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#navi(SERVANT'S CREED 0 ―Lost sequence―)
&setpagename(memory-31 「大鷲の慧眼」)
トリステインの城下町、ブルドンネ街では派手に戦勝記念のパレードが行われていた。
聖獣ユニコーンにひかれた王女アンリエッタの馬車を先頭に、高名な貴族の馬車が後に続く。
その周りを魔法衛士隊が警護を務めている。
狭い街路にはいっぱいの観衆がつめかけている。通り沿いの建物の窓や、屋根や、屋上から人々はパレードを見つめ、口々に歓声を投げかけた。
「アンリエッタ王女万歳!」
「トリステイン万歳!」
観衆たちの熱狂も、もっともである。なにせ、王女アンリエッタが率いたトリステイン軍は先日、不可侵条約を無視して進行してきたアルビオンの軍勢を、
タルブの草原で見事打ち破ったばかり。この戦によって、民への被害を最小限に抑えただけでなく、アルビオン軍に対し大損害を与え、
歴史的とも言える大勝利をしてみせた王女アンリエッタは、『聖女』と崇められ、今やその人気は絶頂であった。
この戦勝記念のパレードが終わり次第、アンリエッタには戴冠式が待っている。母である太后マリアンヌから、王冠を受け渡される運びであった。
これには枢機卿マザリーニを筆頭に、ほぼ全ての宮廷貴族や大臣たちが賛同していた。
隣国のゲルマニアは渋い顔をしたが、皇帝とアンリエッタの婚約解消を受け入れた。一国にてアルビオンの侵攻軍を打ち破ったトリステインに強硬な態度が示せるはずもない。
ましてや同盟の解消など論外である。アルビオンの脅威に怯えるゲルマニアにとって、トリステインはいまやなくてはならぬ強国である。
つまり、アンリエッタは己の手で自由を掴んだのだった。
枢機卿マザリーニはアンリエッタの隣で、にこやかな笑顔を浮かべていた。ここ十年は見せたことのない、屈託のない笑みである。
馬車の窓を開け放ち、街路を埋め尽くす観衆の声援に、手を振って応えている。彼は自分の左右の肩に乗った二つの重石が、軽くなったことを素直に喜んでいた。
内政と外交、二つの重石である。その二つをアンリエッタにまかせ、自分は相談役として退こうと考えていた。
傍らにこしかけた新たなる自分の主君が沈んだ表情をしていることにマザリーニは気がついた。口髭をいじった後、マザリーニはアンリエッタに問うた。
「御気分がすぐれぬようですな。まったくこのマザリーニ、殿下の晴れ晴れとしたお顔をこの馬車で拝見したことがございませんわい」
「なにゆえ、わたくしが即位せねばならぬのですか? 母さまがいるではありませぬか」
「あのお方は、我々が『女王陛下』とお呼びしてもお返事を下さいませぬ。妾は、『王』ではありませぬ、王の妻、王女の母に過ぎませぬ、とおっしゃって、決してご自分の即位をお認めになりませぬ」
「なぜ、母さまは女王になることをこばんだのでしょうか」
マザリーニは、珍しく少し寂しげな憂いを浮かべて言った。
「太后陛下は喪に服しておられるのです、亡き陛下を未だに偲んでいらっしゃるのですよ」
アンリエッタはため息をついた。
「ならばわたくしも、母を見習うといたしましょう。王座は空位のままでよろしいわ。戴冠など、いたしませぬ」
「またわがままを申される! 殿下の戴冠は御母君も望まれたことですぞ。トリステインはいまや弱国では許されませぬ。国中の貴族や民、そして同盟国も、あの強大なアルビオンを破った強い王を……女王の即位を望んでいるのです」
アンリエッタは再びため息をついた。それから……左の薬指にはめた風のルビーを見つめる。
エツィオがアルビオンから持ち帰った、ウェールズの形見の品である。
そんな物憂げなアンリエッタに、マザリーニが諭す様に呟いた。
「民が、全てが望んだ戴冠ですぞ。殿下の御体はもう、殿下御自身のものではありませぬ」
こほんと咳をして、マザリーニは言葉を続けた。
「では、戴冠の儀式の手順をおさらいいたしますぞ。お間違えなどなさらぬように」
「まったく、たかが王冠をかぶるのに、大層なことね」
「その様なことをもうされてはなりませぬぞ、これは神聖なる儀式、始祖が与えし王冠を担うことを、世界に向け表明する儀式なのです。多少の面倒は伝統の彩と申すもの」
マザリーニは勿体ぶった調子でアンリエッタに儀式の手順を説明した。
儀式の後、祭壇の前で神と始祖に対し誓約の辞を述べた後、戴冠が行われると言うこと。その時よりアンリエッタは女王となり、陛下と呼ばれるようになるということ……。
誓約……。
心にも思っていないことを『誓約』するのは冒涜ではないのかしら? とアンリエッタは思う。
自分に女王が務まるなどとはとても思えない。あの勝利は……。自分を玉座に押し上げることになったタルブでの勝利は己の指導力によるものではない。
経験豊かな将軍やマザリーニの機知のお陰だ。自分はただ、率いていただけに過ぎない。
ウェールズがもし生きていたら、今の自分を見てなんと言うだろう。
女王になろうとしている自分、権力の高みにのぼりつめることを義務付けられてしまった自分を見たら……。
ウェールズ。
愛しい皇太子。
自分が愛した、ただ一人の人間……。
後にも先にも、心よりの想いが溢れ、誓約の言葉を口にしたのは、あのラグドリアンの湖畔で口にした誓いだけだ。
そんな風に考え始めてしまうと、偉大なる勝利も戴冠の華やかさも、アンリエッタの心を明るくはしてくれないのだった。
アンリエッタは手元の羊皮紙をぼんやりと見つめた。
先日、アンリエッタの元に届いた報告書であった、そこにはタルブで起きた『奇跡の光』のことが書いてあった。
