あの作品のキャラがルイズに召喚されました @ ウィキ

鋼の使い魔-47


 魔法学院の女子生徒寮が騒がしい。夕食の時間は終わっていたが、一部の人間にとって食事どころの騒ぎでは済まない事態となっていた。
 集まったのはまたしてもタバサの部屋である。部屋にはキュルケ、シエスタ、ギュスターヴ、椅子の陰に隠れるルイズに、顔色の悪いギーシュとモンモランシーが集まっている。
「さ、て。ルイズとシエスタが何していたかはとりあえず聞いたとして……“これ”は何かしらねぇ?」
 キュルケが持ち出したのは底に銀色に煌く液体が少し入った酒瓶だった。それを見せ付けられたギーシュとモンモランシーはとても気まずそうにしている。
「シエスタの話だと、『白銀色の蜂蜜酒』だって聞いたけど。……よくもまぁ、こんな危なっかしいもの作れたものね。それも先生達に見つからずに」
「当然よ。必要な素材と機器は全部自前で用意したもの。香水やポーションを少しずつ作っては売って貯めたお金でね」
 まるで自分の作品を褒められた芸術家のように、モンモランシーは胸を張った。
「タバサ、『白銀色の蜂蜜酒』って何なんだ?」
「蜂蜜酒をベースに造った、一種の幻覚、興奮剤。配合には、流通に制限のかけられている素材が必要になる。禁制のポーションの一つ」
 そう言われて、ギュスターヴは眉を顰めた。
 幻覚剤と聞いて、流石に面白い顔は出来ない。ギーシュの様子からすれば、モンモランシーに勧められてのことなのかもしれないが、どちらにしろ若者の趣味にしてはいささかよろしくないもののように思えた。
「そもそも、トリステインでは蜂蜜酒の密造自体、厳罰の対象のはず」
「え、そうなの?」
 キュルケも知らなかったらしい指摘を受けて、モンモランシーはばつが悪そうに視線をそらした。
「王族の祝い事のためにしか飲まれないから、市政での製造は認められていない」
 タバサの一層冷ややかな視線を受けたモンモランシーは、開き直ったような笑みを浮かべて言う。
「でも蜂蜜酒ってポーションの製造には最適の素材なのよ。薬効を溶け込む力に優れているし、熟成されたものはそのままでも凄い力を持っているんだから」
「ま、いいわ。言い訳は先生達に引き渡してからに言ってもらいましょう?」
「待ってくれ! 責任は止めなかった僕にもある。よく言い含めるから先生には言わないでくれないか……頼む」
 そっけなくキュルケが言うのを、ギーシュが前に出て制止する。そして杖を地面に落とし、頭を深く下げた。
 杖を捨てて謝っているのだから、ギーシュは相当責任を感じているのだろう。キュルケも別に、好きで知り合いを告発するような趣味はない。
「……蜂蜜酒の件は、一旦置いておくとして。問題はルイズよね」
 キュルケの視線の脇には一同の輪から一番離れた場所で、椅子を抱えたルイズが見える。
「貴方達、ルイズがなんであんなふうになってるか判る?」
「僕にはさっぱり……」
「判るわよ」
 当然、というように言ったモンモランシーに一同の視線が集まる。
「気化した蜂蜜酒を吸って暴れた時に、預かってた薬瓶を頭から被ったのよ」
「何の薬?」
「前にギーシュから預かってた薬」
 視線がギーシュへと移ると、ギーシュは居心地が悪そうに答えた。
「ほ、ほら。皆で宝物探しをした事があっただろう?あの時に見つけた……」
「ああ、そんなものもあったわね……。で、どういう薬だったのよ」
「吸引したものに特定の暗示を含ませる薬」
「「「暗示?」」」
 あまり聞きなれない言葉にキュルケたちの声が揃った。
「乱心宣誓【ギアス】ほど複雑な事は出来ないけど、それでも効力の強力な薬よ。まったく、あれ禁制の品なんだけど誰が作ったんだか」
 どの口で言ってるのよ、キュルケは胸中でつぶやいた。
「成分は見たから暗示の内容もわかってるわよ。『異性と犬に拒絶反応を出す』『穴を掘りたくなる』の二つだったわ。多分、試しに作ってみたけど、使わずにしまいこんでたんでしょうね」
 己の分析の自信を隠そうともしないモンモランシーに、ギーシュを除く一同は呆然とするのであった。



