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鋼の使い魔 幕間-07


 二階や裏手が宿屋として機能している典型的な店だった『白猫と黒猫亭』の、二階の廊下突き当たりの部屋の前に立ったタバサは、中に聞こえるようはっきりとノックした。
 中からはノックに答えるような返事はない。
「お留守なのかしら?」
 タバサから鞄を預かったシルフィードが首を傾げる。
 ノブに手を触れて、タバサは部屋にそもそも鍵が掛かっていないことに気付いた。
「そこで待ってて」
「きゅい」
 神経を尖らせながら、タバサはそっとノブを回し、ドアを開いた。蝶番が軋みながら動き、部屋の中に入る。
 外はそろそろ暁時とあって、窓からはそれらしい陽の光が入ってきている。部屋にはベッドが一つ、椅子とテーブルが一組置かれているくらいの殺風景なものだ。
 ベッドの上の毛布は丁寧に畳まれており、何日も人が泊まっているようには見えなかった。
 振り返ってテーブルの上に目を移すと、そこには小脇に抱えられる程度の、小さな鞄が置かれていた。
 そっと部屋の中を移動する。床板の軋みがやけに大きく聞こえ、鞄に手をかけようとした。
「止まれ」
「きゅい!?」
 聞きなれない女性の刺すような声、そして危険を感じさせるシルフィードの声が上がる。
「ゆっくりと振り向け。両手を開き、頭の上に掲げるんだ」
 女性の声に応えてタバサは両手を上げて、静かに振り返った。
 そこには、後から腕と首を押さえられたシルフィードと、シルフィードを抑えるローブ姿の女性が立っていた。
 被っているフードから深い緑の髪がこぼれているのが見える。命令書にある『緑髪の女性』に間違いないだろう。
「キュ……お姉さまぁ……」
 シルフィードは困っていた。まさかここで変身を解くわけにもいかないし、シルフィードは変化以外大した精霊の力を使えるわけではないのだから。
 タバサは両手を挙げたまま、ローブの女性に言った。
「私は、牛頭鬼を討伐する為にここに派遣された」
 ローブの女性は俄に反応を示した。シルフィードを取り押さえたまま、彼女は部屋の中に入ってドアを後ろ手に閉める。
「手を貸すとは聞いていた。だがお前のような子供だとは聞いていない」
「馬鹿にしないでほしいのね!お姉さまはれっきとしたガリアの騎士なのね」
 つかまったままのシルフィードが叫ぶ。
「北花壇騎士七号というから、もう少しいかつい人間を想像していたんだけど……」
 ローブの女性はそう言って、つかまえていたシルフィードを解放する。シルフィードは急いでタバサの元へ駆け寄ると、その小さな背中に回って隠れようとした。
「命令書には、あなたが現地情報をくれると書いてあった」
 警戒を解いてくれたようだと判断したタバサが手を降ろす。ローブの女性は椅子に向かい、置かれていた鞄から何枚かの紙を取り出した。
「これが、被害地域について調べたものだ」
 タバサが受け取った紙束には、被害が報告された集落ごとに分けられた被害の詳細や、犯人と目される牛頭鬼の目撃情報などが記されていた。
(初めに被害が報告されたのが一月半ほど前、外に出ていた子供が行方不明になる。それから五日から一週間置きに家畜や子供が狙われ、目撃情報が出てくる。……二十日前の日付に、若い娘を要求?)
