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鋼の使い魔 幕間-09



 小部屋を引き払い、三人は牛頭鬼が潜む地下空間の奥へと足を踏み入れる。
 灯りなき道先をカンテラで照らし、やはりここが人の手の加えられた空間であることがタバサにもわかった。天井に向かって等間隔に立てられた柱が認められたからだ。
 そして、意識を集中させて空気の流れを感じ取る。大きな空間だが、やはり外からの空気は薄い。あまり系統魔法には頼れないだろう。
 歩を進め、並ぶ柱の間をいくつか過ぎるうちに、鼻腔には腐った肉と獣の匂いがまとわり付く。踏み出した足が、何か棒のようなものを踏み潰す感触を得て、それが干からびた何かの骨であったと知ると、いよいよタバサたち三人の緊張が増していく。
「きゅ、きゅい……。ばっちりしゃっきりいやがるのね」
 荷物を持っておっかなびっくりついてきているシルフィードもその気配を感じ取っていた。そして先頭に立っていたシェフィールドが、その足を止めた。
 今ならタバサにも聞こえる。目鼻の先の闇の中から、太く重い獣の呼吸音が響いてくる。
 シェフィールドが手に持つカンテラを高く掲げた時、三人の目にそれは写った。
 それは大きな人型だった。夜盗の扮していたものなど小賢しいほどに大きい。拳だけでも華奢なタバサほどにあるかもしれない。足先から頭まで、目測でおよそ6メイル以上。その頭はまさしく野牛のもの、顔の前に向かってねじくれて伸びる二本の角……。
 牛頭鬼は、この地下空間の最奥で仰向けに眠っていた。身体に巻いている毛皮の下で、張り出した肉が野太い呼吸に合わせて上下している。
「眠っているのね……」
「起きると面倒だ。寝ているうちに仕留めてしまおう」
 カンテラを近くの壁の亀裂に引っ掛け、シェフィールドは眠る牛頭鬼を見上げた。分厚い身体をしていて、全身が鍛え上げた筋肉の塊といった感じだ。あの紅い刀身を抜き出し、シェフィールドが牛頭鬼の首に近寄っていく。
「ふぅ……」
 大上段に構えて息を整える。据え物とはいえ、この肉の厚さなら一太刀で斬るのは難しい。タバサは万一のために杖と剣に手をかけ、シルフィードはその後でおっかなびっくり覗いていた。
「やるぞ」
「やって」
「やるのね」
 三人が声を重ねて、数拍。シェフィールドは細く息を吐いて剣を降った。
「『巻き打ち』!」
 紅い刀身が煌いて牛頭鬼の首に滑り込む。妖しいほどの切れ味で、牛頭鬼の首は転がり落ちる……はず、だった。
「ッ!」
 シェフィールドの表情が変わる。彼女の持つ剣が牛頭鬼の皮を切り、肉を切った。しかしその刀身は、牛頭鬼の首三分まで沈んで止まってしまったのだ。
「切り込めない……!」
「危ない!」
 タバサから切羽詰った声がかかり、シェフィールドはとっさに飛び下がった。そして自分が先ほどまでいた場所に、眠っていたはずの牛頭鬼が腕を振り下ろしていた。
「きゅ、きゅい! お、起きちゃったのね?!」
「寝首を掻かれたのだから当然」
 首を切りつけられた牛頭鬼は覚醒を迎えた。地下空間を振るわせる咆哮を上げ、喉辺りをかきむしりながら上体を起こしてこちらを見下ろしている。
 その目はすぐさま、明らかな敵意に染まった。
「ブグォォォォォォ……」
「……!」
 呻るような鳴き声に混じって辛うじて人語に聞こえるものを牛頭鬼が口にしていた。そしてかきむしった指先に、血の付いた剣が絡みついたのを見て、敵意の瞳は一層激しいものとなって三人を睨みつける。
「バォォォォォォォ!」
「ちょ、超怒ってるのね~!」
 シルフィードの悲鳴と牛頭鬼の咆哮がほぼ同時に上がって、タバサはシルフィードを柱の影に突き飛ばした。そして自分は剣と杖を抜いて牛頭鬼に正対する。
 シェフィールドは手を掲げて、夜盗に使った『妖術』を使おうとしているようだった。牛頭鬼の首に残してしまった剣は、まだ牛頭鬼の手に絡みついている。
 牛頭鬼が寝床から起き上がる。そして壁に立てかけていたらしい自分の斧を握って、足元のタバサへ向かって振り下ろした。
 タバサはそれを余裕で避ける。だが、斧を叩きつけた衝撃が床を伝って足元を揺らし、足が痺れるような振動が膝を襲った。