『奇跡の光』がアルビオンに与えた損害は凄まじく、上空に遊弋していたほぼ全てのフネを撃沈せしめていた。
調査によると、あの光はフネに積まれていた『風石』を消滅させ、地面へと進路を向けさせたとあった。
そしてなにより驚くべきことは、誰一人として死者を出さなかったのである。光はフネを破壊したものの、人体には影響を及ぼさなかった。
そんなわけで、艦隊の不時着の際に何名かけが人は出たが、死者は一人も出なかった。
発生源についてはいまだ結論が出ていないらしく、調査中とあったが、自軍を勝利に導いた『奇跡』であることには間違いはない。
自分に勝利をもたらした、あの光。
まるで太陽が現れたかのような眩い光。
あの光を思い出すと、胸が熱くなる。
「『奇跡』……か」
アンリエッタは小さく呟いた。
さて一方、こちらは魔法学院。戦勝で沸く城下町とは別に、いつもと変わらぬ雰囲気の日常が続いていた。
タルブでの王軍の勝利を祝う辞が朝食の際に学院長であるオスマン氏の口から出たものの、他には取りたてて特別なことも行われなかった。
やはり学び舎であるからして、一応政治とは無縁なのであった。戦中にもかかわらず、生徒達もどこかのんびりしている。
ハルケギニアの貴族達にとって、戦争はある意味年中行事である。いつもどこかとどこかが小競り合いを行っている。始まれば騒ぎもするが、落ち着いたらいつものごとくである。
そんな中、エツィオはオスマン氏に呼び出しを受け、学院長室へと赴いていた。
「入れ、大鷲よ」
「失礼いたします」
机の向こうに立ち、窓の外を見つめるオスマン氏の声は、いつになく硬い調子だ。
何かあったのだろうか? エツィオは少々疑問に思いながらも机のそばに立った。
「タルブでは随分と活躍したそうではないか」
「いえ……、活躍と言う程では……」
言葉とは裏腹に、眉根を顰めるオスマン氏に、エツィオは嫌な予感を感じつつ小さく首を振って応えた。
オスマン氏は手を後ろで組むと眼を瞑り深くため息をついた。
「……大鷲よ、今回お主が取った行動は、決して褒められたものではない、なぜだかわかるかね?」
「……」
沈黙で答えるエツィオに、オスマン氏はじろりと彼を睨みつけた。
「わからぬか? だとすれば、お主はアサシンの教えを一から学び直す必要があると見えるな」
その一言にエツィオはむっとした、言葉を発しようとしたが、オスマン氏が手を上げて遮った。
「聞け。タルブの村を解放し、敵総司令官を葬ったまではいい。だが、そこで手を引くべきじゃった。
敵総司令官を討った時点で、あの戦の勝敗は決していた。戦いを続ける意味などなかった筈じゃ」
公式発表では、総司令官を討ち取ったのはアニエスという女傭兵になっていたはずだが……、どうやらオスマン氏にはお見通しのようであった。
「……お主、前線拠点に集まっていた将校達を皆殺しにしたそうじゃな。なぜそのような事をした。
そんな事をしてしまえば、統制を失った二千の兵が散り散りになる可能性もあった、付近の村々にも被害を与えていたのかもしれぬのだぞ?」
「しかしそれは……!」
「口を噤め!」
反駁しようとするエツィオをオスマン氏がぴしゃりと怒鳴りつけた。
「命ずるまで口を閉じておれ! 掟を忘れているならば思い出させてやろう!
一つ、『我らの存在は鞘の中の刃』、お主はその行動によって無暗に目立ち、敵にその存在を知らせてしまった!」
オスマン氏の大声が響く。老人とは思えぬ鋭い眼光に、エツィオは竦み上がった。
「それだけではない、お主が拠点とし、戦いの舞台にもなったタルブの村……。
そこにヴァリエールや学院のメイドもいたそうじゃな、どうやらお主を追っていったようだが……、さて、これはどう弁明するつもりなのだ?
よもや、彼女らの勝手な行動と断じるお主ではあるまい?」
そう言われ、エツィオはぎくりとした。確かに、彼女らが勝手に飛び出した根本的な原因はエツィオにあると言えた。
そこまで一気にまくしたてたオスマン氏は、大きく息を吐いた。
「二つ、『罪なき者から刃を遠ざけるべし』……。彼女らは、我らアサシンが守るべき無辜の民、それを危険に晒した。
もし彼女ら二人のどちらかでも死していたら……、私はお主を粛清せざるを得なかった」
そう呟き嘆息するオスマン氏の目は鋭く、その言葉が偽りではないことを表していた。
「答えよアサシン、我らアサシンが目的とする理想とは何ぞ?」
ただただ頭を垂れるしかないエツィオに、オスマン氏が問うた。
アサシン教団の理想……、エツィオは言葉に詰まった。
今までエツィオには、家族を奪ったテンプル騎士団への復讐という目的があった。
陰謀に関わったテンプル騎士を一人残らず抹殺すること、それは復讐を成し遂げる事と共に、世界支配という騎士団の野望を阻止することにもつながっていたのだ。
しかしそれは、テンプル騎士団という存在がある元の世界での話である。
故に、騎士団の存在しないこの世界においての……いや、本来アサシン教団が掲げる理想とは即ち……。
「……平和です、全ての……」
エツィオの答えに、オスマン氏は大きく頷いた。
「忘れてはおらぬようだな。……然り、全ての平和だ、暴力を終わらせるだけでは十分ではない。心の平和も実現するのだ、どちらも重要だ。
そしてその平和とは、当然我らにも当てはまる、とりわけ『心』の平和、これこそが我らアサシンの本能を研ぎ澄まし、五感を導く。
無知、傲慢、怯懦、嫉妬、憎悪、それらの心の歪みがあるうちは、『心』の平和の実現など望めるべくもない」
よいか。とオスマン氏はエツィオを厳しい表情で見つめた。
「トリステインに肩入れすること自体はかまわん、しかし方法を考えよ、表だって動けば、お主がトリステインに属していることが分かってしまうのだぞ?
