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#navi(萌え萌えゼロ大戦(略))
「……ねえ、ギーシュ。正直に話してくれない?」
ふがくたちがラ・ヴァリエール領に向かった翌日。トリステイン魔法
学院では一人の男子生徒が複数の女生徒に問い詰められていた。
「な、なんのことだい?モンモランシー」
「とぼけないで!この三日間、ルイズと二人でどこ行ってたの?」
「……そのルイズの様子も何か変だったわね。お姉さんに引っ張られて
帰っちゃったからちょっとしか見てないけど、妙に気を張っていたというか。
タバサはどう思う?」
ギーシュに詰め寄るモンモランシーの横で、キュルケは横で本に没頭
している親友に問いかける。その返事は素っ気ない。
「確かに変。たとえるなら、何かの罪に怯えているような感じがした」
タバサの言葉に、ギーシュは小さく肩をすくませ、遠くを見るような
目をする。
「罪……か。あれを罪だというのなら、軍人は全員罪人だよ」
「どういうこと?」
ギーシュのその言葉に、三人は顔を見合わせた。
アルビオンの首都ロンディニウムの南側に、かつて王権が君臨した
ハヴィランド宮殿がある。
そこの白ホールは、まさに『白の国』アルビオンの要にふさわしく
白一色に塗りつぶされた荘厳な場所。一六本の白大理石の円柱がホールの
周囲を取り囲み、白亜の天井を支えている。白い壁には傷一つなく、
光の加減で顔を映し出すほどに輝いて見えた。
そんなホールの中央には、巨大な白大理石の一枚岩から削り出した
『円卓』がしつらえられている。平らに磨き上げられた岩盤は、そこに
集う者の心を映すとすら言われていた。
おおよそ二年前までは、そこは大臣たちが王を取り囲み国の舵取りを
行った場所であった。しかし、今その『円卓』の座に座る者は、王政府から
国を取り上げた革命者たち。革命政府の貴族議会議長兼初代神聖皇帝
オリヴァー・クロムウェルは、上座に座り静かに目を閉じる。その背後には、
彼の秘書であるシェフィールドという女性が、影のように寄り添う。
ライトニング姉妹の姿がここにないのは幸いか。クロムウェルは、
戦の傷も生々しい将軍たちを前に、いささかも動じてはいなかった。
一人の男が挙手をする。ホーキンス将軍――白髪と白髭がまぶしい
歴戦の将軍は、その顔の半分を包帯で覆っている。ホーキンスはきつい目で、
ほんの二年前まではただの地方司教でしかなかった皇帝を見つめる。
クロムウェルに促され、彼は立ち上がった。
「閣下にお尋ねしたい」
「なんなりと質問したまえ」
「先程ご報告致しましたように、ニューカッスルの地で我が軍はかろうじて
勝利を収めましたが、艦隊と陸軍戦力再編の必要に迫られました。
艦隊がなければ軍を運ぶことすらできず、兵がいなければ国土を守る
以前の話となりますからな」
うむ、とクロムウェルは頷いた。そして、視線が同じく頭の包帯が
痛々しい肥えた将軍、ネルソン提督に向く。
「先の戦闘で、卿は陸兵五万を見捨てて艦隊を立て直し、見事王党派を
仕留めて見せた。そのとき、卿は、余に力を貸してくれている双子の
乙女たちとよく似た鋼の翼持つ乙女を見たと言うが、本当かね?」
ネルソンは処刑台に立つ罪人の気分を押し隠し、毅然と起立すると
クロムウェルに向かい合う。
「その通りです。閣下。そして、艦と多くの将兵を失った責任は、
すべてこの私にあります」
大破状態でロサイスに帰投した巨大戦列艦『レキシントン』は、現在
予定を前倒しして突貫で改装工事に入っていた。その艤装主任には予定
通り彼の副官であったボーウッドが任されている。そして、ネルソンは
提督の任を解かれ、巡洋艦の艦長となることが決まっていた。
「なるほど。だが、余も卿ほどの優秀な将官を処刑することは忍びない。
卿には、これからもこのアルビオンのためその力を振るって欲しい」
「……寛大なご配慮、誠に痛み入ります」
茶番だ。すべての責任は、総司令官であったサー・ジョンストンが
取るべきなのだ。だが、得てして政治家というものはこのような責任
回避に長ける。しかし、生粋のアルビオン軍人であるネルソン自身が、
あの戦いにおける死者たちに責任を感じていたことは、紛れもない事実
だった。
ネルソンが着席したのを見計らって、クロムウェルは言う。
「……さて、諸君。王党派を打倒した我々は、次なる段階に進まねばならぬ」
クロムウェルのその言葉に、背後に立つシェフィールドがかすかに
笑みを浮かべたことに気づく者はいなかった。この会議がもたらす結果
――それをハルケギニアの諸国が知るには、まだ少しの時間を必要とした。
夜も更け、双月が天空高く輝く頃……。
そこが最前線であることを雄弁に物語る高い城壁と深い堀に囲まれた
ラ・ヴァリエール城の大ホールは、沈黙に包まれていた。
深夜にもかかわらず、娘たちを待っていたかのように開かれた晩餐会。
シエスタは召使いとして参加を許されなかったが、ふがくはルイズの
使い魔ということと、異国の士官待遇であることから、特別に晩餐会への
参加が許されていた。
とはいえ、ふがくはルイズの隣、一番下座である。三十メイルほども
ある長いテーブルに座るのは、ふがくを加えて五人だけ。話によると、
ラ・ヴァリエール公爵は今日は戻らないらしい。それでもテーブルの
周りには使用人が二十人ほど並んでいる。壮観な眺めだった。
上座に控えた公爵夫人は、到着した娘たちを見回した。その視線が
ふがくに向けられたとき、そのエレオノールをもしのぐ苛烈な視線を、
ふがくは礼で受け流す。
この母にしてこの娘あり、ってとこかしら――ふがくは、公爵夫人の
年の頃を五十過ぎだと見る。だが、それは長姉であるエレオノールの
年齢から推測したものであり、実際には四十半ばに届かないように見えた。
目つきは鋭く炯々とした光を湛え、まだ色あせぬピンクブロンドは頭の
