仕方ない……出直すとしよう」
今更慌てても仕方がないのも確かではあった。早く調べにかかりたいが、重要な書物と聞いている以上、まさか素人が一人で勝手
に棚をいじくりまわす、というのも少々問題である。
「……できる限り早いほうがいいんだが……。……僕としても、ユーゴー達が心配だし……うーむ」
ともかく、ここで一人考え込んでいてもしかたがないので、クリフは戻ることにした。
階段を下り、中央塔の立派な玄関を出て、とりあえずもと来た道を歩き出す。
そういえば、とクリフは思った。ルイズ達はどこの教室に行ったのか聞き忘れたので、どこに向かえばいいのか分からない。とに
かく、元のルイズの居室のある塔で待つことにした。
道すがら、授業中のせいか人影はあまり見られなかった。春らしい優しい風が吹いて新緑の街路樹を揺らす。ひどくのどかな風景
が続いている。
「……春、か。こんなに春めいてるのは、イギリスあたりとは大違いだな……それにずいぶん暖かい」
トリステイン魔法学院の穏やかな春の情景を眺めながら、ぽつりとクリフは呟いた。自分達の境遇とは裏腹に、つい少し気分が良
くなってくる。思わず鼻歌を口ずさんでしまった。
目的の塔の近くまで来ると、近くに大男が一人と黒髪の少年、メイド服を着た小柄な少女の姿があった。
「あれ? ヴォルフ、残っていたのか。なにをしてるんだ?」
一人はヴォルフだった。手に洗濯物を持っている。
「あら、クリフ。もう帰ってきたの? アタシは見てのとおり、お嬢ちゃんの服の洗濯よ。授業はキクロプスがついてるから、アタ
シ達はこっちを片付けることにしたの。ねーサイトちゃん」
「水が冷てえ……はぁ」
才人はまだ立ち直っていないらしく、ため息をついて悲しげな顔をしながら、しぶしぶといった感じで洗濯を手伝っていた。
「ふむ、そうか……。そっちの子は?」
クリフは視線を隣の少女にむけた。切り揃えられたボブカットの綺麗な黒髪で、少しそばかすのある見た事がない娘だった。
「ああ、この子はシエスタよ。ほら、キクロプスが言ってたでしょ、知り合ったメイドさんって」
「ああ、なるほど。そういえば今朝タオルをもらったとかなんとか……」
「タオル?」
「ん? ヴォルフは知らなかったか。はじめまして、僕はクリフ・ギルバートだ。君、僕の仲間が親切にしてもらったらしいね。
ありがとう、礼を言うよ」
クリフがそう言うと、少女―――シエスタは深々と、やけに恭しく頭を下げた。
「……えっと。どうしたんだい、そんな……?」
え、という顔をして、シエスタが顔を上げる。ヴォルフが口を出した。
「あらシエスタちゃん、こいつは貴族じゃないわよ。アタシ達と同じただの平民。そんな仰々しくすることないわ」
「え、そ、そうなんですか? でも、お召し物が……」
「スーツ? ああ、ちょいと珍しいかしら。でも気にしなくていいわよ、全然偉くないから」
……どうやら僕を貴族と勘違いしたらしい、とクリフは理解した。シャツとジーパンのヴォルフやアーミールックにコート一枚の
キュクロプスとは違い、クリフだけは少々値の張る小奇麗なスーツを着てはいる。が、もちろんVIPの類ではない。
「す、すみません! 失礼を……」
「失礼じゃないでしょ、むしろ逆じゃないの?」
「え、あれ? でも? あ、そうか、その……ご、ごめんなさい」
二重の間違いに、シエスタの顔が赤面した。そのどこか可愛らしい仕草に、ついクリフは笑みがこぼれた。
「いや、いいよ。僕の服がおかしいみたいだしね。……貴族に見えるのか、僕は? 着替えたほうがいいのかな。ヴォルフはどう思う?」
「別に? アタシにはフツーに見えるけど」
「……だよ、な。……そうだ、着替えもないんだよなぁ……」
クリフは思わずぼやいてしまう。着たきり雀でこれ一着しかないし、そもそもスーツを扱ってくれるクリーニング屋なんてあるん
だろうか。さすがに汗臭くなってきたしズボンに皺が出てきたから、せめてアイロンくらいかけたいな……。などと思うのだが。
「なんとかなるでしょ。それより、そっちはどうだったの?」
ヴォルフはぱん、と洗濯物を空中で伸ばし、吊り紐にかけつつこっちの成果を聞いてくる。
「……ダメだ、入れ違いになってMr.コルベールに会えない。どこに行ったかも分からないらしい」
「あら? タイミング悪いわねぇ。じゃあ、どうすんの?」
「待つしかない、な。僕はまだ学園内が不案内だし。どうも聞いた限りでは、彼の研究室とやらには行っていないらしいが。本も出
したままで少し外に出ただけみたいだから、時間を置いてからもう一度図書館に行ってみようと思う」
「参ったわねぇ……。今頃どーしてるのかしらユーゴー。キャロルも無事だといいんだけど……」
「……きっと大丈夫だ。そうに決まってる」
クリフは自分に言い聞かせるように呟いた。そう、無事に決まっている。
「だといいけど……。はぁ。しかたないわね。コルベールってあれでしょ、あの変な薄らハゲ。あれ待ちね」
肩をすくめて頭を振りながらヴォルフが言う。すると、その隣でシエスタが少し驚いた顔をしていた。
「あら? どーしたのよシエスタ、手が止まってるわよ? ひょっとして具合が悪いの? つらいなら休んだほうがいいんじゃない?」
「いえ、その……。あんまり、貴族の方の悪口を大声で言うのは……」
「悪口? ああ、なんか偉いんだっけ貴族って。だいじょぶよ別に、あんな電球頭怖くないし」
「でもその……いくらなんでも、寮塔のすぐ近くで真昼間からっていうのは……周囲に聞こえますし……」
「心配症ねぇ。だいじょーぶだいじょーぶ。なんとでもなるわよ」
ヴォルフは太い笑みを浮かべて、バンバンとシエスタの背中を叩いた。本人は軽く叩いてるつもりなのだろうが、小柄なシエスタ
は「わわわ」と目を丸くしてよろめいている。
「さ、とりあえずはお洗濯を続けましょ。お嬢が帰ってくるまでには終わるでしょ」
ヴォルフが振り返って、後ろのたらいに積み上げていた洗濯物の山を眺めた。昼までに干したであろう分と、同じくらいの山と二
つある。かなりの量だ。
どうやらヴォルフはルイズの洗濯物を洗うついでに、シエスタがやっていた洗濯物を手伝っているらしかった。
「ずいぶん多いな……。よし、僕も手伝うよ。することもないし」
クリフも進み出て、スーツの上着を近くの木に掛け襟をまくった。見ているだけ、というのも少々居心地がよくない。
「え、ミスタ・ギル……クリフさん、悪いですよ、そんな……」
「いいよ、お世話になったみたいだし。ヴォルフやサイト君だって手伝ってるだろう?」
「それは、そうですけど……」
「いいからいいから」
「あ……」
シエスタはヴォルフと違い、どこかクリフに遠慮しているようだった。その様子に、クリフはもう一度自分の身なりをチラリと眺
めてみる。
(……やはり貴族に見えるのかな? 僕は自分がそんなふうに見えると自覚したことはないんだけど)