「不思議なことにな、途中から被害の内容が少し変わっていくんだ。最初は子供や家畜を襲っていたものが、最近はそれに加えて年若い娘を、村々に要求するようになっている」
 紙束の内容に疑問を感じたと見られたタバサに、ローブの女性はそう応えた。
「きゅい。牛頭鬼は子供や女の人を食べるんだもの。別に変じゃないと思うのね」
「不思議なことはそれだけじゃないよ。初めは黄昏時や早朝など、人にあまり見られない時間に現れるのを目撃されていた。家畜を狙っての行動だと思うんだけど、そこに書いてあるように村に要求を突きつけるようになってからは、獲物を特定の場所に持ってこさせるようになっているんだ」
「きゅい……? つまり、どういうことなのね?」
 あたまをぐるぐるさせはじめたシルフィードを置いて、タバサは応えた。
「獲物とそれの獲得方法が変化している」
「そう。牛頭鬼は単独で行動すると聞いているし、多少知恵が聞くとは言ってもここまであからさまに変化はしないだろうし」
「きゅい……」
 勝手に納得する二人に、取り残された気分を味わうシルフィードだった。
「牛頭鬼に何か異変があるのかはわからない。少なくとも潜んでいる場所は概ね特定してある」
 ここだ、とローブの女性はもう一枚の紙片を取り出し、その一箇所を指差した。その紙片は牛頭鬼が出没するようになった村々が載った、簡素な地図だ。指差したのは『エズレ』と書かれた村に程近い山の中腹だった。
「今日はもう暗くなる。出発は明日だな」
「わかった」
 タバサが素直に頷くのを見て、ローブの女性は鞄を掴んで部屋を出て行こうとする。
「どこへ?」
「あなた達はここを使ってくれ。私は……外で休むよ」
「待って」
 振り返ってドアに手をかける女性に、タバサは続けた。
「まだ、名前を聞いていない」
「名前か……」
 フードの陰になり、判然としない口元がどこか自嘲めいて歪むのが見える。
「……『シェフィールド』。そう、呼んで」

 翌朝、シェフィールドが借りていた部屋で一泊したタバサとシルフィードは(シルフィードは不本意ながら人に変身したまま一夜を過したため、かなり疲れが溜っているようだった)、階下でテーブルに着いて待っていたシェフィールドと顔を合わせた。
「おはよう」
「おはようなのね……」
 目をしょぼしょぼとさせ明らかに睡眠不足のシルフィードと違って、旅先だというのにタバサはまったく普段どおりに立ち歩いている。
「あんたら、これからエズレに行くんだってねぇ。気をつけなよ。あそこは最近牛頭鬼が出るって言うからさ。あんた達みたいな綺麗な人は特に狙われるだろうさ」
 店の主人はそう言って、絞りたてのオックスの乳と根菜を煮込んだスープとサラダ、そして焼きたてのパンを出してくれた。
 食事と見ればシルフィードも少し元気が戻ってくるようで、席に座るやスープとサラダをもしゃもしゃと食べ始める。タバサも同じように、食事を始めた。
「あんたも食べるかい?」
「いや、いい。あまり食が進まないんだ」
 シェフィールドがそう答えると、店の主人は諦めを混じらせたため息をつく。
「とうとう、あんたにうちの料理を食わせることが出来なかったな。一体どこで腹を満たしてるのか聞いてもいいかい?」
「秘密だよ。もともとそれほど食にこだわりもないしね」
 フードの下でシェフィールドが小鼻を掻いて答えた。

 エズレという村までは一応馬車が出ているらしく、三人はそれに乗り込んだ。とうとう、シルフィードは変化を解いて移動するチャンスを得られなかったのだ。
 だから、半分荷馬車を兼ねている馬車の乗り合い椅子に背中を預けるや、ぐーすかとだらしない寝顔を見せて寝こけてしまっていた。
「んゆぅ……もう食べられないの……おにぎりとイチゴババロア……」
 意味不明瞭な寝言をつぶやく隣で、タバサはシェフィールドと名乗った女性を見ていた。
 昨日は夕方頃だったからよく見えなかったが、顔つきから、若い……おそらくキュルケと同じくらいの年齢の女性だと分かった。
 命令書にも書いてあった、深い緑色の髪の毛がフードから覗いている。ローブの裾からは細くしなやかな脹脛が伸び、それはあまり見たことが無い質感の布で出来たズボンでぴっちりと覆われている。ローブで分かりにくいが、見た目より線の細い体つきのようだった。
 タバサはイザベラが、今回の任務に助っ人を用意したと言ったのを思い出した。しかし、目の前の女性はあまり助っ人と呼ぶには力があるようにも見えなかった。もっとも、それはタバサ自身にも言えることなのだが……
「どうした?」
 見られていることに気付いたシェフィールドが問いかけると、タバサは視線を外して沈黙した。
「……馬を借りれれば良かったんだがな。私は馬が苦手なんだ。乗り慣れなくて」
 独り言のようにシェフィールドは言った。
 それを聞いていて、タバサはぼんやりと、魔法学院で自称使い魔をやっている、剣を教えてくれた男を思い出していた。

 エズレ村は、ハルケギニア中部域にはよく見られるような村の一つだった。石と木で出来た簡素な家々が、林の木を切り出して作った柵に囲まれている。柵の外には、不均衡な畦道で区切られた畑がぽつぽつと広がっていた。
