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ゼロの魔王伝-03



 ゼロの魔王伝――3

 ある人影が歩みさった後の世界はたちまちの内に色褪せて輝きを失っていた。人影がそこに在る瞬間のみ輝いていた世界は、それゆえに美の神の加護を失った時、荒廃に身を任せて灰色に煙る事を選んでいた。
 こつり、と先程まで弄んでいたタバサと言う名の少女を怯えさせる為にわざと立てていた足音は既に無い。
 地平線の彼方に沈み、暗闇の手に委ねられた世界の中で、その男――幻十の影だけが白々と月輪を浮かべる月の様に、投げ落とされた硬質の床の上で輝いていた。
 風になびく黒衣の裾は折り畳まれた悪魔の翼の様に映り、頬に触れる風も、瞳に映される世界も、そのまま時が止まれば良いと切に願ったことだろう。
 その美しすぎる男に見つめられたままで居たいと、触れていたいと。
 だが、それを幻十は嘲りと共に一笑に伏すだろう。自らを崇め奉る者達に対してさえ慈悲の心を持たず、骨の髄を越え魂の一片まで利用し尽して捨てる事を由とする精神の持ち主であった。
 タバサの処女血をたっぷりと吸った魔糸はすでに小指の先ほどの糸玉にまとめてポケットにしまい込み、その美影身から処女の甘く清らかな血の匂いが香る事はない。
 もし、この男が血を吸う鬼――吸血鬼であったとしても誰がこの邪悪にして美しき魔人の求めを拒否できようか。
 誰もが望み、血のみならず生命のみならず魂までも喉と共に差し出して、美魔人の唇から禍々しく覗いた乱杭歯が、己の肌を突き破る瞬間を夢見心地で待つだろう。
 この世に在り得ぬ美しさに相応しく、この世ならぬ恐怖をその精神に宿した魔人。それが浪蘭幻十と言う名の青年であった。
 やがて、かつて幻十がこのハルケギニアという世界に召喚された始まりの場所に辿り着く。
 警護の騎士達も控えている筈の侍従達も人払いが成された王の間で、幻十は自らをこの世界へと招いた張本人と相対した。
 タバサの髪とよく似た色合いの青い髪に、美貌と呼んで差し支えない成熟した顔立ちに見事な体躯。古の裸像のモデルとして匠達が選びそうなほどに逞しさと美貌が調和していた。
 玉座に腰かけたガリア王ジョゼフは傍らに一人の美女を従えていた。トリステインやロマニア、ガリア、ゲルマニアといった周辺諸国の人々達とは異なる、異国の風の匂いを薫らせる顔立ちであった。
 幻十の魔貌の効果を知る為に、美女は視線をずらして、床を絢爛と飾りながら埋める絨毯の一点を見つめていた。
 ある夜の、化生の者達が最も力に満ちて、跋扈する時刻――逢魔が時に、ジョゼフに召喚されながらも契約を拒んだ幻十に変わり、改めて行われた使い魔召喚によって呼び出された東方生まれの女であった。
 ジョゼフに与えられた名をシェフィールドという。契約によって刻まれたルーンは額に輝き、虚無の系統の身が持つ特別な使い魔の内の一種“神の頭脳ミョズニトニルン”となっている。

「終わったのか?」

 ジョゼフが愉快気に幻十に問うた。タバサを殺してはならぬと告げてはいないが、殺せとも命じていない。
 はたしてジョゼフの鬼謀略を巡らす非凡な頭脳と、憎悪と愛情とが混ざり合って腐臭を発しながら醸造した狂気を持ってしても理解し得ぬこの魔青年が、どのような判断を下したのかジョゼフをしても興味が尽きえぬ。

「ああ」

 にこり、と幼い弟妹をあやす様な笑みを浮かべ幻十とが答える。どんなへそ曲がりも一目で魅了されて生涯を幻十の奴隷として捧げるだろう。
 幻十は浮かべた笑みを取り払って音もなく歩き、ジョゼフの三メイルほど前で止まる。
 歩む間揺れるインバネスの裾、ふわりふわりと動く髪。歩む度に映り変る美貌の千面変化に、ジョゼフは恍惚と酔いしれた。
 これまで味わってきたいかなる美酒も及ばぬこれ以上ない悦楽の酩酊であった。シンに美しい者はいかなる形であれ存在するだけで、自分以外のすべての者達を狂わせる。
 傍らを見れば幻十を視界に納めていない筈のシェフィールドでさえ、頬を紅に染めていた。たとえ見つめておらずとも、過去に見たその姿が瞼に焼き付き、焼きついた姿は脳裏に蘇って魂を灼熱させる。

