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「日替わり使い魔-14」(2010/10/02 (土) 08:53:25) の最新版変更点
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#navi(日替わり使い魔)
――時間は少しだけ遡る――
「――当然だ。私は真っ先に死ぬつもりだよ」
返されたその言葉に、ルイズとその後ろに控える双子は、揃って絶句した。
ここはニューカッスル城、天守の一角にあるウェールズ皇太子の部屋。そこでルイズは、くだんの手紙を手渡された。そして、その直後にルイズが投げかけた 「死ぬおつもりですか?」 というニュアンスを含んだ問いに対する答えが、先の一言である。
ルイズは怒鳴りたくなる気持ちに駆られたが、直後に背後から同様の気配を感じて背後を一瞥する。そこには予想通り、今にも叫び出しそうな様子の双子の姿――ルイズは制止するように二人の前に片手を向け、自らの気持ちごと二人の叫びを圧し留めた。
呑み込んだ言葉の代わりに、ルイズは努めて平静に一礼する。
しかし、そこで素直に引き下がるつもりはない。ルイズにはアンリエッタのためにも、確認しなければならないことが一つだけあった。
「殿下……失礼をお許しください。恐れながら、申し上げたいことがございます」
「なんなりと申してみよ」
「この、ただいまお預かりした手紙の内容、これは――」
促され、ルイズはそう切り出してウェールズとアンリエッタの仲を推察したことを告げる。先に根拠から、そして結論という順番で。
姫様と殿下は、恋仲なのではありませんか?――言葉の締めとして投げかけたその問いに対し、ウェールズは 「昔の話だ」 と言葉を濁しながらも否定はしなかった。
「……殿下! 亡命なさりませ!」
その答えを聞いたルイズは、そこでとうとう抑えきれなくなった。感情の促すままに叫び、ウェールズに詰め寄ろうとする。
ワルドが諌めるようにその肩を押さえるが、ルイズの剣幕は収まらない。
「それはできんよ」
「殿下、これはわたくしの願いではございませぬ! 姫さまの願いでございます! ご幼少のみぎりより親しくさせていただいたわたくしには、姫さまのお気持ちがよくわかります! その手紙の末尾には、亡命を勧める一文が添えられているはずです!
それに、わたくしの使い魔が申しておりました――戦いにおいては、勝つか負けるかの二択では済まされるほど、単純ではないと! 命を賭けるべき時は、そう多くはないと! 明日の勝利のため、今は逃げ延びるのも一つの選択ではありませんか!?」
詰め寄るルイズ。しかしウェールズは答えず、静かに目を伏せて窓際へと向かった。
ルイズたちに背を向け、視線の先は窓の外。空に浮かぶ双月の月明かりが、哀れむかのように彼の横顔を照らす。
「ラ・ヴァリエール嬢。君は……大使には向いていないな」
「殿下!」
「王家の名誉、ひいては姫と私の名誉に誓って言うが、君の言うようなことは一行たりとも書かれていなかった。
だが、君の使い魔……確か、そちらの少年少女たちの父親、だったかな。その人物は良いことを言うのだね。しかし、その言葉に共感を覚えるからこそ……私は、逃げるわけにはいかないのだよ」
「殿下……っ!」
さらに詰め寄ろうとするルイズを、今度こそワルドが押さえた。両肩をがっちりと両手で押さえられ、ルイズはそれ以上ウェールズに近付けなくなる。
そのワルドに、ウェールズはちらりと振り返って視線だけで感謝の意を見せ、ワルドは無言で小さく頭を垂れる。
「さて、そろそろパーティーの時間だ。君たちは我らが王国が迎える最後の客だ。是非とも出席してほしい」
言外に 「話は終わりだ」 と突き放すウェールズの言葉に、ルイズは小さな絶望を覚える。そして彼女は、ほんの数秒の逡巡の後、同じく後ろ髪引かれる思いである様子の双子を伴い、静かに一礼して部屋を退出した。
ルイズに続いてレックスとタバサがとぼとぼと出て行き、最後にワルドが残った。しかし彼は退出しようとせず、「僕も殿下とお話があるから」 とルイズたちに告げた。
「――しかし――」
ワルドがノブに手をかけ、ルイズたちを押しやるかのように扉を閉めるその最中、ウェールズは口を開きながらくるりと振り向いた。
「君の真っ直ぐさは、あるいは亡国の大使には適任かもしれないね――」
「…………っ!」
その言葉を最後に、ルイズの目の前で扉がパタンと閉まる。
扉が閉まるその直前、ルイズの視界に飛び込んできたウェールズの顔――それは、泣き笑いのような、痛々しい笑顔であった。
――ルイズはウェールズ皇太子のことがわからなくなっていた。
