あの作品のキャラがルイズに召喚されました @ ウィキ

もう一人の『左手』-15


<フリッグの舞踏会から9時間前>

 ユニコーンと杖を組み合わせた紋章をつけた馬車が、護衛たる魔法衛士隊の一団とともに、魔法学院の門をしずしずとくぐり、学院長オスマン以下、教員生徒、御目見え以上の資格をもつメイジたちはこぞって居並び、杖を掲げた。
 従者に手をとられ、馬車から降りた女性は、いまだ少女と呼ぶべき幼さを、その顔に残していたが、そのあどけなさこそが、彼女の容貌に華を添えていることを、誰もが認めていた。

 トリステイン王国第一位王位継承者・アンリエッタ・ド・トリステイン姫殿下。

 その可憐で清楚な美貌は、国民の間に絶大な人気を誇り、その支持率は、実際に政務を執る宰相のマザリーニはおろか、国家の最高主権者たる太后マリアンヌさえも凌ぐという。
 毎年開催される『使い魔品評会』の最大の主賓であり、その御前に使い魔たちの芸を捧げ、優勝の栄冠を掴んだ者は、その夜に催される晩餐会『フリッグの舞踏会』で、アンリエッタから、直接お言葉を頂く事が出来る。
 それは、トリステイン魔法学院在校生たちにとって最大の栄誉であった。

 もっとも、他の生徒たちとともに整列しながら彼女を見つめるルイズの眼差しは、少なからず微妙な感情を含んでいた。
(せっかく姫様が来て下さったというのに、品評会に参加する事さえ出来ないなんて……)

――王国の象徴たる美貌の王女。
 そんな彼女と個人的面識があるというのは、ルイズにとって、密かな誇りであった。
 本来ならば、その高貴なる“幼馴染み”の前で、自分が召喚した使い魔を――ひいては自分の価値を、あらためて認めて欲しかった。

 才人は、自分が人間である以上、犬猫と並んで一芸披露などやってられっかと叫んだ。
 確かにそれは道理だ。
 たとえ、もとをただせば使い魔として召喚したとはいえ、余人の契約した凡百の禽獣たちと、彼らを比較する気持ちは、もはやルイズには無い。
 いや、使い魔としての話だけではない。
 たとえ一個の人間としても、才人以上の勇気を持ち、風見以上の戦闘力を持った者など、この学院にいるはずが無いからだ。そういう意味では、ルイズは彼らを召喚した自分に、今では誇りさえ抱いていた。

 だが、それでも、アンリエッタに認めてもらう数少ない機会を棒に振ることは、――彼女となまじ旧知であるだけに――ルイズにとって、とても耐えがたい事だった。
 が、それも今となっては、彼らの心情以上に、物理的に困難な話になりつつある。
 彼女が召喚した使い魔たちは、『破壊の杖』事件で、それなりの傷を負ってしまっていたからだ。


 二人とも、というのはある意味正確ではない。
 改造人間たる風見は、一晩寝込んだだけで、起き上がれるようになり、どこかへ行ってしまったからだ。――もっとも、彼はもとより容易に他人に弱みを見せる男ではないので、本当にダメージが回復したのかは、知りようも無いが。

 正確に言えば、起き上がれないのは才人一人だ。
 彼は、風見のように人工的な自己修復機能を持ち合わせてはいない。
 いかに水魔法の秘薬といえど、たった一日では、森で負った火傷が完全に癒えないのも、当然だ。 
 余談だが、先日の決闘騒ぎといい、彼はこの一週間で、ハルケギニアの平均的平民が利用する、ほとんど一生分の秘薬を消費した事になる。
 そして何より、おとといの夜の一件で、折角ふさがり掛けていた傷口も、少し開いてしまったと聞く。……というより、実は、全面的にルイズの責任なのだが。

(無茶するんだから……あのばか)
 その時の様子を思い出すと、ルイズは、胸の内にじんわりと暖かいものが満ちてくる。
 無論、一人でにやにやしている自分を、隣に並んだキュルケが、やれやれとばかりに肩をすくめて見ているのを、気付きもしない。

 だが、当然の話だが、――たとえ傷口を癒えたとしても、体力までは回復しない。
 結局、才人は当分、ルイズの部屋で、安静にしていなければならなかった。
 まあ、今回の秘薬は、学院への窃盗犯である『土くれのフーケ』を追跡して(彼は人質であったが)負った名誉の負傷であるため、代金は学院側が負担してくれた。そのため、自分のフトコロは痛まなかったのが、救いと言えば救いかもしれない。

