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虚無の王-14


 王宮への出仕に当たって、モット伯爵が利用している邸宅は、トリステイン魔法学院から徒歩で一時間の距離に在る。
 その距離を、高速型ワルキューレのステップに飛び乗ったギーシュは、五分足らずで駆け抜けた。
 そこまではいい。
 あっと言う間に目的地へ到着したギーシュは腕を組み、首を捻る。
 移動にかけたのと、同じ時間だけ悩む。

 さて、どうやってモット伯と面会しよう――――

 土産物のエスカルゴは良い口実だった。勢いに任せて、空に渡して来た事を、今更ながらに後悔する。
 もう一つ、重大な問題が有る。

 会ってどうする――――?

「……僕は何をしに来たのだ?」

 シエスタが連れて行かれた。
 そう聞いた途端、居ても立ってもいられなくなった。
 さて、その時、自分は何をするつもりで飛び出したのだろう。
 ギーシュは悩む。悩み、悩んで、その首が正面に向き直ったのは、問題が解決したからでは無かった。

「誰だ!何をしているっ!」

 誰何の声が鋭く響いた。
 門前で右に左に首を捻る怪しい人影を、門衛が見咎めたのだ。
 カンテラの灯が目を貫く。

「……おや、これはこれは、グラモンの御子息じゃありませんか!」

 名乗る前に、相手が気付いた。
 グラモン伯爵家とモット伯爵家は極めて親密な間柄だ。但し、紳士に限って。
 両家の婦人達は、自身の夫が、息子が、素行不良の悪友に汚染される事を、いたく気に病んでいる。
 そんな女性達の良識に満ちた警戒心が、益々漢の友情を煽り立てる。どんな時でも、どんな階級でも、悪友とは女房を謀ってでも守る物だからだ。
 案内の最中、衛士は何やら誤解に満ちた笑みを浮かべていた。モット伯はこの邸に家族を連れて来ていない。
 この500メイル四方の空間は、モット伯のモット伯によるモット伯の為の自由なる王国なのだ。勿論、性的な意味で。

「やあ、ギーシュ君。どうしたね、こんな時間に。そうか!蝸牛を持って来てくれたんだね!」

 モット伯はグラモン家と違ってお金持ち。相応に食い道楽だ。
 舌なめずりせんばかりの声に、ギーシュは約束の土産を持参出来なかった事が、なんだか申し訳なくなった。
 事実、客人が手ぶらである事に気付くと、伯爵は見るからに落胆する。

「しかし、だとすると、本当に君は何をしに来たのだね。この時間だ。夕食も抜かして来たのだろう」

 一体、何事なのか。
 モット伯爵は優雅さを失わない程度に、表情を強張らせる。
 彼にとって、食事に優先する程の緊急事態とは、王命と女以外には考えられなかった。

「実は……こちらの御屋敷で、シエスタと言うメイドが御世話になっている筈ですが――――」
「ああ。耳が早いね。今日、魔法学院から引き抜いたんだ。あのメイドがどうしたね」
「あの娘は僕等学生に大変良く仕えてくれまして……それで、その……」
「なるほど!挨拶の一つ、労いの言葉一つもかけてやれずに、別れる事になったのが心苦しかった――――そう言う事だね。いや、ギーシュ君。君はお父上に似て義理堅いな!丁度いい。食事は未だなんだろう。食べて行き給え。シエスタに給仕をさせる」

 モット伯はギーシュの肩を大袈裟に叩きながら、満面に笑みを浮かべた。

「お心遣い、有り難うございます。所で、伯爵。彼女が働くのは、御領地の御屋敷ですか、それとも――――」
「勿論、ここだよ」

 つまりは、そう言う事だ。


   * * *


「早かったじゃない。どうだったの、お祭りは?楽しかった?」

 アルヴィーズの食堂――――
 明るい瞳のルイズに、空は軽い驚きを覚えた。
 一日放ったらかし、酔って帰った身。不機嫌に眉を釣り上げる顔を想像していたから、これは正直に意外だった。

