あの作品のキャラがルイズに召喚されました @ ウィキ

鋼の使い魔 幕間-06



 タバサはその時も、鞄より取り出した本を広げて項を目で追っていた。いや、例えどのような場所であっても、自分の自由に出来る時間であるならば、タバサは本を広げ、読み続けるのであった。
 それが使い魔シルフィードの背中、高度三五〇〇メイルの上空であっても。

 耳には風を切る音が轟々と鳴り、顔を上げれば雲海の広がる晴れ上がった空と、その上方にうっすらと見える二つの月が幻想の世界を形作っていた。
 見下ろす雲の切れ間から、林と林の間を筋のように延びる街道が、かろうじてそこが人の営みのある世であることを知らせてくれる。
「お姉さま。今日はどこにいくのかしら?」
 甲高い、かわいらしい声がどこからか聞こえてくる。それにタバサは顔を上げる事無く答えた。
「リュティス」
 それはハルケギニア半島東部にあるガリア王国の都にあたる。さして声量を出さないつぶやきであるのに聞こえるのは、彼女の乗るシルフィードが、世界を満たす精霊の力を借りて、大気の障壁をその周囲に作り出しているからであった。
 そう、このシルフィードと名付けらた蒼穹を溶かしたような鱗の持ち主は、一体ただの風竜ではなかった。
「きゅい。あの大きな町!でもあそこにいくってことは、あの小生意気な娘に会いに行くのね。シルフィ行きたくないのね」
「任務だから」
 きゅいきゅいとシルフィードが間断なく鳴きながら、その話し声は聞こえてくるのだった。

 彼女……タバサの使い魔、風竜シルフィードこそ、数多ある幻獣の中でも、もはや人里にあって伝説の域となった希少種、韻竜(ジング・ドラグ)の中の一体なのである。
 彼女達の種は最強種であるドラゴンの中でも、さらに個体数の少ない者達だ。長じた個体であればその鱗は何物をも弾き、爪牙は獲物を捕らえ、息吹は空気を焦がす。それだけではなく、人間……特にメイジとって脅威なのは、人語を理解し、話す事さえできる知性と、先住魔法と人間達が言う精霊を操る力であった。
 幼生とはいえ、そのような生物を自らの使い魔として支配下に置くタバサの、潜在する魔法の力がどれ程のものか、推して知るべくもない。
「そーれーにー、シルフィはお昼ごはんを食べて、フレイム君と川の字に小粋なお昼寝と洒落込みたかったのね。それだというのにこの小娘は、いっつも任務だ外出だって、使い魔を扱き使いすぎなのね!」
「十分な休息はしてるはず」
「それにしてももう少し労わって欲しいのね。具体的にはもっとたくさんご飯を!」
「向こうに着いたら用意させる」
「本当に?」
「約束する」
「わーい!ご飯、ご飯♪お腹一杯食べるのねー。るーるるーるるー」
 実年齢でタバサの二十倍はあるはずの竜は実際のところ、その態度はまるで子供のようで、楽しくなった挙句鼻歌まで歌い始めていた。
「うー、でもでも、ご飯は嬉しいけれど、シルフィとしてはもっともっと、お姉さまとお話したいのね。ねぇ、どうして人前でしゃべったらいけないのかしら?」
「貴方達はもうこの世に存在しないことになっている。知られたら、面倒」
 きっと、トリステイン“アカデミー”や、リュティス“塔”機関が、背後の王政府を動かしてでもタバサにシルフィードを引き渡すように迫るだろう。
「そりゃ、私だってお姉さまと離れ離れになるのはいや。でもでも、やっぱりお話したーいーのーのー」
 やかましいほどに抗議するシルフィードの後頭部に、タバサの踵が叩きつけられて、幼い風竜から悲鳴が上がった。
「あう!いたいの~」
「煩いのは、嫌い」
「あう~嫌いにならないで欲しいのね。でも、やっぱりおしゃべりしたいわ」
 ぶつぶつとつぶやくシルフィードの背中で揺られながら、タバサはその凍りついたような無表情のまま、ただただ広げた本を読み続けていた。

