第10話「休日の夜」
日はすっかり沈んだ虚無の曜日の夜。
士は今日街で撮影し、現像したばかりの相変わらずの出来映えの写真を持って少し不満げな表情のままサロンと化している撮影室に戻ると、そこに夏海の怒号が轟いた。
「帰れないってどう言う事なんですか!?」
夏海はバンとテーブルに掌を叩き付けながら身を乗り出して、目の前に座っていた祖父の栄次郎に向かって怒鳴り散らした。
怒鳴られた等の本人は、驚いた様子で目をぱちぱちと瞬かせている。
その状況を見て士は現状を大体理解した。大方街からの帰り道にバイクの上で自分とした会話の延長だろう。
「いや、帰れないとは言ってないよ…ただ、私にはどうやれば元の世界に帰れるか判らないって言ったんだ」
「同じ事です!」
再びテーブルを叩きながら夏海はヒステリックに叫んだ。驚いた栄次郎の肩が震える。
見兼ねて士は二人の会話に割り込んだ。
「何爺さん相手に吠えてるんだ?夏みかん。そんなんじゃ聞ける話も聞けないだろ」
「士くん…」
士は夏海の隣の椅子に腰を掛け、栄次郎と正面から向かい合った。
「爺さんも、知ってて恍けててもためにならないぜ?このままだと、夏みかんが鬼みかんなっちまうぞ?」
それを聞いてキッと夏海が士を睨みつけた。
「夏海ちゃんが鬼になったら、名前はきっと『夏鬼』———!」
と、それまで蚊帳の外にいたユウスケがそう言い掛けたが、夏海が親指をおっ立てて睨みつけたので、ユウスケはそれ以上は口を噤んだ。
「しかし、元の世界に帰ると言っても、私にはどうしたものかさっぱり…」
「恍けないでください!お爺ちゃん、いつもみたいにあの背景ロールを動かせば、この世界からも抜け出せる筈です!…さっき、私がいくら引っ張ってもびくともしなかったんです。お爺ちゃんなら動かし方、判るでしょう?」
「え?動かない?本当に?」
きょとんとした栄次郎はすくっと椅子から立ち上がると、すたすたと背景ロールの所まで行き、鎖を引っ張った。
だが、先刻の夏海と同様、栄次郎がいくら引っ張っても鎖はまったく動く気配を見せなかった。
「あれ、ホントに動かないや。もしかして錆びちゃったのかも…。油刺さないとね、油」
そう言いながら栄次郎はすたすたと撮影室から出て行ってしまった。
後に残された夏海は明らかに不服と言わんばかりの膨れっ面である。
「どうやら、爺さんは役立たずみたいだな」
士もやれやれと呆れて肩を竦めた。
「じゃあどうすれば良いんですか?どうすれば私達はこの世界から元の世界に帰れるんです?」
「やっぱり、この世界でも士が何かやるべき事をやらなきゃいけないんじゃないかな?」
「…やるべき事って?一体なんなんだ?そいつは」
士は半ば冷めた口調でユウスケに問い返した。それはこの十日間掛かっても何の手掛かりも得られなかった事だ。もし判るのなら是非とも教えてもらいたい。
「いや、それは俺にもよく判らないけど…」
が、案の定ユウスケは自信なさげにそう答えた。
「そんなのありません!仮面ライダーのいないこの世界で、一体何をしろって言うんですか?」
と、今度は夏海がヒステリック気味にその存在を真っ向から否定した。
「…でも、士にだってルイズちゃんの使い魔って役割が与えられてるんだから、何も無いって事は無いんじゃないかな?」
「もうこの世界に来て十日経ってるんですよ?なのに、何の手掛かりも見つけられないなんて、おかしいとは思わないんですか!?」
「いや…確かに今度の世界は結構長くいるなって思うけど…」
「それに使い魔って、一度契約したら死ぬまでずっとだって話じゃないですか!一生この世界に居続けろって言うんですか!?私はごめんです!そんなの!」
「…確かに、そいつは俺もごめんだな。通りすがりの仮面ライダーじゃなくなっちまうしな」
「だったら士くんももっとマジメに考えてください!」
と、突然夏海の怒りの矛先が士を向く。夏海の考えに同意してやったつもりだったが、どうやら逆効果だったらしい。
「考えるったって、"ここ"も爺さんも役に立たないのに、どうやってこの世界から脱出すりゃいいってんだ?」
「だからそれをマジメに考えてって言ってるんです!士くんからは真剣さがまるで感じられません!」
「9つの世界を全部回り終わって、俺の使命は終わったんだろ?世界は救われた。なら真剣になる必要なんて無いだろ」
「だからって、元の世界に戻れないんじゃ意味はありません!士くんだって元いた世界に帰りたいって思わないんですか!?」
「…確かに、俺の旅はお前の世界から始まったが、あそこは俺の世界じゃない。あの世界も、俺の事を拒絶していた…ここと同じくな」
と、士はテーブルの上にさっき現像してきた写真を投げ捨てた。
それは本日街で撮影して来た写真だ。街の様子や、謝礼として写させてもらったアンリエッタ王女などを撮影したものなのだが、どの写真も案の定ピンぼけだらけで、まともに写ったものは一枚とて存在していなかった。
士に言わせれば、これこそ『この世界が士の存在を拒絶している』事の証明、なのだそうだ。
「…だからですか?」
「は?」
が、士のその言葉を受けた夏海は、どうやらそこから必要以上に邪推してしまったようで、低くくぐもった声で以下のように続けた。
「士くんは結局自分の世界を見つけられなかった。だから別に元の世界に戻らなくてもいいって、そう思ってるんですね…!?」
「おい夏みかん、別に俺はそんな———」
「もういいです!士くんは一生この世界でルイズちゃんの使い魔をやってれば良いんです!元の世界には私一人だけでも帰ります!」
