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「The Legendary Dark Zero 28」(2012/10/29 (月) 01:04:16) の最新版変更点
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#navi(The Legendary Dark Zero)
スパーダ達が魔法学院へと帰還してから三日後、正式にアンリエッタ王女とアルブレヒト三世皇帝との婚姻が発表された。
式は一ヵ月後に行われる運びとなり、それに先立ちトリステイン王国と帝政ゲルマニアとの軍事同盟が締結されることとなる。
同時に王党派の倒れたアルビオンにおいて新政府樹立の公布がなされたのはその翌日であった。
両国間には緊張が走ったもののアルビオンは自ら特使を派遣し不可侵条約締結の打診してきたため、協議の結果難なくそれは受け入れられた。
何しろトリステイン、ゲルマニアはいくら軍事同盟を結んだとはいえ未だ軍備の整わない状況であり、おまけに内戦が終わったばかりでもアルビオンの空軍艦隊に対しては対抗しきれないのである。
よって、その協定はトリステイン、ゲルマニア両国にとっては願ってもない申し出であった。
こうして、ハルケギニアには表面上は平和が訪れたのである。
……そう、上辺だけの平和が。
ハルケギニアの裏側で暗躍し、この世界を狙う異世界の住人達の思惑に気づき、知る者はあまりにも少なかった。
アンリエッタ王女とアルブレヒト三世皇帝の婚姻が発表された翌日、王宮より学院長オスマンの所へ一冊の本が届けられていた。
古びた革の装丁がなされた表紙は触れただけでも破れてしまいそうにボロボロであり、中のページも色あせてしまっている。
本を訝しそうに眺めながら髭をいじるオスマン。ページは開けど開けど、どこも真っ白であった。
「始祖の祈祷書、かぁ……」
大きなため息を一つ吐き、オスマンは椅子に深くもたれかかった。
その本は六千年前、始祖ブリミルが神に祈りを捧げた際に読み上げた呪文が記されている、という伝承が残っている伝説の品であった。
オスマンもそれくらいのことは知っていた。だが……。
「いくらまがい物だからといって、これはあんまりじゃのぅ……。文字さえ書かれておらんじゃないか」
古今東西、そうした伝説の品には必ずまがい物が出回るものである。
本来ならばこの世に一冊しかないはずのその品は六千年という年月を経て何故か、ハルケギニア中に存在するようになったのだ。
各国の貴族や教会、寺院など、どこも自分の持つものこそが本物だと抜かしている。本物だろうが偽物だろうが、それらを全て掻き集めれば図書館さえできると言われている。
オスマンは頭を痛めた。偽物であることすら放棄したこんな品を王室が大事に保管しているとは……。
「なぁ、ミス・ロングビル? 君だったらどうするね? これを手に入れたりしたら」
相変わらず自分の机で淡々と仕事を続けるロングビルに声をかける。
彼女はそんな秘法などに興味はなかったのであった。
だが、オスマンは〝土くれのフーケ〟であった彼女ならばそのような触れ込みの品をどのように扱うのかが気になった。
「そうですね。鼻紙にもならないでしょうから、私のゴーレムで跡形も残らず破いてしまいますわ」
「怖いことを言うのぉ……」
だが、オスマンもこんなインチキ染みた本は思わず破いてしまいたくなるほどに馬鹿馬鹿しいと感じていた。
もっともこんな物でさえ国宝である以上、そんなことはできないのだが。
そんな時、部屋の扉がコンコン、とノックされる音が響く。同時に「失礼します」という少女の声も聞こえてくる。
席を立ったロングビルが扉を開けると、そこには学院の生徒であるルイズの姿があった。
扉の前で立っているルイズを確認したオスマンは頷き、ルイズはロングビルに部屋の中へと通された。
「旅の疲れは癒せたかな? 色々と辛かったであろうが、君達の活躍で同盟は無事に締結されたのじゃ。胸を張りなさい」
優しい声でオスマンは机の前に立つルイズの労をねぎらってきた。
その言葉にルイズの心はちっとも晴れやかにはなれなかった。だが、学院長がせっかくねぎらってくれているのだから、ルイズは無理に笑みを浮かべて一礼する。
同盟を結ぶということは即ち、幼馴染のアンリエッタが政治の道具として愛してもいない男などと結婚することを意味するのだ。
あの時、アンリエッタが浮かべた切ない笑みを思い出すとルイズも悲しくなり、胸が締め付けられる。
オスマンはしばらくルイズを見つめていたが、やがて先ほどの〝始祖の祈祷書〟を差し出していた。
「これは?」
「うむ。始祖の祈祷書じゃ」
ルイズは怪訝な顔でその本を見つめる。
国宝であるはずの〝始祖の祈祷書〟。その名前はルイズとて知っている。だが、何故その書物がこんな所にあるのかルイズは疑問に思った。
「トリステイン王家の伝統で、王族の結婚式の際には貴族より選ばれし巫女を用意せねばならんのじゃ。
選ばれた巫女はこの始祖の祈祷書を手に、式の詔を読み上げる習わしになっておる」
「は、はあ」
「そして姫様は、その巫女にミス・ヴァリエール、君を指名してきたのじゃよ」
「姫様が……わたしを、ですか?」
「その通りじゃ。巫女は式の前より、この始祖の祈祷書を肌身離さず持ち歩き、読み上げる詔を考えねばならぬ」
「……へ? わ、わたしが考えるんですか!?」
いかにルイズでも宮中の習わしや作法などに詳しくなかったので驚いてしまった。
「まあ、大まかな草案は宮廷の連中が推敲するじゃろうがな。伝統と言うのは面倒なもんじゃのう。だがな、姫はミス・ヴァリエール、そなたを指名したのじゃ。
これは大変に名誉なことじゃぞ。王族の式に立会い、詔を読み上げるなど一生に一度あるかないかじゃ」
それを聞いて、ルイズの表情は真摯な態度へと変化していった。
アンリエッタは幼馴染である自分を式の巫女として自分を選んでくれたのだ。ならば、その思いに応えなければならない。
「分かりました。謹んで拝命いたします」
始祖の祈祷書はミス・ロングビルの手を経由して、ルイズの手に渡された。およそ三百ページもあるボロボロの本はとても軽かった。
「うむ、頼むよ。姫様も喜ぶじゃろうて」
快く引き受けてくれたルイズを見つめ、オスマンはにこやかに頷いていた。
「時にミス・ロングビル」
「なんでしょうか?」
ルイズが退室した後、仕事に戻り始めたロングビルにオスマンが話しかける。
「君の年齢はいくつだったかね?」
「……」
いきなり何を言い出すのだ、このジジイは。ロングビルは微かに顔を引き攣らせた。
「……23ですが。それが何か?」
「ふぅむ。姫様は17で結婚じゃが、君はその歳でまだかぁ。婚期を逃すと色々と苦労するもんじゃな」
そこまで言った所で、ロングビルは冷たい表情のまま杖を手にしようとする。
「で、どうなのじゃ? その後は」
いつものように念力で本を投げつけてやろうかと思ったのだが、その言葉に手がピタリと止まった。
「何がです?」
「何じゃ。その様子ではまだまだか。難儀じゃのう」
一体、何の話をしているのかロングビルは分からず、顔を顰めていた。
「スパーダ君との進展はあれから何もないのか」
「……っ」
彼の名前が出た途端、ロングビルの頬は仄かに赤く染まった。
「彼が悪魔だからって躊躇う必要なんかないと思うぞい? まあ、彼自身はあまりそういう色恋沙汰には興味なさそうな気もするが、ぶつかり続ければ振り向いてくれるかもしれん」
ロングビルは何も答えられなかった。
スパーダはロングビルにとってかけがえの無い恩人だ。彼はこれまで何度となく彼女に救いの手を差し伸べてくれた上、大切な身内まで救ってくれた。
悪魔は本来、人間を甘言によって堕落させその命と魂を食らう存在だという。
思えば前に〝土くれのフーケ〟として、破壊の箱……パンドラという魔界の兵器の危険性を伝えようとしていた時の彼の態度は悪魔そのものであったと言える。
あの口から出ていたのが人間を堕落させるための言葉ではなかったというだけという話だ。あの時の彼が纏っていた恐ろしい雰囲気は今でも忘れられない。
正義に目覚め、人間を見守っているとはいえスパーダの悪魔としての本質は何も失われていないということだ。
しかも何千年という年月を生きているためか、極めて話術に優れている。悪魔らしく相手をいたぶるあの話術にロングビルは見事に彼の話術に嵌ってしまった。
もしもスパーダが人間を堕落させるための言葉を口にしたら、きっと何者であろうと抗うことなどできはしないだろう。
普段はあんなにも無口だというのに、その気になれば雄弁に語って人間を手玉に取ってしまうのだ。
(私ともあろうものが、お笑いだね)
だが、スパーダははどの人間に対しても一定の距離を取ろうとしているのはこれまで彼と関わることで察していた。
そんなスパーダが自分なんかに振り向いてくれるとは思えない。
「何じゃい。弱気になるとは君らしくもない。相手が悪魔だろうと当たって砕けるくらいの意気は見せんと、彼は見向きもしてくれんぞ?
