「なんであんなことをしたの?」
その夜、ルイズは部屋の床にアノンを座らせ、昼間の決闘騒ぎについて、問い正していた。
整った顔に、険しい表情を浮かべている。
「なんでって…」
アノンは頭を掻いた。
「彼は、あの香水の壜が愛の証だって言ってたから。それを壊せば本当に死んじゃうのか、試したんだよ」
ルイズは、信じられない思いで、自分の使い魔を見つめた。
「……それだけのために? たったそれだけのために、ギーシュの香水の壜を壊したの? 本当にギーシュが死んだら、どうするつもりだったのよ!?」
「どうして、死んじゃいけないの?」
怒りを露わにするルイズに、アノンはきょとんとした顔で尋ねた。
「自分以外の命なんて、どうなったっていいじゃない。キミって不思議なコト言うんだね」
反省どころか、自分が悪いとさえ思っていないアノンに、ルイズは怒鳴り声を上げた。
「あんた…自分のコトしか頭に無いの!? 他人はどうなってもいいって言うの!?」
「当然だろ? 一番大切なのは自分だけだよ。生物として当たり前のコトじゃないか」
その目には、一点の曇りもない。
こいつは本当に、心の底からそう思っている。ルイズはうすら寒いものを感じた。
確かに、貴族の中にも平民を虫けらのように扱う者もいる。
それこそ、その命さえ『どうなったっていい』と。
だがどんな傲慢な貴族でも、家族や友人が死ねば悲しむし、涙だって流す。
なのに、この使い魔は自分以外は『どうなったっていい』と言い切った。
自分以外の全てを、虫けらのように見ているのだ。
このままでは、また今回のような騒ぎを起すだろう。
そして、今度こそ死人が出るかもしれない。
自分が、こいつを抑えるしかない。
貴族として、男としてのプライドをボロボロにされ、うなだれ去っていくギーシュの背中を思い出す。
「今後、一切の勝手な行動を禁じるわ。また今回みたいな騒ぎを起したら、許さないわよ」
黙ってこちらを見つめ返すアノンに、ルイズは強く言い放った。
「忘れないで。あんたはわたしの使い魔なんだからね!」
アノンが、ルイズの使い魔として生活を始めてから、十日が経つ。
ギーシュとの決闘騒ぎからこっち、アノンを軽く見る生徒は、ほとんどいなくなっていた。
実はエルフで先住魔法を使ったのではないか、などと噂されているし、その噂を信じない者からも、貴族に楯突く生意気な平民として密かに敵意を向けられていた。
それとは対照的に、学院で働く平民達の間でのアノンの評判は、かなり好意的なものだった。
やはり、いけ好かない貴族を決闘で負かしたというのは、彼らにとって、相当胸のすくものだったらしい。
ギーシュとの決闘以降、アノンは平民達の間で、英雄のような扱いを受けていた。
それにより、アノンの食糧事情も解決している。
今日も、アノンは床に用意された相変わらずの粗食を早々に平らげ、ルイズに外で待っていると告げて、厨房に赴く。
そうするとコック達の歓迎と共に、豪華な食事が用意されるのだ。
「おお、来たなアノン! 今日のシチューは特別だ!」
そう言って、コック長のマルトーはいつもより豪華なシチューをアノンの前に置いた。
アノンはシチューをほお張る。
「うん、おいしい。あのスープとは大違いだ」
「そりゃそうだ。そのシチューは、貴族連中に出してるものと、同じもんだからな。……しかし、お前さんも大変だな」
うまそうにシチューをかき込むアノンを満足気に見た後、マルトーは心底気の毒そうに言った。
「メイジを倒すほどだって言うのに、あの貴族の小娘のせいで、ずいぶん不自由してるだろう」
決闘以降、ルイズはアノンに対して、かなり神経質になっていた。
まず、夕食以降の外出の禁止と、どこへ行くにも必ずルイズに行き先を告げることが言い渡された。
洗濯に行くときも、水を汲みにいくときも、ルイズから離れるときは必ず、だ。
他の使い魔のように感覚を共有できないため、そうやって常にどこで何をしているのか、把握しようというのだ。
アノンも今のところ言うことを聞いているのだが、それでも、たまにルイズが自分の後をつけていることに気づいている。
気をつけていなければ、そのうち厨房で食事を恵んでもらっていることがばれるかもしれない。
