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#navi(ウルトラ5番目の使い魔)
第30話
その一刀は守るために
巨蝶 モルフォ蝶 登場!
水精霊騎士隊と銃士隊は今、全滅の危機に瀕していた。
吸血鬼に占領されたサビエラ村への潜入を試みるものの、村の構造を熟知していた吸血鬼エルザに先を読まれて、水源地の沼地に放たれていたモルフォ蝶の毒鱗粉にやられた。
才人とルイズなき今、ウルトラマンの助けも得ることはできず、全身を毒に犯された彼らには立ち上がる力すらろくに残ってはいない。
このまま、不気味に飛び続ける毒蝶のエサとなるしかないのか。全員行方不明として、トリステインに記録されるしかないのだろうか。
エルザはあざ笑い、ティファニアは信じて祈る。
小型ながら、立派に怪獣扱いされるモルフォ蝶。その毒は強烈で、激しい渇きと痛みに襲われる。だがそれでも、彼らはまだあきらめてはいなかった。
「み、みんな、まだ生きてるかい?」
「ギ、ギーシュ、苦しい。目がかすむ」
「しっかりしたまえ、それでも女王陛下の名誉ある騎士かいっ!」
ギーシュがなんとか、気力が潰えそうになっている仲間を叱咤して支えている。
「さあ、杖をとり、あの忌々しい蝶を叩き落すんだ! ごほっ! ごほほっ」
しかしモルフォ蝶の毒は喉にも影響を与え、魔法を唱えるのに必要な呪文の詠唱をすることができない。そして魔法が使えなければ、彼らはただの少年と変わりはなかった。
「ち、ちくしょう……」
一方で、銃士隊はさらに深刻であった。
「くそっ、手に力が入らない……」
毒素のせいで手がしびれて剣が握れない。剣士の集団である銃士隊にとって、剣が握れないというのは致命的であった。かといって銃も同じだ。震える腕ではまともに狙いも定まらないし、いくら翼長八十センチもあるとはいえ、蝶の小さい胴体にそう当たるものではなく、羽根に当たっても軽く穴が空くだけで、逆にさらに鱗粉がばらまかれるだけだ。
彼女たちは、自分のうかつさを悔いていた。この沼地に入ったとき、襲ってきたモルフォ蝶を銃士隊と水精霊騎士隊は迎え撃ち、何匹かを倒すことには成功したのだが、それがまずかった。
魔法を受け、空中で爆発したものは鱗粉を大量に撒き散らし、剣で切り落とすために接近したときにも鱗粉を食らってしまった。このメンバーの中で、ルクシャナだけはモルフォの危険性を知っていたが、彼女も現物を見るのははじめてだった上に、沼地の暗がりのためにモルフォ蝶であるということに気づいたときには遅かったのだ。
「わたしとしたことが、ポーションの原料に逆にやられるなんて。こんなんじゃ、叔父様やエレオノール先輩に叱られちゃう。うっ、ゴホッゴホッ!」
「うぁぁっ、喉が焼ける。水、水ぅ」
「やめなさい! 水を飲んではダメよ。体の中まで毒がまわって、ほんとうに助からなくなるわ!」
ルクシャナが、喉の渇きに耐えかねて沼に這い寄ろうとしているギムリやギーシュ、銃士隊員を必死に呼び止めた。
モルフォ蝶の毒は単なる毒ではない。呼吸器官を焼いて猛烈な渇きを覚えさせ、人間や動物は必死に水を求める。だが、モルフォの棲む沼地の水には当然モルフォから飛び散った毒が混入している。これを飲もうものなら内蔵にまで毒が回って致命傷となってしまう。
いや、単に死ぬだけならマシといえる。モルフォの鱗粉の毒素は、魔法アカデミーでポーションの原料として珍重されているように、他の物質と混合することで様々な性質に変化する特性を持っている。通常の生息地であれば毒物であるだけなのだが、本来の生息地とは違う水辺の水と混合すれば、どんな性質の毒素に変わるのかまったく読めないのである。事実、本来日本には生息しないはずのモルフォ蝶が蓼科高原に出現したときは、毒素の複合作用で人間が巨大化してしまうというとんでもない結果を生んでいる。
ここの沼の水も、飲んだらどんな恐ろしい作用が出るかわからない。彼らは道端の草を食いちぎって噛み潰し、その苦味で必死に渇きをごまかそうとした。
彼らの頭上には、まだ十数匹のモルフォが舞って鱗粉を飛ばし続けている。蝶は一般的に花の蜜を好むと言われるが、実際はかなりの悪食でモルフォの種類も腐った果実から動物の死骸までもなんでも食べる。この巨大モルフォ蝶が、毒鱗粉で倒した動物をエサにする習性を持っていたとしてもなんらおかしくはない。
このままではやられる! だが、たかがチョウチョなんかに殺されてたまるものかと、ギーシュたちも銃士隊もなんとか毒鱗粉から逃れようともがいた。だが、相手は空を飛んでいるために逃げられない。
さらに、毒が視神経などにも作用し始めると、毒の末期的症状が出始めてきた。
「くそっ、目がかすむ。頭が、重い……」
なんでもないときにただ目を瞑っているだけでも、いつの間にか眠ってしまっていたという経験は誰にでもあるだろう。視覚が効かなくなれば、睡魔が一気に襲ってくる。ましてや毒の傷みと渇きで苦しめられた分、眠りの誘惑は強烈だ。そして眠ってしまえば、気力で毒に対抗していたのが切れてしまい、二度と目覚めることができなくなってしまう。
