あの作品のキャラがルイズに召喚されました @ ウィキ

虚無の闇-13


「助けてー!」

夕暮れの村に響いたのは甲高いエルザの悲鳴だった。牙をむき出しにしたアレクサンドルが森から飛び出し、村を歩いていたエルザをさらったのだ。
それにやや遅れて桃色髪の少女が猛追をかける。杖を振りながら地上ギリギリをフライで駆け、隙を見ては氷の矢を飛ばした。だが地面に無数の穴が開くばかりだ。
エルザを盾にするグールに積極的な攻撃は仕掛けられず、逃げ回る彼を追いかける事しかできない。何人もの村人が悲鳴をあげ、慌てて彼らの進路上から逃げ出した。

「見つけた!」

そこに颯爽と現れたのは、村で待機していた雪風のタバサ。先回りしてグールの行く手を遮り、逃げ回る足元へ掃射する。一発が右足を抉り、逃げ場を失った大男はついに足を止めた。
この連携によって必然的に挟み打ちの形となり、アレクサンドルはエルザを突き付けながらも必死に周囲を見回す。二人はジリジリと歩み寄っていく。

「グオオォォォ!!! オ前ラゴトキニイイ! 撤退ダ!」

アレクサンドルは空へ向って大きくエルザを投げ、ルイズたちは慌てて受け止めに走った。気を失ったのか、ぐったりしている体を優しく地面へと横たえる。
その隙にグールはマゼンタ婆さんの家へと逃げ込んでいた。メイジ両名は矢のようなフライで空を駆け、入口から出ようとした彼の胸へと無数の矢を突き立てる。
獣の咆哮をあげながらアレクサンドルはよろけ、逃げ場は無いと見て篭城しようと決めたのか、扉を破壊しかねない勢いで閉ざした。しかし魔法によって扉は一瞬で破壊され、ルイズたちも部屋の中へと入り込む。

「や、やっぱり! あいつがグールだったんだ!」

村人の一人が恐怖に駆られて悲鳴を上げた。小さな家の中からは物凄い破壊音が幾度となく響き、薄い壁を突き破って巨大な氷塊が飛び出しさえした。
狭い家の中で繰り広げられているだろう死闘を想像するも、メイジではない彼らは固唾を飲んで成り行きを見守る事しかできず、ただ少女たちの無事と吸血鬼の討滅を祈る。
胸の前で腕を組んで祈っていた人々は、響き渡る野獣の咆哮に身を竦ませた。果たしてあれは勝鬨であったのか、それとも断末魔だったのか。

「で、出てくるぞ!」

やがて二人の人影が飛び出すと、吸血鬼の根城はメラメラと炎上を開始した。熱で窓が砕け、穴の開いた壁からは炎が噴出す。大量の煤と煙が高々と立ち昇った。
ごくりと生きを飲んだ村人の顔が、次々に笑顔に染まっていく。天から始祖ブリミルが光臨なさったように、人々は尊敬の眼差しを持って出迎えた。
壊れた扉から出てきたのはグールと吸血鬼ではなく、あの騎士たちだ。所々汚れてはいるが、膨らんでいく希望に答えるように笑顔を浮かべている。
蒼い髪の方、つまりタバサは不安そうに居並ぶ村人たちを見回し、杖を掲げながら宣言した。

「吸血鬼とグールは、討伐された」

ハッキリと響く声に、村人たちは大歓声をもって答えた。




その後は村を挙げてのお祭り騒ぎとなった。今まで眠気を誘わないようにと、飲みたくとも飲めなかった酒を浴びるほど飲みまくる乱痴気騒ぎ。
打ち付けていた窓をこれでもかというほど開け、長らく篭っていた淀んだ空気を換気する光景が村のあちこちで見られた。薪の節約のために最低限にされていた火焚きも、明日からは制限される事は無い。
長老も村が救われたと大喜びし、任務は終わったと出発しようとする一行に縋りつかんばかりの勢いで引きとめた。そこまでされては悪いと、一晩だけ泊めて貰う事になる。