 三人が乗っていた馬車が村の門と思しき場所を過ぎて停車する。降りた三人の目に、村の中は疲れているように見えた。
 五十戸もない家々が村の真ん中を通る小川を囲むように並び、地面は踏み固められてはいたが石が葺かれているわけでもなく、歩くと埃っぽい風が立った。
「なんだか、しょぼい村なのね」
 見渡して一番、シルフィードはそう言った。
 シェフィールドはそのまま村の中へ歩いていき、小川から水を汲もうとしていた老婦に声をかけた。
「この村の村長に会いたいんだが、案内してくれないか?」
 腰の曲がった老婦はままならぬ動きで振り返り、シェフィールドを認めてうなずいた。
「はぁ。……あんた、前にも村に来とりゃあせんかったかい?」
「えぇ。そのことで、村長に話があるので」
 曖昧にシェフィールドは答え、老婦もどこか釈然としない風情で村長の家に案内してくれた。
 村長の家は、村にある他の家屋と比べて、やはり大きく立派なこしらえでできており、老婦が呼び鈴を鳴らすと白髪の老人が顔を出す。
「やぁ、ドミニク。何の用事かね」
「こちらの方々が村長に会いたいって言ってねぇ」
 牛頭鬼に狙われている村の割にやけにのんびりとした会話をしていて、シルフィードは脇で不安になった。
「もぅ、世話話はいいから、さっさと牛頭鬼について話すのね!」
 そう口にした途端、ドミニクなる老婦と村長の顔から色が消えた。村長は慌ててシルフィードを部屋に引っ張り込む。
「え?え?」
「いいから、早く入ってください」
 困惑するシルフィードが振り返ってタバサに助けを求める視線を送る。タバサは何も言わずに村長の家に入った。
 シルフィードを離した村長は、自分の部屋へと案内する。家の中は板で仕切ってあるようで、壁の隙間から別の部屋が覗けている。その中で、わざわざきちんとした壁で仕切った部屋へと三人を招き入れた。
「ふぅ。ここならやっと、お話できます」
 安堵の息を漏らし、村長は三人を見上げた。
「改めて、私が村長です」
「どうもなのね」
 口少ない二人に変わってシルフィードが答えた。
「えぇと……お三方は牛頭鬼の話を聞きにきたと見てよろしいのですかな?」
「そうなのね。この辺に出るって聞いたのね。子供とか家畜とか、あと女の子とかを浚っていくんでしょ?」
 そう聞いて、村長は苦しい顔をしてうなずいた。
「まったくでございますよ。この村だけじゃございません、周辺の集落でも似たようなことが起きておりますよ」
「私達はその牛頭鬼を退治しに来た」
 タバサがそう言うと、村長ははっと瞳を輝かせて三人を見たが、すぐにその目には疑惑を浮かべて視線をそらした。
「お三方は騎士様でございますか。恐らくどこぞの村で聞いたのでしょうが、失礼ですがお引取りください……」
「それは出来ない」
 苦しげに言う村長に、タバサは切り捨てるように言った。
「村長。ここには牛頭鬼から来た要求状があると聞いているのだが」
 それまで黙っていたシェフィールドの言葉に、村長は驚いた。
「どうしてそれを……」
「見せてもらえるだろうか」
 フードの陰から光る、シェフィールドの視線に負けた村長は、不承不承に戸棚を開き、一枚の皮切れを取り出してみせた。
 粗雑になめされた獣の皮で、裏側に血のようなもので文字が書かれている。
『ウル、22の日の夕刻までに、村で最も若い娘を山中腹の祭壇に用意するべし』
「きゅい。牛頭鬼のくせに、けっこう綺麗な字なのね」
 自身はみみずの這ったような字くらいしか書けないシルフィードが、ふんと鼻を鳴らす。
「実はですな、若い衆が騒がないように、私が村の老人たちに口止めしてあるんです。それでも、牛頭鬼がうろついているのは知っておるから、ここ一月は神経が張り詰めておるのです。これで、娘を要求されたとあればなにが起こるか……」
 領主に討伐の願い出をしようとか、その代わり税金が上乗せされるから嫌だとか、だったら自分達で退治できないかとか、できるわけないからどこかに手を貸してもらえないかとか。
 村は牛頭鬼の出現で、かなり強い心労が降りかかっているのだということタバサは知った。
 村長の話が途切れたので、シェフィールドは事務的な言い回しで話し始めた。
「我々は牛頭鬼の討伐を目的にここにやってきている。村に対しては出来るだけ負担をかけないようにするので、協力をお願いしたい」
「はぁ……それは、構いませんが」
 まだ消えぬ疑惑の目で三人を村長は見ているが、シェフィールドはそれを無視して続ける。
「山にある祭壇に娘を用意すれば、牛頭鬼は現れるんだろう?なら、娘を用意すればいい」
「そんな!」
 村長が顔を青くする。
「……私がやるよ」
 ふ、とシェフィールドは口元を崩し、かぶっていたフードを下ろした。
 タバサもはじめて見るシェフィールドの顔は、一点のくすみもにごりもない、白絹で出来ているのかと思うほど、きめ細やかな肌をしていた。
