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ゼロの魔王伝-10



ゼロの魔王伝――10

 触れられたものが、一生その思い出を糧に生きる事さえできそうなほど美しい指が無造作に倒れた机を掴み、小枝を拾う様に軽々と持ち上げるや、隅の方へとのけて行く。
 硝子の破れた大窓も枠ごと桟から外し、そこら中に散らばっている瓦礫の破片や割れた窓硝子に足を取られる事もなく、机と同じように一か所に集めていた。
 ルイズの『錬金』の魔法によって、教壇を中心に爆発が起きた後の教室である。罰として魔法の使用を禁止した上での教室を命じられていた。
 もっとも、ルイズはまともに魔法を使う事が出来ないので、魔法の行使を禁止されてもたいした意味はない。
 ルイズの使い魔たる黒衣の美麗無双の美丈夫は黙々と、それこそ言葉を母の子宮に置いてきた様に体を動かしているきりだ。
 何も言わず、何かを考えているようにも見えず、散らかっている教室を淡々と片付ける機械的なその姿は、歴史の陰に名を捨てた錬金術師が持てる技術と知識の粋を込めて生みだしたゴーレムに、声を司る黄金の声帯を入れ忘れでもしたようにも見える。
 不平不満の一欠けらも、慰めの言葉も、侮蔑の視線も、何一つルイズによこす事はない。あるいはそれらを向ける価値さえもルイズにはないのかもしれなかった。
 いっそ、罵倒してくれれば、いっそ、失望した色を見せてくれれば、いっそ、呆れたようにしてこちらを見てくれれば。
 そう、なにか感情の動きを見せてくれれば、これほど惨めな気持にはならないのに――ルイズは、チリトリと箒を動かして細かな破片を集めながら、縋るように、怯えを交えた視線を時折Dへと向けていた。
 自分が使い魔にして良いのかと、おそらくハルケギニアのメイジ達の中でも唯一使い魔との契約を遠慮したメイジであるルイズは、その幼い乳肉がなだらかな丘陵を描く胸元に苦しみを一杯に溢れさせていた。
 使い魔の目の前で良い所を見せようと燃やした闘志は無残な結果に終わったこと以上に、それに対して何の関心も見せぬDの態度に怯えて、不安に震えていた。
 これまで朝起きてから食堂に行くまで自分の言う事を聞いてくれた事で、少しいい気になっていたのは否めない。
 美しさを語る言葉の虚しさばかりが募るDの美貌、どう考えても普通ではないと分かる骨まで緊縛してくる氷結の気配。
 メイジではない以上平民であろうはずなのに、どう考えても平民とは思えぬその尋常ならざる雰囲気に、使い魔としての不満など露ほども抱いてはいなかった。
 だが、今、ルイズの目の前に在るのは何の感情も感じさせず、美しすぎるが故に言い知れぬ恐怖を見る者の心に呼び起す別の何かだった。
 無論、Dは常と変わらない。昨夜、目を覚ましてから今に至るまで、彼自身は格別ルイズに対する態度を変えてはいなかった。
 Dに対する評価がルイズの中で変わっているのだとしたら、それはルイズの眼に、ルイズ自身によって何らかのフィルターが掛けられたからだろう。あるいは、Dという青年の心根をわずかなりとも理解してしまったからか。
 一通り目立つゴミを片付け終え、床を汚す塵や埃もルイズが掃除し終えた頃、Dに背を向けていたルイズの肩がやにわに震えだした。
 最初は小さく、仔細に観察せねば分からぬほどかすかな震えは、次第次第に大きくなり、嗚咽とも慟哭とも取れるものを必死に堪えているのが分かる。 

「ねえ、どうして何も言わないの?」

 耳を打たれた者が足を止め、悲嘆に暮れる心のまま見つめる事しかできぬような声。ルイズの小さな手が、真っ白に染まるほど強く握りしめられていた。
 きり、と爪が肌に食い込み、赤い筋を刻む音が聞こえる様。
 たいしてDは無言。冷たくも暖かくもない視線をルイズの震える背に向けたきり。やはり、何も言わず、何も語らず、何も思わず、何も浮かべず。
 Dよ、お前に心はないのか? 震える感情は? 思い浮かべる思い出は? 目の前の涙を流さずに泣く少女を思いやる、人間なら誰だって持っている筈の当たり前の気持ちは?
 Dよ、その美しさの様にお前は当たり前の人間の心を持たぬのか?


