あの作品のキャラがルイズに召喚されました @ ウィキ

牙狼~黄金の遣い魔 第4話(Bパート)

「……ホラーではない。やはり、ただの人間か」
少女の眼前で、魔導火を灯した鋼牙は淡々とそれだけを告げた。
気絶から覚めた少女は、自分を取り囲む者達を見て、小さく鼻を鳴らした。
「殺すのなら、殺しなさいよ!もう、覚悟はできているわ」
「貴女ねえ」
それを聴いたルイズは、苛つきを隠そうとせず声を上げた。足を踏み鳴らしながら少女の前に出、指を突きつける。
「いきなりヒトのこと襲っておいて、その言い草はないでしょう?せめて、理由を言いなさいよ!モンモランシー・マルガリタ・ラ・フェール・ド・モンモランシ!」
それに対して、モンモランシーは「何を今更」と声を潜めて哂(わら)った。
「ギーシュを殺して、良くも大きな顔ができるわね?メイジ殺しの飼い犬を召喚して、悦に入ってるんじゃあないわよ。ゼロのルイズ!」
「あれは!」
あからさまな憎悪を突きつけられ、ルイズは絶句する。グッ!と奥歯を噛み締め、声を震わせながら彼女は主張した。
「鋼牙は、メイジ殺しなんかじゃない!良い事?ギーシュは、ホラーって化け物にとり憑かれていたの!鋼牙が倒したのは、その化け物のほうなのよ!」
「くだらない冗談は言わないで」
だが、モンモランシーの頑なな態度は崩れなかった。
「なに?その与太話は?私が最後に見たとき、ギーシュは生きていた。私を見て、涙を流したのは紛れもなくあのヒトだったわ!」
『おそらく、最後の最後で本来の人格に戻ったんだろう』
モンモランシーの言葉に、《ザルバ》は沈痛な声で告げた。
『ホラーってのは、ヒトの陰我にとり憑く存在だ。その性質は、宿り主の肉体と魂を喰らい己のものとする。言い換えりゃあ、ホラーととり憑かれた者の意識が二重に重なって存在するようなものさ』
「でもそれって、ものすごく嫌な感じね。意識はあっても、それが自分じゃあない。自由意志はないってことでしょ?そしてそのまま、自分の身体がする事を、ずうっと見続けることになるわけだ」
いかにも嫌そうに、キュルケは鼻の頭にしわを寄せた。その言葉を、《ザルバ》は肯定した。
『ああ、ホラーにとり憑かれた者は、意識を保ったたまま永遠の苦痛にさらされ続けるんだ。そこから救う唯一の方法は、魔戒騎士に退治されることだ』
「彼の剣は、反対にギーシュを救った」
タバサまでも進み出て、モンモランシーに語りかけた。
「貴女は、ギーシュがあのような、変わり果てた存在のままで、良かったの?」
繰り返される言葉を、モンモランシーは黙って聞いていた。うつむいて肩を落とし、乱れる髪に表情を隠して。
やがて顔を上げた彼女は、大きく肩を震わせながら叫んだ。
「それでも―、それでも、どんな姿でも、私はギーシュに生きていて欲しかった!」
立ち上がり、目の前の少女に肩をぶつける。引き止めようとするキュルケたちの声を背後に聞きながら、モンモランシーはその場から駆け出していった。
ずいぶん、暖かくなってきた。
厨房の裏口から外へ出たマルトーは、暮れ行く夕日に眼を焼かれながら、そんな事を思った。
暖かくなれば、食材の痛みも激しくなる。生徒達の嗜好も変わり、不平不満の声が上がりやすくなる。この先数ヶ月の献立の変更を考えなければならない。職業人として、ごく普通の思考に頭を悩ませながら、彼は背後を振り返った。
「なにはともあれ、治って良かったな。シエスタ」
そこには、黒髪の地味な印象の少女が立っていた。
数日前、メイジがらみの事件で重傷を負った彼女だが、今はその痕跡はうかがえない。秘薬の投与も含む、水のメイジの治癒が優先的に行なわれた結果だった。
普通ならば、平民の彼女がこんな治療を受けられるはずがない。十分な施術も受けられず、怪我の痕が残るか―この場合、女性としては致命的な損傷を被っていただろう―最悪の場合、死に到っただろう。
だが、なぜか怪我をしたその場で緊急的な措置が取られ、さらに秘薬を始めとした経済的な援助が学院から出された。ソレにより、彼女の身体はすっかり元通りとなった。
果たして、裏でどのような交渉が行なわれたかはわからない。ただはっきりとしたことは、シエスタ自身の記憶によれば、ルイズ・ヴァリエール嬢とその遣い魔である騎士が関係しているらしい。
彼女はマルトーにそのときの事を告げていた。曰く、貴族の凶行をミス・ヴァリエールが止め、その貴族を護衛の騎士サエジマ・コウガが倒したのだと。
このことは食堂につめる部下達や、噂話に興じる他の学生たちの会話の内容から真実だと確認できた。
実に意外な成り行きに、貴族嫌いであるマルトーは戸惑った。
ミリア・ハニーデイルを殺害し、シエスタに暴行を働いた貴族は許しがたい。だが、同時に彼女を救うことができたのも、貴族とその従者なのである。
「いずれにせよ。ヴァリエール様にはお礼に行かないといけないぞ。シエスタ」
マルトーはとりあえず好悪の問題を棚上げにすることにした。たとえ貴族であろうと、示された恩義には報いなくてはならないだろう。
そう言うと、シエスタは「はい!」と満面の笑みを浮かべてうなづいた。どうやら、貴族を斬った従者とやらに面識があるようだ。経緯を聞いた限りでは、単なる知り合い以上の想いを抱いているふしがある。
