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GIFT-EX01



 GIFT EXTRA-CHAPTER
 イザベラと性悪妖精




 薄暗く、無性に広かった。
 部屋に配置されたいくつかの魔法のランプの灯り、それだけでは、広い空間の全てを照らすことは不可能だった。
 だが、そんなものをまるで気にすることなく、イザベラ・ド・ガリアはふんぞり返った。
 普段なら、その後ろには侍女たちが数人控えているいるはずだが、本日この場に限っては……。
 イザベラの、その驕慢な暴威を受ける被害者は存在しない。
 あくまでも、秘密裏に彼女はここにいるのだから。
 プチ・トロワ。その名で呼ばれる薄桃の小宮殿の地下深くに、その場所はあった。
 「五つの力を司るペンタゴン……。我が運命の使い魔を召喚……」
 ゆっくりと、できるだけ慎重に呪文を詠唱しながら、イザベラは杖を振った。
 数秒の静寂の後、床を強い振動が走り抜け、イザベラの足を払った。
 「っきゃあああ!!」
 日常の彼女を知る人間ならば、こう思うだろう。
 誰かが魔法でその姿を模しているのではないかと。
 年相応の甲高い悲鳴をあげて、プチ・トロワの主は床に転倒した。
 したたかに体を打ちつけ、イザベラはしばらく周囲のあらゆるものが回転して見えた。
 ようやく体を持ち上げた時、
 「なんだい、こりゃあ……」
 イザベラは脱力して、一国の姫君には相応しからぬ、頓狂な声をあげた。
 簡単に言ってしまえば、イザベラの前には見たこともない部屋があった。
 一体どこからきたものかはわからないが、誰かの住居であったと思われるものの一部が、まるごとそこにあった。
 「まさか、これが……???」
 私の使い魔だってのかい? こんなもんが……?!
 イザベラの心を、強い絶望感が腐肉に群がる蝿みたいに飛びまわり始めた。
 ――無能姫。
 誰かが、嘲笑したような錯覚を覚える。
 けれども――傲慢なプリンセスは少々しぶとかった。
 ゆっくりと深呼吸の後、イザベラは部屋の中に足を踏み入れる。
 そこは本当に未知の空間だった。
 うっすらと小さく、しかし彼女が知るどんな魔法のランプよりもハッキリと周辺を照らし出す灯り。
 何に使うのか、さっぱりわからない道具類の数々……。
 その中にはあきらかに武器と思われるものの多かった。
 さらに部屋を形どっている材質の多くには、鉄でも木でもない、不思議な材質が使われていた。
 「こいつぁ、ひょっとして……」
 とんでもない宝の山じゃあないのかい。
 最初は、期待したような幻獣でないことに失望したものの、こいつはこいつで大当たりとも言えはしないか。
 未知のマジックアイテムの宝物庫(あえてそういうことにしておく)。
 どこの国からやってきたものかはわからないが、サモン・サーヴァントで召喚した以上……。
 こいつは全部、あたしのものさ。
 ニヤニヤと笑いながら、イザベラは宝物庫を見まわした。
 何度も首を左右へと振った後、
 なんだ?
 何か奇妙なものを見て、顔をしかめる。
 よく確認してみようと近づいた時、
 「うわあああ!!」 
 イザベラは大声をあげて、後ろへとさがった。
 そこには、顔があった。
 尖った長い耳をし、長い顔をした、黄金の目を持つ緑色の怪物の顔が。
 背中に軽い衝撃を感じても、イザベラはしばらくその顔から眼を離せなかった。
 形相の怪物は牙を剥き出しにしながら、ジッとイザベラを睨みつけている。
 今にも飛びかかり、イザベラの喉を喰い破りそうだった。
 しかし、どれほどたっても怪物はそこから動きもしなければ、吼えもしなかった。
 「…………おい」
 その怪物が、ただの仮面であることを理解した時、イザベラは失笑していた。
 「なんだ、なんだい! 脅しやがってさ……」
 恐怖に震えた自分を、恥ずかしさを誤魔化すように、他に誰もいないのにイザベラは大声で叫ぶ。
 そのおかげで体を揺する拍子に、パチリと自分の指が何か触れたことに気づかなかった。
 いきなり、イザベラがもたれかかっていた後ろの壁が消え去った。
 「……え?」
 軽いながらも衝撃が背中から腹に突きぬけて、イザベラは咳き込みそうになった。
 もたれていた壁が消え去り、その奥に小さな空間があった。
 小さい――とはいっても、大の大人が十分体を動かせる規模である。
 なんだい、ここは?