「ねえ、何か言ってよ。魔法が使えないのかって、失敗ばかりなのかって、馬鹿にするのでもいい。
 頑張れって、諦めるなって、励ましてくれるのでもいい。ゼロのルイズは、魔法が成功しないからかって、聞くのでもいい。
 何か言ってよ。何も思わないの? 自分の主人がこんな落ちこぼれで嫌にならないの? 
 こんな私に使い魔扱いされて怒っているんじゃないの? 惨めだなって思わないの? 悔しくないの? 
 ねえ、どうして何も言わないのよ。それとも……私なんか、どうでもいいから? どうだっていいから何も言わないの? 私の言う事を聞いてくれた事も、私と契約してくれたのも、なにもかもどうでもいい事だったからなの?」
「…………」

 沈黙がそれを肯定した。Dにとって、ルイズは自分を元の世界へ返す約束をした少女であるという以上の価値はなく、またそれ以下の価値もない。
 成績がどうだろうと、友人関係がどうであろうと、家柄がどれだけ高貴であろうと、その心にこれまでどれだけの苦しみと負の感情を抱いてきたのであろうと、自分を呼び出した責任を全うし、送り返す事にしか、価値も意味も見出していない。
 詰る所、約定さえ果たされれば、ルイズの涙も、怒りも、悲しみも、嘆きも、憎悪も、何もかもが関心の外にあると言っていい。おそらくは、その生死さえも。
 自分を元の世界に帰す、その約束にしか、自分は価値を認められていないのだと、、沈黙の時の中でルイズにも分かった。
 ルイズは、一度だけか細くしゃくりあげると、激情を爆発させる素振りもなく、むしろ落ち着き払った声で言った。背をDに向けたままだった。

「もう、掃除はいいから。私、食堂に行く。貴方は好きにしていて」

 掃除用具をまとめて抱えて、ルイズは教室を後にした。一度も、Dを振り返る事はなかった。孤影悄然と、森羅万象、時の流れにも忘れられたように教室に佇むDに、左手の老人が声をかけた。

「お嬢ちゃん、お前の名前を呼ばんかったの。お前が名乗ってからはあんなに嬉しそうにD、Dと呼んでおったが。ちと冷たくし過ぎではないか? お前は、もう少し女子供に甘いと思ったが?」

 親鳥を呼ぶ雛鳥の様に、あるいは雨に打たれながら誰かのぬくもりを求めるように鳴く子犬の様に、ルイズは飽きる事無くDの名を呼んでいた。
 胸中に抱く何もかもに対する不安と恐怖の反動故か、唯一魔法を成功させたという事実の証明であるDに対し、そうだと、君は魔法を成功させた、君はゼロではないのだという答えを求める様にDの名を呼んでいた。
 父を呼ぶ娘の如く、兄を呼ぶ妹の如く、憧れの人を呼ぶ少女の如く、騎士を呼ぶ姫君の如く、しかし、そのいずれでもない声で。
 肉親を呼ぶ声と言うにはどこか一歩を踏み出せずにいる距離を隔てた遠慮がある。憧れの人を呼ぶ声と言うには胸の高鳴りが冷たい。忠義の騎士を呼ぶ声と言うには縋る様に弱々しい。
 だが、そのルイズに対してDが告げた答えは沈黙が肯定する無関心。
 普通の心の持ち主であるなら、いや、人間であるなら少なからず同情や憐れみの念を、あるいは唐突な事態に対する憤りや怒りを抱いてもおかしくはないというのに、Dの心にはそれらが何一つ、欠片ほども浮かんではいないようだった。
 Dが、ルイズが閉じていった教室の出入り口のあたりの床の一点を見つめた。果てしない宇宙の闇を凝縮させて閉じ込めたように深い漆黒の瞳は、しばしそこを見つめ続けていた。
 きらりと慎ましく陽光に輝く何かがあった。左手が物憂げに呟いた。

「涙か」

 堪え様として堪え切れず、教室を出る時にルイズも知らぬうちに流した一滴の涙の粒であった。
 床に落ちて弾けた涙の痕が、悲しみも嘆きも恐怖もない澄み切った輝きを放っていた。流れた涙の主の心も、そうであれたなら、どんなに救われた事だろう。

「……」

 しかし、なお、Dは無言であった。過ぎたる美は、その持ち主から人の心を奪うのか、Dがルイズの後を追って食堂に向かう事はなかった。


 瞳からこぼれ落ちそうになる涙を、ルイズは流すまいと必死に歯を食いしばり、眉根を寄せて堪えていた。
 自分が呼んだ使い魔の本音を知り、自分がどれだけ道化として振る舞っていたか、少なくともDの瞳にはそう映っていただろう事を思い知らされた。
 悔しいのか、悲しいのか、怒っているのか、嘆いているのか、後悔しているのか、恥ずかしいのか? そのどれでもないのか、自分の心の事が、ルイズには分からない。
 掃除を終えて、中天に太陽が燃える時刻。一層輝きを増す陽光が窓辺から射し恵み、石造りの学院校舎の冷たさを払拭し、オレンジとも金色とも見える光がぬくみと共に校舎に光と熱の化粧を施している。


