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ウルトラマンゼロの使い魔
第七十六話「黒い牛の呪い」
牛神超獣カウラ 登場
ヤプールが消滅間際に放った怨念の欠片の最後の一つを探すグレンは、タバサとシルフィードと遭遇。
そこに老婆が助けを求めてきた。曰く、彼女の孫娘が怪物ミノタウロスの生贄に指名されてしまったという。
一行はミノタウロス退治に向かったが、その正体はミノタウロスの振りをした人さらいたちであった。
そんな悪事を見逃すグレンたちではない。人さらいたちをやっつけるが、そこに現れたのは何と本物の
ミノタウロス! 本物もいたのだ! しかもそのミノタウロスは流暢に口を利き、魔法まで使う。
明らかに普通ではない。果たしてその正体は何なのだろうか?
グレン、タバサ、シルフィードは不思議なミノタウロスに案内され、彼がねぐらにしているという
鍾乳洞の内部へ通された。
鍾乳洞の奥部は、実験室のようになっていた。ミノタウロスのサイズに合わせているのか
かなり大きい机、椅子、かまどといった家具に、ガラス壜、秘薬が摘められた袋、マンドラゴラが
栽培されている苗床まであった。
その実験室に似つかわしくないものが片隅にあった。牛の頭蓋骨や骨の山積み。その一部だけ
塚のようで、シルフィードは若干不気味に感じた。
ミノタウロスはこう名乗った。
「わたしはラルカスという。元は……、いや、今もだが、貴族だ」
ラルカス……、その名前にタバサは聞き覚えがあった。村で聞いた名前だ。
「十年前に、ミノタウロスを倒してのけたという」
「ああそうだ。そのわたしが、どうしてこんな格好をしているのか、気になるだろうな」
ラルカスは十年前の出来事と、そこから現在に至るまでを説明した。衝撃的な内容であった。
かつてラルカスは村人たちに頼まれ、ミノタウロス退治を行ったが、洞窟に火を放って
蒸し殺そうとしてもなかなか死なないミノタウロスの強靭な生命力に感嘆し、同時に目をつけた。
実はラルカスの元の肉体は、不治の病に侵されていた。そして生き延びるために、ある決断に
至ったのだ。自らの脳を、殺したミノタウロスの肉体に移植したのだ。
「驚いたかね?」
タバサたちは頷いた。
「まあ、それも無理はなかろう。しかしな、この身体はすばらしいぞ。いいかね、魔力は脳に由来する。
呪文を使うにはまったく問題がないどころか、この身体を得てからは精神力も強くなった。体力、
生命力だけでなく、魔法もさらに強力となったのだ。それからわたしはずっと、ここで研究に打ち込んでいる」
「寂しくないのね?」
「もともと独り身だ。洞窟も、城も大して変わらぬ」
話していたラルカスは突然、う、と呻いて頭を押さえた。
「どうしたのね?」
「さわるな!」
近づこうとしたシルフィードに怒鳴ったラルカスは、かまどの側にある布を被せた何かに
手を伸ばし、布を取り払った。
下から出てきたのは、生肉のブロックの山だ。シルフィードはミノタウロスの主食が人間ということを
思い出して思わず顔が引きつったが、グレンが囁きかける。
「落ち着きな。ありゃただの牛肉さ」
ラルカスは牛肉のブロックの一つを鷲掴みすると、思い切り被りついた。貴族の品格や作法など
ひとかけらもない、獣じみた振る舞いであった。
牛肉を食らうと、ラルカスは口をぬぐって改めて言葉を発する。
「失礼。見苦しいところを見せた」
「ラルカスさんとやら……あんたもしかして、ミノタウロスの本能に影響されてるんじゃねぇのか?」
グレンが問うた。ラルカスは変に否定せずに首肯した。
「実は、そうなのだ……。この身体の唯一の欠点が、そこだ。脳が肉体に影響されて精神力が
強まったように、脳が人間のものとなっても、ミノタウロスの人肉を食らいたいという欲求が
消えずに残ってしまってるのだ……。それを慰めるために、こうして定期的に肉に食らいついてるのだ。
生肉を食するなど貴族のすることではないので本当は嫌だが、本能に飲まれて獣に落ちるよりはましだ」
「……それで、十年もごまかせるものなの?」
今度はタバサが疑問をぶつけた。ミノタウロスが食べるのは、あくまで人間。牛でいいのなら、
全てのミノタウロスがそうしているだろう。牛の方がはるかに肉付きがいいのだから。一時的には
良くても、十年も本能を騙せるものとは少し考えにくい。
その点について、ラルカスは語る。
「如何にも、ただ別の生物の肉を食するだけでは、この忌々しい本能は抑え切れなかった。
