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鋼の使い魔-35


 王宮の内宮で幾人もの侍従に囲まれたアンリエッタは、夕方から始まる婚礼の儀に向けての支度に追われていた。
 年相応の性徴を遂げた身体に何日も前から設えた純白のドレスを身に纏い、腰掛に降りて髪を梳かせていた。
 今夕と翌朝の出立からウィンドボナの到着まで、人の眼の晒される間はこの白衣を身に着け、ゲルマニアでの婚礼では先方に合わせたドレスに着替えさせられるのだ。
 ノーブルパープルに黒と赤を配した、極めて醜悪な組み合わせ――伝統的トリステイン貴族の価値観でだが――を強要させられるのであった。
 既に視界に移るところに置かれて居ないその異装を、アンリエッタは完成までに幾度と袖を通して身体に覚えていた。
 (目上に渡す土産物のように、気に入られそうな布で包まれる…)
 身にかかる明らかな未来に、既に諦観すら飽きたアンリエッタだった。
 そのはずなのに、視線はいつの間にか指に填めている『風のルビー』へ流れた。一体自分は何を望んでいるのだろう。
思いつくただ一人の男は既に世を去り、自分をここから連れ去ってはくれないのに。
 既に髪は十分に梳かれ、そよ風が夜闇で染めた絹糸の髪を揺らすことだろう。暗く深く心を曇らせていたアンリエッタは、そのような事に気付きもせず、
ただ腰掛けに浅く座り込んで指先を眺めていた。
 傍に侍る侍従達は主の声を待ち、壁に沿って立っていた。外から声が掛からぬ限り、彼女らはアンリエッタに従わねばならないのだから。
 いつまでそうしていたかは定かではないが、部屋のドアを誰かがノックする。
 心持ち、急くような叩き方だった。
「……入りなさい」
 顔を上げたアンリエッタがドアへ向き、同じくドアが開かれて人が入ってきた。その者は内宮に数多居る侍従の一人であった。
いつか、侍従達の立ち話を聞いた時に、エレンと呼ばれていた娘だ。麦色の髪を短く揃えて、顔をなぜか青くしていた。
「どうしました?」
「は、はい…こ、これを、殿下にお渡しするように頼まれました」
 エレンはお仕着せのポケットから四つ折りにされた便箋を取り出し、そろそろとアンリエッタに手渡した。エレンは恐れ多いのだろう、
アンリエッタの指先に触れてしまわないかと恐々としている。
 渡されたアンリエッタは便箋を広げて、中に書かれていた文章へ目を通した。几帳面な字体が並んでいて、アンリエッタはその字に見覚えがあった。
 しかし、そこに書かれていた事実に、アンリエッタは重たく冷たい水に呑まれたかと錯覚するほど、静かに冷や汗を流した。
 その様子に傍の侍従達も異変を察知した。
「殿…下…?」
 アンリエッタの眼は便箋を広げて持つ手の先で、陽光を反射するルビーの光を捉えた。
 ふと、遠くて近いところから、懐かしい男の声が囁き、そして消えた。



 『タルブ戦役・二―紛糾―』



 慶事の頂きにあったはずのトリステイン王宮は、急転して大会議室への召集を始めとして俄にだが、色めき立っていた。
 会議室の巨卓に座を埋める高位高官達を前に、段を違えて座るマザリーニより事のあらましが伝えられる。
 ラ・ロシェールにおけるトリステイン艦隊の壊滅、それに平行して一方的に通告されたアルビオン側からの『宣戦布告』。
 目下アルビオン艦隊は二手に別れ、一方は南西に、もう一方は北西へ向かったという。