 『行き先は、ラグドリアン・レイク』



 その場が解散してしまう前に、ギュスターヴが皆に聞く。
「ルイズに掛かっている薬の効果が消える為にはどうすればいいんだ?」
「ポーションの薬効は時間経過で自然に消滅するものが殆ど」
 タバサの言葉を受けて、モンモランシーが続く。
「その薬なら精々半年くらいはこのまんまよ。結構たっぷりと吸い込んでたし」
「どうにかしなさいよ」
 キュルケもルイズがこのまま、というのは流石に具合が悪そうだった。
「……そうねぇ、薬の効果を解除する薬なら、作れないこともないわよ」
 モンモランシーの言葉は一同が期待を持てるものだった。
「じゃあ早速作ってくれな「断るわ」……」
 ギュスターヴの提案を遮るように、モンモランシーは答える。
 それを見たキュルケがこめかみを押さえながら言う。
「あんた自分の立場分かってるの?私達はこのままあんたを突き出してもいいのよ」
「……材料と機材が無いわ。懐には暫く余裕なんてまったくないのよ。只でさえ、ルイズが暴れたから部屋にある薬や道具が駄目になってるのだから」
 あくまで悠然と、己にまるで非のない人間のように振舞うモンモランシーを見て、段々とキュルケの眉尻が痙攣するように吊りあがる。
「ふざけてんじゃないわよ。つべこべ言わず薬を作りなさい。お金が居るなら親に催促するなり手の物を売り払うなりしなさいよ」
 普段は明るく弾むはずのキュルケの声色が、そのときは低く、何かを押さえつけるようなものに変わっていた。
 ギュスターヴはそれに何か引っかかるものを感じたが、モンモランシーはそれを聞いても眉一つ崩さずに答えた。
「生憎と、金満なゲルマニアのツェルプストーみたいにあぶく銭に飽いているわけじゃなくってよ。ねぇ?ギーシュ」
「え?……ん、その、だ、ね?僕もその、個人的に出せるお金もそんなにないし、家もそんなに余裕はないんだ……」
 己の不肖を恥じているようにギーシュの声は先細りだった。
 それを聞いたキュルケは、ふぅ、と一息吐き出して、優雅に一歩踏み出してから、モンモランシーの胸倉をぐっと引き寄せた。
「っ!」
「巫山戯たこと抜かしてる余裕があるんなら、手前の失敗で手痛い目に遭うくらいの覚悟は出来てるのよね?」
 その場にいる全員に緊張が走る。驚いたモンモランシーは目を白黒させながら、ぐいぐいと首を絞められていた。
「き、キュルケ……?」
「もう一度聞くわ。薬、作れるの?作れないの?作れるならいくらほどかかって、どれくらい待つのか。教えてくださる?ミス・モンモランシー」
 長身のキュルケに締め上げられ、モンモランシーの体が軽く浮き上がっていた。
「く、苦しい……」
「キュルケ、もうその辺りで……」
 制止を促すギュスターヴの声も、キュルケの耳には遠い。締め上げるキュルケの手元から、モンモランシーの首を引き絞る布の音さえ聞こえる。
「き、キュルケ! わかった! わかったから、モンモランシーを離してやってくれないか? 薬のことは僕からも言い聞かせて作ってもらう! 資金も、僕がどうにか工面しよう! だからその手を離してくれ」
 狼狽するギーシュが、剣呑な雰囲気を放つキュルケに言うが、キュルケは微熱の二つ名から信じられないほど、冷ややかな眼差しで答えた。

「いいえギーシュ。私はモンモランシーの口から聞きたいの。本当は『出来る』なんて中途半端な言葉は聴きたくないけれどね。……こういう時、ゲルマニアでは『出来た』っていうのよ。『出来る』と思ったときには、既に行動は、終わっているはずだから……」

