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#navi(確率世界のヴァリエール)
確率世界のヴァリエール - Cats in a Box - 第十四話 前編
(どうしてこうなった)
クロムウェルは船の上で考えた。
トリステインの西部、タルブへと向かう戦艦レキシントン号の上で。
運命には抗えない。
指にはまった『アンドバリの指輪』を見つめる。
生者の心を奪い、死者に偽りの命を与えるその力。
こんな物を得て、己は神にでもなったつもりで居たのか。
生者を意のままにし、死者の軍勢を率いるあの少女の形をしたモノ。
あの悪魔に比べれば、私は神どころか陳腐なまがい物でしかなかった。
あれに出会ったその時から、私は運命に捕らえられてしまったのだ。
いや、私自身があの悪魔に魅せられていたのか。
白いスーツに身をまとい、黒髪をなびかせた、あの死の化身に。
停戦会談破棄を伝える使者は昨晩、アルビオン王都ロンディニウムを訪れた。
皇太子ウェールズの暗殺から日も変わらぬうちに派遣された特使は
王党派全軍によるロンディニウムへの即時侵攻と、雌雄を決すべしという
アルビオン王ジェームズ一世の意思をクロムウェルに伝えてきた。
「あっはっは、良かったのう。 向こうから来てくれるとさ」
ワインを傾けながらアーカードがからからと笑う。
円卓のテーブルの後ろで影がゆらめく。
「笑い事では、、笑い事ではありませぬ!」
クロムウェルが頭をかきむしる。
「ウェールズは「行方不明」になるはずだったのではありませぬか?!」
「予定ってのは狂うためにあるもんだよ?」
アーカードの対面に座った猫耳の少年がやれやれとつぶやく。
「なっ?!
そ、それもこれも全部、、、!」
「ひっどいなあ、全部ボクのせいだっていうの?」
シュレディンガーはフォークに刺した鴨のオレンジソースがけを一口頬張ると
目を丸くしてアーカードを見つめた。
「うわ、おいし!」
「ふっふ。 そーじゃろー、そーじゃろー。
あの時はせっかくの手料理を食わせそこなったからの」
「シェフィールド殿!」
クロムウェルがテーブルを叩き、アーカードを睨み付ける。
「これでは、、約束が違います!」
「約束なんぞしとらんのー、単なる計画だ」
手の中のワイングラスがからり、と音を立てる。
グラスの中には始祖の秘宝、『風のルビー』と『水のルビー』が沈んでいる。
「どのみち王党派とは戦わねばならんのだ、大した違いはあるまい。
何より向こうには『虚無の魔女』はもう居らん。 のう?」
グラス越しにシュレディンガーへと笑いかける。
シュレディンガーはぷいとそっぽを向き、口を尖らせる。
「もっちろん!
だーれがルイズの元になんか帰ってやるもんか」
「だとさ」
「し、しかし、脅威はいまやそれだけではありませぬ!
ワルドの目論見は南のカトリック教徒どもにも知れて、
ロサイスへの攻撃は行われずその全軍は王党派と歩を合わせ
このロンディニウムへと向かっています!
ラ・ロシェールへの奇襲もトリステインに知れているやも知れませぬ!
この先、この先どうすれば!」
「どうするもこうするも予定通りに戦争するだけじゃろ、戦争」
辟易としてアーカードが言う。
「こ、この上はシェフィールド殿よりガリアに、、!」
「あ?
ウチのひげのおっさんがお前さんと約束したのは
「トリスタニアを攻め落とすに際してはガリア空軍を以ってこれを助ける」
これだけじゃ。
なに、ジェームズ王がこのロンディニウムに向かっておると言う事は
ワルドはお前さんの手のものだと思われておると言う事じゃろ。
トリステインの方でもワルドの立てた計画を疑いこそすれ
ガリアが噛んどるなんぞ思い付かんだろうし、ラ・ロシェールへの奇襲も
案外うまくいくんじゃないのん?」
「そんな、無責任な!」
「ここの責任者はお前じゃろ?
私はせいぜい高みの見物でもさせてもらおう。
あー、どうせならトリステインの方の戦いにでも行ってみるか。
そっちのが派手そうじゃし、何より魔女殿もおるしの」
黙々と料理を片付けていたシュレディンガーの手が止まる。
「なにアーカード、まだ諦めてなかったの?」
「無論」
短く答える。
アーカードはテーブルの上で手を組み、宙を見つめた。
「のうシュレや、「心を鬼にする」という言葉を
お前は知っておるか?」
「ニホンのコトワザだっけ?」
シュレディンガーが眉間にしわを寄せ、昔の記憶をたどる。
「そうだ。
人が常ならぬ事態に対峙した時、常ならぬ決断と決意を
行う為に使われる言葉だ」
「そっか。 まあ別に「心を鬼にする」っていっても
鬼みたいな悪いコトをするって意味じゃあないもんね」
「「鬼」は元より「鬼」であるのではない。
「人」が「鬼」に成って果てるのだ。
そして「鬼」とは、人に果たせぬ事を人が果たす為の
人を超えた意思であり、信念であり、執念であると思うのだ。
だからこそ私はそれを欲する、それが欲しい。
それ無くして虚ろなる私は「吸血鬼」足りえず、
単なる「血を吸う何か」でしかない」
「で、ルイズならその鬼みたいな信念を持ってるって?
ま、確かに鬼みたいにワガママだしー、
鬼みたいに強情っぱりではあるけどね」
やれやれと猫耳と一緒に肩をすくめる。
「あーそうそう、ルイズといえば」
シュレディンガーがごそごそと服の下を探る。
「こいつは返しとくよ。
まったくとんだ疫病神だ」
よっこいしょとばかりに黒い鉄塊をテーブルの上に乗せる。
ガリガリとテーブルを滑ってきた巨大な銃をアーカードが受け止めた。
「ほう、そちらにあったのか」
その銃を感慨深げに手に取る。
「この体だと重心が軽くてな、片方だけではどうもバランスが悪かった」
懐からもう一丁、白銀に輝く同じく巨大な銃を取り出す。
『.454カスール カスタムオート』そして『対化物戦闘用13mm拳銃 ジャッカル』
二丁の銃を軽やかに構え、満足げに頷く。
「ふむ。 矢張りこうでなくてはな」
そのままクロムウェルに向き直ると、アーカードはニヤリと笑った。
「今回は特別じゃ。 加勢してやる」
「そ、それではシェフィールド殿が私をお守りくださるので?!」
「はっはっは、殺すぞ?