 二人が何ゆえ、ガリア王国の都を目指しているのかというと、こういうわけである。
 或る日正午頃のトリステイン魔法学院はタバサの部屋に、一通の書状を携えた伝書梟が舞い込み、手紙を渡していった。
 厳しくも、蒼い蝋でされた封をはがして中身をタバサは見た。そこにはただ一文、
『プチ・トロワへと出頭されたし』
 とだけ記され、日時すら書かれてはいなかった。
 それを読んだタバサは、いつも部屋の隅に置いてある鞄を確認した。中には簡素な着替え一式、傷薬、服用式の解毒剤に、一辺が2メイル半ほどある表が紺色、裏地が褐色に染められた布が綺麗に折りたたまれて入っていた。
 タバサはその中に、机に積み上げられたまま、目を通していない本から適当に数冊を抜きだして詰め込み、鞄を背負った。
 部屋の窓を開け放つ。空は千切れた雲が散見し、空気も適度な湿りを帯びて良好な天候と言えた。
 再び荷物を確認する。必要なものを詰めた鞄、腰の皮ベルトには、以前の節くれた大杖に変わって手にしている短杖が差し込まれていた。
 トリスタニアソレイユ工房製、ストームⅤ型カットオフカスタム。伝説的騎兵『烈風カリン』に肖ったタクト型杖の五世代目デザインに、取り回しやすいように先を詰めた上で、カップ型の小さな鍔を取り付けた代物。
 その上から貴族の証であるマントを着け、さらにその上から皮ベルトで吊った剣を肩にかけている。それは小柄なタバサが抜きやすい様、刀身が短く、刃の片面しかついていないものだ。
 凡そ少女に似合わぬ姿、凡そ貴族らしからぬ装いであった。
 自分の荷物を確認したタバサは窓枠に足をかけ、外に向かって跳躍した。それと同時に指を加えて笛を吹く。
 笛音は風にかき消されたかに思えたが、落下するタバサを蒼い巨大な何かが掬い取る。
 蒼い何かは笛に応えたシルフィードであった。蒼く輝く鱗に覆われた体躯が躍動し、タバサを乗せたシルフィードは一路、雲すら見下ろす上空へと駆け上った。

 かくしてタバサとシルフィードは雲海の人となり、一路トリステイン魔法学院より遥か南東へと飛び続けた。
 やがて眼下の雲が晴れ、広く見下ろせる大地の先に、毛織物を広げたような多様な彩りを思わせる都市が見えてくる。二股に分かれてゆく大河に抱かれた中州に建てられ、今や人口三十万を超えるハルケギニア一の大都市となった、ガリア王国の首都リュティス。長い年月を経て縦横に拡大していったこの都市の東側に、先々代の王は新宮殿ヴェルサルテイルを開いた。現国王ジョゼフ一世が現在その中心『グラン・トロワ』の主である。
 タバサとシルフィードは、そのグラン・トロワより渡り廊下と隔壁で繋がっている小宮殿の前に降下した。小宮殿といっても、その壮麗さたるや大貴族の邸宅でも足りぬほどだ。その外壁は薄桜色の飾り石で葺かれていて、見る者に強く印象付ける。
 大宮殿の付属物のように見えるが、しっかりと一つの宮殿としての機能を持っていて、タバサは宮殿付の厩舎にシルフィードを案内し、厩番に食事を摂らせる様、しっかりと言い含めると、宮殿の中へと入っていった。
 小宮殿の名を『プチ・トロワ』という。国王の子女のための宮殿であった。

