あの作品のキャラがルイズに召喚されました @ ウィキ

もう一人の『左手』-34


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「例のワルドの報告、――お主は耳にしたか?」
 薄暗い部屋の中、マザリーニは、眼前の椅子に座る男に尋ねた。
「ウェールズ殿下が一度戦死され、“虚無”の秘儀で蘇生された――という、例の報告ですか?」
「そうじゃ。貴公はいかが思う?」

 銀髪が美しい初老の男は、しばし目を俯けて心中の言葉を探っているようであったが、やがて硬い視線をマザリーニに向けた。
「分かりませぬ。ワルドは……少なくとも私が知る限り、左様な虚言を軽々しく流す者ではありませんからな」
「余人ならばいざ知らず、情報源が彼奴である以上、信じる価値はある、と?」
 確認するようなマザリーニの言葉に、男は重厚に頷き、枢機卿はさらに重い溜め息をついた。

 男の名はリッシュモン。
 トリステイン王国の高等法院長。
 この国の司法長官と検事総長と最高裁判所判事を兼ねる。
 そしてトリステインに於ける、『レコン・キスタ』最高幹部の一人。
 その彼がいま、枢機卿の私室で“組織”の情報を暴露している事実を知る者は、誰もいない。

 白髪。小皺。張りの無い肌。――だが、外貌とは裏腹に、マザリーニは老け込んではいない。
 彼は年齢から言えば、まだ四十代に過ぎず、頭脳も筋骨もまだまだ働き盛りだ。それを証明するように、その男の眼光は炯炯とした光を放っており、決して『鳥の骨』などと揶揄されるような老骨には見えない。
 実際、マザリーニが永年にわたり、トリステインの内政と外交に辣腕を振るってきたのは事実なのだ。彼がいなければ、先代ヘンリー王の崩御以降、迷走を続けるこの国の政治はどうなっていたか分からない。

 行政権をもつ王政府と、司法権をもつ高等法院。その二つの機関の長が昵懇であるなど、想像する者さえこの国にはいまい。事実、王政府と高等法院は様々な政策において、陰日向に対立を繰り返してきた。それこそが国家の健全な姿であるという意見もあるくらいだ。
 だがリッシュモンは、その痩身痩躯で国一つを支え続けるマザリーニに、立場を越える敬意を覚えざるを得なかった。
 そしてマザリーニも同じく、リッシュモンの硬骨の人格と、司法の頂点に立つ者としての高潔さを評価していた。――つまり、彼らは政敵であると同時に友人であった。互いに談笑する事も、酒を酌み交わす事も無かったが、二人は互いを深く理解しあっていた。

 その信頼があればこそ、リッシュモンは辞表と同時にマザリーニに告げたのだ。
『レコン・キスタ』に誘われたと。たとえ彼らに加盟せずとも、彼らから誘致された事実だけで、職を辞するには充分な理由だと。高等法院長という重職は、国家の誰よりも――国王よりも高潔であらねばならぬ。ならばいまの私に、国法を司る資格は、もはや無いと。
 そして、そんな彼の辞表を破り捨てながら、マザリーニも言った。
 辞職は認めぬ。さらに『レコン・キスタ』の誘致も受諾して欲しいと。

「…………」
「…………」

 互いに、しばし言葉はなかった。
 だが、リッシュモンは、やがてぽつりと、
「分かりました、猊下」
 と言い、それを受けたマザリーニも、愛想笑い一つ作るでもなく、
「礼を言う」
 と言葉を返した。


 それから数ヶ月。持ち前の官位と官職、何よりその人柄から、リッシュモンが『レコン・キスタ』トリステイン支部長ともいうべき座に就くのに、時間はさほど必要ではなかった。
 クロムウェルの人格・能力から、『レコン・キスタ』の現有戦力や組織内部の勢力関係。そして何より、魔法衛士隊グリフォン隊隊長を始め、国家の重臣でありながら祖国を裏切った、王宮内の貴族たちのリスト。


