あの作品のキャラがルイズに召喚されました @ ウィキ

ゼロな提督-19 a


 石造りの床と天井。5メイル四方を本棚に囲まれた、薄暗い部屋。
 天井近くの壁には穴が数カ所。そこから流れ込む朝の冷たい空気が、部屋に籠もるカビ
臭さをゆっくりとかき回す。

  コツ…コツ…

 男は書棚に整然と並べられた本の背表紙を小さな懐中電灯で照らしながら、部屋をゆっ
くりと歩いている。
 部屋の中央には小さいが頑丈そうな机と椅子。机の上に本が数冊積み上げられてる。
 椅子には長剣が立てかけられている。

「え~っと…『国富論』、『孫子』…なんだこれ?『ヴォロンテール』?」
 書棚の中から古い本を取り出し、口にくわえた懐中電灯で照らしながらペラペラめくっ
ていく。
「ああ、なるほど。ヴォルテールの徒名がヴォロンテール(意地っぱり)なのか。『寛容
論』に『哲学辞典』と、それに『カンディード』とかを要約したんだな。うん、ちゃんと
『百科全書』も入ってる」

 手の上に開かれたのは、紙を紐でまとめただけの粗末な冊子。だが中に記されているの
は、理性による思考の普遍性と不変性を主張する思想である『啓蒙思想』の代表者フラン
ソワ=マリー・アルエ (Francois-Marie Arouet、ヴォルテールはペンネーム)の著作をま
とめたもの。フランス革命の思想的背景の一つとされる。
 始祖と王家が絶対とされるハルケギニアでは異端の思想と扱われるかもしれない。
「なんだか小難しそうな題名バッカだな」
 デルフリンガーの口調は明らかに興味なさげだ。



   第十九話    ある村の平和で静かな一日



 彼は手にしている本から書棚へ目を戻す。
「なるほどね、ここは政治経済軍事関連をまとめた本の棚か。主に17~18世紀までの著
書を集めてあるな。こっちは重商主義と重農主義…」
「サヴァリッシュってヤツぁ、なんでそんなのまで書いたんだ?あんまり村では役に立た
ないと思うんだけどよぉ」
「いつか子供達が政治の舞台に出る時のため、かな?でもやっぱり本の量は少ないな」
 その棚の本を見ると、ホコリが薄く積もっている。本自体も手あかやすり切れた跡が全
然無い。そもそも数が他に比べて少ない。

 隣の本棚にある医学関連の本を一冊抜き取ってみた。それは産科、特に妊娠後期から新
生児期までの周産期医療についてを中心に記してる。何度も取り出され読み込まれたのだ
ろう。表紙はボロボロで、ところどころ破れた紙を無理矢理ひっつけたページもある。医
学関連の棚には全くホコリが積もっていない。
 よく見ると、生殖器と受精に関連したページの破損が一番激しい。ヤンは思わず笑って
しまった。
「どこの世界も気になるのは同じか」
 暖かい目と共に大人気の本を書棚に戻す。そして部屋をクルリと見渡してみる。


 天井と床以外、壁全面を書棚が覆ってる。その中には一分の隙もなく書物が収められて
いる。一つ一つが荒く固くて分厚い紙を使い、薄暗いランプの明かりでも書けるよう大き
な紙に大きな文字で書かれている。とはいえ何百冊とあっては、全部読むのはさすがに一
苦労だろう。
 見た所、やはり農耕と酒造関連が一番読まれている。次が医学だろうか。対して数学や
政治経済軍事関連は、村では役に立たないので人気がない。他にも製鉄・物理・化学・料
理に至るまで、様々な分野に及ぶ。いずれにせよ、どの本も破損と腐食が進んでいるのは
確かだ。
 ワルキューレと同じく固定化の魔法はかけてあるだろう。部屋にカビ臭さが少ない所を
見ると、地下室ごと固定化をかけたかもしれない。が、長年使い込まれれば何でも限界が
来る。