 その陽光のカーテンを切り裂くような勢いでルイズは足早に歩いていた。じっと俯き、流れようとする涙を必死に堪えている。

――なによ。

 おはよう、と朝の挨拶をしてきたDの声が聞こえた気がした。

――なによ、なによ。

 Dだ、と自分の名前を告げた時のDの横顔と声が蘇った。

――なによ、なによ、なによ。

 おれはなにをすればいい、と使い魔としての役割を訪ねてきた時のDの顔と声が思い浮かんだ。

――本当は、私の事を馬鹿にしていた。違う、馬鹿にさえしていなかった。私がDの言葉に、行動に、騒いだり慌てたりするのもどうでもよかったんだ。
 私なんか、どうでもいいから、私が何をしても関係ない。気にしない、怒りもしない。Dにとって、私はそこらへんに転がっている石ころと変わらないんだ!

 誰かに認めてもらう事を強く願っているルイズにとって魔法を成功させた証明そのものであるDに好意どころか、考えようによっては嫌悪や憎悪、怒りよりも残酷な、無関心と言う態度を取られていたという事は、到底耐えがたいものだった。
 好意を抱かれていない。それは仕方ない。ルイズにもルイズなりの事情があったにせよ、Dの事情を一方的に無視して召喚してしまったのだから。
 嫌悪されている、あるいは怒りを抱かれている。それも仕方がない。DにはDの生活があったろう。聞けばある男を探しているという。元の場所ですべきことや帰りを待っている人がいるのかもしれない。
 それを考えれば、Dの意思を無視して拉致したも同然、しかも変える方法が分からないと告げるしかない自分を嫌うのは、むしろ当然の事だろう。
 だが、Dはルイズに対してそれ以前のレベルで接していたのだ。人間と人間との関係の中で、無関心ほど希薄な者が有ろうか?
 好意を抱く相手ならば、その相手に不幸が訪れれば胸が痛み、悲しみや同情をおぼえるだろう。時には涙を流す事もあるだろう。
 嫌う相手ならば、その相手の幸福を妬み、嫉み、あるいは憎しみを抱くかもしれない。
 だが、無関心は。相手がどうなろうともどうでもいい、そんな考えは感情でさえ無い。ある種相手の存在や人格と言ったものを認めていない、拒絶ではないか。
 どうでもよいからどう思われようと何をされようと構わないという、何事も受け入れるかの如き姿勢は、しかし同時に拒絶と背中合わせでもあるのではないか。
 そしてルイズにとってDの無関心は、その心を体ごと引き裂かれるような痛みを伴うものだった。
 今のルイズを形作る最大の要因となった、ゼロと言う名の劣等感にも等しい苦しみ。
 ルイズの足が止まり、力無く壁に肩を預けた。俯いていたルイズの瞳から、一つ二つと、廊下に落ちるモノがあった。
 一人の少女の悲痛を知り、慰める様に降り注ぐ太陽の光の中を宝石のように煌めき、廊下に落ちては飛沫となって弾ける涙。清らかに輝くそれは、しかしルイズの胸の中で溢れる悲しみや、苦しみや、痛みや、自嘲が外に溢れたものであった。

「なによ、なによぅ……。私一人だけ、怖がったり、喜んだり……馬鹿みたいじゃない。使い魔にまで、Dにまで、馬鹿にされたら、見捨てられたらどうしようって、怖かったのよ?
 メイジが、使い魔に、見捨てられるなんて、在り得ないけど……ゼロの私なら、そうなっちゃうかもって、怖かったのよ。怖かったの。
 なのに、D、貴方はそんな私のことなんかどうでもいいって……。そんなの、そんなの、もっと、ずっとひどいわ。なによ、なによ、Dの……馬鹿」

 この学院に来てからのルイズを知る者が見たならこれは夢だろうかと疑う事だろう。今にも膝をついて人目を憚らずに泣き出してしまいそうなほどに、ルイズは次から次へと、堪え切れぬ涙を零していた。
 白磁の陶器を思わせるルイズの頬が、うっすらと赤に染まり、その頬をきらきらと輝く跡を残して涙の粒が飽くる事無く流れて行く。
 喉の奥からかすかな嗚咽が、止む事を知らぬように次から次へと零れ出て、ルイズの周囲の世界を憂いを帯びたモノへと変えていた。

