あの作品のキャラがルイズに召喚されました @ ウィキ

ゼロな提督-25 a


 ジョアン・レベロ。
 元は同盟の最高評議会議員の一人で、財政委員長だった。
 宇宙暦798年/帝国暦489年8月~翌年5月までのラグナロック(神々の黄昏)作戦で自
由惑星同盟が銀河帝国に敗北(5月25日バーラトの和約)した以後は最高評議会議長に就
任していた。
 敗戦前においては有能な政治家であり、ヤンと協力すれば最高の組み合わせであろうと
言われていた。が、敗戦後という混乱期を乗り切れなかった。同盟の存続に固執する言動
をとり、視野の狭さを露呈した。帝国高等弁務官レンネンカンプの干渉に抗しきれず、自
分に似合わない権謀に手を染めてしまった。

 ヤンを暗殺しようとした。

 レンネンカンプはヤン・ウェンリー退役元帥を反和平活動防止法違反容疑で逮捕するよ
う同盟政府に「勧告」した。この「勧告」には、証拠も法的権限も何もなかった。だがレ
ベロは、帝国の怒りを買って同盟を危機に陥らせるより、ヤンを犠牲にして同盟を救う事
を考えた。
 逮捕すれば反帝国派が暴発、帝国軍が彼等を一網打尽にして同盟を完全支配。逮捕しな
ければバーラト和約違反で帝国の再侵攻。ヤンが国家を蔑ろにして、いずれは独裁者にな
るのではないか…そんな不安を抱いてもいた。なら帝国軍の介入を受ける前にヤンを始末
しよう…この策謀をレベロは命じた。ヤンは逮捕され、中央検察庁へと身柄を移された。
秘密裏に暗殺するために。
 国民的英雄であり、気の良い友人でもあった上官への暗殺を察知した彼の部下達は、陸
戦隊ローゼンリッターを筆頭に集結。同盟政府に叛旗を翻した。部下達への監視者と追撃
者を尽く返り討ちにし、レベロを誘拐し、中央検察庁で暗殺されかかっていたヤンを救出
した。その上、帝国高等弁務官府が置かれたホテル・シャングリラを襲撃、レンネンカン
プを人質にして脱出した。
 レンネンカンプ誘拐後、一気に心身とも憔悴したレベロ。最期は第2次ラグナロク作戦
の際、自己保身を図った軍部に射殺された。かつてヤンに対して行った事を、次は自分が
受けた。彼は自分が歴史上の悪役になった、と自覚していた。己の最期もヤンを謀殺しよ
うとした報いと受け入れた。
 ヤンはレベロへ怒りを向けたりはせず、同情すらしていた。それがレベロの私利私欲で
なく、同盟存続の為の行動であり、そのような立場に追い込まれたのは彼のせいではない
と理解していた。


 そして今日、アンリエッタは国を捨て、自由を求めて逃げた。
 望まぬ結婚から、王の重責から、城という牢獄から、逃げた。



    第25話   その頃、舞台裏では



 自分と何が違う?ヤンは考える。
 客観的には違いすぎる。でも主観的には変わらない気がする。

 ヤンは暗殺。それは民主主義国家、法治国家では許されぬ暴挙。
 アンリエッタは政略結婚。貴族社会では当然の倣わし。
 当人にとっては死、または死に等しい。少なくともアンリエッタは恋人を忘れられず、
見知らぬ中年男との家庭を築く気になれなかった。それは人生の放棄であり未来の死と感
じたろう。
 …ゲルマニアの皇帝がどういう人か詳しく知らないが、極めて有能だろうし、それほど
異常な人ではないはずだ。幸せな家庭を築くチャンスはあったろう。ただ、その意思が無
かった。



 ヤンは同盟存続のための生贄。だが同盟は既に滅亡へのカウントダウンに入っていた。
カウントを少し送らせても滅亡という結果に変わりはない。無意味な行為。
 アンリエッタは軍事同盟のための生贄。これが為れば両国はレコン・キスタの侵攻に対
し強固な防衛体制を築ける。有意義な行為。
 当人にしてみれば、同じ生贄。どうして自分が犠牲にされなければならないのか?小を
殺して大を生かす?殺される方が黙って殺される理由はない。だからヤンもアンリエッタ
も逃げた。
 …アンリエッタには「生贄になりたくない」と主張する機会くらいはあったんじゃない
かなぁ?でも他人の言うなりになるよう育てられたし、彼女の意見なんか誰も聞かなかっ
たろう。

 ヤンが逃げた後、同盟は滅んだ。彼はイゼルローン要塞を再奪取。民主共和制の芽を未
来へ残すために帝国軍と渡り合い、皇帝を和平交渉の席に着かせる事に成功した…が、ヤ
ンは暗殺された。
 アンリエッタはどうするだろう?まず、ウェールズと結婚する。ハヴィランド宮殿で蝶
よ花よと大事にされる。たまに城や馬車の窓から手を振って、アルビオン国民の人気を取
る。トリステインは滅ぶ。レコン・キスタとゲルマニアが蹂躙し尽くした荒野に降り立ち
「苦難の時代は過ぎ去りました。これからは始祖への真の信仰を胸に、共に聖地を奪還し
ましょう!」と宣言する。アンリエッタがいればトリステイン王家の芽は残る。トリステ
インは復活する。傀儡国家として。
 両方とも国を滅ぼし、更なる戦乱を起こし、死者を山と築くのは変わりない。王家の血
筋と民主共和制、それぞれの時代と社会に置いて一定の価値を持つものだ。