上でまとめられていた。なるほど、カトレアとルイズの髪の色は公爵夫人
ゆずりなのだ。そして、その人をずっと傅かせてきた者だけがまとうことが
できるオーラは、ふがくに警戒を超えた敵意を向けていた。
ルイズはそのオーラにすっかり圧迫されてしまい、久しぶりに会う
母親だというのに、かちんこちんに緊張している。この様子だと、家族で
心を許せるのはカトレアだけのようだ。
「母さま。ただいま戻りました」
エレオノールが代表して挨拶すると、ラ・ヴァリエール公爵夫人は
無言で頷く。そして、三姉妹とふがくがテーブルにつくと、給仕たちが
前菜を運んでくる。晩餐会の始まりだった。
(これ、本当に家族?誰も一言も発しないばかりか、みんな公爵夫人の
オーラに萎縮しちゃってるじゃない)
息が詰まりそうになるような、銀のフォークとナイフが食器と触れあう
音しかしない時間。結局、誰も言葉を発しないまま、沈黙の晩餐会は
終了した。
結局、ルイズのことは、明日ラ・ヴァリエール公爵が戻り次第という
ことになった。
ふがくは自分のために用意された部屋には入らなかった。どうやら
納屋に簡易ベッドを運び込んだらしく、壁には箒が立てかけられ、
ベッドには乾いたぞうきんがかかったまま。トリステイン王国の他国の
士官を遇する手法を見たふがくは、結局この国は魔法が使える貴族以外は
人間だと見ていないのだと再確認しただけ。後でこの有様を見たルイズが
母親に猛抗議することになるのだが、それもあとの祭りである。
そんなこともあり、ふがくはちょうど部屋に来ようとしていたシエスタを
誘って、ラ・ヴァリエール城の一番高い尖塔の上に腰掛けていた。尖塔の
上からラ・ヴァリエール領を見渡すと、真夜中だけあって明かりがついて
いるところは衛兵の詰め所くらいしかない。村も眠りについており、
夜の帳が降りた広大な領地の上に星が瞬く夜空が広がっている。
大日本帝国の鋼の乙女たちの駐屯地であった木更津基地から見た空とは
違う光景に、ふがくも、そしてシエスタも思わず目を奪われた。
「学院の仲間が言ってました。ラ・ヴァリエール家は、トリステインでも
五本の指に入る名家なんですって。こんなお城に住むのも、当然ですよね。
はぁ、爵位も、財産も、そして美貌も何でも揃ってて……。
ミス・ヴァリエールが羨ましいな」
溜息混じりにそう言うシエスタ。その様子に、ふがくは小さく溜息をつく。
「そんなものかしらね」
「そうです。だって、わたしが欲しくても手に入れられないものを、
たくさんお持ちなんですもの」
シエスタの顔は赤い。それは照れているのではなく、酒が入っているせいだ。
シエスタも付き添いのメイドとはいえお客様には違いなく、この城の
召使いは彼女をもてなすために酒を出したらしい。吐く息にも酒の臭いが
混じる中、ほろ酔い?のシエスタはがさごそとシャツの隙間からワインらしい
酒の瓶を取り出した。瓶の中で丸のまま漬け込まれたリンゴが酒に揺られて
いる。
「どっから持ってきたのよ」
「もらったのれす」
すでにろれつが怪しい。シエスタはコルクを抜くと直接ぐびっと酒を
あおった。その飲みっぷりは、普段のシエスタからは考えられないほど
豪快なもの。ぷはっとシエスタが瓶から口を離すと、その顔には至福の
笑みが浮かんでいた。
「おいふがく」
呼び捨てである。ふがくは無言で差し出された瓶を受け取ると、そのまま
口をつける。リンゴのフルーティな香りが高めのアルコール度数とともに
ふがくののどをゆっくりと潤した。
「いいお酒ね。シエスタ、これどっから持ってきたのかしら?」
「厨房のテーブルの上にあったのれす」
どうやらシエスタは、一本つけられたワインを飲み干して気分が良くなり、
そのままテーブルの上の酒を適当に失敬してきたらしい。そこでカルヴァドス、
しかも年代物のラ・ポム・プリゾニエールを選んでくるのは……何とも
酒癖の悪い。しかもこんなものを一気飲みしたにもかかわらず、急性
アルコール中毒になった気配もない。ふがくはシエスタの意外な一面を
見た気がした。
「……相棒。お客さんだぜ」
そんな惨状の中、不意にデルフが言う。デルフは機能低下したふがくの
電探を補うため、背中に背負われている。ふがくが接近してくる何かに
意識を向けると、そこにはルイズを抱えたまま『フライ』で飛び上がって
きた、カトレアの姿があった。
いきなりの酒の臭いの歓迎にルイズは面食らったが、カトレアはにこやかに
微笑んでいる。
「あらあら。小さいルイズがまだ高く飛べないって言うから一緒に来て
みたけれど……」
「あ、あんたたち……何やってんのよ……」
『虚無』のルイズが『風』の系統魔法である『フライ』を使えるわけが
ないのだが、方便として『風』の系統とエレオノールに言ってしまった以上、
そう言ってごまかすしかなかった。だが、それ以前にルイズは尖塔の上で
べろんべろんに酔っ払ったシエスタに絡まれながら平然と自分たちに
向かい合うふがくに、思わず溜息をつかずにはいられなかった。
「別に。学院と同じでラ・ヴァリエール家の素晴らしい待遇に涙が出そうに
なったから、夜風に当たりに来たのよ」
「学院と……同じ?」
カトレアが不思議そうな顔をする。その様子にルイズは苦虫を噛み潰した
ような顔をした。
「……部屋のことは悪かったわ。母さまにちゃんとあんたのことを話して
別の部屋を用意するようお願いしてきたから、ラ・ヴァリエール家が
他国の士官待遇をこんな風に扱うなんて思わないでちょうだい。
それより、ちいねえさまにパインのカンジュメを食べさせてあげたいの。
道具貸して」
ルイズとカトレアがふがくにあてがわれた部屋を訪れた理由はそれだった。
あの日テーブルの上からパイン缶をふんだくったルイズは、ふがくから
保存方法――冷暗所、なのでルイズはクローゼットの中に入れていた――を
聞いてまで、この日のために取っておいたのだ。ところが小皿と銀の
