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虚無の王-26


 真夏の太陽が、殺意にぎらつく目線を投げ降ろしていた。
 地平線は陽炎に溶け、何もかもがその眩しさで、容赦無く瞳を刺し貫いた。
 重く垂れ込めていた陰は、陽の勢いに懼れをなして、どこかに消えてしまった。
 事実、二つの塔、殊に中央の本塔を失った魔法学院の広場は、どこもかしこもがぶ厚い熱気に覆いつくされ、正気を失っていた。
 夏は魔の季節だ。どんなにおかしな事が起きても、夏だから、の一言で片が付く。
 アウストリの広場に、学生達が整然と列を作っている。
 城壁に似た竈で風が煮え立つ中、ここだけは凍て付く空気が層を重ねている。
 乾涸らびたローズマリーが太陽から目を背ける様に首を垂らす。
 恋の夜は去り、広場は悲劇の後日譚に舞台の様相を変えていた。
 整列する学生は凡そ200人。魔法学院は本来、一学年90人の編成で、三学年だ。
 辻褄の合わない数字が今後どう変異するかは、風の気紛れと、個々人の幸運とに委ねられている。
 風の王。異界から来た侵略者との戦いに於て、名誉ある最期を遂げた貴族達の慰霊式典が、粛々と進められていた。
 200の目線が集まる急造の壇上では、進行役のギトーが平べったい広場の集団を見下ろしている。
 フーケの一件で負傷していた、最強の系統を担うメイジは、それ故に命を拾っていた。
 抑揚の無い、淡々とした声には、うっすらとした滲みが紛れていた。
 いついかなる場合に於いても毅然たる態度を示し、若き貴族達の範たる事を、己が使命と心得る風メイジ。
 だが、どんな使命感も、胸中に渦巻く悔恨と自責の嵐を抑える事は難しい物だ。
 自分は常々、教えて来た。
 風こそ最強の系統である。
 目に見えぬ風は、諸君の身を守る盾となり、あらゆる敵を吹き飛ばす矛となる。
 自分は風の頼もしき事ばかりを伝えて来た。風の恐ろしさを、向かい風となって迫り来る、その脅威について語る事を忘れていた。
 結果、死をも恐れぬ若者達から、死に様について考える機会を奪ってしまった。
 彼等はいかなる勇気も、名誉ある態度も示す間を与えられずに、全く思いもかけない死に飲み込まれてしまったのだ。
 広場には血の通わない、凝固した顔が並んでいた。
 事件を目の当たりにする事が無かった多くの学生達は、一体、何が起きたのか、未だ理解出来ずにいた。


 何物も映していない点では、ガラス玉と変わらない瞳の列に、炎の輝きが紛れていた。
 炯々たる深紅の光は、壇上をぼんやりと照らす代わりに、一人の少年を真っ直ぐ貫いた。
 キュルケ・アウグスタ・フレデリカ・フォン・ツェルプストーは薄い唇を噛んだ。
 一昨夜の出来事が、ゲルマニア貴族の豊満な肢体の中で渦を巻き、体中の血管を煮え滾らせていた。
 情熱に生きる少女は、それだけに激情を操る術にも長けている。だが、何事も限度が有る事は免れ得ない。
 活動的な性分から、野宿にはそれなりに慣れているとは言え、藪陰で毛布も無く目を醒ましたのは、初めての経験だった。
 顔にまとわりつき、鼻に、耳に潜り込もうとする藪蚊や、蟻を払い除けた時、鼻腔の奥でくしゃみが破裂した。
 その時、隣で身を捩ったのがギーシュだ。
 草臥れた仕草で濁った眼を開けた少年は、二、三、意味不明の呟きを漏らしたきり、動かなくなった。
 反対には、希望と言う言葉を永遠の中に探している様子のルイズ・ド・ラ・ヴァリエールが居たが、目を開ける事さえ忘れた女には、何の興味も湧かなかった。
 トリステインの少年貴族が自分の呼吸を確かめる様にして、ゆっくりとした瞬きを繰り返している間に、キュルケは五匹の蚊を叩き潰していた。
 掌に、ねっとりと血の斑点が残った。
 立ち上がったギーシュの背中は、何も言わなかった。造花の杖を振り回し、自身に残された精神力を測っていた。
 気絶と睡眠とは似ている様で違う。キュルケ自身の精神力は空に近い。
 その点、先の戦闘で勇気を示す機会に聊か見放されていた土メイジには、若干の余裕が有ると見えた。
 造花の一振りは、程なくして一体の戦乙女を生み落とした。
 巨大な車輪を備える、高速型ワルキューレだ。