 その瞳は短く切りそろえられた髪の毛と同じ緑色で、日の光を受けて宝石のようだ。紅も差していないのにその唇は艶かしく潤んでいる。
 恐らく男女問わず、人目見れば振り向かざるを得ない美貌というものが溢れている、そんな容貌だった。
 その場にいる者が皆呆然としている中で、シェフィールドは言った。
「私が囮になって、牛頭鬼をおびき寄せる。その後はタバサ、お前の出番だ」
 タバサはそう言われて、静かにうなずいた。
「不自然に見えないように、村の人には祭壇まで私を連れて行く役をお願いしたい」
「……は、はい。わかりました」
 まだどこかぼんやりとしていた村長は、夢うつつの表情でこくこくと首を振っていた。

 そのまま夕暮れまで村長の家の一室に、村長が村の老人たちに話をつけるまでの間、三人は篭ることとなった。
 部屋は狭く、粗末な椅子が一脚だけあったので、シルフィードはそれに座り込んであくびを吐いた。
「あふぅ~。暇なのね」
 大事にタバサの鞄を抱いているシルフィードは、そうしているうちに器用にうとうととまどろみ始める。
 タバサはというと、部屋の間取りを確認したり、窓から入り込む光から時間を見たりしていたが、ふと気になる事を思い出して、シェフィールドを見た。
「……なんだ?」
 壁にもたれた姿勢のままシェフィールドもタバサを見た。部屋に残されて以来、シェフィールドはローブの下で何かを抱いたままぴくりともしていない。
「貴方は何ができる?」
「ん? ……そうか。腕の方を聞いているんだね」
 タバサは頷いた。
「そう、だな……。とりあえず、剣は使える。お前と同じくな」
 そう言って、シェフィールドはタバサが肩に吊っている剣を見た。
「そう」
「今はそれだけにしてくれ」
「魔法は?」
「秘密だ」
 それ以上聞こうとして視線をあわせた時、タバサは呼吸が止まるほど身体を硬直させてしまった。
 シェフィールドからそれ以上聞くな、と気配で伝わってくる。そしてそれ以上に、肌が泡立つような“何か”がシェフィールドからタバサへとやってくるのだ。それがタバサの首を絞めつける。
 視線を外してタバサは、二人に気付かれないように深呼吸し、腰の杖に手をやった。
 少なくともこれで、シェフィールドが只者ではないことだけは分かった。だが、同時に何か得体の知れないものであることも、おぼろげながらタバサは感じ取っていた……
 そのようにして、部屋で過していると半刻ほどで村長が部屋に戻り、タバサたち三人に話した。
「話がつきました。翌日の夕刻に貴方達を祭壇に連れてゆきます。そちらの方が村娘に扮する、ということでよろしいですな」
「あぁ」
「窮屈とは思いますが、今日は私の家でお休みください。たいしたもてなしは、出来ませんが……」
 村長は申し訳なさそうに言ったが、タバサもシェフィールドも気に留める事はなかった。
「きゅい。お腹すいたのね……」
 一人、シルフィードだけは小さく愚痴を零していた。

 暖炉の前に、編み草で出来たマットに毛布を重ねただけの質素な寝床が並べられ、タバサたちは眠りについていた。
 家主は仕切りの向こう側で夫婦ともに眠りについているはずだ。
 だが、静まり返った中で、細い話し声が、仕切りの奥から途切れつつも聞こえてくる。
「本当にあの人たちを牛頭鬼に差し出していいものかね」
「かまいやしないよ。騎士様だって言ってるけど、どこの仕えとも名乗らないし、放浪のメイジが名声目当てでやってきたんだろう。村を守る為のいけにえくらいにはなってくれようさ」
「そうやってお前さんは、昔のようにそ知らぬ旅人を犠牲にするのかい」
「村を守る為だ。仕方があるまい」
 話し声はそれきり途絶え、暫くして、静かな寝息だけが家の中に広がる。
 暖炉の前の影の一つが、やがて寝返りを打つ。
(……そんな、ものか……)
 深緑の瞳をうっすらと開き、冴える夜光の元でシェフィールドはつぶやいた。

 翌日の夕刻、三人はまず濃い色の古びたローブを借り、シェフィールドが先に出て村長と村の老人達と共に祭壇へ向かい、タバサとシルフィードはその後を追う形で、村を出発した。
 既に丸三日の間、人に変身したままのシルフィードは、夢を見る間もないほどの熟睡をしたはずなのに、足元がおぼつかないほどフラフラとしている。
「きゅいぃぃぃ……、すごく、疲れるのね……。お空に上がりたいわ。風を浴びたいのね」
 そう言いつつも懸命にタバサの後を付いてくるのだから、タバサとしてもどうかしてやりたいのだが、今は任務が優先だ。我慢してもらうしかない。
 この任務が終わったら、何かいいものを食べさせてあげよう。そう思いながらタバサは林に入り、茂みに消えそうな村人の影を追って、山を登った。
 それほど高くない丘のような山の木々を分け入り、シェフィールドを囲んだ村人たちは、山の頂が見える開けた場所にたどり着いた。そこには大きな岩が転がっており、その辺りだけ木々が開け、傾斜の関係で山頂を見ることが出来るのだ。
転がる岩を縫うように歩く村人の先に、丸太を並べただけの粗末な台のようなものがしつらえられていた。
(あれが祭壇?)