「ひっく、うぅ……ばか、ばか、……でぃ、Dのばか………………わたしの、ばか」

 十分か、三十分か、一時間か。幸い人の通る事はなく、ルイズが咽び泣く姿が事情を預かり知らぬ誰かに目撃される事はなかった。
 泣き腫らした両眼を手の甲で力無く拭い、ルイズは再びとぼとぼと歩きはじめた。世界中の嘆きや悲しみが、ルイズの背に圧し掛かっているかのような責め苦に苛まれている姿だった。

「部屋には……戻りたくないな」

 Dが、いるかもしれない。Dが、戻ってくるかもしれない。今、Dには会いたくなかった。声を聞きたくはなかった。その姿を見たくはなかった。
 今朝までは自分の使い魔の名を呼ぶ事に心が弾んでいた。生きをする事さえ忘れるほど美しい青年が、自分の意を汲んでくれる事実に、我を忘れて喜びを覚えていた。
 なのに、ほんの数時間しか経っていないというのにルイズの心は負の感情が天蓋のように蓋をし、鬱欝と沈んでいた。
 この世に在るモノはすべて絶望だと悟ったように歩くルイズが、不意に目の前の扉から聞こえてくる喧騒に、瞳をあげた。自分が学院のどこを歩いているのかさえ分かっていなかったルイズだが、そこがどこであるかはよく知っていた。

『でね! キュルケのひいひいひいひいおじいさんの……』
『ここが食堂か?』
『え? あ、うん、ここが食堂よ。通り過ぎちゃうところだったわね。でも初めて来たのに良く分かったわね』
『食べ物の匂いと騒がしさじゃな。朝からずいぶんな馳走を口にしとるようじゃの』

 かつて交わした会話の残響が、まだそこにある様な気がして、ルイズはその頃に戻れたいいのにと、わずか数時間前の自分の無知を羨みながら、アルヴィーの食堂の扉を弱々しく開いた。
 昼餐の時刻とあって食堂の中は満員だった。壁際に控えた給仕たちは忙しく、しかしそのような素振りは見せずに、呼びつけてくる貴族の子弟たちの間を巡り、生徒達は名も知らぬ給仕たちの労を労う事もなく口と手を動かし続ける。
 そんな光景がルイズにはひどく色褪せて見えた。自分の心が今感じているモノが何か、ルイズにはよく分かる。
 “どうでもいい”、だ。アルヴィーの食堂を賑わす生徒達の声も、食器の擦れる音も、慎ましく、時に大胆に踊るアルヴィー達も、何にも心が動かない。

「Dは、こういう風に私を見ていたのね」

 くっ、とルイズには決して似合わない嘲りの笑みが、自分に対して可憐な唇を歪めて浮かぶ。
 連綿と古えから続く血統と歴史が培った精神、この二つの気高さを花開く前の蕾ながらも備えていたルイズの卑屈な笑みを見れば、あのキュルケもルイズに何があったのかと目を丸くして他意の無い慰めの言葉の一つも掛けた事だろう。
 食堂の中の光景や騒がしさの全てに背を向ける様にルイズは、自分の席に座った。すでに食前の祈りは済まされているのだろう、隣の席のマリコルヌやクラスメイト達は食事をはじめ、くだらない話に花を咲かせている。

「D、お昼は何を食べてるのかしら? ……やぁね、貴方が私に興味がないって解っても、私は貴方の事を考えているのよ」

 砂を噛むような痛みが変わった言葉は、そのまま暗い靄の様に変わってルイズの膝に落ちていてもおかしくはなかったろう。思い込みの激しい所があるルイズは、一度入り込んだ感情の迷路の奥へ、奥へと思考を沈めていた。
 もそもそと口を動かし、純銀のフォークやスプーン、ナイフで料理を切り分け、スープを掬って口に運び、歯で噛みつぶして嚥下する。
 食事と言う行動の動きのみを抽出した姿だ。食材と振るわれた料理人の技術に舌鼓を打ち、食べるという行為を楽しむ様子はない。これほど食事を振る舞う甲斐の無い相手はそうはいないだろう。
 今、ルイズが口に運ぶ料理がどれだけ美味であっても、またその逆に不味くても、ルイズにはどちらも変わらぬ事だった。
 食事を楽しみ、美味を喜ぶ心が沈み切っているのだ。それがどうにかならぬ限り、目の前の料理達は、わずかな意味さえ無い存在のまま皿の上から消えるだろう。
 鬱屈とした様子が、まるで光の届かない深海にでも囚われているのかと一瞬錯覚させるほどに沈んだルイズの耳に、クラスメイト達の下世話な話が聞こえてきた。
 聞きたくもないのに聞こえてくる会話の内容が、ルイズの思考にさざ波を打たせはじめた。
 やれ、どの女の子が本命なのだとか、美への奉仕者だとかなんとか、普段でも腹の立つような下俗の会話だ。ふつふつとルイズの感情の水面に細かな水泡が浮き上がり、ぱちん、ぱちんと弾けはじめた。
それは、Dの本音を知ってからルイズの中で重く沈澱していた怒りであった。ぎり、と我知らずルイズが奥歯を軋らせていた。

