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ゼロの魔王伝-20


ゼロの魔王伝――20

 白々と輝く星と、淡い紅と朧な青の月光だけが光となる夜の闇に、岩礁にぶつかり砕ける波のような銀粉が散った。
 三色の光に照らされ、刹那の時だけ眩く輝いた銀粉は、次の瞬間吹いた疾風に掻き乱されて、あえなく消え去る。
 闇が衣と変わったようなロングコートの裾を翻す疾風はDという名前を持っていた。
 神秘的な青い光を湛えたペンダントが、疾風さえも追い抜くであろう主の動きに乱れ踊る中、Dが一足飛びに跳躍した。
 両手で握ったデルフリンガーを大上段に振り上げ、眼下に立つ自分自身同様に闇を傅かせた美貌の青年へと振り下ろす。
 夜の帳さえも一太刀で裂くような一撃を、百条に及ぶ魔糸の斬撃の群れが受けた。
 光の速さで指先に伝わる斬撃の威力に、魔糸の主である幻十は月輪を思わせる麗貌に氷から削り出したかの如く冷たい表情の仮面を被っていた。一太刀を防ぐために百条の魔糸を切断された幻十は果敢に追撃の手を放った。
 刃を打ち合せた態勢で、二瞬ほど動きを停滞させていたDめがけて、前方より波涛の如く襲いかかる銀の光。
 縦に放った千分の一ミクロンという細さの突き、無限長に伸びる魔糸を用いての斬撃の無数の組み合わせによって、D目掛けて襲いかかる魔糸総数二十条は、すべてが微細に異なる攻撃方法であった。
 Dがデルフリンガーで風を貫きながら突きを放ち、最短距離を飛んできた一条の魔糸を絡め取る。刃毀れや錆の浮いた刃に不可視の魔糸を絡み付かせ、瞬時に手首を回す。
 銀色の渦のようにデルフリンガーの刀身に絡み取られた魔糸が、Dの手首の動きに従順に従い、幻十の繊指の支配から逃れた魔糸は、他の魔糸達へと襲いかかり、Dと幻十との直線距離を覆うアーチの様に極細の死神達を追い払う。
 絡み取った魔糸を、手首こねる動作で断ち切りながら、Dの足が大地に沈み、猛烈な反発の力を得て駆ける。
 幻十は彼方にある木立に巻きつけた魔糸を引き、後方へ十メイル以上の跳躍を行いながら、神速で迫るD目掛け、左手を下方から掬いあげる様に振るった。同時に左手の五指全てが、百分の一ミリ単位で細やかな動きを見せる。
 指一つとっても奇跡の産物の様な幻十の左五指は、あまりの動きの速さに霞んで見えた。放たれるはいかなる魔技か。そしてまた、迎え撃つDの剣はいかなる神業か。
 Dが黒瞳を周囲に走らせ、上後方、全面百八十度、襲い来る五十以上の魔糸を認めた。
 いずれも描く軌跡はこれまでのような、直線や弧ではない。
 一本一本が意思を持った生物の様に、まるで一つの群れとなったかのようにDという獲物を駆り立てるべく縦横無尽に、じぐざぐと動き回り、螺旋を描き、多種多様に迫ってくる。
 斬撃と数のみならず、描く軌跡と二色の月光のきらめきを利用した催眠効果を与える幻十の必殺を狙った攻撃であった。
 Dの瞳が半眼に閉ざされた。視覚から脳髄に忍び入ってくる魔糸の催眠効果を遮断し、迎撃に、視覚を除く五感と直感に命運を委ねた夢想の剣が閃く。
 右足を視点にその場で旋回し、それがどれほどの速度で行われたものか、コートの裾は刃の鋭さを得て襲い来る魔糸の幾本かを弾き返し、Dの体に淫らな意思を持った蛇の様に絡み付かんとする魔糸は、例外なくデルフリンガーの刃に迎え撃たれた。
 Dの右腕が幻十の指同様に霞んで消える。迫る魔糸を迎え撃つDの剣舞もまた神速の領域へ到達したのだ。
 魔糸を迎撃する中、Dは再びコートの内側から取り出した木針を幻十へと投じる。幻十の反応速度から言って、マッハ十前後で投じても迎撃されるのは火を見るよりも明らかであったが、わずかなりとも集中を崩さねば、反撃の一手を放つ切欠さえ掴めない。
 魔糸の連続攻撃に神経を割いていた幻十の反応は万分の一秒遅れた。一万五千分の一秒の遅れであったなら、額を貫いた木針に脳漿をぶちまけられていただろう。
 魔糸を操る指先はそのままに、体に纏っている防御用の魔糸『糸よろい』を数本外し、燃え走る流星となった木針の縦に両断し、その衝撃で木針はわずかな火の粉となって幻十の冷美な横顔をかすかに照らした。
 Dは、思考を伴わぬ剣士としての本能に命運を委ねた夢想剣で、先程とおなじ迎撃手段を取った。
 襲い来る魔糸のことごとくに刃を合わせると同時に刀身に巻きつかせ、デルフリンガーへと伸びる銀の筋が五十を越えると同時に、わずかに刀身の角度をずらして巻きとった魔糸を断つ。