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 マザリーニは、リッシュモンからもたらされる、それら数々の貴重な情報を耳にしながら、彼ら裏切り者たちへの態度を一分も改めず、情報の機密レベルを上げることもなく、またマリアンヌやアンリエッタにも報告しなかった。
 来たるべき一斉検挙の日まで、彼奴らを絶対に警戒させてはならないからだ。
 なにより、面が割れてしまった間諜など、こっちからすれば、逆に利用できるだけの便利な存在に過ぎない。王宮内の内通者などというデリケートな話題で、王族たちの神経を苛立たせる気は、マザリーニにはなかった。
 それはリッシュモンも理解している。
 高等法院長として、長らく法を管理してきた彼からすれば、言葉は悪いが、やはり王家の女性たちなど、前王の遺児と未亡人であるに過ぎなかったからだ。だからといって打倒して政権を奪おうとまでは飛躍する気は無いが。

 もっとも、そのせいで、王女の隠密行動に、間諜の一人であるグリフォン隊隊長が護衛として加わるという、滑稽な事件が起こったりもしたのだが。
 ワルドが内通者と知りつつ泳がせていたのはマザリーニの独断だ。だから、アルビオンでの王党派の敗北にワルドが1リーブルでも関与しているならば、この件で、宰相としての彼の政治家人生は終わりだ。
 だが、だからといって、官職の椅子に見苦しくしがみつく気はないし、王女の突拍子もない行動を追及する気はない。誰かが泥を被れば済むのなら、自分が被るまでだ。その程度の覚悟が無くして、どうして一国の政(まつりごと)を担えよう。――マザリーニはそう思う。
 だが、今はまだだ。まだ政治の表舞台から追放されるわけには行かぬ。この難局を切り抜けるには、どう考えても自分の力が要る。状況がマザリーニの考える通りの事態であったならば、世界が迷走を始めるのは、これからのはずだからだ。


「……リッシュモン、おぬしらの中に、クロムウェルの“虚無”をその目で確認した者はおるのか?」
「いいえ、おりません。おそらくは此度アルビオンへ渡ったワルド以外には」
「真実と思うか、その“虚無”は?」
「分かりません。……しかし、見た者にそうと信じ込ませるシロモノではあるのでしょう。さもなければ、いかにアルビオンの貴族どもが酔狂であったとしても、一介の僧ごときを担ごうなどとはしますまい」
「……」
「ですが猊下、この件の問題はそこではありませんぞ」
「わかっておる」
 マザリーニは、青い顔をさらに蒼白にして、頷いた。

 いま、戦々恐々としてアルビオンの成り行きを見つめている周辺諸国にとって、最も恐るべき事態とは、強力なリーダーを中心として、アルビオンの貴族が一本化し、事実上の挙国一致体制をとる事なのだ。
 議会という意見調整の場は、言い方を変えれば公的な政争の場であるとも言える。
 ならば何人かの議員(=貴族)を抱き込んで、議会を紛糾させれば、議会制共和主義を標榜する『レコン・キスタ』は彼らを無視する事は出来ない。彼らの国家体制は、いまだ三権分立を確立させるところまで進歩してはいないからだ。
 つまり、いまのアルビオン新政府では、議会が揉めるほどに国家としての行政行動に支障をきたすはずだ。そう思ったマザリーニは、すでに何人かのアルビオン貴族に莫大な謝礼を支払い、手筈を整えさせていた。
――しかし、そんな小細工が通用するのもクロムウェルが首領であればこそだ。指導者としてのウェールズのカリスマは、クロムウェルごときの比ではない。アルビオンは瞬く間に団結し、一糸乱れぬ安定した体制を整備してしまうだろう。

……だが、それには大きな疑問点が一つある。
 ウェールズがカリスマを持ち得る場合は、彼が本物で、なおかつ正気である場合に限られるのだ。

「リッシュモン、アルビオンへ行け。そなたを遣わす用向きは、こちらで何とでも考える」
「見極めろ、と?」
「ワルドが嘘をついているか否かはワシにも分からん。じゃが、万一のことがある。万一に備えて、その“ウェールズ”を見極めるのじゃ。そやつがただの影武者か、それとも皇太子殿下本人であるのかをな」
「……」
「クロムウェルの“虚無”ごときはどうでもよい。どうせマジックアイテムか手品の類いであろう。じゃが、もしウェールズ殿下が、本心から『レコン・キスタ』に参加しているのであれば、……ワシごときにはもはや、何が起こっておるのか見当も付かぬ……」
 マザリーニは搾り出すように言った。