「ここの人間にしては中々面白い。あちらへ戻った時の手駒にするのも一興だ」
「ほうほう、そうか。おれの姪はお前の気に入ったか。はっはっは、これまであいつに死地を巡らせた甲斐があったというものだな!」
「ところでレコンキスタとかいったか、あれはどのような具合だい?」
「ん? ああ、あれか。予定通りでな、まったく詰まらん限りだ。おれの掌から片足を零す程度の事さえできておらんよ。アルビオンの王家はな」
「ぼくとしては予定通りに進んでもらって構わないがね。君が望む世界の破滅の光景、それはぼくにとっても望みを果たす役に立つかもしれないのだから」
「超人、今の人類の次に来る進化した存在か。なかなか面白い話だが、おれには興味の無い話だ。もっとも、おれの望みとお前の望みが重なったのは不幸中の幸いだ。全くこれ以上ないほどのな!!」
「それは長畳。ではそちらの計画は好きなように、ただし失敗の無いように進めたまえ。ぼくはしばらく手駒探しに出掛ける」
「そうか、それは素敵だ。さぞや多くの屍が生まれるだろう。流れ出た血は大地を赤く染めるだろうな。屍の山、血の河、軍や国がそれを成した事はあるだろう。だが個人でそれを生む者がかつていただろうかな?」

 玉座に背を向けて王の間を辞さんとしていた幻十が足を止め、三日月の様な笑みを片側の頬に浮かべる。だが静かに降り注ぎ地上の万物を優しく照らす月ではなかった。
 夜空よりも黒く虚空を切り取る暗黒に染まった三日月を思わせる禍々しい笑みを、幻十は浮かべていた。

「屍の山、血の河……その程度であの街の王は務まらないよ、ジョゼフ。“この門をくぐる者すべての希望を捨てよ”、あの街は全ての悪徳と絶望と恐怖が蠢く街だ。人間の善を食らい、希望を踏みにじり、命が空気よりも軽い場所なのだ。
 この浪蘭幻十の行く道に立ち塞がる者はすべて屍と変わり果てるがいい。落とされた首でこのぼくを呪う歌を歌うがいい。それこそがぼくに相応しい。
 地獄の責め手達もおびえ震える呪詛を吐くがいい。空を覆い尽くす憎悪と怨嗟の歌こそがぼくに相応しい。
 ぼくの行く手を塞ぐもの全てに呪いをこのぼく自ら与えよう。魔王と呼ぶなら呼べ、悪魔と恐れるなら恐れるがいい。それこそがぼくに相応しい。……少し長く喋りすぎたな。ではおやすみ」

 締め括る言葉こそ平凡なれども、垣間見せた人間のものではあり得ぬ狂気の発露に、ジョゼフは瞳を見開いて凍らせた。
 恐怖にか?   その通りだ。
 喜びにか?   その通りだ。
 美しいからか? その通りだ。
 邪悪だからか? その通りだ。 
 絶望にか?   その通りだ。
 希望にか?   その通りだ。

「ふ、ふふふふ、あはははははは!! ああ、シャルル、シャルル、おれの愛すべき弟よ! 憎んでも憎み足りぬ弟よ! おれのこの手で命を落とした哀れな弟よ! おれのこの胸に埋められぬ虚無の穴を穿った我が無二の弟よ!!
 おれは、おれが、おれの、心が震えているぞ!? お前の妻の心を壊し、お前の娘を死地に送り、国を動かし、一つの王家を潰そうとし、民草に血を流させても尚ぴくりともしなかった、この、おれの、心が!!
 おれは、おれは………………………………あははははははははは!!!!」

