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「日替わり使い魔-16」(2011/06/05 (日) 12:04:08) の最新版変更点
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#navi(日替わり使い魔)
グランバニア前大臣という人物の人柄について、リュカはほとんど知らない。
だがその手腕については、前国王にして現大臣であるオジロンから、よく聞いていた。
なにせ、先々代国王デュムパポスの出奔より20年近くの長い期間、オジロン前国王の補佐としてグランバニアを支え続けていたのだ。
多少強引な傾向はあったものの、その手腕は見事の一言に尽きた。オジロンからの又聞きであったにしても、その手腕についてはリュカ自身学ぶことが多かったほどだ。
決断力に乏しいオジロンに代わり、実質的に国のトップとして扱われていたのにも納得である。
しかし――彼は裏切った。
いつの頃からかはわからないが、彼は魔王の軍勢と通じていた。そしてリュカの妻フローラがレックスとタバサを出産したその夜、彼の手引きで城内に侵入した魔物により、フローラが誘拐されてしまったのだ。
デュムパポスの遺児であるリュカの帰還により、地位が脅かされるのを恐れたのかもしれない。あるいは、帝王学を一切学んでいなかったリュカが王位に就くことに、国の未来を憂えたのかもしれない。
しかし彼の真意がどうであれ、今ではそれを知る術などどこにもない。
だが、リュカは彼の根が悪人ではないことには、確信を持っていた。結局彼は、魔物に騙されていただけなのだと。
攫われたフローラを助けるために乗り込んだデモンズタワー。魔物たちに用済みと見做された彼は、その中で息絶えようとしていた。その時、彼が今わの際でリュカに向けた謝罪の言葉は、今でも耳に残っている。
そして、そんな彼と同じ眼差しを――今のワルドが持っている。
「……ウェールズ皇太子、こちらへ」
そのワルドを――正確にはその瞳を注視しながら、リュカはウェールズをルイズの方へと押しやる。そして自身も彼を守る形で、ルイズの元へと駆け寄った。
「リュ、リュカ……」
「ルイズ、無事で良かった。ワルド子爵はどうして……?」
「彼はレコン・キスタだったのよ。私と、私の持つ手紙と、あと……」
声を震わせながらたどたどしく説明しようとするルイズの口を、それ以上喋らないでいいと、リュカは手で制した。
実際、そこまで聞ければ十分だった。リュカが右目で見た光景とルイズの言葉、そしてウェールズが狙われたこの現状を見れば、ワルドの目的はおおむね察しがつく。
リュカの視線は、いまだにレックスと対峙するワルドに向けられていた。
タバサとホイミンは、自分と一緒にルイズとウェールズの護衛。シーザーは先程までステンドグラスの嵌っていた大きな窓の前に仁王立ちしたまま。プックルも心得たもので、こちらが何も言わずとも礼拝堂の入り口に陣取っていた。
出入り口は全て塞いだ。これでワルドは逃げられない。あとは捕まえるだけだ。
が――リュカはそれよりもまず最初に、どうしても聞いておきたいことがあった。
リュカは右手のドラゴンの杖を少しだけ持ち上げ、勢いをつけて石突部分で足元を叩く。
カーン、と杖が床を叩く甲高い音が、礼拝堂に思いのほか良く響き、全員の注目を集めた。
「ワルド子爵」
静かな声音で告げた声は、しかし全員の耳によく通った。
自分の名を呼ばれたワルドは、ほんのわずかにたじろいだようで、ピクリとした動きを見せた。
「一つだけ、聞きたいことがある。虚偽は許さん」
常になく平坦な声音で告げられた『命令』には、有無を言わさぬ王者の風格が、確かに篭っていた。
「貴公の誇りの在り処はいずこか」
「貴公の誇りの在り処はいずこか」
投げかけられたその問いに、ワルドは心臓を鷲掴みにされたような錯覚を覚えた。
この状況に至り、ワルドの思考は無茶苦茶にかき乱されていた。
脱出船に押し込んだはずの彼らがやってきたのも予想外なら、そもそも事が済む直前に間に合われてしまったのも予想外。
明らかに自分一人の手に余る彼らが来ては、任務失敗以外の未来が見えない。しかも脱出路は全て封じられてしまい、ここからの離脱すら困難を極める状況だ。
加えて、ルイズの使い魔――リュカが唐突に放った、有無を言わせぬ強大な圧力。昨晩会話した時には微塵も感じさせられなかった、格上の風格。
気を抜けば、膝を折ってかしずいてしまいそうな……そう、言うなれば王者の風格。彼には服従するしかない、そんな気持ちが嫌が応にも湧き上がって来る。
(だめだ――膝を折るな!)
ワルドは胸中で自身を叱咤する。
そうだ。膝を折るわけにはいかない。自分はここで終わるわけにはいかない。
だが今自分を囲う運命は、逃げ道が見当たらぬほどに高く厚い壁。
『どうしてこうなった』『子供だけを相手にすれば良いだけの簡単な任務だったはず』『なぜこいつらは、ことごとく俺の邪魔ばかりする』――自身に降りかかる不条理に、ワルドの胸の内からふつふつと怒りが湧き起こる。
――貴公の誇りの在り処はいずこか――
黙れ。貴様に何がわかる。この胸に誇りなど、もはやありはしない。
『聖地』に行く――その目標を絶対のものとして胸に宿したあの日から、忠義も恩義も愛国心も婚約者も、そしてあれほど大事にしていた貴族の誇りさえも、何もかもが取るに足りぬものと化した。
目的を達するためならば、何であろうと踏みにじろう。利用できるものは全て利用しよう。情など不要。愛などゴミ以下。自分以外の全ては、自分をその目的へと近付けるための駒でしかない。
「は……ッ!」
息を一つ、吐いた。
吐いた息と共に、体の強張りが少しだけ外に逃げた気がした。リュカの圧力を前に硬直していた体が、少しだけ動きやすくなる。
ワルドはリュカの視線を真正面から受け止め、それどころかその瞳に怒りの炎を灯らせて、相手を睨み付ける――その胸に下げたペンダントを、まるで縋るかのように強く握り締めて。
「誇りなど……持っていたところで、何の特にもならん!」
「ワ、ワルド……あなた……!」
嘲笑をその顔に貼り付け、リュカの圧力を撥ね退けんとばかりに杖を振り、語気荒く言い放った。その言葉に、リュカの隣にいたルイズが、驚愕と失望の入り混じった声を上げる。
そして、その言葉を受けたリュカ当人といえば――怒るでもなく悲しむでもなく、ただ無言で目を閉じた。
「お父さん……こいつは、ボクがやる。いいよね?」
怒りを押し殺したような声で、レックスが父に問う。その問いかけに、リュカは目を開け、無言で頷いた。
……この『閃光』のワルドを、子供一人に任せるつもりか。嘗めおって……!
