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重攻の使い魔-14


第14話『夢と現の境界線』


 瓦礫と埃がうずたかく積もった物寂しい洋館の中、ルイズは己の隠れる場所を探していた。遠くで数を数える少女の声が聞こえてくる。そう、現在自分は親兄弟に見捨てられた不憫な少女と遊んでいるのだ。少女を元気付けるためにかくれんぼをしようと持ちかけたのは自分だ。
 100数えた所で少女は探し始めるだろう。早いうちに隠れなければならない。ルイズはこの館に足を踏み入れたときに立ち寄った、大量の書籍が所蔵されている書斎へとやってきた。他の部屋同様、室内は酷く埃っぽい。扉を閉め、適当に隠れる場所を探していると、かつては美しい木目を持っていたであろう、黒ずんだ扉のクローゼットを発見した。小柄なルイズひとり、楽々と潜り込める広さがある。

「ここでいっか。……ん?」

 そこを隠れる場所として決め、ルイズが入り込むと、床にも本が散らばっているのに気がついた。適当に本を手に取り、ぱらぱらと開いてみる。するとどうしたことか、ルイズには分厚い本に書かれている言語が理解できた。読むことができる、というよりは、言語の意味を理解できると表現した方が現状に一致している。しかし、ルイズは先刻自分が本を読むことができなかったこと言語を、問題なく理解できるということに何ら疑問を感じなかった。
 ただし、言語を理解できると言っても、文章の内容を理解できるわけではなかった。

「電脳虚数空間での最大稼動時間延長、複製Vクリスタルまたは超高純度Vディスク生成、自己進化及び自己修復機能の搭載、擬似自己意識の構築。こっちはDNAとRNA対立状況の推移、0プラント派OB連絡網、8大プラントへの対応策。これは破壊神顕現、影の駆動体、戦闘結晶構造体……、それらへの抑止力。……意味わかんないわね」

 乱雑に放られている書物の内容は、ルイズにとってまったく理解の及ばないものだった。そもそも概念として存在していないものもあり、それらを正確に認識することは不可能であった。
 その時、遠くから数え終わった少女の声が響く。続いて廊下を走る靴音が聞こえてくる。

「ふぅ……、見つかるまでここでのんびりしとこうかな」

 ルイズは黴のすえた臭いのするクローゼットの床に座り込む。衣服が埃と黴で汚れるも、さして気にするでもない。静かな洋館に響く少女の声と足音を聞きながら、ルイズは何となしに暗い天井を見上げる。溜息を一つつくと、どうしてか無性に胸が締め付けられる気分になった。つい最近、とても悲しく、つらい何かがあったような気がする。しかし、それを思い出すことはできない。原因の分からない悲しみはルイズの小さな心臓を鷲掴みにし、容赦なく締め上げる。

(あれ? なんで涙が……?)

 ルイズは膝を抱え込むようにすると、そこに顔をうずめて嗚咽をこぼし始めた。どうして自分はこんなにも悲しいのだろう。どうしてこんなにも苦しいのだろう。少女の疑問に答えを示してくれる者はいない。

(何もかも無くなっちゃえばいいのに)

 ふと、そんな物騒な考えが浮かぶ。理由は分からないが、自分以外の全てを壊してしまえば楽になれるような、そんな気分になったのだ。だが自分はコモンマジックも満足に使えない落ちこぼれだ。そう、無能な自分がそんな大それたことをできる筈がない。だが、だからこそ心のどこかで世界の破滅を願っていたのかもしれない。
 そこでルイズは気がついた。今自分がこれほどまでに悲しい思いをしているのは、自分が誰にも認められない愚鈍な人間であるからだと。これまでは生家の名誉にかけて、本当の意味で認めようとしなかった事実。それがもたらす重圧。何者かによって気付かされた、鋭い刃に覆われた現実は、ルイズの心を間断なく切り刻んでいく。
 ルイズが声を押し殺して泣いていると、少女の心配する声が聞こえてきた。