豚や熊なども試したが、欲求は日に日に強まっていくばかり。いつか本当に人間に手を出して
しまうのではないかと、一時は夜も寝つけなかった。しかしあることを境に、状況は一変した」
言いながら、自らの右腕に嵌めた鼻ぐりを撫でる。
「ある日のこと、畜産が盛んな地方にある、牛の霊を祀る鼻ぐりの塚の側を通り掛かった際、
ふとした思いつきから鼻ぐりを一つ失敬して、こうして自身に嵌めた。ミノタウロスは牛の
怪物なのだから、鼻ぐりをすれば飼い牛のように大人しくなるのではないか……と。何とも
滑稽な思いつきだったが、わたしはそんな滑稽さにすがりつくほど心をすり減らしていた。
そして意外にもそれが正解だったのだ。鼻ぐりをつけてからは、牛肉でのみ食人の欲求を
抑えられるようになったのだ。以来、わたしは一度も人を襲うことなく今日までやっていけている。
きっと、鼻ぐりに宿った牛の霊が助けてくれてるのだろうな」
だから鼻ぐりを嵌めているのか。そういえば、最初に立ち寄った酒場の店主が、質の悪い
牛泥棒がどうこうと言っていた。
「牛泥棒の正体はあなただったのね。泥棒だって、貴族のすることじゃないはずなのね」
シルフィードが突っ込むと、ラルカスは申し訳なさそうに頭をかいた。
「そこは重々承知してるが、何分この顔では人里で買い物する訳にはいかない。金も稼げん。
悪いとは思ってるが、こうする他にないのだ」
確かに、人が誘拐されて食われるよりかは牛泥棒の方がましかもしれないが……。どうも釈然としない。
それからもう一つ、グレンが指摘した。
「ところで、何で鼻ぐりを腕に嵌めてんだよ。鼻ぐりなんだから、鼻につけた方が効果あるんじゃねぇのか?」
するとラルカスは気分を害したように鼻を鳴らした。それが牛の突進の合図のようだったので、
シルフィードは思わず怯えた。
「わたしはこんな見た目になっても貴族だ。鼻にものをつけるような真似は、貴族の矜持が許さん。
それでは丸きり牛ではないか。わたしは人間だ!」
「……」
グレンは困ったように腕を組んだ。……怪物の肉体を奪って、独りきりで閉じこもって生活し、
牛泥棒にまで身をやつしながら、貴族であることに固執するのか。虚しくならないのだろうか?
だがそこを指摘して、怒りを買ってもまずい。もしここで暴れられでもしたら、タバサたちが危ない。
「わたしの話はこのくらいでいいだろう。あの人売りどもを連れて村に帰れ」
ラルカスはそれ以上話を続けなかった。去り際にタバサたちに、わたしとここのことは
誰にも言うな、と釘をさした。
村へ帰ると、タバサたちは村人たちの歓声で迎え入れられた。捕獲した人さらいたちは
村人に散々罵られ、翌日に役人に引き渡すこととなった。
そして翌朝に村の者たちが人さらいを街に連れていき、タバサたちも同行するはずだったのだが……
昨晩から妙にふさぎ込んでいたグレンが、こんなことをつぶやいた。
「……ヤプールの結晶は、ちょうどこの辺りに落っこちたはずだ。あれはマイナスエネルギーに
引きつけられるはず……。死んだ霊の放つ強力なものには特に……」
そうして村を出発する直前に、村人たちから踵を返した。
「ちょっと用事を思い出した。引き渡しはあんたたちだけでやってくれ!」
言い残してずんずんと昨日の森へ向かっていく。彼の様子を気にかけたタバサとシルフィードも
後を追いかけていく。
グレンの向かう先は、ラルカスの住む洞窟だ。
その少し前、ラルカスは洞窟の中で一人、頭を抱えて苦しんでいた。
「ぐッ……はぁはぁ……一体どうしたというんだ。ここ最近、変に頭痛が激しい……。こんなに
ひどいのは初めてだ……」
ラルカスは頭痛を抑えようと、いつもやっているように牛肉へ手を伸ばした。しかし口に
運ぶ寸前になって、顔を大きく歪める。
「うッ! 嫌な臭いだ……!」
肉を投げ捨て、洞窟を出ると森の木の一本に目をつける。熱に浮かされるように、木に茂る
葉っぱにむしゃぶりつくと、恍惚の笑みを浮かべた。
「美味い!」
だがすぐに我に返り、慌てて口に含んだ葉っぱを吐き捨てた。
「馬鹿な……! 葉が美味いなんて、そんな訳があるか! これではミノタウロスどころか……
ただの牛ではないか!!」
激しく動揺するラルカスは右腕の鼻ぐりをなでるが……その時に気がついた。
「なッ……!? 鼻ぐりが締めついて、外れなくなってる……!?」
昨日までは確かに着脱可能だったのに、今は腕にきつく締まっていて取れなくなっていた。
何もしていないのに、こんなことになるはずがない。
「ま、まさか……鼻ぐりに込められた牛の霊が、怨念となってわたしを呪ってるのか……!?