 マザリーニの説明に、大貴族大官僚達は驚き、一部の者は苦いものを含めて顔を歪めた。
 座の者達から炎の如き口論が湧きあがろうとした矢先、最上段の幕内から澄んだ鈴の音が鳴り、座は一旦静穏に返った。
 やがて幕内より出でたのは、トリステイン女王、マリアンヌである。彼女は置かれた玉座に座り、会議室を埋める臣下達を見下ろした。
 その眼は穏やかであったが、不測の事態に陥ったものにありがちな曇ったような眼差しを、臣下の中の幾人かが認めた。
 座の空気に耐えられないようにマリアンヌは口を開く。
「既に耳に入れていることでしょうが、ラ・ロシェーヌにてトリステイン艦隊の、その多くが撃沈し、加えて不可侵条約を結ぶはずだった
神聖アルビオン共和国側から『宣戦布告』の知らせを受け取りました」
「正直に申し上げれば私一人には荷が勝ちすぎる問題です。如何なる事態がラ・ロシェールで発生したのかは断定できかねます。が、現状として
アルビオンの艦隊が領内を闊歩しているのは事実。私は貴方達の判断と意見を求めます」
 続いてマザリーニはより詳細な報告を加えた――アルビオン艦隊の規模、今後の予想進路、トリステイン艦隊の残存兵力、等だ。
「現状としてアルビオン側へ抗議声明を送っていますが返答はなく、タルブ方面に向かっていると思われる一団へも文書を持たせた者を送り、反応を待っている状態です」
 最後にそう言って、彼は静かに席に戻った。

 座を埋めた者達は自らをトリステインの守護を担う人柱であると、少なからず自認する者たちである。互いに思う限り現状取りうる施策について激しい言葉が繰り返された。
 最も強硬な態度を示したのは国軍元帥のグラモン卿であった。
「急ぎタルブへ王軍を派遣してこれ以上の侵攻をけん制をせねばならぬ!相手方が万一タルブを抑えれば王都が危うくなるのだぞ!」
 対して高等法院長官リッシュモンは慎重策を挙げた。
「タルブ方面の一派は艦隊の駐留地点を模索しているだけやも知れませんぞ。ラ・ロシェールで留まるよりタルブに抜けたほうが
要らぬ誤解を生まぬと思っているのかもしれませぬ」
「第一グラモン卿、貴方は制空圏を取られたまま地上に陣を張るお積りか?先んじて対空陣地を作っているならともかく、
盆地と村しかないタルブで軍を拡げても最悪なぎ払われますぞ」
「なにを暢気なことを言っておるのだ!王土が蹂躙されておるのだぞ!王家を殺した犬共如きに我が物顔で家の中を歩かせて、
トリステインの名誉に関わる問題だ!行き違いで国の艦隊を壊滅させられて杖抜かぬでは諸国に侮られるではないか!」

 果たして巡る会議の中で、軍を動かして現状の艦隊運動に対応しその上で交渉に入ろうとする一派と、物理的な干渉を最小限に抑えて
アルビオン本国に対して艦隊の動きを抑えてもらうように働きかける一派に主張が分かれた。
 激流のように会議が進行する間、首座のマリアンヌはぼんやりと憂う顔をしていた。しかし、自ら発言し臣下の言葉を引き出すような振舞はついぞなく、静かに、
ただ緩やかに聞き役に徹していた。
 徐々に卓上の論戦が膠着してきた頃、小走りでマザリーニに一人の官吏が駆け寄り一枚の紙を渡した。マザリーニはそれに目を通すと、奥歯を深くかんで眉間を寄せた。
「諸侯各位。タルブに向かった一隊がタルブに降下を始めたとのことですぞ」
 席上の大貴族大官僚は一際にざわついた。
 しかしマリアンヌは変わらずぼんやりと憂いていた。



