『錬金』の失敗とシュヴルーズ先生が負傷した事から、ルイズは教室の掃除を一人でやること、という罰を受けることとなった。
ただし魔法を使わず。
もっとも、魔法がろくに使えないルイズにとっては余り意味の無いことだった。
が、それが反って『魔法が使えないルイズ』を強調しているような気がして、ルイズ自身の心を抉り、捨て鉢な気分を与えていた。
ルイズとギュスターヴ以外誰もいない教室。ルイズは箒で床を払い、絞った雑巾を素手で持ち机や椅子を拭く。
ギュスターヴは、壊れた教壇や椅子を運び出し、新しいものをいれたり、ヒビの入った壁や床にセメントを塗りこんでいた。
開け放たれた窓から暮れ始めた陽が射し始める。力無く箒を握って立つルイズの脇でギュスターヴは、何も言わずに黙々と掃除をしている。
「幻滅したでしょ?」
ルイズは振り返らない。顔を背けたまま一言、二言と言葉を漏らす。
ギュスターヴもまた、それに何かを答えるような事はせず、手を動かしながら聞いていた。
「私はね。魔法が成功した事が無いの。シュヴルーズ先生が仰っていた四大属性のどれを唱えても、コモンマジックすらまともに使えない。
何を使っても失敗。爆発しか起こらない。成功率ゼロ。だからゼロのルイズ」
何もいわずに只、ギュスターヴは聞いた。聞きながら、己を顧みるのだった。
ただし魔法を使わず。
もっとも、魔法がろくに使えないルイズにとっては余り意味の無いことだった。
が、それが反って『魔法が使えないルイズ』を強調しているような気がして、ルイズ自身の心を抉り、捨て鉢な気分を与えていた。
ルイズとギュスターヴ以外誰もいない教室。ルイズは箒で床を払い、絞った雑巾を素手で持ち机や椅子を拭く。
ギュスターヴは、壊れた教壇や椅子を運び出し、新しいものをいれたり、ヒビの入った壁や床にセメントを塗りこんでいた。
開け放たれた窓から暮れ始めた陽が射し始める。力無く箒を握って立つルイズの脇でギュスターヴは、何も言わずに黙々と掃除をしている。
「幻滅したでしょ?」
ルイズは振り返らない。顔を背けたまま一言、二言と言葉を漏らす。
ギュスターヴもまた、それに何かを答えるような事はせず、手を動かしながら聞いていた。
「私はね。魔法が成功した事が無いの。シュヴルーズ先生が仰っていた四大属性のどれを唱えても、コモンマジックすらまともに使えない。
何を使っても失敗。爆発しか起こらない。成功率ゼロ。だからゼロのルイズ」
何もいわずに只、ギュスターヴは聞いた。聞きながら、己を顧みるのだった。
『なんということだ!』
『あれは私の息子ではない。お前もあれの事は忘れろ』
『そこらの木石にすらアニマが宿っている。あれは石ころ以下だ』
『あれは私の息子ではない。お前もあれの事は忘れろ』
『そこらの木石にすらアニマが宿っている。あれは石ころ以下だ』
「領地のお父様やお母様、領地で家庭教師をしてくれた先生にも言われたわ。自分の属性を見つける時、
体中に流れのようなものを感じることができるって。……でも、そんなものは今まで一度も無かったわ。さっきもそう。
詠唱を正確に答えようと駄目……生まれて一度も満足に魔法が成功したことなんて無かったわ!」
ルイズの肩は震えていた。使い魔をどうにか召喚できた。ならば他の魔法だってきっとできるはずだ。そう信じていた。シュヴルーズ先生も
そう考えていたからこそ、今回の実演に声を掛けてくれた事を、ルイズは言葉の内に悟っていた。
誇らしくも思った。使い魔は少し普通とは違うけれど、これで私は貴族として恥ずかしくない、一人前のメイジとして立てると、そう信じていた。
だからこそ、今回の失敗はルイズの心をひどく裏切った。他の生徒たちに向けた虚勢が精一杯だった。
ルイズは今、自分が自分を裏切った事に打ちのめされていた。
「なぁ、ルイズ」
黙って聞いていたはずのギュスターヴは、このとき始めて、ルイズを見た。
「……何?」
(ああ……これは……)