 未知だけしかない空間の中、イザベラは歓喜と興奮のせいで周囲への注意をおろそかにしていた。
 それがまずかった。
 イザベラのいる小部屋近くの装置が明滅を繰り返し、文字や画像を映し出していることに気がつかなかった。
 空気が抜けるような音をあげて、ガラスの扉が締められた時は、すでに手遅れだったのだ。
 イザベラは血相を変えて激しく扉を叩くが、恐ろしく強固なそれはびくりともしない。
 やがて小部屋には緑色のガスが充満し始める。
 ほんのわずかにそれを吸っただけで、イザベラの肺はただれ、腐りそうだった。
 「おい、誰か!? 誰かいないか!? 誰か!!」
 扉を叩き続けながら、イザベラは叫び続けるが、ここに自分以外の誰もいないことは、イザベラ自身がよく知っていることだ。
 そうだ。魔法。
 ようやく気づいて杖を手に取った時、イザベラは全身の力が抜けていくのを感じた。
 ちくしょう……。こいつは、宝の山なんかじゃない。罠だったんだ。
 先ほど狂喜した分だけ、いや、その何倍もの悔しさがイザベラの中で破裂していた。
 体中の血管が吹き飛びそうだった。
 血管だけではない。体中のあらゆる箇所が沸騰し、ぐつぐつと蒸気を発しているかのようだ。
 全身が、まるで悪魔にでも憑依されたかのように震えている。
 毛穴から、マグマと化した血液が噴き出すような気分だった。
 不思議なことだが、苦痛と思われた恐ろしい感覚はいつの間にか、全身に漲る活力と変わっていた。
 生まれてこのかた、イザベラはこれほどのエネルギーを自分の中で感じたことはない。
 イザベラは快楽の哄笑をあげようとした。
 だが、口から出たのは獣のような咆哮だけだった。
 やがてイザベラは、己があげ続ける咆哮の中に飲み込まれていった。
 そして……。


 いつの間にか、イザベラは夢の中にいた。
 モノクロに包まれたその世界は、古い昔の夢だった。
 まず不可能なことだが……。
 イザベラが見るその情景、夢という自身の記憶や感情から構成されるものを、もし第3者が見ることあれば。
 人によってはその感想は大きく異なるのは間違いないが、このヴェルサルテイルの住人が見れば――
 多くのものはこう答えるかもしれない。
 ガリアがまだ平穏であった頃のものだと……。
 確かに、ある意味でそれは正しいかもしれない。
 けれど、また別の視点から見るのならば、少なくともイザベラ自身にとっては、平穏とは言い難いものだった。
 それは今だって変わりはないのだけど。
 白と黒だけの世界に、ひそひそと小さな声が飛び交っている。
 それは夏場に、ゴミ箱の上を飛び回る蝿の群れの羽音にも似ていた。
 胸がムカムカし、頭の裏側から頂点に向かって不快感が走っている。
 白黒の重く、巨大なドアが見えた。
 声は、そのドアの向こうから聞こえてくるのだ。
 ――やはり、血は争えませんな。
 お反吐の出るようなにやけ面をしているのが、嫌でも想像できる声だった。