「キュルケ! やめないか! 」
 危険な空気を感じたギュスターヴがモンモランシーとキュルケの間に割って入った。開放されたモンモランシーが床に倒れこみ、苦しそうに息を整えていた。
「キュルケ! これは何でもやり過ぎだ! ……ギーシュ、それと、モンモランシーだったな。私闘をキュルケにさせる気はないが、それでも俺はコルベールなりオスマンなりにお前達のことを報告してもいいんだ。ルイズが薬で狂わされたと俺が申し立てれば、主張は通るだろうからな」
「ギュスターヴ……僕は……」
 複雑な色を浮かべてモンモランシーを抱きかかえるギーシュは、未だ粗く呼吸するモンモランシーを見つめた。
「モンモランシー。僕らがいけないのは明らかだよ。ここは彼らに従おう」
「……仕方が無いわね」
 燃え上がりそうなほどの視線をキュルケに投げつけつつ、モンモランシーはそうそう言った。
「そこで提案だ。俺が必要な金を揃えるから、二人には最短で薬の製作に取り掛かってもらいたい。それでいいな?キュルケ」
「……ええ、ミスタがそれでいいというのなら、それで」
 答えたキュルケの声音は、普段のそれを取り戻していた。

 怯え竦むルイズをキュルケが部屋に引っ張り込み、ベッドに寝かせつけてから、キュルケは自分の部屋へを戻ろうとした。
「それじゃあね。薬が出来るまで、ギュスの寝床も提供してさしあげようかしら」
「軽口で装うのはやめたらどうだ?」
 なんのことかしら、と、キュルケは開けた部屋のドアにもたれかかって答える。
「俺も腹が立っていたが、さっきのキュルケ、君のそれは……」
「烈しかった、かしらね」
 部屋の中で寝ていたらしいフレイムが主人の帰りを感じたのだろう。のそのそと出てきて、キュルケの足に寄り添った。
「ふふ、女には秘密があるものですのよ。でもこれだけは覚えて置いてくださる?私はルイズも、タバサも、それに貴方も。親しい人には健やかで、幸せであってほしいの。そのためなら、微熱といわず身を焼き尽くしてもいいわ」
「……キュルケ」
 夜闇に薄く差し込む月明かりの中で、キュルケは笑っていた。艶やかでも、優し過ぎることもない。穏やかな微笑みだった。
「……冗談が過ぎるぞ。俺はそうだな。暫くマルトーのところにでも厄介になる。部屋から閉め出されたといえば、寝床くらいは貸してくれるだろう」
「……そう。……ああ、ギュス」
 廊下を過ぎようとしていたギュスターヴが足を止めて振り返った。
「どうやら、休暇申請が通ったみたいですわ。明日にはタバサと一緒に、ラグドリアン湖に行けそうよ」
「……そうか。よかったな」
「えぇ。……帰ってくるまで、ルイズのこと、よろしくお願いしますね」
「当然だ。これでも一応、使い魔だからな」
 それだけ応えて、ギュスターヴは夜闇の中に見えなくなった。



 その翌日から、一同がそれぞれの目的によって行動を開始した。
 キュルケはタバサを連れ、ガリアとの国境沿いにあるラグドリアン湖へと向かった。
 モンモランシーとギーシュは、ギュスターヴより渡された小切手の金額を見ながら(その額は一平民の財産というにはなかなかの額であって、モンモランシーは一体どこからこれほどのお金が出てきたのかと不思議に思っていた)ルイズにかかった薬の解除薬の製作を開始した。
 ギュスターヴはその間、できるだけいつもと変わらぬ様子を周囲に見せていた。早朝には稽古をし、鍛冶場に出て剣を打つか、図書館に入って本を読んでいた。ルイズに近づこうものなら、ルイズは飛び上がって逃げ出し、広場の一角に穴を掘って埋まってしまうのだ。お陰で薬の用意が出来る間、ふたたびシエスタにルイズの世話を任せることになってしまい、あとでどう礼をしたものかと考えるばかりだった。

