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イザベラ管理人-17


第17話:家族というモノ・中編


「きゅい…眠いのね…」
「シルフィード、無理させて悪いな」
地平線の向こうから日が昇るのが見える。
耕介は一人、シルフィードに乗ってプチ・トロワを目指している。
夜通し飛んでいるシルフィードは眠たげだが、耕介たっての願いということで頑張ってくれている。
後で何か労ってやらねば…そう考える耕介の脳裏に、数時間前のことが蘇る。


『コースケ、なるべく早く戻ってきてくれ…』
そう書かれた手紙の封には、確かにイザベラからの手紙であることを示す花押が押されていた。
手紙には、他に何も書かれていないので、理由を推し量ることはできない。
だが、イザベラがそう書いた気持ちをある程度推測することはできた。
(あのプライドの高いイザベラが、その日のうちに戻ってくれなんて…)
イザベラが王族としてプライドが高いことは誰の目にも明らかであろう。
また、極端に意地っ張りでもある。自己防衛のために、他者よりも自身を上に置こうとするのが理由だ。要は弱みを見せたがらない。
そんなイザベラが、自分で耕介に与えた任務を達成する前にこんな手紙をよこしてくるとは。
しかも、命令ではなく、お願いだ。間違いなく、何かがあったのだ。
あの契約前の泣き崩れたイザベラを知る耕介にはわかる。
何か、彼女が普段押し隠している不安を決壊させるようなことが起こったのだ。
今すぐに彼女のそばに駆けつけなければならない。
「タバサ!」
耕介が顔を上げた時、そこにはシルフィードに体を伏せさせるタバサの姿があった。
「コースケ、乗って」
おそらく、手紙を運んできたガーゴイルと耕介の様子から大まかに察してくれたのだろう。
御架月を引っ掴んで、短くタバサに礼を述べてシルフィードに飛び乗る。
「ねぇ、いったい何があったの!?」
一人取り残されているキュルケが声を上げるが、耕介自身にも詳細がわかっていない。
だが、何故だか急がなければならないと直感が告げている。
「ごめん、キュルケ、説明してる時間がないんだ!行かなきゃならない!」
シルフィードも耕介の焦りを感じてくれたのだろう、翼を羽ばたかせ、急速に夜空へと舞い上がっていく。
後には、最後まで疑問顔のキュルケと、沈痛な面持ちでシルフィードの飛び去った方角を見つめるタバサのみが残された。


朝露にけぶる空気を引き裂いて、静寂に沈むプチ・トロワの前庭に降り立つ巨大な影があった。
こんな早朝に誰かが来るという連絡などない。
侵入者に気づいた衛士が数人、何事かと駆けつけてきた。
「竜…竜騎士か?止まれ!何者だ!…って、貴方は…!し、失礼しました!」
影は青い鱗が鮮やかな風竜…シルフィードであった。
シルフィードから人影が飛び降りる、それはイザベラの懐刀と噂される耕介だ。
その姿を認めた衛士たちは槍を引き、慌てて敬礼をする。
「騒がせてすまない!イザベラ様はいる?」
「は、まだ起床されてはおられないはずですが」
衛士の言葉に、耕介は自分が間に合ったことを知った。
「今度は…間に合ったか…」
耕介の言葉の意味を図りかねて衛士が訝しげな視線を向けてくるが、耕介は気づかなかった。
シルフィードに礼を述べて次には飛びっきりのご馳走で歓待することを約束し、主に下へ行かせる。
普段のイザベラならば、もう1,2時間もすれば起きてくるだろう。
さすがにシルフィードの背では眠るわけにもいかなかったので眠気が襲ってくるが、今はまだ耐えなければならない。
まずは厨房に行くことにした。

厨房で眠気覚ましに濃く入れた紅茶を飲み、メイドの一人にイザベラが起きたら知らせてもらうよう頼む。
