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ゼロの魔王伝-22


ゼロの魔王伝――22

魔法学院の学院長室の窓から、去りゆくルイズ達の背を見送り、アンリエッタは憂いを湛えた様子で俯いた。死地へと自らが赴かせた者達に待ち受ける運命が、果てしなく暗く重たいものに思えて、アンリエッタの胸中が安らかなものであるわけもない。
 指を組み、せめてもの祈りを始祖に捧げるアンリエッタの姿は、世界中のなにもかもに押し潰されてしまいそうなほど、小さく見えた。一国の王女という立場を考慮しても、重すぎる荷である事だろう。
 アンリエッタは、聞く者の胸に深い悲しみ抱かせる溜息を小さく吐いてから、背後のオールド・オスマンを振り返った。トリステイン最老にして最強と言われる老メイジは、それらしい雰囲気の欠片も見せず、枯れ木みたいな指で鼻の辺りを弄くっていた。
 どうも鼻毛を引き抜こうとしているらしいと悟り、アンリエッタは呆れかえった。王女を前にしてこの態度、世が世なら、いや今の時世でも不敬罪に問われてもおかしくない行動だ。
 そんな事を目の前でかまされても怒りを覚えない辺りが、蝶よ花よ、と育てられて傲慢になりがちな身分の生まれの者には珍しい穏やかな気性がアンリエッタらしい。

「見送られないのですか、オールド・オスマン?」
「ほほ、姫、御覧の通りこの老いぼれ目は鼻毛を抜くので忙しゅうございましてな」
「心配ではないのですか?」

 やや怒りを込めた様子のアンリエッタの声に、いて、と呟いて引き抜いた鼻毛をぱっと捨てて、オスマンは少しばかり真面目な調子で答えた。

「無論、我が学院の生徒の身です。案じぬわけもありますまい。ただ、この老いぼれ目には心配を覆すだけの心当たりが……」

 オスマンの言葉を遮ったのは、激しく叩かれるドアの音だった。まだ使用人くらいしか起きていないであろう時刻に、学院長室を訪れる者はまずいない。
 急ぎの用であろう。アンリエッタはすでに侍従や護衛の者達に一言告げてあるから、格別呼びに来るような用件はないはずだが。
 果たして、オスマンが爪楊枝代わりに使っている銅製の縫い針の様な杖を振るい、解錠するや、勢いよくコルベールが走り込んできた。荒い息遣いが、学園長室まで急いで走ってきたのを物語っている。
 部屋の中のアンリエッタにも気付かぬ様子で、コルベールは赤く変わった顔のまま壊れた堤みたいに喋り出した。

「大変ですぞ、オールド・オスマン。いい、一大事出すぞ!」
「まあ、落ちつきたまえ、コルベール君。最近の君はいつも一大事ばかりじゃのう」
「ですが、本当に一大事なのです! 学院長に命ぜられました通り宝物庫を見てきたら、ないのです! 『破壊の槍』が!!」
「ほう」

 とオスマンは、そうなる事が分かっていたと言う様に呟いた。オスマンの脳裏には、『破壊の槍』=神の槍を奪還してきた時のDの言葉が蘇っていたのかもしれない。槍はルイズを選んだという言葉を。

「『破壊の槍』? あの学院の秘宝ですか?」
「はははい、その通りで……こ、これは姫様!? な、なぜ、このエロじじいの部屋に」
「え、エロ……」

 王宮では一度も耳にした事の無い言葉に、思わずアンリエッタが絶句して、オスマンを見た。その目には不審の光がありありと浮かんでいた。かような反応は、オスマンの普段の行動の賜物であったろう。
 こほん、とオスマンがその場を取り繕うための咳払いをした。いかにも胡散臭い咳払いである。

「『破壊の槍』が行方知れずになった事も大事ですが、今は彼女らの行く末を案じましょう。振られた杖は戻せませぬゆえな。待ちましょう、祈りましょう。なに、彼らには影の様に傍に侍った美しい手助けがあります。なんとかなるでしょう」
「それは、ワルド子爵? それともあのギーシュさんですか? いえ、貴方の仰り方では別の誰かがいるというのですね。その方は、それほど頼りになるのですか?」
「そうですな、この学院の誰よりも。あるいはトリステインのいかなるメイジよりも腕はたちます。なによりも美しい」