 タルブの村を囲む盆地は北東と南東の一角が開け、そこを街道が貫いている。
 今、北東の街道の上空を歪な艦隊が悠々と進んでいた。

 戦列艦等級において慣例的に5級と6級とを特にフリゲート艦と呼ぶのがハルケギニアの軍事学の通例であったが、今、タルブにやってきたフリゲート艦は、
艦の規模こそフリゲート艦らしかったが、船のシルエットはおそらく、トリステインの誰にも見覚えなきものであっただろう。
 その大きさは比較して、『レキシントン』の三分の一ほど。マスト配置などは一般的なありふれたものだったが、砲の配置が奇妙で、
前面に指折り数えるほどしか置かれて居ない。
 最大の外見的特異は船体の両舷側に連なれた不釣合いなほど大きなカッターボートである。
 タルブまで『レキシントン』が率いてきたフリゲート12隻は全て、タルブ降下上陸のために用意された艦艇なのだ。
 この特殊フリゲート艦『ルプラコーン』級は、アルビオンの標準型フリゲート艦をベースに多量の人員や物資を搭載して移動できるように改造されたものだ。
その代わり、艦艇としての攻撃力は殆どない。
 さらに艦隊が包むように、中心部にはずんぐりとした影を落す三隻の大型船が陣取っていた。
 アルビオン内乱以前に着工されたものの、内乱の折に工事が止まっていた船体を元にクロムウェル傘下の技術陣の指揮により完成された『輸送軍艦』なる艦種であった。
 『セントール』級と名づけられたこの奇想の船は軍艦にありながら武装が一切なく、人と荷物を運ぶ能力に特化した構造となっている。
 アルビオン軍は現在、ありとあらゆる場面において皇帝クロムウェルお抱えの技術陣による奇想の兵器機構が組み込まれているのだ。

 短艇で降ろされる兵士達を見守りつつ、『レキシントン』のボーウッドは指示を飛ばす。
「竜騎兵隊を離艦させろ。敵方に艦隊戦力が残っているとも限らない」
 指示が届くや『ルプラコーン』級1、4、8、12番艦から風竜が飛び上がり、艦隊を基点に周回して警戒を始めた。
 この他にも『レキシントン』に火竜騎兵2騎を待機させており、合計6騎の竜騎兵が参加していた。
「地上より伝達。部隊編成までまだしばらく掛かるとのこと」
「うむ。楔陣を形成して待機。地上部隊の準備が出来次第火竜を発艦させろ。風竜は引き続いて哨戒に当たるように」

 やがて一つの集団となったアルビオン軍地上部隊は進軍を始めた。『レキシントン』の信号士は懸命に命令信号を連れる艦艇へ飛ばすのであった。


 家から村まで降りていたシエスタは突如の鐘の音に驚いた。肩掛けに買い物荷物の入った袋を提げ、腰にはあの日以来肌身離さず持ち歩いている
『プリムスラーヴス』をベルトに挿している。
 鐘は時を告げる様子ではなく、どこか火事の時のように忙しなく鳴らされていた。
「領主様からの伝言だぞー!」
 村の男達が領主の屋敷の方向から声を張りながら走り、村の中心である寺院前広場で立ち止まって呼び掛けた。
「皆西の森に向かって逃げるんだ!アルビオンの兵隊がやってきたって!」
 男の一声にそれを聞いた村人はあるものはざわつき、あるものはきょとんとして要領を得ない様子だった。
「王族殺しのアルビオン人がわんさかやってくるんだ!早く逃げろって領主様が!」
 領主の指示とあればそれに従うしかないのであるが、アルビオンが攻めてくると言われても、村の人々はピンと来ない。
 どうするべきか逡巡していると、遠い北東の空が影っているのがわずかに見えた。
「あ……」
 広場で遊んでいた子供の一人が空を指差す。
 それは山のように巨大な船。その両脇に小魚のように船を並べて、北東の街道側からゆっくりとこちらに向かって進んでいた。
 認めた大人たちはたちまちパニックになり、皆思い思いに家族を連れて西の森へ逃げ出して行った。
 シエスタも急いで家に戻るため、健脚をしならせて広場を飛び出した。

