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ゼロの魔王伝-04



ゼロの魔王伝――4

 いかにして彼らはハルケギニアに召喚されたか――吸血鬼ハンターの場合。

 西暦120XX年。南部“辺境”にて。
 稲光が月を覆い隠した分厚い雲を白々と染めては切り裂き、夜雨の中を飛ぶ飛行獣や無人戦闘爆撃機を貫き、轟く雷鳴は地に伏した妖獣や邪妖精たちの体をびりびりと震わせていた。
 時折天に走る雷竜に照らされて、緩やかな丘陵地帯に立つ古城のシルエットが照らし出される。一万数百年以上前にあった人類の中世時代、西欧で建造された当時の城郭を模したと思しい建築物であった。
 違いがあるとするならば、城を構成するのは全て自己再生機能を持った人造の模擬石であり、鉄鋲が幾つも打たれた鉄扉は、時に質量無限トンとなり、加えられる負荷を四次元方向にずらしていかなる圧力にも耐える空間操作技術の加護を受けていた事。
 また、静止衛星軌道まで射程に収める光学兵器群や大地の奥底を人間の血脈の様に縦横に走るレイ・ラインを応用した地殻変動・気象操作兵器や、電子集合体である不死の殺戮兵士達を万単位で備えていたことだろう。
 そして何よりも城の主が人間ではない事こそが、もっとも大きな違いであったに違いない。
二十世紀末、どこかの誰かが押した核ミサイルのスイッチによって地球環境は荒廃し尽し、避難シェルターに身を寄せ合ったわずかな人間たちのみが生き残った時代。
地上には核の放射能で誕生した汚らわしいミュータント達が跋扈し、宇宙の彼方から押し寄せたエイリアン達との闘争の歴史を紡ぎ、そして人類に変わり数千年の長きに渡ってある者達が地上の覇者となった世界。
 伝説にその姿をとどめるだけだった筈の夜の覇王種“吸血鬼”達が、自らを貴族と名乗り、その超魔術と超科学、そして種族的特性――不老不死、超知覚、吸血行為による他種の同種化、単純な生物としての能力値を持って人類を隷属化した惑星。
 しかし、今や再び人類が吸血貴族達から地上の覇権を取り戻していた。それでも尚、辺境各地にはびこるかつての支配者たちの恐怖を払拭すべく、人間達は貴族と呼ばれた吸血鬼達を執拗に刈り続け、それはある人種達を生む事になる。
 人間の限界を超えた超人を持ってしても尚滅ぼせぬ貴族、その貴族を滅ぼす超人を超えた超人――吸血鬼ハンターを。
 燭台に灯された青い蝋燭の炎のみが明かりとなった世界で城の主と、近隣の住人から主の討伐を依頼された吸血鬼ハンターとの死闘が、いままさに幕を下ろさんとしていた。
 ハンターの足を止めるべく放たれた改造妖獣たちやサイボーグ・マン、無人戦車などからなる刺客達は全て骸となり、血やオイルを流しながら城のあちこちに無残に転がっている。
 城の主は二メートル超の巨躯の、若い銀髪の青年の容貌を持っていた。貴族ならではの赤く爛々と輝く瞳には、今や濃密な滅びの光が浮かんでいる。
右手には空間断絶機能を持っていかなる物質も空間ごと切り裂く超科学の産物たる大剣が握られていた。
重く閉ざした扉を開き、姿を見せたハンターの正面からの一撃を受けた時、その刃は風の様に何の抵抗も見せる事無く切り裂かれ、今は床に突き刺さっている。
左手の薬指にはめていた黄金の指輪は、内蔵された反応炉のエネルギーを一千万度の熱量を持った金色の光線に変えてハンターを襲ったが、ハンターが掲げた左手の掌に吸い込まれ、夜の闇にも輝く白い肌を赤熱する事もなく無力化された。
 その指輪も今は肩から先を切り落とされて、たちまちの内に灰と化した左腕と共に床に転がっている。通常、貴族の備える再生能力は、たとえ五体を微塵に粉砕され、脳漿をぶちまけられ、四肢を寸断されてもほどなくして復活する機能を持つ。
 だが、目の前のハンターの振るった一刀を前にその再生能力は一向に機能せず、脳髄を沸騰させるがごとき苦痛が洪水のように絶えず流れこんでくる。