そういって恍惚となる老人の顔を、飛びきりの悪夢を見た様に気味悪げにアンリエッタは見つめた。頬をうすく桃色に染めた老人の顔など、見ても楽しいものでもない。
 ちら、とコルベールの方を見ると、どういう理屈かこの中年教師も恥じらう様に頬を染めていると来た。同じ人物を思い描いたらしいが、気持悪いったらありゃしない。
 アンリエッタは、先程までの神妙な気持ちを散々なものにしたが、それでもオスマンの言う誰かの事が気になり、こう聞いた。

「その人は、一体誰なのです?」
「……D、という名の男です。ミス・ヴァリエールの使い魔ですが、昨夜お会いにはなられなかった?」
「ええ、昨日はルイズの部屋には、そのような方は。ルイズは、人間を使い魔にしたのですか?」
「ほほ、まあそう言うわけですじゃ」
「昔から変わったところのある子でしたが、人間を使い魔にするなんて初めて耳にしましたわ。それほど信頼されていると言う事は、ひょっとして優れたメイジであったりするのですか?」
「いえ、メイジではありません。ですが、彼に勝てる者は、ハルケギニアのメイジにはおりますまい」

 メイジでもないものがメイジを上回る力を持つ。
 メイジという存在が社会的にもまた、『生物』としても明確にメイジならざる『平民』よりも優れたると、生まれた時から教えられた貴族達の頂点に立つアンリエッタからすれば、如何にオスマンの言葉といえども信じるのは難しい。
 アンリエッタの顔色でそれを察したオスマンは、この姫君に安心を与えようと思いたち、この世界のものでも知っているとある伝説を口にした。

「姫は始祖ブリミルの使い魔の伝説はご存じですかな?」
「通り一遍の事なら知っていますが」
「では『ガンダールヴ』の降りはいかがですかな?」
「『神の盾』ですか? まさか、そのDという方がそのガンダールヴだと仰いますの?」
「ほほ、それほどに使える男だと言う事です」

 しかし、それでも不安がぬぐえぬようで、アンリエッタは小さな粒としか見えないくらい遠くのルイズ達の背を見つめて、呟いた。一層不安の響きは増している。オスマンの言葉は逆効果であったらしい。

「ですが、オールド・オスマン、彼ら以外に人影は見えませんが?」
「ほっほっほ、なに、影の様に、と申しました通り、目に見えぬどこかで見守っておる事でしょう。必要とあらば生まれたばかりの赤子であろうと容赦なく首も刎ねかねぬ男ですが、割と人が良い所もある気骨漢ですわい」
「……わたくしは見た事もあった事もありませんが、トリステインの誇るメイジたる貴方がそうおっしゃるのなら、そのお言葉に縋りましょう。影さえも美しいというその方が、ルイズ達の力となってくださることを祈ります」


 魔法学院を出発してから、ワルドはのんびりとグリフォンを歩かせていた。本当なら休まずグリフォンを疾走させて急ぐ予定だったのだが、ギーシュの言葉で急いでも結局は足止めを食らう事が分かったから、予定を変えている。
 ワルドとしてはこの穏やかな旅の内に、十年間ほったらかしにしておいたルイズとの溝を埋めるべく、飽きることなく口を開いてはおしゃべりを続けていた。
 もっとも応じるルイズの口は重く、ワルドの一方的なおしゃべりとなっている。だから、今のルイズには禁句に近い使い魔の話題を口にした時、わずかにルイズの肩が動いたのに気づき、ワルドはようやく会話が出来るかと安堵した。
 ルイズは、後ろからワルドに抱すくめられるようにグリフォンに跨っているから、ワルドからはその表情を窺い知る事は出来ない。ルイズがワルドを振り向けば、その表情を沈鬱なモノが支配している事に気づくこともできただろう。

