「……お前はいつも、よく分からない理由で私を攻撃するな」
「あなたはいつも、よく分からない言動で私の神経を逆撫でするわね」
軽く睨み合うユーゼスとエレオノールだったが、いつまでもそんなことをしているわけにもいかない。
よって、ユーゼスは早速カトレアに指示を出した。
「ではミス・フォンティーヌ。先程のエレオノールのように、あなたも脱いでください」
「え?」
「あ、やっぱりそうですか」
「ええ?」
いつも通りの態度でけっこう凄いことを言うユーゼスと、それに平然と了承するカトレア。
そんな妹とユーゼスを見て、エレオノールはうろたえる。
……ちなみに、ユーゼスが土砂に埋まっている間にエレオノールは服を着直している。
「ちょ、ちょっと、どうしてカトレアが脱ぐのよ!?」
「お前に行った触診行為は、そもそもミス・フォンティーヌに同じことを行うための準備のような物だぞ。忘れたか?」
「……まあ、それは分かってるけど……」
ついさっきまでユーゼスが自分に行っていた行為を、カトレアにも行う。
それは、何だか……。
「では、ちょっと向こうを見ててくださいね」
「かしこまりました」
だがエレオノールの内心のわだかまりをよそに、二人は着々と手順を進めていく。
「……………」
そんな二人のやり取り黙って見ているしか出来ないエレオノール。
……と言うか、この場での彼女の役割は言わば『ユーゼスを連れて来て、自分の身体データを提供する』ことに集約されているようなものだったので、実はもうやることなどない。
しかし、このまま二人を放置して自分だけ退室するのは物凄く危険なような気がしたので、せめて黙って監視を行うことにした。
「んっ……」
ユーゼスの手が、露わになったカトレアの背中を撫でる。
エレオノールは、顔をしかめた。
「……あっ」
ユーゼスの頭がカトレアの背中に近付き、耳がピッタリと張り付く。
エレオノールは、自分の意思を超えてユーゼスを殴ろうとする右手を必死になって抑えた。
「ひゃっ、……やっ……」
ユーゼスはカトレアの両腋に手を差し入れ、更に深く指を差し入れる。
エレオノールは、この馬鹿に対してどんな拷問を行うかを考え始めた。
「……ふむ。それでは幾つか質問させてもらいますが、よろしいですか?」
「ええ」
そして十数分に渡る問診を経て、一通りの診察が終了する。
一連の結果を確認する意味で、カトレアはユーゼスに一つの質問を投げかけた。
「ユーゼスさん。私、姉さまと比べてどうでした?」
「…………激しく誤解を招きそうな言い回しはやめなさい、カトレア」
思わず妹の頬をつねろうとするエレオノールだったが、ルイズにならともかくカトレアにそんなことは出来ないことを思い出して慌てて手を止める。
一方、質問を投げかけられたユーゼスは手を洗いながらも忠実に回答を行う。
「……やはり若干弱いと言いますか、乱れがあります。脈も一定ではありませんでしたし、体温も低目でした」
「ちょっと、ユーゼス!」
これに慌てたのはエレオノールである。
何せこの男の書いたレポートには『長くて5年、短ければ1年で死ぬ』などと書いてあった。
下手をすると『あなたはあと○年○ヶ月で死にます』なんてセリフを平然と言いかねない。
そう思って咎めたのだが、
「どうした? 別に『もうじき死ぬ』と言っているわけでもないのだから、構わんだろう。お前と比べて身体が弱いこと程度なら、ミス・フォンティーヌも承知の上だと思うが」
「そうですよ姉さま、何をそんなに怒ってるんですか?」
「あ……いや、その、えっと。……ユーゼスのことだから、また無遠慮に『身体は永遠に治らない』……とでも、言うかと思ったんだけど……」
エレオノールの言葉を聞いて、ユーゼスは溜息をついた。
「お前はそのような宣告を聞きたいのか? 意外に悪趣味だな」
「そんなワケないじゃないの! ただ、あのレポートが……いえ、あなたって言うことはハッキリ言うタイプでしょう。だから、キッパリ結果だけ告知するんじゃないかって……」
一度セリフを言いよどむが、さすがにレポートの内容を当の本人の前では言うことは出来ない、と思い直して別の角度から『言わない理由』を問い質すエレオノール。
すると。
「……仮に結論が悪いものだとしても、本人の前でそれを言うほど私は思慮の浅い人間ではない」
「む、むう……」
などという答えを返された。
正論である。
「まあ、そう絶望するほど悪い結果ではない、とだけは言っておくがな。それに……」
「それに、何よ?」
「私はミス・フォンティーヌの他にも身体の弱い……いや、病魔に冒されていた人間を一人知っているが、その人間は病の身体ながらも超人的な身体能力を発揮していたぞ」
「あら、どんな方だったのですか?」
興味津々な様子で聞いてくるカトレアに、ユーゼスは口調を切り替えて答えた。
「生身で16メイル前後の鉄のゴーレムのようなものを薙ぎ倒し、手から強力なエネルギー波を放ち、駆け引きにおいて私を出し抜いた……そんな男です」
「まあ、凄い」
「……もうツッコんだりしないわよ」
ユーゼスの口から語られる『知人』のメチャクチャぶりを聞いて、それを初めて耳にしたカトレアは素直に感心し、もう何度目かのエレオノールは半ば呆れる。
もっとも、『この知人』は少々特殊すぎる例ではあるのだが……。
閑話休題。
「ともあれ結論だけを言ってしまえば、ミス・フォンティーヌの身体を治療することは『私個人の力では』不可能だ」
若干含みのある言い方ではあったが、ヴァリエール姉妹はそこに隠された意味には気付かない。
「っ……」
「……………」
エレオノールは苦々しく、カトレアは無表情にその言葉を受け止める。
(……む?)