 編成が整い、揚々と進軍するアルビオン上陸部隊。その中核になる少数の騎兵の中に、ワルドがいた。
 どろりとした目がまっすぐタルブを向いている。
 不意に、一陣の風が吹いて帽子が飛んだ。ワルドは造作もなく杖を抜いて風を操り、飛んでいく帽子を手元に引き寄せた。
 帽子が落ちて髪が風になびく。嘗てはグレーだった髪が混じりのない白髪に変わっていた。
「…ふふ」
 今のワルドにあるのは抑えがたい戦いへの欲求だった。既に義手による狂気に侵されたワルドの精神は事実と夢想の境界線を越えて、
彼の脳裏の理想郷へとひた走っていた。
「……隊長」
 脇にならぶ傭兵がワルドを呼ぶ。現在のワルドの肩書きは『神聖アルビオン共和国トリステイン解放軍 上陸部隊隊長』だ。
「首尾は如何にするつもりで」
「はぁ…村と城を落せ…」
 ワルドは曖昧に答えた。
「はぁ。諒解しました」
「歯向かう者は…殺せ。遮るものは全て焼け。背を向けて逃げる者も追いかけて殺してしまえ…」
 不気味なものを感じた傭兵はそれ以上聞かずに列の中に戻っていった。



「アストン伯は手勢を率いてタルブ防衛にでるとのこと」
 寄せられた報告に会議は再び騒然となっていた。
「アストン伯の手駒など、精々100かそこらか。時間稼ぎにもならぬだろう」
 ヴァリエール公は渋い顔でそう言った。
 グラモン卿が立ち上がり拳を振り上げる。
「陛下!やはりここは王軍を率いてタルブに入りアルビオンと戦うべきですぞ」
 呼ばれたマリアンヌはグラモン卿の声に驚く。
 対抗するようにリッシュモンも立ち上がった。
「いいえ陛下!ここはどうかアルビオン側の誠意ある対応を待つべきです」
 両者並び立ち、上座のマリアンヌは困惑していた。その視線は下に控えているマザリーニに向かう。
 視線を認めたマザリーニは見据えた目でマリアンヌを見返す。
「陛下。ご決断を。この度は国難にありまして、拙が決めるには余りに重きことですので」
 淡々とした物言いにますますマリアンヌは困惑し、目を泳がせて空を漂わせた。集まる視線を反らしたい衝動が何とか口を吐いて言葉を続けさせた。
「…そ、そうです。ゲルマニアは今回の件について何か言ってはおらぬのですか。妃に迎える娘の国が難じているのですから」
 会議に列する諸侯の一人が文書をめくり、マリアンヌに応えた。
「ゲルマニアはこの度のアルビオン侵攻に際し『我が国はアルビオンの暴挙に際し、三国間の友好を願う立場から遺憾の意を表明する。
尚、トリステインとの軍事協約に基づき援護軍隊を現在編成中である。トリステインには我が国の参上まで侵攻せしアルビオンを食い止められたし』
との文書が届いております」
 それを聞いてぎりり、とヴァリエール公が歯を噛む。
(ゲルマニアめ、わが国が蹂躙されるのを黙って見ている腹だな…)

 ゲルマニアにとって神聖アルビオン共和国の掲げる『始祖の権威を傘に堕落した王政を打倒する』なる大義名分は、自国が巻き込まれる懸念が薄い。
あくまでトリステインが落ちれば防衛上の問題であるという見方である。であれば、現在のトリステイン・アルビオン間の対等の立場より、アルビオンに征服された後、
ゲルマニアがトリステインを解放するという名目で勢力下に飲み込むことの方が収支としては儲けが出る…。

「陛下、いかがなされますのか」
 マザリーニがマリアンヌに念を押した。なおもマリアンヌはおろおろとして会議の諸侯を見る。
 諸侯はその目を余さずマリアンヌに注いでいた。
 ややあって、玉座のマリアンヌは目を伏せ、浴びせられる視線から逃げた。
「……ゲルマニアを待ちましょう。それまではアルビオンからの返答に対応するための準備をしなさい。アストン伯には、領主屋敷に戻るように伝文を…」
「陛下!」
 グラモン卿が声を上げるのを振り切ってマリアンヌは続ける。
「諸侯の皆、此度は国のために論議を成してありがとう。私はアンリエッタとともに内宮で待つとします」
 マリアンヌが席を立って幕内へ隠れようとした、その時。
 どん、と内宮に通じる出入り口から音を立てて会議室に白い影が飛び込む。
 アンリエッタが花嫁らしからぬ息を上げて姿を現した。