もはや誰にも、戦う力は残っていない。いや、正確にはひとりだけ毒鱗粉を浴びることを避けられた者がいたが、彼女は戦士ではなかった。
「おねえちゃん、怖い、怖いよぉ」
アリスはミシェルのマントを頭からかぶって、地に伏せながら震えていた。毒鱗粉が撒き散らされたとき、一行は身を守ることもできずにこれを受けてしまったが、アリスだけは子供で小柄だったことでミシェルがとっさに自分のマントをかぶせてかばっていたのだ。
しかしミシェル自身は毒鱗粉をかわすことができずに、まともに毒鱗粉を浴びてしまった。アリスの傍らに倒れて咳き込みながら、喉の痛みに耐えて身をよじる。いくら強力な魔法騎士である彼女でも、こうなれば戦いようがない。それでも、ミシェルは怯えるアリスをはげますように話しかけた。
「……っ、大丈夫か、アリス?」
「う、うん。おねえちゃんこそ、苦しそうだよ。ねえ、あのチョウチョはなんなの? この沼で、あんなの見たことないよ」
どうやらアリスに毒鱗粉の影響はなさそうで、ミシェルは少し安心したように息を吐いた。しかし、ミシェルはアリスにすまなそうに答えた。
「吸血鬼の奴が、ここにわたしたちが来ると読んで罠を張っていたらしい。すまない、どうやら吸血鬼のほうが一枚上手だったようだ。アリス、動けるか?」
「う、うん。大丈夫だよ」
「そうか、なら……逃げろ」
「えっ! そ、そんな。おねえちゃん!」
動揺するアリス。だがミシェルはアリスにつとめて優しく答えた。
「心配するな。おねえちゃんも、もう少しがんばってみる。けど、君が近くにいたら危ないんだ。だから、しばらく安全なところへ、ね?」
「……う、うん」
「いい子だ。さあ、行け!」
ミシェルに背中を叩かれて、アリスははじかれたように走り出した。ミシェルのマントを頭からかぶり、口を布で押さえて走っていく。
「いい子だ……さあ、そのまま行け」
ミシェルは、アリスが沼地の端の木立の影にまで駆けていったのを見届けると、ほっとしたように息をついた。
これでもう、アリスは大丈夫だ。あれだけ離れれば、毒鱗粉の影響を受けることはない。
だけどごめん……最後に、嘘をついちゃったね。わたしにはもう、がんばれる力なんてない。
ミシェルの体から、急速に力が抜けていく。
ごめんアリス……君の村を助けるなんて言って、結局なにもできなかった。
ごめんみんな……わたしのわがままにつき合わせて、みんなまでこんな目に。わたしは最低の指揮官だ。
ごめんサイト、お前からせっかくもらった命なのに。
おとうさま、おかあさま……わたし、もう疲れたよ……
まぶたが落ち、ミシェルの体が草地に横たえられる。それに気づいた銃士隊員が叫んだ。
「ゲホッゴホッ、副長? どうしたんですか副長! 目を開けてください。副長! 副長、ミシェル副長ーっ!」
だが、いくら叫んでも、もはやミシェルの眼が開かれることはなかった。身動きすることすらなくなった肢体に、毒鱗粉が粉雪のように積もっていく。
畜生! こんなところで死んでなんになるんだ。水精霊騎士隊は、銃士隊は、怒りのままに叫んだ。しかし、そんな彼らの上にも、毒鱗粉は無情に降り続けていた。
そして、その有様を見ていたエルザは嘲りを満面に浮かべて笑ってみせた。
「あははは、とうとう耐えられなくなる人が出てきちゃったね。おねえちゃん、あれでどうやって私を後悔させるの? あっははは」
「……」
ティファニアは、エルザの嘲笑に答えなかった。口で説明したところで、わかってもらえる類のものではないことを知っていたからだ。
ただひとつ言えることは、エルザはこれまでに自分たちが乗り越えてきた多くの壁を知らないということ。いや、事前情報としてロマリアからある程度のことは聞いているだろうが、自分たちの戦いと冒険の数々の厳しさは、とても口で説明しきれるものではない。
ならば、今できることはたったひとつ。仲間たちの力を信じて、最後まで信じきることだけだ。
「みんな、がんばって……」
まだ全員倒れたわけではない。命の灯火が残っている限り、まだ負けたわけではない。ティファニアは、それを信じていた。
しかし、ティファニアは信じることで心を支えていたが、信じるべき芯を失った心は絶望の沼に沈もうとしていた。
仲間たちの声も届かず、ミシェルの心は深い眠りの中へ落ちていく。落ちていく、落ちていく……
「疲れた。もう、眠らせてくれ」
ミシェルはもう、なにもかもがどうでもよくなっていた。副長としての職責も、世界の命運も、いまでは全部が空しく思える。それらを背負うのは、わたしには重すぎた。
だが、ひどい奴だな、わたしは、とミシェルはぽつりと思う。自分はこんなに無責任な人間だったのだろうか? 多分、そのとおりなのだろう。
思えば、最初から自分には、世界を守るために戦うなどといった正義感や使命感はなかった。わたしはいつだって、わたしのためにだけ生きてきた。生き延びるために、復讐のために費やしてきた半生、殺伐とした人生だった。