 地に投げかけられた影の様にジョゼフの傍らに侍るシェフィールドの瞳は、敬愛する主の狂態に、怯えとも喜びともつかぬ曖昧な光を浮かべながら、いつまでも続くようなジョゼフの狂笑を見つめ続けていた。
 真の“美”とは人を狂わせる。一度狂った者がさらに狂ったならば、その先に待つ変化は果たして如何なるものであろうか。
 巡り回った狂気の果てに正気に至るのか? それとも更なる異形の心を手にするのか?
 ジョゼフとタバサ。
 心のどこかを壊し凍らせた二人の魂が、今宵確かにカチリと歯車の噛み合う音を立てて動き始めた。噛み合う歯車は果たして人の心が本来持つ正常な形をしていただろうか。
 それはどこか歪み、その歪みを徐々に広げて心の均衡を歪めて狂わせ、破滅をもたらす異形の歯車でないと誰が言えよう。
 動き出した歯車がやがて止まる時、そこ待つモノが、希望の光か絶望の闇であえうかは、神ならぬ人間には誰であっても分からぬ事だったろう。いや、例え神なる方にも悪魔なる者にも分かるまい。
 この魔人“達”を向かい入れたハルケギニアの命運は。


 同刻、トリステイン魔法学院学生寮のとある一室。
 使い魔召喚の儀式を執り行ってより、自らが呼び出した使い魔を一目見た者達全てから羨望と嫉みと妬みと憎悪と殺意がブレンドし、互いを高め合って凶器とかした視線を片時も欠かさず浴びて、すっかり精神的に消耗し尽した部屋の主が寝入っていた。
 貴族の子弟のみが勉学の機会を与えられるこの学院に相応しく、例え学生寮の部屋であっても、平民の身分ではよほどの富豪でなければ生涯縁を持たずに過ごす様な調度品ばかりが部屋を飾っていた。
 使い魔の異様な外見にも、この数日で多少なりとも耐性ができたのか、それとも部屋の主が感じていた疲労がその異様さを上回るほど凄絶なものであったのか、普段なら夜が明けても眠りに着けぬほど緊張しているのに、今夜は健やかな眠りについていた。
 時折遠く森の彼方から運ばれてきた虫や森の獣たちの鳴き声や息遣い、夜露に濡れる新緑の草を揺らす風の調べだけがかすかに聞こえている。
 夜の眠りにつく人間以外の夜に生きる者達の静かな合唱の様だ。雄々しく体と心を揺さぶる力強さよりも、すべてが混然となって溶け合うような心地よさと、波間に揺れているような静けさばかりがあった。
 わずかに開いたカーテンの隙間から差し込む淡やかな紅と蒼の双月の光に、部屋の主である少女の使い魔の顔が照らし出されていた。窓際に寄せた椅子に腰掛け、夜闇を写し取ったような黒衣を身に纏って頬杖を突いている。
 その果ての無い宇宙の彼方の様な虚を穿った黒い瞳も、ぬばたまの闇から紡いだ繊糸の様な髪も、その肢体をくるんだ衣服も全てが黒く、漆黒の合間から覗く肌のみが月光さえも恥じ入るような美しさに自ら輝いていた。
 使い魔の視線が自らの主の寝顔に向けられた。まだ十代半ばと青春の謳歌を許容される年頃の少女の目元には、ここ数日の睡眠不足と精神的疲労からうっすらと隈が浮かびあがり、体調不調を主張していた。
 見つめる事数秒、等しい時間だけ見つめれば、天空に座する月さえも羞恥に赤らむのではと思わせる魔瞳が、再び窓の外の夜景に映された。
 広大な草原の中にぽつんと建つトリステイン魔法学院は、他国の留学生を招く事もあり、トリステインの威信をかけて建立された広大な建築物だ。
 院内の調度品や拵えなど貴族の目の届く範囲は全て一流の職人と最高の材料、優れたメイジ達による魔法の恩恵を受けている。
 だがその威容も、果てしなく広がる夜空と雄大な大地の只中に在る事を、感じる事が出来たなら、ひどくちっぽけな、虚栄に満ちた小間細工の様なものに見えてしまう。
 たかが数千年の歴史を閲した程度の人間が、なけなしの誇りと自尊心を、同じ人間を相手に満足させる為に建てた、賎しい心根の産物。
 というのはいささか毒が強いかもしれぬが、少なくとも今、夜の歌に耳を傾けている使い魔にはさほど感銘を与える事が出来なかったのは確かだったろう。
 使い魔の瞳は飽きる事無く夜の風景を見つめていた。左肩に寄せた優美な弧月を描く長剣の柄に巻かれた油を塗った蔦が、主の横顔に身惚れていた。柄尻に巻かれた高分子ザイルの解れた紐も、黒塗りの鞘もまた。
 やや右斜め前に被った鍔広の旅人帽の奥から夜の彼方を見つめる瞳には、いかなる感情の色も浮かんではいなかった。人間の持つ喜怒哀楽、憎悪、慈愛、嫉妬、友愛、僻み、労わり……あらゆる感情を濁りとして取り除いたように澄み切っている。
 いっそ人間とは異なる精神構造を持った別種の生き物の様な瞳であった。時に赤に染まる事のある瞳は、ただただ、古えから続く悠久の夜の静寂を讃える様に窓の外に向けられていた。
 同じ部屋の中に居る桃色の髪の少女の事などまるで意に介していないとでも告げる様に。


