あの作品のキャラがルイズに召喚されました @ ウィキ

虚無の闇-15


エルザは恐怖していた。
心臓が今にも破裂しそうなほど高鳴り、極めて早いビートを刻み続けている。
本当にばれていないのだろうか? 実はマスターが、私を嘲るために遊んでいるのではないだろうか。
背後でコルベールの感極まった声が聞こえ、更に恐怖が煽られる。

現在エルザは、オスマンと胸を押し付けあう形で抱えられていた。
ルイズやタバサ、コルベールらには背を向けている。顔を見せる事はないが、見えないからこそ余計に想像してしまうのだ。
何度も酸っぱい物を飲み下す。あの短時間ではこの老人をグールに作り変える事が出来ず、エルザはオスマンの首筋に牙を埋め、ボロが出ないように必死に操作していた。
もし今エルザが牙を抜けば、作りかけのグールはたちまち死体に戻る。首に開いた二つの穴は、絶対的な証拠として残ってしまう。

「やはり、ヴィンダールヴのルーン! 間違いないですな!」

「確かに……。じゃが、ミスタ・コルベール。そんなに興奮しなさんな」

すぐ後ろで声が聞こえ、エルザは掌に爪が食い込むほど強く握った。おそらく、あの剥げたメイジがにじり寄ってきたのだろう。
あまりの恐怖で顎が震え、生命線である牙が抜けそうになる。エルザは頬を涙が伝うのを自覚しながら、意識を繋ぎ止めるべく碇のように深く牙を打ち込んだ。

あのメイジは怖くない。彼も非常に優秀なメイジではあるようだが、しょせんはただの人間。杖を奪えば狼にさえてこずるような、実に馴染み深い種族だ。
しかしマスターは違う。アレは人の形をした何かであって、吸血鬼など比べ物にならない化け物。悪魔。エルフでさえ笑いながら嬲り殺すような。あまりにも実力が違いすぎる。
おそらくその気になれば、一流のメイジだろうが伝説の傭兵だろうが、それどころか小規模の軍隊さえ苦もなく蹂躙するだろう。
その力を身をもって理解しているエルザは震えた。ルイズの暴力が自身にも向けられる事を、この世の何よりも恐怖している。

「これが興奮せずに居られますか! 6000年ぶりに虚無が復活するのですぞ!」

額まで赤くしたコルベールにオスマンの声も効果はなく、エルザは更に近寄ってきた声の発生源に追い詰められる。彼ははエルザの顔まで2メイルもない場所にいた。
もう少し、おそらくあと3歩も近づかれれば気づかれる。強烈な嘔吐感に襲われ、エルザは飲み込んだばかりの血を逆流させまいと必死だった。

「伝説の復活は喜ばしい。しかし虚無に目覚めたとはいえ、ミス・ヴァリエールはまだ学生……。
我ら大人の都合で人生を振り回されるような事態は、何としても避けねばならぬ。
お主なら分かってくれるだろう? ミスタ・コルベール」

対応はこれで合っているのだろうか。気づかれたらどうしよう。怖い怖い怖い。
私はまだ死にたくないし、死ぬより酷い目に会うのはもう沢山だ。
エルザは再び湧き上がってきた胃酸を無理やりに飲み下し、出来る限り早期にこの地獄を終わらせようと歩を進める。

「ミス・ヴァリエール、及びミス・タバサ。……君らには、フェニアのライブラリーに立ち入る許可を出そう。
虚無は伝説でな、空にある雲を掴もうとするような話でしかない。普通のメイジであるワシやミスタ・コルベールだけでは、とても辿り着けんじゃろう。
また、ミス・ヴァリエールについては、学期末のテストさえクリアできるのなら、無理に授業に出る必要は無い。
出来るなら、出て貰いたいが……。この学校のカリキュラムでは、虚無など扱っておらんからのぉ」

先ほど伝えられたばかりの指令を、出来るだけ違和感の無いように喋らせた。もしあの剥げたメイジが異論を唱えたらどうしようかと、魂を削るような焦燥がエルザを苛む。
茹った頭ではまともな言い訳が思い浮かばない。もし問題点を指摘されれば、まず間違いなくボロが出る。頭の中では最悪の状況が回っていた。

「酷な事かもしれん。しかし、強くなってもらわねば、な……。
代わりと言っては何じゃが、ワシらは手助けを惜しまんよ。この老いぼれに出来ることなら、なんでもしよう。
そうさな、手始めに……ミスタ・コルベール。君は引き続き、虚無に関する資料の捜索を頼む。
それから図書室の管理人に、ワシから生徒二人にフェニアのライブラリーへの立ち入り許可が出たと伝えておいてくれ。書類は後からミス・ロングビルに頼むのでな」