上(ロンディニウム)か、下(トリスタニア)かを選べと言うとるんじゃ。
まあ、どうしても私と一緒におりたいのであれば、、、
一番安全な場所に匿ってやらんでもないがの」
アーカードが牙を剥いて笑う。
乱杭歯の向こうに赤黒い虚無が広がる。
「ヒッ!」
クロムウェルが思わず悲鳴を漏らす。
「し、しかしトリスタニアを選ぶといってもロサイスまでは、、」
このロンディニウムで王党派とカトリックの挟撃に合うよりは
まだしも勝てる見込みはあろう。
ラ・ロシェールを抜けトリスタニアに着きさえすればガリア艦隊の協力がある。
だが、肝心の降下作戦のための戦艦は全てロサイスにあり、
ここロンディニウムとロサイスの間にはカトリックが、あの狂信者集団がいる。
「ほう、前線にあって艦隊指揮をなさると申されるか。
いやいや、まことクロムウェル殿は司令官の鑑よのう!」
二丁の拳銃を懐にしまったアーカードはニコニコと席を立つと、
クロムウェルのえり首をむんずと掴んで有無を言わさず窓際まで引きずる。
「とりゃ!」
そのまま片足で窓を蹴破る。
吹き込んだ夜風になびく髪が、闇を吸い込みゆるゆると変質していく。
「その意気に免じ、私が直々に送ってやろう」
巨大な翼に姿を変えゆくその黒髪が一度、二度と大きく羽ばたく。
「ではシュレや、行ってくるぞ」
そう言うとアーカードは手を振るシュレディンガーに見送られ、
片手にクロムウェルをブラ下げて鼻歌交じりに月なき夜空へ飛び立った。
「♪ 小さーいー頃ぉ~は~ 神様がいて~、 毎ー日ゆーめを~~、、、」
そしてそのままロンディニウムへと進軍するカトリック教徒たちの頭上を越えて
ロサイスへ届けられ、明くる日の昼にはラ・ロシェールへと向かう艦上に居た。
司令官を迎えた艦隊の意気は上がったが、当のクロムウェル自身は
己の状況を未だに納得できずにいた。
やるべきことは明確だ。
トリステイン領内のタルブに降下、ラ・ロシェールを奇襲して
トリステイン艦隊を殲滅し、そのまま王都トリスタニアに攻め上る。
ほかに選択の余地もなかった。
しかし、それでも。 いや、だからこそ。
運命には抗えない。
思えばこのレキシントン号も、あの『虚無の魔女』が一番最初に関わった船だった。
ようやく修復を終えたその艦上に自分がいる事に、深い因縁を感じざるを得ない。
クロムウェルは自分の指にはまった『アンドバリの指輪』をもう一度見つめ、
そして力なく笑った。
「どうしたもんですかねー」
イスカリオテ機関長、間久部(マクベ)が髪をかきあげる。
その口調とは裏腹に、垂れた髪の奥の目は笑みに歪んでいた。
皇太子暗殺から一夜明けた正午。
サウスゴータとロンディニウムの中ほどにある森のそば。
「アルビオン解放戦線」から名を改めた「ハルケギニアカトリック武装蜂起軍」は
ロンディニウムへの夜を徹した強行軍の中、しばしの小休止を取っていた。
アルビオンの民衆は長きに渡る内乱に倦み疲れ、その争いに大義名分を与える
ものでしかないブリミル教とメイジ達への反感を火薬の如くに蓄積させていた。
そんな彼らの中にカトリックの教義は熱狂を以って迎えられ、今やその信徒は
十万にならんとし、蜂起軍の数も様々な勢力を併呑しつつ優に三万を超えていた。
その象徴である二人の聖女、その一人のティファニアは行軍に加わらず
信仰の中心地となったウエストウッド村に残り、信徒達をまとめている。
ハーフエルフである彼女は新たに信仰に加わる者たちへ例外なく驚きを与え
時には一時の警戒を招きもしたが、エルフを敵と教えた貴族たちへの反発と
何より誠実で献身的な彼女の姿がかえって信徒達の求心力となっていった。
そしてもう一方の聖女、『狂戦士(バーサーカー)』高木由美江は
その圧倒的な戦闘力により武装蜂起軍を団結させる強力なイコンとなっていた。
特にその愛剣(その様な言われ方は由美江にとっては不本意だったが)である
デルフリンガーの魔法殺しの能力は、メイジたちに使い捨てられてきた
魔法を使えぬ平民兵士達にとって、まさに貴族支配打倒の象徴と映った。
軍の中でも特に信仰心と戦闘力の高い者たちは『ウエストウッド聖堂騎士団』
として彼女に直接指揮をされ、その十字を掲げた黒ずくめのいでたちは
戦場にあってレコン・キスタ側の兵士達に強烈な畏怖を植えつけた。
その高木由美江は間久部機関長の傍らでもう一人の人格に体を預け、
自分は来るべき戦いに備えて眠りについていた。
「ど、どうかなさったんですか? 機関長」
「いやナニ由美江クン、あ、いや今は由美子クンか。
どーにもこーにも目指すロンディニウムから
当のクロムウェル氏の姿が消えたらしいんデスヨネー」
「そ、それって、レコン・キスタの方々との和平交渉のお相手が
いなくなった、ということでしょうか?」
「和平、デスかぁーっはっは」
この期に及んでそんな発想が出てくる由美子の平和主義ップリに
間久部は思わずがっくりと頭を垂れる。
二重人格とは聞いてはいたものの、これほどまでとは。
この世界にちょくちょくと顔を出すようになって数ヶ月がたつが
未だに由美江と由美子の二人のギャップに慣れる事は出来ない。
(ま、この由美子クンがいればこそ、由美江クンもあのおっとりとした
ティファニア嬢と上手くやっていく事が出来ているんだろうがネェー)
「フン、レコン・キスタの司令官が敵前逃亡とは、何ともしまりのない結末だ。
この分では俺の働き甲斐も無さそうだな」
二人の横で黙々と愛銃ソードオフ・M1ガーランドの手入れをしていた
ルーク・ヴァレンタインが間久部の顔も見ずに鼻で笑う。
初夏だというのに白のスーツに白いコート、流れるような金髪を
後ろに束ねたその姿は、身にまとった常人ならざる気配と相まって
寄せ集めの軍勢の中でもひときわ異彩を放っていた。
個人での陽動や暗殺を主な任務とするルークは前線での戦闘には
殆ど関わらず、吸血鬼であるという事も知らされてはいなかったが、
影に日向にティファニアを見守り、隙さえあれば由美江と殺し合いを
始めようとするこの色白で眼鏡の美男子が人外の存在だろうという事は
信徒達の間では暗黙の了解となっていた。
「それはあの、良い事です、、よね? ルークさん」
由美子相手では食指も動かぬらしく、ルークはただ肩をすくめる。
「いやいやソーとは限らりませんよー、ミスタ・ヴァレンタイン。
向こうにはあのアーカードがいるらしいじゃあないデスかあ?」
間久部の発したその名前にルークの手が止まる。
「その「ミスタ」ってのは止せ、ケツが痒くなる。
アーカードは確かに問題だが、シュレディンガーの話だと
そもそも向こうに加勢するとは限らん。
大体ヤツとて身一つでこの世界に来てまだ日も浅い、
アレの死の河とて良くて一万になるならぬの筈。
ロンディニウムの貴族派残存兵力を足しても
王党派と合わせればこちらの方が数は倍する。
それに、アーカードがその領民達を戦場に解放したその時は、、、
今度こそ、俺がヤツの心臓を止めてやるさ」
眼鏡の奥で理性を保っていた真紅の瞳が、凶暴な歓喜に歪んだ。
「起きて下さい」
かつてこの国の王城だったハヴィランド宮殿。
クロムウェルをロサイスに送り届けたアーカードは、
ロンディニウムに戻るとその宮殿上部の寝室で
たっぷりと食らい、たっぷりと眠った。
その食い散らかした残骸の中に、ローブをまとった女性が立っていた。
「シェフィールド様、起きて下さい。
面白いことになっていますよ」
眠りに落ちていたアーカードが鼻をひくりと動かし、目を覚ます。
丸一日以上眠っていたらしい。
ひとつ伸びをしてぺたぺたと窓辺に進み、カーテンを引き開ける。
雲間に隠れた天頂の太陽の近くに、二つの月が浮かんでいる。
日食が、近い。
視線を水平に移してから、アーカードは初めてそれに気づいた。
「ほお!!」
ロンディニウムを囲む城壁のそばに、二隻の戦艦の姿がある。
戦艦はゆっくりと回頭し、その砲列を今まさにハヴィランド宮殿に
向けつつあった。
城壁の外では既に展開された両軍が開戦の時を待っている。
「あんな隠し玉があったとはのう!」
貴族派の空軍戦力はほぼ全てがトリステイン攻略へと向かっている。
王都防衛の竜騎兵部隊が次々と飛び立っていくが、司令官の不在は
指揮系統に混乱を招き、兵達は統率された行動を取れ得ないでいる。
「はは、いいぞ」
二隻の戦艦から一斉に砲火が上がる。
「戦争の時間だ」
着弾の轟音と衝撃がハヴィランド宮殿を揺さぶった。
地上でも砲撃を契機に双方の軍勢が敵陣へと突撃を開始していた。
鬨の声と剣戟とが遠くここまで響いてくる。
まるで宝物を見つけた子供の様に、アーカードの目が歓喜に輝く。
懐へ手を差し入れると、ローブの女性へ指輪を放る。
始祖の秘宝、『風のルビー』と『水のルビー』。
今のアーカードには限りなくどうでもいいものだ。
「クロムウェルの方はどうなりましょうか」