所属や正体、目的を知れば、敵は我らを恐れなくなる、最悪攻撃の的になることも……。
何より、過ぎた行為はアサシンの沽券にかかわる。最後の三つ目、『教団の名誉を汚すなかれ』。これを破るは最大の裏切り。
お主はアサシンの教えと共にある、一度従うと誓ったのであれば、道を踏み外す事は断じて許さぬ!」
オスマン氏にタルブでの出来事をそこまで知られていたとは驚きであったが、すべて事実であり、エツィオは恥ずかしくて反駁するどころではなかった。
エツィオはきつく唇を噛み、ただ黙って頭を垂れた。
「……とはいえ、お主のアサシンとしての手腕は見事という他に無い。
結果的にじゃが、アルビオンは艦隊のみならず多くの優秀なメイジを失った。当分連中は攻めてくることはないだろう」
そう語るオスマン氏の口調と表情は幾分かは柔らかくなっていた。
「人は誰でも過ちを犯す、かつてのアルタイルも驕りにより過ちを犯した。無論この私も、犯した過ちは一つや二つではない……。
重要なのはそれを受け入れ、反省するか否かじゃな。これは生徒にもよく言っているが、間違いからは何かを学び、過ちからは反省をする。
お主もこの失敗を糧に、より修練を積むがよい」
オスマン氏の言葉に、エツィオは深々と頭を垂れた。
アルビオンの要人を次々に葬り、侵攻作戦を大きく躓かせたことで、自分は思い上がっていた。
驕りは油断を生み、気持ちの乱れはいざという時の決断力を鈍らせる。そんな僅かな心の隙が、生死をわけるのだ。
深く反省している様子のエツィオを見つめながら、オスマン氏は満足したように頷く。
それからオスマン氏は口髭を擦りながらエツィオに訊ねた。
「それはそうと大鷲よ、お主をここに呼んだのはもう一つ用件があるからじゃ」
「なんでしょうか?」
「あの『奇跡』の事じゃ、お主もそこにいたのならば見たのじゃろう? タルブの草原で突然発生した巨大な光……、あの時、何が起こったのだ?」
その質問にエツィオは一瞬素直に答えるべきか迷った。しかし、オスマン氏はエツィオと同じく、アサシンの信奉者だ。
ならばその答えもアサシンの教義に則ったものが返ってくるに違いない。エツィオは彼を信じ、起こったことを説明することにした。
タルブ防衛の際、ルイズが『始祖の祈祷書』を手になにやら呪文を唱えていた事。
彼女が杖を振り下ろした際、巨大な光が発生、気がついた時にはアルビオン艦隊が沈んで行くのが見えた事……。
それらの状況を加味し、あの光はルイズが発生させた可能性が非常に高いというエツィオの考え。
それらの報告を聞いたオスマン氏は、目を瞑り腕を組むと、ううむ……。と唸った。
「なるほど……虚無……か」
「そう考えるのが妥当かと」
オスマン氏の出した答えに、エツィオも同意するように頷いた。
「彼女の手には『始祖の祈祷書』がありました、あの本からは常に強大な魔力が溢れておりました。おそらくあれは始祖ブリミルがらみの物……聖遺物とみるべきかと」
「お主、あの中身が読めたのかね?」
「はい、タカの眼で。しかし、本より溢れ出る魔力が強すぎて、私には文字の判別がつきかねましたが」
エツィオは自分の目を指さし答えた。
オスマン氏は腕を組むと深く考え込むように再び目を瞑った。
「もしや……アレは『果実』なのか……? いやしかし……触れた時にはなにも……」
「始祖の祈祷書がですか? しかしあれは書物では?」
「あくまで可能性の話じゃ。私が手にした時、あの書物にそんな力は一切感じなかった、なにせまがいもんかと思った位じゃからな、
……そもそも果実ならば、私はあの誘惑に再び打ち克つ自信はない……」
それほどまでにエデンの果実の持つ力は強いのじゃ、とオスマン氏は呟くように言った。
「しかし、これは厄介なことになったぞ、大鷲よ」
「いかがすべきでしょうか……、虚無と言えば、この世界の信仰の根底を為す存在、それが現れたとあっては……」
「うむ……そういった力を利用しようとする者は多くいるじゃろう、宮廷の連中がまさにそれじゃ、あとは信仰に目を眩まされた盲人共か」
オスマン氏は大きくため息をつき、首を振った。
「いずれにせよ、ロクなことにはならん。今のアルビオンがいい例じゃ」
「同感です。しかし、これは私一人でどうにかできるようなことではないような気がします」
「……ううむ、今は様子を見るしかなかろうな、幸い、宮廷の無能どもはあの光を『奇跡』で片づけようとしておるでな。この事は他言無用に頼むぞ、大鷲よ」
「心得ております」
「あまり大した助言もできずに済まぬな、なにせこのような事は……わが学院としても前例がないのでな」
「いえ、大変参考になりました、オスマン殿」
オスマン氏はそう言うと、すまなそうに頭を掻いた。
それからエツィオと握手を交わすと、真剣な表情でエツィオを見つめた。
「彼女を頼んだぞ大鷲よ、……彼女を支える事が出来るのはお主しかおらぬでな」
「オスマン殿、彼女を支える者は私だけではありません」
オスマン氏の言葉に、エツィオは首を振って応え、にこりとほほ笑んだ。
「彼女には友が、仲間がいます」
「そうじゃな」
オスマン氏は満足そうに頷くと、人差し指を立てた。
「ではアサシンよ、お主に一つ任務を与える」
「なんなりと」
粛々と頭を垂れるエツィオに、オスマン氏はにんまりと笑った。
「ラ・ヴァリエール嬢の調査、護衛をお主に命ずる、彼女に眠る力について、より多くの情報を集めるのじゃ」
「心得ました」
要は彼女の相手をしてあげろと言うことか。エツィオも頬を緩めた。
「よろしい、では行くがよいアサシンよ――安全と平和を」
学院長室を退出したエツィオは、大理石の廊下を渡り、あまり人の来ないヴェストリの広場まで足を運んでいた。
広場の隅にあるベンチには一人のメイドが腰かけている、シエスタであった。
エツィオは渡したいものがあるからと、このヴェストリの広場までシエスタを呼び出していたのである。
エツィオはそっと近づいて声をかけた。
「やあ、シエスタ」
その声にはっとしてシエスタは顔を上げた。
「あ……エ、エツィオさん……」
「待たせて悪かったな、学院長殿にこっぴどく叱られていてね」
「いえ! わたしも今来たところですから!」
さも困ったように両手を広げたエツィオに、シエスタは慌てて答える、しかし、笑顔がいつもよりぎこちない感じだ。
