あの作品のキャラがルイズに召喚されました @ ウィキ

ヘルミーナとルイズ1


 思い出すのは水のせせらぎ、草の臭い、頬を撫でる風の冷たさ、彼女の笑顔。
 そのすべてが遠く、遠い。
 何もかもが懐かしい。
 彼女と過ごした時間が、今の彼を突き動かすすべて。


 ルイズは、泣いてくれるかな?


 サイトは力を振り絞ってデルフリンガーを振るう。
 一振り二振り、三度振ったところでたたらを踏んだ。
 サイトはこんなにもデルフリンガーが重いということを初めて知った。


 あいつ、あれで泣き虫だからな。


 段々足に力が入らなくなってきた。
 槍で突かれた左腕の傷口からは血が溢れている。そこから命が漏れていくような感覚に怖気が走る。
 それでも止まらない、止まったらもう二度と動けない。


 それに寂しがり屋だし。


 着地ざま、剣を力任せ横なぎに払った。
 手に伝わる肉と骨を断った、確かな手応え。
 周囲に味方なんて誰もいない、適当でも振り回せば誰かに当たる。


 いっぱい悲しんで、いっぱい泣いてくれるかな?



 大群の前にたった一人で現れた少年剣士は既に満身創痍。
 けれど、彼は今この場にいる誰よりも必死に生き足掻いていた。
 すべては彼女のために。


 結局あんな別れになったけど、俺、お前のこと、好きだったんだぜ。


 包囲していた兵士たちが一斉に槍を突き出した。
 再び跳躍、敵のいない方へと渾身の力を込めた一飛び。
 直後、サイトの耳に届く空を裂く無数の音。


 生意気で、我が儘で、短気。でも、そんなところも好きだったよ。


 見上げれば空を黒く染める矢の嵐。
 サイトは足が地面についた瞬間、足腰すべてのバネを使ってその場から飛び退いた。
 そのはずみで、体の中からぶちぶちと何かがちぎれる音がした。


 ごめんな。


 かわしきれなかった矢が右の腿と背中に刺さった。
 転がりながら足の矢だけ引き抜く、背中の矢は転がった際に半ばから折れていた。
 既にサイトの体は血で汚れていない場所など一カ所もない。


 本当にごめんな。


 真っ赤に染まった少年剣士。
 生きているのが不思議なほどの傷を負ってなお、剣を握り、離さない。
 なぜそのような姿になってまで戦うのか、この場にいる誰もが理解できないでいた。


 お前一人残してごめんな。


 衝撃。
 爆音と吹き上がる炎、かつてテレビの向こう側で見た爆撃のようなそれがサイトを襲う。
 ある意味それは正しい。サイトの周囲に向かって、無差別に火玉の魔法が何十とうち込まれているのだ。


 お前は泣き虫だから、きっと泣くと思う。


 吹き飛ばされる。
 投げ出されて、仰向けに倒れるサイト。
 それでも起き上がろうともがくが、一度止まってしまった体は、糸が切れた人形のように動かなかった。


 でも、いっぱい泣いて、いっぱい悲しんだら……



 何もかもなげうって、少しでも長く生きるためにサイトは懸命に戦った。
 一分一秒一瞬でも長く、ルイズのことを考えるために。そうすることだけが、自分の気持ちを証明する唯一の方法だと信じて。
 だが、それも終わる。



 俺のこと、忘れてくれ。



 涙が止まらない、止められない。
 もう体は動かない。
 握りしめていたはずのデルフリンガーは、既になかった。


 全部忘れて……幸せになってくれ。


 遠巻きに包囲した兵士たちが、一斉に弓をつがえ、大砲を向け、杖を構えた。
 標的は、たった一人のちっぽけな少年。


「ルイズ、ごめんな」


 流星のように降り注ぐ死を眺めながら呟いたそれが、サイトの最後の言葉となった。



 ルイズはネグリジェ姿のまま、ベットに腰掛けている。
 神聖アルビオン共和国の降伏から既に三週間が経過し、トリステインにも平和な日々が戻り始めていた。
 出征していた男子生徒たちも皆学院へと帰還し、授業も平常通りのものへ戻った。

 窓の外からは光が差し込み時刻は昼過ぎを知らせていた。
 寮で生活していた女性生徒たちの殆どは、今は授業を受けるために本塔へと出払っている。
 そんな中部屋に残ったルイズの姿は、痛々しいという他なかった。