そう思うが、口に出すのをなんとか堪える。新たに現れたリュカたち親子と彼らに引き連れられた使い魔たち――これまで見てきたレックスの実力を見るに、おそらくは誰一人をとっても、ワルドにとって決して油断をしていい相手ではあるまい。
嘗められても仕方のない戦力差。それを自覚し、ギリ、と奥歯を噛み締める。
と――
「……あなたではレックスには勝てない」
その心情を見て取ったのか、リュカが抑揚のない声で告げてきた。
その言葉は、ワルドにとって忌々しいことではあるが、想定内のものであったと言える。
「おとなしく捕まることです。悪いようにはしません」
「だとしても、俺にはやらねばならんことがある……! 俺の半分も生きていない小僧ごときに、遅れを取るわけにはいかん!」
そう言って、ワルドは再び眼前のレックスに視線を戻した。『エア・ニードル』を纏わせたレイピア型の杖を構え、戦いの姿勢を取る。
自身の放った言葉が、くだらない意地でしかないことはわかっている。目の前の子供に嘗められっぱなしなのが悔しいという思いはあるが、それに固執して引き際を見誤るわけにはいかない。
熱くなりそうな心を鎮め、冷静に周囲の状況を見やる……対峙するレックス以外は、観戦の構えだった。
よほどレックスの腕を信じているのだろう。とはいえ、各個撃破で敵戦力に穴を空ける以外に脱出の術を持たないワルドにとっては、一斉にかかってこられないのはむしろ好都合である。
「ゆくぞ小僧……今度は以前のようにはいかんぞ」
改めて眼前のレックスに注視し、宣言する。その言葉に、レックスは応えない。裏切ったことがよほど腹に据えかねたのか、怒りの篭った瞳でワルドを睨みつけ、ただ無言で剣を構えるのみだ。
そして――唐突に、レックスの足元が爆発した。
何のことはない。彼が地面を蹴っただけである。だが足元が爆発したと錯覚するほどにその踏み込みは常軌を逸し、気が付けば彼は目の前で剣を振りかぶっていた。
「くっ……!」
振り下ろされたその剣を、自身の杖で受け止めようとし――瞬間、全身に怖気が走り、杖の角度を斜めにすると同時に半身をずらす。
ズゴン! と音を立て、レックスの振り下ろした剣が床を“破壊”した。ワルドの構えた杖は剣を受けることなく、その軌道をわずかに逸らしたのみであった。
が――直後に聞こえた音は、断じて『剣』という武器が立てて良い音ではない。
ただの一撃で石造りの床が無残に破壊されている様を見れば、まともに受ければ防御ごと叩き切られるのは容易に想像できた。防御よりも回避を選んだ咄嗟の判断は、まさしく正しかったと言える。
そして同時、理解する。『女神の杵』亭での決闘――あれは、敗北のショックで決闘中の記憶がなくなったのではない。一瞬で勝負がついてしまった結果だったのだ――と。
(な、なんだこれは……! これが本当に、子供の力だというのか!)
ここまでくると、もはや本当に人間であるのかどうかすら怪しく思えてくる。
しかしそうやって戦慄している間にも、レックスは攻撃の手を休めてくれるわけではない。二回、三回と剣を振り、ワルドを追い詰めて行く。
ワルドにとって幸いだったのは、その一振り一振りが大振りで避けやすいということだろう。まるで人間よりも遥かに大きいものを相手にするような、そんな大味な剣の振り方がワルドの寿命を延ばしてくれる。
といっても、決して余裕を持って避けていられるわけではない。大振りとはいえ、スピード自体が尋常ではないのだ。避けるたびに生じる風圧がワルドの体力を削り、かすっただけでも大ダメージを予感させる威力は精神を削る。
(今はどうにか凌げているが、長期戦は不利……!)
ならば、早々に仕掛けるしかない。ワルドはそう判断し、魔法行使のために精神を集中させる。
(こいつらは確か、系統魔法の知識にはそれほど明るくなかったはず……ならば知るまい! 使い手そのものが希少な、『風』の奥義を!)
『閃光』とまで呼ばれるほどの自分の詠唱速度ならばいける。
ほんの一瞬の判断ミスが命取りなレックスの猛攻の中、ワルドは慎重に、確実に、しかし誰よりも速く、そのルーンを唱える。
詠唱が終わるか終わらないかといったタイミングで、繰り出されたレックスの剣を避ける。上段から振り下ろされた剣は再び床を叩き、その衝撃で一瞬の硬直が生じた。
その一瞬の硬直で、ワルドは一歩踏み込む。剣の間合いよりさらに内側へと。
密着するほどの間合いでは、お互い剣も振れないが――元より、ワルドは『エア・ニードル』を纏わせた杖を振るつもりではない。膝蹴りをレックスの腹に向けて放ち、その軽い体を少しだけ上方に打ち上げる。
「くっ……!」
(もらった……!)
しまったとばかりにレックスが声を漏らす。
生み出した一瞬の好機――その瞬間、ワルドは詠唱の完了していた魔法を解き放つ。
「ユビキタス・デル・ウィンデ!」
レックスの背後で風が三つ渦巻いた――かと思えば、次の瞬間には『三人のワルド』がそこにいた。
これぞ『風』の奥義、スクウェアスペル・『風の遍在』。
風はどこにでも遍在する。ゆえに風の最高位の使い手は、こうして風によって自身と寸分違わぬ分身を作り出せるのだ。
「え……!?」
さすがにこれは、レックスにも、観戦していたリュカやタバサにも、予想外の事態であった。当然の帰結として、レックスの顔が驚愕に彩られる――その驚愕によって、更にもう一瞬だけ、隙が増えた。
だがまだ足りない。ほんの少しだけ足りない。今のままでは、そして相手がレックスならば、このまま攻撃に転じても防御が間に合ってしまうだろう。
しかし、ワルドが作り出した『遍在』はこの三体だけではない。もう一体、『別の場所』に作り出した。
その最後の『遍在』が、今――!