「知らん」
眼下に繰り広げられる光景を見つめたまま、アーカードが短く答える。
「大体クロムウェルが首尾よくトリスタニアまで辿り着いたとして、
あのおっさんが「自分の娘」が留学しとる国を攻撃するとも思えん」
「シャルロット様、ですか」
「今はタバサと名乗っとったよ。
向こうはぜんぜん覚えておらんかったがの。
もっとも、国元でこの姿で会った事は無かったか」
アーカードは手を広げ、少女の形をした自分自身の体を眺める。
「シェフィールド様は、どうなさるので?」
「その「シェフィールド」という名前は、お前にやる」
後ろに立つ女性が小さくため息をつく。
「では、今後は何とお呼びすれば」
「アーカード」
振り返りもせず、ぎちりと頬を引き上げて答える。
「いろいろ試したい事もあったからな。
ちと遊んで帰る、と 「シャルル」 に言っておけ」
アーカードは窓を蹴破ると血と硝煙と鉄の臭いを大きく吸い込み、
歓喜の大哄笑を上げて戦火の空へ身を躍らせた。
「敵陣は混乱の極みだ! 次弾、砲撃準備急げよ!」
「敵竜騎兵を近づけるな! 左舷弾幕を厚くしろ!」
王党派が隠し持っていた虎の子の戦艦二隻。
甲板を怒声が飛び交い、兵士達が慌ただしく駆け回る。
その一隻、戦艦レパルス号の甲板―――。
一人の兵士が、ぞくり、と氷の様な気配を感じ思わず後ろを振り向く。
視線の先には同じく息を呑み甲板の中央を見つめる仲間の姿があった。
爆音とどろく戦場の中で、その場にいた全員が無言で一点を見つめる。
そしてそれは当然のように、空からゆっくりとそこに降り立った。
兵士は、ある「噂」を思い出していた。
その噂はこの内乱が始まった時から、否、もしかしたらそれ以前から
兵士達の間に囁かれていたものだった。
それは、真白い少女の姿かたちをして戦場に現れ、
けれど、少女では、ましてや人などでは在り得ず、
しかし、敵味方の区別無く。
いわく―――
―――血を啜るという。
いわく―――
―――魂を喰らうという。
聞いた時には馬鹿げた与太話だと一笑に付した。
事実そんな話など聞いた端から忘れていた。
今、その与太話の「それ」が眼前の「これ」だと瞬時に理解した。
自分だけでない、ここにいる皆が感じている。
「恐ろしい事になる」と。
この化け物を倒してしまわないと「恐ろしい事になる」と。
少女の姿をした「それ」に、全員が殺到した。
魔法が、銃弾が、剣が槍が斧が次々とその五体に撃ち込まれ、
焼き焦がし、斬り刻み、「それ」を肉片へと変えていく。
艦外の戦闘は忘れ去られ、絶叫と恐慌だけがその場を支配した。
だが。
撃ち尽くし、焼き尽くし、斬り尽くした時、
絶叫は絶句に置き換わり、恐慌は絶望に浸食されていく。
声なく立ち尽くす兵士達の前で、その肉片が、骨片が、服さえもが
溶け流れて赤黒い血流に変わり、蛇の様に蠢いて人の姿を形取る。
白いスーツに黒髪をなびかせた少女の姿を。
復元したばかりの口元から小さなピンクの舌がこぼれ、
まだ鼻から上の無い顔でゆったりと微笑む。
白い手袋をした両手が懐に差し込まれ巨大な二丁の拳銃を取り出す。
左手には白金の銃、右手には黒金の銃。
アーカードは両手を広げ喜びに満ちた表情を浮かべると
出来上ったばかりの目を見開き満足げに周囲を睥睨した。
「兵士諸君 任務御苦労 さ よ う な ら 」
ただただ一方的な虐殺の場と化した戦艦レパルスの横で、
戦艦オライオン号の甲板上へもその恐慌は感染しつつあった。
「何が、何が起こっている、あの艦上で、、」
「判らん! くそっ、とにかく陛下をお守りしろ!」
「何だ? レパルスの黒いあれは何だ?!」
―――得体の知れない何かがレパルスの艦内を蹂躙している。
「あれをオライオンに近づけるな!」
―――それだけはオライオンの艦上からも見て取れた。
「駄目です、レパルス号の通信途絶!」
「陛下、こちらは危険です!」
国王ジェームズ一世は、しかし動こうとはしなかった。
「いまさらこの場を逃れて何になろう」
確証は無かった。 しかし心静かに確信していた。
(あれが、朕の死であるか)
老王はゆっくりと手にした王杖を振り上げ、
戦艦レパルスへ向かってかざす。
傍らに立った司令官が驚きながらも兵に指示を出した。
「?! ほ、砲撃用意!
目標、戦艦レパルス号!!」
その声に兵士達も一瞬の放心の後、すぐに指示を実行する。
「取り舵いっぱい!」
「急げ! 全砲門開け!」
「、、、陛下」
その声にジェームズ一世は静かにうなずく。
王杖が振り下ろされ、司令官が叫んだ。
「撃て!!」
「全弾命中! 全弾命中!」
味方艦への打撃に悲痛な歓声が艦内に湧き上がる。
しかしそれはほどなく、困惑と畏怖とに変わっていった。
オライオン艦上の全兵士が見守る中、 黒煙を上げる戦艦レパルスは
ずるずると這い蠢く赤黒い巨大な何かに包まれていく。
「、、、冗談だろ」
「次弾装填急げ、、、早く! 早く!!」
もはやそれ自体が赤黒い何かに変質しようとしているレパルスが、
低い軋みを上げつつゆっくりとその船首をオライオンへと向けた。
「?! こちらにぶつける気か!」
「退避!退避!」「駄目です、間に合いません!」
「魔法だ! 何でも良い、魔法を奴に、、、!!」
狂乱の坩堝となったオライオン艦上で。
かつて戦艦レパルス号だったモノが眼前に迫る中、
アルビオン王国国王ジェームズ一世はその人生の最後につぶやいた。
「、、、ウェールズ、すまんな」
遠く響く轟音と爆炎とがロンディニウムの天空を揺るがせた。
「オイオイオイ、どうなってんのよアレは?!」
向かってくる敵の首を右手の日本刀で刎ねつつ、由美江は
ゆっくりと墜落していく友軍の残骸を唖然として見上げる。
「どうも何も、誰の仕業かなんぞ判り切ったことだろう?」
ルークが鼻で笑いつつ、顔も向けずに後ろの敵の頭を射抜く。
ついでに横なぎに振るわれた日本刀の一撃を
造作も無くしゃがんでかわす。
「お前の半分がテファの親友である事に感謝するんだな。
でなければ今すぐ蜂の巣にしてやっている所だ」
銃口を由美江に向けたまま斬りかかってきた敵兵を蹴り飛ばす。
「はンっ! やってみろっつーのよこのへっぽこフリークス!」
飛ばされてきた敵兵を左手で叩き潰すと、由美江は周囲を見渡す。
『おい相棒、俺ぁ金槌じゃあねーんだぜ? せめて斬れよ』
悲しげにつぶやくインテリジェンスソードには目もくれない。
「集まれ!」
由美江の号令に百人程の黒ずくめの集団が周囲に陣を張る。
ハルケギニアカトリック武装蜂起軍の中でも選りすぐりの
狂信者集団、『ウエストウッド聖堂騎士団』。
十字を掲げた彼ら全員が、由美江の刀が指し示すその先を見つめる。
「敵陣に落ちますな、シスター」「件の吸血鬼と言えど、あれでは」
―――私は ヘルメスの鳥―――
「否、来るわ」
ゆっくりと土柱を立ち上らせ敵陣へと吸い込まれていく
巨大な二つの塊を眼光鋭く睨みつつ、由美江が答える。
―――私は自らの 羽を喰らい―――
「さて、仕事だ。 せいぜい囮になる事だな」
ルークの足元から黒犬獣がせり上がり、彼自身を飲み込むと
そのまま影の中にどぷりと消え去る。
―――飼い 慣らされる―――
「黒渦が、来る!!」
二隻の戦艦が敵陣に墜落したその衝撃が、数瞬の間をおいて
由美江たちに叩きつけられる。
大地を揺さぶる振動と、吹き付けられる熱風と粉塵の中で
由美江は知らず笑みを浮かべていた。
「河が来る、死の河が。
地獄が踊り、死人が歌う」
墜落の衝撃だけが理由ではなかった。
襲い来る猛烈な予兆、いや狂兆に心と体を絡め取られ
敵も味方もその動きを止めていた。
黒煙と炎に包まれた残骸の中から、何かがあふれ出た。
赤黒いそのそれは、奔流となり、濁流となり、
そして激流となって周りの全てを飲み込んでいく。
そしてその中から、『死の河』の中から。
死者の、群れが。
現れたそれは騎兵だった。
それは歩兵だった。
それは工兵だった。
それは竜騎兵だった。
ドットメイジが、ラインメイジが、トライアングルメイジが、
スクウェアメイジが、神官が、平民が、貴族が、商人が、
猟師が、農民が、遊牧民が、トリステイン人が、ガリア人が、
ロマリア人が、アルビオン人が、ゲルマニア人が、東方人が、
傭兵が陸戦兵が砲兵が水兵が憲兵が砲亀兵が火のメイジが
風のメイジが土のメイジが水のメイジが衛士が銃士が聖堂騎士が
風竜が火竜がオーク鬼がトロル鬼がオグル鬼がコボルド鬼が
ミノタウロスがエルフが、呼ぶべき名も無きものたちが―――。
死者の王の領民たちが、その領地から這い出でた。 「方陣だ!! 方陣を組め!!」
「何だ!! 何が、、、」
「何が起きている?!」
恐怖に駆られた生者が叫ぶ。
まもなく死者の側へと転じる者達が。
「死だ、、、」
由美江が言葉を噛み締める。
「死が、起きている、、、!!」
怖がる事は無い、恐れる事は無い!