「特訓。あんたが居ないから、往復が大変だったんだから」

 特訓で某かの成果を得たのだろう。
 いかにも、聞いてくれ、と言わんばかりの口振りだった。

「で、どや。なんか、手応えの一つも有ったか?」

 ルイズは悪戯っぽい瞳で空を覗き込む。
 なんや?――――怪訝に返すと、クスクス笑い始めた。

「明日ね。明日見せて上げる」
「自信あるみたいやん」
「どうかしら?ふふ……」

 殆ど無意識の内に、笑みが零れ落ちる。
 表情の一つ一つ、仕草の一つ一つが、自信と言うより、無邪気な期待と希望とに満ちている。
 キュルケが言う所の、短気でヒステリーでプライドばかり高く、おまけに嫉妬深いトリステイン女性の典型とも言えるルイズが、こうにも無表情な表情を晒す。
 これは、余程の事が有ったに違いない。
 小柄な体躯に似合わず、ルイズは健啖だ。正規の前菜と共に、空が持ち帰った蝸牛を一ダース半、ペロリと平らげる。
 そう言えば、タバサも良く食べる。
 恐らく、メイジは全員、こうなのだろう。

「殻ん中の汁もイケるで」
「やーよ。服が汚れるじゃない」

 ルイズは皿の中に零れたガーリックバターをパンで拭う。
 公爵家の三女と言う地位故だろうか。他の学生達と比べても、その立ち振る舞いは一つ一つが、洗練されているし、どこか気取っている。
 それが、“ゼロ”の二つ名と相俟って、桃髪の少女を同級生の中でも一際浮いた存在にする。

「そう言えば、あのメイド居ないわね」
「ああ、シエスタか?」

 “飛翔の靴”で食堂狭しと飛び回るメイドだ。居なくなれば、さすがに気付く。
 何人もの男子生徒が視線を巡らせ、チラリと覗く白い脚が拝めない事に落胆する。

「なんでも、どっかの貴族に引き抜かれたらしいわ」
「物好きが多いのね。全く」

 それで、シエスタの話題は終わった。
 ローラーメイドに恨みは無いが、捲れ上がるスカートの中を、後から覗こうと身を屈める紳士達の姿は、見ていて気分の良い物では無かったし、貴族に引き抜かれた、と言うなら栄転だろう。
 その事実を、ルイズは素直に喜んだ。
 食事を終えて、部屋に戻る。
 空は汚れ切ったシャツを着替える事にする。
 ルイズは後を向いている。
 使い魔は人間では無い。男性では無い。貴族の乙女が人知れず定めたルールは、とっくの昔に崩壊している。
 食後は座学の時間――――。
 と、言っても、最近は講義するべき内容も乏しくなっている。
 ルイズが燃焼科学や、応用技術を学ぶのは、あくまで魔法に応用する為であり、それ自体の追求が目的では無い。
 今では簡単おさらいと、今後の方針を少し話し合って、後は雑談で時間を潰すのが常になっている。
 教訓めいた話や、地球での偉人伝は、割合受けが良い。ルイズも貴族として共感する所が有るのだろう。
 反対に、ネタさえ選べば、ジョークの類もイケる。
 四コマ漫画の内容を、適当にアレンジして語りながら、空はふ、と重力子〈グラビティ・チルドレン〉の仲間達を思い出す。
 初代眠りの森〈スリーピング・フォレスト〉のメンバーは、揃って漫画好きだった。寄り場は漫画喫茶。
 空が『魁!クロマティ高校』を片手に大笑いしている時、スピット・ファイアは気取った様子で『花より男子』を斜め読み、キリクのむっつりは真っ赤な顔で『魔法先生ネギま!』を読み耽っていた。

「あら?」

 ルイズが声を上げる前に、空が気付いた。
 扉の前に人の気配。そして、戸板の下から、紙片が一枚滑り込む。

「ワイ宛や」
「何?誰から?」
「呼び出し。差出人は不明」
「ギーシュかしら?また、決闘?」
「違う気するけどな。最近、あいつとはよう会うさかい、こないな回りくどい事する意味無いやろ」
「じゃあ、誰?まさか、また他の誰かから決闘?」

 ギーシュが幾度と無く空に敗れている事を知り、決闘を挑んで来た生徒が居た。
 以前、空にそう聞いた事が有る。相手はヴィリエ・ド・ロレーヌ。
 ヴィリエは友人の仇を報じようとしたのでは無い。その逆だ。空を倒す事で、ギーシュを辱めようとした。
 結果は語るまでも無いだろう。

「さあ、どうかなあ?」

 ともあれ、急ぎの用事らしい。指定の場所は例によって例の如くヴェストリの広場。

「……まさか、ツェルプストーじゃないでしょうね?」
「さあな。キュルケやったら、もう少し気の利いた遣り方するんと違うか?」

 じゃ、ちょっと行って来るわ――――空は部屋を出ると、廊下の窓から飛び降りた。



 広場では、意外な人物が待ち受けていた。

「我等の風!」

 料理長のマルトーだ。
 近付く車椅子を認めるや否や、どすどすと重量感溢れる足音で駆け寄った。

 何の用だ――――?