フォークの準備も万端、いざ開封しようとして……道具をふがくが持って
いることに気づき、それを借りようとしたのだが――あまりのぞんざいな
扱いに顔から火が出る思いだった。
「それはいいけど……ここで食べる気?」
言われてルイズは気がついた。ここは城でも一番高い尖塔の上。
体の弱い姉にはちょっと厳しい場所だ。加えて、酔っ払ったシエスタもいる。
ルイズたちはシエスタを彼女にあてがわれた部屋に寝かしつけた後、
カトレアの部屋に移動した。ルイズはふがくからサバイバルナイフを
受け取ると、格納されていた缶切りを引っ張り出してゆっくりと缶を
開けていく。その甘酸っぱい香りに、カトレアの部屋にいる動物たちも
鼻を鳴らす。
「さわやかな香りがするわね。これがあなたの国の香りかしら」
カトレアの問いかけに、ふがくは静かに答える。
「半分正解……ですね。これは我が国の南方領土で採れる果物ですから」
ふがくの口調に、カトレアはやや不機嫌な様子を垣間見せた。
「あらあら。そんな口調で話されると突き放されているような気がするわ。
あなたはルイズの使い魔だけど、わたしはもっとあなたのことを知りたいと
思うわ」
カトレアはそう言ってふがくに微笑みかける。そうしているうちに
ルイズが缶を切り開けて、中から黄色いリング状のパインのシロップ漬けを
小皿に取り分けた。
「ちいねえさま。食べてみて」
ルイズに促されるまま、カトレアは銀のフォークでパインを切り分け
口にする。その甘酸っぱい未体験の味に、カトレアは素直な感想を告げた。
「甘酸っぱくてさわやかで、とてもおいしいわ。わたしの知らない遠い国には、
こんな食べ物もあるのね」
行ってみたい……カトレアの口から誰にも聞き取れないような小さな
言葉が漏れる。それを聞き取ったのはふがくだけ。だがその言葉の意味を
察したのか、ルイズがぽつりと言う。
「……ちいねえさまはお体が弱いの。国中からお医者さまをお呼びして、
強力な『水』の魔法を何度も試したのだけど……全然効かないのよ」
「魔法でもどうにもならない病って、あるようね。なんでも、体の芯から
良くないみたい。多少水の流れをいじったところで、どうにもならないんですって」
ルイズとカトレアの言葉に、ふがくは何も言えなかった。
カトレアの病気は、原因が分からないらしい。体のどこかが悪くなり、
そこを薬や魔法で抑えると、今度は別の部分が悲鳴を上げるのだ。
その繰り返しで、彼女は優秀な素質を持っているのに学校に通うこともできず、
公爵家令嬢という地位も美しい容姿も持っているにもかかわらず嫁ぐことも
できなかった。だが、それでも、カトレアは微笑んだ。それがルイズには
姉が不憫で仕方ないとしか思えなくなっていた。
「原因が分からないんじゃ、確かに投薬してもそれが効いてるかなんて
分からないわね」
「そういえば、ふがく、あんたの国って、医学は進んでるの?」
ルイズの問いかけに、ふがくは一瞬どう答えてよいものか迷った。
そのため、返答も曖昧なものとなった。
「……それなりにはね。魔法みたいなことはできないことも多いけど。
第一、それ前にも聞いてこなかった?」
「そうだったかしら?」
「まぁ、それ以前に帰る方法が分からないんじゃ、どうしようもないわね」
肩を落とすルイズ。二人の様子を見て、カトレアがころころと笑う。
「二人とも仲が良いのね。ふがく、ルイズから聞いたのだけど、
あなた、空の上まで飛べるそうね?」
ふがくはルイズを見る。どうやら母親にふがくのことを説明するときに、
ふがくが高高度まで上がれることを話してしまったらしい。アルビオンまで
行ったことは話していないようだが……ふがくは観念したように言った。
「ええ。ご主人様を連れて昇ったこともあります」
カトレアはそれを聞いてやや寂しそうな顔をする。
「まだ硬い口調ね。それに、ルイズのことも普段からそう呼んでいるの?」
ふがくが首を振る。そうすると、カトレアはふがくにこう言った。
「なら、わたしにも普段のルイズと同じ話し方にしてほしいわ。
それからこれはお願いなのだけれど……」
カトレアが申し出たことに、ルイズは思わず目を丸くした。
双月が西に傾き始めた夜の練兵場に、ルイズたちはいた。カトレアは
防寒のために着替えており、デルフリンガーを背負ったふがくもすでに
プロペラを回し、軽く浮き上がった状態でそのスタイルの良い腰を背中から
抱きしめていた。翼端灯の光が三人を照らす。
「ふがく!ちいねえさまの具合が悪くなったらすぐ降りてきなさいよね!」
ルイズが心配そうに言う。カトレアは、ふがくにルイズが見たのと
同じ空を見たいと言ったのだ。さすがに具体的な高度の話は母親には
しなかったようだが、それは病気のために領地から出たことのない
カトレアの好奇心を強く刺激していたのだった。
「それじゃ、お願いするわね」
「分かりました。それじゃルイズ、ちょっと行ってくるわね」
その言葉を合図に、ふがくは助走もほとんどなしに空に舞い上がる。
その姿はすぐに夜の闇に溶け、見えるのは翼端灯の赤青白の光とエンジンの
排気炎だけになった。
「……まったく。どうしてこうなっちゃうのよ……」
練兵場で独りつぶやくルイズ。その様子を見ている影の存在に、
彼女たちの誰も気づいていなかった。
ふがくは上昇角度はややゆるめにし、カトレアの負担にならないように
気を遣いながら速度を上げる。ラ・ヴァリエール城がどんどん小さく
なっていくその様子に、カトレアは驚きの声を上げた。
「まあまあ。竜籠には乗ったことがあるけれど、それが馬車に思える
くらい速いわ」
「巡航高度での水平飛行なら、もっと速く飛べます。現在高度4000メイル。
カトレア様、体の具合はどうですか?」
「ルイズや二人だけの時は、ルイズにしているように呼び捨てでかまわないわ。
それに、まだ硬いわね。
でも、もうアルビオンより高く上がったのね。速すぎて実感できないわ」