 べちゃりと粘着質な、優越感とか、蔑みの感情をミックスしてどろどろに煮込めばこんな声が出るのだろう。
 いつの間にか、ドアの前に幼いイザベラが立っていた。
 イザベラはくっつきそうなほどにドアに頭を近づけて、そのまま石になったみたいに動かない。
 「おい、やめろ! 聞くな、それ以上は聞くな! 嫌な気持ちになるだけだ!!」
 イザベラは幼い自分に向かって叫ぶが、何の変化もない。
 声は、届いていなかった。
 それは、幼いイザベラが幻影に過ぎないからなのか、それとも何かがイザベラの声を妨げているのか。
 「聞くなって言ってるんだよ、このクソ餓鬼がっ!!」
 もがきながら、イザベラは必死になって叫び続ける。
 けれども、必死で出しているはずの声は、夢の中ではまるっきり意味を成さない。
 幼いイザベラはただ、そこに立っているままなのだ。
 なおもイザベラが声を出そうとすると、いきなり雷鳴が走った。
 〝いいや、聞け!! 世の中の真実というのものを知るべきだ!!〟
 それは雷鳴ではなく、恐ろしい声だった。
 聞いているだけで震えが走るような、混じり気のない邪悪の咆哮だった。
 悪魔の声だ。
 イザベラは、本能的にそう思った。
 あんな声が、人間の喉から出るはずがないのだ。
 そうでなければ、魔女の声だ。
 幼い頃、寝物語に聞いたことがある。
 真夜中に邪悪な獣に乗って飛び回り、人間の子供をさらい、餌食にする魔女の話を。
 あの声こそは、その魔女なのだ。
 ドアの向こうの声は、なおも続く。
 ――やはり、無能の娘は、無能ということですか?
 下卑た笑いがドアの向こうでこだました。
 ――ああ、シャルロット様はすでに基礎の魔法は扱えるようになっておられるのに……。
 ――あの無能な姫君はろくに呪文も覚え切れていない。先が思いやられますな。
 幼いイザベラはぎゅっとドレスの裾をつかんでいる。
 唇を噛み締めて、震えている。
 どうして、こんな惨めな思いをしなければいけないの?
 わたしは、おひめさまなのに?
 眼に見えぬ波紋のようなものを介して、幼いイザベラの声が、イザベラの中に響いてくる。
 「馬鹿が……」
 イザベラは唾を吐きたくなってうつむいた。
 「だから、聞くなって言ったんだ」
 声は、なおも続き、そればかりかどんどんと大きくなっていくようだった。
 ――シャルロット様。
 ――シャルロット様。
 ――シャルロット様。
 ――さすがシャルロット様。
 ――それに引き換え……。
 ――イザベラ様はダメね。
 ――威張ってばかりで、ろくなものじゃないわ。
 ――シャルロット様のほうが……。
 ――イザベラ様よりもずっと……。
 ――無能者のくせに!
 ――簒奪者の娘が!!
 ――シャルロット様こそ、本当の王女。
 ――シャルロット様。
 ――シャルロット様。
 ――シャルロット様。
 ――シャルロット様、万歳!!
 ――シャルロット様、万歳!!
 ――シャルロット様、万歳!!
