「ボーウッド艦長……君は命とは何か考えたことがあるか?」
「は?」
「は?」
後甲板に立っていたところをふいに後ろから声をかけられて、サー・ヘンリ・ボーウッドは怪訝な顔で振り返った。
気配もなく後ろに立っていた男は、振り向いたボーウッド艦長に向かって鷹揚に頷く。
気配もなく後ろに立っていた男は、振り向いたボーウッド艦長に向かって鷹揚に頷く。
「『いのち』だ。どうだね、艦長。ありふれた概念だが、なかなかきちんと考えるとなると難しいものだ」
「どうして自分にそのようなことをお聞きになるのですか、ワルド『子爵』殿?」
「どうして自分にそのようなことをお聞きになるのですか、ワルド『子爵』殿?」
ボーウッドが無表情に問い返す。その言葉に込められた皮肉に気がついたのか、ワルドは頬を歪めて笑った。
「作戦行動中は竜騎兵隊の隊長……だから『ワルド隊長』と呼んでいただきたいな、艦長。
ふん、忠義者の君がそのように私を憎憎しく思う気持ちもわからないでもないがね」
「……自分にはそのような『気持ち』などはありませぬ。まして『命とは何か』という答えを持っているはずもないでしょう」
ふん、忠義者の君がそのように私を憎憎しく思う気持ちもわからないでもないがね」
「……自分にはそのような『気持ち』などはありませぬ。まして『命とは何か』という答えを持っているはずもないでしょう」
ふむ、とワルドは頷いた。目の前に立っているボーウッドの右目は通常の二三倍にまで膨れ上がり、ぎょろぎょろとあてどなく蠢いている。
なるほど、もはやそれは「ヘンリ・ボーウッド」という人間でさえないとも言えるだろう。
なるほど、もはやそれは「ヘンリ・ボーウッド」という人間でさえないとも言えるだろう。
(惨めなものだ)
ワルドは心の中で吐き捨てた。所詮目の前にあるのは、ボーウッドの死体に婢妖が取り付いた人形にすぎない。
(この『艦』に乗っていて気に食わないことは三つ……一つは『あやかし』の奥から聞こえる呻き声。もう一つは死体の腐った臭いが消えない食事。
そして最後にこのおぞましい屍人形どもだ)
そして最後にこのおぞましい屍人形どもだ)
ワルドは死してなお徘徊する死体、婢妖の取り付いた人間を見るのが嫌いだった。だが、およそこの艦の中で自らの命を保っている人間といえばワルド一人である。
黙々と仕事をこなすボーウッドに向かって「命とは何か」と聞いてみたのも、なんということもない、ただ自分が生きていることを確かめたかったからに過ぎなかった。
黙々と仕事をこなすボーウッドに向かって「命とは何か」と聞いてみたのも、なんということもない、ただ自分が生きていることを確かめたかったからに過ぎなかった。
黙りこんだワルドにボーウッドが言った。
「命とは何か、でしたな」
「……そうだ、ボーウッド艦長。命とは何だね?」
「先程も申し上げたとおり、もはや死んだ身である自分には答えの分かりかねる問いです。ですが、子爵。あなたのお答えならばぜひ聞かせていただきたいものですな」
「『隊長』だ。二度言わせるな」
「これは失礼」
「……そうだ、ボーウッド艦長。命とは何だね?」
「先程も申し上げたとおり、もはや死んだ身である自分には答えの分かりかねる問いです。ですが、子爵。あなたのお答えならばぜひ聞かせていただきたいものですな」
「『隊長』だ。二度言わせるな」
「これは失礼」
澄ました表情のボーウッドに、ち、とワルドは舌打ちした。
嫌な男だ。生きているときは立派な軍人だっただろうが、ただの死体と成り果ててもその忠義をちらつかせる。
そのことが無性にワルドを苛立たせた。上手い言葉を捜すものの、どうにも言葉が見つからないので、ワルドは投げやりに答えた。
嫌な男だ。生きているときは立派な軍人だっただろうが、ただの死体と成り果ててもその忠義をちらつかせる。
そのことが無性にワルドを苛立たせた。上手い言葉を捜すものの、どうにも言葉が見つからないので、ワルドは投げやりに答えた。
「……命とは自らの力によって活動することだ。君のように婢妖などの力を借りずともな」
「なるほど」
「なるほど」
ボーウッドはあまりに平凡なワルドの答えに失望し――もっともまだ彼に『失望する』という心の働きがあったとしての話だが――そうそっけなく言った。
だが、ふと自分の足元を見つめ、ぼんやりと思考をめぐらす。もしも、ワルドの言うように生命が自らの力によって活動することであるのなら――
だが、ふと自分の足元を見つめ、ぼんやりと思考をめぐらす。もしも、ワルドの言うように生命が自らの力によって活動することであるのなら――
(この艦もまた生きていることになるのだろうか……?)
