食堂は空席も目立つものの随分と賑わっていた。遅かったのか、既にデザートも配られている。
ルイズは席に座ると、いつもどおりの始祖に対するお祈りを捧げていた。
床には粗末な食事が置いてあるので、霧亥は空いてる椅子に座り、それを食べだす。
「あ、こら。ちゃんとお祈りしなさいよ」
「余っている食料は無いのか」
「そりゃ厨房に行けば残飯くらいあるだろうけど……ほ、ほらっ、少しなら私のをあげるわ。感謝なさい」
「……。」
ルイズはあれこれ言い訳をして自分の行動を正当化しているが、霧亥は別にどうでもよかった。
近くのテーブルに集まった男子たちは、何やら話に華を咲かせている。
大げさなリアクションを取る生徒。そして、その拍子に小瓶が床に転がった。
そのまま食事を終えるが誰も小瓶の存在には気がついていない。
男子生徒たちは場所を移すのか立ち去ろうとしたので、霧亥は少し考えてビンを拾う。
「おい、落としたぞ」
ギーシュと呼ばれた、落とし主の生徒に呼びかける。
「うん?何だ君は――それは僕のじゃない。近くの給仕に渡したまえ」
「お前が落としたのを見ていた」
その言葉を聴いてギーシュの友人たちが騒ぎ出す。彼らにとって、ビンの中身の製作者が重要なようだ。
事態は次々に進行していく。まず少女にギーシュが叩かれ、別の少女にギーシュが叩かれた。
霧亥は席に戻ってルイズに情報収集の許可を貰うか学校を探索するのか、どちらがいいかを考えていた。
「待ちたまえ、君のせいで2人の名誉が傷ついた。どうしてくれるんだね?」
呼び止められる霧亥。振り返ると、大仰なリアクションで霧亥に対して文句をつけてくる。
「俺には関係のないことだ」
そうだそうだと野次が飛び、ギーシュの立場はどんどん悪くなっていった。
「話を合わせるくらいの機転はきかせてもよいだろう?」
「もう手遅れだ」
「……ほう、どうやら貴族を馬鹿にしているのかね?よろしい。では教育してやる!」
事態は次々に進行していた。
ギーシュは霧亥を突き飛ばして指をさしながら、ヴェストリの広場に来いと告げて立ち去っていった。
その次に話を聞きつけていたシエスタが飛んできて、今すぐ謝罪すべきだと勧告してきた。
遅れてルイズがやってきて、メイジにかなうわけが無いから謝罪しなさいと命令してきた。
探索をしていると、少なくない割合でこういったトラブルに巻きこまれる事がある。
なぜなら小規模な人間の集落は閉鎖的であり、余所者は統治局や珪素生物と同じように見られるからだ。
助けがもらえるよりもほんの少し、銃で撃たれたり襲い掛かられることがあった。
そういうときに解決するプロセスには、プログラム言語、現地の言葉、そして肉体言語が必要だった。
「ヴェストリ広場に行く」
「あっちだぜ、平民」
ギーシュの友人が顎で教えてくれる方向に、止める2人に構わず霧亥は歩き出した。
どう立ち振る舞うにせよ、戦闘は十分に想定されていた。想定される。可能性がある。
こういう文字が網膜に映るということは、つまり確実に発生する事を指している。
違いは遅いか早いか。それだけだった。
ヴェストリ広場は薄暗い場所だった。空が青い事を覗けば、どこか超構造体に似ている部分もある。
2つの塔の狭間であり、中庭にあたる。普段は人を寄せ付けないことは容易に想像できた。
巨大な建築物には、それのみが持つ独特の空気のようなものがあるのだ。
「諸君!決闘だ!」
ギーシュが造花で出来た薔薇を掲げると、歓声があがる。
人が寄り付かないであろう広場は今、噂を聞きつけた生徒で溢れかえっていた。
「逃げなかった事だけは褒めてやろうじゃないか」
「さっさとしろ」
「クッ……いいだろう。では始めよう」
距離は13メートル。1歩を踏み出す霧亥に対してギーシュは薔薇の花を振って応える。
花びらが一枚宙に舞ったかと思うと、いきなり甲冑を着た女剣士の姿になった。
「!」
慌てて腰に手を当て銃器を探すが一つも無い。視界には『武装消失』のメッセージ。