何か言われる前に流してしまおうと思い、オスマンの心を穿り返して適当な理由をつけた。相変わらず鼓動がうるさい。
この部屋の中だけでも、自分を殺せるだけの実力を持った人間が犇いている。マスターは守ってくれるだろうが、それも自身に危険の及ばない所までだ。
もし失敗を犯せば、また全身の骨を砕かれるだろう。あの時のように目玉を舐め上げられながら、内臓に食い込む鋼のような指の感触を味あわされるかもしれない。そして死ぬ事も許されない。
エルザは恐ろしかった。ただ、ただ恐ろしかった。

「わかりましたぞ! オールド・オスマン!
ではさっそく、一足先に探索を進めますので……失礼」

使命感に燃えたコルベールはこぶしを力強く握り締めると、足早に部屋を出て行いった。やや乱暴に閉じられた扉が大きい音を立て、サイレントが解けているために遠ざかっていく音も聞こえる。
5秒、10秒と時が流れても、学院長室に近づいてくる気配はない。ようやく重圧から開放されたエルザは、ずるずると崩れ落ちる寸前まで脱力した。

エルザは長い長いため息を吐く。頬を暖かいものが伝い、安堵のあまり泣いていた事を遅れて知覚する。ついに終わったのだ。
後はオスマンの死体さえグールに変えてしまえば、エルザの仕事はほとんど残っていない。マスターから支給されるだろうメイドの血でも吸いながら、左団扇で使用人の真似事でもしていればいい。
期待してはダメだと分かっていても、例のご褒美が頭をちらついた。十分に潤っているはずの喉が再び乾くのを感じる。エルザは口中に溜まった唾を飲み込み、グールの製作を再開する。
エルザはルイズの元から逃げようとは考えていない。逃げられないだろうと本能的に理解しているし、そして逃げた所で利益があまり無いからだ。
メリットは皆無ではないがデメリットのほうが遥かに大きい。朝も夜も追跡者の影に震え、絶対的な死の恐怖に怯えながら過ごすなど、とても出来ない相談である。

エルザが腰を落ち着けて人形の製作に励んでいると、部屋の隅にある本棚に目を走らせているルイズの姿が映った。

「むぅ……。もしかしたら、と思ったのだけど……。
何よ、このメイドの午後とかバタフライ伯爵夫人の優雅な一日とかは……。真面目に仕事してるのかしら……」

「厳しいことを言うのう……。面倒な業務の合間に、ちょっとした潤いがあってもいいじゃろ?」

ルイズの質問には嘘偽り無く答えるように、と命令済みだったため、オスマンの形をしたグールはそう嘯く。
その台詞は実にオスマン臭い。まだ生きているのではないかとルイズは怪訝な顔をしたが、しっかりとエルザの牙が突き刺さっている事を確認し、片眉を挙げて見せた。
これは長い年月を人間を欺きながら過ごしてきたエルザだからこそ出来た事だ。人間に怯えて生きているだけの吸血鬼と比べ、グールの操作や製造には一日の長があった。下手な者は殺されるのだから。

「……聞くけど、この世界の物ではない書物、あるいはその情報は無い?」

ルイズは軽蔑の色を隠しもせずに言った。それ以上の言葉を重ねようとして、無意味である事を思い出したのか口を閉ざす。
エルザはルイズに逆らえないし、グールは吸血鬼に逆らえない。どのような脅しをかけたとしても時間の無駄であり、敵地と言える場所でする事ではない。

「それなら、両方ともあるのう。確実ではないが、十中八九はそうじゃろう」

グールについては多分の自負があったエルザだが、ルイズから発される「獲物を前にした超高位の幻獣」のようなオーラを感じて少なからず後悔した。
緩やかな歩調でエルザへと向かうルイズの目は怪しい光を帯びており、今にも舌なめずりをしそうなほど釣り上がった唇からは熱い吐息が漏れている。もし無関係な事だった場合、とばっちりが飛んでこないとも限らない。

今更だが、エルザはルイズが猛烈に怖いのだ。
例えば手を握るにしても、ルイズが激情にでも駆られて力の加減を間違えれば、貧弱な吸血鬼の肉体などひとたまりも無い。砕けた骨や肉が混ざり合い、ただ肩から生えているだけの棒になるだろう。
人間とドラゴンが同じベッドで眠ろうとすれば無理が出る。朝起きたら自分の体がパイのように潰れていた、などと。
エルザが望むのは上司と部下の関係だった。エルザはオスマンと言う極めて重要なカードを握っているのだから、切り捨てられる事はまずありえないだろうし、後は気楽に過ごしていたい。
お気楽ライフの一つとして、日向ぼっこ、という行為には非常に興味がある。今まで太陽の光と言えば熱湯と同義だったから、一度ゆっくり味わってみたかった。