体について何も言わないということは、とりあえずは大丈夫だと判断した
ふがくは、そのまま高度を上げる。夜のラ・ヴァリエール領は明かりも
ほとんどなく、ルイズから聞いたフォン・ツェルプストー領との国境線を
見れば、そちらの方がこの時間でも明かりが灯っている場所があり
活気づいているように見えた。
「……こうして見ると、父さまが頑張っていても、トリステインと
ゲルマニアの差が見えてくるわね。あなたへの仕打ちがそうであるように、
伝統に固執しすぎて見えなくなっているのものがあるのね。
ねえ、このまま国境線を越えてみない?この高度とあなたの速度なら、
見つかる前に戻ってこられるわよ」
「冗談でも止めて……。それに、もうすぐ高度8000メイルに到達します。
少し揺れるから、気をつけて下さい」
その言葉にカトレアは目を丸くした。
「あの『風の門』?昔ガリアの竜騎士が挑んで墜ちたという吟遊詩人の
詩でしか聞いたことがないわ。楽しみね」
ふがくはなるべく揺らさないで突破できるよう、角度を調整して偏西風に
突入した。背中の排気タービン式過給器が力強い鼓動を響かせて風を
切り裂き、一気に駆け抜ける。高度13000メイルで風を抜け、ふがくは
そこで上昇角度を緩めた。
「すごい西風だったわね。本当に天空への城壁みたい。でも、すごい風の
音がしたけれど、ほとんど風そのものを感じなかったのは、あなたの力かしら」
「まぁ、そんなところです。もうじき高度15000メイルに到達します。これが、ルイズの見た空です」
ふがくは高度15000メイルで水平飛行に遷る。時間はまだ夜明けには
早いが、そこは雲一つない、黒いほどに青い空。空は彼方で大気によって
二つに分かたれ、眼下には夜明け前のラ・ヴァリエール領とフォン・
ツェルプストー領、いや、トリステイン王国と帝政ゲルマニアが、
その区別なくまるで精巧な箱庭のように見えていた。
そのあまりの美しさに、カトレアはしばしの間言葉を失った。そこに
あるのは風の音とふがくのエンジン音、そして二人の呼吸だけ。
「…………すごいわ。まるで始祖の御許に迷い込んだみたい。なんだか
暖かいのはどうしてかしら」
「それは私と一緒にいるから。今の状態だと大体十分の六気圧ってとこ
だけど、外気温は現在マイナス五六度、気圧も十分の一。私が手を放すと
あっという間に体中から血を吹き出して、呼吸もできなくなって凍り付くわ。
その前に気を失ってるでしょうけど」
「それは怖いわね」
脅しに近い言葉を聞いてもカトレアは動じず笑っている。ふがくの
背中で「俺、凍えそうなんだけど」という声が聞こえているが、二人は
無視した。
「ところで、私に聞きたいことがあるからこんなことを頼んだんでしょ?
カトレア……さん」
「うーん。もうちょっとね。
でも、それは半分だけ正解ね。ルイズが言っていたように、わたしは
生まれつき体が弱くて、今まで一度もラ・ヴァリエール領から出たことが
ないわ。父さまは結婚もできないわたしを不憫に思ってか、ラ・フォンティーヌ領を
わたしに分けてくださったけれど、それもいつまで保つか……。
だから、外に出てみたかったというのは、偽りのないわたしの本心よ」
カトレアのフルネームは、カトレア・イヴェット・ラ・ボーム・ル・
ブラン・ド・ラ・フォンティーヌ。つまり、厳密にはラ・ヴァリエール家から
分家したラ・フォンティーヌ家の当主ということになる。体が弱いために
社交界に顔を出したこともなく、求婚者がいないカトレアに、
父ラ・ヴァリエール公爵が与えた精一杯の温情だった。
そのカトレアは、今、ふがくに抱かれてトリステイン王国と帝政ゲルマニアを
見下ろす高みにいる。彼女が思っていた『外』とは異なるが、この空を
見たことがある人間を数えた方が早い場所にやってこられたことに、
今まで感じたことのない充足感を覚えていた。
「だから、まずは、ありがとうと言わせてもらうわね。ルイズを守ってくれて。
あの子、とても怖い思いをしたようね。無理に気を張って、それを
悟らせないようにしていたわ。それに、ルイズが『風』の系統に目覚めたと
いうの、あれは嘘よね?」
ふがくはカトレアにどこまで話すか迷ったが……意を決してこう言った。
「超重爆撃機型鋼の乙女である私は、ルイズの命令で、この高度から
五万の敵を焼き払ったわ。それだけじゃない。私は誤爆して無関係な
集落まで焼いたし、ルイズが五万の敵を焼き払ってまで守りたかった
人たちを守りきれなかった……」
カトレアは何も言わず、ふがくの言葉に耳を傾ける。
「ルイズが魔法に目覚めたというのは、紛れもないことよ。でも、
どの系統に目覚めたのかは、その場に居合わせたある人に誰にも話さないよう
きつく命じられたから、言えない。それがアンリエッタ姫殿下であっても。
ルイズが嘘をついたのも、その言葉を守ってのこと。だから、そのことは
責めないで」
それだけでカトレアには十分だった。言えない系統――それはただ一つしか
ない。ラ・ヴァリエール家は、トリステイン王家の庶子をその祖とする。
つまり、その可能性は自分たちにはあったのだ。それでも、それがルイズで
あったこと、そして、これから彼女が背負っていくであろう運命に、
カトレアは憐憫の情を覚えずにはいられなかった。
「……今、あなたを抱きしめられないことがとても悲しいわ。
ありがとう、ふがく。あなたが小さいルイズの側にいることを、
わたしはとても嬉しく思う」
「カトレア……」
「ええ。そう呼んでくれてかまわないわ。
わたしが聞きたかったことはそれだけ。さあ、もう降りましょうか。
あまり長居していると、ルイズが心配するわ」
そうして――再びラ・ヴァリエール城に戻ったカトレアに、ふがくと
一緒に理由も分からぬままルイズは強く抱きしめられたのだった。
#navi(萌え萌えゼロ大戦(略))