「いやあ、助かりましたぞ! 騎士様! まさかあれが演技だったとは知らず、とんだご無礼を……!」

「気にする事は無いわよ。敵を騙すにはまず味方から、ってね」

豪華な食事を振舞われながら、ルイズは得意げに言った。タバサは黙々とニガヨモギのサラダを食べているし、シルフィードは苦い物以外を片っ端から口に詰め込んでいるため、必然的にルイズが話役になっている。
タバサは相変わらず無表情だが、キュルケが見れば悩み事があると看破しただろう。事実タバサは、マゼンタ婆さんを吸血鬼として生贄に捧げたことを後悔していた。
しかし彼女を救う方法などなかったのだ。もとより吸血鬼だと疑われていたし、息子のアレクサンドルは本当にグールだった。一人で生活する事が出来ないのだから、もう彼女の未来など決まっている。
息子の死を嘆きながら不便な生活を送り、その中で孤独な死を迎えるよりはいいとルイズは言った。タバサはそれを覆すだけの考えが浮かばなかった。
ルイズのベホマによって一時的には動けるほどに回復したグールだが、擬似的な生命活動しかしていないのが仇になり、完璧に治癒させる事は出来なかった。エルザを襲わせた時はかなり無理していたから、いつただの死体に戻ってもおかしくなかったのだ。
恐慌状態の村人ではなく、最愛の息子の手で逝けたのだから、感謝されても良い位だと笑う。本人はもうこの世に居ないのだから、どちらが幸せなのかは永遠に謎のままだ。

「それで、エルザなのですが……。引き取り手に、心当たりがあります。任せてもらえないでしょうか?」

「おお、それは素晴らしい! こちらからお願いしたいほどです! ……エルザを、よろしくお願いします」

グールに誘拐されたのがショック療法になったという事で、エルザはルイズたちに懐いていた。30年以上も生きている彼女の演技だけあって、付き合いのある長老もころっと騙されている。
ダメだといわれれば勝手に連れ帰る予定だっただけに、堂々と村を出れるのは後腐れがなくてよかった。いつの間にか椅子の隣に立っていたエルザの頭をルイズは優しく撫でる。
事情を知る者にとっては後味の悪い、知らない者にとってはせめてもの歓迎だった夕餉。上っ面だけは砂糖とクリームでデコレーションされた場だった。どす黒い内側を知っているタバサの表情は硬い。
頃合を見て切り上げ、食べすぎでダウンしてしまったシルフィードを運びながら部屋に戻る。

「任務は成功、それでいいじゃない」

ベッドの上で変な唸り声を上げるシルフィードに回復呪文をかけながら、ルイズは大げさに肩を竦めた。どうやら食べ過ぎまで治せるほど便利ではないようだ。
シルフィードの自棄食いはルイズが原因だった。吸血鬼を連れ帰るのはまだしも、マゼンタ婆さんを犠牲にしたのが許せなかった。タバサの説得によってどうにか理解はしたものの、納得はしていなかった。
それでもきゅいきゅいと騒ぎ立てないのは、タバサが珍しく感情を出してお願いしたのと、約束どおりお腹一杯食べれた事、そして普段のルイズにはなんとなく逆らえないから、らしい。
やがてドアがノックされ、エルザがしきりに周囲を見ながら入ってきたときには、シルフィードは鼻提灯をつくっていびきをかいていた。

「さっきは偉かったわよ、エルザ……」

「はっ! は、はい、ルイズ様っ!」

扉を閉めるなり、エルザはガタガタと震えださんばかりだった。人を騙し命を奪う吸血鬼からは考えられないほどの弱気だ。
完膚なきまでに心を砕かれ、魂にまで楔が打ち込まれている。もはやエルザは、眠っているルイズを前にしても毛筋ほどの反抗を見出せないだろう。
万が一にも起きて来ないようにシルフィードへ眠りの呪文をかけさせ、タバサがサイレントによって音を遮断した。これでルイズたちの会話を聞くものは居ない。

