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#navi(SERVANT'S CREED 0 ―Lost sequence―)
&setpagename(memory-24 「信条告白」 後篇)
その夜……。
ルイズが部屋に戻ったのは日もとっぷりと暮れた夜だった。
オスマン氏との話を終えたルイズは、学院長室を出た後、そのままエツィオのいるであろう部屋に戻ることができなかった。
話をしてみろ、とオスマン氏に言われていたものの、エツィオの正体を知ってしまった今、どう話かけていいかわからなかったのだ。
中庭のベンチに腰掛け、どうエツィオに話を切り出すべきかと、あれこれ考えているうちにすっかり夜になってしまっていた。
結局、なんの考えも浮かばずに、仕方なくルイズは部屋に戻ることにしたのだった。
「おかえりルイズ、随分と遅かったじゃないか、もう寝る時間だぞ」
ルイズが部屋の扉を開けると、使い魔であるエツィオがにこやかに迎え入れてくれた。
違いといえば、いつも身につけている白のローブではなくシャツを着ているという所だけであろうか。
こうしてみると、どこにでもいる品のいい青年、と言った感じである。
今まで片づけていたのだろう、下着や食器が散乱していたはずの部屋は綺麗に片付いている。
それどころか、ベッドの上にはルイズの着替えまで置いてあった。帰ってきて早々この仕事っぷり、相変わらず気の利く男である。
久しぶりに見る、いつも通りの陽気なエツィオ。そんな彼を見ていると、本当にこいつはアサシンなのだろうか? と首を傾げたくなってくる。
「どうしたんだ? 悩み事か? なんなら相談に乗ってやるぞ」
「な、なんでもないわよ!」
そんな風にルイズが考えていると、エツィオが顔を覗きこんでくる。
相変わらずの、人をからかうような仕草にルイズは頬を僅かに赤くしながら怒鳴りつける。
ルイズはベッドに行くと、そこに置かれた着替えを手に取った。
エツィオの言うとおり、そろそろ寝る時間だ。随分長い間悩んでいたものだと考えながら、着替えを始める。
だが、何を思ったか、着替えようとしていたルイズの手がはたと止まった。それから、はっとエツィオの方へ振り向いた。
エツィオはというと、机の上に置かれた装具類を点検している。こちらを見てはいないようだ。
それをみたルイズは、いそいそと外していたブラウスのボタンを留め、ベッドのシーツを掴むと、それを天井に吊り下げ始めた。
「ん? 何をしてるんだ?」
ルイズのその行動に、流石に気が付いたのか、エツィオが尋ねる。
しかしルイズは頬を赤く染めたきり答えずに、シーツでカーテンを作り、ベッドの上を遮った。
それからルイズは、シーツのカーテンの中に入り込む。ごそごそとベッドの中から音がする。ルイズは着替えているようだ。
エツィオは小さく首を傾げた、いつもだったら、堂々と着替えていたはずなのに……。とそこまで考えが至った瞬間、ニヤっと、口元に小さな笑みを浮かべた。
ああ、そういうことか。ようやく俺のことを男として見始めたな。
とにかく鋭いエツィオは、ルイズの行動の原因として、即座にその答えをはじき出した。
さて、これからどう接してやろうか。と考えていると、カーテンが外された。
ネグリジェ姿のルイズが月明かりに浮かんだ。髪の毛をブラシですいている。
煌々と光る月明かりのなか、髪をすくルイズは神々しいほど清楚に美しく、可愛らしかった。
「へえ、これは驚いたな、カーテンの中からウェヌスが出てきたぞ」
「ウェヌス?」
聞きなれぬ名に、ルイズは首を傾げる。
そう言えばそうだった、ここは異世界だ、彼女がローマの神を知る筈はない。
「俺のとこの、美の女神さ」
エツィオがそう教えると、ルイズの頬に、さっと朱が差した。
「なな、何冗談言ってるのよ! あんたは!」
「冗談じゃないさ、きみは美しい」
「ば、バカ言ってないで、さ、さっさと寝るわよ!」
まっすぐにそう言われ、ルイズの顔が益々赤くなった。見るとエツィオはにやにやとほほ笑んでいる、こちらの反応を楽しんでいるようだ。
ルイズはベッドの上に置いてあったクッションをエツィオに投げつけた。コイツと話をしていると、ホントに調子が狂ってしまう。
ぐったりとした様子で、ルイズはベッドに横になり、机の上に置かれたランプに杖を振って消した。
灯りが消え、窓から差し込む月の光だけが、部屋を照らしだした。
装具の点検を終えたエツィオも、睡眠をとるべく、部屋の隅に置かれたクッションの山に体を預けた。
クッションが敷かれているとはいえ、寝心地は最悪である、これならアルビオンに滞在中に眠った安宿のベッドのほうが幾分かマシである。
「あいたたた……」
久しぶりの寝床の寝心地の悪さに、思わずエツィオは爺くさい声をだす。
そんな風にして学院に戻ってきたという事実をしみじみと感じていると、ルイズがもぞもぞとベッドから身を起こし、エツィオに声をかけた。
「ねえエツィオ」
「ん?」
返事をすると、しばしの間があった。
それから、言いにくそうにルイズは言った。
「いつまでも、床っていうのもあんまりよね。だから、その、ベッドで寝てもいいわ」
思わぬルイズの提案に、エツィオは顔を輝かせた。
「おい、いいのか? きみのこと襲っちゃうかもしれないぞ?」
「勘違いしないで、へ、変なことしたら、殴るんだから」
エツィオは手をわきわきと動かしながら、冗談めかして笑った。
「殴るだけか? ……なら試す価値はあるかな」
そう嘯くと、エツィオは即座にベッドの中に潜り込み、ルイズに寄り添う様に隣に寝転んだ。
ルイズが許可を出してからこの間、わずか数秒。
一切の迷いもためらいもない、あまりのその自然な行動にルイズは何も反応できずに、固まってしまった。
「さて、どうしてやろうか」
「ちょ、ちょっとやめてよね! 変なことしたら殴る……っていうか殺すわよ!」
顔を赤くしながら、震える声で叫ぶルイズに、エツィオはからかうように笑って見せた。
「冗談さ、嫌がる子を無理やりってのは好きじゃないんだ。だから……」
「だ、だからなに……?」
「きみが俺を求めるまで、俺は手を出さないことを誓ってやるよ」
ニィっと、口元に笑みを浮かべてエツィオが笑う。
その言葉が意味するところを知ったのだろう、ルイズは羞恥と怒りを爆発させる。
「こ、この……! 馬鹿にするのもいいかげんにっ……!」
「はいはい、悪かったよ。きみには刺激が強すぎたかな」
「ぐっ……、やっぱり呼ぶんじゃなかった……!」
悔しそうに歯ぎしりするルイズを見ながら、どれだけ耐えられるか、見ものだな……と、エツィオは内心ほくそ笑んだ。
プライドの高いルイズのことだ、そうやすやすと落ちはしないだろう。だからこそ、落とし甲斐があるというものだ。
……しかし、しかしである。もしもルイズに手を出した場合……、なんだかすごく面倒なことになりそうな気がしてならないのも事実だ。
それこそイヴの誘惑に負け、エデンの果実を口にしたアダムのようになりかねない、そんな予感がする。世に言うめんどくさいタイプだ。
そう言う意味では、彼女は創世記にある禁断の果実そのものなのだろう。俺はもっと楽しみたい、だから最高の楽しみは、最後に取っておく。
自分の魅力に落ちない女性はいない、そんな絶対の自信を持っているエツィオだからこそ出来る、邪な考えであった。
しばしの間、そんな二人の間を沈黙が支配する。
そして、しばらくたった後、エツィオはぽつりと呟くように口を開いた。
「アルビオンでは……すまなかったな」
ルイズは答えない。
もう寝てしまったかな? と思ったが、寝息は聞こえてこない。エツィオは続けた。
「きみに辛い思いをさせた上に、危険な目にも合わせてしまった、……使い魔失格だな」
「そ、そんなことっ……!」
その言葉に、ルイズは思わず身を起こし、エツィオを見つめた。
エツィオは口元に笑みを浮かべ、言葉の続きを促す様に首を傾げて見せる。
「そんなこと?」
「な……ない……」