訂正しようとした士の言葉を遮って夏海はそうヒステリックに喚くと、そのまま踵を返して入り口の方へと駆け出した。
「おい夏海!」
「夏海ちゃん!」
男二人の静止させようとする声に構わず、夏海は撮影室を飛び出し、そして間もなく玄関が乱暴に開閉された音が撮影室にまで響く。勢いで写真館からも飛び出した事が伺える。
「…ったく、勝手にしろ」
夏海の行動に機嫌を損ねた士は、そのまま不貞腐れるようにソファの上にふんぞり返った。
「お、おい、士、追わなくていいのかよ?」
「放っておけ、どうせ今のあいつには何を言っても無駄だ」
「でも…」
夏海が飛び出して行った入り口をじっと見詰めるユウスケ。その内意を決すると、ユウスケもまた入り口に向かって駆け出した。
「やっぱり俺、気になるから夏海ちゃん探してくる!」
「あぁあぁ、勝手にしろ」
と、ユウスケは入り口に辿り着くと、そのまま先刻の夏海宜しく飛び出さず、一旦その場で立ち止まった。
「…夏海ちゃん、さ、きっと焦ってるんだよ。もうこの世界に来て十日以上、やるべき事が全然見つからなくって…」
ソファの上でふんぞり返ったまま、士は視線だけをユウスケに向ける。ユウスケも振り向き、士を見た。
「…確かにこの旅は、夏海ちゃんの世界を救うための旅だ。でも、もう半分は、…士、お前の旅でもあるんだぞ。だから、お前もしっかりしてくれよ。…俺は、どこまでもお前達に付き合うって、そう決めたから」
「ユウスケ…」
ユウスケはにこっと笑うと、士に向けて親指を立てた。
「じゃあ、俺は夏海ちゃんを追いかける。後でしっかり、仲直りするんだぞ!」
それだけ言い残してユウスケもタタタッと廊下を駆けて行った。間もなく玄関が開閉する音が響いた。
それと入れ替わりに潤滑油のスプレー缶を持って栄次郎が撮影室に戻ってくる。
「ユウスケくんまで飛び出しちゃって、キバーラちゃんもまだ帰ってこないし、士くん何か聞いてる?」
「さあな」
士は素っ気ない返事を返す。栄次郎は怪訝そうな顔で首を傾げたが、すぐに、
「ま、大丈夫か、あの子達なら」
と、頭を切り替えて今の目的を遂行する事に頭を向けた。
「…って、脚立が無きゃ届かないよ!脚立脚立!」
栄次郎はあたふたした歩調で脚立を求めて再び撮影室の扉から飛び出した。
がらんと静まり返るサロン兼撮影室。ソファに寝転がった士はそこで、栄次郎がユウスケが出て行ってからずっと思考を巡らせていた。
この世界について。
そして、自分達がこの世界に来た理由。
実のところ、この世界でのやるべき事については大体の予想がついている。
その鍵は、士に与えられた役割。ルイズと言う、魔法が使えない魔法使いの使い魔。
それと、未だに力を取り戻さないライダーカード。どんな能力を秘めているかも判らない、渦のような紋章がぼやけて描かれていた。
いつも通りならばこのカードに力が戻る時、士のこの世界での役目も終わる。そして、どうすれば力が戻るのか、士がこの世界で成すべき事は何なのか、それもだいたいわかっている。
が、そこに至るまでの道筋がごっそりと抜けているのだ。
はっきり言って士からやれる事は無いに等しい。強いて挙げるなら、その時が来るまでこのまま与えられた役割であり続ける、その程度しか思い浮かばない。何とも士らしからぬ受動的な考えである。
しかもここに来て十日以上も何事も無かったのだ、"その時"が来るのはいつになるのか、明日か、明後日か、一週間後か、一ヶ月後か…。
もしそんな事を言えばただでさえこの世界にうんざりしている夏海に更に油を注ぎ兼ねない、だから敢えてしらばっくれていたのだが、それでも結局爆発しているのだから世話がない。
「…どうしたもんかね」
士は溜息まじりに一言呟くと、クッションで顔を覆い被すとしてそのままソファーの上でふて寝を始めた。
士は今日街で撮影し、現像したばかりの相変わらずの出来映えの写真を持って少し不満げな表情のままサロンと化している撮影室に戻ると、そこに夏海の怒号が轟いた。
「帰れないってどう言う事なんですか!?」
夏海はバンとテーブルに掌を叩き付けながら身を乗り出して、目の前に座っていた祖父の栄次郎に向かって怒鳴り散らした。
怒鳴られた等の本人は、驚いた様子で目をぱちぱちと瞬かせている。
その状況を見て士は現状を大体理解した。大方街からの帰り道にバイクの上で自分とした会話の延長だろう。
「いや、帰れないとは言ってないよ…ただ、私にはどうやれば元の世界に帰れるか判らないって言ったんだ」
「同じ事です!」
再びテーブルを叩きながら夏海はヒステリックに叫んだ。驚いた栄次郎の肩が震える。
見兼ねて士は二人の会話に割り込んだ。
「何爺さん相手に吠えてるんだ?夏みかん。そんなんじゃ聞ける話も聞けないだろ」
「士くん…」
士は夏海の隣の椅子に腰を掛け、栄次郎と正面から向かい合った。
「爺さんも、知ってて恍けててもためにならないぜ?このままだと、夏みかんが鬼みかんなっちまうぞ?」
それを聞いてキッと夏海が士を睨みつけた。
「夏海ちゃんが鬼になったら、名前はきっと『夏鬼』———!」
と、それまで蚊帳の外にいたユウスケがそう言い掛けたが、夏海が親指をおっ立てて睨みつけたので、ユウスケはそれ以上は口を噤んだ。
「しかし、元の世界に帰ると言っても、私にはどうしたものかさっぱり…」