 ヤンは懐中電灯に取り付けられた小さなハンドルをクルクル回す。ついでに舌もクルク
ル回る。
「マチルダに固定化の掛け直しを頼もうかな…いや、ハルケギニア語に翻訳して新しく本
を書いた方が…でもこの本は、危ないな。何にせよ、ほとんどは簡単に要約してあるから
なぁ…これじゃ、分かりやすくても実用には…それに、どうやらこれらの本って…」

 ブツブツと独り言を呟きながら部屋を歩き回っていると、長剣が不思議そうに尋ねてき
た。
「なぁおい、それ、何を回してんの?」
「ん?ああ、これ?」
 手に持つ懐中電灯のハンドルを剣に示す。
「充電。これ、手回しで光るためのエネルギーを作るんだ」
「へぇ~。魔法のランプ程には楽じゃねえんだな」
「まぁね。代わりに回し続ければ、壊れない限り永遠に使い続けれるんだ。非常用品の基
本だね。魔力すら不要、とも言えるよ。単純な造りであればあるほど部品も少なくて、壊
れないし修理しやすいから」

 そんな話をしていると、地下室の小さな扉がノックされた。ヤンが手を伸ばせば届く高
さの天井に設けられた扉である、四角い石の蓋からコンコンと音がする。
「入ってまーす」
「知ってるわよ」
 ゴパッと重苦しい音を立てて石の蓋が開けられ、ルイズが顔をピョコッと突っ込んだ。
ウェーブがかかったピンクの長い髪が室内に垂れ下がる。
「おいおい、この部屋に勝手にはいると、ワイズさんとか家の人に怒られるよ?」
「首だけならいいでしょ。地下室のことは知ってるし、本は読めないし、問題ないわよ。
ね、村長」
 と言ってルイズが首を引っ込めて顔を上げる。蓋を持ち上げてる色黒で白髪混じりな初
老の村長の困ってる顔が想像出来る。

 机の上に積んでいた本と懐中電灯を棚に戻したヤンは、長剣を背負って机に上がり、天
井の穴の淵に手をかける。
「それで、ワイズ村長。持ってきてくれましたか?」
 白髪混じりのワイズ村長が這い上がるヤンに手を貸しつつ答える。
「ええ。隠していた遺品、全て家に集めましたよ。固定化の魔法もかけてあるので壊れて
いないはずです」

 よっこらせっ!とヤンは穴を這い上がる。
 そこはワイン樽を収めた薄暗い貯蔵庫。天井を支えるアーチ型の柱の間に詰まれた沢山
の樽。中では赤い液体が静かに熟成を重ねている。ちなみに貯蔵庫それ自体が地下に作ら
れており、外気温の変動から隔離され年中ひんやりとした空気を保っている。
 地下二階にあたるサヴァリッシュの書庫入り口は、床の石畳に偽装されていた。


 ふとルイズを見ると、肩から下げたカゴに瓶を幾つも入れてる。
「ルイズ、そのワインって学院へのお土産かい?」
「バカ言ってンじゃないわよ!父さまのために最ッ高級ワインを選んだんだから!凄く高
いんだからね」
 頬を膨らませるルイズを見る村長は、なんだか苦笑い。
「いやはや、秘蔵のヴィンテージを見られてしまいました。他の貴族の方々からも隠して
いたのですが…。やっぱり地下室の事を話したのは失敗でしたな」

 サヴァリッシュの書庫である地下室は、村長であるサヴァリッシュ家ワイン倉庫一番奥
の床下に隠されている。ついでに長期熟成させたい最高級ワインも置いてあった。

 酒好きのヤン、ついついカゴの中のワインを覗き込む。とたんにルイズにデコピンされ
た。
「こ・れ・は!父さまに持って行くんだから、飲んじゃダメだからね!」
「むぅ、それは、しょうがない…いや、でも、ちょっとくらい…」
 物欲しそうにワインを見つめるヤンは、かなり大人げない。
「ダーメ!これくらい持って帰らないと、タルブで何を遊んでいたのか!と怒られちゃう
んだから」
 諦めきれずチラチラとワインを見る彼の背中からカチカチという音とともに「おめーは
子供か」と呆れた声が飛んできた。