「ぐあっ……!?」
「ウェールズ様!?」
「え!?」
レックスにとって、それは予想外の連続だったのだろう。聞こえたルイズの悲鳴に、レックスの意識がそちらを向く。
そこでは、リュカとタバサが守っていたはずのウェールズ皇太子が、その死角に作り出されたワルドの『遍在』によって――
――背中から『エア・ニードル』で貫かれていたところであった。
「ウェール……がぁっ!?」
咄嗟に、ウェールズの名を呼ぼうとしたレックス。だがその言葉は、直後に襲い掛かった衝撃によって遮られた。
『エア・ニードル』を杖に纏わせた三人のワルド。それが、それぞれ杖を前に突き出したポーズを取っている。その杖が向けられた先には、吹き飛ばされて礼拝堂の椅子に背を打ち付けているレックスがいた。
ウェールズが胸を貫かれた光景を目にしたレックスが動きを完全に止めた、その隙を見逃さず……ワルドは三体の『遍在』によって、攻撃を加えたのだ。
――『風の遍在』を唱え終えてから、ここまでおよそ2秒に満たず。
しかしワルドにとって、この一瞬の何と長かったことか。その全ての時間を思い描いた通りに我が物とできたことに、自賛の念を禁じ得ない。
とはいえ、だからといってまだ気を抜くわけにもいかない。それを証明するかのように、眼前のレックスの纏う鎧は、『エア・ニードル』を受けても傷一つついていなかった。
まったく、あの白銀の鎧は一体どれほどのマジック・アイテムだというのか。『遍在』三体の同時攻撃ですら、ただ吹き飛ばすだけに終わってしまうとは。
だが元より、ワルドはこの程度で終わるとは思っていない。三体の『遍在』が攻撃を加えたその時、本体は既に新たなルーンを唱えていた。
「ライトニング・クラウド!」
杖から放たれた雷が、容赦なくレックスに降り注ぐ。
ただの人間ならその一撃で即死しかねない強大無比な雷撃――しかし眼前の子供がこれ一撃で終わるような生易しい存在ではないことは、既に証明されていた。
ゆえに、本体がライトニング・クラウドを放ったその時には、四体の『遍在』――いや、ウェールズの胸を貫いた『遍在』は、合流することもできずにリュカによって即座に打ち倒されていたから、結局残り三体か。それが、新たにルーンを唱えていた。
「「「ライトニング・クラウド!」」」
更に三つの雷撃が、折り重なってレックスに襲い掛かった。
「が……あ……っ!」
搾り出すような苦悶の呻き。悲鳴さえ満足に上げることもできず、超高電圧によって肌を焼かれていくレックス。
いくらなんでも、これで死なないはずがない。背後にいるルイズもそう思ったのだろう。その光景に、「いやぁーっ!」と身も世もない悲鳴を上げていた。
だが、これで安心するわけにはいかない。どさくさに紛れ、目的の一つであるウェールズの暗殺は成し遂げた。この状況で一つだけでも目的を達成できたのは僥倖であると思いながら、脱出のためにきびすを返す。
が――
「……待て、よ……」
踏み出そうとしたその時、背後から『聞こえてくるはずのない声』が聞こえてきた。
今度は、ワルドの方が硬直する番となった。バカな。なぜだ。あれで生きているわけがない――と。
ゆっくりと振り返る。しかし果たして視界に入ってきたその光景は、ワルドの予測も希望も全てを覆し、しっかりと二本の足で床を踏み締め立ち上がる、レックスの姿があった。
「バ、バカ、な……」
肌も焼け爛れ、全身が赤黒い火傷に覆われている。たとえ生きていたとしても動けるはずのない重傷なのは一目瞭然。
だからこそ、それが立ち上がってこちらをしっかりと睨みつけている様が、完全に理解不能で――それゆえに、恐怖であった。
思わず「ば、化け物……!」と口からこぼれてしまうほどに――
「……あと一撃でも……同じのを、入れられていたら……さすがのボクも……耐えられなかったかもしれない……だけど、ボクは……こうして……生きている。心臓は……止まってなんか……いない……!」
息も絶え絶えにそう言って、レックスは自身の胸に手を当て、「ベホマ」と小さく唱えた。
すると彼の全身が淡い光に覆われ、次の瞬間にはまるで時間を巻き戻したかのように、無傷の肌に生まれ変わっていた。
バカな。これは一体何の悪夢だ――ワルドの脳は、もはやパニック寸前だ。殺したと思った相手が生きていて、死んでいるとしか思えない重傷でルーンを唱え、その傷が全てなくなるという奇跡としか思えない光景を披露した。
「……ミルドラースの炎の方が、よっぽど熱かった」
言って、レックスが一歩近付く。ワルドの足が一歩後退する。
「エスタークの剣の方が、よっぽど重かった」
もう一歩、レックスが近付く。ワルドの足も、また一歩後退する。
「だから、お前なんかに……」
レックスは足を止め、チャキッと音を立てて剣を構える。ワルドと『遍在』も、反射的に杖を構える。
数秒、睨み合い――だがすぐに、その均衡は崩れ去る。
「こ、この……!」
「お前程度の奴に……!」
恐怖に駆られ、ワルドが『遍在』を突撃させる。
それを正面から見据え、レックスが強靭な意志の力を感じさせる声を吐き出す。
「この、化け物がぁぁぁーっ!」
「お前程度の奴に、殺されてやるわけにはいかないんだああぁぁーっ!」
吠え、レックスはその剣を高くかざした。
すると、剣から凍りつくかのような青白い波動が放たれた。
その波動は礼拝堂を埋め尽くし、そしてそれが収まった時――
――ワルドの周りにいた『遍在』は、全て消失していた。
「勝負あったね」
隣に立つリュカの言葉を聞くまでもなく、ルイズもまた、同じことを思っていた。
数の優位をもたらす『遍在』を無効化されてしまっては、明らかに自力で劣るワルドに勝機はない。戦闘に関しては完全に素人であるルイズですら、それははっきりとわかってしまった。
が――ルイズはそれを、素直に喜ぶことができなかった。連続して起こる事態は、彼女の理解できる範囲を完全に逸脱していた。
――ワルドの裏切り。
幼い頃に憧れ、結婚の約束まで交わした誇り高い子爵様と、今目の前にいる誇りなき国賊が、どうしても結び付かない。なぜ? どうして? などと自問するだけでは絶対に答えの得られない疑問が、ルイズの中で渦巻く。
――そのワルドを圧倒したレックス。
強いということは知っていたが、ここまで常識外れの戦闘能力を持っているとは思ってもみなかった。あれが本当に人間の到達できる領域なのか、ルイズにはそれ自体が疑わしくさえ思えた。
――そして、ワルドの生み出した『遍在』によって、対応する間もなく殺されてしまったウェールズ。