でも、そんな自分をおせっかいにも救い出してくれる奴がいた。サイト……あいつはわたしを優しい人だと言い、大罪人であるわたしを守ってくれた。
そして、わたしは恋を知った。人の思いの暖かさも知り、やっと自分以外の誰かのために生きてみようと思えるようになった。
だけど、あいつはもういない。サイトは、わたしの愛した一番大切な人はもうどこにもいない。それでもう、わたしの心にはどうしようもないくらいに大きな穴がぽっかりと空いてしまった。
心残りは、こんなわたしのために必死になってくれた仲間たちを裏切ってしまうことになったこと。でも、わたしにはもうみんなの期待に応える力は残ってない。アリスを見たとき、胸の奥がざわついて、もう少しだけがんばれる気がしたけど、やっぱりだめだった。
いったい、どこからわたしという人間はだめになってしまったんだろう。昔、遠い昔には心から幸せだった頃もあった。そうだ、あれはおとうさまとおかあさまがまだ生きていた頃……
思い出の中で、ミシェルは夢を見始めた。
「おとうさまー、見て見て、わたしね、今日新しい魔法を覚えたんだよ」
「ほお、それはすごいね。まだ十歳なのに、こんなに難しい魔法を覚えるなんてミシェルは偉い子だ。さすが、私の娘だな」
「あなたったら、そうやってすぐ甘やかすんですから。でも、ミシェルもよくがんばったわね。これなら魔法学院に入る前にはラインクラスに昇格できているかもしれないわね」
「えへへ」
優しい父と母、幸せだった毎日。あのころは、明日が来るのが待ち遠しくて仕方がなかった。こんな日々が、ずっと続くものだと思っていた。
けど、十年前のあの日。
「おとうさま、お出かけするの? 今日はお仕事お休みでしょ。わたしと、遠乗りに行くお約束は?」
「ごめんなミシェル、父さんはこれから高等法院に出頭しなければいけないんだ。約束を破ってすまないが、聞き分けてくれるかな?」
「うん、お仕事だものね。おとうさま、がんばって!」
「いい子だ。なあ、ミシェル」
「なに? おとうさま」
「お母さんを、大事にな」
なぜか寂しげな顔で、父は出かけていき、わたしは父の言葉を不思議に思いながらも、その後姿を見送った。
それが、父を見た最後だった。あのリッシュモンの策略で、父は汚職事件の主犯だとあらぬ罪を着せられて、形ばかりの裁判で貴族としてのすべてを奪われた。
失意の中で、父は二度と帰ることなく、自ら命を絶った。
そして、父の最期を知った母も。
「ミシェル、よく聞きなさい。お母さまはこれから、貴族の妻としての最後の責務を果たさねばなりません。私がお父様の部屋に入ったら、すぐに屋敷を立ち去りなさい。決して、追ってきてはいけませんよ」
「お母様、なにするの? お父様はどこなの? なんでお役人さんが、家のものをみんな持っていっちゃうの? ねえ、お母様」
「ごめんね、ミシェル。母さんも、あなたが大きくなるのを見たかったわ。けど、お父様の汚名を少しでも雪ぐためにも、お母様は行かなければいけないの。でも、せめてあなただけは生きて」
「いやだよ、お母様。行かないで、わたし、もっといい子になるから」
「ミシェル、これからはあなたは一人で生きていくの。私の、私たちの自慢の娘。あなたの母になれて、よかった。さあ、行きなさい!」
「待って! 待ってお母様!」
「ついてきてはなりません!」
「ひっ!」
そうして、震えるわたしの前でお母様は父の書斎に入っていき、やがて書斎から出た炎に屋敷は包まれた。
わたしは、すべてを失った。行く当てもなく国中をさまよい、生きるためにはなんでもやった。
やがて十年……地獄をさまよったわたしは、ようやく光の射す場所に帰れたと思った。なのに、やっと取り戻せたと思った幸せまで奪われた。
もういい、もうたくさんだ。せめてもう、静かに眠らせてくれ。
サイト、姉さん、みんな、守られてばかりでごめん……わたしは最後まで、一人ではなにもできないダメな人間だったよ……
疲れ果てたミシェルは目を閉じて動かなくなり、水精霊騎士隊と銃士隊も、時間とともにどんどんと力を奪い取られていっていた。
「うう、畜生。モンモランシー……せめて、ワルキューレの一体でも作れたら、ゴホッゴホッ」
「副長、クソッ! 見損なったわよ。あなたは、こんなに弱い人だったのか! これじゃ、サイトも浮かばれん。くそっ、こっちも頭が」
すでになにかの行動を起こすには、皆は毒鱗粉を浴びすぎていた。体を動かすことはおろか、声を発することさえすでに激しい痛みがともなう。知恵をめぐらせるべきレイナールやルクシャナも、毒のせいで思考が乱されて策を考えることができない。
なんとかしなければ、なんとか……そう思っても、あと数分ですべてが手遅れになろうとしていた。
時間が経つごとに、一行の身じろぎする動きが鈍くなっていき、声は弱く途切れがちになっていく。
もうすぐ、毒の症状の最終段階だ。エルザは、何度もモルフォを使っての狩りを成功させてきた経験から、ここまで毒の回った獲物が逃げられることはないと確信して笑った。
