「暗の使い魔‐14」(2015/07/09 (木) 19:12:50) の最新版変更点
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#navi(暗の使い魔)
その日の朝、教室に集まったルイズのクラスメイト達は、目を丸くしてそれを見ていた。
「いでっ!いでででっ!オイ、引き摺るなクソッタレ!オイ!あだあっ!」
床に全身を擦りつけ、段差にゴトゴトとぶつかりながら、黒田官兵衛は目前を歩む主人に抗議の声を上げていた。
官兵衛の手枷に繋がれた鎖を引っつかみ、ツカツカと教室内を突き進むのは、全身から不機嫌のオーラを発する少女ルイズ。
そして犬の散歩よりもむごい体勢で、その後を引き摺られる官兵衛。
みると官兵衛は、髪の毛は焦げてちぢれており、顔や肌は煤で汚れていた。
ルイズは、そんな官兵衛に目もくれず、不機嫌そうにドスンと席についた。
「ちょっ……何やってるのルイズ?」
美しくロールした金髪の少女、香水のモンモランシーがルイズに尋ねた。それにルイズは前を向いたまま答える。
「しつけよ」
「しつけって、何したの彼?」
モンモランシーの言葉に、代わりに官兵衛が答える。
「ああ、この娘っ子は昨晩夢見が悪かったらしく、小生の所へ――」
「おだまりっ!!」
ルイズが鎖を強く引くと、官兵衛が机横の階段から転げ落ちた。
ウゲとかゴゲとか叫びながら、官兵衛は教卓の方へ転がり落ちていく。
キュルケが面白そうにルイズに話しかけた。
「あらなに?怖くなってダーリンのベッドにでも忍び込んだの?」
「ンなわけないでしょうが!こいつが私をたたき起こして、挙句の果てに品の無い言葉で侮辱したのよ!」
「品の無い言葉?」
キュルケが首を傾げた。
いったいどんな言葉なのだろうか、と興味をもったキュルケが、下の方で転がってる官兵衛にしなだれかかった。
「ねえダーリン、貴方も大変ね。気性の荒いヴァリエールに理不尽にも虐げられて。
良かったらこの微熱に胸の内を明かしてみない?」
「お、おう」
二つのメロンを押し当てられながら頬を染め、官兵衛は喋りだす。
「昨晩あの娘っ子が怒り出したから、よっぽど夢見が悪かったと思い、シモの心配を――」
その瞬間、官兵衛の目前が爆発した。キュルケはそれを読んでいたらしく、とっさに机の陰に隠れる。
「なぜじゃあああああああっ!!」
放物線を描いて官兵衛が飛ぶ。そして頭を黒板に叩きつけられ、その場でうずくまった。
見ると、ルイズが顔を蒼白にし、震えながら杖をこちらに向けていた。どうやら彼女が口封じに爆発を放ったようだった。
ルイズはダンダン!と乱暴に階段を駆け下り、助走をつけると跳躍。
動けない官兵衛に、華麗に、軽やかなるドロップキックを見舞った。
「ぶぎゅっ!」
官兵衛の頬に二つの靴裏が激突する。壁と靴裏に挟まれ、官兵衛の顔がゴム鞠のように変形した。
「こんの……!無駄にデカイ図体の大馬鹿犬ッ!」
しゅたっ、と華麗に床に着地し、膝立ちでキメるルイズ。官兵衛の頭の周りに、黄色いヒヨコが舞った。
彼女は狩人が矢をつがえるが如き速度で、かばんから鞭を取り出すと、散々に官兵衛に打ち下ろした。
「犬ッ!ばか大型犬!なにツェルプストーに喋ろうとしてるのよッ!あんたはワンとでも喋っておけばいいのよ!コラ!」
彼は朦朧とする意識の中、そんな凶暴な主人から四つんばいになって逃げ惑った。
それを追い掛け回し、散々に叩くルイズ。
「いだっ!やめろお前さん!降参!降参といえばわかるか!?」
そんな二人を、クラスの皆は唖然として見つめていた。
その時だった。
「ゴホン……授業を始めてもよろしいかな?ミス・ヴァリエール」
官兵衛を踏みつけるルイズの前に呆れた表情で、ミスタ・ギトーが立っていた。
暗の使い魔 第十四話 『アンリエッタ現る』
「いたたたた。畜生あの娘っ子、絶対許さんっ」
官兵衛は教室の隅にある彼の定位置に座り込みながら、授業を受けるルイズを睨んでいた。