「きみの様子が気になってね。もう、落ち着いたか?」
「は、はい、もう……大丈夫です……」
エツィオはシエスタの隣に腰を下ろしながら訊いた。
タルブから逃げ出し、学院へと戻っていた時、ルイズとシエスタは過労が祟ってしまったのか、途中で意識を失ってしまったのであった。
困り果てたエツィオは、たまたま近くの納屋にあった馬車を拝借し、なんとか二人を学院にまで送り届け、介抱していたのであった。
「……あの時は、済まなかったな。危険な目に合わせた」
「そんな……、悪いのはわたしです……あの時、言いつけを守らなかったから……」
消え入るような声で呟くシエスタに、エツィオは静かに首を横に振った。
「俺の考えが浅かったんだ、もっとよく考えるべきだった、そうすればきみたちを危険に巻き込む事はなかった。全部俺の責任だ。
……許してくれとは言わない、けど、あの時は本当に恐ろしかったんだ、きみたちを失うことが。それだけは、どうかわかってほしい」
「……」
シエスタは応えない。どこか居心地が悪そうに俯いたまま手の指を弄っている。
そんな彼女に、エツィオは僅かに俯くと、呟くような声で尋ねる。
「俺が……怖いか?」
「い、いえ! そんなことないです!」
エツィオのその問いに、シエスタは慌ててベンチから立ち上がった。
「エツィオさんは、わたしたちをっ……! トリステインを守ってくださったんです! エツィオさんは英雄です! そんな人をっ……!」
「英雄じゃないよ」
シエスタの言葉に、エツィオは俯いたまま首を小さく横に振った。
「俺は……アサシン、暗殺者だ」
英雄であるはずがない……。エツィオは小さく呟く。
二人の間に沈黙が訪れる。長い沈黙の後、シエスタがぽつりと絞り出す様にして呟いた。
「ほんとは……怖いです」
エツィオは優しく、だがどこか悲しそうに微笑んだ。
「……そうだな、どんなに取り繕っても俺はただの……殺人者だ。シエスタ、俺にはもう――」
「違いますっ!」
関わらない方がいい、エツィオがそう言おうとした時、突然シエスタが立ち上がり、大声で叫んだ。
エツィオはぎょっとしてシエスタを見つめた。
「それ以上、そんなこと言わないでください……!」
今にも泣きだしそうな顔で、シエスタは言った。
「わたしはっ! エツィオさんに見捨てられるのが怖いんです! あの時、怒られたことよりも、エツィオさんがアサシンだって分かった事よりも、
エツィオさんがわたしのことを見なくなったって思っただけで、すごくっ……怖くなったんです、もう見捨てられたんだ、嫌われたんだ……って」
シエスタの顔がふにゃっと崩れ、ぽろぽろと涙がこぼれおちた。鼻をすすりながら、ぎゅっと自分の肩を抱きしめる。
「そう思っただけで、震えが……止まらないんです……今も……怖い、すごく……怖いんです……」
エツィオは静かに立ち上がると、優しくシエスタを抱き寄せ「すまなかった」と小さく呟く。
感極まってしまったシエスタは彼の胸に顔を埋めて大声を上げ泣き始めた。
「嫌です……イヤ……、見捨てないで……嫌いにならないで……」
「見捨てないよ、嫌いにもならない、約束する」
シエスタの耳元で優しく囁き、頭を撫でる。
すると安心したのか、シエスタはぐしぐしと涙に塗れた顔をエツィオの胸に押しつけ泣き続けた。
「あ、あのっ……ご、ごめんなさい、わたしったら……」
やがて泣きやんだシエスタは、エツィオの胸を離れ、鼻を啜りながらはにかんだ笑みを浮かべた。
「かまわない、むしろ謝らなきゃならないのは俺の方だ。そんなにもきみを苦しめていたなんて……本当にすまなかった」
自分の軽率な行動が彼女をここまで傷つけていたとは……、エツィオは沈痛な面持ちを浮かべ、再びシエスタを抱き寄せきつく抱きしめた。
相変わらず情熱的なエツィオのアプローチにすっかりとろけきってしまいそうであったシエスタであったが、
いつまでもエツィオのなすがままではいられないと、意を決して行動に出た。なんと目を瞑り、唇を突き出してきたのである。
当然のごとくそれに応えようと、その身を動かすエツィオ、二人の唇が今にも重ねられそうになった……、その瞬間であった。
頭にぼごん! と大きな石がぶつかって、エツィオは気を失った。
エツィオとシエスタがこしかけていたベンチの後ろ、十五メイルほどの地面に、ぽっかりとあいた穴があった。
その中で、荒い息を吐く少女がいた。ルイズである。
ルイズは穴の中で地団太を踏んだ。その隣には、巨大モグラのヴェルダンデとインテリジェンスソードのデルフリンガーがいた。
ルイズはギーシュのモグラを捕まえて、穴を掘らせ、中に潜んでこっそり顔を出し、ずっとエツィオとシエスタのやり取りを見張っていたのである。
デルフリンガーには、いろいろと聞きたいことがあったので、持ってきたのであった。
「なによう! あの使い魔!」
ルイズは穴の壁を拳で叩きながら、う~~~~~~! と唸った。
自分の使い魔のくせに、他の女の子にキスするなんて許せないのである。
デルフリンガーがとぼけた声で言った。
「なあ、貴族の娘っ子」
「あによ。ところであんた、いい加減わたしの名前おぼえなさいよ」
「呼び方なんざどうだっていいじゃねえか。さて、最近は穴を掘って使い魔を見張るのが流行りなのかね?」
「流行りなわけないじゃないの」
「だったら、何故穴なんて掘って隠れて覗くんだね?」
「見つかったらかっこわるいじゃない」
ルイズは剣を睨んで言った。
「だったら、覗かなきゃいいだろ? 使い魔のやることなんざ、ほっときゃいいじゃねえか」
「そういうわけにはいかないわ。あいつってば、こないだの事もう忘れたの? なのにまたいちゃいちゃいちゃいちゃ……」
いちゃいちゃ言う時、ルイズの声が震えた。相当頭に来ているのであった。
「それに、わたしってば、伝説の『虚無』の系統使いかもしれないのに、でも誰にも相談できなくって、わたしが思い悩んでいるって言うのに、その相談にものりもしない……」
「んなこと言ってもなぁ、お前さん、今までぶっ倒れてたんじゃねえか、起きれるようになったのはつい最近だろ?」
その言葉に、ルイズは「うっ……」と言葉に詰まった。
デルフリンガーの言うとおり、ルイズは二日ほど前まで疲労で寝込んでいたのであった。