「恍けないでください!お爺ちゃん、いつもみたいにあの背景ロールを動かせば、この世界からも抜け出せる筈です!…さっき、私がいくら引っ張ってもびくともしなかったんです。お爺ちゃんなら動かし方、判るでしょう?」
「え?動かない?本当に?」
きょとんとした栄次郎はすくっと椅子から立ち上がると、すたすたと背景ロールの所まで行き、鎖を引っ張った。
だが、先刻の夏海と同様、栄次郎がいくら引っ張っても鎖はまったく動く気配を見せなかった。
「あれ、ホントに動かないや。もしかして錆びちゃったのかも…。油刺さないとね、油」
そう言いながら栄次郎はすたすたと撮影室から出て行ってしまった。
後に残された夏海は明らかに不服と言わんばかりの膨れっ面である。
「どうやら、爺さんは役立たずみたいだな」
士もやれやれと呆れて肩を竦めた。
「じゃあどうすれば良いんですか?どうすれば私達はこの世界から元の世界に帰れるんです?」
「やっぱり、この世界でも士が何かやるべき事をやらなきゃいけないんじゃないかな?」
「…やるべき事って?一体なんなんだ?そいつは」
士は半ば冷めた口調でユウスケに問い返した。それはこの十日間掛かっても何の手掛かりも得られなかった事だ。もし判るのなら是非とも教えてもらいたい。
「いや、それは俺にもよく判らないけど…」
が、案の定ユウスケは自信なさげにそう答えた。
「そんなのありません!仮面ライダーのいないこの世界で、一体何をしろって言うんですか?」
と、今度は夏海がヒステリック気味にその存在を真っ向から否定した。
「…でも、士にだってルイズちゃんの使い魔って役割が与えられてるんだから、何も無いって事は無いんじゃないかな?」
「もうこの世界に来て十日経ってるんですよ?なのに、何の手掛かりも見つけられないなんて、おかしいとは思わないんですか!?」
「いや…確かに今度の世界は結構長くいるなって思うけど…」
「それに使い魔って、一度契約したら死ぬまでずっとだって話じゃないですか!一生この世界に居続けろって言うんですか!?私はごめんです!そんなの!」
「…確かに、そいつは俺もごめんだな。通りすがりの仮面ライダーじゃなくなっちまうしな」
「だったら士くんももっとマジメに考えてください!」
と、突然夏海の怒りの矛先が士を向く。夏海の考えに同意してやったつもりだったが、どうやら逆効果だったらしい。
「考えるったって、"ここ"も爺さんも役に立たないのに、どうやってこの世界から脱出すりゃいいってんだ?」
「だからそれをマジメに考えてって言ってるんです!士くんからは真剣さがまるで感じられません!」
「9つの世界を全部回り終わって、俺の使命は終わったんだろ?世界は救われた。なら真剣になる必要なんて無いだろ」
「だからって、元の世界に戻れないんじゃ意味はありません!士くんだって元いた世界に帰りたいって思わないんですか!?」
「…確かに、俺の旅はお前の世界から始まったが、あそこは俺の世界じゃない。あの世界も、俺の事を拒絶していた…ここと同じくな」
と、士はテーブルの上にさっき現像してきた写真を投げ捨てた。
それは本日街で撮影して来た写真だ。街の様子や、謝礼として写させてもらったアンリエッタ王女などを撮影したものなのだが、どの写真も案の定ピンぼけだらけで、まともに写ったものは一枚とて存在していなかった。
士に言わせれば、これこそ『この世界が士の存在を拒絶している』事の証明、なのだそうだ。
「…だからですか?」
「は?」
が、士のその言葉を受けた夏海は、どうやらそこから必要以上に邪推してしまったようで、低くくぐもった声で以下のように続けた。
「士くんは結局自分の世界を見つけられなかった。だから別に元の世界に戻らなくてもいいって、そう思ってるんですね…!?」
「おい夏みかん、別に俺はそんな———」
「もういいです!士くんは一生この世界でルイズちゃんの使い魔をやってれば良いんです!元の世界には私一人だけでも帰ります!」
訂正しようとした士の言葉を遮って夏海はそうヒステリックに喚くと、そのまま踵を返して入り口の方へと駆け出した。
「おい夏海!」
「夏海ちゃん!」
男二人の静止させようとする声に構わず、夏海は撮影室を飛び出し、そして間もなく玄関が乱暴に開閉された音が撮影室にまで響く。勢いで写真館からも飛び出した事が伺える。
「…ったく、勝手にしろ」
夏海の行動に機嫌を損ねた士は、そのまま不貞腐れるようにソファの上にふんぞり返った。
「お、おい、士、追わなくていいのかよ?」
「放っておけ、どうせ今のあいつには何を言っても無駄だ」
「でも…」
夏海が飛び出して行った入り口をじっと見詰めるユウスケ。その内意を決すると、ユウスケもまた入り口に向かって駆け出した。
「やっぱり俺、気になるから夏海ちゃん探してくる!」
「あぁあぁ、勝手にしろ」
と、ユウスケは入り口に辿り着くと、そのまま先刻の夏海宜しく飛び出さず、一旦その場で立ち止まった。
「…夏海ちゃん、さ、きっと焦ってるんだよ。もうこの世界に来て十日以上、やるべき事が全然見つからなくって…」
ソファの上でふんぞり返ったまま、士は視線だけをユウスケに向ける。ユウスケも振り向き、士を見た。
「…確かにこの旅は、夏海ちゃんの世界を救うための旅だ。でも、もう半分は、…士、お前の旅でもあるんだぞ。だから、お前もしっかりしてくれよ。…俺は、どこまでもお前達に付き合うって、そう決めたから」
「ユウスケ…」
ユウスケはにこっと笑うと、士に向けて親指を立てた。
「じゃあ、俺は夏海ちゃんを追いかける。後でしっかり、仲直りするんだぞ!」