「ねえ……何がどうなっているの?」
「僕等だけで逃げて来た。後の事は分からない」

 説明は簡潔だった。
 ルイズだけは無事に逃がす必要を覚えた事。
 ヴェルダンデに抜け道を用意させた事。
 ミスタ・コルベールの御陰で、脱出の好機が得られた事。
 手近に居た自分も一緒に連れて来た、と言う事。

「助かったのは、私達とルイズだけ?」
「ここに居るのが、三人だけなのは確かだ」
「他には、誰も連れて来られなかったの?」
「タバサには手が届きそうだったけど、駄目だった」

 差し伸べた手を、タバサは拒否した。使い魔を置き去りに出来なかったのだろう。
 脳裏にフレイムの姿が浮かんだ。
 忠実なる使い魔。火竜山で生まれた火トカゲの感覚は、どんな光景も運んで来なかった。

「ルイズを頼む」
「学院の様子を見に行くの?」
「今、あそこは危険だ」
「友達が心配じゃないの?」
「もっと心配な事が有る」
「モンモランシーも居るのよ。それ以上に心配な事が、あなたに有るのかしら?」
「王宮に行く」

 一夜の内に、魔法学院が壊滅した。その事態を王政府が把握するには、もう少し時間がかかる。
 そして、武内空がその気になれば、魔法学院とトリスタニアは目と鼻の先だ。

「事は一刻を争うんだ。学院に行っている閑は無いし、あの男に出会しでもしたら、目も当てられない」
「だから、見捨てるの?」
「友に背くも、王権に背く事勿れ――――うちの家訓さ」

 愛国心は無頼漢の最後の砦と言う言葉が有る。無法者でさえも、祖国を裏切る事だけは出来ない物だ。
 まして、トリステイン貴族たる者、王権の為に命を抛つ覚悟は出来ている。友の為、王権に背けば、結局の所、双方を裏切る事になる。

「タバサはガリア人よ」
「関係無い。いかなる貴族にとっても、始祖の血統を継ぐ三王家は等しく忠誠の対象だ。僕はトリステイン王家に対してそうである様に、ガリア王室の為にも命を捨てる事が出来る。彼女だって同じ筈だよ」

 陽が投げ落とす熱線と、炎の視線が一つに混じり合い、空を白く焼いた。
 暑いのは苦手だ。
 だが、頭蓋の内で煮え滾り、今にも溢れ出ようとしている灼熱の奔流に比べれば、草木を枯らす熱風が如何ほどの物だろう。
 友人を見捨てるのか――――必ずしも本気で言ってはいない。
 武内空と鉢合わせたら最期だ。そして名誉有る死を望める程に慈悲深い相手でも無い。
 タバサについての言葉が、ゲルマニアの火メイジを苛立たせていた。
 ギーシュの言い種は、全く、判を捺した様に模範的で、それだけに太平楽が過ぎた。
 何も知らない癖に。
 ガリア王室と異国から来た偽名の少女の複雑な関係を知る身としては、勝手と知りつつ、そんな言葉が脳裏を過ぎるのは否めない。
 なにより、あのトリステイン人が最後に付け加えた一言だ。