 壮麗なる宮殿の主はその時、居室にて寝椅子に寄りかかりながら、壁に掛けられた的に向かって投げ矢(ダーツ)を放っていた。的と矢は杖にも使われる硬い樹木に、宝石を砕いた石絵の具で数字や絵が描かれた最上級のもので、そのまま飾っていても問題が無いような品だ。投げられた矢は寸分と違わずに、的の中心に刺さる。掛けられた的は不思議なことに、長い間飾られているように見えながら、一つの傷も見受けられなかった。
 腰まで伸ばされた髪と瞳は澱み無き青、年頃は十七ほどで、肢体は少しばかり痩せ型だが、年相応の瑞々しい膨らみで曲線を描いていた。丁寧に梳かれた髪と、光沢のないドレスが合わさって、その姿は寝椅子に張り付いた影のようだ。だが、頭に被せられた豪奢な冠と、覗くすべらかな額、そして鋭い眉尻を備えた眼差しが光っている。
 丁寧に紅の注された唇を微動だにせず、彼女は部屋に垂れ下がっていたロープを引いた。
 部屋の外、どこか遠くで鈴の鳴る音が聞こえ、暫くして足音ともに、傷塗れのドアが開かれた。
「お呼びでございましょうか。イザベラ殿下」
 殿下と呼ばれた少女、イザベラは寝椅子に座ったまま、首も向けずに言った。
「退屈よ」
「ゲ、ゲームのお相手でも、いたしましょうか?」
 緊張する召使の女の後で重々しい音と共にドアが閉まる。
「結構よ。そこに立っていなさい」
 その言葉の意味するところを知っている召使は、これから始まる時間を思って気色を失った。
 テーブルに並べられた投げ矢が五本、召使の目の前で消えた。
 それと同時に、風切り音を伴って召使の両耳をほんのわずかに掠るようにして投げ矢が通り抜け、背後のドアへと突き刺さる。
「ひぃ!」
 ガクガクと膝の震える召使を一瞥ともせず、イザベラは並べられた投げ矢二十本を瞬く間に投げ続ける。投げ矢が指と指の間を、脇下を、股下を抜けてドアに心地よい音を立てて刺さる。
 投げ矢がテーブルの上から無くなると、今度は果物を切る為のナイフが飛んだ。次に編み物用の棒が、さらにペンが三本続けてこめかみの脇を通って刺さった。
「は……は……は……」
 一分にも満たないその時間で、召使の女は二十年は年をとって見えるほど恐怖し、足元に滴る染みから鼻を突く匂いが立った。
「主人の部屋で粗相をするとはいい度胸ね? でも、いいわ。良かったわね? 私の手元にもう投げるものが無くて」
 名状しがたい邪悪な微笑みを、イザベラは浮かべて言った。
 飽いた様にイザベラは窓を見た。外は晴れ渡り、宮殿の外を彩る花壇が萌え上がっている。
 だが、リュティスの大宮殿にとって『花壇』というのは別の意味を持っているのだった。
 そのことにイザベラが思い巡らそうとしていた時、鈴の音と共に召使がまた一人やってきた。
 新たな召使は壁に釘付けにされた同僚を見て、苦しい顔を一度作っては消すと、自らの主人に向かって傅いた。
「イザベラ殿下、シャルロット様がおいでになられました」
 イザベラは瞬間、傅く男召使に振り向いた。男召使は顔を上げようとする体を懸命に抑えた。
 今、首を上げれば、その首は胴から離れるかもしれない。そう思わせるだけの何かが、頭垂らす先の少女から放たれているのを感じ取れたからだ。
「シャルロット? 誰だいそれは。……もし、あの人形娘(ガーゴイル)の事をそう呼んでいるのなら……」
 背中が焼けるような殺気を浴びて召使は頭を垂れ続けた。そして次の言葉を待った。ほんの一瞬が永遠に思えた。
「……歓迎しておやり。私は下の部屋で待つよ」
 寝椅子から立ち上がりながらイザベラは言い、自室から下の謁見室――小国の玉座に相当する華麗なものへ続く階段へ向かった。
 心労でがくがくと震える体を立たせながら召使が立ち上がろうとした時、階段に足をかけたイザベラが振り返った。
「そうだ。ただの歓迎では、面白くないね。こういうのは、どうだい?」
 果たして、召使は見てしまった。
 イザベラの氷の如き眼差しを。