ボーウッドの呟きに応えるように、巨大戦艦『あやかし』はびくりと脈動した。
そろそろ降下地点が近いのだ。
そろそろ降下地点が近いのだ。
「結界を解く頃合でしょうかな」
「うむ」
「うむ」
ワルドは汚いものを見るように下に眼を向ける。『あやかし』が姿を現すとき、この大地は恐怖と混乱に染まることだろう。
そして、その恐怖こそが、はるか東方に封印された『白面の御方』の力となるのだ。
そして、その恐怖こそが、はるか東方に封印された『白面の御方』の力となるのだ。
「この大陸を這いずる人間どもも、所詮はかりそめの命でしかない。力を持つものだけが自らの力で生きることが出来るのだよ。
私はずっとそうやって一人で生き抜いてきた……これから、この地に蠢く屑どもに本当の死を与えてやろうじゃないか、艦長!」
「興味がありませんな」
「くっくっく……そう、それでいい。死人は興味など持たないことだ」
私はずっとそうやって一人で生き抜いてきた……これから、この地に蠢く屑どもに本当の死を与えてやろうじゃないか、艦長!」
「興味がありませんな」
「くっくっく……そう、それでいい。死人は興味など持たないことだ」
ワルドは笑った。無表情のボーウッドは手早く部下達に指示を飛ばし始める。
やがて……タルブの村にほど近い港町ラ・ロシェールの空がめりめりと裂け、その空隙からおぞましくも巨大な戦艦がゆっくりと姿を現していった。
トリステイン魔法学院の尖塔の一つにある幽閉部屋には、一人の少女が閉じこめられていた。
扉にはまった鉄格子を握り、その少女ルイズは声を嗄らして叫ぶ。
扉にはまった鉄格子を握り、その少女ルイズは声を嗄らして叫ぶ。
「姫殿下、ここから出して下さい! 私は狂ってなんかいませんッ!! 本当です!」
半狂乱になって叫ぶ少女の姿に、扉の向うに立つアンリエッタ王女は表情を曇らせる。あの悪魔の洗脳は恐ろしく強力なものであるようだ。
ひょっとしたら先住魔法の一種なのかもしれない。ルイズにかけられた暗示は容易なことでは解けないだろう。
ひょっとしたら先住魔法の一種なのかもしれない。ルイズにかけられた暗示は容易なことでは解けないだろう。
(ああ、かわいそうなルイズ・フランソワーズ……!)
アンリエッタは鉄格子にそっと手を伸ばす。はっと護衛の魔法衛士が体をこわばらせるが無言でそれを牽制する。
「姫……殿下……?」
幼いころからの親友は怪訝な表情を浮かべてアンリエッタを見る。こみ上げる悲しさに、そっとアンリエッタは目頭を拭った。
そして、鉄格子を握り締めたルイズの手に、やさしく自分の手を重ねた。
そして、鉄格子を握り締めたルイズの手に、やさしく自分の手を重ねた。
「私は……私、狂ってなんか――」
泣き出しそうな顔で呟くルイズに、アンリエッタは微かに笑みを浮かべて頷いた。
ルイズの表情が微かに明るくなる。だが――
ルイズの表情が微かに明るくなる。だが――
「ええ。大丈夫よ、ルイズ・フランソワーズ。あなたが悪いんじゃないわ。すべては――あの悪魔の仕業。
あの悪魔があなたの心を操って、ウェールズ様を暗殺した。そうでしょう? 大丈夫、すぐに殺してあげますから――」
あの悪魔があなたの心を操って、ウェールズ様を暗殺した。そうでしょう? 大丈夫、すぐに殺してあげますから――」
アンリエッタの言葉に、ルイズの顔は一気に強張った。
慌てて鉄格子に頭をぶつけるようにして身を乗り出すが、アンリエッタは既に身を翻し、護衛の兵士と共に階段を下りていくところだった。
慌てて鉄格子に頭をぶつけるようにして身を乗り出すが、アンリエッタは既に身を翻し、護衛の兵士と共に階段を下りていくところだった。
「ひ、姫様ッ――お待ちください! 違う、とらは悪魔なんかじゃありませんッ――!!」
ルイズの叫びはむなしく階段に響いた。ガクガクと足から力が抜けて、ルイズは扉の前にへたり込む。
頭が真っ白になったまま、ルイズはぶるぶると震えだした。
頭が真っ白になったまま、ルイズはぶるぶると震えだした。
誰もとらを知らない。
誰もがあの金色の幻獣を『悪魔』と呼ぶ。
まるで――狂っているのはルイズのほうであるかのように。
誰もがあの金色の幻獣を『悪魔』と呼ぶ。
まるで――狂っているのはルイズのほうであるかのように。
(嘘、嘘、嘘よ! とらは私の使い魔で、金色の大きくて美しい幻獣で絶対に悪魔なんかじゃない! 私は……私は狂ってなんかいないわ!)
