「……これは……なんということだ」
夜闇のニューカッスル上空。高度6000メイルの高空に、風竜に騎乗し、
漆黒の装束に身を包んだ一人の竜騎士がいた。
彼の名はギンヌメール伯爵。トリステイン王国竜騎士隊第2大隊の隊長である。
トリステイン王国の航空戦力でも唯一『風の門』付近まで達する高高度と、
風竜以上の速度を想定した高速度の敵に対応できる訓練を積んだ彼の部隊は、
銃士隊隊長アニエスがラ・ロシェールに派遣された直後に極秘裏に
アンリエッタ姫よりニューカッスルの強行偵察を命じられていた。
そこで、隊長である伯爵自らが将校斥候として先頭に立っていたのだった。
逆を言えば、彼を含め数人の騎士くらいしか、この任務を無事達成できる
見込みがなかったとも言える。
ガリア南薔薇騎士団による埋葬が昼夜の別なく行われているそこは、
真夜中でもあちこちで埋葬の炎が灯っている。『遠見』の魔法により
天幕に描かれた交差する二本の杖――ガリア王国の紋章を確認した伯爵は、
炎に照らされた消し炭となった骸たちの多さに、思わずうなる。
「姫殿下のおっしゃったことは事実だったか……。しかし、これは……。
タケオ、まさか、これはお前の国の兵器のなせる業か……?」
伯爵の問いかけに答えるものはいない。高高度強行偵察を成功させた
伯爵は、発見されないうちに騎竜の翼をトリステインに向ける。全速で
飛ばせば一日もあればトリスタニアに到着する。この情報を早く届けねば……と、
そこまで考えたとき、思考よりも先に体が手綱を引いていた。目の前を
火線が通過する。そこに、上空から悪魔のような囁きが聞こえた。
「……へぇ。ボクの攻撃を躱すなんて……ナマイキ」
伯爵は振り返ることもせず、騎竜を一気にダイブさせる。
幸いニューカッスルはアルビオン浮遊大陸の端にある。浮遊大陸の地表
ぎりぎりまでジグザグ降下し、そこからさらに海上まで一気に高度を落とす。
ニューカッスルにいる南薔薇騎士団には発見される危険性があるが、
生還できなくては意味がない。風竜が悲鳴を上げるが、それでも伯爵は
手綱を緩めない。
「もう少しだ、シャルル!こらえてくれ!」
伯爵が海上に達したとき……彼を追ってくるものはなかった。
夜闇のニューカッスル上空。高度6000メイルの高空に、風竜に騎乗し、
漆黒の装束に身を包んだ一人の竜騎士がいた。
彼の名はギンヌメール伯爵。トリステイン王国竜騎士隊第2大隊の隊長である。
トリステイン王国の航空戦力でも唯一『風の門』付近まで達する高高度と、
風竜以上の速度を想定した高速度の敵に対応できる訓練を積んだ彼の部隊は、
銃士隊隊長アニエスがラ・ロシェールに派遣された直後に極秘裏に
アンリエッタ姫よりニューカッスルの強行偵察を命じられていた。
そこで、隊長である伯爵自らが将校斥候として先頭に立っていたのだった。
逆を言えば、彼を含め数人の騎士くらいしか、この任務を無事達成できる
見込みがなかったとも言える。
ガリア南薔薇騎士団による埋葬が昼夜の別なく行われているそこは、
真夜中でもあちこちで埋葬の炎が灯っている。『遠見』の魔法により
天幕に描かれた交差する二本の杖――ガリア王国の紋章を確認した伯爵は、
炎に照らされた消し炭となった骸たちの多さに、思わずうなる。
「姫殿下のおっしゃったことは事実だったか……。しかし、これは……。
タケオ、まさか、これはお前の国の兵器のなせる業か……?」
伯爵の問いかけに答えるものはいない。高高度強行偵察を成功させた
伯爵は、発見されないうちに騎竜の翼をトリステインに向ける。全速で
飛ばせば一日もあればトリスタニアに到着する。この情報を早く届けねば……と、
そこまで考えたとき、思考よりも先に体が手綱を引いていた。目の前を
火線が通過する。そこに、上空から悪魔のような囁きが聞こえた。
「……へぇ。ボクの攻撃を躱すなんて……ナマイキ」
伯爵は振り返ることもせず、騎竜を一気にダイブさせる。
幸いニューカッスルはアルビオン浮遊大陸の端にある。浮遊大陸の地表
ぎりぎりまでジグザグ降下し、そこからさらに海上まで一気に高度を落とす。
ニューカッスルにいる南薔薇騎士団には発見される危険性があるが、
生還できなくては意味がない。風竜が悲鳴を上げるが、それでも伯爵は
手綱を緩めない。
「もう少しだ、シャルル!こらえてくれ!」
伯爵が海上に達したとき……彼を追ってくるものはなかった。
朝靄のラ・ヴァリエール城。その前庭に竜籠が降り立つ。アンリエッタ姫が
愛用しているような、また魔法学院に備え付けられているようなアルビオン産の
深紅の絨毯ではなく、トリステインの伝統的な緋毛氈が竜籠の扉の入り口まで
敷かれ、籠の中から降りてきた初老の貴族を迎える。
ラ・ヴァリエール公爵。年の頃は五十を過ぎ、白くなり始めたブロンドの髪と
口髭を揺らし、王侯もかくやとうならせる豪華な衣装に身を包んでいた。