「『幻夢の一撃』!」
 タバサが振動で硬直している間にシェフィールドの妖術が牛頭鬼を捉えた。シェフィールドの目前に緑色の発光を伴う黒猫の幻影が現れ、牛頭鬼に踊りかかった。幻影の爪先が牛頭鬼の顔を散々に引っ掻き回すと、牛頭鬼は驚いて後方に一歩下がった。
「くそっ。こうなるなら私も零姫に幻術を習うんだった」
 シェフィールドが何かを口走りながら、牛頭鬼が床に落とした自分の剣を拾ってタバサの隣に構える。
「寝首を掻けなかった以上、ここからは正攻法だ」
「牛頭鬼は体力だけはある亜人。長期戦は無謀」
 二人が構える前で、牛頭鬼が両手で握った斧を振りかぶって吼える。
「もう一度、首を狙う。だからあなたは隙を見て牛頭鬼に飛びついて」
「何?」
「私は、注意をひきつける」
 ふたたび構えてタバサは牛頭鬼に立ち向かう。跳躍と同時に振り下ろされる斧をかわし、
ありったけの力を込めて斜め十字に剣を走らせた。
「『クロスブレイク』!」
 常人が食らえば絶命の可能性もある鋭い一撃が牛頭鬼の肌を切りつけたが、タバサの腕には岩を叩くような衝撃がはね返った。反動をこらえ、着地と同時に次は牛頭鬼の右足に向かって飛ぶ。
「『スマッシュ』!」
 ガリ、と不愉快な感触だけがタバサの腕に残る。
 タバサの剣は鋭さと速さで切るもので、固いもの、大きいものを切るには向かない。このような使い方をすれば剣自体が駄目になってしまうかもしれなかった。それでもこうでもしなければ、牛頭鬼の注意を引きつけることはできない。
「ブホォォォォォォォ!」
 身体をちくちくと打たれた牛頭鬼が苛立つように足を打ち鳴らす。足場を強烈な振動で揺るがされながら、タバサは懸命に走り回り、覚えている限りの剛剣を見舞った。
 視界の端でシェフィールドを見る。彼女もまた、剣を神妙に構えて牛頭鬼を見据えていた。
 牛頭鬼がふたたび動く。斧を再び振り上げては打ち下ろしてくるのを、衝撃を浴びながらタバサは逃げ続ける。
「っ! ……『かぶと割り』!」
 じわりと足腰が笑うのを懸命に堪え、跳躍と同時に剣を振り下ろす。剣先は牛頭鬼の右胸に突き刺さって、止まってしまった。
「グボォォォ!」
「あぅっ!」
 蚊を払う動きでタバサが打ち払われる。地下空間を支える柱に叩きつけられ、地面に落ちた。
「お姉さま!」
 隠れて見守っていたシルフィードがたまらず駆け寄った。意識が途切れそうになりながら立ち上がったタバサだが、握る剣の先がへし折れてしまった。
「ちっ! ……『飛燕剣』!」
 タバサを限界と見たシェフィールドが構えを変えて剣を振るう。剣圧が刃になって牛頭鬼を掠め切ると、牛頭鬼の視線がタバサからそちらへと移った。
「お姉さま! もう、無理なのね。これ以上やってもしょうがないのね。大人しくお家に帰るのね!」
「駄目……。まだ、任務を終えていない」
 シルフィードを振り払い、タバサは構える。折れた剣を収め、握った杖を剣のように構えた。
 意識を集中させ、詠唱する。なけなしの風と水気を束ね、杖先に集める。二つ名は雪風。冷たき一陣の風のように肌を切る刃をイメージした。
 杖が氷に包まれて、杖先に向かって鋭い氷柱が伸びていく。その形は、平民の傭兵が使うような厳しい長剣を象った。
「氷河剣【アイスソード】……」
 完成した、独自の魔法剣を構え、タバサは牛頭鬼を視る。息を吐き、腰を落として構える。
 視線は一点、牛頭鬼に突き刺さって残った、折れたタバサの剣先だ。
「シェフィールド!」
「はっ?!」
 牛頭鬼と一人で切りあっていたシェフィールドが、タバサの声に応じて、無意識の内に引いた。それと同時に、タバサが走る。
 打ち付けられた身体が悲鳴を上げるのを堪えて、全力疾走から跳躍し、タバサは氷河剣を牛頭鬼の身体に突き刺した。
 最前に深く刺さった剣先を押しのけて氷河剣が深く牛頭鬼に入り込み、牛頭鬼が初めて痛みにらしき悲鳴を上げ、体をよじった。
「ま……だ……!」
 硬い岩のような肌に身体を打ち付けられ、揺り落とされまいとしがみつきながら、タバサが氷河剣にもう一度、詠唱を込める。生きている動物がその身体の中に流す血液もまた、水に属するもの。タバサが突き刺した氷河剣を通して、それに働きかける。
(凍って……!)