「ヴァリエール様は、クックベリーパイがお好きだそうです。だから、今から焼き上げるこれを、持って行こうと思います!」
ほとんど地に脚がつかない様子で厨房へ入ってゆくシエスタを見送りながら、マルトーは「ふむ」とうなった。その好意が、きちんと伝われば良いのだが。
それにしても、貴族を斬った平民が、たとえ公爵家の後押しがあるとしても処刑されなかったのは、奇妙な事だ。背後によほどの事情があったのだろう。貴族が殺される分には、自分はいっこうにかまわないが……。
長年に渡り階級社会内に居る事で蓄積されたうっぷん、そして自分がその階級社会の末端に齧りつくことで甘い汁を吸っているという罪悪感、この二つが入り混じりあって微妙に灰色と化した感情を持て余しながら、マルトーは自分も厨房へ戻って行こうとした。
「蟲?」
ふと羽音を聴いた気がして、彼は立ち止まった。
もうそろそろ、蟲が発生する時期でもある。蟲は食材を食い荒らし、厨房を不衛生な状態へ変えてしまう。近いうちに駆除を始めなくてはならないだろう。
そのように判断し、彼は夕食の仕込みに戻っていった。
どこからか、羽音が近づいてきた。

キュルケとタバサは連れ立って女子寮へ戻りつつあった。
既に、夕べからの捜査の結果は鋼牙へ伝えてある。
行方不明者は居ないらしい事。その事から導き出される結論。既にホラーにとり憑かれた者が居る可能性は極めて高い。
「この場合、ギーシュ・ド・グラモンと一番親しかったモンモランシーが一番の容疑者なのだけどね」
一通り聴いたルイズが出した結論。
「だが魔導火には反応しなかった。あの女は、間違いなくただの人間だ」
それに対する、鋼牙の反論。どうやら、捜査は一から振り出しに戻ったようだ。
「いずれにせよ警戒を怠るな。何か異常が起きた場合、すぐに俺に知らせるんだ」
そうして、四人は寮へ戻る事にした。途中、鋼牙とルイズ、キュルケとタバサに別れる事となる。キュルケの部屋はルイズの隣だが、なにやら彼女はタバサに用事があるらしかった。
「何か、用?」
自室に戻ったタバサは、キュルケに尋ねた。
「ええ、さっきの件でね」
「さっきの……モンモランシーの事?」
「そう、その通り!」
腰に手を当てて、思い切り良くかぶりを振るキュルケに、タバサは考え考え答えた。
「心配なのは分かる。でも、大切な者の喪失を乗り越えるのは、本人の問題、私たちには立ち入る権利はない」
思うところがあるのか、ゆっくりと噛み締めるように語る親友に、キュルケは暖かな眼差しを向けた。
「ええ、分かっているわ。そのことはね。ただ、今回の場合『ホラー』っていう要素があるわ。今のモンモランシーみたいに、苦しみや哀しみに囚われてる状態ならば、そいつらに狙われる可能性は高いんじゃあないかしら?」
「それは、囮に使うということ?」
「やあね、違うわよ。このキュルケさんがそんな安っぽい真似するわけがないじゃない!ただね。ちょ~とばかり、監視の目をつけといたほうが良いかなって、そんな風に思っただけよ」
あはははと笑いながら、キュルケは首を振る。タバサはしばらく考えていたが、「その方法は有効」と親友の意見を認めた。
「なら決まりね。遣い魔にやらせましょう。昼はフレイムにやらせるわ。そっちの遣い魔は大きいから、あんまり目立つと困るし。で、夜になったらそちらにお願いね」
「ん」と了承するタバサ。だが続いて口を開いたキュルケは、完全に調子が違っていた。
「それにしても……」
「それにしても?」
「さっきのダーリンって、すっごく格好良かったわよね~!魔法なんて目じゃないって感じ!ストイックなところがもうさいこ~っ!今度誘惑しちゃおうかしら?ううん!思い立ったが吉日って言うし、今夜のうちにアタックするべきだわ!」
「や~ん困っちゃう~」などと腰をくねくねし始めた親友の姿に、「もう既に今夜の分の先約はあるのでは?」などと突っ込みを入れる気にもならず、タバサは読書に舞い戻った。
どれくらい長い間、そうしていただろう。
モンモランシーは部屋の中央に座り込んで、ぼんやりと壁のひとところを見ていた。
長年の間、様々な住人が居た部屋の壁には、ところどころ染みが浮かんでいる。
その染みのうち、どこかヒトの顔に似た形状のものがあることを彼女は知っていた。
普段は気味悪がって、努めて見ないようにしていたのだが、今夜は違った。
染みの形状の奥に、亡くした元恋人の横顔を見たような気がしたからだ。
「ギーシュ」
気がつけばその名前を呟いていた。寒さを感じたように両の腕(かいな)で肩を抱き、身体を小さく丸め込む。
「ギーシュ、ごめんなさい」
自分が馬鹿だった。いつでも互いに歩み寄りたいと感じながら、その一歩が踏み出せずにいたこと。突然の別れが来ることなど考えもせず、いつかは、いつかはとためらい続けて、挙句二度と見(まみ)えることができなくなってしまった。どれほど後悔しても仕切れず、口から出るのは悔恨の言葉のみ。
結局、仇を討とうとして果せず、その仇すら無意味である事を思い知らされた。
「悪いのは、全部、私」
『―本当ニ、ソウ、思ッテルノ?―』
ギーシュの声が聞こえた気がして、モンモランシーは顔を上げた。
幻聴だろうか?聴こえやしないものを、聞こえたと感じるくらいに自分は神経を病んでいたのだろうか?