「ゲルマニア人の君には分からないかも知れないけど」


 全く。トリステインは良い所だ。トリステイン人さえ居なければ。
 朝を迎えた魔法学院は、深夜と寸分違わぬ様相で捨て置かれていた。
 白々とした朝日が、惨劇の痕跡を無慈悲に掘り起こした。
 王都トリスタニアと王宮を襲った悲劇の報は、結局、届かなかった。
 風の王は現れた時と同様に、忽然、その姿を消していた。
 アンリエッタ王女の行啓は沙汰止みとなるだろう。
 出迎えるべき教師はその多くが倒れ、白亜の学院も、今は数百年の歴史に代わって、一夜の惨劇が深々とした爪痕を残しているばかりだ。
 とても、王族の啓を仰げる状態では無い。
 誰もがそう考えた。
 一人だけ、考えを異にする人間が居た。
 彼女の白い手が、この一件に関して、決定権を握っていたとは考えにくい。だが、学院の事態に親から処せんとする王女の行く手を遮るには、鳥の骨ではあまりに軽過ぎた。
 壇上に少女が居る。
 今、この場に並ぶ者無き高みに端然、鎮座する始祖の末裔、高貴なる半神は、それ故に偏る事を知らない、平等なる慈愛の視線を眼下に垂れている。
 その御足が同じ土を踏み、繊手が眼前まで降りて来ると、トリステインの貴族達は感激に噎び泣く。
 これはきっと、美しい光景なのだろう。
 戦いと惨劇の中、心身に傷を負い、疲れ切った貴族の子弟。そんな少年少女を慰撫せられんが為、姫殿下は危険を推して行啓を敢行させられた。
 炎が消えた。赤い瞳の奥には、白けきった、氷の光だけが揺れていた。
 ギーシュが跪き、涙を流している。
 やがて、広場に沸き立つ万歳の歓呼。
 始祖の末裔を君主と仰ぐトリステインと違い、ゲルマニア皇帝は武辺者の成り上がり、貴族の棟梁でしか無い。
 言わば、貴族にとっては利害を対する競合相手であり、それだけに、根拠不明な王権に対する忠誠も薄い。
 古い伝統の国、小国の少年少女が純真無垢な感激に身を委ね、改めて無償絶対の忠誠を胸の内に誓う中、キュルケ一人が心優しい王女殿下に猜疑の瞳を向けている。
 生来の優しい性分もあるだろう。
 勿論、打算もあるだろう。
 この行啓で、将来の女王陛下は同じく将来の王国を担う貴族達の忠誠を、確固たる物にした。
 だが、それだけだろうか。
 騎士と大貴族の当主とでは背負う使命が違う。騎士の役割が戦場に於ける勇敢な死であるのなら、当主の役割は万難を排して生き延びる事だ。
 まして、自身を於ては他に目立った継承者も居らず、近くゲルマニア皇帝との婚姻が噂されている王女となれば尚更だろう。
 何か、臣下の慰撫に託けて、学院に来なければならない理由が有るのではないか。それも、近臣には決して告げる事の出来ない、極めて私的かつ不名誉な理由が。
 キュルケは奥歯で苦虫を噛み潰し、大きく重い感触を躊躇いがちに嚥下した。
 自分の勘が良く当たる事を、“微熱”の少女は良く知っていた。



「傷は癒えたかな?子爵」

 微笑みを含む一声が、肩を叩いた。
 ジャン・ジャック・フランシス・ド・ワルド子爵。トリステインの魔法衛士は、形式に則る一礼を慎ましく投げ返した。
 レキシントンに於ける大勝を皮切りに、貴族派は勝利に勝利を重ねていた。
 今では、白き大陸アルビオンを支配するデューダー王家に残された領地は、小さな岬の突端に聳える城塞ニューカッスル唯一つでしか無い。
 王党派の息の根を止め、王国を我が物にせんと逸り高ぶる貴族派の陣中で、異朝の貴族が気儘に歩を運んでいる。
 奇異の目は無い。
 レコンキスタは国境を越えた貴族の連合体だ。
 ハルケギニアのあらゆる国家に同調者が居る。
 彼等は将来生まれるハルケギニア統一国家こそを祖国と信じている。
 ハルケギアの将来を憂う貴族達にとって、現存の王国は、自身の理想を阻む障害では無く、本来、存在する筈である理想社会を犯す侵略者だ。
 その打倒の為なら、あらゆる手段、あらゆる欺瞞、あらゆる悪徳が是認される。
 寧ろ、既存の概念に縛られ、有効なる手段を躊躇するのは、同じ理想を掲げた同志に対する、何より救世の理想と正義に対する、恥ずべき裏切りだ。

 ハルケギニアに解放を!
 統一を!
 世界中の貴族よ連帯せよ!