その左目には片眼鏡が嵌り、鋭い眼光をあたりにまき散らせている。
つかつかと歩く公爵に執事が取り付き、帽子を取り、髪を直し、着物の袷(あわせ)を
確かめる。公爵は渋みがかったバリトンで「ルイズは戻ったか?」と尋ねた。
その言葉に、長年ラ・ヴァリエール家の執事を務めているジェロームは、
恭しく一礼すると、「昨晩お戻りになりました」と答えた。
「朝食の席に呼べ」
「かしこまりました」
愛用しているような、また魔法学院に備え付けられているようなアルビオン産の
深紅の絨毯ではなく、トリステインの伝統的な緋毛氈が竜籠の扉の入り口まで
敷かれ、籠の中から降りてきた初老の貴族を迎える。
ラ・ヴァリエール公爵。年の頃は五十を過ぎ、白くなり始めたブロンドの髪と
口髭を揺らし、王侯もかくやとうならせる豪華な衣装に身を包んでいた。
その左目には片眼鏡が嵌り、鋭い眼光をあたりにまき散らせている。
つかつかと歩く公爵に執事が取り付き、帽子を取り、髪を直し、着物の袷(あわせ)を
確かめる。公爵は渋みがかったバリトンで「ルイズは戻ったか?」と尋ねた。
その言葉に、長年ラ・ヴァリエール家の執事を務めているジェロームは、
恭しく一礼すると、「昨晩お戻りになりました」と答えた。
「朝食の席に呼べ」
「かしこまりました」
ラ・ヴァリエール家の朝食は、日当たりの良いこぢんまりとしたバルコニーで
取るのが常である。その日もテーブルが引き出され、陽光の下に朝食の席が
しつらえられた。上座にラ・ヴァリエール公爵が腰掛け、その隣に夫人が並ぶ。
そして珍しく勢揃いした三姉妹が、歳の順番にテーブルにつく。
ルイズは昨夜ほとんど寝ていないためふらふらの体である。その横で
カトレアがいつもより体調が良さそうに見えるのとは対照的。
なお、ふがくはこの朝食の席には参加していない。招待されなかったと
いうのが一番の理由だが、カトレアに誘われたときにも、特に感情を込めず
「久しぶりなんだし親子水入らずで楽しむのもいいと思うけど」と言った
その言葉を、ルイズが内心恨めしく思っていた。
公爵は、かなり機嫌が悪い様子だった。
「まったくあの鳥の骨め!」
開口一番。公爵は枢機卿をこき下ろす。その言葉に、夫人は表情を
変えずに夫に問うた。
「どうかなさいましたか?」
ルイズはいつ自分に御鉢が回るか気が気でない。けれど、父が枢機卿と
会ったのは、自分が王宮を辞してからだったようだ。もし王宮で顔を
合わせていたらと考えると、そのまま卒倒してしまいそうになる。
「このわしをわざわざトリスタニアに呼びつけて、何を言うかと思えば……
『一個軍団編成されたし』だと!ふざけおって!」
「承諾なさったのですか?」
「するわけなかろう!
すでにわしは軍務を退いたのだ。わしに代わって兵を率いる世継ぎも
家にはおらぬ。何より、その理由が気に食わぬ!」
「理由とは?」
夫人はあくまで表情を変えない。その様子に、公爵はやや気持ちを
落ち着かせた。
「うむ……鳥の骨が言うには、三日前、アルビオンのニューカッスルにて
王党派の最後の反撃が行われたらしい。すでに簒奪者どもが公表したように、
その戦いでテューダー王家は滅亡したというのだが……。
鳥の骨め、何が『その戦いで貴族派は五万の陸兵と二隻の軍艦を失い、
旗艦を含む敵主力艦隊も大破した』だ。たった一隻の戦列艦しか持たぬ
王党派にそのようなマネができたなど信じられるものか!しかも貴族派の
再編成が完了する前に一気にロンディニウムを陥落させ王権を復興するなど、
何を馬鹿なことを!」
テーブルを叩く公爵。ルイズが真実を話すべきかおろおろし始めたとき、
カトレアがそっとテーブルの下でルイズの手を握った。
「なるほど。でもよいのですか?祖国は今、一丸となって仇敵を滅すべし、
との枢機卿のお触れが出たばかりではありませんか。ラ・ヴァリエールに
逆心あり、などと噂されては、社交もしにくくなりますわ」
そうは言いながら、夫人はずいぶんと涼しい顔をしていた。
「あのような鳥の骨を『枢機卿』などと呼んではいかん。骨は骨で十分だ。
まったく。あまつさえ、鳥の骨は姫殿下に速やかなる即位まで進言しておる。
それに加えアストン伯などトリステインに逃げおおせたアルビオン王党派残党の
庇護を引き受けてまで鳥の骨に賛同しておる有様。そのようなことをせずとも、
アルビオンなど、空域封鎖で干上がらせればなんの問題もなく陥落するわ!」
違う――それまで黙っていたルイズが、わななきながら口を開いた。
「と、父さまに、伺いたいことがございます」
公爵はルイズを見つめた。
「いいとも。だが、その前に、久しぶりに会った父親に接吻してはくれんかね。
ルイズ」
ルイズは立ち上がると、ととと、と父に近寄り、その頬にキスをする。
それからまっすぐに父を見つめ、尋ねた。
「どうして父さまは枢機卿のお言葉が嘘だと思われたのですか?」
「常識的にあり得ないからだ」