そんな風じゃから、婚期を逃すんじゃぞい!」
珍しく沈んでいるロングビルを見かねてか、オスマンは熱く語りながら叱咤した。
最後に余計なことを言ってくれたため、今度はロングビルもしっかりと杖を振るって本を投げつけていた。
その日のスパーダはあまり人の立ち寄らないヴェストリ広場の隅に置かれているベンチに腰掛けていた。
午前中はこの三日間と同じように図書館に入り浸って調べ物をしていたのだが、まるで進展がない状況なのだ。
悪魔達は頻繁にこの世界に現れている以上、そうした文献か何かがあっても良いはずなのだが一文たりともそのような物が記されている本はなかったのである。
仕方が無いので、スパーダは当事者と思われる奴から話を聞くことにしたのだった。
スパーダは体内から篭手のデルフを引っ張り出すと、それを自分の隣に置く。
「いつまでそうしている気だ」
デルフはずっとスパーダに怯えている様子であり、いい加減に機嫌を良くしてもらわなければ困るために厳しく呼びかける。
こいつからは聞きたいことが山とあるのだから。
「なっ、何だよ相棒。……俺ぁ、怖いんだよ。ヴァリヤーグだなんて恐ろしい奴が相棒になっちまったんだからな……。悪い奴じゃねえことは分かるんだが」
「ヴァリヤーグとは何のことだ。……お前が知っていることを話してもらおうか」
このインテリジェンスソードであった精霊は明らかに悪魔達と関わりがあるらしい。
残念ながらデルフは肉体を持つ生物ではないため、時空神像の記憶から引き出すことはできない。よって、直接聞き出すしかないのだ。
「……分かったよ。しかし、その前に聞きたいことがある。相棒は始祖ブリミルやその宗教についてどれくらいのことを知っているね?」
「私は悪魔だ。そんなまやかしには興味がないが……基本的な話ならば調べてはある」
今回の調査の過程で始祖ブリミルの話について載っている本もいくつか読んでいたため、知りたくもない話までスパーダは知ることになっていた。
「強大な虚無の魔法を操り、私のこのルーン以外に3人の使い魔が共にいたそうだ。そして、そのブリミルらが聖地という場所を目指していたが、
先住魔法を操る砂漠のエルフとやらに阻まれて辿り着けなかった、と。ブリミル教徒の目的はその聖地とやらを奪還することらしいがな」
もっとも、数百年前にエルフと戦争を行ってから現在は膠着状態にあるらしく、あまり積極的に聖地を奪還する気がないように見えるが。
その聖地とやらに何があるというのだろうか。単なる領土争いとも違うような気もする。
「基本はしっかり押さえてやがるな。……ここだけの話だが聞いて驚くなよ。俺は六千年前、その始祖ブリミルと会ったことがあるのさ。
しかも、ブリミルが従えていた初代のガンダールヴがこの俺っちを握っていたのさ! すげえだろ!」
何故か自慢そうに話すデルフであったが、スパーダはあまり興味がなさそうな様子で頷いただけであった。
「……ま、今となっちゃあ神様扱いされてるブリミルだがよ、実の所そこらのメイジと対して変わんなかったね。
ニンニクが嫌いで食べられなかったし、俺を握っていた初代のガンダールヴを相手によく新しく編み出した魔法の実験を行なっては文句を言われるわ、鉄建制裁をおみまいされたりしてたもんなぁ」
昔を思い出しながら、デルフは揚々と語った。
その初代ガンダールヴは女性であったということは覚えているのだが、他はよく思い出せない。
ただ、その女性は人間ではなかったということは確かなのだが……。まあ、別にいいか。
「……で、だ。ある時、ブリミルは空間に穴を開けて別の空間同士を繋げるっていう魔法の実験を行なっていたんだ。実験そのものは成功だった。……けど、繋げた場所が悪かった」
深刻そうな口調で呟くデルフの話に、スパーダも真剣に耳を傾けていた。
「そこはこの世のものとも思えねえ、恐ろしい場所だったぜ。あれが地獄って奴なんだろうなぁ……。そこかしこに吸っただけで参っちまいそうな瘴気が漂っているわ、
見たこともない化け物達が互いを殺し合って喰らうわで、とんでもねえ所だった。おまけにそこは戦争の真っ最中だったらしくてな。
ははっ……人間同士やエルフとの戦争がまるで子供の喧嘩みたいに思えるほど凄まじかったぜ」
六千年前、スパーダはまだ魔剣士と呼ばれるほどの力は有していなかったどころか、どこの勢力にも属してはいなかった。過酷な魔界で生き残るのは相当辛いことだが、戦乱の最中にあればなおさらである。
当時は〝魔王〟と呼ばれていたムンドゥス、〝覇王〟アルゴサクス、〝羅王〟アビゲイルの三大勢力が中心となって戦乱が続いている状態だったはずだ。
「つまり、ブリミルとやらが魔法で繋いでしまった場所が魔界だったわけか」
「そういうことさ。その地獄みてえな場所からブリミルはすぐに戻ってきたんだが、魔界の連中はそのゲートを通ってこっち側になだれ込んできやがった。
ブリミル達はそいつらを〝ヴァリヤーグ〟と呼んで迎え撃ったのさ。相棒も何度か相手にしていた小物ばっかだったんだが、ブリミルも奴らには手を焼いたもんだよ。
俺もガンダールヴに振るわれて奴らを叩き斬っていたが……奴らほど斬って気分が悪くなるようなものは他にいねえ……」
デルフは声を震わせつつも己が体験したことを語っていた。
その声は怯えている証拠だ。事実、デルフが喋る度に金具が微かにカチカチと音を立てているのが分かる。
「で、最終的に魔界の連中を何とか全滅させたんだが、奴らがなだれ込んできた影響で魔界とこの世界を繋ぐゲートは拡げられちまった。
そうなっちゃあ、いくらブリミルでも完全に閉じることはできねえ。仕方なく、閉じられるだけ閉じてゲートのある場所を封印した」
「……この世界が我が主達に侵攻されなかったのは不幸中の幸いだったな」
「ああ。あんな雑魚じゃなくて、相棒みてえな強い悪魔が現われでもすれば、いくらブリミル達でも勝てなかっただろうな。本当、運が良かったぜ」
当時の魔界は三大勢力が覇権を争い合う戦乱の時代だ。他の異世界など気にかけている余裕はなかったのだ。
……しかし、魔界のどこにブリミルは入り口を開いてしまったのだろうか。
ブリミルという奴が偶然、魔界の入り口を開いてしまったとしても六千年間、魔界と決別する前のスパーダはおろか魔帝ムンドゥスでさえ存在に気づかなかったのだ。
逆に力の弱い下級悪魔や魔界の魔物ばかりがハルケギニアに姿を現したということは、よほど辺境の領域にブリミルは出入り口を作ったのか。
何にせよゲートが未だに存在していることで、魔界とハルケギニアの次元の境界が薄くなっていることは確かだろう。
そのためにブリミルが残したゲートを通らずとも、悪魔達はこの世界を行き来することができるのだ。
「そのゲートとやらがどこにあるのか、覚えているか」