 実の所、空はマルトーが好きでは無い。
 魔法学院に高給で雇われ、並の貴族など及びもつかない金持ち。それが貴族嫌いを気取っている。
 職人としての気概から衝突するならともかく、この男の場合は陰に籠もる。

「我等が風!おお、よく来てくれた!たまたま、貴族の小娘に用事を言い付けられた、てメイドが居たんで、手紙を持たせたんだ。届いたか!良かった!良かった!」
「で、何の用や?」
「ああ、他でもねえ。シエスタの事だよ」
「あいつがどうした?」
「さっきも言っただろう、我等の風よ!シエスタは貴族に連れて行かれちまった、て!」
「拉致された、とは聞いとらん。引き抜きやろ。正当な雇用契約や。連れて行かれた言わんわ」
「畜生!契約だって!冗談じゃない!相手は貴族なんだぞ!あいつら、平民は貴族に逆らえねえと思って、好き勝手やりやがって!」

 空は呆れ返っていた。と、言うよりも白けていた。
 この男は貴族制度の旨味だけを吸い取り、肥え太りながら、権力に蹂躙される弱者を装っている。
 その御都合主義的な生き方は、空が日本に於て散々利用しながら、同時に軽蔑もした“クズ”その物だ。
 ルイズが絶望の縁で尚、杖を磨き、ギーシュ等グラモンの一族が生活を切りつめながら国家王権の為に血を流し、タバサが誰にも語る事の出来ない運命に立ち向かっている時、この肥満体が一体、何をしていた?
 中世欧州には腕一本で貴族にまでのし上がった料理人が何人も居る。
 魔法至上主義のトリステインでは無理でも、ゲルマニアならその目も有る。
 貴族や、その子弟風情に嘗められるのが嫌なら、勝負に出ればいいのだ。こんな所で何をしている?
 正直、付き合っていられない。

「シエスタは奴隷やない。無理に連れてこ言う貴族が居ったら、守ろ言う貴族かて居るやろ」

 いや、奴隷でもそうだ。自身の財産が掠め取られるのを黙って見ている貴族は居ない。
 勿論、シエスタが“断れない”と誤解する事は有り得る。気の弱い小娘相手なら、幾らでも脅し様は有る。

「連れて行かれた、言うたな。シエスタは本意やなかった。お前、それ知っとったな」
「勿論、俺だって止めたさ!だけど、仕方ねえじゃないか!所詮、俺はただの料理長だ。何が言える、て言うんだ?」
「誰か貴族に相談したか?する様に勧めたか?」
「貴族が俺達平民を助ける訳無えだろ!」
「お前、オスマンの爺さんや、コッパゲが何もしいへん、て本気で思っとるんか?」

 黙り込むマルトーに、空は少し腹を立てた。
 結局、この料理人を“マルトーの親方”と呼んでいたコルベールの友情は、一方通行だったらしい。

「もうええ。兎に角、要件言え。愚痴に付き合わせる為、呼んだんや無いやろ」
「だから、シエスタの事だよ!」

 空の反応は、予想外だったのかも知れない。マルトーの声が焦燥を帯びる。

「シエスタの話がここから、どう続く?」
「シエスタを連れてったのは、モット伯、て貴族だ。最低の助平野郎だよ!魂胆は見えてるじゃねえか」
「ま、若いメイドをいちいち引き抜くんに、他の理由も無いやろな」
「俺はよう、あの娘にだけは幸せになって欲しいんだよ。シエスタは貴族の妾なんて柄じゃねえんだ。平凡な結婚をして、幸せに暮らすべきなんだ。あんただって、そう思うだろ?」
「異論無いけど、手遅れの願望聞かされても困る」
「だからよ!完全に手遅れになっちまう前に、シエスタを助けてやりてえんだ!頼む、我等の風よ!力を貸してくれ!」

 それは、意外な申し出だった。

「助ける?……その貴族ん所押し入って、シエスタを連れ戻そう、て腹か?」
「そうだよ!その通りだ!」
「で、その後は?」

 連れ戻したからと言って、それで万事解決とはいかない。
 拉致されて来たメイドを、王法に背き、モット伯と事を構えてまで魔法学院が再雇用する訳が無い。
 どの様にしてモット伯に報復を諦めさせる?どうやってシエスタの生活を保障する?

