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#navi(三重の異界の使い魔たち)
食事の後、タバサは自身の使い魔となった3名と合流し、寮へと向かった。途中、部屋が
自分のものより2階下のキュルケと別れ、タバサたちは自室へ戻った。勿論、使い魔である
サイト、ナビィ、ムジュラの仮面にとっては初めて入る部屋である。特に、サイトなどは異性の
部屋に入ったことがないのか、必要以上に緊張しているようだった。
「おー、夜見ると更にすげーな、あの月!!」
しかし、それも30分以上前の話。ベッドに腰掛けて、使い魔召喚に関する本を読んでいた
タバサは、本から視線をちらと声の方に移す。そこには、窓際に集まったサイトたちが、
ハルケギニアの双月を眺めながら感嘆している姿があった。
「こっちの月は、青と赤に光るんだね」
「俺の所だと、白とか黄色とかに光ってたよ」
「ハイラルでもそうね」
サイトとナビィの会話が聞こえてくる。異世界の月の話、僅かに興味をそそられはしたが、
月はしょせんただの月、それほど詳しく聞くこともないだろう。
「よう、ムジュラ。どうした? やけに無口だけど」
窓枠に手を掛けながら、サイトが傍らに浮くムジュラの仮面に問い掛けた。いつの間にか、
愛称で互いを呼ぶ仲になっていたらしい。普段ならばどうでもいい話と切り捨てるところだが、
自分の使い魔たちのこと、ましてや色々と前例のない使い魔たちのことだ。些細なことでも、
気に留めておいた方がいいだろう。それぞれの特徴をまとめたノートでも作るべきだろうか。
「ああ、あの2つの月がな……」
「へえ、お前も月に見惚れたりするのか?」
意外そうにサイトが聞き返せば、ムジュラの仮面はなにか月よりも遠くを見るような眼で応えた。
「あの2つの月、あれを両方大地に落とせば、どれ程の業火を生むだろうな……」
「……何考えてんだよ……」
異形の仮面の返答に、黒髪の少年は呆れたような声を漏らした。呆れたのはタバサも同様だ。
月を落とせば、などと、無駄な妄想もいいところである。そんなこと、不可能でしかないと
いうのに。
しかし、誇大妄想はさておくとして、ムジュラの仮面は色々と興味深い存在だ。メイジとは
異なる、なおかつ強大な魔法を操る仮面。弱体化しているらしいとはいえ、先程見た力だけでも
その能力の深さは窺いしれた。
そして、それ――もとい、彼――を被ることになった少年、ヒラガサイト。彼もまた無視
できない。彼の持っていた“のーとぱそこん”なる道具。あれはこれまで幾多の書物を読んで
きたタバサにさえ、全く未知の代物だった。そして、彼曰くあれは彼にとっては珍しくないもの
らしい。あんなものが普通に作られるような技術力、それを持つ土地で育った彼は、おそらく
自分にハルケギニアの文献とは違った知識をもたらしてくれるだろう。
そして、彼らの傍で浮遊するナビィ。彼女の特殊能力はかなり有用になると思われる。
単純に聴覚を共有するだけでなく、離れた相手と会話を可能とする力。使い魔を3名も従える
身としては、ムジュラの仮面、サイトと別行動を取る際も連絡が非常にスムーズになるはずだ。
なによりも、彼らの一人一人が、それぞれハルケギニアと全く異なる世界から来たのだと
いう。
違う世界――正直にいって、そんなものおとぎ話でしかあり得ないと思っていた。しかし、
彼らは確かにハルケギニアの存在とは違うように思える。少なくとも、ハルケギニアとは全く
常識を異にする場所があることは確かだろう。
そして、彼らをそこから連れだしてしまったのは、タバサだ。タバサが、彼らをそれまでいた
世界から、彼らが常識としていた日常から、無理やり遠ざけてしまった。3名の内1名は別段気に
した風ではないにせよ、決して故意があったわけではないにせよ、自分が彼らの生活を一変させて
しまったという事実は、タバサの心に重くのしかかっていた。他者の運命を自分の都合で捻じ曲げる
――それは彼女が最も憎むべき男がしたことと、同じことであるように感じられたからだ。
だからこそ、自分は彼らに対する責任を負わなければならない。そのため、今もサモン・
サーヴァントに関する文献を改めて――今日まで既にあらかた読んだ――読み直している。
「なあ、タバサ」
それから2冊ほど本を読んだところで、サイトが声を掛けてきた。
「なに?」
「いや、タバサさっきから本読んでるけど……」
そこまで言うと、サイトは何故か困ったような表情を浮かべた 。どうしたのだろう、彼らを放って
おいて読書をしていたことが気に入らなかったのだろうか。
「俺たちにも、字を教えてくれないか?」
違ったようだ。
「字を?」
「ああ。タバサは俺達を帰す方法を探してくれるって言ってたけど、やっぱり俺達も自分で探した方が
いいだろ? なら、本とかで調べられるように字が読めないとさ」
そういうサイトの顔は、微妙に赤みを帯びている気がした。どうやら、先程の表情は年下の女子に
物を教わろうとするのが気恥ずかしかったためらしい。
タバサはベッドから立ち上がると、周囲の本棚から簡単な本を何冊か見繕う。そして、それらを机の
上に乗せると、杖を振るって予備の椅子を机のそばにつけた。
「こっち」
サイトは一瞬きょとんとするが、すぐにここに座れと言われたことに気付いたらしい。相好を崩し、
タバサの用意した椅子に座った。それに、彼の同僚2名も続く。そして、タバサと使い魔たちの識字
講習が始まった。
「言葉は判るけど、字はどうだろうと思ってたけど」
授業開始早々、サイトがそんな呟きを漏らす。
「やっぱり、字は全然読めないな」
落胆したように、黒髪の少年は肩を落とした。ここで読めたらこの講習の意味がなくなるのだが、
それを聞いてタバサも妙に思う。
「そもそも、何故貴方たちと私たちの言葉が通じるのかも不明」
彼らの内、少なくともサイトは名前の雰囲気からして自分たちとは異なる言語体系の持ち主と推測
できた。ナビィとムジュラの仮面は、名前からはあまり違和感がないが、それでも違う土地から来た
以上言葉に差異はあるはずだ。それなのに、彼らとの会話は互いに未知の単語が時折現れる意外は
普通に行えている。
「何故貴方たちとは言語の違いを感じないのか、判らない」
「Hey!」
タバサとサイトが首を傾げていると、ナビィの元気のいい声が耳に届く。