「さて……、エルザ。貴方の役目は、うちの学院長をグールに変える事よ」

ルイズの口から紡がれるのは恐ろしい計画だった。優秀なメイジとしても名を馳せたオールド・オスマンを操ろうというのだ。
最高責任者である彼を傀儡と化せば、学院では限りなく自由に動けるだろう。一生徒では知りえない情報も無数に得られるし、300年の時を生きたとも言われているオスマンの知識だけでも、両手に余るほどの黄金と同じ価値を持っている。

「それは……」

「あら? どうしたの、タバサ」

自分の複雑な事情を知ってもなお自分を生徒として受け入れてくれた恩人を、グールにするという最悪の形で裏切る事は良心の呵責を感じるようだ。無駄とは思いながらも説得するタバサの口調は重い。

「絶対に彼である必要は無いけれど……。タバサ、本当にいいの?
フェニアのライブラリーには、貴重な書物も数多くあるというわ……。貴方のお母様を治す薬の情報だって、見つかるかもしれない。
それどころか、彼なら解毒剤そのものを持っている可能性だって有るわ。そうではなくても、手に入れるコネがあるかも。
私の魔法だって万能では無いから、解毒できない毒という物も存在している……。貴方の目的を達成できる手段は、一つだって多いほうがいいんじゃない?」

タバサの心は激しく揺れ動き、深く俯きながら杖を硬く握り締めている。タバサの持っている優しさと、目的を達成したいという欲望が戦っているのだ。
ルイズとて心を完全に操る事などできはしない。ただ甘い甘い毒を注ぎ続け、心のありようを少しずつ変えて行く事なら可能だった。

「タバサ、よく考えてみて……。オールド・オスマンは名前の通り老人よ? 明日にでも老衰してしまってもおかしくないわ。
あなたのお母様は、少なくとも彼よりは長く生きるのは間違いないでしょう? 必要な犠牲なのよ。
それどころかグールになれば、吸血鬼が生き続ける限り死ぬ事は無いわ。人助けといっても過言じゃないぐらいよ」

「……でも」

ようやく顔を上げたタバサだったが、その瞳には深い迷いが刻まれている。心中の動揺はよほど激しいのだろう。
人形であるという封印、そして作り上げた鎧にヒビが入っていた。その隙間から更なる魔が入り込む。

「それに、新たに摂取しないでも何年も効き続ける毒だなんて、よほど強力な物に違いない。
アルコールを飲み続けた人がどうなるか、タバサだって知っているでしょう? その先にあるのは死か、それに近いものだわ。
今ならまだきっと治せる。そう、今なら間に合う。まだあなたのお母様は手の届く所に居るのよ。間違いないわ。
でも、1週間、1ヶ月、1年。未来は誰にもわからない。永遠に手が届かない場所まで、毒に侵されてしまうかもしれない……」

人は誰しも悪魔になりたい訳ではない。ただ欲望と倫理観の秤が一方に傾いた時、そこに悪人と善人が生まれるだけだ。
タバサに染み込んで行く毒は少しだけ、そう、ほんの少しだけ、そのバランスを崩す役割をする。

「それに……」

「やって」

言葉を止めたルイズが再びタバサの瞳を見つめる。あの澄み切っていた瞳は間違いなく、ほの暗い濁りを持ち始めていた。

「オールド・オスマンをグールにして欲しい」

その声は吹雪のように響き、雪風の名に相応しい冷気を纏っていた。





イザベラ・ド・ガリアは恐怖を感じていた。今度こそ間違いなく死ぬだろうと思っていた人形娘が、衣服の乱れさえ無く帰ってきたからだ。
その報告を聞いた時、彼女はあまりに驚いたので嫌がらせを思い浮かべる暇さえなかった。侍女たちがシャルロットと呼んでいる事を咎めるのも忘れたほどだ。
淡々と報告をするシャルロットの目に感情の二文字は無く、布の塊であるヌイグルミのほうがよほど暖かいと断言できるほどの、冷たくて無機質な眼でイザベラを睨んでいる。
その瞳はこれまでになかった何かを孕んでいるようで、目を合わせてしまったイザベラは恐怖で叫びだしたくなった。必死のプライドで悲鳴を押しとどめ、精一杯の虚勢を張った。