それだけ言い残してユウスケもタタタッと廊下を駆けて行った。間もなく玄関が開閉する音が響いた。
それと入れ替わりに潤滑油のスプレー缶を持って栄次郎が撮影室に戻ってくる。
「ユウスケくんまで飛び出しちゃって、キバーラちゃんもまだ帰ってこないし、士くん何か聞いてる?」
「さあな」
士は素っ気ない返事を返す。栄次郎は怪訝そうな顔で首を傾げたが、すぐに、
「ま、大丈夫か、あの子達なら」
と、頭を切り替えて今の目的を遂行する事に頭を向けた。
「…って、脚立が無きゃ届かないよ!脚立脚立!」
栄次郎はあたふたした歩調で脚立を求めて再び撮影室の扉から飛び出した。
がらんと静まり返るサロン兼撮影室。ソファに寝転がった士はそこで、栄次郎がユウスケが出て行ってからずっと思考を巡らせていた。
この世界について。
そして、自分達がこの世界に来た理由。
実のところ、この世界でのやるべき事については大体の予想がついている。
その鍵は、士に与えられた役割。ルイズと言う、魔法が使えない魔法使いの使い魔。
それと、未だに力を取り戻さないライダーカード。どんな能力を秘めているかも判らない、渦のような紋章がぼやけて描かれていた。
いつも通りならばこのカードに力が戻る時、士のこの世界での役目も終わる。そして、どうすれば力が戻るのか、士がこの世界で成すべき事は何なのか、それもだいたいわかっている。
が、そこに至るまでの道筋がごっそりと抜けているのだ。
はっきり言って士からやれる事は無いに等しい。強いて挙げるなら、その時が来るまでこのまま与えられた役割であり続ける、その程度しか思い浮かばない。何とも士らしからぬ受動的な考えである。
しかもここに来て十日以上も何事も無かったのだ、"その時"が来るのはいつになるのか、明日か、明後日か、一週間後か、一ヶ月後か…。
もしそんな事を言えばただでさえこの世界にうんざりしている夏海に更に油を注ぎ兼ねない、だから敢えてしらばっくれていたのだが、それでも結局爆発しているのだから世話がない。
「…どうしたもんかね」
士は溜息まじりに一言呟くと、クッションで顔を覆い被すとしてそのままソファーの上でふて寝を始めた。
勢いのまま写真館を飛び出した夏海は、ズンズンと『自分は今大変不機嫌です』と主張するかの如く重い歩調でひたすら夜の魔法学院の中庭を進んでいた。
頭に浮かぶのは士に対する不平不満ばかり。
自分はただ、早く自分の世界に帰りたい。滅びに瀕したあの世界が、本当に救われたのか確かめたい。ごく当たり前の主張をしているだけなのに、何故士はああも非協力的なのだろうか。
大体最初からそうなのだ。のらりくらりと現れて、いつの間にか写真館に居着かれて、そこまではまぁ1000歩譲って許すとしても、掛けるのはいつも迷惑ばかり。その上世界の滅亡とか9つの世界を巡る旅だとか、厄介ごとばかりを背負う羽目になって、挙げ句帰れない。
旅の同行を決心したのは自分だけれど、全てが終わって帰れないってのは如何なものか。最低限、帰ろうとする努力はするのは筋ではなかろうか?
———などと考えている内にますます腹が立ってくる。
すると何処かで見覚えのある薔薇を加えた金髪くんが甘い声で囁いてきた。が、一睨みしたら血相を変えて逃げてった。失礼な。
…しかし、このまま宛も無く学院を歩き回ってるワケにもいかない、と、今更な問題に直面する。
いくらここが学院の敷地内である程度治安が保証されているとは言え、裏を返せば年頃の男女がごく当然のように闊歩しているのだ。さっきの金髪くんのように下心丸出しで声をかけてくる子もいるだろう。中には強引な子もいるかもしれ
ない。
とにかく早急に最低限安心出来る寝床の確保が急がれる。
が、冷静に考えてみるとこの魔法学院で頼れる所は数える程も無い。差し当たってルイズの部屋くらいだろうか。
「…仕方ありません、ルイズちゃんにお願いしてみましょう」
と、それまで明確な目的地を持たなかった足が女子寮の方角に向く。
これで少なくとも野宿だけは免れる。…伝聞で耳にしたこの世界の平民と貴族の関係を考えると、床で寝る事にはなりそうだが、それでも野宿よりかはマシだ。
…それにしても、何で自分ばっかりこんな目に遭うんだろう。
大体一刻も早くこの世界を脱出して元の世界に帰りたい夏海が写真館を飛び出して寝床に困ると言うのも変な話である。そう言うのはむしろこの世界に留まりたがってる(と思われる)士の役目だろうに。
———なんて考えているとまたもや腹が立ってくる。それはもうあれもこれもこの世の悪い事は全て士の所為に思える程に。
それではまるで鳴滝のようではあるが、今の夏海はそんな鳴滝の気持ちも判らんでも無かった。
———が、そんな夏海の前に、噂の人物がヌッと立ち塞がる。
「鳴滝さん…!」
茶色い帽子に茶色いコート、眼鏡を掛けた特徴的な身形の中年の男性は、これまでの旅で度々夏海の前に姿を現し、ディケイドへの警告を発してきた鳴滝その人である。
「ディケイドはとうとうにこの世界にまで足を踏み入れてしまった。最早一刻の猶予もない」
「…え?」
問い返す夏海。だが鳴滝は構わず続ける。
「ディケイドがもしもこの世界で"力"を手に入れてしまえば、もう誰の手にも負えない存在となってしまう…。その前に、ディケイドは排除しなくてはならない!」
この世界の力?夏海は鳴滝の言葉の中に聞き逃せない単語を見つけた。
一体なんなのだ?この世界とディケイドに、一体何の関係があるのだと言うのだ?