燭台の明かりと月光がほのかに照らす廊下の中、ルイズは一人、佇んでいた。
執り行われたパーティーは、とうに抜け出した後だ。死を覚悟した者たちの、悲しくなるほどに賑やかな宴。その空気が痛々しくて、いたたまれなくて、耐え切れなかった彼女は逃げるようにホールを後にした。
いや、頭ではわかっていた。父親、母親、そして一番上の姉――厳しい三人に叩き込まれた貴族としての教えが、そして、魔法が使えないならばせめてと勉強し続けて得た知識が、ウェールズ皇太子の主張が正しいと告げている。
ウェールズ皇太子は、討ち死にするつもりだ。それは意地ではなく、ましてや自暴自棄になっているわけですらなく、ただトリステインの――アンリエッタ王女の身を案じてのこと。
はっきりと「そう」と言われたわけではない。むしろ、逆の言葉を告げられた。トリステインの事情など一言も言及せず、ただ王家の誇りと名誉のため、と。
だが彼女にはわかる。それを語った彼の目を見ればわかる。
そして――あの部屋で最後に見せた表情を見れば、わかる。
ここで彼がトリステインに亡命すれば、それはレコン・キスタがトリステインに攻め入る格好の理由足り得る。だからこそ彼はここで戦い、少しでも多くレコン・キスタの士気と戦力を削ぐつもりなのだ、と。
そうすれば、トリステインがレコン・キスタに対抗するための準備期間が稼げるから。アンリエッタ王女の身の安全が、少しでも高まるから。
少し前、自分が無謀にも30メイルのゴーレムに立ち向かった時とは、似ているようでまったく違う。
認められたい。馬鹿にされたくない。その一心で虚栄を張っていた自分を彼と比べるなど、おこがましいにも程がある。全てを見据えた上で立ち向かうことを選んでいる彼に比べて、見えるものも見ようとしていなかったあの時の自分の、なんと小さいことか。
――戦いっていうのは、勝つか負けるかの二択で済ませられるほど、単純じゃないんだ。
命を賭けてまで勝たなきゃならない戦いってのは……そう多いものじゃない――
ウェールズにも言った、あの時リュカの台詞。それが、頭の中で繰り返される。
リュカの言葉とウェールズ皇太子の取った態度――二つを比べれば、ルイズにだってなんとなくわかってくる。
ウェールズ皇太子にとって、命を賭けるべき戦いというのは、まさに今この時なのだろう。そして彼は、勝敗とは違った場所に、この戦いの意味を見ている。
あの言葉を告げたその時、ウェールズはルイズの思惑とは逆に、その意志を固めてしまったようにも見えた。
皮肉にも、彼を止めようと告げた言葉が、彼を後押ししてしまったかのようであった。
――そう。
頭ではわかっている。わかっているのだ。
だが――
「だけど……だけど、こんなの……納得、できない……!」
愛し合う二人が結ばれることが叶わない。想い合うがゆえに死なねばならない。
そのジレンマを理屈で納得させることなど、いまだ年若いルイズには到底出来ないことであった。
そう。本当にわからないのはウェールズ本人のことではない。愛し合う二人が引き裂かれねばならないこの世の不条理が理解できない――いや、理解したくなかったのだ。
「ルイズ!」
と――そんなところに、背後からレックスの声がかかった。
ルイズはいつの間にか目に浮かんでいた雫を指で拭い、背後を振り向く。
そこには、両目いっぱいに涙を浮かべた、双子の姿。
「レックス、タバサ……」
どんっ、と。
なぜここにと問うより先に、タバサが体当たり気味にルイズの胸に飛び込んできた。
彼女はルイズの胸に顔を押し付け、すんすんと声にならない泣き声を上げている。レックスはさすがにそこまではしていないが、一歩引いた位置で立ち止まり、今にも泣きそうな顔をこちらに向けていた。
――この様子だけでわかる。この二人も、自分と同じなのだと。
「やっぱり……二人も、納得いかないのね」
「当たり前だよ!」
確認するようなルイズの言葉に、レックスは激昂して叫んだ。
「なんでみんな、最初から諦めてるんだよ! どうして、笑って死にに行けるんだよ! それで……それで、誰が救われるんだよ! わからない……ボクにはわからないよ!」
「レックス……」
その叫びは、ルイズにも共感できる。彼女自身、つい先ほどまで考えていたことだ。
胸の中で泣いているタバサからは、「嫌、こんなの……嫌」 と小さくつぶやいているのが耳に届いた。
何か言ってあげたい。そうは思うも、今のルイズには彼らに向けて言える言葉は持ち合わせていなかった。
マニュアル通りの『名誉』や『誇り』を説くのも、同意して共感を得るのも、どちらも何かが違う。そもそも、自身でさえ答えの出ていないことを、どうして答えられようか。
(こんな時……あんたならどう答えるの?)