「そういえば、魔法学院の二年生はこの時期、使い魔召喚の儀式を済ませている頃だね。君の使い魔はどうしたんだい? 学院で聞いたが、人間を召喚したんだって?」
「D、っていうのよ」
「姫殿下が学院に着いた時、君の姿を見たよ。十年会わずにいても一目でわかったよ。十年前から君は他の人間とは違う雰囲気の様なものを纏っていたけど、今はそれにもっと磨きがかかっていたからね。
 その時、君の友人達の中に、変わった格好の男がいたが、彼が君の使い魔なのかな。見かけない格好だったが、異国の傭兵かなにかだったのかい?」
「詳しい事は知らないわ。何も聞かなかったし、いつか聞けばいいと思っていたから」
「そうか、それでそのDくんは?」

「……置いてきたわ。姫様の任務は、とても危険なものだから連れて行くわけにもいかないと思ったのよ」
「そうか、使い魔とメイジは一心同体だが、人間を使い魔にした例は聞いた事が無い。向こうの言い分もあるだろう。しかし、ルイズ、君は優しい女の子だな。使い魔くんの事を案じたのだろう?」
「……」

 黙りこむルイズの背を見つめ、ワルドは安堵した様な表情を浮かべ、自分の心に気づいてすぐに恥辱の朱に変えた。
 メイジの最高峰スクウェアメイジであり、誇り高き魔法衛士隊隊長の一人である自分が、平民一人がいない事に安堵するなど、屈辱以外の何物でもない。ワルドが、この時感じた安堵が、極めて正しいものであると知るのは、もう少し先の事であった。
 そんなワルドの端正な顔が、はっと何かに気づいた様にしかめられたのは、それから少し後の事であった。沈んだ心のルイズは、ワルドの表情の変化に気づかない。ワルドは、はるか彼方の光景を見ようとするように、目を細めた。