「どう言う事ですか?ライダーのいないこの世界に、一体どんな力があるって言うんですか?」
「それはとてつもなく危険な力だ。ディケイドと同じく、世界を破壊しうる力…!そして、もしもその力がディケイドに渡ってしまったら全てが終わる。全ての世界が、ディケイドによって破壊されてしまう!」
「全ての…世界が…!?」
「急がねばならない。ディケイドは本来の力を取り戻しつつある。そしてこの世界の"力"を手に入れてしまえば、もう誰にもディケイドを止める事は出来ない!そうなる前に、ディケイドを排除しなければならない!」
「…でも、私達はもうすぐこの世界を離れます!そうすればあなたの言う"力"だって手に入らない、士くんは悪魔になんてなりません!」
「いや、ディケイドは存在している事自体が許されないのだ。存在そのものを葬り去らねば、何の解決にもならない!」
「そんな…」
「…夏海、協力して欲しい。共にディケイドを倒し、世界を救うために」
「協力…?」
「そうだ。ディケイドをこのまま野放しにしておけば、いずれ君の世界も被害に遭う。ディケイドを倒す事は、君の世界を救う事にも繋がるのだ」
そう言って、鳴滝は夏海に手を差し伸べた。協力するのならこの手を取れ、と言う事だろうか。
だが夏海はその手を取る事を躊躇した。
「…どうした?何故手を取らない?」
「…私には、とても士くんが破壊者だなんて思えません。だって士くんはこれまで、9つの世界を救ってきたんです!」
先の一件で士に対する印象が最悪に近くなったとは言え、士がこれまでの旅でやって来た事が嘘になった訳ではない。その姿は世界の破壊者何かではない、世界を救う英雄、仮面ライダーそのものである。
「違う!ディケイドは世界を破壊してきたのだ!惑わされてはダメだ!」
「そんなの嘘です!破壊された世界の人達がみんな…あんな良い顔になる筈がありません!」
夏海は士がこれまでの世界で撮ってきた写真を思い浮かべた。そこに写っていたのは皆、安堵感や希望、笑顔、どれも心を和やかにしてくれるものばかりだ。とても破壊された世界の人達だなんて夏海には思えない。
「何故判らないんだ…夏海…!」
業を煮やした鳴滝が、一歩前に踏み出し、強引に夏海の手首を掴み掛かろうとした。
「いやっ…!」
咄嗟に小さな悲鳴を上げ、夏海は一歩後ずさる。
「ナツミ!後に飛びなさい!」
だがその時、突如その場に第3者の声が響いた。
夏海は咄嗟に声に従ってその場から後に飛び退くと、声が聞こえた方向から飛んで来た火球がそれまで夏海がいた場所の芝生を燃やし、炎の壁が夏海と鳴滝を遮った。
そして火球を放った主が、炎に照らされた地面をまるで舞台の上を歩いているような優雅な足取りで、真っ赤な髪を掻き揚げながら二人の前に姿を現した。
「キュルケさん!」
夏海に名を呼ばれたキュルケはそちらにウインクして見せると、敵意のある視線と共にその手に持った杖の切っ先を鳴滝に向けた。
「お邪魔だったら謝るけれど、どう見ても逢い引きって感じじゃないわよね。…あんた何者?学院の関係者じゃないわよね?どうやって侵入したかは知らないけれど、大人しくお縄に付いてもらうわよ」
キュルケはそのままじりじり鳴滝との距離を詰める。もしも妙な動きをしたらさっきの炎で今度は火だるまにしてやるつもりだ。
だが、鳴滝はキュルケを一瞥するだけで、すぐにそちらから視線を外すと、炎の向こう側にいる夏海に向き直った。
「どうやら邪魔が入ってしまったようだ。仕方が無いから今日の所は出直そう」
それに激昂したのはキュルケである。まるで自分を警戒するまでもない、ただの邪魔虫であるかのように扱われたと感じたのだ。
「ちょっ…!あたしを無視すんじゃないわよ!」
腹を立てたキュルケが再び『ファイヤーボール』のルーンを唱え、鳴滝に向けて放つ。
今度は服の裾にでも火を着けてやや強引にでも自分に振り向かせようと画策したのだが、火球は突如地面からせり上がって来たオーロラに阻まれ掻き消えてしまった。
「嘘っ!?」
驚くキュルケ。だが鳴滝はキュルケの事などまるで意に介さず、言葉を続ける。
「だが忘れないでいて欲しい、ディケイドがあの力を…"虚無"の力を手に入れた時、全てが終わる事を…!」
「"キョム"の…力?」
「虚無ですって?」
鳴滝はそれだけ言い残すと、オーロラと共に姿を消してしまった。
「消えた…!?」
キュルケはキョロキョロと辺りを見回したが、鳴滝の姿はもう何処にも見えない。完全にその場から姿を消していた。
「…一体なんなのよあいつ、あんな魔法、見た事も聞いた事も無いわ」
やがてキュルケは小さく肩を竦めると鳴滝の事は諦め、残された夏海の方に向き直った。とりあえずこちらに事情を聞く事にしたようだ。
「大丈夫?怪我は…無いみたいね。あなた、あの男とは知り合いみたいだったけど、少し話し聞かせてもらえないかしら?」
「話…ですか?」
確かに知り合いと言えば知り合い、ではあるが、実際の所夏海も鳴滝について知っている事は殆ど無い。なので話そうにも話せる事も殆ど無いのだ。
「———成る程、理由もよく判らず付き纏われてるのね。あなた達も難儀してるわねぇ」
「え、えぇ、まぁ…」
と言う事でとりあえずその事を差し障り無いように伝えた。夏海達が異世界から来たと言う話もルイズだけしか知らないので、その辺りも暈して。
「ま、いいわ。あいつの魔法は気になるけど、直接害があるってワケじゃなさそうだし。…それより一つ、あなたにどうしても聞いておかなきゃいけない事があるんだけど?」
と、キュルケはそれまでとは態度を一変させて、まるで獲物を睨みつける蛇のような視線を夏海に向けた。
「な、なんですか…?」
夏海は蛇に睨まれた蛙の如く身構え、キュルケの次の言葉を待った。
「あの男に言った、『私達はもうすぐこの世界から離れる』って、一体どう言う事?」
瞬間、ドキッと夏海の心臓が高鳴った。
「…いつから、私達の話を聞いてたんですか?」
「あら、勘違いしないでよ、別に盗み聞きするつもりは無かったのよ。たまたま偶然、通り掛ったらあなた達の会話が聞こえてきたの。それに話の内容の半分以上があたしにはさっぱりだったしね。
でも『この世界から離れる』って所は別よ。言い方はちょっとピンとこないけど、つまりそれってツカサやユウスケとこの学院から出て行くって事よね?とても見過ごせないわ」
「…あなたには、関係ありません」
ここまでの流れをばっさりと断ち切るような夏海の一言に、流石のキュルケもカチンと来た。
「関係なくなんてわよ!愛しの殿方を二人も失うかどうかって話なんだから、到底無視出来ないわ!」
「…前から思ってましたけど、あなたのそう言う考え方、不潔です」
「随分な言い方ね、あたしはただ純粋に二人に恋をしているだけよ。あなたは世の恋する女性全てを不潔だって言うつもりかしら?」