 タバサは門衛に、続いて引継ぎの文官に名前と書状を教え、中へと通された。その名前とは、本来の名前『シャルロット』ではない。
 北花壇騎士(シュバリエ・ド・ノールパルテル)
 ヴェルサルテイルを囲む花壇と、そこに植わられた花々にちなむガリア騎士団の中で、唯一、花無き北の花壇の名を与えられた騎士団があった。表向きには存在せず、公にならぬ任務のために技術を磨いた特殊な集団、それが北花壇騎士団である。
 タバサのガリア上での地位は『北花壇騎士七号』。騎士団の中で席次にして七番目に位置する。一応、席次=騎士団での実力であるはずなのだが、集団で行動する事無き北花壇騎士にあって、そんな序列はあってないようなものだった。その実体を知っているのは、全ての騎士団のトップであるべきガリア王ジョゼフと、騎士団長に任じられる『北花壇騎士一号』だけだった。
 『北花壇騎士七号』タバサは王女イザベラの謁見室前に立った。衛兵の名乗りもなく扉は開かれ、タバサはその中へと入っていった。
 毛氈のしかれたる謁見室は奥行き五十歩、幅二十歩足らずの部屋で、最も奥の段に拵えられた小玉座に悠々とした風情でイザベラが座り、タバサを見ていた。
 イザベラの元までタバサが進んでいく。その距離にして三十歩を切った、その時。
「お覚悟!!」
 部屋を支える柱と帳の間から腰溜めにナイフを構えた召使の一人がタバサに向かって飛び掛った。その顔には恐怖が張り付いた、鬼気迫るものだ。
 タバサの体に緊張が走る。とっさにタバサは腰を落として、逆に召使に向かって飛び込んだ。只でさえ小さいタバサが屈みこんだことで、ナイフの切っ先からタバサが外れた。タバサは召使の懐へ入り込み、飛び込む力を利用して鳩尾に向けて肘を突き込む。
 召使は強かな一撃を受けて呻きながら後じさる。そのまま横なぎに倒れ、苦しげに呟いた。
「申し……わけ……ありません……」
 それだけを言って召使は気を失った。

「おやおや……随分と嫌われたものだねぇ、人形娘」
 名を付ける気にもならない悪意が込められた声でイザベラは近寄ってくるタバサにそう言った。
 イザベラの椅子から八歩のところでタバサは止まった。
「暗殺者に狙われるなんてねぇ」
 悠然とのたまうイザベラを、タバサは無言の眼差しで見た。
「何か言ったらどうだい?」
 言葉を請われてもタバサは自若として口を動かさなかった。ただ、その眼差しでイザベラの目を見る。その奥に、自分の目指すべきものを見るように。
 その様を見たイザベラは、ほんの一瞬だけ、常とは違う顔をしたが、それも一瞬の事で、恐らく誰も――今最も近くにいるタバサですらも見逃している。
「まぁ、いいわ。北花壇騎士七号に命ずる」
 玩具に飽きた子供のような口ぶりで、イザベラはどこからか取り出した一枚の紙をタバサへと投げつけた。
「詳しくはそこに書いてあるけど。お前には牛頭鬼(ミノタウロス)の討伐を命ずるよ。知ってはいるだろうが、牛頭鬼は亜人の中でも、群を抜いた生命力と頑強な体躯を持っている。お前はその命令書に示された場所へ向かい、先に行った者と共に牛頭鬼の首を上げるのが、今回の仕事だ」
「先に行った者?」
 ここにきて初めてタバサはイザベラへ向かって言葉を使った。
 タバサの疑問は当然であった。本来、北花壇騎士は単独行動を取る。私的に知り合いならまだしも、その活動にあって協調行動を取る事などまずないはずだ。
「あぁ……先に行ったといっても、北花壇騎士じゃあないよ。……まぁ、なんだ。多少魔法が使えたといっても、お前はまだまだ餓鬼だからね。助っ人を用意したということさ」
 面倒臭そうにイザベラは答えた。助っ人? まさか。隙あらば任務に託けて謀殺することを考えているはずのお前達が?
 明らかな疑問、疑惑を見せたタバサを見て、イザベラは僅かにだが溜飲を下げ、満足げに、そして悠然と宣した。
「さぁ、行くが良いさ。分かっているだろう? お前に選択の余地は無いんだからさ」
 イザベラの言う通りだった。タバサにとって北花壇騎士の仕事は全てを賭けさせられたものだから。
 命も、残された母も、なけなしの何もかもを。

 プチ・トロワの外で竜の鳴き声が聞こえ、やがてそれが遠ざかっていくのを、暫くの間イザベラは椅子に腰掛けたまま耳を澄まして聞いていた。
 やがてそれが聞こえなくなるのを確かめてから、イザベラは立ち上がった。
「そこに転がっているのを早く片付けるんだよ。あと、今日はもう誰もプチ・トロワに入れないように」
 謁見室に並んだ召使達が深々と頭を下げてそれに答えた。
「私は『地下』に行く。呼び出すまで、怠けないで働いているんだよ?」
 声音だけは優しく、だが、見るものを慄かせる恐怖の笑みで、イザベラは言った。