「同じ手が二度も通じると思うのか?」

 笑う幻十の声と同時、Dがその場上方へと跳躍する。切断し、幻十の指から離れた筈の魔糸が、断たれた事など知らぬとばかりに鎌首をもたげてDへと斬り掛かってきたのだ。
 コートの裾を幾本かの魔糸に斬られたDは、空中で幻十の声を聞いた。

「コードレス・コード。糸は断たれても込めた殺意と技は残る」

 その技の名を、かつて幻十と争った幼馴染もまた口にしたとは、幻十は知らない。しかし、断たれてなお襲い来る魔糸とはなんたる技か。
 無論、幻十の指が直接操作していた時とは違い、単純な動作のみで、一瞬のみの発動とはいえ人間業ではあるまい。
 跳躍し、空中の人となったDは、下で待ち受ける魔糸と前後左右から迫る魔糸を見ていた。
 落ちるは斬撃地獄、待つも斬撃地獄。
 漆黒のロングコートを、天界とのハルマゲドンに赴く魔王の如く広げ、Dがデルフリンガーを右下段に構えて空中でさらに飛翔した。
 あろうことか後方から襲い来た魔糸の一本を足場代わりにしたのだ。タイミングを誤ればそのまま体を両断されかねぬ行為を、一瞬の躊躇いもなく行うのが、この青年であった。
 そんな中、Dに握られたデルフリンガーは主の苦境とは別に恍惚の中にあった。それは一振りの刀剣としての歓喜であった。主の美しさにではなく、その技量への感動であり、かつてない高揚であった。
 魔法によって知性を与えられたとはいえ、デルフリンガーの本質は剣だ。何かを斬り、誰かを斬り、何もかもを斬る道具だ。
 道具としての自分の真髄をこの六千年の中で最も引き出し、使いこなし、振るっているのが今の主たるDであった。
 刀剣としての自分をここまで完璧に使いこなし、これほどまでに鋭く、早く、重く、軽妙に振るい、壮絶な鬼気さえ纏わせた者は、これまでデルフリンガーを握ってきた者達の中にはいなかった。そう、かつてのガンダールヴでさえ。
 なんという僥倖、数百年の退屈の果てにこのような出会いがあるとは、夢にも思わなかった。恐るべき使い手だ。凄さまじい剣士だ。称える言葉が思いつかぬほどの戦士だ。
 ならば、そのような使い手に相応しい姿にならねばなるまい。
 幻十めがけて跳躍するDの右手の中のデルフリンガーが、幻十の張った防御用の糸を天から地への一閃で斬り散らすのと同時に、デルフリンガーの刀身が目も眩む眩さで輝いた。
 たちどころに刀身を覆っていた錆は消え、零れていた刃も欠損を埋めて、瞬く間にデルフリンガーはボロだらけのナマクラ刀から、剣匠の込めた魂の気迫が匂い立つ見事な剣へと変わっていた。

「ああ、そうだ、おれを振るえ、相棒!! このおれが認めてやる、お前さんはハルケギニア六千年の歴史で最強の剣士だ!!」

 デルフリンガーの変身の中も目を閉じなかったDは、デルフリンガーの興奮した声を気にも留めず幻十へと目掛けて、右足が地を踏むのと同時に更に飛翔。
 低空すれすれを這うように飛ぶ蝙蝠の様な影を月光に落としながら、ついには幻十の姿をその刃圏に収めた。振り下ろし切れば幻十の体を斜めに両断する構えは右下段、切っ先は後方に流れている。
 幻十が大きく右手を振るう。万軍に命令を下す覇王の如く。
 Dが右手を振るう。巨人の首さえも落とす神話の英雄の如く。
 不可視の螺旋衝角――ドリルを形作った無数の魔糸の先端と、真の姿を取り戻したデルフリンガーの刀身とが激突した。
 幻十の頭頂まで残り五十サントの位置で鮮やかに煌めく無数の銀粉。天空に輝く淡紅と白みを帯びた青い月光を受けて銀色から変わる光の燐粉は、デルフリンガーの刃に切り裂かれる魔糸の残滓の姿であった。
 放たれたDの一刀にどれほどの力と技が込められていたものか、更なる魔糸の一撃を放つ余裕は幻十にはなく、デルフリンガーの刃に徐々に切り込まれる螺旋衝角の維持で手一杯であった。
 ぎり、と奥歯を噛み鳴らし、幻十の美貌に初めて余裕以外のモノが翳を過ぎった。
 デルフリンガーが魔糸を切り裂くかと思われた瞬間、螺旋が弾けた。さながらホウセンカの果実の様に。
 常人には何もないと見える目の前の空間に、無数の糸が乱舞している様が見て取れるDは、デルフリンガーの刀身を縦に構えて自分に迫る魔糸のことごとくを弾く。
 睨みつけた獲物を逃さぬ鷹の眼は、幻十の姿が前方上方六メイルの位置にあると認めた。互いに決め手を欠いたまま、今一度、飽く事無く二人の間で透き通った殺意が交差した。
 天と地とに分かれて争う美影身を、タバサはただ呆然と見つめていた。
 美しいからか? 然り。
 恐ろしいからか? 然り。
 辺り一帯を埋め尽くす二人の鬼気よ、殺気よ。それは尋常ならざる魔界の地に足を踏み入れたのかと錯覚するほどに濃密で、空を握った掌の内側に結晶の形となってしまいそうだ。
 Dと幻十、あの二人で生死を賭けて戦い始めたその瞬間から、ここはただの人間が居てはならぬ異世界へと変わり果てていた。
息を忘れて、漆黒の魔人二人の戦いをタバサは瞳に映し続ける。
 天空には双子月と浪蘭幻十。
 大地には彼方まで広がる悠久の大地とD。
 二組を繋ぐのは夜の世界を渡ってきた風と月光。
 二人の戦いは、どちらの方がより美しいかという答えを出す為のものであったかもしれない。
 六メイルの高みからDを見下ろしていた幻十が、何度目か必殺の意を万と込めた一撃を放った。Dの頭頂から両断すべく振り下ろされた魔糸。全長は一リーグ≒一キロを越す。
 十分な余裕を持って回避できる筈の魔糸を見ていたDの瞳の中で、一条の煌めきは、たちまち一千の閃光と変わった。
 千分の一ミクロンの魔糸千本を縒り集めた一ミクロンの魔糸を、敵の頭上で解き、たちまち一筋の斬撃を千の斬撃へと変える。
 たった一本を回避する事から、千本にも及ぶ魔糸の斬撃の回避へと行動を変える事は、もはや不可能なタイミングであったろう。幻十の唇がひどく残酷な形に吊り上がる。
 目の前で数千の肉塊へと変わる強敵の様を思い描き、サディスティックな愉悦に胸の内をどす黒く焦がそうとしているのだ。
 成す術なくDが微塵に斬り裂かれるかと、彼の魂を連れ去るべく待っていた冥府の使い達が目を見開いたその時、動いたのはDの左手であった。降り注いだ魔糸の雨を防いだ時同様に、Dの左手に宿る老人が、死の運命の扉を塞ぐ鍵となったのだ。
 左手を掲げるのと同時に老人の声はこう流れた。