 そんなやりとりに村長は頬を緩ませる。
「なあに、安心して下さい。家にはサヴァリッシュ家の最高傑作と自負している逸品を置
いてありますよ」
「え!?いやいや、そんな、私なんかにもったいないですよ!」
 恥ずかしげに頭をポリポリかきながら頬を染めるヤンだが、セリフと裏腹に全く遠慮す
る気がないのはルイズにも村長にも長剣にもバレバレだった。




 タルブ村は富農ぞろい。とはいえ、ブドウ畑と醸造所を持つワイナリーとして日々の仕
事は朝から忙しい。ましてや姫の婚儀が近いのだ。つい最近まで最高級ワインの買い付け
に村を訪れる貴族や商会の相手にてんてこ舞いだったことだろう。
 だけどもさすがに、結婚式まで一週間くらいになってしまった今になって買い付けに来
るノンビリさんは少ないようだ。遠くの貯蔵所に横付けする荷馬車が見えるくらいで、訪
れる者の少ない村には静かなそよ風がフワフワと漂っている。

 シエスタの生家である村長宅からも、働ける者はほとんど出払っていた。残っているの
は子供とシエスタとロングビルだ。
 シエスタは食堂で、机の上に広げた本を子供達と共に囲んでいた。ロングビルもメガネ
をかけ、髪をポニーにして子供達の後ろから本を覗き込んでいる。
「Ich bin Ingenieur(イッヒ ビン エンジェニェーア)。『私は技術者です』って意味よ。
さ、言ってみて」
 シエスタの弟妹達が「いっひびんえんじえにえーあ!」と元気よく声を上げる。その後
ろでロングビルも小声で「い、いっひ…びん…えんじぇにーあ」と呟く。

 それを聞いたシエスタはビシッと緑髪の美女を指さした。
「Ich bin Ingenieurです!さ、もう一度、大きな声で!」
 指さされた美女は顔を真っ赤にし、唇を噛み締めてから「い…いっひ、びん、えんじぇ
にぇーあ!」とやけくそ気味に大声を張り上げた。
 満足げに大きく頷くシエスタを見たロングビルは、ソバカス少女に見えないように拳を
隠してからプルプルと悔しさに振るわせた。もちろん少し引きつった笑顔で。

「精が出るねぇ。さっそく帝国公用語の勉強かい?」


 いつのまにやら村長宅に入って来ていたヤン達が、子供達と一緒に読み書きの勉強をし
ているロングビルに声をかけた。とたんに彼女は更に真っ赤になる。
「だ、だってさ、その…あ、あんたが帰ってくるまで暇だったからだよ!そ、そんだけだ
よ」
「あら!私は暇つぶしに付き合わされたのですか?失礼ですね、せっかくサヴァリッシュ
門外不出の知識を教えてあげてるのに。それじゃ、もう教えてあげませんよ?」
 フフンッと鼻を鳴らしてそっぽを向くシエスタに、ロングビルは怒りを向けたりはしな
かった。
「フンッ。いいさね、後でヤンからゆっくり教えてもらうからさぁ」
 と言うや、髪をほどきメガネを外してヤンの左腕にからみつく。もちろん柔らかな胸の
谷間に腕をキュッと挟み込む。
「あー!何してるんですか、ヤンさんから離れて下さい!」
 今度はシエスタが右腕を捕まえた。負けじと右腕を胸に抱え込む。
「ちょっと、二人とも落ち着いてってってぇ!」
 二人に引っ張られて振り回されるヤン。でも、なんとなく嬉しそう。

 ポコポコドカッ!