「王党派に援軍が現れたとか、新しい武器を使ったとか、お考えにならないの
ですか?」
「どこの国が援軍を差し向けたと言うのだ?それに……いいか?」
公爵は皿と料理を使って、ルイズに説明を始めた。
「『攻める』ということは、圧倒的な兵力があって初めて成功するものだ。
王党派は三百。貴族派は五万。それに艦隊支援もある」
かちゃかちゃと器用にフォークとナイフを動かし、公爵は肉のかけらで
軍を作る。
「攻める軍は、守る側に比べて三倍の数があってこそ確実に勝利できる。
これほどの戦力差、もはや三倍どころの話ではないことが分かるだろう?」
「でも……」
公爵はルイズの顔を覗き込んだ。
「これほど戦力差が開いては、たとえどんな新兵器を投入したとしても、
勝敗は覆らないのだ。そして、それは我がトリステインがアルビオンを
攻めるとした場合にも言えるのだ。我が国がゲルマニアとの同盟を果たしたと
して、その兵力は六万にしかならぬ。それで、もし攻めて失敗したら
なんとする?その可能性は低くないのだ」
ルイズはここにふがくがいないことが悔しかった。父の言うことは正論だ。
ハルケギニアの常識の範囲では。だが、ふがくやルーデル、それに敵として
襲ってきたあの双子のような『鋼の乙女』は違う。もしかすると、枢機卿は
ふがくを見たからこそ、先手を打つことを考えたのかもしれなかった。
「父さま……」
公爵は、そこまで言うと立ち上がった。
「さて、朝食は終わりだ」
ルイズはぎゅっと唇をかみしめて、たたずんだ。
「ルイズ。お前には謹慎を命ずる。しばらくこの城で頭を冷やすことだ。
わしが良いと言うまで、この城から出ることは許さん」
「待って!」
ルイズは叫んだ。公爵は震えながらも自分をまっすぐに見つめる娘に
正面から向かい合った。
「なんだ?話は終わりだと言っている」
「ルイズ……?」
エレオノールが、もう止めなさいとばかりにルイズの裾を引っ張った。
カトレアも、そんなルイズを心配そうに見ている。
「……わたしなの」
「何?」
「わたしが命じたの!ふがくに、五万の敵を焼き払えって……!」
ルイズは顔を上げた。その顔は涙で濡れている。
「ルイズ!?あなた、何を言っているの!?」
エレオノールが信じられない顔をしている。
「ねえ、父さま。父さまは、黒い雨に打たれたこと、あります?
人がいっぱい燃えると、その後に黒い雨が降るの。
でも……、その雨でも、ふがくが放った火は消えなかった!ふがくが
爆弾で区切った中に、燃えるものがなんにもなくなるまで!」
その言葉で、公爵の目の色が変わった。夫人も、エレオノールも。
カトレアだけが、そんなルイズを慈しむような目で見ている。
公爵は、ルイズの前に向かうと、膝をついて娘の顔を覗き込んだ。
「……お前、一体何をしてきたのかね?」
「ルイズ、まさか……姫殿下のお願いって……」
エレオノールが両手で口元を押さえながら言った。こくりと、ルイズは頷いた。
そして、ゆっくりと話し始める。
「わたし、姫さまのお願いで、アルビオンに行ったわ。そのときにギーシュ……
ミスタ・グラモンにも話を聞かれちゃったから、ふがくに一緒に連れてって
もらって。
姫さまの密書を皇太子さまに渡して、手紙を受け取って……それで帰れば
よかった。でも、姫さまの密書には絶対皇太子さまの亡命について
書かれているって思ったから、亡命してもらうために、ふがくと、
途中で一緒になったルーデルに敵を焼き払えって……命令したの。
……でも、あんなつもりじゃなかった、間違ってたって気づいたけど、
中止させられなかった。わたし……なんであんなこと言っちゃったんだろうって……」
公爵はルイズを抱きしめた。力強く、無言のまま。
誰も一言も言葉を発しなかった。そうしてしばらく時間が経ち……
公爵は立ち上がる。
「……わしは、王家に杖を向けなければならぬかもしれぬ。
これはグラモン元帥も同様であろうな。ジェローム!」
公爵の言葉に、「はっ!」と執事が飛んできて、公爵の脇に控える。
「『フガク』とか言ったな。その者は今どこにいる?」
「父さま。『ふがく』ですわ。あの子なら、あの尖塔の上に」
そう言って、カトレアは昨夜ふがくが昇った城で一番高い尖塔を指さす。
「あの子はわたしたちが一番理解しやすいものにたとえればガーゴイル……。
とはいえ、それは単純にわたしたちが理解しやすいものというだけで、
普通に感情を持ち、そればかりか祖国では士官と同じ扱いを受けていると
聞きました。それなのにわたしたちがあまりに酷い扱いをするのですもの。
だから昨日の夜からずっとあそこに。朝食にわたしが誘ったんですが、
招待されていないからって……」
「カトレア。それについては昨夜新しい部屋を用意させたはずですが?」
夫人の言葉に、カトレアはゆっくりと首を振る。
「母さま。これがたとえばガリアの士官、ロマリアの神官に同じことを
したとして、ただ部屋を替えた、それで許せ……となるでしょうか?