「あっははは! とうとうおねえちゃんの期待した奇跡は起こらなかったね。もう数分もすれば、みんな意識もなくなるよ。そうすれば、あとはじっくりとモルフォのエサだよ」
「なら、まだあと数分残っているわ。勝負はまだ、ついてないわ」
「ええーっ、無駄だって言ってるのに、あきらめが悪いなあ。まあいいか、あきらめが悪い人は嫌いじゃないよ。楽しめるからね」
エルザは、ティファニアが思い通りにいかなかったというのに、特に気にした様子もなくティファニアの前に立った。五歳児ほどの背丈しかないエルザは、柱に縛り付けられて座り込まされているティファニアとそれでやっと視線の高さが同じになる。エルザは身動きのできないままのティファニアの首筋に鼻を摺り寄せると、芳しげに息を吸った。
「いい匂い、おねえちゃん、とってもいい匂いだよ。とっても柔らかくて甘いいい匂い。いままで食べたどんな人間とも違うの。これがエルフの匂いなの? それともハーフエルフが特別なのかな」
「そ、そんなこと、わからないわよ」
「ふふ、まあそうだろうね。ああ、でも本当にいい匂い。こんないい匂いのする人の血ってどんな味がするんだろう? 食べてみたいなぁ。けどダメダメ、おねえちゃんは生きたまま渡さないとロマリアのお兄ちゃんとの契約に違反しちゃうもん」
ティファニアの匂いをいとおしげに嗅ぎながら、エルザは残念そうにつぶやいた。
吸血鬼は美食家だ。人間の中でも、若い女性の血を好んで吸う。吸血鬼が長い時間を町や村に潜伏してすごすのは、念入りに獲物を選別するためもあるという。
鋭い牙の生えた口からよだれを垂らし、しかし童顔には無邪気な笑みを浮かべている。その異様なアンバランスさに、ティファニアは背筋を震わせた。
と、そのときである。突然、ドタドタと階段を乱暴に上って来る音がしたかと思うと、ティファニアたちのいる部屋のドアが開かれた。そして部屋の中に、投げ込まれるようにしてひとりの少女が入れられてきたのだ。
「きゃっ! うっ、痛……」
少女は後ろ手に縛られていて、部屋の中に投げ捨てられると受身をとることもできずに体をぶつけて身をよじった。一方、少女を連れてきたらしい数人の屍人鬼は、ドアを閉めるとさっさと戻っていった。
いったい何が? 突然のことで事態が飲み込めないティファニアは、連れ込まれてきた少女を見て思った。栗毛でおとなしそうな顔立ちの、ティファニアより少し幼そうな感じの娘である。彼女も、自分の状況が飲み込みきれないらしく、部屋の中をきょろきょろと見回していたが、姿見の影からエルザが姿を見せると、ひっと引きつったような声を漏らした。
「エ、エルザ……」
「あらぁ、今度はメイナおねえちゃんが来てくれたんだぁ。くすくす、私の屍人鬼たちは気がきくねえ。ちょうど、祝杯をあげたいと思ってたから、おねえちゃんならぴったり」
「ひ、ひいぃぃっ!」
メイナと呼ばれた少女は、エルザが牙をむき出しにして笑いかけると悲鳴をあげて逃げ出そうとした。手を縛られているので、体ごとドアにぶつかって、口でドアノブをまわそうと必死になって噛み付いている。
しかし、エルザはひょいと跳び上がると、メイナの首筋をわしづかみにして、自分の倍以上の体格の少女を軽々と床に叩きつけてしまった。
「うぁぁっ、離して! 離してぇ」
「ダメだよぉ。うふふ、バカだね、人間ごときの力で吸血鬼にかなうはずがないじゃない。少しでも痛い思いをしたくなかったら、おとなしくしてたほうがいいよ」
エルザはメイナの耳元で脅しつけるように言うと、幼女の細腕からは信じられない力で彼女をティファニアの下まで引きずってきた。
「お待たせ、ティファニアおねえちゃん。さて、祝杯も来たことだし、続きをいっしょに楽しもうよ」
「祝杯、祝杯って、エルザ、あなたまさか!」
「そうだよ、わたしは吸血鬼、なにを当たり前なこと聞いてるの? 本当はおねえちゃんの血を吸いたいけど、それは我慢我慢。代わりに見せてあげるよ。人形みたいにきれいなこのおねえちゃんが、本物の人形みたいに白くなっていくところを」
そう言うと、エルザはメイナの髪をつかんで頭を上げさせ、首下にゆっくりと牙を近づけていく。
ティファニアはぞっとした。いけない、エルザは本気でこの人を食い殺す気だ。それに気づいたとき、ティファニアは大声で叫んでいた。
「やめて! やめてエルザ! そんなことをしてはだめ!」
「ダーメ、ティファニアおねえちゃんの頼みでもそれは聞けないなあ。私ってば、ロマリアのおにいちゃんに眠ってた力を目覚めさせてもらってから、お腹がすきやすくなっちゃったの。それに、メイナおねえちゃん……私、ずっと前からメイナおねえちゃんの血を吸いたくて吸いたくて、ずっと待ってたんだよ」
「エ、エルザ、やめ、やめて。わたし、何度もあなたに優しくしてあげたじゃない。わたしのこと、いい人だって言ってくれたじゃない。だから、ね」
震えた声で哀願するメイナ。しかしエルザは口元に凶悪な笑みを浮かべて。