「悪いな。さすがにそこまでは覚えちゃいねえ。ただ、東の方だったってことだけは微かに覚えてるんだがな……」
「……まあいい。礼を言うぞ」
「いいってことよ!」
文献などによると、ブリミル教徒の目指す聖地とやらが東にあるという話だ。もしかしたらその聖地にゲートがある可能性がある。
だが、もしも聖地に魔界へのゲートが存在するのだとしたら、教徒達は何故ブリミルが封印した場所を目指すのか。
確か、聖地はブリミルが降臨した土地だという風に伝えられているということだが。
(どこもやることは同じだな)
宗教というものは大抵、真実が伝えられることは少ない。信者達を都合よく操るために虚構を作り上げるのがほとんどだ。
大方、宗教を後世へ伝えた者達がその事実を歪め、捻じ曲げてしまったのだろう。
「しっかし、その悪魔がガンダールヴになっちまうとはなぁ。さすがにブリミルも悪魔を使い魔にするなんて想定していなかったし、使い魔のルーンが効かないのも分かるぜ」
もっとも、たとえスパーダが悪魔でなかったとしてもルーンに己の魂を捧げることなど決してあり得ないが。
「ところで、この間相棒の中に新しい奴が入り込んできたようだがあいつはこれからどうする気だい」
「それはこれから次第だ」
ゲリュオンの力は空間を掌握して制御することだ。その力を借りてこれからの悪魔達との戦いに使うのも良いが……そのまま本体ごと呼び出して移動に使うのもいいだろう。
「俺っちももっと使ってくれよ。この際、篭手でも構わねえからさ。ずっと押し込まれたままじゃ退屈でしょうがねえ」
「考えておく」
懇願するデルフに生返事で答えると、不意に誰かに声をかけられる。
「あの、スパーダさん?」
顔を向けると、そこには学院のメイドであるシエスタの姿があった。
モット伯の屋敷から連れ出した件以来、どこかスパーダに対して躊躇いがちな態度になっていた彼女であったが、今日は珍しく自分からスパーダに声をかけていた。
「何をしてらっしゃるんですか?」
「相棒はこの俺を相手に談義に花を咲かせていたのさ。メイドのお嬢ちゃん」
「きゃっ! 何ですか、今の声は!」
どこからともなくスパーダ以外の男の声が聞こえてきて、シエスタは驚いた。危うく手にしていたトレーの上の物を落としそうになる。
「気にするな。それで何の用だ」
スパーダはトレーの上に乗っている物に目がいった。
ワイングラスの上に盛られたアイスクリーム、さらにホイップやいちごの果肉、シロップで彩られているそれは……。
紛れも無い、ストロベリー・サンデーだった。
「は、はい。あの、実はトリスタニアにいる親戚からスパーダさんのことをお聞きしまして」
そういえばシエスタはジェシカの従姉妹だったことをスパーダは思い出す。
「それで、スパーダさんがこちらのデザートが好物だとお聞きしたんです。それで今日はそれをご馳走になってもらおうと思って。……あの、よろしければ食べてもらえます?」
「うむ」
即答したスパーダはトレーに手を伸ばし、サンデーが盛られたグラスとスプーンを手にする。
元々、ジェシカが作ったサンデーはこのシエスタが直伝したということだが、果たして。
シエスタはトレーを抱えたままもじもじしつつ、スパーダの返答に緊張している。
「悪くはない」
スプーンで一口を運んだスパーダは感嘆と頷いていた。
ジェシカが作ったものより少し味が薄いが、どちらかというとあちらは味が濃かったのでこちらの方が良い。
「そうですか。良かった!」
心を込めて一生懸命作ったデザートが気に入ってもらえて、シエスタの顔はパッと明るく輝いた。
あの日以来、シエスタはスパーダのことが頭から離れなくて仕方が無かった。スパーダのことを考えると、胸が熱くなる。
何しろ、スパーダは悪魔の血を引くシエスタを人間として認めてくれたのだ。……あの時、彼が口にした言葉が忘れられない。
――Devils Never Cry.(悪魔は泣かない)
身分違いであることは分かっている。だが、それでもシエスタはスパーダにもっと認めてもらうべくこうして彼をもてなすことにしたのだ。
「相棒が甘党だったとはなぁ。意外だね」
「……ひょっとして、この篭手が喋ってるんですか? 変わってますね」
シエスタはベンチの上に置かれている変わった形の篭手に目を丸くした。
「おうよ。デルフリンガーっていうんだ。デルフって呼んでくれな」
「はい。よろしくお願いします、デルフさん」
スパーダは黙々とサンデーを食していたが、シエスタはそんな彼の姿を目にして嘆息を吐いた。
「スパーダさんが甘い物が好きだなんて、意外でしたね。こうしていると、この間の時のことが嘘みたいです」
「何のことだ」
「ほら、学院に大きな馬が入り込んできた時のことです。わたしもあれを見ていたんですよ。本当に緊張しました」
シエスタはあの時、ゲリュオンが学院に侵入した時に平民の給仕達はおろか貴族達よりも早くその存在を感じ取っていたのだ。
胸騒ぎがすると思って来てみたら、巨大な蒼い馬がタバサを追い回しているのだから驚いた。
そして、スパーダがあの馬を叩きのめしてしまうと、その姿に感服すると同時に何故か畏怖も感じてしまったのである。
目覚めてしまった悪魔の血と本能が、シエスタにこれまでにない感覚を与えていたのであった。
「親戚から話を聞いたんですけど、トリスタニアで悪い貴族を懲らしめたりもしたんですよね。
結構、話題になっているそうですよ。異国から来た貴族の剣豪がメイジを叩きのめしたって。スパーダさんには本当に感服しますよ」
あまり目立つようなことはしたくなかったのだが、あれは少々やりすぎたとスパーダは反省している。おかげでトリステインの宮廷に目を付けられることとなったのだ。
「美味かった。礼を言う」
サンデーを完食したスパーダは空のグラスとスプーンをシエスタに返すと、デルフを手に立ちあがる。
「また食べたくなったら、いつでもおっしゃってくださいね。スパーダさんのためだったら、何杯でも作ってあげますから」
「うむ」
ふと、スパーダはシエスタを見下ろしその顔をじっと見つめた。
シエスタはスパーダにこうもはっきりと視線を向けられて顔を赤く染めると同時に、睨まれているために少し怖く感じていた。
「……君の曽祖父のことだが」
「え、ええ? 曾おじいちゃんですか?」
いきなり予想していなかった話を振られてシエスタは慌てた。
曽祖父が心優しい悪魔であったとしても、もうシエスタは何も気にしないことにしていたのだ。曾おじいちゃんは曾おじいちゃん、それだけで充分である。
「何か村に残しているものはないのか」
彼女の曽祖父である中級悪魔のブラッドがタルブという村に現れたということは、その周辺にも何か手がかりがあるのではとスパーダは睨んでいるのである。
