ヴェストリの広場、そこは昼であってもあまり日の差さぬ場所。
特に何かない限り人の寄り付かないような場所である。
しかし今、そこには人と人ならざるものが。
「ワルキューレッッ!!」
掛け声と共に七体の青銅の戦乙女が疾駆する。
その先にて待ち構えるのは一人の拳士にして剣士である二闘流の少年。
両の手に青銅の剣を握り締め相手の挙動を見据える。
「―――」
初撃、槍を構えた三の戦乙女が己めがけて突きを放つ。
「ふっ!」
槍と槍の合い間を一寸で避ける九朔、隙間を縫うように駆け出す。
姿勢は極限まで低く、槍の次撃は頭上を掠めるに留まる。
「刃ッ!」
すれ違い様、三体のワルキューレの胴に剣撃が叩き込まれる。
崩れる青銅の体、地面と衝突すると同時にそれは薔薇の造花に還る。
「次だ!」
今度は真逆、迫る九朔に対して三体の戦乙女が待ち構える形。
槍三体に剣一体、先陣を切るように大剣のワルキューレが一歩を踏み出し九朔へと構える。
人では到底扱えないであろうその鉄塊をかつぎ、ワルキューレは標的を叩き潰さんと振り薙ぐ。
大剣は鎚、当たればただではすまないだろうその剣の軌道上にあった九朔の身体は既になく、
次の瞬間には空中へと舞い上がっていた。
無防備極まりないその体勢、見計らうように二体のワルキューレが九朔へと狙いを定めて
槍を突き出す。
肉薄する鋒鋩、しかし穂先は九朔の身体へとめり込む事はない。
槍の切っ先は両手に握られた剣に添えられ逸らされ流される。
振り薙いだ大剣は大地に深く抉りこまれ、槍は見当違いの方向に。
完全無防備の体のワルキューレは反撃敵うことなく双振りの剣に沈んだ。
「…………」
「…………」
「…………」
「…………さて」
薔薇の造花が振られ、地に伏したワルキューレと九朔の手に握られた
剣が薔薇の造花に還った。
「言ったとおり攻め方を少し変えてみたがどうだったかいクザク?」
「ああ、充分に上等の出来だ。すまぬな、我の都合ばかりで」
「いやいや構わないさ。こうやって君の鍛練に付き合うのも僕の魔法の訓練にも
なっているしね」
互いに笑みを返しあい、ギーシュと九朔は最近こしらえたばかりの木椅子に肩を並べて
腰掛ける。
あの決闘からおおよそ2週間、九朔の鍛練に今ではギーシュが参加していた。
最初のきっかけは、モンモランシーによりミンチより酷い目にあったと人づてに聞いていた
ギーシュがここに顔を出したのが始まり。
場を改めての謝罪ついでに手伝いを申し出てきたので素直に是と返事を返してみるや否や
気づけばこんな事に。
もっとも、自分自身相手となる者がいれば実戦に近い形の鍛練ができるので歓迎はしているが。
「しかし汝、授業をさぼっていて良いのか? 我の鍛練の手伝いをしてくれるのは良いが」
「はっはっは! なあに、言ったとおり授業に出ているよりこうやって実践する方が
有意義さ。どうせ教室にいても寝てるだけだしな!」
「汝なぁ……」
そうやって力強く断言して肩をたたくギーシュの瞳はとても爽やかである。
あまりにも爽やか過ぎてまるで何も考えてないように思える、というか正直なところ何も
考えてないのだろう。
「まぁ、我には関係のないこと故深くは突っ込まぬが……」
そこまで言って九朔は考え直す。
何も考えていないこの能天気な面を見ていると、先行き将来ふくめて前途多難な人生を
送りそうなこの金髪の少年の未来を微かながらも芽生えた友情にあえて憂いてみたくなった。
「強く生きろ、ギーシュ」
「ん?」
その言葉の意に気づく事はなく、ギーシュの笑顔はひどく幸せそうだった。
特に何かない限り人の寄り付かないような場所である。
しかし今、そこには人と人ならざるものが。
「ワルキューレッッ!!」
掛け声と共に七体の青銅の戦乙女が疾駆する。
その先にて待ち構えるのは一人の拳士にして剣士である二闘流の少年。
両の手に青銅の剣を握り締め相手の挙動を見据える。
「―――」
初撃、槍を構えた三の戦乙女が己めがけて突きを放つ。
「ふっ!」
槍と槍の合い間を一寸で避ける九朔、隙間を縫うように駆け出す。
姿勢は極限まで低く、槍の次撃は頭上を掠めるに留まる。
「刃ッ!」
すれ違い様、三体のワルキューレの胴に剣撃が叩き込まれる。
崩れる青銅の体、地面と衝突すると同時にそれは薔薇の造花に還る。
「次だ!」
今度は真逆、迫る九朔に対して三体の戦乙女が待ち構える形。