「だいじょぶなのアンタ? 家事なんてほとんどしたことないでしょ」
ヴォルフが少々眉をひそめて言った。失敬な、いくらなんでも洗濯くらい僕だって……。
「レース生地の手洗いのやり方なんて知らないでしょ?」
……。
「……手洗い?」
「手洗いよ、洗濯機ないんだもの。ていうか電気がないし。だからあれでやるのよ?」
ヴォルフが指差したそこには、泡立った水がたっぷりと張られたたらいと洗濯板があった。そのそばで、才人が冷たい水にヒーヒー
言いながら洗濯物をこすっていた。
「……」
「だいじょぶなのホントに? ほらアンタったらこういう肉体労働全般、どうも苦手でしょ? 破ったりしない?」
「……そんなわけないだろう。大丈夫だ、やる。やってみせよう」
「言い出したら聞かないわねぇ……。ま、そんなに言うなら手伝ってもらいましょ。量だけはたっぷりあるし」
ヴォルフは楽しげに笑顔を作ると、こっちにウインクしてきた。
……なんか早まった気がするな。
図書館の前で立ち尽くしながら、クリフは呟いた。
ルイズ達と分かれたクリフはオスマンにも言われたとおり、元の世界に帰るべくまずは魔法に詳しいというコルベールを探しに出
ていた。
しかし手近なメイドなどに道を聞きながら図書館に行ってみると、ちょうどコルベールは調べ物を一旦終えて外に出て行ってしま
ったらしい。
オスマンが許可を出した話を聞いたからか、怪訝顔をしてクリフを見つめる女性司書によれば、彼がどこに向かったかまでは分か
らないとのことだった。
「タイミングが悪いな……しかし、どうしたものか」
コルベールがいなければ、魔法についてなにも知らないクリフでは勝手が全く分からない。そもそも、どこが『フェニア』の区画
であり、どの棚にそういう書物があるのかも分からない。司書に聞いてもよかったが、彼女はオスマンから直接の協力をするように
言われているわけではないだろう。
「仕方ない……出直すとしよう」
今更慌てても仕方がないのも確かではあった。早く調べにかかりたいが、重要な書物と聞いている以上、まさか素人が一人で勝手
に棚をいじくりまわす、というのも少々問題である。
「……できる限り早いほうがいいんだが……。……僕としても、ユーゴー達が心配だし……うーむ」
ともかく、ここで一人考え込んでいてもしかたがないので、クリフは戻ることにした。
階段を下り、中央塔の立派な玄関を出て、とりあえずもと来た道を歩き出す。
そういえば、とクリフは思った。ルイズ達はどこの教室に行ったのか聞き忘れたので、どこに向かえばいいのか分からない。とに
かく、元のルイズの居室のある塔で待つことにした。
道すがら、授業中のせいか人影はあまり見られなかった。春らしい優しい風が吹いて新緑の街路樹を揺らす。ひどくのどかな風景
が続いている。
「……春、か。こんなに春めいてるのは、イギリスあたりとは大違いだな……それにずいぶん暖かい」
トリステイン魔法学院の穏やかな春の情景を眺めながら、ぽつりとクリフは呟いた。自分達の境遇とは裏腹に、つい少し気分が良
くなってくる。思わず鼻歌を口ずさんでしまった。
目的の塔の近くまで来ると、近くに大男が一人と黒髪の少年、メイド服を着た小柄な少女の姿があった。
「あれ? ヴォルフ、残っていたのか。なにをしてるんだ?」
一人はヴォルフだった。手に洗濯物を持っている。
「あら、クリフ。もう帰ってきたの? アタシは見てのとおり、お嬢ちゃんの服の洗濯よ。授業はキクロプスがついてるから、アタ
シ達はこっちを片付けることにしたの。ねーサイトちゃん」
「水が冷てえ……はぁ」
才人はまだ立ち直っていないらしく、ため息をついて悲しげな顔をしながら、しぶしぶといった感じで洗濯を手伝っていた。
「ふむ、そうか……。そっちの子は?」
クリフは視線を隣の少女にむけた。切り揃えられたボブカットの綺麗な黒髪で、少しそばかすのある見た事がない娘だった。
「ああ、この子はシエスタよ。ほら、キクロプスが言ってたでしょ、知り合ったメイドさんって」
「ああ、なるほど。そういえば今朝タオルをもらったとかなんとか……」
「タオル?」
「ん? ヴォルフは知らなかったか。はじめまして、僕はクリフ・ギルバートだ。君、僕の仲間が親切にしてもらったらしいね。
ありがとう、礼を言うよ」
クリフがそう言うと、少女―――シエスタは深々と、やけに恭しく頭を下げた。
「……えっと。どうしたんだい、そんな……?」
え、という顔をして、シエスタが顔を上げる。ヴォルフが口を出した。
「あらシエスタちゃん、こいつは貴族じゃないわよ。アタシ達と同じただの平民。そんな仰々しくすることないわ」
「え、そ、そうなんですか? でも、お召し物が……」
「スーツ? ああ、ちょいと珍しいかしら。でも気にしなくていいわよ、全然偉くないから」
……どうやら僕を貴族と勘違いしたらしい、とクリフは理解した。シャツとジーパンのヴォルフやアーミールックにコート一枚の
キュクロプスとは違い、クリフだけは少々値の張る小奇麗なスーツを着てはいる。が、もちろんVIPの類ではない。
「す、すみません! 失礼を……」
「失礼じゃないでしょ、むしろ逆じゃないの?」
「え、あれ? でも? あ、そうか、その……ご、ごめんなさい」
二重の間違いに、シエスタの顔が赤面した。そのどこか可愛らしい仕草に、ついクリフは笑みがこぼれた。
「いや、いいよ。僕の服がおかしいみたいだしね。……貴族に見えるのか、僕は? 着替えたほうがいいのかな。ヴォルフはどう思う?」
「別に? アタシにはフツーに見えるけど」
「……だよ、な。……そうだ、着替えもないんだよなぁ……」
クリフは思わずぼやいてしまう。着たきり雀でこれ一着しかないし、そもそもスーツを扱ってくれるクリーニング屋なんてあるん
だろうか。さすがに汗臭くなってきたしズボンに皺が出てきたから、せめてアイロンくらいかけたいな……。などと思うのだが。
「なんとかなるでしょ。それより、そっちはどうだったの?」
ヴォルフはぱん、と洗濯物を空中で伸ばし、吊り紐にかけつつこっちの成果を聞いてくる。
「……ダメだ、入れ違いになってMr.コルベールに会えない。どこに行ったかも分からないらしい」
「あら? タイミング悪いわねぇ。じゃあ、どうすんの?」
「待つしかない、な。僕はまだ学園内が不案内だし。どうも聞いた限りでは、彼の研究室とやらには行っていないらしいが。本も出
したままで少し外に出ただけみたいだから、時間を置いてからもう一度図書館に行ってみようと思う」
「参ったわねぇ……。今頃どーしてるのかしらユーゴー。キャロルも無事だといいんだけど……」
「……きっと大丈夫だ。そうに決まってる」
クリフは自分に言い聞かせるように呟いた。そう、無事に決まっている。