「も、もう、用はないよ! 下がってな! ガーゴイル!」

去り際のタバサの顔は底知れないものを感じさせ、イザベラは全身を冷や汗で濡らした事を否定できず、もはや任務を言い渡すことさえ恐ろしいと思った。
怒った顔を見ればあいつだって人間だと安心できるはずだったのに、あんな顔をされたら、とても人間だとは思えないではないか。
侍女たちへ部屋で休むと怒鳴りつけながら、イザベラはただ背筋を襲う寒気に身を震わせた。



何も言われなかったことに少々の困惑を覚えつつも、プチ・トロワを後にしたタバサは、適当に書店を回った後で待ち合わせの場所へと向かった。
ルイズに言われたような珍しい本は無く、タバサが欲しい本も無かった。少なからず落胆したが、これから食事だとおもって気を取り直す。
タバサが数ある店の中から選んだだけあって、かなりレベルの高い店だった。大通りから一本内側へと入った所にあるお陰で落ち着いて食事ができるし、舌の肥えた貴族をして味も良いと評判のお店である。店主がハシバミ草の愛好家だというのもタバサの琴線に触れた。
苦味を抑えつつも独特の風味を生かしたハシバミ草のパイから、店主お勧めだが常人では苦すぎるニガヨモギとハシバミ草のサラダなど。オープンして間もないが、すっかり常連となっている。

「エルザ、パイを切るときは、こう、横にして……。あ、おかえり」

店に入るなりルイズがエルザの分のパイを切り分けているのを見てしまい、タバサは思わず硬直してしまった。生地の上に載せればミートパイだと言い張れるほど酷い事をやった割には、妹にやるような対応の仕方だ。
エルザの方はまだ思いきり腰が引けているが、日差しの降り注ぐ真昼間から貴族用の店でパイを食べた経験など吸血鬼には無いようで、慣れない手つきでパイをつついては美味しいと目を見開いている。
普通にみれば和む風景だけれども、あれを見てしまったタバサからすれば違和感があった。ここで目を覆うような事をやられても困るのは事実だけれども、オーク鬼がドレスを着てダンスを踊っているのを見たような気分になる。

「あら、私はとっても優しいわよ?」

タバサの顔をみて何を考えているのを察したようで、ルイズは自分のクックベリーパイにナイフを入れながらのたまった。
そのナイフをいつエルザに突き立てるのではないかと不安に思うタバサだったが、自分のお腹が小さく音を立てたのを聞いて、頬を赤らめながら席に座る。シルフィードも今頃は王宮で食事を貰っているはずだった。
メニューを真剣な眼差しで眺め、ハンターが獲物をねらうように品定めする。やってきたウェイターが常連客であるタバサに気づいたのか、よければ開発中の新商品の味見をすればいいと言い出し、タバサは当然のようにそれを加えたハシバミ草のフルコースを頼んだ。
他に客の少ないお陰か料理がやってくるスピードはかなり速く、あっという間にテーブルの上には所狭しと皿が並べられる。3人分と言われても頷ける量だったが、タバサは料理を取ってはひたすらに口に運ぶという作業を続け、見事に完食して見せた。

「相変わらず凄い食欲ね……」

「普通」

至極当然と言い切るタバサだったが、先ほどのウェイターがやってきて「流石はハシバミ草大食い大会の優勝者だ!」と褒め称えると頬を赤くする。
対照的にエルザは、ルイズが頼んだクックベリーパイを1切れ食べただけだった。人間用の食事は喉を通らない訳ではないが、ほとんど栄養には出来ならしい。長年に渡って人間の演技をしてきたから、味覚は似ているようだが。
幸いにも店を出て書店を巡っている途中、人気の無い裏道でいかにもチンピラといった男が居たため、それがエルザの昼食となった。
男の首がへし折られ、物陰へ引きずり込まれるのを見ていたが、タバサは何も言わなかった。