ルイズの瞳は潤んでいた。しかしそれ以上に、疲れて見えた。公爵の娘、貴族の模範であろうとするのに、その証明であるはずの
魔法がつかえない。孤立を深めて憔悴し、しかしそこから抜け出す手段がわからない。そんな顔をしていた。
(子供の頃の俺がいる……)
「……ルイズ。草木が花を咲かせるのは、どうしてだと思う?」
「え?」
ルイズは唐突に出された話題に対応できなかった。ぐしゃぐしゃとした気分がそうさせてくれない。大してギュスターヴの声は、妙にはっきりと
聞こえてくる。
「……魔法が使えるからか?」
「……」
ルイズが答えないまま、ギュスターヴは話す。ギュスターヴは掃除を続ける手を止めて、真新しくなった教壇にむかって歩く。
「蝶や鳥が空を飛べるのは、魔法が使えるからか?……そうじゃないだろう」
「だから何よ」
「魔法が使えなかろうと、ルイズ。お前はそこに生きている。生きているものを否定するものは誰にも許されないことだ」
だから、と。ギュスターヴはルイズに正対した。
「自分で自分を見下げるな。周りに何を言われようと気にしなくてもいいじゃないか。……それに、たとえ魔法が使えないと言われても、俺は
お前に呼び出されて使い魔になったんだ。それは変わらない。主人がそんなんじゃ、使い魔の俺は困ってしまうな」
少しおどけるような、でも優しい声が、乾くルイズの心に沁みる。
ルイズはギュスターヴが自分を励ましてくれている事が嬉しかった。しかし、貴族たらん、メイジたらんとしばりつけ続けていたルイズの一方は、ルイズ自身に向けて蔑むのだ。『おまえは使い魔にすら慰められている』と。
「何よ……使い魔のくせに……何も、何も使い魔らしいこと出来ないくせに……」
握っていた箒を投げ捨て、ルイズはゆらゆらとした足取りで教室を出て行く。ギュスターヴの優しさが痛い。心が裂けるように痛いのだ。
「分かった風な口を聞かないでよ!」
血が流れる。体ではなく、心の奥底に。吐き出すように叫ぶと、ルイズは走ってどこかに言ってしまった。
「……」
ギュスターヴは追いかけず、そのまま残された教室の始末を続ける。教室の体裁が整うと、今度は一路、地下の厨房へ足を運んだ。
トリステイン魔法学院、学院長執務室。
そこはトリステインの公機関の一つである魔法学院の最高責任者の席であり、学院発足以来、只一人の者が占有している席でもあった。
齢300とも噂される大メイジ。政治の世界から身を引いて尚、メイジとしての権能が響き渡るオスマン只一人が、今は執務室に座り、
秘書から受け取っていた書類の決裁をしていた。
秘書のミス・ロングヒルは午後の業務を辞退し、私用で出払っている。そんな中、執務室のドアをノックする者がいた。
「入りなさい」
オスマンの声の後、静かに開かれるドアの先には、壮年に入る男性が立っている。年嵩に似合わず、その頭部は毛髪が枯れ、
顔にも窺いきれない人生の明影が染み込んでいる。
彼は学院に勤める教師の一人、『炎蛇』のコルベール。今年の使い魔召喚の際に引率を務め、ギュスターヴがハルケギニアで
最初に目にした男である。
「御呼びと聞きまして参上しました」
「うむ」
書類に走らせていたペンを止め、パイプを咥え直すオスマン。
「呼び立てしたのは他でもない。ミス・ヴァリエールの使い魔の件についてじゃ」
勿論、今年度生徒たちが召喚した使い魔についての報告書はオスマンの下に届けられている。しかしルイズが召喚したのは人間である。
他とは一種違う扱いをせねばなるまいと、オスマンは引率を担当したコルベールを呼び、詳細な情報を集めようとした。
「このトリステイン魔法学院の過去いかなる時にあっても、使い魔に人間が召喚されたことはない。例え成績で劣る者であっても、
並の動物が使い魔として召喚された。ミス・ヴァリエールは実技において優秀どころか一度の成功もないのじゃ。これらの事態に関して、
コルベール君。君の意見が聞きたいのぅ」
あくまでオスマンはこの件に関して慎重だった。公爵の娘、それでいて魔法が使えないルイズに関しては、前々から教師達から