その『遍在』は即座にリュカが打ち倒し、そんなリュカを見てルイズは「彼なら生き返らせられる」と思ったが、果たして今生き返らせて良いものかとも思う。彼の今日の決戦における決意を思えば、尚更に。
――死んだとしか思えない傷でなお生きていたレックス。
全身を醜い火傷の跡が覆い尽くしてなお立ち上がるその姿は、まるで死体が動いているように見えた。直前の人外じみた強さを見たのも相俟って、ルイズは一瞬、彼がとても恐ろしい怪物に見えてしまった。
――そして、そんな重傷を一瞬で完全に癒した魔法。
ハルケギニアの常識では考えられないその高速治療は、神の起こす奇跡か、はたまた悪魔の業(わざ)かと見まごうばかりだ。あんなものが実在していいのかと、そんな疑問さえ思い浮かぶほどだ。
――極めつけは、『風』の系統魔法にとって奥義と呼ぶべき『風の遍在』を、一瞬で無効化してしまったあの剣。
あんなもの、メイジにとって鬼門もいいところだ。その特殊効果と真正面から向き合うことになったワルドは、たまったものではないだろう。
それら事象の全てが、ルイズの理解を超えていた。彼女の内心は、あらゆる感情が混沌と渦巻き、自らが表すべき感情すらわからず――ありていに言って、混乱の極みにあった。
と――そんなルイズの頭に、ポンとリュカの手が乗せられる。
「ごめんね」
「え……?」
「きっと、聞きたいことがいっぱいあるんだと思う。僕たちは、ルイズたちからすれば、たぶん『異質』なんだろうから。ルイズの気持ちが落ち着いた頃に、改めて説明するよ。
だから、今はまだ何もわからなくていい……ただ、『もうすぐ終わる』ってことだけわかっていればいい」
――もうすぐ終わる。
ああそうか……と、ルイズの心にストンと落ちるものがあった。
子供の頃に憧れたワルドが誇りなき国賊と化したこと。リュカたち親子の異様な強さ。ウェールズ皇太子の命の行方。
わからないことは、確かに沢山ある。聞きたいことなど、山ほどある。
だが今は、それを悠長に聞いている場合ではない。貴族派の総攻撃の時間は、刻一刻と迫っている。
そして――そう。目の前の戦いは、既に終わりに向かっている。
ワルドさえ倒せば、一区切りが付く。シーザーの力を借りれば脱出はそれほど難しくないだろうし、ウェールズを生き返らせることもリュカたちの手にかかれば容易だろう。
(……死んでも手遅れじゃないなんて考えるあたり、私もリュカたちに毒されてきたかしら)
内心でつぶやき、自嘲する程度には余裕を取り戻せている……と、思いたい。その思考が自らの混乱ゆえかもしれないとは思わないでもないゆえ、余計に。
どうであれ、先程までよりは多少は落ち着いている事は確かだ。それを自覚し、自分を落ち着かせてくれたリュカに感謝する。
もっとも、頭に手を乗せられている状況はなんか気恥ずかしかったので、「子供扱いしないでよ」とその手を跳ね除けたが。
そして、改めて眼前の戦いを注視する。レックスが剣を構え、対するワルドはもはや完全に引け腰だ。それも仕方ないことだろう――ワルドはもはや完全に打つ手無し、手詰まりなのだから。
と――そう思っていた、その時。
「……あれ?」
ルイズは、自分の視線の先にいるワルドの、その背後――そこに、何やら妙なものが浮かんでいるのが見えた。
まるで朝日の中に夜の闇が取り残されているかのような、小さな黒い点。それが、ワルドの背後にある。
あれは一体なんだろうか。ルイズはそれを尋ねようと、リュカの方に視線を向け――そこで、息を呑んだ。
余裕のあった表情から一転、見上げた先のリュカの顔は、目に見えて青褪めていた。
「……あ、あれ……は……! まさか、そんな……!」
「リュカ……?」
その視線の先は、ルイズが気付いた『黒い点』。
彼がこれほど狼狽するなど、尋常ではない。それほどまでに、あれは不吉なものなのか――そう思った瞬間、その『黒い点』は、ゆっくりと大きくなり始めた。
リュカの目が、クワッと大きく見開かれ、そして――
「ワルド子爵! 逃げろぉぉぉーっ!」
唐突に、大声で警告を発した、まさにその時。
――ぞぶり。
なにか、とても嫌な音が、ルイズの耳に届いた。
「がはっ……!?」
ワルドが、血を吐いた。
そして、ルイズは見た。その『黒い点』……いや、あのサイズでは既に『穴』だ。そこから、骨と皮だけのような節くれ立った青白く細い手が現れ、ワルドの胸を背中から貫いているのを。
突如として背後から貫かれたワルドは、何が起こったのか理解していない様子だ。だが、そんなワルドの静止した思考とは裏腹に、貫かれた胸からはとめどなく血が湧き出ている。
あの出血は……既に、致命傷だ。
「く……! 遅かった……!」
「お、お父さん……! あれ、まさか……!」
口惜しげにうめくリュカに、タバサが青褪めた表情で縋り付く。どうやら、彼女もあれに心当たりがあるようだ。
「リュカ、あれって一体――」
「――ほっほっほっ……」
「……!」
リュカに尋ねようとしたその言葉を遮るように、『黒い穴』から身の毛もよだつような低い声が聞こえてきた。
リュカに向けようとした視線を、慌てて元に戻す。すると、『穴』は更に拡大し、人一人が余裕で入れそうなほどにまでそのサイズを広げていた。
そして、その中から現れたのは、紫の法衣に身を包んだ異形の姿――
「いやはや……あなたには期待していたのですが、わたくしの見込み違いでしたかねぇ……? 引き際を間違えるとは、何とも無様なことだと思いませんか? ……ねぇ、ワルド子爵?」
フードを目深に被り、その顔は口元しか見えない。しかしその口元は嫌らしく笑い、自らが貫いたワルドに嘲笑を向けている。
しかしその言葉を向けられたワルドは、何も答えない。それどころか、何の動きも見せなかった。気を失っているのか、それとも――既に死んでいるか。
そんな紫の法衣の異形を、隣のリュカが顔に険を浮かべて睨み付ける。
「なぜだ……! なぜお前が生きている……なぜお前がここにいる……!」
ルイズには一瞬、それがリュカの口から出た言葉だとは思えなかった。
それほどまでに、その声音は普段の彼からはかけ離れていた。
「お前は死んだはずだ! 一年前のあの時、エビルマウンテンで、僕たちの目の前で……! お前が、生きているはずは、ないんだ……!」
そう――その声は、ルイズが今まで一度も聞いたことがないほど、怒りと憎悪に満ちた低い声であった。
「答えろ! ゲマぁぁぁぁぁーッ!」