ルイズはエツィオから顔をそむけ、僅かに頬を赤くしながら小さな声で答えた。
ほんとなら、ちょっとは文句くらい言おうと思っていた、しかし、エツィオに先手を打たれ、思わず本音が出てしまったのである。
再びベッドに横になり、エツィオに背を向ける。そんなルイズを横目で見つめながら、エツィオは小さく笑い、言った。
「二度ときみを傷つけさせない、約束するよ」
「あたりまえじゃないの」
それからルイズは決心したように口を開いた。
「でも、わたしも、あんたに謝らなきゃ。ごめんね、勝手に召喚したりして」
「本当だよ、まったく」
「んなっ!?」
エツィオがあっさりそんな事を言う物だから、ルイズは再び体を起こし、今度はエツィオを睨みつける。
「ど、どういうことよ!」
「イタリアに帰りたくなくなるってことさ」
エツィオは、うー、と睨みつけてくるルイズにニヤリと笑みを浮かべてみせると、ルイズの頬に手を伸ばし、愛おしそうに撫でた。
「俺は今、毎日が充実してる、きみのおかげだ」
「か、からかわないでっ!」
かぁっ、とルイズは顔を赤くすると、その手を取り払った。
ぼふっとベッドに横になると、再びエツィオに背を向けてしまった。
「もう! 謝らなきゃよかった!」
「ははっ、でも本当さ、出来るならずっときみの傍にいたい、そう思ってる」
「っ……!」
耳元で囁かれ、どくん、とルイズの胸が高鳴った。
並みの女性なら、それだけでノックアウトされてしまいそうになる程、憂いを含んだ甘い囁き。
ひどい、エツィオひどい。そんな事言われて、平常心なんて保っていられるわけないじゃない。
今、自分がどんな顔をしているのかまるで想像が出来ない、きっと酷い顔になっている。
エツィオに背を向けていてよかった、こんな顔見られたら、ますますからかわれてしまう。
そんなルイズの様子を知ってか知らずか、エツィオは続けた。
「でも……それはできない。いつかは帰らなきゃ……」
「し、心配しなくても、きちんと帰る方法を探すわよ……」
「おい、本当か? ……まあ、期待せずに待つとするさ」
エツィオは笑いながらそう言うと、それきり黙ってしまった。
しばしの沈黙の後、ルイズはもぞもぞと動き、エツィオの方を向いた。
寝てしまったのかな? と思っていたが、エツィオはまだ起きているようだ。
話をしなきゃ……と、ルイズは意を決してエツィオに話しかけた。
「ねえ、あんたのいたイタリアって、魔法使いがいないのよね」
「いない、概念はあるけどな」
「月は一つしかないのよね」
「生憎、二つ浮いているのは見たことがないな」
「へんなの」
「ははっ、そうだな、月はともかく、魔法が無いなんて、不便なものさ。お陰で空も飛べやしない」
「あんたは向こうでは……」
ルイズはそこで言葉を切った。
それからエツィオの横顔を見つめながら、ためらう様に尋ねた。
「あんたは……『アサシン』なのよね」
「……」
「オールド・オスマンから聞いたの、あんたが『アサシン』だってこと」
ルイズがそう言うと、エツィオは天井を見上げたまま、厳かに口を開いた。
「……アウディトーレ家は銀行家だった、っていうのは話したよな」
「うん」
「それは本当だ、事実、俺は父上の後を継ぐべく勉強してたよ、あまり真面目じゃなかったけどな」
エツィオは小さく笑う。しかし、すぐに真面目な顔になった。
「銀行家、俺もそう思っていた。だけど、それはあくまで表の顔だった。アウディトーレ家には、もう一つ、隠された裏の顔があったんだ」
「それって……」
「そう、フィレンツェにとって脅威となる存在を排除する、――『アサシン』。要はフィレンツェの暗部さ。
祖先がそうであったように、父上もまた、アサシンだった」
『アサシン』の家系……、あらかじめオスマン氏から聞いていたとはいえ、
本人の口から言われると、やはり重みが違う。改めて真実を突きつけられた気分になり、ルイズは思わず息をのんだ。
「俺がそのことを知ったのは二年前、フィレンツェを追放され、伯父上のところに匿われた時だった」
「追放……?」
「そう言えば前にも聞かれたな、何故貴族の地位を剥奪されたか……」
「あ……、い、言いたくないなら別に言わなくてもっ!」
「いや、聞いてくれ、いつかは言わなきゃならないことだ」
ルイズは慌ててエツィオを止めようとする。
だがエツィオはゆっくりと首を横に振り、口を開いた。
「……罪状は国家反逆罪、もちろん濡れ衣だ。父上は、アウディトーレ家はハメられたんだ、奴らに」
「奴ら?」
「テンプル騎士団。世界の支配を目論み、陰謀を企てている連中だ。
俺達アサシンと数百年にもわたって戦い続けている、それこそ因縁の相手ってやつだよ」
きみとキュルケの因縁には負けるかもしればいけどな。とエツィオは笑って付け足す。
だがそれは、我ながらあまりに笑えない冗談であることにすぐに気づいた。
すまない……。と小さく呟き、話を続けた。
「……二年前、父上はとある事件を調査していた。ミラノ公国、そこを治める大公が暗殺された事件があった。
その事件が起こるより前、暗殺計画を事前に察知していた父上は、それを阻止すべく動いていた。しかしそれは叶わず、大公は暗殺されてしまったんだ。
表は反乱分子による暴発、そう言うことになっている。しかし、その裏ではフィレンツェの支配を巡るテンプル騎士の陰謀が隠されている事に気が付いた父上は、
騎士団からフィレンツェを守る為に調査に乗り出した」
ルイズは固唾を呑んで、エツィオを見つめた。
天井を見つめるエツィオの横顔からは、先ほどまでの陽気な青年の面影は掻き消えていた。
ぞっとするほど冷たい表情、おそらくは、これこそが『アサシン』、エツィオ・アウディトーレの素顔なのかもしれない、とルイズは思った。
「父上は事件に関わった者たちを狩り出し、始末した。だけど、悔しいが奴らの方が一枚上手だった、
父上はその事件の真相に至る前に、その事件の濡れ衣そのものを着せられ警備隊に兄弟共々捕らえられてしまったんだ。
運よくそれを免れていた俺は、父上が掴んだ陰謀の証拠を手に、父上の親友でもある判事の家へと走った、それが皆を救うものと信じてね」
「……」
「判事は言った、この証拠を翌日の裁判で提出すれば父上への嫌疑は晴れ、必ず助かると、それを聞いて俺は心から安堵した、これで元の生活に戻れるってね」
「それで、どうなったの……?」
ルイズは恐る恐る尋ねる。
エツィオは目を細め、苦しそうな表情を作った。
「……次の日、俺は裁判が開かれているシニョーリアの広場まで走った、今頃父上の無罪が証明され釈放されるところなのだろうと。だが……違った……。
そこで見たものは……絞首台にかけられる父上と兄上、そして……弟の姿だった」
「そんなっ! 証拠も提出したのにどうして!」
「簡単なことさ、判事が裏切ったんだ、判事もあいつらの仲間だった……そして俺が見ている目の前で……父上達はっ……!」
「エツィオ……」
唇を噛みしめ、怒りに満ちた声で吐き捨てる。
普段の彼からは想像もできないほど声を荒げ、感情を露わにするエツィオに、ルイズは言葉を失ってしまう。
いつもの冗談と思いたかった、しかし、それにしてはタチが悪すぎる。
「俺はシニョーリアの刑場から必死で逃げた、吊るされた家族を見捨てて。あの姿は今でも忘れられない……忘れてはならない……」
掌で顔を覆い、エツィオが呻くように呟く。怒りと悲しみ、そして悔恨がないまぜになった、苦悶の表情。
そんな自分を呆然と見つめるルイズに気が付いたのか、エツィオは小さく息を吐き、目を閉じる。
ルイズは思わず言葉を失ってしまった。
いつも陽気で不敵なエツィオとは思えないほど、弱弱しい表情。
この男が、こんな表情をするとは夢にも思わなかったのだ。
唖然としたままのルイズをよそに、エツィオは淡々とした口調で、言葉を続けた。
「全てを失った俺は、残された妹と心を壊した母上を連れ、伯父上の下に逃げ込んだ。そこで俺はアウディトーレ家の歴史とテンプル騎士団との宿縁を知った。