――私が、自分がどれだけ滑稽だったか思い知らされて、こんなに苦しんでいるって言うのに、アンタ達はそんなくだらない事で笑っていられるのね。


 それが八つ当たりだとは、ルイズ自身理解していたが、一度歯車が噛み合う様にして動き始めた怒りは、向けるべき相手ではないと知りつつも徐々に熱を帯びはじめる。
 そんな事をしてもますます惨めになると自分に言い聞かせてなんとか自制している内に、クラスメイト達の方では急展開が訪れていた。
先程から話の中心にいた生徒が、なにやら女生徒達に対して二股をかけていたようなこと露見し、二人の女生徒からなじられ果てには頭からワインを掛けられていた。

――いい気味ね。

 自分でも卑しいと思う笑みが、心の中で浮かぶ。こんな自分は、後で嫌いになるだけだというのに。それでも少しだけ、本当に少しだけ気分が晴れたルイズは、三分の一だけ手を着けた料理を残し、席を立ち上がろうとした。
 なんとはなしに振り返った視界に、給仕をしていたメイドを糾弾している件の生徒の姿が映った。
 少年――ギーシュが落とした香水の壜をメイドの少女が拾った事がきっかけで、ギーシュの女性交遊が露見してしまった事を、メイドの少女の責任として擦り付けているようだ。
 貴族と平民との間に存在する魔法と言う埋めがたい壁を知る少女は、哀れにも肩を震わせて頭を下げていた。瞳には涙さえ浮かべているかもしれない。
 その姿を見て、ルイズの中で沸騰しかけ、何とか沈められたと思っていた感情が堰を切って溢れた。
 ギーシュの振る舞いに、日頃から魔法が使えぬ代りに気高く在らんとしたルイズの中の“貴族”が反発したのかもしれない。
 非が無いにも拘らず貴族を前にしては意に従う他ない平民の姿が、平民同様に魔法が使えないにも拘らず大貴族の子息と言うだけで、こうして隔絶した生活を送れる自分を卑しく思わせたからかもしれない。
 あるいは、単にメイドに対して憐れみを覚えたからかもしれない。
 ルイズは自分の足が勝手に動いている事に気づいた。気付けば口が開き、何かを口走っている。驚いてこちらを見上げる黒髪のメイド、唐突な乱入者に気色ばむギーシュ。
 ルイズは、自分がひどくギーシュを怒らせる言葉を吐いている事を、ギーシュの顔色で知った。
 普段のルイズであったら、ギーシュが、ちょっと脅かそうと思っただけなのに思った以上に怖がっているメイドに対して、どうしようかと困っている様子に気づき、ここまで怒りを覚える事もなかったろう。
 だが、今のルイズは、普段のルイズではなかった。
 貴公子然と振る舞おうとしてあまり成功していないギーシュの顔が、ルイズの口が動くたびに恥辱の赤に染まり、怒りを募らせている。
 ギーシュを怒らせている自分を、ルイズはまるで別人のように見ていた。ギーシュの行為をきっかけに、本当はDか自分自身に向けるべき苛立ちや負の感情をぶつける愚かな自分。それを冷ややかに見つめている自分。
 ギーシュとメイドと、二人の何が自分をこうも捨て鉢にさせるのか、ルイズは嘲りの笑みと共に悟っていた。
 自分は、Dと、この二人の様に理不尽な糾弾を受ける事もされる事もない。その事に対する、醜い、あまりにも醜く哀れな嫉妬であった。自分で自分がどうしようもないほど下らない奴だと、笑ってしまう。

「決闘だ!!」

 我慢の限度を超えたギーシュが、食堂に居る皆に聞こえる様に叫んだ言葉を、ルイズはどこか遠い世界の出来事のように聞いていた。
 使い魔にさえどうでもいいと思われる自分だ。だったら自分自身さえもどうでもいいと思ったって仕方がない。
 ルイズの心はかつてないほど自暴自棄の念に囚われていた。


