「ぐはっ!!?」
神聖アルビオン共和国皇帝オリヴァー・クロムウェルは個室にて付き人のデブデダビデに殴られ、盛大に吹っ飛んだ。
そしてそのままゴロゴロと床を転がり、壁にドスンとぶち当たってようやく停止する。
「う、う、うぅ、ぐ……!」
呻き声を上げながら立ち上がるアルビオン皇帝。
その姿からは、威厳や風格といった類のものはカケラも感じられなかった。
「……あぁ、皇帝陛下? 俺の聞き間違いだったら悪いから、先程貴様が口にしたことをもう一度だけ言って貰えるか?」
「ヒ、ヒィ……!」
付き人に凄まれ、クロムウェルはガタガタと震えながらも再びその言葉を告げる。
「わ、私は……私は恐いのです、ミスタ! ミスタ・デブデダビデ!! あのアインストという正体不明のバケモノは我が国の各地に出没し、軍はその対応に手一杯!
その上トリステインとゲルマニアが攻め込んで来ました!! アインストに引き付けられたせいで艦隊の対応は遅れ、奴らとの戦闘によって我が軍の艦隊はほぼ壊滅状態に陥り、しかも敵は要所であるシティオブサウスゴータを今夜にも……」
ペラペラと『いかに我が軍が窮地に立たされているか』を語るクロムウェル。
彼の顔には、追い詰められた切実さや悲愴感がにじみ出ていた。
だがそれを聞いたデブデダビデは不機嫌そうに舌打ちをすると、ヅカヅカとクロムウェルの元まで歩いていき、その身体を無造作に蹴り飛ばした。
「ごぇえっ!!」
叫び声を上げつつ、またもや床を転がるクロムウェル。
そして小太りの男は露骨に呆れた様子を見せながら、痩せた小男に語りかける。
「今更何を言っている。俺も聞いた話でしかないが、『王になってみたい』と言ったのは貴様ではないのか?」
「そ、それは……確かにその通りですが……」
かつての出来事がクロムウェルの脳裏をよぎる。
もう三年も前になるだろうか。
当時ただの司教でしかなかったクロムウェルが、ちょっとした届け物の用事でガリアの首都リュティスに向かった時のこと。
何の気なしに立ち寄った酒場で、物乞いの老人に酒を一杯おごり……。
神聖アルビオン共和国皇帝オリヴァー・クロムウェルは個室にて付き人のデブデダビデに殴られ、盛大に吹っ飛んだ。
そしてそのままゴロゴロと床を転がり、壁にドスンとぶち当たってようやく停止する。
「う、う、うぅ、ぐ……!」
呻き声を上げながら立ち上がるアルビオン皇帝。
その姿からは、威厳や風格といった類のものはカケラも感じられなかった。
「……あぁ、皇帝陛下? 俺の聞き間違いだったら悪いから、先程貴様が口にしたことをもう一度だけ言って貰えるか?」
「ヒ、ヒィ……!」
付き人に凄まれ、クロムウェルはガタガタと震えながらも再びその言葉を告げる。
「わ、私は……私は恐いのです、ミスタ! ミスタ・デブデダビデ!! あのアインストという正体不明のバケモノは我が国の各地に出没し、軍はその対応に手一杯!