「Listen! どうしてかは判りませんけど、もしかしてワタシたちにこの世界の言語を翻訳する力が
働いているんじゃないでしょうか?」
「翻訳する力?」
サイトが聞き返せば、ナビィは体ごと頷く。
「きっとワタシたちが自分たちの言葉で喋ると、なにかの働きで喋ったことが自動的にこの世界の
言葉に翻訳されるのよ。逆に、ワタシたちが聞くこの世界の言葉は、ワタシたちの言葉で聞こえる
ようになるの。だから、ワタシとサイトとムジュラがそれぞれ喋った言葉も一度この世界の言葉に
なるから、タバサ様たちにも通じるし、ワタシたちにも聞く時の翻訳機能で通じる様になるんだわ」
そう締め括ったナビィの推論は、筋の通ったものだった。確かにそう考えれば、それぞれ異世界の
住人であるサイトたちが自分たち、そして彼ら自身の間で言語を共有できる理由に説明が付く。
しかし、疑問が残らないではない。
「でもさ、なんでそんな都合のいいもんが働いたりするんだ?」
その疑問は、サイトによって指摘される。一体何故そんな翻訳機能が生じたりするのか、それが
判らなかった。そこで、ムジュラの仮面がどうでもよさそうな調子で考察を口にする。
「異世界へとが繋がることは、前例がないんだろう? だったら、召喚魔法の副作用としてそんな
ことが起こることもあるんじゃないか?」
「なんか投げ遣りだな、おい」
サイトが少し咎めるような声を出す。確かにムジュラの仮面の声はいかにもいい加減なもの
だったが、まあ考え方としては妥当であるとタバサには思えた。
そこで、タバサは話が脱線しすぎていることに気付く。
「続ける」
「あ、はいはい」
本を指差しながら声を掛けると、サイトが真面目な顔をつくってそちらに向き直り、ナビィと
ムジュラの仮面もそれに倣う。そして、タバサはサイトたちに字の読み方から教え始めた。
それからしばらくして、ナビィの言う翻訳機能はどうやら文字にも有効であったことが判明
する。サイトたちはタバサが本の単語を読む度にその単語を習得し、それを数回繰り返した
だけで基本的な文章は読めるようになっていた。更に、どうやらこの機能は翻訳用であると
同時に要約用でもあるらしい。サイトたちの音読を聞いていれば、皆原文とは微妙に違う、
しかし間違ったものでなく、より意味の通り易い簡潔な文章に置き換えて読んでいた。例えば、
「ミルクを零してしまった」という慣用表現を、「大変なことをしてしまった」という本来の
意味で読むといった具合で、言い回しの類を簡略化するのだ。
そうやって1対3の講習を続けていくと、いつの間にかもう大分夜も更けていた。
「そろそろ、寝る時間」
「あ、そうだな。結構経ったし」
サイトの声を背に、タバサはクローゼットへ近づき、おもむろにマントを脱いで、上着の
ボタンを外しにかかる。
「ちょっ、なにやってんだよ!?」
それを見ていたサイトが、背後でやたら慌てた声を上げた。
「寝間着に着替える」
振り返って答えながらも、ボタンを外す手は休めない。
「い、いや、なにも男がいる前で着替えることないだろ!?」
「これから一緒に暮らしていく」
焦っているのか少し調子のずれた声のサイトに、タバサは冷静に答えた。実際、サイトとは
これからこの部屋で共同生活していくのだ。別に全裸になるわけでもなし、下着姿を見られる
程度で、動じることはない。それに、他人に肌を見られる程度で羞恥を感じるには、自分は
侮辱を受けすぎている。
「だから問題ない」
言いながらシャツを脱げば、サイトの顔が真っ赤に染まった。
「お、俺が問題あるんだよっ!!」
叫ぶや否や、サイトは脱兎の勢いで部屋から出ていった。半瞬遅れて、ドアが音を立てて
閉じられる。
「……」
そうして、取り残されたタバサは、先程のサイトの表情を思い出す。はけで塗ったような、
見事な赤面。自分でも未成熟だと思うタバサのこの体を見て、あそこまで照れることはない
だろう。内心ではそう思うものの、あそこまで素直に焦られると、こちらもなんだか恥ずかしく
なってくる。
「…………」
結果として、タバサは頬を軽く染め、今更ながらシュミーズで包まれた体を抱くのだった。
「はぁ……」
タバサの部屋の前で、才人は大きく溜息をついた。
「まったく、自分が女の子だって自覚あんのかよ」
男の前でためらいもなく着換え出すタバサに、呆れと戸惑いが入り混じった感情で毒づいて
みる。幾ら幼い外見だからとて、15歳という年頃の少女の態度ではないだろうに。
「と、いうよりも、お前が男扱いされてないんじゃないのか?」
一人頭を悩ませているところへ、横手から意地の悪い声が掛かる。
「なんだ、いたのかムジュラ」
「悪いか?」
「いや、悪かないけど」
部屋を出る時にくっついてきたのだろう、いつの間にか傍らに浮いていたムジュラの仮面に、
才人は軽く頭を掻く。ナビィの姿は見えなかったので、彼女は部屋に残ったようだ。
「それより、俺が男として見られてないって、どういう意味だよ」
少し厳し目の声で、ムジュラの仮面に問い質す。生きているとはいえ、仮面に男のアイデン
ティティーを否定されては黙っていられない。
一方で、ムジュラの仮面はどこか見下すような光を眼に湛えていた。
「お前、色々と経験ないだろう?」
「ぐはっ!?」
いきなり図星を突かれ、彼女いない歴17年の才人はひざから崩れ落ちかける。
「なんでお前がそんなこと知ってんだよ……」
「見れば判る」
硬い声で尋ねれば、あっさりと無情な答えが返ってきた。
「その歳でろくに知らないガキじゃ、男と見られんでも仕方はないだろ?」
「ぐうぅ……」
ムジュラの仮面の言い分に、才人としては唸るしかない。しかし、そこでふと気付く。
「って、ちょっと待てよ。そんなこと言うけど、それじゃあタバサは? タバサはどうなんだよ」
あの2つも年下の幼げな少女に先を越されているとすれば、なんとも切ない。しかし、
ムジュラの仮面は答えずにいる。
「おいってば!」
「さあて、自分で聞いてみたらどうだ?」
再度の質問には、そんな返事を送られるにいたった。無論、常識的に考えれば今日会った
ばかりの少女に面と向かってそんな質問をするわけにはいかない。というよりも、そんな
ことを気にしている時点で、なにやら罪悪感がふつふつと湧きだしてきた。そんな才人に対して
ムジュラの仮面が向ける眼はというと、実に意地の悪さがよく判る輝き方をしている。