(でも、昨日買ってあげたあの剣は……正直、痛かったわね)
 ギーシュとの決闘後に、才人に使用した秘薬代。それで、今月のルイズの小遣いは底をついた。
 だが、生まれながらのお嬢様である彼女にとって、“一文無し”という状況は、自分の行動を妨げる理由には全くならない。ヴァリエール公爵家の名を出せば、大概の店で信用買いが可能だったからだ。
 現に昨日、ブルドンネ街で購入した『デルフリンガー』とかいうインテリジェンス・ソードは、家名を出せば、普通に買えた。――もっとも、その領収書の金額は、かなりのボッタクリ価格である事を、彼女は知らなかったが。


 しかし、自由になる現金が、手元に無いという事実は、まったく変わらない。
 次の仕送りの振込み日まで、かなり日がある。それまでこの軽い財布で何とか、やりくりせねばならない。
 ルイズはそう思うと、さっきまでの暖かいものが、急速に萎えてゆくのを感じた。
 そして、例の『使い魔品評会』には、たしか優勝賞金も出たはずだった事を思い出すと、優勝どころか、参加すらおぼつかない現状を思い出し、先程よりもさらに暗澹たる気分に落ち込む自分を食い止められなかった。

 もっとも、彼女の使い魔は一人ではない。
 才人が動けない今、風見に『品評会』への参加命令をすれば済む話だ。――彼を知らない者ならば、簡単にそう言うだろう。
 そして、改造人間たる風見が、その特殊能力を披露すれば、品評会でも充分優勝は狙えるはずだ。
 先日の『破壊の杖』の一件で、この青年の所有する凄まじいまでの身体性能を、ルイズは充分すぎるほど知っていたからだ。

 だが、才人でさえ嫌がった品評会へのエントリーを、あの男が承知するとは、到底思えなかった。
 風見は、ただ平民だから、貴族だからという理屈で命令に従うような男ではない(まあ、正確には、才人だってそうなのだが)。
 今回の『破壊の杖』事件の時も、便宜上とはいえ主である自分に、『足手まといだから帰れ』と言うような男なのだ。……まあ、あの時はかろうじて気力を振り絞り、一本やり返すことに成功したが。
 しかし、だからといって彼に対する苦手意識が払拭されたわけでは全然無い。
 たとえ身体を張って怪物から守ってもらったとしても、それは変わらない。

 だが、いつまでも逃げてばかりはいられない。
 ルイズは、風見志郎を探そうと、決心した。


<フリッグの舞踏会から40時間前>

「まいったな……」
 才人は、完全にルイズの姿を見失っていた。

 今夜の『破壊の杖』事件の顛末を報告するために、学院長オールド・オスマンと教師のコルベールを医務室に招き、話を進めた。
 本来なら、自分たちから学院長室に出向かねばならないはずなのだが、オスマンはいたって気さくな老人で、才人が負傷していると聞くと、ケガ人に負担はかけられんと言って、わざわざ医務室まで出向いてくれた。

 で、問題はそこからだ。
、話の途中で、何故かルイズが泣き出し、医務室から走り出てしまったのだ。
 才人は、わけが分からないなりに彼女を追って――キュルケに怒鳴られたからということもあるが――理由を聞こうとしたが、とうとう追いつけず、闇雲に探し回るしかなくなってしまったのだ。……それから、もう一時間も経つ。

 もう時間が時間だ。こんな真夜中に大声を出して、彼女を探し回るわけにも行かない。いや、それ以前に、呼んだところで、返事をしてくれるわけが無い。
 だいたい、あいつがあんなに足が速いなんて聞いていない。
 いやまあ、確かに、もとからすばしっこい奴ではあったが、体格から考えても、まさか追いつけないとは思っていなかった。
 火傷がひきつれて、まともに全力疾走できないという要因もあったが、もし、普通の状態で追っかけっこしたとしても、案外、勝てないかも知れない。

 そういえば、ルイズは乗馬が得意だった。あの小さな身体で、自分の倍以上ある馬を、平気で乗りこなす姿に、才人は密かに舌を巻いたのを思い出した。……なんかムカついたので、素直に誉めてやらなかったが。
 ということは、ルイズは、身体能力の持ち合わせも平均以上ということになる。
 そう思うと、才人は持ち前の負けん気が、むらむらと込み上げてくるのを感じた。

 あんなに可愛くて、勉強も出来て、実家は大貴族で、その上、運動神経もアリかよ!!

