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「日替わり使い魔-15」(2010/11/18 (木) 18:16:20) の最新版変更点
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#navi(日替わり使い魔)
――ウェールズの私室を辞してその後。
彼と二人で話している間に、ルイズたちは自分たちに宛がわれた部屋へと戻っていたらしい。彼女たちの姿は、近くには見当たらなかった。
そのことに、リュカはわずかならぬ安堵を覚える。今はただ、一人になりたい気分だった。
とはいえ、ルイズたちをあまり待たせるわけにもいかない。少しだけ立ち止まり、静かに目を閉じて心を落ち着かせる。表面上はなんとか平静な様子を維持できそうだ――そう自己判断できる程度にまで落ち着いた頃、リュカは再び歩き始めた。
しかしその足も、すぐに止まることになる。歩き出そうとしたその視線の先に、人の気配を感じたからだ。
その人物を視認できる距離まで近付くと、果たしてそれはワルド子爵であった。
「ワルド子爵……」
「リュカ君か。ちょうどよかった」
「どうしたんですか、こんなところで」
彼とは既に、自己紹介は済ませてある。そのリュカの問いに、ワルドは 「いや、君に伝えておきたいことがあってね」 と前置き、リュカがここに到着する以前にウェールズと個人的な会話を交わしていたことを話した。
そんな彼が話したその内容とは、翌朝にルイズとの結婚式を挙げるという話であった。
彼はウェールズ皇太子に立会人として司祭役を頼んでおり、そしてそれは快諾されたという。死に往く前に、他者の幸福な門出に立ち会える光栄に、心底喜んでいた――とは彼の弁だ。
早過ぎる、とは思わなかった。リュカ自身、フローラと結婚したのは、今のルイズとそう変わりない年齢でのことだ。
あの時の盛大な式を思い出し、リュカの頬は自然と綻ぶ。
「ご結婚とはめでたいことですね。おめでとうございます、ワルド子爵」
「ああ、ありがとう」
「式には僕たちも出席しましょう」
「いや、それには及ばない。この状況だ、君たちは王党派の船で、一足先に脱出したまえ。……なに、大丈夫だ。僕とルイズだけなら、後からでもグリフォンで脱出できるよ」
「それを言うなら、僕たちにもシーザーがいるんですが」
「おおっと、そうだったか」
安全策を取ろうとするワルドに、リュカはシーザーの存在を口にしてやんわりと拒否を示す。その反論に、ワルドは一本取られたとばかりに朗らかに笑った。
「……しかし、先ほど見たところ、君のドラゴンは相当疲弊していたはず。大事を取るなら、あまり無理をさせずに船で休ませた方が良いのではないかね?」
「そうですね……」
そのワルドの指摘に、リュカは顎に手を当てて考え込む。
確かにシーザーの疲労は深刻だ。一晩経てばだいぶ回復できようが、それとて完全という保証はない。
リュカは右手の甲に刻まれたルーンに視線を落とす。このルーンの力が本当にリュカの予想通りであったのであれば、たとえ完全に回復できいなくとも、シーザーの能力を十二分に発揮させることは可能だろう。
だが――
「…………」
「……リュカ君?」
唐突に黙り込んだリュカに、ワルドが訝しげに眉根を寄せて名前を呼ぶ。
その声にリュカはハッとしたように顔を上げ、小さくかぶりを振ると、取り繕うかのように再びその表情に微笑を浮かべた。
「……わかりました。シーザーを休ませるという意味でも、僕たちは先に戻らせていただきます」
「悪いね。君がルイズの使い魔である以上、本来なら式に出るべきであろうに」
「いえ、お気遣いありがとうございます。そちらも、脱出にはお気を付けて」
そして二人は固く握手を交わすと、ワルドは 「それでは、僕は寝る前にグリフォンの様子を見てくるよ」 と告げ、その場を去って行く。
リュカはしばし、その後姿を見送って――
(……それにしても、あの目……どこかで……?)
――自分でもよくわからない既視感を覚え、胸中でしきりに首を捻っていた。
ワルド子爵とはそれほど多く会話を交わしたわけではないが、少し話した感じからすれば、それほど悪い人物には見えない。ルイズとは元々からして婚約者だという話だが、それにリュカが口を挟むいわれはないし、そうするべき理由もない。
ただ――リュカにはワルドの眼差しが、いつかどこかで見た誰かに似ているような気がしたのだ。それが原因かどうかはわからないが、何やらモヤモヤとした嫌な感覚が、胸中で渦巻いているのを感じる。
しかし、リュカの胸中にしこりを残す、ワルドと似た眼差しを持つ者――それが誰だったのか、まるで思い出せない。それがもどかしくて、せっかく落ち着かせていた心が再びざわついていた。
部屋へと戻り、扉を開ける。
そして彼を出迎えたのは、一斉にこちらに顔を向ける三対の視線――言わずもがな、この部屋にいる全員の視線だ。
「……どうだった?」
神妙な面持ちで尋ねてくるルイズに、しかしリュカは首を横に振る。
その動作だけで、全て察することができたのだろう。リュカを見る三人は、揃って沈痛な表情になって顔を俯かせた。
だが、それも束の間。その中において、レックスが一人、真っ先に顔を上げてリュカを真っ直ぐに見詰めた。
「お父さん! ウェールズ王子を助けてあげようよ!」
それと共に飛び出したその言葉に、リュカは内心、「やっぱり言い出したか」 と思いながら、小さくため息を吐く。
レックスの言わんとしていることは、わからないでもない。そしてそれを可能とするだけの能力が、自分たちにはある。
だが――
「ダメだ。それは許さない」
そう、ダメなのだ。ウェールズの気持ちを考えても、彼ら王党派と自分たちトリステイン大使の立場を考えても、そして何よりレックス自身の立場を考えても、それを許すわけにはいかない。
しかし――そんなリュカの言葉も、レックスの気持ちを逆撫でするだけだったらしい。
「なんでだよ! お父さんは、ウェールズ王子が死んでもいいっていうの!?」
と、彼は更に語気を荒げ、詰め寄ってきた。
(――わかっていない)
リュカは胸中でため息をつく。常であれば、リュカがわざわざ言うまでもなく、わかっていたであろうことなのに。
とはいえ、レックスはなんだかんだと言ってもまだ子供である。あの旅の中で手にした想いを一時の感情で失念することがあっても、仕方ないことなのだろう。
リュカは胸中でこっそりともう一度ため息を吐きながら、あえて冷たい口調を意識し、レックスに現実を突き付ける。
「そういう話じゃない。レックスは、この城に立て篭もる三百人を救うため、五万の命をその手にかけるつもりか?」
そして今度こそ、レックスは反論する言葉を失ったようである。頭に血が上って若干赤くなっていた顔が、その色を元に戻していた――いや、あるいはそれよりも少しだけ青褪めているかもしれない。
命を奪う――そんなこと、レックスは考えにも入れてなかったことだろう。魔物と戦い続けたあの旅の日々ですら、直接的に命を奪ったことなど片手で数える程度。具体的には、ゴンズ、ラマダ、ゲマ、ミルドラースの四匹だけである。
道中で遭遇した魔物は、決して殺しはしない。リュカたちからしてみれば、戦いが終われば友達になれるかもしれない者たちだ。殺すなどもってのほかであった。