さまざまな意見が上がってきていたからであり、親元のヴァリエール公もそれを知っているからである。ギュスターヴが
いかなる位置づけに置かれるかによっては、これは高度な政治問題になる可能性すら秘めていた。
「彼は召喚直後、全身と体内に火傷を負っていました。さらに獣のものと思われる噛み傷のようなものも。身に着けていたものも
改めてみましたが、いずれの国ともしれない紋章があり、つけていた鎧も特殊なものでした」
「特殊、とは?」
「一般に衛兵なり傭兵なりが身につけるものではありません。例えて言うなら、王族がつかうような設えになっていました」
「王族じゃと?馬鹿馬鹿しい。どこに重厚な鎧をつけて戦場に出る王族がおる」
ハルケギニアの戦場では魔法と弓矢が飛び交う。近年発生した銃を含めても、身に着けて防御する鎧というのは
需要が偏り、メイジ等身分の高い人間は身に着けたがらない。身に着けたとしても、銀や白金などを用いた薄くて見栄えを優先したものであり、
実用の装いではない。無論、
板金を重ねた鎧もあるが、これらは専ら魔法の使えない傭兵や、空中機動戦を行う竜騎兵が使うものである。
「あと、傷の治療の際にも『ディテクトマジック』を掛けてみましたが、彼の体から魔法に反応するものはありませんでした」
ふむ、とパイプを離し、オスマンは煙を吐く。
「しかし、彼に刻まれた使い魔のルーンを調べてみましたところ、伝承にまったく同じルーンが記されておりました」
「ほぅ。して、それはなんじゃ?」
「ガンダールヴ。始祖ブリミルの三つの使い魔の一つ。あらゆる武器を使い、始祖を守ったという」
「ガンダールヴ、のぅ」
わずかに開かれたドアの隙間から白い影が入り込み、それはオスマンの肩に止まった。オスマンの長年の友、使い魔のモートソグニル。
「さて。ミス・ヴァリエールの使い魔になぜガンダールヴのルーンが刻まれたか、それを考えねばならんの」
「ガンダールヴなら武器を使わせれば何か反応があるかと思われますが」
オスマンはデスクの引き出しからナッツを取り出し、モートソグニルの口元に寄せた。
「そうかそうか。ご苦労、友よ」
ナッツを受け取ったモートソグニルは、そのままオスマンの肩から降り、またいずこかへと消えた。
「彼の荷物には短剣が混じっておったようじゃの」
「はい。……使わせますか」
ほっほっほ。好々爺を装うオスマンであるが、その目は深い光をたたえてコルベールを視る。
「事を荒立ててはいかんぞコルベール君。ひとまず『鏡』にて観察を続ける。煩い教師達にはそう言っておくように。
ガンダールヴであるかそうでないかについても、今のところはわからん。いずれにしても現状のままじゃな」
陽はやがて落ち、夕日の赤と夜の青が混じり始めている。
ルイズは夕食にも出ず、部屋に篭りきっていた。窓にカーテンも掛けず、ベッドの上で毛布をかぶって、只じっと外を見ていた。
貴族ではない自分など考えられなかった。しかし自分は貴族の基礎たる魔法が無い。それは始めから
貴族などではなかったという事ではないのか。
そんな考えが脳裏をよぎる。それはひどく恐ろしい。メイジではない只のルイズは、乗馬が得意な16歳の少女に過ぎない。
社会は彼女に酷だろう。
懊悩に身をよじり、途方に暮れ、絶望できずに涙する。波があったが、彼女の今までの人生はすべてそこに集約されるようだった。
同時に今、使い魔として召喚したギュスターヴに、己のような者が召喚してしまったことへの侘びや、優しさを示してくれた事への感謝が、
貴族としてのルイズが持つ矜持に触れて、一層に涙が搾り取られていく。
(もう、どうしていいかわからなくなっちゃった……)
ドアがノックされて、静かに開いた。
ギュスターヴはメイド達からルイズの衣服を受け取り、また何かの入った布包みを持っていた。洗濯された衣服を置き、荷物の置かれた
自分のスペースに座った。
「……」
沈黙が部屋を覆う。教室を飛び出してしまったルイズは、さっきはごめんなさい、と言いたい。