「フゴッ?!」
 呻く牛頭鬼の肌が水を入れた皮袋のように不気味に膨らみ、次々と爆ぜる。
 肉のちぎれる音とともに牛頭鬼の右腕から肩にかけて、紅い氷柱がつきあがった。
「ゴォッ、オォォォォォ……」
 痙攣する牛頭鬼の身体に張り付いていたタバサは、弛緩して怪物の表面から氷河剣ごと抜け落ちて地面に落ちた。
 それを見逃すシェフィールドではなかった。
「今か……! 『清流剣』!」
 動きを停止した牛頭鬼にシェフィールドが跳躍する。残像が残るほどの鮮やかな動きで、太い頸部に一太刀。さらにそこから、地下空間の高い天井に向かって跳躍する。
「『濁流剣』!」
 天井間際の壁を蹴って反転し、残像を混ぜたシェフィールドの斬撃が再度牛頭鬼の首を切りつけた。残像の剣撃が五回に渡り叩きつけられて、漸く牛頭鬼の首は大樹の折れるような音をあげながら、地面に落ちた。
「お姉さま~!」
 地面に投げ出されたタバサにシルフィードが再び駆け寄った。荒れた牛頭鬼の肌に叩きつけられて、端整な顔も瑕だらけになってしまっている。
「きゅい~、しっかりするのね!」
 半べそをかきながらも体を揺らすシルフィードに、タバサはぺしぺしと平手を打った。
「痛いから、離して」
「きゅ! 気がついたのね」
「大丈夫か?」
 剣を収めたシェフィールドがタバサに駆け寄ると、タバサはうなずく。
「あとはあの首をリュティスに運ぶだけ」
 そういって見上げる牛頭鬼の首なし死体は、首もないのにいまだはげしい痙攣を起こしていたが、氷漬けにされた半身が動かないために、ひどく不恰好だった。
「とりあえず麓までこの首を運ばないといけないな」
「なのね。荷馬車とかも用意しないといけないのね」
 そう言ったシルフィードは、抱いていたタバサが少し弛緩したことに気付く。
「お姉さま?」
 腕の中のタバサをゆすっても、返事が返ってこない。驚いたシルフィードはタバサを覗き込む。
 腕の中のタバサから、静かな呼吸が聞こえてきた。
「寝ちゃってるのかしら?」
「寝かせておこう。あとの処理は私がやるよ」
「きゅい。それじゃお願いするのね」
 はやくタバサを休ませて上げたい一心のシルフィードはシェフィールドの提案に二つ返事を返し、そそくさと地下空間を出ようとしていた。
「先に外で待っているのね」
 よいしょ、とタバサを背負い、荷物鞄も持ってシルフィードは地下空間から直接外に出られる場所を探しに行った。
 灯りの外側へと居なくなったシルフィードを見送ってから、シェフィールドは倒した牛頭鬼に振り向く。落ちた首は微動だにせず、残った身体もやがて痙攣を止めるだろう。
 シェフィールドは両腕を伸ばし、意識を変えた。自分の中から、何かを引き出すような感覚とともに、両腕が怪しい緑色の発光と伴う籠手に覆われる。
 拳を握って構え、シェフィールドは首の落ちた牛頭鬼に歩み寄って行った……。

 気がついたとき、タバサは『白猫と黒猫亭』の一室に、自分がいることを知った。
 部屋の片隅の椅子にシルフィードが間抜けな顔で突っ伏して寝ているのが見える。起き上がってタバサは、壁に吊ってある自分のシャツを着る……下着一丁に自分が脱がされていたからだ。
「起きて」
 ひどく揺すってもげこー、と不細工な寝息を立てる使い魔は起きる様子を見せなかったので、タバサはゆっくりとシルフィードの座る椅子を引いてあげた。
 寄りかかっていた机が遠くなったために前のめりに椅子から転げ落ちて、ようやくシルフィードは目を覚ます。
「んっきゅ! ……あふぅ。あ! お姉さま! 目を覚ましたのね!」
 良かったのね、と満面の笑みを浮かべて使い魔は喜んだ。
「どうしてここに?」
「きゅい。えーと、あの人と一緒に、牛頭鬼のこわい頭をずるずるっと村まで持って行って、そこから荷馬車を借りてここまで来たのね。お姉さまは怪我してたし疲れてたみたいだから、ベッドに運んだのね」