そんな二人を見て、ユーゼスは少々不思議に思った。
エレオノールの反応は分かる。
大抵の人間は、『身内の病気が治らない』と宣告されればあのような表情を浮かべるはずだ。
だが、カトレアのこの反応は何なのだろうか?
いかにも認めたくなさそうにしているエレオノールに比べて、何の感情も抱いていないように見える。
「……………」
そんなカトレアに興味を惹かれたユーゼスは、ストレートに問いを放つ。
「ミス・フォンティーヌ」
「何でしょう?」
「……今の私の言葉に、何か思うところはないのですか? どうも……大して気に留めていらっしゃらないようですが」
「?」
きょとんとするカトレアだったが、すぐに気を取り直してユーゼスの問いに答えた。
「ああ、ごめんなさい。もう何回も聞いたような言葉でしたから、飽きちゃってたんです」
「飽きる?」
どういう意味なのだろうか。
分からないのでエレオノールの方に目を向けてみると、何故か彼女は先程よりも心苦しそうに目を伏せている。
……ますます分からなくなったので視線をカトレアに戻すと、カトレアは微笑みながら自分が言ったセリフの意味を語った。
「私、子供の頃からずっと身体が弱かったんです。それで国中からお医者様をお呼びして、強力な『水』の魔法を何度も試したんですけど……。その度に『多少の水の流れをいじったところで、どうにもならない』って言われてましたから」
「成程」
つまり、もう諦めがついていると言うか、自分の人生に見切りを付けつつあるということか。
それならば確かに、今更『治療は不可能』と言われた程度で思うところなどあるまい。
エレオノールに渡された情報から、カトレアの身体状況については大部分の把握が出来ている。
幼少の頃どころか、生まれた時から身体が弱く。
少しでも魔法を使えば、激しい咳や発作に見舞われ。
それから現在に至るまで、そんな脆弱な身体と付き合い続け。
今この時ですら多くの魔法や薬品を使って、その症状を緩和し続けているはずだ。
……自分は長く生きられないことなど、とっくの昔に察しているだろう。
だったら、いちいち検査結果に一喜一憂するのも馬鹿馬鹿しい。
(『達観している』と言えば聞こえは良いが……)
ある意味では『捨て鉢になっている』とも取れる。
このカトレアという女性は、これからの自分の人生に対して期待というか積極性―――『活力』のようなものを抱いていないのだ。
(……私に似ているかも知れんな)
最初から『活力』を持ち得なかった者と、持っていた『活力』をほとんど全て使い果たしてしまった者。
そこに至るまでの経緯は異なるが、どこか今の自分のスタンスとどこか共通している……と、ユーゼスはそんなことを思う。
話題の方向性から微妙に場の雰囲気が沈みかけていたが、そこで不意にカトレアがユーゼスに話しかけてくる。
「ユーゼスさん、ちょっとよろしいかしら?」
「……どうかしましたか、ミス・フォンティーヌ?」
問われたから普通に応じたつもりだったのだが、カトレアはやや不満げな様子でじぃっとユーゼスを見た。
「やっぱり。どうしてなんですか?」
「?」
断片的に疑問をぶつけられるので、ユーゼスには何のことやら理解が出来ない。
「……何なのです?」
「それです、それ。……どうしてエレオノール姉さまとルイズには敬語を使ってないのに、私にだけ敬語を使ってるんです? それと、姉さまは名前で呼んでるのに私は『ミス・フォンティーヌ』なんて名字で呼ぶなんて、他人行儀だと思います」
「「は?」」
どうして、と言われても。
「……最初に会った時の会話で敬語を使っていなかったので、以降も流れ……と言うか成り行きで使わないことにしたのですが。今更敬語を使うことにも違和感を感じますし」
「な、名前で呼ぶことは……ま、まあ、それこそ成り行きって言うか、最初は私も名字で呼ばれてたんだけど、一度名前で呼ばれてからは、そっちの方がしっくり来るって言うか……」
ユーゼスとエレオノールは、それぞれ『敬語を使わない理由』と『名前で呼ばれる理由』を語る。
しかしカトレアはそれに納得しないようで、さらに問いを重ねた。
「じゃあ、ユーゼスさんが私の他に敬語を使ってる人と、エレオノール姉さまの他に名前で呼んでる人って誰ですか?」
「む……」
言われてみれば、自分が敬語を使って会話をしている人間はかなり少ない。
ギーシュやキュルケ、タバサやモンモランシーなどの魔法学院の生徒には敬語など全く使っていないし、オールド・オスマンやシュヴルーズなどの教師についても同様だ。
敬語を使った人間となると、数えるほどしかいない。
『名前で呼ぶ人間』に至っては、もうエレオノールしか存在しないくらいである。
「……ワルド子爵に初めて会った時からしばらくと、アンリエッタ女王陛下には敬語を使いましたか。後はこちらの公爵様と、公爵夫人には使うつもりでいますが。
名前で呼ぶことに関しては……今の所はエレオノールだけですね」
それを聞いたカトレアは『うーん』と小さく唸り声を上げて口を尖らせる。
「私、そんなに偉くないんですけど」
「公爵家の次女というだけで、十分すぎるほど偉いと思います」
「それを言うなら、エレオノール姉さまやルイズだってそうです」
「エレオノールと御主人様に関しては、例外ということでお願いしたいのですが」
ここで、カトレアの目がキラリと光った。ような気がした。
「じゃあ、その『例外』に私も入れてくれません?」
「……何故です?」
「姉や妹とは普通に話してるのに、真ん中の私だけ名字で呼ばれて敬語で話されるって言うのも、何だか仲間はずれって言うか、不公平な気がしますし」
(……それほど敬語を使われたくないのか?)