そしてそんなレックスが、人間同士の戦争に参加し、魔物ですらない人間を殺す。その可能性を突き付けられた彼の胸中が、今どのように渦巻いているのかなど、想像に難くない。
が――だからと言って、ウェールズを見捨てる道など、レックスには選べないだろう。
リュカのその予測が正鵠を射ていたことを証明するかのように、レックスが再び口を開き――
「こ、殺す必要なんてない! 気絶させるだけでも――」
「そうして無防備になった相手を、王党派の兵は見逃さないだろうね。なにせ、絶望的な戦力差を覆すためには、一兵でも多く敵を減らさなければならないのだから」
「…………ッ!」
その反論を一瞬で叩き潰すと、今度こそレックスは押し黙った。
人が死ぬ。自分がそうさせまいとしても、自分の意思とは関係なしに、自分がその一因となってしまう。
容赦なく突き付けられたその未来予想図に、レックスは反論する言葉も知識もない様子だった。そんな彼に、リュカは更に畳み掛けんと言葉を続ける。
「レックス。忘れているようだから言うけど、君は 『象徴』 なんだ」
「象徴……?」
「そう。象徴だ。人類の、そして世界の守護者として使命を背負って生まれてきた君は、平和の象徴だ。
だからこそ、君は絶対にその手を血に染めてはいけない。そこにどんな理由があろうとも、人の命を奪う者であってはならない。人類に危害を加える存在になってはならない。
もしそれに例外があるとすれば、それは無為に不幸を振り撒き、平和を脅かす存在だけだ。
自らの欲望のために他者を不幸に陥れる――そういう存在に相対したとき、それが人であれ魔物であれ、君は真っ先に立ち向かわなければならない。
……わかるかい? その原則を破ってしまえば、君はただの 『強大な力を持っただけの人間』 と見られることになる。いつかその剣が自分に向けられるんじゃないかと、人々に恐れられることになる。
子供だからとか、まだわかっていないからとか、そんな言い訳は人々に受け入れてもらえない。通用しない。だから、理解していないといけないんだ。
思い出すんだ……君はあの旅の中で、それを知ったはずなんだから」
ゆっくりと、わかりやすいように諭すと、レックスはその言葉をちゃんと飲み込んでくれたようで、思考の海に没頭し始めた。
――それでいい。リュカはそんな聡い息子の様子に満足げに微笑を漏らす。
本当は勇者など関係なく、ただの子供として過ごしてもらいたかった。しかしそれも平時であればこそ。こんな場面に居合わせてしまったら、どうしてもこういうことを考えなければならなくなる。
勇者の使命とは、本当にままならないものである。いくら親が普通の子供たれと願っても、そう簡単にはいかせてはもらえないのが世の常ということか。
と――
「ねえ」
レックスが口を閉ざして悩み始め、リュカが親としての葛藤に頭を悩ませたその時、口を挟む頃合だと思ったのであろうルイズが横から声をかけてきた。
その声を受け、リュカがそちらに振り向く。
「ん?」
「今の会話、ちょっとよくわからなかったんだけど……レックスが象徴とか、世界の守護者とか。どういうこと?」
「ああ……うん、まあ、隠すほどのことでもないんだけど……」
その疑問に、リュカはどう説明したものかと考えながら、言葉を濁した。そんな彼の態度に、ルイズは苛立たしげに眉根を寄せ、一歩詰め寄った。
「……なんか、歯切れ悪いわね? 隠すほどのことでもないんなら、言えばいいじゃない」
「うーん……正直なところ、この話ってアルビオンの情勢に何の関係もないんだ。だから、できればこの任務が終わった後、落ち着いた頃にでも話すべきだと思ってるんだけど。今は余計なことは、ちょっと……ね」
その返答に、ルイズは眉根を寄せたまま、じっとリュカを睨む。
しかし、こうは言ったものの、リュカは本当に話すべきかは、いまだに結論を出せずにいた。
彼ら一家の身分は、実は公爵家であるルイズよりも高い王族である。しかし彼は、このハルケギニアで出来た友人・知人に、身分の違いで遠慮してもらいたくないのだ――それがたとえ、問題の先送りに過ぎないとしても。
そしてルイズは、リュカをしばらく睨み続け――やがて、根負けしたかのように 「はあ」 と盛大にため息をついた。
「……わかったわよ。確かに今は、考えることをこれ以上増やしたくないわね。けど、後で絶対に話してもらうわよ」
よほどウェールズのことで参っているのか、いつになくあっさりと引き下がるルイズ。その態度に、リュカは内心で少しだけ安堵する。
この話題は、あまり長引かせてもらいたくない。リュカはそう思い、話題の転換をしようと、ほんの少しだけ思考を巡らせた。
そして、そのための話題は思いのほかあっさりと見つかった。ここに戻ってくる途中で、ワルドから聞いたあの話があったではないか。
ちょうどいいと思い、彼はその話を口にする。
「ああ――そういえばさっき、ワルド子爵に会ったんだけど、聞いたよルイズ。結婚するんだって? おめでとう」
「結婚……?」
リュカが口にした言葉に、しかしルイズは怪訝そうに眉根を寄せる。
「もしかして……私とワルドが婚約者だってこと聞いたの?」
「うん。それで、結婚するって」
「……まだ、結婚なんてできないわ」
そう言って、ルイズは力なく首を横に振る。
「私はまだ、立派なメイジになんてなれていない。私が目指した貴族の姿になんて、ぜんぜん届いていない。そんな私が、結婚なんてできないわ」
その言葉にリュカは、ああそうか――と胸中で一つのことに思い当たる。
思い出すのは、ミス・ロングビルのゴーレムと対峙した時。あの時の戦いで、リュカはルイズの持つコンプレックスをまのあたりにした。
人一倍努力を怠らないルイズは、いまだ結果の出せない自分が許せないままなのだろう。そんな自分が結婚という幸せを享受するのは、あるいはそれまでの自身の努力に背を向ける行為だと思っているのかもしれない。
その誇り高さがルイズの美点であり、しかし同時に、それがルイズ自身を自縄自縛に陥らせている。
不器用な子だな、と思う。そしてそんな彼女だからこそ、リュカは思うのだ。きっと笑顔が似合うであろう彼女に、いつまでも沈んだ表情でいてもらいたくないと。
だから――
「してみなよ」
「え?」
「してみなよ、結婚」
リュカは、ルイズに結婚を勧めることにした。そうすることで、ルイズの視界に新しい展望が開けることを願って。
その言葉を投げかけられたルイズは、虚を突かれたかのように、ぽかんとした顔になった。
「今までと違う環境になれば、今までにはない新しい何かが、きっと見えてくるはずだよ。結婚したからって言って、今までの自分も、これからの自分も、何も否定することにはならないんだからさ」
「何よそれ……経験論ってやつ?」
「まあ……そうかな?」
婚約者というからには、お互い憎からず想い合っていることは確実だろう。少なくとも、リュカはそう思っていた。
実際のところ、その判断はズレたものではあったのだが、あいにくとここでそれを指摘する者はいない。
だからこそ、リュカは気付かない。
たった今、ほんの――ほんの少しだけ、ルイズの表情に影が差したことに。
「結婚しても、生き方を変える必要はないさ。子供が出来れば話は別にしても、それまではそこまで硬く考える必要はない。ルイズが目標にする 『立派なメイジ』 に至る道だって、もしかしたらワルド子爵が見せてくれるかもしれないんだからさ。