「三十年前、森を散策していた私は、ワイバーンに襲われた。そこを救ってくれたのが、今は宝物庫にある、破壊の魔法書の持ち主じゃった。
青い法衣を着込んだ青年で、恐らくはどこかの貴族だったのだろう。手には背丈ほどのスタッフを持っておった。
彼が杖を振りかざし、イオラという聞いたことも無い呪文を唱えると、すさまじい爆発が発生してワイバーンどもを吹き飛ばした。
繁殖期で凶暴化し、目玉を血走らせていた群れが、たった一発で尻尾を巻いて逃げるほどの爆発だった。今も昨日のように覚えておる。
だが……彼もそれで力尽きたのか、ばったりと倒れおった。酷い怪我をしていたのじゃ。
私は彼を学院に運び込み、手厚く看護した。しかし、治療の甲斐なく……」

「……それで? 何か聞き出せたの?」

「残念ながら、彼については何も。
しかし最後を迎える寸前、懐に抱えていた巻物を私に託し……。必要とする人が居れば、渡してやって欲しい、と言い残して息絶えた。
彼の使っていた杖を共に墓へと埋めた後、遺言を守ろうと書を開いたのだが……。ハルキゲニアで使われておる文字ではなく、恥ずかしながら一文字も読めんかった。
魔法書に見えたが、もしかしたら料理の本だったのかもしれん。何に使うのか、さっぱり分からん。あちこちを巡って解読に努めたが、20年以上探し続けても手がかり一つ見つからなんだ。
最終手段だと思ってアカデミーに持ち込むことも考えたが、もし始祖ブリミルを僅かでも否定してしまうような内容があった場合、焚書にされてしまうかもしれん。
万策尽きた私は厳重に固定化をかけ、破壊の魔法書と名づけて宝物庫にしまいこんだんじゃ。恩人の形見としてな……」

オスマンは一度言葉を切り、むしろ自分に言い聞かせるように続ける。

「もしかしたら、彼は……。この世界の住人では、無かったのかもしれん。
ベッドの上で、死ぬまでうわごとのように繰り返しておった……。ここはどこだ。元の世界に帰りたい、と」

「……なるほど。素晴らしい、実に、素晴らしいわね!」

ルイズから発される狂気と狂喜のオーラは、薄っすらと闇を纏うほどに強くなっていた。学院長室は血に飢えた野獣の檻と化し、肌を焼くような威圧感が撒き散らされている。
ひのきの棒と鍋の蓋を武器にオーク鬼の巣窟に投げ込まれたらこんな気分だろうとエルザは思った。あの青い髪の少女もルイズの豹変についていけず、呆気にとられたような表情のままソファーの上で固まっていた。
ドラゴンの口へ飛び込むような重圧を感じるも、命令に逆らう事は出来ない。エルザは出来る限りルイズのほうを見ないようにしながら、完成したグールから牙を抜いた。

「あの、マスター……。グールが、完成、しました……ひっ」

血走ったルイズの目がエルザを射抜き、恐怖のあまり小さく悲鳴を漏らす。

「よろしい! ……では、グールを連れて宝物庫へ行きましょうか。
タバサ、喜んでいいわよ。あなたの母親を治す術を、まず間違いなく見つけたからね」

ルイズは獰猛に笑いながら、大きく手を打ち鳴らした。
手を前に突き出して合図をし、軍隊の指揮者のように堂々と扉を開け放つ。
状況に翻弄されて忘我していたタバサも、彼女の人生と命題一つである母を救う手段と聞いて杖を握りなおした。エルザには目もくれず、足早にルイズの後を追いかけていく。
先ほどまではエルザでも聞き漏らすような小さな声でオスマンへ謝罪を続けていたのに、今となっては完全に視野の外へを追いやられたらしい。エルザは恐怖を誤魔化す為、内心でタバサを攻めた。





ルイズは分厚い宝物庫の扉に手を当てた。少し前なら絶対防御だと思えたそれも、今のルイズにとってはさしたる障害にはならない。
もしこの扉がオリハルコンならば話は違うが、ただ錬金だけで作られた金属など脆過ぎる。その気になれば素手で破壊する事も可能だろうし、魔法を使えばもっと手早く事は済むだろう。
スクェア数人がかりで作った扉が、たかが落ちこぼれの生徒一人に篭絡させられる瞬間を想像すると、楽しくて楽しくて仕方が無かった。ギリギリと音がするほど握りこんだ拳を、心行くまで叩きつけたくなる。