その上トリステインとゲルマニアが攻め込んで来ました!! アインストに引き付けられたせいで艦隊の対応は遅れ、奴らとの戦闘によって我が軍の艦隊はほぼ壊滅状態に陥り、しかも敵は要所であるシティオブサウスゴータを今夜にも……」
ペラペラと『いかに我が軍が窮地に立たされているか』を語るクロムウェル。
彼の顔には、追い詰められた切実さや悲愴感がにじみ出ていた。
だがそれを聞いたデブデダビデは不機嫌そうに舌打ちをすると、ヅカヅカとクロムウェルの元まで歩いていき、その身体を無造作に蹴り飛ばした。
「ごぇえっ!!」
叫び声を上げつつ、またもや床を転がるクロムウェル。
そして小太りの男は露骨に呆れた様子を見せながら、痩せた小男に語りかける。
「今更何を言っている。俺も聞いた話でしかないが、『王になってみたい』と言ったのは貴様ではないのか?」
「そ、それは……確かにその通りですが……」
かつての出来事がクロムウェルの脳裏をよぎる。
もう三年も前になるだろうか。
当時ただの司教でしかなかったクロムウェルが、ちょっとした届け物の用事でガリアの首都リュティスに向かった時のこと。
何の気なしに立ち寄った酒場で、物乞いの老人に酒を一杯おごり……。
―――「司教。酒のお礼に望むものを一つ、あなたにあげよう。言ってごらんなさい」―――
―――「望むもの? ハハ、そうだな。それならば王になってみたい」―――
―――「望むもの? ハハ、そうだな。それならば王になってみたい」―――
無論、酒の席でのたわむれの言葉だ。
物乞いに『望むものをあげよう』などと言われて、本気にする者はまずいない。
しかしその翌日の朝、宿泊した宿にガリアの魔法騎士が現れ、あれよあれよと言う間にラグドリアン湖まで連れられ、水の精霊から『アンドバリ』の指輪を奪うことになり……。
気が付いたら、一介の地方司教にすぎなった自分は『レコン・キスタ』の盟主となってアルビオン王国に戦いを挑んでいたのだ。
なお、この目の前のデブデダビデという男が派遣されてきたのは、そのアルビオン王国との戦いの末期のことである。
「おお……、空の上のこの大陸だけで、小物の私には過ぎたるものでありましたものを……。何ゆえにトリステインやゲルマニアへ攻め込む必要があったのでありましょうか?」
「『聖地』とやらの奪還のためだろう。……貴様らハルケギニアの人間、特にブリミル教徒にとっては気の遠くなるほどの年月をかけた至上の目的だと聞いているぞ」
「私とて聖職者の端くれであります。聖地回復は夢であることに間違いはないのですが……」
「それならば民の先頭に立ち、その夢に向けて邁進していろ」
こともなげに言うデブデダビデに向かって、クロムウェルは今にも号泣しかねない勢いでまくし立てる。
「わたっ、私には荷が重過ぎるのです! 敵が……我が国土に敵が攻め込みました!! あの無能な王たちのように私を吊るそうと、敵がやって来たのです!! どうすればいいのでしょうか!!?
あのお方は! あのお方は確実にこの忌まわしい国に兵をよこしてくれるので……」
「チッ」
再び露骨に舌打ちするデブデダビデ。
もはやいちいち殴ったり蹴ったりするのも面倒になってきたらしい。
「……だが、その指輪にはもう一働きしてもらわねばならん」
「は?」
デブデダビデは足下にすがり付いてくるクロムウェルの腕を左手で掴み、強引に捻り上げた。
「ぎぃぁぁああああっ!!」
「わめくな。腕がなくとも生きている奴などいくらでもいる」
ミシミシと音を立てるクロムウェルの腕。
その先端、指に嵌められていた『アンドバリ』の指輪に、デブデダビデは視線を集中させる。
「な、何……を?」
クロムウェルはいきなり妙な行動を取り始めたデブデダビデへと問いかけるが、彼はアルビオン皇帝であるはずの男をほぼ完全に無視し続けていた。
「容れ物は……フン、取りあえずアレでいいか」
空いている右手で近くにあった小さめの水差しに手を伸ばし、フタを外して指輪の近くまで持ってくる。
そしてクロムウェルの腕を掴んでいるデブデダビデの左腕が淡く光りだし……。
「ぁ……ぁ、が、ぐぎゃぁぁぁあああああああああああああああ!!!!」
「やはり俺では、干渉による抽出は不可能なようだな……。力尽くで搾り出すしかないか」
ビギビギとクロムウェルの腕から指にかけてヒビが入るかのように裂傷が走り、それに合わせてクロムウェルも絶叫を上げる。しかしデブデダビデは構わずその手を光らせ続けた。