「薄々気付いてたけどよ、ムジュラ、お前性格悪いだろ」
「今頃気づいたのか? ナビィと比べて随分鈍いな」
罵倒の声に余裕で応えるムジュラの仮面に、才人はまたも溜息をついた。これからこの性悪な
仮面と同僚をやっていくのかと思うと、やや頭痛を覚える。
そんな遣り取りを続けていると、やがてタバサの着替えが終わったとナビィの声が告げてきた。
それに従い、才人たちは部屋に戻る。そこには、果たしてナビィと、レースの付いた薄いグリーンの
ネグリジェを着たタバサがいた。
「今日はもう寝る」
「ああ、でも」
タバサの言葉に答えながら、才人は改めて室内を見回す。部屋のサイズは、日本でいう八畳間程は
あるだろうか、入口から見て右側の壁は一面が才人の背よりも頭3つ分は高い本棚で覆われ、その
全てが本に埋め尽くされていた。入口から正面には先程才人たちが月を見ていた高さ2メートル、
幅1.5メートルほどもある大きなアーチ状の窓があり、その右隣りには字を教えてもらった机が
ある。そして、窓の左隣には簡素な造りながら見るからに柔らかそうな、それでいて人が3人は
余裕で寝られそうな程大型のベッドがあった。けれど、言い換えればそれだけしかない。
「俺、何処で寝ればいいかな?」
戸惑い気味に、才人はタバサに尋ねた。ベッドはその大型のもの1つだけで、他に寝具は
見当たらない。疑問に思っていると、タバサは無造作に手にした杖でベッドを指した。部屋に
1つしかないベッドを。
「ここ」
「えーと……」
何やら嫌な予感がしてきた才人は、少し表情を引きつらせて質問を重ねた。
「じゃあ、タバサは何処で寝るの?」
「ここ」
やはり唯一のベッドを指し示される。予感的中。つまり、タバサは才人と一緒に寝るつもりで
いるらしい。
「あのー、タバサさん?」
「なに?」
首を傾げるタバサに、才人は1つ咳払いして言葉を続ける。
「俺、男。で、タバサは女の子。OK?」
「知ってる」
そう言うタバサの顔は、無表情ながら何を言っているのかと言わんばかりの色が見てとれた。
「普通、男と女は、簡単に一緒に寝ようとしたりしちゃダメなの。OK?」
「ベッドは1つしかない」
一般論からたしなめようとする才人に対し、タバサは事実を淡々と告げてきた。
「貴方は私のせいで故郷から切り離されてしまった。そんな相手にベッドを使わせないような
真似はできない。私も、自分の部屋ではなるべくベッドで寝たい」
「いや、それは……」
そういう風に言われては、才人も返す言葉がうまく見つからなかった。それに、確かに
タバサとベッドを共にしなければ、自分かタバサのどちらかが床で寝るしかなくなる。才人と
してもどちらかといえばベッドで寝たいし、だからといって女の子を床で寝かせるわけにも
いかない。だからといっても、やはり知り合ったばかりの少女との同衾には少なからず抵抗が
ある。
どうしたものかと頭を悩ませていると、不意にタバサの瞳に目が行った。そこには深い
碧さがあった。海のように底の知れない、強い意志を秘めた翠眼。それに気圧され、才人は
抗議の意思が薄れていくのを感じ始める。
「まあ、別にいいだろうよ。2人で寝るにも十分すぎるサイズに見えるぞ」
眠た気な声に振り返ってみればムジュラの仮面が眼の光を鈍くしてたたずんでいた。
「オレは先に寝させてもらう。主、壁を借りるぞ」
「壁?」
才人、タバサ、ナビィが揃って疑問の声を上げる間にも、ムジュラの仮面は言った通り
ベッド側の壁まで寄ると体を反転させた。そして、裏側を壁にぴたりとつけると、その目から
光を完全に消して見せる。どうやら、眠ったらしい。
それにしても、と才人は思う。
「この部屋にこいつが掛けられてるってのも、相当似合わないな……」
いかにも何処かの部族の仮面といった風情のムジュラの仮面が、この本ばかりではあるが
優美な内装の部屋に飾られているという有様は、酷くアンバランスに思えた。
「でも、それを言ったらサイトの空色の服にムジュラ被るのだって、まるで合ってないよ」
「……確かに」
言いながら、才人は自分のナイロンパーカーを軽くつまむ。この服装でムジュラの仮面を
被るのは、確かに似合わなすぎるだろう。
――でも、こいつに似合う服ってどんなだよ
ムジュラの仮面とマッチしそうな服と、それを着た自分を想像し、才人は一人呻いた。そこへ、
タバサが才人のパーカーの裾を軽く引っ張ってくる。
「寝る」
「あ、うん」
なんだか、もはや口答えする気もなくし、才人はとりあえず上着だけ脱ぎ、白のハーフ
スリーブシャツ姿で、タバサとともにベッドに入る。
――ま、ただ寝るだけだし、別にいいか
持ち前の楽天ぶりを発揮し、才人はそっと目を閉じた。
しかし、30分もしない内に、その見通しが甘かったことを思い知る。
才人は、1つ小さな呻きを漏らしてその誤算の正体を見据えた。薄闇を通し、ベッドの
向かい側に1つの影を見つけることができる。勿論、タバサだ。ほぼ同時に布団を被った
タバサは、既に夢の中の住人だった。自分たち3名に文字を教えて疲れたのだろうか、
すっかり熟睡している。
ちなみに、妖精であるナビィは睡眠の必要はないとのことで、机の辺りを漂っていた。
ムジュラの仮面は、変わらず壁に張り付いていて現在部屋のインテリア中。
それはともかく、問題なのはタバサが才人の方を向いて寝ていることだった。より詳しく
言えば、タバサの寝顔が、大問題なのだ。
――なんつーか、綺麗過ぎだろ……
心の中で、賞賛のような毒づきを漏らす。彼女の顔立ちが平均以上であることは気付いて
いたが、眼鏡を取り、夜の帳が下り、瞼の閉じられた状態というのは、昼間起きている時に
見るのとはまた違った印象を受ける。
光の下よりも深みを増した髪。長いまつ毛に縁どられ、柔らかに閉じられた瞳。暗がりの
中から覗けるそのあどけなくも整った寝姿は、一種神秘的な美しさを感じさせた。そんな姿を
見ていると、不覚にも胸の鼓動が逸り始めるのを感じてしまう。
――そういや俺、さっきタバサとキスしたんだよな……
不意にそのことが思い出された。刹那、心音がまた少し高くなる。その高鳴りは才人の
意思に反して緩やかに上がっていくようで、それにつれてますますタバサの寝顔から目が
離せなくなっていく。
――いやいや、だから待て待てっての! 俺はロリコンじゃない! いつかやらかしちゃう
類のヒトじゃない!