情報があまりにも少ない以上、些細なことであっても知っておくべきなのだ。
「うーん……聞いたことはないですね。ただ、曾おじいちゃんがいなくなってから少しして、村の近くの森で変な物が見つかったってことくらいしか……」
「変な物?」
その言葉にスパーダは微かに顔を顰める。
「はい。何の変哲もない大きな石版なんですけどね。村の人達はその石版が珍しいからって、拝みに行く人もいるんですよ。〝聖碑〟なんて名前を付けちゃったりして」
(聖碑、か……)
ブラッドが村を去ってから見つかったという謎の石版……。それが一体、何なのかが気になる。
深刻そうな顔で俯き考え込むスパーダに対し、シエスタは何かを思いついたように顔を明るくさせた。
「そうだ! 今度、アンリエッタ姫殿下がご結婚なさりますよね。それでその一週間前に学院の給仕達もみんなお休みがもらえることになったんです。
わたしも帰郷するんですけれど、もしよろしければその時にわたしの村にいらっしゃいませんか?」
「……そうだな。では、その時になったら案内してもらおう」
シエスタは、まさかスパーダが即答で平民である自分の招待に応じてくれるとは思いもしなかったために驚いたが、それでも嬉しくなった。
「はい! よろしくお願いします!」
満面の笑みを浮かべて、深く一礼をしていた。
その日の夜、夕食を終えたスパーダとルイズは互いに寮の部屋へと戻ってきていた。
スパーダは図書館より拝借してきた本を手に椅子に腰掛け、ルイズはベッドの上で正座をしたまま始祖の祈祷書を開いている。
ルイズは白紙のページをじっと眺めながら式に相応しい詔を考え込んでいた。
「う~ん……」
……が、元々ルイズはあまり文章を作ったりするのが苦手であり、事実魔法以外の授業で作文を書くという時には良い文が思い浮かばずに困っていたものである。
魔法はできなくとも座学だけは誰にも負けないルイズであったが、唯一の苦手な科目であるそれもまた悩みの種であった。
昼に祈祷書を受け取り、暇さえあれば詔を考えるのだが……未だ一文たりとも思い浮かばない。
ちらりと、ルイズはスパーダの方を見やった。
「ねぇ、スパーダ。姫様の結婚式が今度行なわれることは知っているわよね」
「ゲルマニアの皇帝とやらが相手だそうだな」
無関心な様子でスパーダは答えていた。手にする本から目を離さない。
その冷淡な態度が少しカチンとくるが、ルイズは話を続けた。
「それでね、姫様はあたしをその結婚式で詔を読み上げる巫女に選んでくれたの。でも、良い詔が浮かばないのよ……。一応、詩のような表現をすれば良いんだけど。
スパーダは人間の社会を何百年も見てきたんでしょう? 何か良い詩とか知らない?」
「私は詩人ではない。あまりそういうのも興味がなかったのでな。悪いが力にはなれん」
伝説の悪魔の知識と経験に少し期待していたルイズは不満そうに頬を膨らませる。
剣豪として剣を振るう時や威厳ある貴族として振舞う時などはとても頼りになるというのに。
いくらスパーダが人間社会を何百年と見てきたとはいえ、彼自身が興味を示さずに見聞や体験をしていない事柄に関しては全く頼りにすることはできないとは。
「娘っ子。第一、そういったことは大抵、宮廷の貴族達が内容を手直しをすると思うぞ。下手すっと、娘っ子が考えたのなんて跡形も残らないぜ?」
テーブルの上に置かれている篭手のデルフが口を挟んできた。
「そうだろうけど、一応伝統なんだからあたしもちゃんと考えなきゃならないのよ」
「まあ、あまり真剣になりすぎるこたあないと思うがね」
他人事のようにけらけらと笑うデルフの態度がムカつき、ルイズはテーブルの上の篭手を睨みつけた。
「姫様は幼馴染のあたしとの友情を思って、巫女の大役をくださったのよ。その思いに応えるためにもあたしもちゃんと考えなきゃならないの!」
「では何故、素直に王女を祝福しない」
唐突にスパーダが口にした言葉に、ルイズは息を呑んだ。
「そのような大役を与えられたにも関わらず、君はあまり王女の結婚を喜んでいるようには感じられんが」
悪魔は人間のあらゆる面を観察することで、その心に秘めている思いを看破するという。
スパーダの指摘に、ルイズは悲しそうな顔を浮かべて呟きだした。
「だって、姫様は本当は政略結婚なんて望んでいないのよ? ウェールズ殿下と結ばれたかったはずだわ。でもそれが叶わない以上、愛してもいない男の所へ行くだなんてそんなの辛すぎるわよ……」
帰還報告をアンリエッタにした際、スパーダがウェールズを説得していたことと最後の最後に生き残るように口添えをしてくれたことにはとても感謝していた。
命を落とした所を直接見ていないとはいえ、密かに探し出すということはしなかったが。
ウェールズ殿下はあれからどうしたのだろう。あれだけの大群……しかも悪魔達も相手にしてはただでは済まない。
できることなら、スパーダの言に従って生きていてくれればいいのだが……。
「そういえばこの国は長い間王位が空席だと聞くが。今は王はいないのか」
「そうよ。先代の王がお亡くなりになられた時も、マリアンヌ王妃様は喪に服すると言って即位することはなかったの」
スパーダは読んでいた本をテーブルに置き、新しい本を手にして開きながら細く溜め息を吐いた。
「……要は、その女が全ての元凶か」
「ちょ、ちょっと! 王妃様に対して〝その女〟って、なんて失礼なことを言うのよ!」
「アンリエッタ王女がそうして政略結婚に苦しむのも、この国がゲルマニアとやらに同盟を求めるようになったのもその王妃とやらが王族の責務から目を背けたのが原因ではないのか。……はっきり言う。この国の王族はただの飾りに過ぎん。衰退し続けるのも頷ける」
先々代のフィリップ三世という王は英雄王などと呼ばれるほどの武人であったそうだが、所詮はそれだけ。それ以外の政治能力はあまりにも乏しかったという。
王女は国民の人気こそあるものの、まだ政治の経験が不足している駆け出しの状態だ。そして何より……。
「私にはそのマリアンヌという女が娘を生け贄にしているようにしか思えん」
「い、生け贄って……!」
あまりにも無礼な言葉を口にするスパーダに、ルイズもベッドから降りて立ち上がっていた。
「その女が女王として即位をせずとも、再婚をするなりして新たな王を迎えていれば結果は変わっていただろう。だが、その女は私情に走り己の責務を娘に全て押し付け、自らは安穏の道へと逃げ込んだ。
……実に虫のいい話だ。その女は王族も、母を名乗る資格もない」
人間界でそうした光景は何度も見届けていたスパーダは、容赦なくトリステインの王族を唾棄していた。
「……愛する人を失くすっていうのは本当に辛くて悲しいものなのよ! 王妃様も先王のことを思ってあえて即位をしなかったんだわ!