自らもかつて、「これ」の一部だったのだ。
左手のルーンが唸りを上げて輝きを増す。
「いいなあ!! あれ!!」
遠くの丘から双眼鏡で戦局を眺めていた間久部が喜色満面に叫ぶ。
「欲しい!! 素晴らしい!!」
戦艦の残骸を押しのけ現れた巨大な皮膜がロンディニウムの空を覆う。
めりめりと広がるその翼は生者も死者をも暗闇の中に塞ぎこめ、
ゆっくりと伸び上がるその首は二つの月をも喰らわんとする。
小山の如きその巨躯が死の河の内から顕現した時、ハヴィランド宮殿の
屋根の上でルークは引きつった笑みを抑えられずにいた。
体長100メイルを優に超える、歳振りし火竜が大気を震わせ咆哮する。
「あんなものまで、、あんなものまで喰ったのか!」
古竜の巨体がロンディニウムの城壁を難なく打ち砕く。
死の河は既に城壁を超え、市内へと雪崩れ込んでいる。
それはもはや、戦争といえるものではなかった。
敵も味方も、平民も貴族も、武器持つ者も持たぬ者も、
生きとし生けるもの全てが有象無象の区別無く。
「こんな事があるものか! あってたまるか!!」
どう考えても多すぎる。
死者の群れは溢れ留まる事を知らず、今や郊外の戦場はもとより
ロンディニウム全域をすら飲み込まんとしている。
少なく見積もっても優に30万は下るまい。
奴とてこちらの世界へ来てまだ数ヶ月のはずなのだ。
古竜が大きく息を吸い、巨大な火球を吐き出す。
否。
こちらの三人がたまたま同じ時期に召喚されただけだとするなら。
アーカードまでもが時期を同じくする必然性は無い。
有象無象が塵芥と吹き飛ばされ、立ち昇る火柱は天をも焦がす。
その光景を見下ろすルークの脳裏にシュレディンガーの声が蘇った。
この世界での再開以来、あの猫は事ある毎にウエストウッドを訪れては
昼食をご馳走になる代わりにティファニアに茶飲み話を披露していった。
そうだ、自分と主人とが平行世界に迷い込んだという話だった。
他愛ない冒険譚の中で、シュレディンガーは何を語っていた?
使い魔たちが召喚された時を分岐に、平行世界の相違が生まれていた、と。
けれど一部の相違は、自分達が召喚される前から在るようだった、と。
だが、それさえも他の使い魔が召喚された時に生じた相違だったとすれば。
そう、アーカードがこの世界に召喚された時に生じた相違だったとしたら。
もし、そうだとしたら。
5年か?
10年か?
それとももっとか。
「奴は、、奴は何時から ここ(ハルケギニア) にいる!!」
燃え盛り黒煙を上げる、墜落した戦艦の残骸の上。
アーカードはそこに座り、足を組んで嬉しげに遠くを見やる。
「存外に粘る!
ふふ、そうでなくてはな、そうであろうとも!」
混沌の中央、死者と生者との狭間に黒衣の集団が陣取り、
後方への防波堤となっていた。
「さて」
瓦礫の上に立ち上がると、両手の銃を指揮棒のように構える。
アーカードの足元、瓦礫の丘の下に死の河が沸き立つと、
数十、数百の杖持つ影が次々と立ち現れる。
新たに現れた死者の群れは一斉に様々な形の杖を掲げ、
しかし一糸乱れぬ統率で朗々とルーンの詠唱を始めた。
「単一意思に支配された千人のメイジによる同時詠唱。
さしずめ 千角形(キリアゴン)スペル とでも名付けるか」
最初に反応したのは水系統のメイジ達だった。
前線のはるか後方に現れた尋常ならざる死者の群れ。
彼らの唱えるルーンが何をなそうとするものなのかに気付いた時、
この魔女鍋の底のような混沌のさ中で、いよいよ己の気が触れた
のではないかと我を疑った。
しかし数瞬の戸惑いの後、彼らは声の限りに絶叫した。
「奴らを、奴等を止めろ!!」
「いや、もう遅い! 何処でも良い、身を隠せ!!」
そこには既に王党派も貴族派も無かった。
死者と、死から逃れんとする者がいるだけだった。
「土のメイジはトーチカを作れ!」
「平民を守れ! 早く!!」
戦場の中央に大気が凝り、渦を巻く。
空を覆わんばかりの雲塊が現れつつあった。
高らかな死者たちの詠唱に合わせて、
遥かな高みの白い渦は放電を伴って凝集されてゆく。
そしてその収縮が頂点に達したとき。
「来るぞ!!」
絶叫とともに戦場に高温の暴風が吹き荒れた。
逃げ損ねた者の皮膚がただれ、膨れ上がり、
生きながら蒸し焼きになっていく。
「頭を出すな! 息を吸うな!」
ある者は城壁の瓦礫に、ある者は同胞の死体に埋もれ
必死に灼熱の突風をやり過ごす。
「終わった、のか?」
「いや、、今の熱風は氷結魔法の副産物だ。
単なる放熱現象に過ぎん」
その単なる副産物に焼かれた者たちが累々と転がる。
風のやんだ戦場で、男たちはゆっくりと立ち上がった。
「あれ、見ろよ」
促され、空を仰ぎ見る。
まもなく食に入ろうとする太陽と二つの月の横に。
三つ目の月が生まれていた。
水晶を削りだして造られたかの様なその天上の球体は、
距離感も判らぬ程の彼方で陽光を浴びて煌いた。
「何て、、何て美しい、、、」
知らず、涙が溢れてくる。
その月が高く澄んだ音を響かせ、ひび割れる。
生まれたばかりの月から光のしずくがゆっくりと漏れ落ちてくる。
こぼれ出たその光の一つを受け止めようと、男はそっと手を伸ばした。
全ての音が消えた世界に、アーカードの声が鳴る。
「では逝くぞ。
千角形(キリアゴン)スペル
エ タ ー ナ ル フ ォ ー ス ブ リ ザ ー ド 」
月からの光のしずくが長さ5メイルを超える氷柱だと気付いた時、
男の体は既に氷柱に貫かれ、否、押し潰されていた。
地獄が、降り注いだ。
「おお、遅かったのう」
「おまえは、、、おまえは一体何なんだ」
氷柱群の奏でる荘厳な交響楽曲を背に、アーカードは振り返る。
二つの月がゆっくりと太陽を飲み込んでいく。
「どうした? 千載一遇、万に一つ、那由他の彼方の好機だろうに」
「化け物め!」
ルーク・ヴァレンタインが牙を噛み鳴らす。
「『あの方』を騙るな!
俺が死の河と分かたれるまで、『あの方』は共に死の河に在った。
お前は『あの方』じゃあ無い。
お前はアーカードでも無い。
お前は吸血鬼ですら無い。
お前を滅ぼす好機だと? 笑わせるな。
お前は死すら持たない。
お前は賭すべき何物も持ってはいない。
お前は、ただ人を真似るだけの人もどきに過ぎん!」
アーカードは悲しげに肩をすくめる。
「やれやれ、非道い言われようじゃのう」
周囲に渦巻く阿鼻と叫喚の混声合唱はいつしか途絶え、
曲目はついに終盤を迎えていた。
白一面の景色から、赤黒いものがにじみ出して来る。
幾千幾万の魂が、命が、そして死が。
死の河が再び眼前の少女の内へと帰ってゆく。
ルークになす術は何も無い。
目の前に在るのは死の河の主ではない。
主を求め彷徨う死の河そのものなのだ。
「ならばこそ、、、
命を賭して何かを成すために、私は命が欲しい。
死を恐れず何かを成すために、私は死が欲しいのだ。
お前ならば、分かれ。 ルーク・ヴァレンタイン」
死の河の中央で全ての滅びを飲み込んでゆく少女は
ルークをただ正面から、静かに見つめていた。
その静かな眼差しはしかし、哀願の、懇願のようだった。
死ぬ為だけに死を望む死の化身。
その時、その瞳が、ふいに固まり大きく見開かれた。
その顔が、弾かれたように東の空に向けられた。
「、、、来た」
少女の声は歓喜に打ち震えている。
「はははははははは!
開く、、、『虚無』が開くぞ!」
歓喜の雄叫びと共に、アーカードは黒い翼を伸ばす。
「ワンコはもう少しだけ貸しておいてやる」
にやりと笑った後、引き絞られた弓矢のように飛び去っていくその姿を
ルークはただ立ち尽くして見送った。
由美江が目覚めた時、生者も死者も、そこに何も残ってはいなかった。
戦場にはただ一人、自分だけが残されていた。
デルフリンガーの力を以ってしても、それが限界だった。
皆を守ろうとして力を使い果たし倒れた自分の上に覆いかぶさり、
微笑みながら凍り付いていった男達の顔を思い出す。
その顔が今、白く変わり果てて由美江を囲んでいた。
日食は終わっていた。
由美子は自分を庇い氷像と化した同胞達の下から這い出し、
見渡す限りに墓標のように乱立した氷柱群を眺める。
低く煙るもやの向こうには輝く廃墟と化したハヴィランド宮殿が見える。
恐るべき力で周囲の全てを侵食していた凍結の力は失われ、
あちこちで氷柱が音を立てて崩れだしていた。
惨劇を覆い隠すように、白銀が陽光を受けてきらめく。
抑えきれぬ衝動が、体のうちに激しく渦を巻いてゆく。
氷原の中で、左手のルーンの熱さだけが空しくその身を焦がす。
由美江は虚空に絶叫した。
「殺す、、、
殺して殺(や)るぞ、 ア ー カ ー ド ! ! !」
#navi(確率世界のヴァリエール)
#navi(確率世界のヴァリエール)
確率世界のヴァリエール - Cats in a Box - 第十四話 前編
(どうしてこうなった)
クロムウェルは船の上で考えた。
トリステインの西部、タルブへと向かう戦艦レキシントン号の上で。
運命には抗えない。
指にはまった『アンドバリの指輪』を見つめる。
生者の心を奪い、死者に偽りの命を与えるその力。
こんな物を得て、己は神にでもなったつもりで居たのか。
生者を意のままにし、死者の軍勢を率いるあの少女の形をしたモノ。
あの悪魔に比べれば、私は神どころか陳腐なまがい物でしかなかった。
あれに出会ったその時から、私は運命に捕らえられてしまったのだ。
いや、私自身があの悪魔に魅せられていたのか。
白いスーツに身をまとい、黒髪をなびかせた、あの死の化身に。
†
停戦会談破棄を伝える使者は昨晩、アルビオン王都ロンディニウムを訪れた。
皇太子ウェールズの暗殺から日も変わらぬうちに派遣された特使は
王党派全軍によるロンディニウムへの即時侵攻と、雌雄を決すべしという
アルビオン王ジェームズ一世の意思をクロムウェルに伝えてきた。
「あっはっは、良かったのう。 向こうから来てくれるとさ」
ワインを傾けながらアーカードがからからと笑う。
円卓のテーブルの後ろで影がゆらめく。
「笑い事では、、笑い事ではありませぬ!」
クロムウェルが頭をかきむしる。
「ウェールズは「行方不明」になるはずだったのではありませぬか?!」
「予定ってのは狂うためにあるもんだよ?」
アーカードの対面に座った猫耳の少年がやれやれとつぶやく。
「なっ?!