胸中でそう問いかける相手は、ここ最近顔を合わせていなかった自分の使い魔――リュカ。
だが彼はここにいない。いない人間を頼ることはできない。
けど、それでも――
――バサッ。
「…………?」
窓の外から何かが羽ばたく音が聞こえ、ルイズは窓に視線を向けた。
淡い月光に照らされたニューカッスル城の前庭――彼女が視線を向けたちょうどその時、そこに月の光を受けて輝く黄金の鱗を持つドラゴンが降り立った。
見張りに立っていた兵士たちが、にわかに騒ぎ出す。彼らが次々と駆けつける中、そのドラゴンは前のめりにゆっくりと倒れ、重い地響きと共に地に倒れ伏した。
ルイズたちにとって、そのドラゴンには見覚えがあった。そして、その背から降り立つ人物のことも。
――三人はそれぞれ顔を見合わせると、互いに無言で頷き、駆け出して行った。
「ごめんね、シーザー。ホイミン、彼についていてあげて」
――無理をさせすぎた。
ニューカッスル城に辿り着くなり、シーザーは倒れた。それを見てリュカが悔恨の念と共に思ったのが、その一言だった。
それも当然だろう。シーザーは元々、人を乗せて飛ぶようなドラゴンではない。にもかかわらずリュカの無理を聞いてくれて、ここまでの相当長い距離を一息に飛び続けてくれたのだ。
彼は右手に刻まれたルーンを一瞥する。それからシーザーの方を再び見やり、そしてまた、ルーンに視線を戻す。その表情は、なぜか苦々しげに歪んでいた。
――だが、考えることは他にもある。
「……あれは……」
ぽつりとこぼし、彼は自分が通ってきた方向に振り返り、その向こう側で浮かんでいる巨艦――レコン・キスタ旗艦 『レキシントン』 号に視線を向けた。
脳裏に浮かぶのは、つい先ほど自分に向かって放たれた赤黒い火球。直撃はしたものの、防具の呪文威力減退効果、そして回復呪文のエキスパートたるホイミンの治療により、事無きを得ている。
――あの火球には見覚えがあった。
忘れもしない、『あいつ』の放つメラゾーマにそっくりだったのだ。妻の放つ、太陽のようなオレンジ色のメラゾーマとは似ても似つかない、血のように赤黒いメラゾーマ。
だが――
「……いや、まさか……気のせいだ。奴は死んだはずだ。僕の目の前で……」
「き、貴様! 何者だ!」
不安げに瞳を揺らし、つぶやいた――その瞬間、彼の背後からそんな怒声が投げつけられた。
考えることを一旦止めて振り返ってみると、複数名の兵士やメイジが、手に持った槍や杖をリュカに向けている。
「……このような夜更けに騒々しく城内に立ち入った無礼、お許しください」
しかしリュカは、そんな兵士たちの剣呑な態度に臆した風も見せず、一瞬で気持ちを切り替えて優雅に一礼した。
その堂々とした態度に、周囲を囲んでいた兵士たちは出鼻をくじかれたように鼻白む。リュカはそれを見て、更に言葉を重ねた。
「私はトリステイン大使、ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエールが使い魔、リュカ。我が主人がご訪問中であると存じますが、お取次ぎ願えないでしょうか?」
「つ、使い魔……だと?」
彼の名乗りに、兵士たちの一部が顔を見合わせる。
だが、よく訓練された大部分の兵士――特にメイジはうろたえることなく、それどころか疑わしげに眉根を寄せた。
「戯言を……! 人が使い魔などとは、聞いたこともない! 嘘をつくならもう少しマシな嘘をつけ! 貴様さては、貴族派の手の者だな!」
メイジの一人の一喝で、改めてリュカに武器が向けられる。
リュカが内心「失敗したかな?」と思いつつ、この場をどう切り抜けるか考えていると――
「リュカ!」
「「お父さん!」」
折り良く、兵士たちの向こう側から、リュカの主人――ルイズと彼の子供たちが、揃って駆け付けてきた。
リュカを責め立てていたメイジは、自分が偽りだと断じたことがまさか真実であったとは思わなかったのか、ルイズたちの方を向いて固まった。
彼女たちは、そんなメイジには一瞥もくれず、そのまま兵士たちを掻き分けるように真っ直ぐリュカの方へと向かって来た。