「だといいけど……。はぁ。しかたないわね。コルベールってあれでしょ、あの変な薄らハゲ。あれ待ちね」
肩をすくめて頭を振りながらヴォルフが言う。すると、その隣でシエスタが少し驚いた顔をしていた。
「あら? どーしたのよシエスタ、手が止まってるわよ? ひょっとして具合が悪いの? つらいなら休んだほうがいいんじゃない?」
「いえ、その……。あんまり、貴族の方の悪口を大声で言うのは……」
「悪口? ああ、なんか偉いんだっけ貴族って。だいじょぶよ別に、あんな電球頭怖くないし」
「でもその……いくらなんでも、寮塔のすぐ近くで真昼間からっていうのは……周囲に聞こえますし……」
「心配症ねぇ。だいじょーぶだいじょーぶ。なんとでもなるわよ」
ヴォルフは太い笑みを浮かべて、バンバンとシエスタの背中を叩いた。本人は軽く叩いてるつもりなのだろうが、小柄なシエスタ
は「わわわ」と目を丸くしてよろめいている。
「さ、とりあえずはお洗濯を続けましょ。お嬢が帰ってくるまでには終わるでしょ」
ヴォルフが振り返って、後ろのたらいに積み上げていた洗濯物の山を眺めた。昼までに干したであろう分と、同じくらいの山と二
つある。かなりの量だ。
どうやらヴォルフはルイズの洗濯物を洗うついでに、シエスタがやっていた洗濯物を手伝っているらしかった。
「ずいぶん多いな……。よし、僕も手伝うよ。することもないし」
クリフも進み出て、スーツの上着を近くの木に掛け襟をまくった。見ているだけ、というのも少々居心地がよくない。
「え、ミスタ・ギル……クリフさん、悪いですよ、そんな……」
「いいよ、お世話になったみたいだし。ヴォルフやサイト君だって手伝ってるだろう?」
「それは、そうですけど……」
「いいからいいから」
「あ……」
シエスタはヴォルフと違い、どこかクリフに遠慮しているようだった。その様子に、クリフはもう一度自分の身なりをチラリと眺
めてみる。
(……やはり貴族に見えるのかな? 僕は自分がそんなふうに見えると自覚したことはないんだけど)
「だいじょぶなのアンタ? 家事なんてほとんどしたことないでしょ」
ヴォルフが少々眉をひそめて言った。失敬な、いくらなんでも洗濯くらい僕だって……。
「レース生地の手洗いのやり方なんて知らないでしょ?」
……。
「……手洗い?」
「手洗いよ、洗濯機ないんだもの。ていうか電気がないし。だからあれでやるのよ?」
ヴォルフが指差したそこには、泡立った水がたっぷりと張られたたらいと洗濯板があった。そのそばで、才人が冷たい水にヒーヒー
言いながら洗濯物をこすっていた。
「……」
「だいじょぶなのホントに? ほらアンタったらこういう肉体労働全般、どうも苦手でしょ? 破ったりしない?」
「……そんなわけないだろう。大丈夫だ、やる。やってみせよう」
「言い出したら聞かないわねぇ……。ま、そんなに言うなら手伝ってもらいましょ。量だけはたっぷりあるし」
ヴォルフは楽しげに笑顔を作ると、こっちにウインクしてきた。
……なんか早まった気がするな。
「こんなに重労働だったとは……」
予想以上の疲れに息を吐いて、クリフは大きく伸びをした。吊り紐に並べられた、風にはためく真っ白いシーツの群れを眺める。
「相変わらずこういうことやらすとダメねぇ。サイト君のがなんぼか使えたわよ?」
横からヴォルフの酷評が飛んできた。う、うるさいな……。
「ね、主婦は大変なのよ。ちょっとは見直したかしら?」
「主婦じゃないだろうお前は……」
「あら心外。心はいつも若奥様なのに」
他愛のないやり取りをしながら横目に見てみると、ヴォルフはたらいの中の汚れた水を側溝に流していた。結構な重量があるはず
なのだが、まるでバケツみたいに片手で上に持ち上げてから傾けているあたり、すごいパワーである。
「ありがとうございます、助かりました。今日は洗濯物、多かったですから」
近くでシエスタが、ぱんぱんと干したベットのクッションを叩きながらにこやかに言った。
「う、うん……。僕はあまり、役に立たなかったけど。いつもこんな事を?」
「ええ。お仕事ですから」
シエスタは気軽に言ってくれるが、クリフは正直感嘆する。僕は毎日やったら気が滅入りそうだ……。
「クリフも少しは敬いなさい。女はすごいのよ?」
「……」
だからヴォルフ、お前は女性じゃない。なんで代表者みたいな顔してるんだ。
内心突っ込みを入れるクリフの隣に立つ才人が、ぐっと伸びをして息をついた。
「うーん……はあ。なんか、すっきりしちゃったなぁ。ま、いいや別に。異世界でも。ファンタジーだし、メシは美味いし、観光と
いうことにしよう」
才人は洗濯をしているうちに気分が変わったらしい。さっぱりとした顔をしていた。
しかし観光って……。とクリフはなんとも言えない感想しか出せなかった。才人はずいぶんと楽天的で順応性が高い少年らしい。
とはいえ、暗いよりはクリフとしても助かるのではあるが。
「さて、そろそろお嬢ちゃんもそろそろ帰ってきても……あら、噂をすれば影」
後片付けを終えたヴォルフの視線の先を追うと、向こうからルイズが歩いてきていた。その後ろに、キュロプスがついてきている。
「おかえりお嬢ちゃん。授業はどうだったかしら? キクロプスもお疲れさま」
「……別に、ふつうよ」
「あら、可愛くない。もっとなにかあるでしょ、もう。で、今日はもう授業終わり?」
「そうよ。あとは、夕食までなにもないわ」
「そりゃけっこう、お疲れさま。じゃ、夕食までだいぶ時間空きそうだし、アタシどうしましょ? シエスタの手伝いでもしましょ
うかしら」
なかなか感心するようなことを言う。こう見えても、ヴォルフは意外と働き者だ。
「……わたしの洗濯物は終わったの?」
「そりゃもちろん。ついでだからその前に部屋の掃除もちょっとしといたわよ。そんなに汚れてなかったし」
ルイズの問いに、軽やかにヴォルフは答えた。仕事が早い男である。
「そう。じゃ、あとは好きにしててもいいわ。働きたかったら働いても」
「そうね、そうさせてもらいましょーか。じゃ、シエスタ。次はなにかある?」
ヴォルフがそう聞くと、シエスタは遠慮がちに言った。
「いえ、これ以上は悪いですよ。それに、ミス・ヴァリエールの使い魔さんなんですから、そちらのほうを……」
「なに言ってんのよ、気にしないで。お嬢だっていいって言ってるし、やることないし、キクやサイトちゃんだっているし。だいた
い今日の晩ごはんだって、コックさんやアンタみたいなメイドさんががんばってお仕事して作ってるわけでしょ? じゃあ当然、ア
タシも働かせてちょうだいよ」
「で、でも……」
「いいからいいから。アタシ暇ってダメなのよ。ね、お願い?」
強引に仕事をせがむヴォルフに、シエスタが困った顔をした。
「……まあ、こういう男なんだ。シエスタ、君がよければこいつを働かせてくれ。いいよね、ルイズちゃん?」