俺は父上の後を継ぎ、奴らに復讐を誓った。父上の死に関わった者共を全員狩り出し、一人残らず地獄に送ると」
復讐、その言葉にルイズははっとする。
いつか、アルビオンへ向かう船の上で聞いた、エツィオがイタリアに戻らねばならない理由。
エツィオの戦いは、まだ終わってはいないのだ。
「その、裏切り者の判事は……?」
「……殺したよ、この手でね。奴を前にした時、怒りで目の前が真っ赤に染まった……、
気が付いた時には、俺は判事の腹を貫き、切り裂いていた……、何度も……何度も……」
エツィオは顔を覆っていた左手を掲げ、じっと見つめる。
「俺の手は、もう奴らの血で真っ赤だ……。俺はただ、平和に暮らしていたかっただけなのに。
兄上と一緒に馬鹿やったり、恋人と愛し合ったり……、ただ自由に、普通に暮らしていたかっただけなのに……」
不意に、エツィオが首を傾げ、ルイズを見つめる。
そのエツィオの顔をみたルイズはぎょっとした。
エツィオの双眸から、一筋の涙が流れている。泣いているのだ。
唖然とするルイズの前で、エツィオは表情を歪ませながら震える声で呟いた。
「もう……もう何も戻らない。父上も、兄上も、弟も……。……どうして、どうしてこうなったんだ?」
それは、家族を失ってから、誰にも明かすことのなかった、胸の内の苦しみ、悲しみ、悔恨。
それら全ての感情を全部、ルイズに打ち明けるように、エツィオは心情を告白する。
使い魔の語る、想像を絶するほどの、悲惨な過去。陽気さの裏に隠された、悲壮な覚悟。
ルイズは思わず、涙を流すエツィオを掻き抱いていた。
いつか、ニューカッスルの廊下で、エツィオが泣きじゃくる自分にそうしてくれたように、今度は自分がエツィオを支える番だと思ったのだ。
「父上……、兄さん……、ペトルチオ……、ごめん……。ごめん……俺は……!」
エツィオの双眸から、堰を切ったように涙があふれ出す。
気が付けば、ルイズも涙を流していた。彼の境遇に同情したわけではない。同情など、軽々しく出来るはずもない。だが、不思議と涙があふれてきたのだ。
しばらくの間、ルイズの胸に顔を埋め、静かに涙を流していたエツィオだったが、やがて離れると、涙を拭いた。
「……カッコ悪いところを見せたな……でもお陰で楽になった」
「エツィオ……」
「俺の弱い心は、ここに置いて行く。もう泣き言は無しだ」
そう言ったエツィオの表情は、いつもの笑顔が戻っていた。
強い意思を感じさせる瞳に、余裕と自信に満ちた不敵な笑顔。
ルイズの目じりに溜まった涙を指先で拭ってやりながら、エツィオは微笑む。
「……酷い顔だ、きみに涙は似合わないな」
「あっ、あんたのせいよ! あんたがあんな話を――」
「ありがとう、最後まで聞いてくれて」
「っ……!」
エツィオにそう言われ、ルイズは何も返せなくなってしまう。
もにょもにょと口を動かすルイズにエツィオはにやっと笑って見せた。
「それに、貴重な体験もできたしな。ああルイズ、出来ればもう一回……んがっ!」
そう言いながら顔を近付けてきたエツィオの鼻っ柱にルイズの拳が叩きこまれた。
「ちょっ、調子に乗るなっ! このエロ犬!」
「わ、悪かった! 悪かったよ!」
ルイズは羞恥に顔を真っ赤にしながら、枕でぼこぼことエツィオを叩いた。
エツィオは笑いながらルイズにされるがままになっている。その様子は、はたから見るとまるでじゃれあっているようだ。
一しきりそうやってエツィオを叩いていたルイズは、荒い息を吐きながら、ごそごそと布団の中に潜り込んだ。
「次やろうとしたら、もう一回殴るわよ」
「はいはい……でも殴られるで済むならもう一回くらい……あ、いや! なんでもない!」
再び握りこぶしを作ったルイズに、エツィオは慌てて口を噤む。
調子いいんだから……。と、恨めしそうに見つめてくるルイズに、エツィオは小さく微笑み、ぽつりと呟いた。
「……もしかしたら俺は、ただ怖かっただけなのかもしれないな……、いや、やっぱり怖かったんだろうな」
「なんのこと?」
神妙な面持ちで呟くエツィオに、ルイズは首を傾げる。
「身分を明かせなかった事さ。きみに拒絶されるのが怖かった、だから明かせなかった」
「そ、そんなこと……するわけないじゃない」
ルイズがぽつりと呟く。
僅かに顔を赤くし、上目遣いにエツィオを見つめながら、言いにくそうに言った。
「だ、だって、あんたはわたしの使い魔だし……、それに……」
「それに?」
「な、なんでもないわよ!」
ぷい、と顔をそむけてしまったルイズを見て、素直じゃないな……。エツィオは苦笑する。
まぁそこがかわいいんだが……。と内心ほくそ笑んでいると、どうやらその笑みは表に出てしまっていたらしい。
ルイズは再びエツィオに恨めしげな視線を向けていた。
「なに笑ってんのよ……」
「あ、いや、安心したらつい……な」
また殴られてはたまらないと、エツィオは誤魔化す様に笑って見せた。
そんなエツィオを見つめていたルイズであったが、ややあって、ちょっと真面目な表情で呟いた。
「……どうして」
「ん?」
「どうしてあんたは、わたしにそこまでしてくれるの?」
「さて、なんでだと思う?」
「からかわないで。……わたしが魔法を使えないの、知っているでしょ?
いつもいつも失敗ばかりで……、こんなダメなわたしに、どうしてあんたはそこまでしてくれるの?」
ルイズは口をへの字に曲げながらエツィオに尋ねた。
エツィオは、凄腕のアサシンであることを差っ引いても、とにかく有能な男だということを、ルイズは嫌というほど実感していた。
何をやらせてもそつなくこなし、マナーも礼節も完璧。魔法が使えないという点を除くと、およそ貴族に求められる物全てを兼ね備えていると言っても過言ではなかった。
アルビオンで、ウェールズ殿下がいたく気に入っていたところを見るに、是非とも彼を配下に欲しいと思う貴族は数多くいるだろう。
そんな彼が、何故ゼロと呼ばれ続ける自分の傍にいてくれるのか、疑問に思ったのだ。
「あのワルドが言ってたわ、あんたは伝説の使い魔だって。あんたの手の甲に現れたのは『ガンダールヴ』の印だって」
「……らしいな、デルフもそう言ってる。あいつは昔、その『ガンダールヴ』に握られていたそうだ」
「それってほんと?」
「さてね、なにしろデルフの言うことだからな」
エツィオはちらと部屋の隅に置かれたデルフリンガーを見つめる。
聞こえているぞ、とでも言いたいのか、ぷるぷると震えていた。
「でもまぁ、本当なんだろうな、実際このルーンにも、デルフにも助けられた」
「だったら、どうしてわたしは魔法ができないの? あんたが伝説の使い魔なのに、どうしてわたしはゼロのルイズなのかしら。いやだわ」
「きみは伝説と呼ばれるような、そんな偉大な存在になりたいのか?」
エツィオが問うと、ルイズは首を横に振って見せた。
「違うわ、わたしは立派なメイジになりたいだけ。別に、そんな強力なメイジになりたいとかそういうのじゃないの。
ただ、呪文を使いこなせるようになりたいだけなの。得意な系統もわからない、どんな呪文を唱えても失敗なんてイヤ」
心情を吐露するルイズに、エツィオはただ黙って聞いた。
「小さいころから、ずっとダメだって言われ続けてた。お父さまも、お母さまも、わたしには何も期待していない。
クラスメイトにもバカにされて、ゼロゼロって言われて……。わたし、本当に才能ないんだわ。
得意な系統なんて、存在しないんだわ、魔法を唱えてもなんだかぎこちないの。自分でわかってるの。
先生やお母さまやお姉さまが言ってた。得意な系統の呪文を唱えると、体の中に何かが生まれて、それが体の中を循環する感じがするんだって。
それはリズムになって、そのリズムが最高潮に達した時、呪文は完成するんだって、そんな事、一度もないもの」
ルイズの声が小さくなった。
「そんなダメなわたしなのに……どうして?」
落ち込んだ様子でルイズが尋ねると、エツィオは澄ました表情であっさりと答えた。
「きみの事が好きだからさ」
「は、はあ!?」
あまりに唐突に、しかも真顔でそう答えられ、ルイズの顔がずどん、と火を噴いたように赤くなった。