そして三人は、にっこりと笑うリュカの目の前へと到着し――
――ゴンッ。ゴンッ。
「「いったぁっ!?」」
迎えたリュカは、笑顔のまま双子の脳天に拳骨を落とした。
「リュ、リュカ!?」
「ルイズ、ちょっと待っててくれない? ――さて、レックス、タバサ。何か言い訳はある?」
「「お、お父さん……」」
あくまでも笑顔を崩さないリュカに、二人は顔を青くしてビクビクと震え始めた。
今の拳骨の威力と、何よりも彼の額に浮かび上がっている青筋が、その内面の怒りを如実に表している――あからさまな怒りの表情ではない分、レックスたちは逆に恐怖を感じていた。頭の痛みも加わり、すっかり涙目である。
リュカは、何に対して怒っているのかは口にしていない。しかしレックスもタバサも聡い子であり、言わずとも通じていた。
そしてしばし、互いに見詰め合い――
「「ごめんなさい……」」
「よろしい。ま、お説教はまた後にしとこうか」
素直に謝った二人に、今度こそ親愛の笑みを浮かべる。もっともそこで終わりとはしないあたり、親として締めるところは締めているが。
と――そこでリュカは、ルイズの表情に気付いた。伏し目がちになり、どことなく雰囲気が暗い。子供たちの方も、よく見れば親に怒られただけではない、何か深刻な悲しみの雰囲気を纏っている。
(悪い予感が当たった……かな?)
人間同士の戦争を体験するには、いささか早過ぎる――クックルとメッキーから事情を聞いた時から思っていたことだが、懸念した通りのことが起こったのかもしれない。もっとも、話を聞かないことには判断のつかないことではあるが。
何にせよ、とにかく状況の把握が急務である。リュカは振り返り、近くにいた兵士に声をかける。
「すみません。その子たちが休める場所を提供していただけますか?」
言って指し示すのは、プックル、シーザー、ホイミンの三匹。特にシーザーの疲労は深刻なようで、ホイミンの回復呪文で呼吸は安定しているものの、いまだ目を覚ます気配はない。
声をかけられた兵士はその要求に戸惑い、判断を仰ぎたそうにリュカの主人と言っているルイズに目配せした。その視線を受け、彼女が 「言う通りにしてあげて」 と言うと、そこでようやっと動き始めた。
メイジたちが数人がかりで『レビテーション』を使い、シーザーを運んでいるのを尻目に、リュカは再びルイズに向き直る。
「遅れてごめん。事情……話してもらえるかな?」
「……うん」
力なくうなだれるルイズの肩をそっと抱き、リュカは子供たちを促して城内へと向かう。
――そんな彼らの様子を、ワルドが上階の窓から、冷たい眼差しで見下ろしていた――
数人の護衛を伴い、薄暗い廊下を歩くウェールズは、その顔に笑みを浮かべていた。
彼の脳裏に浮かぶのは、先ほどの宴。そして、こんな時であるのに自分を訪ねてきてくれた心優しい大使。
彼女のような女性が傍にいてくれるなら、きっと愛しの従姉妹は大丈夫であろうという安心感が芽生える。
その安心感が、宴の酒を一層美味いものにしてくれた。これほど良い気分で酔えたのは、一体いつ以来だろうか。
これで安心して逝くことができる――そう思えば、自然と頬も緩むというものだ。
(これで怖いものなど何もない。さあ、恥知らずの貴族派ども。明日は目にもの見せてくれようぞ――)
改めて胸中で気合を入れ直す。気分はいつになく高揚していた。
と――その足が、不意に止まる。
彼の視線の先、向かっていた自室の扉の前に、誰かがいるのに気付いたからだ。
「誰だ!」
護衛の一人がウェールズを庇うように前に出て、誰何(すいか)の声を上げる。
その声に応えるかのように、人影が一歩前に出た。燭台の明かりに照らされた横顔は、彼らの知らないものであった。
だが、ウェールズたちの警戒は一瞬で終わった。その人物の傍に、先ほど自分たちが歓迎していた客人たち――ルイズ、レックス、タバサの三人の姿があったからだ。
それで、ウェールズはこの人物の正体に当たりをつける。ルイズの本来の使い魔である勇猛果敢な竜騎士が、単身レコン・キスタの陣を突破してここまで辿り着いたと報告を受けたのは、耳に新しい。