 息せき切ってこちらに向かって小走りに近づいてくるメイド――シエスタの姿を認めたDが、木陰に立ったままシエスタの到着を待った。教室でルイズと別れてから、これといってする事もなく、持ち物の点検も終えて、身を焼く陽光を避けていたのだ。
 足を止め、荒くなった息を整えているシエスタに視線を向け、無言で何か用かとDは問う。その視線に立ち眩みに襲われたようにシエスタは上半身を揺らしたが、気を取り直してDに向かって半ば叫ぶように告げた。

「ミス・ヴァリエールが大変なんです! あの、Dさんはミス・ヴァリエールの使い魔なのでしょう? だからお伝えしなくちゃって、私の所為で、ミス・ヴァリエールがっ」
「彼女がどうかしたか?」

 今日の天気を訪ねるような口調であった。この人、自分の主人の事が心配ではないのかしら、とシエスタは一抹の疑問を抱いたが、それどころではないと口を開く。

「ミス・ヴァリエールが私を庇ってミスタ・グラモンと口論になって、それが、決闘騒ぎになってしまったんです」
「……」
「ミス・ヴァリエールは魔法が使えないのにミスタ・グラモンの挑戦を受けて、今はヴェストリの広場で」
「彼女が自分の意思でした事ならば、おれが口を挟む問題ではない」
「ミス・ヴァリエールが心配じゃないんですか?」
「命の危険があるのか?」
「それは、学院の生徒同士ですし、命までは取られないと思いますけれど」
「なら、問題はあるまい。それに教師もいるだろう。いざとなれば彼らが止める」
「どうして、そんな風に冷たい事が言えるんですか。ミス・ヴァリエールの事をなんとも思っていないのですか?」

 シエスタの声にこたえる風もなく、その通りだと暗に告げているかのようなDの姿に、シエスタはこれ以上Dと話をしても無駄なのだと悟り、かすかな失望と憤りを胸に抱いて、馬鹿な決闘騒ぎを止めてくれる教師達を求めて踵を返した。
 Dは、シエスタのその背を一瞥したきり、木陰の下で世にもあり得ぬ美しい彫像と化したように動かなかった。左手の老人も揶揄する事はなかった。Dが動かぬと理解していたからだろう。


 物見高い暇な生徒達が十重二十重と輪を作ってヴェストリの広場で決闘を行っている二人を見守り、時に囃し立てていた。あまり日の射さない中庭には、金髪に色白のギーシュと対峙するルイズの影が落ちていた。
 両者の間には、金属の光沢を全身に持った彫像が一体あった。鎧兜で身を固めた戦乙女をモチーフとした青銅製の彫像である。
 その彫像『ワルキューレ』こそが、ギーシュの得意とするゴーレムであった。薔薇の造花を模した杖を片手に、ギーシュが愁いを帯びてルイズを見つめた。
 すでに決闘を始めてから、ワルキューレの拳や手刀を受けたルイズは、苦しげに呻いて立っているのもやっとと言った様子だ。
 絵にかいた美少女そのままの顔に、傷一つないのはギーシュのせめてもの配慮によるものだろう。

「ルイズ、どうか参ったと言ってくれ。言葉にするのが屈辱だというのならその杖を置いてくれ。ぼくは、魔法が使えなくても貴族足らんと努力する君の事が、嫌いじゃないんだよ。これ以上君を傷つけさせないでくれ」 

 聞き様によっては侮辱と取れるギーシュの言葉は、紛れもない真摯なものだった。少なくともこのギーシュと言う少年が、みだりに婦女子に暴力を振るう事を是とするような卑劣漢でない事は確かな事実なのだろう。
 多少、様々な女性に対して甘い声を掛けてしまうのは(成功するかどうかはまた別として)この少年の愛すべき欠点であったが、それでも女性に対して紳士的に振る舞おうという姿勢は確かなものだ。
 食堂でメイド――シエスタに対して明らかな八つ当たりをして、いたずらに怖がらせてしまった事は、ギーシュ自身その場でやりすぎたと思っていたし、ましてや同じ貴族たるルイズに暴行を加えるのを心苦しくも感じていた。
 それ以前に、ルイズは女の子ではないか。多少、どころではないが意地っ張りで癇癪持ちで、魔法が使えないと散々バカにされてもめげずに努力している。
 ギーシュはルイズとさして親しいわけではないが、悪口を真っ向から受け止めて倍に返し、普段の居振る舞いでは常に貴族らしく堂々としようとしているその姿勢には、好感めいたものを覚えていた。