 そのようにして、ルイズが薬を被った夜から三日が過ぎた頃。ギーシュから呼び出しを受けたギュスターヴは、モンモランシーの部屋へとやってきた。
 錯乱したシエスタが壊した窓はギーシュが練金【アルケミー】を使って補習されていて、一見して問題のないように見えた。
「ここへ呼んだということは、解除薬は出来ていると考えていいのかな」
「いや……それがだね……」
 ギーシュが口ごもらせていると、硝子機器の傍で瓶をかき混ぜていたモンモランシーが言った。
「解除薬はできてないわ。必要な材料が調達できなかったのよ」
「必要なだけの金子は渡したはずなんだがな……」
 意識して、ギュスターヴは凄みを利かせて話した。二人に危機感を忘れさせない為である。二人も分かっているのか、顔色はどうみても良好ではない。おそらく満足に休んではいないのだろう。そう思うとギュスターヴも気が少し重くなったが、ルイズの変調を隠しておくのにも限界がある。ここは心を鬼にしなければならなかった。
「金額の問題じゃあないわ。材料そのものが入荷してなかったのよ。もっとも、普段から流通の少ない品なんだけどね。薬の解除薬っていうのは、それくらい作るのが大変なのよ」
 強張りをみせるモンモランシーの声が、本当に材料の入手が出来なかった事を示している。それを見て取ったギュスターヴも一息いれ、物腰を砕いて話した。
「……市井で手に入らないなら、自力で手に入れるしかないだろう。なにが必要なんだ?」
「『水精霊の涙』。ラグドリアンの湖に棲んでいる水の精霊から手に入れるのが一番知られた方法だけど」
「…………なんだって?」
 それを聞いて一瞬、ギュスターヴはぼんやりと何かにつままれたような顔をしてしまった。一方、ギーシュは真面目に入手方法について頭を捻らせている。
「しかし水の精霊は湖の奥深くに棲んでいるんだろう?悪いけど僕らじゃ手が出せないと思わないかい?」
「あら、目の前にいる女をなんだと思ってるのかしら。モンモランシ家は代々、水の精霊との交渉を取り仕切ってきたのよ。ちょっと手間だけど、呼び寄せて少し分けてもらうくらいなら私にも出来るわ」
「そうのなのかい?! 凄いじゃないかモンモランシー。それなら明日早速ラグドリアン湖に行こう! 水の精霊から『水精霊の涙』を手に入れよう! 」
「あー……ちょっと待った」
 なんだね、と盛り上がっていたギーシュが反応する。
「確か今ラグドリアン湖にはキュルケとタバサがいるはずだ。それで『水精霊の涙』を取ろうとしている」
 それを聞くと、モンモランシーがかなり嫌そうな顔をした。
「それってあの二人に手を貸してもらえって事かしら?」
「手間なんだろう? 人手はあったほうがいいんじゃないか。……まぁ、待っていれば二人が『水精霊の涙』を手に入れて、市場に卸すだろうが、それを待っている余裕は正直のところないんだ」
 何しろ、今のルイズは男性の影が少しでも見えれば脱兎の如く逃げ出してしまうので、満足に授業すら出られない有様なのだ。
「ふむ。モンモランシー、ここは彼女らに助力を請おう」
「ギーシュ……」
「時間が無いから休暇申請してられないか……無断で休むと家に連絡が行くかもしれないけど、背に腹は変えられないし」
 よし、と力強くギーシュは気合を入れてギュスターヴに振り返った。
「ギュスターヴ、明日から早速ラグドリアン湖へ向かおう。ルイズは……」
「連れて行けないだろう。またシエスタに負担が掛かるなぁ……」
 それを思うとギュスターヴは気が重くなる。果たして、何であれば埋め合わせができるのやら。



 時間を遡って前日。キュルケの目には、のどかとしか言いようのない街道の風景が、ただただ映っていた。
 タバサと共に馬車に揺られてガリア方面、ラグドリアン湖へと続く旅の途中であった。
 自分から言い出したこととはいえ、のんびりと馬車に揺られているだけの時間というのは、結構暇なものだった。当初、タバサの使い魔シルフィードの背を借りようと考えていたのだが、タバサがやんわりと渋ったため、こうして馬車に乗っていくこととなった。因みにそのシルフィードはというと、馬車の真上、上空2500メイル程で追従し、背中にはフレイムを乗せているのだった。
「そろそろラグドリアン湖ね。……タバサ?」
 外を眺めていた視線を戻したキュルケの目に、タバサの眺めていた本のページが見えた。
 自分の薦めた本だったが、始めに捲られてからまるで読み進められて居ない事に気付く。
「面白くなかったかしら? その本」
「そんなことはない」
 タバサの返事の普段と変わらないが、その顔にはどこか、普段とは違った悲しさのようなものが滲んでいる気がした。
 その時、そのまま次の駅場まで止まらないはずの馬車に突然制動が掛かった。
「あら……?」
 もう着いたかしら、と外を覗き込んだキュルケだったが、視界の限りは街道のど真ん中だった。明らかに不自然な停止だ。
「もし。どうかなさって?」
 御者席を覗ける小窓から呼びかけると、汗を拭って御者が応えた。
「前の方で荷車が泥濘に嵌っていますんで、すれ違う幅がなくなってるんですよ」
「泥濘?街道なのに泥濘があるの?」
 大体の国において街道と呼ばれる道は、土メイジの監督の下舗装の施されたものであり、多少雨が降った程度で崩れてぬかるんだりする事は普通ないはずであった。
「ここ何年かで湖が広がってきてますからねぇ。周囲の土地が湿地化してるんですよ。次の駅場まではいけますが、そっから先はもう街道は湖に沈みこんでますよ」
 心底参っている風に御者は言った。