 同刻、浮遊大陸白の国アルビオン。
 王党派と改革派とに分かれて戦火が大地を覆うこの大陸でも、今だ戦の喧騒が及ばぬ地はあった。戦略的に価値の無い僻地、戦闘行為によって失われた場合、戦後の統治に支障を来す重要な拠点や都市など。
 鬱蒼と生い茂る緑の連なりの奥にひっそりとたたずむ小さな村は、その前者であった。
 村の外の者で村の存在を知る者は数少なく、また村に住む者もほとんどが十になるかどうかという幼い子供達ばかりであったし、アルビオンを席巻する血染めの戦煙も、この地には無縁の代物だった。
 ほんの数日前までは。今その村は奇跡の村と周辺の住人達から呼ばれている。いつの頃からか、その村の真ん中に小さな、しかしハルケギニアのどこを見渡しても損zないしない奇妙な形の病院が開院されてからは。
 誰がその病院の評判を最初に口にしたのかは分からない。だが、その途方もない所業の噂は尾鰭を着けて遼原の火のように広がり、興味本位の者達や一縷の望みをかけてその病院の門戸を叩く者達が姿を見せたのは、噂の広がりとほぼ等しかった。
 そして、その病院の門戸を叩き、その治療を受けた者達がわずかに語った治療の結果の一例をここに挙げよう。
 とある樵が語るに曰く――誤って斧で斬り落とした指が、一撫でされるとくっついた。
 子供が全身に火傷を負い、あと一月も保たぬと告げられた母親が語るに曰く――見るも無残に焼けただれた我が子の体が、半日もたたずに生まれたての赤子の様に艶やかな肌になっていたという。
 戦場で負った古傷が元で失明寸前になってしまった古兵が語るに曰く――院長と名乗る男の指が自分の眼球を掴みだし、痛みを感じるよりも早く空っぽになった眼下に指が差し込まれると、まるで嘘のように世界が見えるようになっていたという。
 地面を舐める様にして俯き、絶望と諦感の影を重く背負いながらも、掌に残った一握の砂の様な希望を決して手放さぬ人々がその病院の門を叩く時、そこには必ず美しい人影が待っているという。
 その院の長たる美しい医師は、如何なる絶望の淵に追いやられようとも生を諦めぬ者達の最後の希望となって死の影を追い払い、生を与えるという。
 ずっと昔に司祭がいなくなり、その後管理するものとてなく荒れ果てていた村の教会を改装した病院の院内は、ハルケギニアにどこを見渡しても他では見られぬ不可思議な場所だった。
 外から見れば二、三十人も詰め込めば限界の筈の院内はまるで数千坪もある広大な施設の様に広がり、天上に設けられた水晶と黄金で造られた豪奢なシャンデリアからは、昼夜を問わず淡い光が降り注いでいる。
 一切の病魔の跋扈を許さぬ清浄な光は、しかし傷つき病み衰えた者達にとって無二の癒しとなって降り注ぎ、その輝きで疲れ果てた患者達の心と体を慰めていた。
 ふと気づけば、耳には心地よく心を弛緩させる旋律が聞こえ、この狭隘な筈の院内の何処で天上世界の楽士たちが演奏会を開いているのかと思うほど洗練され、聞く者の心を慰める癒しの音楽が絶える事無く流れている。
 やはりこの病院独特の衣服、白で統一されたワンピースやタイツ、ナースキャップを被った見目麗しい男女の看護師達が絶えずたった一室の診察室と治療室、手術室、そして待合室を行き交っている。
 無償の慈愛の笑みを浮かべて初めて病院を訪れたものや、待合室で静かに座って待つ者達にさりげなく声をかけては、患者たちの顔から不安の影を取り払い、ハルケギニアの医療情勢では到底考えられぬ光景が広がっていた。
 その中でもとりわけ病院を訪れた者達の目を引き、驚きとわずかな恐怖に目を見開いた患者達に積極的に話しかけ、たちまちの内に心安らかなものを浮かばせている看護師がいた。
 大地を照らす太陽の様な黄金の髪をさらさらと零しながら、絵画に描かれた聖母の様な笑みを浮かべ、澄み切った湖の水面に映った紺碧の空の様な瞳には、どんな絶望の暗雲にも屈さぬ強さと凛々しさがあった。
 道端に咲く一輪の花の様な可憐さに似合わぬ看護服の胸元を押し上げる豊満な乳房と、思わず目を引く神秘的なまでの美貌が見事に調和し、作り物めくまでに美しい少女であった。