だからこそ、アンリエッタ姫殿下に全てを託したのよ! その言葉……絶対に他で言っちゃ駄目だからね!」
悪魔としての冷酷な呟きに対し、ルイズは強く言い返す。
「独り言だ。気にするな」
「にしちゃあ、ちょっと言い過ぎだったんじゃないかねえ。不敬で打ち首にされちまうぞ?」
テーブルの上のデルフが呆れたように、そしてからかうように声を上げていた。
「と、とにかく! あたしは姫様のために詔を考えてみせるわ! スパーダもパートナーなんだから、何か良い言葉が思い浮かんだら教えてちょうだい!」
「うむ」
ぷるぷると震えていたルイズはベッド上に上がり、再び始祖の祈祷書を睨みつけていた。
(ウェールズ殿下が生きていれば……きっと、姫様と……)
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スパーダ達が魔法学院へと帰還してから三日後、正式にアンリエッタ王女とアルブレヒト三世皇帝との婚姻が発表された。
式は一ヵ月後に行われる運びとなり、それに先立ちトリステイン王国と帝政ゲルマニアとの軍事同盟が締結されることとなる。
同時に王党派の倒れたアルビオンにおいて新政府樹立の公布がなされたのはその翌日であった。
両国間には緊張が走ったもののアルビオンは自ら特使を派遣し不可侵条約締結の打診してきたため、協議の結果難なくそれは受け入れられた。
何しろトリステイン、ゲルマニアはいくら軍事同盟を結んだとはいえ未だ軍備の整わない状況であり、おまけに内戦が終わったばかりでもアルビオンの空軍艦隊に対しては対抗しきれないのである。
よって、その協定はトリステイン、ゲルマニア両国にとっては願ってもない申し出であった。
こうして、ハルケギニアには表面上は平和が訪れたのである。
……そう、上辺だけの平和が。
ハルケギニアの裏側で暗躍し、この世界を狙う異世界の住人達の思惑に気づき、知る者はあまりにも少なかった。
アンリエッタ王女とアルブレヒト三世皇帝の婚姻が発表された翌日、王宮より学院長オスマンの所へ一冊の本が届けられていた。
古びた革の装丁がなされた表紙は触れただけでも破れてしまいそうにボロボロであり、中のページも色あせてしまっている。
本を訝しそうに眺めながら髭をいじるオスマン。ページは開けど開けど、どこも真っ白であった。
「始祖の祈祷書、かぁ……」
大きなため息を一つ吐き、オスマンは椅子に深くもたれかかった。
その本は6000年前、始祖ブリミルが神に祈りを捧げた際に読み上げた呪文が記されている、という伝承が残っている伝説の品であった。
オスマンもそれくらいのことは知っていた。だが……。
「いくらまがい物だからといって、これはあんまりじゃのぅ……。文字さえ書かれておらんじゃないか」
古今東西、そうした伝説の品には必ずまがい物が出回るものである。
本来ならばこの世に一冊しかないはずのその品は6000年という年月を経て何故か、ハルケギニア中に存在するようになったのだ。
各国の貴族や教会、寺院など、どこも自分の持つものこそが本物だと抜かしている。本物だろうが偽物だろうが、それらを全て掻き集めれば図書館さえできると言われている。
オスマンは頭を痛めた。偽物であることすら放棄したこんな品を王室が大事に保管しているとは……。
「なぁ、ミス・ロングビル? 君だったらどうするね? これを手に入れたりしたら」
相変わらず自分の机で淡々と仕事を続けるロングビルに声をかける。
彼女はそんな秘法などに興味はなかったのであった。
だが、オスマンは〝土くれのフーケ〟であった彼女ならばそのような触れ込みの品をどのように扱うのかが気になった。
「そうですね。鼻紙にもならないでしょうから、私のゴーレムで跡形も残らず破いてしまいますわ」
「怖いことを言うのぉ……」
だが、オスマンもこんなインチキ染みた本は思わず破いてしまいたくなるほどに馬鹿馬鹿しいと感じていた。
もっともこんな物でさえ国宝である以上、そんなことはできないのだが。
そんな時、部屋の扉がコンコン、とノックされる音が響く。同時に「失礼します」という少女の声も聞こえてくる。
席を立ったロングビルが扉を開けると、そこには学院の生徒であるルイズの姿があった。
扉の前で立っているルイズを確認したオスマンは頷き、ルイズはロングビルに部屋の中へと通された。
「旅の疲れは癒せたかな? 色々と辛かったであろうが、君達の活躍で同盟は無事に締結されたのじゃ。胸を張りなさい」
優しい声でオスマンは机の前に立つルイズの労をねぎらってきた。
その言葉にルイズの心はちっとも晴れやかにはなれなかった。だが、学院長がせっかくねぎらってくれているのだから、ルイズは無理に笑みを浮かべて一礼する。
同盟を結ぶということは即ち、幼馴染のアンリエッタが政治の道具として愛してもいない男などと結婚することを意味するのだ。
あの時、アンリエッタが浮かべた切ない笑みを思い出すとルイズも悲しくなり、胸が締め付けられる。
オスマンはしばらくルイズを見つめていたが、やがて先ほどの〝始祖の祈祷書〟を差し出していた。
「これは?」
「うむ。始祖の祈祷書じゃ」
ルイズは怪訝な顔でその本を見つめる。
国宝であるはずの〝始祖の祈祷書〟。その名前はルイズとて知っている。だが、何故その書物がこんな所にあるのかルイズは疑問に思った。
「トリステイン王家の伝統で、王族の結婚式の際には貴族より選ばれし巫女を用意せねばならんのじゃ。
選ばれた巫女はこの始祖の祈祷書を手に、式の詔を読み上げる習わしになっておる」
「は、はあ」
「そして姫様は、その巫女にミス・ヴァリエール、君を指名してきたのじゃよ」
「姫様が……わたしを、ですか?」
「その通りじゃ。巫女は式の前より、この始祖の祈祷書を肌身離さず持ち歩き、読み上げる詔を考えねばならぬ」
「……へ? わ、わたしが考えるんですか!?」
いかにルイズでも宮中の習わしや作法などに詳しくなかったので驚いてしまった。
「まあ、大まかな草案は宮廷の連中が推敲するじゃろうがな。伝統と言うのは面倒なもんじゃのう。だがな、姫はミス・ヴァリエール、そなたを指名したのじゃ。
これは大変に名誉なことじゃぞ。王族の式に立会い、詔を読み上げるなど一生に一度あるかないかじゃ」
それを聞いて、ルイズの表情は真摯な態度へと変化していった。
アンリエッタは幼馴染である自分を式の巫女として自分を選んでくれたのだ。ならば、その思いに応えなければならない。
「分かりました。謹んで拝命いたします」
始祖の祈祷書はミス・ロングビルの手を経由して、ルイズの手に渡された。およそ300ページもあるボロボロの本はとても軽かった。
「うむ、頼むよ。姫様も喜ぶじゃろうて」
快く引き受けてくれたルイズを見つめ、オスマンはにこやかに頷いていた。
「時にミス・ロングビル」
「なんでしょうか?」
ルイズが退室した後、仕事に戻り始めたロングビルにオスマンが話しかける。
「君の年齢はいくつだったかね?」
「……」
いきなり何を言い出すのだ、このジジイは。ロングビルは微かに顔を引き攣らせた。
「……23ですが。それが何か?」
「ふぅむ。姫様は17で結婚じゃが、君はその歳でまだかぁ。婚期を逃すと色々と苦労するもんじゃな」
そこまで言った所で、ロングビルは冷たい表情のまま杖を手にしようとする。
「で、どうなのじゃ? その後は」
いつものように念力で本を投げつけてやろうかと思ったのだが、その言葉に手がピタリと止まった。
「何がです?」
「何じゃ。その様子ではまだまだか。難儀じゃのう」
一体、何の話をしているのかロングビルは分からず、顔を顰めていた。
「スパーダ君との進展はあれから何もないのか」
「……っ」
彼の名前が出た途端、ロングビルの頬は仄かに赤く染まった。
「彼が悪魔だからって躊躇う必要なんかないと思うぞい? まあ、彼自身はあまりそういう色恋沙汰には興味なさそうな気もするが、ぶつかり続ければ振り向いてくれるかもしれん」
ロングビルは何も答えられなかった。
スパーダはロングビルにとってかけがえの無い恩人だ。彼はこれまで何度となく彼女に救いの手を差し伸べてくれた上、大切な身内まで救ってくれた。
悪魔は本来、人間を甘言によって堕落させその命と魂を食らう存在だという。
思えば前に〝土くれのフーケ〟として、破壊の箱……パンドラという魔界の兵器の危険性を伝えようとしていた時の彼の態度は悪魔そのものであったと言える。
あの口から出ていたのが人間を堕落させるための言葉ではなかったというだけという話だ。あの時の彼が纏っていた恐ろしい雰囲気は今でも忘れられない。
正義に目覚め、人間を見守っているとはいえスパーダの悪魔としての本質は何も失われていないということだ。
しかも何千年という年月を生きているためか、極めて話術に優れている。悪魔らしく相手をいたぶるあの話術にロングビルは見事に嵌ってしまった。
もしもスパーダが人間を堕落させるための言葉を口にしたら、きっと何者であろうと抗うことなどできはしないだろう。
普段はあんなにも無口だというのに、その気になれば雄弁に語って人間を手玉に取ってしまうのだ。
(私ともあろうものが、お笑いだね)
だが、スパーダははどの人間に対しても一定の距離を取ろうとしているのはこれまで彼と関わることで察していた。
そんなスパーダが自分なんかに振り向いてくれるとは思えない。
「何じゃい。弱気になるとは君らしくもない。相手が悪魔だろうと当たって砕けるくらいの意気は見せんと、彼は見向きもしてくれんぞ?