「まあ、使い魔だしね」
大して気にしている風でもないアノンに、マルトーは興奮したようにアノンの肩を掴む。
「お前はメイジのゴーレムを倒したんだ! すげぇ事だぞこれは! 一体どうやったらあんなに強くなれるのか、俺にも教えてくれよ」
「嫌だなぁ、ボクはそんなにスゴクもないし、強くもないよ」
「お前たち! 聞いたか!」
マルトーは厨房のコック達に叫んだ。
「本当の達人というのは、こういうものだ! 決して己の腕前を誇ったりしないものだ! 見習えよ! 達人は誇らない!」
「達人は誇らない!」
嬉しそうに唱和するマルトーやコック達に、アノンはまたむず痒い思いをするのだった。
そんなアノンの生活は、いくらかの不自由はあるものの、概ね問題はない。
だが、少々気になることもあった。
それは、シエスタのことだ。
学院の使用人たちが、皆アノンを褒め称えるなかで、彼女の態度だけが違っていた。
言葉を交わそうとせず、目が合うと視線を反らし、怯えたように立ち去ってしまう。
シエスタは、厨房で働く者たちの中でただ一人、決闘の原因から結末までを、その目で見ていた。
悪魔が、ひとの大切なものを踏みにじり、圧倒的な力で叩き伏せる、その一部始終を。
明らかに自分を避けるシエスタに、またひとつ、別の奇妙な感覚を覚えるアノンだった。
「アノン、街へ行くわよ」
「街?」
今日は虚無の曜日。つまり休日である。
全寮制のこの学院の生徒達は、基本的に学院の外に出ない。
だが、この虚無の曜日には馬で三時間ほどの距離にある、城下町まで買い物に出かける生徒が多かった。
学院にも週に何度か商人が訪れ、いくらかの品を売っていくのだが、それだけでは補い切れないものもある。
それが年ごろの女の子なら、なおさらである。
ルイズもいくつかの必需品が切れたため、街に買い物に行く必要が出てきた。
だがここで問題が。
果たして、アノンを街に連れて行ってもいいものだろうか。
ルイズは迷いに迷ったが、アノンを学院に一人残して置くほうが危険と考え、結局連れて行くことにしたのだった。
少しでも勝手な真似をするようならば、即座に首輪をつけるつもりで、猛獣用の首輪とリードを用意して。
馬を二頭借りて、学院を出発する。
そんな二人を、部屋の窓から見つめる人物が一人。
「あの二人、出かけるの? ルイズったら、ここのところずっと彼にべったりなのよねー」
そう呟いたのは、ルイズの宿敵、キュルケ・フォン・ツェルプストーだった。
実はキュルケ、ヴェストリの広場での決闘騒ぎ以来、アノンを誘う機会を虎視眈々と狙っていた。
自分は直接決闘を見ていたわけではないが、メイジを倒した平民。
なんとも興味を引かれる存在ではないか。
それがあのヴァリエールの使い魔だというのなら、なおさら『微熱』が燃え上がろうというものだ。
――だが。
ここ最近、ルイズはアノンをかなり拘束しているようだ。
夜はほとんど部屋から出さないし、昼間も行き先をいちいち報告させているようで隙が無い。
一人になったところを狙おうとしても、物陰からルイズがこっそり覗いていたりするのだ。
少し考えて、キュルケは部屋を飛び出し、親友の部屋へと向かった。
ここはトリステイン城下町、ブルドンネ街。
トリステインで一番の大通りは、虚無の曜日と言うこともあって、人でごった返していた。
「いい? アノン。勝手に離れたりしたら、ホントに首輪つけるわよ?」
人ごみの中を歩きながら、ルイズが後ろのアノンに、厳しく言いつける。
「しっかり私の後についてきなさいよ。余所見もしちゃだめ。私の背中だけ見てなさい。それから……」
全て街に来るまでの道中で、散々聞かせたことなのだが、ルイズの小言はまだまだ続く。
「……わかった? 首輪がいやなら、くれぐれもおとなしく……あれ?」
振り返ると、後ろを歩いていたはずのアノンが、いつの間にかいなくなっていた。
「ま、まさかいきなりはぐれたって言うの…?」
慌ててあたりを見回すルイズ。だが、アノンの姿は見当たらなかった。
いきなり立ち止まったルイズを迷惑そうにしながら、たくさんの人が通り過ぎていく。
「あ、あのバカ!」
ルイズは人の流れに逆らい、急いで来た道を戻り始めた。
街に着いて早々、アノンはルイズをまいた。
