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虚無の王-23


 恋と虚礼とが立ち去り、ホールには明かりだけが落ちていた。
 飲み止しのグラスがテーブルの縁に肩を並べ、深皿の半ばには冷め切った料理とソースとがこびり付いていた。
 甘みと酸味ではち切れんばかりの果実は、盛られたそのままの姿で取り残されている。
 一人の使用人が、鋏を手に悠々と現れた。
 頭上で燃えるシャンデリアが床まで降ろされた。芳しい香りと暈光を放つ蜜蝋が、一本一本断ち切られて眠りに就く。
 ホールの四隅で、魔法灯の頼りない光だけが揺れていた。
 談笑の声はアウストリの広場へと渉っていた。
 少年少女達が太陽の下、その快活さを発散して来た東向きの庭園は、半年間の思い出と、会う事の叶わない二ヶ月間を大袈裟に嘆いて見せる、新たな恋人達の秘めやかな語らいの場と化していた。
 二つの月と、絢爛たる星々の投げ降ろす光は優しかった。
 芝生にくつろぐ少年少女達が、時として、ブリミル教徒の堅持すべき廉正を踏み外したとしても、それを暴き立てる事はしなかった。
 乾いた空気が心地よい。夏を迎え、夜もその冷淡を忘れていた。
 二組のヒールが、煉瓦敷きの舗道を叩いた。
 純白のパーティドレスを身に纏ったルイズ。
 歩を並べるモンモランシーのドレスは水の精霊を想わせた。

「嫌になるわね。全く」

 声と足音が、噴水に吸い込まれた。
 ギーシュと空。二人の決闘を気に止める者は居なかった。
 昼の若い退屈な時間と違い、この夜は特別だ。
 誰も彼もが、恋人の瞳に世界の全てを覗こうと夢中でいる。

「なのに、あいつはこの私では無く、平民の男と向き合っているんだわ。信じられない」

 ホールの窓から、鈍い光が漏れていた。
 同じ様にして捨て置かれたルイズは、同じ様にして怒る気にはなれなかった。
 ギーシュの姿が脳裏に浮かぶ。青ざめ、強張った顔。
 壊れたアルヴィー人形だって、もう少しは暖かみの有る顔を見せるだろう。

「ルイズ。貴女、憶えている?」

 こんもりとした植え込みと、薔薇のアーチとが織りなす緑の小部屋に、小さなテーブルとベンチが覗いていた。
 入学直後。まだ、“ゼロ”の悪名を頂く以前だ。
 知り合った女生徒同士、編み物がてらに語らった場所だった。

「恋愛には手練手管が必要だわ」

 セックスアピールに乏しいモンモランシーだが、トリステイン女性の例に漏れず、極めてプライドが高い。
 実経験も手伝って、紳士達が如何に不純で、移り気で、忠実な愛を捧げるに足りない存在であるかを熱弁する。
 自分はそんな彼等の鼻面を引き摺り回し、とことんまで奉仕させ、振り回してやるのだ、と。

「とにかく、こちらを手に入れた、なんて殿方を思い上がらせては駄目ね。御世辞を言いたい放題に言わせておいた所に、不意打ちを食らわせて上げるの。そうすれば、こっちの物よ。
なんと言っても、私達に必要なのは口やかましくて、嫉妬深くて、そのくせ恋の勝者を気取った自惚れ屋じゃない。いつでも恐れおののき、恋いこがれている、従順な恋人なんですから」

 うら若い少女達は、友人の勇ましい演説に喝采を上げる。
 そこで抗弁したのが、ルイズだった。

「きっと恋と言うのは、あんた達の思惑や手管よりも、ずっとずっと強い物だわ。紳士淑女が恋に夢中になるのは、本当に愛し愛されていると感じている時だけで、それは始祖も理解して下さる事に違いないもの」