 シルフィードはリュティス上空を旋回しつつ、背の上の主人から今回の任務についてあらましを聞かされたのだが、相手が牛頭鬼と聞いた瞬間に悲鳴のような非難の声を上げた。
「きゅい!きゅい!お姉さま、悪い事は言わないのね。牛頭鬼は相手にしないに越した事はないのね。あいつらは精霊に働きかける事はできないけれど、馬鹿じゃないかってくらい身体が頑丈で、体力もあるのね。お姉さまみたいな小娘が大好物だから、きっとパクッと食べられちゃうわ」
「任務だから」
 煩い使い魔にただそれだけ言って、タバサは渡された命令書に目を落としていた。
「そーれーにー、あいつらって基本あなぐらで生活してるから、お姉さまみたいに風の魔法で戦う場合すこぶる不利だと思うのね」
「分かってる。でも、任務だから」
「むー。この無表情娘。シルフィはこれでもお前を心配してやっているっていうのに。ぶーぶー」
 そこまで言うシルフィの頭にタバサの強かな蹴りが打ち込まれる。
「痛い!痛いの~」
「ここから北へ飛んで、街道沿いに」
「もう、わかったよぅ。くれぐれも慎重にやってほしいのね。あと、あんまり頭を蹴らないでほしいわ」
 ぶつぶつと文句を言いつつも、シルフィードは振り返って翼と尻尾を躍動させながらリュティスから離れた。

 シルフィードの背でタバサは再び命令書を読み直す。
 [リュティスから北へ百五十リーグ先にあるランス街道沿い三つ目の宿場町にある、『白猫と黒猫亭』を訪ね、そこで待っている『緑髪の女性』と合流し、牛頭鬼の出没地帯へ移動すべし。事件の詳細は当地にいる『緑髪の女性』から聞くように]
 事務的な文面を割愛し、内容を単純に纏めると、命令書にはそのように書かれていた。
「ふんふん。とりあえずその宿場町まで行けばいいのね」
 シルフィードは水飲み鳥のように頷いた。
「宿場に着いたら私はどうすればいいのかしら?」
「厩で待っていて」
「えー?シルフィお姉さまが心配なのね」
「大丈夫」
 いつもの感情を感じさせない声でタバサは言った。
「む~。……ところでお姉さま。シルフィはお腹がすいたのね」
「さっき食べたはず」
 プチ・トロワにいた間、シルフィードは確かに厩番から餌をもらっていたはずなのである。しかし、彼女にしてみればそれでは足りなかったようだ。
「きゅい。あれくらいじゃシルフィのお腹は満たされないのね!」
「我慢して」
「ねーお姉さま。宿場で宿屋さんの中に入るんでしょ?その時、一緒にシルフィご飯が食べたいのね。ねぇ、いいでしょ?」
 食べたい、食べたいとやかましく囀るシルフィードは、ふと、見下ろす地面を見てから続けた。
「ほら、もう下は三つ目の宿場よ。さぁちびすけ。大人しくシルフィと一緒にご飯するのね」
 とつに食べ物の事となると煩い使い魔に、タバサは暫く考え込んでいたが、どうせこのままだと自分を降ろしてくれないのだろうと思い、仕方が無く鞄から一着の上下を取り出した。
「これを着て、大人しくしている事」
 それが条件、と聞いてシルフィードは嬉しさの鳴き声を上げた。

「うーん、何度着ても人間の服って動きづらいのね」
 タバサの隣を、タバサと同じ青い髪の女性がえっちらおっちら危なっかしく歩きながら、宿場町の門前に立った。
 タバサはそんな危なっかしい“人に化けた”シルフィードを見て、少し軽率だったかもしれないと俄に思うのだった。
 シルフィードが使う“先住魔法”精霊の力の一つに変化【メタモライズ】というものがあり、それはシルフィードが知っているもの、イメージできるものであれば、その姿に精霊の力を借りて変身することが出来るというものだ。
 幼生とはいえ巨大な竜の姿を人一人に変えてしまうほど、強力な能力である。系統魔法にも変顔相【フェイス・チェンジ】等、見た目を偽装する方法はあるが、これほどのことはできない。それほど、亜人や希少な幻獣がつかう精霊の力というのは大きい。
 ただし、変化では着る服などは再現できないので、タバサはシルフィードを化けさせる時用に常に一着余分な服を鞄に用意してあった。

