あの作品のキャラがルイズに召喚されました @ ウィキ

少女と【愛人】

――室内に、童女のように透き通った声が満ちる。

不思議な旋律を耳にし、ルイズは思わず泣きじゃくるのを止め顔を上げた。
その眼前には、瞳を閉じ、柔らかにメロディを口ずさむカトレアのあった。

(ちい姉さまの歌だ……)

ルイズの心が童心へと帰る。
悲しみで心が千切れそうな時、ルイズはいつもその歌を聞いた。
姉の胸で聞くその旋律は、まるで魔法のように、ルイズの悲しみを癒してくれた。
最後にその歌を耳にしたのはいつの事だったか……。

単語の意味を拾えない、どこの言語なのかすら分からない、奇妙な歌詞。
耳元で囁くようなに甘いメロディ。
歌い手の情緒を帯びるように変化する、能動的な旋律。

それは、格調高い宮廷音楽とは異なる、いや、
ルイズの知るあらゆる音楽体系に属さない、不思議な歌であった。

聞く者の心をを穏やかにする響きが、ルイズの心の波を消し去っていく。
ルイズだけではない、室内にいる大小さまざまな動物たちも、
このときばかりは静まり返り、彼女の美しい調べに聞き入るかのようであった。

(――小さい頃から何度も聞いてきたけど、本当に不思議な歌……
 ちい姉さまは、一体どこで、このうたをおぼ え  た   の……?)

――やがて、胸元で安らかな寝息を立て始めた妹の寝顔を見て、カトレアが微笑する。

泣きじゃくる妹を抱き寄せる時、カトレアはいつもその歌を歌った。
そして、その度にカトレアは、『彼女』と過ごした幼き日々を思い出した。

自分を膝に抱いてこの歌を口ずさむ時、『彼女』も又、同じような想いを抱いていたのだろうか?
恋しさが胸の中でいっぱいに疼き、思わずカトレアは、そっとルイズの頭を抱き寄せた。

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「お願い! お父様、お母様!
 彼女を、アイレンをお屋敷に置いてあげて!」

その日、トリステインの名門貴族、ヴァリエールの私邸では、ちょっとした騒動が起こっていた。

騒動の主となっていたのは、ヴァリエール家の次女・カトレアである。
カトレアは、生まれつき体が弱い少女であったが、
幼少のみぎりから聡明さと利発さで知られ、屋敷に仕える多くの人間から愛されていた。

そんな、目に入れても痛くない程の愛娘が口にした、生まれて初めてと言っても良い我侭である。
できる事なら、すぐにでも娘の希望を叶えてやりたい夫妻であったが、なにぶん問題が問題であった。
館の主、ラ・ヴァリエール公爵は、ひとつため息をつくと、改めて目の前の女性を見つめた。

公爵の眼前にいたのは、ハルケギニアでは珍しい、東方の出と思しき女性だった。

豊かな長い黒髪は、その一本一本が細くほつれ、
雪のように白い肌と相まって、見る者をはっとさせるような美貌をもたらしていた。

穏やかな両目の奥に閉じ込められた、大きな黒い瞳は、
まるで、ここでは無い何処かを見つめるように、奇妙に潤んでいた。

加えて、旅人と言うには余りに無理のある漆黒のドレス。
場に似つかわしくない衣装と、幻想的な白と黒のコントラストが、
あたかも彼女がこの世の者ではないかのような淡い印象を与える。
そんな中、胸元と口元の二つの黒子が、彼女に奇妙な存在感を与えていた。

変わっていたのは外見ばかりではない。
今朝方、屋敷の前で行き倒れになっていたという彼女は、この世界の言葉を話せなかったのだ。
『アイレン』と言う呼び名も、問い掛けの中で、カトレアが拾うことのできた単語の一つに過ぎない。

彼女がどこから来たのか、一体何者であるのか? それを知る者は屋敷にはいなかった。
或いは、彼女が何らかの犯罪に巻き込まれている可能性も考えられた。
国家の重責を担う名門貴族としては、本来ならば、進んで災厄を招き入れるような真似は慎むべきであった。

その一方で、右も左も分からぬ異邦人を無下に追い出すことにも躊躇いがあった。
ヴァリエール一門は、ポッと出のにわか貴族とは違う。
事ある時には、弱者の盾とならんとする古き精神が、その家風の中に脈々と息づいていた。