「そうじゃなくって、男の人なら誰でも彼でもそう言う目で見てるのが不健全なんです!」
「誰でも彼でもじゃないわよ、流石に年行ってるおじ様や子供は対象外よ。それに女は恋に生きる生き物よ。あなただって一人や二人、誰かに恋した事あるでしょう?」
「そ、それは、人並みには……って、だ、だからってあなたなんかと一緒にしないでください!……もう良いです!これ以上あなたと話しても無駄みたいです!私、もう行きますから!」
そう言って夏海は不毛な会話を切り上げると、ルイズの部屋に向かうべく女子寮へと足を向けた。
だがそれは写真館とはまったくの逆方向、それを目敏いキュルケが見落とす筈が無い。
「あら?そっちは逆じゃない?あなたのお家はあっちでしょう?」
「良いんです、こっちで!私にだって色々と事情があるんですから!」
だがキュルケはそれだけで瞬時に大体のあらましを理解し、まるで子供が新しい悪戯を思いついたかのように嫌らしくにやついた。
「あらぁ?もしかして、ツカサと喧嘩でもしちゃったのぉ?」
瞬間、夏海の足がぴたりと止まる。声は出さなかったが、ほぼ『図星』であると言ったも同然である。
キュルケの口元が更に吊り上がる。
「あらら。大方、喧嘩の勢いで家を飛び出した手前、戻れないからとりあえず今夜だけでもヴァリエールの部屋に転がり込もうってところかしら?」
キュルケが発言する度に夏海の方が小さくピクリ、ピクリと波打つ。まるでその場を実際に見ていたような、ほぼそのまんまズバリ、否定や反論する気力さえもを削がれる程の的中率である。
「でも残念ね。ルイズったら帰って早々寝ちゃったみたいよ。今日相当疲れたみたいだったからね、精神的に。それにあのコ、低血圧みたいだから、一度寝ちゃったら滅多な事じゃあ起きないわよ?」
それを聞いてあからさまに夏海の気が滅入った。文字通り、ついさっきまで縋り付こうとしていた希望の光が絶たれたのだ。
しかし落ち込んでも仕方が無い。ルイズの部屋がダメとなると他の場所を当たるしか無い。
「なんならあたしに部屋に一晩泊めてあげても良いわよ?愚痴を聞いてあげるオマケ付きでね?」
と、夏海が他の心当たりを巡らせていると、思いもよらぬ申し出がキュルケの口から飛び出した。
不審に思いつつ振り返ってキュルケの表情を見てみると、ニコニコ微笑みながらまるで新しい玩具を手に入れた子供のように目を輝かせていた。
「結構です。シエスタさんにでも頼んでみますから」
夏海はきっぱりとキュルケの申し出を断って、足を本塔の厨房に向けた。
シエスタとは特に仲が良いと言うか、ぶっちゃけただの顔見知り、ルイズを通して何度か顔を合わせたくらいで、会話すらあまりした記憶があまり無い間柄だが、他に女性の知り合いと言えば彼女くらいしか思い浮かばない。
「シエスタ?…あぁ、最近何かとルイズと一緒にいるあのメイドの事ね。確かに平民同士、良いかもしれないわね。…でも良いのかしら?聞いた話じゃ、"出る"みたいよ?」
「な、何がですか…?」
「平民の寮は貴族の寮と違って整備が行き届いてないからね、良く出るみたいよ?…鼠とか、すばしっこい黒いアレとか…」
それを聞いて夏海の背筋が凍り付く。
"出る"と聞いて真っ先に幽霊を思い浮かべたが、それなら似たようなモノに3体同時に取り憑かれた事もあるのである程度大丈夫である。が、鼠とか黒いアレとかはダメだ。こればっかりは何度遭遇しても耐性なんてつかない。特に黒いアレ。
「どうする?多少汚いのを覚悟して心を許せる平民の部屋に行く?それとも、気に喰わない相手だけど清潔面には保証出来る貴族の部屋に行くか…?」
夏海に、選択の余地は無かった。
頭に浮かぶのは士に対する不平不満ばかり。
自分はただ、早く自分の世界に帰りたい。滅びに瀕したあの世界が、本当に救われたのか確かめたい。ごく当たり前の主張をしているだけなのに、何故士はああも非協力的なのだろうか。
大体最初からそうなのだ。のらりくらりと現れて、いつの間にか写真館に居着かれて、そこまではまぁ1000歩譲って許すとしても、掛けるのはいつも迷惑ばかり。その上世界の滅亡とか9つの世界を巡る旅だとか、厄介ごとばかりを背負う羽目になって、挙げ句帰れない。
旅の同行を決心したのは自分だけれど、全てが終わって帰れないってのは如何なものか。最低限、帰ろうとする努力はするのは筋ではなかろうか?
———などと考えている内にますます腹が立ってくる。
すると何処かで見覚えのある薔薇を加えた金髪くんが甘い声で囁いてきた。が、一睨みしたら血相を変えて逃げてった。失礼な。
…しかし、このまま宛も無く学院を歩き回ってるワケにもいかない、と、今更な問題に直面する。
いくらここが学院の敷地内である程度治安が保証されているとは言え、裏を返せば年頃の男女がごく当然のように闊歩しているのだ。さっきの金髪くんのように下心丸出しで声をかけてくる子もいるだろう。中には強引な子もいるかもしれ
ない。
とにかく早急に最低限安心出来る寝床の確保が急がれる。
が、冷静に考えてみるとこの魔法学院で頼れる所は数える程も無い。差し当たってルイズの部屋くらいだろうか。
「…仕方ありません、ルイズちゃんにお願いしてみましょう」
と、それまで明確な目的地を持たなかった足が女子寮の方角に向く。
これで少なくとも野宿だけは免れる。…伝聞で耳にしたこの世界の平民と貴族の関係を考えると、床で寝る事にはなりそうだが、それでも野宿よりかはマシだ。
…それにしても、何で自分ばっかりこんな目に遭うんだろう。
大体一刻も早くこの世界を脱出して元の世界に帰りたい夏海が写真館を飛び出して寝床に困ると言うのも変な話である。そう言うのはむしろこの世界に留まりたがってる(と思われる)士の役目だろうに。
———なんて考えているとまたもや腹が立ってくる。それはもうあれもこれもこの世の悪い事は全て士の所為に思える程に。
それではまるで鳴滝のようではあるが、今の夏海はそんな鳴滝の気持ちも判らんでも無かった。
———が、そんな夏海の前に、噂の人物がヌッと立ち塞がる。
「鳴滝さん…!」
茶色い帽子に茶色いコート、眼鏡を掛けた特徴的な身形の中年の男性は、これまでの旅で度々夏海の前に姿を現し、ディケイドへの警告を発してきた鳴滝その人である。
「ディケイドはとうとうにこの世界にまで足を踏み入れてしまった。最早一刻の猶予もない」
「…え?」
問い返す夏海。だが鳴滝は構わず続ける。
「ディケイドがもしもこの世界で"力"を手に入れてしまえば、もう誰の手にも負えない存在となってしまう…。その前に、ディケイドは排除しなくてはならない!」
この世界の力?夏海は鳴滝の言葉の中に聞き逃せない単語を見つけた。
一体なんなのだ?この世界とディケイドに、一体何の関係があるのだと言うのだ?