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「……ねえ、ギーシュ。正直に話してくれない?」
ふがくたちがラ・ヴァリエール領に向かった翌日。トリステイン魔法
学院では一人の男子生徒が複数の女生徒に問い詰められていた。
「な、なんのことだい?モンモランシー」
「とぼけないで!この三日間、ルイズと二人でどこ行ってたの?」
「……そのルイズの様子も何か変だったわね。お姉さんに引っ張られて
帰っちゃったからちょっとしか見てないけど、妙に気を張っていたというか。
タバサはどう思う?」
ギーシュに詰め寄るモンモランシーの横で、キュルケは横で本に没頭
している親友に問いかける。その返事は素っ気ない。
「確かに変。たとえるなら、何かの罪に怯えているような感じがした」
タバサの言葉に、ギーシュは小さく肩をすくませ、遠くを見るような
目をする。
「罪……か。あれを罪だというのなら、軍人は全員罪人だよ」
「どういうこと?」
ギーシュのその言葉に、三人は顔を見合わせた。
アルビオンの首都ロンディニウムの南側に、かつて王権が君臨した
ハヴィランド宮殿がある。
そこの白ホールは、まさに『白の国』アルビオンの要にふさわしく
白一色に塗りつぶされた荘厳な場所。一六本の白大理石の円柱がホールの
周囲を取り囲み、白亜の天井を支えている。白い壁には傷一つなく、
光の加減で顔を映し出すほどに輝いて見えた。
そんなホールの中央には、巨大な白大理石の一枚岩から削り出した
『円卓』がしつらえられている。平らに磨き上げられた岩盤は、そこに
集う者の心を映すとすら言われていた。
おおよそ二年前までは、そこは大臣たちが王を取り囲み国の舵取りを
行った場所であった。しかし、今その『円卓』の座に座る者は、王政府から
国を取り上げた革命者たち。革命政府の貴族議会議長兼初代神聖皇帝
オリヴァー・クロムウェルは、上座に座り静かに目を閉じる。その背後には、
彼の秘書であるシェフィールドという女性が、影のように寄り添う。
ライトニング姉妹の姿がここにないのは幸いか。クロムウェルは、
戦の傷も生々しい将軍たちを前に、いささかも動じてはいなかった。
一人の男が挙手をする。ホーキンス将軍――白髪と白髭がまぶしい
歴戦の将軍は、その顔の半分を包帯で覆っている。ホーキンスはきつい目で、
ほんの二年前まではただの地方司教でしかなかった皇帝を見つめる。
クロムウェルに促され、彼は立ち上がった。
「閣下にお尋ねしたい」
「なんなりと質問したまえ」
「先程ご報告致しましたように、ニューカッスルの地で我が軍はかろうじて
勝利を収めましたが、艦隊と陸軍戦力再編の必要に迫られました。
艦隊がなければ軍を運ぶことすらできず、兵がいなければ国土を守る
以前の話となりますからな」
うむ、とクロムウェルは頷いた。そして、視線が同じく頭の包帯が
痛々しい肥えた将軍、ネルソン提督に向く。
「先の戦闘で、卿は陸兵五万を見捨てて艦隊を立て直し、見事王党派を
仕留めて見せた。そのとき、卿は、余に力を貸してくれている双子の
乙女たちとよく似た鋼の翼持つ乙女を見たと言うが、本当かね?」
ネルソンは処刑台に立つ罪人の気分を押し隠し、毅然と起立すると
クロムウェルに向かい合う。
「その通りです。閣下。そして、艦と多くの将兵を失った責任は、
すべてこの私にあります」
大破状態でロサイスに帰投した巨大戦列艦『レキシントン』は、現在
予定を前倒しして突貫で改装工事に入っていた。その艤装主任には予定
通り彼の副官であったボーウッドが任されている。そして、ネルソンは
提督の任を解かれ、巡洋艦の艦長となることが決まっていた。
「なるほど。だが、余も卿ほどの優秀な将官を処刑することは忍びない。
卿には、これからもこのアルビオンのためその力を振るって欲しい」
「……寛大なご配慮、誠に痛み入ります」
茶番だ。すべての責任は、総司令官であったサー・ジョンストンが
取るべきなのだ。だが、得てして政治家というものはこのような責任
回避に長ける。しかし、生粋のアルビオン軍人であるネルソン自身が、
あの戦いにおける死者たちに責任を感じていたことは、紛れもない事実
だった。
ネルソンが着席したのを見計らって、クロムウェルは言う。
「……さて、諸君。王党派を打倒した我々は、次なる段階に進まねばならぬ」
クロムウェルのその言葉に、背後に立つシェフィールドがかすかに
笑みを浮かべたことに気づく者はいなかった。この会議がもたらす結果
――それをハルケギニアの諸国が知るには、まだ少しの時間を必要とした。
夜も更け、双月が天空高く輝く頃……。
そこが最前線であることを雄弁に物語る高い城壁と深い堀に囲まれた
ラ・ヴァリエール城の大ホールは、沈黙に包まれていた。
深夜にもかかわらず、娘たちを待っていたかのように開かれた晩餐会。
シエスタは召使いとして参加を許されなかったが、ふがくはルイズの
使い魔ということと、異国の士官待遇であることから、特別に晩餐会への
参加が許されていた。
とはいえ、ふがくはルイズの隣、一番下座である。三十メイルほども
ある長いテーブルに座るのは、ふがくを加えて五人だけ。話によると、
ラ・ヴァリエール公爵は今日は戻らないらしい。それでもテーブルの
周りには使用人が二十人ほど並んでいる。壮観な眺めだった。
上座に控えた公爵夫人は、到着した娘たちを見回した。その視線が
ふがくに向けられたとき、そのエレオノールをもしのぐ苛烈な視線を、
ふがくは礼で受け流す。
この母にしてこの娘あり、ってとこかしら――ふがくは、公爵夫人の
年の頃を五十過ぎだと見る。だが、それは長姉であるエレオノールの
年齢から推測したものであり、実際には四十半ばに届かないように見えた。
目つきは鋭く炯々とした光を湛え、まだ色あせぬピンクブロンドは頭の
上でまとめられていた。なるほど、カトレアとルイズの髪の色は公爵夫人