今教室では、『疾風』の名を持つ風メイジ、ミスタ・ギトーの講義が始まっている。
長い黒髪に漆黒のマントを纏った、冷たい雰囲気のギトーは、若いのになぜか生徒達から人気がない。
前述した不気味な雰囲気もあるが、その主な理由は彼自身の性格にあった。
ギトー曰く、最強の系統、それは風に他ならない。
風は全てをなぎ払う。火も水も土も、そしておそらく虚無でさえも、烈風の前では立つことすら適わない。
それが彼の持論であるのだが――
「ミス・ツェルプストー。君の得意な炎を私に放ってみたまえ」
彼は、座席に座るキュルケを指すと言った。
「後悔しますわよ?」
「構わん。全力で来たまえ。そのツェルプストー家の赤毛が飾りでないのならな」
ギトーが挑発すると、キュルケの表情から小バカにしたような笑みが消えた。
キュルケが胸元から杖を引き抜いて目の前にかざす。瞬間、ぶわっと彼女から熱気がほとばしり、真紅の長髪が逆立った。
官兵衛はその様に、ほうと思わず感嘆の色を示した。
遠目からでもわかるその熱の凄まじさ。それはかつて戦国の世でも目にした、炎を扱う武将達。
その彼らの放つ熱気に勝らぬとも劣らぬ代物であった。
天海との戦いでは遅れをとったが、それでも戦場では一線級で活躍できるであろう。
そんな彼女の実力を垣間見た官兵衛であった。
キュルケが詠唱をすると、右手に灯った炎が一気に1メイル程の大きさに膨れ上がる。
手首を軽く胸元に引き寄せ、それを押し出すように膨れ上がった火球をはじき出す。
見るも巨大な燃え盛る炎が、ギトーに絡みつかんとした。
だがギトーはそれを避ける素振りも見せず、剣のように杖をなぎ払う。
瞬間、勢いを持った炎がいともたやすく掻き消え、烈風が吹き荒れた。
そして、炎の向こう側に居たキュルケはその風を喰らい、吹き飛ばされてしまった。
それを冷ややかに見つめながら、ギトーは言い放つ。
「理解したかね諸君、これが風だ。全てをなぎ払い、また悪しきものから身を守る盾ともなる」
生徒を犠牲にしてまでその己の系統の力強さを説く。
それがギトーのやり方であり、また彼が生徒達からの人気が無い理由であった。
「そしてもう一つ。風が最強たる所以は……」
ギトーが杖を掲げ、低く呪文を詠唱し始める。
「ユビキタス・デル・ウィンデ――」
しかしその時……。教室の扉がガラッと開け放たれ、珍妙ななりをしたコルベールが現れた。
頭には馬鹿でかいロールした金髪のカツラ。胸元にレースやら刺繍が施されたローブと、やたらとめかしこんだ格好であった。
「ミスタ?」
ギトーが怪訝な顔でコルベールを見つめる。
「あややや、ミスタ・ギトー!失礼しますぞ!」
「授業中です」
ギトーがコルベールを睨みながらそういうも、コルベールは続ける。
「えー!今日の授業は全て中止です」
すると、その言葉に教室中から歓声が上がった。
コルベールが、お静かにとばかりに両手で騒ぎを制し、もったいぶった調子で言う。
「皆さんにお知らせですぞ」
仰け反りながらコルベールが続けようとする。
しかし仰け反った瞬間、彼の頭の上のカツラがずるりと滑り、床に落ちた。
あ、と口を空けてその様を眺める官兵衛。
禿げ上がった頭部が光り、どこと無く哀愁漂わせるのを見て、官兵衛は切ない気分になった。
そんな空気に、所々からくすくす笑いが起こる。
一番前の座席に座っていたタバサが立ち上がり、コルベールの頭部を指差し一言。
「滑りやすい」
その瞬間教室は爆笑の渦に包まれた。こらえきれなくなった生徒達が腹を抱える。
「あなた、たまに口を開くと、言うわね」
キュルケが笑いながらタバサの肩を叩いた。コルベールが顔を真っ赤にして怒鳴る。
「ええい!黙らっしゃい!小童どもが!貴族はおかしい時はこっそり下を向いて笑うものですぞ!」
コルベールあまりの剣幕に、教室はひとまずおさまった。