槍三体に剣一体、先陣を切るように大剣のワルキューレが一歩を踏み出し九朔へと構える。
人では到底扱えないであろうその鉄塊をかつぎ、ワルキューレは標的を叩き潰さんと振り薙ぐ。
大剣は鎚、当たればただではすまないだろうその剣の軌道上にあった九朔の身体は既になく、
次の瞬間には空中へと舞い上がっていた。
無防備極まりないその体勢、見計らうように二体のワルキューレが九朔へと狙いを定めて
槍を突き出す。
肉薄する鋒鋩、しかし穂先は九朔の身体へとめり込む事はない。
槍の切っ先は両手に握られた剣に添えられ逸らされ流される。
振り薙いだ大剣は大地に深く抉りこまれ、槍は見当違いの方向に。
完全無防備の体のワルキューレは反撃敵うことなく双振りの剣に沈んだ。
「…………」
「…………」
「…………」
「…………さて」
薔薇の造花が振られ、地に伏したワルキューレと九朔の手に握られた
剣が薔薇の造花に還った。
「言ったとおり攻め方を少し変えてみたがどうだったかいクザク?」
「ああ、充分に上等の出来だ。すまぬな、我の都合ばかりで」
「いやいや構わないさ。こうやって君の鍛練に付き合うのも僕の魔法の訓練にも
なっているしね」
互いに笑みを返しあい、ギーシュと九朔は最近こしらえたばかりの木椅子に肩を並べて
腰掛ける。
あの決闘からおおよそ2週間、九朔の鍛練に今ではギーシュが参加していた。
最初のきっかけは、モンモランシーによりミンチより酷い目にあったと人づてに聞いていた
ギーシュがここに顔を出したのが始まり。
場を改めての謝罪ついでに手伝いを申し出てきたので素直に是と返事を返してみるや否や
気づけばこんな事に。
もっとも、自分自身相手となる者がいれば実戦に近い形の鍛練ができるので歓迎はしているが。
「しかし汝、授業をさぼっていて良いのか? 我の鍛練の手伝いをしてくれるのは良いが」
「はっはっは! なあに、言ったとおり授業に出ているよりこうやって実践する方が
有意義さ。どうせ教室にいても寝てるだけだしな!」
「汝なぁ……」
そうやって力強く断言して肩をたたくギーシュの瞳はとても爽やかである。
あまりにも爽やか過ぎてまるで何も考えてないように思える、というか正直なところ何も
考えてないのだろう。
「まぁ、我には関係のないこと故深くは突っ込まぬが……」
そこまで言って九朔は考え直す。
何も考えていないこの能天気な面を見ていると、先行き将来ふくめて前途多難な人生を
送りそうなこの金髪の少年の未来を微かながらも芽生えた友情にあえて憂いてみたくなった。
「強く生きろ、ギーシュ」
「ん?」
その言葉の意に気づく事はなく、ギーシュの笑顔はひどく幸せそうだった。
**
「さて、どうしたもんかね」
通算凡そ三十回目となる宝物庫にかけられた錠前への錬金の失敗にミス・ロングビル――否、
土塊のフーケは疲れた溜息を漏らした。
想像以上に強固な固定化の魔法は幾度の錬金にもまったくビクともせず、傷一つするすらつく
形跡がない。
破壊の杖を狙ってこの学院に忍び込んで結構な時間が経つが、やはり自分の力量だけでは
どうにもできないという事なのか。
「まったく、とんだ曲者だねこの『固定化』はさ」
忌々しげに舌を鳴らしそこを離れようとするフーケだが、しかし、目の前に現れた一人の女に
その動きは止まる。
「さすがはスクエアクラスの魔法。巷に名の轟く貴方様でもやはり無理でございますかね?」
メイド服に身を包んだその女の肌は褐色、髪は色濃い金。薄っすらと開いた唇の奥から
覗く色は血のような赤。
その女の姿にフーケは苦々しい表情を浮かべる。
「言ってくれるじゃないかニアーラ。それにここを何処だと思って……」
「まあまあご心配なさらずに。それに、今の時間ここに誰も来ることなどありはしませんさね」
フーケを気にかけることなく、ニアーラと呼ばれたメイドは笑みを浮かべてフーケに近づく。
この女、ニアーラとフーケが出会ったのはほんの偶然、魔法学院にあるという『破壊の杖』を
手に入れるための算段をしているちょうど最中に彼女が近づいてきたのだ。
それから事が恐ろしいほど順調に進んだのも偶然だったのだろうか。
オスマンをたぶらかし学院へ勤められるようにお膳立てをしたのも、ここでの自分の振る舞い
を怪しまれないようにしているのも、何よりオスマンが来るという酒場を教え、そこの給仕の
仕事を斡旋したのも全て彼女。