叫ぶその先にいた紫の法衣の異形――ゲマは、ニタァッ、と口を三日月の形に歪めた。
#navi(日替わり使い魔)
#navi(日替わり使い魔)
グランバニア前大臣という人物の人柄について、リュカはほとんど知らない。
だがその手腕については、前国王にして現大臣であるオジロンから、よく聞いていた。
なにせ、先々代国王デュムパポスの出奔より20年近くの長い期間、オジロン前国王の補佐としてグランバニアを支え続けていたのだ。
多少強引な傾向はあったものの、その手腕は見事の一言に尽きた。オジロンからの又聞きであったにしても、その手腕についてはリュカ自身学ぶことが多かったほどだ。
決断力に乏しいオジロンに代わり、実質的に国のトップとして扱われていたのにも納得である。
しかし――彼は裏切った。
いつの頃からかはわからないが、彼は魔王の軍勢と通じていた。そしてリュカの妻フローラがレックスとタバサを出産したその夜、彼の手引きで城内に侵入した魔物により、フローラが誘拐されてしまったのだ。
デュムパポスの遺児であるリュカの帰還により、地位が脅かされるのを恐れたのかもしれない。あるいは、帝王学を一切学んでいなかったリュカが王位に就くことに、国の未来を憂えたのかもしれない。
しかし彼の真意がどうであれ、今ではそれを知る術などどこにもない。
だが、リュカは彼の根が悪人ではないことには、確信を持っていた。結局彼は、魔物に騙されていただけなのだと。
攫われたフローラを助けるために乗り込んだデモンズタワー。魔物たちに用済みと見做された彼は、その中で息絶えようとしていた。その時、彼が今わの際でリュカに向けた謝罪の言葉は、今でも耳に残っている。
そして、そんな彼と同じ眼差しを――今のワルドが持っている。
「……ウェールズ皇太子、こちらへ」
そのワルドを――正確にはその瞳を注視しながら、リュカはウェールズをルイズの方へと押しやる。そして自身も彼を守る形で、ルイズの元へと駆け寄った。
「リュ、リュカ……」
「ルイズ、無事で良かった。ワルド子爵はどうして……?」
「彼はレコン・キスタだったのよ。私と、私の持つ手紙と、あと……」
声を震わせながらたどたどしく説明しようとするルイズの口を、それ以上喋らないでいいと、リュカは手で制した。
実際、そこまで聞ければ十分だった。リュカが右目で見た光景とルイズの言葉、そしてウェールズが狙われたこの現状を見れば、ワルドの目的はおおむね察しがつく。
リュカの視線は、いまだにレックスと対峙するワルドに向けられていた。
タバサとホイミンは、自分と一緒にルイズとウェールズの護衛。シーザーは先程までステンドグラスの嵌っていた大きな窓の前に仁王立ちしたまま。プックルも心得たもので、こちらが何も言わずとも礼拝堂の入り口に陣取っていた。
出入り口は全て塞いだ。これでワルドは逃げられない。あとは捕まえるだけだ。
が――リュカはそれよりもまず最初に、どうしても聞いておきたいことがあった。
リュカは右手のドラゴンの杖を少しだけ持ち上げ、勢いをつけて石突部分で足元を叩く。
カーン、と杖が床を叩く甲高い音が、礼拝堂に思いのほか良く響き、全員の注目を集めた。
「ワルド子爵」
静かな声音で告げた声は、しかし全員の耳によく通った。
自分の名を呼ばれたワルドは、ほんのわずかにたじろいだようで、ピクリとした動きを見せた。
「一つだけ、聞きたいことがある。虚偽は許さん」
常になく平坦な声音で告げられた『命令』には、有無を言わさぬ王者の風格が、確かに篭っていた。
「貴公の誇りの在り処はいずこか」
「貴公の誇りの在り処はいずこか」
投げかけられたその問いに、ワルドは心臓を鷲掴みにされたような錯覚を覚えた。
この状況に至り、ワルドの思考は無茶苦茶にかき乱されていた。
脱出船に押し込んだはずの彼らがやってきたのも予想外なら、そもそも事が済む直前に間に合われてしまったのも予想外。
明らかに自分一人の手に余る彼らが来ては、任務失敗以外の未来が見えない。しかも脱出路は全て封じられてしまい、ここからの離脱すら困難を極める状況だ。
加えて、ルイズの使い魔――リュカが唐突に放った、有無を言わせぬ強大な圧力。昨晩会話した時には微塵も感じさせられなかった、格上の風格。
気を抜けば、膝を折ってかしずいてしまいそうな……そう、言うなれば王者の風格。彼には服従するしかない、そんな気持ちが嫌が応にも湧き上がって来る。
(だめだ――膝を折るな!)
ワルドは胸中で自身を叱咤する。
そうだ。膝を折るわけにはいかない。自分はここで終わるわけにはいかない。
だが今自分を囲う運命は、逃げ道が見当たらぬほどに高く厚い壁。
『どうしてこうなった』『子供だけを相手にすれば良いだけの簡単な任務だったはず』『なぜこいつらは、ことごとく俺の邪魔ばかりする』――自身に降りかかる不条理に、ワルドの胸の内からふつふつと怒りが湧き起こる。
――貴公の誇りの在り処はいずこか――
黙れ。貴様に何がわかる。この胸に誇りなど、もはやありはしない。
『聖地』に行く――その目標を絶対のものとして胸に宿したあの日から、忠義も恩義も愛国心も婚約者も、そしてあれほど大事にしていた貴族の誇りさえも、何もかもが取るに足りぬものと化した。
目的を達するためならば、何であろうと踏みにじろう。利用できるものは全て利用しよう。情など不要。愛などゴミ以下。自分以外の全ては、自分をその目的へと近付けるための駒でしかない。
「は……ッ!」
息を一つ、吐いた。
吐いた息と共に、体の強張りが少しだけ外に逃げた気がした。リュカの圧力を前に硬直していた体が、少しだけ動きやすくなる。
ワルドはリュカの視線を真正面から受け止め、それどころかその瞳に怒りの炎を灯らせて、相手を睨み付ける――その胸に下げたペンダントを、まるで縋るかのように強く握り締めて。
「誇りなど……持っていたところで、何の特にもならん!」
「ワ、ワルド……あなた……!」
嘲笑をその顔に貼り付け、リュカの圧力を撥ね退けんとばかりに杖を振り、語気荒く言い放った。その言葉に、リュカの隣にいたルイズが、驚愕と失望の入り混じった声を上げる。
そして、その言葉を受けたリュカ当人といえば――怒るでもなく悲しむでもなく、ただ無言で目を閉じた。
「お父さん……こいつは、ボクがやる。いいよね?」
怒りを押し殺したような声で、レックスが父に問う。その問いかけに、リュカは目を開け、無言で頷いた。
……この『閃光』のワルドを、子供一人に任せるつもりか。嘗めおって……!