太陽が赤銅色の光を放つ頃、一行はラグドリアン湖のほとりにあるオルレアン公の屋敷へと降り立った。
歴史を感じさせる立派な門にはガリア王家の家紋が刻まれていたが、それは斜めに大きく切り裂かれ、王家でありながらその権利を剥奪された事を示している。
シルフィードの背中に乗って上空から見た限り、屋敷の周辺だけは庭の手入れもされていたが、それ以外の部分は雑草が伸び放題になっている場所も多々あった。
ほぼ完全に手入れが行き届き、美しい庭園をいくつも抱えているヴァリエール領からすれば、あまりに無残だ。それでも客人が通るような道だけは、失礼にあたらないように手入れがなされている。
玄関前の馬周りまでタバサたちが歩いて行くと、屋敷の中から一人の老僕が息を切らせて飛び出してきた。

「おお! お嬢様……! よくぞ、よくぞご無事で……!」

興奮で顔を赤くした彼の目じりには涙が浮かんでいる。吸血鬼を一人で討伐して来いと命じられたのだから、もうタバサは帰らないものと思っていたのだろう。
それでも良くできた執事の本能で、主人たるタバサに抱きつくようなまねはしなかった。ただ深々と腰を折り、3人を恭しく屋敷へと招き入れる。
豪華な外見に負けないほど内装はどれも美しく、掃除も完璧に行き届いていたが、邸内を居間まで歩いても誰ともすれ違わない。葬式でもやっているような静けさだった。

「このぐらいの人数なら、どこかに隠れるというのも容易そうね」

いずれここを逃げ出す事を考えれば、使用人が少ないのは好都合だ。このサイズの屋敷を管理できるほどの少数精鋭ならば、有能であることは疑いようもない。
ルイズは柔らかいエルザの体を膝に乗せる形で抱き抱え、無意識的に肌を撫でている。抱かれているエルザの表情は場違いなほど歪んでいるが、抱き心地が悪いと耳元でささやかれて以来、命令に反して体を硬直させるという自殺行為はしていない。
タバサはこの吸血鬼の少女に少しだけ同情した。あれがよほどのトラウマになったのか、ルイズが命じれば例え火の中だろうが刃の中だろうが構わず突撃していきそうだ。
だが完全に地獄というわけでもなく、ルイズは基本的にはエルザに優しい。二人ともリュティスで購入した貴族用の服を着ているから、見ようによっては姉妹のように見える。購入費用はルイズのポケットマネーだった。
ルイズが自分の血を飲ませているのを見た事があったし、彼女にとって今の生活とメイジに追われる生活のどちらが幸せなのか、タバサには判断できなかった。

「お母様を見てほしい」

先に連絡用のガーゴイルを使って手紙を送ったものの、基本的には使用されない浴槽を稼働させるにはかなりの時間が必要だった。ただでさえ人手不足であるから、尚更だ。
お風呂の用意が出来るまでの時間を使って、タバサは母の治療を頼むことにした。先住魔法を使えるエルザとルイズのコンビは、そこらの水メイジを十人単位で掻き集めるより有能だろう。
それでもつらい現実を突きつけられるのが怖いのか、タバサの表情は普段よりも輪をかけて無表情に見えた。杖を握る腕にも力がこもっている。

「タバサ、安心して。あなたのお母様は、絶対に取り戻すわ」

その胸のしこりを解きほぐすように、絶妙のタイミングでルイズが優しい言葉をかけた。愛を失って砂漠のように乾いていた心に、麻薬の溶けた水が染み込む。
タバサは溺れてはいけないと思いながらも抵抗できず、エルザにやるように頭をなでるルイズの腕を振り払えなかった。慈愛と優しさが手の平から流れ込んでくるように感じ、顔が少し赤くなる。