彼女の目的は知らない。
ただ、土塊のフーケである自分の仕事を手伝いたいだけとしか言わない。
なぜ魔法を使えもしないこの平民の女を信用しているのかフーケ自身も良く理解できては
いなかったが、どういうわけか彼女を疑う事はなかった。
もちろん、今彼女が言った『だれも来ない』という何ら確実でもないその言葉さえもフーケは
信じている。
「………まあいいさ。で、こんなところまで来て何のつもりだい?」
「いえね、ここまで堅牢な守りを誇る宝物庫を破るにはもう少し策を練る必要があるんじゃ
ないかと思いましてね」
「策ならこの前からずっと練ってるさ。だけど、この魔法を破る方法なんてありゃしないね。
私はトライアングルでもスクエアクラスに匹敵するメイジだと自負してるが、それでも
無理さ」
「そうですかね? あたしにゃ、まだまだやれる余地はあるかと」
「はっ。あんたは知らないのかい? トライアングルクラスにスクエアクラスの魔法が
破れるわけが―――」
そう最後まで言いかけてフーケの唇にニアーラの人差し指が添えられた。
褐色の肌の掌は白魚のように真白で、そのコントラストが艶やかに日の光で彩られる。
その人差し指の向こう、女の自分でさえも魅入ってしまいそうなほどの妖艶さを秘める
その瞳がフーケを射抜く。
「まあまあ、少しちょっとばかりお聞きくださいな。同じ魔法を使って駄目ならば
もっと別の魔法を使ってみようじゃないですか。系統魔法じゃないもっと別の、嗚呼、
それはもっと強力なそれを使ってみようじゃないですか」
謳うように、嘲笑うように、ニアーラの言葉がフーケの周りで渦巻く。
ニアーラの言葉を聞くたび、フーケは言いようのない心地よさを感じていた。
初めて出会った時も、言葉をかわすときも、今、この時も。
彼女の言葉を信用してしまうのは、恐らくもなくこれが原因だった。
「先住……魔法かい………?」
「ええ、ええ。確かに貴女達が理解しうる言葉で言い換えるのならばそうかもしれない
ですさね。ですが、それよりもっと……ええ、それは矮小な人間では逆立ちしても
遠く果てしなく及ばない、異形の智の結晶、人智を超越した奇跡の産物が
この世には存在するのですよ」
ニアーラの言葉がじわりと脳内に染みていく。
それは酷く甘美で魅惑的な響き、果実のような淫靡さに脳内が酩酊する。
霧がかった脳内は正常な思考を止めニアーラの言葉だけが世界になる。
しかし同時に、得体の知れない本能的な恐怖が思考の彼方で呼び起こされる。
それに触れてはならぬと警告を発する。
しかし、身体は、魂は、それに抗う術を知らない。
「それは、本来の貴女様方では決して触れることのできないもの。
貴女様方の世界において認識の外に存在するもの。
人智の領域から隔絶した異形なるもの。
嗚呼、嗚呼、それはそれは美しくも醜き白痴の王へと繋がる道なのですよ」
ニアーラの華奢な細腕が歪に曲がってフーケの頬へと添えられる。
そして影がその人間から離れぬように、ニアーラはフーケの身体を愛おしげに抱きしめる。
愛し子を慈しむ母親のように、ニアーラは虚ろな顔をしたフーケを抱きすくめる。
耳元に彼女の艶やかな唇が迫る。
「大丈夫、貴女様に必要なものはちゃあんと手に入りますとも。たとえ資格が
なくとも貴女様にはそれを手にする必然があるのですから」
その視線の先、フーケの手の中に鉄の表装がついた黒い大きな書が握られている。
それは、おぞましく美しい世界の断片から取り出された無垢なる悪意。
それに手を添え、ニアーラの瞳の奥が、ふと、揺らぐ。
通算凡そ三十回目となる宝物庫にかけられた錠前への錬金の失敗にミス・ロングビル――否、
土塊のフーケは疲れた溜息を漏らした。
想像以上に強固な固定化の魔法は幾度の錬金にもまったくビクともせず、傷一つするすらつく
形跡がない。
破壊の杖を狙ってこの学院に忍び込んで結構な時間が経つが、やはり自分の力量だけでは
どうにもできないという事なのか。
「まったく、とんだ曲者だねこの『固定化』はさ」
忌々しげに舌を鳴らしそこを離れようとするフーケだが、しかし、目の前に現れた一人の女に
その動きは止まる。
「さすがはスクエアクラスの魔法。巷に名の轟く貴方様でもやはり無理でございますかね?」
メイド服に身を包んだその女の肌は褐色、髪は色濃い金。薄っすらと開いた唇の奥から
覗く色は血のような赤。