息を呑み、その声の出処(でどころ)を探す。否、探すまでもなく彼女にはその声の主がわかっていた。
目の前の、壁の染みの中である。
『―悪イト、君ガ、思ッテイルナラ―』
最初、うっすらとしていた染みが徐々に濃くなっていた。ヒトの横顔に似たソレが、奇妙に立体感を増して行く。
どこからか、羽音が聞こえてきた。鳥のソレではなく、透明で硬質な羽根がこすり合わされて奏でる音響だ。その音量と、次第に濃くなる染みの度合いは正比例しているように感じられる。
モンモランシーは麻痺したようにソレを見ていることしかできなかった。
そしてついに、染みの奥からナニかが出てきた。
細長い胴体は、トンボとかウスバカゲロウを感じさせる。透明な羽根は先端が丸く、ある種の羽アリのソレを思わせた。
だが、何よりも異なるのは頭部だろう。
昆虫のものではない、髑髏を思わせる形状。あごの部分は両側へ大きく張り出して、二本の牙を形成している。
まさに髑髏面の白アリといった形状の異類は、モンモランシーの眼前まで飛んで、語った。
『―僕ヲ、受ケ入レテ―』
『―僕ト、一体ニナッテ―』
『―ソウスレバ、君ハ楽ニナレルヨ―』
これは、恐怖なのだろうか?それとも絶望?
目の前の異形にただ魅入られたように、モンモランシーはうずくまりじっとしていた。
そのために気付かなかった。窓の外、高い塔の天辺より、力強い羽ばたきの音が響いた事に。

ベリッソンは、頃合を見て男子寮の自分の部屋を抜け出した。
風の凪いだ、穏やかな夜である。
恋人の下へ忍んで行くには、ちょうど良い夜だと彼は思った。
手には小さな天鵞絨(びろうど)張りの箱。リボンで飾られたそれの中には、紫色の液体で満たされた硝子瓶が納められていた。
「彼女は、気に入ってくれるだろうか?」
先日入手した、都の商家筋で大流行の香水である。艶やかに夜の闇に匂い立つ香りは、慎み深いトリスタニア貴族の淑女の好みからは外れているが、その分恋人の好みには合致していると思えた。実利を尊ぶゲルマニア貴族の彼女は、花束や詩などといったものに大して重きを見出さない。代わりにこうした香水や宝石、貴金属などに目が無いのだ。
「さて」
夜間巡回の教師の目を逃れ、ようやく女子寮の辺りまで辿り着いた。目的地の窓に照準を定め、『レピテーション』の呪文を唱えようとしたその時―。
「おい!おい、君!」
不意に、背後から呼び止められた。
すわ巡回の教師に見つかったか!と愕然としながらも振り返った先に、ベリッソンが見たのは自分と同じ男子学生の姿。
「何だね君は?」
自分より幾分精悍な顔立ちの―自分自身は単純に『ハンサム』と言われている―男子生徒を前にベリッソンは気色ばんだ。既に約束の時間は近い。こんなところで時間を潰すわけには行かないのだ。
「もしかして、君もこの窓の部屋の主に用事があるのかな?」
スティックス某と名乗った相手は、これからベリッソンが忍び込もうとしていた窓を指し示した。
「なるほど……『君も』僕と同じ用みたいだね」
互いに互いの事を理解し、哂(わら)い合う二人。いつしか、二人揃って杖を抜いていた。
「要するに、今夜一晩彼女とゆっくりと過ごすためには、君にはここで寝ていてもらわなきゃならないってことだね?」
「寝るのは君だよ。朝まで―否、一週間ほどぐっすり寝たまえ!スリープクラ……」
そうして同時に魔法を放とうとした時。
「君達は誰だ?今夜、彼女は僕と―」
「彼女は恋人はいないと―」
「一人あたま御休憩二時間なら、全部で十時間か」
三人の男が、押し合いへしあいしながらベリッソンらの前に立った。
これには、今しも魔法をぶつけ合おうとした二人も停まってしまった。お互いに顔を見合わせ、新たなる三人組を眺める。
「これは一体―」
「さて」
戸惑いと諦念に支配される、五人の若者達の頭上。
どこからか、羽音が近づいてきた。

「気に喰わんな」
夜の女子寮を、鋼牙は歩いていた。
ルイズの部屋の隣に設けられた、己の部屋に戻る途中だった。
深夜、オールド・オスマンに会見するために学長室に赴いたのだが、結局不在だった。秘書のロングビルもその所在を知らず、自分も今夜は早く帰るよう言われた、と慌しく学長室を後にしていった。
仕方なく鋼牙は、夜の闇を戻りつつある。
『何がだ?鋼牙』
鋼牙の呟きを聞きつけた《ザルバ》が問うた。
「この、紋章だ」
鋼牙は、己の左掌を持ち上げた。