なにせ一緒にいると、露店を見物することすらできないのだ。
人ごみのせいではぐれたとでも言えばいいだろう、などと考えながら、アノンは人でごった返す通りを歩いていく。
道端の露店が珍しく、つい足を止める。
だが、そこに並べられた珍しい品々を買うことはできない。
アノンは無一文なのだった。
こちらに来てから、買い物をする機会など無かったから気にしていなかったが、身一つで召喚されたため、持ち物といえば、ルイズから与えられた服があるだけ。
ルイズがアノンに財布を預けたりするはずもなく、自分だけでは小物ひとつ買えないのだった。
「見るだけって思ってたけど、こう珍しいものが揃ってるといろいろと欲しくなってくるなあ」
そんな時、人ごみの中にこちらに向かって歩いてくる、中年の男が目に付いた。
不機嫌そうなその男は、肥えた体にマントを身につけており、身なりからして裕福な貴族の様だ。
眉をしかめて、よたよたと歩いている。いかにも人ごみに慣れていない、と言った感じだ。
察するに、気まぐれで街に出ては見たものの連れの者とはぐれてしまった、と言ったところか。
すれ違う時に、アノンとその男の肩がぶつかった。
「気をつけろ!」
「すいません、貴族サマ」
アノンは軽く頭を下げたが、そんなぞんざいな謝罪では、男の怒りは収まらないらしく、
「貴様、無礼だぞ! 平民の分際で!」
憤慨した貴族の男は杖を抜いた。道行く人が何事かと足を止める。
アノンも、まさかこんな所で魔法を使うのか、と身構えた。
「モット伯様。こちらです!」
その時、従者らしい若い男が人ごみを掻き分け、声を上げながら駆けてきた。
そこで男は、自分が周りの注目を集めてしまっていることに気づき、不愉快そうに杖を戻した。
「なんだ! 見世物ではないぞ!」
怒る貴族に、立ち止まっていた者達はそそくさと去っていく。
男は八つ当たり気味に従者を怒鳴り、最後に忌々しげにアノンを睨みつけて、去っていった。
「貴族ってどこでも似たようなもんなんだな」
そう呟いて、アノンはさっきまで男の懐にあった立派な財布を、ぽんぽんと手の中で弄んだ。
その夜、ルイズは部屋の床にアノンを座らせ、昼間の決闘騒ぎについて、問い正していた。
整った顔に、険しい表情を浮かべている。
「なんでって…」
アノンは頭を掻いた。
「彼は、あの香水の壜が愛の証だって言ってたから。それを壊せば本当に死んじゃうのか、試したんだよ」
ルイズは、信じられない思いで、自分の使い魔を見つめた。
「……それだけのために? たったそれだけのために、ギーシュの香水の壜を壊したの? 本当にギーシュが死んだら、どうするつもりだったのよ!?」
「どうして、死んじゃいけないの?」
怒りを露わにするルイズに、アノンはきょとんとした顔で尋ねた。
「自分以外の命なんて、どうなったっていいじゃない。キミって不思議なコト言うんだね」
反省どころか、自分が悪いとさえ思っていないアノンに、ルイズは怒鳴り声を上げた。
「あんた…自分のコトしか頭に無いの!? 他人はどうなってもいいって言うの!?」
「当然だろ? 一番大切なのは自分だけだよ。生物として当たり前のコトじゃないか」
その目には、一点の曇りもない。
こいつは本当に、心の底からそう思っている。ルイズはうすら寒いものを感じた。
確かに、貴族の中にも平民を虫けらのように扱う者もいる。
それこそ、その命さえ『どうなったっていい』と。
だがどんな傲慢な貴族でも、家族や友人が死ねば悲しむし、涙だって流す。
なのに、この使い魔は自分以外は『どうなったっていい』と言い切った。
自分以外の全てを、虫けらのように見ているのだ。
このままでは、また今回のような騒ぎを起すだろう。
そして、今度こそ死人が出るかもしれない。
自分が、こいつを抑えるしかない。
貴族として、男としてのプライドをボロボロにされ、うなだれ去っていくギーシュの背中を思い出す。
「今後、一切の勝手な行動を禁じるわ。また今回みたいな騒ぎを起したら、許さないわよ」
黙ってこちらを見つめ返すアノンに、ルイズは強く言い放った。
「忘れないで。あんたはわたしの使い魔なんだからね!」
アノンが、ルイズの使い魔として生活を始めてから、十日が経つ。