そ、それもこれも全部、、、!」
「ひっどいなあ、全部ボクのせいだっていうの?」
シュレディンガーはフォークに刺した鴨のオレンジソースがけを一口頬張ると
目を丸くしてアーカードを見つめた。
「うわ、おいし!」
「ふっふ。 そーじゃろー、そーじゃろー。
あの時はせっかくの手料理を食わせそこなったからの」
「シェフィールド殿!」
クロムウェルがテーブルを叩き、アーカードを睨み付ける。
「これでは、、約束が違います!」
「約束なんぞしとらんのー、単なる計画だ」
手の中のワイングラスがからり、と音を立てる。
グラスの中には始祖の秘宝、『風のルビー』と『水のルビー』が沈んでいる。
「どのみち王党派とは戦わねばならんのだ、大した違いはあるまい。
何より向こうには『虚無の魔女』はもう居らん。 のう?」
グラス越しにシュレディンガーへと笑いかける。
シュレディンガーはぷいとそっぽを向き、口を尖らせる。
「もっちろん!
だーれがルイズの元になんか帰ってやるもんか」
「だとさ」
「し、しかし、脅威はいまやそれだけではありませぬ!
こちらの計画を知った南のカトリック教徒どもはロサイスへ向かわず
その全軍が王党派と歩を合わせ、このロンディニウムへと向かっています!
ラ・ロシェールへの奇襲もトリステインに知れているやも知れませぬ!
この先、この先どうすれば!」
「どうするもこうするも予定通りに戦争するだけじゃろ、戦争」
辟易としてアーカードが言う。
「こ、この上はシェフィールド殿よりガリアに、、!」
「あ?
ウチのひげのおっさんがお前さんに話した計画は
「トリスタニアを攻め落とすに際してはガリア空軍を以ってこれを助ける」
これだけじゃ。
なに、ジェームズ王がこのロンディニウムに向かっておると言う事は
ワルドはお前さんの手のものだと思われておると言う事じゃろ。
トリステインの方でもワルドの立てた計画を疑いこそすれ
ガリアが噛んどるなんぞ思い付かんだろうし、ラ・ロシェールへの奇襲も
案外うまくいくんじゃないのん?」
「そんな、無責任な!」
「ここの責任者はお前じゃろ?
私はせいぜい高みの見物でもさせてもらおう。
あー、どうせならトリステインの方の戦いにでも行ってみるか。
そっちのが派手そうじゃし、何より魔女殿もおるしの」
黙々と料理を片付けていたシュレディンガーの手が止まる。
「なにアーカード、まだ諦めてなかったの?」
「無論」
短く答える。
アーカードはテーブルの上で手を組み、宙を見つめた。
「のうシュレや、「心を鬼にする」という言葉を
お前は知っておるか?」
「ニホンのコトワザだっけ?」
シュレディンガーが眉間にしわを寄せ、昔の記憶をたどる。
「そうだ。
常ならぬ事態に対峙した人間が、常ならぬ決断と決意とを
せねばならぬ時に使われる言葉だ」
「そっか。 まあ別に「心を鬼にする」っていっても
鬼みたいな悪いコトをするって意味じゃあないもんね」
「「鬼」は元より「鬼」であるのではない。
「人」が「鬼」に成って果てるのだ。
そして「鬼」とは、人に果たせぬ事を人が果たす為の
人を超えた意思であり、信念であり、執念であると思うのだ。
だからこそ私はそれを欲する、それが欲しい。
それ無くして虚ろなる私は「吸血鬼」足りえず、
単なる「血を吸う何か」でしかない」
「で、ルイズならその鬼みたいな信念を持ってるって?
ま、確かに鬼みたいにワガママだしー、
鬼みたいに強情っぱりではあるけどね」
やれやれと猫耳と一緒に肩をすくめる。
「あーそうそう、ルイズといえば」
シュレディンガーがごそごそと服の下を探る。
「こいつは返しとくよ。
まったくとんだ疫病神だ」
よっこいしょと黒い鉄塊をテーブルの上に乗せる。
ガリガリとテーブルを滑ってきた巨大な銃をアーカードが受け止めた。
「ほう、そちらにあったのか」
その銃を感慨深げに手に取る。
「この体だと重心が軽くてな、片方だけではどうもバランスが悪かった」
懐からもう一丁、白銀に輝く同じく巨大な銃を取り出す。
『.454カスール カスタムオート』そして『対化物戦闘用13mm拳銃 ジャッカル』
二丁の銃を軽やかに構え、満足げに頷く。
「ふむ。 矢張りこうでなくてはな」
そのままクロムウェルに向き直ると、アーカードはニヤリと笑った。
「今回は特別じゃ。 加勢してやる」
「そ、それではシェフィールド殿が私をお守りくださるので?!」
「はっはっは、殺すぞ?
上(ロンディニウム)か、下(トリスタニア)かを選べと言うとるんじゃ。
まあ、どうしても私と一緒におりたいのであれば、、、
一番安全な場所に「匿って」やらんでもないがの」
アーカードが牙を剥いて笑う。
乱杭歯の向こうに赤黒い虚無が広がる。
「ヒィッ!」
クロムウェルが思わず悲鳴を漏らす。
「し、しかしトリスタニアを選ぶといってもロサイスまでは、、」
このロンディニウムで王党派とカトリックの挟撃に合うよりは
まだしも勝てる見込みはあろう。
ラ・ロシェールを抜けトリスタニアに着きさえすればガリア艦隊の協力がある。
だが、肝心の降下作戦のための戦艦は全てロサイスにあり、
ここロンディニウムとロサイスの間にはカトリックが、あの狂信者集団がいる。
「ほう、前線にあって艦隊指揮をなさると申されるか。
いやいや、まことクロムウェル殿は司令官の鑑よのう!」
二丁の拳銃を懐にしまったアーカードはニコニコと席を立つと、
クロムウェルのえり首をむんずと掴んで有無を言わさず窓際まで引きずる。
「とりゃ!」
そのまま片足で窓を蹴破る。
吹き込んだ夜風になびく髪が、闇を吸い込みゆるゆると変質していく。
「その意気に免じ、この私が直々に送ってやろうぞ」
巨大な翼に姿を変えゆくその黒髪が一度、二度と大きく羽ばたく。
「ではシュレや、ちびっと行ってくる」
そう言うとアーカードは後ろで手を振るシュレディンガーに見送られ、
片手にクロムウェルをブラ下げて鼻歌交じりに月なき夜空へ飛び立った。
「♪ 小さーいー頃ぉ~は~ 神様がいて~、 毎ー日ゆーめを~~、、、」
†
そしてそのままロンディニウムへと進軍するカトリック教徒たちの頭上を越えて
ロサイスへ届けられ、明くる日の昼にはラ・ロシェールへと向かう艦上に居た。
司令官を迎えた艦隊の意気は上がったが、当のクロムウェル自身は
己の状況を未だに納得できずにいた。
やるべきことは明確だ。
トリステイン領内のタルブに降下、ラ・ロシェールを奇襲して
トリステイン艦隊を殲滅し、そのまま王都トリスタニアに攻め上る。
ほかに選択の余地もなかった。
しかし、それでも。 いや、だからこそ。
運命には抗えない。
思えばこのレキシントン号も、あの『虚無の魔女』が一番最初に関わった船だった。
ようやく修復を終えたその艦上に自分がいる事に、深い因縁を感じざるを得ない。
クロムウェルは自分の指にはまった『アンドバリの指輪』をもう一度見つめ、
そして力なく笑った。
。。
゚○゚
「どうしたもんですかネー」
イスカリオテ機関長、間久部(マクベ)が髪をかきあげる。
その口調とは裏腹に、垂れた髪の奥の目は笑みに歪んでいた。
皇太子暗殺から一夜明けた正午。
サウスゴータとロンディニウムの中ほどにある森のそば。
「アルビオン解放戦線」から名を改めた「ハルケギニアカトリック武装蜂起軍」は
ロンディニウムへの夜を徹した強行軍の中、しばしの小休止を取っていた。
アルビオンの民衆は長きに渡る内乱に倦み疲れ、その争いに大義名分を与える
ものでしかないブリミル教とメイジ達への反感を火薬の如くに蓄積させていた。
そんな彼らの中にカトリックの教義は熱狂を以って迎えられ、今やその信徒は
十万にならんとし、蜂起軍の数も様々な勢力を併呑しつつ優に三万を超えていた。
その象徴である二人の聖女、その一人のティファニアは行軍に加わらず
信仰の中心地となったウエストウッド村に残り、信徒達をまとめている。
ハーフエルフである彼女は新たに信仰に加わる者たちへ例外なく驚きを与え
時には一時の警戒を招きもしたが、エルフを敵と教えた貴族たちへの反発と
何より誠実で献身的な彼女の姿がかえって信徒達の求心力となっていった。
そしてもう一方の聖女、『狂戦士(バーサーカー)』高木由美江は
その圧倒的な戦闘力により武装蜂起軍を団結させる強力なイコンとなっていた。
特にその愛剣(その様な言われ方は由美江にとっては不本意だったが)である
デルフリンガーの魔法殺しの能力は、メイジたちに使い捨てられてきた
魔法を使えぬ平民兵士達にとって、まさに貴族支配打倒の象徴と映った。
軍の中でも特に信仰心と戦闘力の高い者たちは『ウエストウッド聖堂騎士団』
として彼女に直接指揮をされ、その十字を掲げた黒ずくめのいでたちは
戦場にあってレコン・キスタ側の兵士達に強烈な畏怖を植えつけた。
その高木由美江は間久部機関長の傍らでもう一人の人格に体を預け、