 あ、ここは大きく違うな。
 皇帝ラインハルトとの和平交渉が為れば永きにわたる戦乱が終結する、はずだ。アンリ
エッタはトリステインを滅ぼしてからハルケギニア全土も戦火に沈めるんだ。悲劇の主人
公を演じる涙と共に。
 僕が求めた和平交渉が上手くいけば、未来に平和が来る可能性がある。でもレコン・キ
スタがハルケギニアを統一出来ても、今度はエルフとの絶望的戦争が待っている。しかも
聖地には召喚の門を中心としたクレーターがあるだけ。
 そうそう、このことも考えなきゃ。聖地の消失は『虚無』の暴走が原因なんて、ハルケ
ギニアの人々は絶対認めないだろう。「エルフが原因だ!」と決めつけ、信じ込もうとす
る。結果、エルフとの抗争は果てしない泥沼へ突入し、力量差から人間側の壊滅という形
で終結する。

 はぁ~…今になって、ホントにレベロの気持ちがよく分かるよ。
 小を殺して大を生かす。でも小は死にたくない。同じく大だって死にたくないさ。
 そして今回の結果は簡単。大は小に逃げられた。だから大が死ぬ。
 トリステイン、ハルケギニア、ひいては貴族制度という大は、アンリエッタという小に
逆襲されたんだ。


「僕は民主共和制、アンリエッタはウェールズとの幸せな家庭…か。
 ま、ここまでやったんだから、しっかり幸せになりなよ。僕は、ちょっと祝福出来ない
けどね」
 ヤンは右手にデルフリンガー、左手に祈祷書を持ち、そんな事を考えていた。
 血だまりの中に浮かぶ王女の右手をぼんやりと見下ろしながら。
 今や大を構成する一員になってしまったヤンとしては、アンリエッタに声援を送る事は
憚られた。




「ヤン…もしかして、それが例の指輪かい?」
 背後からロングビルの声がした。彼女は濡れるのも気にせず水たまりの中に立ち、冷た
い目で王家の右腕を見つめている。
「ああ、そのようだね。ほら、祈祷書もあるよ」
 そういって左手の古い本を示す。
 ロングビルはフンッとつまらなそうに鼻を鳴らし、ヤンの横に立つ。


 そして無造作に、まだ暖かい右腕を拾い上げた。

「王家の秘宝、『水のルビー』…ハッ!何が王家だよ!やっぱり学院でひっくり返った時
に、トドメ刺しときゃ良かったのさ!」
 毒づきながら、血で朱く染まったオーガンジーグローブで包まれた指から指輪を引き抜
いた。そしてポイッと用済みの肉塊を背後へ投げ捨てた。
 ビチャッと水音を立てて水たまりに落ち、泥水にまみれた。

 ヤンはロングビルの行為を咎めなかった。別に何の感慨も湧かなかった。人としての良
識だの、王家への敬意だの、そんなものは姫自身が捨てた。なら彼女の腕の扱いも気にす
る必要は無いと感じていた。
「そうかもしれないね。僕も甘かったよ」
「ホントだ。あんたは甘過ぎだよ。…といっても、もうどうしようもない話だね」
「おめーら、結構ひでえなぁ」
 右手のデルフリンガーが率直な感想を漏らす。
 緑髪の美女は、ふぅ…と指輪の血をハンカチで拭きながら溜め息をつく。
 真昼の太陽にかざすと、キラリと陽光に輝く。さっきまで王家の血に濡れていたのが嘘
のように。

 水音を立てながら、シエスタもやって来た。そして水溜まりの中に落ちていたティアラ
に目を向ける。
「これ、どうしましょう?お城に返しましょうか」
 この状況では、随分と的はずれなセリフかも知れない。ロングビルにフフンッと笑われ
た。
「んな必要は無いだろ?もうトリステインは滅ぶんだから。もらっちまいなよ」
 遺失物取得を勧められたシエスタは、眉をひそめてしまう。
「ん~。でも元々が血まみれの斧なんですよね。こんな騒ぎがあったし、縁起悪いなぁ。
とりあえずほったらかしも何だし、持っておきますね」
 シエスタは拾い上げてハンカチで水気を拭き取り、懐に収めた。

 そして三人は聖堂の方を見る。
 そこには、未だに茫然としている貴族達が残っていた。演技ではなく、本当に呆けてし
まったかのようなオスマン。ひっくり返って気絶したままのグラモン家親子。肩を落とし
て膝をつく公爵夫妻。その他、狼狽したままの司教や失神したままの淑女等、王家を支え
て来た人々がいる。
 そして、地面にしゃがみ込んだルイズ。うつむき、肩を落とし、小さな体がますます小
さく見える。
 ヤンは左手の祈祷書とロングビルの指輪を見た。
「それじゃ、やろうか」
 ロングビルは頷いた。
「最後の仕上げ、かい?」
「けじめってやつかもよ」
 デルフリンガーもツバを鳴らす。
 シエスタは黙って事の推移を見守る。


 ルイズは、何も考えられなかった。考えたくなかった。
 ずっとゼロとバカにされてきた。一人前のメイジになりたかった。ヴァリエールの名に
相応しい立派な貴族になるのが夢だった。
 友達はいなかった。優しくしてくれたのはワルド子爵とちい姉さまだけ。みんな私を可
哀想な出来損ないと見下し、同情し、無視し、鬱陶しがってた。
 でも姫さまだけは、私をおともだちと言ってくれた。
 トリステイン貴族として王家に忠誠を誓っていた。姫さまのためなら、本当に地獄の釜
でも竜のアギトの中でも行くつもりだった。


