トリステイン魔法学院教師、炎蛇のコルベールは目の前の男を見つめた。
ルイズ・ド・ラ・ヴァリエールが『サモン・サーヴァント』の魔法で呼び出した一人と一匹の片割れである。
目を覚ましたとの侍女の報にルイズを連れて駆けつけてみれば、いきなり踵を鳴らして口を開く男がいた。
しかしながら彼の言葉は今までに聞いた事もない響きであった。
それに驚きはしたが、今コルベールのすべきことは明白だった。
コルベールもかつては軍人であり、目の前の男も制服やその態度からすれば軍人であろう。記憶にない動作ではあるが、軍人がそれをする以上はそれは敬礼である筈だ。ならばそれに答えぬのは非礼に他ならない。
「トリステイン魔法学院教師、“炎蛇”のコルベールです」
返礼するコルベールに、新城は内心で胸を撫で下ろした。
相変わらず言葉は解らないが、目の前の男が礼儀を知る人物であることは間違いない。
ならば捕虜である自分に対して非道な行いをされることもないだろう。
「え、えっと、トリステイン魔法学院二年生、ルイズ・ド・ラ・ヴァリエールです」
「魔法学院侍女……ええと、侍女でいいんですか? シエスタです」
ぎごちない手つきで敬礼の真似をして口々に言う二人の少女を見やり、新城は一瞬だけ唇を歪めた。
子供が軍人の真似事をするべきではない、と新城は常々思っていた。
なぜなら軍人とは人殺しの同義語であるからだ。
だがここでは、自分の敬礼に対して返礼を返してくれたその思いを尊重すべきであろう。
一度咳払いをし、真面目な顔を作ると少女たちに頷いてみせる。
その様子を見ながら、コルベールは新城の危険度に対する評価を一段階下げた。軍隊の礼儀を知り、子供にすら礼を尽くすことを知る軍人ならば、無軌道に暴れることもないだろう。上官からの命令である場合を除いて、だが。
「申し訳ないが、ここはどこだろうか。そして、僕の剣牙虎はどうなったかご存知ならば教えて欲しいのだが」
同じ内容を新城は<帝国>語と<皇国>語で繰り返すが、やはりコルベールもルイズも首を傾げるばかりである。
もしや自分の<帝国>語がおかしいのかとは思うが、それでは彼らの言葉が聞きなれない理由にはならない。
しばし考えると、一つづつ疑問を解決していくことにした。
両の拳を握ると自分の上唇に当て、上下に動かす。つまりは剣牙虎の牙を模した形である。
どうやらこれは通じたようで、ルイズがぱっと顔を綻ばせると新城の手を取って引っ張った。
剣牙虎の元へ連れて行ってくれるつもりなのだろう。ならばそれを拒む理由は無い。
医務室のある水の塔から、使い魔たちの厩舎のある学生寮へと向かう。
その途中、何気なく空を見た新城は驚きに目を見開いた。
「光帯がない、だと?」
そこには慣れ親しんだ夜空を分割する光の環はなく、代わりと言うように二つの月が浮いていた。
「これはどういうことだ、あれはなんだ?」
手を取るルイズに尋ねるが、やはり答えはない。
足を止めた新城を苛立たしげに振り返り、手を握るのを片手から両手に変えて引っ張る。
新城は逡巡したが、やがて力を抜いてルイズが導くのに任せた。
天体の異常などは後で尋ねればいい。なにしろ自分がここでやきもきしてもどうにもならぬ。
剣牙虎の元に連れて行ってくれるというならば、そちらを優先すべきだと思ったからだ。
ルイズ・ド・ラ・ヴァリエールが『サモン・サーヴァント』の魔法で呼び出した一人と一匹の片割れである。
目を覚ましたとの侍女の報にルイズを連れて駆けつけてみれば、いきなり踵を鳴らして口を開く男がいた。
しかしながら彼の言葉は今までに聞いた事もない響きであった。
それに驚きはしたが、今コルベールのすべきことは明白だった。
コルベールもかつては軍人であり、目の前の男も制服やその態度からすれば軍人であろう。記憶にない動作ではあるが、軍人がそれをする以上はそれは敬礼である筈だ。ならばそれに答えぬのは非礼に他ならない。
「トリステイン魔法学院教師、“炎蛇”のコルベールです」
返礼するコルベールに、新城は内心で胸を撫で下ろした。
相変わらず言葉は解らないが、目の前の男が礼儀を知る人物であることは間違いない。
ならば捕虜である自分に対して非道な行いをされることもないだろう。