ゆずりなのだ。そして、その人をずっと傅かせてきた者だけがまとうことが
できるオーラは、ふがくに警戒を超えた敵意を向けていた。
ルイズはそのオーラにすっかり圧迫されてしまい、久しぶりに会う
母親だというのに、かちんこちんに緊張している。この様子だと、家族で
心を許せるのはカトレアだけのようだ。
「母さま。ただいま戻りました」
エレオノールが代表して挨拶すると、ラ・ヴァリエール公爵夫人は
無言で頷く。そして、三姉妹とふがくがテーブルにつくと、給仕たちが
前菜を運んでくる。晩餐会の始まりだった。
(これ、本当に家族?誰も一言も発しないばかりか、みんな公爵夫人の
オーラに萎縮しちゃってるじゃない)
息が詰まりそうになるような、銀のフォークとナイフが食器と触れあう
音しかしない時間。結局、誰も言葉を発しないまま、沈黙の晩餐会は
終了した。
ルイズのことは、明日ラ・ヴァリエール公爵が戻り次第ということに
なった。
ふがくは自分のために用意された部屋には入らなかった。どうやら
納屋に簡易ベッドを運び込んだらしく、壁には箒が立てかけられ、
ベッドには乾いたぞうきんがかかったまま。トリステイン王国の他国の
士官を遇する手法を見たふがくは、結局この国は魔法が使える貴族以外は
人間だと見ていないのだと再確認しただけ。後でこの有様を見たルイズが
母親に猛抗議することになるのだが、それもあとの祭りである。
そんなこともあり、ふがくはちょうど部屋に来ようとしていたシエスタを
誘って、ラ・ヴァリエール城の一番高い尖塔の上に腰掛けていた。尖塔の
上からラ・ヴァリエール領を見渡すと、真夜中だけあって明かりがついて
いるところは衛兵の詰め所くらいしかない。村も眠りについており、
夜の帳が降りた広大な領地の上に星が瞬く夜空が広がっている。
大日本帝国の鋼の乙女たちの駐屯地であった木更津基地から見た空とは
違う光景に、ふがくも、そしてシエスタも思わず目を奪われた。
「学院の仲間が言ってました。ラ・ヴァリエール家は、トリステインでも
五本の指に入る名家なんですって。こんなお城に住むのも、当然ですよね。
はぁ、爵位も、財産も、そして美貌も何でも揃ってて……。
ミス・ヴァリエールが羨ましいな」
溜息混じりにそう言うシエスタ。その様子に、ふがくは小さく溜息をつく。
「そんなものかしらね」
「そうです。だって、わたしが欲しくても手に入れられないものを、
たくさんお持ちなんですもの」
シエスタの顔は赤い。それは照れているのではなく、酒が入っているせいだ。
シエスタも付き添いのメイドとはいえお客様には違いなく、この城の
召使いは彼女をもてなすために酒を出したらしい。吐く息にも酒の臭いが
混じる中、ほろ酔い?のシエスタはがさごそとシャツの隙間からワインらしい
酒の瓶を取り出した。瓶の中で丸のまま漬け込まれた、その口よりも大きな
リンゴが酒に揺られている。
「どっから持ってきたのよ」
「もらったのれす」
すでにろれつが怪しい。シエスタはコルクを抜くと直接ぐびっと酒を
あおった。その飲みっぷりは、普段のシエスタからは考えられないほど
豪快なもの。ぷはっとシエスタが瓶から口を離すと、その顔には至福の
笑みが浮かんでいた。
「おいふがく」
呼び捨てである。ふがくは無言で差し出された瓶を受け取ると、そのまま
口をつける。リンゴのフルーティな香りがワインより遙かに高いアルコール
度数とともにふがくののどをゆっくりと潤した。
「いいお酒ね。シエスタ、これどっから持ってきたのかしら?」
「厨房のテーブルの上にあったのれす」
どうやらシエスタは、一本つけられたワインを飲み干して気分が良くなり、
そのままテーブルの上の酒を適当に失敬してきたらしい。そこでカルヴァドス、
しかも年代物のラ・ポム・プリゾニエールを選んでくるのは……何とも
酒癖の悪い。しかもこんなものを一気飲みしたにもかかわらず、急性
アルコール中毒になった気配もない。ふがくはシエスタの意外な一面を
見た気がした。
「……相棒。お客さんだぜ」
そんな惨状の中、不意にデルフが言う。デルフは機能低下したふがくの
電探を補うため、背中に背負われている。ふがくが接近してくる何かに
意識を向けると、そこにはルイズを抱えたまま『フライ』で飛び上がって
きた、カトレアの姿があった。
いきなりの酒の臭いの歓迎にルイズは面食らったが、カトレアはにこやかに
微笑んでいる。
「あらあら。小さいルイズがまだ高く飛べないって言うから一緒に来て
みたけれど……」
「あ、あんたたち……何やってんのよ……」
『虚無』のルイズが『風』の系統魔法である『フライ』を使えるわけが
ないのだが、方便として『風』の系統とエレオノールに言ってしまった以上、
そう言ってごまかすしかなかった。だが、それ以前にルイズは尖塔の上で
べろんべろんに酔っ払ったシエスタに絡まれながら平然と自分たちに
向かい合うふがくに、思わず溜息をつかずにはいられなかった。
「別に。学院と同じでラ・ヴァリエール家の素晴らしい待遇に涙が出そうに
なったから、夜風に当たりに来たのよ」
「学院と……同じ?」
カトレアが不思議そうな顔をする。その様子にルイズは苦虫を噛み潰した
ような顔をした。
「……部屋のことは悪かったわ。母さまにちゃんとあんたのことを話して
別の部屋を用意するようお願いしてきたから、ラ・ヴァリエール家が
他国の士官待遇をこんな風に扱うなんて思わないでちょうだい。
それより、ちいねえさまにパインのカンジュメを食べさせてあげたいの。
道具貸して」
ルイズとカトレアがふがくにあてがわれた部屋を訪れた理由はそれだった。
あの日テーブルの上からパイン缶をふんだくったルイズは、ふがくから
保存方法――冷暗所、なのでルイズはクローゼットの中に入れていた――を
聞いてまで、この日のために取っておいたのだ。ところが小皿と銀の