勝手に鼻ぐりを持っていき、牛の肉に食らいつくわたしを、牛にしようと……。そんな……
そんな馬鹿なぁ!」
愕然と立ち尽くすラルカスだが、彼の信じたくない気持ちとは裏腹に、実際に身体が牛の方に
傾きつつあった。
「う……ん……ンモォ―――――! こ、言葉まで牛に……!?」
自分の口から、牛の鳴き声そのものが発せられたことに、ラルカスはいよいよ恐慌し出した。
「や、やめてくれ……! 誰か助けてくれぇぇぇッ!」
狂ったように喚きながら、どこかへと向けて駆け出していく。
初めは二足歩行だったが……徐々に前傾姿勢になっていき、遂には四足で走っていた。
グレンたちが洞窟に到着した時には、ラルカスは既にいなくなっていた。彼らは洞窟の前に、
大きなミノタウロスのものの足跡が連なっていることに気づいた。
「この足跡、新しい……」
「追いかけるぜ! 嫌な予感がする!」
足跡をたどって走っていく一行。その足跡が、途中から蹄に変わったことにタバサと
シルフィードは息を呑んだ。
「ひゃああああああああああッ!?」
そして前方から、人の悲鳴が聞こえた。急いでそちらへ向かうと、近くの住民と思しき
男性が腰を抜かしていた。
「そこのあんた! 一体どうした!?」
「み、ミノタウロス……いや、牛の化け物が走ってった……!」
ミノタウロス、ではなく牛の化け物、と呼んだことにグレンは青ざめていった。自分の懸念は、
的中していたのか。
三人はそれから脇目もふらず、蹄の痕跡を追うのを再開した。
その頃ラルカスは、かつて鼻ぐりを取っていった塚の前へとたどり着いていた。その時には、
彼の姿はもうミノタウロスと呼べるものでもなくなっていた。胴体だけが辛うじて人間の、人間牛だ。
「はぁ……はぁ……」
屠殺された牛たちの鼻ぐりを山にした鼻ぐり塚にすがりつき、ラルカスは叫ぶ。
「許してくれぇッ! 頼む! 牛にしないでくれぇぇッ!!」
だが懇願も虚しく、ラルカスの身体はめきめきと膨れ上がり、けばけばしく変色していく……!
「ブモォ――――――――!」
森の中を走るグレンたちの視界に、景色に突然立ち上がった牛のような超獣の姿が飛び込んだ。
その超獣の右腕には、鼻ぐりが嵌まっていた。
「あれは!? くそッ、やっぱりこうなっちまったか……!」
「あれってまさか、ラルカスさんなのね!?」
驚愕するシルフィード。彼女の言う通り、ラルカスはヤプールの結晶の影響によって噴出した
鼻ぐりに込められた牛たちの怨念を一身に受けたことで、恐ろしい超獣カウラになってしまったのだった!
「ブモォ――――――――!」
カウラは人の住んでいる村の方へ向かおうとしている。人間たちに殺され食べられていった
牛の呪いの化身であるカウラは、その復讐として人間を食らい尽くそうとしているのだ!
「やべぇ! 止めなくちゃなんねぇぜ!」
「頑張ってなのね、グレン!」
グレンはカウラに狙われる人々を救うため、シルフィードの応援を受けながら変身!
グレンファイヤーが飛び出していき、カウラの面前まで先回りした。
『止まれ! ここから先には行かせねぇぜ!』
「ブモォ――――――――!」
カウラは立ちはだかったグレンファイヤーに、遠慮なく突進! 鋭い角がグレンファイヤーに襲いかかる!
『ぐッ! 聞く耳持たねぇってか!』
咄嗟に受け止めたグレンファイヤーは、上腕筋を盛り上がらせて剛力を発動。カウラの突進を
押し返す。パワーファイターであるグレンファイヤーの力は、牛そのものの力が宿ったカウラにも
引けを取らない。
「ブモォ――――――――!」
しかしその時、カウラの姿が大きくぶれ、分身したように見えた! 牛たちの怨念の迫力が成せる業か!