結局、夫妻はその身元不明の女性を、屋敷に迎え入れる事とした。
必死で哀願する娘の想いを無下にする事など、元より出来ぬ話であった。
黒衣の女性には、召し仕いの服とカトレアの世話役の地位、そして、『アイレン』の名前が与えられた……。

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カトレアは嘘を付いた。
生まれて初めて両親に嘘をつき、生まれて初めて我侭を言った。

『彼女』は行き倒れの旅人などではない、カトレアの呼び出した使い魔だった。

カトレアは孤独だった。
物心付いた時から、彼女は自分が他人とは違う事を感じていた。
原因不明の発熱に首を振る医師の姿を見る度に、それを意識せずにはいられなかった。

自分はきっと、長く生きられないだろう。
そして、皆もきっと、いずれは自分の事など忘れてしまう、
そんなみじめな意識が、常に彼女の中に付きまとっていた。

だから少女は、他者の前でみじめさが出ぬように努めた。
健康な子供たちよりも勉学に励んだ。
健康な子供たちよりも行儀良くして見せた。
健康な子供たちよりも他人を気遣うよう振舞った。
そんな彼女の事を、周りの大人たちは出来の良い子供だといった。

そんな事を繰り返しているうちに、ある日、とうとう限界が来た。
他人よりも気高く生きようとした少女は、孤独と惨めさに追いやられ
結局、一人では生きることも死ぬことも出来なくなった。
自分の想いの全てを受け止めてくれる存在が欲しかった。
ただひたすらに、自分の事を愛してくれる存在が欲しかった。

袋小路に追い詰められた脆弱な精神に、将来有望なメイジの知識が交じり合った時、
少女は無我夢中でサモン・サーヴァントの詠唱を唱え……

――そして、気が付いた時には、カトレアの前に『彼女』が居たのだった……。

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振り返るに、両親は事の真相を知っていたのかも知れない、とカトレアは思う。
昨日今日会った人間、それも言葉の通じぬ女性を必死で匿おうとする少女の姿を見れば、
裏で何かがあったであろう事は、容易に推測できた筈だ。
そしてその上で、カトレアの閉ざされた心を開け放つ希望を、『彼女』に託したのではないか……?

カトレアの推測が正しいかどうかは、もはや、今となっては分からない。
ともあれ、少女の目論見どおり『彼女』はヴァリエール家の一員となった。
カトレアは、すぐに彼女の事が好きになった。
どこに行くにも彼女の手を取り、務めをこなす彼女を傍らで手伝い、自ら彼女にハルケギニアの言葉を教えた。
結局、彼女の会話は、最後まであまり上達しなかったが、
彼女の遠くを見るような瞳を見つめているだけで、カトレアはなんだか幸せな気持ちになれたのだった。

『彼女』は歌が好きだった。
悲しみで心が千切れそうな時、カトレアは、いつも彼女の膝の上でその歌を聴いた。
童女のような透き通る彼女の声は、カトレアのささくれだった心を癒してくれた。
その、奇妙に甘い異国のメロディを聞くうちに、
カトレアは自分の中にあった、世間に対するわだかまりが氷解していくのを感じていた。

『彼女』の前では、カトレアは、自身の感情を隠すことが出来なかった。
彼女の傍らにいるとき、カトレアは本心から自由な精神で居られることが出来た。
自らを苛む死の恐怖も、みじめでちっぽけな自分の本性も、彼女には一切を打ち明けることが出来た。
そして、その度に彼女は、カトレアの大好きな歌を歌ってくれた。

彼女と共にある時のカトレアは、甘えん坊で泣き虫な、どこにでもいる七歳の少女だった。

なぜ自分は『彼女』の前では、こんなにも自由にいられるのだろうか?
幾度の思案の末、幼いカトレアは、彼女が自分の使い魔だからだろう、と結論付けた。
自身と感覚を共有できる唯一の存在。
死の恐怖も、孤独のみじめさも分かり合える唯一の存在だから――と。

そんなカトレアの推測が、自分勝手な都合の良い妄想に過ぎなかった事を思い知らされたのは
その年の、夏の終わりの事だった……。

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「――まったく…… 何を考えているのかしら ちびルイズったら
 よりにもよって あんなワケの分からない平民となんて……」

沈黙に耐えかねて、と言った風に、エレオノールが独り言を漏らす。
その言葉に、母・カリーヌの眉がピクリと動いたが、特に窘めるでも無く、視線を取り皿へと戻した。

渦中の人物であるヴァリエール家の三女・ルイズの姿はそこには無い。
彼女はその日の朝、両親と長姉の猛反対を押し切り、平民の使い魔と共に屋敷を飛び出したのだ。
無鉄砲で危なっかしい世間知らずの末娘は、それ故に、家族全員から愛されていた。
彼女ひとりが欠けたばかりに、豪勢なはずの晩餐も、すっかり味気ないものとなり果てていたのである。