構造を解析したところ、銅と錫の合金で形成されている。動作箇所は人体に酷似。
しかし分類には『ERROR』が表示されている。
「驚いたかい?僕はメイジだ。だから魔法で戦う。何の文句もあるまい?」
「造換塔も無しに生成できるのか」
「何だそれは?フフ…言い忘れたが、僕は『青銅のギーシュ』と呼ばれている。君の相手はその青銅のワルキューレさ」
そのワルキューレが霧亥に突進してきた。右の拳で容赦なく霧亥の腹部を殴りつけ、続いて左の拳で頭部を狙う。
だが霧亥は両手でワルキューレの右の拳を掴むと、そのまま捻りあげて銃身を崩してから、投げた。
「なッ!」
周囲にどよめきが走る。だが、霧亥はその程度の反撃では終わらない。
そのまま顔面を何度も何度も何度も何度も殴り、地面に少しめり込んで動きが鈍ったのを確認すると、ワルキューレの腕を曲げた。
「何だお前は!」
ギーシュは後退しながら慌てて薔薇を振り、さらに6体のゴーレムを形成。
そのまま数で制圧しようとするが、霧亥は動じることもなくワルキューレの腕を引きちぎる。
その腕を振り回して正面のワルキューレの頭部を破壊。同時にちぎった腕もくの字に曲がったので放棄する。
別のワルキューレが迫ってくるが、2、3度殴られた後に地面を転がって回避して、そのままギーシュに駆け出した。
あとは思い切り殴りつけるだけで戦闘不能にできるだろう。
「く、来るな!」
恐怖に顔をゆがませるギーシュとは裏腹に、霧亥の顔には何の感情も無かった。
彼にとっては『司令塔』を潰し、まだ動くようならワルキューレと戦うだけであった。
ただ敵性存在に対して淡々と処理を行う。ただそれだけのことなのだ。
ギーシュの胸倉を掴み、そのまま地面に背中から落とす。
あとはワルキューレと同じ処理を行う。
「そこまでよ!霧亥、やめなさい!」
「これは決闘だ」
握り締めて引いた左の拳を突き出す0.3秒前に停止命令が下る。
霧亥は自分の網膜の表示『enable/disable -ERROR-』を疑った。
「制御を奪われた?」
主導権を取り戻すべくノイズの発生源を捜査すると、ノイズは左手から発生していた。
『禁圧』『新規デバイス』の表示を確認して霧亥は驚愕していた。
そんなものがあるはずがないのだ。ここの技術が追いつくまでには途方も無い時間がかかるだろう。
今まで認識されなかった部分も納得がいかない。拘束させるタイプなら全身を動かせなくする筈だ。
「戦闘用追加演算ユニット…ライブラリ…不測エネルギー生成機能…なんだこれは」
『認識完了』という表示と共に左腕から拳にかけてほんの僅かに、帯電するようなエネルギーが発生していた。
霧亥は、臨時セーフガードの男が使用した内部電源の放射攻撃を思い出す。
「霧亥!もういい!ギーシュ、貴方も降参して!」
「わ、わかった……僕の負けだ……」
どよめき。そして霧亥の勝利を、見物客の一人が大声で叫ぶと、それは歓声と拍手に変わった。
霧亥はそれを認識すると、立ち上がり自分の手のひらを眺める。
デバイス認識前の状況と今の状況を比較しても、システムや心理の表層に問題は発生していないようだった。
だが念のために深層も確認する必要がある。そう判断した霧亥は自らの機能の大半を一時停止させ、診断と調整に入る。
そのまま地面に横たわり、125秒間、全身の98.4%のデバイスを停止した。
「ちょ、ちょっと霧亥大丈夫?ねえ!霧、亥……寝ちゃってる…」
「ルイズ。彼は何者なんだい?まさか僕のワルキューレがあんなになるなんて…」
「わかんないのよ、私も。ただ遠くから来たことぐらいしか知らないの」
「ただの平民に僕のゴーレムを倒せるとは思わない。それに、最後のアレは……」
「何かあったの?」
「いや…なんでもない。勝者は丁重に運ばなければならないね。誰か、手を貸してくれ!」
気絶したのだろうと思った生徒の誰かが、霧亥に『レビテーション』をかけてくれる。
「使い魔のくせに勝手なことしないでよね…心配したんだから…」