確かに、あの子はガーゴイルのような存在で、ルイズの使い魔として
召喚されました。でも、元の国でそれなりの扱いを受けていたものを、
遠い国に召喚され、使い魔にされたからといって、下僕以下に扱って
よいとは、わたしは思いません」
「むう……」
うなる公爵。カトレアはさらに続ける。
「それに、ルイズの言葉も嘘ではないと思います。実際に、わたしは
昨晩ふがくと一緒にルイズが見たのと同じ、『風の門』を越えた向こう、
二つに分かれた空を見せてもらっていますもの」
「でも、カトレア!どう考えても、たった一晩で魔法学院からアルビオンへ
たどり着くなんて……国で一番速い風竜でも無理よ!」
エレオノールの言葉に、カトレアは再び首を振る。
「ふがくの速度は、わたしを気遣ってくれても竜籠が馬車に思えるくらい。
とっても速いのよ、姉さま」
「……『風の門』の向こう側。あなたたちはそれを見たというのね?
カトレア。ルイズ」
そう言って夫人はカトレアとルイズを見る。その目には娘を心配する
様子がありありと見えた。
「……カトレア。『風の門』を越えたとき、気分はどうでした?」
カトレアは一瞬質問の意味を量りかねた。だがそれが自分の体調を
聞いているのではないと判断し、こう答えた。
「少し空気が薄くなった感じはしましたけれど、暖かく、晴れ晴れとした
気分でした」
「ルイズは?」
「わたしは……ただ空が美しいって思って……。でも、特におかしな
ところはありませんでした」
夫人はしばらく瞑目する。そして静かに言った。
「……『風の門』に達する時点で、すでに魔獣や幻獣が飛ぶための魔力は
乏しくなり、鍛えた者でなければ息をすることも苦しい状態になっている
はずです。それに『風の門』の正体は、東に向かって荒れ狂う乱気流
――フネですら、あっという間にバラバラになってしまうほどのもの。
ましてその先に達すれば、体は凍り付き、口や鼻、耳から血を吹き出し、
意識を失いかねません」
「ふがくもそんなことを言っていましたわ。でも、自分と一緒にいるから
大丈夫だと」
カトレアの言葉に、夫人は視線を尖塔の上にいるふがくに向ける。
そして、言った。
「わたしも興味がわいてきました。それに、家を預かる者として、他国の
士官待遇を受ける者への非礼は詫びねばなりません」
取るのが常である。その日もテーブルが引き出され、陽光の下に朝食の席が
しつらえられた。上座にラ・ヴァリエール公爵が腰掛け、その隣に夫人が並ぶ。
そして珍しく勢揃いした三姉妹が、歳の順番にテーブルにつく。
ルイズは昨夜ほとんど寝ていないためふらふらの体である。その横で
カトレアがいつもより体調が良さそうに見えるのとは対照的。
なお、ふがくはこの朝食の席には参加していない。招待されなかったと
いうのが一番の理由だが、カトレアに誘われたときにも、特に感情を込めず
「久しぶりなんだし親子水入らずで楽しむのもいいと思うけど」と言った
その言葉を、ルイズが内心恨めしく思っていた。
公爵は、かなり機嫌が悪い様子だった。
「まったくあの鳥の骨め!」
開口一番。公爵は枢機卿をこき下ろす。その言葉に、夫人は表情を
変えずに夫に問うた。
「どうかなさいましたか?」
ルイズはいつ自分に御鉢が回るか気が気でない。けれど、父が枢機卿と
会ったのは、自分が王宮を辞してからだったようだ。もし王宮で顔を
合わせていたらと考えると、そのまま卒倒してしまいそうになる。
「このわしをわざわざトリスタニアに呼びつけて、何を言うかと思えば……
『一個軍団編成されたし』だと!ふざけおって!」
「承諾なさったのですか?」
「するわけなかろう!