 そう思うと、才人は、世間の不平等さを、すごく叫びたくなる。
 彼自身、学業・運動・容姿、ついでに実家の経済状況も『中流』の域を全く出ない少年だったから。

 まあ、彼女は、それらを補って余りある『魔法』という致命的な欠点があるが、彼にとっては、ルイズが魔法を使えようが使えまいが、正直どうでもいいのだ。なにせ才人は魔法自体存在しない世界で生まれ育ったのだから。
――そして、彼のその価値観こそが、才人によってルイズが救われている最たる箇所なのだが、才人も、そして当のルイズも、その事実には気付いてはいない。


「やれやれ……」

 才人は、校庭に出ると、塔の壁にもたれて座り込んだ。
 いま何時だ?
 腕時計は、朝の5時を指している。
 周囲は闇だが、夏なら、そろそろ夜が明けている頃だ。
 寒くないといえば、嘘になる。だが、火照った火傷が寒風に晒され、心地良いのも本当だ。

 しかし、あの時ルイズは、何故泣いたのだろうか?
 キュルケは、自分を名指しで『追え』と言った。
 ということは、やはりルイズが泣いたのは、この平賀才人に責任がある、ということになる。
 しかし、あの成り行きで、いつ彼女を泣かせるような言葉を吐いた?
 正直、才人には、まったく思い当たるフシがなかった。

 腹が鳴る。
 才人は、その音を聞いて、ようやく自分が空腹である事に気付いた。
 いや、空腹だけではない。引きつるような火傷の痛み以上に、彼は、自分の全身が、それこそ泥のような重い疲労に包まれている事を、はじめて意識した。
 現に――下手に休憩を取ってしまったからかもしれないが――動くのが、死ぬほど億劫になってきている。それも急速に。
 しかし、とりあえず状況的に考えて、自分がルイズを捕まえ、涙のわけを聞き、それなりに慰めてやらねば、眠ることも許されないだろう。キュルケに言われたからではない。男としてのエチケットとしてだ。

 才人は立ち上がった。
 ルイズを捜さねばならない。
 彼女に会って、慰めねばならない。
 自分の疲労を確認した瞬間、才人は、猛烈にルイズの涙の理由が気になり始めた。
 火傷はともかく、疲れているのはおれだけではないはずだ。何しろ彼女は今夜、遠路はるばる、このおれを助けに来てくれたのだから。
 もし、そんなルイズを泣かせたのだとしたら、……泣かせた上で、動くのがダルイとか言っているようなら、男として、おれはヤバイ。――才人は瞬間的に、そう思ったのだ。

 この時間に起きて、活動している人間は限られる。だが、それでも、そいつらがルイズを見ていないとは限らない。
 たとえば、――厨房だ。厨房の料理人やメイドたちなら、もしかして彼女を目撃しているかも知れない。
(たしか、あのメイドの子……シエスタとか言ったか……?) 

 才人は、ルイズの捜索に本腰を入れ始めた。


<フリッグの舞踏会から12時間前>

 この護送車の乗り心地は、思ったほど悪くない。
 もっとも、手枷足枷と腰縄がなければ、もっと良かったのだが。
 そう思って、フーケは苦笑した。

 護送車――といっても、形状は一応、馬車である。
 ただ、普通の馬車と違うのは、箱状の馬室が、鋼鉄に鎧われた檻で出来ているという事だ。
 一晩、魔法学院の地下室で睡眠をとったので、魔力はそれなりに回復しているであろうが、そもそも杖を奪われてしまっている以上、この鋼鉄の檻は、まさしく完璧に脱出不可能な“移動監獄”であった。

 このままトリスタニアの一角にあるチェルノボーグ監獄に移送され、来週中には公判も開始されると言われた。どう転んでも、流刑か死罪は免れないだろうから、明日にでも終わらせてくれればいいのに、と思う。
 もっとも、さんざん貴族たちの秘蔵のコレクションを荒らし回ってきたのだ。その中には、どう見ても非合法な入手経路を匂わせる品も数々ある。刑が執行される前に、どこぞの貴族が放った刺客に消されてしまう可能性の方が高いだろう。