暗闇の中でもわかるくらいに顔を真っ赤にし、滑稽なほどルイズは慌てふためいている。
「すすす、好き、好きって! どど、どういう……!」
「言葉の通りさ、俺はきみを気に入ってるんだ」
「こ、こんな時に冗談はやめてよ! ばっ、ばっかじゃないの!」
そんなルイズの反応を愉しむかのように、エツィオは意地悪な笑みを浮かべる。
ルイズが反応に困っていると、すっと、エツィオの手が伸びる、そしてルイズの顎を持つと、優しく自分の方へと向けた。
「ルイズ」
「なっ! なに……よ……」
「俺はいつだって、きみの味方だ」
その言葉に、ルイズはビクンっと身体を震わせ、エツィオを見つめた。
「きみが信念を捨てない限り、俺は喜んできみの力になる」
「えっ……あ……」
「俺は決してきみを見捨てないし、裏切らない。苦難あれば共に乗り越え、道誤ればそれを正そう」
ルイズの頬を優しく撫でながら、エツィオは誓いを立てるように、呟いた。
「きみに二度と、辛い思いをさせるものか……」
いつにないエツィオの真剣な眼差し、憂いを含んだ情熱的な囁きに、ルイズの心臓が、狂ったように警鐘を鳴らす。
いつかの、ラ・ロシェールで掛けられたワルドの言葉とは、まるで比べ物にならないほどの熱量を秘めた情熱的な甘い言葉。
それはまるで麻酔の様に、ルイズの頭の芯を、じんわりと痺れさせた。気が付けば、ルイズはエツィオから目が離せなくなっていた。
本当は気恥ずかしくて、エツィオの顔なんてまともに見れたものじゃない、だけど一時も目を離したくない。そんな気持ちがルイズの中でせめぎ合っていた。
「それに……」
そんなルイズを知ってか知らずか、エツィオはぽんと、ルイズの肩を叩いた。
「今は魔法が出来なくても、人は決して負けるように出来てはいない。今の境遇に、死ぬまで甘んじなければならないという法はないさ」
力強いエツィオの言葉に、ルイズは胸が熱くなるのを感じる。ちょっと涙まで出てきた。
それを隠すためにルイズは、エツィオの手を慌てたように振り払うと、毛布をひっかぶり、エツィオに背を向けた。
「す、すす、好きとか、な、なな、何言ってるのよ! も、もう!」
「おや? これじゃ不服かな? 困ったな、他に理由が見当たらない」
「ば、ばかなこと言わないで! この話はもうおしまい!」
ルイズは気恥ずかしさを隠すかのように、無理やり話を中断させる。
それから仰向けになると、毛布から顔を出し、ちらとエツィオを横目で見つめた。
「で、でも、お礼はいわなきゃね。……あ、ありがとう……」
消え入りそうなほど、小さな声でそう言うと、ルイズは目を瞑ってしまった。
礼を言われるとは思っていなかったのか、エツィオは少し驚いたようにルイズを見つめた。
「なに、気にすることはないさ、俺が好きでやってること……っと」
ニィっと笑みを浮かべ、ルイズの顔を覗き込む。
そこでエツィオは言葉を切った。どうやらルイズはそのまま寝入ってしまったらしい。なんともまぁ、寝付きのいいことだ。
僅かに首を傾げ、あどけない寝顔を見せている。
手は軽く握られ、桃色がかったブロンドの髪が月明かりに溶け、キラキラと輝いている。
うっすらと、開いた小さな桃色の唇の隙間から、寝息が漏れていた。
「くー……」
エツィオはルイズの寝顔を見つめ、優しい笑みを浮かべると、ルイズの唇に自分の唇を重ね合わせた。
「……おやすみ、ルイズ」
唇を離し、エツィオは小さく囁きながら、ルイズの頭を撫でる。
それからエツィオも仰向けになると、目を瞑り、眠りの世界へと落ちて行った。
寝たふりをしていたルイズは、エツィオの寝息が聞こえてきた瞬間、がばっと跳ね起きた。
キス、された。
思わず唇を指でなぞる、心臓が狂ったように早鐘を打っている、顔はもう真っ赤っかだ。
おそるおそる、隣で眠るエツィオに視線を送る。もしかしたら、こいつは自分と同じように寝たフリをしていて、
あのからかうような笑みを浮かべるのではないかと、気が気ではなかったが……。どうやら本当に眠っているらしい。
「寝てる……」と、ルイズは少し安心したかのように呟いた。
ルイズは枕をぎゅっと抱きしめて、唇を噛んだ。
意味分かんない、何を考えているのか、さっぱりわからない。
ルイズは胸に手を置いた、やっぱり、そばにいると胸が高鳴る。
となると、この前、確かめたいと思った気持ちは本物なのだろうか?
同じベッドで眠ることを許したのは、今まで離れ離れになっていたのが寂しかったから……、というわけではない。
そう、アルビオンに残ってまで、自分に対する脅威を人知れず排除していた使い魔の献身へのご褒美のつもり……。でも、それだけじゃない。
異性に対するこんな気持ちは初めてで、ルイズはどうしていいかわからなかったのだ。
着替えそのものをエツィオに見せなくなったのはそのせいだ。意識したら、急に肌を見せるのが恥ずかしくなった。
ほんとだったら、寝起きの顔すら見せたくない。
いつごろから、エツィオにこんな気持ちを抱くようになったのだろう? エツィオは本当に自分に好意を寄せてくれているのだろうか?
キスしてきたのだから、やっぱりそうよね。……正直に言うと、エツィオに『好き』とはっきり言われ、嬉しかった。
しかし、同時にみんなに言ってるんじゃないの? いや、絶対言ってるだろ。という確信にも似た疑念を生んだ。
なにせギーシュがかわいく思えるくらいの女たらしである。それに先ほどのキス、初心なルイズにでもわかる、あれはもう慣れてるキスだ。
やっぱり、他の女の子にもしていることなのだろうか? 怒りと喜び、二つの感情がルイズの胸の中でごちゃ混ぜになる。
あの言葉は、先ほどのキスは、本心からでたものなのだろうか? それが知りたい。
ルイズは、自分でもなんだかよくわからなくなって、う~~っと唸って、エツィオを枕で叩いた。起きない。
その時だった。その様子を黙って見ていたデルフリンガーが不意に口を開いた。
「寝かせてやれ、相棒はこれまでロクに寝てないんだ」
「っ! あ、あんた、見てたの!」
思わぬところから声をかけられ、ルイズは思わず叫んだ。それから慌てて口を閉じる、今のでエツィオが起きたらどうしようと思ったのだ。
だが幸いなことに、エツィオは起きる様子もなく、安らかに寝息を立てている。
そんな二人を見て、デルフリンガーは呆れたような口調で言った。
「俺はお前らが何しようと知ったこっちゃないね、何せ剣だからな」
「じゃ、じゃあ口出ししないでよ、それに、この事はエツィオにはぜーったい言わないでよ!」
「言わねぇよ……。それに娘っ子、お前さんはしらないだろうが、相棒はいつも、娘っ子が寝付くまで眠らないんだ。それがこれだ、よほど疲れてたんだろうな」
そのデルフリンガーの言葉を聞いて、ルイズはぐっと顔をしかめ、エツィオを見つめた。
ああもう、エツィオのこういうとこ、ホントムカツク。なによなによ、カッコつけちゃって……これじゃ、文句のつけどころがないじゃない。
ルイズは口の中で小さく呟くと、デルフリンガーをきっと見つめ、「誰にも言わないでよ……」と釘を差した。
それからルイズは、思い切ってエツィオの顔に自分の顔を近付けた。
鼓動のリズムが、さらに速度を増してゆく。そっと、エツィオの唇に、自分のそれを重ね合わせる。
ほんの二秒、触れるか触れないかのキス。エツィオは寝がえりをうった。
ルイズは慌てて顔を離し、ばっと毛布の中に飛び込んで枕を抱きしめた。
なにやってるのかしら、わたし。使い魔相手に。
バカじゃないかしら、どうかしてるわ。
寝ているエツィオの顔を見た。
控えめに見ても、エツィオは世に言う美形と呼ばれる部類の人間だ。その上、誰より知的で紳士的、どんなことでもさらりとこなし、常に余裕の笑顔を絶やさない。
フィレンツェという所から来た、普段はおちゃらけた陽気な青年。だがその実体は、アルビオン全土を震えあがらせる超凄腕のアサシン。そしてルイズの使い魔、伝説の使い魔……。
どうなんだろう、やっぱり、好きなのかな。これって好きなのかしら?