だが、その少女を前にした患者達が思わず息を呑むのは、その金の髪から左右に突き出た耳の先端が告げる、少女の出自故であろう。
ハルケギニアの人間達にとって最大の天敵エルフ。はるかな過去に人間から聖地を奪った不倶戴天の怨敵たる種族。目の前の少女が少なくともそのエルフの血を引くものである事を、その耳が語っている。
悪鬼羅刹の権化の如く語られるエルフを前にして身を強張らせる者達も、そのエルフの少女の笑みと、ささいな他意もない純粋ないたわりの言葉や慈しみが滲む挙措を前に、恐怖を忘れるのには時間はかからなかった。
疲れの影をおくびにも出さず、絶えず患者達の間を歩き回り、声をかけて励まし、泣く子をあやしては笑顔に変え――それは、間違って地上に生まれ落ちた天使の様に美しく、優しい姿であった。
ちりん、ちりん、と来院者を告げる小さな鈴が鳴り、そのエルフの少女看護師が入口に目を向けた。
厚い楡の木の扉を押し開いて姿を見せたのは白い人影であった。白い化粧に覆われた厳冬の世界さえも黒ずんで見えるほどの純白のケープを纏い、黒メノウを溶かして加工しても万分の一も及ばぬ輝きを秘めた黒髪を白い布生地の上に流していた。
二十代頃と見える顔立ちは、エルフの少女がただの風景の一部になり変ってしまうほどに美しい。そう、ただ美しいとさえ言えばいい。感じればいい。表す言葉も感情も、何もかもが美しいの一言に尽きる。
その男の美貌を前に人命を蝕む病魔さえ己の醜さを恥じらうのか、彼の姿を見た患者達の幾割かは、ただそれだけ傷病が完治した事さえある。
エルフの少女は、かつて自分が召喚した使い魔たるその男に向けて、無限の畏怖と果てしない畏敬の眼差しを注いだ。

「患者の皆さんがお待ちです、院長」

 突如小さな僻村に姿を現した白衣の医師は、少女の一部の隙もない病院のスタッフとしての水準を満たした姿をどう判断したのか、声をかける事もなく少女の脇を通って院長を呆然と見つめる患者達に慈父の笑みを浮かべた。
 今この場に居るのは彼にとって愛すべき患者達であった。
 いつかどこかで、院長の医師としての姿勢をこう、評した者がいた。
“患者には生を、それ以外の者には死を”。
 ほんの数分前、病院の金品や薬品を狙って村に押し入ってきた野盗二十三名全てを腑わけし、健常な臓器の選別を終えたばかりの院長は、血の匂いも赤い染みも一つとしてその純白を汚させる事無く、患者達の前に立ち、一人目の患者の名を告げた。
 その姿は地上に堕ちた哀れな迷える子羊達を余す事無く救わんとする聖者の如く神々しく、無限の慈愛に満ちていた。
 そう、患者達に対してのみ、この院長は究極的な味方となり庇護者となり守護者となり、それ以外のすべてにとって冥府からの使いよりも恐ろしい、死と恐怖と絶望の権化となる。だがハルケギニアの人々はまだそれを知らぬ。
 院長から敵とみなされた者達の中で、生きている者は誰一人としていなかったからだ。




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