思わず才人は頭(かぶり)を振るが、そこでタバサが15歳であることを思い出す。
――セーフか? ……いや、アウトだな
さり気なく失礼な判定を1人脳内で行い、才人はタバサから顔を背けようとした。
「……まって……」
そこへ、震えの混じる声が、才人の耳に届く。思わず声の方を向いてみれば、才人はそこで
目を見開いた。
「まって……」
そこに、閉じられた瞳の隙間から涙の粒を落とす、タバサの姿があったのだから。
「タ、タバサ!?」
驚きに任せて身を起こすも、次に聞こえてきた言葉に眉をひそめる。
「とうさま……かあさま……」
涙に濡れたような声で、父と母を呼ぶタバサ。混乱するサイトをよそに、それは続けられる。
「とうさま、かあさま……まって……だめ……」
涙が零れていた。言葉が零れていた。涙が一滴零れる度に言葉が一言零れていき、言葉が
一言零れる度に涙が一滴零れていく。
「とうさま……いってはだめ……かあさま……のんではだめ……」
哀しみの粒がシーツを濡らす。嘆きの音が耳を突き刺す。苦悶に満ちた嗚咽が部屋を満たして
いく中で、胸が締め付けられるような痛みを訴えた。
「とうさま……かあさま……だめ……わたしをひとりにしないで……」
そして、それ以上の悲哀の激痛に苦しむ少女の姿がある。才人は、そっとその許へと身を
寄せていった。
「とうさま……かあさま……」
未だに悲哀の嵐は治まる兆しはなく、その最中(さなか)でタバサは1人震えながら、
孤独な悲鳴を上げ続けている。
「おいていかないで……ひとりにしないで……」
そんな彼女の体を、才人はそっと抱きしめた。首に手を回し、不慣れな手つきで小さな
頭を撫でる。
「大丈夫、大丈夫だ……」
タバサの耳元に、静かな、そして言い聞かせるような声で呟いた。すると、タバサの体から、
僅かに震えが消えていく。
「大丈夫だから……」
その言葉に、なにか意味や根拠があるわけではない。そもそも、才人にはタバサの寝言の
意味も、泣いている理由も判らない。けれど、タバサは今苦しんでいる。それだけは確かだ。
だから、何とかしたいと思った。たとえそれがこんな拙い慰めしかできないのだとしても、
放っておくことはできなかった。彼女は、こんな哀しい声をすべき娘(こ)じゃない。もっと
幸せな笑みを浮かべるべき娘だ。何の根拠もないそんな確信が、才人の中で生まれていた。
そうやって不器用な慰めを続けていると、やがて腕の中から安らかな寝息が聞こえてくる。
「落ち着いたか……」
誰に言うでもなく言葉を漏らすが、タバサを撫でる手を止めようとはしない。このまま
こうしておいた方が、タバサも安心するかもしれないから。
そこで、才人は改めてタバサを見つめ直す。身長は140センチほどしかなく、体つきは
華奢と表現するよりないほど細い。この頼りない体の中に、彼女はどれほどの悲哀を抱えて
いるのだろうか。謎めいた少女とは思ってはいた。しかし、そんな言葉では追いつかない、
自分などには想像もできない程に大きな事情が彼女にはあるのかもしれない。それを感じた
時、才人の中でタバサを護るという思いが、朧気ながら輝き始めていった。
数分後自分の状態を冷静に考えた才人が自分のロリコン審問を再開するのは、また別の話。
その頃、トリステイン魔法学院の上空に1頭の竜が浮かんでいた。シルフィードよりも
大型で、白い鱗を持つ風竜。ジュリオ・チェザーレは、その上にまたがっていた。白を基調と
した神官服と濃紺のマントで身を包んだ彼は、夜の上空の寒気に小さく身を震わせた。余りの
寒さにその顔は歪むが、それでもなおそこには美貌とよぶべきものを感じさせる。白金色の
眩い髪に、女性と見紛うような細面の上でバランス良く、そして最高級の造形で各部位が
配置された顔立ち。
なによりも目を引くのは、彼の瞳だ。左目はルイズのそれと同じ鳶色だが、右目はタバサの
ような碧い瞳。異なる色に光る月に例え、月目と呼ばれる目。ハルケギニアでは不吉とされる
その相貌は、彼の美しすぎる美貌の中で危うさのアクセントのように輝いていた。
「なんなんだろうね」
魔法学院を見下ろしながら、ジュリオは独りごつ。
「トリステインの“担い手”の様子を見に来てみれば、いやはやとんだびっくり箱だ」
言葉面こそ飄々としているが、その声音に硬さは否めない。
「風韻竜に“盾”のルーンが刻まれたのは、まあいいとしても、青の姫君が召喚した連中、
あいつらは一体なんなんだ?」
疑念の滲んだ声を上げながら、ジュリオは魔法学院の寮棟の辺りを見据えた。
「あの黒髪君の方は、たぶん“工芸品”の世界から来たんだろうけど、後の2人は判らないな。
というか、妖精に魔族? まるでおとぎ話じゃないか」
呆れの感情を混ぜながらも、ジュリオの疑念は終わらない。
「大体、彼らに刻まれたルーン、あんな形で刻まれるものなのか? それ以前に、なんで
彼女の使い魔にあのルーンが? いや、そもそもなんで3体も召喚されたんだ?」
そこまで言うと、ジュリオは乱暴に頭を掻きむしる。
「ああ、くそっ、わけ判んねえよ!!」
品のいい顔立ちに似合わぬ粗野な言葉遣いで吐き捨てると、ジュリオは1つ息をついた。
「とにかく、このことは聖下に報告すべきだな。行こう、アズーロ」
声を掛けながら相棒の脇腹を踵で軽く叩き、ジュリオはその空域から去っていく。
こうして、才人、ナビィ、ムジュラの仮面の、異世界での最初の一日は終わっていった。
未成熟ながら、他者を護るために力を尽くせる少年、平賀才人。
勇者とともに巨悪と戦い、伝説の一翼を担った少女、ナビィ。
本来ならば、月さえも動かし得る力を持つ者、ムジュラの仮面。
この3者との出会いが、雪風のタバサにどのような運命をもたらすのか、この世界をどう
動かしていくのか。
その答えを持つ者は、まだ誰もいない。
~続く~
#navi(三重の異界の使い魔たち)
#navi(三重の異界の使い魔たち)
食事の後、タバサは自身の使い魔となった3名と合流し、寮へと向かった。途中、部屋が
自分のものより2階下のキュルケと別れ、タバサたちは自室へ戻った。勿論、使い魔である
サイト、ナビィ、ムジュラの仮面にとっては初めて入る部屋である。特に、サイトなどは異性の
部屋に入ったことがないのか、必要以上に緊張しているようだった。