一方で貴族のルイズは『使い魔が主人の尻拭いくらいして当たり前よ』と澄ましている。普段は自覚しない二つの考え方が、
今は自覚されてしまって辛い。
「ルイズ」
「……何よ」
喉が枯れてがらがらと答えるルイズ。
「夕食、食べてないだろ?厨房であけびを貰ってきたんだが、食べないか?」
言うとギュスターヴは布包みを広げた。熟してころころとしたあけびが入っていた。
その一つを取り、ギュスターヴはルイズに差し出す。ルイズは黙って手を伸ばし、それを受け取るのだが、ベッドの上で
自分の目の前に置いたまま、手を伸ばさない。
「……どうして」
「ん?」
「どうして、こういうこと、するの?わたし、なにもできないのに。メイジとしても、主人としても、なにもできないのに」
「そう言われてもな……」
ぽりぽりと頭を掻くギュスターヴ。
「使い魔と主人なら、主人が辛い時に助けるのが、使い魔ってやつなんじゃないかな?よく分からないけど」
「……」
ルイズは暗くなってきた部屋で、涙で腫れた目をギュスに向ける。
少しだけ。笑った。
「……泣けるっていうのはいいものだ。泣ける時は泣いてもいい」
「誰かがいたんじゃ、泣けないわ」
「俺は使い魔なんだろう?」
笑いかけるギュスターヴ。詭弁だ。二人とも分かっている。それでも、今はありがたく受け取っておこう、ルイズはそう思えてきて
あけびを手に取り齧った。
血と涙の味がした。
体中に流れのようなものを感じることができるって。……でも、そんなものは今まで一度も無かったわ。さっきもそう。
詠唱を正確に答えようと駄目……生まれて一度も満足に魔法が成功したことなんて無かったわ!」
ルイズの肩は震えていた。使い魔をどうにか召喚できた。ならば他の魔法だってきっとできるはずだ。そう信じていた。シュヴルーズ先生も
そう考えていたからこそ、今回の実演に声を掛けてくれた事を、ルイズは言葉の内に悟っていた。
誇らしくも思った。使い魔は少し普通とは違うけれど、これで私は貴族として恥ずかしくない、一人前のメイジとして立てると、そう信じていた。
だからこそ、今回の失敗はルイズの心をひどく裏切った。他の生徒たちに向けた虚勢が精一杯だった。
ルイズは今、自分が自分を裏切った事に打ちのめされていた。
「なぁ、ルイズ」
黙って聞いていたはずのギュスターヴは、このとき始めて、ルイズを見た。
「……何?」
(ああ……これは……)
ルイズの瞳は潤んでいた。しかしそれ以上に、疲れて見えた。公爵の娘、貴族の模範であろうとするのに、その証明であるはずの
魔法がつかえない。孤立を深めて憔悴し、しかしそこから抜け出す手段がわからない。そんな顔をしていた。
(子供の頃の俺がいる……)
「……ルイズ。草木が花を咲かせるのは、どうしてだと思う?」
「え?」
ルイズは唐突に出された話題に対応できなかった。ぐしゃぐしゃとした気分がそうさせてくれない。大してギュスターヴの声は、妙にはっきりと
聞こえてくる。
「……魔法が使えるからか?」
「……」
ルイズが答えないまま、ギュスターヴは話す。ギュスターヴは掃除を続ける手を止めて、真新しくなった教壇にむかって歩く。
「蝶や鳥が空を飛べるのは、魔法が使えるからか?……そうじゃないだろう」
「だから何よ」
「魔法が使えなかろうと、ルイズ。お前はそこに生きている。生きているものを否定するものは誰にも許されないことだ」
だから、と。ギュスターヴはルイズに正対した。
「自分で自分を見下げるな。周りに何を言われようと気にしなくてもいいじゃないか。……それに、たとえ魔法が使えないと言われても、俺は
お前に呼び出されて使い魔になったんだ。それは変わらない。主人がそんなんじゃ、使い魔の俺は困ってしまうな」
少しおどけるような、でも優しい声が、乾くルイズの心に沁みる。
ルイズはギュスターヴが自分を励ましてくれている事が嬉しかった。しかし、貴族たらん、メイジたらんとしばりつけ続けていたルイズの一方は、ルイズ自身に向けて蔑むのだ。『おまえは使い魔にすら慰められている』と。