 目は落ちくぼみ、唇は乾いている。
 痩せてはいたが、健康的でしなやかであった体は、今や憔悴しやつれ果てている。
 視線は虚空を泳ぎ定まっていない。手には以前にサイトへプレゼントしたセーターと、赤い布きれ。

 確かに男子生徒たちは戻ってきた。
 戦場で生き残り、ギーシュのように勲章を貰ったものもいる。
 けれど、その中にサイトの姿はなかった。
 代わりに彼女の手元に戻ってきたのは、どす黒く血に染まったパーカーの切れ端とデルフリンガー。
 そして、サイトが死んだということを示す紙切れ一枚。


「ルイズ! ちびルイズ! 返事をなさい!」
「ルイズ! お願いだからご飯だけはちゃんと食べて!」

 扉の向こう側から響く、二人の姉の声も今のルイズには届かない。
 あの日、あのときから、彼女たちの言葉は届かなくなった。



「どういうこと!? 何であんただけなのよ!? サイトは……サイトは一体どうしたのよ!?」
「落ち着けよ、娘っ子……」
「そうよ、落ち着きなさい。あなたが大声をあげても彼は帰ってこないわ」
 ルイズの部屋の中、かつてサイトが寝起きしていた藁の上にはデルフリンガーが置かれている。
 そしてルイズの横には二人の姉の片割れ、エレオノールの姿があった。
「サイトは……サイトは生きているんでしょう!? 答えて! 答えてよ!?」
 目に涙を浮かべ、手には血染めの切れ端を握りしめたルイズが叫ぶ。
 最初に届けられたのは手紙だった。
 その中にはヴァリエール家が使い魔の三女、ルイズ・ド・ラ・ヴァリエールの使い魔が死んだことと、その死を悼む内容が記されており、血染めのパーカーが同封されていたのであった。
 この際半狂乱に取り乱したルイズに対して、学院は実家への連絡という手段をとった。
 そうして呼び寄せられたのがエレオノールとカトレアの二人の姉であった。
 最初はルイズを叱咤してルイズを立ち直らせようとしたエレオノールであったが、サイトを呼びながら泣き叫ぶルイズに折れ、最終的には公爵家の力を使って、サイトの消息についての調査を行った。
 そうした調査の末、戦場で収集された武器の中に、一振りのインテリジェンスソードがあり、それが盛んに「ルイズ」「サイト」と叫んでいると分かったのである。
 エレオノールは直ぐさまその武具を取り寄せる手続きを行って、その甲斐あってデルフリンガーは再びルイズの部屋への帰還を果たしたのであった。

「サイトは……サイトは無事なの?」
 縋るような目つきのルイズ。
「相棒は……」
 デルフリンガーは言い辛いことを伝えるときの人間のように一度言葉を区切り、やがて決心したように続けた。
「相棒は、死んだよ」
「嘘よっ!」
 間髪入れずに叫んだルイズの言葉。まるでその言葉が予め分かっていたような速やかな反応。
「本当だ。相棒は、もうこの世に生きちゃいない。相棒は、最後の最後で俺を手放しちまったのさ……あの中を、ガンダールヴ無しで生き残るは不可能だ」
「それでも……、それでも!」
 ゆっくり、崩れるようにして床へ腰を下ろすルイズに、デルフリンガーもエレオノールも、かける言葉が見つからなかった。
 デルフリンガーだけが、最後の希望だったのだ。
「生きてるって言って……お願い……」
 すすり泣くルイズに、デルフリンガーは「すまねぇ」と小さく返すしかできなかった。

 希望が砕かれたとき、人は惑う。そうしたときに、一人で立ち直れるものは強いものだけだ。
 だから、長女として、人生の先輩として、エレオノールはルイズに手を貸そうとした。
 彼女なりのやり方でルイズの立ち直りを手助けしようとした。

「いつまでそうしているつもり、泣き虫ルイズ!」
「……」
「お父様が止めるのを聞かずに、戦地になんて行くから、使い魔を死なせる羽目になったのよ」
「……」
 姉として、妹を心配していた。
 だから、結局のところ、エレオノールが次に発した言葉は、彼女の優しさからであったのだが。