すでにわしは軍務を退いたのだ。わしに代わって兵を率いる世継ぎも
家にはおらぬ。何より、その理由が気に食わぬ!」
「理由とは?」
夫人はあくまで表情を変えない。その様子に、公爵はやや気持ちを
落ち着かせた。
「うむ……鳥の骨が言うには、三日前、アルビオンのニューカッスルにて
王党派の最後の反撃が行われたらしい。すでに簒奪者どもが公表したように、
その戦いでテューダー王家は滅亡したというのだが……。
鳥の骨め、何が『その戦いで貴族派は五万の陸兵と二隻の軍艦を失い、
旗艦を含む敵主力艦隊も大破した』だ。たった一隻の戦列艦しか持たぬ
王党派にそのようなマネができたなど信じられるものか!しかも貴族派の
再編成が完了する前に一気にロンディニウムを陥落させ王権を復興するなど、
何を馬鹿なことを!」
テーブルを叩く公爵。ルイズが真実を話すべきかおろおろし始めたとき、
カトレアがそっとテーブルの下でルイズの手を握った。
「なるほど。でもよいのですか?祖国は今、一丸となって仇敵を滅すべし、
との枢機卿のお触れが出たばかりではありませんか。ラ・ヴァリエールに
逆心あり、などと噂されては、社交もしにくくなりますわ」
そうは言いながら、夫人はずいぶんと涼しい顔をしていた。
「あのような鳥の骨を『枢機卿』などと呼んではいかん。骨は骨で十分だ。
まったく。あまつさえ、鳥の骨は姫殿下に速やかなる即位まで進言しておる。
それに加えアストン伯などトリステインに逃げおおせたアルビオン王党派残党の
庇護を引き受けてまで鳥の骨に賛同しておる有様。そのようなことをせずとも、
アルビオンなど、空域封鎖で干上がらせればなんの問題もなく陥落するわ!」
違う――それまで黙っていたルイズが、わななきながら口を開いた。
「と、父さまに、伺いたいことがございます」
公爵はルイズを見つめた。
「いいとも。だが、その前に、久しぶりに会った父親に接吻してはくれんかね。
ルイズ」
ルイズは立ち上がると、ととと、と父に近寄り、その頬にキスをする。
それからまっすぐに父を見つめ、尋ねた。
「どうして父さまは枢機卿のお言葉が嘘だと思われたのですか?」
「常識的にあり得ないからだ」
「王党派に援軍が現れたとか、新しい武器を使ったとか、お考えにならないの
ですか?」
「どこの国が援軍を差し向けたと言うのだ?それに……いいか?」
公爵は皿と料理を使って、ルイズに説明を始めた。
「『攻める』ということは、圧倒的な兵力があって初めて成功するものだ。
王党派は三百。貴族派は五万。それに艦隊支援もある」
かちゃかちゃと器用にフォークとナイフを動かし、公爵は肉のかけらで
軍を作る。
「攻める軍は、守る側に比べて三倍の数があってこそ確実に勝利できる。
これほどの戦力差、もはや三倍どころの話ではないことが分かるだろう?」
「でも……」
公爵はルイズの顔を覗き込んだ。
「これほど戦力差が開いては、たとえどんな新兵器を投入したとしても、
勝敗は覆らないのだ。そして、それは我がトリステインがアルビオンを
攻めるとした場合にも言えるのだ。我が国がゲルマニアとの同盟を果たしたと
して、その兵力は六万にしかならぬ。それで、もし攻めて失敗したら
なんとする?その可能性は低くないのだ」
ルイズはここにふがくがいないことが悔しかった。父の言うことは正論だ。
ハルケギニアの常識の範囲では。だが、ふがくやルーデル、それに敵として
襲ってきたあの双子のような『鋼の乙女』は違う。もしかすると、枢機卿は
ふがくを見たからこそ、先手を打つことを考えたのかもしれなかった。
「父さま……」
公爵は、そこまで言うと立ち上がった。
「さて、朝食は終わりだ」
ルイズはぎゅっと唇をかみしめて、たたずんだ。
「ルイズ。お前には謹慎を命ずる。しばらくこの城で頭を冷やすことだ。
わしが良いと言うまで、この城から出ることは許さん」
「待って!」
ルイズは叫んだ。公爵は震えながらも自分をまっすぐに見つめる娘に
正面から向かい合った。
「なんだ?話は終わりだと言っている」
「ルイズ……?」
エレオノールが、もう止めなさいとばかりにルイズの裾を引っ張った。
カトレアも、そんなルイズを心配そうに見ている。
「……わたしなの」
「何?」
「わたしが命じたの!ふがくに、五万の敵を焼き払えって……!」
ルイズは顔を上げた。その顔は涙で濡れている。
「ルイズ!?あなた、何を言っているの!?」
エレオノールが信じられない顔をしている。
「ねえ、父さま。父さまは、黒い雨に打たれたこと、あります?