 自分が恋する姿さえ想像出来ずにいた、由緒正しきヴァリエールの末っ娘は、大真面目に至誠の愛を訴えた。
 前王朝時代の遺物を前に、女生徒達は揃って眼を丸くした。

「それが貴女の手管なのね!」

 からかったモンモランシーも、からかわれたルイズも、はっきり憶えている。

「あの時、思ったわ。あなたとは絶対、友達になれない、て」
「私だってそうだわ」

 植え込みの向こうで、影が動いた。
 人目を避ける、絶好の場を見付けた先客には、周りが見えていなかった。
 熱烈に愛を交歓する少年少女。恋に恋する二人の乙女は、まずは凝視し、続いて目を見合わせ、物音を立てぬ様、慎重に慎重を重ねた足取りでその場を立ち去った。
 寮塔の窓にぽつぽつと灯が点った。
 それは、寮監の目を盗んだ幸運な二人と、一夜の青春に諦めを抱いた不幸な一人の数に等しかった。
 庭園の中央では、噴水が陽気に踊っている。
 夜の闇が、火照った頬と項から熱を攫って行った。

「そう言えば……――――」
「ええ」

 あの日、二人は互いそっぽを向いて茂みを出た。
 噴水は恋の宮廷と化していた。
 寄り集まった紳士達は、誰もが母親や後見人、僧侶には到底見せられない、自由奔放な言葉と仕草を以て、一人の女神に崇拝と信仰とを捧げていた。
 縁石に座しているのは、同じ一年生だった。
 情熱的な肢体に、燃える唇は、手練手管を弄する事とも、心に依り所を求める事とも無縁だった。
 赤毛の少女は自然のままに、あらゆる男達を傅かせる、無繆の王権を手にしていた。
 二人の姿を認めて、少女は微笑を投げ落とした。
 三女のルイズはよく知っている笑みだった。初めて魔法に挑み、失敗した時、姉エレオノールが見せた笑みだ。
 それ以来、キュルケ・アウグスタ・フレデリカは不倶戴天の敵となった。
 最後にフォン・ツェルプストーが付こうが付くまいが関係無い。
 それはモンモランシーも同様だった。

「本当。世の中、判らないわね」
「全くね。その通りだわ」

 噴水には誰も居ない。
 一つの夜が終わろうとしていた。
 アウストリの広場は、毎日がそうであった様に、暗闇と退屈との中に沈もうとしていた。

「同病相憐れむ」

 声は頭上からだった。
 二つの月の間で、小さな影が一転した。
 スカートを抑える仕草に、少女の慎みが見て取れた。
 黒いドレスが、羽根の軽さで地に舞い降りる。
 “牙の玉璽〈レガリア〉”の脆弱なサスは、何とか着地の衝撃を吸収した。

「ちょっと!……あなた、何が言いたいのよっ」
「あんたには言われたくないわよっ」

 ドレス姿の可憐な少女達。
 三人は、揃って発育と無縁だった。
 揃って恋の夜を孤独に過ごしていた。

「わ、わたしは偶々よ!」

 モンモランシーにはギーシュと言う恋人が居る。
 確かに、浮気性で、目移りが酷くて、気配りが無くて、思慮にも欠ける少年だ。
 それでも、彼を選んだ事に後悔はない。
 ルイズは沈黙を守った。
 至純の愛を理想に描いた乙女も、今では自分が思っていたよりも素直になれない性格である事を知っていた。
 何より、相手を疑う事を知っていた。
 真実を語れない時は、口を閉ざしておいた方がいい。
 タバサもまた、何時もながらに表情を見せない。
 過去、言い寄って来た上級生に教師は、揃って嫌な目をしていた。
 数年後には、悪質な犯罪に及んで家門を潰すだろう。
 今はそんな事よりも、言うべき事が有る。

「彼はどこ?」
「空の事?ギーシュが連れて行ったわ」

 ギーシュは舞踏会の最中、ホールの真ん中で空に決闘を申し込んだ。
 あの場に居たのなら、知っている筈だ。

「どこへ?」
「知らないわよ。いつもの通り、ヴェストリの広場じゃないの?」
「どうかしら?最近、あいつと学生の決闘には、学院も神経尖らせてたじゃない」

 もっと別の、目立たない所かも知れない。
 モンモランシーはそう主張する。

「いつもの事よ。私はもう慣れたわ。あの二人なら、心配要らないでしょう」
「今夜は心配」
「どうして?」
「様子が変」
「どう変だ、て言うの?」
「判らない。でも、嫌な予感がする」
「予感、て……!」