こうも頑なに『敬語を使わないで欲しい』と言われ続けては、思わず承諾しそうになってくる。
まあ、本人がそれで構わないと言うのであれば、別に拒否する理由もないが……。
取りあえずエレオノールに判断を仰いでみることにする。
「エレオノール、構わないか?」
「……したいんなら、すれば?」
何だかよく分からないが、微妙にイライラしているようだった。
ともあれ否定はされていないので、カトレアの要望通りに口調や呼び方を変えるとしよう。
「では、今後は『ミス・カトレア』と」
ユーゼスとしてはかなり砕けた呼び方だったのだが、何故かカトレアは不機嫌度を増してしまう。
「『ミス』は要りませんっ」
ならば、と呼び方を若干変更する。
「『カトレア様』?」
「…………わざと言ってませんか、ユーゼスさん」
ジロリと軽く睨まれてしまったので、『こんな呼び方一つに何の意味があるのだろう』などと思いつつも、ユーゼスは仕方なげに『その呼び方』で呼ぶことにした。
「―――了解した、カトレア。……これでいいか?」
「はい、それでいいです」
これでひとまずの用件は終わったはずなので、ユーゼスはこの姉妹に一言か二言ほど声をかけてから退室しようとする。
だが。
「……………」
まずはこの部屋に連れて来た当人であるエレオノールに声を、と思ってその彼女の方を見たら、どういうわけかエレオノールは元々つり上がっている目を更につり上げて自分を見ていた。
「……むう」
せっかくカトレアの機嫌が直ったというのに、今度はエレオノールの機嫌が悪くなってしまっている。
(何なのだ?)
エレオノールの機嫌が悪くなったからと言って自分に不都合があるわけではないが、何となく居心地が悪く感じるので単刀直入に質問してみる。
「何をそんなに苛立っているのだ?」
「別にっ。……ただ、あなたって頼まれたらすぐに誰かを呼び捨てで呼んだりするんだなって思っただけよ」
「?」
『名前を呼び捨てで呼んでくれ』と言われて、実際にそう呼んだことの何がいけないと言うのだろう。
(……いつもの『貴族に対する敬意』というやつか)
しかし、本人からそう頼まれたのだから問題はないではないか。
それに第一。
「断わる理由が無いだろう」
「ああ、そう! だったらあなた、断る理由さえ見当たらなきゃ何だってするの!? どうなのよ!!?」
「は?」
うぅ~~、とエレオノールに睨まれる。
……自分はただ正直に思うところを話しただけなのに、何故睨まれなければならないのか。
と言うか、何故こんな理不尽な理由で怒られているのだろう。
ともあれ、投げかけられた問いには答えておく。
「程度による」
「じゃあ、『死ね』って言われたら死ぬの!?」
「……死ぬわけがないだろう。子供か、お前は」
「なら、『お使いに行け』って言われたら行くの!?」
「内容次第だが、別にその程度なら構わん」
「だったら、『誰かを殺してきなさい』って命令されれば殺すの!?」
「必然性があって、なおかつ私が納得出来ればそうする」
「それなら、『この城にいる間は毎朝私の部屋に来て、私を起こしなさい』って頼まれたら起こすの!?」
「……起こして欲しいのか?」
「えっ?」
ハッとして口をつぐむエレオノール。
そして慌てて今の失言についての弁明を始めた。
「あ、あの……その、別に今のは、物の例えって言うか、つい勢いで言っちゃったって言うか、何て言うか、その……」
「御主人様からも起こすように言われているし、私としては構わんが」
「あら、そうなんですか?」
何気なくユーゼスが言った言葉に、すかさずカトレアが反応する。
「『私に起こされることに慣れすぎて、他の人間に起こされると上手く目が覚めない』と言われてな。まあ、魔法学院では日常的に行っていたことでもあるし、それこそ断る理由も無い」
「まあまあ、ルイズがそんなことを……」
うふふ、と笑うカトレア。
……ユーゼスにはそれがどのような意味合いの笑いなのかは分からなかったが、深く追求すると危険な気がするので触れないでおくことにした。
そしてカトレアは、ユーゼスがつい先ほど放った言葉に乗り始める。
「じゃあせっかくだから、私もお願いしてみようかしら」
「ちょ、ちょっと、カトレア! 何を馬鹿なことを言ってるのよ!!?」
当然、エレオノールはそれに猛反対した。
「あら姉さま。だってユーゼスさんは『断わる理由がない』っておっしゃったじゃありませんか」
「いくら双方の合意が得られたからって、して良いことと悪いことってものがあるでしょう! そ、そんな、嫁入り前の貴族の女が、眠ってる最中に部屋の中に男性が入ることを了承するなんて……はしたない!!」
「別に夜這いのお誘いをするってわけでもないんですし、いいじゃありませんか」
「よば……!?」
顔を引きつらせつつ紅潮させる姉と、ニコニコと顔色を変えずにそれに対応する妹。
中々に対照的な図式である。
「というわけでユーゼスさん。ルイズのついでで構いませんから、朝に私も起こしてくださいね」
「分かった」
カトレアの申し出をアッサリと承知するユーゼスだったが、そうはさせじとエレオノールが割り込んできた。