 ロングビルとシエスタに軽くゲンコツ、そしてヤンには渾身の蹴り。全員ルイズに無言
でツッコミを入れられた。
 ヤンの背で長剣も呆れてる。
「おめーらよぉ、ンな事は後にして、例の遺品をさっさと調べよーや!」
 デルフリンガーの常識的提案に、非常識な事をしてたヤン達は村長に連れられて執務室
へ向かうことにした。が、やっぱりルイズとロングビルは食堂で待ってて欲しいと村長に
拒まれた。不機嫌に腕組みしながらシエスタの帝国語講座を聴く二人を残し、デルフリン
ガーを背負ったヤンは村長と共に食堂を後にした。


 ハルケギニアの本を収めた書棚が並ぶ執務室。
 デスクの上には携帯情報端末、拳銃、スコープ付きライフル、銃のエネルギーパック数
個、サバイバルキット内に入っていただろう小型通信機、ナイフ、ロープ、鏡、時計、工
具…その他色々と並んでいた。
「父の遺品の中で、隠していたのはこれで全てです。あとは地下室の懐中電灯くらいです
ね」
「それじゃ、調べさせてもらって良いですか?」
「ええ、お願いします」
 デルフリンガーを机に立てかけたヤンは真っ先に携帯情報端末の電源を入れてみる。だ
が、何の反応もしなかった。
「やっぱり、ダメか…まぁ、電源が入っても指紋やら生体データが合わないと動かせない
んですけど」

 パネル上には指を置くためのセンサーが付いている。個人データや軍事情報の流出を防
ぐためのセキュリティがあるのは当然だ。

 村長は、予想はしていたようだが、やはりガックリと肩を落としてしまった。
「やはりダメでしたか…一縷の望みだったんですが。父は懐中電灯の発電機を繋げられな
いかと頑張ったのですが、上手く行きませんでした」
「いやぁ、さすがに、それは無理でしょう。専用の工具や部品がないと」
「ええ。で、ワルキューレの処分前に中身を紙に写したわけです」
 サバイバルキットは、救助が来るまでの短期間を生き延びるための品を詰め込んだパッ
ク。当然「異世界で永住する」なんてことは前提にしていない。帝国の軍事予算も無限で
はないのだから、余計な物をキットに入れたりしない。


 次に通信機を手にとって電源を入れてみるが、こちらも何の反応も無い。他にも時計な
ど、電気で動く品は尽く反応が無かった。予想通りの事とはいえ、ヤンも溜め息が漏れて
しまう。
 メイジに魔法の使用を依頼するには、相応の金が要る。ハルケギニアに来て間もない頃
は不必要なものまで『固定化』の魔法なんかかける余裕はなかったことだろう。既に壊れ
た物もあると見るべきだ。特に通信機は通信する相手がいないのだから、ゴミ箱に捨てら
れても不思議はなかった。

 ヤンの背中からデルフリンガーが鞘からヒョコッと飛び出した。
「よー、村長さんよ。その銃を俺にひっつけてみてくんねーか?」
 頼まれた村長は怪訝な顔をしつつも、サヴァリッシュの銃とライフルを剣の柄にピタッ
とひっつける。長剣は「ほほぉ~、お~」と鍔を鳴らしながら感嘆の声を上げていた。
「どうしたんだい?デル君」
「いやー、ヤンよ。この銃二丁、ちゃーんと使えるぜ!」
 嬉しそうな長剣の言葉に、ヤンは目を丸くした。

 慌てて村長から銃を受け取ると、とたんに左手のルーンが光り銃の性能と使用法と現在
の状態が頭に流れ込んでくる。ライフルやスペアのエネルギーパックにも次々と触れる。
それら全てが、すぐにも使用出来る状態にあるのが手に取るように分かった。
「驚いたな…あと四百発くらい弾が残ってる。…て、どうしてデル君にはそれが分かった
んだい?」
「ああ!オレッちの能力さ。俺は一応『伝説』なんだぜ?ひっついてる武器の状態が分か
るのさ。ヤンが持ってる銃の状態だって分かるぜ」
 ヤンは試しに胸の内ポケットに入れっぱなしの銃を柄にひっつけてみた。
「…おめ、ちゃんとメンテしろよ。このまんまじゃ使えなくなる所だったぞ。あ、他の二
丁もやっといた方が良いぜ」
「むぅ、そう言えば忘れてたっけ。村の二丁も一緒にやるとするよ。その後『固定化』を
かけてもらうか」
「そーしときな」