「お姉ちゃん、ないてるの?」
「……っ! 何でもない、何でもないの」

 ぐしぐしと涙にぬれた目尻を拭い、慌ててルイズが取り繕う。そんなルイズの頭を、やはり顔の見えない少女は優しく撫でた。

「いたいのいたいのとんでけ! いたくなくなった?」

 そんな少女に、ルイズの顔が思わず綻ぶ。未だ胸の痛みは引いてはいなかったが、それでも多少はやわらいだ。礼を言うと、ルイズは少女を軽く抱きしめた。子供であるとはいえ、知り合って間もない人間にこれほどの安心感と親近感を与えられるのは何故だろう。
 抱き締められている少女は、何か思いついたような表情を作ると、肩にかけられたポシェットをごそごそと探り始める。中から一本のステッキを取り出し、ルイズの腕をやんわりとほどくと、おそらく天真爛漫であろう表情でそれを差し出した。

「これ、お姉ちゃんにあげる!」
「杖? わたしに?」
「うん、あたしのたからものなの。でもお姉ちゃんにあげる。だからげんきだして」

 ルイズがもう元気になったから構わないと断っても、少女は宝物であるという杖を収めることはしなかった。断り続けている内に、少女がどうして受け取ってくれないのかと悲しげな表情となったので、若干の申し訳なさを感じながら、ルイズは杖を受け取った。
 その杖は、少女の着ている衣服と同じ橙色で、先端の球状部分には見開かれた瞳をあしらった模様と、小さな翼が取り付けられている。その造りは非常に精巧で、己の持っている杖とは比較にならない。

「本当にもらっていいの?」
「うん、いいよ。だって、あたしとお姉ちゃんはおんなじだもん。どっちがもっててもいっしょだよ」

 ルイズは少女の言葉が理解できなかった。目の前の少女と自分が同じとは、一体どういう意味なのだろうか。疑問に思ったものの、年端もいかぬ子供の言うことだ。支離滅裂になることも珍しくあるまいと、ルイズは一人合点した。そういうことだ、深く考える必要はない。

「お姉ちゃんはもっとじしんもってもいいんだよ。お姉ちゃんにはすごいちからがあるんだから!」

 最後に少女がそう言うと、ルイズの意識は暗転した。




 ルイズが目を覚ますと、視界に見覚えのない石造りの天井が目に入った。意識には薄く靄がかかり、はっきりとしない。夢の内容を思い出すことはできなかったが、毎度のことなので特に気にかけることもなかった。視界の隅に、己の使い魔ライデンの赤い姿が入ってくる。
 目を覚ましたルイズに気付いた水系統と思しきメイジが、傍にいた同僚に声をかける。同僚は静かに部屋を出ていった。

「お目覚めですか?」
「……ここは?」
「ここはニューカッスル城の仮設施療室です。先日の戦いの後、ミス・ヴァリエールは4日も眠っておられたのですよ」

 説明する施療師は、妙に居心地の悪そうな表情をしている。それもその筈、部屋の壁際に赤い巨人が佇んでいるのだ。先日の戦闘を思い返せば、腰が引けるのも当然である。
 そうしている内に、ウェールズ皇太子が部屋へと入ってくる。施療師のメイジは皇太子に一礼すると、しずしずと後ろへと下がった。当の皇太子の顔色はお世辞にも優れているとは言えなかった。それでも屈託のない笑顔でルイズに語りかける。

「目が覚めたようだね、ミス・ヴァリエール。僕が誰だか分かるかい?」

 ルイズはぼんやりと気の抜けた表情で皇太子を見上げる。普段のルイズならば、このような無礼極まりない態度をとるなど考えられないだろう。未だ覚醒し切っていない脳をどうにか回転させ、混濁した記憶の海から目当ての情報を掬い上げる。