「ぐおぉぉおお!」

 野の獣も怯え震える吸血の魔王の咆哮は、しかし眼前に迫る自らの滅びに対しての恐怖で満たされていた。貴族の瞳の中のハンターが飛んだ。
 七メートルの距離を一瞬でゼロにする神速。下弦の月を白刃が描いた時、とっさに頭上に振り上げた大剣はさらに根元から切り落とされ、貴族の頭頂から腹腔までを情け容赦なく割った。
 ハンターはこれまでもこうして貴族を狩り続けてきたのだ。見る見るうちに灰へと変わり、滅びて行く貴族が最後の力を振り絞り、自分に滅びの運命を与えた刃を思い切り握りしめた。
 ぽとぽとと、芋虫の様に五つの指が落ちるのよりもわずかに早く、千人力を誇る貴族の握力に耐えかねた刃が微塵に砕けて、窓から差し込んできた稲光を反射させながら舞い散る。
 その最後の瞬間、貴族の口元に刻まれた笑み。ハンターが初めて声らしきものを発した。依頼を受け、この城の城門をくぐってから初めて出す声であった。
 ハンター一人の人影しかないのに、奇妙な事に声は二人分あった。

「いかんな。こやつの滅びと城の自壊がリンクしとる。まもなく半径百キロ圏内が原子炉の暴発に巻き込まれるぞい。後にはペンペン草一つ残らんわ。圏内の生命がすべて死に絶える」
「時間は?」
「ざっと一分。逃げるも止めるも厳しい時間じゃて。さてどうする?」
「……」

 沈黙のままハンターが背後を振り返り、城の地下に設けられた百基の原子炉へと足を向けた。

「止めるつもりか? 逃げる方が楽じゃが」
「圏内に依頼人の村も含まれている。報酬を受け取る前に死なれるわけにもゆくまい」
「ま、それもそうじゃな」

 きっかり三十秒後、地下のマグマ層に設けられていた動力室に辿り着き、転送装置から足を踏み出して、ハンターは動力炉の前に立った。半径十メートルほどのドーム状の一室だ。
 その中央に高さ一メートル、直径も同じく一メートルほどの円柱がぽつんと突き出ている。誰が想像し得ようか、百を超す原子炉がこの円柱の中にすべて収められているなどと。
 原子炉を内蔵した円柱以外他には何もなく、構造材そのものが発光しているのか動力室は銀色の光で満たされていた。
 ハンターが一歩を踏み出す。動力室の管理を司るコンピュータが照合するデータが無い侵入者に対して排除行動に出た。室内に散布してあるミリサイズの浮遊攻撃衛星に攻撃を命じ、ミクロンミサイルやナノ口径レーザービームが一斉にハンターに群がる。
 掲げられたハンターの左掌に横一文字の黒い亀裂が走るや、まるで生物の口の様に開いてぽっかりと開き、その内側に歪な歯の並びと赤い小さな舌が覗く。
 まっすぐに伸びていたレーザーもミサイルも衛星も、ハンターの左手に開いた口に吸引され、瞬く間にその数をゼロに変えた。

「それ急げ。残り二十秒」

 揶揄する様な声と共にハンターが歩みを再開し、コンピュータの敷いた防御壁と衝突した。空間を歪ませ、分子サイズまで分解してランダムに転移させる空間歪曲の防御壁であった。
 ハンターは先ほど貴族によって半ばから刀身を砕かれた長剣を、背の鞘から抜き放ち、雷光と見間違えるほどの一突きを見舞った。
 空間に刀身が突き刺さるという非現実的な現象は、確かにハンターの手によって現実のものとなり、折れた刀身に貫かれた歪曲場は人間の可聴領域を超えた断末魔の悲鳴を上げて切り裂かれた。
 突き刺した刀身をねじり、一気に上方に斬りあげるのと同時に行く手を阻んでいた歪曲空間の消失をハンターは悟っていた。
 王が道を行くがごとくあらゆる障害は障害足り得ず、ハンターは容易く動力炉の制御盤の前に辿り着いた。銀に鈍く光る断面以外には何もない制御盤の上に左手の掌を押しつける。再び聞こえる老人めいた言葉遣いのあの声。