 自分の銃を胸に戻し、サヴァリッシュの遺品を机に置いたヤンが村長を振り返った。
「失礼ですが、この銃二丁はスペアのエネルギーパックと合わせて、本来500発撃てる
はずです。百発くらい使用したのはオイゲンさんですか?」
「ええ。そして私や家の者達です。父はこの村に来たばかりの頃、食料は自分で狩りをし
て手に入れてましたから。その後、私達に銃の使い方を教えてくれた時の練習で使用して
います。
 ただし『使用は最後の手段。遠くからライフルで偉そうなヤツを狙撃しろ。決して銃を
撃つ姿を見られるな』と教えられました。…ああ、これは盗賊や貴族が攻め入ってきた時
の事ですよ」
「いや、もちろん分かってますよ」
 笑いながらもヤンの頭の中では思考が巡る。

 いかなる魔法も、大砲の弾すらも届かない遠距離から司令官をスコープ越しにライフル
で狙撃。森の奥からでも撃てば姿を見られる事もない。ハルケギニアの常識から外れた遠
距離攻撃に、敵軍は何が起こったかすら分からず指揮が乱れ瓦解する。これがサヴァリッ
シュ一族による攻撃だと証明出来ない限り、タルブの村に責任を問う事はおろか疑いすら
かけられない。
 銃の秘密を守り、一族から裏切り者さえ出なければ、村一つ襲うのに戦艦や竜騎士や万
の軍勢を動員されることもない。ほとんどの襲撃者はライフル一丁で十分だ。

「この銃の事は私の連れ達にも秘密にします。存在すら誰にも知られないようにしましょ
う。使い方を教える人は、一族の中でも限定すべきですね」
「そうですね。それでは私もあなたが持つ銃の事は誰にも言いません」
「それじゃ、全部まとめて今メンテをしようと思いますが、構いませんか?」
「ええ、是非お願いします」


 ヤンは机に座り、キットに付属する工具で自分の銃を簡単にメンテを加えながら話を続
ける。
「僕の身の振り方というか、立場についてなんですが…」
 その話を口にしたとたんに村長が目を輝かせた。
「もちろん、昨日シエスタが言った通り、村はあなたを歓迎します。なにしろ父が死んで
時が経ち、遺された書物を詳しく教えてくれる人がいなくなってしまったので」
「あなた自身は?長年に渡り教えを受けたはずですが」

 カチャカチャという音を立てながら銃を分解する音がする。
 村長はしばらく恥ずかしそうに俯いて黙っていた。

「その、恥ずかしながら、理解しきれない所が多くて…例えば医学関連ですが、基本的な
外科的処置や、産婆の真似事くらいしか出来ません。『しんでんず』とか『かくじききょ
うめいがぞうほう』とか言う代物は見た事もありません。
 治療薬なら完全にお手上げです。父自身が薬に関しては全くの専門外でしたから。せい
ぜい消毒用アルコールや創傷保護密封用ジェルを作るくらいですよ」
「うーん…僕も一介の軍人ですから、専門外なのは同じです…それに、そこまで必要な場
合は水のメイジに頼んだ方がいいかも」
「水魔法は高いです。平民には手が届きません。せめて『ぺにしりん』だけでも、と父も
私達も探したのですが、上手くいかなくて」
 世界初の抗生物質ペニシリン(Penicillin)。アオカビ(Penicillium notatum)を液体培養し
た後、濾過した液体の状態で使用された。でもハルケギニアにアオカビがいるかどうかは
わからない。もしかしたら既に水の秘薬として使用されているかも知れないが、最悪、一
から抗生物質を生み出す生物を探す必要があるかもしれない。どうであれ、素人には難し
い研究だろう。

 組み立て直したブラスター二丁とライフルをしげしげと眺める。デルフリンガーの柄に
ひっつけ、「おう、これで大丈夫だ」とお墨付きを得て、自分の銃を胸の内ポケットに戻
した。
 よっこらしょっと椅子から立ち上がる。
「いずれにせよ、僕はルイズの執事をしているのです。残念ながら、この村に住むわけに
は…少なくとも、今のところは。ですが、協力は惜しみません」
 この返答も予想していたのだろう。ワイズ村長は確かにガッカリしてはいたが、ワイン
畑での仕事で日に焼けた顔には気の良い笑顔を浮かべていた。
「分かりました。ですが、シエスタの事はよろしくお願いします。あの子は器量もよいで
すし、サヴァリッシュの知識を一通り身につけています。必ず、あなたの力となるでしょ
う」