「どう言う事ですか?ライダーのいないこの世界に、一体どんな力があるって言うんですか?」
「それはとてつもなく危険な力だ。ディケイドと同じく、世界を破壊しうる力…!そして、もしもその力がディケイドに渡ってしまったら全てが終わる。全ての世界が、ディケイドによって破壊されてしまう!」
「全ての…世界が…!?」
「急がねばならない。ディケイドは本来の力を取り戻しつつある。そしてこの世界の"力"を手に入れてしまえば、もう誰にもディケイドを止める事は出来ない!そうなる前に、ディケイドを排除しなければならない!」
「…でも、私達はもうすぐこの世界を離れます!そうすればあなたの言う"力"だって手に入らない、士くんは悪魔になんてなりません!」
「いや、ディケイドは存在している事自体が許されないのだ。存在そのものを葬り去らねば、何の解決にもならない!」
「そんな…」
「…夏海、協力して欲しい。共にディケイドを倒し、世界を救うために」
「協力…?」
「そうだ。ディケイドをこのまま野放しにしておけば、いずれ君の世界も被害に遭う。ディケイドを倒す事は、君の世界を救う事にも繋がるのだ」
そう言って、鳴滝は夏海に手を差し伸べた。協力するのならこの手を取れ、と言う事だろうか。
だが夏海はその手を取る事を躊躇した。
「…どうした?何故手を取らない?」
「…私には、とても士くんが破壊者だなんて思えません。だって士くんはこれまで、9つの世界を救ってきたんです!」
先の一件で士に対する印象が最悪に近くなったとは言え、士がこれまでの旅でやって来た事が嘘になった訳ではない。その姿は世界の破壊者何かではない、世界を救う英雄、仮面ライダーそのものである。
「違う!ディケイドは世界を破壊してきたのだ!惑わされてはダメだ!」
「そんなの嘘です!破壊された世界の人達がみんな…あんな良い顔になる筈がありません!」
夏海は士がこれまでの世界で撮ってきた写真を思い浮かべた。そこに写っていたのは皆、安堵感や希望、笑顔、どれも心を和やかにしてくれるものばかりだ。とても破壊された世界の人達だなんて夏海には思えない。
「何故判らないんだ…夏海…!」
業を煮やした鳴滝が、一歩前に踏み出し、強引に夏海の手首を掴み掛かろうとした。
「いやっ…!」
咄嗟に小さな悲鳴を上げ、夏海は一歩後ずさる。
「ナツミ!後に飛びなさい!」
だがその時、突如その場に第3者の声が響いた。
夏海は咄嗟に声に従ってその場から後に飛び退くと、声が聞こえた方向から飛んで来た火球がそれまで夏海がいた場所の芝生を燃やし、炎の壁が夏海と鳴滝を遮った。
そして火球を放った主が、炎に照らされた地面をまるで舞台の上を歩いているような優雅な足取りで、真っ赤な髪を掻き揚げながら二人の前に姿を現した。
「キュルケさん!」
夏海に名を呼ばれたキュルケはそちらにウインクして見せると、敵意のある視線と共にその手に持った杖の切っ先を鳴滝に向けた。
「お邪魔だったら謝るけれど、どう見ても逢い引きって感じじゃないわよね。…あんた何者?学院の関係者じゃないわよね?どうやって侵入したかは知らないけれど、大人しくお縄に付いてもらうわよ」
キュルケはそのままじりじり鳴滝との距離を詰める。もしも妙な動きをしたらさっきの炎で今度は火だるまにしてやるつもりだ。
だが、鳴滝はキュルケを一瞥するだけで、すぐにそちらから視線を外すと、炎の向こう側にいる夏海に向き直った。
「どうやら邪魔が入ってしまったようだ。仕方が無いから今日の所は出直そう」
それに激昂したのはキュルケである。まるで自分を警戒するまでもない、ただの邪魔虫であるかのように扱われたと感じたのだ。
「ちょっ…!あたしを無視すんじゃないわよ!」
腹を立てたキュルケが再び『ファイヤーボール』のルーンを唱え、鳴滝に向けて放つ。
今度は服の裾にでも火を着けてやや強引にでも自分に振り向かせようと画策したのだが、火球は突如地面からせり上がって来たオーロラに阻まれ掻き消えてしまった。
「嘘っ!?」
驚くキュルケ。だが鳴滝はキュルケの事などまるで意に介さず、言葉を続ける。
「だが忘れないでいて欲しい、ディケイドがあの力を…"虚無"の力を手に入れた時、全てが終わる事を…!」
「"キョム"の…力?」
「虚無ですって?」
鳴滝はそれだけ言い残すと、オーロラと共に姿を消してしまった。
「消えた…!?」
キュルケはキョロキョロと辺りを見回したが、鳴滝の姿はもう何処にも見えない。完全にその場から姿を消していた。
「…一体なんなのよあいつ、あんな魔法、見た事も聞いた事も無いわ」
やがてキュルケは小さく肩を竦めると鳴滝の事は諦め、残された夏海の方に向き直った。とりあえずこちらに事情を聞く事にしたようだ。
「大丈夫?怪我は…無いみたいね。あなた、あの男とは知り合いみたいだったけど、少し話し聞かせてもらえないかしら?」
「話…ですか?」
確かに知り合いと言えば知り合い、ではあるが、実際の所夏海も鳴滝について知っている事は殆ど無い。なので話そうにも話せる事も殆ど無いのだ。
「———成る程、理由もよく判らず付き纏われてるのね。あなた達も難儀してるわねぇ」
「え、えぇ、まぁ…」