心の中でそう呟きながら、ルイズはそっと唇をなぞった。そこだけ、熱した鉄に押し当てたように熱い。
どうすれば、この答えは得られるのだろう。
結局分からなくなって……、いやだわ、もう……と呟いて、ルイズは目を瞑る。
今夜は……なかなか寝付けそうになかった。
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&setpagename(memory-24 「信条告白」 後篇)
その夜……。
ルイズが部屋に戻ったのは日もとっぷりと暮れた夜だった。
オスマン氏との話を終えたルイズは、学院長室を出た後、そのままエツィオのいるであろう部屋に戻ることができなかった。
話をしてみろ、とオスマン氏に言われていたものの、エツィオの正体を知ってしまった今、どう話かけていいかわからなかったのだ。
中庭のベンチに腰掛け、どうエツィオに話を切り出すべきかと、あれこれ考えているうちにすっかり夜になってしまっていた。
結局、なんの考えも浮かばずに、仕方なくルイズは部屋に戻ることにしたのだった。
「おかえりルイズ、随分と遅かったじゃないか、もう寝る時間だぞ」
ルイズが部屋の扉を開けると、使い魔であるエツィオがにこやかに迎え入れてくれた。
違いといえば、いつも身につけている白のローブではなくシャツを着ているという所だけであろうか。
こうしてみると、どこにでもいる品のいい青年、と言った感じである。
今まで片づけていたのだろう、下着や食器が散乱していたはずの部屋は綺麗に片付いている。
それどころか、ベッドの上にはルイズの着替えまで置いてあった。帰ってきて早々この仕事っぷり、相変わらず気の利く男である。
久しぶりに見る、いつも通りの陽気なエツィオ。そんな彼を見ていると、本当にこいつはアサシンなのだろうか? と首を傾げたくなってくる。
「どうしたんだ? 悩み事か? なんなら相談に乗ってやるぞ」
「な、なんでもないわよ!」
そんな風にルイズが考えていると、エツィオが顔を覗きこんでくる。
相変わらずの、人をからかうような仕草にルイズは頬を僅かに赤くしながら怒鳴りつける。
ルイズはベッドに行くと、そこに置かれた着替えを手に取った。
エツィオの言うとおり、そろそろ寝る時間だ。随分長い間悩んでいたものだと考えながら、着替えを始める。
だが、何を思ったか、着替えようとしていたルイズの手がはたと止まった。それから、はっとエツィオの方へ振り向いた。
エツィオはというと、机の上に置かれた装具類を点検している。こちらを見てはいないようだ。
それをみたルイズは、いそいそと外していたブラウスのボタンを留め、ベッドのシーツを掴むと、それを天井に吊り下げ始めた。
「ん? 何をしてるんだ?」
ルイズのその行動に、流石に気が付いたのか、エツィオが尋ねる。
しかしルイズは頬を赤く染めたきり答えずに、シーツでカーテンを作り、ベッドの上を遮った。
それからルイズは、シーツのカーテンの中に入り込む。ごそごそとベッドの中から音がする。ルイズは着替えているようだ。
エツィオは小さく首を傾げた、いつもだったら、堂々と着替えていたはずなのに……。とそこまで考えが至った瞬間、ニヤっと、口元に小さな笑みを浮かべた。
ああ、そういうことか。ようやく俺のことを男として見始めたな。
とにかく鋭いエツィオは、ルイズの行動の原因として、即座にその答えをはじき出した。
さて、これからどう接してやろうか。と考えていると、カーテンが外された。
ネグリジェ姿のルイズが月明かりに浮かんだ。髪の毛をブラシですいている。
煌々と光る月明かりのなか、髪をすくルイズは神々しいほど清楚に美しく、可愛らしかった。
「へえ、これは驚いたな、カーテンの中からウェヌスが出てきたぞ」
「ウェヌス?」
聞きなれぬ名に、ルイズは首を傾げる。
そう言えばそうだった、ここは異世界だ、彼女がローマの神を知る筈はない。
「俺のとこの、美の女神さ」
エツィオがそう教えると、ルイズの頬に、さっと朱が差した。
「なな、何冗談言ってるのよ! あんたは!」
「冗談じゃないさ、きみは美しい」
「ば、バカ言ってないで、さ、さっさと寝るわよ!」
まっすぐにそう言われ、ルイズの顔が益々赤くなった。見るとエツィオはにやにやとほほ笑んでいる、こちらの反応を楽しんでいるようだ。
ルイズはベッドの上に置いてあったクッションをエツィオに投げつけた。コイツと話をしていると、ホントに調子が狂ってしまう。
ぐったりとした様子で、ルイズはベッドに横になり、机の上に置かれたランプに杖を振って消した。
灯りが消え、窓から差し込む月の光だけが、部屋を照らしだした。
装具の点検を終えたエツィオも、睡眠をとるべく、部屋の隅に置かれたクッションの山に体を預けた。
クッションが敷かれているとはいえ、寝心地は最悪である、これならアルビオンに滞在中に眠った安宿のベッドのほうが幾分かマシである。
「あいたたた……」
久しぶりの寝床の寝心地の悪さに、思わずエツィオは爺くさい声をだす。
そんな風にして学院に戻ってきたという事実をしみじみと感じていると、ルイズがもぞもぞとベッドから身を起こし、エツィオに声をかけた。
「ねえエツィオ」
「ん?」
返事をすると、しばしの間があった。
それから、言いにくそうにルイズは言った。
「いつまでも、床っていうのもあんまりよね。だから、その、ベッドで寝てもいいわ」
思わぬルイズの提案に、エツィオは顔を輝かせた。
「おい、いいのか? きみのこと襲っちゃうかもしれないぞ?」
「勘違いしないで、へ、変なことしたら、殴るんだから」
エツィオは手をわきわきと動かしながら、冗談めかして笑った。
「殴るだけか? ……なら試す価値はあるかな」
そう嘯くと、エツィオは即座にベッドの中に潜り込み、ルイズに寄り添う様に隣に寝転んだ。
ルイズが許可を出してからこの間、わずか数秒。
一切の迷いもためらいもない、あまりのその自然な行動にルイズは何も反応できずに、固まってしまった。
「さて、どうしてやろうか」
「ちょ、ちょっとやめてよね! 変なことしたら殴る……っていうか殺すわよ!」
顔を赤くしながら、震える声で叫ぶルイズに、エツィオはからかうように笑って見せた。
「冗談さ、嫌がる子を無理やりってのは好きじゃないんだ。だから……」
「だ、だからなに……?」
「きみが俺を求めるまで、俺は手を出さないことを誓ってやるよ」
ニィっと、口元に笑みを浮かべてエツィオが笑う。
その言葉が意味するところを知ったのだろう、ルイズは羞恥と怒りを爆発させる。
「こ、この……! 馬鹿にするのもいいかげんにっ……!」
「はいはい、悪かったよ。きみには刺激が強すぎたかな」
「ぐっ……、やっぱり呼ぶんじゃなかった……!」
悔しそうに歯ぎしりするルイズを見ながら、どれだけ耐えられるか、見ものだな……と、エツィオは内心ほくそ笑んだ。
プライドの高いルイズのことだ、そうやすやすと落ちはしないだろう。だからこそ、落とし甲斐があるというものだ。
……しかし、しかしである。もしもルイズに手を出した場合……、なんだかすごく面倒なことになりそうな気がしてならないのも事実だ。
それこそイヴの誘惑に負け、エデンの果実を口にしたアダムのようになりかねない、そんな予感がする。世に言うめんどくさいタイプだ。
そう言う意味では、彼女は創世記にある禁断の果実そのものなのだろう。俺はもっと楽しみたい、だから最高の楽しみは、最後に取っておく。
自分の魅力に落ちない女性はいない、そんな絶対の自信を持っているエツィオだからこそ出来る、邪な考えであった。
しばしの間、そんな二人の間を沈黙が支配する。
そして、しばらくたった後、エツィオはぽつりと呟くように口を開いた。
「アルビオンでは……すまなかったな」
ルイズは答えない。
もう寝てしまったかな? と思ったが、寝息は聞こえてこない。エツィオは続けた。
「きみに辛い思いをさせた上に、危険な目にも合わせてしまった、……使い魔失格だな」
「そ、そんなことっ……!」
その言葉に、ルイズは思わず身を起こし、エツィオを見つめた。
エツィオは口元に笑みを浮かべ、言葉の続きを促す様に首を傾げて見せる。