「風だけじゃが、なんとかするしかないか」

 開かれたDの左手の掌に浮かんだ老人が、再び抜け落ちた歯の目立つ口を、大きく開いた時、その喉の深奥でちろちろと燃える青白い炎があった。Dの左手に宿る老人は、世界を構成する四元素『火』『土』『風』『水』を食らう事で、膨大なエネルギーを生み出す生産プラントでもある。
 幻十の放った魔糸を吸い込む時に吸引した風を元にしてエネルギーを生み出し、左手の老人は喉の奥から、青白い炎を一気に噴き出した。
 それがどれほどの熱量と勢いを持っていたものか、襲い来る魔糸はすべて蒸発し、炎が舐めた大地はガラス状に解けた断面を晒しているではないか。
 幻十が目の前まで迫った炎の舌に、かすかに目を細めたその瞬間、背筋を貫く鬼気の放射に愕然と炎の中から姿を見せた黒影に目を見張った。
 自らの左手が生み出した炎の灼熱地獄の中を、右手に握るデルフリンガーで切り裂き、飛翔したD!
 紅蓮の海を挟み対峙する両者の間を、白銀の弧月が繋いだ。
 デルフリンガーの切っ先を真横へと向けたまま、Dは音もなく地面に着地した。すっくと立ち上がった時には、すでに戦闘の気配を納めている。
 幻十の左頸部を狙った一撃が、肌に触れるその寸前、幻十の姿はDの目の前から消えていた。どこか遠くに巻きつけた魔糸を利用して幻十は退いたのだ。
 それがどれほどの速度であったものか、発生した突風に千切られた風がはらはらとDの周囲に舞落ち、残っていた炎に燃やされて灰に変わる。実に、幻十が逃亡に用いた魔糸は、彼の体を音速を超えて運んだのである。
 左手がやれやれ、と骨の髄まで疲労を溜め込んだ声を出した。

「なんなんじゃ、この世界は? あのメフィストとか言う医師だけでなく、幻十とか抜かすあ奴も大概バケモノときおった。
 しかも、戦い始めた時から常に成長しておったぞ? 下手をすれば無限に成長するかもしれん。
 ここで首を落とせなんだ事を後で悔やむ様な事にならなければ良いが、それも自業自得というものなのかの。お前があのチビのお嬢ちゃんを庇うとはな。構わなければ止めは刺せずとも深手くらいは負わせられたものを」

 Dが真横の突きだしていたデルフリンガーを下げた。Dの一刀を浴びる寸前、幻十がタバサめがけて放った魔糸を防いだデルフリンガーを。
 変貌したデルフリンガーの事は露ほども気にする様子はなく、Dは右手に刃を提げたままタバサへと歩み寄った。
 タバサは自分に歩み寄るDの姿に、死を覚悟した。いわば自分はDを罠へと誘いだしたのだ。目の前の青年が、そんな相手を許す様な性根の主とは見えない。
 両手で握りしめた杖が大きく震えるのを感じながら、タバサは目の前で足を止めたDの顔に見入った。
 Dは冷たくタバサを見下ろしている。右手が動いた。デルフリンガーの刃が風を薙いだ。無造作に、草でも刈る様に。そうやって、タバサの首も刈るのだろう。
 弁明も言い訳も何も意味を成さないと悟ったタバサは、静かに目を閉じて息を飲んだ。自分と家族の人生を狂わせた男への復讐を果たせず、母の心を取り戻せずに終わる事だけが心残りだった。
 シルフィードは泣いてくれるだろう。きっとわんわん泣くに違いない。キュルケやルイズも、自分が死んだら涙を流してくれそうだ。ルイズは自分を斬り殺したDの事を責めるだろう。
 本当なら、こんな所では死ねないと、終わるわけには行かないと、地べたを這ってでも生きようと足掻かなければならない。なのに、どうしてもそんな気力が湧いては来なかった。
 思ってしまったのだ。目の前に黒衣の青年が立った時に、このまま殺されてもいいと。この美しい青年に、殺されてしまいたいと。自己破滅願望とこの世ならぬ美への恍惚が入り混じった極めて危険な心理に、タバサは陥っていた。
 Dの手が振られた。タバサは、自らの体を両断する冷たい感触が流れるのを待った。