 タルブ領主アストン伯は手勢80人を率いてタルブの村北東に陣取り、進軍するアルビオンの大軍を見た。
「伯。村の者は皆西の森へ避難したとのことです」
「そうか。…向こう方へ伝書を持たせたものは帰ってきたか」
「いえ……」
 部下は言葉を濁すが、アストン伯は強いて聞かなかった。
「陛下への直訴も返答が無い。どうしたものかな」
「伯、上空の戦艦が動きます!」
 部下の一人が空に浮かぶ船を指した。『レキシントン』の前面に備えられた艦砲が空気を割って煙を吐き出す。
「砲撃が来るぞ!拡散しろ!」
 アストン伯の声に応じて手勢の兵士が小集団に分かれて隘路一杯に拡散する。
 発射された砲弾は地面に着弾すると、炎を上げて広く地面を焼いた。
 アルビオンの新兵器『火竜弾』である。
 かわせたか、と汗を拭うアストン伯だったが、そもそも砲撃の着弾は自分たちを飛び越えて後方にある。
「へたくそめ…なんだあれは?!」
 毒吐いたアストン伯が目をむいた。着弾によって発生した火災は消える事無く轟々と燃え続けているのである。
 アストン伯らは炎の壁によって後退すら出来ぬ状態に陥った。
 それを確認したアルビオン上陸部隊から、気勢を上げて騎兵隊がこちらへ突撃する。
 アストン伯は押し迫るアルビオン軍を前に、確実に近づく死を感じ取った…。



 突然現れたアンリエッタは白装束のまま、しかし息を切らし、顔には憤りを乗せていた。
「お母様、マザリーニ。アルビオンが侵攻を始めたと聞きました」
 面食らったままのマリアンヌ。はたとして居住まいを直して玉座に戻り娘に応えた。
「いえ、まだアルビオンの侵略と断定されたわけではありませんよ。私は会議の拝聴で彼らと停船交渉をしつつ、アルビオン本国にも呼びかけを行うことにしました。
万一あれば、ゲルマニアも援軍の用意があるとのこと」
 おっとりとしてマリアンヌは娘を落ち着かせようと話す。下座で並ぶ諸侯は汗を浮かべ、ある者は憂鬱そうに、ある者は忸怩とした顔で俯いていた。
 アンリエッタは母を無視して振り返る。
「マザリーニ。我が国の空軍艦隊が壊滅されたというのは事実ですか」
「事実、でございます」
「アルビオンの艦隊は現在タルブで何をやっているのか把握できていますか」
「はい。目下タルブ盆地に向けて兵士を降ろし占領の企てと行動を進めている模様」
「領主はどうしていますか」
「手勢を率いて集落の防衛に出たと報告にあります」
「そうですか…」
 まくし立てるように聞くアンリエッタと、それに応えるマザリーニ。間に挟まれたマリアンヌは呆然と置かれていた。
 アンリエッタは母に振り向き、静かに問うた。
「お母様。私はアルビオンの王族殺し共が、始めから企てて今動いている様に思えるのですが」
 どこか冷たい目で自分を見る娘に、マリアンヌは気付かない。
「そのような事、あの者達に出来るものですか。あの者達は王族殺しの罪に憂いて条約の打診もしてきた輩ですよ。
今尚、始祖から続く王国に踏み込み罪を重ねる愚を冒さぬと私は考えています」
 ざわり、と諸侯が騒ぐ。
「今回の事件も、些細な行き違いから起こった不幸なのです。だからお前がそう困ることはないのですよ」
 優しくマリアンヌはアンリエッタを諭す。
 しかしアンリエッタには、母の言葉が虚しく聞こえた。
 彼女は指のルビーに手を重ね、しばしの間、目を瞑った。
 脳裏に優しく笑いかける男の姿が浮かぶ。心に冷たいものと暖かいものとが入り混じるように流れ込む気がした。
(義務を果さぬとは、こういうことなのね…)