「何が『というわけ』なのよ!? 私の意見を聞きなさいよ!! って言うかユーゼス、あなたもすんなり聞き入れないで!!」
しかしカトレアはマイペースを崩さずに、やんわりと姉に問う。
「それならエレオノール姉さま、いくつか質問させていただきます」
「な、何?」
「こちらのユーゼスさんは、眠っている女性に乱暴をするような方なのですか?」
「む……そんなわけがないでしょう。私とユーゼスはそれほど付き合いが長いってわけじゃないけど、どういう人間かくらいは知ってるつもりよ」
その回答を聞いて、カトレアはにっこりと笑みを浮かべる。
「だったら問題はありませんわね」
「うぐ……。で、でも、ルイズに対しては主人と使い魔の関係だから百歩譲って構わないとしても、平民の男を部屋に入れるのは……」
「その理屈で言えば、このお城では男の人が働けないことになってしまいますけど?」
「ぬ、ぬぅぅう……」
小さく唸り、これ以上の追及の手が伸ばせなくなってしまうエレオノール。
と、ここで一応は話の中心であるはずのユーゼスが、ふと疑問に思っていることを口に出した。
「……今の話を総合するに、御主人様とカトレアは起こすとしても、エレオノールを起こす必要は無いのか?」
「え!?」
「あら、まあ。言われてみればそうですわね」
エレオノールはうろたえ、カトレアは相変わらず笑みを崩さずにユーゼスの言葉を反芻する。
「待って! どうしてそうなるのよ!!?」
「……? 御主人様は例外としても、貴族の女性の部屋に私のような平民の男が上がり込むのは駄目なのだろう?
しかしカトレアはそれを承知していて、対するお前は反対の姿勢を崩さない。ならば、お前は『私がお前を起こすことに反対している』ということになるではないか」
「え……、……あ、ああ、まあ、うん。そう……なるわね」
見る見る内にトーンダウンするエレオノール。
そんな彼女をよそにユーゼスはカトレアから起床時間についての要望を聞き、それに頷いている。
更にカトレアは『もうこの話はお仕舞い』とばかりに手をポンと叩いて、ほがらかにユーゼスに話しかけた。
「ユーゼスさん。昨日拾ったつぐみを手当てしたんですけど、少し見てくれません?」
「……良いだろう」
そして二人は連れ立って少し離れた場所にある鳥カゴまで歩いていき、包帯の巻き方やエサの種類や放すタイミングについて話を始める。
「…………ぅう」
エレオノールはもはやほぼ放置されつつあったが、顔を伏せて小声でブツブツと何やら呟き始める。
「だ、だって、仕方ないじゃない……。貴族としてって言うか、女性として正しいのは私の方のはずなのに、何でことごとく言い負かされなきゃ……。……そもそもユーゼスだって……」
彼女は一分か二分ほどそうしていたが、やがて意を決したように顔を上げると、キッと強い視線をカトレアとユーゼスに向けて、叫ぶように名前を呼んだ。
「っ、ユーゼス!!」
「どうした、エレオノール?」
いきなり大声で呼び付けられれば普通は顔をしかめるなりしそうなものだが、ヴァリエール家の長女と三女に限って言えばこの程度のことは日常茶飯事なのでユーゼスも普通に応対する。
「わ……、私も、ルイズやカトレアと同じように、朝に……へ、部屋に来て、起こしなさいっ!!」
「駄目なのではなかったのか?」
微妙に震えながら命令口調でそう言うエレオノールに対し、ユーゼスはあくまで冷静だ。
だがエレオノールも一度言い出した以上は引っ込みがつかないようで、やや強引にではあるが約束を取り付けようとする。
「いいからっ、あなたは黙って私を朝に起こせばいいの!! これは命令よ!! 分かった!!?」
「……結局何なのだ、お前は」
今日はいつもに輪をかけてワケが分からないな……などと思いつつ、それこそ断る理由もないのでユーゼスはそれを承知する。
まあ一人起こすのも三人起こすのも労力としては大して変わらないし、問題はあるまい。
と、ユーゼスが起こす順番について軽く思考を巡らせ始めると、
「――――もう、…………だったのに、これじゃ…………」
小さな……本当に小さな、しかし悔しさを含んだ呟きが聞こえたような気がした。
「む?」
疑問に思ってその呟きが聞こえた方向を見てみても、そこにはカトレアがニコニコと微笑んでいるだけだ。
「あら、どうしましたユーゼスさん?」
「……いや、何でもない」
気のせいか、と考え直して思考を元に戻す。
……何はともあれ、このヴァリエールの城に滞在している間は、ユーゼスの仕事が二つばかり増えることになったのであった。
「あなたはいつも、よく分からない言動で私の神経を逆撫でするわね」
軽く睨み合うユーゼスとエレオノールだったが、いつまでもそんなことをしているわけにもいかない。
よって、ユーゼスは早速カトレアに指示を出した。
「ではミス・フォンティーヌ。先程のエレオノールのように、あなたも脱いでください」
「え?」
「あ、やっぱりそうですか」
「ええ?」
いつも通りの態度でけっこう凄いことを言うユーゼスと、それに平然と了承するカトレア。