そう思うが、口に出すのをなんとか堪える。新たに現れたリュカたち親子と彼らに引き連れられた使い魔たち――これまで見てきたレックスの実力を見るに、おそらくは誰一人をとっても、ワルドにとって決して油断をしていい相手ではあるまい。
嘗められても仕方のない戦力差。それを自覚し、ギリ、と奥歯を噛み締める。
と――
「……あなたではレックスには勝てない」
その心情を見て取ったのか、リュカが抑揚のない声で告げてきた。
その言葉は、ワルドにとって忌々しいことではあるが、想定内のものであったと言える。
「おとなしく捕まることです。悪いようにはしません」
「だとしても、俺にはやらねばならんことがある……! 俺の半分も生きていない小僧ごときに、遅れを取るわけにはいかん!」
そう言って、ワルドは再び眼前のレックスに視線を戻した。『エア・ニードル』を纏わせたレイピア型の杖を構え、戦いの姿勢を取る。
自身の放った言葉が、くだらない意地でしかないことはわかっている。目の前の子供に嘗められっぱなしなのが悔しいという思いはあるが、それに固執して引き際を見誤るわけにはいかない。
熱くなりそうな心を鎮め、冷静に周囲の状況を見やる……対峙するレックス以外は、観戦の構えだった。
よほどレックスの腕を信じているのだろう。とはいえ、各個撃破で敵戦力に穴を空ける以外に脱出の術を持たないワルドにとっては、一斉にかかってこられないのはむしろ好都合である。
「ゆくぞ小僧……今度は以前のようにはいかんぞ」
改めて眼前のレックスに注視し、宣言する。その言葉に、レックスは応えない。裏切ったことがよほど腹に据えかねたのか、怒りの篭った瞳でワルドを睨みつけ、ただ無言で剣を構えるのみだ。
そして――唐突に、レックスの足元が爆発した。
何のことはない。彼が地面を蹴っただけである。だが足元が爆発したと錯覚するほどにその踏み込みは常軌を逸し、気が付けば彼は目の前で剣を振りかぶっていた。
「くっ……!」
振り下ろされたその剣を、自身の杖で受け止めようとし――瞬間、全身に怖気が走り、杖の角度を斜めにすると同時に半身をずらす。
ズゴン! と音を立て、レックスの振り下ろした剣が床を“破壊”した。ワルドの構えた杖は剣を受けることなく、その軌道をわずかに逸らしたのみであった。
が――直後に聞こえた音は、断じて『剣』という武器が立てて良い音ではない。
ただの一撃で石造りの床が無残に破壊されている様を見れば、まともに受ければ防御ごと叩き切られるのは容易に想像できた。防御よりも回避を選んだ咄嗟の判断は、まさしく正しかったと言える。
そして同時、理解する。『女神の杵』亭での決闘――あれは、敗北のショックで決闘中の記憶がなくなったのではない。一瞬で勝負がついてしまった結果だったのだ――と。
(な、なんだこれは……! これが本当に、子供の力だというのか!)
ここまでくると、もはや本当に人間であるのかどうかすら怪しく思えてくる。
しかしそうやって戦慄している間にも、レックスは攻撃の手を休めてくれるわけではない。二回、三回と剣を振り、ワルドを追い詰めて行く。
ワルドにとって幸いだったのは、その一振り一振りが大振りで避けやすいということだろう。まるで人間よりも遥かに大きいものを相手にするような、そんな大味な剣の振り方がワルドの寿命を延ばしてくれる。
といっても、決して余裕を持って避けていられるわけではない。大振りとはいえ、スピード自体が尋常ではないのだ。避けるたびに生じる風圧がワルドの体力を削り、かすっただけでも大ダメージを予感させる威力は精神を削る。
(今はどうにか凌げているが、長期戦は不利……!)
ならば、早々に仕掛けるしかない。ワルドはそう判断し、魔法行使のために精神を集中させる。
(こいつらは確か、系統魔法の知識にはそれほど明るくなかったはず……ならば知るまい! 使い手そのものが希少な、『風』の奥義を!)
『閃光』とまで呼ばれるほどの自分の詠唱速度ならばいける。
ほんの一瞬の判断ミスが命取りなレックスの猛攻の中、ワルドは慎重に、確実に、しかし誰よりも速く、そのルーンを唱える。
詠唱が終わるか終わらないかといったタイミングで、繰り出されたレックスの剣を避ける。上段から振り下ろされた剣は再び床を叩き、その衝撃で一瞬の硬直が生じた。
その一瞬の硬直で、ワルドは一歩踏み込む。剣の間合いよりさらに内側へと。
密着するほどの間合いでは、お互い剣も振れないが――元より、ワルドは『エア・ニードル』を纏わせた杖を振るつもりではない。膝蹴りをレックスの腹に向けて放ち、その軽い体を少しだけ上方に打ち上げる。
「くっ……!」
(もらった……!)
しまったとばかりにレックスが声を漏らす。
生み出した一瞬の好機――その瞬間、ワルドは詠唱の完了していた魔法を解き放つ。
「ユビキタス・デル・ウィンデ!」
レックスの背後で風が三つ渦巻いた――かと思えば、次の瞬間には『三人のワルド』がそこにいた。
これぞ『風』の奥義、スクウェアスペル・『風の遍在』。
風はどこにでも遍在する。ゆえに風の最高位の使い手は、こうして風によって自身と寸分違わぬ分身を作り出せるのだ。
「え……!?」
さすがにこれは、レックスにも、観戦していたリュカやタバサにも、予想外の事態であった。当然の帰結として、レックスの顔が驚愕に彩られる――その驚愕によって、更にもう一瞬だけ、隙が増えた。
だがまだ足りない。ほんの少しだけ足りない。今のままでは、そして相手がレックスならば、このまま攻撃に転じても防御が間に合ってしまうだろう。
しかし、ワルドが作り出した『遍在』はこの三体だけではない。もう一体、『別の場所』に作り出した。
その最後の『遍在』が、今――!