「毅然となさい! あんな使い魔が死んだくらいで……」

 その一言で、ルイズの中にある、何かが砕けた。

「使い魔くらい……」
 どうってこと、と続けようとしたところで、エレオノールが凍りつく。
 泣きはらした目で顔を見上げたルイズのそこからは一切の表情が抜け落ちていた。ただその目が、まるでガラス玉のように無機質で、エレオノールはこれまでの人生で一度も妹のそんな姿は見たことがなかった。
 その唇が、小さく震えた。
 妹が何かを言おうとしていることを気取ったエレオノールは、焦点の定まらないルイズの瞳を真っ直ぐに見返し挑発した。
「はん、何か言いたいみたいね、言ってごらんなさいよ」
 再び、ルイズの口が小さく動いた。
「何を言っているのか、全然聞こえないわ。ほら、ちゃんと口に出してごらんなさい」
「おい止めろ姉っ子! そいつは逆効果だ!」
 ルイズの異変に気づいたデルフリンガーが大声で静止するが、何もかもが遅過ぎた。

「黙れ」

「……え?」
 無表情な顔をした妹が紡いだ言葉の意味が理解できずに、エレオノールは漏らすようにして聞き返した。

 一方、ルイズは自分が見上げているものがなんだか分からなかった。
 ひび割れたモノクロのステンドグラスのような形をした何か、それが先ほどから耳障りな雑音をまき散らしている。
 その音を聞いているだけでひどく頭が痛くなる。
 まるで頭の内側から大きなハンマーで、力一杯ガンガンと殴られているようだ。
 だから言ってやったのだ、思ったままを。感じたことをそのままに。

「うるさい うるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさあああああああああああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」



 その日以来、姉たちの言葉はルイズに届かなくなった。
 そして姉以外の者たちの言葉も届かない。
 今や、彼女たちはルイズにとって『理解できない何か』になってしまったのだ。
 彼女たちが、ルイズの心が分からなかったように、ルイズにも彼女たちが分からなくなってしまっていた。

 時折部屋の外で発せられる、『何か』が発する雑音。
 ルイズはそれが響く度に手編みのセーターと血染めの切れ端を強く握りしめる。
 母の庇護を求める赤子のように、それだけが彼女を守ってくれると信じて。
「サイト、助けてサイト。怖いよ、怖いのがくるよ……」
 大切な想いを抱きしめたまま、ルイズはベットに倒れこむ。そして子供のように丸くなって泣いた。


 部屋の外、エレオノールとカトレアの二人は揃ってため息をついた。
「ごめんなさい、エレオノール姉さま。私が至らないばっかりに……」
 そう言って両手で顔を覆って泣き出すカトレアを、エレオノールは抱きしめ慰めた。
「いいのよ、あなたのせいじゃないわ。あなたはあのとき体調を崩していたんだもの、仕方がないわ」
 泣きじゃくる妹っ子のカトレアをあやすエレオノールの顔色も曇っている。
「おい姉っ子、あんまし自分を責めるんじゃねぇぞ。お前さんはお前さんなりに精一杯やったんだろ」
 壁際に立てかけられたデルフリンガーの言葉にも、エレオノールの顔は晴れない。
「いいえ、何もかも、私の責任だわ」
「……反省と自分を責めることは似て非なるもんなんだぜ」
 分かってはいても、返す言葉もない。

 しばらくするとカトレアも泣き止み、表面上は平素通りの様子に戻った。
「ちょっとは食べてるみたいだけど、こんな状態じゃ放っておくわけにはいかないわね」
 足下にあるトレイには干からびたパンと、冷たくなったスープがのせられている。
 そのパンには小さくちぎった跡が残されていたが、とても健康を保つのに必要な量とは言えそうになかった。
「この扉を破ってでも屋敷に連れ帰るしかないわね。屋敷なら目も行き届くし、何より……この部屋に残すのは良くないわ」
 使い魔の少年との思い出がある、という言葉を飲み込んだエレオノールは、いつにもまして辛そうな表情をしていた。
「……可哀想だけど、私もそれが正しいと思うわ」