フォークの準備も万端、いざ開封しようとして……道具をふがくが持って
いることに気づき、それを借りようとしたのだが――あまりのぞんざいな
扱いに顔から火が出る思いだった。
「それはいいけど……ここで食べる気?」
言われてルイズは気がついた。ここは城でも一番高い尖塔の上。
体の弱い姉にはちょっと厳しい場所だ。加えて、酔っ払ったシエスタもいる。
ルイズたちはシエスタを彼女にあてがわれた部屋に寝かしつけた後、
カトレアの部屋に移動した。ルイズはふがくからサバイバルナイフを
受け取ると、格納されていた缶切りを引っ張り出してゆっくりと缶を
開けていく。その甘酸っぱい香りに、カトレアの部屋にいる動物たちも
鼻を鳴らす。
「さわやかな香りがするわね。これがあなたの国の香りかしら」
カトレアの問いかけに、ふがくは静かに答える。
「半分正解……ですね。これは我が国の南方領土で採れる果物ですから」
ふがくの口調に、カトレアはやや不機嫌な様子を垣間見せた。
「あらあら。そんな口調で話されると突き放されているような気がするわ。
あなたはルイズの使い魔だけど、わたしはもっとあなたのことを知りたいと
思うわ」
カトレアはそう言ってふがくに微笑みかける。そうしているうちに
ルイズが缶を切り開けて、中から黄色いリング状のパインのシロップ漬けを
小皿に取り分けた。
「ちいねえさま。食べてみて」
ルイズに促されるまま、カトレアは銀のフォークでパインを切り分け
口にする。その甘酸っぱい未体験の味に、カトレアは素直な感想を告げた。
「甘酸っぱくてさわやかで、とてもおいしいわ。わたしの知らない遠い国には、
こんな食べ物もあるのね」
行ってみたい……カトレアの口から誰にも聞き取れないような小さな
言葉が漏れる。それを聞き取ったのはふがくだけ。だがその言葉の意味を
察したのか、ルイズがぽつりと言う。
「……ちいねえさまはお体が弱いの。国中からお医者さまをお呼びして、
強力な『水』の魔法を何度も試したのだけど……全然効かないのよ」
「魔法でもどうにもならない病って、あるようね。なんでも、体の芯から
良くないみたい。多少水の流れをいじったところで、どうにもならないんですって」
ルイズとカトレアの言葉に、ふがくは何も言えなかった。
カトレアの病気は、原因が分からないらしい。体のどこかが悪くなり、
そこを薬や魔法で抑えると、今度は別の部分が悲鳴を上げるのだ。
その繰り返しで、彼女は優秀な素質を持っているのに学校に通うこともできず、
公爵家令嬢という地位も美しい容姿も持っているにもかかわらず嫁ぐことも
できなかった。だが、それでも、カトレアは微笑んだ。それがルイズには
姉が不憫で仕方ないとしか思えなくなっていた。
「原因が分からないんじゃ、確かに投薬してもそれが効いてるかなんて
分からないわね」
「そういえば、ふがく、あんたの国って、医学は進んでるの?」
ルイズの問いかけに、ふがくは一瞬どう答えてよいものか迷った。
そのため、返答も曖昧なものとなった。
「……それなりにはね。魔法みたいなことはできないことも多いけど。
第一、それ前にも聞いてこなかった?」
「そうだったかしら?」
「まぁ、それ以前に帰る方法が分からないんじゃ、どうしようもないわね」
肩を落とすルイズ。二人の様子を見て、カトレアがころころと笑う。
「二人とも仲が良いのね。ふがく、ルイズから聞いたのだけど、
あなた、空の上まで飛べるそうね?」
ふがくはルイズを見る。どうやら母親にふがくのことを説明するときに、
ふがくが高高度まで上がれることを話してしまったらしい。アルビオンまで
行ったことは話していないようだが……ふがくは観念したように言った。
「ええ。ご主人様を連れて昇ったこともあります」
カトレアはそれを聞いてやや寂しそうな顔をする。
「まだ硬い口調ね。それに、ルイズのことも普段からそう呼んでいるの?」
ふがくが首を振る。そうすると、カトレアはふがくにこう言った。
「なら、わたしにも普段のルイズと同じ話し方にしてほしいわ。
それからこれはお願いなのだけれど……」
カトレアが申し出たことに、ルイズは思わず目を丸くした。
双月が西に傾き始めた夜の練兵場に、ルイズたちはいた。カトレアは
防寒のために着替えており、デルフリンガーを背負ったふがくもすでに
プロペラを回し、軽く浮き上がった状態でそのスタイルの良い腰を背中から
抱きしめていた。翼端灯の光が三人を照らす。
「ふがく!ちいねえさまの具合が悪くなったらすぐ降りてきなさいよね!」
ルイズが心配そうに言う。カトレアは、ふがくにルイズが見たのと
同じ空を見たいと言ったのだ。さすがに具体的な高度の話は母親には
しなかったようだが、それは病気のために領地から出たことのない
カトレアの好奇心を強く刺激していたのだった。
「それじゃ、お願いするわね」
「分かりました。それじゃルイズ、ちょっと行ってくるわね」
その言葉を合図に、ふがくは助走もほとんどなしに空に舞い上がる。
その姿はすぐに夜の闇に溶け、見えるのは翼端灯の赤青白の光とエンジンの
排気炎だけになった。
「……まったく。どうしてこうなっちゃうのよ……」
練兵場で独りつぶやくルイズ。その様子を見ている影の存在に、
彼女たちの誰も気づいていなかった。
ふがくは上昇角度はややゆるめにし、カトレアの負担にならないように
気を遣いながら速度を上げる。ラ・ヴァリエール城がどんどん小さく
なっていくその様子に、カトレアは驚きの声を上げた。
「まあまあ。竜籠には乗ったことがあるけれど、それが馬車に思える
くらい速いわ」
「巡航高度での水平飛行なら、もっと速く飛べます。現在高度4000メイル。
カトレア様、体の具合はどうですか?」
「ルイズや二人だけの時は、ルイズにしているように呼び捨てでかまわないわ。
それに、まだ硬いわね。
でも、もうアルビオンより高く上がったのね。速すぎて実感できないわ」