 灌木や、わずかな茂みがぽつぽつと緑の色彩を浮かべている山道に、呼吸をするだけで鼻や口の中に血の味が広がるほど濃密な血臭が立ち込めていた。乾燥し、ひび割れた地面は、渇いた砂漠の旅人が水を貪るように、次々と溢れた血潮を吸いこんでいる。
 大地に倒れ伏した人影の数は十を超える。手入れだけは欠かさずにいて、磨き抜かれた剣や、短槍、手斧などが持主達自身の血に濡れて転がっていた。いくつかには、肩や肘から断たれた腕も付属していた。
 粗末な革鎧や、鉄製の胸当てを身につけたいかにも傭兵、野盗崩れらしい風体の男達が、一人の黒尽くめの青年を囲んで襲い掛かっていた。
 遠巻きに囲んで矢を射掛けていた者達が、真っ先に倒され、その喉や眉間、心臓から長さ二十サントを越す木の針が刺さっている。
 死の訪れは一瞬であったろう。
 髭まみれの面に、殺人の禁忌など何十年も前に忘れ果てた粗暴野卑な顔立ちの男が、筋肉の瘤を固めて作ったような両腕で、思い切り振りかぶったトゥーハンデッドソードを正面の青年めがけて振り下ろす。
 しかし、鉄製の兜も真っ二つにする剛剣は、青年の片手一刀の刃に容易く弾かれ、万歳の態勢の胴を斜めに銀線が走った。
 脊髄や内臓、肋骨をまとめて斬った一撃に、ずるりと男の体がずれたのは、それから数秒後の事だった。
 その背に、三人ほどが腰だめに構えた短槍が一気呵成に付きこまれる。一切の容赦を捨てた刺突は、視界を黒い何かに遮られるのと同時に跳ねあげられ、間を置かずして短槍を握った男達の首がまとめて胴体から離れた。
 青年が翻したロングコートの裾に槍の穂先は弾かれ、コート共に翻った青年の剣によって、三人の男達の首は藁を大鎌で刈る様に呆気なく両断されていたのだ。
 ぴゅう、と音を立てて、胴と首の切断面から噴水の如く血潮を噴くよりも早く、切断者である青年が宙を舞った。
 まだ昼日中だと言うのに、太陽が消えてしまったように世界が暗く陰ったように思われたのは、宙を舞った青年の黒尽くめの衣装ばかりが理由ではあるまい。そのこの世ならざる美貌に陽光までも吸い込まれてしまったように、男達には思えてならなかった。
 自分達が相手にしているのが、別の世界の住人だと、賊達が骨の髄まで理解するのは、着地した青年が同時に四方に走らせた剣閃によって、さらに五人の胴体が臍のあたりから真横に両断され、四人が頭頂から股間までを、縦に真っ二つにされた時だった。
 断たれた箇所から内圧で臓物や血潮、ピンク色の脳や、胃、食道の中のモノがどろりと毀れ落ちてより一層酸鼻さを増す世界の中で、青年に襲いかかった賊達は、ただ一人を残して皆殺しの憂き目に遭っていた。
 腰を抜かし恥も外聞もなく失禁して、仲間達の流した血の海に尻餅をついた男は涙と洟でぐしゃぐしゃにした顔に、かろうじて正気の名残をとどめつつ、狂気の棺桶に片足を突っ込んでいた。
 この山道の向こうにある港町ラ・ロシェールの酒場で、白い仮面を被った貴族らしい男に頼まれ、酒場に居た者達でグループを作り、この山道を通ってくるある者達を襲えと依頼された。
引き換えに大枚の金貨を与えられ、いざとなれば降服しても構わないと言われていたから、さしたる危機感もなく引き受けた仕事の筈であった。
しかし、男の指定した者達がここを通るよりも前に姿を見せた黒尽くめの青年を、同行していた白仮面に襲うよう言われ、その通りにした結果がこれだ。
長剣と木で作ったらしい針だけが武器の青年を相手に、二十人を越した仲間達は今や凄惨な死に様をむざむざと晒したもの言わぬ屍となり果て、自分は美しい冥府の国からの使いに、命を握られている。
 ほんの数時間前の、ラ・ロシェールの娼婦達の味比べといった下世話な話に興じられていた頃が、まるで楽園で過ごした至福の時のように思えた。せめて殺すならひと思いに。もう、これくらいしか思い浮かばない。
 一人だけ残しておいた男の団子鼻に、長剣――デルフリンガーの切っ先を数ミリ突きさし、ぷつりと血の球を浮かばせたまま、青年――Dが口を開いた。
 昨夜ルイズの部屋を辞した後、フーケの部屋を訪れてから何をしていたのか、今この美貌の吸血鬼ハンターは、港町ラ・ロシェールの近くに居た。
 浪蘭幻十を追ってここまできたのか、それともアルビオンに居るドクター・メフィストに会いに行く用事でも出来たのかは、分からない。いずれにせよ、この青年に襲いかかった事は、賊達にとって生涯で最も不幸な出来事には違いなかった。
 ほぼすべての人間が生を終える事になったのだから、これ以上不幸な事もあるまい。
 あとほんの一押しで狂気の奈落の底に堕ちるであろう男を前に、Dの左手からしゃがれた声が零れ出た。いわずもがな、Dの左手に宿る老人の人面痕だ。

「さて、こやつをどうしてくれようか。町の警邏のモノにでも引き渡すか? それとも面倒を省いてこの場で首を刎ねるか? どちらにせよ、誰かに頼まれたのかどうか、口を割らせてからじゃのう。楽しい拷問タイムじゃわい」