「ルイズ、聞こえているのかい?」
「ええ、良く、聞こえているわ」

 ワルキューレに殴られたお腹がずきずきと痛む。蹴られた太ももが先程からじんじんと痛んで熱っぽい。
 ルイズの唱える魔法はどんなものであれ爆発と言う形で発生し、ルイズの狙い通りに行く事はなくワルキューレを爆破する事も、ギーシュを爆発で吹き飛ばす事もなかった。
 ルイズが魔法を唱えた数だけヴェストリの広場のあちこちに小さな爆発の後だけが穿たれ、ルイズの精神力を無為に消耗させてワルキューレからの手痛い反撃を招くばかりだった。
 最初は面白がって囃し立てたりもしていた周囲の生徒達も、流石に一方的な展開に興ざめしたり、同情の視線を向け、ルイズに早く降参しろ、負けても恥じゃないと声をかける者達もいる。何人かは決闘を止める為に教師達を呼びに走り去っていた。

――私、何やっているんだろう。Dにどうでもいいって思われているって気付いて自棄になって、メイドを庇ってギーシュと決闘の真似事なんてやって、こんな痛い目に遭って。本当、何をしているんだろう?

 体中のあちこちから聞こえてくる痛みの声を無視して、どこかぼんやりと、ルイズは今の自分の状況を、馬鹿みたいと笑った。

「なにが可笑しいんだ、ルイズ?」
「なにもかもがよ。そして、何よりも誰よりも、私自身が馬鹿だって分かって、可笑しいのよ」
「ルイズ、自分でもそう思うなら早く降参するんだ。これ以上は、ひどい怪我になるかもしれない」
「いやよ。あのね、ギーシュ、私は自分がどうしようもない馬鹿で道化みたいだって分かったけど、せめて自分の言葉に責任を持ちたいの。
私がなりたいと願う貴族は、そうでなければならないのよ。一度決闘と口にし、それを受けたからにはとことんまでやってからじゃないと、負けを認められないわ」

 なんだ、私にも譲れないものがあるじゃない、とルイズは体中の痛みと引き換えにして見つけたモノに気づき、今度はかすかに嬉しそうに微笑んだ。そのルイズの姿を見てギーシュは何を思ったのか、厳しいモノを顔に浮かべる。

「分かったよ。ぼくもグラモン家のはしくれ。やわか婦女子に後れを取ったとあっては末代までの恥。君の心が折れないなら、その杖を折るとしよう。
 それにしても、君の様に痛めつけられても同じことを言える貴族が、この広場にどれだけいるだろうね。それだけでぼくは君を称賛するよ、ルイズ」
「ギーシュ、今気づいたけれど」
「なんだね?」
「貴方、意外といい男ね。もっと軽薄な人かと思っていたわ」
「ぼくは君がここまで意地っ張りだとは思わなかったよ。それと、こんな時に何だが、褒め言葉をどうもありがとう。意外と嬉しい。……では、行くよ」

 来なさいよ、そうルイズが心の中で答えるのと同時にワルキューレが動いた。石畳を青銅の脚絆が蹴り、金属の軋る甲高い音を立ててルイズへと真正面から迫る。
 格別運動神経が良いわけでもなく、何度か殴られた痛みで体の動きが鈍いルイズには、疲れも痛みも知らぬワルキューレの動きは迅速に過ぎた。体は意思を裏切るように重く鈍い。
 視界の片隅で振り上げられたワルキューレの右腕が映った。これまで狙わなかった顔か頭だろう。これ以上下手に長引かせるよりは、とギーシュが考えたに違いない。
 手加減すれば、周囲の生徒達の水の治癒魔法で跡を残さずに治す事も出来るだろうし、これ以上体の方を痛めつけては骨が折れるかもしれない。この期に及んで自分を気遣うギーシュに、ルイズは苦い笑みを覚えた。

――まったく、ゼロだからって舐めるんじゃないわよ! 

 振り下ろされようとするワルキューレの右腕にルイズは自分からかじりついた。まさかルイズの方からワルキューレに飛びかかってくるとは思わなかったギーシュの反応は、数秒遅れた。

「どうせ爆発しか起きないんなら、それでどうにかしてみせようじゃない!」

 詠唱の短いライトを唱え、本来暗闇での光源を得る為の魔法はルイズの詠唱によって小規模な爆発となってワルキューレの背で起きた。

「ルイズ、まさか自分ごと!?」
「これだけ近ければいくらなんでも当たるでしょう!」

 ルイズを振りほどこうと身を捩るワルキューレの左腕がルイズの顔を打ち、鼻の奥から熱いモノが滴ってくるのをルイズは感じた。口の中にも零れてきたそれを吐き捨てながら、なんども詠唱し、その度にワルキューレとルイズの体は爆発に晒され揺れていた。
 生身のルイズと青銅で痛みを感じぬワルキューレならば、どちらの方が耐久力が上かは語るまでもないが、ルイズの爆発の特性がルイズに味方していた。