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 そうなのだ。
 ウェールズが自らの生存と正気を、クロムウェルの“虚無”の噂を逆利用して、意図的にうやむやにしている可能性を考えるならば、ここで問題になってくるのは、ウェールズの真意である。
 彼からすれば『レコン・キスタ』は、自らが継ぐべき国を奪い取った簒奪者である。つまりは“敵”だ。それ以上でもそれ以下でもあろうはずがない。だから皇太子が正気でクロムウェルの帷幕に参じる事など在り得るはずがない。
 ならば、そのウェールズは影武者か、もしくは洗脳された人形でなければならない。
――だが、もしウェールズが影武者ないし人形ならば、“虚無”で復活したなどという噂が流れるだろうか? 王家最後の皇太子が革命の大義を自ら認めた事実を、より前面に出して喧伝した方が、『レコン・キスタ』内部の士気は更に上がるはずだ。

 つまり、“虚無”はともかく、客観的に見れば、復活の噂そのものに何らかの意図があると疑わざるを得ない。いやウェールズならば、諸国がその疑惑を持つことさえ、当然計算に入れているだろう。
 ウェールズの真意はともかく、彼が正気でクロムウェルの側近となっているならば、戦争を回避できる確立が、客観的に見て飛躍的に高くなる。何を考えているのか分からないクロムウェルより、どう見てもウェールズの方が、常識が通じそうだからだ。
 それはトリステインとて例外ではない。王宮最大の主戦論者であるアンリエッタも、ウェールズの生存を知ってなおアルビオンに攻め込もうと主張し続けるとは、到底マザリーニにも思えないのだから。
 そして、その和平への可能性こそが、『レコン・キスタ』に対するアルビオン包囲網の、戦意と足並みを最大限に乱すことになるだろう。
――結果、アルビオンは数年分の時間的余裕を得ることに成功するはずだ。

 しかし、マザリーニには分からない。
 継ぐべきはずの王権を叩き潰された男が、あえて仇敵の軍陣に身を投じ、一体何を為そうとしているのか。自らの国を滅ぼした『レコン・キスタ』を利用し、さらに何を狙っているのか。

「まあ、ワシの杞憂であってくれれば、それで済むのじゃがな」
 自らを慰めるように彼は自嘲する。あくまで可能性の問題、確認が取れるまでは空論に過ぎぬと自身を叱り付ける。だが……絶望的な予感は一向にやまない。
 それと歩調を合わせるようにリッシュモンも沈鬱な口を開く。
「なれど猊下、――最悪の事態の可能性も、やはり考えておかねばなりませんぞ」

 最悪の事態とは言うまでも無い。
 ウェールズが『レコン・キスタ』とクロムウェルを隠れ蓑に、ハルケギニア統一という途方も無い野望を抱いてしまっている場合である。
 アルビオン国王としてではなく、あくまでクロムウェルの影としての天下布武ならば、“始祖の末裔”たるテューダー家の名誉は「侵略者」の誹謗を受けずに済む。
 いや、それどころか『レコン・キスタ』の掲げる王権否定や聖地回復のスローガンほど、他国への侵略や統治にうってつけの大義は無い。
 もしかすると今回の内乱自体、テューダー王朝という軛(くびき)から自らを解放するための、ウェールズの大いなる狂言だったのかも知れない……。

 加速し続ける黒い予感に、……枢機卿は笑った。
「リッシュモン、……お互い、長生きはしたくないのう」
 この歳になっても苦労は終わらぬ。疲れた笑顔でそう訴える枢機卿を見て、リッシュモンも静かに微笑んだ。
「それでも、最善を尽くす以外にはありますまい。我らは、それ以外のやり方を知りませぬからな」