「遣い魔のルーンと言ったか?一度は無効化したはずだがな。なぜ、再び記されしかも濃くなっている?」
鋼牙の言葉どおり、一時見えなくなっていたルーンは、再び濃い状態に戻っていた。確か、こうなったのは、ギーシュ=シャックスの攻撃からルイズを護ろうとした時だったように思われる。
「まるで、俺がルイズの所有物であるという印みたいだ。それが気に喰わないと言ったんだ」
『……なるほどな。それに気付いているか?鋼牙。このルーンとやら、お前が剣を持つたび光り、濃くなっているみたいだぜ』
《ザルバ》の指摘に、より一層焦慮の色を濃くする鋼牙。首を振りながら彼は言葉を続けた。
「ルーンの件も含めて、例の学院を取り巻く結界についてもオールド・オスマンに尋ねたかったのだがな」
今更仕方がないことと、主従は嘆きながら廊下を歩んでいった。
―その時―
廊下の彼方で、扉が開く音がした。
続いて、ひた、ひた、ひたと何者かの足音が近づいてくる。
ついで奥の方から、ボウと輝くものが現われ、次第に大きくなっていった。
「何物だ?」
ゆら、ゆら、ゆらと。ランタンを思わせる、まっ赤な炎は揺れ動きながら身構える鋼牙の前まで来ると―。
虎ほどの大きさのある、一匹のオオトカゲの姿へ変わった。
「サラマンダー……キュルケの遣い魔、フレイムか?」
鋼牙の指摘に、フレイムは「そうだ」と言うようにうなづいた。さらに近づいてゆくと、鋼牙のコートの裾をくわえて来た方向へ引っぱり始めた。
「なにをしている?俺に、来いと言う事か?」
所詮、帰る方向は同じである。鋼牙は気にする事無く、フレイムに招かれるまま廊下を進んでいった。
「扉を閉めていただけるかしら?」
フレイムに導かれて入ったのは、キュルケの部屋だった。
部屋の中明かりはなく、サラマンダーの周囲のみ、芒とした明るさを保っている。
不審を抱き、入り口付近に留まり続ける鋼牙に、焦れたように艶やかな声がかけられた。
「ようこそ。こちらにいらっしゃい」
「何のようだ?」
別段、闇の中でも苦労はしない。魔戒騎士にとって、闇は闇たりえないのだ。
無造作に足を運んだ鋼牙の前、指を弾く音と共に、蝋燭に火が灯された。
ゆっくりと、鋼牙が居るそばから奥の方向へ順繰りに、蝋燭は次々と灯されてゆく。やがて、橙色の炎のゆらめきの中に一人の少女の肢体が浮かび上がった。
「そんなところに突っ立ってないで、いらっしゃいな」
レースに縁取られ、その下の隆起が浮かび上がるような薄物を身にまとい、キュルケはベッドの上から手招きした。身じろぐたびにゆさり、たゆりと豊かな肉置(ししおき)が踊り、辺りにこ惑的な香りがばらまかれる。
「貴方はあたしをはしたない女だと思うでしょうね?」
燃えるような髪を優雅にかき上げ、キュルケは鋼牙を見つめた。
『どーゆーことだ?』
薄明かりの中、かすれたような声が響く。鋼牙はゆっくりと近づいていった。
「思われても、仕方がないの。わかる?あたしの二つ名は『微熱』」
『ようするに、いつも火種を持ってるってことか?潜在的に』
鋼牙の方から聞こえてくる言葉を、「そうよ」とキュルケは肯定した。
「あたしはね。松明みたいに燃え上がりやすいの。だから、いきなりこんな風にお呼び立てしたりしてしまうの。わかってる。いけないことよ」
『言葉じゃそう言ってても、心と身体がそう思ってなくっちゃあな』
「そうよ、って……え?」
キュルケはなんだか良く分からないまま相槌を打ち……そこでようやく気付いた。
先ほどから受け答えしているのは鋼牙ではない。代わりになにやかや話しかけていたのは、鋼牙の左中指にはめられている指輪=魔導輪《ザルバ》であった。それでは鋼牙本人はどうしているかと見ると、いつの間にか彼女のベッドの直ぐ傍まで迫ってきた。
「恋しているのよ。あたし、貴方に、恋は全く、突然ね」
もはやしどろもどろのキュルケに対し、鋼牙は無言で歩み寄る。険しい表情を変えぬまま、魔戒騎士はコートの内側に掌を差し入れ―。
「あなたが、ギーシュを倒したときの姿……かっこ良かったわ。まるで伝説のイーヴァ」
コートの奥で、カチリと音が鳴った。次いでシュルリと金属同士が滑り合う音。
「あたしね、それを見て痺れたのよ。信じられる!痺れたの!情熱!あああ、情熱だ、わ」
驚きと戸惑いに大きく目を見開くキュルケ。そのことにかまわず、コートの中から魔戒剣を引き抜いた鋼牙は、その剣のきっ先を―。
キュルケ目がけて突き出した。

「やはり、ない」
失望の声と共に、タバサは本を閉じた。