「もしかして……君が、ラ・ヴァリエール嬢の使い魔という?」
「はい。リュカと申します」
「話は聞いている。単独で貴族派五万の陣中突破を成し遂げて来たと。まるで 『イーヴァルディの勇者』 のごとく素晴らしき偉業だ」
「……僕は 『勇者』 じゃありません」
「謙遜しなくていい」
「いえ……」
朗らかに笑うウェールズに対し、リュカは複雑そうな表情で自身の息子を盗み見る。その様子にウェールズは気付いたが、その視線に一体どのような意味と想いが込められているかなど、彼には知りようもなかった。
「それで、私に何か?」
「はい。遅れて参上することになってしまいましたので、一言ご挨拶に。それと……恐れ多くも一個人として、殿下とお話したく参りました」
その言葉に、護衛が 「分をわきまえろ」 とばかりに怒気を見せるが、ウェールズはそれを制した。
渋々下がる護衛と入れ替わるように前に出て、ウェールズはリュカににっこりと笑いかける。
「こんなところで立ち話もないだろう。ちょうど、ラ・ヴァリエール嬢の話を聞いて、君と一度話してみたいと思っていたところだ。私の部屋でゆっくりと話そうではないか」
言って、自室の扉を指し示すウェールズ。彼が護衛に目配せすると、護衛はその扉をゆっくりと開け、ウェールズに道を空けて一礼する。
彼はそのまま自室へと入り、扉の外にいるリュカに振り返って 「さ、入りたまえ」 と入室を促した。
「リュカ……」
「お父さん……」
「……約束はできないよ。たぶん、僕でも無理だと思うから」
そんな短いやり取りの後、部屋に入ってきたのはリュカ一人であった。彼に続いて入室しようとした護衛の一人をウェールズは手で制し、部屋の外で待つように告げる。
大人しく指示に従い、退室する護衛。部屋にはウェールズとリュカだけが残り、パタンと扉が閉じられた。
「質素な部屋で申し訳ない。なにぶん、仮住まいなものでね。ベッドにでも腰掛けて楽にしてくれたまえ」
「恐縮でございます」
木製のベッドに椅子とテーブルが一組しかない部屋で、その一つきりの椅子に腰掛けたウェールズは、リュカにベッドを勧めた。その言葉に甘え、リュカはベッドに腰掛けた。
ゴトリ、と重い音を立て、リュカの持っていた『光の盾』が、足元に立てかけられる。それを見てウェールズは 「ほう」 と小さく感嘆のため息を漏らし、次いで彼の服と杖に視線を向けた。
「立派な服だ……それに杖と盾も素晴らしい。ラ・ヴァリエール嬢が君に与えたものかな?」
「いえ、実家より持ち出したものです」
「となると、君は名のある家の者なのかな? それほどの意匠を凝らした物を個人で所有できるとなると、ただの貴族ではあるまい」
「トリステインでは何の地位もない、ただの田舎貴族でございます」
「ふふ……韜晦(とうかい)するか。まあいいさ。それで、話というのは?」
所有物に関しては何か事情があるのか、正直に話そうとしないリュカに、しかしウェールズは微笑を漏らすのみ。どの道本題ではないのでさっさと切り上げ、少しだけくだけた口調で本題を促した。
「明日の決戦について、お聞きしたいことが少々」
「君の主人からは聞いていないのかい?」
「一通りは。ですが、あなたの決意をじかに聞かせていただきたいのです」
「……君も、僕を止めるつもりかい?」
「それは、話を聞いてから判断します」
その返答に、ウェールズは 「ふむ」 と少しだけ考えた。
どうやら彼は、主人であるルイズよりも理性的に考え行動することができるらしい。まだ若いがゆえに感情の抑制がつたない彼女とは対照的に、彼はこちらの問いに即断を避け、慎重にこちらを見極めようとしている。
そしてウェールズは 「よろしい」 と一つ頷き、パーティーの前にルイズたちに話したこととほぼ同じ内容を、リュカに話した。
「…………」
「と――いうわけだ。ちなみにラ・ヴァリエール嬢は、アンリエッタからの手紙に、亡命を勧めるような一文が添えられていたはずと主張していたが……王家の名誉に誓って言うが、そのような文句は一行たりとてなかったよ」