その間エツィオが甲斐甲斐しく世話をしており、そのことはルイズも勿論知っていた。
「病み上がりのお前さんに、相棒がその話を振るワケがねえじゃねえか。それに、そういうのは娘っ子が切り出すってのがスジってもんじゃねえのか?」
「と、とにかく! わたしが、仕方なくバカでどうしようもないロクデナシな使い魔相手に相談しようというのに、あいつはどこぞのメイドといちゃいちゃいちゃいちゃ……」
「いちゃいちゃいちゃいちゃ」
「真似しないでよッ!」
「おおこわ、いやしかし、石を投げるのはどうかと思ったが、まさかあの相棒を仕留めるたぁな、ここがアルビオンだったら今頃大英雄だぜ」
愉快そうに茶化すデルフリンガーに、ルイズは口をへの字に曲げて穴の中で腕を組んだ。
「冗談じゃないわ。……使い魔の責務も果たさずに、いちゃいちゃなんて百年早いのよ」
「やきもちか」
「違うわ、絶対違うんだから」
頬を染め、顔を背けてルイズが呟くと、デルフリンガーがルイズの口調を真似て言った。
「なによ、他の女の子とばっかり遊んで」
「おだまり」
「あんたはわたしのものなの、あんたはわたしだけをみてればいいのよ!」
「今度それ言ったら、『虚無』で溶かすわ、誓ってあんたを溶かすわよ」
デルフリンガーはぶるぶると震えた。どうやら笑っているらしい。ホントにイヤな剣ね、と思いながら、ルイズはデルフリンガーに尋ねた。
「ねえ、あんたに仕方なく尋ねてあげる。由緒正しい貴族のわたしが、あんたみたいなボロ剣に尋ねるのよ。感謝してね」
「へーへー、ありがたいこって、で、なんだね?」
ルイズはこほんと可愛らしく咳をした。それから顔を真っ赤にしながら、精一杯威厳を保とうとする声で、デルフリンガーに尋ねた。
「わたしより、あのメイドが魅力で勝る点を述べなさい、簡潔に、要点を踏まえ、わかりやすくね」
「聞いてどうすんだ? っていうか、『虚無』の事じゃねーのかよ」
「あ、あんたに関係ないでしょ? いいから、さっさと答えてよ」
「色恋が先ってか……ほんっとしょうがない娘っ子だな。うーん……、そうだな、まずはあの娘っ子は料理が出来る」
「みたいね、でも、それが何だって言うのよ? 料理なんて注文すればいいじゃない」
「男ってのはそう言うのが好きなんだよ。言いかえりゃ、献身的ってやつだな」
「あいつはわたしの使い魔よ、立場が逆になっちゃうじゃない! 次!」
「顔はまぁ……、好み次第かね、お前さんもまぁまぁ整ってるし、あの娘っ子には愛嬌がある。しかし、あの娘っ子にはお前さんに無い大きな武器がある」
「言ってごらんなさい」
「むね、……と言いたいところだが、よくよく考えりゃ決定打にはならんだろうねぇ、見ての通り、ああいう奴なんだから」
「……人間は成長するわ。次」
「あとはそうだな……。強いて言やあ、積極性だな」
「せっきょくせい?」
「そのまんまの意味だよ、あのメイドの娘っ子を見ろよ、ガンガン相棒にアプローチかけてんじゃねえか。お前さんは何かやってんのか?」
ルイズはうっ……と言葉に詰まった。確かに、あのメイドはいつもエツィオに何かしらのアプローチを掛けている。
その点ルイズは、エツィオに対し何も行動を起こしてはいなかった、強いて言えばセーターを作ってはいたが、あの騒動以来全く手をつけていない。
う~~っと低く唸るルイズに、デルフリンガーは呆れたように言った。
「娘っ子、相棒は厄介だぞ。強くてハンサムで頭も切れて、性格も陽気で人当たりもいい、おまけになにやらせても完璧だ。
他の女が放っておくわけがないことぐらいわかるだろ?」
「わかってるわよ……。それ、キュルケも言ってたわ」
「しかも悪いことに、あいつ自身がとんでもない女ったらしだ。何もしない軟弱男とはワケが違う、ほっとくとどんどん他の女喰い散らかすぞ」
デルフリンガーの言葉にピンとこないのか、ルイズは小さく首を傾げる。
「喰う? どういう意味?」
「そりゃお前、喰うっつったらセッ……」
「や、ヤダ! そんなのぜったいヤダ!」
「ヤダって言ってもな……そういうのも男の甲斐性ってもんじゃないのか? それともなんだ? お前さんまさか童貞がお好みなのかね?」
「どっ……! ち、違っ……! そ、そんなんじゃ……!」
歯に衣着せぬデルフリンガーの物言いにルイズは益々顔を真っ赤にさせる。
「ま、童貞がお好みだってんだったら、残念ながらもう手遅れだ。元いたとこじゃ、恋人もいたっていうし、何より遊び慣れてるからな」
「ち、違うって言ってるでしょ! もうやめてよ! 黙って!」
ルイズが羞恥に耐えきれず叫んだその時、傍らのモグラが、がばっと穴から顔を出した。嬉しい人影を見つけたのだ。自分を探していたギーシュである。
ギーシュはすさっと地面に立て膝を付くと、愛する使い魔を抱きしめ、頬ずりした。
「ああ! 探したよヴェルダンデ! ぼくのかわいい毛むくじゃら! こんなところに穴を掘って一体何をしてるんだい? ん? おや、ルイズ」
ギーシュは穴の中のルイズの姿を発見して、怪訝な顔になった。
「なんできみは穴の中にいるんだね?」
モグラは困ったような目で、ギーシュとルイズを交互に見比べた。ギーシュはうむ、と首を振って分別くさい口調で言った。
「わかったぞルイズ。きみはヴェルダンデに穴を掘らせて、どばどばミミズを探していたな? さては美容の秘薬を調合する気か、
なるほどきみの使い魔は……。ああやっぱり、食堂のメイドを誑し込んでるようだし……」
ギーシュはちらっと、ベンチのところでエツィオを介抱するシエスタを見つめて言った。
相変わらずエツィオは気絶したままだ。シエスタはそんなエツィオの胸にすがってわぁわぁ騒いでいる。
「あっはっは! せいぜい美容には気をつかって彼の気を引くべきだね! エツィオはいろんな女の子に手を出してるからな! もう彼も首が回らなくなるんじゃないか?」
いけね、とデルフリンガーが呟いた。ルイズはギーシュのシャツの裾を掴むと穴の中に引きずり落とし、二秒でギタギタにした。
モグラが心配そうに、気絶したギーシュの頭を鼻先でつついた。ルイズは拳をぎゅっと握りしめると低く、唸るように呟いた。
「もうっ……! 次はあいつだかんね……!」
デルフリンガーが、切ない声で呟いた。
「いやぁ、今度の『虚無』はブリミル・ヴァルトリの百倍こええや」