人がいっぱい燃えると、その後に黒い雨が降るの。
でも……、その雨でも、ふがくが放った火は消えなかった!ふがくが
爆弾で区切った中に、燃えるものがなんにもなくなるまで!」
その言葉で、公爵の目の色が変わった。夫人も、エレオノールも。
カトレアだけが、そんなルイズを慈しむような目で見ている。
公爵は、ルイズの前に向かうと、膝をついて娘の顔を覗き込んだ。
「……お前、一体何をしてきたのかね?」
「ルイズ、まさか……姫殿下のお願いって……」
エレオノールが両手で口元を押さえながら言った。こくりと、ルイズは頷いた。
そして、ゆっくりと話し始める。
「わたし、姫さまのお願いで、アルビオンに行ったわ。そのときにギーシュ……
ミスタ・グラモンにも話を聞かれちゃったから、ふがくに一緒に連れてって
もらって。
姫さまの密書を皇太子さまに渡して、手紙を受け取って……それで帰れば
よかった。でも、姫さまの密書には絶対皇太子さまの亡命について
書かれているって思ったから、亡命してもらうために、ふがくと、
途中で一緒になったルーデルに敵を焼き払えって……命令したの。
……でも、あんなつもりじゃなかった、間違ってたって気づいたけど、
中止させられなかった。わたし……なんであんなこと言っちゃったんだろうって……」
公爵はルイズを抱きしめた。力強く、無言のまま。
誰も一言も言葉を発しなかった。そうしてしばらく時間が経ち……
公爵は立ち上がる。
「……わしは、王家に杖を向けなければならぬかもしれぬ。
これはグラモン元帥も同様であろうな。ジェローム!」
公爵の言葉に、「はっ!」と執事が飛んできて、公爵の脇に控える。
「『フガク』とか言ったな。その者は今どこにいる?」
「父さま。『ふがく』ですわ。あの子なら、あの尖塔の上に」
そう言って、カトレアは昨夜ふがくが昇った城で一番高い尖塔を指さす。
「あの子はわたしたちが一番理解しやすいものにたとえればガーゴイル……。
とはいえ、それは単純にわたしたちが理解しやすいものというだけで、
普通に感情を持ち、そればかりか祖国では士官と同じ扱いを受けていると
聞きました。それなのにわたしたちがあまりに酷い扱いをするのですもの。
だから昨日の夜からずっとあそこに。朝食にわたしが誘ったんですが、
招待されていないからって……」
「カトレア。それについては昨夜新しい部屋を用意させたはずですが?」
夫人の言葉に、カトレアはゆっくりと首を振る。
「母さま。これがたとえばガリアの士官、ロマリアの神官に同じことを
したとして、ただ部屋を替えた、それで許せ……となるでしょうか?
確かに、あの子はガーゴイルのような存在で、ルイズの使い魔として
召喚されました。でも、元の国でそれなりの扱いを受けていたものを、
遠い国に召喚され、使い魔にされたからといって、下僕以下に扱って
よいとは、わたしは思いません」
「むう……」
うなる公爵。カトレアはさらに続ける。
「それに、ルイズの言葉も嘘ではないと思います。実際に、わたしは
昨晩ふがくと一緒にルイズが見たのと同じ、『風の門』を越えた向こう、
二つに分かれた空を見せてもらっていますもの」
「でも、カトレア!どう考えても、たった一晩で魔法学院からアルビオンへ
たどり着くなんて……国で一番速い風竜でも無理よ!」
エレオノールの言葉に、カトレアは再び首を振る。
「ふがくの速度は、わたしを気遣ってくれても竜籠が馬車に思えるくらい。
とっても速いのよ、姉さま」
「……『風の門』の向こう側。あなたたちはそれを見たというのね?
カトレア。ルイズ」
そう言って夫人はカトレアとルイズを見る。その目には娘を心配する
様子がありありと見えた。
「……カトレア。『風の門』を越えたとき、気分はどうでした?」
カトレアは一瞬質問の意味を量りかねた。だがそれが自分の体調を
聞いているのではないと判断し、こう答えた。
「少し空気が薄くなった感じはしましたけれど、暖かく、晴れ晴れとした
気分でした」
「ルイズは?」
「わたしは……ただ空が美しいって思って……。でも、特におかしな
ところはありませんでした」
夫人はしばらく瞑目する。そして静かに言った。
「……『風の門』に達する時点で、すでに魔獣や幻獣が飛ぶための魔力は
乏しくなり、鍛えた者でなければ息をすることも苦しい状態になっている
はずです。それに『風の門』の正体は、東に向かって荒れ狂う乱気流
――フネですら、あっという間にバラバラになってしまうほどのもの。
ましてその先に達すれば、体は凍り付き、口や鼻、耳から血を吹き出し、
意識を失いかねません」
「ふがくもそんなことを言っていましたわ。でも、自分と一緒にいるから
大丈夫だと」
カトレアの言葉に、夫人は視線を尖塔の上にいるふがくに向ける。
そして、言った。
「わたしも興味がわいてきました。それに、家を預かる者として、他国の
士官待遇を受ける者への非礼は詫びねばなりません」
それからまもなく。ふがくがカトレアとルイズに呼ばれてバルコニーに
降り立ったとき――そこに予想もしなかった来客が訪れる。