そんな妹とユーゼスを見て、エレオノールはうろたえる。
……ちなみに、ユーゼスが土砂に埋まっている間にエレオノールは服を着直している。
「ちょ、ちょっと、どうしてカトレアが脱ぐのよ!?」
「お前に行った触診行為は、そもそもミス・フォンティーヌに同じことを行うための準備のような物だぞ。忘れたか?」
「……まあ、それは分かってるけど……」
ついさっきまでユーゼスが自分に行っていた行為を、カトレアにも行う。
それは、何だか……。
「では、ちょっと向こうを見ててくださいね」
「かしこまりました」
だがエレオノールの内心のわだかまりをよそに、二人は着々と手順を進めていく。
「……………」
そんな二人のやり取り黙って見ているしか出来ないエレオノール。
……と言うか、この場での彼女の役割は言わば『ユーゼスを連れて来て、自分の身体データを提供する』ことに集約されているようなものだったので、実はもうやることなどない。
しかし、このまま二人を放置して自分だけ退室するのは物凄く危険なような気がしたので、せめて黙って監視を行うことにした。
「んっ……」
ユーゼスの手が、露わになったカトレアの背中を撫でる。
エレオノールは、顔をしかめた。
「……あっ」
ユーゼスの頭がカトレアの背中に近付き、耳がピッタリと張り付く。
エレオノールは、自分の意思を超えてユーゼスを殴ろうとする右手を必死になって抑えた。
「ひゃっ、……やっ……」
ユーゼスはカトレアの両腋に手を差し入れ、更に深く指を差し入れる。
エレオノールは、この馬鹿に対してどんな拷問を行うかを考え始めた。
「……ふむ。それでは幾つか質問させてもらいますが、よろしいですか?」
「ええ」
そして十数分に渡る問診を経て、一通りの診察が終了する。
一連の結果を確認する意味で、カトレアはユーゼスに一つの質問を投げかけた。
「ユーゼスさん。私、姉さまと比べてどうでした?」
「…………激しく誤解を招きそうな言い回しはやめなさい、カトレア」
思わず妹の頬をつねろうとするエレオノールだったが、ルイズにならともかくカトレアにそんなことは出来ないことを思い出して慌てて手を止める。
一方、質問を投げかけられたユーゼスは手を洗いながらも忠実に回答を行う。
「……やはり若干弱いと言いますか、乱れがあります。脈も一定ではありませんでしたし、体温も低目でした」
「ちょっと、ユーゼス!」
これに慌てたのはエレオノールである。
何せこの男の書いたレポートには『長くて5年、短ければ1年で死ぬ』などと書いてあった。
下手をすると『あなたはあと○年○ヶ月で死にます』なんてセリフを平然と言いかねない。
そう思って咎めたのだが、
「どうした? 別に『もうじき死ぬ』と言っているわけでもないのだから、構わんだろう。お前と比べて身体が弱いこと程度なら、ミス・フォンティーヌも承知の上だと思うが」
「そうですよ姉さま、何をそんなに怒ってるんですか?」
「あ……いや、その、えっと。……ユーゼスのことだから、また無遠慮に『身体は永遠に治らない』……とでも、言うかと思ったんだけど……」
エレオノールの言葉を聞いて、ユーゼスは溜息をついた。
「お前はそのような宣告を聞きたいのか? 意外に悪趣味だな」
「そんなワケないじゃないの! ただ、あのレポートが……いえ、あなたって言うことはハッキリ言うタイプでしょう。だから、キッパリ結果だけ告知するんじゃないかって……」
一度セリフを言いよどむが、さすがにレポートの内容を当の本人の前では言うことは出来ない、と思い直して別の角度から『言わない理由』を問い質すエレオノール。
すると。
「……仮に結論が悪いものだとしても、本人の前でそれを言うほど私は思慮の浅い人間ではない」
「む、むう……」
などという答えを返された。
正論である。
「まあ、そう絶望するほど悪い結果ではない、とだけは言っておくがな。それに……」
「それに、何よ?」
「私はミス・フォンティーヌの他にも身体の弱い……いや、病魔に冒されていた人間を一人知っているが、その人間は病の身体ながらも超人的な身体能力を発揮していたぞ」
「あら、どんな方だったのですか?」
興味津々な様子で聞いてくるカトレアに、ユーゼスは口調を切り替えて答えた。
「生身で16メイル前後の鉄のゴーレムのようなものを薙ぎ倒し、手から強力なエネルギー波を放ち、駆け引きにおいて私を出し抜いた……そんな男です」
「まあ、凄い」
「……もうツッコんだりしないわよ」
ユーゼスの口から語られる『知人』のメチャクチャぶりを聞いて、それを初めて耳にしたカトレアは素直に感心し、もう何度目かのエレオノールは半ば呆れる。
もっとも、『この知人』は少々特殊すぎる例ではあるのだが……。
閑話休題。
「ともあれ結論だけを言ってしまえば、ミス・フォンティーヌの身体を治療することは『私個人の力では』不可能だ」
若干含みのある言い方ではあったが、ヴァリエール姉妹はそこに隠された意味には気付かない。
「っ……」
「……………」
エレオノールは苦々しく、カトレアは無表情にその言葉を受け止める。
(……む?)