「おほん。皆さん、本日はトリステイン魔法学院にとって、よき日であります。恐れ多くも、先の陛下の忘れ形見、
我がトリステインがハルケギニアに誇る可憐な一輪の花、アンリエッタ姫殿下が、本日ゲルマニアご訪問からのお帰りに、
この魔法学院にご行幸なされます」
その言葉に隣に座っていたルイズがハッとなったのを、官兵衛は見逃さなかった。
コルベールは、アンリエッタ姫殿下歓迎の式典を催す事、生徒らに正装を促し、門に整列する事を告げると、うんうんと頷いた。
「(姫殿下ね……)」
官兵衛は、門前に整列した生徒達に混じりながら、その様子をどこか他人事のように眺めていた。
官兵衛の戦国の世でも、姫という身分は民衆にも多少の人気がある。
例えば伊予河野の隠し巫女・鶴姫は姫御前と呼ばれ、民衆並びに兵士達から絶大な人気を誇っている。
生まれつき、未来を見通す不思議な力を持っており、伊予河野の象徴としても崇拝されている。
また、かつての魔王・織田信長の妹君であるお市も、その容姿から虜にされる者々も多い。
妖しくもこの世のものとは思えないその美貌は、鶴姫とは別の方向で、純粋に兵士達の尊敬と畏怖を集めていた。
その様に、ひとえに姫といってもその支持され方は様々である。
官兵衛は、この世界では初めて目にする姫殿下とやらが、どのように扱われているのか興味があった。
最も、日ノ本地方の姫君と、一国の姫ではそのありようは大分差があるであろうが。
アンリエッタとやらはこの大層な歓迎式典を見れば、その人気のありようは一目瞭然である。
金銀プラチナのレリーフがかたどられた豪奢な装飾の馬車が敷地内に入ってくるのを見て、官兵衛はそれに注目した。
「トリステイン王国王女、アンリエッタ姫殿下のおなーーーーりーーーーっ!」
衛士の合図とともにガチャリと扉が開いた。白髪の丸帽をかぶった男性があらわれ、王女の手をとる。
王女の登場に生徒達は一斉に沸き立った。王女の可憐な花のような笑顔に、周囲の生徒らからため息が漏れるのが聞こえる。
成程確かに美しい、と官兵衛は柄にも無く素直にそう思った。
しかし、官兵衛が気になったのは王女の手をとった白髪の男性、マザリーニ枢機卿であった。
彼こそが、トリステインの政治と実務を一手に引き受ける人物。
平民の血が混じっていると噂され、『鳥の骨』と揶揄されるてはいるが、実質的なトリステインの指導者は彼であった。
時々平民の間でも話題に上がる為、官兵衛もその名前は知っている。
「(奴さんが恐らくマザリーニだな……)」
成程、年老いてはいるがその眼光はまったく衰えてはいない。
そして一身で政治の修羅場を執持ってきたことが、それ相応の雰囲気を醸し出していた。
このトリステインを落とす計略をする上で最も邪魔になるのがあの男だろう。官兵衛は無意識にそう考えた。
最も、今の官兵衛にはそれを行う力も理由もないのだが。
官兵衛は緋毛氈のじゅうたんの上を歩むアンリエッタとマザリーニ、その周囲に目を凝らした。
後方をグリフォンに跨った、つば広帽子の貴族が続く。王宮直属の魔法衛士隊の隊長である。
「(あの男を片付けるには、こいつ等が一番厄介かもな……)」
一糸乱れず整列行進する魔法衛士隊の様を見て、官兵衛は物騒にもそう思った。官兵衛はふと周りを見回す。
貴族の生徒らは憧れの表情で、その魔法衛士隊の行進を見守っている。
特に女子生徒などは、隊の先頭を歩くつば広帽の男が気になる様子で、皆一様に頬を染めていた。
成程、確かに男前といえば男前だが……。
「(何かムカツクな!)」
官兵衛はそう思った。彼は自分の境遇と比べると、格段に華やかで恵まれている魔法衛士隊の面々が気に入らなかった。
「(畜生、小生だって天下取ればこんなもんじゃないぞ。お前さんらなんかよりもずっと高みだ!)」
そう思いながら、悔しげに枷を見やるのだった。
「おいお前さん」
なんだかイライラしてきた官兵衛は、ルイズに話しかける。しかし……ルイズは答えない。