「ウェールズ皇太子……殿下」

 皇太子はこくりと頷き、アルビオン王軍を救ってくれたことへの礼を言うと、続いて先日の戦闘について覚えているかどうかを質問した。
 ルイズはまたしても、記憶の引き揚げ作業を強いられることとなった。確か、自分は使い魔であるライデンと共に反乱軍を蹴散らしていた。ただ、その辺りの記憶がはっきりとしない。ライデンそのものとなっていたような、そもそも概念に無い異様な存在となっていたような、輪郭のぼやけた曖昧なものしか拾い上げることができない。
 その過程でワルドの裏切りを思い出したが、ルイズの心は全く動揺しなかった。物言わぬ醜い肉塊となった元婚約者など、現在のルイズにとっては完全に興味の埒外となってしまっている。ただし、あの一件でルイズが虚無の炎を燃え上がらせたのは事実であり、彼女自身、それは理解していた。
 ルイズのたどたどしい説明を、赤い巨人を睨み付けながら皇太子は静かに聞いていた。そして、ただ一言だけ尋ねた。

「今、君は何を心の拠り所としているのだね?」

 ルイズは皇太子の言葉を、たっぷり10秒以上かけて咀嚼し、10秒かけて返答を作り上げる。思考能力が鈍っているせいか、飾るところの無い正直な答えを言う。

「……ライデン……です」

 ルイズの答えを聞くと、しばしの間皇太子は瞠目し、考え込む。彼の中で何らかの結論が出たようで、一言分かったと告げると、後の処置を施療師に任せて部屋を退出していった。
 施療師と二人、静かになった部屋でだんまりしていると、ルイズは己の枕元に転がる物に気がついた。手に取ってみると、それは奇妙な装飾が施された杖であった。見開かれた瞳と、広げられた翼を表現しているであろう橙色の杖は、ルイズが普段持ち歩いている物よりは一回り大きかった。とはいえ、タバサの杖ほど無駄に大きい訳ではない。

「……?」

 ルイズの心の中に、この見知らぬ杖を振りたい、振らなければならないという感情が湧き上がってくる。自分はこれを知っている筈だと、覚醒しつつある頭で考えた。眺めていると、己の心の欠けた部分が埋められていくような、不思議な感覚が体に流れる。
 素気ない調度の窓から、燃え尽き灰となってしまった森が見える。かつての緑豊かな風景は見る限りどこにもなく、あるのは自分の忠実な使い魔が書き散らした地獄絵図だった。ルイズにとってこの結果は当然であり、その光景は何ら感慨を起こすものではなかった。ただそこに燃え尽きた森がある、以外に感じる所は存在しなかった。




 施療室から去った皇太子は、ジェームス1世と公爵や伯爵などの上級貴族が集まっている簡易会議室へと足を向けた。室内へ入ると、10対ほどの視線が集まる。憎き反乱軍が相当数葬られたというのに、質素な円卓に腰を下ろしている貴族たちの顔には暗い影が差していた。
 皇太子の父親であるジェームス1世が、重い口を開いた。

「目覚めた彼女の様子はどうだったのじゃ?」
「未だ意識がはっきりとしていないようでした。4日も眠り続けていたのです。仕方の無いことだと言えるでしょう」
「ふむ……」

 静かになった会議室で、貴族の一人が発言する。今からでも遅くはない、大使を拘束せよ、と。しかし、皇太子はそれを言下に切って捨てた。

「ならぬ、ビジョルド伯爵。この4日間、散々議論を尽くした筈だ。我々は彼女の使い魔に救われたのだ。たとえ、その使い魔が恐ろしかろうと、その事実に変わりはないのだよ。君は貴族としての礼儀すら持ち合わせていないのかね?」
「ですが! 何度も進言致しましたが、先日の大使の様子は気が触れているとしか思えませぬ。もしも、大使があの化け物そのものの力をこちらへ向けた時に、どうなさるおつもりか! 御することのできぬ力など、害悪でしかありませぬ。おまけにあの恐ろしい力、エルフと何らかの関わりがある可能性もあるのですぞ!」

 声を荒げる伯爵の言葉に、数人の貴族が小さく頷く。彼らとしても、どこまでも無慈悲な魔法によって焼き払われた反乱軍の姿を思い返すと、薄ら寒くなるのだ。その主人であるルイズが意識不明となっているのならば、毒殺なりなんなりを用いて葬るべきなのではないか。そのような意見が頻繁に噴出していた。