だが――トリステイン魔法学院の落ちこぼれであった自分が、本当にそんな使い魔を呼び出せるのか?
強力で美しい使い魔。それは長年のルイズの夢だった。魔法を使えない自分を守り、助けてくれる美しい使い魔。
強力で美しい使い魔。それは長年のルイズの夢だった。魔法を使えない自分を守り、助けてくれる美しい使い魔。
(違う! とらは幻影なんかじゃない! わ、わたしがこの手で召喚したんだわ! みんなちゃんと見てるはず、コルベール先生だって――)
ルイズははっと気がついて、勢い込んで立ち上がった。そして、口早に扉の外に立つ衛士に言った。
「ちょっと! ミスタ・コルベールを呼んで! 先生なら私の潔白を証明できるわ!」
衛士はちょっと怪訝にルイズを見た。だがすぐに首を振る。
「……ミス・ヴァリエール、自分は持ち場を離れることはできません。格子からお手をお放しください」
「そ、そんな――」
「お手をお放しください。場合によっては、あなたを拘束することが必要になりかねません」
「そ、そんな――」
「お手をお放しください。場合によっては、あなたを拘束することが必要になりかねません」
でも――と食い下がろうとしたルイズに、衛士がさっと杖を抜いたその時――
「その必要はない。私の生徒に向けた杖をおろしなさい」
「コルベール先生!」
「コルベール先生!」
ゆっくりと階段を上って、ミスタ・コルベールが姿を現した。
衛士は油断なく杖をコルベールに向けるが、コルベールは自分に向けられた杖については一向に構うことなく、ルイズの元に近づいた。
衛士は油断なく杖をコルベールに向けるが、コルベールは自分に向けられた杖については一向に構うことなく、ルイズの元に近づいた。
「大変なことに巻き込まれてしまいましたね、ミス・ヴァリエール。
ですが、もう安心してください。すぐにここから出られるようにしますから……」
「先生……!」
ですが、もう安心してください。すぐにここから出られるようにしますから……」
「先生……!」
ほっと笑みを浮かべるルイズの目には、安心からか涙の粒が浮かんだ。
よかった、先生は分かってくれた。あたりまえだわ、先生はとらのことを熱心に研究してたくらいだもの。
よかった、先生は分かってくれた。あたりまえだわ、先生はとらのことを熱心に研究してたくらいだもの。
そんなルイズをじっと見つめていたコルベールの表情に、ゆっくりと深い苦悩の表情が浮かんだ。
その表情にルイズが気がついたときには、ミスタ・コルベールは深々と頭を下げていた。
その表情にルイズが気がついたときには、ミスタ・コルベールは深々と頭を下げていた。
「すまなかった、ミス・ヴァリエール……こうなったのも、元はといえば私の責任だ……!」
「な、何を言っているんです、先生――」
「な、何を言っているんです、先生――」
戸惑うルイズの耳に、信じられないコルベールの言葉が飛び込んだ。
「あの悪魔を召喚の儀式の場で殺せなかったことは、私の失態です……! つらい思いをさせてしまい本当に済まない。
だから――これは私の最後の義務なのです、ミス・ヴァリエール」
だから――これは私の最後の義務なのです、ミス・ヴァリエール」
「何を……言ってるんですか、コルベール先生ッ――!」
コルベールは顔を上げた。その表情に浮かんでいるのは、紛れもない決意と殺意であった。
コルベールは一言一言かみ締めるように言った。
コルベールは一言一言かみ締めるように言った。
「ミス・ヴァリエール……あなたの、使い魔を、殺します」
つづく