「よっしゃ、これで万事オッケーじゃ。あとは悠々とあの村に戻って報酬を受け取ればこの件は終いじゃ。……が、これも罠らしいの。この動力炉の停止と同時に転送機が機能停止しとるわい。このままじゃとマグマの中を永劫に彷徨う事になるの」
「そうか」
「前に火山に落っこちた貴族を見た事があったが、あれは酷かった。肌が焼け肉が燃え骨が溶けるのと、貴族の再生能力で治り続けるのがほぼ同じ速度で行われてなぁ。
滅びるに滅べず、治るに治せず、救助された後もしばらく精神を病んどったわい。お前もそうなるかの? 狂った方が幸せな事もあるか、ほっほっほ」

 絶体絶命の窮地をどうとらえているのか、二人の声には焦る様子も諦めた調子もなかった。この程度の事は、これまで幾度となく経験してきたのかもしれなかった。
 そして、動力炉からのエネルギー供給が断たれ、見る見るうちに分子結合を崩壊させた動力室の隙間から灼熱のマグマが雪崩れ込むのと、何の前触れもなく現われた鏡に、ハンターが呑みまれるのは、わずかに後者の方が早かった。
 かくして、辺境最強の吸血鬼ハンターと謳われた美しき魔人は、その姿を辺境から消す事となった。その事実を確認したとある吸血鬼の王が、マジで? と固まっていたかどうかは定かではない。


 トリステイン魔法学院。双月の輝きがひとしお増す時刻。夜半であるというのに、いくつかの人影が中庭にあった。
 緩やかに波打った桃色の髪を持った未成熟な印象を受ける少女と、正反対にプリミティブな色香を纏った豊満な四肢を持ち、褐色の肌と燃え盛る炎を連想させる髪を持った少女。
 それに目の覚めるような瑠璃色とも見える青い髪に赤縁の眼鏡をかけた一番小柄な少女。全員が魔法学院の生徒である。
 さらにそこに異物が二つあった。旅人帽を目深にかぶり、胸元に揺れる神秘的な青を湛えたペンダント以外はすべて漆黒で整えた衣装の青年である。
 少女達は順に、ルイズ、キュルケ、タバサという名であった。青年はその三人の内、ルイズが呼び出した使い魔である。
 昼ごろに、剣士らしい青年の新しい剣を買うためにルイズは買い物に出かけ(青年の背にあった長剣は半ばから折れていた)、ひと振りの剣を買ったのだが、キュルケもまたこの青年の為に剣を求めていた。
 両者が贈ろうとした剣のどちらがこの青年に相応しいか、という議論に発展し、ルイズとキュルケはそれを魔法の勝負で決めるべくこのような夜更けに、学院の中庭に出ていた。
 二人の喧しい剣幕もどうでも好さげな青年が無言で見守る中、ロープで吊るした薪をどちらが先に地面に落とすかで勝負を行い、キュルケの魔法がいち早くロープを斬り落とした時に、異変が起きた。
 突如、天に角突くような巨大な土の巨人“ゴーレム”が出現して、学院の塔の壁をその巨大な拳で殴りつけはじめたのだ。
 タバサが危険と判断し、待機させていた使い魔のシルフィードを口笛で呼び寄せ、キュルケとルイズを乗せて上空に退避する中、青年が地面に放置されていたボロ剣――ルイズの買った剣だ――を拾い上げるや、一陣の黒い疾風となって駆けた。
 それまでの動きの過程がすっぱりと抜けたように、ルイズは青年が地面を蹴ってゴーレムの腰辺りまで跳躍し、さらにその巨体を蹴って舞い上がるのを見た。
 なんて軽やかに、早く、そして優雅でさえあるのか。ルイズにはその青年の背に目には見えない翼が生えているように思えた。
 風を巻き、刃に巻いた風さえも切り裂く凄絶な一刀が天から地へと振り下ろされた。圧倒的な質量をもって構成された土巨人の右肩口から入った刃毀れだらけの刃は、しかし鍛冶の神が戦の神の為の打ち上げた一振りの業物の如き切れ味を発揮した。
 それを振るう剣士もまた、神々の戦士として戦乙女に選ばれるべき技量を誇っていたといえよう。
 目の前に立ちふさがった三十メイル近いゴーレムの体を蹴って舞い上がり、そのゴーレムの右肩へと叩きつける様に浴びせた無造作な一刀。
 刹那の時よりも短い時間煌めいた剣光が通り過ぎるや、ずるりと音を立てて巨木の幹よりも太いゴーレムの音が落ちた。
 重々しい音を立てて崩れ始める土の塊を背に、右手に一振りのボロ刀を持った人影が、ゆるやかに天から舞い降りる。
 草を踏む音一つなく降り立ち、軽く曲げた膝を伸ばして隻腕に変わったゴーレムを見上げる。世界を朧に照らす月光の中に、闇が人型を成したような青年であった。
 風を孕み、開いた蝙蝠の翼の如く広がっていたロングコートの裾が、闇の帳の様にゆるゆると青年の体に纏わりつく。
 宝石の輝きも、星の煌めきも、月明かりさえも吸い込み閉じ込めてしまうような黒瞳は無情の色を浮かべて生命無き土巨人を見上げていた。
 月と星の光が求める抱擁から青年を隠すように鍔の広い旅人帽の下で、青年の表情はこの世界に来てから一度たりとて変わった事はない。
 身を焼く陽光の下に在っても、その身に宿す闇の遺伝子が活発化する夜の最中に在っても、常に変わらず死仮面の様に冷たく、美しく在るだけであった。
 その左手には淡く淡く、目を凝らさなければ映らぬほど、かすかにしか光らぬルーン――神秘文字が刻まれていた。