「身を弁えたまえ伯爵。少なくとも今はこちらの味方なのだ。敵意を見せぬ狼を蹴り飛ばして、わざわざ怒らせる必要はない」
「私はもしもの事態について申しておるのです!」
「ならば、論外だな。あの使い魔の力は我々にも有益だ。不測の事態に備えるのはよい。だが、身構える余りに、大局を見失ってはならない」

 そう、あの戦闘から4日経った今もレコンキスタからの接触はない。再び部隊を再編して攻撃することも大いに考えられる。それを考慮すると、ここでライデンというジョーカーを捨てるわけにはいかない。
 ルイズはトリステイン皇女アンリエッタに手紙を託されるほど信頼されている。そしてルイズ自身もそれに答えようと、必死で皇太子を説得していた。加えて、婚約者がレコンキスタの一員だったという、手酷い裏切りにも遭い、反乱軍への憎悪は巨大なものだ。ならば、王軍を裏切るような真似はするまい。少なくとも今は。

(それに、御することができればあの力は……)

 玉砕するという悲壮な覚悟を嘲笑うかのように、絶大な力を振り撒いたルイズの使い魔の赤いゴーレム。先日の会話から察するに、ルイズとトリステイン王女は旧知の間柄らしい。このような極秘任務を委ねられたのも、それ故だろう。ならばアンリエッタに楯突くような真似、ひいてはこの自分を害するような行動は取るまい。亡命するよう、必死に説得を試みていた姿からも容易に想像できる。
 家臣たちはルイズの様子から、ゴーレムの暴走を恐れているようだが、皇太子はルイズを制御できると考えていた。アンリエッタに関わる公にはできぬ問題、婚約者であったワルドの裏切り。今ここにいる人間の中では、自分と大使の少女しか知らない、かつ非常に重い事実。少女にとっての良き理解者という立場を取り続ければ、決してこちらへは噛み付くまい。同時にゲルマニア・トリステイン同盟に対しても、何らかの対策を講じる必要があるかもしれない。
 王手をかけられた状態からの大番狂わせ。切り札は温存するべきものだ。




 反乱軍壊滅の情報が漏れてから10日。下町はその噂で持ち切りになっていた。
 そしてこの日、革命軍レコンキスタが正式に敗北宣言を発表し、王軍への全面降伏がなされた。残存師団は即時解散、革命を煽動していた指導者層は反抗した部下によって相当数が捕縛され、王軍へと差し出された。解散とは言うものの、師団を構成していた兵士のほとんどが傭兵であったので、任務放棄や脱走などによって自然崩壊したというべきであったかもしれない。指揮官を捕縛した上級仕官は、温情措置として財産の一部没収、一ヶ月の謹慎処分、降格にとどまった。一方逮捕された指揮官は、全員が打ち首もしくは縛り首の刑が決定されている。
 誰もが予想しなかった劇的な逆転劇に、志井では様々な憶測が飛び交っている。ある者曰く、始祖ブリミルによる天罰が下った。またある者曰く、王軍が秘匿していた秘術を用いて敵を打ち滅ぼした。それらは何ら説得力のあるものではない。真実を言い当てられる者がいても、その他の与太話と同じく扱われた。

「殿下、アルビオンへの渡航の件ですが、よろしいですか」

 マザリーニがアンリエッタの私室へ入ってくる。2日後にはアンリエッタはアルビオンへと渡る予定となっている。ガリア・ロマリア・ゲルマニアも同様であった。
 レコンキスタ降伏から更に5日。反乱軍壊滅、王軍の勝利。ジェームス1世及びウェールズ皇太子の名の下に、内戦の終結が発表された。確定した事実を目の当たりにし、アンリエッタの心は飛び立たんばかりであった。この逆転劇に、ハルケギニア各国は何らかの影響を受けた。ゲルマニアも例外ではなく、真実を探るための調査隊が結成され、見事な勝利を収めたアルビオンへの使節団という名目で渡航することになっている。そのため、対レコンキスタのためのゲルマニア・トリステイン同盟は一時凍結。今後の推移は分からないものの、ともかくお流れにはなった。
 想い人と、そのアルビオンが滅亡を免れ、しかも婚約が凍結されたというのは少女の心を浮き足立たせるには十分なものであった。