そんな二人を見て、ユーゼスは少々不思議に思った。
エレオノールの反応は分かる。
大抵の人間は、『身内の病気が治らない』と宣告されればあのような表情を浮かべるはずだ。
だが、カトレアのこの反応は何なのだろうか?
いかにも認めたくなさそうにしているエレオノールに比べて、何の感情も抱いていないように見える。
「……………」
そんなカトレアに興味を惹かれたユーゼスは、ストレートに問いを放つ。
「ミス・フォンティーヌ」
「何でしょう?」
「……今の私の言葉に、何か思うところはないのですか? どうも……大して気に留めていらっしゃらないようですが」
「?」
きょとんとするカトレアだったが、すぐに気を取り直してユーゼスの問いに答えた。
「ああ、ごめんなさい。もう何回も聞いたような言葉でしたから、飽きちゃってたんです」
「飽きる?」
どういう意味なのだろうか。
分からないのでエレオノールの方に目を向けてみると、何故か彼女は先程よりも心苦しそうに目を伏せている。
……ますます分からなくなったので視線をカトレアに戻すと、カトレアは微笑みながら自分が言ったセリフの意味を語った。
「私、子供の頃からずっと身体が弱かったんです。それで国中からお医者様をお呼びして、強力な『水』の魔法を何度も試したんですけど……。その度に『多少の水の流れをいじったところで、どうにもならない』って言われてましたから」
「成程」
つまり、もう諦めがついていると言うか、自分の人生に見切りを付けつつあるということか。
それならば確かに、今更『治療は不可能』と言われた程度で思うところなどあるまい。
エレオノールに渡された情報から、カトレアの身体状況については大部分の把握が出来ている。
幼少の頃どころか、生まれた時から身体が弱く。
少しでも魔法を使えば、激しい咳や発作に見舞われ。
それから現在に至るまで、そんな脆弱な身体と付き合い続け。
今この時ですら多くの魔法や薬品を使って、その症状を緩和し続けているはずだ。
……自分は長く生きられないことなど、とっくの昔に察しているだろう。
だったら、いちいち検査結果に一喜一憂するのも馬鹿馬鹿しい。
(『達観している』と言えば聞こえは良いが……)
ある意味では『捨て鉢になっている』とも取れる。
このカトレアという女性は、これからの自分の人生に対して期待というか積極性―――『活力』のようなものを抱いていないのだ。
(……私に似ているかも知れんな)
最初から『活力』を持ち得なかった者と、持っていた『活力』をほとんど全て使い果たしてしまった者。
そこに至るまでの経緯は異なるが、どこか今の自分のスタンスとどこか共通している……と、ユーゼスはそんなことを思う。
話題の方向性から微妙に場の雰囲気が沈みかけていたが、そこで不意にカトレアがユーゼスに話しかけてくる。
「ユーゼスさん、ちょっとよろしいかしら?」
「……どうかしましたか、ミス・フォンティーヌ?」
問われたから普通に応じたつもりだったのだが、カトレアはやや不満げな様子でじぃっとユーゼスを見た。
「やっぱり。どうしてなんですか?」
「?」
断片的に疑問をぶつけられるので、ユーゼスには何のことやら理解が出来ない。
「……何なのです?」
「それです、それ。……どうしてエレオノール姉さまとルイズには敬語を使ってないのに、私にだけ敬語を使ってるんです? それと、姉さまは名前で呼んでるのに私は『ミス・フォンティーヌ』なんて名字で呼ぶなんて、他人行儀だと思います」
「「は?」」
どうして、と言われても。
「……最初に会った時の会話で敬語を使っていなかったので、以降も流れ……と言うか成り行きで使わないことにしたのですが。今更敬語を使うことにも違和感を感じますし」
「な、名前で呼ぶことは……ま、まあ、それこそ成り行きって言うか、最初は私も名字で呼ばれてたんだけど、一度名前で呼ばれてからは、そっちの方がしっくり来るって言うか……」
ユーゼスとエレオノールは、それぞれ『敬語を使わない理由』と『名前で呼ばれる理由』を語る。
しかしカトレアはそれに納得しないようで、さらに問いを重ねた。
「じゃあ、ユーゼスさんが私の他に敬語を使ってる人と、エレオノール姉さまの他に名前で呼んでる人って誰ですか?」
「む……」
言われてみれば、自分が敬語を使って会話をしている人間はかなり少ない。
ギーシュやキュルケ、タバサやモンモランシーなどの魔法学院の生徒には敬語など全く使っていないし、オールド・オスマンやシュヴルーズなどの教師についても同様だ。
敬語を使った人間となると、数えるほどしかいない。
『名前で呼ぶ人間』に至っては、もうエレオノールしか存在しないくらいである。
「……ワルド子爵に初めて会った時からしばらくと、アンリエッタ女王陛下には敬語を使いましたか。後はこちらの公爵様と、公爵夫人には使うつもりでいますが。
名前で呼ぶことに関しては……今の所はエレオノールだけですね」
それを聞いたカトレアは『うーん』と小さく唸り声を上げて口を尖らせる。
「私、そんなに偉くないんですけど」
「公爵家の次女というだけで、十分すぎるほど偉いと思います」
「それを言うなら、エレオノール姉さまやルイズだってそうです」
「エレオノールと御主人様に関しては、例外ということでお願いしたいのですが」
ここで、カトレアの目がキラリと光った。ような気がした。
「じゃあ、その『例外』に私も入れてくれません?」
「……何故です?」
「姉や妹とは普通に話してるのに、真ん中の私だけ名字で呼ばれて敬語で話されるって言うのも、何だか仲間はずれって言うか、不公平な気がしますし」
(……それほど敬語を使われたくないのか?)