「ぐあっ……!?」
「ウェールズ様!?」
「え!?」
レックスにとって、それは予想外の連続だったのだろう。聞こえたルイズの悲鳴に、レックスの意識がそちらを向く。
そこでは、リュカとタバサが守っていたはずのウェールズ皇太子が、その死角に作り出されたワルドの『遍在』によって――
――背中から『エア・ニードル』で貫かれていたところであった。
「ウェール……がぁっ!?」
咄嗟に、ウェールズの名を呼ぼうとしたレックス。だがその言葉は、直後に襲い掛かった衝撃によって遮られた。
『エア・ニードル』を杖に纏わせた三人のワルド。それが、それぞれ杖を前に突き出したポーズを取っている。その杖が向けられた先には、吹き飛ばされて礼拝堂の椅子に背を打ち付けているレックスがいた。
ウェールズが胸を貫かれた光景を目にしたレックスが動きを完全に止めた、その隙を見逃さず……ワルドは三体の『遍在』によって、攻撃を加えたのだ。
――『風の遍在』を唱え終えてから、ここまでおよそ2秒に満たず。
しかしワルドにとって、この一瞬の何と長かったことか。その全ての時間を思い描いた通りに我が物とできたことに、自賛の念を禁じ得ない。
とはいえ、だからといってまだ気を抜くわけにもいかない。それを証明するかのように、眼前のレックスの纏う鎧は、『エア・ニードル』を受けても傷一つついていなかった。
まったく、あの白銀の鎧は一体どれほどのマジック・アイテムだというのか。『遍在』三体の同時攻撃ですら、ただ吹き飛ばすだけに終わってしまうとは。
だが元より、ワルドはこの程度で終わるとは思っていない。三体の『遍在』が攻撃を加えたその時、本体は既に新たなルーンを唱えていた。
「ライトニング・クラウド!」
杖から放たれた雷が、容赦なくレックスに降り注ぐ。
ただの人間ならその一撃で即死しかねない強大無比な雷撃――しかし眼前の子供がこれ一撃で終わるような生易しい存在ではないことは、既に証明されていた。
ゆえに、本体がライトニング・クラウドを放ったその時には、四体の『遍在』――いや、ウェールズの胸を貫いた『遍在』は、合流することもできずにリュカによって即座に打ち倒されていたから、結局残り三体か。それが、新たにルーンを唱えていた。
「「「ライトニング・クラウド!」」」
更に三つの雷撃が、折り重なってレックスに襲い掛かった。
「が……あ……っ!」
搾り出すような苦悶の呻き。悲鳴さえ満足に上げることもできず、超高電圧によって肌を焼かれていくレックス。
いくらなんでも、これで死なないはずがない。背後にいるルイズもそう思ったのだろう。その光景に、「いやぁーっ!」と身も世もない悲鳴を上げていた。
だが、これで安心するわけにはいかない。どさくさに紛れ、目的の一つであるウェールズの暗殺は成し遂げた。この状況で一つだけでも目的を達成できたのは僥倖であると思いながら、脱出のためにきびすを返す。
が――
「……待て、よ……」
踏み出そうとしたその時、背後から『聞こえてくるはずのない声』が聞こえてきた。
今度は、ワルドの方が硬直する番となった。バカな。なぜだ。あれで生きているわけがない――と。
ゆっくりと振り返る。しかし果たして視界に入ってきたその光景は、ワルドの予測も希望も全てを覆し、しっかりと二本の足で床を踏み締め立ち上がる、レックスの姿があった。
「バ、バカ、な……」
肌も焼け爛れ、全身が赤黒い火傷に覆われている。たとえ生きていたとしても動けるはずのない重傷なのは一目瞭然。
だからこそ、それが立ち上がってこちらをしっかりと睨みつけている様が、完全に理解不能で――それゆえに、恐怖であった。
思わず「ば、化け物……!」と口からこぼれてしまうほどに――
「……あと一撃でも……同じのを、入れられていたら……さすがのボクも……耐えられなかったかもしれない……だけど、ボクは……こうして……生きている。心臓は……止まってなんか……いない……!」
息も絶え絶えにそう言って、レックスは自身の胸に手を当て、「ベホマ」と小さく唱えた。
すると彼の全身が淡い光に覆われ、次の瞬間にはまるで時間を巻き戻したかのように、無傷の肌に生まれ変わっていた。
バカな。これは一体何の悪夢だ――ワルドの脳は、もはやパニック寸前だ。殺したと思った相手が生きていて、死んでいるとしか思えない重傷でルーンを唱え、その傷が全てなくなるという奇跡としか思えない光景を披露した。
「……ミルドラースの炎の方が、よっぽど熱かった」
言って、レックスが一歩近付く。ワルドの足が一歩後退する。
「エスタークの剣の方が、よっぽど重かった」
もう一歩、レックスが近付く。ワルドの足も、また一歩後退する。
「だから、お前なんかに……」
レックスは足を止め、チャキッと音を立てて剣を構える。ワルドと『遍在』も、反射的に杖を構える。
数秒、睨み合い――だがすぐに、その均衡は崩れ去る。
「こ、この……!」
「お前程度の奴に……!」
恐怖に駆られ、ワルドが『遍在』を突撃させる。
それを正面から見据え、レックスが強靭な意志の力を感じさせる声を吐き出す。
「この、化け物がぁぁぁーっ!」
「お前程度の奴に、殺されてやるわけにはいかないんだああぁぁーっ!」
吠え、レックスはその剣を高くかざした。
すると、剣から凍りつくかのような青白い波動が放たれた。
その波動は礼拝堂を埋め尽くし、そしてそれが収まった時――
――ワルドの周りにいた『遍在』は、全て消失していた。
「勝負あったね」
隣に立つリュカの言葉を聞くまでもなく、ルイズもまた、同じことを思っていた。
数の優位をもたらす『遍在』を無効化されてしまっては、明らかに自力で劣るワルドに勝機はない。戦闘に関しては完全に素人であるルイズですら、それははっきりとわかってしまった。
が――ルイズはそれを、素直に喜ぶことができなかった。連続して起こる事態は、彼女の理解できる範囲を完全に逸脱していた。
――ワルドの裏切り。
幼い頃に憧れ、結婚の約束まで交わした誇り高い子爵様と、今目の前にいる誇りなき国賊が、どうしても結び付かない。なぜ? どうして? などと自問するだけでは絶対に答えの得られない疑問が、ルイズの中で渦巻く。
――そのワルドを圧倒したレックス。
強いということは知っていたが、ここまで常識外れの戦闘能力を持っているとは思ってもみなかった。あれが本当に人間の到達できる領域なのか、ルイズにはそれ自体が疑わしくさえ思えた。
――そして、ワルドの生み出した『遍在』によって、対応する間もなく殺されてしまったウェールズ。
その『遍在』は即座にリュカが打ち倒し、そんなリュカを見てルイズは「彼なら生き返らせられる」と思ったが、果たして今生き返らせて良いものかとも思う。彼の今日の決戦における決意を思えば、尚更に。
――死んだとしか思えない傷でなお生きていたレックス。
全身を醜い火傷の跡が覆い尽くしてなお立ち上がるその姿は、まるで死体が動いているように見えた。直前の人外じみた強さを見たのも相俟って、ルイズは一瞬、彼がとても恐ろしい怪物に見えてしまった。
――そして、そんな重傷を一瞬で完全に癒した魔法。