「そう……ですか」
締めとして付け足された言葉に、リュカは歯切れ悪く頷いて、そっとまぶたを閉じて少しだけ考え込む。
時間にしてほんの数秒。その数秒の沈黙の後、目を開けた彼は真っ直ぐにウェールズの目を見て、ゆっくりと口を開いた。
「亡命を勧める一文などなかった……『アンリエッタ姫にそう伝えて』 おけばいいということですね?」
告げられたその言葉に、ウェールズは一瞬驚き――しかし次の瞬間には、満足げに微笑んだ。
――思った以上に聡い人物である。
実のところ、ルイズが指摘したことは真実である。しかし王族である以上、あのような一文は 『なかったこと』 にした方が色々と都合が良いのだ。
そんなこちらの思惑を、目の前の人物は正確に汲み取ってくれた。言葉にしてはいけないことを、言葉にしないまま伝え合うことができた。
これは楽しい会話になりそうだ――そんな期待が、むくむくと膨れ上がる。
彼がルイズに教えたという言葉を聞いて興味を持っていたが、少なくとも期待はずれにだけはならなさそうであった。
「君はかつて、ラ・ヴァリエール嬢に言ったことがあるそうだね。戦いとは、勝敗の二択で済ませられるほど単純ではなく、命を賭すべき場面は多くない――と。
僕もその通りだと思うよ。必ず反撃の機会が訪れると信じ、首都ロンディニウムを手放したかつての敗走の心境など、まさにそれだ。しかし現実は甘くはなく、ろくな反撃もできないまま、ここまで追い込まれた。
このまま何の抵抗もせずに逃げて国を明け渡し、地下に潜って反撃の機をうかがう――そんな手段も考えた。しかし果たして、一度でも逆賊に国を明け渡した王族に、玉座に返り咲く資格はあるのだろうか?
答えは否だ。他のブリミル直系の王族は、そんな恥知らずを許さない。我が国民も同様だ。何より、父上も僕自身も、許せるはずがない。内憂を事前に払えずに敗北した王族が、同じ過ちを繰り返さないなどと、どうして約束できようか。
だからこそ、我々はここで命を賭すのだ。もはやここにしか、命を賭すべき場所は残されていないのだから」
決意を胸に秘め、そう告げたウェールズに、リュカは答えず少しだけ瞑目した。
「あなたは……いえ」
「どうしたのかね? 何か言いたいことがあれば、遠慮なく言ってくれたまえ」
「…………」
何か言いかけ、しかし言葉を濁すリュカに、ウェールズはその先を促した。だがリュカの方はすぐには答えず、目を閉じたまましばし考え込む。
その間、彼の口が小さく動く。ほとんどは聞き取れなかったが、「国を追われた王族……か」 といった、どこか懐かしむような小さな呟きだけが、かろうじてウェールズの耳に届いた。
ややあって、リュカはゆっくりとまぶたを開く。そしてそこで、ようやっと口を開いた。
「殿下……あなたには、もっと早くに出会いたかった」
「嬉しいことを言ってくれるね。それはなぜだい?」
「今の話を聞いて、是非ともあなたを僕の親友に会わせたくなったからです」
「君の親友?」
「ええ。今のあなたの告白に、明確な形で返せる 『何か』 を持っている男です。けど残念ながら、彼に会うには今からでは到底間に合わない……移動時間だけならカットする手段はあるけど、それ以外のことに時間がかかりすぎる」
「そうか……それは、僕としても残念なことだ」
移動時間をカットする手段、とやらに若干の興味が惹かれたし、何より 『自分の想いに返せるものを持っている』 というその人物には、それ以上に興味が湧く。
だが、彼の言う通り、時間が足りなさ過ぎた。明日には終わる身なれば、多くを望むことなどできようはずもない。
「ですから、代わりと言ってはなんですが……僕から一つ、英雄譚をお話しいたしましょう」
「英雄譚?」
「はい。これは一年前に、ハルケギニアの外――僕の出身地にて、実際に起こったことです」
ハルケギニアの外で、実際に起こった英雄譚。
それもまた、非常に興味をそそられる内容だった。彼がハルケギニアの外の人物であるということ自体も、驚きではあったが。
ウェールズは顔を綻ばせ、「是非お願いしよう」 と促した。