なにやらぽ~っと頬を染めながらある一方向を凝視している。
官兵衛がその方を見やると、やはりその方向には魔法衛士隊の隊長の姿が。
「(こいつもそのクチか!畜生!)」
ますます気に入らない。どいつもこいつも華やかな方に行きやがって、と官兵衛は歯軋りした。
この時のルイズの様子が、他の女子生徒のそれとは微妙に違う事に気付かずに。
その夜、官兵衛は自分の寝床の上で、ボロ布を手に一生懸命あるものを磨いていた。
ごしごしと、両手で丹念に汚れを落とす。黒く光るそれは擦るたびに輝きを増し、見る見るうちに姿を変えた。
「よし!できたぁっ!」
パシンと手を打ち、官兵衛はふぅと息をつく。
官兵衛の鉄球が嬉しそうにキュインと光沢を放った。
綺麗になった鉄球を愛おしそうになでる官兵衛を見て、壁に立てかけられた一振りの剣が愚痴をこぼす。
「あ~いいよなぁソイツは。俺様もそんくらい丁寧に磨かれたいぜ」
「お前さんだっていつも磨いてるだろうが。それなのになんで錆び錆びのままなんだ」
官兵衛は深くため息をつきながらデルフリンガーを眺めた。
「それより相棒、ほっといていいのか?あの娘っ子」
「ああ?あいつがどうしたって?」
「昼ごろからずっとあの調子じゃねぇかよ」
デルフリンガーの言葉に、官兵衛はふとベットに腰掛けたルイズを見やった。
そこには、なにやら虚ろな表情でぼけっとしているルイズがいた。
時折立ち上がっては部屋の中をウロウロと歩き回り、またベットに座りこむ。
そして、官兵衛が妙に思い声を掛けても、一向に反応しないのである。
落ち着きが無いその様は、昼間のアンリエッタ歓迎式典の時から続いていた。
「はっ、知った事か!」
鼻を鳴らしながら官兵衛は言う。
官兵衛は昼間の騒ぎのせいかほぼ今日一日、ルイズと口を利いていなかった。
わけもわからず怒りを買い、散々犬呼ばわりされて虐げられたのだ。内に怒りを秘めた官兵衛は、無視を決め込んでいた。
そんな官兵衛を見かねてデルフリンガーは言う。
「いいのかい、一応主人だろ?こういう時は声の一つでもかけてやらにゃあ」
「お断りだ。またなんの因縁ふっかけられるかわからんからな」
「そうかい」
そんな官兵衛に、デルフは何も言わなかった。
官兵衛はやる事が無いのか、暇そうにあくびをしながら寝る体制を整えている。
と、その時だった。ルイズの部屋のドアが不意にノックされた。
それもただのノックでは無い。初めに長く二回、次に短く三回。規則正しいノックであった。
官兵衛が妙に思い身を起こす。ルイズが我に返り、トトト、とドアに駆け寄った。
そしてドアを開くとそこに立っていたのは、真っ黒な頭巾を深く被った一人の少女であった。
少女はあたりを見回した。そして自分ら以外に人の気配が無い事を確認すると、さっと部屋に入りドアを閉めた。
「あなたは……?」
ルイズが驚いた顔で少女に問いかける。頭巾の少女は鼻先で指を立てると、静かに持っていた杖を振った。
すると、杖から光の粉が舞い上がり、部屋の隅々を駆け巡った。
「ディティクトマジック(探知)?」
「どこに耳や、目が光っているかわかりませんからね」
そういうと少女は頭巾を取った。頭巾のしたから現れたのは……
「姫殿下!」
そう、今トリステイン学院に行幸中のアンリエッタ王女その人であった。
ルイズが慌てて膝をつく。思わぬ人物の登場に、官兵衛は目を丸くした。
「お久しぶりね。ルイズ・フランソワーズ」
アンリエッタは、涼しげな心地よい声で言った。
「ああ、ルイズ!ルイズ!何て懐かしいの!」
膝をつくルイズを、アンリエッタは駆け寄って抱きしめた。
「姫殿下いけません。こんな下賎な場所へお越しになられるなんて……」
「ああルイズ!そんな堅苦しい行儀はやめて頂戴!貴方とわたくしはおともだちじゃないの!」
「もったいないお言葉でございます。姫殿下」
ルイズが固い面持ちで緊張したように言う。
「そんな言い方はやめて!あなたはこの世で唯一気を許せるおともだち!