「それは……正直、判らねえ。でも、黙ってられねえんだよ。シエスタはいい娘だ。本当にいい娘だ。あの娘が助かるんなら、俺はどうなったって構わねえ」
「お前かて、家族居るやろ――――なんでそこまで?」
「あの娘の為、てのも有るけどよ、俺の為でも有るからさ。ああ、俺はケチな男だよ。料理人連中は俺の腕を知ってるし、慕ってくれてるけど、他の平民達が俺を馬鹿にしているのは知ってるんだ。
蝙蝠野郎、てさ。陰で貴族を馬鹿にしながら、小金を貯め込んで貧乏人を馬鹿にする。貴族でも平民でもねえ、蝙蝠野郎、てさ」

 人間は身近な成功者を妬む。ハワード=ヒューズの伝記を有り難がり、ブラウン管の向こうの青年実業家は褒めそやすが、ベンツを乗り回す隣家の親父は成金、最低の俗物だと吐き捨てる。
 マルトーが貴族を嫌う様に、貧しい平民がマルトーを嫌うのはあり得る話だ。

「でも、あの娘はそうじゃなかったっ。ここで黙って見過ごしたら、俺は一生、仲間がどんな目に合わされてても、見て見ぬフリして陰口だけは一丁前の、ケチな男で終わっちまう。そんな気がするんだよ。頼む!我等の風!」

 マルトーは這い蹲ると、地べたに頭を打ち付けた。

「手貸してくれ!あの娘を助けてえ!蝙蝠だって暗い夜の中だけじゃねえ、青空の下を飛べるんだ、て信じてえんだ!」

 その姿を、空は黙って見つめていた。
 脳裏では、前風の王を構成する、相反する二つの性質が鬩ぎ合っていた。
 頭の足りない暴風族の若者達を私兵として操り、最終的には体制転覆さえ目論む、冷酷無慈悲な革命家としての側面。
 創世神〈ジェネシス〉内部に超獣〈ベヒーモス〉と言う巨大派閥を作り上げ、将来の政敵とも成り得た前“牙の王”。宇童アキラの逮捕を惜しんだ、純粋なるストームライダーとしての側面。
 帽子の位置を直した時、内心で決着は付いていた。

「……マルトー。人数集めぃ」

 ドスの利いた声で言った。


   * * *


 ギーシュは高速型ワルキューレに揺られて、帰路を急いでいた。
 モット伯邸での出来事が、脳裏を過ぎった。
 自分は一体、何をしに行ったのだろう。
 して来た事と言えば、夕食を御馳走になり、給仕についたシエスタの胸の谷間を鑑賞しただけだった。
 モット伯と父とが友誼を結び、一門の紳士達が親しく付き合っている理由を、ギーシュは改めて知った。
 モット伯がこの邸に限って採用しているメイド服。赤を基調とした彩色は頂けないが、胸元を大きく開いたデザインは秀逸だった。
 ああ!――――全く、貴族の子弟に過ぎない自分は、所詮、本物の貴族に及ばないのだ。
 シエスタの胸元に実るたわわな果実。彼女は着痩せする体質だった。その事に、自分は愚かしくも全く気付かなかった。
 ぶ厚いメイド服に秘匿された真実を、モット伯は一目で見抜いたに違いない。
 食後、退出する段になると、シエスタが一人、屋敷の外まで見送ってくれた。父の友人は気を利かせたつもりらしかった。
 よく手入れされた庭園が、規律正しく並ぶ魔法灯と月明かりとで、ぼんやりと浮かび上がった。
 二人は無言だった。
 言いたい事が有る筈なのだが、それをどう言って良いか判らず、また口にして良い物かどうかも判らなかった。

「あの……――――」

 口火を切ったのはシエスタだった。噴水に二つの月が揺れていた。

「ありがとうございます。ミスタ・グラモン」
「え?」
「伯爵からうかがいました。私の事を心配して、様子を見に来て下さったんだって」
「ああ……」

 確かにその通りだ。だからと言って、何が出来ると言う訳でも無い。

「ふふ。でも、私、てそんなに見ていて不安ですか?そりゃあ、自分でも少しドジな所が有るとは思いますけど」
「あー、いや……そのなんだ。そう言う訳では無くてね……僕が心配しているのは……」
「心配しているのは?」