こうも頑なに『敬語を使わないで欲しい』と言われ続けては、思わず承諾しそうになってくる。
まあ、本人がそれで構わないと言うのであれば、別に拒否する理由もないが……。
取りあえずエレオノールに判断を仰いでみることにする。
「エレオノール、構わないか?」
「……したいんなら、すれば?」
何だかよく分からないが、微妙にイライラしているようだった。
ともあれ否定はされていないので、カトレアの要望通りに口調や呼び方を変えるとしよう。
「では、今後は『ミス・カトレア』と」
ユーゼスとしてはかなり砕けた呼び方だったのだが、何故かカトレアは不機嫌度を増してしまう。
「『ミス』は要りませんっ」
ならば、と呼び方を若干変更する。
「『カトレア様』?」
「…………わざと言ってませんか、ユーゼスさん」
ジロリと軽く睨まれてしまったので、『こんな呼び方一つに何の意味があるのだろう』などと思いつつも、ユーゼスは仕方なげに『その呼び方』で呼ぶことにした。
「―――了解した、カトレア。……これでいいか?」
「はい、それでいいです」
これでひとまずの用件は終わったはずなので、ユーゼスはこの姉妹に一言か二言ほど声をかけてから退室しようとする。
だが。
「……………」
まずはこの部屋に連れて来た当人であるエレオノールに声を、と思ってその彼女の方を見たら、どういうわけかエレオノールは元々つり上がっている目を更につり上げて自分を見ていた。
「……むう」
せっかくカトレアの機嫌が直ったというのに、今度はエレオノールの機嫌が悪くなってしまっている。
(何なのだ?)
エレオノールの機嫌が悪くなったからと言って自分に不都合があるわけではないが、何となく居心地が悪く感じるので単刀直入に質問してみる。
「何をそんなに苛立っているのだ?」
「別にっ。……ただ、あなたって頼まれたらすぐに誰かを呼び捨てで呼んだりするんだなって思っただけよ」
「?」
『名前を呼び捨てで呼んでくれ』と言われて、実際にそう呼んだことの何がいけないと言うのだろう。
(……いつもの『貴族に対する敬意』というやつか)
しかし、本人からそう頼まれたのだから問題はないではないか。
それに第一。
「断わる理由が無いだろう」
「ああ、そう! だったらあなた、断る理由さえ見当たらなきゃ何だってするの!? どうなのよ!!?」
「は?」
うぅ~~、とエレオノールに睨まれる。
……自分はただ正直に思うところを話しただけなのに、何故睨まれなければならないのか。
と言うか、何故こんな理不尽な理由で怒られているのだろう。
ともあれ、投げかけられた問いには答えておく。
「程度による」
「じゃあ、『死ね』って言われたら死ぬの!?」
「……死ぬわけがないだろう。子供か、お前は」
「なら、『お使いに行け』って言われたら行くの!?」
「内容次第だが、別にその程度なら構わん」
「だったら、『誰かを殺してきなさい』って命令されれば殺すの!?」
「必然性があって、なおかつ私が納得出来ればそうする」
「それなら、『この城にいる間は毎朝私の部屋に来て、私を起こしなさい』って頼まれたら起こすの!?」
「……起こして欲しいのか?」
「えっ?」
ハッとして口をつぐむエレオノール。
そして慌てて今の失言についての弁明を始めた。
「あ、あの……その、別に今のは、物の例えって言うか、つい勢いで言っちゃったって言うか、何て言うか、その……」
「御主人様からも起こすように言われているし、私としては構わんが」
「あら、そうなんですか?」
何気なくユーゼスが言った言葉に、すかさずカトレアが反応する。
「『私に起こされることに慣れすぎて、他の人間に起こされると上手く目が覚めない』と言われてな。まあ、魔法学院では日常的に行っていたことでもあるし、それこそ断る理由も無い」
「まあまあ、ルイズがそんなことを……」
うふふ、と笑うカトレア。
……ユーゼスにはそれがどのような意味合いの笑いなのかは分からなかったが、深く追求すると危険な気がするので触れないでおくことにした。
そしてカトレアは、ユーゼスがつい先ほど放った言葉に乗り始める。
「じゃあせっかくだから、私もお願いしてみようかしら」
「ちょ、ちょっと、カトレア! 何を馬鹿なことを言ってるのよ!!?」
当然、エレオノールはそれに猛反対した。
「あら姉さま。だってユーゼスさんは『断わる理由がない』っておっしゃったじゃありませんか」
「いくら双方の合意が得られたからって、して良いことと悪いことってものがあるでしょう! そ、そんな、嫁入り前の貴族の女が、眠ってる最中に部屋の中に男性が入ることを了承するなんて……はしたない!!」
「別に夜這いのお誘いをするってわけでもないんですし、いいじゃありませんか」
「よば……!?」
顔を引きつらせつつ紅潮させる姉と、ニコニコと顔色を変えずにそれに対応する妹。