次に色々と食材を取り出し、自分とイザベラの分の朝食を作ることにする。
最近のイザベラの食事は本人の希望もあって、耕介が作っているのだ。耕介が任務などでいない際は今でもマルコーが作っているが。
突然現れた耕介に、マルコーは最初こそ驚いていたが、その表情から何かを察してくれたのか、すぐに厨房の一部を明け渡してくれた。
イザベラがどうしてあんな手紙を書くに至ったのか、様々に憶測を立てることはできる。
だが、情報が少なすぎる現状でいくら邪推したところで意味はない。
しかし、何もしないでいるとどうしてもそのことを考えてしまう。
故に、無理を言って朝食作りをさせてもらっている。彼にとって料理とは無心になる手段でもあるのだ。

やがて概ね完成した頃、折り良くメイドからイザベラが起床したと連絡がきた。
できた朝食をカートに載せて、耕介は扉をノックした。
「入りな」
イザベラの許可が出た。その声は普段通りのようだが…ほんのわずかに違う色も混ざっている気がする。
まぁ、直接イザベラの顔を見れば良い話だ、耕介は扉を開けて部屋に踏み入った。
イザベラは起きてからベッドを出ていないらしく、ネグリジェのままで上体だけを起こして俯いていた。
「そこに置いておきな、勝手に食べる」
やはり、無理して普段通り振舞おうとしているだけであったようだ。
垣間見えるその表情は、耕介から見れば憔悴しきっている。
おそらく精神的なものだろう。
「自分の分も持ってきたんだけど、一緒に食べたらダメかな?」
「え…!」
イザベラは入ってきたのがメイドだと思い込んでいたのだろう。
耕介の声を聞いて弾かれたように顔を上げた。
イザベラの顔を染めていたのは驚きで…同時に、涙が一粒だけぽろりとこぼれた。
(また無茶して…)
イザベラはまた我慢していたのだろう。
彼女はいつも我慢しているように耕介は思う。
イザベラの過去について、耕介はあまり突っ込んだことは聞いていない。
だが、このプチ・トロワにいて使用人たちと仲良くなっていれば、自然と噂話として耳に入る。
普段はそんなものは気にも留めないが、契約の日にイザベラがぶちまけた本音と考え合わせるに、おそらく噂話のほとんどは正しいのだろう。
だが、噂話は所詮噂話。そこには彼女が”どうしてそうするか”が語られない。
イザベラの内面をある程度知った耕介は、イザベラがどうして今まで冷酷で傲慢といわれるような行動をとり続けてきたのかがわかる。
「な、なんであんたがここに…」
イザベラは状況が飲み込めず、呆然としたままだ。
まさしく鳩が豆鉄砲を食らったような顔…という奴だ。
耕介は自然な動作でハンカチを取り出してイザベラの頬を拭ってやる。
そうしてもやはりイザベラは耕介を見つめたまま。
そんなイザベラに耕介は悪戯心が刺激されてしまった。
大仰な仕草で執事のように一礼をして片膝をつく。
「我が姫のお呼びとあらば、例え地の果て、地獄の果てまでも参上仕りま…いて!」
本人は格好良く決めたかったのだろうが、格好はラフなシャツにズボンの上にエプロンまでつけているし、頭を下げた時にベッドの淵に頭をぶつけるし。
「ぷ…ふふ…あははは!何してんだい、コースケ!あんた、いつから芸人になった!」
「しまらないなぁ…」
「あははははは!ったく、あんたが騎士の真似事なんて無理だよ!あははははは!」
打った部分をさすりながら、苦笑顔の耕介が立ち上がる。
驚きで思考が漂白されていたイザベラは、先ほどまでの陰鬱な気分も忘れて笑い転げるのだった。

酸欠になるほどに笑い転げたイザベラは、耕介が持ってきた紅茶を飲んでやっと一息ついた。
「ふぅ…くくく…で、コースケ、ここにいるってことはもう水の精霊退治は終わったのかい?」