 その姫さまが、逃げた。
 トリステインから、逃げた。
 おともだちと呼んだ私の話を聞かずに、逃げた。
 聖堂の貴族達へヘクサゴン・スペルを放った。皆殺しにしようとした。
 民を捨てた。王家を捨てた。レコン・キスタやゲルマニアに滅ぼされるのを百も承知で
国を捨てた。始祖から授けられた王国を戦争の業火へ投げ捨てた。
 自分一人が幸せになるために仕えてきた貴族を、平民を、トリステインを、ハルケギニ
ア全部を放り出した。


 小さな少女の前に三人の影がさす。
「ルイズ」
 優しい男の声が彼女を呼んだ。でも、顔を上げる元気もない。
 男は片膝をつき、少女の右手を取った。自分の薬指に指輪がはめられるのを、まるで他
人事のようにボンヤリと眺めていた。
 次に男は左手を取り、古い本を乗せてくれた。少女は、やっぱりボンヤリ眺めているだ
けだ。

「開いてごらん」

 声に促され、のろのろとページをめくる。ただの紙切れなのに、重い。紙ってこんなに
重かったのかな…そんな事を考えてると、指輪と祈祷書が光り出した。
 ルイズは光の中に文字を見つけた。


 序文。
 これより我が知りし心理をこの書に記す。この世の全ての物質は、小さな粒より為る。
四の系統はその小さな粒に干渉し、影響を与え、かつ変化せしめる呪文なり。その四つの
系統は、『火』『水』『風』『土』と為す。


 少女の小さな手は、のろのろとページをめくった。


 神は我にさらなる力を与えられた。四の系統が影響を与えし小さな粒は、更に小さな粒
よりなる。神が我に与えしその系統は、四の何れにも属せず。我が系統はさらなる小さな
粒に干渉し、影響を与え、かつ変化せしめる呪文なり。四にあらざれば零(ゼロ)。零す
なわちこれ『虚無』。我は神が我に与えし零を『虚無の系統』と名づけん。


「虚無の系統…。やっぱり、私は虚無の系統だったんだ…」
 虚ろに呟いてページをめくる。自分の系統が分かったと言うのに、伝説の虚無だという
のに、胸に何も湧き上がらない。


 ルイズの前に立つ三人は、けだるそうにページをくるルイズを黙って見下ろした。
 生気の抜けた顔は俯いたままだ。
 ただ、その青ざめた唇から、弱々しい声が漏れてくる。祈祷書を朗読しているらしい。

「・・・これを読みし者は、我の行いと理想と目標を受け継ぐものなり。またそのための
力を担いしものなり。『虚無』を扱う者は心せよ。志半ばで倒れし我とその同胞のため、
異教に奪われし『聖地』を取り戻すべく努力せよ。『虚無』は強力なり。また、その詠唱
は永きにわたり、多大な精神力を消耗する。詠唱者は注意せよ。時として『虚無』はその
強力により命を削る。したがって我がこの書の読み手を選ぶ。たとえ資格なきものが指輪
を嵌めても、この書は開かれぬ。選ばれし読み手は『四の系統』の指輪を嵌めよ。されば、
この書は開かれん。
 ブリミル・ル・ルミル・ユル・ヴィリ・ヴェー・ヴァルトリ」


 ヤンとロングビルは顔を見合わせ、頷きあった。シエスタも目の前で行われている事を
把握した。
 やはり予想は正しかった。ルイズは虚無の系統であり、指輪が鍵であり、祈祷書が呪文
書であること。そして、ブリミルが歴史に名を残すに相応しい程の、神話級バカだという
こと。
 注意書きまで封印したら、注意書きの意味がない。おかげで虚無の系統に関する知識は
散逸し消失した。歴史上、どれだけの虚無の使い手が封印を解除出来ず、失意と絶望を胸
に苦難の人生を生きねばならなかったか。


 ルイズがゆっくりと立ち上がった。
 左手に祈祷書を開いたまま、右手に杖を取り出す。
 その口からは、変わらぬ調子で言葉が漏れていた。
「以下に、我が扱いし『虚無』の呪文を記す。
 初歩の初歩の初歩。『エクスプロージョン(爆発)』」

 水に濡れたピンクのドレスは肌に張り付き細身のラインを露わにする。ピンクの髪から
は雫がしたたり落ちる。そんな自分の姿にも気付かないかのように、ルイズの口からは低
い詠唱の声が漏れ続けた。


    エオルー・スーヌ・フィル・ヤルンサクサ


 体の中をリズムが駆けめぐる。神経が研ぎ澄まされる。


    オス・スーヌ・ウリュ・ル・ラド


 何かが生まれ、行き先を求めてそれが回転していく感じ・・・。


    ベオーズス・ユル・スヴュエル・カノ・オシェラ


 ルイズは、ゆっくりと杖を上げた。そして、何かに導かれるように一点を指し示した。


    ジェラ・イサ・ウンジュー・ハガル・ベオークン・イル…!