 ルイズの心が壊れてしまった翌日、カトレアもまた彼女の狂乱ぶりを目の当たりにした。
 ルイズを可愛がっていた分だけ、彼女の受けた心の衝撃は言葉にできないほどであった。
 だが、それと同様かそれ以上に、カトレアはエレオノールのことも心配していた。
 ルイズの心を決壊させた原因が自分であると、人一番責任感の強いエレオノールは自分を責め続けているに違いない。
 カトレアは愛する妹、そして姉までが苦しんでいるのに、何もすることができないという自分の無力さを強く呪った。

「それで?それはいつやるつもりなんだい?」
 カトレアの苦悩を余所にデルフリンガーがエレオノールに問いかけた。
 あるいは、エレオノールの注意を自分に向けるためだったかもしれない。
「早い方がいいわね。明日か、明後日にでも」
「……エレオノール姉さま、ルイズは……あの子は、お屋敷に帰ったらどうなるんですか?」
 痛いところを突かれたという表情を一瞬見せたが、すぐに眼鏡を直すふりをして手で顔を隠してしまうエレオノール。
 それだけで、カトレアには今後ルイズがどういった状態に置かれるかが分かってしまった。
「屋敷で軟禁、でしょうね。外を歩けるようになるのは、だいぶ先のことになると思うわ」
 冷たい口ぶりでそう答えるエレオノール。
 けれどカトレアには分かっている、その真なる暖かさを。
 だからいっそうの切なさを感じるのだ。それが追いつめられたルイズの心に届かなかったという、お互いのすれ違いに。



 深夜。
 気がつくと、ルイズは階段を上っていた。
 素足で堅い石段を踏んでいるはずなのに、どういうわけか足下はふわふわとして、まるで雲の上を歩いているようだった。
 心地よい浮遊感に身を任せ、どんどんと階段を上っていく。
 理由は分からないけれど、一番てっぺんまで辿り着けば、そこにサイトがいる気がした。
「サイト……待っててね、すぐに、すぐに会いに行くから……」
 頭がぼうっとする、まるで霞がかかったように上手く考えが纏まらない。
 本来結びつくはずの事実と意味が組み合わさらない、そうしているうちにどちらも泡が弾けるようにして溶けて消えてしまう。
 自分が何をしているのか、どうなってしまうのかが考えられない。
 でもいい、もうどうだっていい、なんだか疲れてしまった。
 ただ、楽になりたかった。

 階段は唐突に終わりを告げた。
 屋上、冬の空気が鼻孔から入って肺を満たした。
 普段なら頭がすっきりするようなそれを受けても、熱に浮かされたようなルイズの足取りは止まらない。
 そうして、ルイズは終着へと辿り着いた。
 屋上の円周を囲む石塀、そこが行き止まり、そこから先に道はない。

 でも、その先にサイトがいるような気がした。

 ルイズは胸ほどの高さがある石塀をよじ登り、その上に立って地面を見下ろした。
 闇が支配する時間、黒に塗りつぶされた世界、どこまでも続いていそうな、そんな光景が目の前に広がっていた。
 サイトのそばに行くための一歩。ルイズがそれを踏み出そうとしたとき、雲間から双月の片割れが顔を出し、眼下の一部を淡く照らし出した。
 それは、ルイズとサイトが出会った、あの春の召喚の儀式が執り行われた一角であった。

 無表情なルイズの目から、一筋の滴がこぼれ落ちる。
 すべてはあの場所から始まった。

 馬鹿で、スケベで、浮気者で、お調子者で、ちっとも乙女心が分かっていないサイト。
 でも、勇敢で、優しくて、いつも守ってくれた、そして何より、私を好きって言ってくれたサイト。

「我が名は」
 自然と、口をついで言葉が出た。

「ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエール」
 それは始まりの呪文。

「五つの力を司るペンタゴン」
 あの素晴らしい日々の、幕開けを告げた呪文。

「我が運命に従いし」
 だからもう一度唱えよう。

「使い魔を召喚せよ」
 何もかもを、やり直すために。


 光。
 背後から自分を放たれる光に気づき、ゆっくりと首をそちらに向けるルイズ。
 そこには白く光る鏡のような形をしたゲートが出現していた。
 ルイズはゲートが現れた方を、身じろぎせずに、ただ無感動に見つめていた。