「だから、別にわたしは構わないわよ。やることやってるなら、あとは自由時間にしても」
クリフとルイズがそう言うと、少し考えてからシエスタは納得したようだった。
「じゃあ……すいません、お願いしますね。乾いた洗濯物を畳んで、持ち主の貴族の方にお届けするんですけど……」
「オッケーイ。じゃ、やりましょうか」
ヴォルフは早速積まれたままの洗濯物をゴソッと手に取りはじめる。
それを横目に、クリフは木にかけた自分のスーツを着て歩き出した。
「じゃあ、僕はもう一度Mr.コルベールを探してくる。図書館に戻ってきてるかもしれないし」
「そーね、じゃまたいってらっしゃい。夕食時には戻ってきてね」
「ああ、それじゃあ」
予想以上の疲れに息を吐いて、クリフは大きく伸びをした。吊り紐に並べられた、風にはためく真っ白いシーツの群れを眺める。
「相変わらずこういうことやらすとダメねぇ。サイト君のがなんぼか使えたわよ?」
横からヴォルフの酷評が飛んできた。う、うるさいな……。
「ね、主婦は大変なのよ。ちょっとは見直したかしら?」
「主婦じゃないだろうお前は……」
「あら心外。心はいつも若奥様なのに」
他愛のないやり取りをしながら横目に見てみると、ヴォルフはたらいの中の汚れた水を側溝に流していた。結構な重量があるはず
なのだが、まるでバケツみたいに片手で上に持ち上げてから傾けているあたり、すごいパワーである。
「ありがとうございます、助かりました。今日は洗濯物、多かったですから」
近くでシエスタが、ぱんぱんと干したベットのクッションを叩きながらにこやかに言った。
「う、うん……。僕はあまり、役に立たなかったけど。いつもこんな事を?」
「ええ。お仕事ですから」
シエスタは気軽に言ってくれるが、クリフは正直感嘆する。僕は毎日やったら気が滅入りそうだ……。
「クリフも少しは敬いなさい。女はすごいのよ?」
「……」
だからヴォルフ、お前は女性じゃない。なんで代表者みたいな顔してるんだ。
内心突っ込みを入れるクリフの隣に立つ才人が、ぐっと伸びをして息をついた。
「うーん……はあ。なんか、すっきりしちゃったなぁ。ま、いいや別に。異世界でも。ファンタジーだし、メシは美味いし、観光と
いうことにしよう」
才人は洗濯をしているうちに気分が変わったらしい。さっぱりとした顔をしていた。
しかし観光って……。とクリフはなんとも言えない感想しか出せなかった。才人はずいぶんと楽天的で順応性が高い少年らしい。
とはいえ、暗いよりはクリフとしても助かるのではあるが。
「さて、そろそろお嬢ちゃんもそろそろ帰ってきても……あら、噂をすれば影」
後片付けを終えたヴォルフの視線の先を追うと、向こうからルイズが歩いてきていた。その後ろに、キュロプスがついてきている。
「おかえりお嬢ちゃん。授業はどうだったかしら? キクロプスもお疲れさま」
「……別に、ふつうよ」
「あら、可愛くない。もっとなにかあるでしょ、もう。で、今日はもう授業終わり?」
「そうよ。あとは、夕食までなにもないわ」
「そりゃけっこう、お疲れさま。じゃ、夕食までだいぶ時間空きそうだし、アタシどうしましょ? シエスタの手伝いでもしましょ
うかしら」
なかなか感心するようなことを言う。こう見えても、ヴォルフは意外と働き者だ。
「……わたしの洗濯物は終わったの?」
「そりゃもちろん。ついでだからその前に部屋の掃除もちょっとしといたわよ。そんなに汚れてなかったし」
ルイズの問いに、軽やかにヴォルフは答えた。仕事が早い男である。
「そう。じゃ、あとは好きにしててもいいわ。働きたかったら働いても」
「そうね、そうさせてもらいましょーか。じゃ、シエスタ。次はなにかある?」
ヴォルフがそう聞くと、シエスタは遠慮がちに言った。
「いえ、これ以上は悪いですよ。それに、ミス・ヴァリエールの使い魔さんなんですから、そちらのほうを……」
「なに言ってんのよ、気にしないで。お嬢だっていいって言ってるし、やることないし、キクやサイトちゃんだっているし。だいた
い今日の晩ごはんだって、コックさんやアンタみたいなメイドさんががんばってお仕事して作ってるわけでしょ? じゃあ当然、ア
タシも働かせてちょうだいよ」
「で、でも……」
「いいからいいから。アタシ暇ってダメなのよ。ね、お願い?」
強引に仕事をせがむヴォルフに、シエスタが困った顔をした。
「……まあ、こういう男なんだ。シエスタ、君がよければこいつを働かせてくれ。いいよね、ルイズちゃん?」
「だから、別にわたしは構わないわよ。やることやってるなら、あとは自由時間にしても」
クリフとルイズがそう言うと、少し考えてからシエスタは納得したようだった。
「じゃあ……すいません、お願いしますね。乾いた洗濯物を畳んで、持ち主の貴族の方にお届けするんですけど……」
「オッケーイ。じゃ、やりましょうか」
ヴォルフは早速積まれたままの洗濯物をゴソッと手に取りはじめる。
それを横目に、クリフは木にかけた自分のスーツを着て歩き出した。
「じゃあ、僕はもう一度Mr.コルベールを探してくる。図書館に戻ってきてるかもしれないし」
「そーね、じゃまたいってらっしゃい。夕食時には戻ってきてね」
「ああ、それじゃあ」
クリフが再びコルベールを探しに出てからすぐ。
その場に残されたヴォルフ達のそばを、ルイズと同じく授業を終えたばかりの生徒たちが、ガヤガヤと寮塔に向かっての道を帰っ
てきていた。
「フーンフーン♪ よっしゃ、それじゃこれいったんどっかに運ぶんでしょ?」
大きな両手に洗濯物を抱えたヴォルフがシエスタにたずねた。ほとんど一人で持ってしまっている。
「ええ、まずはメイド達用の使用人宿舎に。お仕事用のお部屋がありますのでそちらへお運びしてから、畳んだのにタグを乗せて一
つずつお届けするようになってます」
「はいはーい。あ、サイトちゃん悪いけど、最後にそこのたらいと布団叩き持ってきて。アタシはもうちょっとだけやってくから」
ヴォルフは顎でしゃくって、置かれたままの用具を指した。
「うん、分かった。ほい」
「終わったらルイズちゃんの部屋で待っててね。今日はお疲れ様よ、クリフの百倍役に立ったわ。アイツったら全然ダメなんだから、
レースは繊細だから優しく揉み洗いだって言ってるのに洗濯板使おうとするし」
ヴォルフはクリフの奮闘をばっさりと切り捨てると、シエスタについて歩き出す。
それを脇で眺めていたルイズは、
「……じゃあ、わたしは部屋に帰るわ。あんた達で足りるでしょ。キクロプス、来なさい」
「…………」
そう言って身を翻し、寮塔へ向かっていった。それに黙って付き従うキクロプスの姿は、もっとも模範的な従者の姿であった。
「じゃあねお嬢、もうちょっとしたら帰るからねー。さ、行きましょ行きましょ」
そうしてルイズと分かれたヴォルフ達が宿舎へ向かおうとすると。