「え、えっと、トリステイン魔法学院二年生、ルイズ・ド・ラ・ヴァリエールです」
「魔法学院侍女……ええと、侍女でいいんですか? シエスタです」
ぎごちない手つきで敬礼の真似をして口々に言う二人の少女を見やり、新城は一瞬だけ唇を歪めた。
子供が軍人の真似事をするべきではない、と新城は常々思っていた。
なぜなら軍人とは人殺しの同義語であるからだ。
だがここでは、自分の敬礼に対して返礼を返してくれたその思いを尊重すべきであろう。
一度咳払いをし、真面目な顔を作ると少女たちに頷いてみせる。
その様子を見ながら、コルベールは新城の危険度に対する評価を一段階下げた。軍隊の礼儀を知り、子供にすら礼を尽くすことを知る軍人ならば、無軌道に暴れることもないだろう。上官からの命令である場合を除いて、だが。
「申し訳ないが、ここはどこだろうか。そして、僕の剣牙虎はどうなったかご存知ならば教えて欲しいのだが」
同じ内容を新城は<帝国>語と<皇国>語で繰り返すが、やはりコルベールもルイズも首を傾げるばかりである。
もしや自分の<帝国>語がおかしいのかとは思うが、それでは彼らの言葉が聞きなれない理由にはならない。
しばし考えると、一つづつ疑問を解決していくことにした。
両の拳を握ると自分の上唇に当て、上下に動かす。つまりは剣牙虎の牙を模した形である。
どうやらこれは通じたようで、ルイズがぱっと顔を綻ばせると新城の手を取って引っ張った。
剣牙虎の元へ連れて行ってくれるつもりなのだろう。ならばそれを拒む理由は無い。
医務室のある水の塔から、使い魔たちの厩舎のある学生寮へと向かう。
その途中、何気なく空を見た新城は驚きに目を見開いた。
「光帯がない、だと?」
そこには慣れ親しんだ夜空を分割する光の環はなく、代わりと言うように二つの月が浮いていた。
「これはどういうことだ、あれはなんだ?」
手を取るルイズに尋ねるが、やはり答えはない。
足を止めた新城を苛立たしげに振り返り、手を握るのを片手から両手に変えて引っ張る。
新城は逡巡したが、やがて力を抜いてルイズが導くのに任せた。
天体の異常などは後で尋ねればいい。なにしろ自分がここでやきもきしてもどうにもならぬ。
剣牙虎の元に連れて行ってくれるというならば、そちらを優先すべきだと思ったからだ。
厩舎に入ると、待ちかねたような吼え声が聞こえた。
その声に新城の頬が緩む。彼の戦友にして幼馴染みである剣牙虎、千早である。
例え幾百の剣牙虎の中にあってもその声を間違うことだけはありえない。
思わず走り出そうとする身体を、しかし腰に力を入れて止める。
将校はいかなる時もあわててはならない。そう定められているからだった。
ただし一瞬の強張りを未だ手を握ったままだったルイズから隠し通すのは無理だった。
「どうしたの?」
振り向いて尋ねるが、新城はただ首を振るだけで答えた。
あるいは傷が痛んだのかと思ったルイズだったが、新城の顔を見てそれが違うと解った。これは痛みをこらえるというより、嬉しさを抑える顔だ。つまりは、それほどあの虎が心配だったのだろう。
どうやら悪い人ではないらしい、とルイズは思った。
なにしろ言葉が通じないと解って最初に気にしたのがあの虎なのだ。
どのような関係かは知らないが、お互い大切に思っているのは間違いない。
なにやら座り心地の悪い視線から逃れるように厩舎に入った新城だが、そこにいる使い魔たちの姿を見て目を見開いた。
フクロウや蛇、カラスなどという新城にも馴染み深いモノに混じり、六本足の蜥蜴や巨大な目玉、蛸人とでも評すべき奇怪な生物たちが集められている。
「これは一体」
呆然としていたが、足は止めずに厩舎の一角を目指した。そちらから懐かしい視線を向ける剣牙虎を見つけたからだ。
その途中にあることに気がつく。ここにいる動物たちは、その殆どが一種類につき一匹ずつしかいない。もちろん数匹まとまっているものもいるがそれはむしろ少数派だ。つまりはこの動物たちは鉄虎兵隊のように軍役に使われる為に集められたのではないということだ。
それに種類にしても戦闘には役立たないものが混じっている。即戦力として使えそうなのは千早と、その横にいる翼龍くらいか。しかし待てよ、翼龍の体色はあんな青かったか?