「……?」

 しかし、待てども訪れぬ感触に、訝しげにタバサが目を開いた時、Dはデルフリンガーを握ったまま人差し指と親指で何かを摘まむような動作をしていた。
 訳が分からずDの指を見つめるタバサに、Dが口を開いた。

「目には見えんが、糸がある。あの幻十という男のものだ。これが君の体に巻き付き、あらゆる情報を奴に伝えていたのだ」
「糸?」
「今は斬ったから何を話しても問題はないがな」

 Dの告げた幻十の武器の正体に、愕然と眼を見開いてタバサはDの指先を見つめた。目を凝らして凝らしても、何も見えない。
 ただ、時折降り注ぐ月光を反射して何かが煌めくのが見えた。それが、Dの言う糸なのだろう。Dはデルフリンガーで斬った魔糸を、左手の口の中にしまい込んだ。
 タバサの体に巻きつけられた魔糸は、糸そのものを震わせる振動からその場で行われている会話、巻きついた対象の体温や血流、体内の電気信号などから感情、精神状態までを光の速さで幻十の指に伝えていたのだ。これまでタバサの会話や心は全て幻十の手の内に把握されていたと言っていい。

「知っている相手の様だな。何者だ?」

 タバサが身を強張らせた。Dの声は質問に答える以外の言葉を許さぬ冷厳な響きであった。

「彼は、ガリア王ジョゼフの使い魔として呼び出された青年。けど、契約は結んでいない」
「続けろ」
「ジョゼフは、彼に何の命令も下していない、ただ彼の好きにさせているだけ。私は彼に従うように命令を受けた。だから、貴方を呼んだ。彼は貴方に興味がある様だったから」
「また命令が来れば同じ事をするか?」
「……しなければならない理由が、私にはある」
「そうか」

 タバサは杖を握る手に力を込めた。つい先ほどまで生を諦めきっていたが、仇敵に従う振りをしてまで果たそうとしている事を思い出し、わずかでも可能性があるならそれに全霊を賭けようという気概が蘇っていた。
 もしDが自分を殺そうとするのならば、わずかなりとも抵抗してみせる。
 瞳に強い光を取り戻したタバサを見て、Dは何を思ったか、無言で踵を返した。その背に、タバサが声をかけた。

「待って、貴方に頼みがある」

 Dが立ち止まってタバサの言葉の続きを待った。かすかな逡巡の後に、タバサが意を決して、言葉を続ける。

「彼を、ロウランゲントを斃して欲しい。貴方なら彼を斃せる。いいえ、貴方にしか斃せない。彼は明言はしていなけれどおそらくジョゼフの味方をする。
 私は、どうしてもガリア王ジョゼフを斃さなければならない。私の前にロウランゲントが立ち塞がると思う。もし、ガリア花壇騎士団が全員私の味方になってくれても彼には勝てない。それに、彼はたぶんこの世界に来てはいけなかった人。ゲントの存在は、この大陸にとても良くない事を巻き起こすと思えて仕方が無い」
「おれは殺し屋ではない。吸血鬼ハンターだ」

 再び歩み去ろうとするDに、慌ててタバサが声をかけた。浪蘭幻十と対抗しうるおそらく唯一の男を、味方にする千載一遇のチャンスだ。逃すわけには行くまい。

「なら、ゲントと彼の連れている吸血鬼を始末して」
「吸血鬼を従えているのか?」

 足を止めて聞き返してきたDの様子に、タバサが安堵の吐息をひとつ吐いた。少なくとも興味を引く事は出来たようだ。しかし、吸血鬼ハンターとは、文字通り吸血鬼を狩る者の事だろうが、ハルケギニアではそう言った者は聞いた事が無い。
 目の前の青年がはるか遠方から、それこそハルケギニアの名が伝わっていないほど遠いどこかから呼ばれたのだという噂が、タバサの脳裏に蘇った。だが、今はDの素性を確かめようとするよりもするべき事があった。

「私に払う事の出来る報酬は多いとは言えない。けれど、私が支払えるものであったなら、何でも払う。この体でも命でも構わない。
だから、お願いします。どうか、この世界の為にロウランゲントを斃してください」

 深く腰を曲げて頭を下げるタバサを一瞥し、Dは無言のまま背を向けて学院へと歩き始めた。タバサの懇願も、誠実な態度も、まるで知らぬという様に。
 顔を上げて離れ行くDの背を見つめていたタバサは、ひたむきな瞳を向けていた。