ふと、寮へ向かう生徒達の列から、とある男子達の一団がこちらに向かってきた。
なにやら、君達は先に帰っていたまえ、とか、急にどうしたんだギーシュ、などと言い合っている。
「ん? なにかしら?」
ヴォルフ達が立ち止まっていると、ギーシュと呼ばれていた金髪の少年がその前に立った。シエスタに話しかけてくる。
「きみ。さっき、ぼくの上着を頼んだんだが。突然すまないが、返してくれないか」
「え? あ、ミスタ・グラモンですね。先ほどのですか? それでしたら……」
シエスタは後ろを振り向く。そこには、さきほどヴォルフ達が洗濯したばかりの服たちが風に揺られながら干されていた。
「……もう、あ、洗って……しまったのか!?」
目を見開いて洗濯物の群れを見つめるギーシュ。
「え、は、はい。洗いましたが……」
「な……なんと……!」
何を驚いているのか、驚愕してわなないている。
その姿にシエスタはなにかピン、と来たらしい。ごそごそと自分のエプロンのポケットをまさぐると、紫色の液体が入った小瓶を
取り出した。
「あの、ひょっとしてこれでしょうか? ポケットにお入れになっていたままでしたので、勝手とは思いましたが取り除けておきま
した」
「あ、そ、そうか。よ、よかった……」
ギーシュはシエスタの手の中のそれを確認すると、ほーっと息を吐いた。
「失礼しました。では、お返しいたします」
シエスタが小瓶を渡そうとする。すると、なぜかギーシュはすっと一歩引いてそれを受け取らなかった。
「え?」
「い、いや。違う、それはなんというか……ぼ、ぼくのではない。違うんだ、き、気にしないでくれたまえよ」
「え……? で、ですが……」
「き、気にしないように。それでは」
そのまま踵を返して、ギーシュは突然立ち去ろうとする。
「は、はあ……?」
「ちょ、ちょっとした間違いだったんだ、うん。じゃあ……」
「なんだギーシュ。あ、それって……紫だ、まさかモンモランシーか?」
それを目聡く見ていた、ギーシュの後ろにいた一人がポツリと呟いた。その言葉を聞いたギーシュの友人達がワイワイと騒ぎはじ
める。
「ち、違う。これは、その。いいか、彼女の名誉のためにぼくは言うが……」
「なに言ってるんだ。紫色の香水、間違いないぞ。ギーシュの上着のポケットから出て来たってことは、それしかないじゃないか」
「そうか、お前心配になってわざわざ来たのか。どうりでさっきから急いでると思ってたんだよ」
「やめたまえきみたち、だからだな。つまりなんというか……」
その時、必死に弁明をするギーシュに向かって、一人の少女が近づいてきた。栗色の髪をした、可愛らしい少女である。その姿を
視界に捉えたギーシュが、うめき声を出した。
「え゛っ……! ケ、ケティ……!」
「ギーシュ、様……」
ケティと呼ばれた少女は呆然としてギーシュを見つめていた。やがて、ぽろりと一粒の涙が零れる。
「ひ、ひどい……そんな、……私、信じてたのに……」
「ち、違うんだ聞いてくれたまえケティ。いいかい、今きみは誤解している。これはあくまで事故であって、ぼくはきみのことだけ
を……ぶっ!」
ごまかそうとしたギーシュの頬が思い切り張られた。パァン、と小気味のいい音が響き渡る。
「さよなら!」
ケティは顔を覆いながら、走り去っていってしまった。
取り残されたギーシュが頬をさすって呟く。
「う、ううむ……なんと間の悪い……って、はっ!?」
ギーシュが振り返ったところに、さらにまた一人の女の子が仁王立ちをしていた。綺麗な金色の髪を巻いてカールにした、少しそ
ばかすの残る少女だった。
「ギーシュ?」
「な……!? モ、モンモランシー!? な、なぜきみがここに……!」
「授業が終わって部屋に帰るからよ」
「……ち、違う! か、彼女とは少しばかり遠乗りをしただけの仲であって……!」
「全部見てたわ。ねえ、ギーシュ。……舌噛まないでね」
ぼそり、とモンモランシーは呟くと、その鼻に向かって強烈な肘鉄を見舞った。不意を打たれたギーシュが思い切りのけぞる。
「ごふっ!」
「サイテー。うそつき」
どう、と倒れ伏したギーシュを尻目に、モンモランシーはスタスタと歩いて行ってしまった。
「か、かはっ……。は、鼻が……ぐお……!」
草むらに倒れてうめいてるギーシュの姿に、何事かと遠巻きに見ている寮塔への列から好奇の視線が向けられる。
唖然としたままのシエスタは目の前で起こった暴行に、なにもできずにただ見ているしかなかった。
「え……あ、あの……だ、大丈夫ですかミスタ・グラモン? え、えと……?」
おずおずとそう言うが、ギーシュは鼻を押さえたまま悶絶している。
「ぬおお……く、くう……なんてことだ……。ぐわ、ぼ、ぼくの鼻が……!」
かなりいいのをもらってしまったらしく、ギーシュはすぐに立ち上がることができないらしかった。
横でそれを見ていたヴォルフがつまらなそうに呟いた。
「なによこの坊や? わけわかんないわね。バカかしら?」
「さあ、知らねーっす。アホくさ」
下らなそうに才人が返す。完全に見下した目でギーシュを見ていた。
「えっ!? ちょ、ちょっとヴォルフさん!? サイトさんも!?」
「さ、シエスタ。さっさと行きましょ、ボーっとしてたら日が暮れちゃうわよ」
「いいよいいよ、シカトして。バカに付き合ってらんねーし。いこーぜ」
もがいているギーシュを無視して歩き出すヴォルフ。才人もダルそうにその後を付いていく。
「え、で、でも、あの、その」
「ほら早く。仕事しないとねー」
シエスタを促して、騒ぎからヴォルフ達が離れようとした時、後ろでゆっくりとギーシュが立ち上がった。
「……待ちたまえ、きみ達。そこのでかいの、どこに行くつもりだ」
「は? なにかしら?」
「今バカと言ったな? 口の利き方を知らないらしいな……」
「……なにコイツ? アナタ誰?」
「……貴様……!」
ヴォルフの呟きにギーシュの額にビシィッと血管が浮かんだ。怒気を感じたシエスタが慌てはじめる。
「わ、わ! す、すみません! すみませんミスタ・グラモン! 大変失礼しました!」
洗濯物を投げ出して、その場に膝をついて大慌てでシエスタは頭を下げた。
「どうかお許しください! この者達はミス・ヴァリエールの使い魔でして、貴族の方々へのお言葉遣いを知らないのです! も、
申し訳ありません!」
平身低頭するシエスタの言葉を聞いて、ギーシュがヴォルフ達を見て上から下へ視線を走らせた。忌々しげに、チッと舌打ちを打つ。
「……ふん……! なるほど、そっちの黒髪はよく知らないが、そういえばそのでかいのはそうだったな……! まあいいだろう。
愚かな平民を構うほどぼくも暇ではない。だが、きみはぼくが違うと言ったのに、どうしてすぐに小瓶を仕舞わなかったのだ」
「……えっ!? え……!?」
「きみの反応さえ早ければ、そうすればきっとケティに見つかることも、モンモランシーに見られることも、そしてぼくの鼻が潰さ