「終わってはいないけど、目処はついたよ。あのままでいけば、特に危険もなく終わるはずだ」
「そうかい、ならいい。で、あんたがここに来たってことは…届いたんだね」
そう言ったイザベラの顔が一瞬だけ、痛みを感じたように歪んだ。
イザベラは、半ばこうなることがわかっていたのだ。
『なるべく』などと書いたが、耕介ならばよほどのことがない限り、全速で戻ってきてくれると。
タバサを助けるために行かせたのに、その途中で戻ってきてくれなんて頼むとは…我ながらなんと情けないことか。
そして、あれだけ不安だったのに、耕介がそばにいると思うだけで心が晴れていくのを感じる。
自分の現金さに嫌気が差すが…今の彼女にとって、これから会わねばならない人物のことを思うと…耕介がいることを深く深く安堵してしまう。
「ああ、急いで戻ってきた。何があったんだ?」
耕介はイザベラが自己嫌悪を感じていることを読み取ったが、まずは事の詳細を尋ねることにした。
無根拠な励ましなど、彼女は嫌がるだろうから。
イザベラはしばし言いあぐねているのか沈黙していたが、ゆっくりと話し始めた。
「………昨日…突然、父上から出頭命令がきた。表向きは北花壇騎士団絡みの報告要請だったけど…本来ならあたしが出るようなことじゃない。書類で済む。事実、今まではそうしてた」
要は、父親からの呼び出しらしい。
普通ならば、特に問題になるようなことではないだろう。
だが、この親娘は違う。
イザベラは父の話をしたがらないし…この2ヶ月、ほとんどずっとイザベラのそばにいた耕介が会った事がない。
つまり、全く交流がないのだ。
その父から突然不自然な出頭要請が来たのだ、不安に思うのも仕方がないだろう。
だが、それだけではない。それだけなら、イザベラはあんなにも不安げにはしないだろう。
「多分…あたしが、シャルロットに与える任務を減らしてるのを不審がってるんだ。水の精霊退治の任務も、業を煮やした父上が直接シャルロットに命じたものだし…」
イザベラは、父の命に背いている…それを父に質されることを不安がっている。
けれど、やはりそれだけではないように耕介は思う。
今までは、彼女が自分から話してもいいと思うまで待つつもりだった。
だが、今回はこちらから聞かねばならないだろう。
「なぁ、イザベラ。そのお父さんは、どんな人なんだ?どうしてそんなに怖がってるんだ?」
耕介の言葉に、イザベラは一度だけ自嘲の笑みを浮かべてため息をついた。
今回ばかりは誤魔化されてくれないと観念したのだろう。
イザベラとて気づいていたのだ。耕介は決して疑問に思っていても、余計なことは聞いてこない。
それに甘えて、今まで自分のことを話さなかった。
唯一の例外は、あの契約直前の夜の出来事だけだ。
あの時、具体的になんと言ったか細部まで覚えているわけではない。
だが、耕介が疑問に思うには充分だったはずだ。
けれど耕介は何も聞かずそばにいてくれた。だから、今更であっても、イザベラは自分の恐れを話すことにした。
きっと、自分がとても弱くて脆い存在だと知っても…耕介ならば変わらずそばに在ってくれるはずだ。
「父上は…魔法が全く使えない。あたしは少しは扱えるけど、父上は本当に完全に使えないんだ。コモンマジックすら使えない」
イザベラはポツリポツリと話し始めた。
爽やかな朝の日差しが部屋を照らすが…部屋の中に漂う陰鬱さに負け、くすんでいるようにすら感じる。

「でも、父上は努力してたんだ。魔法はダメだったけど、頭は良かったから。父上にチェスで戦える人なんて、叔父上…シャルロットの父親くらいしかいなかった。
 魔法以外は完璧だったんだ。でも…やっぱり王宮じゃ、認められなかった。貴族は魔法ありきだから。コモンマジックさえ使えない父上はいつも軽んじられてた。多分、僻みも入ってたんだと思う。