 我ながら、惨めな末路だと思う。
 だが、不思議と後悔はなかった。

「最後にいいもの、見せてもらったからね……」

『破壊の杖』からイキナリ変身した、あの怪物。
 その怪物から自分を庇い、それどころか、腰を抜かした自分を抱え、逃げてくれた少年。――彼は、もともと自分がさらってきた人質だった。
 その怪物をたおすために、百年の知己もかくや、といわんばかりの阿吽の呼吸で、ともに杖を振るい、戦った少女たち。――彼女らは、もともと少年を救出に来た、追っ手だった。
 そして、その怪物から自分たちを逃がすために、単身、怪物と戦い、時間を稼いでくれた、あの昆虫顔の亜人。――彼は、もとはといえば、最初に自分のゴーレムと戦った“敵”だったはずだ。

 まったく、大した奴らだ。これまで自分がコケにしてきた、鼻持ちならない貴族どもとは大違いだ。


 心残りはある。当然だ。
 もし、自分が死んだら、アルビオンにいるあの子が、苦労することになるだろう。
 これまで稼ぎの大半を、生活費として仕送りしていたのだ。彼女と子供たちが、これからの暮らしを、どうやって立てていくのか。それを思うと、胸を掻き毟りたくなる。

 だが、一応、頼んでは来た。
 たしか、キュルケとか言ったか。ゲルマニアからの留学生、フォン・ツェルプストー家の娘。
 ウインドドラゴンの背の上で、学院に帰還する途上、自ら縄にかかる条件として――ハッキリ言って条件など言える状況ではなかったが――“家族”のことを頼んできた。
 ロングビルと名乗っていた頃は、あまり虫の好かない娘だったが、奔放そうな一面の裏に義理堅さが潜んでいそうだ。あの少女なら、信頼できる気がする。

 その時だった。
 護送車が、不意に止まった。
 あまりに突然だったので、思わずフーケはつんのめる。
「ちょっと!! 馬車くらい、まともに御せないのかい!?」
 そう叫んで、彼女は気付いた。
 たった今まで、護送車を取り囲んでいた、魔法衛士隊とおぼしき数人の気配。それが跡形もなく消えていることに。そして、その衛士たち数人分以上の魔力を帯びた気配が、護送車の扉の、すぐ外に佇んでいる事を。

――どうやら、ここまでのようだね。

 フーケは覚悟を決めた。
 おそらく、いや間違いなく、自分を始末しに現れた刺客であろう。 
 檻の鍵と、蝶つがい溶かされ、扉が重い音を立てて地面に落ちる。
 そこから、肉の焼ける、妙に香ばしい匂いが、鋼鉄の箱の中に漂ってきた。
 そして、たった今、魔法衛士隊を皆殺しにしたであろう、一人の巨躯の男が、ゆっくりと檻の中に入って来る。――車軸のような長大な杖を持った、異様な男。

「俺は『白炎』のメンヌヴィル。――マチルダ・オブ・サウスゴータ、だな?」

 そう言って、男は二ヤッと笑った。


<フリッグの舞踏会から39時間前>

 その瞬間、ルイズは男の背に背負われている自分に気がついた。
(あれ、わたし、……眠っちゃってたの?)
 反射的に、口元のよだれを拭こうとして、自分が妙に見覚えのある服を着込んでいる事に気付く。
 ハルケギニアでは見たこともない繊維で織られた、妙に厚手で、それでいて全く重さを感じさせない、その上着。若干まだ焦げ臭さが残っていたが、ルイズは不快とは思わなかった。
 それは、平賀才人が日頃愛用している、奇妙な形の衣服。

――確か“ぱーかー”とかいったっけ?

「起きたか、ルイズ?」
「ほえ?」
「ほえ、じゃねえよ、あんなところで寝やがって。風邪でも引きてえのか、お前は」

 憎まれ口を叩きつつも、自分を背負いながら歩を進める少年に、ルイズは頬が赤く染まるのを感じたが、――この体勢ならば、自分がどんな顔をしようが、彼に見られることはないという事実に気付き、途端に、身体から力が抜けるのを感じた。

 医務室を飛び出して、どこをどう走ったかは覚えていないが、――気がついたらヴェストリの広場にいた事までは、覚えている。
 かつて才人が、徒手空拳でメイジに挑み、瀕死の重傷を負った場所。
 そこでうずくまっているうちに、いつしか泣き疲れて眠ってしまったのか。