降り立ったとき――そこに予想もしなかった来客が訪れる。
「……ワルド子爵か?一体何事だ」
公爵は無礼を承知でバルコニーに舞い降りたグリフォンに騎乗する
貴族の名を呼んだ。
ワルドは公爵夫妻に無礼を謝罪すると、居住まいを正した。
「アンリエッタ姫殿下よりの伝言をお伝え致します」
「姫殿下の……?」
そう言ったのは公爵夫人。魔法衛士隊の一角であるグリフォン隊の
隊長自らが急ぎやってくる事態など、ただ事ではない。
「はい。すでにご承知のことかと思われますが、先日、ルイズが姫殿下に
報告したニューカッスルの件で、姫殿下は銃士隊を脱出した王党派を
救助したフネが帰港したラ・ロシェールに向かわせた直後、竜騎士隊
第2大隊にニューカッスルの強行偵察を命じられました。
その結果、ルイズの言っていたことが証明され、王宮にて緊急臨時閣議を
開くべく諸侯の招集を命じられました」
「なんだと?では、鳥の骨はわしに軍編成を要求する前にルイズに会って
いたというのか?」
公爵の言葉に、ワルドは短く「はい」と答えた。
「ニューカッスル城郭の周辺は、城郭が無傷なことが信じられないほどの
有様だったとのこと。また、ガリア南薔薇騎士団がニューカッスルにて
救護活動を行っていることも判明。
今回の件、枢機卿猊下ではなく姫殿下自らが先頭に立つご様子です。
閣下、急ぎ王宮へ」
「わかった。ジェローム!」
公爵は執事を呼び、竜籠の用意をさせる。慌ただしく公爵が王宮に
向かった後、それを見送ったワルドに夫人が話しかけた。
「ご苦労でした。ワルド子爵。あなたもずいぶんと出世したものね」
「いえ。今回はルイズのおかげです。そうでなければ、僕がまだ王宮で
何かできるような立場にはありません」
その言葉には嘘があった。確かにアンリエッタ姫は竜騎士隊に強行偵察を
命じた。しかし、平行してシンからニューカッスルの状況に対する報告は
受けていた。アルビオンに潜入していたエージェントは、シンだけではない。
ニューカッスルから脱出した貴族にも、テューダー王家につながる
アンリエッタ姫に協力する者はいたのだった。そして、ワルド本人も、
今は『ゼロ機関』のエージェントとして動いていた。
「ですが、こうなれば……ルイズの言葉を信用しないわけにはいきませんね」
そう言って、夫人はふがくに向き直る。そして、頭を下げた。
「今回の非礼、誠に申し訳なく思っております。できれば、あなたが
国に戻られたときにも、ラ・ヴァリエール家、いいえ、トリステイン
王国が敵意を持って迎えたとは思わないでいただきたいと思います」
「私がお上にそんな報告をすると思っているのかしら?見くびられたものね」
「ふがく!」
ルイズが声を上げる。それをカトレアが押しとどめた。
「そんなことよりも、昨日のあの敵意むき出しの視線、そっちの理由が
知りたいわね」
ふがくは礼を失しない程度に冷ややかな視線を公爵夫人に向ける。
だが、公爵夫人はそれを意にも介さず言う。
「あなたとルイズが、ともに死と硝煙の臭いをまとっていたからです。
娘の使い魔とはいえ、娘に害をなすのであれば捨て置くことはできません。
ですが、先程娘から聞いた理由があれば納得もできます」
そう言って、公爵夫人はふがくに視線を向ける。その視線も刃のように鋭い。
二人の間に飛び交う視線に、ルイズは冷や汗を垂らした。
「……な、なんでこうなっちゃうのよ……」
「ふがくの態度も警戒心が強くなっちゃってるわね。わたしと話して
いるときはそうでもなかったのに」
カトレアがルイズの横で困ったような顔をする。二人の後ろから、
エレオノールが溜息混じりに言った。
「……わたしと話していたときにも警戒されていたけどね。おちび、
あなたと一緒にいるときもあんな感じなの?」
ルイズがふるふると首を振る。
「確かに最初は……。でも、それはわたしの方にも問題があったからだし。
今はそんなことなかったのに」
ふがくと公爵夫人、二人の緊張に割って入ったのが、誰であろうワルドだった。
「まあまあ。カリーヌ様。ここは穏便に。
ふがく君も、別にラ・ヴァリエール家の人間と事を構えるためにここに
いるわけではないのだろう?」
ワルドの言葉に、今にも杖を抜きかねない雰囲気だった公爵夫人の
刃のような気配が霧消する。ふがくも、完全に警戒を解いてはいないが、
それでもそれまでの殺気立った雰囲気は消えてなくなっていた。
「……ふふ。ジャン坊やの前で、大人げなかったかしらね」
「まぁ、私も別に……」
互いに見えない矛を納めた様子にほっと胸をなで下ろす三姉妹。
それを確認してから、ワルドが言う。
「カリーヌ様は、つまりふがく君がルイズに害を与える存在ではないと
確認できればよろしいのですよね?」
公爵夫人は無言で頷く。
「ふがく君も……まあ、この行き場のない気持ちは晴らせたらいい……かな?」
「閣下の考えが見えないわね。何が言いたいわけ?」
やや不審げな視線をワルドに向けるふがく。ワルドはそれを気さくに
笑ってみせる。
「僕に妙案があるんだ。聞いてもらえるかな?」
ワルドの『妙案』に、当事者である公爵夫人とふがくのみならず、