「そうだね。よそから流れ着いたわたしを、村長さんの次に受け入れてくれたのがメイナおねえちゃんだったね。わたしに優しく声をかけてくれて、果物を持ってきてくれたこともあったね。ほんとに、こんな辺ぴな村では珍しいくらいのいい人だよ。だからね、人間ごときが吸血鬼を見下すその目が、最高に腹が立ったんだよねえ!」
「ぎゃあぁぁぁーっ!」
獣のような悲鳴がほとばしり、エルザの牙がメイナの喉下に食いついた。
ティファニアは、一瞬その凄惨な光景に目を背けたが、すぐにそうしてはいられないと目を開いた。
エルザの牙はメイナの首筋に深く食い込んでおり、エルザは喉を鳴らして美味そうに溢れ出す血をすすっている。だが、メイナの顔からは見る見るうちに血の気が引いていき、体がびくびくと震えていた痙攣もどんどん弱弱しくなっていく。
「エルザやめて! やめて!」
「だめだって言ってるじゃない。それに、メイナおねえちゃんの血、想像してたとおりにいい味。恐怖と絶望が最高のスパイスになってる。さあ見てて、あと少し吸えば……」
ティファニアの叫びにも、エルザは一顧だにしなかった。話すために一時的に離したエルザの牙が、またメイナの首に近づいていく。メイナはすでに白目をむきかけ、呼吸は不規則になって弱弱しい。
いけない! これ以上の吸血は、メイナさんは耐えられない。そう思ったとき、ティファニアの口は考えるより早く、その言葉を唱えさせていた。
「エルザ! メイナさんの代わりに、わたしの血を吸って!」
「はぁ?」
メイナの首筋にかかりかけていたエルザの牙が止まり、エルザはその予想もしていなかった言葉に呆れたように言った。
「メイナおねえちゃんの身代わりになろうっていうの? 見も知らない相手のために、聞いていた以上のお人よしだね。けど私の話を聞いてた? あなたを生きたまま引き渡さないと、私が困るんだよ」
「なら、殺さない程度に吸えばいいんでしょ。契約は生きたままで、生きてさえいれば違反にはならないんだよね。そうでしょ?」
「ちっ、そんな詭弁……」
「あなたは立派に仕事を果たした。なら、ロマリアも細かいことは言わないよ。第一、ハーフエルフの血を吸う機会なんて、もうないかもしれないんだよ。ちょっとくらい、いいじゃないの」
ティファニアの提案はエルザを少なからず悩ませた。
確かにティファニアの言うとおりだ。なにより自分は言われたとおりの仕事を長い時間と手間隙をかけてちゃんとこなして、このままロマリアにティファニアを引き渡してしまえば、そのままロマリアが丸儲けになるではないか。少しくらい自分にもおこぼれがあってもよかろうというものだろう。
「……いいよ、ただし後悔しないでね。血を吸ってるうちに、少しでも抵抗するそぶりを見せたら、メイナおねえちゃんはそこに転がってるぼろクズと同じになるまで吸い尽くすからね」
「ありがとう、いいよ」
ティファニアが首筋を向けると、エルザは不機嫌そうな様子ながら、ティファニアの喉に牙を突き立てた。
「くっ、ああっ!」
激痛とともに、ティファニアの喉から短い悲鳴がこぼれた。さらに痛みに続いて、激しい脱力感が湧いてくる。手足の力が抜けていき、激しい嘔吐感とともに全身に急激な寒気がしてきた。
これが、血を吸われるということ? ティファニアは、血とともに体中の熱や、命そのものまでも吸い取られていくかのような感覚に恐怖した。
だが、本当の意味で驚愕していたのはむしろエルザのほうであった。
「おいしい! なにこれ、こんなおいしい血、今まで味わったことないわ! すごい、すごいよ」
歓喜の表情で、エルザはティファニアの血をむさぼり続けた。喉を一回鳴らして飲み込むごとに、たまらない甘みと、体中が喜びに震えているような快感がやってくる。
まるで母親の乳房に吸い付く赤ん坊のように、エルザはティファニアから血を吸い続けた。しかしエルザの体に快感と力が満ちていく一方で、吸い取られ続けていくティファニアは見る間に衰弱していった。
しかし、そんな恐怖と苦痛を受けながらも、ティファニアはくじけず歯を食いしばって耐え続けた。ここで自分が抵抗すれば、エルザの牙は死に掛けのメイナに向かう。それだけは絶対にさせちゃいけないと決意するティファニアと、床の上で荒い息をつきながら横たわっているメイナの目が合った。
「あ、あなた……?」
「っ、大丈夫です。メイナさん、あなたはわたしが、んっ、守り、ますから」
途切れ途切れの弱弱しい声ながらも、メイナはティファニアの励ましの声を聞いた。
もちろん、ふたりは今日この場が初対面である。メイナにとって、ティファニアは見知らぬ人であり、どうして助けてくれるのかわからなかった。しかしそれでも、目の前の人が必死になって自分を助けてくれようとしているのはわかった。
メイナの見ている前で、ティファニアの肌がどんどんと白くなっていく。明らかに失血の症状で、さっきまでのメイナと同じ状態に陥りかけているのは誰の目にも明らかだった。
だが、にも関わらずにエルザはティファニアの首に食いついたまま離れようとはしなかった。いやそれどころか、ますます吸う勢いを強めてさえいるようだ。このままではもう一分も持たずにティファニアは失血死してしまう!