少なくとも、僕はそうだった。つらい旅で乾いた心が、フローラと一緒になることで潤いを取り戻した。守るべき伴侶を得たおかげで、それまで気付けなかったいくつもの事柄に気付けた。
それだけじゃない。結婚することで得た人脈が僕の旅の幅を広げ、僕は僕の人生の目標のために、更なる世界に旅立つことができた」
「…………そう」
ルイズは俯き、リュカの言葉を受け、小さく相槌を打つ。
そして――
「わかったわ。結婚、する」
リュカの説得が功を奏したのか、ルイズはワルドとの結婚を承諾した。
その声が妙に平坦に聞こえたのが、少し気になったが――その返答を聞いたリュカは、にっこりと満面の笑みを浮かべた。
――ルイズがその時小さく呟いた、「バカ……」 の一言は耳に入らずに――
明けて翌日――城の礼拝堂には、三つの人影があった。
壇上に立つのは、皇太子としての礼服に身を包んだウェールズ皇太子。そして、その前に立つ、ルイズとワルド。
ワルドの服装はこれまでと変わりないが、ルイズは少々違っていた。アルビオン王家の新婦の冠を頭に乗せ、普段の学院指定の黒いマントはなく、代わりに純白のマントを身に付けていた。
ウェールズの、「では、式を始める」 という宣言が、礼拝堂に朗々と響く。
彼が定例通りの詔(みことのり)を読み上げるのを前に、新婦たるルイズは浮かない顔で思考の海に没頭していた。
(リュカのバカ……)
脳裏に浮かぶのは、昨晩嬉しそうに結婚を勧めてきた使い魔の顔。
ルイズは最初から、この結婚に乗り気ではなかった。しかし彼は、そんな彼女の心中を知ってか知らずか、結婚について自身の体験を交えて諭すように語った。
――すぐ近くから、ワルドの 「誓います」 という声が聞こえてきた。
あの時は、こっちの気持ちも知らないでと、リュカに対する反感ばかりが募った。売り言葉に買い言葉――と言うほど激しいものではなかったが、彼の説得に対して 「もうどうにでもなれ」 ぐらいの気持ちで結婚を承諾してしまった。
もういいわ。あんたがそこまで言うなら、結婚してやろうじゃないの――そんな感じである。
なぜそんなヤケクソみたいな気持ちになったのか、実のところ彼女自身わかっていなかった。
ワルドのことは嫌いではない、むしろ好きな方ではある。彼と結婚することは、幼い頃から思い描いていた幸せの形であったはずだ。ゆえに、使い魔から結婚を勧められても、そんなささくれ立った気持ちになるいわれは無いはずだった。
――ウェールズの詔(みことのり)は続く。次はルイズが愛を誓う番だ。
だったらなぜ、こんな気持ちになるのだろう。なぜ自分は、この結婚にいまだに乗り気になれないのだろう。
ウェールズの説得に失敗したから? 滅び行く王国に対し、自分が無力だから? それとも、いまだに 『立派なメイジ』 にこだわっているから?
一つ一つ心当たりを挙げてみる。どれも正解であるような気がしたが、しかしどれ一つを取ってもしっくり来ない。
ならば、他には?
更に自問してみたら――不意に、脳裏にリュカの笑顔が浮かんできた。
(あ……)
と――その瞬間、パズルの最後のピースが嵌ったかのように、ストンとルイズの胸に落ちるものを感じた。
――いつも笑顔を絶やさずに優しいリュカ。
――自身が実家で忙しいにもかかわらず、離れていても常にこちらを気遣ってくれるリュカ。
――いざという時には頼りになる力強いリュカ。
――道を間違えそうになった時は導いてくれるリュカ。
今まで目にしてきた、色々なリュカの姿が脳裏に蘇る。そう――きっと自分は、リュカのことが好きなのだ。それも、主従としてではなく対等な人間として。
それが友情なのか憧憬なのか、それとも――これはないと思いたいが――恋愛感情によるものなのかはわからない。だけど今、自分はワルドをリュカ以上の男とは思えていないのは間違いない。
――そうだ。
今の自分にとって、ワルドは決して一番などではないのだ――
「新婦?」
ルイズが思考に没頭している間に、式はいつの間にか進んでいたのだろう。
誓いを求める文言の後、ずっと沈黙を続け返答をしないルイズに、不審なものを感じたのであろうウェールズが声をかけてきた。
ルイズは顔を上げ、正面に立つウェールズを真っ直ぐに見つめた。そして、はっきりと意志の篭った瞳を向け、ゆっくりと首を横に振る。
「誓えません」
「ルイズ……?」
その言葉に、ワルドは信じられないと言うように、上ずった声を上げた。
一方その頃、ニューカッスル城のとある屋根の上――
「うわあ……こうして見ると、凄い数だなぁ」
二人の子供とプックルを従え、遠くに見えるレコン・キスタ五万の軍勢を見ながら、リュカは感嘆の声を上げた。
昨晩、ワルドに対して先に船で帰ることを承諾したものの、リュカは素直に帰るつもりは毛頭なかった。
無論、この戦いに関与しないという前言を翻すつもりはない。ただ、ウェールズの死に様を見届けたいという個人的感情からである。
そしてもう一つ、リュカたち親子はともかく、シーザーはサイズの関係上、脱出船に乗り込むことはできないのだ。
ただでさえ難民で溢れ返っている脱出船に、余計な迷惑はかけられない。こちらにはルーラがあることだし、ギリギリまで粘っていたところで問題はなかった。
その上でなお問題と言うのであれば、それはむしろ――
「レックス、いい加減に機嫌直しなよ」
「……ボクはいつも通りだけど」
ムスッとした顔で言われても説得力はない。隣で仏頂面になっている息子に、リュカはやれやれと肩をすくめる。
どうも彼は、ルイズが今まさに結婚式を挙げているという現実に、不快感を覚えているようだ。ウェールズを助けることができないという状況も相俟って、彼の機嫌は絶賛低空飛行中である。
息子がルイズに淡い想いを抱いていたことぐらいは、傍で見ていてわかること。親としては応援してやりたいところだが、相手に婚約者がいるとなれば話は別だ。
こういった苦い経験も人生の一つ――と言いたいところだが、あいにくとリュカは幸か不幸か失恋の経験などなく、今のレックスにかけるべき言葉など持ち合わせていない。
助けを求めるかのように、彼は娘の方へと視線を向け――
「……タバサ?」
レックスと同じような仏頂面になっているのに気付き、不審に思った。
レックスが不機嫌なのはわかる。しかし、タバサが不機嫌になる理由がわからない。ウェールズを助けられないその一点が悩みだとしても、そうであれば、彼女が見せる感情は不機嫌ではなく悲哀であるはずだ。
「タバ――」
「私、ルイズさんの結婚に反対です」
もう一度声をかけようとしたその時、リュカの声を遮るように、タバサがはっきりとした声で言った。
「ワルド子爵からは、邪気を感じます。何か良くないことを考えている人が持つ邪気を」
「邪気……だって?」
彼女が生まれつきそういったものに敏感なのは、リュカも承知していた。その直感に助けられたことは、あの旅の中でも、そしてその後の王宮での生活の中でも、何度もある。
その彼女が、ワルドに対してはっきりと 「邪気を感じる」 と言った。リュカが悪い青年ではないと感じた、あのワルドを指して。
一体どういうことだろうか。ルイズは騙されて婚約をしたというのか。あの誠実そうな態度は、ただの仮面だったというのか。
レコン・キスタに囲まれたこの城まで、レックスたちと一緒にルイズを守り通してきた、あの勇敢な魔法衛士の青年が――?