 長い詠唱の後、呪文が完成した。その瞬間、ルイズは呪文の威力を、理解した。

 そして、感じた。

 今、自分が何を求めているのか。
 何をしたいのか。

 杖は、真っ直ぐに掲げられていた。
 トリスタニア中央広場、この騒乱ですら荘厳にして神秘的な佇まいを見せる、ひときわ
大きな建造物。
 サン・レミ聖堂へ、真っ直ぐに。



 広場に残っていた全ての人が、見た。
 トリスタニアの街にいる人々、大急ぎで荷物をまとめていた婦人も、荷車を引っ張って
きた小麦商店の店主も、金貨を詰め込んだ袋を馬の背に乗せていた両替商も、慌てて走る
母に手を引かれた子供達も、城へと走っていた騎士達も、早くしろと侍女達を怒鳴りつけ
ていた貴族達も、空を見上げた。
 ヤンもロングビルもシエスタも、見上げた。

 中央広場上に突如現れた、太陽を。
 光が、聖堂を包み込んだ。
 音はない。純粋な光だ。

 目を焼く程の光が消えた時、聖堂は無かった。
 周囲の建物には何の変化もなく、ただ聖堂だけが消えていた。
 トリスタニアのブリミル教徒が集う信仰の中心サン・レミ聖堂は、吹き飛び、砕け散っ
て、塵へとかえったのだ。
 姫の暴挙に呆然としていた人々は、今度はサン・レミ聖堂の消失に呆然とした。


「・・・ふ」
 ルイズの口から、息が漏れた。
「ふふふ、ふふふふ・・・」
 それは、どうやら笑い声だったらしい。ただ、自分が魔法を使えるようになったことを
喜ぶ笑いには聞こえない。

  バシィッ!

 祈祷書は、地面に叩き付けられた。
  ドスッ!
 さらに踏んづけられた。
「こぉんの…このっ!バカァーーーーーーーーーーーーーーーー!!!」
  ドスドスドスドスドスドスッッ!!!!
 祈祷書は、これでもかと言わんばかりに何度も何度も踏みつけられた。
 ボロボロの表紙は千切れ、泥水に汚れ、それでもさらに踏みつけられる。
「何が『虚無』よっ!!何が『聖地』よっ!!そんなの、そんなもの…千年前から無いの
よっ!とっくに消えちゃったのよぉっ!!
 あんたの、あんたのせいで!!今まで、どんだけ!辛い思いをしてきたかっ!!」
  ドスドスドスドスドスドスッッ!!!!
 血走った目はつり上がり、こめかみに血管を浮かべ、汗を飛び散らせ、長い髪を振り乱
す。生気の抜けた視線が集まる中、怒りに我を忘れて始祖の秘宝を、虚無の呪文書を踏み
つけ続けた。

 茶色くくすんだ紙が散乱した足下、肩で息をするルイズ。
 薔薇の蕾のように愛らしかったはずの口から、耳障りな歯ぎしりが広場に響く。
 小刻みに震える手が、さらに天を突く。ルーンの叫びと共に、足下に散乱した祈祷書と
千切れたページへ向けて振り降ろす――




 ――祈祷書へ向けられようとしていた腕は、男の手に掴まれて止められた。
「離してっ!」
 男の右手は優しく、だがしっかりとルイズの腕を止めた。
「離してよ!ヤン、あんただって…あんただって!このバカのせいで!!」
「よすんだ、ルイズ」
 ヤンは、ルイズをしっかりと抱き寄せた。
 小さな主は執事の腕の中、しばらくは怒りに身を任せて逃れようとしていた。
 しばらくして疲れたのか、もがくのをやめた。

「・・・うぅ・・・ふぇ、ううう・・・」


 ヤンの腕の中から、押し殺した嗚咽が漏れてくる。
 噴水の水と汗で濡れたルイズの顔を流れ落ちる雫が、さらに彼女を濡らす。
 怒りに震えていた彼女の肩は、今は鳴き声と共に震えていた。
「うぁ、ああ、ぐす・・・うああ・・・」
 小さな手でヤンの燕尾服に縋り付き、男の胸に顔を埋め、声を殺して泣いていた。
 ヤンは彼女の背を、優しくさすり続けた。

 シエスタは淡々と、散らばり泥まみれになったページを拾い集める。
 水と泥を払い落とし、トントン、と一纏めにする。
 メイドの手に束ねられた書を、ルイズは見ようともしない。

 そんなルイズへ、シエスタはぎこちない笑顔を向ける。
「…サヴァリッシュの書は、タルブを豊かにしました。でも、同時にタルブを滅ぼしうる
危険な書です。
 これ、虚無の呪文書ですよね?これも同じだと思います。使い方さえ間違えなければ、
きっとミス・ヴァリエールを助けてくれます。怒るのは分かるけど、怒りにまかせて本を
焼いたりしたら、必ず後で後悔すると思うんです」
 だが、ルイズはシエスタの言葉に何も答えず、ただ泣き続けた。

 ロングビルは腕組みしながら三人の姿を見ている。何も言わず、哀しい瞳で。
 鞘に戻されたデルフリンガーは、ヤンの背で静かにしている。


 そんな彼等の所へ、ようやく立ち上がった公爵夫妻がやって来た。
 二人とも青ざめ、足取りも覚束無い。
 公爵は、小刻みに震える唇から必死に声を絞り出す。
「る、ルイズ…ルイズや。ウェンリーも…今のは、今の、聖堂が消えたのは…?」
 公爵夫人も、あの苛烈を極めた眼光を失い、一気に老け込んだかのような張りのない声
をかけた。
「まさか、ルイズ…?魔法が…でも、あんな大魔法は…一体、何の?」