 ギーシュは言葉に迷った。
 自分の心配事は極めて口にし辛い上、当のシエスタも判っている筈だった。

「……私、大丈夫ですから」

 正面を向いたまま、シエスタは言った。

「私、今まで貴族が怖かったんです。魔法を使えない私達には、メイジはとても恐ろしくて、いつも怯えて暮らしていました」

 その言葉は、世間知らずな魔法学院の少年を当惑させた。
 平民達が異国の軍隊に蹂躙される事も、オーク鬼の餌にされる事も無く、平穏な日常を営めるのは、貴族が身を張り、血を流しているからだ、と言う自負が有る。
 平民が貴族を畏怖するのは当然としても、恐怖されていると言うのは、意外であり不本意でもあった。

「貴族は別に――――」

 獲って喰いはしない。
 そう続けようとして、ギーシュは言葉を飲む。この娘は今正に、獲って喰われようとしているではないか。
 ああ、モット伯よ。
 貴方はどうして、もっと相手を選ばなかったのだ。
 どうして、こんなにも性急な方法を選んだのだ。
 階級間の対立が王権に益する事など有りはしないのに。

「でも、今は怖くありません」
「何故?」
「ミスタ・グラモンと話していて判ったんです。貴族にも沢山、怖い物が有るんだ、て。苦しい事、辛い事が有るんだ、て。私達と変わらない、人間なんだ、て」
「……貴族が恐れるのは、不名誉だけだよ」
「ええ。判っています。例え、どんなに怖い物が有っても、ミスタ・グラモンは絶対に逃げないんですよね。だから、私も怖くありません」

 私は大丈夫ですから――――シエスタは同じ言葉を繰り返した。

「心配なさらないで下さい。あの……きっと、伯爵も大事にして下さると思いますし……その……大丈夫ですから」
「シエスタ……?」

 その言葉に、シエスタは俯く。
 名前で呼ぶのは初めてである事に、この時、ギーシュは気付かなかった。

「すみません」

 顔を上げた時、シエスタは笑顔を浮かべていた。

「もう、お手伝いが出来無くなってしまいまして。でも、大丈夫。ミスタ・グラモンなら、絶対、空さんに勝てます」

 どこか、ぎこちの無い笑みだ。

「頑張って下さい。ミスタ・グラモン!」

 そして、門衛が門扉を閉じた。
 ギーシュは嘆息する。
 自分は何をしに行ったのだろう。本当に、判らない。
 厨房から飛び出した時、何をしたかったのかは判る。シエスタを取り戻したかったのだ。
 そこに有るのは衝動だけで、どんな思慮も計画も有りはしなかった。
 シエスタはモット伯が正規に雇用している。
 実の所、彼が進んでその契約を破棄してくれる方法を、ギーシュは知っている。
 だが、取引の材料となる物が手に入れられるかどうかは、判らない。
 そして、その後は?

「結局――――」

 自分がいまいち、踏ん切りを付けられないのは、相手が誰になるにせよ、最終的にシエスタを手元に置いておけない事が、判っているからだろう。妾にするなら、現状と変わらない。
 では、愛を囁く?

 冗談ではない――――

 ギーシュは内心で頭を振る。
 身分が違う。住む世界が違う。人品卑しからぬ紳士は、相手を選ばず膝を折ったりはしないものだ。
 そもそも、ギーシュの様な相続権を持たない貴族にとって、結婚とは一つの武器であり、立身出世の道具だ。
 平民の娘が自分の将来に約束してくれるのは、身の破滅でしかない。

「忘れ給え。ギーシュ・ド・グラモン」

 ギーシュは独白した。
 青春よさらば。
 脳裏にシエスタの笑顔が浮かぶ。
 頑張って下さい――――あべこべに、自分を励まし、見送った顔が浮かぶ。

「よし。決めた――――」

 結論を得ると、とっ散らかっていた頭が、すっきりした。

「あの娘を助ける!」

 例え、自分の物にはならないにせよ、あの娘は相応の相手と結ばれるべきだった。凡庸だが誠実な男と契りを交わすべきだった。
 それは、断じてモット伯では無い。
 善は急げ。善でなくとも急げ。レビテーション。ワルキューレに鞭を打つ。三つの車輪が土を蹴立て、小砂利を跳ね飛ばす。
 時間が無い。
 時間が無い。
 急げ。
 急げっ。
 急げっ!
 魔法学院の門へ、ギーシュは文字通り飛び込んだ。バンプを拾った際に、コントロールに失敗した。ワルキューレは横転。ギーシュも地面に投げ出される。
 これは兜を被った方が良いのだろうか。
 苦鳴と共に立ち上がりながら、そんな事を考えた。
 眼前には杭が立っている。後、1メイル前で転倒していたら、頭を打ち付けた事だろう。
 これでは遠からず、事故死しかねない。
 ワルキューレを起こして、夕暮れの女子寮塔に向かう。