((((((((((((((((((

「いいかげんに起きなさいっ、このばか犬っっ!!」

(やべぇっ!!)
 平賀才人は跳ね起きた。
 起こす側である自分が、起こされる側の少女に叩き起こされる。
 つまりは寝坊。すなわち遅刻。怒るのはルイズ。怒られるのは自分。
 そうなると末路は明白だ。股間に蹴りが飛んでくるか、背中に鞭が飛んでくるか、もしくはワラ布団ごと爆破されるか……。
 そこまでの思考が脳裡をよぎった時、ふと、周囲を見回す。

「あれ……?」


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 狭く、暗く、汚い空間。
 彼が横になっているベッド以外に、室内には所狭しと物が置かれ、雑然と積まれた樽が窓の一つを塞いでいる。小鳥の鳴き声と空気の湿度から早朝だという事は分かるが、窓から光が入って来ないため、一瞬夜かと思ってしまう。
 何より、この部屋に沁み付いた、溺れてしまいそうな程に強烈なワイン臭。何でも、ワイン蔵に入りきらない酒樽を、一時期この空間に保管するのだそうだ。
 ハルケギニアに召喚されて以来、床での雑魚寝や野宿さえ経験した才人であったが、そんな彼でもこの酒臭さには、いささかならず閉口したものだった。
 まあ、疲労しきった彼の肉体は、そんな状況でさえ、平然と眠りを強制する若さを持っていたが。
(何事も慣れだって「寄生獣」の後藤も言ってたけど、……素直に適応できちまう俺ってのも、我ながら微妙なんだよな)

 ここはトリステイン魔法学院ではない。
 タルブとかいう農村の倉庫小屋だったはずだ。
――まあ、はっきり言って客人を泊めるような部屋では全然ないのだが、こちとら、村の好意に甘えて厄介になっている立場なのだ。部屋がクサイなどと贅沢を言えるわけが無い。
(もう日本の風景は、夢にさえ出てこねえか)
 そう思うと、仕方がないと分かってはいても、若干の寂しさが募る。
 いや、寂しいのは、自分だけではないはずだ。
「ルイズのやつ……自分一人でちゃんと起きてるかな……?」
 思わず呟いてから、失笑する。

 才人はベッドから立ち上がった。
 まだ身体に痛みが走るが、それでも動けないほどではない。これなら今日か明日中には魔法学院まで帰れそうだ。無論、歩いて帰れと言われれば不可能に近いだろうが、ドラゴンの背に乗るくらいなら支障はないだろう。
「あれ……?」
 そこまで考えて、ふと彼は周囲を見回す。
 何か静かだと思ったら、いつもきゅいきゅい騒がしいアイツがいない。
 壁に立てかけてあるデルフリンガーを取ると、鞘から数センチほど抜刀する。

「ふわぁぁぁぁ~~~~~~、おはよう相棒」
「おはようデルフ。ちょいと訊きたいことがあるんだけどよ」
「あの韻竜の娘っ子なら、明け方に出て行っちまったぜ。一度学校に帰ってネエチャンに会うとか言って」
「学校? 魔法学院の事か?」
「ああ、確かそんな名前だったけ」
「なら姉ちゃんってのは? 家族の話題出したら泣きそうになるような奴だぜ?」
「知らね。オネエサマって言ってたから、てっきり家族の事かと思ったけど、考えてみれば、そりゃおかしいよな」
「お姉さま……そうか……そう言ってたのか」

 シルフィードに実の姉がいるのかどうかは知らないが、彼女が日頃「おねえさま」と呼ぶのはタバサ以外にいない。タバサが魔法学院に帰っているという事は、キュルケやギーシュも無事であると考えて間違いないだろう。
 ならばルイズは……?