上っ面だけの宮廷貴族達とは似てもにつかない、心よりの理解者!
そんな貴方まで、よそよそしい態度を取らないでちょうだい!息が詰まって死んでしまうわ!」
「姫殿下……」
ルイズが顔を上げる。と、その視線がアンリエッタのそれと合わさった。
間を置かずして、くすくすと笑いあう二人。
それから、二人の緊張がほぐれるのに時間は要さなかった。
どうやらルイズは、幼少のみぎりアンリエッタの遊び相手をつとめていたのだそうだ。
昔なじみ同士、宮廷など様々な場所で遊んだ思い出。遠い日の記憶。
それらが、二人を姫や貴族といった肩書きとは無縁の、無邪気な少女達に変えていた。
官兵衛は、彼女らが楽しそうにはしゃぐさまを、ただ静かに眺めていた。
ややあってそんな官兵衛に、アンリエッタが気付いた。
「あら、ごめんなさい。もしかして、お邪魔だったかしら」
「お邪魔?どうして?」
官兵衛の存在を見るなり、王女は口元に手を当て恥ずかしそうに笑った。
「だって、そこの彼、あなたの恋人なのでしょう?嫌だわ。わたくしったら……」
と、そこまで言いかけてアンリエッタは固まった。
そして、官兵衛と部屋のクローゼットを見比べ、急にオロオロしだした。
「いかがいたしました?姫殿下?」
ルイズがアンリエッタの視線を追う。するとそこには、クローゼットの傍の乗馬鞭、ここまではまだ良かった。
だが、問題はもう一つの物である。官兵衛の腕には、手枷と鎖が、ずっしりとその存在を誇示してるではないか。
「ひ、姫殿下これは――!」
違うんですと弁解しようとするルイズ。しかし、アンリエッタはカ~ッと顔を赤くすると。
「ご、ごめんなさい本当に!わたくしったら何ていう時に!」
とんでもなく誤解をしている言葉を口にした。
アンリエッタの脳内にあらぬ妄想が浮かび上がる。
「ち、違います!コレとアレは決してそのような下賎な行為を行った跡ではっ!」
「い、いいのですよ!ルイズ!愛というものは様々な形があってこその……!」
「ですから違うんです!本当に!!」
きゃあきゃあとわめく二人の乙女を前にして、官兵衛は頭に疑問符を浮かべた。
「おいデルフ。どういう騒ぎだ?こりゃあ……」
「相棒は思ってたよりずっとピュアだあね」
デルフリンガーは呆れたように、鈍い自分の持ち主を眺めていた。
とりあえずルイズは、官兵衛が使い魔であること。そして事情あって手枷をつけている事を、時間をかけて説明した。
時間はかかったが、そんなこんなでようやくアンリエッタの誤解を解いたルイズであった。
アンリエッタがため息をつきながら言う。
「貴方が羨ましいわ。自由ってなんて素敵なのかしら。」
それに対して、何をおっしゃるのかとルイズが口にする。
アンリエッタは窓の外に浮かぶ月を眺め、その後にっこりと笑いながらルイズに向き合った。
「結婚するのよ。この度わたくし」
「……おめでとうございます」
その言葉に悲しいものを感じ、ルイズは沈んだ調子でそう返す。
アンリエッタの笑顔もどこか無理をしている様子が見て取れた。
その結婚が本人の望まぬものであるということが、官兵衛には良く分かった。
政略結婚か、とどこの世界でも同じような事がある、と考える官兵衛。
と、そうしているとアンリエッタが再び深いため息をついた。
「姫様、どうなさったんですか?」
アンリエッタのその様子に何かを感じたルイズは、即座に尋ねる。
しかし、アンリエッタは何かを隠すようにかぶりを振った。もの悲しげな表情を浮かべ、アンリエッタはルイズに言う。
「なんでもないのよ、ルイズ・フランソワーズ。お気になさらないで?」
それを聞いてルイズがアンリエッタに詰め寄る。
「姫様、わたくしにはわかります。そのご様子、なにかとんでもないお悩みがあるのでしょう?」
あの明るかった姫様がそんな物憂げな表情でため息をつくなど、それ以外考えられない。ルイズはそうまくし立てた。
それでも、アンリエッタは言う。とても貴方に話せる内容ではない、と。
ルイズはとうとう我慢出来なくなって、アンリエッタの瞳をぐっと見据えて言った。
「姫様?姫様はこの私を、友達、とおっしゃってくださいましたね?