 牛頭鬼の首は、と聞くと、シェフィールドが持って行ったという。イザベラからの命令書もシェフィールドが持ち去っていた。
「そのかわり、お手紙置いて行ってくれたのね。お姉さまが起きたら渡してっていわれたのね」
 はい、と大事に握っていたのだろう、くしゃくしゃになっていた手紙を、タバサは拡げた。

 本当は起きるまで待っていたかったけれど、友人の安否が気になる。タバサが助けてくれたことを証明する為に、荷物を改めさせてもらった。多分、これでタバサの任務も終わらせる事ができるだろう。気になるようであれば、直接リュティスに聞いてもいい。いつかまた会うことあれば、その時にはもうすこし、穏やかな時間を過そう。
 シェフィールド

 たどたどしい文字で、手紙は終わっていた。
 しかし、本当にこのまま後処理全てをシェフィールドに任せていて良いものか、タバサは迷っていた。リュティスに聞けとあるが、悪知恵の働く従姉妹なら、任務不達成と称して自分を罰するやもしれない。
「彼女がここを発ったのはいつ?」
「おとといなのね」
 ということは、荷馬車を引きつつでも既に彼女はリュティスまで行っていることになる。
「きゅい……お姉さま、どうしたのね?」
 思考にもぐろうとしたタバサをシルフィードが心配そうに眺めている。
「大丈夫。ここを引き払ってリュティスに行く」
 ともかくイザベラに報告だけはしなければならない。命令書にあった女性が首を回収した、だから首についてはそちらに聞け、それで駄目な時はいよいよ、覚悟するもの覚悟ししなければならないかもしれない。
 そう思い立ち、鞄から着るものを引っ張り出して、タバサが支度を始めた時、部屋の窓を外から叩く音がした。
「梟が来てるのね」
 何気なく、シルフィードが窓を開けると、外から一羽の梟が手紙を持って室内に入り、口にくわえた手紙を置いて、また出て行った。
 服を着てからタバサはその手紙を取った。このタイミングで梟便を自分に向ける相手はリュティスのイザベラぐらいしか居ない。
 裏面を覗けば思ったとおり、蒼い封蝋で印が押されている。
『任務完了を確認 待機せよ』
 極めて事務的な書体で、それだけしか書かれていない。
 しかしそれが、シェフィールドの意向がガリア王宮を通じてイザベラを動かした事の証明でもあった。
「リュティス行きはやめる」
 荷物を持っていたシルフィードはタバサがそう言ってくれて喜んだ。
「きゅい! じゃあお仕事おしまい! 学院に帰るのね!」
 わーいわーい、と子供のように手をばたばたさせて、シルフィードが部屋を出て行く。どうせ下に下りれば食事を取りたいと言い出すのだろう。
 ……二日もベッドに張り付いていたから、タバサも空腹だった。どうせなら良く食べて、それからラグドリアン湖畔の自宅に戻ってもいい。
 今日も無事生き残り、あの男に食らいつく機会を探せる事を報告する為に。
 吊っていた剣が少し軽くなったのを心に惜しみながら、タバサは階下に待つシルフィードの元へと、部屋を後にした。

 ガリア王が住まう宮殿ヴェルサルテイルには大小五十近くの建物がある。それも、地上に限っての話だ。王族が住まう場所であるから、万一のことを思えば、地下には無数の抜け道や地下倉庫が作られ、地上に広がる宮殿と同規模の贅を凝らした地下宮殿が、リュティス市民の足元には存在するのだ。
 その地下に作られたある一室に、ヴェルサルテイルの主人たちは集まっていた。
 窓が無いことを気にしなければ、そこは地上にあるグラン・トロワの娯楽室と遜色ない調度が施されているのがわかる。
 もっとも、ここを使う者たちは、それが当たり前だと思っているのでまったく気にも留めない。