ハルケギニアの常識では考えられないその高速治療は、神の起こす奇跡か、はたまた悪魔の業(わざ)かと見まごうばかりだ。あんなものが実在していいのかと、そんな疑問さえ思い浮かぶほどだ。
――極めつけは、『風』の系統魔法にとって奥義と呼ぶべき『風の遍在』を、一瞬で無効化してしまったあの剣。
あんなもの、メイジにとって鬼門もいいところだ。その特殊効果と真正面から向き合うことになったワルドは、たまったものではないだろう。
それら事象の全てが、ルイズの理解を超えていた。彼女の内心は、あらゆる感情が混沌と渦巻き、自らが表すべき感情すらわからず――ありていに言って、混乱の極みにあった。
と――そんなルイズの頭に、ポンとリュカの手が乗せられる。
「ごめんね」
「え……?」
「きっと、聞きたいことがいっぱいあるんだと思う。僕たちは、ルイズたちからすれば、たぶん『異質』なんだろうから。ルイズの気持ちが落ち着いた頃に、改めて説明するよ。
だから、今はまだ何もわからなくていい……ただ、『もうすぐ終わる』ってことだけわかっていればいい」
――もうすぐ終わる。
ああそうか……と、ルイズの心にストンと落ちるものがあった。
子供の頃に憧れたワルドが誇りなき国賊と化したこと。リュカたち親子の異様な強さ。ウェールズ皇太子の命の行方。
わからないことは、確かに沢山ある。聞きたいことなど、山ほどある。
だが今は、それを悠長に聞いている場合ではない。貴族派の総攻撃の時間は、刻一刻と迫っている。
そして――そう。目の前の戦いは、既に終わりに向かっている。
ワルドさえ倒せば、一区切りが付く。シーザーの力を借りれば脱出はそれほど難しくないだろうし、ウェールズを生き返らせることもリュカたちの手にかかれば容易だろう。
(……死んでも手遅れじゃないなんて考えるあたり、私もリュカたちに毒されてきたかしら)
内心でつぶやき、自嘲する程度には余裕を取り戻せている……と、思いたい。その思考が自らの混乱ゆえかもしれないとは思わないでもないゆえ、余計に。
どうであれ、先程までよりは多少は落ち着いている事は確かだ。それを自覚し、自分を落ち着かせてくれたリュカに感謝する。
もっとも、頭に手を乗せられている状況はなんか気恥ずかしかったので、「子供扱いしないでよ」とその手を跳ね除けたが。
そして、改めて眼前の戦いを注視する。レックスが剣を構え、対するワルドはもはや完全に引け腰だ。それも仕方ないことだろう――ワルドはもはや完全に打つ手無し、手詰まりなのだから。
と――そう思っていた、その時。
「……あれ?」
ルイズは、自分の視線の先にいるワルドの、その背後――そこに、何やら妙なものが浮かんでいるのが見えた。
まるで朝日の中に夜の闇が取り残されているかのような、小さな黒い点。それが、ワルドの背後にある。
あれは一体なんだろうか。ルイズはそれを尋ねようと、リュカの方に視線を向け――そこで、息を呑んだ。
余裕のあった表情から一転、見上げた先のリュカの顔は、目に見えて青褪めていた。
「……あ、あれ……は……! まさか、そんな……!」
「リュカ……?」
その視線の先は、ルイズが気付いた『黒い点』。
彼がこれほど狼狽するなど、尋常ではない。それほどまでに、あれは不吉なものなのか――そう思った瞬間、その『黒い点』は、ゆっくりと大きくなり始めた。
リュカの目が、クワッと大きく見開かれ、そして――
「ワルド子爵! 逃げろぉぉぉーっ!」
唐突に、大声で警告を発した、まさにその時。
――ぞぶり。
なにか、とても嫌な音が、ルイズの耳に届いた。
「がはっ……!?」
ワルドが、血を吐いた。
そして、ルイズは見た。その『黒い点』……いや、あのサイズでは既に『穴』だ。そこから、骨と皮だけのような節くれ立った青白く細い手が現れ、ワルドの胸を背中から貫いているのを。
突如として背後から貫かれたワルドは、何が起こったのか理解していない様子だ。だが、そんなワルドの静止した思考とは裏腹に、貫かれた胸からはとめどなく血が湧き出ている。
あの出血は……既に、致命傷だ。
「く……! 遅かった……!」
「お、お父さん……! あれ、まさか……!」
口惜しげにうめくリュカに、タバサが青褪めた表情で縋り付く。どうやら、彼女もあれに心当たりがあるようだ。
「リュカ、あれって一体――」
「――ほっほっほっ……」
「……!」
リュカに尋ねようとしたその言葉を遮るように、『黒い穴』から身の毛もよだつような低い声が聞こえてきた。
リュカに向けようとした視線を、慌てて元に戻す。すると、『穴』は更に拡大し、人一人が余裕で入れそうなほどにまでそのサイズを広げていた。
そして、その中から現れたのは、紫の法衣に身を包んだ異形の姿――
「いやはや……あなたには期待していたのですが、わたくしの見込み違いでしたかねぇ……? 引き際を間違えるとは、何とも無様なことだと思いませんか? ……ねぇ、ワルド子爵?」
フードを目深に被り、その顔は口元しか見えない。しかしその口元は嫌らしく笑い、自らが貫いたワルドに嘲笑を向けている。
しかしその言葉を向けられたワルドは、何も答えない。それどころか、何の動きも見せなかった。気を失っているのか、それとも――既に死んでいるか。
そんな紫の法衣の異形を、隣のリュカが顔に険を浮かべて睨み付ける。
「なぜだ……! なぜお前が生きている……なぜお前がここにいる……!」
ルイズには一瞬、それがリュカの口から出た言葉だとは思えなかった。
それほどまでに、その声音は普段の彼からはかけ離れていた。
「お前は死んだはずだ! 一年前のあの時、エビルマウンテンで、僕たちの目の前で……! お前が、生きているはずは、ないんだ……!」
そう――その声は、ルイズが今まで一度も聞いたことがないほど、怒りと憎悪に満ちた低い声であった。
「答えろ! ゲマぁぁぁぁぁーッ!」
叫ぶその先にいた紫の法衣の異形――ゲマは、ニタァッ、と口を三日月の形に歪めた。
#navi(日替わり使い魔)
――――おまけ――――
某ロマサガ風のレックスvsワルド画像の完全版をうp
画像内の数字は元ネタになってるロマサガ準拠。DQ準拠にするなら、ワルドのHPは半分以下になりますw
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&ref(higawari2.jpg)
真フォルネウスを改造してレックスにしたら、フォルネウスの面影がマントとポーズしか残らなかったよ!
ワルドの立ち絵はトーマス、蹴り絵はミカエル+ロビン、帽子はウォードから取って配色その他をちょこちょこと調整。
コマンドウィンドウも全部サンプル取って組み合わせました。
この画像のBGMは、以下のものからお好きにお選びくださいw
・ゼロ魔なんだから、やっぱりアニメ一期からそれなりに緊迫感のあるBGMをチョイス
・DQ5としてはボス戦BGM『不死身の敵に挑む』が外せない
・画像の元ネタを考えれば、四魔貴族バトル1or2を推したいね
・無理ゲー的に、クリアまでは眠らない!orエアーマンが倒せないだろjk
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