 そうだ、サイトはゲートの向こうになんていない、いるのは……
 自然と体が正面を向いた。
 早く会いたい、サイトに会いたい。

 そう思い、再び歩を進ませようとしたところで、声をかけられた。
「あら飛び降り? いきなり目の前で人に死なれるってのいうのも、ちょっと新鮮ね」
 聞き覚えのない、女性の声。聞こえた方向、先ほどまでゲートがあったそちらに顔を向けた。
 そこには先ほどまであった銀色に輝くゲートはなく、代わりに一人の女性が立っていた。
 年の頃は二十歳前後。
 腰まで届くロングの髪は薄く紫がかった銀髪、月光に照らされた整った顔立ち、そして何より特徴的な左右色違いの瞳、それらが組み合わさって彼女と その周囲に幻想的な美しさを作り出していた。
 けれど可愛らしいかと言われれば否、全体的に紺で纏められている服装は、どちらかといえば妖艶な雰囲気を醸し出している。
 妖精というよりは、淫魔サキュバスといった方がこの場合は正しいだろう。

 ゲートが閉じて、現れた女。
 つまりは彼女が、サイトの『代わり』ということだ。
 ルイズが平静の状態であったならば、彼女が現れた意味を悟り、また泣き叫んでいたことだろう。
 けれど、今の彼女にそれすらも理解することができない。

 ぼうっとした眼差しで女を見つめるルイズ。
 対する女もルイズの感情の宿らぬ瞳を見返して、二人はお互いの目を覗き込むこととなった。
 ルイズは女の、女はルイズの瞳を覗き込む。

 目を見る、ということはその人間の奥底までを見ることに似ている。
 人と自分が違うが故に、本来であれば目を見ただけで何かが分かるなどというのはおとぎ話のまやかしだ。
 けれど、それが鏡を見るように、同じ瞳に同じ心を持っていたなら?

 二人はお互いの内に潜む、深淵を深く覗き合った。
 そして直感的に、お互いがよく似たものであると理解する。
 それは、同じ何かを持つもの同士のシンパシーだったかもしれない。

「……私の名はヘルミーナ。あなたの名前は?」
 女の涼やかな声が聞こえる。
 雑音しか聞こえなかったルイズの耳に、久方ぶりの人間の声が届いた。
「ルイズ……ルイズ・ド・ラ・ヴァリエール」
「そう、ルイズっていうの……何をしてるかは、見た通りなんでしょうね」
 口元を隠してくすくすと声を漏らす。
「それで、あなたはどこへ行きたいの?」
「サイトの……サイトのところへ行くの」
 不思議だった。
 ヘルミーナに問われたままを、唇が勝手に動いて答えていた。
 彼女の言葉は砂漠のような乾いたルイズの心に、水滴を落とす如くすっと染みこんでくる。
「そう……あなたも大切な人を喪ったのね」
 ヘルミーナの口から漏れた『失った』という言葉がルイズの心を締め付けた。
 誰の言葉よりも、重くルイズの心に突き刺さった。

 すっと、ヘルミーナが石塀の上に立つルイズへと手を伸ばした。

「だったら、取り戻せばいいじゃない」

「……え?」
 ヘルミーナの言っていることがルイズには分からなかった。
 だが、『何か』が発する雑音のような不快さは全く感じない。むしろ心地よい不可解さ。
 それは人を誘惑する悪魔の声のようだった。
「あなたの手から零れたものを、自分の力で再びその手につかむのよ。私にはその手助けができる」
 差し出された手と、ヘルミーナの端正な顔を交互に見つめる。
「そうしてあなたは再び大切なものを取り戻して、心の底からまた笑うの」
 冷たく、美しく、微笑むヘルミーナの顔が、月の加減で泣いているようにも見えた。
 おずおずと手を伸ばすルイズ、そしてその小さな手をヘルミーナが力強くつかんだ。


 泣いた、声を出して泣いた。
 恥も外聞もなく、わんわんと泣いた。
 ヘルミーナの胸の中、しがみついて、縋り付く。
 楽しかったこと、辛かったこと、悲しかったこと、大切な宝石箱をぶちまけるようにして、心の奥から気泡のように沸き上がってくるそれらを全部ヘルミーナにぶつけた。
 ヘルミーナは脆い彼女の背中を抱きしめ、その桃色の髪を優しく撫でていた。


 こうしてルイズの幸せな少女時代は、一つの別れと一つ出会いをもって、その終わりを告げた。


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