と――その時。
「…………ッ!?」
唐突に、リュカの体が硬直した。その小さな異変に、レックスとタバサは目ざとく感付き、「お父さん?」 と寄って来る。
何だこれは、と声に出さずに疑問を抱く。
異変はリュカ自身の右目にあった。左目の視界には自分を心配する息子と娘の顔が映っているが、右目の視界に映る景色がまるで違う。
最初は、霞がかったぼやけた像が映し出されていた。曇り硝子のようなその視界に、最初は目の病気かとも思ったが、ぼやけた像は次第にその姿をはっきりとさせていく。
やがて、それが明確な像を結んだその時、その視界に映るものはワルドの顔だった。背景からして、場所は礼拝堂といったところか。
「これは……まさか、ルイズの視界……?」
初めて召喚された最初の夜に説明されたことを思い出す。
使い魔はメイジの目となり耳となる――その言葉を思い出しながら、正常な左目で右手の甲に視線を落とした。果たしてそこには、突如として強い光を放つようになった使い魔のルーン。
間違いない。これは確かに、ルイズの視界だ。今までこんなことはなかったのに、このタイミングで突然こんなことが起こっていることに、何やら嫌な予感が膨れ上がる。
リュカは左目を閉じ、右目に映るルイズの視界に意識を集中する。あいにくと、音声までは伝わってこないが――どうやらルイズは、ワルドに詰め寄られているようだった。
(この目は……!)
ルイズに詰め寄るワルドの目。どこかで似た目を見たことがあると思った、その目。
いまだに思い出せない。喉元まで出掛かっているのに、一向に出てこないもどかしさ。しかしその目は、何故か取り返しのつかない未来を予感させた。
――ギリ、と。
リュカは手に持ったドラゴンの杖を、強く握った。
「レックス! タバサ! すぐに礼拝堂に向かう!」
「え!?」
「どうしたの、お父さん!?」
リュカはそう言うと、説明する暇もないとばかりに、戸惑う子供たちを尻目に走り出す。レックスとタバサは、「ま、待ってよ!」と言いつつ、リュカに続いて走り出した。
右目に映る景色は、ルイズの目の前で起こっている事態が容赦なく進んでいることを示している。
詰め寄るワルドを制止しようとしたウェールズが突き飛ばされ、嘘で塗り固めた笑顔がルイズに向けられる。
やはり――と、事ここに至って、リュカはワルドが何か良からぬことを考えていると確信した。
間に合うか……? いや、間に合わせてみせる。
「プックル! シーザー!」
そのリュカの声に応え、プックルが三人と並走を始める。プックルは走りながら、レックスの襟首をくわえて自らの背に乗せ、次いでタバサも同じように背に乗せた。
そしてリュカとプックルは、同時に屋根を蹴って空中に躍り出る。そこにはホイミンを頭に乗せ、翼をはためかせて飛ぶ、シーザーの背があった。
リュカとプックルが揃ってその背に降り立つと、「礼拝堂に!」 というリュカの声を受け、シーザーが旋回する。
ニューカッスル城を大きく一回りし、正面に見据えるのは一枚の大きなステンドグラス。
右目に見えるワルドは、唇を動かしながら指を一本立てている。
そして二本目の指を立てた時、その背後にいるウェールズの表情が驚愕に染まり、杖を構えた。
「行けッ、シーザー!」
「グオオオオォォォォッ!」
もはや一刻の猶予もない。リュカの言葉に応え、シーザーが雄叫びを上げてステンドグラスに頭から突っ込む。
大きな音を立てて割れたステンドグラスの向こう側――そこでは今まさに、ワルドが自らの杖たるレイピアを引き抜くところだった。
突如として割れたステンドグラスと、それと共に飛び込んできたドラゴン。予期せぬその事態に、礼拝堂にいた全員が一瞬だけ硬直する。そして、飛び込んだリュカたちにとっては、その一瞬さえあれば十分であった。
「うおおおおおおっ!」
いち早く、レックスがシーザーの背から飛び降りる。
そのアクションにワルドが反応し、思い出したかのようにレイピアをウェールズに向けて突き出すが―― 一瞬だけ、遅かった。
ガキンッ! と音を立てて、レックスの天空の剣がワルドのレイピアを受け止めた。
しまったとばかりに表情を歪ませるワルド。受け止めたレックスの背には、杖を構え驚愕の表情を浮かべるウェールズ。レックスから一拍遅れ、リュカたちが礼拝堂の中へと降り立った。
そして――リュカは、レックスの眼前にいるワルドを、その目で直接見た。
ウェールズに刃を向けるワルド。
経緯はわからないが――“裏切り者”となったであろう、ワルド。
(……そう……か……!)