 街道を抜けてたどり着いた駅場で降り、キュルケは駅場の詰め所に寄った。どこか適当な宿をとるためであった。
 しかし、詰め所にいた御者達は一様に苦い顔をして首を振って答えた。
「いけませんぜ貴族のお嬢さん。ここいらに今貴族様を泊められるような宿はおろかまともな家なんざ殆ど残ってませんで」
「どういうことよ?」
「湖の浸食がかなり激しくって、湖に面した村はあらかた湿地化した地面に沈み込んじまったんですよ。酷いところじゃ屋根まで水に浸かっちまって魚の巣になってますわ」
「今も無事なのは、湖からかなり離れた村か、沈み込まない高台に作られた貴族様方のお屋敷くらいなもんですよ」
 それを聞いて困った顔でキュルケは外で待っていたタバサの元に戻った。
「宿取れないって。せっかく来たのに……困ったわね」
 聞いているのかいないのかよく分からない風情で、タバサは遠くに見える湖を眺めていた。
「どうしようか……タバサ」
 そう言って、ようやくタバサが振り返る。液体ヘリウムの如き澄んだ瞳が、キュルケを見上げていた。
「キュルケ」
「何?」
「私の家に来て。案内するから」
 え?と、キュルケが返事をするかしないかのうちに、タバサは空で待つシルフィードを呼び寄せていた。

 空から見たラグドリアン湖は、御者達が話していたとおり、岸辺に激しい浸食が認められた。
 嘗て畑だったらしい区画には不気味に太く育った葦や蒲が繁茂し、湖に面していたらしい集落は水を被って腐り落ちるか、水没して廃墟になっている。
 そう見ていると、シルフィードが急激に高度を上げ始めていた。
「タバサ?」
「これから国境を抜ける。見つからないようにする」
「国境って……ガリアに?」
 その問にタバサからの返事はないまま、シルフィードが眼下に見える関所を通り過ぎる。

 空を飛んでほんの数十分、シルフィードの降りた場所は、大きな屋敷に面した庭のようだった。『ようだった』というのは、屋敷付の庭にしては殆ど手入れのされていない場所だったからだ。録に剪定のされていない植木、丈の長くなった芝の上に、タバサとキュルケは降り立った。
「ここは……」
「来て」
 タバサの後追うように、キュルケも屋敷の中へと入る。
 屋敷もまた、その規模にしてはあまり手入れのされていない様子を感じさせていた。煤けた壁や天井の装飾が本来の屋敷の姿を偲ばせる。壁には大きな二枚の人物画が架けられ、一枚はタバサと同じ蒼い髪をした青年、もう一枚には青年と妙齢の女性、それに抱かれる蒼い髪の赤子が描かれていた。
 屋敷のエントランスで二人が待っていると、奥の部屋から人影が近づいてきた。矍鑠とした老人が小奇麗な服を着ている。彼はタバサの前に立ち止まり、腰を曲げて頭を垂れた。
「お帰りなさいませお嬢様。お出迎えが遅くなり申し訳ございません」
「便りは書いてないから。彼女に部屋を用意して」
「かしこまりました。家令を勤めますペルスランと申します。お客様、どうぞこちらへ……」
 キュルケから荷物を預かった老人が階段を登って行くタバサとは別方向へ歩いていく。キュルケは少し迷ったものの、ひとまず老人について屋敷の中を進んだ。
「タバサってガリアの人だったのね。ご両親にご挨拶させてもらえるかしら」
「お嬢様は外では『タバサ』と名乗っておられるのですね……」
 部屋まで続く廊下で、どうやら屋敷の家令らしき老人はもの悲しげに応えた。
「……お客様はどちらの方でございましょうか?」
「ゲルマニアのフォン・ツェルプストーよ。……その様子だと『タバサ』って偽名みたい、ね。それに、このお屋敷も……」
 言葉が切れて、キュルケは一つの部屋に通された。貴族の屋敷によくある構成の客室だったが、やはりどこか疲れたような空気が感じられた。
「お客様をお嬢様……シャルロット様のご友人と見て、一つお話しましょう。全ては、これ一つから始まったのです……」
 ペルスランが取り出したのは、貴族の家ならどこにでもある、紋章のついた房飾りだった。杖の交差されたデザインに古書体で『さらに先へ』と縁書きされている。
 しかしキュルケの目に付いたのは、その房飾りに深く刻み込まれた十字の切り込みだった。
 不名誉印、である。己あるいは王家によってその資格を剥奪されたことの証だ。そしてその房飾りの紋章こそ、ガリア王家に連なるものに違いなかった。
「あの不遜なる無能王によって、ここは牢獄となっているのです」