 それに対して、叔父上は凄かった。王族の血筋に相応しい魔法の天才って奴だ。
 ガリア始まって以来の天才とさえ謳われてて、頭も父上と同じくらい良くて、人格も善人で。神は二物を与えずって言うけど、ありゃ嘘さ。叔父上は二物も三物も与えられてた。
 そんな叔父上と生まれた時から比べられ続けた父上の気持ち…あたしはわかるよ。あたしも、シャルロットとずっと比べられてたから。
 でも、父上と叔父上は仲は良かったんだ。あたしが小さい頃、何度もラグドリアン湖のオルレアン領へ遊びにいったし、シャルロットの家族もプチ・トロワに遊びに来てた。
 あたしだって、シャルロットとよく遊んだもんさ。魔法も教えてもらった。あたしの方が二つ年上なのにね。
 家庭教師はいつもあたしとシャルロットを比べてため息ついてたから大嫌いだったけど、シャルロットに教えてもらうのは不思議と嫌じゃなかった。」
幼い頃の幸せな思い出を語るイザベラは、薄っすらと笑顔を浮かべている。
幸せそうな笑顔だ。そのかすかな笑顔だけが、彼女の幸福な時代に繋がっている気がする。
「でも…7年前…突然、父上は変わられた。原因は、母上の病死だ。
 いや、兆候はあったのかもしれない。単に、今まで続けてきた我慢が限界に達したのかもしれない。もしくは、あたしに魔法の才能がないことがわかったせいかもしれない。
 父上は苛立ちを周囲にぶつけるようになって、叔父上も遠ざけるようになった。
 お爺様が病床に臥せって、父上か叔父上が国王になる時期が来てたから、ほとんどの臣下は叔父上を誉めそやして取り入ろうとして、それもまた父上の気に障ったんだろう。
 それから、父上は遊戯に傾倒するようになった。政治にも興味を示さなくなって、一人遊びばかり。宮中はますます叔父上を国王に推す動きが強くなった。
 そして3年前…突然、父上は叔父上を暗殺した。王位を簒奪したんだ。お爺様が亡くなられる直前、父上と叔父上を呼び出していたから、多分、叔父上を国王にするって言われたんだと思う。
 そこからの父上の行動は素早かった。叔母上とシャルロットを毒で狂わそうとし、叔父上に心酔してた重臣連中は皆殺しにした。そうして、また父上は一人遊びに傾倒し…冷酷で残忍な愚王になった。」
イザベラの声は、平坦になっていた。全く感情を含まない声…だが、耕介には泣き声のようにも聞こえる。
突然、イザベラが自嘲するように乾いた笑い声をあげた
「その間、あたしはどうしてたか、わかるかい?ずっと…無視されてた。父上を励まそうとしたり、諌めようとしたり、役に立ちたくて魔法の勉強も、政治についてだって勉強した。
 公の場じゃ、父上はそれなりに親娘として振舞ってくれたよ。でも、それが終わると…父上はもうあたしに視線を向けさえしてくれない。どれだけ頑張っても、どんな言葉をかけても、父上は無視した。
 それでも、父上に振り向いてほしくて、何か役職に就かせてくれと頼み込んだ。最初は無視されてたけど、あまりにもしつこかったからうざったくなったんだろうね。北花壇騎士団なんて、表に出られない役職を与えられて、それから音沙汰なしさ。
 父上があたしに、国王としてではなく、父上として声をかけてくださったのは、一度だけだ。シャルロットを、北花壇騎士7号に任命した時。『お前に一任する、殺せ』ってね…。その時の父上の目が忘れられない。まるで昆虫に見つめられてるみたいだった。
 そして、わかったんだ…あたしは父上にとって、チェスの駒ほどにも価値がなくなったんだって。劣化コピーがシャルロットをどうするか眺めてるだけなんだって。
 あたしがシャルロットを殺せなかったのはそのせいもある。父上と同じ道を辿ったら…欠片程度しかないあたしへの興味すらもなくなってしまうんじゃないかって」