実はこのとき、エルザはティファニアの血のあまりの美味さ加減に我を失っていた。殺さないための血を吸う加減などは頭から吹き飛び、ひたすら食欲を満たす快感に身を任せている。しかし、ティファニアはメイナに手を出さないでくれという約束のために、吸血が致死量を越えかけているというのに抵抗することができない。そのときだった。
「んっ!?」
突然、吸血に没頭していたエルザのスカートのすそが引っ張られた。そのショックでエルザは思わず我に返り、口を離して下を見ると、なんとメイナが床に倒れたまま、エルザのスカートに噛み付いて引っ張っていた。
「なにかなぁメイナおねえちゃん? ちょうどいいところだったのに、せっかく拾った命を無駄にするものじゃないよぉ」
至福の時間を邪魔されたエルザは、殺意を込めた眼差しで足元のメイナを見下ろした。その足はメイナを冷然と足蹴にしており、メイナの出方しだいではそのまま頭を踏み潰してやろうと思っていた。しかし、メイナが苦しげな中で口にしたのはエルザが予想もしていなかった言葉だった。
「エ、エルザ……私の、私の血を吸って」
「はぁ?」
思わず間の抜けた声をエルザは出してしまった。当然だろう。血を吸われて死に掛けの人間が、さらに血を吸ってくれと言ってきたら気が狂ったとしか思いようがない。だが、メイナははっきりと正気を残している目で言った。
「その人、それ以上血を吸ったら死んじゃうよ……最初にあなたの食べ物だったのは私でしょ……だから、私で」
するとティファニアも、すでにしゃべるのも辛いだろうに叫んだ。
「だ、だめよ! あなた、もう死にそうじゃない。わたしなら、もう少し耐えられるから、わたしが」
「いいえ、あなたももう無理よ、ありがとう……エルザ、私の血をあげる。その人は助けて」
「いけないわ! エルザ、わたしの血のほうがおいしいんでしょ。メイナさんに手を出さないで」
ティファニアとメイナ、ふたりの半死人の気迫にエルザはこのとき確かに圧倒された。
「なに? なんなのあなたたち? お互いに死に掛けてるっていうのに、今会ったばかりの他人のために死んでもいいっていうの? 頭おかしいんじゃないの!」
顔を手で覆って、まったく理解できないというふうにエルザは叫んだ。命乞いや断末魔の呪いの言葉なら腐るほど聞いてきた。だが、こいつらはなんなんだ? メイナにしたって、最初は怯えて命乞いをしていたのに、なぜ今になって赤の他人のために死のうなどと言い出せるのだ?
「この期に及んでかばい合い? 私に情けでもかけさせたいっていうの。気分が悪いわ。最高にむかむかする……人間の分際でぇ!」
エルザは怒りのままにメイナの体を蹴り飛ばした。メイナの体は宙を舞い、壁に叩きつけられて動かなくなった。
「メイナさん!」
「心配しなくても、まだ殺してないよ。私を愚弄したむくい、簡単に死なせちゃおもしろくないわ。人間の分際で、吸血鬼をなめた罪は死ぬよりつらい目に会わせなきゃおさまらない」
「エルザ! あなたはどうしてそんなに人間を憎むの?」
ティファニアには、エルザの人間への感情が単なる敵対心や差別意識だけとは思えないほどの狂気を帯びているように思えた。確かに人間と吸血鬼は敵対する種族だが、それにしても度が過ぎている。するとエルザはティファニアの髪を乱暴に掴んで耳元でささやいた。
「知りたい? なら教えてあげるよ。エルザのパパとママはね、人間に殺されたんだ。私の目の前で、人間のメイジに虫けらみたいにね。それからずっと、私は一人で生きてきた。これでわかった? 人間が吸血鬼を狩るなら、当然自分たちが狩られてもいいはずだよね」
エルザの告白は、とても作り話とは思えなかった。きっとエルザが本当に幼い頃、言ったように両親が殺されたのだろう。けれどそれを聞いて、ティファニアははっきりと言った。
「エルザ、あなたの憎しみの元が何かはわかったわ。それでも、あなたのやっていることは正しいことではないわ」
「なに? 今度はお説教? おねえちゃん、自分が殺されないと思って調子に乗ってない? さっきはうっかりしてたけど、人間だけじゃなくて人間に味方するものはみんな嫌いなのよ。私は狩人であなたたちは獲物、その気になったら、おねえちゃんの首をすぐにでもねじ切ってあげるんだから」
「いいえ! わたしたちは決して分かり合えない存在じゃない。なぜならエルザ、あなたの中にも優しい心があるはずだから」
その瞬間、エルザは激昂してティファニアの首に手をかけて締め上げた。