自分は来るべき戦いに備えて眠りについていた。
「ど、どうかなさったんですか? 機関長」
「いやナニ由美江クン、あ、いや今は由美子クンか。
どーにもこーにも目指すロンディニウムから
当のクロムウェル氏の姿が消えたらしいんデスヨネー」
「そ、それって、レコン・キスタの方々との和平交渉のお相手が
いなくなった、ということでしょうか?」
「ワヘイ、デスかぁーっはっはぁ」
この期に及んでそんな発想が出てくる由美子の平和主義ップリに
間久部は思わずがっくりと頭を垂れる。
二重人格とは聞いてはいたものの、これほどまでとは。
この世界にちょくちょくと顔を出すようになって数ヶ月がたつが
未だに由美江と由美子の二人のギャップに慣れる事は出来ない。
(ま、この由美子クンがいればこそ、由美江クンもあのおっとりとした
ティファニア嬢と上手くやっていく事が出来ているんだろうがネェー)
「フン、レコン・キスタの司令官が敵前逃亡とは、何ともしまりのない結末だ。
この分では俺の働き甲斐も無さそうだな」
二人の横で黙々と愛銃ソードオフ・M1ガーランドの手入れをしていた
ルーク・ヴァレンタインが間久部の顔も見ずに鼻で笑う。
初夏だというのに白のスーツに白いコート、流れるような金髪を
後ろに束ねたその姿は、身にまとった常人ならざる気配と相まって
寄せ集めの軍勢の中でもひときわ異彩を放っていた。
個人での陽動や暗殺を主な任務とするルークは前線での戦闘には
殆ど関わらず、吸血鬼であるという事も知らされてはいなかったが、
影に日向にティファニアを見守り、隙さえあれば由美江と殺し合いを
始めようとするこの色白眼鏡の美男子が人外の存在だろうという事は
信徒達の間では暗黙の了解となっていた。
「それはあの、良い事です、、よね? ルークさん」
由美子相手では食指も動かぬらしく、ルークはただ肩をすくめる。
「いやいやソーとは限らりませんよー、ミスタ・ヴァレンタイン。
向こうにはかのアーカード氏がいるらしいじゃあないデスかあ?」
間久部の発したその名前にルークの手が止まる。
「その「ミスタ」ってのは止せ、ケツが痒くなる。
アーカードは確かに問題だが、シュレディンガーの話だと
そもそも向こうに加勢するとは限らん。
大体ヤツとて身一つでこの世界に来てまだ日も浅い、
アレの死の河とて良くて一万になるならぬの筈。
ロンディニウムの貴族派残存兵力を足しても
王党派と合わせればこちらの方が数は倍する。
それに、アーカードがその領民達を戦場に解放したその時は、、、
今度こそ、俺がヤツの心臓を止めてやるさ」
眼鏡の奥で理性を保っていた真紅の瞳が、凶暴な歓喜に歪んだ。
†
「起きて下さい」
かつてこの国の王城だったハヴィランド宮殿。
クロムウェルをロサイスに送り届けたアーカードは、
ロンディニウムに戻るとその宮殿上部の寝室で
たっぷりと食らい、たっぷりと眠った。
その食い散らかした残骸の中に、ローブをまとった女性が立っている。
その目は吸血鬼特有の赤い光を放っていた。
「シェフィールド様、起きて下さい。
面白いことになっていますよ」
眠りに落ちていたアーカードが鼻をひくりと動かし、目を覚ます。
丸一日以上眠っていたらしい。
ひとつ伸びをしてぺたぺたと窓辺に進み、カーテンを引き開ける。
雲間に隠れた天頂の太陽の近くに、二つの月が浮かんでいる。
日食が、近い。
視線を水平に移してから、アーカードは初めてそれに気づいた。
「ほお!!」
ロンディニウムを囲む城壁のそばに、二隻の戦艦の姿がある。
戦艦はゆっくりと回頭し、その砲列を今まさにハヴィランド宮殿に
向けつつあった。
城壁の外では既に展開された両軍が開戦の時を待っている。
「あんな隠し玉があったとはのう!」
貴族派の空軍戦力はほぼ全てがトリステイン攻略へと向かっている。
王都防衛の竜騎兵部隊が次々と飛び立っていくが、司令官の不在は
指揮系統に混乱を招き、兵達は統率された行動を取り得ずにいる。
「はは、いいぞ」
二隻の戦艦から一斉に砲火が上がる。
「 戦 争 の 時 間 だ 」
着弾の轟音と衝撃とがハヴィランド宮殿を揺さぶった。
地上でも砲撃を契機に双方の軍勢が敵陣へと突撃を開始していた。
鬨の声と剣戟とが遠くここまで響いてくる。
まるで宝物を見つけた子供の様に、アーカードの目が歓喜に輝く。
懐へ手を差し入れると、ローブの女性へ指輪を放る。
始祖の秘宝、『風のルビー』と『水のルビー』。
今のアーカードにとっては限りなくどうでもいいものだ。
「クロムウェルの方はどうなりましょうか」
「知らん」
眼下に繰り広げられる光景を見つめたまま、アーカードが短く答える。
「大体クロムウェルが首尾よくトリスタニアまで辿り着いたとして、
あのおっさんが「自分の娘」が留学しとる国を攻撃するとも思えん」
「シャルロット様、ですか」
「今はタバサと名乗っとったよ。
向こうはぜんぜん覚えておらんかったがの。
もっとも、国元でこの姿で会った事は無かったか」
アーカードは手を広げ、少女の形をした自分自身の体を眺める。
「シェフィールド様は、どうなさるので?」
「その「シェフィールド」という名前は、お前にやる」
後ろに立つ女性が小さくため息をつく。
「では、今後は何とお呼びすれば」
「アーカード」
振り返りもせず、ぎちりと頬を引き上げて答える。
「いろいろ試したい事もあったからな。
ちと遊んで帰る、と 「シャルル」 に言っておけ」
アーカードは窓を蹴破ると血と硝煙と鉄の臭いを大きく吸い込み、
歓喜の大哄笑を上げて戦火の空へ身を躍らせた。
†
「敵陣は混乱の極みだ! 次弾、砲撃準備急げよ!」
「敵竜騎兵を近づけるな! 左舷弾幕を厚くしろ!」
王党派が隠し持っていた虎の子の戦艦二隻。
甲板を怒声が飛び交い、兵士達が慌ただしく駆け回る。
その一隻、戦艦レパルス号の甲板―――。
一人の兵士が、ぞくり、と氷の様な気配を感じ思わず後ろを振り向く。
視線の先には同じく息を呑み甲板の中央を見つめる仲間の姿があった。
爆音とどろく戦場の中で、その場にいた全員が無言で一点を見つめる。
そしてそれは当然のように、空からゆっくりとそこに降り立った。
兵士は、ある「噂」を思い出していた。
その噂はこの内乱が始まった時から、否、もしかしたらそれ以前から
兵士達の間に囁かれていたものだった。
それは、真白い少女の姿かたちをして戦場に現れ、
けれど、少女では、ましてや人などでは在り得ず、
しかし、敵味方の区別無く。
いわく―――
―――血を啜るという。
いわく―――
―――魂を喰らうという。
聞いた時には馬鹿げた与太話だと一笑に付した。
事実、そんな話など聞いた端から忘れていた。
今、その与太話の「それ」が眼前の「これ」だと瞬時に理解した。
自分だけでない、ここにいる皆が感じている。
「恐ろしい事になる」と。
この化け物を倒してしまわないと「恐ろしい事になる」と。
少女の姿をした「それ」に、全員が殺到した。
銃弾が、魔法が、剣が槍が斧が次々とその五体に撃ち込まれ、
焼き焦がし、斬り刻み、「それ」を肉片へと変えていく。
艦外の戦闘は忘れ去られ、絶叫と恐慌だけがその場を支配した。
だが。
撃ち尽くし、焼き尽くし、斬り尽くした時、
絶叫は絶句に置き換わり、恐慌は絶望に浸食されていく。
声なく立ち尽くす兵士達の前で、その肉片が、骨片が、服さえもが
溶けて流れて赤黒い血流に変わり、蛇の様に渦巻いて人の姿を形取る。
真白いスーツに黒髪をなびかせた少女の姿を。
復元したばかりの口元から小さなピンク色の舌がこぼれ、唇を舐める。
少女はまだ鼻から上の無い顔で、ゆったりと皆に微笑む。
真白い手袋をした両手が懐に差し込まれ、巨大な二丁の拳銃を取り出す。
左手には白金の銃、右手には黒金の銃。
アーカードは両手を広げ喜びに満ちた表情を浮かべると、
出来上ったばかりの目を見開き満足げに周囲を睥睨した。
「兵士諸君 任務御苦労
さ よ う な ら 」
ただただ一方的な虐殺の場と化した戦艦レパルスの横で、
戦艦オライオン号の甲板上へもその恐慌は感染しつつあった。
「何が、何が起こっている、あの艦上で、、」
「判らん! くそっ、とにかく陛下をお守りしろ!」
「何だ? レパルスの黒いあれは何だ?!」
―――得体の知れない何かがレパルスの艦内を蹂躙している。
「あれをオライオンに近づけるな!」
―――それだけはオライオンの艦上からも見て取れた。
「駄目です、レパルス号の通信途絶!」
「陛下、こちらは危険です!」
国王ジェームズ一世は、しかし動こうとはしなかった。
「いまさらこの場を逃れて何になろう」
確証は無かった。 しかし心静かに確信していた。
(あれが、朕の死であるか)
老王はゆっくりと手にした王杖を振り上げ、
戦艦レパルスへ向かってかざす。
傍らに立った司令官が驚きながらも兵に指示を出した。
「?! ほ、砲撃用意!