「でも、しょうがないわ。エレオノール姉さま」

そんな微妙な雰囲気を知ってか知らずか、カトレアが呑気な声で口を挟む。

「彼女も、もう子供じゃないもの
 私たちの庇護を離れて、一人立ちをする時が来たんだわ」

「あら、随分と利いた風な口を利くじゃないの?」

むすっ、と、エレオノールが咎めるような視線を向ける。
当然であろう。
ルイズの使い魔を焚き付け、彼女達のヴァリエール家脱出のための手筈を整えたのは
他ならぬカトレアだったのだから。

「……確かに、今日のあの子は、いつもと違うとは思ったわ。
 私やお父様の前でも物怖じせず、ハッキリと自分の意思を語って見せた。
 得意な系統に目覚めたと言っていたし、
 言葉の端々には、何らかの自信すらも感じられたわ」

長女の観察眼に、公爵が目を細める。
末娘の見せた成長は、父親として喜ばしい事であったが、
その結果、親子の道を違える事になろうとは、と、運命の皮肉を思わずにはいられなかった。

「――でも、それだけ、それだけよ!
 向こう見ずで危なっかしい所は、昔から何一つ変わっちゃいない
 姫殿下から余計な名誉を賜ったばかりに、今のあの子は、地に足がついちゃいないのよ」

エレオノールの言葉には、カトレアも頷かざるを得ない。
カトレア自身、ルイズが戦場に赴く事を肯定しているわけではなかった。
今日、理想を胸に郷里を後にした少女が、明日には異国の地で屍を晒している可能性だって、十分に考えられた。

「それなのに、あの子が家を出るのを助けるなんて……
 一体、何を考えているのよ、カトレア?
 あなたは良かれと思って動いたのかもしれないけれど
 それは決して、ルイズの為にはなりはしないのよ」

エレオノールの事を、カトレアは立派な姉だと思う。
病弱な次女に対する負い目からなのか、物心付いた時より、彼女は両親から強く叱られた事が無かった。
自然、彼女が過ちを起こした時にそれを窘めるのは、長女であるエレオノールの役割となっていた。

カトレアの事ばかりではない。
エレオノールはルイズに対しても、ある程度の距離を保って接していた。
ルイズを愛し、その将来を真剣に考えているからこそ、彼女の前では怖い姉を演じているのだ。
その点に関しては父母も同様であり、
それぞれに差はあれど、皆が可愛い末娘の未来を案じて行動していた。

自分にはとても真似出来ない、とカトレアが苦笑する。
彼女に出来る事は、最愛の妹を際限なく甘やかす事だけであった。

「――ええ、勿論あれはルイズのためではないわ」

予想外のカトレアの言葉に、エレオノールが思わず面食らう。
両親も思わずナイフの動きを止め、朗らかな次女の笑顔をまじまじと見つめた。

「あれは私のため
 ヴァリエール家を飛び出したあの子が、一体何を成すのか?
 私が見たかったのよ、お姉さま」

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――その夜、カトレアはなかなか寝付けなかった。

昼間目にした、希望に満ち溢れた少年少女の後ろ姿が、
目を閉じていても尚、瞼の裏にはっきりと思い浮かび、年甲斐も無く胸をときめかせるのである。
その後の晩餐の際の、目を丸くした家族の顔も傑作だった。

(どうしたって言うのかしら? まるで、童心に帰ったみたい……)

悪戯好きの童女のような心の高ぶりに、思わずカトレアが自嘲する。
それでも、暫くは布団の中で大人しくしていたものの、
胸の鼓動は興奮で高鳴り、体は熱くなるばかりであった。

寝静まった動物たちを起こさぬよう、カトレアはそっとベットから降りると、
寝巻の上から外套を素早く羽織り、静かに部屋を後にした。



人気の無い夜のヴァリエール邸は、日中とはまるで異なる趣を見せる。
名門貴族の風格を漂わせる重厚な建物が、見る者に無言の圧迫感を与える。

幼い頃のカトレアは、幽霊が怖くて仕方なかった。
夜中に目を覚ますのが怖くて、寝る前は極力水分を取らないようにした。
『彼女』と出会ってからは、その華奢な体に必死にしがみついて、薄暗い廊下をおっかなびっくり歩いた。