 教室で机を吹き飛ばしその衝撃で窓硝子を悉く粉砕するほどの威力を持ちながら、人間に対する殺傷力は極めて低いという、ルイズの失敗魔法の特性がワルキューレに痛打を浴びせながらも、ルイズにはわずかにしか作用しないのだ。
 ルイズが詠唱を数えて何度目か、ルイズは自分が必死の思いでしがみついていたワルキューレが異様に軽くなった事に気づいた。瞑っていた眼を開くと、背をぽっかりと抉られ、左腕が付け根からなく、顔も半分になったワルキューレの姿があった。
 ワルキューレに動く力が無いことを悟り、ルイズは一層痛みを増した体を剥がす様にして離れ、がらがらと耳障りな音を立てて崩れるワルキューレを見た。

「なんだ、ゼロでもできること、あるじゃない」

 自分自身が口にしている事に気付いているかどうかさえ怪しい言葉を、口にするルイズに、ギーシュが確かな称賛を交えて声をかけた。

「見事だ、ルイズ。正直な所、魔法の使えない君にワルキューレを斃されるとは思わなかった。考えようによってはその爆発が君の魔法だったか。その見事さに敬意を払う。ワルキューレ!」

 ギーシュが右手に握っていた薔薇の杖を振るうや散った花弁が地に落ちるよりも早く青銅の戦乙女へとその姿を変じる。
薔薇の花弁から生まれた人形達は全部で六体。先ほどルイズに壊された分を含め、合計七体のワルキューレがギーシュの最大の武器であった。

「ぼくの全力だ。ルイズ」
「ふうん、出し惜しみはなしね。だったら早くかかってきなさいよ」
「まったく、口が減らないな、君は」

 どこか愉快そうに呟くギーシュとは裏腹に、ルイズは流石にこれ以上は駄目かな、とどこか他人事のように思っていた。だが、決闘を始める前の陰鬱とした気分は随分と晴れやかだった。
 ワルキューレを一体とはいえ自分の力だけで倒したこと、痛みの中で自分の中に譲れないもの、折ってはならないものがある事を見つけられたからだろうか。
 少なくとも、今度はDと話す事を怖がらずに済みそうだ。ワルキューレの内の一体がルイズめがけて一歩を刻んだ。
 ルイズは朦朧としはじめた意識がふっと遠くなり、膝から力が抜けるのを感じた。慌てて力を込めようとしても、折れる膝はルイズの意思をわずかも反映してくれない。

「あっ」

 そのルイズの体を横から延びた逞しい左腕が支えた。漆黒の衣服から覗く左手には使い魔のルーンが刻まれ、白雪のきらめきを映した肌にアクセントとなっていた。

「D」

 崩れおちんとしていた自分を支えた腕の主を悟り、ルイズは、顔をあげて自分を見つめるDを見た。

「無茶をする」
「なに、よ。私の決闘よ。私が、私の意思で受けたのよ。それを止める権利なんて、誰にもないわ」
「そうか」

 ルイズはDの胸に手を突き、自分を支えるDの左腕から離れた。この使い魔に支えられる事無く自分の力で立っていたかった。
少しは主人らしくあろうというかすかな意地が、まだ自分の中に残っている事に気づいたからだ。Dに何を言うでもなくワルキューレに立ち向かおうとするルイズの右肩に、Dの左手が置かれる。

「使い魔は、主人を守るのが役目だったな」
「D?」
「君を守ると約束した」
「……でも、私の事なんてどうでもいいんでしょう? それにギーシュだって命まで奪おうとなんてしてないわ。むしろ私が大怪我しないように手加減してくれているのよ?」
「ルイズ」
「えっ?」
「任せろ」
「…………なによ、私が決闘しているのに、姿も見せないと思っていたら、こんな時になってから現われて、なによ、なによ自分勝手なんだから」
「親の躾が悪くてな」
「なにそれ、冗談?」
「好きに受け取ってくれ」
「分かった。でも、ギーシュとの決着は私が着けるから、貴方はワルキューレをお願い。どうにかできる?」
「問題ない」
「そう。ねえ、D?」

 視線だけを向けるルイズに、Dははにかんだ、幼い少女の無垢な笑みを浮かべた。

「ルイズって、名前で呼ばれて、すごく嬉しかった」

 そうほほ笑むルイズは、どこまでも可愛らしいことを除けば、ごく普通の少女にしか見えなかった。




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