「っ! また戯れ言を。私はね、獲物を狩るときにかわいそうだなんて思ってためらったことは一度もないのよ」
「違うわ……エルザ、あなたは両親を殺されたことが憎しみのきっかけになったと言った。だったら、あなたには両親を愛する心があったということ。誰かを愛する心が、悪いもののはずはないわ。その心を、ほんの少しだけ自分以外の誰かに分けてあげればいいの」
「知ったふうな口を……」
「エルザ、両親を奪われたのはあなただけじゃないわ。わたしだってそう、お父さんとお母さんを知らずに育った人を、わたしは大勢知ってる。あなただけが違うわけがない」
「違うよ、私は吸血鬼で人間を狩って食うもの。人間よりずっと強くて高貴な、美しき夜の支配者」
「そう、わたしたちは弱い。だから、互いの弱さを補って助け合うことを知ってる。誰かが傷つくのを黙っていられないから勇気を出せる。メイナさんだって、きっとそう……エルザ、あれを見て!」
ティファニアに言われ、エルザは遠見の鏡を覗き込んだ。そして、そこに映し出されていたものを見て今度こそ言葉を失った。
すべてをあきらめて、死の世界の門へと向かい続けるミシェル。彼女はそこへ向かう途中に、懐かしい思い出に身を寄せていた。
銃士隊への入隊、数々の戦い、裏切り、そして忘れもしない、才人とアニエスの決闘。
あのアルビオンで、才人は自分なんかのために初めて本気で怒ってくれた。そしてあのとき、才人はもうなにも残っていないと言ったわたしに……
「……きて……おき……おねえ……」
なんだ……? と、ミシェルは閉じかけていた意識の中でいぶかしんだ。この声は、この声は……
「て……きて……ちゃん……おきて……おね……おねえちゃん!」
はっ、と、ミシェルはその声の持ち主に気がついた。
アリス? しかしアリスは、あのとき確かに逃がしたはず。いったいどうして? ミシェルは、残った力でうっすらと目を開けてみた。
「起きて! 起きておねえちゃん! 起きて! 起きてよう!」
なんとそこには、逃げたはずのアリスが自分の隣に座り込み、体を揺さぶって必死に呼びかけている姿があったのだ。
バカな! なぜ戻ってきたんだ。ミシェルは、せめてアリスだけは助けようと思ったのにと、消えかけていた意識を呼び戻して顔を上げた。
「アリ、ス……」
「おねえちゃん! 気がついたんだね!」
「ばか……なんで、戻ってきたんだ」
「だって、だって……逃げたって、わたしはひとりぼっちになっちゃうだけだもん! ひとりで町になんて行ったことなんてないし、お役人さんは怖いし……わたし、ほんとはみんなの期待に応える力なんてない。だからお願い、助けて! 助けておねえちゃん! うっ、ごほっ! ごほっ!」
「ごめん……わたしにはもう、戦う力なんて」
弱虫な子だと、ミシェルは思った。せっかくひとりだけでも助かるチャンスが得れたのに、戻ってきたせいで毒鱗粉を浴びてしまっているじゃないか。
だが、苦しみながらもアリスの叫んだ一言が、ミシェルの心の奥底へと轟いた。
「そんなことない! グールをやっつけたときのおねえちゃんはすごく強かった! 村のみんなが待ってる! わたしはひとりぼっちになりたくない。だから立って! 戦って! おねえちゃんは、正義の味方なんでしょう!!」
その一言に、ミシェルの心臓が大きな鼓動を鳴らした。
正義の味方……そうだ、それはわたしにとってのサイトであり……ウルトラマン。どんな苦境にあっても決してあきらめず、どんな強敵にも勇敢に立ち向かっていく、ヒーロー。
思い出した。わたしは、そんなヒーローの姿にあこがれて、はげまされて立ち上がることができたんだ。そして、あんなふうに自分もなりたいと、剣をとって戦ってきた。
そして今、自分にすがり頼ってくる人がいる。そうだ、思い出したよサイト……あのとき、もう何もかもを失ったと思っていたわたしに、お前はこう言ってくれた。
”馬鹿言うな、守るものなんて……いくらだってあるじゃないか!”
「わかったよサイト……わたしにはまだ……守らなきゃいけないものが、ある!」
ミシェルの目に力が戻り、彼女は土を握り締めて、渾身の力で体を起こした。
「おねえちゃん!」
「アリス、ありがとう。お前の叫びが、わたしに大切なことを思い出させてくれた。そうだな、こんなところで死んだらあいつに怒られる。最後の最後まで、戦ってやるさ!」
心に炎を取り戻し、ミシェルは空を仰ぎ見た。そこに広がるのは暗雲に包まれた漆黒の空、しかしその頂点には強く輝くひとつの星が瞬いている。
見えたよサイト、わたしにももう一度、ウルトラの星が!