 モンモランシーは失笑した。
 某かの根拠を得ているのかと思いきや、予感と来た。
 全く、いい加減な事を言い出すタバサと言い、真に受けた様子のルイズと言い、どうかしている。

「ねえ。あなた、どうしてあいつの事を、そんなに気にするの?」
「その質問には答えられない」
「何よ。人には言えない秘密でも有るの?」
「そう。秘密」
「秘密の関係、て事ね!」

 恣意的な誤解に、タバサは頑なな沈黙で答えた。何時もの事だ。
 ルイズの様子が何時もと違った。
 短気と強情とを薄い胸一杯に溜め込んだトリステインの乙女は、この夜に限って、深読みと先走りより、不安と懸念を選んでいた。

「もう、うんざりだわ!」

 モンモランシーは天を仰いだ。

「気の利かない男達の事なんて、忘れましょうよ。そうだ。私の部屋にいらっしゃい。取って置きのタルブワインがあるの。今日、この夜を私達だけで、特別な物にしましょう。なんと言っても、私達は一人なんですからね」

 教区寺院での説法よりも退屈な提案だった。
 女だけで飲み明かす無惨な夜は、一生に一度もあればいい。
 ルイズも、タバサも、生命を司る水メイジが考えているよりは、長く生きるつもりでいる。

「あら。お集まりね」

 煉瓦道に、ぱっと炎が上がった。
 一人の夜と訣を分かって久しい赤毛の女は、今夜に限って、日替わりの従僕を連れていなかった。
 目がチカチカした。
 身を包むよりも、効果的に晒す事を狙った際どいドレスに弾ける褐色の肌。
 官能的とさえ言えるその姿は、慎みと言う言葉の対極に有りながら、決して品位を失ってはいなかった。

「ねえ、貴女達。ダーリンを見なかった?」
「あんたも、あの男なの?呆れた」
「今夜の所は、諦めるつもりだったんだけどね。舞踏会では結局、踊れず終いだし。こんな夜くらいは、ルイズを安心させて上げていいでしょう」
「空に何か用なの?」
「だから別に。ただ、タバサが心配しているみたいだから、一緒に探していたのよ」

 生憎、誰も空の行方は知らなかった。

「気にする事なんてないわよ。用が有るなら、明日でいいじゃない。大体、嫌な予感も何も、ギーシュがあいつに勝てる筈無いんだから」
「違う。そうじゃない」
「じゃあ、なんだって言うの?」
「まあまあ」

 キュルケの声が割って入った。
 確証が無いから、予感と言うのだ。
 何も無ければ、それはそれで良いではないか。

「手分けして探すしか無いのかしら」
「馬鹿馬鹿しい。放っておきなさいよ」
「私も行く!」

 モンモランシーの楽観論に、ルイズはどんな感銘も覚えなかった。
 彼女は空と感覚を共有出来ない。
 見える筈の物を見る事が出来ない人間が、どうして暢気に構えていられるだろう。

「じゃあ、私はこの辺りをもう一度、探して見るわ。ルイズは南側をお願い。タバサにはヴェストリの広場をお願い出来る?反対側だけど、貴女なら一っ跳びでしょう」
「ヴェストリの広場?止めておきなさいよ」

 指名の当人よりも先に、モンモランシーが反応した。

「あそこ、昼でも真っ暗じゃない。この時間じゃ、何も見えないわ」
「……何を隠してる?」

 不意に、タバサが言った。
 幼い外見に似合わず、幾多の修羅場を潜って来た騎士だ。こうした人間は、自分の勘に絶対の信頼を置いている。
 一度、何かを嗅ぎつければ、その正体が判らずとも躊躇はしない。