「どうぞ、ミス・ヴァリエール」

しかし最早、それすらルイズには必要ないのだ。グールは自分の腕ほどもある大きな鍵を鍵穴へと差込み、従者のように鉄壁を開け放ってくれる。ルイズはただ見ているだけでいい。

「ありがとう、オールド・オスマン?」

多分の皮肉に唇を歪ませて扉をくぐると、ルイズは雑多な物が押し込められている宝物庫の中を睥睨した。
強化された視力や免疫を持つルイズには無関係だが、中は空気がこもっている上に薄暗く、洞窟のような湿り気を感じた。空気の動きによって薄く埃が舞い、どちらかといえば物置のような有様だ。
見ただけで宝と分かるような金銀財宝の姿は無く、どちらかと言えば処理に困ったアイテムたちの墓場に見える。何に使うのか分からないガラクタのような物も転がっており、あのコルベールの部屋と似たような雰囲気があった。
ここまで換気が悪いのも問題だと思ったが、固定化の魔法さえかけてしまえば多少の湿気など問題にならない。換気口から小型の使い魔に侵入される危険を考えれば、管理者に苦労させる方が良いのだろう。

「で、その破壊の魔法書ってのは?」

「んむ、たしか、この箱の中に……。これじゃな」

無数の杖がぶら下げられている一角の前を通り、オスマンは宝物庫の奥深くに置かれていた小さな金庫へと手を伸ばした。
埃を被ってはいるが金庫自体は重厚な作りで、かけられている固定化やロックもかなり強力な物だ。人間が抱えられる重さでもなく、宝物庫の中にあってなお厳重な警備である。
もしかしたら、オスマンが直々に作ったものかもしれない。この国でも有数メイジである彼の作品となれば、そこらのメイジでは数人がかりでも手に負えないだろう。
グールと化した事によって自意識の大半を改竄されているとはいえ、今でも魔法の才能は衰えてないようだった。タバサでも手こずるようなアンロックの呪文を容易く唱え、神妙な手つきで中の巻物を取り出している。

「これがそうじゃよ」

差し出されたそれを見て、ルイズの心臓は一際力強く脈打った。興奮が体中を駆け巡り、血管を突き破らんばかりに鳴動する。
アンロックを待てず、金庫を叩き壊したい衝動を必死に抑えていたルイズからすれば限界だった。オスマンの手から巻物を引ったくり、慎重に、しかし引き裂かんばかりに目を通す。

「まさか、こんなに早く手に入るとはね!」

ルイズはそれを見たことがあった。かつて人間どもが悟りの書と呼んでいた、悟りを開き賢者になるためのアイテム。ルイズが最も欲しかった物だ。
魔法使いは攻撃呪文に優れるが、その反面回復や補助といったヒーラーとしてのスキルは劣る。僧侶はその真逆で、攻撃呪文はほとんど使えない。
しかし、その二つを兼ねるのが、賢者。

心臓の鼓動が五月蝿い。項を読み進める目があまりにも遅く、無限とも思える焦燥が駆り立てる。まるで天国のように愉悦を感じるのに、貪欲な心を駆り立てる炎は地獄のよう。
氾濫する活字が濁流となって脳裏を埋め尽くし、契約の魔法陣が灰色の脳細胞へと焼きついていく。自分の意思で読んでいるのか、それとも誰かに読まされているのかとさえ思えるほどの情報の渦だった。

ずっと昔から魔法が欲しかった。立派なメイジになりたかった。普通のメイジでもいいから、ドットでもいいから、メイジと呼ばれる存在になりたかった。でもなれなかった。
笑われた。哂われた。嗤われた。家族も周囲の人もみなメイジで貴族だったのに、自分はそうではなかった。平民以下の存在だと、誰からも後ろ指を指された。
神に見捨てられ、ついに神を見捨て、人道を踏み外した今、求めていた物に手が届いた。魔法とは素晴らしい。力とは素晴らしい、素晴らしかった。
身を焼くような愉悦に理性をゆだね、ルイズはただ貪欲に吸収する。

時間は戻らない。殺してしまった人は生き返らない。だから沈んでいくしかない。
人を止めた事は間違いではなかったのだと、自分は正しいのだと、だから悲観することは何も無いのだと。この胸の痛みなど無視してかまわないのだと。
私を貶めるその他大勢からすれば、元来自分は人間ではなかったのだ。始祖から賜った技を使えぬ貴族など貴族に非ず。人に非ず。ならば力を得た今の私こそ人間のはず。貴族のはず。