幼い頃から魔法の才能が無いと言われていたこの私を、恐れ多くもお遊び相手にお選び下さり」
その言葉に、アンリエッタは思わず目の前の少女と視線を交わす。
「あの懐かしい日々より数多の月日が過ぎました。目を閉じれば思い出します。
宮廷で、庭園で、そしてラグドリアンの湖で、幾度と無く過ごした楽しい日々を。
恐れ多い言葉になるでしょうが。今でも、私にとっても姫様はかけがえのない『お友達』でございます」
王女のブルーの瞳がわずかにゆれた。
「そんな私に、お悩みを打ち明けて下さらないのですか?
私は私を思ってくださる、そして私が友誼を捧げるお方の憂う姿を、見過ごす事など出来ません。」
「おお、ルイズ……。ルイズ・フランソワーズ……」
アンリエッタはその言葉に感極まり、ルイズを抱きしめた。
「ありがとう、ありがとうルイズ。わたくしのおともだち……」
二人の美少女が抱き合う。少しの時間をおいて二人は離れた。
やがてアンリエッタは、決心したように言葉を紡ぎ出す。
「今から話す事は、決して口外してはなりません」
瞳に強い意志を宿し、アンリエッタは親友とその使い魔を見た。
まずいな、と官兵衛は思った。
官兵衛は背を向け、そそくさと扉に駆け寄る。
「ちょっと、どこ行くつもり?」
そんな官兵衛の背中を、ルイズはギロリと睨んだ。官兵衛は冷や汗をかきながら、自分の主人と王女に言う。
「いや、厠《かわや》だ」
官兵衛は、何がなんでもこの部屋からおさらばしたい所であった。
こういった場所で夜更けにこっそり行われる会話。おおよそ内容は想像がついた。
王女が抱えている悩みというのは、おおかた大っぴらにできない面倒ごとだろう。それも政治的要素をふんだんに含んだ。
そしてそれを自分が耳にするという事は、その面倒ごとに丸々巻き込まれるということである。
「待ちなさい。これから姫様と大事な話が……」
「そうかい。大事な話なら小生がいないほうが都合がいいだろう?」
そういって強引に逃げようとする官兵衛に、アンリエッタからダメ押しの一言が。
「いや、メイジにとって使い魔は一心同体。席を外す理由がありません」
いやいや!どうしてそうなる?冗談ではない!