 そこまで考えて、その思考は中断された。
 不意に耳に届いたノック音。
「あ、――どうぞ」
「失礼します」
 そう言って、パンとスープを載せた盆を持って入室して来たのは、確かどこかで見覚えがある――、

「あれ? あなた確か……ミス・ヴァリエールの使い魔さんの……?」


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 草色の木綿のシャツに茶色のスカート。地味だけど、可憐さが匂い立つような格好は、少女が普段身に纏うメイド服とは、また違う趣きがあった。
 そう、おれはこの娘を知っている。
 たしか掃除や洗濯の仕方とか、蒸し風呂の使い方とか、井戸の汲み方とか教えてくれたメイドさん。そういや厨房でメシの厄介にもなったっけ。
「しえすた、だったっけ?」
「いかにも、そのシエスタですけど、……でも使い魔さんが何故うちの倉庫に?」


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「伯父上が騒いでいる、と?」
 アンリエッタはそう聞いて、思わずアニエスを振り返った。
 この侍女が、ひとたび剣を抜けば、一呼吸で数人を斬り伏せる手練の刀術者である事実は、まだ知る者は少ない。が、その剣客の侍女を相手にアンリエッタは、逆に切り込むような眼差しを返す。
「どういう事です?」
 その問いに、アニエスは困惑したように答える。
「どうやらニューカッスルから持ち出した『風』のルビーと“始祖のオルゴール”が、いつの間にか紛失しているという事らしいのですが……」
「……」
 アンリエッタは瞑目して答えなかった。
 いや、その態度自体が、口篭もった先を言えと命じているのをアニエスは感じた。

「どうやらジェームズ陛下は……アルビオンからの脱出行で、ラ・ヴァリエール嬢が自分から盗んだと主張されておられるようでして……」

 握り締めた拳が、みしりと音を立てる。
 薔薇の花びらのような唇は、真一文字に結ばれ、憤怒で顔色は蒼白になっている。
 純白のドレスに包まれた小さな肩は、瘧(おこり)にかかったように細かく震え、それでいて見開かれた大きな眼には、一分の揺らぎもない。
……アニエスは、少なくともここまで怒りをあらわにした王女を見たことがなかった。

 王家の娘としての嗜みで、全力の努力で舌打ちをガマンする。
 すでにアンリエッタは、ジェームズと同じ脱出艇にルイズと同乗した女官たちから、話を聞いている。ルイズは、ただ狼狽するだけだった彼らを指揮し、フネを無事にラ・ロシェールまで辿り着かせようとしたのだという。
 そんな彼女を……よくもまあ、ぬけぬけと……ッッッ!!

 怒りをこらえ、アンリエッタは卓上の鈴を手にとると、玲瓏な音色を三回響かせた。
 アニエスとは違う、別の侍女が入室し、微笑む。
「殿下、何か御用ですか?」
「ええ、少し待って。――アニエス、紙とペンを」
「はい」
 小盆に乗せられたガチョウの羽のペンと羊皮紙、そしてインク壺。
 アンリエッタは羽ペンにインクを浸すと、見事な筆跡でさらさらと長文を書き記し、最後に花押を押し、その侍女に預けた。
「ジェームズ陛下に、それを渡してください」
「はい」
 深深と頭を下げ、退室していった侍女の背中を見ながら、アニエスは尋ねた。その書付には何をお書きになったのですか、と。
 アンリエッタは寂しげに微笑むと、花びらのような唇を開いた。

「始祖の秘宝とルビーを紛失なされたことは大変遺憾に思います。されど、陛下がお疑いのルイズ・フランソワーズは、わたくしの大事な友人であり、国内有数の大諸侯の末娘であります。これ以上彼女を辱める事は、祖国を失った陛下のお為にならないかと存知ます」

 アニエスは呆然とした。
 これでは脅迫ではないか。
 そんな自分の行為のはしたなさを、アンリエッタも充分理解しているのだろう。恥らうようにアニエスから背を向けた。だが、その背中は今の手紙を後悔しているようには、全く見えなかった。
(お変わりになられた)
 アニエスは思わざるを得ない。


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 だが、当のアンリエッタは、自分が以前に比べて変わったなどとは、さらさら思ってはいない。
 あるのは今回の一件に対する悲嘆と絶望。それと『レコン・キスタ』への、言いようのない怒り。
 それ以外には、アンリエッタの胸中には何もない。
 今後のトリステインの内政外交問題についても、宰相マザリーニと太后マリアンヌの関係についても、一ヵ月後には結婚するゲルマニア皇帝の人となりについても、彼女の心は全く関心を覚えない。どうでもいいとしか思えない。
――いや、例外はある。
 ウェールズのいない灰色の世界で、いま生きている他者に対して、アンリエッタが積極的に抱く感情と言えば、唯一、ルイズに対する謝罪の意思くらいだ。