 だが、左手の宣言した『楽しい拷問タイム』は、開始の時刻を迎える事はなかった。ひ、と男が喉を鳴らすのと同時に、岩陰の一つから目も眩むような稲妻が男とDに襲いかかって来たのだ。
 稲妻の直撃を受けた男は悲鳴を挙げる間もなくあっという間に黒焦げに変わって、ぶすぶすと黒い煙と、肉の焼ける香ばしい匂いをまき散らす。Dは、男から数メイル離れた場所に着地していた。
 稲妻が放たれる直前に感じ取った殺気に反応し、回避行動に移っていのだ。黒い瞳が岩陰の向こうの敵を射抜き、Dの足が動いた。風を引きちぎりながら黒影は動き、十メイル彼方の岩陰へと走る。
 岩陰の向こうの敵は動揺したのだろう。わずかに殺気が揺らぐのが、Dには手に取る様に分かった。残り、一メイル。十メイルの距離は一秒とかからず詰められ、その途中でDの左手が振られる。
 音の壁を超えて走った木の針は、大気の摩擦に灼熱して真っ赤に燃えながら岩陰の向こうに吸い込まれて、う、という小さな苦鳴の声が聞こえた。だが、その声が聞こえたのと同時にDの足が止まった。
 デルフリンガーがいぶかしげに使い手に問うた。とどめの一手を躊躇する様な甘い男であるわけもない。

「どうしたね、相棒?」
「逃げられたな」
「なに?」

 デルフリンガーを右手に提げたまま、Dはゆっくりと岩陰の向こうに回り、地面に落ちた木の針のみが残っていた。確かに命中したはずなのに、血の一滴も付着していない。稲妻を放ったのは、赤い血の流れぬ人外の存在であったか。
 落ちた木の針を拾って懐にしまって、Dはデルフリンガーを背の鞘に収めた。あ、もうおしまい? と寂しげなデルフリンガーの声が聞こえたが、無論Dはこれを無視した。
 背後から、うえ、だの、うわぁ、だのと今にも嘔吐しそうなのを必死に堪えている声と気配が近づいてきた。若い女のモノである。ベッドの上で喘がせる事が出来たらどす黒い快楽が背筋を流れる様な、美しい女の声だ。
 左肩には皮鞄を下げて、フード付きのコートという旅装姿のフーケであった。袖ですっきりと小気味よく通った鼻を押さえて、美眉をしかめながら、血で濡れていない地面を探して苦労しつつ歩いてきた。
 周囲の光景に一生モノのトラウマを抱えそうになるのをなんとか耐えて、Dの左横に立った。非常の血液補充先としてフーケを伴っているのか、Dがフーケを連れている理由は目下不明だ。
 長い盗賊稼業で修羅場や荒事にも慣れている筈のフーケも、こうまで一方的な殺戮の現場を目にするのは初めての様で、改めて自分の関わった男の異常さに、眼を剥いているようだった。

「まったく、慈悲の欠片もないねえ。あんた、碌な死に方をしないよ。ヴァリエールのお嬢ちゃんらと一緒の時はあんなに大人しいくせに、同じ顔でこんな事が出来るなんてね」
「行くぞ」
「あ、ちょっと! まったく、夜中に突然やってきたかと思えばいきなりアルビオンへの道案内をしろって一方的に言ってさ。まったく、他人の意見てもんを知らないのかね? 馬を飛ばし続けた所為でクタクタだよ。分かっているのかい? この、万年顔面神経痛!」

と罵ってから、罵った相手に気づき顔面を蒼白に変えた。思わず口を押さえて恐る恐る近くの木立に手綱を巻いた馬へ近づくDの背を見る。幸い、怒りには触れずに済んだ様で、Dは特に反応を見せない。
 止めていた息をゆっくりと肺から絞り出して、フーケは安堵の溜息に変えた。いちいち口にする言葉を選ばねばこちらの命が危ういような相手と、行動を共にするのはひどく疲れる。
 その癖、Dが目を離した隙に逃げようと言う気が起きないのは――逃げられるかどうかはまた別として――、やはり、この魔性の青年の妖しいまでの美貌に心縛られているからだ。
 吸血鬼の血を引く者に血を吸われてしまったと思い込んでいる事とあいまって、フーケは口では反発してもDの言葉には逆らえぬ心理状態にある。そういった事情を抜きにしても、Dの頼みを断れる人間というものは少ない。
 Dはただ、相手の瞳を見つめ、無感情な、それこそ機械の合成音声の方がまだぬくもりを感じられるような冷たい声で用を告げるだけで良い。
 それだけで相手の脳髄は泥濘の様に蕩け、閉じた瞼の裏に明滅するDの美貌と、鼓膜を揺るがし続けるDの声に唯々諾々と従うだろう。映画ドラキュラの中に登場したツェザーレの如く。
 結局、フーケはいつの間にか馬に乗って待っているDの方へと、しぶしぶと歩いて行くのだった。死ぬまでこき使われるのが分かっているのに、まんざらでもない自分の気持ちに気づいて、フーケは拗ねた子供の様に唇を尖らせた。
 Dは、そんなフーケの様子など知った風でもなく、蹄鉄の音も軽やかに、馬を進めていた。その背には別れを告げた仮初の主人に思いを馳せている様子は、微塵も見受けられなかった。