 あれから幾日も経っていないというのに、まるで何年も前のような気がする。だが、それでいて、目を閉じれば、そこにはありありと才人の勇姿が瞼に浮かぶ。
 まあ、メイジと言ってもドットクラスのギーシュが相手だったし、勇姿と言っても、ズタズタのボロボロにやられて、死にそうになっている姿だったが。


 だが、それでも、ルイズにとっては、あの瞬間の才人は、まぎれもないヒーローだった。
 みんなから苛められていた、無力で哀れな少女の前に、颯爽と現れた、怒れる王子さま。
 勿論、平民に過ぎない彼に対し、そんな想いを抱いた自分を、後々ルイズは必死になって否定したが、しかし、それでも彼女は最初から理解していた。

 平民が貴族に喧嘩を売るという、その意味。
 平民がメイジと喧嘩をするという、その意味。

 彼は、風見のように、メイジと戦っても確実に勝てるだけのパワーを秘めているわけではない。
 そこらにいる普通の人間が、“魔法使い”相手に戦うのだ。
 風見が戦うのと、才人が戦うのでは、まったく決闘の意味合いが変わってくる。
 おそらく才人自身、気付いてもいまい。
 それは、単に身分上の下克上を意味するだけの行為ではない。
 それは、ハルケギニアに於いて、社会と世界を相手に喧嘩を売るという意味であり、行為であるということを。

 案の定、彼はコテンパンにやられた。
 だが、それでも彼は屈しなかった。
 血を吐き、骨をへし折られ、それでも戦うことをやめなかった。
 ルイズは、そのときの才人を思い出すと、涙が出そうになる。
 この、楽しい想い出など一つもなかった学生生活で、唯一、自分の味方になってくれた少年。

 しかし、しかし、だ。
 彼女の不安は、またも自己主張を開始する。
 そのときの才人の怒りの対象が、ギーシュだけだったと誰が言えよう?
 もしかしたら、才人が本当に殴りたかったのは、ルイズではなかったのか?
 誘拐同然に召喚され、突然使い魔としての生活を強要されたフラストレーションを、たまたま、ああいう形でギーシュにぶつけたかっただけではなかったのか?

 この想像が、才人その人を激しく侮辱するものである事は、百も承知している。
 だが、それでも、一旦拡がった想像の翼は、飛翔する事をやめてくれない。
 ルイズは、さっき泣き尽くしたはずの涙が、またも溢れ出しているのを感じた。
 彼女はそれでも、必死に額を才人の背に押し付け、可能な限り声を洩らさないようにする。


「なあ、ルイズ」
 突然、才人が口を開いた。
「お前が何で泣いてるのか、おれには分からないけど――」
「……」
「お前が考えてる事は、多分間違ってるぜ」



 ルイズは、思わず顔を上げた。――涙でぐしゃぐしゃになっている、その顔を。
 彼が何を言っているのか、ルイズには分からなかった。
 だが、たった一つだけ分かる事がある。
 才人は、否定してくれたのだ。
 このルイズ・ラ・ヴァリエールの胸の内に生じた、暗い疑問を、それこそナタで叩き割ったように、明快に否定してくれたのだ。


「なによ、この……ばかいぬ、調子に乗らないでよ……!」


 ルイズは、そう言いながらも、さっき以上に彼にしがみ付いた。
 ぷん、と才人の身体から血の匂いが薫る。
 おそらく、包帯の下の傷口が開いてしまっているのだろう。優しい声を出してくれてはいるが、いま才人は、激痛の余り、おそろしく険しい顔をしているに違いなかった。
 でも、それでも、……ルイズはこのままでいたかった。
 この、妙に安心できる背中に、自分の体重を預け、彼の体温を感じていたかった。
 さいわい、才人が背中を降りろと言ってくる様子は無い。
 だから、と言っては何だが、――ルイズは甘える事にした。
 だが、ケガ人にただで甘えていては、ヴァリエール公爵家の名がすたる。

「ねえサイト、……あんたに何か買ってあげるわ。剣なんかどう?」
「ああ? イキナリなに言ってるんだ、お前? 犬のフンでも拾い食いしたのか?」
「ばっ……!! バカ言ってるんじゃないわよっ!! 今日みたいなひどい目にあっても、ちゃんとわたしを守れるようにって、ただそれだけよっ!!」



 素直になれないのは、お互い様であったかも知れない。
 だが、この瞬間、少年と少女は、まぎれもなく幸せだった。




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