目標、戦艦レパルス号!!」
その声に兵士達も一瞬の放心の後、すぐに指示を実行する。
「取り舵いっぱい!」
「急げ! 全砲門開け!」
「、、、陛下」
その声にジェームズ一世は静かにうなずく。
王杖が振り下ろされ、司令官が叫んだ。
「撃て!!」
「全弾命中! 全弾命中!」
味方艦への打撃に悲痛な歓声が艦内に湧き上がる。
しかしそれはほどなく、困惑と畏怖とに変わっていった。
オライオン艦上の全兵士が見守る中、 黒煙を上げる戦艦レパルスは
ずるずると這い蠢く赤黒い巨大な何かに包まれていく。
「、、、冗談だろ」
「次弾装填急げ、、、早く、早く!!」
もはやそれ自体が赤黒い何かに変質しようとしているレパルスが、
低い軋みを上げつつゆっくりとその船首をオライオンへと向けた。
「?! こちらにぶつける気か!」
「退避!退避!」「駄目です、間に合いません!」
「魔法だ! 何でも良い、魔法を奴に、、、!!」
狂乱の坩堝となったオライオン艦上で。
かつて戦艦レパルス号だったモノが眼前に迫る中、
アルビオン王国国王ジェームズ一世はその人生の最後につぶやいた。
「、、、ウェールズ、すまんな」
遠く響く轟音と爆炎とがロンディニウムの天空を揺るがせた。
†
「オイオイオイ、どうなってんのよアレは?!」
向かってくる敵の首を右手の日本刀で刎ねつつ、由美江は
ゆっくりと墜落していく友軍の残骸を唖然として見上げる。
「どうも何も、誰の仕業かなんぞ判り切ったことだろう?」
ルークが鼻で笑いつつ、顔も向けずに後ろの敵の頭を射抜く。
ついでに横なぎに振るわれた日本刀の一撃を
造作も無くしゃがんでかわす。
「お前の半分がテファの親友である事に感謝するんだな。
でなければ今すぐ蜂の巣にしてやっている所だ」
銃口を由美江に向けたまま斬りかかってきた敵兵を蹴り飛ばす。
「はンっ! やってみろっつーのよこのへっぽこフリークス!」
蹴り飛ばされてきた敵兵を左の剣で叩き潰すと、由美江は周囲を見渡す。
『おい相棒、俺ぁ金槌じゃあねーんだぜ? せめて斬れよ』
悲しげにつぶやくインテリジェンスソードには目もくれない。
「集まれ!」
由美江の号令に百人程の黒ずくめの集団が周囲に陣を張る。
ハルケギニアカトリック武装蜂起軍の中でも選りすぐりの
狂信者集団、『ウエストウッド聖堂騎士団』。
十字を掲げた彼ら全員が、由美江の刀が指し示すその先を見つめる。
「敵陣に落ちますな、シスター」「件の吸血鬼と言えど、あれでは」
―――私は ヘルメスの鳥―――
「否、来るわ」
ゆっくりと土柱を立ち上らせ敵陣へと吸い込まれていく
巨大な二つの塊を眼光鋭く睨みつつ、由美江が答える。
―――私は自らの 羽を喰らい―――
「さて、仕事だ。 せいぜい囮になる事だな」
ルークの足元から黒犬獣がせり上がり、彼自身を飲み込むと
そのまま影の中にどぷりと消え去る。
―――飼い 慣らされる―――
「黒禍が、来る!!」
二隻の戦艦が敵陣に墜落したその衝撃が、数瞬の間をおいて
由美江たちに叩きつけられる。
大地を揺さぶる振動と、吹き付けられる熱風と粉塵の中で
由美江は知らず笑みを浮かべていた。
「河が来る、死の河が。
地獄が踊り、死人が歌う」
墜落の衝撃だけが理由ではなかった。
襲い来る猛烈な予兆、いや狂兆に心と体を絡め取られ
敵も味方もその動きを止めていた。
黒煙と炎に包まれた残骸の中から、何かがあふれ出た。
赤黒いそのそれは、奔流となり、濁流となり、
そして激流となって周りの全てを飲み込んでいく。
そしてその中から、『死の河』の中から。
死者の、群れが。
現れたそれは、騎兵だった。
それは歩兵だった。
それは工兵だった。
それは竜騎兵だった。
ドットメイジが、ラインメイジが、トライアングルメイジが、
スクウェアメイジが、神官が、平民が、貴族が、商人が、
猟師が、農民が、遊牧民が、トリステイン人が、ガリア人が、
ロマリア人が、アルビオン人が、ゲルマニア人が、東方人が、
傭兵が陸戦兵が砲兵が水兵が憲兵が砲亀兵が火のメイジが
風のメイジが土のメイジが水のメイジが衛士が銃士が聖堂騎士が
風竜が火竜がオーク鬼がトロル鬼がオグル鬼がコボルド鬼が
ミノタウロスがエルフが、呼ぶべき名も無きものたちが―――。
死者の王の領民たちが、その領地から這い出でた。
「全周防御!! 全周防御!!」
「方陣だ!! 方陣を組め!!」
「何だ!! 何が、、、」
「何が起きている?!」
恐怖に駆られた生者が叫ぶ。
まもなく死者の側へと転じる者達が。
「死だ、、、」
由美江が言葉を噛み締める。
「死が、起きている、、、!!」
怖がる事は無い、恐れる事は無い!