「おー、夜見ると更にすげーな、あの月!!」
しかし、それも30分以上前の話。ベッドに腰掛けて、使い魔召喚に関する本を読んでいた
タバサは、本から視線をちらと声の方に移す。そこには、窓際に集まったサイトたちが、
ハルケギニアの双月を眺めながら感嘆している姿があった。
「こっちの月は、青と赤に光るんだね」
「俺の所だと、白とか黄色とかに光ってたよ」
「ハイラルでもそうね」
サイトとナビィの会話が聞こえてくる。異世界の月の話、僅かに興味をそそられはしたが、
月はしょせんただの月、それほど詳しく聞くこともないだろう。
「よう、ムジュラ。どうした? やけに無口だけど」
窓枠に手を掛けながら、サイトが傍らに浮くムジュラの仮面に問い掛けた。いつの間にか、
愛称で互いを呼ぶ仲になっていたらしい。普段ならばどうでもいい話と切り捨てるところだが、
自分の使い魔たちのこと、ましてや色々と前例のない使い魔たちのことだ。些細なことでも、
気に留めておいた方がいいだろう。それぞれの特徴をまとめたノートでも作るべきだろうか。
「ああ、あの2つの月がな……」
「へえ、お前も月に見惚れたりするのか?」
意外そうにサイトが聞き返せば、ムジュラの仮面はなにか月よりも遠くを見るような眼で応えた。
「あの2つの月、あれを両方大地に落とせば、どれ程の業火を生むだろうな……」
「……何考えてんだよ……」
異形の仮面の返答に、黒髪の少年は呆れたような声を漏らした。呆れたのはタバサも同様だ。
月を落とせば、などと、無駄な妄想もいいところである。そんなこと、不可能でしかないと
いうのに。
しかし、誇大妄想はさておくとして、ムジュラの仮面は色々と興味深い存在だ。メイジとは
異なる、なおかつ強大な魔法を操る仮面。弱体化しているらしいとはいえ、先程見た力だけでも
その能力の深さは窺いしれた。
そして、それ――もとい、彼――を被ることになった少年、ヒラガサイト。彼もまた無視
できない。彼の持っていた“のーとぱそこん”なる道具。あれはこれまで幾多の書物を読んで
きたタバサにさえ、全く未知の代物だった。そして、彼曰くあれは彼にとっては珍しくないもの
らしい。あんなものが普通に作られるような技術力、それを持つ土地で育った彼は、おそらく
自分にハルケギニアの文献とは違った知識をもたらしてくれるだろう。
そして、彼らの傍で浮遊するナビィ。彼女の特殊能力はかなり有用になると思われる。
単純に聴覚を共有するだけでなく、離れた相手と会話を可能とする力。使い魔を3名も従える
身としては、ムジュラの仮面、サイトと別行動を取る際も連絡が非常にスムーズになるはずだ。
なによりも、彼らの一人一人が、それぞれハルケギニアと全く異なる世界から来たのだと
いう。
違う世界――正直にいって、そんなものおとぎ話でしかあり得ないと思っていた。しかし、
彼らは確かにハルケギニアの存在とは違うように思える。少なくとも、ハルケギニアとは全く
常識を異にする場所があることは確かだろう。
そして、彼らをそこから連れだしてしまったのは、タバサだ。タバサが、彼らをそれまでいた
世界から、彼らが常識としていた日常から、無理やり遠ざけてしまった。3名の内1名は別段気に
した風ではないにせよ、決して故意があったわけではないにせよ、自分が彼らの生活を一変させて
しまったという事実は、タバサの心に重くのしかかっていた。他者の運命を自分の都合で捻じ曲げる
――それは彼女が最も憎むべき男がしたことと、同じことであるように感じられたからだ。
だからこそ、自分は彼らに対する責任を負わなければならない。そのため、今もサモン・
サーヴァントに関する文献を改めて――今日まで既にあらかた読んだ――読み直している。
「なあ、タバサ」
それから2冊ほど本を読んだところで、サイトが声を掛けてきた。
「なに?」
「いや、タバサさっきから本読んでるけど……」
そこまで言うと、サイトは何故か困ったような表情を浮かべた 。どうしたのだろう、彼らを放って
おいて読書をしていたことが気に入らなかったのだろうか。
「俺たちにも、字を教えてくれないか?」
違ったようだ。
「字を?」
「ああ。タバサは俺達を帰す方法を探してくれるって言ってたけど、やっぱり俺達も自分で探した方が
いいだろ? なら、本とかで調べられるように字が読めないとさ」
そういうサイトの顔は、微妙に赤みを帯びている気がした。どうやら、先程の表情は年下の女子に
物を教わろうとするのが気恥ずかしかったためらしい。
タバサはベッドから立ち上がると、周囲の本棚から簡単な本を何冊か見繕う。そして、それらを机の
上に乗せると、杖を振るって予備の椅子を机のそばにつけた。
「こっち」
サイトは一瞬きょとんとするが、すぐにここに座れと言われたことに気付いたらしい。相好を崩し、
タバサの用意した椅子に座った。それに、彼の同僚2名も続く。そして、タバサと使い魔たちの識字
講習が始まった。
「言葉は判るから、字はどうだろうと思ってたけど」
授業開始早々、サイトがそんな呟きを漏らす。
「やっぱり、字は全然読めないな」
落胆したように、黒髪の少年は肩を落とした。ここで読めたらこの講習の意味がなくなるのだが、
それを聞いてタバサも妙に思う。
「そもそも、何故貴方たちと私たちの言葉が通じるのかも不明」
彼らの内、少なくともサイトは名前の雰囲気からして自分たちとは異なる言語体系の持ち主と推測
できた。ナビィとムジュラの仮面は、名前からはあまり違和感がないが、それでも違う土地から来た
以上言葉に差異はあるはずだ。それなのに、彼らとの会話は互いに未知の単語が時折現れる意外は
普通に行えている。
「何故貴方たちとは言語の違いを感じないのか、判らない」
「Hey!」
タバサとサイトが首を傾げていると、ナビィの元気のいい声が耳に届く。
「Listen! どうしてかは判りませんけど、もしかしてワタシたちにこの世界の言語を翻訳する力が
働いているんじゃないでしょうか?」
「翻訳する力?」
サイトが聞き返せば、ナビィは体ごと頷く。
「きっとワタシたちが自分たちの言葉で喋ると、なにかの働きで喋ったことが自動的にこの世界の