「どうして、私に何もしないの?」

 タバサにとっては、その答えを得られぬ事が、Dの刃の露と消えるよりも辛かったかもしれない。
タバサは、Dの姿が消えるまで、そこに立ち続けた。世界のすべてから忘れ去られたような、ひとりぼっちのまま。

 なお、Dの背に戻されたデルフリンガーが、

「相棒、おれが変わった事、気にしないの? ねえ?」

 と寂しげに呟いたが、むろん黙殺された。


 ルイズの部屋に戻ったDは、なにやら神妙な顔をしてこちらを見つめるルイズと、なぜか部屋に居るギーシュを見た。こんな夜遅くに女の部屋に男の姿がある。争った形跡もないという事は

「ませとるなあ、しかし、よりによって引っ張り込んだのがこいつか。お嬢ちゃん、もうちっと男を見る目を養った方が」
「違うわ。D」

 いつもなら簡単にDの左手の挑発に引っかかるはずのルイズが、冷えた声を出した。いつもとはだいぶ違う様子に、左手もふむん? という声を出す。
 ギーシュの方も口に薔薇を加えた気障なポーズはともかく、顔つきにはふざけた様子もおどけた調子もない。ルイズ同様に真摯な瞳でDの顔を見つめている。
 どんな鈍感な人間でも、これは何かあると分かる二人の様子だ。
 ルイズはDの目の前まで歩き、使い魔の顔を見上げた。正面から、逃げる事も恥じる事も何もないと、堂々と胸を張って、主人らしく。

「D、私アルビオンに行く事になったの。明日の朝、出立するわ」
「理由を聞こう」

 Dに対して、ルイズは静かに事情を話し始めた。Dが浪蘭幻十と死闘を繰り広げていた時、ルイズはトリステイン王女アンリエッタの訪問を受けていた。
 頭巾を取り、素顔を晒したアンリエッタは、膝を突くルイズの手を取って懐かしい友との再会を喜んだ。ルイズは、幼少の頃にアンリエッタの遊び相手を務めていたのだ。
 お転婆娘だった小さな頃を懐かしみ、その頃の自由に思いを馳せている間は良かった。Dも特に反応を見せる様子はない。それで終わったなら、そもそもルイズはこんな神妙な顔はしないだろうし、ギーシュが部屋に居る理由も分からない。
 雲行きが怪しくなり出したのは、アンリエッタがこのたびゲルマニア皇帝に嫁ぐことになった下りからである。
 別段王室同士の婚姻など珍しい話ではない。アンリエッタにもトリステイン王家のみならずアルビオン王家の血が流れている。
 では何が問題かと言うと、それはアルビオン王国の政治情勢に一因があった。Dも、下僕というか小間使いにしたフーケから話を聞き、かの浮遊大陸のきな臭い情勢については風聞程度で知っている。
 アルビオンの貴族達がどこぞの司教を旗印にして王家に対して反旗を翻し、いまや王家は追い詰められ、始祖ブリミルが授けた三王権のひとつが倒れるのも時間の問題だというのだ。
 トリステインは始祖ブリミルの子の血を引く由緒正しい王家であったが、国力で言えば小国と言われても反論できない。
 平民といえども領地を購入すれば貴族となる事も出来、国力を増大させたゲルマニアやハルケギニア一の大国であるガリア、宗教的な理由から神聖不可侵な血であるロマリアと違い、トリステインは歴史の古さ位しか取り柄が無いのである。
 さて、そこでトリステインとゲルマニアが、いずれアルビオン王家を打倒した反乱軍が、両国いずれかに矛先を向けると考えたのは至極当然であったし、対抗するために同盟関係を結ぼうとするのも自明の理だ。
 その為にトリステイン王家の一粒種であるアンリエッタが、親子ほども年の離れたゲルマニア皇帝に嫁ぐのは、両国の関係強化にこれ以上ない方法だったろう。
 アンリエッタも望まぬ恋ではあっても、王家に生まれ者の宿命とそこは諦めと共に受け入れてはいる。ここで、いよいよ大問題に差し掛かった。
 ルイズが淡々と事実を述べる様に口を開いた。極力私情を交えぬようにと配慮しているらしい。
 なんでもアンリエッタとゲルマニア皇帝との婚姻を妨げる材料が存在しているというのだ。よりにもよって戦乱のアルビオン王国に、よりにもよって渦中にあるウェールズ皇太子の手元に、である。

「なにが、王女と皇帝の婚姻を妨げる材料になるのだ?」
「姫様がいぜんしたためたという一通の手紙よ。内容はお教えくださらなかったけど、それが明らかになればゲルマニアの皇室は決してアンリエッタ姫を許さず、婚姻も反故にされるそうよ」
「たった一通の手紙でか?」
「……ええ」

 その事を語る時のアンリエッタの様子は、ルイズに手紙の内容を容易に想像させたが、それをDには語らなかった。

「アルビオン王国が反乱軍の汚らわしい手で潰えてしまうのは悔しいけれどもう決定的。であれば来る反乱軍との戦いとの時に、トリステイン一国で相手をするのは……絶望的なのよ」
「では、王女の頼み事は」