 カタカタ、と青年の右手に握られた錆だらけ、刃毀れだらけのナマクラ刀の鍔が音を立てて鳴いた。わずかに沿った片刃の刀身を持った長剣である。どれだけの年月を野ざらしのまま過ごしたのかと思うほど、見るも無残な姿だ。

「しかし、あれだね。相棒はちーっとも心を震わさんのね。おりゃ、これでも長く剣をやっちゃいるが、こんな心は初めてだね」

 大地の産物たる鉱物から鍛造された剣が言葉を語る不思議も、このハルケギニアの世界では知れ渡った知識の一つにすぎない。魔法の技を持って知恵と意思を与えられた剣“インテリジェンスソード”の一振りで、銘をデルフリンガーという。
 どこかしわがれた様なからから声でデルフリンガーは、剣である自分さえも陶然としてしまうほどに美しい、今代の使い手を評した。

「ほっほっほ、泣いて命乞いをする幼子の心の臓を貫いて首を刎ねる男じゃ。今さら土の木偶なんぞ前にしても心なぞ動くものか」

 とデルフリンガーに答えたのは、耳にした者が思わず顔を顰めてしまうようなひどい皺涸れ声だった。何百年も生き続け、老い続けた老人を思わせる。
 耳に心地よしとはお世辞にもいえぬ声は、青年の精神の在り様の酷薄さを皮肉気に告げた。その声はデルフリンガーを握る右手とは逆の左手から聞こえていた。
 手の甲でかすかに光輝くルーンとは別に掌から、そのなんて無残な、と憐れんでしまうような声は聞こえているのだ。左右の手に自分以外の意思ある者を宿した青年は、両者の声に応える事はなかった。
 青年は右手に握った長剣と左手の老人の評価を気にした風もなく、残った左拳を振り上げるゴーレムの姿を見つめていた。まるで、そこに立つ者が何の障害にもならぬと、いや意識する価値さえ無いと告げる様に。
 ただ一人、弧剣のみを頼りに巨大なゴーレムと対峙する青年の孤高の背に、背後に退避した少女達の中の一人が、青年の名を叫んでいた。
 その背中があまりにも寂しいから。
      あまりにも悲しいから。
      あまりにも孤独だから。
      あまりにも…………。

「Dーーー!!」

 誰も気付かないような一瞬だけ、Dと呼ばれた青年が自分の名を呼んだ桃色ブロンドの少女を振り返った。ゴーレムに対して向けるのと等しく北の彼方の海に浮かぶ氷塊のような冷たさを浮かべる瞳には、しかしどこかに、冷たさ以外の何かが宿っていた。
 迫りくるゴーレムの巨拳を振り返ったDは、右半身をずらして避ける。その巨体故に頬を打つ風も剛体の強さを持つ。頬の顔を引き剥がしてゆきそうな風に、瞬き一つせずにDは、切っ先を地に向けていたデルフリンガーを無造作に振り上げた。
 Dの右手が天を指した時、斬り飛ばされたゴーレムの五指が勢いよく飛んで地面にめり込む。旅人帽の下でDの黒瞳は変わらず、命あるもの全てを雪の中に閉じ込めてしまう厳冬の様な厳しさを浮かべていた。
 ゴーレムの切り飛ばされた五指の断面、そして同じく斬りおとされた右肩の断面は覗きこんだ者の顔を映すほどに鮮やかで、磨き抜かれた鏡のようであった。
 そして、その断面とDの姿をタバサだけが、射殺すように凝と見つめていた。浪蘭幻十――かの魔人と対峙しうるもう一人の魔人を。
 タバサはゴーレムと切り結ぶDの姿を見つめながら、幻十の邪悪さを思い知ったとある日の事を思い出していた。