今はもう、幽霊は怖くはない。
ただ、幼き日々の残照に、ちくりと胸が疼くのみである。

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心赴くままに邸内を散策するうち、いつしかカトレアは外へと出ていた。
双月を携えた澄明な池の輝きが、カトレアの瞳を引き寄せる。

あの日以来、足を運ぶことがめっきり減った、うらぶれた中庭――。

今朝方、若い主従が互いの想いを確認しあった最初の場所……。
同時にそこは、十数年前、自分と『彼女』が最後に月を見た、思い出の場所でもあった。

あの日の光景が、カトレアの脳裏に鮮明に蘇る。

温暖なトリステインでは珍しい、底冷えするような冬の日の事だった。
はらはらと舞う粉雪が、双月の光できらきらと瞬き湖面に落ちる、
まるで、この世のものとは思えないような、幻想的な光景だった。
常とは逆に、カトレアは『彼女』を膝に抱え、飽くる事なくその世界を見つめ続けていた。

――あの日、カトレアは歌えなかった。

童女のような透き通る声で、『彼女』はメロディを刻んでくれたが
カトレアの胸は悲しみで溢れ、ただ嗚咽の声が漏れるのみだった。

(今なら、歌えるかもしれない……)

不意に、カトレアはそう思った。
カトレアが歌おうとしているのは、いつもの子守唄ではない。
ただ一度だけ『彼女』が聞かせてくれた、思い出の歌であった。

だが『歌える』が『歌おう』に変わった瞬間、カトレアの体がピタリと凍りついた。
カトレアにとってその歌は、本当に大切な思い出そのものであった。
丁寧に、大事に歌い上げねばならない、そんな想いが、カトレアを臆病な少女にした。
膝がふるえ、声が出ない。
あの日のような冷たい旋風が、カトレアの情熱を奪い去っていく。

その時だった。

吹き抜ける風の中に、カトレアはピアノの音を聞いた。
『彼女』の弾くピアノの音色だった。
ピアノの旋律は風に乗って虚空に広がり、思い出の伴奏を奏で始める。

たちまち、カトレアの胸に熱いものがこみ上げ、双眸に涙からあふれ出した。
激情が、郷愁が、喜びが、悲しみが全身から吹き出し、ほどけたカトレアの魂が、空の彼方へ飛び散りそうになった。
カトレアは両足に力を込めて大地に踏みとどまり、拡散しようとする想いを必死でかき集め……

――気付いた時には、その歌を、無我夢中で歌っていた。

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――果樹園に倒れていた『彼女』を最初に発見したのは、姉のエレオノールであった。

カトレア付きの高名な医師たちが、入れ替わり立ち替わり彼女を看た。
そして、そのいずれもが首をかしげた。
彼女には目立った外傷は無く、体内の水の流れにも、一切の異常が見られなかった。
そして、にも拘らず、彼女は穏やかに眠り続けた。
毒入りの果実を口にしてしまった、御伽噺のヒロインのように……。

一昼夜眠り続けたのち、やがて、彼女は眼を覚ました。
握り締めた指先が、ピクン、と動くのを感じ、徹夜で看病を続けていたカトレアも跳ね起きた。

泣き腫らし、真っ赤に充血した少女の瞳と、病人特有の熱っぽいうるんだ瞳が交錯した。
そして、その瞬間、カトレアの中でわだかまっていた疑問の全てが氷解した。

何処か遠くを見つめるような『彼女』の瞳、その視線の先にあったのは彼岸だった。
或いは、彼岸の地に立って現世を眺めていたのかもしれない。
彼女が他人に限りなく優しいのは、この世に対する一切の執着が無かったからだ。
そして、彼女と死の恐怖を分かち合えたのは、彼女が誰よりも死の傍にいたからだったのだ。

理由も原因も一切が分からないが、『彼女』自身は知ってたのだ。
近い将来、彼女の命は……。

「……【再生時間】ガ オワルノ……」

「……えっ?」

「アイレン、ワタシハ【愛人】
 アノコノ…… ソシテ アナタノ……」

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あいれん【愛人】[ai-ren]