「そんなこと?」
「な……ない……」
ルイズはエツィオから顔をそむけ、僅かに頬を赤くしながら小さな声で答えた。
ほんとなら、ちょっとは文句くらい言おうと思っていた、しかし、エツィオに先手を打たれ、思わず本音が出てしまったのである。
再びベッドに横になり、エツィオに背を向ける。そんなルイズを横目で見つめながら、エツィオは小さく笑い、言った。
「二度ときみを傷つけさせない、約束するよ」
「あたりまえじゃないの」
それからルイズは決心したように口を開いた。
「でも、わたしも、あんたに謝らなきゃ。ごめんね、勝手に召喚したりして」
「本当だよ、まったく」
「んなっ!?」
エツィオがあっさりそんな事を言う物だから、ルイズは再び体を起こし、今度はエツィオを睨みつける。
「ど、どういうことよ!」
「イタリアに帰りたくなくなるってことさ」
エツィオは、うー、と睨みつけてくるルイズにニヤリと笑みを浮かべてみせると、ルイズの頬に手を伸ばし、愛おしそうに撫でた。
「俺は今、毎日が充実してる、きみのおかげだ」
「か、からかわないでっ!」
かぁっ、とルイズは顔を赤くすると、その手を取り払った。
ぼふっとベッドに横になると、再びエツィオに背を向けてしまった。
「もう! 謝らなきゃよかった!」
「ははっ、でも本当さ、出来るならずっときみの傍にいたい、そう思ってる」
「っ……!」
耳元で囁かれ、どくん、とルイズの胸が高鳴った。
並みの女性なら、それだけでノックアウトされてしまいそうになる程、憂いを含んだ甘い囁き。
ひどい、エツィオひどい。そんな事言われて、平常心なんて保っていられるわけないじゃない。
今、自分がどんな顔をしているのかまるで想像が出来ない、きっと酷い顔になっている。
エツィオに背を向けていてよかった、こんな顔見られたら、ますますからかわれてしまう。
そんなルイズの様子を知ってか知らずか、エツィオは続けた。
「でも……それはできない。いつかは帰らなきゃ……」
「し、心配しなくても、きちんと帰る方法を探すわよ……」
「おい、本当か? ……まあ、期待せずに待つとするさ」
エツィオは笑いながらそう言うと、それきり黙ってしまった。
しばしの沈黙の後、ルイズはもぞもぞと動き、エツィオの方を向いた。
寝てしまったのかな? と思っていたが、エツィオはまだ起きているようだ。
話をしなきゃ……と、ルイズは意を決してエツィオに話しかけた。
「ねえ、あんたのいたイタリアって、魔法使いがいないのよね」
「いない、概念はあるけどな」
「月は一つしかないのよね」
「生憎、二つ浮いているのは見たことがないな」
「へんなの」
「ははっ、そうだな、月はともかく、魔法が無いなんて、不便なものさ。お陰で空も飛べやしない」
「あんたは向こうでは……」
ルイズはそこで言葉を切った。
それからエツィオの横顔を見つめながら、ためらう様に尋ねた。
「あんたは……『アサシン』なのよね」
「……」
「オールド・オスマンから聞いたの、あんたが『アサシン』だってこと」
ルイズがそう言うと、エツィオは天井を見上げたまま、厳かに口を開いた。
「……アウディトーレ家は銀行家だった、っていうのは話したよな」
「うん」
「それは本当だ、事実、俺は父上の後を継ぐべく勉強してたよ、あまり真面目じゃなかったけどな」
エツィオは小さく笑う。しかし、すぐに真面目な顔になった。
「銀行家、俺もそう思っていた。だけど、それはあくまで表の顔だった。アウディトーレ家には、もう一つ、隠された裏の顔があったんだ」
「それって……」
「そう、フィレンツェにとって脅威となる存在を排除する、――『アサシン』。要はフィレンツェの暗部さ。
祖先がそうであったように、父上もまた、アサシンだった」
『アサシン』の家系……、あらかじめオスマン氏から聞いていたとはいえ、
本人の口から言われると、やはり重みが違う。改めて真実を突きつけられた気分になり、ルイズは思わず息をのんだ。
「俺がそのことを知ったのは二年前、フィレンツェを追放され、伯父上のところに匿われた時だった」
「追放……?」
「そう言えば前にも聞かれたな、何故貴族の地位を剥奪されたか……」
「あ……、い、言いたくないなら別に言わなくてもっ!」
「いや、聞いてくれ、いつかは言わなきゃならないことだ」
ルイズは慌ててエツィオを止めようとする。
だがエツィオはゆっくりと首を横に振り、口を開いた。
「……罪状は国家反逆罪、もちろん濡れ衣だ。父上は、アウディトーレ家はハメられたんだ、奴らに」
「奴ら?」
「テンプル騎士団。世界の支配を目論み、陰謀を企てている連中だ。
俺達アサシンと数百年にもわたって戦い続けている、それこそ因縁の相手ってやつだよ」
きみとキュルケの因縁には負けるかもしれないけどな。とエツィオは笑って付け足す。
だがそれは、我ながらあまりに笑えない冗談であることにすぐに気づいた。
すまない……。と小さく呟き、話を続けた。
「……二年前、父上はとある事件を調査していた。ミラノ公国、そこを治める大公が暗殺された事件があった。
その事件が起こるより前、暗殺計画を事前に察知していた父上は、それを阻止すべく動いていた。しかしそれは叶わず、大公は暗殺されてしまったんだ。
表は反乱分子による暴発、そう言うことになっている。しかし、その裏ではフィレンツェの支配を巡るテンプル騎士の陰謀が隠されている事に気が付いた父上は、
騎士団からフィレンツェを守る為に調査に乗り出した」
ルイズは固唾を呑んで、エツィオを見つめた。
天井を見つめるエツィオの横顔からは、先ほどまでの陽気な青年の面影は掻き消えていた。
ぞっとするほど冷たい表情、おそらくは、これこそが『アサシン』、エツィオ・アウディトーレの素顔なのかもしれない、とルイズは思った。
「父上は事件に関わった者たちを狩り出し、始末した。だけど、悔しいが奴らの方が一枚上手だった、
父上はその事件の真相に至る前に、その事件の濡れ衣そのものを着せられ警備隊に兄弟共々捕らえられてしまったんだ。
運よくそれを免れていた俺は、父上が掴んだ陰謀の証拠を手に、父上の親友でもある判事の家へと走った、それが皆を救うものと信じてね」
「……」
「判事は言った、この証拠を翌日の裁判で提出すれば父上への嫌疑は晴れ、必ず助かると、それを聞いて俺は心から安堵した、これで元の生活に戻れるってね」
「それで、どうなったの……?」
ルイズは恐る恐る尋ねる。
エツィオは目を細め、苦しそうな表情を作った。
「……次の日、俺は裁判が開かれているシニョーリアの広場まで走った、今頃父上の無罪が証明され釈放されるところなのだろうと。だが……違った……。
そこで見たものは……絞首台にかけられる父上と兄上、そして……弟の姿だった」
「そんなっ! 証拠も提出したのにどうして!」
「簡単なことさ、判事が裏切ったんだ、判事もあいつらの仲間だった……そして俺が見ている目の前で……父上達はっ……!」
「エツィオ……」
唇を噛みしめ、怒りに満ちた声で吐き捨てる。
普段の彼からは想像もできないほど声を荒げ、感情を露わにするエツィオに、ルイズは言葉を失ってしまう。
いつもの冗談と思いたかった、しかし、それにしてはタチが悪すぎる。
「俺はシニョーリアの刑場から必死で逃げた、吊るされた家族を見捨てて。あの姿は今でも忘れられない……忘れてはならない……」
掌で顔を覆い、エツィオが呻くように呟く。怒りと悲しみ、そして悔恨がないまぜになった、苦悶の表情。
そんな自分を呆然と見つめるルイズに気が付いたのか、エツィオは小さく息を吐き、目を閉じる。
ルイズは思わず言葉を失ってしまった。
いつも陽気で不敵なエツィオとは思えないほど、弱弱しい表情。
この男が、こんな表情をするとは夢にも思わなかったのだ。
唖然としたままのルイズをよそに、エツィオは淡々とした口調で、言葉を続けた。
「全てを失った俺は、残された妹と心を壊した母上を連れ、伯父上の下に逃げ込んだ。そこで俺はアウディトーレ家の歴史とテンプル騎士団との宿縁を知った。
俺は父上の後を継ぎ、奴らに復讐を誓った。父上の死に関わった者共を全員狩り出し、一人残らず地獄に送ると」
復讐、その言葉にルイズははっとする。