 いつもより冷たく見えるDの眼差しに、体の内側から冷やされる思いで、ルイズはわずかに息を飲んだ。それでも、一度だけ目を瞑ってから答えた。

「戦乱の只中にあるアルビオンから、その手紙を取り返す事よ」

 ルイズはその時のアンリエッタとのやり取りを思い出した。
 ルイズの目の前でそれまでの友との再会を喜んでいたアンリエッタが、たちまち顔色を蒼ざめさせて、狼狽しだしたのだ。ルイズはその変化に戸惑いながらもアンリエッタを宥めてその先を促した。
 ウェールズ皇太子の元にあるという手紙と、その事を告げた時のアンリエッタの様子から、何を求められているのかは薄々分かっていたが、アンリエッタの口から直接聞きたかった。

「では、姫様、私に頼みたい事とは?」
「無理よ! 無理よルイズ! わたくしったらなんてことでしょう! 混乱しているんでしょう! 考えてみれば貴族と王党派が争いを繰り広げているアルビオンに赴くなんて危険な事、頼めるわけがありませんわ!」

 弱々しく首を左右に振り、自分の浅慮を悔いるアンリエッタ。だが、その様子をルイズは不意に遠いモノの様に見ている自分に気づいた。つい先ほどまではアンリエッタ同様に大仰に喜び、芝居がかった言葉を交わしあっていたのに。
 ふと脳裏に、今は部屋に居ない――ようやく気付いた――使いの間の姿が過ぎった。彼の影響だろうか?
 ルイズはそっとアンリエッタの手を両手で包みこんだ。アンリエッタが不意に顔を上げ、涙の粒を眼の端に浮かべた瞳に、慈愛に満ちた顔を浮かべるルイズの顔を見上げた。
 ついさっきまで同じ過去を共有する懐かしいおともだちだったのに、今はアンリエッタの知らないルイズがそこにいた。
 妹を慈しむ姉の様な、娘を想う母の様なそのルイズの姿に、アンリエッタは身惚れた。

「姫様」
「ルイズ?」
「わたくしは、わたくしをおともだちと言ってくださったことがとてもうれしゅうございました。このルイズ、姫様のおともだちとして、そして家臣としても、貴女様の僕であり、理解者でございます」
「ルイズ、ルイズ・フランソワーズ、貴女はわたくしの知らない間に、こんな立派な貴族になっていたのですね」

 感極まって涙ぐむアンリエッタの目元をそっと、取り出したハンカチでぬぐってから、ルイズは膝をつき再び臣下の礼を取った。

「ルイズ?」
「ですが、唯一のわがままをお許しください。姫様、姫様はおともだちとして私にお願いしてくださいました。ですが、どうか、主君としてもご命じくださいませ。私に、命を賭して命を果たせと」
「ルイズ、どうしてそのような事を」
「姫様がご存じかは存じ上げませんが、わたくしはゼロのルイズと呼ばれております。満足に魔法を使えぬ未熟者という意味でございます。そんなわたくしが姫様の命を果たすには身命を賭す以外にありませぬ。
 どうかおともだちの為に戦うという事以外にも、このわたくしに勇気を振るい起こすお言葉をお授け下さいませ。おともだちの為に、主君の為にと、勇を振るい起こすお言葉を」
「ああ、ルイズ、わたくしは貴女になんて事を頼んでしまったのでしょう」

 かすかに肩を震わせるルイズの様に、アンリエッタは我に返ったように慄いた。ルイズが今、アンリエッタの願った事を果たす為に命を賭ける覚悟を決めている。そして、恐怖を必死に押し殺そうとしている事も分かった。
 自分はルイズに死ねと言っているようなものなのではないか? アンリエッタは初めて他人の気持ちを慮るという事を考えていた。
 では、自分がおともだちと呼んで泣き付き、頼りにしたこの少女になんというべきか。聞かなかった事にして欲しいと告げ、今宵の出来事を自分もまた忘れるべきか。
 それでもルイズの願いどおりにおともだちとして、そして王家の姫君として戦の只中にアルビオンに赴き、手紙を取り戻して来いと、命を賭けて果たせと命じるべきか。
 自分の言葉で目の前の少女の運命が変わると、アンリエッタは初めて感じる恐怖に震えた。

「おお、おお、わたくしはなんと浅はかだったのでしょう。懐かしいおともだちであった貴女が、この学院に在籍していると知った時は始祖ブリミルが哀れな私をお見捨てにならなかったなどと思いあがり、貴女を死地に赴かせる事を口にするなど」

 打ちひしがれたようにベッドに倒れて手をつくアンリエッタの言葉をルイズはただ待った。アンリエッタの心が決まるのを待った。
震えるアンリエッタの肩が、ようやくおさまった頃、流した涙をそのままにアンリエッタが毅然と顔を挙げた。
 少なくとも先程までルイズに泣き崩れていた弱々しい少女の顔ではなかった。

「ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ヴァリエール、貴女に命じます。アルビオンに赴き、ウェールズ皇太子よりわたくしがしたためた手紙を取り返してくるのです」
「はい、杖に賭けて」