 シエスタの話が出たついでに、疑問を一つぶつけてみた。
「そういえば、シエスタさんなんですが…以前モット伯に買われそうになっていたことは
ご存じですか?」
「はい、手紙で伝えられてました」
 何の問題もないかのように返答されて、ヤンは少し面食らった。
「失礼ながら、この村の豊かさなら、別にモット伯からの金はいらなかったのですから、
断れたのでは?」
「ええ、もちろん金は問題ありません。ですが、貴族の機嫌を損なうのが問題です。うっ
かり怒らせて荒くれ者でも送り込まれたら、それこそ銃を使わなければなったかもしれな
いでしょう」
「ああ、なるほどね」
 言われてみれば当然と納得した。
「ヤンさんが支払われたお金については、いずれお返ししましょう。それまではシエスタ
がミス・ヴァリエールとヤンさんお二人に使えるということで、ご容赦を。村との連絡役
としても役に立つでしょう」
「いえ、お金は別にいいですよ」
 とは言ったものの、村長は金の返却を固く約束し、深く頭を下げながら「孫をお願いし
ます」という言葉を繰り返した。





 昼食時、農作業から帰ってきた村長宅は大騒ぎだ。
 シエスタの兄弟姉妹8人、叔父やら叔母やら従兄弟達やら、一族が集結してのランチタ
イム。おしゃべり好きの奥方達に、食事そっちのけで走り回る子供達。力仕事で疲れた男
達の目の前からは、大きなテーブルに並んだパンやチーズや果物が、凄い勢いで消えてい
く。

 汗を拭きながら男達がパンにかぶりつく。
「んでよ、アストン伯への出荷はさっき全部終わったぜ」
「ラ・ラメー伯の分も昼過ぎまでに終わるし、夕方には貴族連中は全部いなくなるな」
「ようやく一仕事が終わるなぁ。これでノンビリ出来るわ」
 なんて仕事が終わる話をしつつも、口に食べ物を運ぶ仕事は終わらない。

 奥様方は、食事そっちのけでおしゃべりに興じている。
「でね、『金の酒樽亭』んとこの若奥さんが、そろそろ臨月だからうちの村に世話になり
たいって言うのよ!村長に取り上げて欲しいってさ」
「んまー!何言ってンだろうねぇ、図々しい。男の産婆なんて汚らわしい!とか言ってた
の知ってんだから!タルブの村で妊婦や赤子がほとんど死なないのは邪教の技を使ってる
からだ、なんて噂まで広めたクセに」
「まぁまぁ、いいじゃないか。母親も子供も元気で出産出来れば目出度い事さ。それに、
帝王切開なんかしちまったら悪魔の技って噂が立つのもしょうがないだろ?誤解を解く良
い機会だと思うねえ。
 ただ、あんまりこの村でお産が増えると、祖父さまの本にあった『さんじょくねつ』と
かいう感染症が不安だわね」
「アルコール消毒と煮沸消毒に加えて器具の使い捨て…で予防出来るって書いてあったけ
ど、一回使って捨てるのはもったいないわよ。
 ところで、知ってるかい?どうやらそのお腹の子供、旦那の子じゃないんだってさ」
「えー!?ホントかね?」
「あ、あたしも聞いたよ。なんでも流れ者の没落貴族が…」
 医学知識がどれだけあろうとも、やはりゴシップの方に興味が行くのは世の常だろう。