イザベラは、ジョゼフの意図を理解していた。幼い頃からジョゼフと同じ道を辿り続けた実の娘が、その意図を理解せぬはずがない。
そう、理解できぬわけがない。もはやジョゼフが彼女への興味を失っていると。欠片程度しか残っていない…とは言ったが、その興味は結局はシャルロットをどうするかのみだとも理解している。

幼き日の、厳格だったけれど優しい父を覚えている。無能と謗られるジョゼフを愛してくれた母を慈しみ、イザベラを愛してくれていた。初めて魔法が使えた時など、三日間も宴を開いてくれた。そんな父が大好きだった。
シャルルと政治について激論を交わす父を覚えている。互いにこの国のことを考えていたから、衝突することだってあった。そんな父を尊敬していた。
今はもう、何もない。母は病死し、父はイザベラへの愛を失った。興味を失った。無能王と呼ばれ、イザベラが尊敬していた有能な政治家としての姿など見る影もない。
始祖に愛され、誰からも好かれる優しい叔父も、毒矢を受けて死んだ。噂を信じるなら、父自らが射たらしい。イザベラのことを、シャルロットと同じように分け隔てなく愛してくれた叔母も、シャルロットをかばって心を狂わせた。
後に遺されたのは、残骸だけだ。幼き日に共に在った、愛すべき従妹であった人形。そして、その人形をどう壊すかということでしか父の興味を惹けぬ無能な劣化コピー。
けれど、彼女は人形と…人形だと思い込もうとしたシャルロットと、再び人間として接するようになった。
そう、イザベラは唯一の父の興味を惹けるモノを、自ら手放したのだ。
そして、手に入れたのは、新たな心の拠り所たる使い魔と、愛しい従妹。
この結果は、予期していた。父の興味を完全に失うことをわかっていた。
それでも、歩き出すと決めたはずだったのに…。他の方法で、父との絆を取り戻す努力をすると決めたはずなのに…。
「こうなることはわかってたはずだった…。だのに、あたしはいざその時が来たら、こうして震えて、立ち竦んで…覚悟なんてできてなかった。その挙句、シャルロットを助けに行かせたあんたを無理やり呼び戻して…あっ…」
イザベラの言葉が自傷のためのものになりかけた時、突然それは遮られた。
それまでずっと沈黙のままイザベラの告白を聞いていた耕介に抱き寄せられたから。
「ごめん。どんな言葉なら、イザベラの寂しさを埋めてやれるのか、わからない。けど、イザベラ。泣いていいんだ。顔を見られたくないなら、こうしてれば見えないから。だから、泣いていいんだ」
耕介に、イザベラの悲しみを理解することはできない。彼女の悲しみは彼女だけのものだ。それを他人が軽々しくわかったなどと言えるわけがない。
けれど、彼女が悲しんでいることはわかる。そして、我慢していることもわかる。
なら、せめて、我慢せずにいいように…耕介にはそれしかできないから。
イザベラは耕介のシャツを握り締め、しばらくじっとしていたが…やがて嗚咽を漏らし始めた。
「どうして…どうして…父上はあたしを無視するの…どれだけ頑張っても、何をしても…うぁぁ…!」
今まで押し込めていた7年分の悲しみ全てをぶちまけるように、イザベラは泣き続けた。
かつて温かさを失った時に凍りついた涙が、新たに手に入れた温かさに触れることで溶け出したように…幼子のように泣き続けた。
耕介は、そんなイザベラの背を撫で…こんなことしかできない自分と、イザベラという少女をここまで歪ませた全てに苛立つしかなかった。


リュティスの外れに位置し、しかし全ての中心となるガリア王が君臨するヴェルサルテイル宮殿はグラン・トロワ。
王の私室に繋がる扉の前で、イザベラは恐れを抑え込むように胸に手を当て、深呼吸をしていた。