『アンドバリ』の指輪は光に呑み込まれ、やがて指輪自体も光を放ち……、
ぽたっ、ぽたっ。
まるで溶け出していくかのようにして指輪から水差しへ雫がこぼれ落ちていき、その水差しに数滴ほど雫が注がれた時点でデブデダビデの手の発光は消えていく。
なお、水差しにはクロムウェルの血も決して少なくない量が入っていたが、それに関してはやはり無視されていた。
「……こんなものだな。まったく、エネルギーの抽出などという繊細な作業は得意分野じゃないんだが……。まあ我が神は混沌をお望みだからな、仕方がないか」
水差しの中の液体を揺らしながら、デブデダビデは息をつく。
どうやらそれなりに疲れる作業だったらしい。
「さて、どのタイミングで使うのがベストなのだろうな」
そのまま歩いて部屋から出ようとするデブデダビデ。
しかし、そんな彼に腕をズタズタにされたアルビオン皇帝が悲痛な様子で声を荒げた。
「お、お待ちください!! どこへ、どこへ行かれるのですか!!!?」
「あ?」
デブデダビデはいかにも面倒そうにクロムウェルを見る。
「……ああ、少し出かけてくるだけだよ。心配するな」
「本当ですな!? 戻って来られるのでしょうな!?」
「しつこいな。俺にも色々と仕事があって、お前にばかり構っているわけにはいかないんだよ。その指輪は精神安定剤の代わりにくれてやるから、それで何とか上手くやれ」
「そ、そんなことを言われましても……!!」
血まみれの腕を引きずりながら、クロムウェルはまたデブデダビデにすがり付こうとする。
そんなクロムウェルに対してデブデダビデはわずらわしさを隠そうともせず、いい加減に対応した。
「あー……アレだ。確かトリステインの教育機関を占拠して、貴族のガキを人質にしようってプランがあっただろう。それで起死回生でも狙え」
そう言えば決行は今夜だったかな、と首をひねりながらデブデダビデは言う。
だがクロムウェルは納得しない。
「失敗すれば何とします!! 逆に言えば、それしか起死回生の手段はないのですぞ!!」
「別に負けると決まったわけでもないだろう。サウス……なんとかという街も陥落するとは限らんし」
「ミスタ……!?」
まるでこの戦争の行方などどうでもいい、と言わんばかりのデブデダビデにクロムウェルは大いに困惑した。
どういうことだ。
この男は自分の補佐をし、アルビオンを勝利に導くためにガリアから使わされたはずではなかったのか。
口をパクパクと激しく開閉させながら何とか二の句を継ごうとするクロムウェルだったが、しかし小太りの男はそんな暇も与えずに一方的に喋る。
「まあ、いずれにせよ明日だ。……明日の夜が明ける頃には、その二つの結果が出る。その報告を大きく構えて待つのがお前の仕事、ということだな」
そして水差しを持ったまま部屋を去っていくデブデダビデ。
「お、お待ちを!! ミスタ!! せめて、せめてガリアが兵をよこしてくれるという確実な保証を……!!」
アルビオン皇帝は必死に声を張り上げて自分の付き人を呼び止めようとするが、その相手が皇帝の方を振り向くことはなかった。
物乞いに『望むものをあげよう』などと言われて、本気にする者はまずいない。
しかしその翌日の朝、宿泊した宿にガリアの魔法騎士が現れ、あれよあれよと言う間にラグドリアン湖まで連れられ、水の精霊から『アンドバリ』の指輪を奪うことになり……。
気が付いたら、一介の地方司教にすぎなった自分は『レコン・キスタ』の盟主となってアルビオン王国に戦いを挑んでいたのだ。
なお、この目の前のデブデダビデという男が派遣されてきたのは、そのアルビオン王国との戦いの末期のことである。
「おお……、空の上のこの大陸だけで、小物の私には過ぎたるものでありましたものを……。何ゆえにトリステインやゲルマニアへ攻め込む必要があったのでありましょうか?」
「『聖地』とやらの奪還のためだろう。……貴様らハルケギニアの人間、特にブリミル教徒にとっては気の遠くなるほどの年月をかけた至上の目的だと聞いているぞ」
「私とて聖職者の端くれであります。聖地回復は夢であることに間違いはないのですが……」
「それならば民の先頭に立ち、その夢に向けて邁進していろ」
こともなげに言うデブデダビデに向かって、クロムウェルは今にも号泣しかねない勢いでまくし立てる。
「わたっ、私には荷が重過ぎるのです! 敵が……我が国土に敵が攻め込みました!! あの無能な王たちのように私を吊るそうと、敵がやって来たのです!! どうすればいいのでしょうか!!?