ギーシュとの決闘騒ぎからこっち、アノンを軽く見る生徒は、ほとんどいなくなっていた。
実はエルフで先住魔法を使ったのではないか、などと噂されているし、その噂を信じない者からも、貴族に楯突く生意気な平民として密かに敵意を向けられていた。
それとは対照的に、学院で働く平民達の間でのアノンの評判は、かなり好意的なものだった。
やはり、いけ好かない貴族を決闘で負かしたというのは、彼らにとって、相当胸のすくものだったらしい。
ギーシュとの決闘以降、アノンは平民達の間で、英雄のような扱いを受けていた。
それにより、アノンの食糧事情も解決している。
今日も、アノンは床に用意された相変わらずの粗食を早々に平らげ、ルイズに外で待っていると告げて、厨房に赴く。
そうするとコック達の歓迎と共に、豪華な食事が用意されるのだ。
「おお、来たなアノン! 今日のシチューは特別だ!」
そう言って、コック長のマルトーはいつもより豪華なシチューをアノンの前に置いた。
アノンはシチューをほお張る。
「うん、おいしい。あのスープとは大違いだ」
「そりゃそうだ。そのシチューは、貴族連中に出してるものと、同じもんだからな。……しかし、お前さんも大変だな」
うまそうにシチューをかき込むアノンを満足気に見た後、マルトーは心底気の毒そうに言った。
「メイジを倒すほどだって言うのに、あの貴族の小娘のせいで、ずいぶん不自由してるだろう」
決闘以降、ルイズはアノンに対して、かなり神経質になっていた。
まず、夕食以降の外出の禁止と、どこへ行くにも必ずルイズに行き先を告げることが言い渡された。
洗濯に行くときも、水を汲みにいくときも、ルイズから離れるときは必ず、だ。
他の使い魔のように感覚を共有できないため、そうやって常にどこで何をしているのか、把握しようというのだ。
アノンも今のところ言うことを聞いているのだが、それでも、たまにルイズが自分の後をつけていることに気づいている。
気をつけていなければ、そのうち厨房で食事を恵んでもらっていることがばれるかもしれない。
「まあ、使い魔だしね」
大して気にしている風でもないアノンに、マルトーは興奮したようにアノンの肩を掴む。
「お前はメイジのゴーレムを倒したんだ! すげぇ事だぞこれは! 一体どうやったらあんなに強くなれるのか、俺にも教えてくれよ」
「嫌だなぁ、ボクはそんなにスゴクもないし、強くもないよ」
「お前たち! 聞いたか!」
マルトーは厨房のコック達に叫んだ。
「本当の達人というのは、こういうものだ! 決して己の腕前を誇ったりしないものだ! 見習えよ! 達人は誇らない!」
「達人は誇らない!」
嬉しそうに唱和するマルトーやコック達に、アノンはまたむず痒い思いをするのだった。
そんなアノンの生活は、いくらかの不自由はあるものの、概ね問題はない。
だが、少々気になることもあった。
それは、シエスタのことだ。
学院の使用人たちが、皆アノンを褒め称えるなかで、彼女の態度だけが違っていた。
言葉を交わそうとせず、目が合うと視線を反らし、怯えたように立ち去ってしまう。
シエスタは、厨房で働く者たちの中でただ一人、決闘の原因から結末までを、その目で見ていた。
悪魔が、ひとの大切なものを踏みにじり、圧倒的な力で叩き伏せる、その一部始終を。
明らかに自分を避けるシエスタに、またひとつ、別の奇妙な感覚を覚えるアノンだった。
「アノン、街へ行くわよ」
「街?」
今日は虚無の曜日。つまり休日である。
全寮制のこの学院の生徒達は、基本的に学院の外に出ない。
だが、この虚無の曜日には馬で三時間ほどの距離にある、城下町まで買い物に出かける生徒が多かった。
学院にも週に何度か商人が訪れ、いくらかの品を売っていくのだが、それだけでは補い切れないものもある。
それが年ごろの女の子なら、なおさらである。
ルイズもいくつかの必需品が切れたため、街に買い物に行く必要が出てきた。
だがここで問題が。
果たして、アノンを街に連れて行ってもいいものだろうか。
ルイズは迷いに迷ったが、アノンを学院に一人残して置くほうが危険と考え、結局連れて行くことにしたのだった。
少しでも勝手な真似をするようならば、即座に首輪をつけるつもりで、猛獣用の首輪とリードを用意して。