扉の脇に立つ衛兵はイザベラの噂を恐れているのだろう、こちらへ視線を向けさえしない。
それをいいことに、耕介はイザベラの頭を一度だけ撫で、小声で囁いた。
「大丈夫だ」
耕介の突然の行動にイザベラは一瞬キョトンとし…すぐに淡い笑顔を浮かべて頷いた。
先刻からの彼女の姿を見た者は、おそらく誰もが口を揃えてこう言うだろう。
王女に瓜二つだね、と。
それほどにイザベラは今、普段とはかけ離れていた。
不安げに揺れる瞳、自信なさげな挙措。そのいずれもが、彼女の隠し切れぬ不安を現している。
普段は虚勢と意地に隠されて決して表に出ない、一番奥底にいるイザベラはこんな少女なのかもしれない。
イザベラはゆっくりと息を吐くと、キッと顔を上げ、普段の強気な態度を少なくとも表面上は取り戻した。
コンコンと一応のノックをする。
案の定返事はない。わかっていたことだ、ノックは単なる形式に過ぎない。
イザベラは扉を開け、部屋へと踏み入った。耕介もその後に続く。
さすがは王の寝所というべきか、その部屋には豪華な調度ばかりがある。
天蓋つきの優に4人は並んで眠れそうな巨大なベッド、宝石に彩られた王錫、おそらくは煌びやかな礼装が納められているであろう衣装棚。

部屋自体の大きさも、イザベラの寝所をしのぐが…部屋の中ほどに緞子が引かれており、実際のその向こう側は窺い知れない。
さて、こうして部屋を見回してみても…部屋の主たるガリア王ジョゼフの姿はない。
となると、あの豪奢な緞子の向こう側となるのだろうが…耕介の推測はあたったらしく、イザベラは緞子へ呼びかけた。
「国王陛下…ガリア北花壇騎士団団長イザベラ、仰せによりただ今まかりこしました」
イザベラが声をかけ…しかし、反応はやはりない。
イザベラにとって、永遠にも似た…実際には3分程度の時間が過ぎ、その男はドレスをまとった貴婦人を伴って緞子の向こうから両手を広げながら現れた。
「おぉ、誇り高き我らが騎士団長よ!待ちかねていたぞ!」
耕介は一瞬、我が目を疑った。
その男は、美しかった。耕介に迫る長身、体は王族にしては珍しく鍛えられ、偉丈夫と言っていい。
イザベラやタバサの縁者に相応しく美しい青い髪に、青い美髯。寝室にいるからであろう、それなりにラフな格好でも、その品格は欠片も失われてはいない。
その表情は喜色満面、全てが楽しくて仕方がないと語っているようだ。その笑顔は稚気さえも感じさせる。
とてもではないが、17歳の娘がいるようには見えない。
だが、耕介が目を疑ったのは、それらが原因ではない。
どうしようもない違和感と、デジャヴだ。
パッと見では、この王は気さくで善良なように見える。だが、その笑顔が、大仰な仕草が、全て違和感を伴う。
そして感じるこのデジャヴ…おぞましいほどの嫌悪感。
「最近は富に活躍しているそうじゃないか!任命した余も、とても鼻が高いよ!」
ジョゼフはイザベラの後ろに控える耕介には目もくれない。実際、視界の中にすら入っていないのだろう。
耕介の脳裏に、白くて清潔で、しかし機械にまみれて、とある少女を雁字搦めにしていた病室の記憶が過ぎる。
電撃的に耕介は思い出した。
HGS患者…超能力者を、兵器として調整しようとしていた組織の手先であるあの女科学者。
HGS患者の中には強力な読心能力を持つ者もいる。
それに対抗するため、擬似思念発生装置とかいう装置を常に身につけ、常に柔和な笑顔を浮かべ、常に善意を振りまくあの女。
表情にも、瞳にも、完璧な善意が宿っていた。心の底から相手のことを考えていた。”そういう仮面”をつけた女だった。
初対面の時は完膚なきまでに騙されていた。何故違和感をもったのか、自分でもわからないが…彼女と会うたびに違和感が加速していった。
結果として、女の組織には武装警察の手が入り壊滅、少女たちは解放され、今はそれぞれの道を歩んでいる。