れることもなかったのに。なぜすぐに仕舞わなかったんだ」
「は……え、えと……!?」
「なんたることだ。この学院のメイドたる者が、それぐらいの機転もないとは。女性を喜ばす美しい薔薇であるこのぼくが、とんで
もない恥をかいてしまったじゃないか。どうしてくれる?」
ギーシュは苛立ちまぎれに、シエスタに無茶ないちゃもんをつけはじめる。
ギーシュにとって、理由はなんでもいいらしい。とにかく、苛立ちをどこかにぶつけたいらしく、ちょうど目の前で頭を下げたシ
エスタにロックオンしていた。
「す……すみません! 申し訳ありません!」
「どうしてくれるんだ。どうしてくれようか? まったく、大変なことだよこれは。分かっているのかねきみ?」
「も、申し訳ありません! 大変失礼しました!」
シエスタはとにかく頭を下げて謝罪を繰り返した。無茶苦茶な注文だが、シエスタは逆らわずにひたすら謝り続ける。
「あん? ちょっと、なんでシエスタが謝ってるの? なにこれ?」
「おい、そこのキザ。ちょっとやめろよ、わけわかんねーぞ?」
ヴォルフと才人は揃って異を唱え、止めに入った。これではいくらなんでも意味が分からない。
しかし、ギーシュは傲慢に言い放ち、ヴォルフと才人をねめつける。
「なんだと? だいたい、きみ達もだ。いくらヴァリエールの使い魔だからと言って、貴族に対する礼儀を失するなどありえないぞ。
そこのメイドのように頭を下げたまえ。しょせんつまらない事だ、そうすれば許してやろうじゃないか」
「なにナメたこと言ってるのかしらこのガキ。やっぱりバカなのかしら」
「なにが頭下げろだよ、お前が下げろよ浮気野郎。テメーのせいじゃねーか」
「……な!? な、なんだと!? お前達、平民だろう!? も、もう一度言ってみろ!」
すぐに頭を下げるものかと思っていたのか、予想外の抵抗にギーシュが少し驚いた顔を見せた。
「自業自得もいいとこじゃないの。女の敵よ。貴族だか平民だか知らないけど、それ以前に男の風上にも置けないわ」
「薔薇ってなんだよ? バカ丸出しじゃねーか。なに考えてんだ? バラとバカを言い間違えたんじゃなくてか?」
「な……!? お、おい……!」
顔を高潮させて、みしみしとギーシュの顔面がこわばってくる。しかし、それにも構わずヴォルフと才人のコンビは暴言を続けて
いく。
「なんだったらアタシが張り倒してやりたいくらいよ。倒れてるとこ踏んづけて行かなかっただけ感謝して欲しいくらいね」
「俺もサッカーボールみてえに頭蹴り飛ばしたくなったけどぐっと我慢したんだ。むしろありがたく思ってくれ」
「ほら、テキトーのそのへんの草で鼻でも拭いておウチに帰りなさい坊や。お仕事してる人の邪魔しちゃダメよ」
「八つ当たりはそこの木でも相手にやってろっての。つーか女の子追いかけたらどうだ? もしくはさっさと早く帰れバカ。お前の
家は目の前だ」
「ところでさサイトちゃん、なんかこの坊やすんごいダッサくない? うーん、せっかくの素材を殺しちゃってるっていうか、ちょ
っと品がないわね。メイク前のピエロ? 薔薇はまだいいけど」
「あーそーだねってええ!? 薔薇もないでしょ、正直キッツイよこれ。俺だったらこんなの着て道を歩けないな、なんの罰ゲーム
だよって感じ。あ、罰ゲーム中なのか?」
言葉の暴力でメタメタに言ってのける二人に、ついにギーシュが激昂した。
「き、貴様らぁっ!! な、なんでだ!? なんでそこまで言われなきゃならないんだ!? ぼ、ぼくを、このぼくを舐めるとはい
い度胸だ、平民ごときが! 決闘だぁ!! 決闘を申し込む!! こ、殺してくれる!!」
すさまじい激怒を表し、胸元のハンカチを投げつける。その様子に、シエスタが飛び上がった。
「ひっひえっ!? わ、わわ! あわわ!? そ、そんな!? す、すいません、お許し下さい! ヴォ、ヴォルフさんサイトさん、
謝って! 謝って下さい! も、申しわけ……わひゃっ!? 」
そう言ってさらに頭を下げようとしたシエスタの襟首を、ヴォルフが軽くつまんでぐっと引き上げた。そのまま体が上がって立ち
上がってしまう。
「コラ、ダメダメ。ダメよシエスタ、謝る必要なんてどこにもないわ。頭を下げちゃダメよ、こっちは悪いことなんてしてないんだ
から」
「わっわっ!? ダ、ダメ! ダメです謝って! た、大変なことに……!?」
「ダーメ。胸を張りなさい。そいつの服を洗ってやって、その上ビンまでちゃんと取っといてあげたのに逆ギレされてるのよアナタ?
ふざけてるじゃない」
「き、貴族の方ですよ!? なにを言ってるんですか、このままじゃ、こ、殺され……!?」
「殺され? こんなほっそいモヤシになにができるのよ、しっかりなさいな。下手するとアナタでも勝っちゃうんじゃないの?」
「や、やだ! やです、ダメ、離して! わ、わー!? わー!?」
「はいはい、落ちついて落ちついて。クールに行きましょ?」
半狂乱になって暴れはじめるシエスタをヴォルフは無理に抑える。シエスタはそのせいで逃げ出すこともできない。
周囲を取り巻いていた人間は決闘と聞いて、まるで突発のイベントでも起きたかのように大いに囃し立てはじめている。
「諸君! 聞きたまえ、今ここにぼくはこの三人に決闘を申し込む! 少々変則的だが、なに、何の力もない平民相手だ! 三人ま
とめて相手にしてくれよう! 場所は……ヴェストリの広場だ! そこでやろう!」
ギーシュは高らかに宣言し、胸から出した薔薇の造花を掲げた。わっと歓声が上がる。
「さ、さんにん!? 今、今三人って言った!? わ、私、私も入ってる!?」
「入ってるわね? ま、いいんじゃない。軽ーく寄り道してフクロにしちゃいましょうか、ついでだし。たまにはきっと楽しいわよ?」
「バカだなあいつ。勝てると思ってんのか? ヴォルさんが殴ったら死んじゃうんじゃねーの? つーか俺一人でもよさそうだけど」
「いやぁー!! やだ、やだぁー!? し、しに、しにたくないぃ~!!」
シエスタの悲鳴が響いた。
その場に残されたヴォルフ達のそばを、ルイズと同じく授業を終えたばかりの生徒たちが、ガヤガヤと寮塔に向かっての道を帰っ
てきていた。
「フーンフーン♪ よっしゃ、それじゃこれいったんどっかに運ぶんでしょ?」
大きな両手に洗濯物を抱えたヴォルフがシエスタにたずねた。ほとんど一人で持ってしまっている。
「ええ、まずはメイド達用の使用人宿舎に。お仕事用のお部屋がありますのでそちらへお運びしてから、畳んだのにタグを乗せて一
つずつお届けするようになってます」
「はいはーい。あ、サイトちゃん悪いけど、最後にそこのたらいと布団叩き持ってきて。アタシはもうちょっとだけやってくから」
ヴォルフは顎でしゃくって、置かれたままの用具を指した。
「うん、分かった。ほい」