馬を二頭借りて、学院を出発する。
そんな二人を、部屋の窓から見つめる人物が一人。
「あの二人、出かけるの? ルイズったら、ここのところずっと彼にべったりなのよねー」
そう呟いたのは、ルイズの宿敵、キュルケ・フォン・ツェルプストーだった。
実はキュルケ、ヴェストリの広場での決闘騒ぎ以来、アノンを誘う機会を虎視眈々と狙っていた。
自分は直接決闘を見ていたわけではないが、メイジを倒した平民。
なんとも興味を引かれる存在ではないか。
それがあのヴァリエールの使い魔だというのなら、なおさら『微熱』が燃え上がろうというものだ。
――だが。
ここ最近、ルイズはアノンをかなり拘束しているようだ。
夜はほとんど部屋から出さないし、昼間も行き先をいちいち報告させているようで隙が無い。
一人になったところを狙おうとしても、物陰からルイズがこっそり覗いていたりするのだ。
少し考えて、キュルケは部屋を飛び出し、親友の部屋へと向かった。
ここはトリステイン城下町、ブルドンネ街。
トリステインで一番の大通りは、虚無の曜日と言うこともあって、人でごった返していた。
「いい? アノン。勝手に離れたりしたら、ホントに首輪つけるわよ?」
人ごみの中を歩きながら、ルイズが後ろのアノンに、厳しく言いつける。
「しっかり私の後についてきなさいよ。余所見もしちゃだめ。私の背中だけ見てなさい。それから……」
全て街に来るまでの道中で、散々聞かせたことなのだが、ルイズの小言はまだまだ続く。
「……わかった? 首輪がいやなら、くれぐれもおとなしく……あれ?」
振り返ると、後ろを歩いていたはずのアノンが、いつの間にかいなくなっていた。
「ま、まさかいきなりはぐれたって言うの…?」
慌ててあたりを見回すルイズ。だが、アノンの姿は見当たらなかった。
いきなり立ち止まったルイズを迷惑そうにしながら、たくさんの人が通り過ぎていく。
「あ、あのバカ!」
ルイズは人の流れに逆らい、急いで来た道を戻り始めた。
街に着いて早々、アノンはルイズをまいた。
なにせ一緒にいると、露店を見物することすらできないのだ。
人ごみのせいではぐれたとでも言えばいいだろう、などと考えながら、アノンは人でごった返す通りを歩いていく。
道端の露店が珍しく、つい足を止める。
だが、そこに並べられた珍しい品々を買うことはできない。
アノンは無一文なのだった。
こちらに来てから、買い物をする機会など無かったから気にしていなかったが、身一つで召喚されたため、持ち物といえば、ルイズから与えられた服があるだけ。
ルイズがアノンに財布を預けたりするはずもなく、自分だけでは小物ひとつ買えないのだった。
「見るだけって思ってたけど、こう珍しいものが揃ってるといろいろと欲しくなってくるなあ」
そんな時、人ごみの中にこちらに向かって歩いてくる、中年の男が目に付いた。
不機嫌そうなその男は、肥えた体にマントを身につけており、身なりからして裕福な貴族の様だ。
眉をしかめて、よたよたと歩いている。いかにも人ごみに慣れていない、と言った感じだ。
察するに、気まぐれで街に出ては見たものの連れの者とはぐれてしまった、と言ったところか。
すれ違う時に、アノンとその男の肩がぶつかった。
「気をつけろ!」
「すいません、貴族サマ」
アノンは軽く頭を下げたが、そんなぞんざいな謝罪では、男の怒りは収まらないらしく、
「貴様、無礼だぞ! 平民の分際で!」
憤慨した貴族の男は杖を抜いた。道行く人が何事かと足を止める。
アノンも、まさかこんな所で魔法を使うのか、と身構えた。
「モット伯様。こちらです!」
その時、従者らしい若い男が人ごみを掻き分け、声を上げながら駆けてきた。
そこで男は、自分が周りの注目を集めてしまっていることに気づき、不愉快そうに杖を戻した。
「なんだ! 見世物ではないぞ!」
怒る貴族に、立ち止まっていた者達はそそくさと去っていく。
男は八つ当たり気味に従者を怒鳴り、最後に忌々しげにアノンを睨みつけて、去っていった。
「貴族ってどこでも似たようなもんなんだな」
そう呟いて、アノンはさっきまで男の懐にあった立派な財布を、ぽんぽんと手の中で弄んだ。