終末期の患者の精神的救済を目的とした擬似的な配偶者、
恋人のような役割を果たす。俗語。

正式名称 AGH-RMS『精神的援助用再生人造遺伝子人間』

愛人の素体となるのは、何らかの社会的な理由で存在を許されず
凍結処置を施された人造遺伝子人間達である。

愛人として再生を受ける際、その元の記憶は抹消され
インプリンディングされたケミカル人格により、無害で愛しやすい存在へと生まれ変わる。

テロの自爆要員か、犯罪組織の人殺しか、ワイロ用の売春婦か、或いは、用済みになった誰かのレプリカか……。
愛人になる前の『彼女』が何者だったのかは、彼女自身も知らない。

そして、その存在理由ゆえに、愛人は長くは生きられない。
彼らが役目を終えるであろう期間を過ぎると、急速に死のプログラムが発動し、その生涯を閉じる。
個体差はあるが、再生時間は長くて十か月――。




幼いカトレアには、彼女の言葉の全てを理解する事は出来なかった。
一つだけ分かったのは、彼女が『かわいそうな人』だという事だった。

誰かの都合で、この世で生きることを許されなかった。
誰かの都合で、別人にされて生きねばならなかった。
誰かの都合で、死なねばならなかった。

そして、そんなかわいそうな愛人たちの中でも、彼女は特に不幸な存在だった。

彼女の【対象者】は、十歳にも満たない少年で、
そして……、彼女が思っていたよりも、ずっと早く、死んだ。

世界中の人間たちが、よってたかって彼女の事を『かわいそうな人』にした。
カトレアもその一人だった。
カトレアがそう望んだから、一人で死ぬ事が出来なかったから……、
そのせいで、彼女は人生の最期を、見知らぬ異郷の地で迎えねばならなかった。

「酷いよ……
 そんなの…… そんなのってないよ……」

ぼろぼろと大粒の涙を流す少女の髪を
どこか困ったような表情で、彼女が撫でる。

「カトレア ワタシハ シアワセ……」

「嘘だよッ! そんなの」

カトレアが叫ぶ。
地上に生を受けた者が、平等に死を迎えるという事は、概念的には勿論知っていた。
だが、自分以外の人間が、本当にこの世からいなくなるという事実を、カトレアは初めて実感をもって理解したのだ。
生まれて初めて、カトレアは自分ではない誰かの為に泣いていた。

「これから……、これからだよ、アイレン
 私が、私があなたの病気を治すから!
 たくさん勉強して、たくさんの魔法を覚えて
 きっと、あなたの体を治療できる魔法を見つけてみせるから!
 あなたの事を、幸せにしてみせるから
 だから! だから……」

「…………」

「だから…… いやだよぅ……
 死なないで……死んじゃ、いやだよ、アイレン……」

「ダイジョウブ」

彼女は、泣きじゃくるカトレアを胸元に抱き寄せると、
まるで、何かのおまじないのように、その奇妙な言葉を口にした。

「アナタガ シンデ シマオウト
 ワタシガ シンデ シマオウト
 ソンナノ タイシタ コトジャナイ……」

 ・
 ・
 ・

――泣き疲れて、眠ってしまっていたのか、

カトレアが目を覚ました時、傍らに『彼女』の姿は無かった……。

ぞっ、とする程の喪失感が、たちまちカトレアの胸を締め上げる。
心音が半鐘のように高鳴る。
慌てて周囲を見回す、彼女はいない。
勢いよくドアを開け、闇夜の廊下を駆ける。
そうしなければ、恐怖と孤独に押しつぶされ、気が狂いそうだった。

――ポロン、と

不意にカトレアは、彼方からのピアノの音を耳にした。

(アイレンだ!)

迷いもせず、一心不乱にカトレアは走った。
月明かりに照らされる渡り廊下を駆け抜け、息せき切って中央の広間を目指した。
ピアノの音は徐々に大きくなり、一つの旋律となってカトレアの耳に届きはじめた。
暗い廊下の先に差し込む光の中に、彼女の横顔が見えた。

「アイレ……」

そう叫び、広間に飛び込もうとしたカトレアだったが……
彼女の歌に圧倒され、カトレアには、部屋の外で立ちつくすことしかできなかった。

透き通る童女のような声が、広間に満ちる。
それは、カトレアが初めて聞く歌だった。

初めは静かに、落ち着いた歌い出し。
メロディは甘く優しく、そして時折、不思議な笑いを含む。
清流が交わり、うねりながら一つの大河に導かれていくように、
伸びやかな彼女の歌声が自在に変化し、その内に、徐々に大きなパワーを持ち始める。
時に美しく、それでいて、どこか猥雑な響き。
まるで、彼女の為にあつらえたとしか思えないような素敵な歌。
にも拘らず、なぜかカトレアには、その響きが彼女にふさわしく無いようにも思えた。