 イザベラもその例に漏れない。彼女はその時、テーブルに向かって拡げた数々の書類を眺めつつ、ベリーをたっぷりと使ったタルトとワインを口にしていた。精々片手で足りるほどの人物しか使わない娯楽室に今は二人しかいないし、もう一人とはあまり懇意にする気がないからだ。
「何を眺めているのかしら?」
 そのもう一人は、眉目麗しい二十代後半の女性だ。
 世間で彼女は『モリエール夫人(ミセス・ド・モリエール)』と呼ばれてる。ガリア王ジョゼフの愛人とされていたし、彼女自身それを否定しない。
「ロマリアに放っておいた密偵からの報告書と、ロマリア南部の麦生産高の減少を示すグラフ、あとゲルマニアで煽らせたチューリップ投機の中間報告」
「チューリップ投機?」
「そうさ。色とりどりの花びらをつけるチューリップの球根を投資の対象にさせてみたんだよ。方々の商人どもに、それらしい話を吹き込んで見せたら、あいつら面白いように金をそそぎこむ。馬鹿だねぇ、所詮ただの球根なのに」
 くっくっく、とかみ殺すようにイザベラが笑う。
「そのうちあいつらも気付くだろうけど。それまでは遊ばせて貰うよ」
「玩具で遊ぶのも大概にしなさいな」
 けっ、とあまり上品とはいえないしざまでイザベラは答えた。
「情婦が親面をするのかい。玩具遊びならあんただって大概じゃないか」
「あら。あれは立派な研究よ。陛下からも予算は出してもらっているし、それに見合う成果も出しているわ」
「亜人や罪人を材料にした研究でかい」
「ええ」
 ガリア王の愛人にして、“塔”の手綱を握る女研究者は、豊かな胸を張って言った。
「それもこれも貴方のお父上が面白いものを見つけになられたから。始祖の秘密を開陳してくれたからよ」
「ふん。……私はあれは嫌いだ」
 憮然として、イザベラはタルトを掴み取って口に運んだ。
 指に残ったシロップを舐めていると、部屋の入り口の一つが開けられて、ローブ姿の者が入ってきた。
「おや、おかえりなさい。『アセルス』」
「ジョゼフはどこだ」
 モリエールに言葉を返さず、アセルスと呼ばれた者は部屋を見渡した。
「どこに居るんだ」
「陛下なら奥の個室で『彼女』とチェスをしてるわ」
 するとモリエールが指差す先へ、アセルスは二人に一瞥とせず行ってしまった。
「……ふん。挨拶ぐらいしてみせても罰は当たらないだろうに」
「彼女にとってあの子が何よりも大事なのよ。私や貴方にとっての陛下のようにね」
「……ちっ」
 不機嫌に書類を端に追いやり、ワインを空にしたイザベラを、モリエールが楽しそうに眺めていた。
「それでも暇なのは確かね。どう? 私と一つカードでもする?」
「ごめんだね。あんたはすぐにカードをすり替えるから」
「そう、良かったわ。私もわざと負けなくて済んで」
 ぎり、とイザベラが歯を軋ませたのを見て、モリエールは彼女がカードを取り出すまでどれくらい遊べるか考えていた。

 広い娯楽室にいくつかある個室のうち、一つだけに灯りが入っていたため、探すのは容易だった。
 透けるような幕の掛かった一室に、薄紫の灯火で向かい合う二人の人影が浮き上がっている。アセルスはその幕の中に、
「入るぞ」
 と、無作法に入り込んだ。
「ジョゼフ。あんたの指令は片付けた。だからすぐにこの場を離れてくれ」
 一国の王にとは思えない声の掛け様だ。しかしジョゼフは逆上することはない。
 返事もしなかった。入ってきたアセルスに対して、制止を促す手だけをあげる。その視線は、女性とつき合わせている盤上の駒だけを見る。
 その姿勢のまま、時間が流れた。じり、とジョゼフが動く。盤上に並んだ白い駒の一つをつまむと、黒い駒の近くに置いた。
「詰み(チェック)」
「参りました」
 女性は揺れる鈴蘭の如く返して、ジョゼフは上げた手を下ろしてアセルスを見た。
「楽しいゲームの最中に乱入するとは無粋だな。女神(ミューズ)の騎士よ」