 通常、ラ・ロシェールまでは学院から馬を飛ばしてざっと二日ほどかかる。早朝に出発し、途中の駅で馬を交換して走り続ければ、なんとか夜中には着く距離だ。
 明日の夜は二つの月が重なる『スヴェルの夜』。その翌日にならないと船は出ないから、到着は明日でも問題はない。街道沿いにある旅籠か、少し離れた所にある街で宿を求めて今日は夜露を凌げばいい。
 ルイズは、グリフォンの上に跨ったまま、うつらうつらと船を漕いでいた。まる一夜泣き続けた所為で、碌に睡眠を取っていないせいもあるだろう。ふらふらとおぼつかない様子のルイズに、ワルドは苦笑し、すぐにその笑みを取り払って周囲を警戒した。
 風のスクウェアメイジとして鋭敏や五感に、空中から近づいてくる何者かの気配を感じ取ったのだ。グリフォンも、主人同様に低いうなり声を上げて警戒を露わにしている。
 ワルドは静かにルイズの肩を揺すり、眠りの世界との境目をうろついていたルイズをこちら側に引き戻した。

「ワルド? あ、ごめんなさい。私ったら」
「気にしなくていいさ。君の寝顔はなかなかチャーミングだったしね。それよりも誰かがこちらに近づいてくる。気をつけるんだ」
「え、ギーシュじゃないんですか?」
「彼なら馬で後を追ってくるだろう。十分に追いつける距離だしね。だが、今近づいてきている相手は、空からだ」

 ワルドは、グリフォンに跨ったまま腰にさしてあるレイピアの様な杖を握り、いつでも閃光の速度で抜剣、いや抜杖できるよう身構えた。ルイズは腰のベルトに指してある杖を小さな手の平で握った。
 トリステイン最精鋭部隊の長であるワルドを援護する事さえもできるとは思えなかったが、それでも何もできずに守られているわけにも行かないだろう。賊の一人くらいは、斃して見せようと、ルイズは小さな胸の奥で誓っていた。
 やがてばっさばっさと派手な音を立てて、上空に蒼い影がぽつんと浮かび上がり、それは徐々に大きさを増してルイズ達を目指して降下してきた。
 最初は、風竜か、と緊張したルイズだが、風竜の姿とその背から時折見える赤い髪に見覚えがある事に気づいて頭痛を覚えた。すっと杖を抜こうとするワルドの気配に気づき、慌ててルイズは声をかけた。
 Dの傍にいた所為か、人が誰かにあるいは何かに対して破壊衝動や殺意を抱くのを敏感に察知できるようになっているらしい。餓えた獣も自殺したくなるような鬼気を纏うDの影響で、皮膚感覚から第六感に至るまでが、鋭敏さを増しているのだ。

「ワルド、待って。あれは敵じゃないわ。私の知り合いよ」
「なんだって? 誰かに、この任務の事を伝えていたのかい?」
「そんな事、杖に誓ってしてないわ。多分、ギーシュが話したか、私達が朝出かけて行くのを目撃して追いかけて来たのよ」
「しかし、そんな事で後を追ってくるものなのかい?」
「あの赤毛女なら追ってきてもおかしくはありませんわ」
「ふむ」