裏切り者。そのフレーズが最後の一押しとなり、喉まで出掛かっていた記憶を呼び起こす。
今のワルドと同じ目をした、過去の誰か。
それは――その男は――
「何の……」
レックスの眼光が、目の前のワルドを射抜く。
「何のつもりだアンタはァァァァァァァァァッ!」
レックスは力任せに天空の剣を振るい、受け止めたレイピアごとワルドを後方へと吹き飛ばした。
その男とは――故グランバニア大臣。
魔物と通じ、リュカを陥れた末にその魔物に始末された、哀れな男である――
#navi(日替わり使い魔)
#navi(日替わり使い魔)
――ウェールズの私室を辞してその後。
彼と二人で話している間に、ルイズたちは自分たちに宛がわれた部屋へと戻っていたらしい。彼女たちの姿は、近くには見当たらなかった。
そのことに、リュカはわずかならぬ安堵を覚える。今はただ、一人になりたい気分だった。
とはいえ、ルイズたちをあまり待たせるわけにもいかない。少しだけ立ち止まり、静かに目を閉じて心を落ち着かせる。表面上はなんとか平静な様子を維持できそうだ――そう自己判断できる程度にまで落ち着いた頃、リュカは再び歩き始めた。
しかしその足も、すぐに止まることになる。歩き出そうとしたその視線の先に、人の気配を感じたからだ。
その人物を視認できる距離まで近付くと、果たしてそれはワルド子爵であった。
「ワルド子爵……」
「リュカ君か。ちょうどよかった」
「どうしたんですか、こんなところで」
彼とは既に、自己紹介は済ませてある。そのリュカの問いに、ワルドは 「いや、君に伝えておきたいことがあってね」 と前置き、リュカがここに到着する以前にウェールズと個人的な会話を交わしていたことを話した。
そんな彼が話したその内容とは、翌朝にルイズとの結婚式を挙げるという話であった。
彼はウェールズ皇太子に立会人として司祭役を頼んでおり、そしてそれは快諾されたという。死に往く前に、他者の幸福な門出に立ち会える光栄に、心底喜んでいた――とは彼の弁だ。
早過ぎる、とは思わなかった。リュカ自身、フローラと結婚したのは、今のルイズとそう変わりない年齢でのことだ。
あの時の盛大な式を思い出し、リュカの頬は自然と綻ぶ。
「ご結婚とはめでたいことですね。おめでとうございます、ワルド子爵」
「ああ、ありがとう」
「式には僕たちも出席しましょう」
「いや、それには及ばない。この状況だ、君たちは王党派の船で、一足先に脱出したまえ。……なに、大丈夫だ。僕とルイズだけなら、後からでもグリフォンで脱出できるよ」
「それを言うなら、僕たちにもシーザーがいるんですが」
「おおっと、そうだったか」
安全策を取ろうとするワルドに、リュカはシーザーの存在を口にしてやんわりと拒否を示す。その反論に、ワルドは一本取られたとばかりに朗らかに笑った。
「……しかし、先ほど見たところ、君のドラゴンは相当疲弊していたはず。大事を取るなら、あまり無理をさせずに船で休ませた方が良いのではないかね?」
「そうですね……」
そのワルドの指摘に、リュカは顎に手を当てて考え込む。
確かにシーザーの疲労は深刻だ。一晩経てばだいぶ回復できようが、それとて完全という保証はない。
リュカは右手の甲に刻まれたルーンに視線を落とす。このルーンの力が本当にリュカの予想通りであったのであれば、たとえ完全に回復できいなくとも、シーザーの能力を十二分に発揮させることは可能だろう。
だが――
「…………」
「……リュカ君?」
唐突に黙り込んだリュカに、ワルドが訝しげに眉根を寄せて名前を呼ぶ。
その声にリュカはハッとしたように顔を上げ、小さくかぶりを振ると、取り繕うかのように再びその表情に微笑を浮かべた。
「……わかりました。シーザーを休ませるという意味でも、僕たちは先に戻らせていただきます」
「悪いね。君がルイズの使い魔である以上、本来なら式に出るべきであろうに」
「いえ、お気遣いありがとうございます。そちらも、脱出にはお気を付けて」
そして二人は固く握手を交わすと、ワルドは 「それでは、僕は寝る前にグリフォンの様子を見てくるよ」 と告げ、その場を去って行く。
リュカはしばし、その後姿を見送って――
(……それにしても、あの目……どこかで……?)
――自分でもよくわからない既視感を覚え、胸中でしきりに首を捻っていた。
ワルド子爵とはそれほど多く会話を交わしたわけではないが、少し話した感じからすれば、それほど悪い人物には見えない。ルイズとは元々からして婚約者だという話だが、それにリュカが口を挟むいわれはないし、そうするべき理由もない。
ただ――リュカにはワルドの眼差しが、いつかどこかで見た誰かに似ているような気がしたのだ。それが原因かどうかはわからないが、何やらモヤモヤとした嫌な感覚が、胸中で渦巻いているのを感じる。
しかし、リュカの胸中にしこりを残す、ワルドと似た眼差しを持つ者――それが誰だったのか、まるで思い出せない。それがもどかしくて、せっかく落ち着かせていた心が再びざわついていた。
部屋へと戻り、扉を開ける。
そして彼を出迎えたのは、一斉にこちらに顔を向ける三対の視線――言わずもがな、この部屋にいる全員の視線だ。
「……どうだった?」
神妙な面持ちで尋ねてくるルイズに、しかしリュカは首を横に振る。
その動作だけで、全て察することができたのだろう。リュカを見る三人は、揃って沈痛な表情になって顔を俯かせた。
だが、それも束の間。その中において、レックスが一人、真っ先に顔を上げてリュカを真っ直ぐに見詰めた。
「お父さん! ウェールズ王子を助けてあげようよ!」
それと共に飛び出したその言葉に、リュカは内心、「やっぱり言い出したか」 と思いながら、小さくため息を吐く。
レックスの言わんとしていることは、わからないでもない。そしてそれを可能とするだけの能力が、自分たちにはある。
だが――
「ダメだ。それは許さない」
そう、ダメなのだ。ウェールズの気持ちを考えても、彼ら王党派と自分たちトリステイン大使の立場を考えても、そして何よりレックス自身の立場を考えても、それを許すわけにはいかない。
しかし――そんなリュカの言葉も、レックスの気持ちを逆撫でするだけだったらしい。
「なんでだよ! お父さんは、ウェールズ王子が死んでもいいっていうの!?」
と、彼は更に語気を荒げ、詰め寄ってきた。
(――わかっていない)
リュカは胸中でため息をつく。常であれば、リュカがわざわざ言うまでもなく、わかっていたであろうことなのに。
とはいえ、レックスはなんだかんだと言ってもまだ子供である。あの旅の中で手にした想いを一時の感情で失念することがあっても、仕方ないことなのだろう。
リュカは胸中でこっそりともう一度ため息を吐きながら、あえて冷たい口調を意識し、レックスに現実を突き付ける。
「そういう話じゃない。レックスは、この城に立て篭もる三百人を救うため、五万の命をその手にかけるつもりか?」
そして今度こそ、レックスは反論する言葉を失ったようである。頭に血が上って若干赤くなっていた顔が、その色を元に戻していた――いや、あるいはそれよりも少しだけ青褪めているかもしれない。
命を奪う――そんなこと、レックスは考えにも入れてなかったことだろう。魔物と戦い続けたあの旅の日々ですら、直接的に命を奪ったことなど片手で数える程度。具体的には、ゴンズ、ラマダ、ゲマ、ミルドラースの四匹だけである。