「終わったらルイズちゃんの部屋で待っててね。今日はお疲れ様よ、クリフの百倍役に立ったわ。アイツったら全然ダメなんだから、
レースは繊細だから優しく揉み洗いだって言ってるのに洗濯板使おうとするし」
ヴォルフはクリフの奮闘をばっさりと切り捨てると、シエスタについて歩き出す。
それを脇で眺めていたルイズは、
「……じゃあ、わたしは部屋に帰るわ。あんた達で足りるでしょ。キクロプス、来なさい」
「…………」
そう言って身を翻し、寮塔へ向かっていった。それに黙って付き従うキクロプスの姿は、もっとも模範的な従者の姿であった。
「じゃあねお嬢、もうちょっとしたら帰るからねー。さ、行きましょ行きましょ」
そうしてルイズと分かれたヴォルフ達が宿舎へ向かおうとすると。
ふと、寮へ向かう生徒達の列から、とある男子達の一団がこちらに向かってきた。
なにやら、君達は先に帰っていたまえ、とか、急にどうしたんだギーシュ、などと言い合っている。
「ん? なにかしら?」
ヴォルフ達が立ち止まっていると、ギーシュと呼ばれていた金髪の少年がその前に立った。シエスタに話しかけてくる。
「きみ。さっき、ぼくの上着を頼んだんだが。突然すまないが、返してくれないか」
「え? あ、ミスタ・グラモンですね。先ほどのですか? それでしたら……」
シエスタは後ろを振り向く。そこには、さきほどヴォルフ達が洗濯したばかりの服たちが風に揺られながら干されていた。
「……もう、あ、洗って……しまったのか!?」
目を見開いて洗濯物の群れを見つめるギーシュ。
「え、は、はい。洗いましたが……」
「な……なんと……!」
何を驚いているのか、驚愕してわなないている。
その姿にシエスタはなにかピン、と来たらしい。ごそごそと自分のエプロンのポケットをまさぐると、紫色の液体が入った小瓶を
取り出した。
「あの、ひょっとしてこれでしょうか? ポケットにお入れになっていたままでしたので、勝手とは思いましたが取り除けておきま
した」
「あ、そ、そうか。よ、よかった……」
ギーシュはシエスタの手の中のそれを確認すると、ほーっと息を吐いた。
「失礼しました。では、お返しいたします」
シエスタが小瓶を渡そうとする。すると、なぜかギーシュはすっと一歩引いてそれを受け取らなかった。
「え?」
「い、いや。違う、それはなんというか……ぼ、ぼくのではない。違うんだ、き、気にしないでくれたまえよ」
「え……? で、ですが……」
「き、気にしないように。それでは」
そのまま踵を返して、ギーシュは突然立ち去ろうとする。
「は、はあ……?」
「ちょ、ちょっとした間違いだったんだ、うん。じゃあ……」
「なんだギーシュ。あ、それって……紫だ、まさかモンモランシーか?」
それを目聡く見ていた、ギーシュの後ろにいた一人がポツリと呟いた。その言葉を聞いたギーシュの友人達がワイワイと騒ぎはじ
める。
「ち、違う。これは、その。いいか、彼女の名誉のためにぼくは言うが……」
「なに言ってるんだ。紫色の香水、間違いないぞ。ギーシュの上着のポケットから出て来たってことは、それしかないじゃないか」
「そうか、お前心配になってわざわざ来たのか。どうりでさっきから急いでると思ってたんだよ」
「やめたまえきみたち、だからだな。つまりなんというか……」
その時、必死に弁明をするギーシュに向かって、一人の少女が近づいてきた。栗色の髪をした、可愛らしい少女である。その姿を
視界に捉えたギーシュが、うめき声を出した。
「え゛っ……! ケ、ケティ……!」
「ギーシュ、様……」
ケティと呼ばれた少女は呆然としてギーシュを見つめていた。やがて、ぽろりと一粒の涙が零れる。
「ひ、ひどい……そんな、……私、信じてたのに……」
「ち、違うんだ聞いてくれたまえケティ。いいかい、今きみは誤解している。これはあくまで事故であって、ぼくはきみのことだけ
を……ぶっ!」
ごまかそうとしたギーシュの頬が思い切り張られた。パァン、と小気味のいい音が響き渡る。
「さよなら!」
ケティは顔を覆いながら、走り去っていってしまった。
取り残されたギーシュが頬をさすって呟く。
「う、ううむ……なんと間の悪い……って、はっ!?」
ギーシュが振り返ったところに、さらにまた一人の女の子が仁王立ちをしていた。綺麗な金色の髪を巻いてカールにした、少しそ
ばかすの残る少女だった。
「ギーシュ?」
「な……!? モ、モンモランシー!? な、なぜきみがここに……!」
「授業が終わって部屋に帰るからよ」
「……ち、違う! か、彼女とは少しばかり遠乗りをしただけの仲であって……!」
「全部見てたわ。ねえ、ギーシュ。……舌噛まないでね」
ぼそり、とモンモランシーは呟くと、その鼻に向かって強烈な肘鉄を見舞った。不意を打たれたギーシュが思い切りのけぞる。
「ごふっ!」
「サイテー。うそつき」
どう、と倒れ伏したギーシュを尻目に、モンモランシーはスタスタと歩いて行ってしまった。
「か、かはっ……。は、鼻が……ぐお……!」
草むらに倒れてうめいてるギーシュの姿に、何事かと遠巻きに見ている寮塔への列から好奇の視線が向けられる。
唖然としたままのシエスタは目の前で起こった暴行に、なにもできずにただ見ているしかなかった。
「え……あ、あの……だ、大丈夫ですかミスタ・グラモン? え、えと……?」
おずおずとそう言うが、ギーシュは鼻を押さえたまま悶絶している。
「ぬおお……く、くう……なんてことだ……。ぐわ、ぼ、ぼくの鼻が……!」
かなりいいのをもらってしまったらしく、ギーシュはすぐに立ち上がることができないらしかった。
横でそれを見ていたヴォルフがつまらなそうに呟いた。
「なによこの坊や? わけわかんないわね。バカかしら?」
「さあ、知らねーっす。アホくさ」
下らなそうに才人が返す。完全に見下した目でギーシュを見ていた。
「えっ!? ちょ、ちょっとヴォルフさん!? サイトさんも!?」
「さ、シエスタ。さっさと行きましょ、ボーっとしてたら日が暮れちゃうわよ」
「いいよいいよ、シカトして。バカに付き合ってらんねーし。いこーぜ」
もがいているギーシュを無視して歩き出すヴォルフ。才人もダルそうにその後を付いていく。
「え、で、でも、あの、その」
「ほら早く。仕事しないとねー」
シエスタを促して、騒ぎからヴォルフ達が離れようとした時、後ろでゆっくりとギーシュが立ち上がった。
「……待ちたまえ、きみ達。そこのでかいの、どこに行くつもりだ」
「は? なにかしら?」
「今バカと言ったな? 口の利き方を知らないらしいな……」
「……なにコイツ? アナタ誰?」
「……貴様……!」
ヴォルフの呟きにギーシュの額にビシィッと血管が浮かんだ。怒気を感じたシエスタが慌てはじめる。
「わ、わ! す、すみません! すみませんミスタ・グラモン! 大変失礼しました!」