 ルイズもまた凛とした声で答える。人の上に立つという事の責務をようやく実感し出したアンリエッタとルイズだけの部屋に、ノックの音がしたのはちょうどその時であった。

「誰!?」
「失礼する」

 ルイズの誰何の声に応える間もなく声の主は静かに扉を開いて入ってきた。フリル付きのシャツに鮮やかな色のスラックス、胸のポケットには薔薇の造花を模した杖が一輪。
 ギーシュである。何を聞きとったのかはたまた単なる偶然か、ルイズとアンリエッタの会話を耳にしていたらしい。扉に鍵を賭けていなかったので容易く入ってきたギーシュはそのままアンリエッタに向けて膝を着いて首を垂れた。

「姫殿下、盗賊の如く様子を伺うという下劣な真似をいたしましたご無礼は、どうか、このギーシュ・ド・グラモンがミス・ヴァリエールと共に任務を果たす事でお許しくださいますよう、お願い申しあげます」
「グラモン? あのグラモン元帥のご子息かしら?」
「四男でございます」

 涙の跡を拭いたアンリエッタが、やや赤くなった目元をきょとんとして、小首を傾げながらきょとんとした顔で聞き返した。なんともはや、抱きしめて頬に接吻したくなるように可愛らしい。
 ギーシュはかすかに頬を赤らめながら、立ちあがって恭しく一礼した。

「ありがとう、あなたも私の力になってくださるというのですね。でも、とても危険な任務なのです。ルイズにも申しましたが、命を失うかもしれないのです」
「姫殿下、わたくしは武門の子です。物心ついた時には、こう教えられ育ちました。命を惜しむな、名を惜しめ。決して表に出るような任務ではないと存じております。
 ですが、トリステインの可憐な花たる姫殿下のお心に一時でも私の名を覚えていただければ、それはなによりの名誉なのでございます。父にも母にも兄にも伝える事は出来ずとも、わたしはグラモン家の家訓を守る事が出来るのです」
「ルイズ」
「姫様の御心のままに、お決めくださいまし。ギーシュ、いえミスタ・グラモンにこの任務を任せるか否かは」
「今のわたくしにはその言葉が何よりも重いものなのですよ、ルイズ。……お父上は立派で勇敢な貴族ですが、あなたもその血を受け継いでいるようですね。この愚かで身勝手な姫をお助け下さい、ギーシュさん」

 アンリエッタはにっこりと微笑んだ。それは街道の脇を埋める民衆や、城のバルコニーから見下ろす民衆達に向けるいわば営業用のスマイルに近い。ただ決定的に異なるのは、そこに心からの申し訳なさと、それでも縋る他ないやるせなさが宿っている事か。
 ギーシュは感動した様子でうっとりと首肯した。
 モンモランシーはどうしたのよ? と内心でルイズは呆れていたが、まあ、ギーシュとは最近気心が知れてきたし、ドットメイジの割には優秀なのは分かっていたので、文句は言わずにおいた。

「ルイズ、ギーシュさん、旅は危険に満ちている事でしょう。おそらく反乱軍の手先たちがこのトリステインやゲルマニアに多く放たれている筈。あなたがたの目的を反乱軍が知ったならどんな手段を取ってでも妨害する事は明白。そんな任務に赴かせるわたくしを許してとは申しません。ですが、どうか生きて戻ってきてください、そしてその無事に、始祖への感謝を捧げさせてください」

 そう言ってアンリエッタはルイズの机の上に在る羽根ペンと羊皮紙を使って手紙をしたためた。アルビオンの王党派とウェールズ皇太子への、ルイズ達の身分を証明する手紙であろう。
 おそらく最後の一文までを綴ったアンリエッタが、羽根ペンを止めて苦悩する様子に、ルイズは自分の思う通りの内容であったのだろうと、アンリエッタの心中を想い胸を痛めた。
 だから、耳に届いたアンリエッタの言葉は聞かなかった事にした。それはアンリエッタとウェールズの二人の間のささやかだが、なによりも輝いている秘密だ。それを他人が知ってはいけない気がした。

「始祖ブリミルよ……。この自分勝手な姫をお許しください。でも、国を憂いても、わたくしはやはり、この一文を書かざるを得ないのです……。自分の気持ちに嘘を着く事は出来ないのです……」

 熱に浮かされていたようなギーシュも、アンリエッタのひたむきなその横顔に身惚れたかの様に黙っていた。
 アンリエッタは新たに加えた一文をじっと見つめていたが、やがて手紙を巻き、杖を振るうやどこかから封蝋が成され、花押が押される。ルイズはその手紙を神妙な気持ちで受け取った。
 この手紙と自分達の行動に、これからのトリステインとゲルマニアの両国の命運がかかっているのだ。まさしく、ルイズの命を引き換えにしてでもなさねばならぬと、ルイズは心中の決意をより堅固なものにした。

「ウェールズ皇太子にお会いしたらこの手紙を渡して下さい。すぐに件の手紙を渡してくれるでしょう。それからこれを」

 そういって、アンリエッタは右手の薬指にはめていた指輪と革袋をルイズに手渡した。透き通る様に美しい水を宝石にしたように美しい指輪であった。

「母君から頂いた『水のルビー』と私が都合を着ける事の出来たお金です。せめてもの贈り物です。お金が心配になったら売り払ってください。
 この任務にはトリステインの未来が掛かっています。母君の指輪が、アルビオンに吹く猛き風から、あなたがたを守りますように。
 ルイズ、ちいさいころからのわたくしの一番のおともだち、貴方にこんな事を頼んでおいて、言えた義理ではないかもしれませんが、どうか生きて帰って下さい。貴女だけがわたくしの真実のおともだちなのですか。
 そしてギーシュさん、宮廷では貴族とは名ばかりの権利と利益の亡者ばかり。この学院にきて、久しぶりに貴族らしい方とお会いできました。どうか、貴方のその気高さを持ったまま、立派な軍人になってください」