聞こえてないのをいいことに、そんなことを言ってみる。ルイズは少しだけ楽になれた。
一方、広場に残されたギーシュは霧亥への認識を改め、それを見抜けない自分を恥じた。
「(彼の左手に見えたあれは何だったんだろうか?先住魔法?それとも、幻かい?」
野次馬に混じり決闘を眺めていたキュルケはうっとりと霧亥を眺めていた。
隣にいる青い髪の少女はキュルケとは別の観点で本を読まずに霧亥の事を見つめていた。
3人は同じ事を考えている。
つまり、『彼は何者なのか?』ということだ。
霧亥の勝利は学院に住む多くの平民にやメイジに少なからず影響を与えた。
羨望であり、感動であり、希望であり、恐怖であった。
それはちょっとしたウィルスのように皆の心の中に増殖していった。
だが、それが表面に現れることの無い、あくまでも水面下での変化である。
よって本人たちにはさしあたって変化は無い。せいぜい晩の食事が増えたくらいである。
翌朝、霧亥はトリスティンの施設の探索と図書館の利用を許可されていた。
ルイズはいくらか文句を言ってきたが、文字が読めないことを告げると同情的な反応で許可をくれた。
ある程度の把握が完了すると図書室へ向かい、幾つかの文字を眺めてみる。
「言語の種類が全く異なる。意味が理解できない」
かつて自分が持っていた古いハードコピーを思い出す。あれは読むことが出来た。
今となっては永久に自分の手元に戻るわけでは無い。ただ霧亥には本に関して一つだけ鮮明な記憶がある。
『冷たく静かな大地が明るくなる頃、人影は丘の上に登った』『大地って何だ』
答えは、見つかるのだろうか。
結論から言えば、答えどころか管理者すら見つからなかった。
人影は2、3見当たるが、めいめいが自分の読みたいであろう本を手にとって没頭している。
ルイズからは勝手に持ち出すな、と注意を受けている。つまり一度戻る必要が発生していた。
「どうしたの」
振り返ると近くの青い髪をした少女が立っていた。
「ここの管理者を探している。ハードコピーについて聞きたいことがある」
「今はいない。戻るには時間がかかる」
しかたない、と判断して霧亥は踵をかえした。だが後ろから呼び止められる。
「何を探しているの?」
「文字が判読できない。ここの言語の基本的な読み方を記したものが必要だ」
「待ってて」
「これは何だ」
「クマ」
「これは何て書いてある」
「『おさるさんは、ヤギさんのかたきをうつことにしました』」
「もっと情報量の多いものは無いか」
「単語ごとに詳細が記されているのはこれ。文法については、これ」
無言で本を受け取る霧亥。どうしたことか目の前の少女から文字を教わっていた。
霧亥はパターンを見つけ出しては解析し、照合し、何度か適用しては認識率を上げていった。
あと、約43000秒もあれば簡単な文字を読み、書くことが出来るようになるだろう。
自分の中で進歩率を概算してから、青色の髪を持つ少女が部屋に戻るまで作業を続けた。
「私は戻る」
「助かるよ。だが今の俺は何も持っていない」
「構わない」
少女が部屋の外に出ると「あらタバサ、今日もここにいたの?」という声が聞こえてきた。
霧亥は本を元の位置に戻し、最後に『タバサ』という固有名詞を覚えて図書室を後にした。
ルイズに成果を報告すると色々と複雑な表情をしていた。
「ううーん……………決めた。霧亥、明日は街まで出かけるから、私と一緒に来なさい」
「街?別の集落があるのか?」
「集落じゃなくて、街は街。国の中に町や村みたいな集落があって、その中に家があるのよ。そういう意味でここは例外ね」
「そこまでの文明があるのか」
「ハァ。ホントに変なところから来たのね。今更だけど、何か呆れちゃうわね。」
「……。」
「え、あっ、そうよ!そうだわ!あ、貴方が変なことを喋って恥をかかないように、わた、私が常識を教えてあげる!」
「いや、それならこの文字の…」
「ほ、ほらっ!さっさと座る!」
「…………。」