言葉に翻訳されるのよ。逆に、ワタシたちが聞くこの世界の言葉は、ワタシたちの言葉で聞こえる
ようになるの。だから、ワタシとサイトとムジュラがそれぞれ喋った言葉も一度この世界の言葉に
なるから、タバサ様たちにも通じるし、ワタシたちにも聞く時の翻訳機能で通じる様になるんだわ」
そう締め括ったナビィの推論は、筋の通ったものだった。確かにそう考えれば、それぞれ異世界の
住人であるサイトたちが自分たち、そして彼ら自身の間で言語を共有できる理由に説明が付く。
しかし、疑問が残らないではない。
「でもさ、なんでそんな都合のいいもんが働いたりするんだ?」
その疑問は、サイトによって指摘される。一体何故そんな翻訳機能が生じたりするのか、それが
判らなかった。そこで、ムジュラの仮面がどうでもよさそうな調子で考察を口にする。
「異世界へとが繋がることは、前例がないんだろう? だったら、召喚魔法の副作用としてそんな
ことが起こることもあるんじゃないか?」
「なんか投げ遣りだな、おい」
サイトが少し咎めるような声を出す。確かにムジュラの仮面の声はいかにもいい加減なもの
だったが、まあ考え方としては妥当であるとタバサには思えた。
そこで、タバサは話が脱線しすぎていることに気付く。
「続ける」
「あ、はいはい」
本を指差しながら声を掛けると、サイトが真面目な顔をつくってそちらに向き直り、ナビィと
ムジュラの仮面もそれに倣う。そして、タバサはサイトたちに字の読み方から教え始めた。
それからしばらくして、ナビィの言う翻訳機能はどうやら文字にも有効であったことが判明
する。サイトたちはタバサが本の単語を読む度にその単語を習得し、それを数回繰り返した
だけで基本的な文章は読めるようになっていた。更に、どうやらこの機能は翻訳用であると
同時に要約用でもあるらしい。サイトたちの音読を聞いていれば、皆原文とは微妙に違う、
しかし間違ったものでなく、より意味の通り易い簡潔な文章に置き換えて読んでいた。例えば、
「ミルクを零してしまった」という慣用表現を、「大変なことをしてしまった」という本来の
意味で読むといった具合で、言い回しの類を簡略化するのだ。
そうやって1対3の講習を続けていくと、いつの間にかもう大分夜も更けていた。
「そろそろ、寝る時間」
「あ、そうだな。結構経ったし」
サイトの声を背に、タバサはクローゼットへ近づき、おもむろにマントを脱いで、上着の
ボタンを外しにかかる。
「ちょっ、なにやってんだよ!?」
それを見ていたサイトが、背後でやたら慌てた声を上げた。
「寝間着に着替える」
振り返って答えながらも、ボタンを外す手は休めない。
「い、いや、なにも男がいる前で着替えることないだろ!?」
「これから一緒に暮らしていく」
焦っているのか少し調子のずれた声のサイトに、タバサは冷静に答えた。実際、サイトとは
これからこの部屋で共同生活していくのだ。別に全裸になるわけでもなし、下着姿を見られる
程度で、動じることはない。それに、他人に肌を見られる程度で羞恥を感じるには、自分は
侮辱を受けすぎている。
「だから問題ない」
言いながらシャツを脱げば、サイトの顔が真っ赤に染まった。
「お、俺が問題あるんだよっ!!」
叫ぶや否や、サイトは脱兎の勢いで部屋から出ていった。半瞬遅れて、ドアが音を立てて
閉じられる。
「……」
そうして、取り残されたタバサは、先程のサイトの表情を思い出す。はけで塗ったような、
見事な赤面。自分でも未成熟だと思うタバサのこの体を見て、あそこまで照れることはない
だろう。内心ではそう思うものの、あそこまで素直に焦られると、こちらもなんだか恥ずかしく
なってくる。
「…………」
結果として、タバサは頬を軽く染め、今更ながらシュミーズで包まれた体を抱くのだった。
「はぁ……」
タバサの部屋の前で、才人は大きく溜息をついた。
「まったく、自分が女の子だって自覚あんのかよ」
男の前でためらいもなく着換え出すタバサに、呆れと戸惑いが入り混じった感情で毒づいて
みる。幾ら幼い外見だからとて、15歳という年頃の少女の態度ではないだろうに。
「と、いうよりも、お前が男扱いされてないんじゃないのか?」
一人頭を悩ませているところへ、横手から意地の悪い声が掛かる。
「なんだ、いたのかムジュラ」
「悪いか?」
「いや、悪かないけど」
部屋を出る時にくっついてきたのだろう、いつの間にか傍らに浮いていたムジュラの仮面に、
才人は軽く頭を掻く。ナビィの姿は見えなかったので、彼女は部屋に残ったようだ。
「それより、俺が男として見られてないって、どういう意味だよ」
少し厳し目の声で、ムジュラの仮面に問い質す。生きているとはいえ、仮面に男のアイデン
ティティーを否定されては黙っていられない。
一方で、ムジュラの仮面はどこか見下すような光を眼に湛えていた。
「お前、色々と経験ないだろう?」
「ぐはっ!?」
いきなり図星を突かれ、彼女いない歴17年の才人はひざから崩れ落ちかける。
「なんでお前がそんなこと知ってんだよ……」
「見れば判る」
硬い声で尋ねれば、あっさりと無情な答えが返ってきた。
「その歳でろくに知らないガキじゃ、男と見られんでも仕方はないだろ?」
「ぐうぅ……」
ムジュラの仮面の言い分に、才人としては唸るしかない。しかし、そこでふと気付く。
「って、ちょっと待てよ。そんなこと言うけど、それじゃあタバサは? タバサはどうなんだよ」
あの2つも年下の幼げな少女に先を越されているとすれば、なんとも切ない。しかし、
ムジュラの仮面は答えずにいる。
「おいってば!」
「さあて、自分で聞いてみたらどうだ?」
再度の質問には、そんな返事を送られるにいたった。無論、常識的に考えれば今日会った
ばかりの少女に面と向かってそんな質問をするわけにはいかない。というよりも、そんな
ことを気にしている時点で、なにやら罪悪感がふつふつと湧きだしてきた。そんな才人に対して
ムジュラの仮面が向ける眼はというと、実に意地の悪さがよく判る輝き方をしている。
「薄々気付いてたけどよ、ムジュラ、お前性格悪いだろ」
「今頃気づいたのか? ナビィと比べて随分鈍いな」
罵倒の声に余裕で応えるムジュラの仮面に、才人はまたも溜息をついた。これからこの性悪な