リュカはコクリと頷くと、目を閉じてすぅーっと息を吸い込み、静かに口を開く――
「……かつて、『巨悪』 がいました。
『巨悪』 は多くの魔物を操って人々を苦しめ、数え切れないほどの命を喰らいました。
また一方では 『巨悪』 は神を騙り、しもべを使って教団を興し、人々に偽りの希望を与えていました。
世界は 『巨悪』 によってコントロールされ、人々は虚構の希望にすがりつきつつ、永い苦しみの時を過ごしていました。
――そこに、『勇者』 が現れました。
『勇者』 は各地を回り、『巨悪』 のしもべたちを倒しながら、『巨悪』 そのものへと近付いていきました。
『巨悪』 の根城、邪悪の根源、悪魔の住まう山――エビルマウンテン。
ハルケギニアで言えば、ガリアの火竜山脈というのが最もイメージに近いでしょうか。普通の人間なら十人単位でかからなければ相手にもならないような強力な魔物が、数千数万とひしめく魔境です。
そしてそんな危険な山に、『勇者』 は信頼できる七人の仲間と共に、足を踏み入れました。
彼我戦力差は絶望的――しかし 『勇者』 一行はそんなことお構い無しに、『巨悪』 を目指して一直線に突き進みました。
絶え間なく続く、数え切れないほどの激闘がありました。しかしそれらを制し、『勇者』 一行はエビルマウンテンの最奥へと辿り着くことに成功すると、その勢いのままに 『巨悪』 とぶつかりました。
それまでの激闘がほんのお遊びにしか思えない――それほどの死闘が、幕を開けました。
何度攻撃を受けたでしょうか。何度苦境に立たされたでしょうか。どれほど戦っても崩れない 『巨悪』 の姿に心折れそうになったことも、一度や二度ではありません。
しかし 『勇者』 は決して諦めず、戦い続けました。
そして最後には 『勇者』 の剣は 『巨悪』 の喉笛を貫き、死闘が幕を閉じたのです。
『巨悪』 が倒れたその時、『巨悪』 が操っていた者どもは一斉に抵抗をやめ、いずこかへと逃げていきました。
かくて永く続いた苦しみの時代は終わり、世界に平和が訪れたのです――」
詠うように、流れるような口調で話し終え、リュカはふぅと一息ついた。
黙って聞いていたウェールズは、物語の終了を察すると、微笑を浮かべながらパチパチと拍手を送る。
「なかなか面白かった――なるほど、確かにそれは英雄譚だ。しかも、最後の死闘のくだり、まるで見てきたどころか体験すらしてきたかのような物言いだね。もしやとは思うが、君は当事者だったりするのかい?」
その問いに、リュカは少しだけ逡巡してから、「はい」 と小さく頷いた。
「なるほど。普通ならば荒唐無稽と一笑に付すところだろうが、貴族派の陣を抜けた君の実力、そして君の従える幻獣たち……何より君自身の纏う雰囲気が、その話に妙な真実味を感じさせる。
そして君の今の話を僕の現状にたとえてみるのならば、奴ら貴族派が 『巨悪』 とそのしもべ、 我ら王党派が 『勇者』 と七人の仲間たち。
そしてあの忌まわしき 『ロイヤル・ソヴリン』――いや、今は 『レキシントン』 号か。それがエビルマウンテンといったところだな」
「……負けるつもりで戦えば、それがたとえ勝ち戦であったとしても敗北は必至」
自分たちの現状を英雄譚になぞらえたウェールズの言葉に、リュカは肯定も否定もせずに言葉を紡ぐ。
「ここが命を賭す場所だと思う殿下のお気持ち、否定はいたしません。しかし 『負ける覚悟』 と 『負けるつもり』 では、同じようでまったく違います」
「…………」
「殿下、『負けるつもり』 で戦わないでください。一矢報いたいと言うのであれば、報いた一矢を切っ掛けに逆転を狙うぐらいのお気持ちで戦ってください。
さすれば、たとえ敗北という結果が覆らなくとも、貴族派に与える被害は違ってくるでしょう。あるいは本当に、勝利を拾えるかもしれません。
奇跡というものは、それに手を伸ばさぬ者には決して手に入らぬものなのですから」
「それは――」
告げられた言葉に、ウェールズは言葉を詰まらせた。