『んッ!? 何だこりゃ、幻覚か!?』
突然の幻惑攻撃に、さしものグレンファイヤーも戸惑った。どれが本物のカウラなのか?
見抜く前に、カウラの頭頂部の中央に生えた角から紫色の光線が発射された!
『ぐわぁッ!』
光線の直撃をもらったグレンファイヤーは大きくひるむ。その隙を突いて、カウラが肉薄して
腕の先の蹄で殴り掛かってくる!
「ブモォ――――――――!」
『うおぉぉッ! くぅッ……!』
蹄の振り下ろしは最早鈍器の叩きつけだ。殴打の強烈な衝撃にグレンファイヤーも追い詰められるが、
『怨念なんかにゃ、二度と負けてたまるかぁッ! もう誰の命も、奪わせやしねぇぜッ!』
叩きのめされながら、グレンファイヤーの戦意は強く燃え上がった。その理由は、怨念の前に
大事な仲間が消え去ってしまったから。もうあんな悲劇は起こさないと、彼は誓ったのだ。その想いが、
熱い炎を作り出す! ファイヤーコアが点灯した!
『うおおおぉぉぉぉぉ――――――――――! ファイヤァァァァァァァァ――――――――――――ッ!!』
「ブモォ――――――――!!」
盛り返したグレンファイヤーの炎の拳が、逆にカウラを追い詰め始めた! 凄まじい気迫の
拳打は怨念の力を押し返し、カウラに物理的以上のダメージを与える。
戦況は一気に逆転。カウラはグロッキー状態になり、もうひと押しすれば完全に倒せる状態まで行った。
が、しかし、ここに来てグレンファイヤーはとどめを躊躇う。その理由は次の通りだ。
『このまま倒すのは簡単だ。けど、こいつはラルカスが変身したもの。やっつけちまっていいのか……!?』
ラルカスは、ミノタウロスの身体になり果てながらも、あくまで人間。カウラを倒すということは、
彼を見殺しにすることになる。そんなことをしていいのか。だが、カウラに宿った怨念をどうやって
晴らせばいいものか……。
手をこまねいていると、グレンファイヤーに応援がやってきた。ミラーナイトであった!
『グレン、事情は伺いました。超獣を元に戻すのは任せて下さい』
『ミラーナイト! 分かった、頼んだぜ!』
体力を戻したカウラは、新たに現れたミラーナイトへと突進を仕掛けていく。だがミラーナイトは
よけようとも逃げようともせず、視線をカウラのある一点に集中していた。
その一点とは、腕の鼻ぐり! 牛の怨念の中心がそれであると、ミラーナイトは見抜いたのだ!
『はぁぁぁッ!』
そして流れるような蹴り上げを見舞った! タイミングは見事ばっちり。つま先が鼻ぐりに命中し、
鼻ぐりは腕から外れ吹っ飛ぶ!
怨念の中心が離れたことで、カウラは一気に力を失った。
『いやぁッ! とぉあッ!』
ミラーナイトはそのままジャンプして鼻ぐりをキャッチ。そして降下しながら、それをカウラの
鼻に目にも留まらぬ速さで嵌め込んだ!
「ブモォ――――――――……」
その途端に、カウラは先ほどまで猛っていたのが嘘のように大人しくなった。鼻ぐりが本来の
位置に嵌まったことで、牛の怨念は慰められて落ち着いたのだ。
『さぁ、仕上げです。ヤプールの結晶にとどめを!』
『よっしゃあッ!』
最後はグレンファイヤーが決める。カウラの巨体を高々と持ち上げると、地面へ向けて勢いよく投げた!
その衝撃により、ヤプールの結晶は粉々に砕け散って消滅した。それにより牛の怨念も霧散していき、
カウラは元のラルカスの状態に戻った。
ヤプールの悪あがきの超獣を無事に退治したことにより、ミラーナイトは帰還していった。
グレンファイヤーも人間の姿に戻り、タバサたちの元まで駆け寄る。タバサとシルフィードは
仰向けに倒れているラルカスの側にいた。
「おーい! お前らー!」
「あッ、グレン! お見事だったのねー!」
シルフィードは戻ってきたグレンに向けて歓声を上げた。これで事件は解決……。
が、その時にラルカスが勢いよく起き上がり、タバサに飛びついた!