「無事だったかい、千早」
声をかけると忠実な剣牙虎はその主人に身体をすりつけ、甘えるように二度鳴いた。その身体にも包帯が巻かれていることを見て取った新城は、それを指差して少女を見た。
「これは、きみが?」
言葉は解らぬともニュアンスは感じ取ったのだろう、ルイズが頷くと新城は彼には珍しく満面といっていい笑みを浮かべた。
「ありがとう。心から感謝する」
新城という男の顔は凶相といって差し支えない。少なくとも、女子供が好んで近づきになりたがる類の顔ではなかった。
だが意外なことに、笑みを浮かべたその顔はひどく印象が違った。奇妙な朗らかさがある。見惚れるということはないが他人、ことに部下を安心させる顔である。
「どういたしまして」
ルイズもまた微笑むと、一歩下がって新城たち主従の邪魔にならぬようにした。
それが正しいと思ったからだった。
見ればコルベールもシエスタも温かい目でこちらを見ている。
その声に新城の頬が緩む。彼の戦友にして幼馴染みである剣牙虎、千早である。
例え幾百の剣牙虎の中にあってもその声を間違うことだけはありえない。
思わず走り出そうとする身体を、しかし腰に力を入れて止める。
将校はいかなる時もあわててはならない。そう定められているからだった。
ただし一瞬の強張りを未だ手を握ったままだったルイズから隠し通すのは無理だった。
「どうしたの?」
振り向いて尋ねるが、新城はただ首を振るだけで答えた。
あるいは傷が痛んだのかと思ったルイズだったが、新城の顔を見てそれが違うと解った。これは痛みをこらえるというより、嬉しさを抑える顔だ。つまりは、それほどあの虎が心配だったのだろう。
どうやら悪い人ではないらしい、とルイズは思った。
なにしろ言葉が通じないと解って最初に気にしたのがあの虎なのだ。
どのような関係かは知らないが、お互い大切に思っているのは間違いない。
なにやら座り心地の悪い視線から逃れるように厩舎に入った新城だが、そこにいる使い魔たちの姿を見て目を見開いた。
フクロウや蛇、カラスなどという新城にも馴染み深いモノに混じり、六本足の蜥蜴や巨大な目玉、蛸人とでも評すべき奇怪な生物たちが集められている。
「これは一体」
呆然としていたが、足は止めずに厩舎の一角を目指した。そちらから懐かしい視線を向ける剣牙虎を見つけたからだ。
その途中にあることに気がつく。ここにいる動物たちは、その殆どが一種類につき一匹ずつしかいない。もちろん数匹まとまっているものもいるがそれはむしろ少数派だ。つまりはこの動物たちは鉄虎兵隊のように軍役に使われる為に集められたのではないということだ。
それに種類にしても戦闘には役立たないものが混じっている。即戦力として使えそうなのは千早と、その横にいる翼龍くらいか。しかし待てよ、翼龍の体色はあんな青かったか?