「……こっち」

やがて頬の熱を自覚したのか、気恥ずかしいとばかりに振り返ったタバサの後に一行は続く。ニヤニヤと生暖かい眼差しを送るルイズを直視しかねたのか、タバサはたまに視線を送ってはすぐに逸らした。
相変わらず人気のない屋敷の中を歩き、母が捉えられているという部屋の前まで来た。何度かノックしたタバサがドアを開くと、中から響いてきたのはヒステリックな女性の声だ。それを聞いたタバサは苦虫を噛み潰したような表情になる。
部屋はどんよりと薄暗く、この屋敷では考えられないほど物が散乱している。まともに掃除もできないのか、部屋の隅には蜘蛛が巣を作っていた。

「王家の回し者め! シャルロットを亡き者にする気ですか!」

投げつけられた香水の瓶を、タバサは避けもせず額で受けた。裂けた皮膚から一筋の赤い川が流れ、それを見たルイズが顔をしかめる。
手元にある小さな人形をシャルロットだと思い込んでいるようで、タバサの母は人形をわが子のように抱きしめていた。彼女にとってはあれこそがシャルロットなのだろう。
伸び放題の髪とやせ細ったその姿が合わさって、横にいるエルザなどよりもよほど吸血鬼じみて見える。人間をこうも狂わせる毒となれば、かなり恐ろしい物だといえた。
最愛の娘を前にして人形を抱き続け、娘を守るための言葉が刃となってタバサを切り裂く。彼女はエルザの先住魔法によって深い眠りに落ち、部屋にはようやく沈黙が戻った。
無害とはいえ魔法を使うのは心が痛むのか、タバサは涙を隠すように俯いて押し黙った。

「これほどまでとはね……。エルザ、どう思う?」

右手に霧を集めながら弛緩した肉体の上で手を滑らせていたルイズは、大きく溜息を吐いてエルザへと向き直る。
あわよくば霧に吸収させる事も出来るのではないかと踏んだのだが、そこまで軟な毒ではなかったようだ。下手に刺激しては人格が壊れる可能性がある。
不機嫌な主に指名されたことで体を震わせた少女は、殆ど何も分からなかった事におびえながら、それでも必死に思いついた事を並べた。

「は、はい……。その、水の先住魔法みたいな、感じが、しました……。グールとは、またちょっと、違くて……」

「やっぱり、毒というよりは呪いって感じね……。キアリーではなく、シャナク、か……。ありがと、エルザ」

タバサの額の傷をホイミで癒しながら、ルイズはよほど強力なものでない限り毒は消せるだろうとタバサの耳元で囁いた。少なくともエルフが作れる薬程度のものなら、まず間違いないと。
そしてそのためには、ルイズだけが使える魔法の情報を集めなければならないと言った。オスマンをグールにすれば、その情報も見つかるかもしれない。
すでにタバサの中でオスマンをグールにする事は決定事項であり、母が取り戻せる可能性が大きいと聞いて、抑えがたい期待に胸を膨らませた。

「今はまだ、これぐらいしか……。できないけれど」

憑き物が落ちたように眠り続けるタバサの母をベッドに運び、ルイズはできる限りのベホマを唱える。温かな光が全身を包み、ほんの気休めだが、それでも少しは血色がよくなった。
これ以上ここに居ても出来る事は無いと、ルイズとエルザは一足先に浴場へと向かった。扉が金属音を立てて閉まると、薄暗い部屋には微かな寝息だけが響いている。
独り残ったタバサは、安らかに眠る母の胸に縋りついた。暖かい体温を貪るように顔をうずめ、涙を零しながら宣言する。
その顔は幼子のように脆く、老人のように硬く、少女のように純粋で、暗殺者のように淀んでいた。噛み切られた唇からは一筋の血が流れ落ち、純白のシーツに無数の花を咲かせた。

「貴方の夫を殺し、貴方をこのようにした者どもの首を、いずれ必ず、ここに並べに戻って参ります。
かの簒奪者を骸を引き裂き、オーク鬼に食わせ、魂を永遠の煉獄へと送りこんで見せます。尽きることのない地獄を見せてやります。
その日まで、貴方が娘に与えた人形が仇どもを欺けるようお祈りください」

心を満たし、ついには溢れ出た憎悪は、人形の顔を恐ろしい悪鬼へと変貌させていた。


新着情報

取得中です。