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#navi(Neverwinter Nights - Deekin in Halkeginia)
ある日のトリステイン魔法学院、図書館の一角にて。
「ンン~……、」
ディーキンが何冊もの古びた本に次々と目を通しては、考え込んだり、メモを取ったりしていた。
人間用に作ってあるがゆえにコボルドにとってはいささか大きすぎる本が多く、机の上に座って、本を抱え込むようにして読んでいる。
今は日中で、生徒らはまだ授業中である。
ディーキンは毎日時間割を見たり、時には挨拶がてら教師に確認に行ったりして、授業内容を事前に把握するようにしていた。
自分が出ても仕方が無さそうな授業の時間には、ルイズに断って席を外し、他の作業をしに向かうのだ。
やりたいことはいくらでもあるのだが、そういった時間には主として今のように、図書室へ向かう事が多かった。
そこで自分に必要な勉強や調査をしたり、ルイズの爆発について何か前例や手掛かりがないか、古い文献を調べてみたりするのである。
そんなわけで、ルイズに召喚されてまだ数日だが、ディーキンは既に何度もここに顔を出している。
学院の全ての施設の中で彼が一番有用性が高いと考えており、また気にいってもいる場所がこの図書館なのだ。
フェイルーンのように本がまだまだ高価で希少な世界に住む者としては、書物の与えてくれる知識の素晴らしさを高く評価するのは当然であった。
入り口に座っている若い女性の司書は、そんな彼の様子を僅かに微笑みながら見つめていた。
彼女は、ディーキンが最初にここを訪れた時には、汚い亜人に触られて貴重な本が傷まないかと嫌そうな顔をしていたものだが……。
彼が非社交的な雰囲気を醸し出している彼女に対しても愛想よく友好的に接し、本も丁寧に扱うのを見て、程なく態度を改めた。
だからなのか、机の上に座るなどの行儀の悪い行動に対しても、体の大きさの関係上やむを得ない事と理解して見逃してくれている。
まあ、彼がちょこんと座って本を抱える姿が愛らしくて気にいったから、というのもあるのかもしれないが。
「……ウン。これはもういいから、返しておいて。
次は、あの本と……、アア、それと、そっちの本も取って来て欲しいの」
ディーキンはめぼしい部分を読み終えた本を傍らの《見えざる従者(アンシーン・サーヴァント)》に渡し、元の場所へ返却しておくよう指示する。
それに加えて新しく目をつけた本を持ってくるよう、さらに別の従者にも指示を出した。
不精なようだが、自分で本を取ろうにも、図書館の中で翼を広げて飛び回ったり、本棚をよじ登ったりするわけにもいくまい。
その点これらの従者は形を持たぬ力場なので、音もなく移動でき、高いところの本でも楽々取って来てくれるのだ。
最初はルイズの要求を満たすために仕方なく呼び出した従者だったが、自分自身でもあれやこれやで存外便利に有効利用できている。
なんでも試してみるもんだね、とディーキンはひとりごちた。
そういえば、フェイルーンでもウィザード・ギルド内部では、あらゆる種類の雑用に呪文を使っていると聞いた。
掃除や給仕などはすべて見えざる従者が行い、本のページをめくるのにすら《魔道師の手(メイジ・ハンド)》などの呪文を使用するらしい。
それは、自分は賤しい雑用などに筋肉を使う必要がないのだと誇示することで、仲間たちからの尊敬を集めるためだという。
そこでディーキンも、ためしに自分も偉大な魔法使いっぽくやってみようと、一度は見えざる従者に本のページをめくるよう指示を出してみたのだが……。
ちょっと読むたびにいちいちページをめくれと口で指示しなくてはならないのが面倒だったので、すぐに止めてしまった。
こんなことをするくらいなら、自分の手でめくっていく方が遥かに手っ取り早くて楽だ。