 屋敷の廊下の一際奥まった場所の一室に、タバサは立っていた。何もない、ベッドとテーブルしかない部屋で、ベッドの上で身じろぎする気配だけが認められる。
「ただいま帰りました。お母さま」
 タバサが声をかけた。その声音は優しく、労わりが深くにじみ出ていた。
 だが、声をかけられた側――タバサに母と呼ばれた者は、体を震わせ激しい感情のままに叫んだ。
「下がりなさい無礼者! 誰がお前達などにシャルロットを渡すものですか!」
 炯炯と光る瞳ばかりが目につく痩身の女性だった。髪は荒れ頬はこけ、寓話に読まれる泣女【バンシー】のようだ。彼女はそう叫ぶと、傍らに寝かせていた人形を抱きしめた。
「可愛いシャルロットや……」
 痩せた肌で人形を抱き寄せる様は直視に耐えなく、だが、心無いものが見ればそれは、物乞う狂い女のようにも見えたことだろう。
「恐ろしい事……どうして私の娘が、いずれ王位を狙おうなどと申すでしょうか。私達はただ静かに暮らしたいだけなのです。下がりなさい!」
 抱きしめる人形は珍しい布作りのものだったが、長年そうして抱き続けていたのだろう。継ぎ目がほつれて中の綿が漏れていた。くたびれた人形を一心に抱きしめる母を見て、タバサは静かに部屋を出た。閉ざされた母の部屋の前で杖を胸に捧げ、何度となくした誓いを立てる。
(あなたの心を取り戻し、あの男の首を必ず、この手で……)


「今を遡る事五年前、先王が崩御されました折、先王には二人の王子がおられました。長男のジョゼフ殿は学識に優れておいででしたが、魔法の才が塵ほどにもないお方でした。一方次男のシャルル様は魔法の才と人望に溢れておいででした」
「今のガリア王って、ジョゼフ王だったわね」
「シャルル様がシャルロット様のお父上になられます。……先王は病床で、次の王をジョゼフ王子に指定した事で、宮廷では激しい勢力争いが繰り広げられました。国王になったジョゼフ殿を擁する国王派とシャルル様を擁する王弟派……その最中で、シャルル様は国王派の放った毒矢を受けて暗殺されたのです」
 ペルスランは身を震わせて話し続ける。
「旗頭を失った王弟派は分解し、ジョゼフ王は王弟・オルレアン大公家の廃嫡を決定し、派閥争いは収束したのです」
 それで、とキュルケは得心した。廃嫡され領地や財産を没収されたために、この屋敷はこれほどにさびれているのだ。恐らく、使用人はこの老人一人なのではないか、と思った。
「シャルル様を亡くし、家財や領地も奪われた奥様とシャルロット様に、あまつさえジョゼフ王は毒殺を謀ったのでございます。結果、奥様はシャルロット様を庇って毒を呷られ、心を狂わされてしまいました……」
 そう言ってペルスランは悔しさのあまりに涙を流していた。
「その日以降、シャルロット様は別人のようになられました。心を殺して唯々諾々と、ジョゼフ王から下される汚れ仕事を請けておられるのです」
「時々いなくなっていたのはそういう事情だったのね……」
「お陰でこのお屋敷と奥様だけは取り上げられずに降りますが……私は……悔しいのです! 父を殺し、母を狂わした男に頭を下げ、服従を強いらされ、ただ一つシュヴァリエの叙勲のみ受けて危険な任務を受けていらっしゃる……そんなシャルロット様が哀れでなりません……」
 滂沱の涙を零す老人の握る房飾りが、冷たく流れ込む湖の風で、静かに揺れている。


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