痛む頭を擦ってエツィオが部屋にやってくると、ルイズはベッドの上に正座して窓の方をじっと見つめていた。
部屋の中は薄暗い。もう夕方だというのに、ルイズは灯りもつけていない。
「あれ? どうしたんだ? 部屋が真っ暗だぞ」
エツィオがそう言っても、ルイズは返事をしない、エツィオに背中を見せたままである。相当ご機嫌ななめのようだ。
「遅かったじゃない。今まで、どこでなにをしていたの?」
正座したまま、ルイズが尋ねる、声の調子がいつもより冷たい。エツィオは肩を竦めた。
「オスマン殿に叱られていてね、その後、ヴェストリの広場でシエスタと会ってた、返さなきゃいけないものもあったしな。まぁ……返し損ねちゃったけど」
そう呟きながら、エツィオは近くにあった椅子を引き、そこに腰かける。
「まぁそれはいいか、ところでルイズ、体調はどうだ? もう平気なのか?」
「ええ、もう平気よ」
冷たい口調のまま答えたルイズに、「そっか」とエツィオは笑みを浮かべた。
「確かに、あれだけ大きな石を投げられるんだ、もう大丈夫だろうな」
冷たい態度を装っていたルイズであったが、その一言は不意打ち過ぎた。
ルイズはがばっと振り向いた。
「あんたっ……! 全部わかってて……!」
「生憎、あの一件以来、きみから目を離したことはなくってね」
自分の行動を把握されていたことへの気恥ずかしさと怒りに顔を紅潮させるルイズに対し、エツィオは意地悪な笑みを浮かべて嘯いた。
「ま、それだけの元気があるなら、もう安心だ。これならゆっくり話が出来るな」
「くっ……! あ、あんた! もう許さない!」
ルイズはベッドの上で立ち上がると杖を振った。
一見何も起こっていない。しかしエツィオはついと振り向くと、入ってきたドアのノブをじっと見つめてニヤリと笑った。
「『ロック』か、呪文、成功するようになったみたいだな」
「ええそうよ! 簡単なコモン・マジックは成功するようになったわ!」
「『虚無』の覚醒が起因しているのかな?」
これからあんたをぎったんぎったんに……! と息巻いていたルイズであったが、
エツィオが真面目な顔をして呟くものだから、思わずぽかんとした表情になった。
「あんた……なんでそれを?」
「だいたい察せるよ。今日はそのことで話があるんだ」
エツィオは椅子に腰かけ直すと膝のあたりで手を組んで、じっとルイズを見つめた。
「ふ、ふざけないで! そんなことよりあんた――」
「……そんなことだって?」
「っ……!」
エツィオの声に凄味が増した。
ぞくり、とルイズの背中にうすら寒い物が走る。
でた、とルイズは内心毒づいた。今のエツィオは、いつもの陽気な彼ではない。
「ルイズ、きみ自身の今後に関わる大事な話だ、どうか話をさせてほしい、いいね?」
穏やかな声だった。しかし、先ほどまでのおどけた雰囲気は完全に消え去り、かわりに得体のしれない迫力がエツィオからにじみ出ている。
――アサシン
不意に、辺りの闇が恐ろしくなった。
「どうしたんだ?」
急に押し黙ってしまったルイズに気がついたのか、闇の中のエツィオは首を傾げる。
「え? な、なんでもないわ。それより待って、今、灯りつけるから」
「そうしてくれ、きみの顔が見えないとなんだか落ち着けない」
我に返ったルイズは、慌てて杖を振り、部屋の灯りを付ける。
タルブでも感じたことだが……、この状態のエツィオはなんだか苦手だ。
まるで全て見透かされているかのような、そんな鋭さと冷たさが、今のエツィオにはある。
「ああ、ようやく可愛い顔を見せてくれたな」
ルイズの心中を知ってか知らずか、エツィオがニヤリと嘯く。
その態度にルイズはちょっと安心する。なんだ、いつものエツィオじゃないの――
そう思った瞬間、突如エツィオの表情がこわばり、椅子から跳ねるように立ちあがった。
左手からはいつの間にかアサシンブレードが飛び出し、右手には数本の投げナイフを掴んでいる。完全な戦闘態勢である。
突然のエツィオの行動に、「ひぃっ!」 っとルイズが小さな悲鳴を上げる。
頭を抱えながら、何事かと恐る恐るエツィオを見ると、険しい表情で窓の外を見つめている。
わけもわからずルイズが小さく震えていると、窓の外から何かが飛んできた。それは果たして一羽の鳥であった。足にはなにやら包みが縛られている。
「……鳥?」
たしかあれは――ペリカン、という鳥だ、イタリアでは見ないが、ずっと昔、兄上達と見世物で見た記憶がある。
エツィオは警戒するかのように入ってきた鳥をじっと見つめる。使い魔の類ではないようだが、あの脚に縛られた荷物は何だろう、念のため中身を検めるか。
そう考えた時、縮こまっていたルイズがはっとしたような表情になり、慌てて首を横に振った。
「エツィオ! 待って!」
「ルイズ?」
ルイズは慌てたようにベッドから飛び降りるとペリカンの脚に縛られた包みを外して、ベッドの上に置いた。
「ご、ごめんなさい、エツィオ、ちょっと待っててね。こ、これはただのわたしの買い物だから! ね? だから落ち着いて!」
エツィオは小さく肩を竦めると、武器を収め再び椅子に腰かけた。だが、その目からは未だ警戒の色が消えていない。
こんな時に来ないでよっ……! ルイズは小声で恨み言を呟きながら、ペリカンのくちばしの中に金貨を入れた。確かに買ったのは自分だが、来るタイミングが悪すぎる。
料金を受け取ったペリカンが飛び立ち、ルイズは気まずそうにベッドに腰かけた。
「お……お待たせしました……」
「いや、こっちも驚かせてすまなかったな。ちょっと気が立ってたみたいだ。それより、中身は検めなくて大丈夫か? よければ俺が――」
「だ、ダメっ! 絶対ダメ! こ、これはその……わ、わたしのプライベートなものだから! だからあんたはダメッ!」
再び椅子から立ち上がったエツィオに、ルイズは慌てて止めに入る。
確かに、エツィオを懲らしめるために買ったものではある、あるのだが、今のエツィオにこんなものは見せられない。
少なくともこれから真面目な議論を始めようとしている『アサシン』にこんなものを見せた日には、どんな目に会うかわかったものではない。
「……そうか? まぁ、きみがそう言うなら……」
エツィオは小さく首を傾げると、再び椅子に腰かけ、ルイズをじっと見つめた。