恐らくは主観の多分に入った常識は覚えたが、なぜルイズの調子が変なのかは結局判らなかった。
ルイズは席に座ると、いつもどおりの始祖に対するお祈りを捧げていた。
床には粗末な食事が置いてあるので、霧亥は空いてる椅子に座り、それを食べだす。
「あ、こら。ちゃんとお祈りしなさいよ」
「余っている食料は無いのか」
「そりゃ厨房に行けば残飯くらいあるだろうけど……ほ、ほらっ、少しなら私のをあげるわ。感謝なさい」
「……。」
ルイズはあれこれ言い訳をして自分の行動を正当化しているが、霧亥は別にどうでもよかった。
近くのテーブルに集まった男子たちは、何やら話に華を咲かせている。
大げさなリアクションを取る生徒。そして、その拍子に小瓶が床に転がった。
そのまま食事を終えるが誰も小瓶の存在には気がついていない。
男子生徒たちは場所を移すのか立ち去ろうとしたので、霧亥は少し考えてビンを拾う。
「おい、落としたぞ」
ギーシュと呼ばれた、落とし主の生徒に呼びかける。
「うん?何だ君は――それは僕のじゃない。近くの給仕に渡したまえ」
「お前が落としたのを見ていた」
その言葉を聴いてギーシュの友人たちが騒ぎ出す。彼らにとって、ビンの中身の製作者が重要なようだ。
事態は次々に進行していく。まず少女にギーシュが叩かれ、別の少女にギーシュが叩かれた。
霧亥は席に戻ってルイズに情報収集の許可を貰うか学校を探索するのか、どちらがいいかを考えていた。
「待ちたまえ、君のせいで2人の名誉が傷ついた。どうしてくれるんだね?」
呼び止められる霧亥。振り返ると、大仰なリアクションで霧亥に対して文句をつけてくる。
「俺には関係のないことだ」
そうだそうだと野次が飛び、ギーシュの立場はどんどん悪くなっていった。
「話を合わせるくらいの機転はきかせてもよいだろう?」
「もう手遅れだ」
「……ほう、どうやら貴族を馬鹿にしているのかね?よろしい。では教育してやる!」
事態は次々に進行していた。
ギーシュは霧亥を突き飛ばして指をさしながら、ヴェストリの広場に来いと告げて立ち去っていった。
その次に話を聞きつけていたシエスタが飛んできて、今すぐ謝罪すべきだと勧告してきた。
遅れてルイズがやってきて、メイジにかなうわけが無いから謝罪しなさいと命令してきた。
探索をしていると、少なくない割合でこういったトラブルに巻きこまれる事がある。
なぜなら小規模な人間の集落は閉鎖的であり、余所者は統治局や珪素生物と同じように見られるからだ。
助けがもらえるよりもほんの少し、銃で撃たれたり襲い掛かられることがあった。
そういうときに解決するプロセスには、プログラム言語、現地の言葉、そして肉体言語が必要だった。
「ヴェストリ広場に行く」
「あっちだぜ、平民」
ギーシュの友人が顎で教えてくれる方向に、止める2人に構わず霧亥は歩き出した。
どう立ち振る舞うにせよ、戦闘は十分に想定されていた。想定される。可能性がある。
こういう文字が網膜に映るということは、つまり確実に発生する事を指している。
違いは遅いか早いか。それだけだった。
ヴェストリ広場は薄暗い場所だった。空が青い事を覗けば、どこか超構造体に似ている部分もある。
2つの塔の狭間であり、中庭にあたる。普段は人を寄せ付けないことは容易に想像できた。
巨大な建築物には、それのみが持つ独特の空気のようなものがあるのだ。
「諸君!決闘だ!」
ギーシュが造花で出来た薔薇を掲げると、歓声があがる。
人が寄り付かないであろう広場は今、噂を聞きつけた生徒で溢れかえっていた。
「逃げなかった事だけは褒めてやろうじゃないか」
「さっさとしろ」
「クッ……いいだろう。では始めよう」
距離は13メートル。1歩を踏み出す霧亥に対してギーシュは薔薇の花を振って応える。
花びらが一枚宙に舞ったかと思うと、いきなり甲冑を着た女剣士の姿になった。
「!」
慌てて腰に手を当て銃器を探すが一つも無い。視界には『武装消失』のメッセージ。
構造を解析したところ、銅と錫の合金で形成されている。動作箇所は人体に酷似。