そんな風じゃから、婚期を逃すんじゃぞい!」
珍しく沈んでいるロングビルを見かねてか、オスマンは熱く語りながら叱咤した。
最後に余計なことを言ってくれたため、今度はロングビルもしっかりと杖を振るって本を投げつけていた。
その日のスパーダはあまり人の立ち寄らないヴェストリ広場の隅に置かれているベンチに腰掛けていた。
午前中はこの三日間と同じように図書館に入り浸って調べ物をしていたのだが、まるで進展がない状況なのだ。
悪魔達は頻繁にこの世界に現れている以上、そうした文献か何かがあっても良いはずなのだが一文たりともそのような物が記されている本はなかったのである。
仕方が無いので、スパーダは当事者と思われる奴から話を聞くことにしたのだった。
スパーダは体内から篭手のデルフを引っ張り出すと、それを自分の隣に置く。
「いつまでそうしている気だ」
デルフはずっとスパーダに怯えている様子であり、いい加減に機嫌を良くしてもらわなければ困るために厳しく呼びかける。
こいつからは聞きたいことが山とあるのだから。
「なっ、何だよ相棒。……俺ぁ、怖いんだよ。ヴァリヤーグだなんて恐ろしい奴が相棒になっちまったんだからな……。悪い奴じゃねえことは分かるんだが」
「ヴァリヤーグとは何のことだ。……お前が知っていることを話してもらおうか」
このインテリジェンスソードであった精霊は明らかに悪魔達と関わりがあるらしい。
残念ながらデルフは肉体を持つ生物ではないため、時空神像の記憶から引き出すことはできない。よって、直接聞き出すしかないのだ。
「……分かったよ。しかし、その前に聞きたいことがある。相棒は始祖ブリミルやその宗教についてどれくらいのことを知っているね?」
「私は悪魔だ。そんなまやかしには興味がないが……基本的な話ならば調べてはある」
今回の調査の過程で始祖ブリミルの話について載っている本もいくつか読んでいたため、知りたくもない話までスパーダは知ることになった。
「強大な虚無の魔法を操り、私のこのルーン以外に三人の使い魔が共にいたそうだ。そして、そのブリミルらが聖地という場所を目指していたが、
先住魔法を操る砂漠のエルフとやらに阻まれて辿り着けなかった、と。ブリミル教徒の目的はその聖地とやらを奪還することらしいがな」
もっとも、数百年前にエルフと戦争を行ってから現在は膠着状態にあるらしく、あまり積極的に聖地を奪還する気がないように見えるが。
その聖地とやらに何があるというのだろうか。単なる領土争いとも違うような気もする。
「基本はしっかり押さえてやがるな。……ここだけの話だが聞いて驚くなよ。俺は6000年前、その始祖ブリミルと会ったことがあるのさ。
しかも、ブリミルが従えていた初代のガンダールヴがこの俺っちを握っていたのさ! すげえだろ!」
何故か自慢そうに話すデルフであったが、スパーダはあまり興味がなさそうな様子で頷いただけであった。
「……ま、今となっちゃあ神様扱いされてるブリミルだがよ、実の所そこらのメイジと対して変わんなかったね。
ニンニクが嫌いで食べられなかったし、俺を握っていた初代のガンダールヴを相手によく新しく編み出した魔法の実験を行なっては文句を言われるわ、鉄建制裁をおみまいされたりしてたもんなぁ」
昔を思い出しながら、デルフは揚々と語った。
その初代ガンダールヴは女性であったということは覚えているのだが、他はよく思い出せない。
ただ、その女性は人間ではなかったということは確かなのだが……。まあ、別にいいか。
「……で、だ。ある時、ブリミルは空間に穴を開けて別の空間同士を繋げるっていう魔法の実験を行なっていたんだ。実験そのものは成功だった。……けど、繋げた場所が悪かった」
深刻そうな口調で呟くデルフの話に、スパーダも真剣に耳を傾けていた。
「そこはこの世のものとも思えねえ、恐ろしい場所だったぜ。あれが地獄って奴なんだろうなぁ……。そこかしこに吸っただけで参っちまいそうな瘴気が漂っているわ、
見たこともない化け物達が互いを殺し合って喰らうわで、とんでもねえ所だった。おまけにそこは戦争の真っ最中だったらしくてな。
ははっ……人間同士やエルフとの戦争がまるで子供の喧嘩みたいに思えるほど凄まじかったぜ」
6000年前、スパーダはまだ魔剣士と呼ばれるほどの力は有していなかったどころか、どこの勢力にも属してはいなかった。過酷な魔界で生き残るのは相当辛いことだが、戦乱の最中にあればなおさらである。
当時は〝魔王〟と呼ばれていたムンドゥス、〝覇王〟アルゴサクス、〝羅王〟アビゲイルの三大勢力が中心となって戦乱が続いている状態だったはずだ。
「つまり、ブリミルとやらが魔法で繋いでしまった場所が魔界だったわけか」
「そういうことさ。その地獄みてえな場所からブリミルはすぐに戻ってきたんだが、魔界の連中はそのゲートを通ってこっち側になだれ込んできやがった。
ブリミル達はそいつらを〝ヴァリヤーグ〟と呼んで迎え撃ったのさ。相棒も何度か相手にしていた小物ばっかだったんだが、ブリミルも奴らには手を焼いたもんだよ。
俺もガンダールヴに振るわれて奴らを叩き斬っていたが……奴らほど斬って気分が悪くなるようなものは他にいねえ……」
デルフは声を震わせつつも己が体験したことを語っていた。
その声は怯えている証拠だ。事実、デルフが喋る度に金具が微かにカチカチと音を立てているのが分かる。
「で、最終的に魔界の連中を何とか全滅させたんだが、奴らがなだれ込んできた影響で魔界とこの世界を繋ぐゲートは拡げられちまった。
そうなっちゃあ、いくらブリミルでも完全に閉じることはできねえ。仕方なく、閉じられるだけ閉じてゲートのある場所を封印した」
「……この世界が我が主達に侵攻されなかったのは不幸中の幸いだったな」
「ああ。あんな雑魚じゃなくて、相棒みてえな強い悪魔が現われでもすれば、いくらブリミル達でも勝てなかっただろうな。本当、運が良かったぜ」
当時の魔界は三大勢力が覇権を争い合う戦乱の時代だ。他の異世界など気にかけている余裕はなかったのだ。
……しかし、魔界のどこにブリミルは入り口を開いてしまったのだろうか。
ブリミルという奴が偶然、魔界の入り口を開いてしまったとしても6000年間、魔界と決別する前のスパーダはおろか魔帝ムンドゥスでさえ存在に気づかなかったのだ。
逆に力の弱い下級悪魔や魔界の魔物ばかりがハルケギニアに姿を現したということは、よほど辺境の領域にブリミルは出入り口を作ったのか。
何にせよゲートが未だに存在していることで、魔界とハルケギニアの次元の境界が薄くなっていることは確かだろう。
そのためにブリミルが残したゲートを通らずとも、悪魔達はこの世界を行き来することができるのだ。
「そのゲートとやらがどこにあるのか、覚えているか」
「悪いな。さすがにそこまでは覚えちゃいねえ。ただ、東の方だったってことだけは微かに覚えてるんだがな……」
「……まあいい。礼を言うぞ」
「いいってことよ!」
文献などによると、ブリミル教徒の目指す聖地とやらが東にあるという話だ。もしかしたらその聖地にゲートがある可能性がある。