仮面と同僚をやっていくのかと思うと、やや頭痛を覚える。
そんな遣り取りを続けていると、やがてタバサの着替えが終わったとナビィの声が告げてきた。
それに従い、才人たちは部屋に戻る。そこには、果たしてナビィと、レースの付いた薄いグリーンの
ネグリジェを着たタバサがいた。
「今日はもう寝る」
「ああ、でも」
タバサの言葉に答えながら、才人は改めて室内を見回す。部屋のサイズは、日本でいう八畳間程は
あるだろうか、入口から見て右側の壁は一面が才人の背よりも頭3つ分は高い本棚で覆われ、その
全てが本に埋め尽くされていた。入口からすぐ左には大きめの白いクローゼットと、各種雑貨の
乗ったアンティークな棚が設置されており、入口の正面には先程才人たちが月を見ていた高さ
2メートル、 幅1.5メートルほどもある大きなアーチ状の窓がある。その右隣りにあるのは、
字を教えてもらった机だ。
そして、窓の左隣には簡素な造りながら見るからに柔らかそうな、それでいて人が3人は
余裕で寝られそうな程大型のベッドがあった。けれど、言い換えればそれだけしかない。
「俺、何処で寝ればいいかな?」
戸惑い気味に、才人はタバサに尋ねた。ベッドはその大型のもの1つだけで、他に寝具は
見当たらない。疑問に思っていると、タバサは無造作に手にした杖でベッドを指した。部屋に
1つしかないベッドを。
「ここ」
「えーと……」
何やら嫌な予感がしてきた才人は、少し表情を引きつらせて質問を重ねた。
「じゃあ、タバサは何処で寝るの?」
「ここ」
やはり唯一のベッドを指し示される。予感的中。つまり、タバサは才人と一緒に寝るつもりで
いるらしい。
「あのー、タバサさん?」
「なに?」
首を傾げるタバサに、才人は1つ咳払いして言葉を続ける。
「俺、男。で、タバサは女の子。OK?」
「知ってる」
そう言うタバサの顔は、無表情ながら何を言っているのかと言わんばかりの色が見てとれた。
「普通、男と女は、簡単に一緒に寝ようとしたりしちゃダメなの。OK?」
「ベッドは1つしかない」
一般論からたしなめようとする才人に対し、タバサは事実を淡々と告げてきた。
「貴方は私のせいで故郷から切り離されてしまった。そんな相手にベッドを使わせないような
真似はできない。私も、自分の部屋ではなるべくベッドで寝たい」
「いや、それは……」
そういう風に言われては、才人も返す言葉がうまく見つからなかった。それに、確かに
タバサとベッドを共にしなければ、自分かタバサのどちらかが床で寝るしかなくなる。才人と
してもどちらかといえばベッドで寝たいし、だからといって女の子を床で寝かせるわけにも
いかない。それは理解できるが、やはり知り合ったばかりの少女との同衾には少なからず抵抗が
ある。
どうしたものかと頭を悩ませていると、不意にタバサの瞳に目が行った。そこには深い
碧さがあった。海のように底の知れない、強い意志を秘めた翠眼。それに気圧され、才人は
抗議の意思が薄れていくのを感じ始める。
「まあ、別にいいだろうよ。2人で寝るにも十分すぎるサイズに見えるぞ」
眠た気な声に振り返ってみればムジュラの仮面が眼の光を鈍くしてたたずんでいた。
「オレは先に寝させてもらう。主、壁を借りるぞ」
「壁?」
才人、タバサ、ナビィが揃って疑問の声を上げる間にも、ムジュラの仮面は言った通り
ベッド側の壁まで寄ると体を反転させた。そして、裏側を壁にぴたりとつけると、その目から
光を完全に消して見せる。どうやら、眠ったらしい。
それにしても、と才人は思う。
「この部屋にこいつが掛けられてるってのも、相当似合わないな……」
いかにも何処かの部族の仮面といった風情のムジュラの仮面が、この本ばかりではあるが
優美な内装の部屋に飾られているという有様は、酷くアンバランスに思えた。
「でも、それを言ったらサイトの空色の服にムジュラ被るのだって、まるで合ってないよ」
「……確かに」
言いながら、才人は自分のナイロンパーカーを軽くつまむ。この服装でムジュラの仮面を
被るのは、確かに似合わなすぎるだろう。
――でも、こいつに似合う服ってどんなだよ
ムジュラの仮面とマッチしそうな服と、それを着た自分を想像し、才人は一人呻いた。そこへ、
タバサが才人のパーカーの裾を軽く引っ張ってくる。
「寝る」
「あ、うん」
なんだか、もはや口答えする気もなくし、才人はとりあえず上着だけ脱ぎ、白のハーフ
スリーブシャツ姿で、タバサとともにベッドに入る。
――ま、ただ寝るだけだし、別にいいか
持ち前の楽天ぶりを発揮し、才人はそっと目を閉じた。
しかし、30分もしない内に、その見通しが甘かったことを思い知る。
才人は、1つ小さな呻きを漏らしてその誤算の正体を見据えた。薄闇を通し、ベッドの
向かい側に1つの影を見つけることができる。勿論、タバサだ。ほぼ同時に布団を被った
タバサは、既に夢の中の住人だった。自分たち3名に文字を教えて疲れたのだろうか、
すっかり熟睡している。
ちなみに、妖精であるナビィは睡眠の必要はないとのことで、机の辺りを漂っていた。
ムジュラの仮面は、変わらず壁に張り付いていて現在部屋のインテリア中。
それはともかく、問題なのはタバサが才人の方を向いて寝ていることだった。より詳しく
言えば、タバサの寝顔が、大問題なのだ。
――なんつーか、綺麗過ぎだろ……
心の中で、賞賛のような悪態をつく。彼女の顔立ちが平均以上であることは気付いていたが、
眼鏡を取り、夜の帳が下り、瞼の閉じられた状態というのは、昼間起きている時に見るのとは
また違った印象を受ける。
光の下よりも深みを増した髪。長いまつ毛に縁どられ、柔らかに閉じられた瞳。暗がりの
中から覗けるそのあどけなくも整った寝姿は、一種神秘的な美しさを感じさせた。そんな姿を
見ていると、不覚にも胸の鼓動が逸り始めるのを感じてしまう。
――そういや俺、さっきタバサとキスしたんだよな……
不意にそのことが思い出された。刹那、心音がまた少し高くなる。その高鳴りは才人の
意思に反して緩やかに上がっていくようで、それにつれてますますタバサの寝顔から目が
離せなくなっていく。
――いやいや、だから待て待てっての! 俺はロリコンじゃない! いつかやらかしちゃう
類のヒトじゃない!