試してみてはいないが、《魔道師の手》の呪文にしたところで自分の手で本のページを捲るよりも楽だとはまず思えない。
あの呪文は使用するのに精神集中が必要なのだ。
呪文に精神を集中したままで本の内容にも注意を払って読んでいくなんて、余計疲れるに決まっている。
掃除や洗濯などの雑用を呪文でぱっぱと済ませるのは、やってみると確かに楽だった。
だが、自分の手を使う方が楽に決まっている作業にまで呪文を使うとは。
ウィザードという人々も合理的に見えて、おかしなところで虚勢を張るためにエネルギーを使っているのものなのだなあと変に感心した。
ハルケギニアのメイジがどうでもいい雑用まですべて呪文でやるというのも、似たような理由であるらしいし……。
「―――あなた、ずいぶんと精が出るのね?」
そんなことを考えながらページをめくっていると、脇の方から急に声を掛けられた。
司書が興味を持って席を立ち、傍に見に来たのだ。
「ンー……、そうかな?」
「ええ。ここの学生や教師にも、あなたくらい本を熱心に読む人は少ないわ」
これは別に、お世辞でも何でもない。
図書館に何日も続けて通う生徒は少ないし、借りていくのも大概小説とかの娯楽本だ。
テスト時期などのごく一部に参考書などの類を借りていく生徒が増えるくらいで、せっかくの蔵書の大半は埃を被っている。
この亜人に負けないくらい熱心にここに通っていろいろな本を読んでいるのは、眼鏡をかけた青髪の小柄な留学生の少女だけだろう。
あとは、何かの研究に熱中しているらしい時のコルベール教員が、たまに数日から数週間ほど集中して入り浸るくらいだ。
ここは歴史あるトリステイン王国でも有数の図書館であり、数千年前からの貴重な蔵書が収められているというのに、何とも嘆かわしいことである。
もっとも、親元を離れて青春真っ盛りの若者たちとなればそのくらいがむしろ健全だろうし、教員は何かと忙しい。
仕方がないことだとは自分も理解してはいるのだが……、司書の身としてはどうしても、一抹の虚しさを覚えてしまう。
それに、自分はお世辞にも社交的な方だとはいえないが、それでも学生が訪れない日中からずっとここで本の番をしていてはいささか寂しくもなってくる。
件の青髪の少女は授業をサボっているのか日中でも時折姿を見かけるのだが、あいにくと彼女は自分以上に極端に非社交的な性質らしい。
これまでに何百冊もの本を借りているにもかかわらず、未だに事務的な用件以外では口を聞いたことさえない。
「……よければ、一息入れて一緒にお茶とお菓子でもどうかしら?
人間の食事が口に合うのかは分からないけど、この間王都で美味しい御茶菓子買ってきたの」
だから時には、たとえ相手が変わった亜人の使い魔であってもこんな風に話し掛けてみたくなったりするのは致し方ないことなのだった。
それに聞いた噂では、この亜人は最近、ちょっとした人気者になっているらしい。
なんでも、この間の決闘の時に立ち会いをして、それに関する出来のいい詩歌を作ったとか……。
図書館で歌ってもらうわけにもいかないが、もし今日話してみて彼のことが気にいったら、今度聞きに行ってみようか。
さておきそれを聞いて、ディーキンの方は少し首を傾げた。
「ンー……、ディーキンはお茶もお菓子も大好きなの。
だけどここで飲んだり食べたりしたら、本が傷むんじゃない?」
「ええ、もちろん、ここで食べては駄目よ。
でも、カウンターの奥の方に私の私室があるから、よかったらそこで……」
ディーキンはもちろん二つ返事で承諾して、満面の笑みを浮かべる。
フェイルーンにいたころにも、縁あって呪いから救い出した有翼エルフの女王が返礼として歓待の宴に招待してくれたりしたことはあった。
だが、特に何の借りがあるわけでもないコボルドに自分から声を掛けて招待してくれるとは、なんとも嬉しいことだ。
このお礼に後で何か、芸でもお見せしなくてはなるまい。
図書館の中で楽器演奏というわけにもいくまいし、無声劇でもやってみようか?