「何よ……使い魔のくせに……何も、何も使い魔らしいこと出来ないくせに……」
握っていた箒を投げ捨て、ルイズはゆらゆらとした足取りで教室を出て行く。ギュスターヴの優しさが痛い。心が裂けるように痛いのだ。
「分かった風な口を聞かないでよ!」
血が流れる。体ではなく、心の奥底に。吐き出すように叫ぶと、ルイズは走ってどこかに言ってしまった。
「……」
ギュスターヴは追いかけず、そのまま残された教室の始末を続ける。教室の体裁が整うと、今度は一路、地下の厨房へ足を運んだ。
トリステイン魔法学院、学院長執務室。
そこはトリステインの公機関の一つである魔法学院の最高責任者の席であり、学院発足以来、只一人の者が占有している席でもあった。
齢300とも噂される大メイジ。政治の世界から身を引いて尚、メイジとしての権能が響き渡るオスマン只一人が、今は執務室に座り、
秘書から受け取っていた書類の決裁をしていた。
秘書のミス・ロングヒルは午後の業務を辞退し、私用で出払っている。そんな中、執務室のドアをノックする者がいた。
「入りなさい」
オスマンの声の後、静かに開かれるドアの先には、壮年に入る男性が立っている。年嵩に似合わず、その頭部は毛髪が枯れ、
顔にも窺いきれない人生の明影が染み込んでいる。
彼は学院に勤める教師の一人、『炎蛇』のコルベール。今年の使い魔召喚の際に引率を務め、ギュスターヴがハルケギニアで
最初に目にした男である。
「御呼びと聞きまして参上しました」
「うむ」
書類に走らせていたペンを止め、パイプを咥え直すオスマン。
「呼び立てしたのは他でもない。ミス・ヴァリエールの使い魔の件についてじゃ」
勿論、今年度生徒たちが召喚した使い魔についての報告書はオスマンの下に届けられている。しかしルイズが召喚したのは人間である。
他とは一種違う扱いをせねばなるまいと、オスマンは引率を担当したコルベールを呼び、詳細な情報を集めようとした。
「このトリステイン魔法学院の過去いかなる時にあっても、使い魔に人間が召喚されたことはない。例え成績で劣る者であっても、
並の動物が使い魔として召喚された。ミス・ヴァリエールは実技において優秀どころか一度の成功もないのじゃ。これらの事態に関して、
コルベール君。君の意見が聞きたいのぅ」
あくまでオスマンはこの件に関して慎重だった。公爵の娘、それでいて魔法が使えないルイズに関しては、前々から教師達から
さまざまな意見が上がってきていたからであり、親元のヴァリエール公もそれを知っているからである。ギュスターヴが
いかなる位置づけに置かれるかによっては、これは高度な政治問題になる可能性すら秘めていた。
「彼は召喚直後、全身と体内に火傷を負っていました。さらに獣のものと思われる噛み傷のようなものも。身に着けていたものも
改めてみましたが、いずれの国ともしれない紋章があり、つけていた鎧も特殊なものでした」
「特殊、とは?」
「一般に衛兵なり傭兵なりが身につけるものではありません。例えて言うなら、王族がつかうような設えになっていました」
「王族じゃと?馬鹿馬鹿しい。どこに重厚な鎧をつけて戦場に出る王族がおる」
ハルケギニアの戦場では魔法と弓矢が飛び交う。近年発生した銃を含めても、身に着けて防御する鎧というのは
需要が偏り、メイジ等身分の高い人間は身に着けたがらない。身に着けたとしても、銀や白金などを用いた薄くて見栄えを優先したものであり、
実用の装いではない。無論、
板金を重ねた鎧もあるが、これらは専ら魔法の使えない傭兵や、空中機動戦を行う竜騎兵が使うものである。
「あと、傷の治療の際にも『ディテクトマジック』を掛けてみましたが、彼の体から魔法に反応するものはありませんでした」
ふむ、とパイプを離し、オスマンは煙を吐く。
「しかし、彼に刻まれた使い魔のルーンを調べてみましたところ、伝承にまったく同じルーンが記されておりました」