その女の姿にフーケは苦々しい表情を浮かべる。
「言ってくれるじゃないかニアーラ。それにここを何処だと思って……」
「まあまあご心配なさらずに。それに、今の時間ここに誰も来ることなどありはしませんさね」
フーケを気にかけることなく、ニアーラと呼ばれたメイドは笑みを浮かべてフーケに近づく。
この女、ニアーラとフーケが出会ったのはほんの偶然、魔法学院にあるという『破壊の杖』を
手に入れるための算段をしているちょうど最中に彼女が近づいてきたのだ。
それから事が恐ろしいほど順調に進んだのも偶然だったのだろうか。
オスマンをたぶらかし学院へ勤められるようにお膳立てをしたのも、ここでの自分の振る舞い
を怪しまれないようにしているのも、何よりオスマンが来るという酒場を教え、そこの給仕の
仕事を斡旋したのも全て彼女。
彼女の目的は知らない。
ただ、土塊のフーケである自分の仕事を手伝いたいだけとしか言わない。
なぜ魔法を使えもしないこの平民の女を信用しているのかフーケ自身も良く理解できては
いなかったが、どういうわけか彼女を疑う事はなかった。
もちろん、今彼女が言った『だれも来ない』という何ら確実でもないその言葉さえもフーケは
信じている。
「………まあいいさ。で、こんなところまで来て何のつもりだい?」
「いえね、ここまで堅牢な守りを誇る宝物庫を破るにはもう少し策を練る必要があるんじゃ
ないかと思いましてね」
「策ならこの前からずっと練ってるさ。だけど、この魔法を破る方法なんてありゃしないね。
私はトライアングルでもスクエアクラスに匹敵するメイジだと自負してるが、それでも
無理さ」
「そうですかね? あたしにゃ、まだまだやれる余地はあるかと」
「はっ。あんたは知らないのかい? トライアングルクラスにスクエアクラスの魔法が
破れるわけが―――」
そう最後まで言いかけてフーケの唇にニアーラの人差し指が添えられた。
褐色の肌の掌は白魚のように真白で、そのコントラストが艶やかに日の光で彩られる。
その人差し指の向こう、女の自分でさえも魅入ってしまいそうなほどの妖艶さを秘める
その瞳がフーケを射抜く。
「まあまあ、少しちょっとばかりお聞きくださいな。同じ魔法を使って駄目ならば
もっと別の魔法を使ってみようじゃないですか。系統魔法じゃないもっと別の、嗚呼、
それはもっと強力なそれを使ってみようじゃないですか」
謳うように、嘲笑うように、ニアーラの言葉がフーケの周りで渦巻く。
ニアーラの言葉を聞くたび、フーケは言いようのない心地よさを感じていた。
初めて出会った時も、言葉をかわすときも、今、この時も。
彼女の言葉を信用してしまうのは、恐らくもなくこれが原因だった。
「先住……魔法かい………?」
「ええ、ええ。確かに貴女達が理解しうる言葉で言い換えるのならばそうかもしれない
ですさね。ですが、それよりもっと……ええ、それは矮小な人間では逆立ちしても
遠く果てしなく及ばない、異形の智の結晶、人智を超越した奇跡の産物が
この世には存在するのですよ」
ニアーラの言葉がじわりと脳内に染みていく。
それは酷く甘美で魅惑的な響き、果実のような淫靡さに脳内が酩酊する。
霧がかった脳内は正常な思考を止めニアーラの言葉だけが世界になる。
しかし同時に、得体の知れない本能的な恐怖が思考の彼方で呼び起こされる。
それに触れてはならぬと警告を発する。
しかし、身体は、魂は、それに抗う術を知らない。
「それは、本来の貴女様方では決して触れることのできないもの。
貴女様方の世界において認識の外に存在するもの。
人智の領域から隔絶した異形なるもの。
嗚呼、嗚呼、それはそれは美しくも醜き白痴の王へと繋がる道なのですよ」
ニアーラの華奢な細腕が歪に曲がってフーケの頬へと添えられる。
そして影がその人間から離れぬように、ニアーラはフーケの身体を愛おしげに抱きしめる。
愛し子を慈しむ母親のように、ニアーラは虚ろな顔をしたフーケを抱きすくめる。
耳元に彼女の艶やかな唇が迫る。
「大丈夫、貴女様に必要なものはちゃあんと手に入りますとも。たとえ資格が
なくとも貴女様にはそれを手にする必然があるのですから」
その視線の先、フーケの手の中に鉄の表装がついた黒い大きな書が握られている。
それは、おぞましく美しい世界の断片から取り出された無垢なる悪意。
それに手を添え、ニアーラの瞳の奥が、ふと、揺らぐ。