と言う事でとりあえずその事を差し障り無いように伝えた。夏海達が異世界から来たと言う話もルイズだけしか知らないので、その辺りも暈して。
「ま、いいわ。あいつの魔法は気になるけど、直接害があるってワケじゃなさそうだし。…それより一つ、あなたにどうしても聞いておかなきゃいけない事があるんだけど?」
と、キュルケはそれまでとは態度を一変させて、まるで獲物を睨みつける蛇のような視線を夏海に向けた。
「な、なんですか…?」
夏海は蛇に睨まれた蛙の如く身構え、キュルケの次の言葉を待った。
「あの男に言った、『私達はもうすぐこの世界から離れる』って、一体どう言う事?」
瞬間、ドキッと夏海の心臓が高鳴った。
「…いつから、私達の話を聞いてたんですか?」
「あら、勘違いしないでよ、別に盗み聞きするつもりは無かったのよ。たまたま偶然、通り掛ったらあなた達の会話が聞こえてきたの。それに話の内容の半分以上があたしにはさっぱりだったしね。
でも『この世界から離れる』って所は別よ。言い方はちょっとピンとこないけど、つまりそれってツカサやユウスケとこの学院から出て行くって事よね?とても見過ごせないわ」
「…あなたには、関係ありません」
ここまでの流れをばっさりと断ち切るような夏海の一言に、流石のキュルケもカチンと来た。
「関係なくなんてわよ!愛しの殿方を二人も失うかどうかって話なんだから、到底無視出来ないわ!」
「…前から思ってましたけど、あなたのそう言う考え方、不潔です」
「随分な言い方ね、あたしはただ純粋に二人に恋をしているだけよ。あなたは世の恋する女性全てを不潔だって言うつもりかしら?」
「そうじゃなくって、男の人なら誰でも彼でもそう言う目で見てるのが不健全なんです!」
「誰でも彼でもじゃないわよ、流石に年行ってるおじ様や子供は対象外よ。それに女は恋に生きる生き物よ。あなただって一人や二人、誰かに恋した事あるでしょう?」
「そ、それは、人並みには……って、だ、だからってあなたなんかと一緒にしないでください!……もう良いです!これ以上あなたと話しても無駄みたいです!私、もう行きますから!」
そう言って夏海は不毛な会話を切り上げると、ルイズの部屋に向かうべく女子寮へと足を向けた。
だがそれは写真館とはまったくの逆方向、それを目敏いキュルケが見落とす筈が無い。
「あら?そっちは逆じゃない?あなたのお家はあっちでしょう?」
「良いんです、こっちで!私にだって色々と事情があるんですから!」
だがキュルケはそれだけで瞬時に大体のあらましを理解し、まるで子供が新しい悪戯を思いついたかのように嫌らしくにやついた。
「あらぁ?もしかして、ツカサと喧嘩でもしちゃったのぉ?」
瞬間、夏海の足がぴたりと止まる。声は出さなかったが、ほぼ『図星』であると言ったも同然である。
キュルケの口元が更に吊り上がる。
「あらら。大方、喧嘩の勢いで家を飛び出した手前、戻れないからとりあえず今夜だけでもヴァリエールの部屋に転がり込もうってところかしら?」
キュルケが発言する度に夏海の方が小さくピクリ、ピクリと波打つ。まるでその場を実際に見ていたような、ほぼそのまんまズバリ、否定や反論する気力さえもを削がれる程の的中率である。
「でも残念ね。ルイズったら帰って早々寝ちゃったみたいよ。今日相当疲れたみたいだったからね、精神的に。それにあのコ、低血圧みたいだから、一度寝ちゃったら滅多な事じゃあ起きないわよ?」
それを聞いてあからさまに夏海の気が滅入った。文字通り、ついさっきまで縋り付こうとしていた希望の光が絶たれたのだ。
しかし落ち込んでも仕方が無い。ルイズの部屋がダメとなると他の場所を当たるしか無い。
「なんならあたしに部屋に一晩泊めてあげても良いわよ?愚痴を聞いてあげるオマケ付きでね?」
と、夏海が他の心当たりを巡らせていると、思いもよらぬ申し出がキュルケの口から飛び出した。
不審に思いつつ振り返ってキュルケの表情を見てみると、ニコニコ微笑みながらまるで新しい玩具を手に入れた子供のように目を輝かせていた。
「結構です。シエスタさんにでも頼んでみますから」
夏海はきっぱりとキュルケの申し出を断って、足を本塔の厨房に向けた。
シエスタとは特に仲が良いと言うか、ぶっちゃけただの顔見知り、ルイズを通して何度か顔を合わせたくらいで、会話すらあまりした記憶があまり無い間柄だが、他に女性の知り合いと言えば彼女くらいしか思い浮かばない。
「シエスタ?…あぁ、最近何かとルイズと一緒にいるあのメイドの事ね。確かに平民同士、良いかもしれないわね。…でも良いのかしら?聞いた話じゃ、"出る"みたいよ?」
「な、何がですか…?」
「平民の寮は貴族の寮と違って整備が行き届いてないからね、良く出るみたいよ?…鼠とか、すばしっこい黒いアレとか…」
それを聞いて夏海の背筋が凍り付く。
"出る"と聞いて真っ先に幽霊を思い浮かべたが、それなら似たようなモノに3体同時に取り憑かれた事もあるのである程度大丈夫である。が、鼠とか黒いアレとかはダメだ。こればっかりは何度遭遇しても耐性なんてつかない。特に黒いアレ。
「どうする?多少汚いのを覚悟して心を許せる平民の部屋に行く?それとも、気に喰わない相手だけど清潔面には保証出来る貴族の部屋に行くか…?」
夏海に、選択の余地は無かった。