 「やめろ、やめろ!! やめてよ!! こんなのみんな嘘!!」
 万雷の叫びがあがる中で、イザベラは必死で耳を押さえ、首を振った。
 〝嘘ではないぞ、厳然たる真実だ!!〟
 無数の声を引き裂き、あの魔女の声が響いた。
 「いつまで誤魔化すつもりだ? 現実を直視しろ。無能な暗愚、名ばかりの王女、無能王の娘、王位の簒奪者。それがお前だ」
 魔女は無慈悲な声でイザベラを嘲笑った。
 「ちくしょう!! 私に、こんなもの見せて、何が楽しいんだよ!!」
 イザベラは半泣きになって姿なき魔女に向かって叫ぶ。
 〝この愚か者め!! お前には物事の真実がわかっていない〟
 「真実!? 私が無能だって、王女じゃないってことかい!?」
 〝その通りだ〟
 声が嘲笑う。
 〝それというのも、全ての貴様の愚かさが原因だ!!〟
 「私が、私がシャルロットよりも、劣ってるから、魔法の力がないから、そうだってんだろ!? わかってるさ!!」
 イザベラはヒステリックになって叫ぶ。
 〝馬鹿め、それがわかっていない証拠だ!!〟
 「どうしたらいいってのさ!!」
 〝王者に必要なもの、それは愚民どもを恐怖させること、平伏させる強さだ。魔法などという狭い範囲のものではない〟
 「……何が言いたい?」
 〝魔法などというのは、ひとつの手段にすぎない。肝心なのは結果だ。いかなる方法であってもな……〟
 声は、獣がうなるような含み笑いをした。
 「お前、誰だ!!」
 〝私か? 私がお前の心の友さ!! 常にお前と共に歩んできた友だよ!!〟
 げらげらと、魔女は笑う。
 きっと、大きな黒鍋の中へ子供を煮込む時も、こんな声を出すに違いない。
 邪悪な哄笑を聞くうちに、イザベラはひどい頭痛を覚えた。
 ガンガンと、頭の中で鉄の鐘が打ち鳴らされているみたいだった。
 〝忘れるな……。お前は、私と共にある。私は……だ〟
 魔女の声を聞きながら、イザベラが自分の周辺が暗闇に飲まれていることに気づいた。
 驚いた時にはすでに手遅れで、イザベラの体は血の匂いに満ちた闇の中に飲み込まれていく。
 そうした状況の中で、イザベラは気づく。
 いつしか、闇が自分と一体となっていることにだ。
 だが、それも間違いだった。
 闇は、周辺からあふれ出ているのではなかった。
 イザベラ自身の中から、無限に流れ出ているのだ。
 闇は、モノクロの世界をどんどん覆っていく。
 全てを、黒く覆っていくのだ。
 ここに存在するあらゆるものを、自分自身と同じものに……。
 闇はイザベラの世界を覆い尽くした。
 文字通り暗黒の世界だ。
 しかし、そこは闇という字面に反し、あらゆるものがよく見えた。


 目の前で、扉が開く。
 未知のマジックアイテムの数々。
 自分自身の――『使い魔』だ。
 詳しく調べたいところだが、今はもっと違うことがしたかった。
 イザベラは、外に出たかった。
 新たに生まれ変わったこの体で、この瞳で、ヴェルサルテイルを見てみたかった。
 体が羽根みたいに軽く、それでいて今まで感じたこともないような活力が沸いてきている。
 何と素晴らしい気分か!
 イザベラは晴れ晴れとした気分で地下室を出た。
 衛兵以外眠りこけているであろう深夜のプチ・トロワを、イザベラは風のように歩いていく。
 星の見えるバルコニーにつくまで、どの程度の時間がいっただろう。
 夜空を見上げて、イザベラは両手を広げる。
 神よ、始祖よ、この世のあらゆるものよ! 我を祝福せよ!
 月に向かって、そう吼えてやりたかった。
 興奮がおさまりきらぬ中、いつになく鋭敏になったイザベラの視聴覚は闇の中で蠢く者たちを捉える。
 何故、そいつらに近づこうと思ったのかはわからない。
 イザベラの体は自然とバルコニーから飛び降り、容易く地面に着地していた。
 その高さから考えて、無茶苦茶な行動だった。
 フライの魔法を使えばいいだろうが、この時イザベラは魔法どころか杖すら持ってはいなかったのだ。
 メイジの命とも言える杖を。
 品のない男二人が、品のない会話を交わしている。
 あそこの酒場はどうだとか、あそこの女は具合がどうだとか、そんなものだ。
 そいつらはイザベラに気づくと、まるで化け物にでも会ったような顔で槍を向けた。
 不愉快なクソどもだ。
 王族への礼儀ってものをわきまえていない。
 イザベラは不快になった。
 ここで働かせている以上は、最低限の礼儀くらいは覚えさせておけ!