いつか、アルビオンへ向かう船の上で聞いた、エツィオがイタリアに戻らねばならない理由。
エツィオの戦いは、まだ終わってはいないのだ。
「その、裏切り者の判事は……?」
「……殺したよ、この手でね。奴を前にした時、怒りで目の前が真っ赤に染まった……、
気が付いた時には、俺は判事の腹を貫き、切り裂いていた……、何度も……何度も……」
エツィオは顔を覆っていた左手を掲げ、じっと見つめる。
「俺の手は、もう奴らの血で真っ赤だ……。俺はただ、平和に暮らしていたかっただけなのに。
兄上と一緒に馬鹿やったり、恋人と愛し合ったり……、ただ自由に、普通に暮らしていたかっただけなのに……」
不意に、エツィオが首を傾げ、ルイズを見つめる。
そのエツィオの顔をみたルイズはぎょっとした。
エツィオの双眸から、一筋の涙が流れている。泣いているのだ。
唖然とするルイズの前で、エツィオは表情を歪ませながら震える声で呟いた。
「もう……もう何も戻らない。父上も、兄上も、弟も……。……どうして、どうしてこうなったんだ?」
それは、家族を失ってから、誰にも明かすことのなかった、胸の内の苦しみ、悲しみ、悔恨。
それら全ての感情を全部、ルイズに打ち明けるように、エツィオは心情を告白する。
使い魔の語る、想像を絶するほどの、悲惨な過去。陽気さの裏に隠された、悲壮な覚悟。
ルイズは思わず、涙を流すエツィオを掻き抱いていた。
いつか、ニューカッスルの廊下で、エツィオが泣きじゃくる自分にそうしてくれたように、今度は自分がエツィオを支える番だと思ったのだ。
「父上……、兄さん……、ペトルチオ……、ごめん……。ごめん……俺は……!」
エツィオの双眸から、堰を切ったように涙があふれ出す。
気が付けば、ルイズも涙を流していた。彼の境遇に同情したわけではない。同情など、軽々しく出来るはずもない。だが、不思議と涙があふれてきたのだ。
しばらくの間、ルイズの胸に顔を埋め、静かに涙を流していたエツィオだったが、やがて離れると、涙を拭いた。
「……カッコ悪いところを見せたな……でもお陰で楽になった」
「エツィオ……」
「俺の弱い心は、ここに置いて行く。もう泣き言は無しだ」
そう言ったエツィオの表情は、いつもの笑顔が戻っていた。
強い意思を感じさせる瞳に、余裕と自信に満ちた不敵な笑顔。
ルイズの目じりに溜まった涙を指先で拭ってやりながら、エツィオは微笑む。
「……酷い顔だ、きみに涙は似合わないな」
「あっ、あんたのせいよ! あんたがあんな話を――」
「ありがとう、最後まで聞いてくれて」
「っ……!」
エツィオにそう言われ、ルイズは何も返せなくなってしまう。
もにょもにょと口を動かすルイズにエツィオはにやっと笑って見せた。
「それに、貴重な体験もできたしな。ああルイズ、出来ればもう一回……んがっ!」
そう言いながら顔を近付けてきたエツィオの鼻っ柱にルイズの拳が叩きこまれた。
「ちょっ、調子に乗るなっ! このエロ犬!」
「わ、悪かった! 悪かったよ!」
ルイズは羞恥に顔を真っ赤にしながら、枕でぼこぼことエツィオを叩いた。
エツィオは笑いながらルイズにされるがままになっている。その様子は、はたから見るとまるでじゃれあっているようだ。
一しきりそうやってエツィオを叩いていたルイズは、荒い息を吐きながら、ごそごそと布団の中に潜り込んだ。
「次やろうとしたら、もう一回殴るわよ」
「はいはい……でも殴られるで済むならもう一回くらい……あ、いや! なんでもない!」
再び握りこぶしを作ったルイズに、エツィオは慌てて口を噤む。
調子いいんだから……。と、恨めしそうに見つめてくるルイズに、エツィオは小さく微笑み、ぽつりと呟いた。
「……もしかしたら俺は、ただ怖かっただけなのかもしれないな……、いや、やっぱり怖かったんだろうな」
「なんのこと?」
神妙な面持ちで呟くエツィオに、ルイズは首を傾げる。
「身分を明かせなかった事さ。きみに拒絶されるのが怖かった、だから明かせなかった」
「そ、そんなこと……するわけないじゃない」
ルイズがぽつりと呟く。
僅かに顔を赤くし、上目遣いにエツィオを見つめながら、言いにくそうに言った。
「だ、だって、あんたはわたしの使い魔だし……、それに……」
「それに?」
「な、なんでもないわよ!」
ぷい、と顔をそむけてしまったルイズを見て、素直じゃないな……。エツィオは苦笑する。
まぁそこがかわいいんだが……。と内心ほくそ笑んでいると、どうやらその笑みは表に出てしまっていたらしい。
ルイズは再びエツィオに恨めしげな視線を向けていた。
「なに笑ってんのよ……」
「あ、いや、安心したらつい……な」
また殴られてはたまらないと、エツィオは誤魔化す様に笑って見せた。
そんなエツィオを見つめていたルイズであったが、ややあって、ちょっと真面目な表情で呟いた。
「……どうして」
「ん?」
「どうしてあんたは、わたしにそこまでしてくれるの?」
「さて、なんでだと思う?」
「からかわないで。……わたしが魔法を使えないの、知っているでしょ?
いつもいつも失敗ばかりで……、こんなダメなわたしに、どうしてあんたはそこまでしてくれるの?」
ルイズは口をへの字に曲げながらエツィオに尋ねた。
エツィオは、凄腕のアサシンであることを差っ引いても、とにかく有能な男だということを、ルイズは嫌というほど実感していた。
何をやらせてもそつなくこなし、マナーも礼節も完璧。魔法が使えないという点を除くと、およそ貴族に求められる物全てを兼ね備えていると言っても過言ではなかった。
アルビオンで、ウェールズ殿下がいたく気に入っていたところを見るに、是非とも彼を配下に欲しいと思う貴族は数多くいるだろう。
そんな彼が、何故ゼロと呼ばれ続ける自分の傍にいてくれるのか、疑問に思ったのだ。
「あのワルドが言ってたわ、あんたは伝説の使い魔だって。あんたの手の甲に現れたのは『ガンダールヴ』の印だって」
「……らしいな、デルフもそう言ってる。あいつは昔、その『ガンダールヴ』に握られていたそうだ」
「それってほんと?」
「さてね、なにしろデルフの言うことだからな」
エツィオはちらと部屋の隅に置かれたデルフリンガーを見つめる。
聞こえているぞ、とでも言いたいのか、ぷるぷると震えていた。
「でもまぁ、本当なんだろうな、実際このルーンにも、デルフにも助けられた」
「だったら、どうしてわたしは魔法ができないの? あんたが伝説の使い魔なのに、どうしてわたしはゼロのルイズなのかしら。いやだわ」
「きみは伝説と呼ばれるような、そんな偉大な存在になりたいのか?」
エツィオが問うと、ルイズは首を横に振って見せた。
「違うわ、わたしは立派なメイジになりたいだけ。別に、そんな強力なメイジになりたいとかそういうのじゃないの。
ただ、呪文を使いこなせるようになりたいだけなの。得意な系統もわからない、どんな呪文を唱えても失敗なんてイヤ」
心情を吐露するルイズに、エツィオはただ黙って聞いた。
「小さいころから、ずっとダメだって言われ続けてた。お父さまも、お母さまも、わたしには何も期待していない。
クラスメイトにもバカにされて、ゼロゼロって言われて……。わたし、本当に才能ないんだわ。
得意な系統なんて、存在しないんだわ、魔法を唱えてもなんだかぎこちないの。自分でわかってるの。
先生やお母さまやお姉さまが言ってた。得意な系統の呪文を唱えると、体の中に何かが生まれて、それが体の中を循環する感じがするんだって。
それはリズムになって、そのリズムが最高潮に達した時、呪文は完成するんだって、そんな事、一度もないもの」
ルイズの声が小さくなった。
「そんなダメなわたしなのに……どうして?」
落ち込んだ様子でルイズが尋ねると、エツィオは澄ました表情であっさりと答えた。
「きみの事が好きだからさ」
「は、はあ!?」
あまりに唐突に、しかも真顔でそう答えられ、ルイズの顔がずどん、と火を噴いたように赤くなった。
暗闇の中でもわかるくらいに顔を真っ赤にし、滑稽なほどルイズは慌てふためいている。
「すすす、好き、好きって! どど、どういう……!」
「言葉の通りさ、俺はきみを気に入ってるんだ」