「あら――――」

 途中、ルイズに出会した。

「ねえ、空を知らない?」
「ミスタがどうかしたのかね?」
「誰かに呼び出されてから、帰って来ないの」

 誰だろう?
 ヴィリエが決闘を挑んだ、と言う噂は聞いている。彼の仲間か?
 ともあれ、今はそれ所では無い。

「所でミス・ヴァリエール」

 お願いが有るのだが――――その先を言う必要は無かった。
 連絡を取って貰おうとした目当ての人物が、本塔の方から現れたからだ。

「どうなってるのかしらね、全く」

 豊かな胸を反らせて、キュルケはぼやいた。

「夜食にと思って、蝸牛を料理させようとしたのに。厨房に誰も居ない、ですって。本当にどうなっているのかしら」

 その言葉に、ギーシュは青くなった。
 空が居ない。呼び出し。料理人が居ない。そして、シエスタは主に厨房で働いていた――――それらの事実か、頭の中で綺麗に繋がる。
 恐らく、シエスタを連れ戻しに行ったのだ。
 モット伯は自分の様な学生とは違う。本物の貴族だ。
 万が一、平民に敗れでもしようものなら、何としてでも相手を殺すか、さもなくば自ら命を絶つ事を強いられる。
 何故なら、力を以て君臨するメイジが無力な平民に敗れると言う事は、家名ばかりでは無く、全ての貴族の名誉を、ひいては王権を汚す事に他ならないからだ。
 故に、貴族は自身に刃を向けた平民を、絶対に許さない。
 空が自分とモット伯爵との区別も付けられない人間とは思いたくない。そこまで無分別な人間とは思いたくない。
 だが、分別の有る男が、学生とは言え貴族に決闘を申し入れる物だろうか。
 思えば、あの男は常に異質だった。
 まるで、異世界から来たかの様に、社会の規律も秩序も顧みない。
 反骨それ自体を旨としているきらいさえ有る。

「ミス・ツェルプストー!」

 ルイズと二、三、皮肉を応酬。どことなく余裕を感じさせる相手の態度に、聊か戸惑いを見せながらも立ち去るキュルケを、ギーシュは慌てて呼び止める。
 急がねばならない理由が、一つ増えた。

「済まない。実はお願いが有るのだが……」



 街道から僅かに外れた草むらを、奇怪な一団が進んでいる。
 先頭は車椅子。更に長短太細まちまちな覆面男が計六人。
 薄闇の中、緊張感と殺気とを撒き散らしながら進む。
 草むらの中を、街道と併走する様にして剥き出しの地面が続く。まるで道路だ。
 それは、そうだろう。つい、この間までは街道だった場所だ。
 馬蹄に踏み荒らされ、ぬかるんだ足場を嫌って、騎手が、御者が外れを選ぶ内に、街道は少しずつ移動する。

「こいつは、おでれーた」

 車椅子の背で、デルフが身を震わせる。

「たったこれっぽっちの平民引き連れて、貴族の邸にカチ込もうなんて。正気かい、相棒。どうなるか判ってるんだろうね?」
「さてなあ」

 空は暢気に嘯いた。
 シエスタ奪回を、空はそれ程、難しい事と考えていない。問題は、その後だ。
 まさか車椅子を含む平民集団にしてやられた、とは言えないから、表立った裁きは無いだろう。
 だが、力を以て君臨する貴族が、不逞の輩をそのままのさばらせておいては支配が揺らぐ。必ずや、裏で報復措置に出る。
 マル風Gメンや暴力団、某国や米軍の間を立ち回って来た空にとっては何でもない事だ。
 しかし、今、後にゾロゾロと着いて来ている料理人供は、一人も助かるまい。家族縁者に累が及ばぬ様、自ら首を差し出す羽目になる公算が大きい。
 それを避ける為に、最もてっとり早いのは、目撃者全員を消してしまう事だが、それはそれで話が大きくなる。
 噂話に聞いた、“土塊のフーケ”とやらはミスリードに使えるかも知れないが……。