目の前のこの男からは、その女科学者に感じた違和感と同じものを感じるのだ。
今すぐにイザベラの手をとり、このおぞましい男から引き離したい衝動に駆られる。
「お、お褒めに与り光栄の極みです、陛下…それでは、報告を始めさせていただきます」
だが、耕介は全力でもってその衝動を押さえねばならなかった。
何故なら、耕介はイザベラの父ではないのだ。
何があろうと、イザベラの父はこのおぞましい男であり…イザベラを最も理想的な意味で救済できる存在も、この男でしかありえない。
いったい、自分に何ができるというのか?この男のイザベラの扱いについて糾弾するか?そんなものに何の意味がある?部外者の言葉で解決するような問題なら、ここまでこじれてはいないはずだ。
意味がないだけならばいい。耕介の糾弾によってこの男が機嫌を悪くし、イザベラとの仲がより一層遠ざかったら?耕介が無礼討ちにされる可能性だって高い。マイナス要素しか思いつかない。
右手を皮膚が白くなるほどに強く握り締め、押し黙る以外に耕介が取れる選択肢はなかった。
イザベラの細々とした騎士団業務の報告に、ジョゼフはいちいち大仰に驚いたり、その手腕を誉めそやしたりした。
単純に言葉面だけ見れば、微笑ましい光景かもしれない。
だが、耕介は気づいていた。
ジョゼフは登場した時から、ずっと国王としてしかイザベラに言葉をかけていない。
ただの一度さえも名前で呼ばず、役職名で呼んでいるのがいい例だ。
耕介にとって…そしてイザベラにとっても拷問のような時間が過ぎていく。
「そうかそうか、北花壇騎士団はこのまま君に任せるのが最も良いようだ、この調子でこれからも余に尽くしてくれ!」
ジョゼフは椅子に座り、貴婦人に酌をさせながらまたイザベラを…いや、北花壇騎士団団長を誉めそやす。
そのことを、ずっとジョゼフを観察していた耕介だけは気づいた。
一瞬だけ、彼の完璧な笑顔の口元が痙攣したように動いたのを。

「で、少しばかり君に問いたいことがあるんだよ、団長殿!余が君に与えたプレゼントを覚えているかね?」
ジョゼフのその言葉に、イザベラは哀れなほどにビクリと背筋を震わせた。
耕介にも理解できた。ジョゼフはこのために彼女を呼んだのだ。
「は…はい…陛下…」
イザベラの消え入りそうな声に、ジョゼフは心底嬉しげに何度も頷いた。
「そうかそうか、君のように聡明で有能な団長が余の与えたプレゼントを忘れるはずもないな!はっはっは、愚問の極みだったな!」
ジョゼフの笑い声と、それに同調するような控えめな貴婦人の忍び笑いだけが豪奢な王の閨に響く。
そのジョゼフの笑い声は、貴婦人の忍び笑いを置き去りに、ピタリと止まった。
「なら、君はもう余が与えた人形で遊ぶ気はない、ということかな?」
特に何が変わったというわけではなかった。
ジョゼフは変わらず笑顔だし、声にも特段変化はない。
だが、社交界で必要不可欠である場の雰囲気を読む能力に長けた貴婦人の忍び笑いが止まった。
イザベラがガタガタと震えている。両手がドレスの裾を白くなるほどに強く握り締めている。
もう限界だ。耕介がイザベラに一歩近寄ろうとした時。
「は、はい、陛下。シャルロットは…人形では、ありません」
イザベラの声は震えていた。泣いているようでさえあった。けれど、イザベラはそう言い切った。
「そうか、残念だ、本当に残念だよ、団長殿!余の贈り物はお気に召さなかったらしい!君に贈ったものを今更返せというのも無粋だが、あれは余のお気に入りなんだ!だから…返してもらうよ」
自らのプレゼントが不評であったことを大仰に嘆き…しかし、最後だけは感情の欠落した声であった。
その欠落だけはジョゼフの本心であったように耕介は思う。