 まったく、こんなのを自分の宮殿に警護させているというのは、悪意すら感じさせる。
 だから、その槍を奪って思い切り殴りつけてやるくらい、当然のことだった。
 叩きつけられた衛兵は地面にぺしゃりと貼り付けられたようになって動かない。
 情けない奴だ。
 それで何をどう護衛をするつもりか。
 役立たず極まりない。
 間抜け面でこっちを見ているもう一匹。
 こいつは魔法で片付けてやるか。
 そう考えながら魔力を集中させるが……。
 いつもと勝手が違う。
 何かおかしいと思ったら、杖がない。
 これでは魔法など使えるわけがなかった。
 しかし、そこは大した問題ではないような気持ちだった。
 杖がない。
 呪文が唱えられない。
 そこはそれだ。
 まあ、そう深刻に受け止めるほどの問題ではない。
 細胞の一つ一つが、そう言っているような気がした。
 なるほど、お前らが言うんだったら間違いはないね。
 イザベラは構うことなく、魔力の集中を続ける。 
 腕から手の平にかけて、ある種の流れが起こっている。
 風が吹いているのだ。
 冷気を孕んだ、魔力の風だった。
 ただ、肉体の命じるままに、イザベラは手を振った。
 そこから放たれた無数の氷刃が間抜け面を切り刻んだ。
 不思議なことに、風属性の魔法を使っているのに、感覚としてはコモン・マジックを使っているようだった。
 属性というより、より純粋な力そのものを放出したような気分だ。
 間抜け面は数メートルほど吹っ飛んで身動きもしない。
 心臓や頭に、でかくて鋭い氷がいくつも突き刺さっているのだから無理もない。
 こいつで生きているなら、そのほうが恐怖だ。
 人間一人を殺したというのに、イザベラはまったく動揺していなかった。
 むしろ、それを喜んでいる。
 構いやしない。
 あの蝿みたいなうるさくって不潔なゴミ野郎が一匹くたばったところで――
 そいつが一体何だというのだ?
 よく落ちついて考えてみるのなら、この城に救っている連中で、殺すのを躊躇われる奴がいるのか。
 ヘコヘコしていても、その裏でシャルロットやオルレアン派に尻尾を振っているような屑ばかりだ。
 いいや、いない!
 そんな虫けらどもを今まで踏み潰してこなかった自分は、何と寛大だったのだろう。
 まったく手放しで褒めてやりたいところだ。
 だが、優しいばかりではダメだ。
 甘やかされたペットは大抵ろくでもないことになる。
 だから、これからは方針を変えなくっちゃいけない。
 そうとも。
 まだ遅くはないはずだ。
 イザベラは笑っていた。
 杖もなしに魔法を使えたこと。
 その威力は、本来イザベラのレベルではまず考えられないような代物であること。
 これらについて、一片の思考すらしなかった。
 ただ事態を愉しんでいるだけだ。
 おまけに、ひどく冷静に。
 自分が使用したものが『魔法ですらない』ということ。
 そんなことなど、まったく知る由もなかった。
 少なくとも――
 偉大なる始祖ブリミルが作り上げたというメイジの魔法とも、先住と呼ばれる亜人たちが使用する精霊魔法とは異なるもの。
 それに間違いはなかった。
 ただ……氷刃とごく小規模なブリザードを発生させたその行為は、イザベラの属性と魔力からなるものだ。
 そういった意味では、彼女の使用したものは、魔法と言えなくもなかった。
 イザベラは倒れる男たちを一瞥する。
 二度と下品な会話も、王族の無礼も働くことはなくなった。
 さっぱりとした気分だった。
 それでも、まだ興奮はおさまらない。
 衝動に任せ、イザベラは跳んだ。
 いや、飛んだ?