あのお方は! あのお方は確実にこの忌まわしい国に兵をよこしてくれるので……」
「チッ」
再び露骨に舌打ちするデブデダビデ。
もはやいちいち殴ったり蹴ったりするのも面倒になってきたらしい。
「……だが、その指輪にはもう一働きしてもらわねばならん」
「は?」
デブデダビデは足下にすがり付いてくるクロムウェルの腕を左手で掴み、強引に捻り上げた。
「ぎぃぁぁああああっ!!」
「わめくな。腕がなくとも生きている奴などいくらでもいる」
ミシミシと音を立てるクロムウェルの腕。
その先端、指に嵌められていた『アンドバリ』の指輪に、デブデダビデは視線を集中させる。
「な、何……を?」
クロムウェルはいきなり妙な行動を取り始めたデブデダビデへと問いかけるが、彼はアルビオン皇帝であるはずの男をほぼ完全に無視し続けていた。
「容れ物は……フン、取りあえずアレでいいか」
空いている右手で近くにあった小さめの水差しに手を伸ばし、フタを外して指輪の近くまで持ってくる。
そしてクロムウェルの腕を掴んでいるデブデダビデの左腕が淡く光りだし……。
「ぁ……ぁ、が、ぐぎゃぁぁぁあああああああああああああああ!!!!」
「やはり俺では、干渉による抽出は不可能なようだな……。力尽くで搾り出すしかないか」
ビギビギとクロムウェルの腕から指にかけてヒビが入るかのように裂傷が走り、それに合わせてクロムウェルも絶叫を上げる。しかしデブデダビデは構わずその手を光らせ続けた。
『アンドバリ』の指輪は光に呑み込まれ、やがて指輪自体も光を放ち……、
ぽたっ、ぽたっ。
まるで溶け出していくかのようにして指輪から水差しへ雫がこぼれ落ちていき、その水差しに数滴ほど雫が注がれた時点でデブデダビデの手の発光は消えていく。
なお、水差しにはクロムウェルの血も決して少なくない量が入っていたが、それに関してはやはり無視されていた。
「……こんなものだな。まったく、エネルギーの抽出などという繊細な作業は得意分野じゃないんだが……。まあ我が神は混沌をお望みだからな、仕方がないか」
水差しの中の液体を揺らしながら、デブデダビデは息をつく。
どうやらそれなりに疲れる作業だったらしい。
「さて、どのタイミングで使うのがベストなのだろうな」
そのまま歩いて部屋から出ようとするデブデダビデ。
しかし、そんな彼に腕をズタズタにされたアルビオン皇帝が悲痛な様子で声を荒げた。
「お、お待ちください!! どこへ、どこへ行かれるのですか!!!?」
「あ?」
デブデダビデはいかにも面倒そうにクロムウェルを見る。
「……ああ、少し出かけてくるだけだよ。心配するな」
「本当ですな!? 戻って来られるのでしょうな!?」
「しつこいな。俺にも色々と仕事があって、お前にばかり構っているわけにはいかないんだよ。その指輪は精神安定剤の代わりにくれてやるから、それで何とか上手くやれ」
「そ、そんなことを言われましても……!!」
血まみれの腕を引きずりながら、クロムウェルはまたデブデダビデにすがり付こうとする。
そんなクロムウェルに対してデブデダビデはわずらわしさを隠そうともせず、いい加減に対応した。
「あー……アレだ。確かトリステインの教育機関を占拠して、貴族のガキを人質にしようってプランがあっただろう。それで起死回生でも狙え」
そう言えば決行は今夜だったかな、と首をひねりながらデブデダビデは言う。
だがクロムウェルは納得しない。
「失敗すれば何とします!! 逆に言えば、それしか起死回生の手段はないのですぞ!!」
「別に負けると決まったわけでもないだろう。サウス……なんとかという街も陥落するとは限らんし」
「ミスタ……!?」
まるでこの戦争の行方などどうでもいい、と言わんばかりのデブデダビデにクロムウェルは大いに困惑した。
どういうことだ。
この男は自分の補佐をし、アルビオンを勝利に導くためにガリアから使わされたはずではなかったのか。
口をパクパクと激しく開閉させながら何とか二の句を継ごうとするクロムウェルだったが、しかし小太りの男はそんな暇も与えずに一方的に喋る。