「な、何言い出すのよ!別に何も隠してなんかいないわ!言いがかりは止して!」

 モンモランシーはそれと正反対の人間だった。
 良識有る人々と、善意を交換しながら生きて来た令嬢には、どんな場合でも相手に善意を期待する癖がついていた。
 確証を与えなければ大丈夫――――相手の行動に根拠と整合性とを求めてしまうのは、お上品な人間がしばしば陥る陥穽だ。
 キュルケの目が左右した。
 その情熱故に、却って退屈を持て余した女は、人をよく見ていた。

「そんな事より、今はダーリンを探しましょうよ。タバサは辺りを一走りして。ルイズはヴェストリの広場を見て来なさい」

 さり気なく、役割が交換されていた。
 ルイズは異を唱えなかった。
 何と言っても、今、問題となっているのは、自分の使い魔だ。

「ちょっと。待ちなさいよ、ルイズ!」

 ルイズの行く手に、モンモランシーの声と体が割り入った。

「ゲルマニア女に好きな様に命令されてどうするのよ!第一、危ないわ。あんな所」

 返答は視線の砲列だった。
 三組の異なる瞳が、同じ色に染まり、揃って同じ要求を突きつけた。

「な、何よ……」
「ねえ。貴女、ルイズとは何時頃から一緒に居たの?」
「ヴェストリの広場には人を近付けたくない。取り分け、彼女は」
「モンモランシー。どう言う事なの?」

 三人の声が、鉛の重さでモンモランシーにのしかかった。
 実の所、良心を自責の泥沼へ引きずり込む重石の半分は、彼女自身の罪悪感で出来ていた。
 由緒正しきモンモランシ家の令嬢とは言え、未だ学生の身。嘘や隠し事を突き通すだけの胆力が備わるには、もう少し時間が必要だった。

「判ったわよ!」

 モンモランシーは観念した。
 始祖ブリミルの手に接吻をしつつ、もう片手でサハラの悪魔の手を取る方法を、この年頃の貴族が知っている訳が無い。

「ギーシュよ!あいつに頼まれたの!決闘の間、ルイズを近寄らせない様にして欲しい、て!」

 それは言葉の吐瀉だった。口にした方は、これですっきり出来ると考えたかも知れない。
 聞いた者が納得するかは、また別だ。

「あのギーシュが?」
「気が利かない。気が回らない。思慮が足りない――――全て、あなたが言っている事」
「モンモランシー!本当の事を言って!」

 一つの嘘を吐けば、それを隠す為、さらなる嘘を強いられる。世の常だ。
 そして、一つを明かしたその時、残りの嘘を隠し通せる人間も多くは無い。
 ヴェストリの広場にルイズを近付けるな。出来れば他の者も。
 そう、ギーシュの口から頼まれたのは事実だった。

「それを言わせたのは?」

 その質問に、モンモランシーは抵抗しなかった。

「オールド・オスマン」


   * * *


 ギーシュ・ド・グラモンは分かり易い少年だ。
 鍵盤を撫で回し、画板に向かい、或いはぶ厚い書物を凝視する事に日を費やす手合いなら、彼を軽蔑するのかも知れない。
 公平と平等の区別も付けられない類の連中なら、旧き良き貴族の少年に憎悪を抱くのかも知れない。
 そうした人々が、沈鬱と孤独の中に、有りもしない真実を探している間、この少年は冒険に挑み、乙女と語らい、酒と音楽とに浸り、人生を謳歌するのだ。
 ヴェストリの広場は陰鬱な場所だ。
 昼の間に積み重なった陰が自重で潰れ、夜には重たい闇へと姿を変える。
 空気はタールの粘度であちらこちらにこびり付き、どこにも行けずに喘いでいる。
 今夜はフリッグの舞踏会だ。特別な夜だ。
 広場は陰気者なりに、幾つもの小さな灯で着飾っている。
 だが、その光はいかにも弱々しく、今にも凍死してしまいそうだった。
 青ざめた顔が、ぼんやりとした灯に浮かんだ。
 何時でも分かり易い少年の表情は、今日、この日に限って、不可解に満ちていた。