 その体がくるくると宙を舞った。
 いつか見た、大同の軽業師よりも身軽に、そして力強く。
 飛べる。
 魔法なしでも、こんなにも自由に飛べる。




 あいつは、誰からも愛されるお姫様だ。
 時期国王は間違いないと言われる聡明な父、優しい母、従順な家臣。
 私の持ってないものを、全部持ってた。
 それが羨ましくって、妬ましかった。
 あいつは魔法を成功させるために、その才能を見せつける度に、みんなから褒められてた。
 小さな頃の私は、それを睨むことしかできなかった。
 あいつは、イーヴァールディの勇者が好きだった。
 メイジですらないのに、竜も悪魔も恐れない勇者様。
 ホントのことを言うと、私もちょっと憧れてた。
 無能って呼ばれる私を抱き上げてくれる、私だけの勇者様。
 そんな人が現れないかなって、思ってた。
 でもさ……今は、違うよ。
 私は、ここで〝勇者様〟を待ってるわけじゃない。
 私は風を家来にして、私が飛べるってことを、見せつけてやる。
 そう、高く飛べるんだ!!




 「姫殿下……。姫殿下」
 自分を呼ぶ声を聞いて、イザベラは鉛みたいに重くなった頭を上げた。
 調子に乗ってワインを飲みすぎた翌日みたいだ。
 陰口をきくしか楽しみのないような使用人どもが、今の自分を見れば二日酔いだと思うかもしれない。
 絶対に思う。
 しかし、そいつは大きな間違いだ。
 まるで安い娼婦のような仕草で髪をかきあげ、イザベラは――
 「なに?」
 不機嫌に応えた。
 まだ起きるには幾分早い時間だ。
 途端に、外の声は聞こえなくなる。
 舌打ちをしてベッドを降りると、できるだけゆっくりとドアを開けるべく行動する。
 ドアノブに手をかけるわけではない。
 姫君が住まうに相応しい豪奢な部屋。
 そのドアは、主導でも普通に開くが、自動開閉する魔法のドアでもある。
 イザベラがぱちりと指を鳴らすと、すーっとした動作で、扉は開かれた。
 外では、比較的高いクラスにいる侍女が、青い顔をしていた。
 「なによ?」
 「あ、あのそ、の、実は……
 侍女は蛇の前で震えているドブネズミみたいに、意味のない言葉を繰り返しているだけだ。
 こいつは私をコケにするために起こしたのか?
 魔法で鼻の頭の切ってやろうか、と思った。
 実際に行動を移しかけて、イザベラは自分の失敗を自覚した。
 杖がないのだ。
 昨夜、あの〝使い魔〟を召喚した時、地下室に忘れてきたらしい。
 予備の杖がないではないが、わざわざそれを取りに行くのも間抜けだ。
 運のいい奴め。
 そう思いながら、イザベラは居丈高に言う。
 「なに? と聞いているのよ。それとも、ちょっと呼んでみたかっただけとでも言うつもり? たかが侍女の分際で」
 「も、申し訳ございません!!」
 侍女は悲鳴のような声をあげ、非礼を詫びる。
 「じ、実はその、とんでもないことが起こりまして……」
 「何よ? あのガーゴイル娘が謀反でも起こしたって?」
 「い、いえ! その、昨夜衛兵が二人変死したのでございます」
 「――なんですって?」
 イザベラは酷薄な笑みを消して、侍女を睨んだ。
 衛兵が死んだ?
 昨夜だって!
 起き抜けでぼやけていた頭を、洪水のようにフラッシュバックが襲う。
 「あ、あの姫殿下?」
 黙り込んだイザベラを、侍女は不安げな顔で見る。
 くそ、その間抜け面を近づけるな!
 イザベラの目が血走る。
 「そんなことは、適当に処理しときな!!」
 ヒステリックに怒鳴り散らし、イザベラは王女らしからぬ粗暴な動作で扉を閉めた。
 そして、一人になった。
 ベッドに倒れこみ、昨夜のことを思い返す。
 一体自分に何があった?
 何をしてしまったのだ?