道中で遭遇した魔物は、決して殺しはしない。リュカたちからしてみれば、戦いが終われば友達になれるかもしれない者たちだ。殺すなどもってのほかであった。
そしてそんなレックスが、人間同士の戦争に参加し、魔物ですらない人間を殺す。その可能性を突き付けられた彼の胸中が、今どのように渦巻いているのかなど、想像に難くない。
が――だからと言って、ウェールズを見捨てる道など、レックスには選べないだろう。
リュカのその予測が正鵠を射ていたことを証明するかのように、レックスが再び口を開き――
「こ、殺す必要なんてない! 気絶させるだけでも――」
「そうして無防備になった相手を、王党派の兵は見逃さないだろうね。なにせ、絶望的な戦力差を覆すためには、一兵でも多く敵を減らさなければならないのだから」
「…………ッ!」
その反論を一瞬で叩き潰すと、今度こそレックスは押し黙った。
人が死ぬ。自分がそうさせまいとしても、自分の意思とは関係なしに、自分がその一因となってしまう。
容赦なく突き付けられたその未来予想図に、レックスは反論する言葉も知識もない様子だった。そんな彼に、リュカは更に畳み掛けんと言葉を続ける。
「レックス。忘れているようだから言うけど、君は 『象徴』 なんだ」
「象徴……?」
「そう。象徴だ。人類の、そして世界の守護者として使命を背負って生まれてきた君は、平和の象徴だ。
だからこそ、君は絶対にその手を血に染めてはいけない。そこにどんな理由があろうとも、人の命を奪う者であってはならない。人類に危害を加える存在になってはならない。
もしそれに例外があるとすれば、それは無為に不幸を振り撒き、平和を脅かす存在だけだ。
自らの欲望のために他者を不幸に陥れる――そういう存在に相対したとき、それが人であれ魔物であれ、君は真っ先に立ち向かわなければならない。
……わかるかい? その原則を破ってしまえば、君はただの 『強大な力を持っただけの人間』 と見られることになる。いつかその剣が自分に向けられるんじゃないかと、人々に恐れられることになる。
子供だからとか、まだわかっていないからとか、そんな言い訳は人々に受け入れてもらえない。通用しない。だから、理解していないといけないんだ。
思い出すんだ……君はあの旅の中で、それを知ったはずなんだから」
ゆっくりと、わかりやすいように諭すと、レックスはその言葉をちゃんと飲み込んでくれたようで、思考の海に没頭し始めた。
――それでいい。リュカはそんな聡い息子の様子に満足げに微笑を漏らす。
本当は勇者など関係なく、ただの子供として過ごしてもらいたかった。しかしそれも平時であればこそ。こんな場面に居合わせてしまったら、どうしてもこういうことを考えなければならなくなる。
勇者の使命とは、本当にままならないものである。いくら親が普通の子供たれと願っても、そう簡単にはいかせてはもらえないのが世の常ということか。
と――
「ねえ」
レックスが口を閉ざして悩み始め、リュカが親としての葛藤に頭を悩ませたその時、口を挟む頃合だと思ったのであろうルイズが横から声をかけてきた。
その声を受け、リュカがそちらに振り向く。
「ん?」
「今の会話、ちょっとよくわからなかったんだけど……レックスが象徴とか、世界の守護者とか。どういうこと?」
「ああ……うん、まあ、隠すほどのことでもないんだけど……」
その疑問に、リュカはどう説明したものかと考えながら、言葉を濁した。そんな彼の態度に、ルイズは苛立たしげに眉根を寄せ、一歩詰め寄った。
「……なんか、歯切れ悪いわね? 隠すほどのことでもないんなら、言えばいいじゃない」
「うーん……正直なところ、この話ってアルビオンの情勢に何の関係もないんだ。だから、できればこの任務が終わった後、落ち着いた頃にでも話すべきだと思ってるんだけど。今は余計なことは、ちょっと……ね」
その返答に、ルイズは眉根を寄せたまま、じっとリュカを睨む。
しかし、こうは言ったものの、リュカは本当に話すべきかは、いまだに結論を出せずにいた。
彼ら一家の身分は、実は公爵家であるルイズよりも高い王族である。しかし彼は、このハルケギニアで出来た友人・知人に、身分の違いで遠慮してもらいたくないのだ――それがたとえ、問題の先送りに過ぎないとしても。
そしてルイズは、リュカをしばらく睨み続け――やがて、根負けしたかのように 「はあ」 と盛大にため息をついた。
「……わかったわよ。確かに今は、考えることをこれ以上増やしたくないわね。けど、後で絶対に話してもらうわよ」
よほどウェールズのことで参っているのか、いつになくあっさりと引き下がるルイズ。その態度に、リュカは内心で少しだけ安堵する。
この話題は、あまり長引かせてもらいたくない。リュカはそう思い、話題の転換をしようと、ほんの少しだけ思考を巡らせた。
そして、そのための話題は思いのほかあっさりと見つかった。ここに戻ってくる途中で、ワルドから聞いたあの話があったではないか。
ちょうどいいと思い、彼はその話を口にする。
「ああ――そういえばさっき、ワルド子爵に会ったんだけど、聞いたよルイズ。結婚するんだって? おめでとう」
「結婚……?」
リュカが口にした言葉に、しかしルイズは怪訝そうに眉根を寄せる。
「もしかして……私とワルドが婚約者だってこと聞いたの?」
「うん。それで、結婚するって」
「……まだ、結婚なんてできないわ」
そう言って、ルイズは力なく首を横に振る。
「私はまだ、立派なメイジになんてなれていない。私が目指した貴族の姿になんて、ぜんぜん届いていない。そんな私が、結婚なんてできないわ」
その言葉にリュカは、ああそうか――と胸中で一つのことに思い当たる。
思い出すのは、ミス・ロングビルのゴーレムと対峙した時。あの時の戦いで、リュカはルイズの持つコンプレックスをまのあたりにした。
人一倍努力を怠らないルイズは、いまだ結果の出せない自分が許せないままなのだろう。そんな自分が結婚という幸せを享受するのは、あるいはそれまでの自身の努力に背を向ける行為だと思っているのかもしれない。
その誇り高さがルイズの美点であり、しかし同時に、それがルイズ自身を自縄自縛に陥らせている。
不器用な子だな、と思う。そしてそんな彼女だからこそ、リュカは思うのだ。きっと笑顔が似合うであろう彼女に、いつまでも沈んだ表情でいてもらいたくないと。
だから――
「してみなよ」
「え?」
「してみなよ、結婚」
リュカは、ルイズに結婚を勧めることにした。そうすることで、ルイズの視界に新しい展望が開けることを願って。
その言葉を投げかけられたルイズは、虚を突かれたかのように、ぽかんとした顔になった。
「今までと違う環境になれば、今までにはない新しい何かが、きっと見えてくるはずだよ。結婚したからって言って、今までの自分も、これからの自分も、何も否定することにはならないんだからさ」
「何よそれ……経験論ってやつ?」
「まあ……そうかな?」
婚約者というからには、お互い憎からず想い合っていることは確実だろう。少なくとも、リュカはそう思っていた。
実際のところ、その判断はズレたものではあったのだが、あいにくとここでそれを指摘する者はいない。
だからこそ、リュカは気付かない。
たった今、ほんの――ほんの少しだけ、ルイズの表情に影が差したことに。
「結婚しても、生き方を変える必要はないさ。子供が出来れば話は別にしても、それまではそこまで硬く考える必要はない。ルイズが目標にする 『立派なメイジ』 に至る道だって、もしかしたらワルド子爵が見せてくれるかもしれないんだからさ。