「ふざけるなっ! あんたが指令を終えたら顔を出せと言ったんじゃないか!」
 今にも掴みかかろうかというほどに、アセルスはいきりたっていたが、向かうジョゼフは腰掛の背もたれにうんと体を伸ばし、心地よい一戦の余韻を愉しんでいた。
「ミューズ。これで何勝何敗だ?」
「私の4勝6敗です」
 ジョゼフの相手をしていた女性は、静かに答えた。
 女性の装いは、ガリア宮廷の流行とはかなり異なっていた。随所に生花かと思うほど生々しい出来の薔薇の意匠が散りばめられ、ヘッドドレスにもこれまた、零れ落ちそうなほどの薔薇が飾りつけられている。それら全てが白い花弁を持つ純白の薔薇だ。
 そのようないでたちながら、女性はそのようなものがなくても問題にならぬほどの超然とした美貌を持っていた。硝子の箱に入れて飾っておきたくなるような、いつまでも眺めていられる美しさである。
 男振りの乗っているはずのジョゼフ王は、そのようなところに一目もくれては居ない。
「俺とチェスで勝負してそれだけ出来る奴は暫くぶりだ。もう少しきつく攻めてもよかろうな」
「ご存分に」
 ミューズ、とジョゼフが呼んだ女性に、無視された格好のままアセルスは複雑な視線を送っていた。
「みっともないな騎士よ。そんなにこいつが恋しいか」
「ジョゼフ貴様っ」
 抗しきれなくなったアセルスが、ジョゼフに掴みかかろうと進み出た。ジョゼフはそれを見てから、懐に手を入れて何かを探った。
「あっ!」
 ミューズが悲鳴を上げて椅子から倒れ落ち、襟首まであと少しというところだったアセルスの動きが止まった。
「『白薔薇』!」
「ミューズの騎士よ。お前がこやつの代わりに俺の手伝いをするというから、使ってやっているんだ。分をわきまえろ」
「うっ……あっ……」
 ミューズはこうしている間も頭を抱えて床に倒れ伏す。
「白薔薇……」
「離れろ。騎士」
 苦い顔をして、アセルスはジョゼフから離れた。
「……で、件の出来損ないは始末したんだな」
「ああ。身体はこっちで勝手に処分したけど、頭の方はモリエールの部下に引き渡した」
「シャルロットはどうした?」
 アセルスはジョゼフの目から逃げる。
「傷を負っていたから、宿に預けておいた。イザベラは不服そうだったけど」
「で、あるか」
 ふむ、と勝手に納得したらしいジョゼフは、椅子から立ち上がる。
「また何か申し付けるまで、ミューズとゆっくり語らうといい」
 だが立ち去り際、ジョゼフはアセルスの耳元に吹き込む。
「無用な事を考えるなよ」
 血が吹き出そうなほどにアセルスが憤るのを満足そうに見て、ジョゼフは立ち去った。
 立ち去ると同時にミューズ……白薔薇は苦痛から開放されたと見え、アセルスは彼女に駆け寄った。
「白薔薇!」
「だい……じょうぶ……です、アセルス様」
 似合わぬ汗を浮かべた白薔薇を抱き上げて、アセルスは啼いた。
「どうしてっ! どうして白薔薇がこんな目にあわなきゃいけないんだ」
「お泣きにならないで下さいアセルス様。擒の身は慣れておりますから」
「でも、こんなの……オルロワージュのほうがまだマシだったじゃないか!」
 自分のために泣いてくれているアセルスを見て、白薔薇はその細く柔らかな指先で涙を拭ってやった。
「ファシナトゥールとは違います。私の心までは、あの者には捕えられません」
「白薔薇……」
 そっと帳の下、囚われの二人は口付けを交わす。

 妖魔の王、魅惑の君オルロワージュが四十六番目の寵姫、白薔薇姫。
 オルロワージュを討ち果たした、誇り高き半妖、アセルス。
 魅惑の君討ち果たして幾星霜。二人は今、ハルケギニア半島、ガリア王国の都リュティスにいた。
 白薔薇の額には、二人には身に馴染みなき刻印が、無慈悲に仄光っていた……。


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