 手がぶるぶると酒毒にかかった乞食みたいに震えている。
 「やだよ……。何なんだよ……?」
 イザベラは両手を顔で覆い、いやいやと首を振った。
 昨夜のあれは、ただの夢だ。
 使い魔を召喚したのも……それが事実だったとしても、衛兵が死んだことに関係はない。
 「そうさ、関係はないんだ……」
 グラスにワインを注ぎ、一気にあおる。
 刺激が喉を熱くしながら胃の中へ滑り降りる。
 熱い息が漏れた時、幾分か落ちついた気がした。
 〝いい加減にするんだな、イザベラ……似合いもしないぞ、悲劇のヒロインの真似事は〟
 その声に、イザベラは自分の心臓が破裂したのではないかと思った。
 部屋の誰かがいる。
 ぱしゃりと、ワインの残ったグラスが絨毯の上に落ちた。
 聞こえたのは、この世のものではない、地獄に住む魔女の声だ。
 イザベラは必死の形相で部屋中を見回す。
 あの魔女は、どこに潜んでいる?
 「どこだ?」
 〝そうしらばっくれるなよ、心の友よ〟
 魔女は嘲笑う。
 〝その悪寒の先をたどってみろ、ほうら、私はそこにいるぞ?〟
 その声に操られるように、イザベラは視線を泳がせる。
 イザベラとそっくり同じ姿をした少女がそこで笑っている。
 まるで悪魔のように。
 だが、いくら近づいても、触れようとしても無駄なことだろう。
 何故なら、青い魔女がいる場所は鏡の中だったのだから。
 〝たかが蛆虫が二匹死んだだけのことじゃないか?〟
 鏡の中で、もう一人イザベラは笑う。
 こいつは悪夢なのか。
 それとも誰かが仕組んだたちの悪いジョークなのか。
 どっちもごめんだ。
 イザベラは頭を抱え込んだ。
 「ちくしょう……何が望みだ」
 〝私の望み? お前の口にできないことを語り、お前のやれぬことをやる。そして……邪魔者を排除する〟
 魔女は大声で笑った。
 「やっぱり、アレはお前がやったのか!?」
 〝我々がやったのだ〟
 「違う……」
 〝黙れイザベラ、貴様のその態度には反吐が出る〟
 かぶりを振るうイザベラを、魔女は痛罵した。
 〝貴様は弱虫だ。普段ふんぞり返っているくせに、いざとなれば泣き言ばかり並べる〟
 いいか、ようく聞け――と魔女は口上を続けた。
 〝まず最初に、現実を直視しろ。お前に味方などいない〟
 この一言で、イザベラの心臓に見えない楔が叩き込まれた。
 それは彼女自身がわかっていて、しかし、認められずにいたことだ。
 〝これまでの人生を思い返せばわかりそうなものだぞ? まあ、お前とてそれなりの努力はした。あくまでも、それなりだがな〟
 悲鳴を上げようとしたが、声にはならなかった。
 代わりに出てくるのは、あ、う、という気味の悪い呼吸だけだった。
 〝だが、それは全て無駄だった。どれほどもがこうが、お前はドット、今後成長できたとしてもラインになれるか、だろう〟
 ジッと、魔女はイザベラを凝視する。
 慈悲の欠片もないような邪悪そのものの瞳で。
 〝お前は落ちこぼれだ。王族でありながら、その体たらく。まあ、不良品、できそこないはどこでも生まれるものだが〟
 イザベラは目を見開いて鏡を睨みつけた。
 自分とそっくり同じ姿をした魔女は、ニヤニヤと笑いながらこっちを見ている。
 虫の手足を遊びでちぎって行く子供のように。
 〝イザベラ、これはとてもシンプルなことなのだ……〟
 ゆっくりと教え諭すように魔女は続ける。
 〝お前は実の親にさえ、必要とされていない。愛されてはいない〟
 「違う!」
 イザベラは否定した。
 でも、本当にそうだろうか?
 父であるジョゼフの顔が思い浮かぶ。
 あの人は――必死で父のことを考えようとして、イザベラは愕然とする。
 自分は父のことなど、何も知らない。
 物心ついた時から、ほとんど父と話したことがなかった。
 でも、そうだとしても、きっと父上は。
 そんなイザベラの思いを、魔女は容赦なく踏みにじった。
 〝誰にも、お前を愛さなくてはならない義務などないのだ〟
 違う。
 だって父上は。
 母上は。
 父とはどんな人だろう?