「ま、楽しみにしとき、デル公。たっぷり血い、吸わせたるからな」
「相棒。なんだか、俺の事を誤解してるみたいだねえ」

 後にはマルトー始め、緊張した面持ちの料理人達が続く。筋者の事務所に殴り込む素人衆の心境だろう。
 邸が近付く。
 茂み深くに入ってベースを張る。道具と撤退の手筈を確認。

「ええか?今回はシエスタを連れ戻したら、それで勝ちや。ここに居る全員帰れへんでも、シエスタ一人帰ればええ。状況によっては、ワイはお前等見捨てて、あいつ一人連れて逃げる。それで文句有る奴は帰れ」

 全員が堅い動作で頷く。異論が有ろう筈も無い。

「お前らに難しい作戦言うても無理やろ。シンプルに行く。ワイが先導するから、少し間置いて着いて来い。目に付いた奴は速攻でどつき倒せ。躊躇すなや。相打ち上等で突っ込め。メイジ相手に迷ったら死ぬで。ええな」

 空は武器を配る様に命じる。
 太い麺棒や脱穀の棒、スコップ。扱いに熟練を要する刃物を避けて、鈍器で統一する。

「良し。気合い入れて行くでっ……!」
『ブッ殺ッッッ!!』

 凶悪な平民達の物騒な唱和が、闇苅に溶けた。


   * * *


「秘宝の魔道書?」
「何それ?」

 その名を口にすると、キュルケばかりでなく、ルイズも興味を示した。

「前に話してくれたじゃないか。召喚実験で偶然、呼び出された魔道書。ツェルプストー家の家宝を、君は持っているんだろう?」
「ああ、あれね。嫁入り道具として持たされてるのよ」
「どんな魔道書なの?」

 深く追求しないでくれ。
 心の中でギーシュは嘆く。あまり女の子に聞かせられる内容では無いのだ。

「殿方を高ぶらせる魔力を帯びた魔道書」

 苦悩する少年と対照的に、キュルケはさらりと言った。

「まあ、私には必要無いんだけどねー。色気も“ゼロ”なあんたには、正に秘宝かも知れないわね」
「ななな、何言ってるのよ!不潔よ!不潔!さすが、色ボケのツェルプストーの家宝ね。サイテーだわ」

 蔑む様なルイズの目に、ギーシュは頭を抱える。自分はマリコルヌとは違う。女の子に蔑まれたり、踏まれたりして悦ぶ性癖は無いのだ。
 そう。薔薇に白い目を向けたり、あまつさえ踏み躙る様な少女が居るものか。熱烈な視線、黄色い歓声こそ我が本望。
 その点でケティは理想だった。ちょっとした事でも驚き、ささやかな事でも喜んでくれた。幸せを享受する天性に恵まれた女の子だったのだが……。

「いやいやいや。今はそれ所じゃないっ!」

 不意に頭を振って叫ぶギーシュに、二人は目を瞬いた。

「ミス・ツェルプストー。君にとって、それが必要な物で無いなら、都合が良い。その魔道書を、譲ってはくれないか?」
「……不潔――――」
「誤解しないでくれ給え、ミス・ヴァリエール!僕は疚しい目的で言っいるのではない。ある重大事の解決に、なんとしても、それが必要なのだ。事によったら、君の使い魔だって、関係しているのかも知れないのだよ」
「空が?」
「ダーリンが?」

 モット伯爵は以前から言っていた。
 ツェルプストー家に伝わる魔道書が欲しい。手に入るのなら、全財産を費やしても構わない、と。メイド一人の身柄と引き替えなら安い物だろう。
 空が無茶をする前に、シエスタを連れ帰る。それしか無い。

「空が?ねえ、どう言う事よ?」
「済まない。今は説明している閑が無い。どうだろう、ミス・ツェルプストー。たった今、必要なんだ」
「……別にいいけど、貴方お金有るの?」
「う……無い。無いが、後日なんらかの形で、必ず恩は返す。何でも言ってくれ給え」
「なんでも?」