「こ、こんな時に冗談はやめてよ! ばっ、ばっかじゃないの!」
そんなルイズの反応を愉しむかのように、エツィオは意地悪な笑みを浮かべる。
ルイズが反応に困っていると、すっと、エツィオの手が伸びる、そしてルイズの顎を持つと、優しく自分の方へと向けた。
「ルイズ」
「なっ! なに……よ……」
「俺はいつだって、きみの味方だ」
その言葉に、ルイズはビクンっと身体を震わせ、エツィオを見つめた。
「きみが信念を捨てない限り、俺は喜んできみの力になる」
「えっ……あ……」
「俺は決してきみを見捨てないし、裏切らない。苦難あれば共に乗り越え、道誤ればそれを正そう」
ルイズの頬を優しく撫でながら、エツィオは誓いを立てるように、呟いた。
「きみに二度と、辛い思いをさせるものか……」
いつにないエツィオの真剣な眼差し、憂いを含んだ情熱的な囁きに、ルイズの心臓が、狂ったように警鐘を鳴らす。
いつかの、ラ・ロシェールで掛けられたワルドの言葉とは、まるで比べ物にならないほどの熱量を秘めた情熱的な甘い言葉。
それはまるで麻酔の様に、ルイズの頭の芯を、じんわりと痺れさせた。気が付けば、ルイズはエツィオから目が離せなくなっていた。
本当は気恥ずかしくて、エツィオの顔なんてまともに見れたものじゃない、だけど一時も目を離したくない。そんな気持ちがルイズの中でせめぎ合っていた。
「それに……」
そんなルイズを知ってか知らずか、エツィオはぽんと、ルイズの肩を叩いた。
「今は魔法が出来なくても、人は決して負けるように出来てはいない。今の境遇に、死ぬまで甘んじなければならないという法はないさ」
力強いエツィオの言葉に、ルイズは胸が熱くなるのを感じる。ちょっと涙まで出てきた。
それを隠すためにルイズは、エツィオの手を慌てたように振り払うと、毛布をひっかぶり、エツィオに背を向けた。
「す、すす、好きとか、な、なな、何言ってるのよ! も、もう!」
「おや? これじゃ不服かな? 困ったな、他に理由が見当たらない」
「ば、ばかなこと言わないで! この話はもうおしまい!」
ルイズは気恥ずかしさを隠すかのように、無理やり話を中断させる。
それから仰向けになると、毛布から顔を出し、ちらとエツィオを横目で見つめた。
「で、でも、お礼はいわなきゃね。……あ、ありがとう……」
消え入りそうなほど、小さな声でそう言うと、ルイズは目を瞑ってしまった。
礼を言われるとは思っていなかったのか、エツィオは少し驚いたようにルイズを見つめた。
「なに、気にすることはないさ、俺が好きでやってること……っと」
ニィっと笑みを浮かべ、ルイズの顔を覗き込む。
そこでエツィオは言葉を切った。どうやらルイズはそのまま寝入ってしまったらしい。なんともまぁ、寝付きのいいことだ。
僅かに首を傾げ、あどけない寝顔を見せている。
手は軽く握られ、桃色がかったブロンドの髪が月明かりに溶け、キラキラと輝いている。
うっすらと、開いた小さな桃色の唇の隙間から、寝息が漏れていた。
「くー……」
エツィオはルイズの寝顔を見つめ、優しい笑みを浮かべると、ルイズの唇に自分の唇を重ね合わせた。
「……おやすみ、ルイズ」
唇を離し、エツィオは小さく囁きながら、ルイズの頭を撫でる。
それからエツィオも仰向けになると、目を瞑り、眠りの世界へと落ちて行った。
寝たふりをしていたルイズは、エツィオの寝息が聞こえてきた瞬間、がばっと跳ね起きた。
キス、された。
思わず唇を指でなぞる、心臓が狂ったように早鐘を打っている、顔はもう真っ赤っかだ。
おそるおそる、隣で眠るエツィオに視線を送る。もしかしたら、こいつは自分と同じように寝たフリをしていて、
あのからかうような笑みを浮かべるのではないかと、気が気ではなかったが……。どうやら本当に眠っているらしい。
「寝てる……」と、ルイズは少し安心したかのように呟いた。
ルイズは枕をぎゅっと抱きしめて、唇を噛んだ。
意味分かんない、何を考えているのか、さっぱりわからない。
ルイズは胸に手を置いた、やっぱり、そばにいると胸が高鳴る。
となると、この前、確かめたいと思った気持ちは本物なのだろうか?
同じベッドで眠ることを許したのは、今まで離れ離れになっていたのが寂しかったから……、というわけではない。
そう、アルビオンに残ってまで、自分に対する脅威を人知れず排除していた使い魔の献身へのご褒美のつもり……。でも、それだけじゃない。
異性に対するこんな気持ちは初めてで、ルイズはどうしていいかわからなかったのだ。
着替えそのものをエツィオに見せなくなったのはそのせいだ。意識したら、急に肌を見せるのが恥ずかしくなった。
ほんとだったら、寝起きの顔すら見せたくない。
いつごろから、エツィオにこんな気持ちを抱くようになったのだろう? エツィオは本当に自分に好意を寄せてくれているのだろうか?
キスしてきたのだから、やっぱりそうよね。……正直に言うと、エツィオに『好き』とはっきり言われ、嬉しかった。
しかし、同時にみんなに言ってるんじゃないの? いや、絶対言ってるだろ。という確信にも似た疑念を生んだ。
なにせギーシュがかわいく思えるくらいの女たらしである。それに先ほどのキス、初心なルイズにでもわかる、あれはもう慣れてるキスだ。
やっぱり、他の女の子にもしていることなのだろうか? 怒りと喜び、二つの感情がルイズの胸の中でごちゃ混ぜになる。
あの言葉は、先ほどのキスは、本心からでたものなのだろうか? それが知りたい。
ルイズは、自分でもなんだかよくわからなくなって、う~~っと唸って、エツィオを枕で叩いた。起きない。
その時だった。その様子を黙って見ていたデルフリンガーが不意に口を開いた。
「寝かせてやれ、相棒はこれまでロクに寝てないんだ」
「っ! あ、あんた、見てたの!」
思わぬところから声をかけられ、ルイズは思わず叫んだ。それから慌てて口を閉じる、今のでエツィオが起きたらどうしようと思ったのだ。
だが幸いなことに、エツィオは起きる様子もなく、安らかに寝息を立てている。
そんな二人を見て、デルフリンガーは呆れたような口調で言った。
「俺はお前らが何しようと知ったこっちゃないね、何せ剣だからな」
「じゃ、じゃあ口出ししないでよ、それに、この事はエツィオにはぜーったい言わないでよ!」
「言わねぇよ……。それに娘っ子、お前さんはしらないだろうが、相棒はいつも、娘っ子が寝付くまで眠らないんだ。それがこれだ、よほど疲れてたんだろうな」
そのデルフリンガーの言葉を聞いて、ルイズはぐっと顔をしかめ、エツィオを見つめた。
ああもう、エツィオのこういうとこ、ホントムカツク。なによなによ、カッコつけちゃって……これじゃ、文句のつけどころがないじゃない。
ルイズは口の中で小さく呟くと、デルフリンガーをきっと見つめ、「誰にも言わないでよ……」と釘を差した。
それからルイズは、思い切ってエツィオの顔に自分の顔を近付けた。
鼓動のリズムが、さらに速度を増してゆく。そっと、エツィオの唇に、自分のそれを重ね合わせる。
ほんの二秒、触れるか触れないかのキス。エツィオは寝がえりをうった。
ルイズは慌てて顔を離し、ばっと毛布の中に飛び込んで枕を抱きしめた。
なにやってるのかしら、わたし。使い魔相手に。
バカじゃないかしら、どうかしてるわ。
寝ているエツィオの顔を見た。
控えめに見ても、エツィオは世に言う美形と呼ばれる部類の人間だ。その上、誰より知的で紳士的、どんなことでもさらりとこなし、常に余裕の笑顔を絶やさない。
フィレンツェという所から来た、普段はおちゃらけた陽気な青年。だがその実体は、アルビオン全土を震えあがらせる超凄腕のアサシン。そしてルイズの使い魔、伝説の使い魔……。
どうなんだろう、やっぱり、好きなのかな。これって好きなのかしら?
心の中でそう呟きながら、ルイズはそっと唇をなぞった。そこだけ、熱した鉄に押し当てたように熱い。
どうすれば、この答えは得られるのだろう。
結局分からなくなって……、いやだわ、もう……と呟いて、ルイズは目を瞑る。
今夜は……なかなか寝付けそうになかった。
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