「エルザ……、いい子ね。ご褒美をあげるわ……。後で、私の血を飲ませてあげる」

悟りの書を丁寧に巻きなおし、当然のように懐へ入れた。
人間から離れていく感覚に人肌が恋しくなり、小さなエルザの体を抱き上げる。その肌は柔らかくて、暖かくて、心地よい。
エルザが自分を怖れている事は知っている。必死に隠していようとも、触れる度に恐怖が大きくなるのを感じ取れるからだ。
それがまた面白いのだが、今は幸せな幻でも見ているかのように恍惚とした表情を浮かべていた。どうやら人外に成り下がったこの体に流れる血潮は、彼女にとって麻薬にも等しいようだ。
首筋にか細いくも熱い吐息を感じ、ルイズは苦笑しながらエルザをたしなめた。グールでさえ傷跡を治したのに、自室までエルザに噛み付かれたまま帰る訳にはいかない。エルザの蕩けた返答を聞いてくすりと笑う。

「タバサ。私はこれから、この書にある魔法を習得にかかるわ。
あなたの母を治す呪文もあったけれど、中途半端な物では逆に心を壊す可能性もある。治療には万全の体制で挑まないとね。
だから、タバサは資料を探しながらコルベールの監視をお願い。気付いていないとは思うけれど、万が一はありえる」

ルイズは振り返って、先ほどから真剣な表情をしていたタバサへと命令を飛ばした。
一瞬だけ母に縋る少女の顔を見せたタバサだったが、すぐにいつもの人形へと戻って大きく頷く。瞳には蠢く狂気と苛烈すぎる決意が滲み出ていて、それがルイズには心地よい。

彼女の内臓を引きずり出して殺し、邪法によってアンデットモンスターにして自分専属のメイドにしたい。それとも人形の名を持つ少女だから、首から下を無機質なゴーレムに変えるほうが良いだろうか?
おぞましい考えだと自分でも思うけれど、止められない。人であったころの感覚がどんどんと失われていくのが分かるのに、戻りたいと強く願えない。
そもそも普通の人間としての感覚とはなんだろう。サラビエ村でエルザを解体してからは、闇へ向かう傾向は更に加速していた。
機会を見て王都にでも行き、スラム街で人間を何人か惨殺してこなければならないだろう。このままでは、いつエルザの首を引き千切るか分からないから。

「わかった。……待っていて、お母様……」

タバサは本当に小さな声で母を呼び、弱さを振り払うように鋭く踵を返す。
彼女の白い手も血で汚れているのだろう。果たして何人、何匹を任務の元に殺したのかは知らないが、少なくとも両手の指に落ちる事は無い筈だ。

タバサの姿が扉の向こうへと消えても、ルイズはしばらく視線を動かさなかった。タバサの秘めた絶望と怒りに馳せていたら、本当にタバサを壊したくなってしまったのだ。
生きるために罪に染まったタバサの心臓は宝石のように美しいのだろうと考え、一度でいいから見てみたいなと思う。
まだタバサは必要なのに、それゆえに破壊してみたい。悲鳴を聞いてみたい。苦痛でのたうつ様を見てみたい。

「ますたぁ…・・・怖いです……」

耳元で囁かれる、怯えを色濃く見せるエルザの声。それを聞いただけで体が微熱を帯びる。胸の奥が切なくなって、ああ、とルイズは吐息を漏らす。
入念に回復呪文を使用し続ければ、胸を開いても多少の時間なら大丈夫かもしれない。スラムの平民を何人か犠牲にして試し、問題が無いようなら今度やらせてもらおうと思った。
サファイアのような自分の血液も嫌いではないが、やはり血はルビーの色が良い。流れ落ちる鮮血は零れ出す命のようで美しく、魅惑的だ。

復讐者たる少女の後姿を想像しながら、ルイズはタバサに呪文を教えるのはもっと後にしようと決めた。
今はまだ檻が完成していない。タバサにとって母の治療は極めて重要な意味を持っているが、治してしまえば彼女を縛る鎖が無くなってしまう。
もっと罪を重ねさせ、闇に貶め、日の光を忌むようになってから、壊された親と壊れた子供の感動の再開といこう。
彼女が絶対に私の元を去らないように、去れないように、白い肌に何重にも枷と鎖を巻きつけてから。

壁に掛かっていた豪華な鏡を覗き込んだルイズは、かつて光り輝いていたはずの鳶色の瞳が濁り切っている事を自覚した。


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