本の題名は『危険度AAA 亜人・幻獣大全』。
ハルケギニアに棲む、人に害なす生物について書かれた専門書である。民間のハンターや傭兵、騎士団にとって必携の書物と言えた。
彼女は、その中に『ホラー』について何らかの記述がないか探そうとしたのだ。
しかしながら、その中に手がかりと言えるものはなかった。『ホラー』に近い性質を持つものなど、常識的に考えれば存在するはずがないのだ。
鋼牙曰く―。
『ホラー』は魔界に棲み、陰我の溜まったオブジェの影をゲートとして現われる。
『ホラー』は人を喰らい、人の陰我に合わせた形態へ姿・能力を変える。
『ホラー』に喰われた人間の魂は永劫の苦痛に沈む。また、『ホラー』は人間に擬態する。
『ホラー』を斬ることができるのはソウルメタルの剣のみである(おそらくメイジの魔法は、決定打にはならないだろう)。
それらを総合すれば、タバサには『ホラー』に対抗する術がないこととなる。
それは、絶対に認めがたい事だ。天下の北花壇騎士が、成す術もなく逃げ惑う事など許されない。何か、何かあるはずなのだ。
あの、魔法を持たないはずの騎士サエジマ・コウガがホラー化したギーシュを屠ったように。
「やはり、あの剣と鎧」
全く未知の材質で造られた、剣と鎧。遣い魔の主であるルイズによれば、それぞれ『牙狼剣』『牙狼の鎧』と呼ばれるアイテムらしい。何もない虚空から召喚されるソレは、美しいの一言に尽きた。キュルケなぞ黄金に光り輝く鎧を見ただけで「無垢の金ならば何エキュー金貨?」などと口走ったりもしたほどだ。
ルイズに聴き、後で鋼牙本人に尋ねたところ、それら『ソウルメタル』で造られたものは、持ち手の意志によって質量を変容させると言うことだ。おそらく、今の自分が扱おうとしても、振るう事もできないだろう。
世の中には呆れるほど強き者が存在し、自分はそれに及びもしない矮小な存在でしかない。
そのように確信し、血がにじむほどに唇を噛み締める。
力、力が欲しい。
幼き頃、理不尽な力に翻弄されて、全てを失った彼女は求めるのだ。
力を。全てを屈服させ、掌握することのできる力を。
誰も、何も自分を傷付けず苦しみをもたらすことのない、絶対の平穏を。
なぜなら、なぜならば―。
『―力が、欲しいのかい?シャルロット―』
窓の外―。
いつの間に晴れたのか、蒼と赤の月明かりが射している。
その光を遮って、小さな、小さな影がささやいた。
『―君に力を上げよう。誰にも犯されることのない、絶対の力を―』
透明な羽根が、硝子の窓に当たって乾いた音を立てた。

キュルケは驚愕の表情を浮かべ、鋼牙を見つめていた。
鋼牙の突き出した魔戒剣のきっ先は、キュルケの髪をかすめて、背後の空間へと通り抜けている。
彼女の背後には、硝子製の窓。情事が終わった後は、火照った肌を夜風に冷やす。そのためのベランダがある。
今、そこからくぐもった声が聞こえてきた。
『キュルケ……待ち合わせの、時間……』
「ベリッソン!」
そう言えば、一人(?)待ち合わせをしていたのを思い出した。振り返った彼女は言葉を失った。
「ベリッソン……貴方」
そこには、鋼牙の剣に貫かれて、『ベリッソン』が居た。
否、正確には『かってベリッソンだった成れの果て』だ。
大まかな形状は、人間と大差ない。だが、全身を包む甲殻が彼を人でないものに見せていた。頭部そのものは人間の―ベリッソンのものだったが、穴と言う穴から銀色の複眼のようなものが覗いていた。
全体の印象は、『人頭の羽アリ』―背中から生えた羽も合いまって―といった外観の異形は、魔戒剣に眉間を叩き割れたまま、室内になだれ込もうとした。
「!」
瞬間、鋼牙がキュルケの腕を引っぱり、己の背後へ放り投げる。同時に魔戒剣のきっ先を下げ、抉るように上方へ跳ね上げた。
哀れ『ベリッソンだった成れの果て』は、股間から頭頂部まで一直線に切り裂かれて崩れ果てた。大量の漆黒の血が、キュルケの愛用する華美なベッドの上にまき散らかされる。
己の腕を掲げて、キュルケを血潮からかばいながら鋼牙は告げた。
「そいつの血に触れるな。全身を腫瘍に冒され、苦痛にのたうちながら死ぬ事になるぞ」
「あれは…ホラー?」
薄物の前をかき合わせながら、キュルケは尋ねた。
「まさか、ベリッソンがホラーに取り憑かれてたなんて」
「おそらく、これは擬似的にホラーの体組織を取り込まれた存在だ」