「まあ、いずれにせよ明日だ。……明日の夜が明ける頃には、その二つの結果が出る。その報告を大きく構えて待つのがお前の仕事、ということだな」
そして水差しを持ったまま部屋を去っていくデブデダビデ。
「お、お待ちを!! ミスタ!! せめて、せめてガリアが兵をよこしてくれるという確実な保証を……!!」
アルビオン皇帝は必死に声を張り上げて自分の付き人を呼び止めようとするが、その相手が皇帝の方を振り向くことはなかった。
ラ・フォンティーヌ。
病弱で領地から出ることを許されず、嫁に行けなければ婿も取れない二番目の娘を不憫に思ったラ・ヴァリエール公爵が、
『せめて限られた領地の中だけでも出歩く機会を作ってやろう』
と、自分の領地の一部をその二番目の娘に分け与えた土地である。
これによって二番目の娘―――カトレアはフォンティーヌ家の当主となり、取りあえず体裁だけでも貴族の形を取れるようにもなったため、一石二鳥の方策と言えた。
とは言え、ラ・フォンテーヌは実質的にはあくまで『ラ・ヴァリエールの一部』という扱いでしかなく、領地の管理はほとんどヴァリエール家がやっているのだが。
そんなラ・フォンティーヌの領地にある、ほとんどカトレアのためだけに建てられたと言っても過言ではない屋敷の中。
カトレアは銀髪の男と二人きりで楽しそうに話をしていた。
「それじゃやっぱり姉さまは生徒に厳しいんですか?」
「……エレオノールは基本的に『褒める』ということをしないからな。基本的に打たれ慣れていない魔法学院の貴族の娘には厳しく見えるかも知れん」
「うふふ。ある意味じゃ予想通りね」
ニコニコと微笑んでユーゼスと会話をするカトレア。
会話と言ってもそう大したものではなく、診察の後の世間話程度でしかない。
本当に取るに足らない話題なのだが、しかしカトレアは楽しそうだった。
(……何が面白いのかよく分からんが、まあ構わんか……)
別にカトレアが面白がることが悪いわけではないし、彼女の笑顔を見るのは……まあ、嫌ではない。
そしてユーゼスは、その世間話の新たな題材を持ち出した。
「エレオノールと言えば、昨日の夜は少し苦労させられたな」
「まあ、どうしたんです?」
昨夜に起きた出来事のあらましを話すユーゼス。
その内容を要約すると『昨日は酔っぱらったエレオノールに四苦八苦させられた』となるのだが、それを聞いたカトレアの反応はユーゼスの予想とは異なるものだった。
「…………あら、まあ」
カトレアの周囲にただよっていた空気が、わずかに硬質化する。
なお、因果律の操作だとかエレオノールの頬をうんぬんの部分は隠している。
前者についてはもちろんのこと、後者については『言わない方が良い』とユーゼスの何かが警告していたのだ。
だが……。
「……それで、どうでした? エレオノール姉さまの抱き心地は」
「む? ……いや、私は『抱きつかれた』のであって、決して『抱きついた』わけではないのだが」
逆に言うと、そこ以外の部分は包み隠さずカトレアに話していたのだった。
「そうですか? 手早く振りほどこうと思えばいくらでもやりようはあったのではなくて?」
「下手に力まかせに振りほどいて怪我をさせるわけにもいくまい。ならばひとまず様子を見て抱きつかれたままでいた方が良いと判断した」
「……つまり『振りほどけなかった』ではなく『振りほどかなかった』ということでよろしいのかしら?」
「結果的にはそうなる」
「ふぅん……」
カトレアは興味深そうな目でユーゼスの顔を覗き込んでくる。
―――この時ユーゼスの脳裏に、何故か昔ウルトラ警備隊の人間に尋問された時の光景が頭をよぎった。
何故だろう。
「それと……一応確認しておきますけど。その後でエレオノール姉さまとは何も無かったんですよね?」
「当然だろう。別に私はやましいことなどは全く考えていないし、何も手出しはしていないぞ」
「あら? 私は別に『やましいこと』だとか『何か手出しをした』なんて一言も口に出した覚えはないんですけど。……ということはユーゼスさん、そういうことに心当たりがあるんですか? エレオノール姉さまを相手にして」
「む……?」
何だか、雲行きが怪しい。