「アリス、これからおねえちゃんはもうひとあがきをやってみる。だけどそれは、とても危険な賭けだ。それでもおねえちゃんを、信じてくれるか?」
「うん! わたしは、おねえちゃんを信じる」
「ありがとう、強いな、君は。さあ、おいで」
ミシェルはアリスを懐に抱きかかえると、左手で強く抱きしめた。アリスは両手でぎゅっと、ミシェルにしがみついてくる。
強い子だ……ミシェルは先ほどの弱虫を撤回して、素直にそう思った。こんなに小さくて弱いのに、がむしゃらに向かってきて、わたしに大切なことを思い出させてくれた。
そうだ、わたしはアリスにかつての自分を見ていた。そしてわたしはかつてのわたしの母と同じようにしようとしたが、アリスはかつてのわたしとは違った道を選び、わたしを救った。もしも、あのときの自分にアリスと同じだけの勇気があれば、無理矢理にでも母に食い下がり、母を死なせずにすんだかもしれない。ただがむしゃらな、勇気さえあったら。
「過ちは、もう二度と繰り返さない。もう誰も死なせない!」
決意を込めて、ミシェルは杖を握って呪文を唱え始めた。毒鱗粉による喉の痛みも体のしびれも忘れ、体には力が満ちてくる。
「イル・アース・デル……」
自分の系統である土の錬金で、周囲一帯の土を油に変える。
「ウル・カーノ!」
さらに発火の魔法が唱えられ、油に変えられた地面が一気に燃え上がった。周囲一帯は火の海へと変わり、モルフォは慌てて逃げ惑う。もちろん、銃士隊や水精霊騎士隊も炎の中に飲み込まれる。
自殺行為か? だが、この炎の熱は思わぬ効果をもたらしていた。
「あっちいーーっ! あちち! あ、あれ? か、体が動くぞ」
「ギーシュ、動け、あれ? そういえば喉の痛みや体のしびれも消えた。どうして? いやアチチチチ!」
なんと、毒にやられて死に掛けていた水精霊騎士隊や銃士隊が次々に蘇ってきていた。だが、あれほどの毒が急になぜ? その答えは、ルクシャナが知っていた。
「そうか! モルフォの鱗粉は熱に弱いんだった。わたしとしたことが、なんでこんなことに気がつかなかったの、バカ!」
そう、モルフォ蝶の鱗粉は熱に対しては極端に弱く、高熱を受けると無毒化してしまう特性を持っている。実際、地球でもかつてモルフォの鱗粉で巨大化してしまった人間が、熱原子X線を受けて元に戻ったという報告がある。魔法アカデミーでも、モルフォの鱗粉を扱うときは火気厳禁が鉄則なのだが、その鉄則が仇になって、熱を使えば無力化できるということにルクシャナも思い至れなかったのだ。
そして、もっとも炎に弱いのは当然ながらモルフォ本体だ。あるものは炎にそのまま呑まれ、あるものは炎が鱗粉に引火して火達磨になって落ちた。そして、炎から逃げ出したモルフォに対して、炎の中から飛び出してきたミシェルの斬撃が叩き込まれた!
「でやぁぁぁぁっ!」
「ふ、副長!?」
銃士隊の見守っている前で、一匹のモルフォがミシェルの剣で真っ二つに切り裂かれ、さらに剣にまとった炎に引火して燃え落ちた。
それだけではない。ミシェルは炎をまとったままで跳び回って剣を振るい、モルフォを次々に叩き落していく。モルフォの撒き散らす毒鱗粉も、炎の鎧をまとったミシェルにはまったく効果がない。どころか、火の剣を振るうミシェルの前に、モルフォはなすすべなく火の塊となって燃え落ちていく。
炎の騎士……ギーシュは、炎をまとって舞うように戦うミシェルを見て、そうつぶやいた。自らの体をも炎で焼かれているというのに、あの勇壮さは、あの美しさはなんだろう。まるで、伝説の不死鳥が人の姿を成したかのようだ。
圧巻、その一言……やがて錬金で作り出された油がすべて燃え尽きたとき、宙を我が物顔で舞っていたモルフォは一匹残らず消し炭になって燃え尽きていた。
そして、灰の大地の上に立つ青い髪の戦乙女。彼女は、腕の中に抱えていた少女をおろして、優しく微笑んだ。
「終わったよ。アリス、よくがんばったね」
「おねえちゃん。やった、やった! 勝った、勝ったんだね!」
「副長!」
「みんな……すまない、心配をかけたな。だが私は、もう大丈夫だ」
力強い笑みを浮かべたミシェルに、銃士隊と水精霊騎士隊の一糸乱れぬ敬礼が応えた。
しかし、これで収まらないのはエルザである。水精霊騎士隊と銃士隊の全員生存、さらにモルフォの全滅という、ありえない事態だ。
「あ、いつらぁぁぁ! よくも、私の可愛いペットを」
「エルザ、もうやめましょう。あなたがわたしたちと争ってなにになるというの。永遠の夜なんて、そんなのきっと寂しいだけだよ」
「黙ってて! 私はね、寂しいなんて思わないわ。夜の種族は、人間を支配する選ばれた者なの。いいわ、もう遊びは終わり。そんなに言うならあの人たちをおねえちゃんの目の前でギタギタに切り刻んであげるから」
エルザが念を込めて命じると、ミシェルたちのいる沼地の周りで無数の人影がうごめいた。そして、数百の屍人鬼の群れが、彼女たちを取り囲んでいった。
続く
#navi(ウルトラ5番目の使い魔)
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