「どこまで行く気や?」

 駆動輪が泥土をかき混ぜた。自在輪には土と草とが幾重にも絡みついていた。
 ここ何日もの間、雨は降っていない筈だった。
 蝋人形の顔をした少年は、それでもしっかりとした足取りで、奥へ奥へと進んでいた。
 見えない糸が、闇苅へと続いていた。
 その先端が誰の手に握られているのか、洞察するのは容易い。
 それよりも、人形にどこまで自覚が有るかの方が気になった。
 そこは、風の塔のすぐ傍だった。
 本塔から続く石造りの渡り廊下が、夜と蔦と時間とに埋もれていた。
 屋根を支える円柱と円柱の間には、アーチ状の装飾が見てとれた。

「では、決闘だ」

 造花の薔薇が、短剣の勢いで抜き放たれた。

「ええけど。理由くらいは聞かせて貰えるんやろな」

 決闘と言うからには、理由が有る筈だ。
 毎週の様に繰り返していた、パーツ・ウォウとは訳が違う。
 今夜は最も決闘に相応しからぬ夜で、なにより、薔薇を自任する少年が、何よりも大切にする筈の夜だった。

「最近、我が王国各地で暴動が相次いでいる事は、あなたも御存知かと思う」

 予め用意した科白を、読み上げる口調だった。
 辿々しさでは、タニアリージュ・ロワイヤル座の大根役者と同程度だったが、深刻の度合いでは天地の開きが有った。

「ワイの所為やと?」
「オールド・オスマンはそう考えている」
「お前は?」
「貴方がしばしば貴族を打ち破り、それが暴民に要らぬ過信を与えているのは事実だ」
「決闘でワイに勝てば、収まる筈や、て?」
「発端は僕が貴方に敗れた事だ。ならばこの件は、僕の責任に於いて解決しなければならない」
「トリステイン貴族の誇り、ちゅう奴かい?」
「違う!そうじゃないっ!」

 蝋人形の頬に、初めて朱が差した。

「オールド・オスマンは、貴方を亡き者にしようとしているんだ!」

 トリステインの貴族にとっては、死刑宣告に等しい一言だった。
 異朝の王にとっては、単に想像の範疇と言うだけだ。
 ヴァリエール家の威光が末娘の使い魔に細々とながら及んだとしても、それは金で買える範囲を出ないだろう。
 単純なる隠蔽体質にしろ、王政府との緊張関係による物にしろ、魔法学院の学院長が、学院内の叛乱分子を、学院内で片付けようとするのは、極自然な事だった。

「で、お前はその先兵、ちゅう訳か?」
「言った筈だ、ミスタ。僕の責任に於いて解決する、と」
「オスマンの爺さんを出し抜いて、ワイの首を奪る?」
「平民は決して貴族には勝てない。その事実が再確認されれば、そんな必要は無い」

 ギーシュは空と擦れ違い、背を見せずして距離を取った。
 ストームライダーの俊速を前に、距離は意味を成さない。
 それは純然、礼式に則る為でもあり、拒否を許さない為でもあった。

「さあ、ミスタ・空。勝負の方法を」

 薔薇が震えた。若い瞳が、どこまでも真っ直ぐに空の眼を射抜いた。
 空は元の世界を思い出した。
 自分の翼の下に集った“塵芥”は、風に乗っている時こそ、仲間面をした。
 追い風を御しきれず、壁に激突すると、忽ち仇敵に変貌した。
 対し、ギーシュは追い風よりも、向かい風こそを求めていた。

「……ボーズ。お前、ええ奴やな」

 お定まりのパターンだった。
 他者との関係を打算で計る人間は、誰かに背を向けた時、初めてその相手が友人たり得た事に気付く。
 その時には、自分でその資格をドブに捨てている。