その歌詞の意味をカトレアが理解できていたなら、卒倒していたかも知れない。
その歌は、『彼女』のいた世界の、古い古い時代の歌。
苦しい愛欲の果てに、恋しい男を殺してしまった女の歌。
血を吐きながら夢を見る、心の壊れた女の歌う――、


 ~ 清らかな天使たちにだって 胸を張って大声で言えるわ

      生まれてきて良かった あたしいま しあわせよって ~


――美しい、喜びに満ちた生命の歌だった。


『彼女』が笑う。
一点の曇りも無く、可憐な少女のように。
この世に生まれた喜びを、圧倒的な力に変え、生命の讃歌を全身で奏でる。

カトレアが感動に震える。
それは誰の為でもない、彼女自身の為の歌だった。
用済みになった人造遺伝子人間の歌うラブソング……。
どのような悲惨な現実も、彼女の事を『かわいそうな人』にする事は出来なかったのだ。

かわいそうなのは、彼女を貶めようとしたカトレアの方だった。
今のカトレアには、たとえ自分が、この先百年生きたとしても、
彼女のように、心から笑える日は来ないように思えた……。


 ~ 世界が死にたえようと
   あなたが死んでしまおうと
   あたしが死んでしまおうと
   そんなのたいしたことじゃない

   そんなのたいしたことじゃない ~

 ・
 ・
 ・

「アイレン……」

緊張した面持ちで、カトレアが一歩を踏み出した。

『彼女』は、そんなカトレアの仕草を、どこか遠くを見るような瞳で見つめていた。

「私も…… 私も、あなたみたいに、なれるかな……?」

彼女は、カトレアの言葉に答える代りに、その小さな体を抱き寄せた。
いつもとは違う、痛いぐらいに力強い抱擁だった。

「【愛人】ニナッテ ウタヲ シッタ
 アノコト アエタ
 ミンナト アエタ

 ソシテ アナタニ アエタ……」

「…………」

「カトレア……
 アナタニ アエテ ヨカッタ」

カトレアの中に、言葉に出来ない温かな想いが満ちる。
『彼女』と出会えたカトレアは、既に、惨めな存在である筈がなかった。

「うん…… わたしも、そう思う」

きゅ、と、彼女の体を優しく抱き返すと、
やがてカトレアは顔を上げ、小さく笑って言った。

「これからは、私が
 私が、あなたの【愛人】になるわ」

 ・
 ・
 ・

――風がやみ、中庭には静寂が戻った。

「……歌えた」

はずむ息を整えながら、カトレアが自然に呟く。
胸の高鳴りは未だ止まない、圧倒的な喜びに、カトレアの全身が打ち震える。

「あ……」

不意に、カトレアの視界に煌めくものが見えた。
それは、何処かの世界の、どこにでもある食卓の風景だった。



女の方は、妙齢をやや過ぎた感のある女性だ。
笑うと口元に小じわが浮かぶが、まだまだ往年の美貌は衰えていない。
きっと若い頃は、誰もがはっと息を呑むほどの、絶世の美女だったに違いない。

男の方は、まだ青年というにも心もとない若者だ。
女の真摯な視線を受け、照れ臭そうに顔をそらしている。

姉と弟、いや、あるいは親子ほどにも年の離れたふたりだが、彼等は恋人同士なのだ。
神の前で互いの愛を誓い合う日も、そう遠いことではないだろう。

カチャリ、と、男がスプーンを動かす。
女はぐぐっと顔を寄せ、真剣な面持ちで男を見つめる。

もぐもぐと、わざとゆっくり時間をかけ、男が料理を飲み込む。
緊張が続く。
長い長い沈黙の果て、俯きながら、男が小声でポツリと言う。
「うまいよ」と。

それを聞いて、女はまるで少女のように、可愛らしい笑みを満面に浮かべるのだ……。




「なんて…… なんて、ステキな嘘……!」

全ては幻。
カトレアの見た、カトレアの思い描く空想。
どんな魔法を使っても消す事の出来ない、カトレアの祈り。

何故だかふと、カトレアは生きられる気がした。
あるいは、『彼女』が命を分けてくれたのではないか?
ひょっとしたら、しわくちゃの小さなおばあちゃんになるまで、カトレアは生きるかもしれなかった。

「ありがとう…… ありがとう、私の愛人」

カトレアの呟きは風に乗り、遥かな虚空の彼方でかき消えた……。

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