鋼牙は、かって対峙した魔銃遣いのことを思い出していた。確か、銃弾にホラーの体組織を用いる事で、撃ちこまれたものをホラー化していたはずだ。今の相手の外観から推測すれば、犠牲者は昆虫のような擬似ホラーに身体を乗っとられたのだろう。
『特殊な能力は持ち合わせていないが、ヒトを襲うのはホラーと変わりない。おそらく、『母親』と呼ぶべき母体がいるんだろう』
鋼牙の推測を、《ザルバ》も肯定した。
『たぶん、アレ一体じゃあ終わらないだろうな』
その言葉が終わるか終わらないかのうちに、窓を破壊して複数の影がなだれこんできた。その顔を見て、キュルケは悲鳴を上げる。
「スティックス!マニカン!エイジャックス!ギムリ!」
「……全員、お前の相手か?」
弱干、感心したように鋼牙が見る。その間もキュルケを導いて、ドアの方へと後退してゆく。4体の半ホラーもそれに合わせる様に前へ進み出、二人を包囲する形に迫った。
「こいつらと戦ってもきりがない!『母親』となるホラーは何処にいる?」
唇を噛み締め呟く鋼牙。背後のドアが開かれたのは、その時だった。
「ツェルプストー!誰の遣い魔に手を出してんのよ!……って、あれ?」
ネグリジャ姿のルイズは、大声で怒鳴りながら部屋の中に足を踏み入れようとして、停まった。
「……ひょっとして、お取り込み中?失礼……」
顔を青ざめさせて、ドアを閉めようとしてキュルケに突っ込まれる。
「お取り込み中も何もないでしょ!ドアを閉めるなーっ!」
鋼牙はキュルケを抱えたまま、ルイズを押し出すようにして廊下へと出た。素早くキュルケは杖を操り、ドアに鍵をかける。
「鋼牙いつまでたっても帰って来ないし、廊下にフレイム出てたから妖しいと思ったんだけど、案の定」
ルイズは忌々しそうにキュルケに噛み付いた。
「この万年発情雌犬!」「なんですって!この平板胸!」
「お前たち、いい加減しろ!」
同じ様に張り合い、いがみ合う二人に心底うっとうしそうな表情を浮かべながら、鋼牙が制止した。
「すぐにあいつらは扉を破って来るぞ!一刻も早く、本体のホラーを見つけるんだ」
そして、もう一度ジロリと相手を見て。
「まあ、どこかに隠れていて貰ってもかまわんが。むしろその方が楽そうだ。別にこちらは、お前たちが襲われホラー化しようが、斬るだけだからな」
「手伝うわよ!乗りかかった船だし、そのほうが生き残る確率が高いわ」
「そそ、同感。ダーリンの傍にいたほうが、あいつらから護ってくれそうだもの」
慌てて二人は鋼牙にすがりつく。その間にも、キュルケの部屋のドアはミシミシと音を立てていた。それを見つつ、鋼牙は二人に下がっているように告げる。
「分かった。まずはこいつらの始末からだ」

『―君に力を上げよう。誰にも犯されることのない、絶対の力を―』
『シャルロット』と自分を呼ぶ声には聞き覚えがあった。
まだ自分が幼い頃、常に母と共にあった声。暖かい慈しみと、全てを包み込む優しさと。周囲の者は皆彼に敬意を払い、共に国の未来に尽くそうとしていた。
「お父様」
口に出すだけで、胸が苦しく張り裂けそうになる。もう居ない。存在するはずのない声が何故、自分を誘惑する。
再び、透明な羽音が窓硝子を叩いた。
『―帰ってきたよ。君の元に。さあ、窓を開けて。お母さんの元へ帰ろう―』
いつしかタバサは、否シャルロット・オルレアンは立ち上がり、窓へ向かおうとしていた。
月明かりに照らされて、何物かが窓に張り付いている。本来、人の顔であり得ないそれが、たまらなく優しい笑顔を浮かべているように、そのときの彼女には見えていた。
「帰る。あのときに。みんなと、一緒に」
窓の掛け金に手をかけようとして。
(だめーっ!お姉様!そいつは、お姉様のお父様なんかじゃ、ないーっ!)
悲鳴混じりの声が、シャルロットの心を打ち、後方へ数歩よろめかせた。
後退したため、窓から差し込む月明かりから視野が外れる。そのおかげか、タバサは窓の外に潜むものの真の姿に気付いた。
「違う」
そこに居るのは、自分の優しかった、けれど弱かった父親などではない。蒼い篝火のような目でこちらを見つめているのは。
「ホラー!」
シュヴァリエとして命のやり取りをしたことのある身体は、反射的に呪文を唱えていた。杖の周囲に何本もの氷柱が生まれ、窓の外を指す。
「そんなに言うならば、開けてあげる」
ようやく逃げ出そうとする、巨大な人面白アリに向かって、タバサは杖を打ち振った。
「アイシクル・ウィンドウ」
父母への想い、思い出を貴様は踏みにじった!