「アン…?」
 どうしたの、と言いたげな母。そして目を開けたアンリエッタの目に、『覚悟』が篭っていた。
「陛下」
 『母』ではなく、『王』としてマリアンヌを呼んだのだ。
「…なんでしょうか」
 マリアンヌは様子のおかしい娘に釈然としないながらも答えた。
「王族の義務とはなんでしょうか。貴族の、統治する者の義務とは。
…私は考えます。それは己の血肉をすり減らしても、己の足元に寄り添う民草を守る事ではないでしょうか。私達王族はトリステイン数百万の民を治める義務を、
歴代の王から受け継いできました。我々が始祖の時代より培ってきたのは、伝説となりし始祖に連なるから、という事実だけではありません。
国を治め、民を育てていくという義務と意思であると、私は考えます。
…であるなら、今、タルブを蹂躙しようとしているアルビオンの無法者に対し、我々がやるべきことは、それほど難しいことでしょうか。
ここに歴々たる諸侯を集めさせるほどの」
「……はぁ」
 朗々となにやら話し始めた娘に、生返事を返したマリアンヌ。次の瞬間。

 パァン!

 乾いた破裂音が空を切った。
「「「!!」」」
 会議に出席する諸侯に電撃が走った。
 玉座に座るマリアンヌにアンリエッタが平手打ちを強かに張ったのだ。
「……ぇ?」
 状況が理解できないマリアンヌに対し、振り返ったアンリエッタの眼下には卓に着いた諸侯が並ぶ。
「トリステイン王女アンリエッタの名において、マリアンヌ女王の身を拘束する。誰か、陛下をお連れせよ」
 凛として聞かせるアンリエッタの声だった。だが、一連のやり取りに驚き、一瞬何者も動く事ができなかった。
「誰かいないのか!」
 檄が飛び、始めて控えていた衛兵が飛び込んでマリアンヌを抑え、部屋の外へと連れ出していった。
「ぇ?な、なんですかこれは…?」
 曳かれるように退室するマリアンヌは困惑のまま自室へ連れられていくのだった。

 唖然とした諸侯の視線が集まる中、純白のドレスに身を包んだままのアンリエッタが立つ。
「諸侯各位。女王陛下に成り代わって命ずる。至急王軍を編成し、タルブを占領するアルビオン軍を制圧する」
 おおぉ!とどよめく諸侯。
「出立に当たっては私が直接指揮を執ります。集められる兵を集めてタルブの防衛に努めるのです」
 アンリエッタの声にグラモン卿が応えた。
「承知仕りまして御座いますぞ!早速駐屯基地に戻りまして兵の招集と編成に取り掛からせていただきます。では!」
 そういってグラモン卿含め武官が会議室から飛び出していく。
「財務、法務の各位は緊急の出兵に掛かる費用並びにタルブの防衛後に必要になるだろう施策について協議を始めなさい。
財務官は加えて壊滅した艦隊再建に掛かる費用の見積もりもお願いします」
「し、承知致しました…」
 リッシュモンを始めとした文官もアンリエッタの迫力に逃げるように会議室を出て行く。
「残る諸侯各位には、今後の施策上で必要となるだろう事柄について提言を求めます。ただしあなた方だけではなく、サロンに残ってらっしゃるだろう各貴族にも
求めますので、この場は解散とします」
 そう言われては残るわけにも行かず、残された大貴族の歴々はそれぞれに叩頭して会議室を出て行った。
 最後に残ったヴァリエール公はどこか嬉しげに、恭しく叩頭して退席した。