官兵衛は心の内で、盛大に舌打ちをした。
「いやいやいやっ!小生、実はもう限界でね!頼む!早いとこトンズ……いやいや、厠にいかせてくれ!」
「あんた今トンズラって言いかけたでしょっ!」
「気のせいだ、キノセイ!そんじゃあな!」
そういって官兵衛はドアノブをガチャリと捻った。その瞬間である。
「おわあぁぁぁっ!?」
一人の少年が情けない声を上げて部屋の中に倒れこんできたのだ。
突如現れた金髪の少年を見て、ルイズは声を上げた。
「ギーシュ!」
そう、そこに居たのはルイズのクラスメイト、ギーシュ・ド・グラモンであった。
「……はっ。こ、これは――」
ギーシュは、自分がルイズの部屋の中に居る事に気がつくと、即座にアンリエッタにひざまづいた。
「ギーシュ!あんた!立ち聞きしてたの?」
「ち、違うんだ!ふと気配を感じ、薔薇のように見目麗しい姫様を見つけて。で、ついつい後をつけてみればこんな所に」
「何が違うのよ!」
ルイズが、凄まじい剣幕でギーシュを怒鳴りつけた。だが、ギーシュは怯まずに立ち上がると、アンリエッタに向き直り。
「姫殿下!このギーシュ・ド・グラモンにも是非とも!そのお悩み、打ち明けてはいただけませんか!」
きりりっ、と言い放った。
「グラモン?あの、グラモン元帥の?」
アンリエッタが、きょとんとしてギーシュを見つめた。恭しく一礼しながら、ギーシュが言う。
「息子でございます。姫殿下」
「あなたも、わたくしの力に?」
「姫殿下のお役に立てるというのであれば、これはもう、望外の幸せにございます」
熱っぽい口調で語るギーシュに、アンリエッタは微笑んだ。
「ありがとう。お父様も立派で勇敢な貴族で、この私に良く尽くしてくれました、あなたもその血を受け継いでいるのね。
ではお願いしますわ。ギーシュさん」
ハイィ!と感極まった様子になるギーシュ。
よし!今のうちだっ!と、外へ出る官兵衛、すると。
「カ~ン~ベ~エ~?」
威圧感たっぷりの声とともに自分の肩がつかまれた。
万力のような握力に肩を締め上げられて、官兵衛は思わずうめいた。
ルイズが口角を引きつらせ、官兵衛を部屋の中へと引きずり込んでいった。
「で、では改めて……」
地面に這いつくばった官兵衛。その上に腰掛けたルイズに、アンリエッタは戸惑いを見せながら話を始めた。
アルビオンという王国で反乱軍が蜂起し、今にも王室が倒れそうなこと。
そしてハルケギニア統一を目論む反乱軍は、革命成立の暁にはトリステインに進行してくること。
小国であるトリステインは、隣国のゲルマニアと同盟を組み、それを迎え撃たなければならないこと。
そのために、アンリエッタがゲルマニア皇室に嫁ぐこと。
そしてあろうことか、その婚姻を阻止する材料がアルビオン王室にあることだった。
予想以上に深刻な国家間の情勢の話を耳にして、官兵衛はやっぱりか、といった顔つきになった。
「姫様!姫様のご婚姻を妨げる材料って一体なんなのですか?」
ルイズが真剣な表情でまくしたてる。アンリエッタは、それに対して苦しそうに呟く。
「……わたくしが以前したためた一通の手紙なのです」
「手紙?」
「そうです。それがアルビオンの貴族達の手に渡ったら、彼らはすぐにゲルマニアの皇室にそれを届けるでしょう」
「どんな内容の手紙なのですか?」
「それは言えません。でも、それを読んだら、ゲルマニアの皇帝は、このわたくしを赦さないでしょう。」
成程、と官兵衛は思った。
婚姻を妨げる内容が書かれた手紙。それも、アンリエッタが直々にしたためたもの。
そしてアンリエッタの表情から、官兵衛は内容の想像がついた。
「相手は?」
「はい?」
「その手紙を送った相手は、どこの誰だ?」
いつの間にか立ち上がっていた官兵衛が、唐突にアンリエッタに問いかけた。
ルイズがムッとして官兵衛に突っ掛かろうとするのを、アンリエッタが静かに制した。そしてゆっくりと口を開いた。
「反乱勢力と骨肉の争いを繰り広げている、アルビオン王国の皇太子ウェールズさまに……」
「……成程」
それを聞くと、官兵衛は静かに頷いた。
「ああ、破滅です!ウェールズ皇太子は、遅かれ早かれ反乱勢に囚われてしまいます!
そうしたら、あの手紙も明るみに出てしまいます!そうすれば、同盟ならずしてトリステインは一国でアルビオンと戦わねば……ああっ!どうしましょう!」
アンリエッタは大層に声を張り上げ、のけぞってみせた。
「では姫様、私に頼みたい事というのは……」
「いえ!無理よ無理無理!混乱しているんだわ!あろうことか、貴族と王党派が争いを繰り広げている
アルビオンに赴いて手紙を回収するなんて!とてもお願いすることはできないわ!」
しかしルイズとギーシュは、興奮した様子で言う。
「なにをおっしゃられますか!姫様の御為とあらば、例え火の中・水の中・草の中ッッ!私達は何処なりと向かいますわ!