タバサの内心の怒りを表すように、まさに雪崩のような勢いで氷柱が空中のホラーを撃った。ソウルメタルによる攻撃ではないため、滅ぼし去ることは不可能だろう。だが、この勢いならば物理的存在ならば間違いなく圧壊するはずである。
部屋の壁を全面打ち砕き、白の砲弾は白アリ型のホラーを虚空の彼方に吹き飛ばした。
すっかり見晴らしが良くなった夜の空を、肩で息をしながらタバサが見上げていると、視界の真上から新たな影が降りてきた。
「きゅいきゅい!お姉様撃たないで!」
思わず再度氷の魔法を練ろうとしていたタバサは、声の主の正体に気付いて杖を下ろした。
「助かった。ありがとう」
夜空に映える、青白い影。
タバサは己の遣い魔、風竜のシルフィードに礼を言った。おそらくあの瞬間、シルフィードの念話がなければ、自分はうかつに窓を開け、あのホラーに乗っとられていたに違いないのだ。
「どういたしまして、あ、でもお姉様。大変なの!」
シルフィードは「忘れていた」と言葉を続けた。
「お姉様に命令されてた、金髪の人間のところにも、さっきのが現われたのね。きゅい!」
「なに?」
シルフィードが告げたのは、彼女の監視対象モンモランシーのことだろう。やはり予想通り、ホラーに襲われたと見える。
まあ、自分自身もホラーに襲われるとは予想の範囲外であったが。
否、陰我を溜めているという点では、自分はこの学院一のはずだ。モンモランシーより先に襲われたのは、実は妥当なことかもしれない。ただ自分が助かったのは、父を失ってのち味わった過酷な運命と、それにより培われた警戒心のおかげに過ぎない。それとシルフィードだ。遣い魔に命を助けられるとは、何者にも頼らない強さを求める自分には程遠い。
内心自嘲しながら、タバサは顔を上げた。そうして、自分の遣い魔に改めて命令を下す。
「今から、モンモランシーの元へ行く」
言うや、彼女は全面崩壊した壁から外へ飛び出した。上手く高度を合わせたシルフィードの背中に飛び移る。
「あっち」
風竜の背中のくぼみに身体を固定すると、タバサは杖でその肌を小突いた。モンモランシーの部屋の位置は確かめてある。
その時、寮の外壁に沿って何物かの影が飛んできた。見れば、先ほどの白アリ型のホラーが集団で近づいてきている。
「きゅいきゅい!危ないのね。近づくのは危険なのね。アレは『いけない』存在なの!」
ほとんど悲鳴混じりの己の遣い魔の声にうなづくと、タバサは呪文を唱え始めた。
「強硬突破」
月夜の下で吹雪が吹き荒れ、異形の存在の悲鳴がこだました。
「遅くなって、しまいました」
息を切らしながら、シエスタは廊下を歩いていた。
アルヴィーズの食堂へ向かう通路である。
食堂においてあるクックベリーパイを、ヴァリエール嬢の元へ届けるため取りに行く途中だった。夕刻頃既に焼き上がっていたのだが、メイド長から緊急の用事をおおせつかり、こんな時間になってしまったのだ。
せっかくの焼き上がりのカリカリが失われていなければいいのだが、などと呟きながらシエスタは厨房の扉をくぐった。
「あれ」
戸惑いと共に、シエスタは足を止めた。
もう、既に厨房は閉まっているはずだ。明日の仕込みも準備万端、料理人たちも自室に戻っているはずだった。
なのになぜ、竈に火が点いているのだろうか?
厨房の奥も奥、肉を捌(さば)く場所で何者かが動いている。ここからでは見えないが、料理人が残っているのかもしれない。
籠に入ったクックベリーパイを確かめた後、シエスタは奥へと入っていった。「お疲れ様」の一言でも言おうとしたのだ。
近づくに連れて、次第に異様な匂いがしてきた。何の肉を焼いているのだろう?あまり、嗅いだ事のない香りだった。甘く、いがらっぽく、そして生理的嫌悪感をもたらすコレは。
「マルトーさん?」
巨大なオーブンの前で、忙しそうに立ち働いていたのは料理長のマルトーだった。肩幅の広い背中からすぐに分かった。巨大な包丁で肉を捌き、フライパンでいためている。オーブンの中にはこんがりと焼かれた肉の塊。
『―おう、シエスタか―』
背中を向けたまま、くぐもった声でマルトーは返事した。
「なにをしてるんですか?こんな夜中に」
当然の疑問を持って、シエスタはマルトーに尋ねた。
「もう、明日の仕込みは済んでるはずですよね」
『―いや、こりゃあ仕込みなんかじゃない―』
あいかわらず、背を向けたままのマルトー。フライパンで作っているのは、クランベリーソースだろうか?濃紺の液体をじゃかじゃか音を立ててかき回している。
『―ちょっとな。珍しい肉を手に入れたんで、試しに創ってるところさ―』
オーブンの中の肉の焼き上がりを確かめ、うなづく。
『―さあて、もうちょっとだぞ―』
「へえ」
純粋に、シエスタは興味を持って聴いた。
「珍しいお肉ですか?だからこの匂いなんですね?一体、何のお肉なんだろう」
マルトーは、親切にも答えてくれた。あいかわらず、背中を向けたままだが。
『―うん。残りはそこの流しのところに置いてある。外側の皮は、ゴミ箱の中だがな。見りゃあわかるだろ―』
指し示めされたまま、流しの中を覗きこんだシエスタは首を捻った。
「ずいぶん大きいですね。わかりません。鹿、ですか?」