 もとをただせば、アンリエッタ個人には、アルビオンにルイズを送り込もうなどという意図は、全くなかったと言っていい。
 彼女が魔法学院の寮に現れたのは、ただひたすらに、数年ぶりに会う旧友に、今回の結婚の愚痴を聞いて欲しかっただけなのだ。ウェールズとの手紙が話題に出たのも、高貴な出自の者独特の癖で、ただ不幸に酔って見たかっただけなのだ。
 王女たる自分が、本気で手紙を回収しようと思ったなら、もっといくらでも他に方法があるはずなのだから。

 まさか、ルイズが――手紙を取りに戦場に行くと言い出すなど、いくら何でも誰が予想しようか?

 ルイズの言葉は嬉しかったし、学生の身分で、怪盗『土くれ』のフーケを逮捕した彼女の言葉は、確かに信じる価値はあった。あると思った。だからその時、自分の護衛に就いていたワルド子爵を、特別にルイズの護衛に任じ、やらせてみようと希望を持ったのだが……。
(王女ともあろうものが、なんという愚劣な……ッッッッ!!)
 こんな危険極まりない任務に、唯一と言ってもいい私的な友人を巻き込み、戦場に追いやってしまうなど、冷静になってみれば、まさしく正気とも思えない選択肢だ。下手をすれば自分は、想い人のみならず、友人さえも失っていたかも知れないのだ。

 だが、あの場に於いて最良の選択だと思ってしまったのも事実なのだ。
 子供の恋文一枚ごときが、政略結婚の障害になると真面目に考えるほど、アンリエッタはバカではない。だから最悪、昔の手紙は放っておいていい。
 だが、アンリエッタの真意は手紙の回収などではなく、ウェールズへの亡命の呼びかけにあった。である以上、どうしても宰相の息がかかった者に今回の任務を依頼する事は出来なかったのだ。
 何故なら、『レコン・キスタ』との絶好の開戦の口実になるウェールズを、トリステインに亡命させる事など、あの枢機卿が了承するはずがないからだ。
 アンリエッタは知っている。
 あの地味で、小柄で、痩せぎすの、官吏の典型のような風貌を持つ枢機卿が、その気になればどれほどの影響力を宮廷に発揮するかという事を。
 だから、アンリエッタはどうしても王宮のメイジに、今回の任務を依頼出来なかったのだ。そして、そんな時にかつての旧友と再会する機に恵まれ、その婚約者たるスクウェア・メイジも、あつらえたように自分の護衛として魔法学院に同行している……。

 だが、いかに切羽詰っていたとはいえ、自分が取った選択は、許される事ではない。

「ルイズ・フランソワーズはどうしています?」
 そう訊かれて、アニエスは済まなさそうに俯いた。
「いまだ意識は戻っていないとの事ですが、さきほどヴァリエール公爵と長女のエレオノール様が、病棟に御到着になったようです」
 アンリエッタは軽く頷く。
 無論、二人ともに面識はある。ヴァリエール家の娘たちは昔、アンリエッタの『遊び相手』として選ばれ、よく公爵家の私領まで遊びに出かけたものだった。
 そういえば、ヴァリエール公爵は宮廷貴族たちの重鎮だし、エレオノールはアカデミーの主任研究員として、両者ともにトリスタニアに私邸を構えていたはずだ。
「ルイズの病室へ向かいます」

 そう、ルイズはいま、この王宮の特別病棟で、その昏睡状態の肉体を横たえている。


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「へぇ~~、すっごいっすねサイトさんって。俺だったら絶対そんな生活耐えられないですよ」
 シエスタのすぐ下の弟であるジュリアンが、感心したように言う。
 いや、ジュリアンだけでなく、シエスタ一家の皆さんは、いつの間にか才人の語る「使い魔生活日記」に耳を傾けていた。
「ま、慣れだよ慣れ。やってみれば何とかなるもんさ」
 開き直ったように言う才人を、デルフリンガーがまぜっかえす。
「でも、どっちかと言えば、馴らされているのは相棒、オマエの方じゃね?」
「おれは動物か!?」
 そんなやりとりに、シエスタ一家が苦笑する。