 なるほど、頭の良くない亜人の類が作ったと思えば祭壇にも見える。しかし、タバサの知るかぎり、牛頭鬼にそのような習性はないはずだ。犬頭鬼(コボルト)ならいざ知らず。
 祭壇の上にシェフィールドを縛りつけ、村人たちがエズレへと引き返そうとしたので、タバサはシルフィードを引っ張って茂みの中へと隠れ、続けて杖を抜いて制音【サイレント】を唱えた。自分を中心とした数メイル四方の音を『風』の力で打ち消し、その外側に漏らさないようにする魔法。逆に音を集めて拡大させれば、壁越しの会話でも筒抜けに出来る。
 茂みのすぐ近くを村人達が抜けていき、祭壇の周りから人の気配が消えると、シルフィードをつれてタバサはもう少しシェフィールドに近い位置へ移動する。
 既に陽が傾き始めている空の下、シルフィードがぐったりとしているので、適当な岩の陰に休ませる。
「静かにしていて」
「きゅい……」
 返事をするかしないで、ついにシルフィードは地面の上で音も立てないような熟睡に入ってしまった。タバサはとりあえず、ローブを脱いでかぶせてあげた。
 次に、制音を調節して、祭壇に縛り付けられたシェフィールドに向けて声をかける。音を一定の方向にだけ伝わらせるのだ。ラインクラス位だとこの辺りの加減が難しいが、タバサになら、そう難しいことではない。
「<大丈夫?>」
 一瞬シェフィールドは身じろぐ。もう少し近づき、今度は向こうからの音を拾う。
「あの老人たちめ。ローブの上からかなりきつく縛ってくれたよ。どうやら本当に、私をいけにえにしたいらしい」
「<私が切る?>」
「いや、何があっても動けるように準備だけしていてくれ。縄抜け位はできるから」
「<そう>」
 やがてシェフィールドの耳にも、わずかに石を踏む音が聞こえ、タバサが下がったことが分かった。
(ふん……)
 自分を化け物のいけにえにするとは……と、シェフィールドは肌が逆立つような怒りを感じていたが、次に、ふっ、と自嘲めいた笑みを浮かべて、もそもそと縄を緩めようと見繕い始めた。
(……やっぱり、長く生きてるとあいつの血が濃くなっていくのかな……)
 その問いかけに答えられるものは、その場にはいない。

 やがて太陽が山際に沈みゆく頃。山の日没は早い。既に岩場の周囲は足元がおぼつかない位に暗い。
 岩の陰に隠れて祭壇を見守っていたタバサは、自らに暗視【インフラビジョン】の魔法を掛け、状況の変化にまさしく目を配っていた。その傍では、午睡から起きてはいるものの、まだ少しうとうとしていたシルフィードが、静かに山の音に耳を傾けていた。
 暗視の掛かったタバサの目には、闇の中にある祭壇も昼間と変わらぬ光景に見えた。もっとも、多少色彩に欠けるため、細かな部分は分からない。
 しかし、そんな闇に落ちた空間の先を、シェフィールドは見開いた眼差しで眺めていた。彼女にはこの暗闇の中が見えるのだろうか?