少なくとも、僕はそうだった。つらい旅で乾いた心が、フローラと一緒になることで潤いを取り戻した。守るべき伴侶を得たおかげで、それまで気付けなかったいくつもの事柄に気付けた。
それだけじゃない。結婚することで得た人脈が僕の旅の幅を広げ、僕は僕の人生の目標のために、更なる世界に旅立つことができた」
「…………そう」
ルイズは俯き、リュカの言葉を受け、小さく相槌を打つ。
そして――
「わかったわ。結婚、する」
リュカの説得が功を奏したのか、ルイズはワルドとの結婚を承諾した。
その声が妙に平坦に聞こえたのが、少し気になったが――その返答を聞いたリュカは、にっこりと満面の笑みを浮かべた。
――ルイズがその時小さく呟いた、「バカ……」 の一言は耳に入らずに――
明けて翌日――城の礼拝堂には、三つの人影があった。
壇上に立つのは、皇太子としての礼服に身を包んだウェールズ皇太子。そして、その前に立つ、ルイズとワルド。
ワルドの服装はこれまでと変わりないが、ルイズは少々違っていた。アルビオン王家の新婦の冠を頭に乗せ、普段の学院指定の黒いマントはなく、代わりに純白のマントを身に付けていた。
ウェールズの、「では、式を始める」 という宣言が、礼拝堂に朗々と響く。
彼が定例通りの詔(みことのり)を読み上げるのを前に、新婦たるルイズは浮かない顔で思考の海に没頭していた。
(リュカのバカ……)
脳裏に浮かぶのは、昨晩嬉しそうに結婚を勧めてきた使い魔の顔。
ルイズは最初から、この結婚に乗り気ではなかった。しかし彼は、そんな彼女の心中を知ってか知らずか、結婚について自身の体験を交えて諭すように語った。
――すぐ近くから、ワルドの 「誓います」 という声が聞こえてきた。
あの時は、こっちの気持ちも知らないでと、リュカに対する反感ばかりが募った。売り言葉に買い言葉――と言うほど激しいものではなかったが、彼の説得に対して 「もうどうにでもなれ」 ぐらいの気持ちで結婚を承諾してしまった。
もういいわ。あんたがそこまで言うなら、結婚してやろうじゃないの――そんな感じである。
なぜそんなヤケクソみたいな気持ちになったのか、実のところ彼女自身わかっていなかった。
ワルドのことは嫌いではない、むしろ好きな方ではある。彼と結婚することは、幼い頃から思い描いていた幸せの形であったはずだ。ゆえに、使い魔から結婚を勧められても、そんなささくれ立った気持ちになるいわれは無いはずだった。
――ウェールズの詔(みことのり)は続く。次はルイズが愛を誓う番だ。
だったらなぜ、こんな気持ちになるのだろう。なぜ自分は、この結婚にいまだに乗り気になれないのだろう。
ウェールズの説得に失敗したから? 滅び行く王国に対し、自分が無力だから? それとも、いまだに 『立派なメイジ』 にこだわっているから?
一つ一つ心当たりを挙げてみる。どれも正解であるような気がしたが、しかしどれ一つを取ってもしっくり来ない。
ならば、他には?
更に自問してみたら――不意に、脳裏にリュカの笑顔が浮かんできた。
(あ……)
と――その瞬間、パズルの最後のピースが嵌ったかのように、ストンとルイズの胸に落ちるものを感じた。
――いつも笑顔を絶やさずに優しいリュカ。
――自身が実家で忙しいにもかかわらず、離れていても常にこちらを気遣ってくれるリュカ。
――いざという時には頼りになる力強いリュカ。
――道を間違えそうになった時は導いてくれるリュカ。
今まで目にしてきた、色々なリュカの姿が脳裏に蘇る。そう――きっと自分は、リュカのことが好きなのだ。それも、主従としてではなく対等な人間として。
それが友情なのか憧憬なのか、それとも――これはないと思いたいが――恋愛感情によるものなのかはわからない。だけど今、自分はワルドをリュカ以上の男とは思えていないのは間違いない。
――そうだ。
今の自分にとって、ワルドは決して一番などではないのだ――
「新婦?」
ルイズが思考に没頭している間に、式はいつの間にか進んでいたのだろう。
誓いを求める文言の後、ずっと沈黙を続け返答をしないルイズに、不審なものを感じたのであろうウェールズが声をかけてきた。
ルイズは顔を上げ、正面に立つウェールズを真っ直ぐに見つめた。そして、はっきりと意志の篭った瞳を向け、ゆっくりと首を横に振る。
「誓えません」
「ルイズ……?」
その言葉に、ワルドは信じられないと言うように、上ずった声を上げた。
一方その頃、ニューカッスル城のとある屋根の上――
「うわあ……こうして見ると、凄い数だなぁ」
二人の子供とプックルを従え、遠くに見えるレコン・キスタ五万の軍勢を見ながら、リュカは感嘆の声を上げた。
昨晩、ワルドに対して先に船で帰ることを承諾したものの、リュカは素直に帰るつもりは毛頭なかった。
無論、この戦いに関与しないという前言を翻すつもりはない。ただ、ウェールズの死に様を見届けたいという個人的感情からである。
そしてもう一つ、リュカたち親子はともかく、シーザーはサイズの関係上、脱出船に乗り込むことはできないのだ。
ただでさえ難民で溢れ返っている脱出船に、余計な迷惑はかけられない。こちらにはルーラがあることだし、ギリギリまで粘っていたところで問題はなかった。
その上でなお問題と言うのであれば、それはむしろ――
「レックス、いい加減に機嫌直しなよ」
「……ボクはいつも通りだけど」
ムスッとした顔で言われても説得力はない。隣で仏頂面になっている息子に、リュカはやれやれと肩をすくめる。
どうも彼は、ルイズが今まさに結婚式を挙げているという現実に、不快感を覚えているようだ。ウェールズを助けることができないという状況も相俟って、彼の機嫌は絶賛低空飛行中である。
息子がルイズに淡い想いを抱いていたことぐらいは、傍で見ていてわかること。親としては応援してやりたいところだが、相手に婚約者がいるとなれば話は別だ。
こういった苦い経験も人生の一つ――と言いたいところだが、あいにくとリュカは幸か不幸か失恋の経験などなく、今のレックスにかけるべき言葉など持ち合わせていない。
助けを求めるかのように、彼は娘の方へと視線を向け――
「……タバサ?」
レックスと同じような仏頂面になっているのに気付き、不審に思った。
レックスが不機嫌なのはわかる。しかし、タバサが不機嫌になる理由がわからない。ウェールズを助けられないその一点が悩みだとしても、そうであれば、彼女が見せる感情は不機嫌ではなく悲哀であるはずだ。
「タバ――」
「私、ルイズさんの結婚に反対です」
もう一度声をかけようとしたその時、リュカの声を遮るように、タバサがはっきりとした声で言った。
「ワルド子爵からは、邪気を感じます。何か良くないことを考えている人が持つ邪気を」
「邪気……だって?」
彼女が生まれつきそういったものに敏感なのは、リュカも承知していた。その直感に助けられたことは、あの旅の中でも、そしてその後の王宮での生活の中でも、何度もある。
その彼女が、ワルドに対してはっきりと 「邪気を感じる」 と言った。リュカが悪い青年ではないと感じた、あのワルドを指して。
一体どういうことだろうか。ルイズは騙されて婚約をしたというのか。あの誠実そうな態度は、ただの仮面だったというのか。
レコン・キスタに囲まれたこの城まで、レックスたちと一緒にルイズを守り通してきた、あの勇敢な魔法衛士の青年が――?