 この一家団欒の雰囲気は、才人に否が応でも家族と故郷への懐かしさを強制するものであったが、それを懸命に押し殺し、場の盛り上げ役に徹する。しばらくぶりに一家が揃った楽しい夕食を、愁嘆場にしてはならない。その程度の常識は彼にもあったからだ。
 だが、結果から言えば、才人がそう努力する必要もなかった。シエスタが必要以上に場を盛り上げ、彼を話題の中心に持っていくように流れを仕切ってくれたからだ。

 シエスタは、何故か非常に熱っぽく、自らの家族に才人のことを紹介した。
 その口調が半ば誇らしげでさえあったため、才人がシエスタに戸惑う以上に、彼女の父が機嫌を悪くするという一幕もあったが、それでも長女から語られる少年の話を聞き、才人を見る目が、非常にあからさまに変わったりもした。
 そこにきて、ようやく才人にもシエスタの意図が読めた。シルフィードが不意に姿を消した話を聞き、父の眼に、才人に対する僅かばかりの警戒が芽生えている事を知ったシエスタは、彼女なりにそれを解くつもりなのだろう。
 何といっても子供の苦労話ほど、中年の心を直撃するものはないからだ。
 だが、その話に登場する才人のキャラクターの美化っぷりには、当人としては、やや閉口する以外なかったが。

 曰く、サモン・サーヴァントで、某貴族に突然召喚された「平民」の少年。
 曰く、元帥の末っ子と決闘して、「平民」ながら敗北を認めさせた男。
 曰く、『土くれ』のフーケによる破壊の杖盗難事件の関係者で、杖を無事取り戻したメイジの一行に加わっていた、唯一の「平民」。
 曰く、その時負った火傷をおして出場した使い魔品評会で、“剣との漫才”という前代未聞のジャンルを開拓し、アンリエッタ姫の多大な支持を獲得してグランプリに選ばれた使い魔。

「実はスゴイんですよサイトさんの人気って。厨房のマルトー親方なんかも『我らの剣』って呼んでるくらいですし」
「マルトーって……あの貴族嫌いで有名なシェフのおっさん? うそだぁ~~~」
「ホントですよう。お疑いになるんなら一度厨房に遊びに来てくださいよ。直接ご紹介しますよ?」
「どうせ紹介してもらうなら、そんなおっさんよりも、可愛いメイドの子なんかの方がいいな」
「でも残念ながら、サイトさんの人気は、妙に男性方面限定なんですよね。何でだろ?」
「やっぱ、モテなさそうだからじゃね?」
 デルフリンガーのツッコミと、露骨にショックを受ける才人の表情に、一家は爆笑の声をあげる。
 だが――、

「そういやシエスタ、お前、何で今頃帰ってきたんだ?」

 話が一段落したところで、シエスタの父が、娘に尋ねた。
――そう。それは才人も訊きたい事だった。確か彼の知る限り、魔法学院の学休期間はまだ先のはずだったからだ。こんな時期に休みを取れるほど、学院の平民たちは暇そうではなかったと思うが……。
 だが、その解答は一目瞭然だった。
 父にそう訊かれるや否や、そばかすが可愛い彼女は、それまでの笑顔を消し去り、無言で俯き、小さく肩を震わせている。

「実はわたし、……学院を辞めるんです……お父さん」

 一同は凍りついた。
(クビになったてことか?)
 が、才人は単純に解せなかった。彼が知る限り、シエスタは学院のメイドたちの中でもかなり有能な方だったはずだ。陽気で、要領も良く、おいそれと解雇されるヘマはしないはずだと思うが……。