 まだ嗚咽が続き、口を聞く事が出来ないままヤンの腕の中で泣くルイズ。彼女に代わっ
てヤンが答えた。
「我々の調査の結果、ルイズ様の系統は『虚無』であり、封印された状態にあると判明し
ました。それが魔法失敗と爆発の原因です」
 ウェールズに続いて飛び出した『虚無』の言葉に、公爵夫妻は目を見開く。
「ここにある王家の秘宝、『水のルビー』と『始祖の祈祷書』が解除の鍵でした。聖堂を
消した魔法がルイズ様の得た魔法です」

 青ざめていた二人の顔に、生気が戻る。
 老人の様に老け込んでいたかのような姿に力が戻る。
 公爵は、今度は喜びに震えたまま、ヤンに抱きつくルイズへ手を伸ばす。
「ルイズ…魔法が、使えるように、なったのだね?」

 その言葉にルイズはヤンの胸から顔を上げた。
 涙と鼻水でクシャクシャになった顔を父へ向ける。
 そしてぎこちなく、小さく首を縦に振った。
「おお…ルイズ、ルイズや…」
 公爵はルイズを優しく抱き寄せる。
 ルイズも、今度は公爵の胸に顔を埋めた。
 そしてカリーヌもルイズの頭を抱きしめた。
「よかったわ・・・全てを無くしたかと思いましたが、そうではなかったのですね…」
 母の喜びの言葉、だがルイズは再び激しく嗚咽しだした。
「こんな、うぐっ、こんなの!『虚無』なんかいらないっ!うぅええん…何が魔法よ!何
が、何が王家よ!!何が始祖よぉ・・・ふぇえぇえええっ・・・」

 絶望に泣くルイズ。
 それでも公爵夫妻は、魔法に目覚めた娘を祝福した。その瞳に涙を浮かべて。


「よいのだルイズよ。これで、お前は一人のメイジとして生きていけるんだ」
「そうですよ。母はあなたの、メイジとしての新たなる旅立ちを祝福します」
「何言ってるのよぉ…もう、もうヴァリエール家は終わりなのよ!これで、もう、トリス
テインも、全部終わりなのよぉ・・・うええん、もう、遅いのよ!意味無いのよぉ!うわ
あああん」
 ルイズは完全なる絶望で、両親は絶望の中の希望を喜び、涙を流した。

 今まで、ずっと腕組みしたままロングビル。
 だが、その整った口元をようやく開いた。申し訳なさそうに、だが目の前の五人をせか
すように。
「さて、泣くのはこのへんで終わりにしておくれ。
 そして、これからどうするか、急いで考えようじゃないか」
 デルフリンガーもヒョコッと飛び出してツバをせわしなく鳴らす。
「大急ぎで逃げた方がいいんじゃねえか?すぐアルビオンとゲルマニアの艦隊が来るだろ
うからよ!
 あ、ゲルマニアは地上からも来んのか?東西から大変だな、こりゃ」
 その言葉にヤンもシエスタも、抱き合って泣いていたヴァリエール家の三人も顔をあげ
た。そして不安と困惑で彩られた視線をぶつけ合う。








 同時刻、縦横40m四方、高さ30m程の巨大な空間の中。
 鋼鉄で包まれた空間を見下ろす高みに司令席、大きなデスクはそのまま三次元ディスプ
レイと操作卓を兼ねている。デスクを前に、素っ気ないが機能的な椅子に座っていた金髪
の青年が座っている。横には美貌の秘書、部屋の壁には警護兵達が整列している。
 金髪の青年は立ち上がり。マイクを通さずとも広い部屋全体に響く声を発した。

「我らは何をすべきか、急ぎ答えを出さねばならん」

 青年が問いかける先、下に見下ろす部屋の中央には、巨大な立体モニターが浮かんでい
た。その下の投影装置をぐるりと囲むように、床を埋め尽くすモニターと端末を前にした
オペレーター達が幾重にも並んでいる。さらにその周囲には、大勢の人間達が映像を食い
入るように見つめていた。
 真正面の壁面を埋める平面巨大モニターには、別宇宙へうち上げた観測衛星からの映像
が、即ちトリステイン王国中央広場で顔を見合わせるヤン達を高度数百キロから撮影した
画像が表示されている。
 他にも各種センサーが得た、室内に大量に設置されたモニター全てを使用しても表示し
きれないほどの大量のデータが、肉眼では捕らえきれないほどの速度で表示されスクロー
ルしている。これらのデータは青年が立つ司令席の下方、床から一段高い場所で低い唸り
を上げ続ける三大の巨大コンピューターへ送られる。三角形に並んだ機械の頭脳は、高速
で衛星から送られてきた情報の収集・分析・記録・表示等の処理をし続けていた。


 ところで、それが本当に同時刻と言って良いのか、現段階ではこの場の誰にも分からな
い。何故なら、時間の流れは均一ではないのだから。
 重力の強さと時間の流れの速さは反比例する。例えばブラックホールの極大重力下では
時間の流れが停止していると言っていいほど遅い。地上と周回軌道上の衛星でも重力差か
ら時差が生じるため、常にこの時差を修正する必要がある。同一宇宙内ですら時間の流れ
に差が出る。良く知られている事だが、物体を光速近くまで加速すると時間の流れが遅く
なる。
 異なる宇宙間で同一時刻という概念が存在しうるのか、いまだ調査を始めたばかりの彼
等には、結論を出せてはいない。