 そんな騒がしい中で、ルイズとロングビルはヤンを左右から挟んで、先ほどの執務室で
の話などをする。
「…というわけで、結局使い物になる品は無かったよ」
 もちろん銃に関しては口にしない。二人を信用していないわけではないが、敵を騙すに
は味方から、とも言うから。なにより、簡単に口にするにはあまりに危険すぎる、強力な
武器だ。
「そうかい、そりゃ残念だねぇ。ま、サヴァリッシュの書があればヤンも十分だろ?」
 ロングビルの言葉に、ルイズはキラキラと輝く大きな瞳をヤンに向ける。
「そうよね!んじゃ、このルイズ様に帝国語とやらを教えなさいよね!」
 ロングビルも知的な瞳を知的好奇心で満たしている。
「もちろん、あたしも教えてもらうよ。下手な財宝より遙かに価値がありそうな書物だし
ねぇ。是非とも読ませて欲しいんだ」

 左右から頼まれたヤンは、困って頭をボリボリかきむしる。

「いや、そう言われても…あれはタルブの秘密だし、危険な知識も多いし。部外者の僕に
はどうとも…」
「何言ってンのよ!ヤンが一言言えば、タルブの人は文句言わないわよ」「そうだよ。こ
こは一つ、あたしらのために一肌脱いでおくれよ」
 二人に挟まれて逃げられないヤンは、どうしたものかと困り果ててしまう。

 そんなヤンの横に、ワインボトルを手にしたシエスタがやって来た。
「まぁまぁ、そういう難しい話はゆっくり考えた方が良いですよ。まずはサヴァリッシュ
家の最高傑作、ブリミル歴6226年のワインをどうぞ」
 と言って黒髪少女はロングビルとヤンの間に割り込んで、ヤンのグラス2/5くらいまで
注いだ。


 最高傑作と言うだけあり、その赤い液体は透明度も、濃厚なフルーツの香りも、飲む前
から普段口にしているワインとの違いが分かる程だ。
 思わず緩んでしまう口元へ即座に運んでしまったりせず、鼻腔一杯にグラスの中の空気
を貯めて、まず香りをゆっくりと楽しむ。その上で1/5を口の中に含み、口全体に広がる
濃厚な味わいに舌鼓をうつ。
 そして一言。
「…うまい」
 もったいぶって飲んだわりに芸のない感想。

 至福の時を過ごすヤンとは裏腹に、シエスタの背中で視界を塞がれるロングビルは不愉
快な時を過ごしていた。
「ちょっと、シエスタ。私にも一杯頂けるかしら?」
 声が冷たかった。ロングビルも、振り返るシエスタも。
「あら。気付きませんで、失礼しました」
 ニコリと微笑み返しつつ、手に持つワインを注ごうとはしない。
「あらあら、どうしたのかしら?早く注いで下さいな」
 ソバカスの少女を見上げる女の目は、笑顔なのに鋭い。
「いえ、これはタルブ秘蔵のワインですので、王族や、それに準じた方のみに飲む事が許
されるのですよ。ヤンさんは特別です」
 見下ろすシエスタの視線も、刺すように鋭い。

 二人はしばし笑顔で見つめ合う。でも目は笑ってない。

 いきなり隣の気温が10度くらい下がったのに気付いたヤンは、冷や汗をたらしながら
「まぁまぁ…」と割って入った。
「シエスタ君、ここは一つ僕からのおごりにさせてくれないかな?」
「そうですね!ヤンさんが言われるのであれば、もちろん構いませんわ!」

 突然シエスタ周囲の気温が20度くらい上がった気がする。

「それに、ロングビルには村のためにもなる事をお願いしようと思うんだ。だからそのワ
インを飲む資格はあると思うよ」
「ん?あたしにかい?」
 話をふられたロングビル周囲の冷たい空気も和らぐ。
「うん、実は『固定化』をお願いしたいんだ。例のサヴァリッシュの書に」
「ああ、なんだ。それくらいならお安いご用さ」
 それを聞いたルイズがシュバッと手を挙げた。
「あ!あたしも行くからね!ダメって言ってもついていくからね!」

 そんなかしましい光景をヤンの背後から見ているのは、壁に立てかけられたデルフリン
ガー。
「あんなヒョロくて頼りなさそうなのの、どこがそんなにいいのかねぇ…」
 と呟くのだった。





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