 大会議室はマザリーニとアンリエッタを残してがらんとして、先ほどまでの喧騒が嘘のようだった。
「…お見事にございますな。殿下」
「覚悟を決めたまでです。王家としての義務について」
 ふぅ、と少し瞠目するアンリエッタ。
 …やってしまった。いや、やらなければいけなかった。本当なら、アルビオンが落ちる前に。ウェールズが逝く前に…。
「…マザリーニ。軍の編成まで時間が掛かります。それまでアストン伯の手勢では持たないでしょう。おそらくタルブに入る頃にはタルブの全領が
アルビオンの手の中に入っていると考えなければなりません。最悪、諸侯軍も収集することを考えましょう」
「それには及びませんぞ、殿下」
 どこか不敵な顔でマザリーニは答えた。
「なぜですか?」
「不詳このマザリーニ。殿下の婚約を通した際、ゲルマニアより招きよせた一団が御座います。『彼女ら』には第一報が入った時点で
タルブでアルビオン軍を抑えるように伝えております」

 タルブ村の北東出入り口で、錬金で作った土塁に身を隠すアストン伯以下部下達。
 炎の中を撤退できた者は伯を含めて30程度。このままでは身を捨てても村は、領地は落とされてしまう。
 目の前に近づいてくるアルビオン軍は『火竜弾』の炎が消えない為、彼らの進軍も遅延を余儀なくされているようだった。
「伯。ここは脱出して王都へお逃げください」
「馬鹿者。領地を捨てた貴族なぞ誰が振り返るか。私はここで戦う」
 気炎を吐いて見せたところでアストン伯自身も、この場を切り抜ける事はできないだろうと覚悟を決めざるを得なかった。


 タルブ南東部、そこは王都へと続く街道が引かれている。そこを家屋かと錯覚するほどの巨大な6台の馬車が進んでいた。
 馬車を曳く馬も巨大である。厚い毛皮を着込んだ重種馬に見えるが、黒々とした毛並みはわずかに塩の香りが漂う。南洋の大亀に匹敵する巨大さであった。
 しかし、それにも増して見るものが最も目を引かれるのは、この巨大馬の足が八つある点だ。連なる鎖が揺れるように八本の足が動いて巨大な馬車を曳いていた。
 そして馬車が止まると、六台の馬車からぞろぞろと人が降りてくる。その数、200。その悉くが背中に銃を背負い、ベルトに剣を挿していた。
 立ち並ぶ者達の前に、一人が立った。きらきらと陽光が反射する不可思議な銀色のコートを着け、目深に被った帽子で顔は判別できない。
背に負った長身銃に加え、腰には二振りの剣に二丁の短銃が下がっている。
「全体、整列」
 足並ぶ音が揃った。
「ご依頼の通り、我々はこの村の防衛に入る。バッカス、シェリー、ドロシー、エリーは私と共に村に入り領主の部隊と合流して正面を押さえる。
フォックス、ガーランドは丘に上がって準備が出来次第砲撃に入れ。以上だ」
「「「イエス・シスター・アニエス」」」
 号令と共に動き始める人員たち。その陣頭に立って動くコートの人間――アニエスは、遠く上空に見える巨大な艦影を睨んだ。



 マザリーニが聞かせた傭兵団の仔細にアンリエッタは少し疑わしげに聞く。
「その者達は使えるのですか」
「ゲルマニアは寄り集めの国、内乱が絶えませぬ。そこでは名のある傭兵団もいくつか、存在しておりましてな。
…『銀狼旅団』の者達ならば、同数のメイジ部隊とも引けを取らぬ者達であると、私は自負しております」
「…聞きます。その者達を国内に寄せた事を知っているのは」
「私を含め、極少数。陛下には通しておりませぬ」
「…そうですか」
 踝を返してアンリエッタは出て行こうとして、立ち止まった。
「マザリーニ。貴方も私と共にタルブ行きを命じます。よいですね」
「御意に御座います、殿下」
 そしてそのまま、アンリエッタは会議室を出て行くのだった。



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