洗濯物を投げ出して、その場に膝をついて大慌てでシエスタは頭を下げた。
「どうかお許しください! この者達はミス・ヴァリエールの使い魔でして、貴族の方々へのお言葉遣いを知らないのです! も、
申し訳ありません!」
平身低頭するシエスタの言葉を聞いて、ギーシュがヴォルフ達を見て上から下へ視線を走らせた。忌々しげに、チッと舌打ちを打つ。
「……ふん……! なるほど、そっちの黒髪はよく知らないが、そういえばそのでかいのはそうだったな……! まあいいだろう。
愚かな平民を構うほどぼくも暇ではない。だが、きみはぼくが違うと言ったのに、どうしてすぐに小瓶を仕舞わなかったのだ」
「……えっ!? え……!?」
「きみの反応さえ早ければ、そうすればきっとケティに見つかることも、モンモランシーに見られることも、そしてぼくの鼻が潰さ
れることもなかったのに。なぜすぐに仕舞わなかったんだ」
「は……え、えと……!?」
「なんたることだ。この学院のメイドたる者が、それぐらいの機転もないとは。女性を喜ばす美しい薔薇であるこのぼくが、とんで
もない恥をかいてしまったじゃないか。どうしてくれる?」
ギーシュは苛立ちまぎれに、シエスタに無茶ないちゃもんをつけはじめる。
ギーシュにとって、理由はなんでもいいらしい。とにかく、苛立ちをどこかにぶつけたいらしく、ちょうど目の前で頭を下げたシ
エスタにロックオンしていた。
「す……すみません! 申し訳ありません!」
「どうしてくれるんだ。どうしてくれようか? まったく、大変なことだよこれは。分かっているのかねきみ?」
「も、申し訳ありません! 大変失礼しました!」
シエスタはとにかく頭を下げて謝罪を繰り返した。無茶苦茶な注文だが、シエスタは逆らわずにひたすら謝り続ける。
「あん? ちょっと、なんでシエスタが謝ってるの? なにこれ?」
「おい、そこのキザ。ちょっとやめろよ、わけわかんねーぞ?」
ヴォルフと才人は揃って異を唱え、止めに入った。これではいくらなんでも意味が分からない。
しかし、ギーシュは傲慢に言い放ち、ヴォルフと才人をねめつける。
「なんだと? だいたい、きみ達もだ。いくらヴァリエールの使い魔だからと言って、貴族に対する礼儀を失するなどありえないぞ。
そこのメイドのように頭を下げたまえ。しょせんつまらない事だ、そうすれば許してやろうじゃないか」
「なにナメたこと言ってるのかしらこのガキ。やっぱりバカなのかしら」
「なにが頭下げろだよ、お前が下げろよ浮気野郎。テメーのせいじゃねーか」
「……な!? な、なんだと!? お前達、平民だろう!? も、もう一度言ってみろ!」
すぐに頭を下げるものかと思っていたのか、予想外の抵抗にギーシュが少し驚いた顔を見せた。
「自業自得もいいとこじゃないの。女の敵よ。貴族だか平民だか知らないけど、それ以前に男の風上にも置けないわ」
「薔薇ってなんだよ? バカ丸出しじゃねーか。なに考えてんだ? バラとバカを言い間違えたんじゃなくてか?」
「な……!? お、おい……!」
顔を高潮させて、みしみしとギーシュの顔面がこわばってくる。しかし、それにも構わずヴォルフと才人のコンビは暴言を続けて
いく。
「なんだったらアタシが張り倒してやりたいくらいよ。倒れてるとこ踏んづけて行かなかっただけ感謝して欲しいくらいね」
「俺もサッカーボールみてえに頭蹴り飛ばしたくなったけどぐっと我慢したんだ。むしろありがたく思ってくれ」
「ほら、テキトーのそのへんの草で鼻でも拭いておウチに帰りなさい坊や。お仕事してる人の邪魔しちゃダメよ」
「八つ当たりはそこの木でも相手にやってろっての。つーか女の子追いかけたらどうだ? もしくはさっさと早く帰れバカ。お前の
家は目の前だ」
「ところでさサイトちゃん、なんかこの坊やすんごいダッサくない? うーん、せっかくの素材を殺しちゃってるっていうか、ちょ
っと品がないわね。メイク前のピエロ? 薔薇はまだいいけど」
「あーそーだねってええ!? 薔薇もないでしょ、正直キッツイよこれ。俺だったらこんなの着て道を歩けないな、なんの罰ゲーム
だよって感じ。あ、罰ゲーム中なのか?」
言葉の暴力でメタメタに言ってのける二人に、ついにギーシュが激昂した。
「き、貴様らぁっ!! な、なんでだ!? なんでそこまで言われなきゃならないんだ!? ぼ、ぼくを、このぼくを舐めるとはい
い度胸だ、平民ごときが! 決闘だぁ!! 決闘を申し込む!! こ、殺してくれる!!」
すさまじい激怒を表し、胸元のハンカチを投げつける。その様子に、シエスタが飛び上がった。
「ひっひえっ!? わ、わわ! あわわ!? そ、そんな!? す、すいません、お許し下さい! ヴォ、ヴォルフさんサイトさん、
謝って! 謝って下さい! も、申しわけ……わひゃっ!? 」
そう言ってさらに頭を下げようとしたシエスタの襟首を、ヴォルフが軽くつまんでぐっと引き上げた。そのまま体が上がって立ち
上がってしまう。
「コラ、ダメダメ。ダメよシエスタ、謝る必要なんてどこにもないわ。頭を下げちゃダメよ、こっちは悪いことなんてしてないんだ
から」
「わっわっ!? ダ、ダメ! ダメです謝って! た、大変なことに……!?」
「ダーメ。胸を張りなさい。そいつの服を洗ってやって、その上ビンまでちゃんと取っといてあげたのに逆ギレされてるのよアナタ?
ふざけてるじゃない」
「き、貴族の方ですよ!? なにを言ってるんですか、このままじゃ、こ、殺され……!?」
「殺され? こんなほっそいモヤシになにができるのよ、しっかりなさいな。下手するとアナタでも勝っちゃうんじゃないの?」
「や、やだ! やです、ダメ、離して! わ、わー!? わー!?」
「はいはい、落ちついて落ちついて。クールに行きましょ?」
半狂乱になって暴れはじめるシエスタをヴォルフは無理に抑える。シエスタはそのせいで逃げ出すこともできない。
周囲を取り巻いていた人間は決闘と聞いて、まるで突発のイベントでも起きたかのように大いに囃し立てはじめている。
「諸君! 聞きたまえ、今ここにぼくはこの三人に決闘を申し込む! 少々変則的だが、なに、何の力もない平民相手だ! 三人ま
とめて相手にしてくれよう! 場所は……ヴェストリの広場だ! そこでやろう!」
ギーシュは高らかに宣言し、胸から出した薔薇の造花を掲げた。わっと歓声が上がる。
「さ、さんにん!? 今、今三人って言った!? わ、私、私も入ってる!?」
「入ってるわね? ま、いいんじゃない。軽ーく寄り道してフクロにしちゃいましょうか、ついでだし。たまにはきっと楽しいわよ?」
「バカだなあいつ。勝てると思ってんのか? ヴォルさんが殴ったら死んじゃうんじゃねーの? つーか俺一人でもよさそうだけど」
「いやぁー!! やだ、やだぁー!? し、しに、しにたくないぃ~!!」
シエスタの悲鳴が響いた。