「ホンマ、ええ奴過ぎるわ」

 “空”が焼けた。
 広場に敷き詰められた闇は、ズタズタに引き裂かれて火にくべられた。
 四方に点る小さな灯が、瞬く間に夜を飲み込み、巨大な火球へと成長した。
 ギーシュは愕然とした。
 広場を照らしていた灯の正体。それは、発射を待つ杖先の“火球”だった。
 本塔の、風の塔の中屋根に、杖を手にしたメイジ達が座していた。
 紫のマントを纏う者が在り、黒いマントが居た。
 社交家の少年は、全員の顔を知っていた。魔法学院に通うのは、上流貴族の子弟ばかり。
 特別に付き合いが悪く無い限り、学生同士が互いを知らない事など無い物だ。
 過半は成績優秀者として知られていた。
 極一握りは性酷薄な、避くべき人物だった。
 全員が一様に、卸し立ての制服を身に着けていた。
 そして、渡り廊下の屋根に数人の教師と、オールド・オスマンその人の姿を目にした時、ギーシュは自分が嵌められた事を知った。
 減少傾向に有るとは言え、尚武の精神を忘れる事の無い貴族は、訓練としての狩猟を怠らない。
 教師、学生、併せて50人を超えるであろう、貴族達が見せる沈黙と緊張は、ギーシュのよく知っている物だった。
 猟犬を、使い魔を放ち、従者を使い、獲物を追い立てさせている時の顔だ。
 既に呪文の詠唱を終え、撃発の一瞬を待つ時に見せる眼だ。

「ギーシュ・ド・グラモン――――」

 オスマンの口が、岩の重みで開いた。
 ギーシュは入学以来、初めて、この老人に相応しい声を聞いた。

「君は二つの道を選ぶ事が出来る。黙って、この場を立ち去るか。それとも、我々と杖を共にするか」
「待って下さい!オールド・オスマン!」

 ギーシュは叫んだ。

「この男は僕が倒します!最初に敗れ、貴族としての名誉を傷付けられたのは、この僕です!どうか、挽回の機会を与えて下さい!」
「そんな選択肢は与えていない」

 声にも増して重厚な視線が、その懇願を拒絶した。
 齡300。その噂が本当なら、ギーシュは老人の一割も生きていない。
 その容貌に、頭脳に、何より心魂に刻まれた年輪が、十重二十重の鉄壁と化して、少年にそれ以上踏み込む事を許さなかった。
 二桁に登る火球が折り重なり、空の姿を眩く照らし出した。
 二つの月に変わって、二つの太陽が登れば、この様に見えるのかも知れない。
 車椅子越しの大きな背中が、嫌に遠く映った。
 オスマンが合図の一つも出せば最後。その姿は、永遠に手の届かない所に消えてしまうだろう。
 目を貫く炎が、ギーシュに決断を迫った。
 背を向けて、この場を立ち去るのか。
 あくまで学院のメイジとして、空との戦い――――否、抹殺に荷担するのか。
 それとも……

「ミスタ……」

 指先まで響く拍動の中から、声が零れ落ちた。
 オスマンは土のスクウェア・メイジと聞いている。
 教師達は揃ってトライアングル。学生達とてライン以上が殆どだ。
 この布陣を前にしては、あの恐ろしいエルフとて、逃れる術が有るとは思えない。
 息苦しさに、視界が歪んだ。
 燃えさかる火球が、広場の空気を軒並み焼いてしまったかの様だった。
 分かり易い少年は、生まれて初めて、決断を忘れた。
 自分が決断しないと決断してしまった事には、とうとう気付かなかった。

「ギーシュ。頼みが有る」

 空の声が、薄い空気に喘ぐ脳を引っぱたいた。

「ルイズをここに、近寄せんといてくれ」

 ギーシュは逡巡した。
 空の背中が、巌の様に聳えるオスマンの姿が、交互に映った。
 今、この場を離れる事を、少年の部分が忌避していた。

「頼むわ……」

 この時、自分がどんな顔をしているのか、ギーシュには判らなかった。
 鏡が有ったら、目を背けたかも知れない。
 ギーシュは振り向かずに駆けた。
 結局、自ら決断する事を止めた以上、他人に従うより無かった。
 二つの目線が、その背中を見送った。
 残る目は、たった一体の獲物に注がれていた。
 舞踏会の為に誂えたであろう、目が痛くなるほど鮮やかなドレスが見えなくなった時、二人は改めて視線を交換した。
 巨大な火球に炙られた風が、右で、左で、のたうっていた。
 淀んだ空気は不可視の力で圧縮され、引き千切られ、研ぎ澄まされて、凶器にその姿を変えていた。
 これ程歪んだ“空”は初めてだ。