 宿場町の中を、長い髪の綺麗な女性に変身したシルフィードとタバサが歩く。
 シルフィードは人に化ける時、いつも『タバサが大人になった時、こうなっているといいな』というイメージで以って変身していた。その姿はすらりと伸びた手足に、綺麗に伸ばした長い青い髪を持っている。
 タバサとしては自分が不自然にならない、大人の姿に変身してくれれば十分らしく、どうしてそんな姿なのか、などは聞かなかった。
(お姉さまって可愛いもの。きっと大人になったらこんな風になるんだわ。でも、可愛いんだからもっと笑ってほしいのね。お家の事情が辛いのは知ってるけれど、シルフィは笑うお姉さまが見たいのね……)
 先を歩くタバサの姿を見ながら、シルフィードはそんな風に思うのであった。

 やってきた宿場はごくごくありふれた場所だった。四方を石垣で囲い、四方に物見用の台がある。石垣で区切られた中では、人と物が建物の間を縫うように溢れている。宿場町で暮らすのは石垣の外に農地がある者か、宿場を通る旅人や行商人を相手に商売をする者が殆どである。特に旅人を相手にする食堂兼宿屋が多く、今から二人が行く『白猫と黒猫亭』も、その一つである。
「『白猫と黒猫亭』って、縁起の悪い名前なのね」
 店に掲げられた、まさしく白猫と黒猫が描かれた看板を見て、シルフィードはそう感想を漏らした。
 白猫と黒猫は相性が悪く、一緒に買うと飼い主は猫の妖気によって方向音痴になる、という迷信が広く聞かれるからだ。
「反って縁起が悪い方が、厄除けになると聞いたことがある」
 そう答えて、タバサは店の中へ入って行き、シルフィードは急いでそれを追った。
 店の中は盛況でテーブル席はどこも人が座っているため、しかたなく二人はカウンター席を並んで座った。
「いらっしゃい!お嬢さん達、食いもんかい?それとも酒かい?」
「お肉と付け合せのサラダを頼むのね!」
「元気のいい姉さんだ!ちょっと待ってな」
 店の人はそう言って引っ込んだ。タバサは鞄の帯を緩めながら、店の中に座る客達を見渡した。
 客は男も女もいる。若い者も、年老いた者も。皆昼過ぎだというのに豪快に飲み食いし、楽しんでいるように見えた。
 命令書には、ここに訪ねるべき人物がいると書いてあった。『緑髪の女性』とだけ記されていたが、見る限りでそれらしき人は見られない。
 と、そうしている内に店の置くから人が戻ってきた。その両手には山盛りに盛られた炙り肉と、ボウルにはいった野菜サラダがあった。
「あいよ!オックスのワイン煮込みと、付け合せのサラダだ」
「あっりがとーなのねー♪いただきまーす」
 皿に盛られた肉にシルフィードは早々に被り付く。一緒に煮込まれたハーヴの香りが漂い、肉汁と脂で口周りをてかてかにしながら骨にしゃぶりつくシルフィードの姿は、変身している女性の格好とあわせてひどく滑稽に見えた。
 タバサもそろそろと食べ始めると、出された皿はあっという間に空になってしまった。小さな身体ながら、タバサは驚くほどの大食漢なのだ。次から次に料理を注文する二人を見て、店側も調子をよくしてどんどんと料理を運んで行った。
 積み上げた皿が“一人につき”十枚を越えた頃、タバサは頼んだワインをジョッキから戴きながら、店を仕切っている主人らしき男性に尋ねた。
「ここにリュティスから来ている、緑髪の女性がいると聞いている」
 頭を薄くした男は、蓄えた髭を扱きながら答えた。
「あぁ、その人なら上で部屋を取ってますよ。……見たところ、貴族のお嬢さんみたいだけど、あんた達、あの人に用事かい?」
 頷くと、食事を終えて大人しくしていたシルフィードが皿に残っていた檸檬を齧りながら聞いた。
「その人ってどんな人なのね?」
「大体、二週間くらい前からここに泊まってるんだよ。金払いは良いし、変に騒いだりもしないんだけどさ。ただ、下に降りて飯を食う様子もないし、あと、よく部屋を開けてどこか行っちまうんだよ。部屋の掃除もしなくて良いって言うしさ」
「ふーん、変な人」
 ジョッキを開けたタバサは荷物を持って席から離れる。
「その人の部屋に案内して」




新着情報

取得中です。