 熱狂渦巻く陣中の方々に、ワルドは冷ややかな瞳を配っている。
 二人の風使いがレコンキスタに与えた役割は既に終ろうとしていて、その行く末に良い未来が用意されていない事を、彼は良く知っていた。
 空袖が呆れた様に首を振った。自分が国籍を超えた貴族達と五十歩百歩の間抜けである事を思い出し、思わず吐息が漏れた。
 全く失態だった。最早、利用価値が失せつつある相手の信用を繋ぐ為に、腕を一本捧げてしまったのだ。割に合わない事、この上無い。
 まあいい。ワルドは内心で一人ごちる。
 我が僚友は目的の為に、己が両脚を切り落としたと言うではないか。
 右腕で無かっただけ良しとしよう。

「それにしても、驚いたね」

 一人の男が居る。
 鷲鼻の左右で理知的な眼が人懐こい笑みを作る。
 身に纏うローブは聖職者だが、軽快な口調は軍人の物だ。
 オリヴァー・クロムウェル。レコンキスタの総司令官が見せる気易い態度に、ワルドは人知れず肩を竦めた。
 器と言う物は、広くすれば浅くなるし、深くすれば狭くなる。
 鷹揚を気取る、異邦人にも分け隔ての無い態度。
 驚くほど浅いその本性を見逃すには、いささかつき合いが長くなり過ぎていた。

「君ほどの勇者に深手を負わせる使い手が、ウェールズの他にも王党派に残っているとはね。思いも寄らない事だ」
「腕前に、見るべき点が有った様には思われません」
「ほう。では、どう言う事かね?」
「ただ、生きようと言う執念が凄まじかった。片腕を引きずり込まれました」
「ふむ……」

 碧い左右の瞳には、不可解と無理解とが揺れていた。
 杖を片手に手勢を率い、自らの手で領地を押し広げる聖職者は珍しくないが、レコンキスタの総司令官は、その種の冒険的な怪僧とは正反対の人物だ。
 命の遣り取りの場を、技巧ですり抜けられると、本気で信じているのだろう。
 こうした男の目には、戦を前にして、名誉ある死を始祖に祈る貴族の切実さえ、軟弱と映る。
 終生鏡と縁を結ぶことの無い、最も幸せで、同時に最も忌避すべき人種だった。
 ワルドはその指先に付いている小さな石ころ程にも価値が無い男から、そっとその背後に目線を移した。
 常にローブを目深にした女の口元は、薄く歪んでいた。秘密を共有した者が見せる、共犯意識に裏打ちされた物とは違った。
 怪訝に思うよりも先に、ぶ厚い影が、その背後からぬっと現れた。
 背筋の神経を鋭い刺激が走った。

 現れたのは、剣士を思わせる男だ。鋼の硬さと獣の獰猛とを兼ね備えた肉体が、マントの下に直接覗く。
 熟達したメイジの本能が、男の正体を教えてくれた。その出で立ちからは、想像に遠い正体だ。
 隆々たる筋肉が抱える凶悪な鈍器を、一体、どこの誰が杖だと考えるだろう。
 目線が交錯する事は無かった。
 冷たい碧眼の放つ眼光は、皺と火傷に埋もれた男の瞳に、抵抗も無く吸い込まれた。
 いかなる光も宿す事の無い瞳が、男の盲目を無言の内に物語っていた。

「ワルド子爵だ」

 クロムウェルがワルドを紹介した時も、男の顔は鉄の固さで凝固したままだった。

「ワルド君、君も名前ぐらいは聞いた事があるだろう。彼が“白炎”メンヌヴィルだ」

 碧い瞳の奥に、光が灯った。その二つ名には聞き覚えがあった。
 悪名には事欠かない、火メイジの傭兵だ。そして、残虐非道の誹りこそ枚挙遑無いが、臆病の二字だけは耳にした事が無い。
 全身の皮膚が粟立ち、一斉に警報を鳴らした。その声に比べれば、どんな噂も、常人であれば正視に耐えぬ凶悪な人相も、取るに足りない物だった。

「どうだね子爵?伝説を目の当たりにして」
「ここが戦場でなくてよかったと思いますよ」

 正直だが、それだけに白々しい答えでもあった。
 クロムウェルが見せる、聖職者特有の胡散臭い笑顔も、ローブの女が浮かべる趣味の悪い笑みも、人を和ませるより、寧ろ頑なにさせる類の物だった。