「残念だよ。ミスタ・武内」

 どこかで聞いた様な呼び方だった。

「ワイもやで。ホンマ、オスマンの爺さんは意地悪いわ。今までやって来た事、半分パアやん」

 集まった顔触れの過半は、決闘で下した相手だった。
 教師はどちらかと言うと、記憶に残らない顔が並んでいた。

「知っとる事、最初に全部話しといてくれたらなあ。もう少し、穏便に動いたんやけどなあ」
「そして、静かに、だが確実に我が国を……否、この世界を浸食する、か。なるほど。沈黙は金とは、よく言うた物じゃ」

 正直は必ずしも美徳では無い。思慮の無い正直を馬鹿正直と言う。
 悪友に親しむ者は、共に悪名を免れず。
 より良い人生を望むなら、信じる相手は選んだ方がいい。

「だが、それを許しておくほど、我々は甘くは無いぞ。異界の王よ。何を企んどったかは判らんが、お主の野望など、所詮は空虚な妄想に過ぎんかったと言う事じゃ。残りの半分も、もう気にする必要など無い」
「ルイズはどうなる?」
「この期に及んで、使い魔の“フリ”かね」

 嘲笑と言うには、態とらしい言い方だった。

「相手をもっと選ぶべきじゃったな。なるほど、“成り済ます”なら出来る限り権力に近く、魔法に疎い者が便利じゃろう。じゃがな、どんな魔法も使えない娘が、召喚と契約だけは成功させた。これは、あまりにも御都合主義が過ぎる。ワシとしても、疑念を抱かざるをえん」

 下手な言い訳だ。
 だが、この際、作り話の巧拙などどうでも良い。
 自分の件で、ルイズを問責しない。
 それは、始祖の教えにも拘わらず、誓いを立てる事が大好きな貴族達の総意と見て良さそうだった。
 王国随一の大貴族であるヴァリエール家が、離反に傾かざる得ない様な状況を避ける為にも、適切な判断だ。

「学生思いやな。爺さん」
「なればこそ、彼等が生きる未来を蹂躙する事は許しておけん。ここで幕引きじゃ。風の王」

 オスマンの動きに呼応して、火球が一際眩く燃え上がった。
 軽妙俊速、直接決戦を本分とする風メイジ達が、広場に次々と飛び降りる。
 間接戦力の土メイジ達は、塔の窓から憎むべき貴族と王権の敵を見据えている。
 その後には、水メイジ達が控えている。
 駆動輪を撫でると、重い感触が返って来た。
 鬱々とした沈黙を守っていた広場は、散々に掘り返され、擽られ、湿った溜息をついていた。
 空気が凝結した。
 土も水も風も火も、そして時さえも、広場の全てがオスマンの支配下にあった。
 系統魔法は意志力により世の理を曲げる。
 その杖が振るわれた瞬間、50余の殺意は一つに束ねられ、この世界に必要の無い存在を消去する筈だった。
 駆動輪から手すりに手が移された。空は車椅子型エアトレックの神速を放棄した。
 今や、そんな物は何の意味も持たなかった。
 翼のシンボルを持つスニーカーが、ステップからずれた。
 オスマンは瞠目した。
 小さな動揺が、貴族達の間に波紋となって広がった。
 勝利の女神〈NIKE〉を散々踏みつけにしていた足が、暴君の傲慢でハルケギニアの大地を蹂躙した。
 車椅子のサスが軋む。
 長く薄い影が、四方八方に伸びた。車椅子に頼っていた男が、傲然、立ち上がった。
 刹那。火炎の怒濤が迫った。
 火線が束と走り、大地が割れ、雷の雲が天を埋め、風の刃が不可視の檻を為す。
 奔湍、押し包む魔力がエネルギーの渦と化して、世界を小さく小さく握り潰す。
 灼熱の狭間に、長身の影が揺れる。
 NIKEのシンボルマークが弾け飛んだ。


 ――――To be continued


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