 母上はもう死んじゃったじゃないか。
 頭の中がぐるぐると渦を巻く。
 何も考えられないような気分だった。
 〝そもそも何故お前を愛さなくてはならない? 愚かで無能な、お前のようなものを……〟
 もう嫌だ。
 こんな奴の言葉なんか聴きたくない。
 こいつの顔を見るのもうんざりだ。
 だが、イザベラの瞳は、その意思を無視して、ジッと魔女を見つめている。
 〝お前は神にすら愛されていないのだ〟
 魔女は詩人でも気取るように独唱した。
 神に愛されぬ者。
 なら私は何故生まれてきた?
 何故メイジに、この国の王族に生まれてきた?
 〝シャルロット、奴は神に愛されて生まれてきた〟
 指を振りながら、魔女は哂う。
 〝今は一見不遇の時代にいるようだが……それは誤りだ〟
 ああ、嫌だ。嫌だ。
 泣きたいのに、イザベラは泣けなかった。
 〝友に恵まれ、忠臣に恵まれ、使い魔に恵まれている。美貌、知恵、魔法の才能。これらは言うまでもないのだろう〟
 シャルロット。
 ああ、自分にないあらゆる良いものを与えられたたった一人の従妹。
 イザベラはあの従妹のことを思い出し、ようやく理解した。
 何故イザベラがイザベラに生まれついたのか。
 〝いずれこの国の玉座につき、賞賛と栄光に満ちた人生を送る……だが、お前は〟
 そう、私は。
 〝いずれ、王女の座から転がり落ち、処刑されるだろう。誰にもかえりみられず、な〟
 答えはシンプルなものだ。
 イザベラ・ド・ガリアは、シャルロットという存在をより輝かせるために、その踏み台となるために生まれた。
 偉大なる神の御手によって。
 〝お前はこの世に生まれ落ちた時から、敗者だったのだ〟
 そうとも。
 仕方がないじゃないか!
 神がそのように望まれたのだから。
 〝しかし……そのシナリオにも、狂いが生じた。世の中はままならないものだ。それが――〟
 「お前か?」
 〝その通り〟
 魔女は満足げに微笑む。
 〝いいか? この一件でお前が得た素晴らしい利点を考えてみろ。お前は得たのだ、純然たるパワーをな!〟
 「ああ」
 イザベラはうなずく。
 まだその全てを把握し切れてはいないが……確かにパワーを感じる。
 以前の自分にはなかったパワーを!!
 そしてあの異境の秘宝。
 それらを操ることができたなら、さらに強大なものをイザベラは手に入れられる。
 もはや恐れるものはない。
 望んでいたものを、ただ遠慮することなくつかめばいいだけのことだ。
 「すでに、害はなされた……。そうだね?」
 その時、イザベラはようやく笑うことができた。
 清々しい気分だった。
 今まで背負ってきた無駄なものを、一気に放り捨てたようだ。
 爽快にならないはずがない。
 敬虔な坊主どもはきっとこう言うに違いない。
 始祖を侮辱するのか、と。
 だが、自分を愛さぬ神や憐れみひとつかけてくれない始祖を、何故敬う必要がある?
 あいつらに何が出来るものか。
 ただ、上から見ているだけじゃないか。
 イザベラは笑い、手の平を広げた。
 中開になった五指の間で、冷気が生じる。
 冷気は即座に拳ほどの氷塊へと変わっていく。
 一気に、部屋の温度が下がっていった。
 ベッドに、家具に、無数の霜が降りていた。


 はるかに遠い世界で、ノーマン・オズボーンという男を緑色の悪鬼に変えた薬品。
 魔法の薬。
 OZ。
 それは、魔法の支配する世界・ハルケギニアで、青い悪鬼を生み出した。
 氷と冷気を支配する、霜の悪鬼を……。





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