他愛もない世間話のつもりだったのに、いつの間にか自分が問い詰められているような空気になっている。
と言うか普通に『エレオノールのこと』を話すだけならにこやかな会話だったのに、『エレオノールに抱きつかれた』という話になったらどうしてこんな空気になってしまうのか。
(……分からん……)
『女心』という単語の存在すら知らないユーゼス・ゴッツォは首をひねるばかりだった。
しかしカトレアが癇に触ったポイントがどこにあったにせよ、この場は切り抜けなければなるまい。
適当な言葉を並べ立てる、という手もあるにはあるが……ここで嘘をつくのも何やらためらわれると言うか、この女性に対しては嘘をつきたくないような気がする。
「いや……まあ、全くないといえば嘘になるが」
自分でもよく分からない感覚に後押しされ、つい誤魔化すことを選択肢から消してしまうユーゼス。
するとカトレアはにっこりと笑い、まるで出来のよい子供を褒めるような様子で感想を述べた。
「まあ、正直な方」
「……………」
とてもにこやかな笑顔なのだが、妙な圧力を感じてしまうのはどういうことか。
今のカトレアの様子を表す適切な表現が思い浮かばないのだが、強いてその言葉を捜すとするなら……。
笑っているけど、笑っていない。
そんな印象である。
「私、ユーゼスさんのそういうところって嫌いじゃありませんよ。……ええ、本当に」
「……そうか」
よく分からないが、この言葉からしてカトレアは一応ユーゼスのことを肯定してくれているらしい。
ならばそう警戒する必要もないか、とリラックスしようとしたが、その矢先に。
「…………じゃあ正直ついでに、今までエレオノール姉さまとの間にあった出来事を全て話してもらおうかしら」
「何?」
「あら、どうしました? 別にやましいことはないんですから、話すのに不都合はないでしょう?」
笑顔のままで、ずいっとユーゼスに詰め寄るカトレア。
そんなヴァリエール家の次女に気圧されつつも、ユーゼスはどうにか反論を試みた。
「待て、カトレア。『全て話してもらう』と言われても、どこからどこまで話せばいいのか……」
「だから『全て』です。ユーゼスさんの記憶にある限りのことを最初から最後まで。全部。いっさいがっさい。何もかも。包み隠さずに。みんな。……分かります?」
「…………今からそんなことをすれば、終わるのは真夜中になるが」
現在はちょうど日が沈みかけている時刻である。
ユーゼスとしてはそろそろ帰ろうかと考えていた頃だ。
今からカトレアの要望どおりにエレオノールとの間にあった出来事をいちいち口頭で説明すれば、下手をすると夜明けまでかかってもおかしくない。
何せエレオノールに初めて会ってから現在まで八ヶ月も時間が経過している。
その情報量も半端ではない。
「いいんですっ。母さまや父さまには、あらかじめ『今夜はもしかしたらフォンティーヌの屋敷から帰らないかも知れません』って言っておきましたから」
女の口から出る言葉としてはかなり凄いことを言われているのだが、しかしユーゼスはその意味に気付かないまま話を続ける。
「しかし私は日帰りのつもりだったのだが」
「………。別にルイズだって鬼じゃないんですから、たまに帰りが遅くなったくらいでどうこう言ったりはしませんよ、きっと」
「夜更かしは身体に障るぞ。特にお前の場合は」
「ちょっとやそっと夜更かししただけでどうにかなる身体なら、私はとっくの昔に死んでます」
「……………」
「……………」
やや怒ったような目つきでじぃっと銀髪の男を見つめるカトレアと、たじろぎつつも桃髪の女性からの視線を受け止めるユーゼス。
二人は二十数秒ほど無言でそうしていたが、やがてユーゼスの方から確認の質問がいくつか投げかけられた。
「……長くなるぞ」
「構いません」
「聞いていて面白い話でもない」
「それはその話を実際に聞いてから判断します」
「睡眠時間が短くなったせいで後々体調が悪くなっても、私には責任が持てん」
「大丈夫です。これでも昔はルイズと一緒によく夜更かししてましたから」
「……やれやれ」
ユーゼスは根負けしたように溜息をつく。