「ほぅ。して、それはなんじゃ?」
「ガンダールヴ。始祖ブリミルの三つの使い魔の一つ。あらゆる武器を使い、始祖を守ったという」
「ガンダールヴ、のぅ」
わずかに開かれたドアの隙間から白い影が入り込み、それはオスマンの肩に止まった。オスマンの長年の友、使い魔のモートソグニル。
「さて。ミス・ヴァリエールの使い魔になぜガンダールヴのルーンが刻まれたか、それを考えねばならんの」
「ガンダールヴなら武器を使わせれば何か反応があるかと思われますが」
オスマンはデスクの引き出しからナッツを取り出し、モートソグニルの口元に寄せた。
「そうかそうか。ご苦労、友よ」
ナッツを受け取ったモートソグニルは、そのままオスマンの肩から降り、またいずこかへと消えた。
「彼の荷物には短剣が混じっておったようじゃの」
「はい。……使わせますか」
ほっほっほ。好々爺を装うオスマンであるが、その目は深い光をたたえてコルベールを視る。
「事を荒立ててはいかんぞコルベール君。ひとまず『鏡』にて観察を続ける。煩い教師達にはそう言っておくように。
ガンダールヴであるかそうでないかについても、今のところはわからん。いずれにしても現状のままじゃな」
陽はやがて落ち、夕日の赤と夜の青が混じり始めている。
ルイズは夕食にも出ず、部屋に篭りきっていた。窓にカーテンも掛けず、ベッドの上で毛布をかぶって、只じっと外を見ていた。
貴族ではない自分など考えられなかった。しかし自分は貴族の基礎たる魔法が無い。それは始めから
貴族などではなかったという事ではないのか。
そんな考えが脳裏をよぎる。それはひどく恐ろしい。メイジではない只のルイズは、乗馬が得意な16歳の少女に過ぎない。
社会は彼女に酷だろう。
懊悩に身をよじり、途方に暮れ、絶望できずに涙する。波があったが、彼女の今までの人生はすべてそこに集約されるようだった。
同時に今、使い魔として召喚したギュスターヴに、己のような者が召喚してしまったことへの侘びや、優しさを示してくれた事への感謝が、
貴族としてのルイズが持つ矜持に触れて、一層に涙が搾り取られていく。
(もう、どうしていいかわからなくなっちゃった……)
ドアがノックされて、静かに開いた。
ギュスターヴはメイド達からルイズの衣服を受け取り、また何かの入った布包みを持っていた。洗濯された衣服を置き、荷物の置かれた
自分のスペースに座った。
「……」
沈黙が部屋を覆う。教室を飛び出してしまったルイズは、さっきはごめんなさい、と言いたい。
一方で貴族のルイズは『使い魔が主人の尻拭いくらいして当たり前よ』と澄ましている。普段は自覚しない二つの考え方が、
今は自覚されてしまって辛い。
「ルイズ」
「……何よ」
喉が枯れてがらがらと答えるルイズ。
「夕食、食べてないだろ?厨房であけびを貰ってきたんだが、食べないか?」
言うとギュスターヴは布包みを広げた。熟してころころとしたあけびが入っていた。
その一つを取り、ギュスターヴはルイズに差し出す。ルイズは黙って手を伸ばし、それを受け取るのだが、ベッドの上で
自分の目の前に置いたまま、手を伸ばさない。
「……どうして」
「ん?」
「どうして、こういうこと、するの?わたし、なにもできないのに。メイジとしても、主人としても、なにもできないのに」
「そう言われてもな……」
ぽりぽりと頭を掻くギュスターヴ。
「使い魔と主人なら、主人が辛い時に助けるのが、使い魔ってやつなんじゃないかな?よく分からないけど」
「……」
ルイズは暗くなってきた部屋で、涙で腫れた目をギュスに向ける。
少しだけ。笑った。
「……泣けるっていうのはいいものだ。泣ける時は泣いてもいい」
「誰かがいたんじゃ、泣けないわ」
「俺は使い魔なんだろう?」
笑いかけるギュスターヴ。詭弁だ。二人とも分かっている。それでも、今はありがたく受け取っておこう、ルイズはそう思えてきて
あけびを手に取り齧った。
血と涙の味がした。