――正直、ハンマーで殴られたかのような気分だった。
今の今まで、自分は死ぬことしか考えなかった。万に一つも可能性はないと、勝利することを諦めていた。
だが、それでは駄目なのだと気付いた。気付かされた。
勝つつもりで臨まずして、どうして王家の意地を見せられようか。絶対にこの国を明け渡さないという断固たる意志こそが、貴族派に見せるべき意地であるはずだったのに。
それを思い出し――ウェールズの口元には、自然と笑みがこぼれた。
「……君の言葉は、心に響くな」
「出過ぎた言葉、お許しください」
「はっはっはっ! いや、気にしないでくれ。君と話せて、本当に良かった。
ラ・ヴァリエール嬢といい君といい、最後の最後になって素晴らしい出会いに恵まれた。これは始祖ブリミルに感謝せねばなるまいな、はははっ――おっと、いやいや 『最後の最後』 などと言ってはいかんな」
言って、ウェールズは今度こそ、屈託の無い心からの笑顔を見せた。完全に憑き物が落ちたかのようなその顔に、自然とリュカにも笑顔が伝播する。
そして彼はおもむろに立ち上がり、うやうやしく一礼した。
「お元気になられたようで何より――では、僕はこれにて失礼いたします」
「ああ、とても楽しいひと時を過ごせた。君には感謝せねばなるまいな。今夜は良い夢を見られそうだ」
その言葉にリュカは 「それは何よりです」 と返し、部屋を後にする。ウェールズは名残惜しむかのように、扉が完全に閉まるその瞬間までリュカを見送っていた。
そして一人きりになった部屋の中、彼は窓の外の双月を見上げた。自分たち王党派を哀れんでいるかのように見えたその月明かりが、今では祝福しているかのようにすら思え、ウェールズの顔からは自然と笑みがこぼれた。
そして一方――退室したリュカは、そこから十数歩ほど離れた場所で、周囲に誰の目もないことを確認すると、壁に背を預けてズルズルと腰を落としていた。
「…………重い、な…………」
搾り出すようなその呟きには、確かな悲しみと後悔が滲み出ていた。
ウェールズとの会話で、リュカが彼に対して抱いた率直な感情は、『死なせたくない』 の一言に尽きた。しかし死地に向かうことをやめさせる隙が、リュカにはどうしても見出すことができなかった。
そしてその代わりとして、自分たちがミルドラースに立ち向かったあの時の心境や心構えを伝えたのだが――果たして本当にそれで良かったのかと、今では後悔ばかりが募る。その言葉でウェールズに力を与えてしまったのがわかった分、余計に。
――彼はきっと、明日の決戦で善戦する。
王党派が善戦すれば、確かにレコン・キスタの被害は増えるだろう――そう、『被害が増える』 のだ。
それはつまり、それだけ散る命が増えるということに他ならない。そのことを自覚した途端、リュカは自分の足元が崩壊したかのような、あるいは山脈一つがまるごと自分の背中にのしかかったかのような、そんな絶望的な想いに駆られた。
自分の一言が、間接的に大勢の命を奪うことに繋がってしまうのだ。そして一度口から出た言葉は、もう二度と取り返すことはできない。今更なかったことになどできず、ウェールズの決意を以前の状態に戻すこともできない。
たった一人の言葉が、大勢の人間の生死を左右する――それが、戦争というものなのか。
「これが人間同士の戦争、か。……結局、僕も甘かったということか。思った以上に重い……こんなの、子供たちには絶対に背負わせられない」
少なくとも、大人になるまでは。
まるで身体が鉛になったかのように重く感じられるこの気持ち、今のあの子たちには早過ぎる。
そして彼は二、三度ほど深呼吸し、少しだけ気持ちを落ち着けてから、重くなった腰を上げた。
「……地獄に堕ちても、文句は言えないな……」
若干生気を失った自嘲の言葉は、夜闇の中に溶けて消えた。
※注:ゲマとフローラでメラゾーマの色が違うというのは、この作品の独自設定です。原作ゲームを何度見直してみても、色の違いなどありません。
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