丸い胴体から四肢と、頭部を切り取られた形からは何の動物か分からなかった。おまけに皮まで剥かれてある。全身を走る毛細血管と、まっ白な脂肪層は豚を思わせた。そうして、胸部の辺りまで視線を走らせた彼女は―。
「え?」
自然界、乳房を横方向一列に持ち合わせた動物など存在しない。無論、これほど大きい乳房を持つ四足動物も存在し得ない。シエスタも知る限り、こうした乳房を持つ生物は―。
「人、間」
一瞬のうちに、喉の奥が乾きへばりついた。信じられないものを見る目で、なおも忙しそうなマルトーの背中を見、さらに視線を横に走らせた彼女は、決定的なものを目撃した。
「制、服」
それは、トリステイン魔法学院の制服だった。マントが紫であるため、かろうじて三年生であると分かる。血にまみれたそれは、ぞんざいにゴミ箱の中に剥がれた皮と共に突っ込まれていた。
『―おう、焼き上がったぞ。シエスタ。お前にゃあ一番に食わせてやるよ―』
オーブンのふたを開き、中から焼き上がった『ソレ』を取り出す。異臭が一層高まり、厨房に渦を巻いた。
『―焼き上がったこいつに、クランベリーソースをかけりゃあ―』
ようやく振り返ったマルトー。その眼孔に、鼻腔に、口腔にびっしりと詰まる複眼の群れ。
皿の上に置かれた、『かって女子生徒の頭だったモノ』に紫のソースをかけながら、マルトーは豪快に笑った。
『―できた!メイジの雌豚の冑焼き、前から作ってみたかったんだこいつを―』
シエスタは絶叫した。
顔面髑髏の白アリのような異形は、ゆっくりとモンモランシーへ近づいていった。
『―サア僕ヲ、受ケ入レテ、僕ト、一体トナロウ―』
虎バサミのような顎が開き、少女の喉首を狙う。
絶望と諦観に支配された少女は、眼前の出来事に身動きできなかった。
『―サア、今コソ―』
羽音が激しさを増し、近づいて来る。
―と、突然。
横合いから影が飛び出した。小さな小さな影はせい一杯の力を込めて跳躍し、白アリ型のホラーに体当たりを敢行する。くぐもった音を立てて、二つの影は床に転がった。
「ロビン!」
ソレは、モンモランシーの遣い魔だった。鮮やかな黄色に、黒の斑点が散った小さな小さな蛙だ。一旦床に落ちたロビンは再度身を起こすと、同じ様に姿勢を立て直したホラーへ向かっていった。
「止めて!死んじゃう!」
モンモランシーは顔に両掌を当てて叫んだ。くぐもったうなり声と、激突音が連続して響く。どちらかがどちらかを一方的に蹂躙する音だ。
やがて、それらの音は唐突に終わりを告げた。
モンモランシーには、その結果は分かっている。遣い魔との意識のリンクが失われた時点で、諦めはついていたのだ。
果たして、もう一度聴こえてきたのは羽音だった。
『―モウ、邪魔スル奴ハイナイヨ―』
涙に濡れた顔を上げたモンモランシーは絶句する。
白アリを思わせるホラーの胴体、その頭部と一体化しているのは。
「ロ、ロビン」
彼女の遣い魔だった、蛙の頭部だった。
凍りつくような恐怖と共に納得する。自分も―ギーシュも―こうして取り憑かれ、一体化してホラーに喰い物にされるのだと。目の前に居るのは、ヒトに対する絶対の捕食者なのだと。
喉を鳴らして、馴染みのある、かって「可愛い」とさえ感じた鳴き声を響かせながら蛙と一体化したホラーは迫る。
もはや目を閉じて、待ち受ける『その時』を耐え忍ぶしかないと彼女が思い定めたその時―。
「氷?」
急に周辺が冷えてきた事に気付く。息を吐けば、白煙が空中に漂い散った。それどころかさらに気温は下がり、壁や天井に氷が張り始めた。
「まさか」
愕然とする彼女の目の前で、ホラーの動きが唐突に鈍り始めた。小刻みに動いていた羽根がゆっくりと停止し、身体を丸め床に転がってゆく。
「諦めてはいけない。戦いようはある」
不意に声が聞こえた。振り向くと開いた窓から、見覚えのある少女が顔を出している。
「どうやったのよ?」
確かタバサという名のはずだ。蒼い髪の同級生に、モンモランシーは尋ねた。
「蛙を取り込んだのが、敵の敗因」
同化吸収することで、蛙の冬眠する性質も取り込んでしまったのだろうとタバサは言った。
「もしかしてと思い、試してみた。うまくいった」
「は、はあ」
もしかして、自分はものすごく危ない橋を渡っていたのではないだろうか?
顔を青ざめさせながら、そのような事を考えていたモンモランシーをタバサは手招きした。
「貴女にその気があるなら、ついてくればいい」
「その気?」
「ホラーに一矢報いる。あいつらに、決して人間が喰い物にされるだけの存在でないことを示したい」
「それは」
根源的な恐怖に怯え何もできなかった、否、しようとしなかった先ほどの自分が思い浮かぶ。あの恐怖を、目の前の少女は克服していると言うのだろうか?一体どれほどの経験を積めば、そんな事ができるのか?
そのようなことを考えているモンモランシーに、タバサはさらに続けた。
「我々は知っている。ホラーを倒せることを。あの騎士が教えてくれた」
「!」
「我らはメイジ。牙持てる存在ならば、共に戦える」
ゆっくりと掌を差し出す。強大な風の力を操るとは、到底思えないほど小さな掌だ。
だが、そこに秘められた力は、現実に自分を救ってくれた。
「……わかったわ」
モンモランシーは一つ深呼吸をし、笑顔を浮かべて目の前の少女の掌を取った。

新着情報

取得中です。