 そう言って、アンリエッタは始祖に祈る様にして二人に手を組んだまま頭を垂らした。
 以上が、ルイズがDに語った事の顛末であった。黙ってそれを聞いていたDの代わりに左手のしゃがれ声が口を開いた。

「お前ら二人とも死にに行く気か? 内乱真っただ中の外国に子供二人でか。命と精神力がいくらあっても足りんぞ。ずいぶん命が安いらしいの」
「D、確かにあなたにとってはそうかもしれないけれど、私は姫様のお願いを聞いたの。おともだちとして、そして家臣として。どうあろうとも私は任務を果たすわよ」
「任務を果たした所で、ゼロの汚名を返上する事はできんぞ」

 若さの中に鋼の響きを交えたDの声であった。一切の嘘を許さないその声に、ルイズはかすかに声を震わせて答えた。

「分かっているわ。言ったでしょう? おともだちとして、家臣として、聞き入れたと。汚名を返上する為ではないの。そうでしょ、ギーシュ」
「……いや、実は、ぼくはちょっとそーいうのも、あるかなあ、と」
「ぬあんですってえ?」

 般若も青褪めて逃げ出しそうな顔と声に変わったルイズの形相に、ギーシュはさっと顔色を青く変えた。本気で怒らせた父よりも怖い。
 軍の元帥とあって威厳も迫力もたっぷりな父が怒ると、すぐそばに雷が落ちた様に恐怖に震えるのだが、今のルイズは氷の海に突き落とされたように背筋を震わせる恐怖の塊であった。

「いや、あのね、ぼくは四男坊だから家督を継ぐわけでもないし、かといって上の兄達に不幸があればいいなどとは思わないしね。
それにアルビオンの話が本当ならいずれ武勲に恵まれる機会もあるかもしれないけどさ、ほら、姫殿下にぼくの顔と名前を覚えていただくのは損な話じゃないだろう? 
 それに、トリステインでもっとも美しい白百合か白薔薇の如き姫君の為に働ける事は、トリステインの男としてこの上ない名誉だよ。誉れだよ。誰かに口にする事は出来なくとも、生涯自分自身に誇れるからね」
「どいつもこいつも浮かれておるのう。なんじゃ、またわしらにケツを拭いてもらえると期待しておるのか? だとしたら甘い、甘いぞ。なんでそんな危険な真似に付き合わなければならんのだ。いくら使い魔でも限度はあるぞ」
「いいえ。D、今回ばかりは貴方を無理に連れていくとは言いません」

 きっぱりと言い切るルイズに、ギーシュがおや? という顔をした。今、ルイズは何と言っただろうか。この中で最大戦力である使い魔を連れていく気はないと言わなかっただろうか?

「D、貴方には本当に良くしてもらっているわ。本当なら、貴方はわたしなんか気に掛ける暇なんてない人なのでしょう。それ位は私も分かるわ。そんな貴方を元の場所へ返すという約束を今も果たせていないけれど、せめて貴方に命の危険を負う様な真似をさせないくらいの事はさせて。フーケの時だってそうだったけれど、今回は比較にならない。
 ここに姫様から頂いたお金と貴方から借りた黄金があるわ。節約していれば食べるのに困る事はないでしょう。私に無理に付き合わなくていいのよ、ね?」
「使い魔の契約はどうする?」
「契約が生きている間は新しい使い魔を召喚できないけれど、それだけの事よ。貴方が特に困る事はないはずよ。それに、もしこの任務の最中に私が死ねば、その契約も解けるはずよ」

 ギーシュが、はっとした顔に変わった。そうだ、ルイズが死ねばDは使い魔の契約に縛られる事はない。
 Dが特に使い魔としての扱いに不平不満を述べた事が無いから疑問に思わなかったが、むしろDにとってはルイズが死んだ方が都合がいいのではないだろうか。
 Dを見つめるルイズとギーシュの前で、Dはルイズが机の上に置いた革袋を手に取った。Dが辺境のダラス金貨を溶かして作った黄金と、アンリエッタが用意した宝石や金貨の詰まった革袋だ。
 ずしりと手の中に重みが伝わってくる。Dはそれをパウチの中にしまった。まさか、とギーシュが口を開きかけて止めた。誰よりもそう思っているのはルイズ自身だろう。ルイズは唇を固く閉ざしたまま、Dの姿を見ていた。
 鳶色の瞳に揺れるのは不安か、恐怖か、口にした言葉への後悔か。それとも、別離への悲しみか。
 踵を返し部屋の扉に手をかけたDに、ルイズが声をかけた。震えている。精一杯に押し隠して、それでも抑えきれない声。

「D、今までありがとう」
「達者でな」

 それだけを告げて、Dは開いた部屋の扉を閉じた。


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