体について何も言わないということは、とりあえずは大丈夫だと判断した
ふがくは、そのまま高度を上げる。夜のラ・ヴァリエール領は明かりも
ほとんどなく、ルイズから聞いたフォン・ツェルプストー領との国境線を
見れば、そちらの方がこの時間でも明かりが灯っている場所があり
活気づいているように見えた。
「……こうして見ると、父さまが頑張っていても、トリステインと
ゲルマニアの差が見えてくるわね。あなたへの仕打ちがそうであるように、
伝統に固執しすぎて見えなくなっているものがあるのね。
ねえ、このまま国境線を越えてみない?この高度とあなたの速度なら、
見つかる前に戻ってこられるわよ」
「冗談でも止めて……。それに、もうすぐ高度8000メイルに到達します。
少し揺れるから、気をつけて下さい」
その言葉にカトレアは目を丸くした。
「あの『風の門』?昔ガリアの竜騎士が挑んで墜ちたという吟遊詩人の
詩でしか聞いたことがないわ。楽しみね」
ふがくはなるべく揺らさないで突破できるよう、角度を調整して偏西風に
突入した。背中の排気タービン式過給器が力強い鼓動を響かせて風を
切り裂き、一気に駆け抜ける。高度13000メイルで風を抜け、ふがくは
そこで上昇角度を緩めた。
「すごい西風だったわね。本当に天空への城壁みたい。でも、すごい風の
音がしたけれど、ほとんど風そのものを感じなかったのは、あなたの力かしら」
「まぁ、そんなところです。もうじき高度15000メイルに到達します。これが、ルイズの見た空です」
ふがくは高度15000メイルで水平飛行に遷る。時間はまだ夜明けには
早いが、そこは雲一つない、黒いほどに青い空。空は彼方で大気によって
二つに分かたれ、眼下には夜明け前のラ・ヴァリエール領とフォン・
ツェルプストー領、いや、トリステイン王国と帝政ゲルマニアが、
その区別なくまるで精巧な箱庭のように見えていた。
そのあまりの美しさに、カトレアはしばしの間言葉を失った。そこに
あるのは風の音とふがくのエンジン音、そして二人の呼吸だけ。
「…………すごいわ。まるで始祖の御許に迷い込んだみたい。なんだか
暖かいのはどうしてかしら」
「それは私と一緒にいるから。今の状態だと大体十分の六気圧ってとこ
だけど、外気温は現在マイナス五六度、気圧も十分の一。私が手を放すと
あっという間に体中から血を吹き出して、呼吸もできなくなって凍り付くわ。
その前に気を失ってるでしょうけど」
「それは怖いわね」
脅しに近い言葉を聞いてもカトレアは動じず笑っている。ふがくの
背中で「俺、凍えそうなんだけど」という声が聞こえているが、二人は
無視した。
「ところで、私に聞きたいことがあるからこんなことを頼んだんでしょ?
カトレア……さん」
「うーん。もうちょっとね。
でも、それは半分だけ正解ね。ルイズが言っていたように、わたしは
生まれつき体が弱くて、今まで一度もラ・ヴァリエール領から出たことが
ないわ。父さまは結婚もできないわたしを不憫に思ってか、ラ・フォンティーヌ領を
わたしに分けてくださったけれど、それもいつまで保つか……。
だから、外に出てみたかったというのは、偽りのないわたしの本心よ」
カトレアのフルネームは、カトレア・イヴェット・ラ・ボーム・ル・
ブラン・ド・ラ・フォンティーヌ。つまり、厳密にはラ・ヴァリエール家から
分家したラ・フォンティーヌ家の当主ということになる。体が弱いために
社交界に顔を出したこともなく、求婚者がいないカトレアに、
父ラ・ヴァリエール公爵が与えた精一杯の温情だった。
そのカトレアは、今、ふがくに抱かれてトリステイン王国と帝政ゲルマニアを
見下ろす高みにいる。彼女が思っていた『外』とは異なるが、この空を
見たことがある人間を数えた方が早い場所にやってこられたことに、
今まで感じたことのない充足感を覚えていた。
「だから、まずは、ありがとうと言わせてもらうわね。ルイズを守ってくれて。
あの子、とても怖い思いをしたようね。無理に気を張って、それを
悟らせないようにしていたわ。それに、ルイズが『風』の系統に目覚めたと
いうの、あれは嘘よね?」
ふがくはカトレアにどこまで話すか迷ったが……意を決してこう言った。
「超重爆撃機型鋼の乙女である私は、ルイズの命令で、この高度から
五万の敵を焼き払ったわ。それだけじゃない。私は誤爆して無関係な
集落まで焼いたし、ルイズが五万の敵を焼き払ってまで守りたかった
人たちを守りきれなかった……」
カトレアは何も言わず、ふがくの言葉に耳を傾ける。
「ルイズが魔法に目覚めたというのは、紛れもないことよ。でも、
どの系統に目覚めたのかは、その場に居合わせたある人に誰にも話さないよう
きつく命じられたから、言えない。それがアンリエッタ姫殿下であっても。
ルイズが嘘をついたのも、その言葉を守ってのこと。だから、そのことは
責めないで」
それだけでカトレアには十分だった。言えない系統――それはただ一つしか
ない。ラ・ヴァリエール家は、トリステイン王家の庶子をその祖とする。
つまり、その可能性は自分たちにはあったのだ。それでも、それがルイズで
あったこと、そして、これから彼女が背負っていくであろう運命に、
カトレアは憐憫の情を覚えずにはいられなかった。
「……今、あなたを抱きしめられないことがとても悲しいわ。
ありがとう、ふがく。あなたが小さいルイズの側にいることを、
わたしはとても嬉しく思う」
「カトレア……」
「ええ。そう呼んでくれてかまわないわ。
わたしが聞きたかったことはそれだけ。さあ、もう降りましょうか。
あまり長居していると、ルイズが心配するわ」
そうして――再びラ・ヴァリエール城に戻ったカトレアに、ふがくと
一緒に理由も分からぬままルイズは強く抱きしめられたのだった。
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