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「貴族の方々に粗相でも働いたの?」
 母親が、心配そうに娘に尋ねる。
 そういえば、その可能性があったことを、才人は思い出していた。
 彼は知っている。学院の貴族の子弟たちは、そりゃもういけ好かない、ぼんぼん連中ばかりである事を。まあキュルケやタバサは、付き合ってみればそれなりに面白い奴らだったし、あのギーシュも、一度喧嘩して、逆に垣根がなくなったように感じたが。
 それでも、人となりをよく知らない大多数の貴族たちに関しては、才人からすれば、やはり好印象の人物は絶無に等しい。
(基本的にストレスを平民にぶつけて、こいつムカつくからクビにしろくらいの理不尽は、平気で言う連中ばかりだったしなぁ)

「でも、姉ちゃん、……そうなると仕送りとかは……?」
 ジュリアンが、おそるおそる尋ねる。
 確かに、長女シエスタを頭に八人姉弟という、貧乏人の子沢山を地でいくような、この一家において、今後の彼女の給料が期待できなくなるということは、少なからざる経済的損失であるはずだ。
 だが、その問いには、少女は俯いたまま答えた。
「それは問題ないの。次の奉公先は、もう決まっているから」
「どこなの?」
 シエスタの母が、心配そうに尋ねる。


「宮廷勅使のジュール・ド・モット伯爵様」


 娘の答えに、両親とジュリアンは絶句した。
 そのモット伯爵とやらを知らない才人や年少の弟や妹たちは、三人の様子に、ぽかんとしていたが、ジュリアンがおそるおそる重ねた問いは、その空気の理由を余す事無く説明し切っていた。
「それって姉ちゃん……ひょっとして、あの『人食い』モット伯のこと……ッッッ!?」

 シエスタは、その質問には答えなかった。
「明日、伯爵様のお屋敷に伺うことになっているの。だから、今日は実家に帰っていいって、学院長が仰ったの……」
 そう言って、か細い笑顔を弟に向けた。
「あとジュリアン、『人食い』だなんて無礼なことを言っちゃ駄目よ……伯爵様には『波濤』という、ちゃんとした二つ名があるんだし。それに、魔法学院の三倍のお給金を約束して下さったんだから」
 そう笑うと、
「お鍋が冷めちゃったね。わたし、ちょっと温め直してくる」
 と言って、鍋を両手で抱えて部屋を出て行ってしまった。
 シエスタの母は、その背中を呆然と見送り、父親は、握り締めた拳を震わせている。
 彼女のその回答は、もとよりジュリアンの問いを全面的に肯定していたからだ。シエスタの新たな奉公先は、その噂の男であるという事実を。

 かつて『人食い』と呼ばれたウガンダ大統領がいた事を、才人は知らない。
 だが、そんな剣呑な仇名を持つ者が、もとより只者であるはずがない。
「いったい何者なんだ……その野郎は……?」
 才人の問いに、ジュリアンは悔しそうに答える。
「ゲス野郎ですよッッッ!! 宮廷勅使の地位にあぐらをかいて、目をつけた女は娘だろうが人妻だろうが、『御雇い』の名目で屋敷に連れ込んで、やりたい放題ッッ!! 国家の恥部とさえ言われる貴族野郎ですッッッ!!」
「なんで、よりによって……あの娘が……ッッッ!!」
 泣き崩れるシエスタの母親と、肩を震わせる父親。
 だが、才人にはまだ納得がいかない。
 ただ女好きというだけのスケベ貴族を捕まえて、『人食い』と呼んだり、ここまで悲嘆に暮れたりするのは、やりすぎではないだろうか?
 そんな才人の顔色を読んだのか、シエスタの父はぼそりと言った。

「モット伯の屋敷に『御雇い』になって、無事帰ってきた女は、誰一人いないんだ」

 少年は絶句した。
「それって、――誘拐とか殺人とか、そういう事じゃないんですか!? 何でそんな奴が、逮捕もされずにのうのうとしてるんですッッ!?」
「君は何を言っているんだ」
 才人の叫びを遮ったのは、絶望に満ちたシエスタの父親の声。
「貴族の方々が、平民に何をしようが、我々に何が出来ると言うんだ。たとえどれだけ理不尽であっても、これが始祖ブリミルの定めし世界の理(ことわり)であり、法(のり)なのだ」



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