そして、人形を返せということは…イザベラの管轄からシャルロットを外すという意味だろう。
「お、お待ちください父上!シャルロットにはなんの咎もありません!シャルロットが今までに立てた武功は比類なきものです、どうかお許しを!」
その意味を理解したイザベラは必死にジョゼフに言い募る。
だが、返ってきた答えはにべもないものだった。
「下がれ、北花壇騎士団団長イザベラ。もう用はない」
それが…この日、初めて父が娘の名を呼んだ瞬間であった。
イザベラはスイッチを切られた機械のように勢いをなくし、沈黙した。
耕介は頭の血管が切れる音を聞いた。
無論、幻聴だ。そんなことがあるわけがない。
フィクションの中で、あまりの怒りに血管が切れたという演出がある。
そんなものは所詮フィクションであり、実際にはありえない…耕介はそう思っていた。
だが、違った。怒りとは、血に混ざるのだ。マグマのように煮え滾った怒りが混入した血液が、怒涛のように脳を駆け巡るのだ。
そんな燃え滾る血液に、血管などという脆弱なものが耐えられるわけがない。
結果、あまりの怒りに血管が切れるのだ。まさか、この身で体験することになろうとは思いもしなかったが。
いや待て、この音は幻聴だったのではないか?待て待て、思考が迷走している。
本筋に戻せ、いったい何故自分はこんなにも激怒している?あぁ、思い出した、そうだ、このいけ好かない髭野郎を叩き潰すんだ。
しかしただ叩き潰すだけでよいのか?否否否、すぐに殺してはならぬ、あのおぞましい笑顔を浮かべる顔を原型がなくなるほどに殴り潰し、悲鳴を上げさせ、謝罪させるのだ。
謝罪?いったい誰に?それは―――――
「コースケ…」
耕介の、握り締めすぎて内出血さえしている右手をイザベラが両手で包み込んでいた。
その弱々しい声を聞き、俯いて泣き出しそうになっている顔を見て…耕介は10年近く前に己を支配していた懐かしい衝動を押し留めることに成功した。
退出するイザベラについて、耕介も部屋を出た。
ジョゼフが得意げに貴婦人に自慢の人形について解説している声が聞こえる。
耕介はこの重厚で無慈悲な扉越しに洸牙を叩き込みたくなる衝動を必死に抑えた。

イザベラが悄然と立ち去り、しばらくして貴婦人…彼の愛人であるモリエール夫人も手洗いに退出した。
この部屋の…いや、宮殿、ひいては国の主である王ジョゼフはテーブルに載せていた人形を手に取った。
それはフードをかぶった怪しげな人間の人形。
無能王と呼ばれ、一人遊びの果てに狂ったとさえ言われる王は、その風聞が正しいものであると自ら証明してみせた。
すなわち、人形に話しかけたのだ。
「あぁ、我が愛しのミューズよ!どうだ、先ほどのあの男!余には凡庸な剣士にしか見えぬが、どうだ、君の仲間だったかね!」
あたかもその人形が受け答えをするかのようにジョゼフはひとしきり声をかけると、耳元に寄せた。
「ほうほう、やはりただの人間かね!そうだなそうだ、一国に二人も”虚無の使い魔”が現れるわけがない!ならばあれは何者なのだろうな!」
しばらく黙考していたジョゼフだったが、今度は狂的な笑い声を上げ始めた。
「フハハハハ!そうだな、余の可愛いミューズ!お前さえいてくれるのならば、余の勝利は揺ぎ無い!それに、わからぬのならば、試せば良いのだ!フハハハハハハハハハ!」
その笑い声を気にする者は、グラン・トロワには誰もいない。
ハルケギニアにそのことわざは存在しないが、グラン・トロワに住む者たちは事実として理解している。
すなわち―――”触らぬ神に祟りなし”
気まぐれな神に触れようなどと考える愚か者はこの宮殿では生きてはいけぬのだ。



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