「ええ、分かっています。体調が余り優れない母上に代わって、わたくしが亡き父上の代理を務めて見せます」
「ならばよいのです。相手はジョゼフ無能王、ヴィットーリオ聖下、アルブレヒト……はまあよいでしょう。ともかく、ゆめゆめ油断なされぬよう」

 アンリエッタはアルビオン内戦終結記念パーティに国家代表として出席する予定となっている。皇后マリアンヌが未だに故国王を偲んでだの何だのと駄々をこねたためだ。だが、アンリエッタはこれをまたとない機会だと考えていた。このまま何もせず、唯々諾々と家臣の言われるままになっていては、己の未来は甚だ不本意なものとなるだろう。ならば、自分が絶対的な権力を掌握すればいい。つまりはトリステイン王となればよいのだ。王という立場に付随する重責を考慮に入れていない辺りが、少女らしい非常に浅はかな結論であった。
 しかし、アンリエッタにとってはこれ以上ない名案に感じられた。そうすれば、王として格下のゲルマニア王など相手にする必要などない。そもそも最大の敵であったレコンキスタが消えたのだ。婚約破棄の理由などいくらでもつく。
 そしてゆくゆくは、想い人と添い遂げよう。少女の胸は盲目の愛に支配されていた。自らの送り出した、親友の少女の無事よりも、そちらの方がより重大だった。

「ウェールズ様……」

 少女の熱に浮かれた呟きは、老枢機卿の耳に届くことはなかった。




 ハルケギニア最大の国家であるガリア王国首都リュティス。名だたる土のメイジ、職人たちの手によって建造された重厚かつ壮麗なヴェルサルテイル宮殿の国王執務室において、青い髪、青い口髭を生やした美丈夫が、何が面白いのか、にやにやとした笑みを顔に貼り付けている。

「ああ、我が愛しのシェフィよ。死んでしまうとは情けないな!」

 レコンキスタ壊滅の報を聞いて以来、この無能王ジョゼフは上機嫌だった。それは内戦の終結による平和を喜んでいる訳では決してなく、常人には理解しがたい何かを喜んでいる。
 今も己に献身的に仕えてきた女性の死を喜んでいる。今回もこの無能王によって密名を受け、単身アルビオンへと渡っていたのだが、定期的な連絡が滞っていた。それだけで死んだと決め付け、こともあろうか喜んでいる。身近な人間に対する言動としては不適当に過ぎるものであった。
 そんな無能王は、当然のことながら家臣たちに軽んじられている。優秀な弟王をその手にかけ、王座を奪い取ったとされるジョゼフは、気が狂っていると専らの噂であった。誰しもが、不気味な言動を繰り返す無能王に近づきたがらなかった。

「ジョゼフ様……、おいたわしや……」

 そんななかで変わり者なのが、このモリエール夫人であった。夫を亡くした未亡人である彼女は、何を思ったか無能王を気にかけるのだ。しかし、無能王が彼女を鑑みることはない。ただ路傍の石のように扱うのみである。
 ジョゼフはそのまま寝室へと足を向ける。そして奥の壁に背を預けて座り込んでいる異様なガーゴイルの前に立つ。愛しそうにガーゴイルの頭部を撫でた。

「まあよい。シェフィがいなくなろうとも、俺にはお前がいる。なあミューズ」

 まるで恋人に語りかけるかのような声音。モリエール夫人はジョゼフの寝室には入りたがらなかった。特に夜な夜な彷徨い出る、あの悪魔を象ったガーゴイルがいる時には。あのガーゴイルの近くにいると、耳鳴りに頭痛が起こり、酷く気分が悪くなるのだ。そのような不気味な現象もあり、家臣の中には無能王は悪魔と契約したとまで言うものもいる。ただ、当のジョゼフはそのような風説など欠片も気にとめてはいなかった。
 白銀の悪魔は巨大な鎌を抱え、じっと動かずに撫でられるままになっていた。

「面白い。実に面白い。チェス盤を覆すような駒がお前以外に存在するとはな。謀略も面白いことに違いないが、偶には王同士の一騎打ちも一興というものよ、ははははは!」

 狡猾な狂王が動き出す時は近い。


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