ヴァリエール公爵家の三女としてッ!」
「このギーシュ・ド・グラモンも!グラモン家のにゃにきゃけて!」
盛大にかんだ。
ギーシュはしばらく固まっていたが、ややすると落ち着き、渋い声色――でも上ずっってる。彼の精一杯――で言い直した。
アンリエッタはそれを気にした風もなく微笑を浮かべる。
「このわたくしの力になってくれるというの?」
「もちろんですわ!姫様!」
「この命にかえてでも!」
ルイズはアンリエッタの手を取り、熱した口調で言う。ギーシュは直立不動になりながら、言い放った。
アンリエッタがぼろぼろと泣き出す。
「ああ、忠誠!これが誠の友情と忠誠です!何よりも尊きその想い!わたくしは、あなた方の友情と忠誠を一生忘れません!」
「ゆ、友情だって!?姫殿下が僕に友情とおっしゃってくださった!姫殿下とおともだち……!ぶはあっ!」
ギーシュが息を吐きながらぶっ倒れる。そんな三人の様子を見て官兵衛は、心底ついていけない、そう思った。
「王党派は、度重なる戦いの末、国の端まで追い詰められている聞き及びます。敗北も時間の問題でしょう」
ルイズは真顔になると頷いた。
「早速明日の朝にでも、ここを出発いたします」
アンリエッタは官兵衛に向き直ると。
「頼もしい使い魔さん。わたくしの大事なおともだちを、これからもよろしくお願いしますね」
すっと左手を差し出した。ルイズが驚き声を上げる。
「いけません!姫様!このような汚らわしい使い魔にお手を――」
「あのなぁ」
官兵衛がこめかみに青筋を浮かべながら言った。汚らわしいとはなんたる言い草か。
「いいのですよ。忠誠には報いるところがなければなりません」
アンリエッタは官兵衛にニッコリと笑いかけて見せた。
もっとも官兵衛はまだ一言も、行くとも働くとも言っていないのだが。もはや彼が同行するのは確定事項らしい。
官兵衛は取り合えずアンリエッタの手の甲に口付けをすると、静かに心の内でひとりごちる。
だから嫌だったんだよ、と。
しかし、いまさら拒んでも詮無き事。
自分と、学生二人というなんとも頼りない面子での旅ではあるが、王女直々の依頼だ。やるしかない。
何より、ルイズを放っておくわけにもいかない。彼女は大事な、帰る手がかり足がかりなのだ。
官兵衛は、アンリエッタから必要最低限の情報を仕入れる。
皇太子らはアルビオンのニューカッスル付近に陣を構えている事。アルビオンへ行く経路。日数等々。
そして、アンリエッタは机に座ると、ルイズの羽根ペンと羊皮紙を使って手紙をしたためた。
アンリエッタは途中なにやら思いつめた様子で懺悔し、最後の一文を手紙に書き加える。
「始祖ブリミルよ……。この自分勝手な姫をお許しください。でも、国を憂いても、わたくしはやはり、この一文を
書かざるを得ないのです。自分の気持ちに、嘘をつくことは出来ないのです。」
その様はまるで恋文でもしたためたかのようであった。
「ウェールズ皇太子にお会いしたら、この手紙をお渡しして。すぐに件の手紙を返してくれるでしょう」
魔法で封蝋と花押が押された手紙をルイズに手渡しながら、アンリエッタは言った。
それから、右手の薬指の指輪を引き抜くと、ルイズに手渡した。
「母君から頂いた『水のルビー』です。せめてものお守りに。必要とあらば売り払って旅の資金にあててください」
ルイズははじめは驚いた様子だったが、やがて感動した面持ちになり、深々と頭を下げた。
「この任務にはトリステインの、いえハルケギニアの未来がかかっています。どうか、アルビオンの猛き風にうち勝てるように。」
官兵衛たちの予想だにしない旅が、今この時より始まったのだった。
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