「では、閣下。私はこれにて」
「うむ。例の件、宜しく頼むよ」

 ワルドは踵を返した。その背中を聖職者の総司令官は笑顔で見送った。
 長身が踵を軸にしてくるりと回った時、温和と鷹揚のメッキが、ストンとはげ落ちた。
 腰間の杖は、鞘鳴りの一つも無く抜かれていた。呪文はとうとう聞こえなかった。
 眼前で二つの魔法が弾け、瞳孔を白熱の皮膜で覆った時も、クロムウェルは事態を察する事が出来なかった。
 すらりとした体躯が風の中に滑り込んだ。
 鋼鉄の巨体が吹き上がる炎と化したのは、同時だった。
 剣の拵えを持つ杖先が、電光一閃、火傷に塗り固められた頬肉を削り飛ばした時、戦槌と見まごう超重の杖は一陣の轟風となって、羽根飾りを斬り飛ばした。
 メンヌヴィルの杖。持ち主の巨躯にも優る、長大な鈍器が剣の間合いに即している事実が、ワルドにその構えと、次なる一打を教えてくれた。
 握りは杖を両手で三等分する型。空気を裂いて、もう一端が反対側から襲って来る。
 長靴の下で土塊が爆ぜた。切っ先は弾丸の速さを帯びていた。
 長杖の両端による攻撃は回転に勝れるが、間合いが犠牲となる。
 我が杖の迅速はその鼻頭を抑えるに足る。避けるよりも、そこに賭けた。
 杖先が歪んだ顔面に吸い込まれた時、ワルドは反射的に身を反らせた。
 メンヌヴィルが構わず鈍器を振り抜いて来るのは、聊か予想に反していた。
 風と炎、二つの魔法が完成したのは、この時だ。
 鑢の感触を残して沈黙したクロムウェルの瞳を、閃光が刺し貫いた。耳の中では、鼓膜と空気とが一緒くたに割れた。
 火花が弾け、一面に降り注いだ。
 風メイジの碧眼と、火メイジの見えない目は、焼け付く雨を隔てて、この時、確かに絡み合っていた。
 メンヌヴィルの側頭には、千切れかけた左耳がぶら下がっていた。ワルドの杖先を、首を捻ってかわした代償だ。
 打撃を躊躇していれば、それも叶わなかっただろう。顔面を砕いた杖先の放つ魔法が、零距離から、その意識を永遠に奪い去った筈だ。
 ワルドの頭に帽子は無かった。メンヌヴィルの首を捻る動作が、若干、その打撃を鈍らせた。
 杖の一突きが半瞬遅れていれば、頭を割られている。とは言え、受けに回っていれば、至近から放たれる炎で丸焼きにされただろう。
 杖が伸びた。その先端は、眼前の傭兵では無く、頭上に踊る帽子を捉えていた。

「何の真似だ?」

 唸る様な声が言った。

「貴君に隙が無いか試しただけだ」
「物騒な野郎だ」
「杖と一緒に腕が鳴るのだよ。貴君の様な男を見ているとね」
「忘れねえぞ」

 答えたのは杖先だ。魔法を放つ代わりに、胸元を指して小刻みに揺れる。
 その挑発的な仕草に、メンヌヴィルが歯を剥いた時、場違いな笑い声が、蛞蝓の舌使いで耳朶を撫でた。

「いや、素晴らしい!」

 視力が未だ戻らない事は、クロムウェルにとって幸運だった。
 白けた目線にも気付かずに声を上げて笑い、手を叩いて間に入る。
 その仕草は多分に芝居がかっていたが、仮に芝居だとしたら、道化芝居の類である事に、本人だけが気が付いていなかった。

「さすがに、達人同士の手合わせは迫力が違う!諸君等の様な部下に恵まれた事を、始祖に感謝しなければな!」

 二人は杖を収めた。続きをやりたければ、目の前の男をまず黙らせなければならない。
 生憎、貴族会議により選ばれた我等が代表は、敵愾心を刺激するほどの人物では有り得なかった。
 砂が頬を叩いた。
 ワルドの背後に、一頭の風竜が合図を待っていたかの様に舞い降りた。

「ほう、子爵。君は風竜も操るのか。そうとは聞いていなかったが」
「騎乗の経験はありませぬ」
「ふむ。確かに風竜の速さと航続距離は有用だが。大丈夫なのかね?」
「私に乗りこなせぬ幻獣は、ハルケギニアには存在しない物と存じます」

 風竜に飛び乗る仕草は、正直な言葉を裏付けていた。
 その軽快は、なるほど優れた軍人の物ではあれ、到底熟達した竜騎兵の物では無かった。
 それでも、離陸は危う気の無い物で、一度風を掴んだ竜の速度は、物欲に別れを告げる事が出来ない聖職者の目を眩ませるに十分な物だった。