そしてカトレアの要望に応えるべく、取りあえず昔のことを思い出し……。
「……さて、何から話したものか」
「もちろん一番最初からです」
「……………」
どう足掻いても長くなりそうな予感に辟易するのだった。
病弱で領地から出ることを許されず、嫁に行けなければ婿も取れない二番目の娘を不憫に思ったラ・ヴァリエール公爵が、
『せめて限られた領地の中だけでも出歩く機会を作ってやろう』
と、自分の領地の一部をその二番目の娘に分け与えた土地である。
これによって二番目の娘―――カトレアはフォンティーヌ家の当主となり、取りあえず体裁だけでも貴族の形を取れるようにもなったため、一石二鳥の方策と言えた。
とは言え、ラ・フォンテーヌは実質的にはあくまで『ラ・ヴァリエールの一部』という扱いでしかなく、領地の管理はほとんどヴァリエール家がやっているのだが。
そんなラ・フォンティーヌの領地にある、ほとんどカトレアのためだけに建てられたと言っても過言ではない屋敷の中。
カトレアは銀髪の男と二人きりで楽しそうに話をしていた。
「それじゃやっぱり姉さまは生徒に厳しいんですか?」
「……エレオノールは基本的に『褒める』ということをしないからな。基本的に打たれ慣れていない魔法学院の貴族の娘には厳しく見えるかも知れん」
「うふふ。ある意味じゃ予想通りね」
ニコニコと微笑んでユーゼスと会話をするカトレア。
会話と言ってもそう大したものではなく、診察の後の世間話程度でしかない。
本当に取るに足らない話題なのだが、しかしカトレアは楽しそうだった。
(……何が面白いのかよく分からんが、まあ構わんか……)
別にカトレアが面白がることが悪いわけではないし、彼女の笑顔を見るのは……まあ、嫌ではない。
そしてユーゼスは、その世間話の新たな題材を持ち出した。
「エレオノールと言えば、昨日の夜は少し苦労させられたな」
「まあ、どうしたんです?」
昨夜に起きた出来事のあらましを話すユーゼス。
その内容を要約すると『昨日は酔っぱらったエレオノールに四苦八苦させられた』となるのだが、それを聞いたカトレアの反応はユーゼスの予想とは異なるものだった。
「…………あら、まあ」
カトレアの周囲にただよっていた空気が、わずかに硬質化する。
なお、因果律の操作だとかエレオノールの頬をうんぬんの部分は隠している。
前者についてはもちろんのこと、後者については『言わない方が良い』とユーゼスの何かが警告していたのだ。
だが……。
「……それで、どうでした? エレオノール姉さまの抱き心地は」
「む? ……いや、私は『抱きつかれた』のであって、決して『抱きついた』わけではないのだが」
逆に言うと、そこ以外の部分は包み隠さずカトレアに話していたのだった。
「そうですか? 手早く振りほどこうと思えばいくらでもやりようはあったのではなくて?」
「下手に力まかせに振りほどいて怪我をさせるわけにもいくまい。ならばひとまず様子を見て抱きつかれたままでいた方が良いと判断した」
「……つまり『振りほどけなかった』ではなく『振りほどかなかった』ということでよろしいのかしら?」
「結果的にはそうなる」
「ふぅん……」
カトレアは興味深そうな目でユーゼスの顔を覗き込んでくる。
―――この時ユーゼスの脳裏に、何故か昔ウルトラ警備隊の人間に尋問された時の光景が頭をよぎった。
何故だろう。
「それと……一応確認しておきますけど。その後でエレオノール姉さまとは何も無かったんですよね?」
「当然だろう。別に私はやましいことなどは全く考えていないし、何も手出しはしていないぞ」
「あら? 私は別に『やましいこと』だとか『何か手出しをした』なんて一言も口に出した覚えはないんですけど。……ということはユーゼスさん、そういうことに心当たりがあるんですか? エレオノール姉さまを相手にして」
「む……?」
何だか、雲行きが怪しい。
他愛もない世間話のつもりだったのに、いつの間にか自分が問い詰められているような空気になっている。
と言うか普通に『エレオノールのこと』を話すだけならにこやかな会話だったのに、『エレオノールに抱きつかれた』という話になったらどうしてこんな空気になってしまうのか。