「えッ!? お姉さま!」
ラルカスの目は鈍く、赤く光っており、粘性の高い涎が垂れている口から言葉が漏れ出た。
「ぐぅお……わ、わたしはき、貴族……ウマソウ……人間……オマエ、ウマソウ……タベル……!」
明らかに様子がおかしい。言動がミノタウロスそのものになってきている!
「そんな……ここまで来て、ラルカスさんはミノタウロスになっちゃったのね!?」
シルフィードは“変化”を解いてタバサを助け出そうと身を乗り出した。が、それをグレンにさえぎられた。
「待て」
「どうして止めるのね!? 早くしないとお姉さまが……」
「タバサの目を見ろ」
タバサはこの状況で取り乱さず、じっとラルカスを、冷たい、蒼い瞳で見据えていた。
それに気づき、シルフィードもゴクリと息を呑みながらも見守ることにする。
「ウマソウ。ダカラオレ、オマエヲタベル……」
葛藤を見せていたラルカスだが、とうとうミノタウロスの本能の方が勝ったのか、捕らえた
タバサに対してかぶりつくように大口を開けた。
その瞬間にタバサは呪文を唱えた。
「ラグーズ・ウォータル・イス・イーサ・ウィンデ」
一瞬で、ラルカスの口腔内の涎が氷結して、“矢”へと変化した。何十本もの氷の矢は喉から
食道を通って体内に飛び込み、内臓をズタズタに引き裂いた。
ごぽっ、とラルカスが血液を吐き出し、タバサを放して横に倒れた。
その目から、赤い、獣の光が消えていく。ついで、ラルカスの血まみれの口が開いた。
「……これでよかったのだ。藁にもすがって、牛肉にかぶりついてごまかしても、本当のところは
自分の精神が徐々にミノタウロスに近づいていっているのは自覚していた。日に日に“わたし”で
いられる時間は減っていった。いずれ近い内に、本当に人間に襲いかかっていただろう。死のうとも
考えたが……わたしには己の命を絶つ勇気がなかった。それに比べて、少女よ、君は見事だ。
わたしはかつて火を放って洞窟内のミノタウロスを窒息させて殺したのだが……、スマートな
やり方とはいえぬな。お前のように、硬い皮膚を避けて内臓を狙うことなど思いもつかなかった」
タバサがひと言告げる。
「たまたま気づいた」
ラルカスは唇のはしをわずかに持ち上げた。笑顔を浮かべているのだった。
「礼を言うぞ。気に病むことはない。わたしは本当は、とっくに死んでいたのだ。逃げ続けていた
死がとうとうやってきただけのこと……。少女よ、最後にお前の名を教えてはくれんか」
タバサはわずかに目をつむったあと……、己の本名を告げた。
「シャルロット」
「よい名だ」
「ありがとう」
小さく、タバサは頷いた。
「ああ……、自分が自分でなくなるというのはイヤなものだな。実にイヤなものだ」
ラルカスは先ほどより大きな血の塊を、ごぽ、と吐き出した。それが合図でもあるかのように、
ラルカスの小刻みな痙攣が止まる。
ゆっくりと、徐々に、ラルカスの目から光が失われていった。
ラルカスの遺体はグレンたちによって火葬された。死を避け続けた挙句に牛の怨霊になりかけたが、
最期は人として死ぬことが出来たのは幸せだったのかもしれない。
「ラルカスさん……、自分が自分でなくなるのがイヤだって言ってたけど……、そのとおりなのね。きゅい」
シルフィードのひと言にグレンが頷く。
「そうだな。人は、どんなに辛いものでも、自分の運命にゃきちんと向き合わなくちゃいけねぇんだ。
逃げたら、きっと何かがおかしくなっちまうんだろうな」
グレンの言葉を、タバサは無言で聞いていた。
ラルカスに対して黙祷を捧げたグレンは、タバサとシルフィードに向き直る。
「……これで事件は解決だ。俺はまた旅に戻る。捜さなくちゃなんねぇ奴もいるしな……。
お前らはキュルケんとこに帰るのか?」
「うん」
「もう寄り道はしない」
タバサの言葉に、グレンはゆっくりと頷いた。
「分かった。またどこかで巡り合う時があったら……お互い力に合わせようぜ」
グレンとタバサは静かに約束を交わすと、互いの道へと分かれていった。それからグレンがつぶやく。
「ゼロ、サイト……もしお前らの運命が最悪のものでも、俺はそれにちゃんと向き合う。
向き合わなくちゃなんねぇ……。けど、そうと決まるまでは、俺は諦めないからな。
運命に立ち向かうのが、人間のすべきことなんだ!」
グレンの願いが無事に叶っているということを彼が知るのは、もう少し先のことであった。
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