 遠い山際に、太陽がその身を全て隠す。風も冷え、一足早い夜闇が山の中を走り始めた頃。傍らでぼんやりとしていたシルフィードの様子が変わった。
「きゅい。お姉さま、どっかから気配がするのね」
 それを聞いて、タバサも祭壇に目を凝らす。
 祭壇に変化はなかった。だが、祭壇の向こう側からうっすらとだが巨大な何かの影がこちらに向かってくるのが見えた。
(あれが牛頭鬼……?)
 つばを飲み込み、身体に緊張が走る。杖と剣にはいつでも抜けるように手をかける。やがて、影の形がはっきりと見えてくる。
 それは2メイルほどはある、大きな人の形をしていた。その頭部に当たる部分には、頭の両側面からねじくれた角が突き出ているようだった。
 やはり牛頭鬼で間違いない。とすれば、このままシェフィールドをつれて巣に帰るところで仕掛けるか、それとも、シェフィールドに手をかけた時点で仕掛けるか。タバサは脳裏でどちらが有利か考え始めていた。
 その時、静かに主人を見守っていたシルフィードが、眉をひそめながらタバサを呼んだ。
「お姉さま。変よ。人の匂いがするのね。それに、気配も」
「人の気配?」
「きゅい。牛頭鬼の後ろからなのね」
 シルフィードはそう言いながら、頭に指を立ててうんうんと首を捻っていた。
 再びタバサは祭壇に近づいてくる牛頭鬼を観察する。牛頭鬼は重たげに頭を垂らし、のしり、のしりと動いている。両手には何も持っておらず、手を地面に付きながら、まるで手探りで歩いている進んでいるかのようだった。
 奇妙だ。タバサが本で得た知識では、牛頭鬼は手製の大きな斧を持っているはずだ。それに牛頭鬼は夜の動物のように暗闇でも獲物を認められるだけの十分な目を持っているという。目の前の牛頭鬼らしきものは、そういう意味では不自然に見えた。
 怪しい牛頭鬼が、ようやくのように祭壇に腕を置く。シェフィールドはその時、くぐもったようなため息をはっきりと聞いた。
(人食いの化け物がため息だと?)
 続けて牛頭鬼は首を左右に振り、周囲に何か不審が無いかと注意を払っているようだった。ようだったが……どうもおかしい。人を食うほど凶暴な化け物がするには、その動きがどうにもうそ臭い気がする。
 タバサとシェフィールドが、それぞれに確かな疑惑を抱き始めた時。ついに牛頭鬼は祭壇に上がり、シェフィールドに手をかけた。
「おおい。問題ないみたいだぜ」
 くぐもった人の声を上げて牛頭鬼が祭壇の奥の闇に向かって手を振った。いや、この牛頭鬼、よく見るとその牛の頭と胴のつなぎ目の毛皮に、明らかな隙間が認められるのだ。
(牛の頭の被り物をしている?ということは……)
 シェフィールドが脳裏に思いついた事柄は事実と相違なかった。牛頭鬼に扮していた何者かが奥の闇に手を振ると、明らかな人の手による灯りが上げられて、ぞろぞろと無遠慮なしぐさで人が祭壇に集まってくるのだ。
「だいぶ渋ってたみてぇだが、エズレからもようやく一人巻き上げることが出来てよかったぜ」
「これで五人か。まぁ、暫くの金には困らねぇわな」
「まったく。牛頭鬼様々だぜ」
 灯りに照らされただけでも5、6人の男がその場に集まっていた。長く身体を洗っていないのだろう、汗と脂の饐えた匂いがして不愉快を誘う。
「わりぃな姉ちゃん。俺達は所謂人身売買業ってのをやっていてね、おまえさんの村はすっかり俺達の出した要求状にだまされたのさ」
 縛られたままのシェフィールドの顔をよく確認もせず、人攫いたちは雑談しながらシェフィールドを担ぎ上げる。
 シェフィールドは、いかにも驚いて気が動転しているような娘を装い、自分を担いだ牛頭鬼に扮していた男に聞いた。
「牛頭鬼はいなかったの?」
「あん?いや、いるにはいるぜ。俺達はあいつの動き出す時間をきっちり把握してるのさ。馬鹿な村の連中はびびっててわかんねぇみてぇだけどな」
 ケケケ、と卑しい笑い声を上げて、人攫いは担いだシェフィールドをゆすって黙らせようとした。
 粗末な松明らしき灯りに誘導されるように人攫いたちは祭壇から離れていった。
 その背後から音無き追跡をする者たちがいることに気付かずに。



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