三姉妹も驚きの声を上げた。
公爵は無礼を承知でバルコニーに舞い降りたグリフォンに騎乗する
貴族の名を呼んだ。
ワルドは公爵夫妻に無礼を謝罪すると、居住まいを正した。
「アンリエッタ姫殿下よりの伝言をお伝え致します」
「姫殿下の……?」
そう言ったのは公爵夫人。魔法衛士隊の一角であるグリフォン隊の
隊長自らが急ぎやってくる事態など、ただ事ではない。
「はい。すでにご承知のことかと思われますが、先日、ルイズが姫殿下に
報告したニューカッスルの件で、姫殿下は銃士隊を脱出した王党派を
救助したフネが帰港したラ・ロシェールに向かわせた直後、竜騎士隊
第2大隊にニューカッスルの強行偵察を命じられました。
その結果、ルイズの言っていたことが証明され、王宮にて緊急臨時閣議を
開くべく諸侯の招集を命じられました」
「なんだと?では、鳥の骨はわしに軍編成を要求する前にルイズに会って
いたというのか?」
公爵の言葉に、ワルドは短く「はい」と答えた。
「ニューカッスル城郭の周辺は、城郭が無傷なことが信じられないほどの
有様だったとのこと。また、ガリア南薔薇騎士団がニューカッスルにて
救護活動を行っていることも判明。
今回の件、枢機卿猊下ではなく姫殿下自らが先頭に立つご様子です。
閣下、急ぎ王宮へ」
「わかった。ジェローム!」
公爵は執事を呼び、竜籠の用意をさせる。慌ただしく公爵が王宮に
向かった後、それを見送ったワルドに夫人が話しかけた。
「ご苦労でした。ワルド子爵。あなたもずいぶんと出世したものね」
「いえ。今回はルイズのおかげです。そうでなければ、僕がまだ王宮で
何かできるような立場にはありません」
その言葉には嘘があった。確かにアンリエッタ姫は竜騎士隊に強行偵察を
命じた。しかし、平行してシンからニューカッスルの状況に対する報告は
受けていた。アルビオンに潜入していたエージェントは、シンだけではない。
ニューカッスルから脱出した貴族にも、テューダー王家につながる
アンリエッタ姫に協力する者はいたのだった。そして、ワルド本人も、
今は『ゼロ機関』のエージェントとして動いていた。
「ですが、こうなれば……ルイズの言葉を信用しないわけにはいきませんね」
そう言って、夫人はふがくに向き直る。そして、頭を下げた。
「今回の非礼、誠に申し訳なく思っております。できれば、あなたが
国に戻られたときにも、ラ・ヴァリエール家、いいえ、トリステイン
王国が敵意を持って迎えたとは思わないでいただきたいと思います」
「私がお上にそんな報告をすると思っているのかしら?見くびられたものね」
「ふがく!」
ルイズが声を上げる。それをカトレアが押しとどめた。
「そんなことよりも、昨日のあの敵意むき出しの視線、そっちの理由が
知りたいわね」
ふがくは礼を失しない程度に冷ややかな視線を公爵夫人に向ける。
だが、公爵夫人はそれを意にも介さず言う。
「あなたとルイズが、ともに死と硝煙の臭いをまとっていたからです。
娘の使い魔とはいえ、娘に害をなすのであれば捨て置くことはできません。
ですが、先程娘から聞いた理由があれば納得もできます」
そう言って、公爵夫人はふがくに視線を向ける。その視線も刃のように鋭い。
二人の間に飛び交う視線に、ルイズは冷や汗を垂らした。
「……な、なんでこうなっちゃうのよ……」
「ふがくの態度も警戒心が強くなっちゃってるわね。わたしと話して
いるときはそうでもなかったのに」
カトレアがルイズの横で困ったような顔をする。二人の後ろから、
エレオノールが溜息混じりに言った。
「……わたしと話していたときにも警戒されていたけどね。おちび、
あなたと一緒にいるときもあんな感じなの?」
ルイズがふるふると首を振る。
「確かに最初は……。でも、それはわたしの方にも問題があったからだし。
今はそんなことなかったのに」
ふがくと公爵夫人、二人の緊張に割って入ったのが、誰であろうワルドだった。
「まあまあ。カリーヌ様。ここは穏便に。
ふがく君も、別にラ・ヴァリエール家の人間と事を構えるためにここに
いるわけではないのだろう?」
ワルドの言葉に、今にも杖を抜きかねない雰囲気だった公爵夫人の
刃のような気配が霧消する。ふがくも、完全に警戒を解いてはいないが、
それでもそれまでの殺気立った雰囲気は消えてなくなっていた。
「……ふふ。ジャン坊やの前で、大人げなかったかしらね」
「まぁ、私も別に……」
互いに見えない矛を納めた様子にほっと胸をなで下ろす三姉妹。
それを確認してから、ワルドが言う。
「カリーヌ様は、つまりふがく君がルイズに害を与える存在ではないと
確認できればよろしいのですよね?」
公爵夫人は無言で頷く。
「ふがく君も……まあ、この行き場のない気持ちは晴らせたらいい……かな?」
「閣下の考えが見えないわね。何が言いたいわけ?」
やや不審げな視線をワルドに向けるふがく。ワルドはそれを気さくに
笑ってみせる。
「僕に妙案があるんだ。聞いてもらえるかな?」
ワルドの『妙案』に、当事者である公爵夫人とふがくのみならず、
三姉妹も驚きの声を上げた。