「さて、話って言うのは他でもない、タルブで見せた……。きみのその力についてだ。
単刀直入に言おう、俺の見立てでは……、その力は『虚無』ではないかと思っている」
エツィオは、その考えに至った理由をルイズに説明した。
あの時手に持っていた聖遺物『始祖の祈祷書』、エツィオ自身に刻まれた、虚無の使い魔たるガンダールヴのルーン。
そして、あの巨大な艦隊を吹き飛ばすほどの強大な力。
ルイズも同じ考えだったのか、「そうよ」と小さく頷き、指にはめた『水のルビー』と『始祖の祈祷書』をエツィオに見せ、あの日、自分の身に起こったことを説明した。
「やはりか……」
その説明を聞いたエツィオは、顎に手を当て、深く考えるように黙り込んでしまった。
「ねえ……わたし、どうしたらいいのかしら?」
「逆に聞くが、きみはその力をどうしたい? どうすべきだと考えている?」
不安げに呟くルイズに、エツィオは質問を投げかける。
ルイズは首を横に振った。
「わかんない……、わからないわ。いきなりこんな力に目覚めるなんて……もうなにがなんだか……」
困惑したように呟くルイズに、エツィオは小さく頷いた。
「そうだろうな……、きみの気持ちは理解できる、俺がきみの立場だったら、同じように困惑しただろう」
「あんたは……どうすべきだと思う?」
ルイズの問いに、エツィオは静かに首を横に振った。
「どうするかはきみ自身が決めるべきだ。俺の考えを挟む余地はないよ」
「でも……!」
「訊いてみるんだ、自分の心に」
「いつまでも……隠し通せることじゃないとは思ってるわ……でも……」
考えがまとまらず、ルイズは言葉に詰まった。
「なんであれ、長い間現れる事のなかった『虚無』がきみの中で覚醒した。それだけ強力な力が、理由もなく現れる筈もない。
きみが選ばれたのは、なにかしらの意味があってのことだと思う。……俺がきみの使い魔になったことも」
エツィオの言葉に、ルイズは半ば困惑しながら返答した。
「ごめんなさい……わからないわ、もう少し、考えさせて」
「ルイズ、『真実はなく、許されぬことなど無い』、人の自由意思による選択に正解、――答えなんて無い。
だけど最終的に、きみはその力をどうするか決断を下さなきゃならない、そして俺はその意思を最大限尊重したいと考えてる」
なぜか唖然とした表情のルイズに、エツィオは続けた。
「だが、忘れないでくれ、自由意思には常に代償が付きまとう、自身の選択によって何が起ころうとも、きみはその結果を受け止め、背負わなければならない」
「ちょ、ちょちょ、ちょっと待って」
尚も続くエツィオの言葉を、ルイズが遮った。それからごくりとひとつ息を飲み、口を開いた。
「あんた……、ほんとにエツィオ?」
「……え?」
あまりに馬鹿げた質問だとルイズは内心思った、だけどそう訊ねざるを得ないほど、今のエツィオの言葉にはとんでもない程の重みがあった。
本当にこいつがあのエツィオなのか? と問われれば、今のルイズには頷く自信がない。
それほどまでに、今のエツィオは老成し過ぎていた。自分たちとそれほど歳も離れていない筈なのに、ここまで達観した考えを持てるものなのかと疑問に思ったのだ。
正直、学院の教師たちでさえ、このような考えに至っているかどうか、かなり怪しい。
呆れられちゃったかな? とルイズがおずおずとエツィオを見つめると、エツィオも困惑したかのように首を傾げていた。
「エツィオ? ……どうしたの?」
「え? いや……俺、変なこと言ってたか?」
「ううん、変じゃない。でも……あんたにしては重すぎたから……つい……」
「おいおい、それはちょっと酷いんじゃないか?」
そうおどけたように笑うエツィオからはいつの間にか得体のしれない迫力が失せていた。
よかった、いつものエツィオに戻った。破顔するエツィオを見て、ルイズは内心ほっとした。
あの調子のまま続けられたら、ルイズはこの先エツィオに敬語を使ってしまいかねなかった。
しかし、エツィオの表情はどこか浮かないままだ。ちょっと心配になったルイズは、エツィオの顔の前で掌をひらひらと動かした。
「ねえ、ほんとに大丈夫?」
「ん? あ、ああ、……実は、俺も不思議に思っていたんだ。さっきは頭の中に浮かんだ考えが自然と口をついて出たって言うか……」
エツィオは困ったように頭を掻いた。
「勝手に言ってた、ってこと?」
「わからない……、でも不思議と違和感はない、俺自身、この答えに深く納得していると言うか……。
この考えは俺の心の底から出たものだっていう確信がある……んだけど……」
エツィオは、ふと左手のルーンを見つめた。この感覚は、以前にも感じたことがあった。
タルブの村で傭兵達の指揮を取っていた時に感じた、あの感覚だ。あの時も、自分の奥底に眠る力が突然目覚めたような感じがした。
今回のそれも、同じような物なのだろうか。しかし左手のルーンは、あの時とは違い、光ってはいなかった。
エツィオは疑問に感じたが、やがて小さく首を振った。
「まあ、俺の事はいいな、それよりきみのことだ。さっきも言ったが、俺はきみの意思を最大限尊重する」
だけど……。とエツィオは人差し指を顔の前に立てた。
「一つだけ、俺の意見を言わせてもらうなら、その力を軽々しく振わないでほしい。特に人を傷つける目的ではな」
「そんなこと……しないわ」
エツィオの言葉に、ルイズは小さく頷いた。
それを聞いて、エツィオは安心したかのような笑みを浮かべ頷いた。
得体のしれない迫力は失せ、いつもの優しい雰囲気を纏っている。
「そうだな。でも安心しろ、きみを支えるのが俺の役目だから、それだけは変わらないよ。……この話はここまでにしておこう、疲れただろう?」
「え? ええ……そうね、あんたのせいで変に疲れちゃったわ」
「俺が? そういえば思い出したけど、きみ、さっきは何を怒ってたんだ?」
その言葉を聞いた瞬間、ルイズの顔が鬼のような形相になった。
どうやら自分が怒っていたことを思い出したらしい。
「そうよ! 思い出したっ! あんたっ! いったいどういうつもりよ!」
「どういうつもり、って?」
「シエスタのことよ! あんた、こないだのこと、もう忘れたの! ここ最近はわたしのことを看病していたようだから、ちょーっとは許してあげようかなって思ってたのに!