(……分からん……)
『女心』という単語の存在すら知らないユーゼス・ゴッツォは首をひねるばかりだった。
しかしカトレアが癇に触ったポイントがどこにあったにせよ、この場は切り抜けなければなるまい。
適当な言葉を並べ立てる、という手もあるにはあるが……ここで嘘をつくのも何やらためらわれると言うか、この女性に対しては嘘をつきたくないような気がする。
「いや……まあ、全くないといえば嘘になるが」
自分でもよく分からない感覚に後押しされ、つい誤魔化すことを選択肢から消してしまうユーゼス。
するとカトレアはにっこりと笑い、まるで出来のよい子供を褒めるような様子で感想を述べた。
「まあ、正直な方」
「……………」
とてもにこやかな笑顔なのだが、妙な圧力を感じてしまうのはどういうことか。
今のカトレアの様子を表す適切な表現が思い浮かばないのだが、強いてその言葉を捜すとするなら……。
笑っているけど、笑っていない。
そんな印象である。
「私、ユーゼスさんのそういうところって嫌いじゃありませんよ。……ええ、本当に」
「……そうか」
よく分からないが、この言葉からしてカトレアは一応ユーゼスのことを肯定してくれているらしい。
ならばそう警戒する必要もないか、とリラックスしようとしたが、その矢先に。
「…………じゃあ正直ついでに、今までエレオノール姉さまとの間にあった出来事を全て話してもらおうかしら」
「何?」
「あら、どうしました? 別にやましいことはないんですから、話すのに不都合はないでしょう?」
笑顔のままで、ずいっとユーゼスに詰め寄るカトレア。
そんなヴァリエール家の次女に気圧されつつも、ユーゼスはどうにか反論を試みた。
「待て、カトレア。『全て話してもらう』と言われても、どこからどこまで話せばいいのか……」
「だから『全て』です。ユーゼスさんの記憶にある限りのことを最初から最後まで。全部。いっさいがっさい。何もかも。包み隠さずに。みんな。……分かります?」
「…………今からそんなことをすれば、終わるのは真夜中になるが」
現在はちょうど日が沈みかけている時刻である。
ユーゼスとしてはそろそろ帰ろうかと考えていた頃だ。
今からカトレアの要望どおりにエレオノールとの間にあった出来事をいちいち口頭で説明すれば、下手をすると夜明けまでかかってもおかしくない。
何せエレオノールに初めて会ってから現在まで八ヶ月も時間が経過している。
その情報量も半端ではない。
「いいんですっ。母さまや父さまには、あらかじめ『今夜はもしかしたらフォンティーヌの屋敷から帰らないかも知れません』って言っておきましたから」
女の口から出る言葉としてはかなり凄いことを言われているのだが、しかしユーゼスはその意味に気付かないまま話を続ける。
「しかし私は日帰りのつもりだったのだが」
「………。別にルイズだって鬼じゃないんですから、たまに帰りが遅くなったくらいでどうこう言ったりはしませんよ、きっと」
「夜更かしは身体に障るぞ。特にお前の場合は」
「ちょっとやそっと夜更かししただけでどうにかなる身体なら、私はとっくの昔に死んでます」
「……………」
「……………」
やや怒ったような目つきでじぃっと銀髪の男を見つめるカトレアと、たじろぎつつも桃髪の女性からの視線を受け止めるユーゼス。
二人は二十数秒ほど無言でそうしていたが、やがてユーゼスの方から確認の質問がいくつか投げかけられた。
「……長くなるぞ」
「構いません」
「聞いていて面白い話でもない」
「それはその話を実際に聞いてから判断します」
「睡眠時間が短くなったせいで後々体調が悪くなっても、私には責任が持てん」
「大丈夫です。これでも昔はルイズと一緒によく夜更かししてましたから」
「……やれやれ」
ユーゼスは根負けしたように溜息をつく。
そしてカトレアの要望に応えるべく、取りあえず昔のことを思い出し……。
「……さて、何から話したものか」
「もちろん一番最初からです」
「……………」
どう足掻いても長くなりそうな予感に辟易するのだった。