「名竜だね。調教の具合もいい」

 その言葉に、ローブの女は奇妙な仕草を見せた。ともすれば不便な衣服も、表情を隱すには便利な物だ。
 千切れた耳を繋ぐ男の喉から、痛みと無縁な唸りが漏れた。

「次はこうはいかねえ」

 風竜の翼上。
 ワルドも亦、不服に舌を鳴らしている。

「私の代わりと言う事か。クロムウェルめ」

 風竜の首筋を撫でると、ワルドは短く呪文を唱える。
 刹那、風のメイジの体は、空に紛れて消え失せた。
 風竜が鳴いた。
 野生を取り戻した幻獣は、どこへともなく、翼を巡らせた。



 鎧戸から滑り込む陽の中で、埃がクルクルと踊っていた。
 小さな部屋の真ん中では、一枚板の円卓が、どっかりと腰を下ろしている。
 上座を持たない円卓は、平等なる討議の象徴だ。
 尤も、顔を付き合わせる三つの影は、揃ってそんな言葉を歯牙にもかけない人物だった。
 卓上を右へ左へと滑る言葉も、友愛や平和とは程遠い。
 それでも、密談が漏れる事を恐れ、鎧戸を閉め切ろうとする者は居なかった。
 臨席する二人の男は、耳を兼ねる翼を持っている。
 円卓の上に転がる秘密を守るには、風の運ぶ気配に片耳を預けている方がいい。

「どうした?」

 風を弄び、熱暑の慰めとしていた左手が、不意に卓上へ降りた。
 薄い飴色の陽を透かして、同席者が示した僅かな変化を、空は見逃さなかった。
 右手に座するのは、三○○○m上空で立ち会いを演じ、風竜に跨っていた筈の男だ。

「偏在を一体消した」
「なかなか、面白い物を見せて貰ったわ」

 答えた影もまた、アルビオンの大地でクロムウェルに従っていた筈の物だった。
 空は両手を翳した。狭い部屋で、風が渦を巻いたが、暑さに苦しむ仲間達へ親切心を起こすほど、人の好い男では無い。
 ワルドは偏在、シェフィールドは魔法道具の類。複数の目を世界の至る所に配する手段を手にしている。
 その点については凡人と変わる所の無い身としては、二人の会話は愉快ではなかったのだろう。

「はん。ったく、ワルドの癖しよってっ」

 不満が手刀を象り、青年貴族の喉を打った。
 冗談のオブラートに包まれた一打は、それでも数秒に渡って呼吸を奪うには、十分な物だった。
 激しい咳が喉を削った。一瞬、杖へと伸びた左手、手袋に覆われた義手は、結局、その握りを撫でるに留まった。
 決して寛容な性分では無い。余人なら、片腕は貰っている。
 だが、トリステインの風使いは誇り高き風の王の人となり、いつでも自分が中心でなければ気が済まない、少年の心を忘れない大人と言う一面を知っていた。
 そう言う輩には、反撃してやるよりも、もっと効果的な方法が有る物だ。
 ワルドは敢えて笑った。
 空の目元が小さく引きつった事を、グリフォンの背から大地を見下ろす鋭敏な瞳は見逃さなかった。

「あの男は私を疑い始めている様だが……」
「鈍い男よ。でも、同時に臆病だわ」
「例の件については、“上”で話した通りで構わないだろうか?」
「特に変更の必要は無いわね」

 シェフィールドに水を向けると、案の定乗って来た。
 この“おでこさん”が聊か、左手にルーンを持つ使い魔とは合わないらしい事も、ワルドは見抜いている。
 自分を差し置いて、自分の知らない話を進めて、自分の知らない理由で決定を下す二人の様に、空の眉が跳ねる。

「ったく。けったくそ悪い奴らやなあ」

 内心でほくそ笑みながら、ワルドは席を立った。
 風向きが分からない人間は居ない。風の王が見せる態度も、頗る分かり易い。
 だが、風を読むたやすさはともあれ、風の変化を予知する事は、スクウェアメイジにとっても難しい物だ。
 議するべき事も話し終え、ささやかな勝利を得た今、長居は無用だった。
 席を蹴ると、空はマントの後姿に続いた。
 その足を縫い止めたのは、耳にざらりとした違和感を残す、重い声だ。


「Hey.Big Willie!!(やあ、イケメン)」

 背後には一人の女が座している。
 他には誰も居ない。
 その声は、確かにたおやかな女性の物だが、鋭利と重厚とが刀剣の重さで同居する口調は、到底、端麗な容姿に似つかわしい物では無かった。