しかし分類には『ERROR』が表示されている。
「驚いたかい?僕はメイジだ。だから魔法で戦う。何の文句もあるまい?」
「造換塔も無しに生成できるのか」
「何だそれは?フフ…言い忘れたが、僕は『青銅のギーシュ』と呼ばれている。君の相手はその青銅のワルキューレさ」
そのワルキューレが霧亥に突進してきた。右の拳で容赦なく霧亥の腹部を殴りつけ、続いて左の拳で頭部を狙う。
だが霧亥は両手でワルキューレの右の拳を掴むと、そのまま捻りあげて銃身を崩してから、投げた。
「なッ!」
周囲にどよめきが走る。だが、霧亥はその程度の反撃では終わらない。
そのまま顔面を何度も何度も何度も何度も殴り、地面に少しめり込んで動きが鈍ったのを確認すると、ワルキューレの腕を曲げた。
「何だお前は!」
ギーシュは後退しながら慌てて薔薇を振り、さらに6体のゴーレムを形成。
そのまま数で制圧しようとするが、霧亥は動じることもなくワルキューレの腕を引きちぎる。
その腕を振り回して正面のワルキューレの頭部を破壊。同時にちぎった腕もくの字に曲がったので放棄する。
別のワルキューレが迫ってくるが、2、3度殴られた後に地面を転がって回避して、そのままギーシュに駆け出した。
あとは思い切り殴りつけるだけで戦闘不能にできるだろう。
「く、来るな!」
恐怖に顔をゆがませるギーシュとは裏腹に、霧亥の顔には何の感情も無かった。
彼にとっては『司令塔』を潰し、まだ動くようならワルキューレと戦うだけであった。
ただ敵性存在に対して淡々と処理を行う。ただそれだけのことなのだ。
ギーシュの胸倉を掴み、そのまま地面に背中から落とす。
あとはワルキューレと同じ処理を行う。
「そこまでよ!霧亥、やめなさい!」
「これは決闘だ」
握り締めて引いた左の拳を突き出す0.3秒前に停止命令が下る。
霧亥は自分の網膜の表示『enable/disable -ERROR-』を疑った。
「制御を奪われた?」
主導権を取り戻すべくノイズの発生源を捜査すると、ノイズは左手から発生していた。
『禁圧』『新規デバイス』の表示を確認して霧亥は驚愕していた。
そんなものがあるはずがないのだ。ここの技術が追いつくまでには途方も無い時間がかかるだろう。
今まで認識されなかった部分も納得がいかない。拘束させるタイプなら全身を動かせなくする筈だ。
「戦闘用追加演算ユニット…ライブラリ…不測エネルギー生成機能…なんだこれは」
『認識完了』という表示と共に左腕から拳にかけてほんの僅かに、帯電するようなエネルギーが発生していた。
霧亥は、臨時セーフガードの男が使用した内部電源の放射攻撃を思い出す。
「霧亥!もういい!ギーシュ、貴方も降参して!」
「わ、わかった……僕の負けだ……」
どよめき。そして霧亥の勝利を、見物客の一人が大声で叫ぶと、それは歓声と拍手に変わった。
霧亥はそれを認識すると、立ち上がり自分の手のひらを眺める。
デバイス認識前の状況と今の状況を比較しても、システムや心理の表層に問題は発生していないようだった。
だが念のために深層も確認する必要がある。そう判断した霧亥は自らの機能の大半を一時停止させ、診断と調整に入る。
そのまま地面に横たわり、125秒間、全身の98.4%のデバイスを停止した。
「ちょ、ちょっと霧亥大丈夫?ねえ!霧、亥……寝ちゃってる…」
「ルイズ。彼は何者なんだい?まさか僕のワルキューレがあんなになるなんて…」
「わかんないのよ、私も。ただ遠くから来たことぐらいしか知らないの」
「ただの平民に僕のゴーレムを倒せるとは思わない。それに、最後のアレは……」
「何かあったの?」
「いや…なんでもない。勝者は丁重に運ばなければならないね。誰か、手を貸してくれ!」
気絶したのだろうと思った生徒の誰かが、霧亥に『レビテーション』をかけてくれる。
「使い魔のくせに勝手なことしないでよね…心配したんだから…」
聞こえてないのをいいことに、そんなことを言ってみる。ルイズは少しだけ楽になれた。