だが、もしも聖地に魔界へのゲートが存在するのだとしたら、教徒達は何故ブリミルが封印した場所を目指すのか。
確か、聖地はブリミルが降臨した土地だという風に伝えられているということだが。
(どこもやることは同じだな)
宗教というものは大抵、真実が伝えられることは少ない。信者達を都合よく操るために虚構を作り上げるのがほとんどだ。
大方、宗教を後世へ伝えた者達がその事実を歪め、捻じ曲げてしまったのだろう。
「しっかし、その悪魔がガンダールヴになっちまうとはなぁ。さすがにブリミルも悪魔を使い魔にするなんて想定していなかったし、使い魔のルーンが効かないのも分かるぜ」
もっとも、たとえスパーダが悪魔でなかったとしてもルーンに己の魂を捧げることなど決してあり得ないが。
「ところで、この間相棒の中に新しい奴が入り込んできたようだがあいつはこれからどうする気だい」
「それはこれから次第だ」
ゲリュオンの力は空間に干渉して制御することだ。その力を借りてこれからの悪魔達との戦いに使うのも良いが……そのまま本体ごと呼び出して移動に使うのもいいだろう。
「俺っちももっと使ってくれよ。この際、篭手でも構わねえからさ。ずっと押し込まれたままじゃ退屈でしょうがねえ」
「考えておく」
懇願するデルフに生返事で答えると、不意に誰かに声をかけられる。
「あの、スパーダさん?」
顔を向けると、そこには学院のメイドであるシエスタの姿があった。
モット伯の屋敷から連れ出した件以来、どこかスパーダに対して躊躇いがちな態度になっていた彼女であったが、今日は珍しく自分からスパーダに声をかけていた。
「何をしてらっしゃるんですか?」
「相棒はこの俺を相手に談義に花を咲かせていたのさ。メイドのお嬢ちゃん」
「きゃっ! 何ですか、今の声は!」
どこからともなくスパーダ以外の男の声が聞こえてきて、シエスタは驚いた。危うく手にしていたトレーの上の物を落としそうになる。
「気にするな。それで何の用だ」
スパーダはトレーの上に乗っている物に目がいった。
ワイングラスの上に盛られたアイスクリーム、さらにホイップやいちごの果肉、シロップで彩られているそれは……。
紛れも無い、ストロベリーサンデーだった。
「は、はい。あの、実はトリスタニアにいる親戚からスパーダさんのことをお聞きしまして」
そういえばシエスタはジェシカの従姉妹だったことをスパーダは思い出す。
「それで、スパーダさんがこちらのデザートが好物だとお聞きしたんです。それで今日はそれをご馳走になってもらおうと思って。……あの、よろしければ食べてもらえます?」
「うむ」
即答したスパーダはトレーに手を伸ばし、サンデーが盛られたグラスとスプーンを手にする。
元々、ジェシカが作ったサンデーはこのシエスタが直伝したということだが、果たして。
シエスタはトレーを抱えたままもじもじしつつ、スパーダの返答に緊張している。
「悪くはない」
スプーンで一口を運んだスパーダは感嘆と頷いていた。
ジェシカが作ったものより少し味が薄いが、どちらかというとあちらは味が濃かったのでこちらの方が良い。
「そうですか。良かった!」
心を込めて一生懸命作ったデザートが気に入ってもらえて、シエスタの顔はパッと明るく輝いた。
あの日以来、シエスタはスパーダのことが頭から離れなくて仕方が無かった。スパーダのことを考えると、胸が熱くなる。
何しろ、スパーダは悪魔の血を引くシエスタを人間として認めてくれたのだ。……あの時、彼が口にした言葉が忘れられない。
――Devils Never Cry.(悪魔は泣かない)
身分違いであることは分かっている。だが、それでもシエスタはスパーダにもっと認めてもらうべくこうして彼をもてなすことにしたのだ。
「相棒が甘党だったとはなぁ。意外だね」
「……ひょっとして、この篭手が喋ってるんですか? 変わってますね」
シエスタはベンチの上に置かれている変わった形の篭手に目を丸くした。
「おうよ。デルフリンガーっていうんだ。デルフって呼んでくれな」
「はい。よろしくお願いします、デルフさん」
スパーダは黙々とサンデーを食していたが、シエスタはそんな彼の姿を目にして嘆息を吐いた。
「スパーダさんが甘い物が好きだなんて、意外でしたね。こうしていると、この間の時のことが嘘みたいです」
「何のことだ」
「ほら、学院に大きな馬が入り込んできた時のことです。わたしもあれを見ていたんですよ。本当に緊張しました」
シエスタはあの時、ゲリュオンが学院に侵入した時に平民の給仕達はおろか貴族達よりも早くその存在を感じ取っていたのだ。
胸騒ぎがすると思って来てみたら、巨大な蒼い馬がタバサを追い回しているのだから驚いた。
そして、スパーダがあの馬を叩きのめしてしまうと、その姿に感服すると同時に何故か畏怖も感じてしまったのである。
目覚めてしまった悪魔の血と本能が、シエスタにこれまでにない感覚を与えていたのであった。
「親戚から話を聞いたんですけど、トリスタニアで悪い貴族を懲らしめたりもしたんですよね。
結構、話題になっているそうですよ。異国から来た貴族の剣豪がメイジを叩きのめしたって。スパーダさんには本当に感服しますよ」
あまり目立つようなことはしたくなかったのだが、あれは少々やりすぎたとスパーダは反省している。おかげでトリステインの宮廷に目を付けられることとなったのだ。
「美味かった。礼を言う」
サンデーを完食したスパーダは空のグラスとスプーンをシエスタに返すと、デルフを手に立ちあがる。
「またいつでもおっしゃってくださいね。スパーダさんのためだったら、何杯でも作ってあげますから」
「うむ」
ふと、スパーダはシエスタを見下ろしその顔をじっと見つめた。
シエスタはスパーダにこうもはっきりと視線を向けられて顔を赤く染めると同時に、睨まれているために少し怖く感じていた。
「……君の曽祖父のことだが」
「え、ええ? 曾おじいちゃんですか?」
いきなり予想していなかった話を振られてシエスタは慌てた。
曽祖父が心優しい悪魔であったとしても、もうシエスタは何も気にしないことにしていたのだ。曾おじいちゃんは曾おじいちゃん、それだけで充分である。
「何か村に残しているものはないのか」
彼女の曽祖父である中級悪魔のブラッドがタルブという村に現れたということは、その周辺にも何か手がかりがあるのではとスパーダは睨んでいるのである。
情報があまりにも少ない以上、些細なことであっても知っておくべきなのだ。
「うーん……聞いたことはないですね。ただ、曾おじいちゃんがいなくなってから少しして、村の近くの森で変な物が見つかったってことくらいしか……」
「変な物?」
その言葉にスパーダは微かに顔を顰める。
「はい。何の変哲もない大きな石版なんですけどね。村の人達はその石版が珍しいからって、拝みに行く人もいるんですよ。〝聖碑〟なんて名前を付けちゃったりして」
(聖碑、か……)
ブラッドが村を去ってから見つかったという謎の石版……。それが一体、何なのかが気になる。