「なんや、あんたかい」

 風を掴む両掌が、シェフィールドの頬を包んだ。
 異性への愛情を込めた仕草では無い。受話器を掴む無造作だ。
 そして、その扱いが強ち間違いでは無い事は、当の本人の声が物語っていた。

「ミスタ・空。君は暫く、手すきだと聞いていたが。まさか、予定が変わってしまった、などと言い出したりはしないだろうね?」

 女の唇が、他人の声を運んだ。
 恐ろしく深い瞳の奥には、いかなる光も覗く事は出来なかった。
 今、この瞬間、その奥底は遙か千リーグを隔てたガリアまで通じている。

「あいつ一人働かせといて、何もしいへんのも気ぃひけるさかい。ま、果報を寝て待つんは性分に合わんへん言うんも有るけどな」
「おお、ミスタ・空。君はなんと残酷な事を言うのだ。残念だよ。実に残念だ」

 本当に残念そうな声が言った。
 デートを当日にキャンセルされた、グラモン伯爵家の四男坊だって、ここまで無念な声を漏らす事は無いだろう。

「新しい将棋が出来たのだ。現実と同じ様な地形を用意し、ダイスによって、駒の勝敗を決めるのだ。全軍の将たる者、あらゆる偶然をも、計算の内にしなければならないと語ったのは、誰だったかな?
とにかく、これにより結果に揺らぎが生じ、本当の戦を指揮している様な楽しみが生まれるのだ。定石の応酬に終始しがちな従来の将棋とは、全く違った物だ」
「小姓でも相手にさせとき」
「ああ!君はなんと残酷な男だ。知っている筈ではないか。最早、どんなルールでも、余と対等の指し手など居りはしないのだ。
なのに君は余に、この長い退屈な時間と!世界の半分と戦って討ち死にしろ、とそう言うのかね!」
「はは。就床様や。いっそ、その方が世の為にはなるとは思うけどな」
「残念だ。全く残念だ。君だけだ。君だけが、唯一余を楽しませてくれる打ち手なのだ」
「まあ、そう残念がることないやろ」

 一点の曇りも無い笑顔で、空は言った。

「何事も派手な方がええ。この世界が盤面や。ダイスは神様が振ってくれよる。勝負遅いんが難点やけど、これほど楽しい将棋、他にあらへんわ」
「おお、その通りだ。君の言う通りだ」

 無表情な女の口腔の奥で、男の口調が相好を崩した。

「君が用意している手は、余の預かり知る所では無い。おっと、決して話さないでくれたまえよ。楽しみが無くなる」
「ホンマ、病気やな。あんたは。まあ、ええ。“始祖の虚無”はうちの王様がいただくさかい、覚悟しとき」
「王?」

 怪訝な声が言った。
 このハルケギニアで王と呼ばれる人間は二人しか居ない。そして、内一人は亡国の淵に立たされている。

「どう言う事かね?まさか、君の様な人間が、トリステインの小娘供に膝を折るとは思えない」
「そらそーや。親子丼には食傷しとるし、ワイも落ち着いたさかい。あのおばはんにも、娘の方にも大した興味はあらへん」
「では、一体誰の事だと言うのかね?」
「虚無の王や」

 空は受話器を置こうとした。
 生憎、現代日本人が手にするそれは、電話機とは違った。
 無線機の要領なら、電源を切ればいいだろう。
 幸い、スイッチと思しき突起なら二つ有る。
 空の推理は正しかった。
 両の突起をつついた時、シェフィールドは自身の声帯が女を取り戻した事を、分かり易く教えてくれた。



 ワルドは風のスクウェアメイジだ。
 空気の動きには極めて敏感であり、いかなる些細な音をも聞き逃さない。

「一○○メイル先に落ちた、針の音をも聞き取る男」

 独白に違わぬ鋭さで、ワルドは足を止めた。
 よく聞き覚えの有る女の声が、微かに耳朶を撫でる。聞き覚えのある声は、聞いた事も無い声音を帯びていた。
 何事だろう。
 誰にでも聞こえる鈍い打撃音が、事の成り行きを教えてくれた。
 思わずため息が漏れた。
 何かを言おうとして、結局何も思い浮かばなかったワルドは、トリステイン人らしい仕草で肩を竦める事にした。


 ――――To be continued


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