自らもかつて、「これ」の一部だったのだ。
左手のルーンが唸りを上げて輝きを増す。
「いいなあ!! あれ!!」
遠くの丘から双眼鏡で戦局を眺めていた間久部が喜色満面に叫ぶ。
「欲しい!! 素晴らしい!!」
戦艦の残骸を押しのけ現れた巨大な皮膜がロンディニウムの空を覆う。
めりめりと広がるその翼は生者も死者をも暗闇の中に塞ぎこめ、
ゆっくりと伸び上がるその首は二つの月をも喰らわんとする。
小山の如きその巨躯が死の河の内から顕現した時、ハヴィランド宮殿の
屋根の上でルークは引きつった笑みを抑えられずにいた。
体長100メイルを優に超える、歳振りし火竜が大気を震わせ咆哮する。
「あんなものまで、、あんなものまで喰ったのか!」
古竜の巨体がロンディニウムの城壁を難なく打ち砕く。
死の河は既に城壁を超え、市内へと雪崩れ込んでいる。
それはもはや、戦争といえるものではなかった。
敵も味方も、平民も貴族も、武器持つ者も持たぬ者も、
生きとし生けるもの全てが有象無象の区別無く。
「こんな事があるものか! あってたまるか!!」
どう考えても多すぎる。
死者の群れは溢れ留まる事を知らず、今や郊外の戦場はもとより
ロンディニウム全域をすら飲み込まんとしている。
少なく見積もっても優に30万は下るまい。
奴とてこちらの世界へ来てまだ数ヶ月のはずなのだ。
古竜が大きく息を吸い、巨大な火球を吐き出す。
否。
こちらの三人がたまたま同時期に召喚されただけ、だとするならば。
アーカードまでもが時期を同じくする必然性は無い、とするならば。
有象無象が塵芥と吹き飛ばされ、立ち昇る火柱は天をも焦がす。
その光景を見下ろすルークの脳裏にシュレディンガーの声が蘇った。
この世界での再開以来、あの猫は事ある毎にウエストウッドを訪れては
昼食をご馳走になる代わりにティファニアに茶飲み話を披露していった。
そうだ、自分と主人とが平行世界に迷い込んだという話だった。
他愛ない冒険譚の中で、シュレディンガーは何を語っていた?
使い魔たちが召喚された時を分岐に、平行世界の相違が生まれていた、と。
けれど一部の相違は、自分達が召喚される前から在るようだった、と。
だが、それさえも他の使い魔が召喚された時に生じた相違だったとすれば。
そう、アーカードがこの世界に召喚された時に生じた相違だったとしたら。
もし、そうだとしたら。
5年か?
10年か?
それとももっとか。
「奴は、、奴は何時から ここ<ハルケギニア> にいる!?」
†
燃え盛り黒煙を上げる、墜落した戦艦の残骸の上。
アーカードはそこに座り、足を組んで嬉しげに遠くを見やる。
「存外に粘る!
ふふ、そうでなくてはな、そうであろうとも!」
混沌の中央、死者と生者との狭間には由美江率いる黒衣の集団、
『ウエストウッド聖堂騎士団』が陣取り、防波堤となっていた。
「さて」
瓦礫の上に立ち上がると、両手の銃を指揮棒のように構える。
アーカードの足元、瓦礫の丘の下に死の河が沸き立つと、
数十、数百の杖持つ影が次々と立ち現れる。
新たに現れた死者の群れは一斉に様々な形の杖を掲げ、
しかし一糸乱れぬ統率で朗々とルーンの詠唱を始めた。
「単一意思に支配された千人のメイジによる同時詠唱。
さしずめ 千角形<キリアゴン> スペル とでも名付けるか」
最初に反応したのは水系統のメイジ達だった。
前線のはるか後方に現れた尋常ならざる死者の群れ。
彼らの唱えるルーンが何をなそうとするものなのかに気付いた時、
この魔女鍋の底のような混沌のさ中で、いよいよ己の気が触れた
のではないかと我を疑った。
しかし数瞬の戸惑いの後、彼らは声の限りに絶叫した。
「奴らを、奴等を止めろ!!」
「いや、もう遅い! 何処でも良い、身を隠せ!!」
そこには既に王党派も貴族派も無かった。
死者と、死から逃れんとする者とがいるだけだった。
「土のメイジはトーチカを作れ!」
「平民を守れ! 早く!!」
戦場の中央に大気が凝り、渦を巻く。
空を覆わんばかりの雲塊が現れつつあった。
高らかな死者たちの詠唱に合わせて、
遥かな高みの白い渦は放電を伴って凝集されてゆく。
そしてその収縮が頂点に達したとき。
「来るぞ!!」
絶叫とともに戦場に高温の暴風が吹き荒れた。
逃げ損ねた者の皮膚がただれ、膨れ上がり、
生きながら蒸し焼きになっていく。
「頭を出すな! 息を吸うな!」
ある者は城壁の瓦礫に、ある者は同胞の死体に埋もれ
必死に灼熱の突風をやり過ごす。
「終わった、のか?」
「いや、、今の熱風は氷結魔法の副産物だ。
単なる放熱現象に過ぎん」
その単なる副産物に焼かれた者たちが累々と転がる。
風のやんだ戦場で、男たちはゆっくりと立ち上がった。
「あれ、見ろよ」
促され、空を仰ぎ見る。
まもなく食に入ろうとする太陽と二つの月の横に。
三つ目の月が生まれていた。
水晶を削りだして造られたかの様なその天上の球体は、
距離感も判らぬ程の彼方で陽光を浴びて煌いた。
「何て、、何て美しい、、、」
知らず、涙が溢れてくる。
その月が高く澄んだ音を響かせ、ひび割れる。
生まれたばかりの月から光のしずくがゆっくりと漏れ落ちてくる。
こぼれ出たその光の一つを受け止めようと、男はそっと手を伸ばした。
全ての音が消えた世界に、アーカードの声が鳴る。
「では逝くぞ。
千角形<キリアゴン>スペル
エ タ ー ナ ル フ ォ ー ス ブ リ ザ ー ド 」
月からの光のしずくが長さ5メイルを超える氷柱だと気付いた時、
男の体は既に氷柱に貫かれ、否、押し潰されていた。
地獄が、降り注いだ。
†
「おお、遅かったのう」
「おまえは、、、おまえは一体何なんだ」
舞い落ちる氷柱群が奏でる荘厳な交響楽曲を背に、アーカードは振り返る。
二つの月がゆっくりと太陽を飲み込んでいく。
闇が世界を飲み込んでいく。
「どうした? 千載一遇、万に一つ、那由他の彼方の好機だろうに」
「化け物め!」
ルーク・ヴァレンタインが牙を噛み鳴らす。
「『あの方』を騙るな!
俺が死の河と分かたれるまで、『あの方』は共に死の河に在った。
お前は『あの方』じゃあ無い。
お前はアーカードでも無い。
お前は吸血鬼ですら無い。
お前を滅ぼす好機だと? 笑わせるな。
お前は死すら持たない。
お前は賭すべき何物も持ってはいない。
お前は、お前はただ人を真似るだけの人もどきに過ぎん!」
アーカードは悲しげに肩をすくめる。
「やれやれ、非道い言われようじゃのう」
周囲に渦巻く阿鼻と叫喚の混声合唱はいつしか途絶え、
曲目はついに終盤を迎えていた。
闇に包まれた白銀の世界から、赤黒いものがにじみ出て来る。
幾千幾万の魂が、命が、そして死が。
小さな体が黒髪と、血と、影と溶け合い闇そのものへ変じる。
死の河が再び眼前の少女の内へと帰ってゆく。
もはやルークになす術は無い。
目の前に在るのは死の河の主ではない。
主を求め彷徨う死の河そのものなのだ。
「ならばこそ、、、
命を賭して何かを成すために、私は命が欲しい。
死を恐れず何かを成すために、私は死が欲しいのだ。
お前ならば、分かれ。 ルーク・ヴァレンタイン」
死の河の中央で全ての滅びを飲み込んでゆく少女は
ルークをただ正面から、静かに見つめていた。
その静かな眼差しはしかし、哀願の、懇願のようだった。
死ぬ為だけに死を望む死の化身。
その時、その瞳が、ふいに固まり大きく見開かれた。
その顔が、弾かれたように東の空に向けられた。
「、、、来た」
少女の声は歓喜に打ち震えている。
「は は は は は は ! !
開く、、、 『虚無』が開くぞ!!」
哄笑とも咆哮ともつかぬ狂喜の声をあげ、黒い翼を天に伸ばす。
「ワンコはもう少しだけ貸しておいてやる」
にやりと笑った後、引き絞られた弓矢のように暗い空に飛び去っていく
アーカードの姿を、ルークはただ立ち尽くして見送った。
†
由美江が目覚めた時、生者も死者も、そこに何も残されてはいなかった。
戦場にはただ一人、自分だけがとり残されていた。
デルフリンガーの力を以ってしても、それが限界だった。
皆を守ろうとして守れず、力を使い果たし倒れた自分の上に覆いかぶさり
微笑みながら凍り付いていった男達の顔を思い出す。
(御然らばですシスター、いずれ辺獄<リンボ>で)
その顔が今、白く変わり果てて由美江を囲んでいた。
日食は終わっていた。
由美江は自分を庇い氷像と化した同胞達の下から這い出し、
見渡す限り墓標のように乱立した氷柱群を眺める。
低く煙るもやの向こうには、輝く廃墟と化したハヴィランド宮殿が見える。
恐るべき力で周囲の全てを侵食していた凍結の力は失われ、
あちこちで氷柱が音を立てて崩れだしていた。
惨劇を覆い隠すように、白銀が陽光を受けてきらめく。
抑えきれぬ衝動が、体のうちに激しく渦を巻いてゆく。
氷原の中で、左手のルーンの熱さだけが空しくその身を焦がす。
由美江は虚空に絶叫した。
「殺す、、、
殺して殺(や)るぞ、 ア ー カ ー ド ! ! !」
†
#navi(確率世界のヴァリエール)
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