思わず才人は頭(かぶり)を振るが、そこでタバサが15歳であることを思い出す。
――セーフか? ……いや、アウトだな
さり気なく失礼な判定を1人脳内で行い、才人はタバサから顔を背けようとした。
「……まって……」
そこへ、震えの混じる声が、才人の耳に届く。思わず声の方を向いてみれば、才人はそこで
目を見開いた。
「まって……」
そこに、閉じられた瞳の隙間から涙の粒を落とす、タバサの姿があったのだから。
「た、タバサ!?」
驚きに任せて身を起こすも、次に聞こえてきた言葉に眉をひそめる。
「とうさま……かあさま……」
涙に濡れたような声で、父と母を呼ぶタバサ。混乱するサイトをよそに、それは続けられる。
「とうさま、かあさま……まって……だめ……」
涙が零れていた。言葉が零れていた。涙が一滴零れる度に言葉が一言零れていき、言葉が
一言零れる度に涙が一滴零れていく。
「とうさま……いってはだめ……かあさま……のんではだめ……」
哀しみの粒がシーツを濡らす。嘆きの音が耳を突き刺す。苦悶に満ちた嗚咽が部屋を満たして
いく中で、胸が締め付けられるような痛みを訴えた。
「とうさま……かあさま……だめ……わたしをひとりにしないで……」
そして、それ以上の悲哀の激痛に苦しむ少女の姿がある。才人は、そっとその許へと身を
寄せていった。
「とうさま……かあさま……」
未だに悲哀の嵐は治まる兆しはなく、その最中(さなか)でタバサは1人震えながら、
孤独な悲鳴を上げ続けている。
「おいていかないで……ひとりにしないで……」
そんな彼女の体を、才人はそっと抱きしめた。首に手を回し、不慣れな手つきで小さな
頭を撫でる。
「大丈夫、大丈夫だ……」
タバサの耳元に、静かな、そして言い聞かせるような声で呟いた。すると、タバサの体から、
僅かに震えが消えていく。
「大丈夫だから……」
その言葉に、なにか意味や根拠があるわけではない。そもそも、才人にはタバサの寝言の
意味も、泣いている理由も判らない。けれど、タバサは今苦しんでいる。それだけは確かだ。
だから、何とかしたいと思った。たとえそれがこんな拙い慰めしかできないのだとしても、
放っておくことはできなかった。彼女は、こんな哀しい声をすべき娘(こ)じゃない。もっと
幸せな笑みを浮かべるべき娘だ。何の根拠もないそんな確信が、才人の中で生まれていた。
そうやって不器用な慰めを続けていると、やがて腕の中から安らかな寝息が聞こえてくる。
「落ち着いたか……」
誰に言うでもなく言葉を漏らすが、タバサを撫でる手を止めようとはしない。このまま
こうしておいた方が、タバサも安心するかもしれないから。
そこで、才人は改めてタバサを見つめ直す。身長は140センチほどしかなく、体つきは
華奢と表現するよりないほど細い。この頼りない体の中に、彼女はどれほどの悲哀を抱えて
いるのだろうか。謎めいた少女とは思ってはいた。しかし、そんな言葉では追いつかない、
自分などには想像もできない程に大きな事情が彼女にはあるのかもしれない。それを感じた
時、才人の中でタバサを護るという思いが、朧気ながら輝き始めていった。
数分後自分の状態を冷静に考えた才人が自分のロリコン審問を再開するのは、また別の話。
その頃、トリステイン魔法学院の上空に1頭の竜が浮かんでいた。シルフィードよりも
大型で、白い鱗を持つ風竜。ジュリオ・チェザーレは、その上にまたがっていた。白を基調と
した神官服と濃紺のマントで身を包んだ彼は、夜の上空の寒気に小さく身を震わせた。余りの
寒さにその顔は歪むが、それでもなおそこには美貌とよぶべきものを感じさせる。白金色の
眩い髪に、女性と見紛うような細面の上でバランス良く、そして最高級の造形で各部位が
配置された顔立ち。
なによりも目を引くのは、彼の瞳だ。左目はルイズのそれと同じ鳶色だが、右目はタバサの
ような碧い瞳。異なる色に光る月に例え、月目と呼ばれる目。ハルケギニアでは不吉とされる
その相貌は、彼の美しすぎる美貌の中で危うさのアクセントのように輝いていた。
「なんなんだろうね」
魔法学院を見下ろしながら、ジュリオは独りごつ。
「トリステインの“担い手”の様子を見に来てみれば、いやはやとんだびっくり箱だ」
言葉面こそ飄々としているが、その声音に硬さは否めない。
「風韻竜に“盾”のルーンが刻まれたのは、まあいいとしても、青の姫君が召喚した連中、
あいつらは一体なんなんだ?」
疑念の滲んだ声を上げながら、ジュリオは魔法学院の寮棟の辺りを見据えた。
「あの黒髪君の方は、たぶん“工芸品”の世界から来たんだろうけど、後の2人は判らないな。
というか、妖精に魔族? まるでおとぎ話じゃないか」
呆れの感情を混ぜながらも、ジュリオの疑念は終わらない。
「大体、彼らに刻まれたルーン、あんな形で刻まれるものなのか? それ以前に、なんで
彼女の使い魔にあのルーンが? いや、そもそもなんで3体も召喚されたんだ?」
そこまで言うと、ジュリオは乱暴に頭を掻きむしる。
「ああ、くそっ、わけ判んねえよ!!」
品のいい顔立ちに似合わぬ粗野な言葉遣いで吐き捨てると、ジュリオは1つ息をついた。
「とにかく、このことは聖下に報告すべきだな。行こう、アズーロ」
声を掛けながら相棒の脇腹を踵で軽く叩き、ジュリオはその空域から去っていく。
こうして、才人、ナビィ、ムジュラの仮面の、異世界での最初の一日は終わっていった。
未成熟ながら、他者を護るために力を尽くせる少年、平賀才人。
勇者とともに巨悪と戦い、伝説の一翼を担った少女、ナビィ。
本来ならば、月さえも動かし得る力を持つ者、ムジュラの仮面。
この3者との出会いが、雪風のタバサにどのような運命をもたらすのか、この世界をどう
動かしていくのか。
その答えを持つ者は、まだ誰もいない。
~続く~
#navi(三重の異界の使い魔たち)
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