 とワルドはとりあえず納得したように頷いたが、杖に添えた右手は離さずにいた。いつでも杖を抜き放って、強烈な風の一撃を見舞えるようにしている。常に利き腕は空けておくか、杖に添えている。
 不意を突かれて襲われた時に、杖を求めて反撃の一手を講じるのに余計な手間をかけぬようにしているのだ。戦闘を専門とする軍人としては初歩の心得だ。
 やがて、ふわ、と風を孕んだ風竜――シルフィードの翼が柔らかく羽ばたいて着地すると、その背に乗っていたタバサ、キュルケ、それにギーシュがシルフィードの背から降り立った。シルフィードの口にはギーシュの使い魔であるヴェルダンデが咥えられていた。
 自慢の炎が変じた様に艶やかな赤色の毛をかき上げて、キュルケがウィンクしながらルイズに近づいてきた。タバサは寝起きを起こされたのか、ナイトキャップを被ったパジャマ姿だった。それでも相変わらず本を読んでいる。

「おまたせ」
「おまたせ、じゃないわよ。なんであんた達が居るのよ。何しに来たわけ?」
「なにって、今朝早くに貴女達が正門から出かけて行くのが見えたからこうして追いかけて来たのよ。なんだか面白そうだし。その途中でギーシュも見つけたから連れて来て上げたのよ」 

 ここまでキュルケの言い分を聞いてから、ルイズはきっとギーシュを睨んだ。余計な事は言っていないでしょうね? という無言の詰問に、ギーシュはちょっとたじろいだ様子で首を縦に振った。
 空の道中で、キュルケにはさんざん勘ぐられて誘導尋問やらなんやらもされたのだが、見事ルイズ達に追いつくまで、アンリエッタから賜った極秘任務については口を割らずにいられた。

「あのねえ、今回の事はお忍びの事なの。それがあんた達まで付いてきちゃったら目立ってしょうがないじゃない」
「あら、なら先に言っておいてくれなきゃ分からないじゃない。でも、だから貴女がそんな恰好をしているわけね。結構似合っているわよ。紅顔の美少年って所かしら?」
「アンタにそんな事言われても嬉しくないわよ。本当にもう」
「まあ、いいけど。それで、あちらのお髭が素敵な方は?」

 とキュルケが値踏みするみたいにワルドの方を見た。確か、アンリエッタが学院を訪れていた時に、馬車の周囲を警護していたグリフォン隊の中に居た顔だ。いかにもエリート散ったたたずまいの怜悧な雰囲気と、端正な顔立ちは良く覚えていた。
 キュルケの誘う様な瞳を真っ向から受け、しなを造りながら近づいてくるキュルケにワルドは固い声で答えた。

「君らの友情には敬意を表するが、それ以上近づくのは止めてもらおう。婚約者に誤解されてしまっては困る」
「婚約者? ルイズの?」

 あらま、と眼をぱちくりさせてキュルケはルイズを見た。ルイズはちょっと困ったような、戸惑っているような顔をしている。ルイズも自分とワルドが婚約者であると言う事実が、実感できていない様子だ。
 面白くないけど、かといって首を突っ込むような事でもないかしら、とキュルケはワルドへの興味をすぐに熱の低いものに変えた。何より、ワルドの氷から削り出したように冷たい瞳が気に食わない。
 ワルドの瞳よりもはるかに冷たく、はるかに暗く、はるかに美しく、また恐ろしい瞳を知っていたという事もあったからかもしれない。いずれにせと、キュルケはワルドの瞳には微熱を燃え上がらせる事もなく、またルイズをからかい始めた。
 からかう言葉の中で、Dの不在を問うものが無かったのは予めギーシュに注意を受けていたからだろう。今のルイズにDの話題は禁句なのだ。
 それに、ルイズからDを取り上げたら自殺してしまいかねないと、かつてタバサに語ったのはキュルケ本人だった。
 だから、キュルケは決してDの事は口にはしなかった。からかいもする。馬鹿にもする。だが、激励以上にルイズを傷つける言葉を、キュルケは決して口にはしないのだ。



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