 各種ディスプレイを見上げていた者達やオペレーターたちは、司令席から立ち上がった
人物、他に類を見ない程の美貌を持つ若き主君を見上げる。彼等の何人かが意見を述べる
べく口を開こうとした。
 だが部屋の右壁際、金髪の青年を主として戴かぬ人が先に声を上げた。
「考える必要はありません!我らが向かいます」
 声を上げたのは、まだ少年のあどけなさを残す若い兵士。その周囲には同じ服を着た人
々が歓喜と焦りを顔に浮かべていた。

 青年と、彼を主とする人々は、黒を基調として各所に銀色を配した服。そして若い兵士
と、彼の周りに集う人々は、白のスカーフを仕込んだ黒いジャンパーと白のスラックス。
彼等は二種類の制服に身を包む。
 それは銀河帝国と自由惑星同盟の軍服。

 指令席に立つ青年は、メイン立体ディスプレイの前で操作卓にかじりつく細身の男にア
イス・ブルーの視線を送る。
「シャフト」
 名を呼ばれた禿の男は、知的好奇心に目を輝かせたままディスプレイを凝視し、主の呼
びかけに答えない。かつてはビアホールの店主のように恰幅の良かった人物は、すっかり
痩せた体を手持ちの端末やコンソールの操作に集中しきっていた。

「シャフト!」
「はっ!はいっ!」
 大声で呼ばれ、ようやくシャフトは慌てて、汗を飛び散らす程の勢いで振り返り、顔を
司令卓へ向けた。
「帰還方法は見つかったか?」
「い、いえ…件のゲート、『アインシュタイン・ローゼンの橋』は一方通行です。エネル
ギーのみ双方向で」
「そんな事は分かっている!平行宇宙の座標算定は未だ不能、ゆえにワープによる帰還は
不可能、ゲートを一度通過したら、二度と戻れない。
 だからお前に特例をもって恩赦を与えて監獄から呼び戻したのだ!」
「はいっ!しょ、承知しております。皇帝陛下の寛大なるご処置には感謝の言葉も」
「おべっかなど使っている暇があったら、さっさと帰還方法を考える事だ。それが出来な
いのであれば、再び己の罪を監獄で償わせるのみ」
「は、はいぃっ!」
 シャフトは再びディスプレイにかじりついた。ただし、今度は知的好奇心ではなく、自
らの命運を賭けた決死の覚悟を目に秘めて。


 アントン・ヒルマー・フォン・シャフト。
 元は技術大将で科学技術総監。工学博士と哲学博士の学位を有している。指向性ゼッフ
ル粒子の開発責任者。かつてガイエスブルグ要塞に1ダースのワープ・エンジンを搭載さ
せ要塞ごとワープさせる事に成功。イゼルローン要塞にガイエスブルグ要塞をもって対抗
させた。
 ただし技術力より政治力に長け、策謀にてライバルを追い落とし、ゴールデンバウム王
朝から続けて科学技術総監部のボスに君臨した。横領・収賄・特別背任・軍事機密漏洩等
の罪状で逮捕投獄されていた。
 今回の作戦では、ワープの専門家が必要とされた。そこで若き皇帝が記憶の端からたぐ
り寄せたのは、彼がかつて直々に逮捕を命じ、「くずがっ!」と吐き捨てた人間だった。


 皇帝は、同盟の軍人達を見下ろした。先ほどのシャフトに対する冷酷な視線ではなく、
敬意と冷静さを湛えた目だった。その視線を受ける同盟軍人に対し、長年に渡り帝国と鉾
を交えた優秀な軍人として、少なからず敬意を抱いていた。
「ミンツ司令官、そして同盟軍士官達よ。卿らの気持ちは分かる。いや、予とて同じ気持
ちだ。だが、それは許さん。これ以上の被害者を出すわけにはゆかぬ。帰還方法が確認さ
れるまで待て」
 被害者。その言葉を放つ時、皇帝は少なからず苦々しさを含んでいた。


 だが、ミンツと呼ばれた若者は引き下がる気配を見せない。
「構いません!提督が、ヤン提督の生存が確認されたんです!帰還方法は後々考案して戴
ければ結構です。まず、我らが提督の身柄確保に向かいます!」
「そうだ!あんなものぐさでも、俺達にゃ大事な上司なんでな!」
「これからの人生を楽しく生きるためにも、ヤンは必要なんでね。それに、俺は独身だ。
別にあっちの世界でも構わないぜ」
「そうですな。なにせ、あのヤン提督ですら二ヶ月も生存できた世界です。私なら無事に
天命をまっとうできるでしょう」
 居並ぶ士官達は、誰一人として救出の意思を翻そうとはしない。彼等の活力と歓喜に満
ちた声は、この中央司令室全体を震わさんばかりだ。


 そのうち一人がシャフトに声をかけた。
「おーい!シャフト博士よ、要はワープ・インとワープ・アウトの座標が確認出来ればい
いんだろ?それと、その近くに大きな重力源が無い事。
 だったら、俺たちは提督を救出してくるから、そっちはゆっくり座標算定とかしてくれ
ればいいんじゃねえか?艦を貸してくれれば、提督を助けてから勝手に重力圏を離脱する
からよ」
 その軽い調子の言葉に、シャフトは著しく気分を害したようだ。禿げた頭がみるみる赤
く染まり、憤慨した目が向けられた。