 キュルケの瞳が、怪しく光った。

「何でもだ」
「そう。なら、私と付き合って。そうしたら、魔道書は差し上げるわ」

 その一言に、ギーシュは凍り付いた。
 嫁入り道具である魔道書を差し上げる。だから、付き合いなさい――――その意味する所は何か。
 つまりは、ただの交際では無いのだ。恐らく、結婚を前提として、と言う枕詞が付く。
 ギーシュは震えた。顔色がみるみる青くなり、体中から汗が噴いた。
 こちらは嫁入り道具をくれ、と言っているのだ。決して不当な要求では無い。当然と言っていい。
 それに、ゲルマニアの大貴族にして大資産家のツェルプストー家令嬢なら、伯爵家の四男坊としては望外の相手。全く申し分無い。申し分無いのだが……。
 目線がストンと落ちる。褐色の乳房に引っかかって止まる。
 本当に彼女は申し分が無い。申し分無いおっぱいだ。
 だが、何故だろう。ギーシュはキュルケがどこか苦手だった。
 薔薇を観賞するばかりで無く、摘み取った挙げ句、押し花にしてしまいそうな勢いには、一種の恐怖を覚える。

 ええい、何を迷っている、ギーシュ・ド・グラモン!――――

 ギーシュは自らを叱咤する。
 シエスタの貞操が危ういのだ。
 空の身だって危ういのかも知れないのだ。
 危急の時、グラモン家の男が、おっぱいを怖がっていてどうする!
 勇気を持つのだ!
 突撃!
 突撃!
 突撃!

「――――判った」

 杖を持たずに尖塔から飛び降りる気分で、ギーシュは答えた。古びたアルヴィー人形のぎこちなさだ。
 途端に、笑い声が弾けた。

「冗談よ、冗談。今、私はダーリン一筋だもの。秘宝の魔道書ね。ちょっと待っていなさい」

 フライで自室に向かうキュルケを、ギーシュは呆然と見送った。
 安堵の吐息が漏れ、思わずその場にへたり込みかけた。

「助かった――――」

 と思ったのも束の間だ。

「ねえ、空がどうしたの?」

 今度はルイズが絡んで来た。

「だから、今は時間が……」
「ツェルプストーが戻るまでの間に、説明しなさいよ」
「えーと、シエスタと言うメイドが居るのだが……」
「あの、変な靴履いたメイドでしょう。それがどうかしたの?」
「そのメイドが、モット伯に引き抜かれてだねえ」
「“あの”モット伯爵?」

 絶妙な口調だった。
 モット伯に関する悪い噂と、ルイズが彼を軽蔑する所以が、余すこと無く、たった一言に集約されている。
 モット家と親交が有るギーシュとしては、少し複雑な気分になった。

「どうも、穏便ならざる方法も使ったらしい。そこで――――」

「お待たせ」

 と、キュルケが戻った。
 手には羅紗の袋。中身を取り出す。表紙は極めて扇情的なイラストだ。
 ルイズは耳まで赤くして顔を背け、ギーシュは食い入る様に眼を開く。

「確かに」
「一つ貸しよ」
「判っている」

 再び袋に収められた魔道書を手に、ギーシュは高速型ワルキューレのステップを踏む。

「ちょっと、待ちなさいよ!話がまだ……」
「ミスタ・空がモット伯の邸に乗り込むかも知れない!」
「!……なんですって!ちょっと……!――――」

 ルイズの声を置き去りにして、ギーシュはワルキューレを加速する。
 道を急ぎながら、ギーシュは魔道書の表紙を思い出す。
 凄い。本当に凄い。
 現実をそのまま切り取ったかの様な画風。写実主義の絵画など問題にならない精緻さだ。
 どんな画材を使えば、あの発色が得られる。
 あの印刷技術は一体なんだ。 
 いかなる神技が、あの奇跡を実現したのかは判らない。だが、なるほど、モット伯が執心するのも頷ける。
 モット伯の邸が見えて来る。様子がおかしい。喊声が聞こえて来る。
 遅かった――――!
 どうする?
 どう話をつける?
 身の程知らずな料理人供はともかく、空は助けたい。
 そう考えているのは、ギーシュ一人では無かった。
 ルイズとキュルケだ。いまいち事態は飲み込めないが、空が本当にモット伯邸へ乗り込もうとしているなら捨て置けない。
 二人は女子寮塔を、タバサの部屋へと駆け上る。
 丁度、その時、タバサは自室で逆立ちしていた。続いて、脚を曲げ、体を腕立ての要領で後に伸ばし――――

「無理」

 潰れた。
 “風”を面で捉える。その技術が極めて難しいだけでは無い。
 仮に、両掌を床に固定出来たとしても、空と同じ姿勢を取るには、並外れた腕力が要る。

「タバサ!居る!」

 目の前で、扉が勢いよく開いた。
 頭上を見上げると、そこにはキュルケと、ルイズが居る。

「黒――――」

 返事をする代わりに、タバサは呟いた。


 ――――To be continued


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