「無事だったかい、千早」
声をかけると忠実な剣牙虎はその主人に身体をすりつけ、甘えるように二度鳴いた。その身体にも包帯が巻かれていることを見て取った新城は、それを指差して少女を見た。
「これは、きみが?」
言葉は解らぬともニュアンスは感じ取ったのだろう、ルイズが頷くと新城は彼には珍しく満面といっていい笑みを浮かべた。
「ありがとう。心から感謝する」
新城という男の顔は凶相といって差し支えない。少なくとも、女子供が好んで近づきになりたがる類の顔ではなかった。
だが意外なことに、笑みを浮かべたその顔はひどく印象が違った。奇妙な朗らかさがある。見惚れるということはないが他人、ことに部下を安心させる顔である。
「どういたしまして」
ルイズもまた微笑むと、一歩下がって新城たち主従の邪魔にならぬようにした。
それが正しいと思ったからだった。
見ればコルベールもシエスタも温かい目でこちらを見ている。
ルイズは教師の下へ行くと、少し逡巡したあとで口を開いた。
「先生、質問があります」
「何だね、ミス・ヴァリエール」
「もしもわたしが、あの虎と『コントラクト・サーヴァント』をした場合、彼はどうなりますか」
そうだね、と一度言葉を切り、コルベールは渋々と説明した。
「おそらく、どこかへ移って貰う事になると思う。ここは魔法学院で、多くの貴族の子弟が通う場所だ。
そして言葉が解らないが彼はどこかの国の軍人のようだ。そんな人物をここに滞在させるわけにはいかない」
予想していた通りの言葉に、ルイズは軽く眩暈を覚えた。
一つ息をついて、腰を下ろして虎の喉を撫ぜている軍人を見やる。
彼と虎が強い絆で結ばれていることは明白だ。そんな二人、いや一人と一匹を引き離すのは嫌だ。
郷里にいる自分の姉を思い出す。優しい、大好きなちい姉さま。飼っている動物がいなくなっただけで悲しむカトレア姉さま。
もしも自分がそんな非道なことをしたと、彼と虎を引き離したと知ったら、きっと姉さまは悲しむに違いない。
「じゃあ、彼と『コントラクト・サーヴァント』をしたら、あの虎はどうなりますか」
「そうだね、なついているようだし、ここで飼ってもいいのではないだろうか。勿論世話は彼にしてもらうが」
「そう、ですか」
俯き、心を整理する。
悪い人間ではない、それは確かにそうだろう。あそこまで獣になつかれるのだから。
それに礼儀正しくもある。扉を開けて入ってきた自分たちに敬礼し、礼を返したら頷いてくれた。
引っ張ればおとなしく厩舎まで来たし、虎の手当てについてお礼――――だろう、たぶん――――も言ってくれた。
なんてことだ。否定する理由がないじゃないか。あっても彼らを引き離す理由にはなりえない。
ルイズは観念すると口を開いた。
「コルベール先生。わたしは彼と契約することにします」
「先生、質問があります」
「何だね、ミス・ヴァリエール」
「もしもわたしが、あの虎と『コントラクト・サーヴァント』をした場合、彼はどうなりますか」
そうだね、と一度言葉を切り、コルベールは渋々と説明した。
「おそらく、どこかへ移って貰う事になると思う。ここは魔法学院で、多くの貴族の子弟が通う場所だ。
そして言葉が解らないが彼はどこかの国の軍人のようだ。そんな人物をここに滞在させるわけにはいかない」
予想していた通りの言葉に、ルイズは軽く眩暈を覚えた。
一つ息をついて、腰を下ろして虎の喉を撫ぜている軍人を見やる。
彼と虎が強い絆で結ばれていることは明白だ。そんな二人、いや一人と一匹を引き離すのは嫌だ。
郷里にいる自分の姉を思い出す。優しい、大好きなちい姉さま。飼っている動物がいなくなっただけで悲しむカトレア姉さま。
もしも自分がそんな非道なことをしたと、彼と虎を引き離したと知ったら、きっと姉さまは悲しむに違いない。
「じゃあ、彼と『コントラクト・サーヴァント』をしたら、あの虎はどうなりますか」
「そうだね、なついているようだし、ここで飼ってもいいのではないだろうか。勿論世話は彼にしてもらうが」
「そう、ですか」
俯き、心を整理する。
悪い人間ではない、それは確かにそうだろう。あそこまで獣になつかれるのだから。
それに礼儀正しくもある。扉を開けて入ってきた自分たちに敬礼し、礼を返したら頷いてくれた。
引っ張ればおとなしく厩舎まで来たし、虎の手当てについてお礼――――だろう、たぶん――――も言ってくれた。
なんてことだ。否定する理由がないじゃないか。あっても彼らを引き離す理由にはなりえない。
ルイズは観念すると口を開いた。
「コルベール先生。わたしは彼と契約することにします」