「君は、ポプラン中佐だったね?」
「おう!同盟の撃墜王だ。空戦でも、ベッドの上でもな」
「数だけだ。質では俺に及ばん」
 隣の立派な体躯を持つ美男子からかけられた言葉を、ポプランは故意に無視した。
「で、どうなんだ?時間さえあれば出来るんだろ?」

 シャフトの内包する憤怒は、一気に爆発した。不良生徒の無知で無責任で後先考えない
言葉を叱責する生活指導教師のように。

「そんなわけがあるか!一体、何度説明したら分かるんだ!
 いいか、そんな簡単な話なら、とっくにあの平行宇宙の原始惑星の空を、銀河帝国の大
艦隊が覆い尽くしている!
 たとえあの星の住人が、我らの偵察機や無人探査機を数千機、尽く破壊しつくす気象兵
器を持っていようが、分身の術を使うニンジャだろうが、大陸を何故か大気圏内に浮かし
続ける重力制御技術を持っていようが、一瞬で建造物を原子の塵に変える超能力者だろう
が!
 宇宙戦力を持たない以上、栄光ある銀河帝国の敵ではない!」
 シャフトの形相は凄まじく、歴戦の勇者であるはずのポプランも科学者というより政治
屋兼犯罪者の矢継ぎ早な言葉に口を挟む隙を見いだせなかった。


 彼等は見ていた。中央広場での戦闘を。
 竜がブラスターで撃墜された。
 人間が五体に分身した。
 突然竜巻が起こった。
 手に持った棒で人間の首を切り落とした。
 突風をぶつけ合った。
 地面から盛り上がった土の塊が人型になり歩き出した。
 水の竜巻が人型を削り溶かした。
 ヤンと隣の少女がブラスターで分身を撃ったら幻のようにかき消えた。
 その二人は竜に乗った男が杖を向けると突風で吹き飛ばされた。
 マントを着た人々が宙を飛んでいった。
 とどめに、広場に面した教会らしき建造物は、少女が杖を向けると光に飲み込まれて消
えた。


 管制室の人々は、開いた口が塞がらなかった。ヤンの生存に一瞬は驚き喜んだが、次々
に起きる異常現象に目を奪われた。
 皇帝が立ち上がり声を響かせるまで、誰一人として口をきくことができなかったのだ。
 その前から火山周囲を飛び回る竜の群れや、宙を飛ぶ巨大大陸に驚嘆した。だが、これ
ら映像に示された現象が生む驚愕は、そんな比ではなかった。

 シャフトは近くのオペレーターがデスクの上に置いていた水をひったくって一気に飲み
干す。荒い息づかいに上下する肩をどうにか押さえ、真っ赤な顔はそのままに、科学者と
して話を続けた。


「そもそも平行宇宙とは、五次元空間という海の中に浮く四次元時空という名の島なので
あり、平行宇宙間を移動出来るのは重力子だけなのだよ!君とて学校で習っただろう!こ
の宇宙、4次元時空に存在する根源的な4つの力と、それを伝える粒子だ。
 陽子と中性子を結びつけ原子核を作る『強い力』と『グルーオン』。中性子のダウン・
クォークをアップ・クォークに変えて陽子に作り替えたりする『弱い力』と『ウィークボ
ソン』。電子と原子核をまとめ物質を作る『電磁気力』と『光子』。そして『重力子』、空
間の歪みが生む『重力』を伝える粒子だ!
 これら粒子は1cmの10のマイナス33乗の長さしかない紐の形状で、常に振動して
いる。このうち最初の三つ、『グルーオン』『ウィークボソン』『光子』は『開いた状態』
にあり、この4次元時空、『ブレーン』と呼ばれる宇宙に両端が付着してる。本来離れる
事は出来ない!この宇宙を離れて別世界、平行宇宙へ移動出来るのは、粒子の紐が『閉じ
た状態』にある『重力子』だけだ!輪を描く粒子である『重力子』は常に、無の空間であ
る平行宇宙の狭間、五次元空間へ漏れている。巨大な惑星の重力下、小さな磁石が砂鉄を
吸い上げれるのはそのためだ。『重力子』が別次元へ漏れているため、小さな磁石の生む
磁力に負けるほど重力は極めて微弱だ。
 そして平行宇宙を移動することは、これらの粒子を宇宙から、『ブレーン』から無理矢
理引きはがす事を意味する!当然、その瞬間に移動しようとした物体は支えを失い崩れ去
る!純粋なエネルギーへ戻り、次元の狭間に無となって、虚数の海を漂う一滴となってし
まうんだ!
 本来、ワープだって別次元を通過する事で宇宙をショートカットするものだ。だがワー
プ・エンジンによってワームホールを造り、強引に『ブレーン』の任意の場所2点を繋げ
る事でエネルギーへ還る事を防いでいる。厳密には異次元を通過せず、この宇宙の中を移
動しているんだ。
 本来、座標の算定が不十分な段階で、空間が大きく歪んだ場所からワープすればどうな
るか?時空の歪みに巻き込まれて次元の狭間に落ちる!しかも今回は平行宇宙だぞ!両宇
宙がどこにあるのか、どう並んでいるのか分からない、のではない!そんな概念が存在し
ない五次元、高次元空間だ!どんな高性能のコンピューターを搭載していても移動は理論
上不可能!何故なら、移動する先を計算出来ないから、どこにワームホールを繋げればい
いのか分からないからだ!
 よしんば座標の算定に成功したとしよう。それでも!本来はワープによる移動は出来な
い!我らは一万光年のワープすら出来ないんだぞ!?今回は一万光年どころじゃない、別
銀河ですらない!別『ブレーン』だ!!本当なら、まともに考えれば出力が足らないと分
かるだろう?全人類のワープ・エンジン全てをかき集め、全て同時に稼働させても無理か
もしれないんだ!
 幸い、今回はあの『アインシュタイン・ローゼンの橋』、1600年も前にアンドレイ・リ
ンデ博士が存在を予言した、ブレーン間を繋ぐ『時空のくびれ』という基準点がある。ど
ういうワケかブラックホールでもないのに一方通行な、奇妙奇天烈摩訶不思議な、あの謎
のゲートだが、それでも座標の計算は不可能ではない。それに、既にゲートが通じている
という事は、両『ブレーン』を繋ぐワームホールを造る為のエネルギーは意外に低く済む
可能性がある。
 だがそれでも!座標の算定は困難を極めるんだ。何故なら、あのゲートの出入り口は両
方とも、重力圏内にあるからだ!入り口はイゼルローン回廊、出口は惑星の地上…何故か
惑星の自転・公転に完全同期している…おまけに巨大な衛星が二つもある!例えれば、数
人がかりで力の限り掻き混ぜられている池の水面上の小さな泡の一つを基準にするのと同
じだ!
 私とて科学者のはしくれ、この現象に知的好奇心を抱かないわけがない。自分の自由の
ためでもある。必ず算定は成功させてみせる!だが、すぐには無理だ!全力は尽くすが、
いつとは言えん。
 それまではこれまで通り、見ての通り、全宇宙から艦船をかき集めて、改造ワープ・エ
ンジンを交代でフル稼働させて、ゲートを固定させ続けるしかない!」