また手を出そうなんていい度胸してるじゃないの!」
「忘れてないさ、お陰でタルブに行く口実も出来たしな」
怒りに打ち震えるルイズに対し、エツィオはなんと、悪びれる様子もなく肩を竦めて見せた。
そんなエツィオの態度に、ルイズは怒りを通り越してぽかんと口を開けた。
「今考えてみれば……ちょっと疑問に感じるところがあったんだ」
「何よ、言ってごらんなさい」
「きみ、俺が他の女の子に手を出すのが凄く気に入らないみたいだけど、それはどうしてなんだ?」
ルイズは思わず、はぁ? と間抜けな声を上げた。エツィオが、そんな馬鹿げた質問をぶつけてくるとは思わなかったのだ。
しかしエツィオは構わずに続けた。
「この間までその場の勢いに流されてたけど、よくよく考えてみれば責められる謂れはないような気がしてさ」
「ど、どどど、どういうことよ!」
「そこできみに聞きたいんだけど、もしかして俺はきみの恋人なのか?」
「だ、だっだだっ、だぁれが恋人ですってぇ!?」
ニヤリと笑いながら嘯くエツィオに、ルイズは顔を真っ赤にさせた。
「違うのか?」
「あ、ああたりまえじゃない! だ、誰があんたなんか!」
「ふぅん、それじゃ、なんで他の女の子に手を出しちゃいけないんだ? 俺はきみの恋人じゃないんだろ? 残念だけれども」
「そ、そんなのっ!」
キスしたからよ! と危うく口に出しそうなったルイズは慌てて唇を閉じる、そして慎重に言葉を選んだ。
「あ、あんた! わたしの使い魔でしょ! 責務も果たさずに他の女の子といちゃいちゃしてる使い魔がどこにいるってのよ!」
「責務……か。おいデルフ!」
それを聞いたエツィオは唇の端を上げ、部屋の隅に立てられたインテリジェンスソードに話しかけた。
「なんだね?」
「お前から見て俺の働きはどうだ? 使い魔の責務、果たしてると思うか?」
「ああ、十分に果たしてるね。もっと言わせてもらえりゃ、働き過ぎだ。もっとサボったってバチ当たらんよ」
「……だそうだ」
勝ち誇ったようにこちらを向くエツィオに、ルイズは言葉を失ってしまった。
「しかし困ったな、これでもまだきみは十分じゃないっていうのか?」
「っ……! そ、そうよ! とにかくあんたは使い魔の責務を果たしてないの!」
「へえ、それはなんだ? 今後の参考に教えてくれよ、至らない部分があってはきみの使い魔として誇れないからな」
ルイズはなにかないか必死に考える。が、すぐに気が付く、指摘できる点が、何一つないのだ。
口ごもるルイズを見て、エツィオはやれやれと肩を竦め首を横に振って見せた。
「ないのか? それじゃあ誰に手を出そうかきみには関係ないことなんじゃないかな?」
「か、関係ないけど、あるのよ!」
ニヤニヤと楽しそうに笑うエツィオを、ルイズはう~~~~っ、と睨みつける。
なんてイヤミな男なのかしら、とルイズは唇を噛んだ、エツィオはルイズの気持ちを知っている、
そしてそれが煮え切らない物だと知っていたとしても、それを口に出させようとしているのだ。
でもプライドの高いルイズはそんなこと口に出す事が出来ない、それも当然エツィオは知っている。それも含めて楽しんでいるのだ。
ヒヨコがグリフォンに挑むようなもの、以前キュルケが言っていた意味が、痛い程ルイズには理解できた。
エツィオには、どうあってもかなわない、そこでルイズは、唯一刺し違えることが出来るとっておきの必殺技を出すことにした。
とにかく、言葉とか疑問とか、怒りとか、言葉の矛盾とか全部チャラにしてしまう、女の子の必殺技であった。
なんというのか、泣きだしたのである。
目頭から、真珠の粒のような、大粒の涙がぽろっと流れた。それがきっかけでルイズはぽろぽろと泣き始めた。
「なんでいじわるするのよ、もう、ばか、きらい」
ずるっ、えぐっ、ひっぐ、とルイズは目頭を手の甲でごしごしと拭いながら泣いた。
するとエツィオは椅子からやおら立ち上がると、ルイズのベッドに腰かけ、ルイズの肩に手を回して優しく抱き寄せた。
そうすると、ルイズはエツィオの胸板を叩きながらますます強く泣き始めた。
「きらい。だいっきらい」
――その時だった。優しく抱きしめていてくれていたエツィオが体重をかけ、ルイズをベッドに押し倒してきた。
何が起こったのか理解しかねていたルイズは、抵抗することが出来ず、そのままエツィオに覆いかぶされてしまった。
「ふぇっ……?」
間の抜けた声を上げるルイズを、エツィオが覗き込み、ニヤリと笑みを浮かべ、囁く。
「ルイズ、そろそろ、俺達のカンケイってやつをはっきりさせるべきだとは思わないか?」
「か、かんけい?」
「そう、俺はきみの使い魔なのか、それとも恋人なのか。さあ、どっちだ?」
ずいっと、エツィオの顔が近くに迫る。グリフォンの反撃が始まった。
ルイズはようやく自分の置かれた状況に気が付いたものの、もうすでに遅かった。
今のルイズは、グリフォンの鉤爪に捕らわれたヒヨコと同じであった。
「あ、あんたはわたしのことっ……」
「俺か? この間言っただろ? 俺はきみが好きだ。じゃなきゃ使い魔なんてやってない、とっくに出て行ってるさ」
苦し紛れの質問であったが、逆に自分の首を絞める結果になった。
きゅっと唇を噛みしめるルイズに、エツィオは歌う様に言った。
「でも、俺は卑しいきみの使い魔だ、使い魔ごときが主人にそんな想いは寄せられない。ましてや手を出すなんてとんでもない! こうしていること自体が謀反に等しい事だ。
だからきみが使い魔だと言えば……、俺はこの事の罰を受けるし……もう二度ときみに手を出す事はしない。この先きみが心変わりしようともね」
だけどもし……。とエツィオは楽しそうに続けた。
「きみが俺のことを恋人だと言うのであれば……、俺はもうきみしか見えなくなる」
ルイズがぐっと言葉に詰まる、それはつまり、ルイズが使い魔だと言えば、エツィオは他の女の子に手を出しまくるが、ルイズは一切口を出せない上に相手にしてもらえなくなると言うことであり……。
逆に恋人だと言えば、エツィオはもうルイズの事しか見なくなる、ということであった。なんともまぁ理不尽な二択である。しかしその二択は、確実にルイズの退路を断っていた。
「さあルイズ、選択の時だ、俺にどうして欲しいのかな? 返答次第ではどうなるか……わかってるだろ?」
互いの息がかかるくらいの距離にまでエツィオの顔が近付けられる。
ルイズは最早爆死寸前だった。心臓が狂ったように警鐘を鳴らし、顔は熱した鉄のように赤く熱くなっている。
「言ってごらん? 俺はきみにとってのなんだ?」
「あ、あああ……あんたは……わ、わたっ……! わたしのっ……!」
ルイズはぴくぴくと体をふるわせていたが……、やがてぐったりと動かなくなった。
エツィオはついとベッドから立ち上がると、ルイズの体に毛布をかぶせた。
そんなエツィオに、様子を見守っていたデルフリンガーが声をかけた。
「相棒? どうしたんだ?」
「気絶したみたいだ。うまく逃げられちゃったよ」
エツィオは肩をすくめると、苦笑したように呟いた。
進退窮まったルイズは、最後の逃げ道である、意識を遮断を選んだのだった。
なんとも見上げたプライドである。
「まったく、嫉妬は人間の大罪の一つに数えられてるってのに、もっと素直になってくれたらいいんだけどもな」
ベッドの上で眠っているルイズを見て呟くエツィオに、デルフリンガーが呆れたように言った。
「そいつを言うなら色欲もだ」
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