 吸血鬼ハンターがハルケギニア大陸に召喚され、浪蘭幻十がタバサと出会ってより数日後、つまり魔法学院でゴーレムが暴れるよりも数日前の事である。
 今日もトリステイン魔法学院に届けられた密書によって、北花壇騎士団七号としての任務を言い渡されたタバサは、ガリア王国の辺鄙な村を訪ねる事となった。
 直接任務を言い渡す北花壇騎士団の長たるガリア王国第一王女イザベラは、いとこに当たるタバサに対して常につらく当たっていたが、先日体調不良を理由に床に伏せてタバサと面会する事はなかった。
 今回もそうなるかと思ったが、呼び出されたタバサの前に姿を現してその健在を告げていた。ただし、明らかにこれまでのイザベラの様子とは異なる。
 常にタバサを見下ろしながら、奥底に恐怖を塗り込めていた瞳は、タバサの事を見ようともせずにあらぬ方を見ては、ぽうとして焦点をぼやかしている。タバサその現象の理由を即座に悟った。
 トリステイン魔法学院でも同様の現象が、生徒・教師、老若男女を問わずこの数日で広がっていたからだ。イザベラの瞳は美しさに心奪われた者の瞳であった。
 いつもはタバサに対して様々な嫌味や嫌がらせをねちねちとぶつけるイザベラも、そんな事をする気力もわかないのか、時折切なげな溜息を零し、頬を桃色に染めてはゲント様、ゲント様、と呟いて夢想の世界に翼を広げていた。
 まあ、タバサとしてもイザベラと同じ空間に居る事はあまり歓迎したい事でもないし、嫌味をぶつけられても無感情を装う事は出来るが、かといって精神衛生上よろしいわけでもない。
 比較的正気を保っていた侍女の一人から任務の内容を記した密書を受け取るや、タバサは早々にシルフィードに跨った。
 なお、本来の歴史においてタバサは今回の任務の内容を事前に知らされるのだが、当のイザベラがあんな調子の為、呼び寄せてから告げる事になった。
 今度の任務の内容が、ガリアの首都リュティスから遠く離れたサビエラ村に現れた妖魔吸血鬼の討伐である事を確かめたタバサは、かすかに眉を寄せた。
 吸血鬼。読んで字の如く血を吸う鬼である。血を吸った人間を一人、屍食鬼として自分の意のままに操る事が出来て、先住魔法と呼ばれるエルフや亜人特有の魔法を使いこなす。
 魔法の力や身体能力は他の亜人に一歩譲るが、何より恐ろしいのは普通の人間と区別がつかず、疑心暗鬼に囚われた人々が混乱する中、次々と血を吸って犠牲者を増やす狡猾さに在る。
 かつてはたった一体の吸血鬼の為に一つの村や町が滅びた事もあるのだ。その吸血鬼が現れたサビエラ村には、すでに火のトライアングルメイジが派遣されていたが、そのメイジも死体へと変わり、タバサの出番と相成ったのである。
 呼び出されたプチ・トロワの蔵書から吸血鬼に関する書物を持ち出して、シルフィードの背びれにもたれながら読み、サビエラ村までの時間を潰した。
 その間中、シルフィードは立て板に水を流すように吸血鬼の恐ろしさについて口を酸っぱくして語ったが、タバサは無言であった。
 しかし、サビエラの村を訪れた時、タバサは既に任務を終えたも同然であった。なぜならば、いかなる偶然かその村には手駒を捜すとジョゼフに告げ、王宮から姿を消していた
 幻十の魔影があり、サビエラ村の住人は全て既に息絶えていたからだ。
 そして朱に染まった村でタバサは自分の叔父が呼び出した者の恐ろしさを、今一度思い知らされることになるのだった。




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