中々に対照的な図式である。
「というわけでユーゼスさん。ルイズのついでで構いませんから、朝に私も起こしてくださいね」
「分かった」
カトレアの申し出をアッサリと承知するユーゼスだったが、そうはさせじとエレオノールが割り込んできた。
「何が『というわけ』なのよ!? 私の意見を聞きなさいよ!! って言うかユーゼス、あなたもすんなり聞き入れないで!!」
しかしカトレアはマイペースを崩さずに、やんわりと姉に問う。
「それならエレオノール姉さま、いくつか質問させていただきます」
「な、何?」
「こちらのユーゼスさんは、眠っている女性に乱暴をするような方なのですか?」
「む……そんなわけがないでしょう。私とユーゼスはそれほど付き合いが長いってわけじゃないけど、どういう人間かくらいは知ってるつもりよ」
その回答を聞いて、カトレアはにっこりと笑みを浮かべる。
「だったら問題はありませんわね」
「うぐ……。で、でも、ルイズに対しては主人と使い魔の関係だから百歩譲って構わないとしても、平民の男を部屋に入れるのは……」
「その理屈で言えば、このお城では男の人が働けないことになってしまいますけど?」
「ぬ、ぬぅぅう……」
小さく唸り、これ以上の追及の手が伸ばせなくなってしまうエレオノール。
と、ここで一応は話の中心であるはずのユーゼスが、ふと疑問に思っていることを口に出した。
「……今の話を総合するに、御主人様とカトレアは起こすとしても、エレオノールを起こす必要は無いのか?」
「え!?」
「あら、まあ。言われてみればそうですわね」
エレオノールはうろたえ、カトレアは相変わらず笑みを崩さずにユーゼスの言葉を反芻する。
「待って! どうしてそうなるのよ!!?」
「……? 御主人様は例外としても、貴族の女性の部屋に私のような平民の男が上がり込むのは駄目なのだろう?
しかしカトレアはそれを承知していて、対するお前は反対の姿勢を崩さない。ならば、お前は『私がお前を起こすことに反対している』ということになるではないか」
「え……、……あ、ああ、まあ、うん。そう……なるわね」
見る見る内にトーンダウンするエレオノール。
そんな彼女をよそにユーゼスはカトレアから起床時間についての要望を聞き、それに頷いている。
更にカトレアは『もうこの話はお仕舞い』とばかりに手をポンと叩いて、ほがらかにユーゼスに話しかけた。
「ユーゼスさん。昨日拾ったつぐみを手当てしたんですけど、少し見てくれません?」
「……良いだろう」
そして二人は連れ立って少し離れた場所にある鳥カゴまで歩いていき、包帯の巻き方やエサの種類や放すタイミングについて話を始める。
「…………ぅう」
エレオノールはもはやほぼ放置されつつあったが、顔を伏せて小声でブツブツと何やら呟き始める。
「だ、だって、仕方ないじゃない……。貴族としてって言うか、女性として正しいのは私の方のはずなのに、何でことごとく言い負かされなきゃ……。……そもそもユーゼスだって……」
彼女は一分か二分ほどそうしていたが、やがて意を決したように顔を上げると、キッと強い視線をカトレアとユーゼスに向けて、叫ぶように名前を呼んだ。
「っ、ユーゼス!!」
「どうした、エレオノール?」
いきなり大声で呼び付けられれば普通は顔をしかめるなりしそうなものだが、ヴァリエール家の長女と三女に限って言えばこの程度のことは日常茶飯事なのでユーゼスも普通に応対する。
「わ……、私も、ルイズやカトレアと同じように、朝に……へ、部屋に来て、起こしなさいっ!!」
「駄目なのではなかったのか?」
微妙に震えながら命令口調でそう言うエレオノールに対し、ユーゼスはあくまで冷静だ。
だがエレオノールも一度言い出した以上は引っ込みがつかないようで、やや強引にではあるが約束を取り付けようとする。
「いいからっ、あなたは黙って私を朝に起こせばいいの!! これは命令よ!! 分かった!!?」
「……結局何なのだ、お前は」
今日はいつもに輪をかけてワケが分からないな……などと思いつつ、それこそ断る理由もないのでユーゼスはそれを承知する。
まあ一人起こすのも三人起こすのも労力としては大して変わらないし、問題はあるまい。
と、ユーゼスが起こす順番について軽く思考を巡らせ始めると、
「――――もう、…………だったのに、これじゃ…………」
小さな……本当に小さな、しかし悔しさを含んだ呟きが聞こえたような気がした。
「む?」
疑問に思ってその呟きが聞こえた方向を見てみても、そこにはカトレアがニコニコと微笑んでいるだけだ。
「あら、どうしましたユーゼスさん?」
「……いや、何でもない」
気のせいか、と考え直して思考を元に戻す。
……何はともあれ、このヴァリエールの城に滞在している間は、ユーゼスの仕事が二つばかり増えることになったのであった。