そんなことを考えながら、ディーキンはその素敵な、親切な女性の後についていった……。
・
・
・
「…………」
そんな一連のやりとりを、タバサが少し離れた物陰から、黙ってじっと見つめていた。
彼女は今の時間の授業は自分には出る必要がないと判断したので、図書館へ行くことにしたのだった。
いまだに何か勘違いしているらしいキュルケに、「あら、ディー君と逢引? 頑張ってね」などと応援されたりしたが……。
実際のところ、大好きな本を読むために図書館へ来たのではあるが、ディーキンに会えればいいなと思っていたのも事実であった。
まだまだ聞いてみたいことがたくさんあったし、彼の語る様々な物語や不思議な音楽もとても気にいっていたから。
だから、図書館にディーキンがいたのは彼女にとっては願ったり叶ったりの状況……の、はずだった。
しかしタバサは、彼がちょうど司書と親しげに言葉を交わして私室へ招かれていくのを見て、声を掛ける事が出来なかったのだ。
しばらくの間俯いて、じっと立ち尽くしていたが……。
やがて大好きな本を見もせずにくるりと図書館に背を向けると、その場から静かに立ち去る。
(……私は、あの人と会話したこともない……のに……)
タバサは心中、穏やかではなかった。
私だって、思っていたのだ。
自分と同じようにいつも一人で、静かに図書館で本と向き合っているあの司書に、内心では少しく親しみを感じていたのだ。
それでたまには話でもしてみようかと、時折ぼんやり思ってもいたのだ。
でもできなかった。彼女と親しくなるのが怖かった。彼女を自分の運命に巻き込んでしまうのが怖かった。
両親の仇である叔父に服従しながら復讐の期を伺うという、道を外れた生き方を選んだ自分は、無闇に人と親しくなれるような身ではないから。
いや、そうではないかもしれない。
そもそも、自分が彼女と親しくなれるのかと思うと怖かった。確かめるのが怖かった。
私のように愛想のひとつも振りまけない、笑顔ひとつ向けられないものが友情を求めて、人が応じてくれるものだろうか、と。
キュルケの時は、紆余曲折あった末に、彼女の方から進んで友人になろうと申し出てくれた。
ディーキンの時は、彼が最初から当たり前のように友人と呼んでくれていた。
自分から進んで誰かと親しくしようと試みたことは、未だになかった。
なのにあの子は、亜人で、使い魔の身でありながら……。
「……私だって……」
自分だって、昔は彼と同じように明るかったのだ。3年も前なら。
無知で無力で、幸せだったころの自分なら、あのくらいはできたはずだ。
それに彼は芸達者なようだけれど、自分だって昔は魔法で、上手に人形を躍らせたりしていたのだ。
それでお芝居などをやって、父様や母様からずいぶん褒められたりもしたのだ。
どうして彼に劣る事があろうか。
――――いや、だが。本気でそんな、愚にもつかないようなことを信じられるのか?
公女時代の自分は、他人にこちらから進んで愛情を求めたことなどなかったのではないだろうか。
親しい使用人はいたけれど、それは自分が公女だったから、大公の娘だったから、彼らの方から進んで世話を焼いたりしてくれたのだ。
同年代の、上下関係のない本当の友だちなんて、思えばキュルケの前には一人もいなかったような気がする。
芸にしたところで、昔の自分なんてまるで無力で、ただ小器用だっただけではないか。
家族や使用人からは、子どもに対する御愛想で褒められただけではないのか。
比べれば彼の歌はずいぶん妙だし、不器用そうな印象もあるけれど、本当の力に満ちているのは、聞いていてわかる。
自分にはとても、出せないような力が……。
「……そんなはず、ない……」
様々な取り留めもない考えが頭の中を去来し、何に対してかもわからぬ否定の言葉が、ぽつりと口をついて出た。
なんだか、あの子に図書館を……、自分の居場所をひとつ、取られたような気がした。
いや、そうではない。取られたのはあの司書だ。
彼が私を出し抜いて、先を越して、彼女と親しくしはじめたのだ。
いいや、それもちがう。むしろあの司書が彼を私から取ったのだ。
今日は自分が彼と話をしようと思っていたのに、それを、あの女の方が先に。
いや、それも違うか?
自分が本当に気にいらないのは、そうではなくて……、ああ!
(……私はいったい、何を考えているの……?)