と――その時。
「…………ッ!?」
唐突に、リュカの体が硬直した。その小さな異変に、レックスとタバサは目ざとく感付き、「お父さん?」 と寄って来る。
何だこれは、と声に出さずに疑問を抱く。
異変はリュカ自身の右目にあった。左目の視界には自分を心配する息子と娘の顔が映っているが、右目の視界に映る景色がまるで違う。
最初は、霞がかったぼやけた像が映し出されていた。曇り硝子のようなその視界に、最初は目の病気かとも思ったが、ぼやけた像は次第にその姿をはっきりとさせていく。
やがて、それが明確な像を結んだその時、その視界に映るものはワルドの顔だった。背景からして、場所は礼拝堂といったところか。
「これは……まさか、ルイズの視界……?」
初めて召喚された最初の夜に説明されたことを思い出す。
使い魔はメイジの目となり耳となる――その言葉を思い出しながら、正常な左目で右手の甲に視線を落とした。果たしてそこには、突如として強い光を放つようになった使い魔のルーン。
間違いない。これは確かに、ルイズの視界だ。今までこんなことはなかったのに、このタイミングで突然こんなことが起こっていることに、何やら嫌な予感が膨れ上がる。
リュカは左目を閉じ、右目に映るルイズの視界に意識を集中する。あいにくと、音声までは伝わってこないが――どうやらルイズは、ワルドに詰め寄られているようだった。
(この目は……!)
ルイズに詰め寄るワルドの目。どこかで似た目を見たことがあると思った、その目。
いまだに思い出せない。喉元まで出掛かっているのに、一向に出てこないもどかしさ。しかしその目は、何故か取り返しのつかない未来を予感させた。
――ギリ、と。
リュカは手に持ったドラゴンの杖を、強く握った。
「レックス! タバサ! すぐに礼拝堂に向かう!」
「え!?」
「どうしたの、お父さん!?」
リュカはそう言うと、説明する暇もないとばかりに、戸惑う子供たちを尻目に走り出す。レックスとタバサは、「ま、待ってよ!」と言いつつ、リュカに続いて走り出した。
右目に映る景色は、ルイズの目の前で起こっている事態が容赦なく進んでいることを示している。
詰め寄るワルドを制止しようとしたウェールズが突き飛ばされ、嘘で塗り固めた笑顔がルイズに向けられる。
やはり――と、事ここに至って、リュカはワルドが何か良からぬことを考えていると確信した。
間に合うか……? いや、間に合わせてみせる。
「プックル! シーザー!」
そのリュカの声に応え、プックルが三人と並走を始める。プックルは走りながら、レックスの襟首をくわえて自らの背に乗せ、次いでタバサも同じように背に乗せた。
そしてリュカとプックルは、同時に屋根を蹴って空中に躍り出る。そこにはホイミンを頭に乗せ、翼をはためかせて飛ぶ、シーザーの背があった。
リュカとプックルが揃ってその背に降り立つと、「礼拝堂に!」 というリュカの声を受け、シーザーが旋回する。
ニューカッスル城を大きく一回りし、正面に見据えるのは一枚の大きなステンドグラス。
右目に見えるワルドは、唇を動かしながら指を一本立てている。
そして二本目の指を立てた時、その背後にいるウェールズの表情が驚愕に染まり、杖を構えた。
「行けッ、シーザー!」
「グオオオオォォォォッ!」
もはや一刻の猶予もない。リュカの言葉に応え、シーザーが雄叫びを上げてステンドグラスに頭から突っ込む。
大きな音を立てて割れたステンドグラスの向こう側――そこでは今まさに、ワルドが自らの杖たるレイピアを引き抜くところだった。
突如として割れたステンドグラスと、それと共に飛び込んできたドラゴン。予期せぬその事態に、礼拝堂にいた全員が一瞬だけ硬直する。そして、飛び込んだリュカたちにとっては、その一瞬さえあれば十分であった。
「うおおおおおおっ!」
いち早く、レックスがシーザーの背から飛び降りる。
そのアクションにワルドが反応し、思い出したかのようにレイピアをウェールズに向けて突き出すが―― 一瞬だけ、遅かった。
ガキンッ! と音を立てて、レックスの天空の剣がワルドのレイピアを受け止めた。
しまったとばかりに表情を歪ませるワルド。受け止めたレックスの背には、杖を構え驚愕の表情を浮かべるウェールズ。レックスから一拍遅れ、リュカたちが礼拝堂の中へと降り立った。
そして――リュカは、レックスの眼前にいるワルドを、その目で直接見た。
ウェールズに刃を向けるワルド。
経緯はわからないが――“裏切り者”となった、ワルド。
(……そう……か……!)
裏切り者。そのフレーズが最後の一押しとなり、喉まで出掛かっていた記憶を呼び起こす。
今のワルドと同じ目をした、過去の誰か。
それは――その男は――
「何の……」
レックスの眼光が、目の前のワルドを射抜く。
「何のつもりだアンタはァァァァァァァァァッ!」
レックスは力任せに天空の剣を振るい、受け止めたレイピアごとワルドを後方へと吹き飛ばした。
その男とは――故グランバニア大臣。
魔物と通じ、リュカを陥れた末にその魔物に始末された、哀れな男である――
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