深刻そうな顔で俯き考え込むスパーダに対し、シエスタは何かを思いついたように顔を明るくさせた。
「そうだ! 今度、アンリエッタ姫殿下がご結婚なさりますよね。それでその一週間前に学院の給仕達もみんなお休みがもらえることになったんです。
わたしも帰郷するんですけれど、もしよろしければその時にわたしの村にいらっしゃいませんか?」
「……そうだな。では、その時になったら案内してもらおう」
シエスタは、まさかスパーダが即答で平民である自分の招待に応じてくれるとは思いもしなかったために驚いたが、それでも嬉しくなった。
「はい! よろしくお願いします!」
満面の笑みを浮かべて、深く一礼をしていた。
その日の夜、夕食を終えたスパーダとルイズは互いに寮の部屋へと戻ってきていた。
スパーダは図書館より拝借してきた本を手に椅子に腰掛け、ルイズはベッドの上で正座をしたまま始祖の祈祷書を開いている。
ルイズは白紙のページをじっと眺めながら式に相応しい詔を考え込んでいた。
「う~ん……」
……が、元々ルイズはあまり文章を作ったりするのが苦手であり、事実魔法以外の授業で作文を書くという時には良い文が思い浮かばずに困っていたものである。
魔法はできなくとも座学だけは誰にも負けないルイズであったが、唯一の苦手な科目であるそれもまた悩みの種であった。
昼に祈祷書を受け取り、暇さえあれば詔を考えるのだが……未だ一文たりとも思い浮かばない。
ちらりと、ルイズはスパーダの方を見やった。
「ねぇ、スパーダ。姫様の結婚式が今度行なわれることは知っているわよね」
「ゲルマニアの皇帝とやらが相手だそうだな」
無関心な様子でスパーダは答えていた。手にする本から目を離さない。
その冷淡な態度が少しカチンとくるが、ルイズは話を続けた。
「それでね、姫様はあたしをその結婚式で詔を読み上げる巫女に選んでくれたの。でも、良い詔が浮かばないのよ……。一応、詩のような表現をすれば良いんだけど。
スパーダは人間の社会を何百年も見てきたんでしょう? 何か良い詩とか知らない?」
「私は詩人ではない。あまりそういうのも興味がなかったのでな。悪いが力にはなれん」
伝説の悪魔の知識と経験に少し期待していたルイズは不満そうに頬を膨らませる。
剣豪として剣を振るう時や威厳ある貴族として振舞う時などはとても頼りになるというのに。
いくらスパーダが人間社会を何百年と見てきたとはいえ、彼自身が興味を示さずに見聞や体験をしていない事柄に関しては全く頼りにすることはできないとは。
「娘っ子。第一、そういったことは大抵、宮廷の貴族達が内容を手直しをすると思うぞ。下手すっと、娘っ子が考えたのなんて跡形も残らないぜ?」
テーブルの上に置かれている篭手のデルフが口を挟んできた。
「そうだろうけど、一応伝統なんだからあたしもちゃんと考えなきゃならないのよ」
「まあ、あまり真剣になりすぎるこたあないと思うがね」
他人事のようにけらけらと笑うデルフの態度がムカつき、ルイズはテーブルの上の篭手を睨みつけた。
「姫様は幼馴染のあたしとの友情を思って、巫女の大役をくださったのよ。その思いに応えるためにもあたしもちゃんと考えなきゃならないの!」
「では何故、素直に王女を祝福しない」
唐突にスパーダが口にした言葉に、ルイズは息を呑んだ。
「そのような大役を与えられたにも関わらず、君はあまり王女の結婚を喜んでいるようには感じられんが」
悪魔は人間のあらゆる面を観察することで、その心に秘めている思いを看破するという。
スパーダの指摘に、ルイズは悲しそうな顔を浮かべて呟きだした。
「だって、姫様は本当は政略結婚なんて望んでいないのよ? ウェールズ殿下と結ばれたかったはずだわ。でもそれが叶わない以上、愛してもいない男の所へ行くだなんてそんなの辛すぎるわよ……」
帰還報告をアンリエッタにした際、スパーダがウェールズを説得していたことと最後の最後に生き残るように口添えをしてくれたことにはとても感謝していた。
命を落とした所を直接見ていないとはいえ、密かに探し出すということはしなかったが。
ウェールズ殿下はあれからどうしたのだろう。あれだけの大群……しかも悪魔達も相手にしてはただでは済まない。
できることなら、スパーダの言に従って生きていてくれればいいのだが……。
「そういえばこの国は長い間王位が空席だと聞くが。今は王はいないのか」
「そうよ。先代の王がお亡くなりになられた時も、マリアンヌ王妃様は喪に服すると言って即位することはなかったの」
スパーダは読んでいた本をテーブルに置き、新しい本を手にして開きながら細く溜め息を吐いた。
「……要は、その女が全ての元凶か」
「ちょ、ちょっと! 王妃様に対して〝その女〟って、なんて失礼なことを言うのよ!」
「アンリエッタ王女がそうして政略結婚に苦しむのも、この国がゲルマニアとやらに同盟を求めるようになったのもその王妃とやらが王族の責務から目を背けたのが原因ではないのか。……はっきり言う。この国の王族はただの飾りに過ぎん。衰退し続けるのも頷ける」
先々代のフィリップ三世という王は英雄王などと呼ばれるほどの武人であったそうだが、所詮はそれだけ。それ以外の政治能力はあまりにも乏しかったという。
王女は国民の人気こそあるものの、まだ政治の経験が不足している駆け出しの状態だ。そして何より……。
「私にはそのマリアンヌという女が娘を生け贄にしているようにしか思えん」
「い、生け贄って……!」
あまりにも無礼な言葉を口にするスパーダに、ルイズもベッドから降りて立ち上がっていた。
「その女が女王として即位をせずとも、再婚をするなりして新たな王を迎えていれば結果は変わっていただろう。だが、その女は私情に走り己の責務を娘に全て押し付け、自らは安穏の道へと逃げ込んだ。
……実に虫のいい話だ。その女は王族も、母を名乗る資格もない」
人間界でそうした光景は何度も見届けていたスパーダは、容赦なくトリステインの王族を唾棄していた。
「……愛する人を失くすっていうのは本当に辛くて悲しいものなのよ! 王妃様も先王のことを思ってあえて即位をしなかったんだわ!
だからこそ、アンリエッタ姫殿下に全てを託したのよ! その言葉……絶対に他で言っちゃ駄目だからね!」
悪魔としての冷酷な呟きに対し、ルイズは強く言い返す。
「独り言だ。気にするな」
「にしちゃあ、ちょっと言い過ぎだったんじゃないかねえ。不敬で打ち首にされちまうぞ?」
テーブルの上のデルフが呆れたように、そしてからかうように声を上げていた。
「と、とにかく! あたしは姫様のために詔を考えてみせるわ! スパーダもパートナーなんだから、何か良い言葉が思い浮かんだら教えてちょうだい!」
「うむ」
ぷるぷると震えていたルイズはベッド上に上がり、再び始祖の祈祷書を睨みつけていた。
(ウェールズ殿下が生きていれば……きっと、姫様と……)
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