 シャフトは一気に語り終えた。肺の中の空気を全て使い切って、肩の上下運動だけで鉄
の床を揺らすほどに。一体何度目なのか、何百人に同じ説明をしたろうか、あまりに同じ
事を繰り返したため、これほどの長い説明を詰まりもせず一気に出来てしまった…と、う
んざりしながら。
 そして改めて目の前の、軽口を叩いて科学者としての矜恃を傷つけた男を見てみる。

 見なかった方が良かったろうか?これだけ力を込めて、本人としては可能な限り分かり
やすく説明したにも関わらず、どうみても右耳から左耳へ素通りしたとしか思えない顔な
んて。いやポプランだけではない。帝国同盟通じて、かなりの数の軍人がぼんやり呆けた
顔をしていた。
 もっとも彼等は職業軍人であり、科学者ではない。自己の専門外な知識に関して完全に
理解しろ、というのは酷というものだろう。

「もうよい、シャフトよ。そう簡単に解決できるものでもない事は承知している。今は時
間が惜しい。作業に戻るのだ。追加のコンピューターもエル・ファシルから調達される予
定だ」
「はっ!」
 皇帝に命じられ、獄中生活の間に痩せてしまった男はモニターへと視線を戻した。
 次に皇帝は元同盟軍士官達を見下ろす。
「卿らも、気がはやるのは理解する。だが、千年に渡る怪奇現象、あの『橋』による数多
の失踪爆発事件を解決に導くべく我らは集結したのだ。独断専行も蛮勇も事態を悪化させ
るのみと心得よ」
 ユリアン達は明らかに不満と反発を示していたが、ここで暴発するほど浅はかなではな
かった。視線を衛星からの映像に戻しつつ、ヤンの救出手段について協議を続けた。

 そしてラインハルトも視線をデスクの立体モニターへと向ける。立体モニターの中には
多数の映像と文書、メインコンピューターからのデータ等が綺麗に整理されて表示されて
いる。
 映像の中に、宇宙空間に浮かぶ鏡のようなものを映すものがあった。光りを放つ鏡の背
後に、艦船の舷側が見えている。
 その映像の隣には、鏡周囲に同盟と帝国の戦艦・巡洋艦が十隻ほど円を描いて並んでい
る光景が映し出されていた。それは鏡に向けてワープ・エンジンを稼働させ、『門』を固
定する艦船だ。艦船に比べて鏡は極めて小さく、モニターでは星のような微小の光点にし
か見えない。
 そしてさらに隣の映像には、鏡を囲む艦船を上下左右前後、全方位から取り囲む艦船数
千隻が存在していた。そしてその宙域に急遽設置され、今も建設改造の途上にあるステー
ション、『アインシュタイン・ローゼンの橋』監視観測司令所も映像の端に映っている。
数々の観測機器を搭載し、鏡を包囲固定する帝国・イゼルローン含めた全艦船への司令所
であるステーションの司令室に、銀河帝国皇帝ラインハルトはじめ帝国と同盟の高官達が
集結していた。

 加えて別の映像では、鏡の一番近くに存在する有人惑星も映している。ただしそれは、
直径60kmの人工天体。流体金属で覆われ銀色に輝くイゼルローン要塞だ。
 ステーション建築資材を運搬する多数の輸送船が出航し、オーバーヒート寸前までワー
プ・エンジンを稼働させた戦艦の列が補給と整備のため帰港する。ただし、帝国同盟の区
別無く。

 難攻不落の要塞イゼルローンは、今や、『門』を捕獲し管理するイゼルローン共和政府
と銀河帝国の前線基地として機能していた。










新着情報

取得中です。