一方、広場に残されたギーシュは霧亥への認識を改め、それを見抜けない自分を恥じた。
「(彼の左手に見えたあれは何だったんだろうか?先住魔法?それとも、幻かい?」
野次馬に混じり決闘を眺めていたキュルケはうっとりと霧亥を眺めていた。
隣にいる青い髪の少女はキュルケとは別の観点で本を読まずに霧亥の事を見つめていた。
3人は同じ事を考えている。
つまり、『彼は何者なのか?』ということだ。
霧亥の勝利は学院に住む多くの平民にやメイジに少なからず影響を与えた。
羨望であり、感動であり、希望であり、恐怖であった。
それはちょっとしたウィルスのように皆の心の中に増殖していった。
だが、それが表面に現れることの無い、あくまでも水面下での変化である。
よって本人たちにはさしあたって変化は無い。せいぜい晩の食事が増えたくらいである。
翌朝、霧亥はトリスティンの施設の探索と図書館の利用を許可されていた。
ルイズはいくらか文句を言ってきたが、文字が読めないことを告げると同情的な反応で許可をくれた。
ある程度の把握が完了すると図書室へ向かい、幾つかの文字を眺めてみる。
「言語の種類が全く異なる。意味が理解できない」
かつて自分が持っていた古いハードコピーを思い出す。あれは読むことが出来た。
今となっては永久に自分の手元に戻るわけでは無い。ただ霧亥には本に関して一つだけ鮮明な記憶がある。
『冷たく静かな大地が明るくなる頃、人影は丘の上に登った』『大地って何だ』
答えは、見つかるのだろうか。
結論から言えば、答えどころか管理者すら見つからなかった。
人影は2、3見当たるが、めいめいが自分の読みたいであろう本を手にとって没頭している。
ルイズからは勝手に持ち出すな、と注意を受けている。つまり一度戻る必要が発生していた。
「どうしたの」
振り返ると近くの青い髪をした少女が立っていた。
「ここの管理者を探している。ハードコピーについて聞きたいことがある」
「今はいない。戻るには時間がかかる」
しかたない、と判断して霧亥は踵をかえした。だが後ろから呼び止められる。
「何を探しているの?」
「文字が判読できない。ここの言語の基本的な読み方を記したものが必要だ」
「待ってて」
「これは何だ」
「クマ」
「これは何て書いてある」
「『おさるさんは、ヤギさんのかたきをうつことにしました』」
「もっと情報量の多いものは無いか」
「単語ごとに詳細が記されているのはこれ。文法については、これ」
無言で本を受け取る霧亥。どうしたことか目の前の少女から文字を教わっていた。
霧亥はパターンを見つけ出しては解析し、照合し、何度か適用しては認識率を上げていった。
あと、約43000秒もあれば簡単な文字を読み、書くことが出来るようになるだろう。
自分の中で進歩率を概算してから、青色の髪を持つ少女が部屋に戻るまで作業を続けた。
「私は戻る」
「助かるよ。だが今の俺は何も持っていない」
「構わない」
少女が部屋の外に出ると「あらタバサ、今日もここにいたの?」という声が聞こえてきた。
霧亥は本を元の位置に戻し、最後に『タバサ』という固有名詞を覚えて図書室を後にした。
ルイズに成果を報告すると色々と複雑な表情をしていた。
「ううーん……………決めた。霧亥、明日は街まで出かけるから、私と一緒に来なさい」
「街?別の集落があるのか?」
「集落じゃなくて、街は街。国の中に町や村みたいな集落があって、その中に家があるのよ。そういう意味でここは例外ね」
「そこまでの文明があるのか」
「ハァ。ホントに変なところから来たのね。今更だけど、何か呆れちゃうわね。」
「……。」
「え、あっ、そうよ!そうだわ!あ、貴方が変なことを喋って恥をかかないように、わた、私が常識を教えてあげる!」
「いや、それならこの文字の…」
「ほ、ほらっ!さっさと座る!」
「…………。」
恐らくは主観の多分に入った常識は覚えたが、なぜルイズの調子が変なのかは結局判らなかった。