ディーキンに対する得体のしれない不快なざわめきと、好意的にしてくれる相手に対してそんな気持ちを抱く自分自身に対する嫌悪感とで胸がもやもやする。
考えれば考えるほど気持ちがネガティヴになり、ぎすぎすと心がささくれ立ってきた。
先日、逆上したルイズを取り押さえようと身構えていたのに、ディーキンに後れを取ったときもそうだった。
今はあの時よりも、もっと酷い。
しかし、どう考えても、あの子にはなにも非はないではないか。
なのに自分は、なぜこんな些細なことで、一人で勝手に心を乱しているのだろうか。
今では危険な任務の最中でも、命の危険を感じる時でさえも、滅多に心が乱れることはなくなったのに……。
「……わからない……」
思案の海に沈みながらぽつりと呟いたタバサは、いつの間にか図書館のある本塔を出て、中庭のあたりにまで歩いて来ていた。
自分が慕う主人の姿を目ざとく見つけたシルフィードが、すぐに傍へとやって来る。
「きゅいきゅい!! ………、きゅいぃ?」
嬉しげに可愛らしい鳴き声を上げながら主人の顔を覗き込んだ彼女は、しかしすぐに、不審そうに首を傾げた。
それから無言で主人の首根っこを咥えて自分の背中へ乗せると、上空へ舞い上がる。
その間タバサは人形のように無抵抗で、されるがままであった。
十分な高空まで達したところで、シルフィードは待ちかねたように口を開くと、人語で主人に質問する。
「お姉さま、いったいどうしたの?
今日はなんだか、すごくむっつりした顔をしていらっしゃるわ。なにか心配事でもあるの?」
「別に、何も」
そっけなく返事をすると、タバサはシルフィードを促して、自分の部屋へ向かわせた。
今さら授業へ戻る気もしないし、なんだか本を読む気にもなれない。
今日はもう部屋で休んで、気持ちを切り替えよう。
しかし、そうはいかなかった。
「きゅい? お姉さま、何か鳥がこっちへ飛んでくるのね」
部屋について、タバサが窓から中に入ろうとしたあたりで、シルフィードがそんなことを言った。
そちらに目をやったタバサの眉が、ぴくりと動く。
それは、フクロウであった。
灰色の毛並みをしていて、足には書簡が結び付けられている。
いつも意地の悪い従姉妹からの任務を伝えに来る、ガリアの伝書フクロウに違いない。
フクロウは傍にいる大きな竜を怖れる様子もなく、真っ直ぐにタバサの元まで飛んでくると肩に留まった。
タバサはその足から書簡を取って、目を通す。
案の定、そこにはただ一言、『出頭せよ』とだけ書かれていた。
任務の内容を事前には一切伝えられず、ただ一方的に呼びつけられるのはいつものことなのだ。
そうして毎回、非常に厄介な仕事を押し付けられる。命に関わるような危険を伴う事も、珍しくない。
だが、自分を庇って心を壊された母を人質にとられているも同然のタバサには、拒否する権利はなかった。
このような任務を歓迎した事など、今までに一度もない。
今回だって歓迎などまったくしていないが、とはいえ、このぎすぎすした気持ちを切り替える役には立つかもしれない。
命がけの任務に取り組んでいる間は、埒のあかない考えごとで心を悩ませている暇などないだろうから。
タバサはそう考えてひとつ溜息を吐くと、気を引き締め直して、もう一度シルフィードに跨った。
「きゅい? お姉さま、どうしたの? また出かけるのね?」
「遠くへ行かなくてはならなくなった。飛んで」
この子を連れていくべきだろうか、と少し悩みはしたが、これからもこういう任務はくるはずだ。
自分の使い魔に、いつまでも隠しておけるような事でもあるまい。危険に巻き込みたくはないが、仕方がない。
任務に向かう道すがら、自分の抱えている事情をこの子に説明することにしよう。
果たしてこのいささか足りない部分のある子に、ちゃんと理解してもらえるかどうかは不安だが……。
そんなことを思案しながら、タバサは飛び立ったシルフィードに、ガリアの方角を指し示した。
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